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埔里から茶旅する2016(5)焙煎という仕事

焙煎という仕事

有名な焙煎師のところにも寄った。前回もUさんに連れてきてもらったのだが、そのおじさんとUさんが焙煎について激論になり、こちらは目を白黒させていただけだったのをよく覚えている。後で聞くと、このおじさんのお父さんは台湾でも超有名な焙煎師であり、その息子としておじさんにも相当のプライドがあったはずだが、そこで若いUさんが、堂々と意見を言っていたのだから、双方に対して驚くしかない。そこには厳しいプロ同士の高みを目指す姿勢が感じられた。

 

今日は、おじさん、機嫌がよかった。相撲が好きだと言い、テレビを点けると、ちょうどNHKで大相撲中継をやっていた。ただ時々時計が鳴ると、すぐに奥に引っ込み、焙煎を続けている。跡継ぎである息子も一緒になってやっている。彼はお父さんとは違い、かなり温厚に見える。いや、お父さんもきっと温厚な人なのだ。だが、焙煎にかけては譲ることはできない。それが職人というものなのだろう。笊を持ち上げて揺する、かなりの肉体労働が繰り返されていた。

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原料となる茶葉、今年はなかなかいいものが手に入らない、と嘆く。これは天候不順の問題だけでなく、やはり茶農家の減少などと関係しているかもしれない。しかし焙煎師とは難しい仕事だ。茶農家ではないのだから、自ら茶畑を持っている訳ではなく、茶葉が供給されなければ何もできず、その茶葉の質をコントロールすることもままならない。そしてこちらのように、全てを手作業でやっている限り、焙煎できる量には限りがあり、市況がよくても、供給量を伸ばすことも難しい。しかも相当にストイックな作業、メンタルも強くないとやっていけない。

 

まだ明るかったが、偉信が待つ店に夕飯に向かった。実はこの日、偉信と彼のお父さんの出品したお茶がコンテストで最高賞を受賞した、という実に喜ばしいニュースが飛び込んできた。Uさんも『これは本当に素晴らしいことだ』と我がことのように喜んでおり、今日は飲むぞ、という雰囲気になる。コンテストは沢山あるとはいえ、出品する人々もすごい数に上る。その中で、一番を取る事の難しさは、私などには想像もできないほどの大事なのだ、と実感する。これが飲まずにはいられるか、ということだ。

 

先ほどのおじさん同様、偉信もまた、相当の努力を払って焙煎を行っていた。我々にはその素振りさえも見せずに、いつもにこやかに駄洒落など軽口をたたき、笑っていたが、お父さんの指導もあり、厳しい仕事に従事していたのだ。農会のところで、お父さんとすれ違った。右手を大きく上げて、その喜びを表現していた。彼らはコンテスト入賞の常連ではあるが、やはり一番を取る、ということは得たものしか分らない、喜びがこみ上げてくるようだ。

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鶏肉の美味い店だ、ということで酒を飲まない私はたらふく食べた。Uさんはしきりに乾杯を重ねており、ビールからウイスキーに酒が切り替わっていた。偉信の友人たちも祝福にやってきており、鹿谷で彼が愛されていることが随所にみられた。Iさんも結構飲まされ、Yさんは自分からずんずん飲んでいた。その内に、Uさんがフラフラし始め、テーブルに突っ伏して寝てしまった。彼もストイックな性格なのだ。今年の春茶の仕入れに相当の神経を費やし、苦悩の日々を送っていたことを物語っていた。真面目にやれば厳しい仕事なのだ。最後は偉信に抱きかかえられて、帰って行った。

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5月19日(木)
朝ご飯

翌朝私はすっきりと起きる。Uさんのことが気にかかったが、まあ今日は静かに寝かせておこうと、敢えて連絡は取らなかった。Yさんが朝ご飯を食べたいという。この教会、昨晩戻って分ったのだが、上の階の宿泊施設は、教会から委託された地元民が運営していた。1泊900元、と言われて、かなり驚いた。5年前は申し訳程度に300元払っただけだったのだから、3倍にもなってしまっていた。Iさんが泊まったのは私が昨年泊まったところで、1泊600元。設備がきれいになっているとはいえ、どう見てもちょっと高い。だがこれもご縁なので、従う。

 

その代わり、朝ご飯の場所に連れて行け、とお願いして、彼の車で食べに行った。葱餅屋だった。そこで餅と豆乳を注文した。地元の老人が朝ご飯を食べにくる場所であり、緩い空気が流れていた。この葱餅、作り立てということもあり、実にうまかった。そしてここの主人と奥さんが『アンタラ、日本人だろう。あたし等、日本が大好きでね。毎年日本のどこかに行っているよ。去年は日本海側の街を回ったがよかったね』というではないか。正直葱餅を売って、どれだけ収入があるのか分らないが、それでも毎年日本に旅行に行ける。このゆとり、これは素晴らしいことだ。

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食べ終わると宿に戻り、チェックアウトした。今日はYさんの要望で、埔里へ行くことにしていた。昨晩埔里のゲストハウスオーナーの日本人に電話を掛けて確認したところ、鹿谷から埔里へは直通バスはなく、どこかで一度乗り換えるようだった。そのバスは9時に教会脇のバス停に来るようだったので、そこへ向かう。Iさんも同行するというので彼の到着を待っていた。するとUさんから携帯に電話があり、『埔里まで車で送っていく』といい、すぐにやってきた。これは有り難いが、昨晩の酔い方から考えて大丈夫かと心配になる。

埔里から茶旅する2016(4)鹿谷 お茶事情

 ちょうど出来上がった茶の試飲も出来るようになっていた。標高の高いところではまだ茶葉が伸びてきていないようで、この付近の茶葉を使って製茶している。香りももう少し欲しい感じだが、きちんと焙煎を掛けて茶は、既に私の好みに出来上がっていた。茶は勿論茶葉そのものの善し悪しが一番だが、その後の加工技術を発揮することにより、十分に素晴らしい茶を作ることができる。今の台湾では、茶農家が自ら加工までを行い、直接消費者に売る動きが広がっているが、良い茶葉を作る人と、良い茶を仕上げる人が同じであるとは限らないし、その専門性の発揮、という点では分業の方がさらに良い茶ができるようにも思う。

 

昼ご飯もここで頂く。偉信は常に、鹿谷で一番うまいものを食わせてくれる。今日は筍シーズンということで、炊き込みご飯と鶏のスープ。わざわざ奥さんが買ってきてくれた。申し訳ないとは思いながらも、これがお茶と並んで楽しみなのだから、仕方がない。高級なものが一番うまいとは限らない。地元で採れた食材を、美味く調理して、その場で食べるのが、一番うまいのではないだろうか、といつも思う。食事が終わるとペットボトルが渡される。午後の活動の際に持っていくようにと言われたが、そこに入っている茶がまた濃厚で美味い。ペット茶もこうであればよいのだが。何とも有り難い店である。

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凍頂烏龍茶事情

午後はUさんが車を借りて我々3人を案内してくれた。まずは普通の民家へ行く、そこには女性が待っており、摘まれた茶葉が置かれていた。Uさんも何やら茶葉を持ってきていた。ここでお茶を飲むのかと思っていたが、実はここには人が住んでおらず、お茶を淹れる用意がなかった。そこで今晩我々が泊まる予定の教会に場所を移した。この教会、5年前に私が初めて来た時に、泊めてもらったところだ。懐かしい。入ってみると何だかきれいになっていた。以前は鍵もかからない、管理されているとは思えないところだったのだが、どうしたのだろうか。

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そこのリビングルームで、Uさんがその女性の茶畑で摘まれた茶葉を製茶したものを淹れてくれた。何より製茶には原料が重要だが、その女性は茶畑を管理するほどの余力がなくなったようで、茶畑は放置されようとしているらしい。Uさんはその茶葉が使えると判断して、女性から茶葉を譲り受け、自らの好みの茶を作ろうとしている。女性も茶葉がお金になるのであれば、茶畑を守っていくかもしれない。今の鹿谷の現状、凍頂烏龍茶の現状とは、大体そんなところかもしれない。この周囲の茶畑は少しずつなくなっている。

 

教会の斜向かいには農会がある。1階で茶葉やお菓子、茶器などを販売するコーナーがあり、見に行ってみる。私はこれから旅が長いので何も買わなかったが、結構お土産に良いものがあるようだった。このビルの2階には確か、鹿谷の茶の歴史が展示されていた、との記憶があり、みんなで上がってみる。ところが展示の内容は大きく変わっており、凍頂烏龍茶の元祖と言われている『1855年に林さんが科挙合格のお祝いに36本の茶の木を持ち帰り・・・』などの記述は全くなくなっていた。代わりに中国の宋代の茶碗など、中国人観光客向けにアピールするようなものばかりになっていた。

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しかし中国人だって、わざわざここまで来て、中国の歴史を見せられても面白いとは思われない。これは一体どうしたことだろうか。やはり鹿谷の茶の歴史は伝説であり、歴史的には否定されてしまったのだろうか。なぜ展示内容が変わったか、その理由は分らなかったが、昨年この地域の役場の長が交代したというから、そういう地域的な問題なのかもしれない。私も伝説的な茶の歴史、商売ありきの茶の歴史はどうかとは思うが、その代替が中国の歴史であるのは台湾にとってもどうなのか、大いに疑問が残る。

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そして車で凍頂山に向かう。途中に景色の良いところがあり、車を停めて、写真を撮る。目の前に池があり、その向こうには山が見える。Uさんが『ここから見える山々で摘まれる茶葉で作られるお茶が凍頂烏龍茶です』と説明してくれる。凍頂烏龍茶という名称だから、当然凍頂山で採れる茶葉を使ったものだと思うのだが、今や凍頂烏龍茶とは『烏龍茶の作り方の1つの型だ』という話もあり、その茶葉も至る所にあるらしい。ただ昨今のベトナムなど海外の茶葉を使って作った茶を凍頂烏龍茶と称して売っているのは、地元としても困るのだろう。そこで範囲を特定しているらしい。

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実際凍頂山に登ってみると、登る度に茶畑は減っている。以前は面倒な茶樹からトマトやキャベツなど野菜畑に転換するところが多かったが、今回行くと耕作放棄の茶畑もいくつも見られた。何とも寂しい光景がそこにあった。農家の高齢化は日本も台湾も状況は似たようなものだ。これから先が思いやられるが、事態が好転しそうな感じはない。そんな中で、よい製茶を行う中年男性もいるというので訪ねてみたが、残念ながら不在だった。

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埔里から茶旅する2016(3)鹿谷へ向かう

 5月18日(水)
鹿谷へ

夜は外の車の音が少しうるさかったが、翌日はなんとなく目覚め、朝ご飯を買いに外へ出た。すぐ近くの店で蛋餅と紅茶をゲットして、部屋で食べる。なぜか甘い紅茶も蛋餅と食べると美味しいから不思議、台湾らしい朝だった。今日は鹿谷へ向かうのだが、一緒に行くYさんが台北から高速鉄道に乗ってくるため、目の前の台中駅ではなく、高速鉄道の台中駅へ行かなければならない。それには台中駅からローカル線、区間車に乗り、新烏日という駅へ行くことになる。料金は15元、時間も10分余りだという。

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切符は自販機で買うというのだが、ちょっと迷う。よく見ると、料金も駅名も自販機にきちんと書かれている。電車は向こうのホームにやってきた。荷物を持って地下通路を歩き、階段を上がるのはちょっとしんどい。車両は普通。台中駅を出るとすぐに農村風景になった。こんなものだろうか。確かにすぐに新烏日駅に到着。待ち合わせの8時半にはまだかなり時間があった。だが、そこから高速鉄道駅まではちょっと距離があり、ゆっくり歩く。台北駅のようにローカル線のメインと高速鉄道の駅が1つだと便利なのだが、台南なども離れているのは、何となく不便だ。

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Yさんからはメッセージで8時15分には駅に着くと連絡があったので急いで改札口へ向かった。だが8時15分の列車が走り去って、乗客が全員降りてきても、彼女の姿はなく、ちょっと焦る。Yさんはなかなかユニークな人なので、私が指定した待ち合わせ場所を勘違いしている可能性も大いにある。電話してみたが、全く出る気配もない。10分近く経ったころ、ぴょっこり現れたので、ホッとした。トイレに行っていたとのこと、確かに待ち合わせ時間には余裕があったが、到着時間が指定されれば当然先に降りてきて落ち合ってから、トイレに行くだろうと思うのは私だけだろうか。

 

そして1階にあるバス乗り場へ向かう。ここは何度か利用しているので慣れていたのだが、切符売り場でお金を払うと整理番号を渡される。この時間は10分間隔で来るので、問題なく乗れると思っていたら、完全に甘かった。バスが来て乗り込んだ人々の整理番号は130番台、私たちが持っていたのは何と180番台。一体いつになったら乗れるんだろうか?今までこんなに混んでいたことはなかった。しかも今日は平日、どうなっているんだ。乗客のほとんどは台湾人の年配者のグループ。ハイキングに行くらしい。

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どうすることも出来ずに呆然としていると、そこはYさん、すかさず『あれー』という声を出す。何だと思っていると『実は今日、もう一人Uさんを訪ねてくる人がいるんですよ』という。彼女も1度会ったきりらしいが、日本人男性とか。彼はいつ来るの?と聞くと、LINEを見る限り、今バスに乗ろうとしているというのだ。ならばこの辺にいるだろう、というと、これまたひょっこり、『あのー』という声がかかる。彼がIさんだった。何だかよくわからないが、3人旅となる。因みにYさんはUさんと会ったことはなく、私はIさんとは初対面。こんな組合せで、ご縁ができるというのが、まさに茶縁であろう。

 

そして30分後、2人なら乗れるよ、というところまで順番が来て、これをパス。次のバスには何とか乗れた。このバスは台中駅から来るようで、私一人なら、こんなに待つ必要はなく、台中駅前から乗れば済んだらしい。このバスも満員、どうなっているんだろうか、本当に。バスは竹山経由で、鹿谷に向かう。Uさんには乗車した段階でIさんが連絡を入れていた。我々は農会のバス停で降りるように指示されていたが、呆気なく通り過ぎた。なぜだろうか。今回は不思議な出だしとなっている。

 

3. 鹿谷
偉信の店

Uさんに乗りこしたと連絡すると『今バスが通り過ぎましたよね』と半ばあきれながら、次のバス停まで車で迎えに来てくれた。そしていつものように、彼の拠点となっている、偉信の店へ行く。5年前、初めて鹿谷に来た時は、隣の古い家だけだったが、今では立派な店があり、結婚もして、子供も2人居る。店に入ると女の子がヨチヨチ歩いてきて、名刺をくれる。何とも微笑ましいが、名刺は何と彼女のものだった。将来のオーナーか。どんどん大きくなっていく。

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席に着くと、ウエルカムティーだと言って、シャンペングラスに冷えた高山茶が供される。何とも有り難い。そしておしゃれで、美味い。皆さん、単にお茶を作るだけでなく、遊びを入れながら、色々な工夫をしている。今年は天候が不順であり、茶葉の生育にも影響があった。茶はようやく少し出来始めたところだった。私はここで作られる焙煎の効いたお茶が大好きだ。高山茶というと、清香が主流かもしれないが、本来は焙煎が効いた、濃香なお茶が飲まれていたはずだ。この店の地下から、いい匂いが流れてくる。ここで焙煎が行われている。私は初めて、ここに入れてもらい、見学した。

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埔里から茶旅する2016(2)古き良き台中

まずは両替をしようと、銀行へ行く。米ドルの100ドル札を出したところ、『これは古い札なので1枚ずつ手数料を取るよ。新札はないの』と言われて驚く。いよいよそんな時代が来たか。古いドル札はバンコックあたりで使おう。少し高くなってきた日本円を慌てて出して、両替した。そのお金を持って、携帯シムを買いに行く。今回は取り敢えず15日間700元のシムを買う。これで滞在中のネットの心配はなくなる。何とも便利で有り難い。

 

 

いつもはここから台北へ向かうのだが、普通と同じでは面白くないので、今日は台中に行ってみることにした。台中行のバスも何種類か出ており、一番早く出発するバスを選んだ、つもりだったが、ちょうど出てしまったらしい。230元、台北行きの2倍か。所要時間も2倍らしい。30分後のバス、乗客はそれほど多くない。やはり台北に行くのとは、かなり違う。高速を走り、途中で分かれ道を右に行くと一路台中へ。台中市内に入ると、新市街地から順番にバス停に停まっていき、台中駅に着いたのは、やはり2時間後だった。

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2. 台中
宮原眼科

駅前でホテルを探す。古びたホテルが目に入り、行ってみると、駅の真ん前なのに部屋代は630元。部屋に入ると確かにこれは古い、と感じるが、まあ1泊だからいいかと。窓から駅前がよく見える。テレビを点けると、何とNHKワールドプレミアも入っており、7時のニュースをやっている。隣にはきれいそうなホテルがいくつも出来ているが、この宿のフロントには、いかにも台湾のおばさん、という女性が座っており、何とも懐かしさを覚える。台中に初めて来た1984年。この駅前の旅社のオーナーに『頭のおかしい台湾人』と間違われた記憶が蘇る。中国語、本当に下手だったなあ、あの頃。

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台中駅付近には30年前の台湾が少し残っていた。ちょっとわき道に入ると、まだ旅社と書かれた宿が営業していた。今はどんな人が泊まるのだろうか。決して条件は良くないが、一度はトライしてみたい気もする。日本時代に建てられたと思われる木造建築の家が残り、今でも現役で商店などとして使われている。また石造りの建物は銀行として使われているが、これも日本時代のものだろうか。台中は台北などに比べれば、発展が遅れてきたため、貴重な建物が残っているのだろう。

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夕飯に何を食べるか、何も考えていなかった。駅前には意外といい感じの店がなかった。今や台湾も駅を使うのは中高生、それでファーストフードの店が増えてくる。我々にとっては良くない傾向だが、日本も同じだから仕方がない。川を渡ったところに、鶏肉飯の店があったので、そこでセットメニューを頼む。台湾の良いところは、こういうB級グルメにはあまり外れがないことだろう。75元で、スープも付き、野菜もあり、煮卵も付いてくる。これで十分満足だ。

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腹ごなしにふらふら歩いていると、古い建物の1階に立派なセブンイレブンがある。思わず入って、飲み物を買う。そういえば、ここ台中で最近評判のスポットに『宮原眼科』というのがあったのを思い出す。日本時代に眼科だった建物をリノベーションしておしゃれな空間を作り、スイーツなどを売っているらしい。コンセプトは台南の林百貨店と似ているのだろうか。ただ地図すら持っていない私には、それがどこにあるのかさえ、分らない。

 

仕方なく宿の方に戻ると、駅のすぐ近くに気になる建物があった。実は先ほども気になっていたのだが、何だかブティックのような店がある。よく見れば建物自体もかなりおしゃれ、名のある建築家が設計したのだろうか。ちょっと寄ってみると、それが宮原眼科だった。中に入ると、高い天井やきれいな商品配置が目を惹く。お客もここには沢山いた。クッキーを売っていたが、大きなクッキーが1枚、75元したので驚く。先ほどの私の夕飯と同じ値段なのだ。チョコなど他のスイーツも、きれいに包装され、美味しそうではある。が、高い。でも女性客がどんどん買っていく。日本人観光客も結構いた。

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外に回ると、アイスクリームを売っている。これまた美味しそう。日本でも騒がれている理由が何となくわかったが、私には場違いだということもよくわかり、早々に退散した。このような台湾における日本旧懐ブーム、この背景には、単に古きよきものを懐かしむ、ということ以外に、中国大陸からの強い圧力に嫌気した台湾人が、その反動として『昔はよかったな』と日本時代を懐かしみ、同時に経済発展一辺倒の中国を意識して、それを回避する傾向があるように思う。まあ、それをまたうまく商売に繋げるというのも如何にも台湾らしい。

 

埔里から茶旅する2016(1)シンガポール系LCCの驚くべきサービス

《埔里から茶旅する2016》  2016年5月17日-6月1日

 

中国大陸ばかり行っていると、たまには台湾に行きたくなる。でも台湾でどこへ行きたいとか、何がしたいとか、具体的な活動が思い浮かばない。どうする、などと考えていると、2年前、台北で劇的に出会ったYさんがまた台湾にいた。5年前、鹿谷に初めて行った時、お世話になったUさんもまた鹿谷にいた。あれこれ考えずに、休暇のつもりで行ってみるようと、出掛けてみることにした。台湾とはそんな気楽に行ける所なのだ。

 

5月17日(火)
1. 桃園まで
成田空港で

フライトは昼前だったので、ゆっくりと家を出た。事前に検索した通りのルートで、電車を乗り継いだつもりだったが、なぜか京成スカイアクセスは私が思っていた時間の前に、東日本橋駅を出てしまっていた。あと40分は来ないという。聞いてみると、この駅にはJRも走っており、これなら15分後の電車があることが分かり、初めてこちらに乗ってみる。だが乗客は多くはなかった。なぜならスカイアクセスに比べて時間が掛かる上に、料金も高かったようだ。

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結局成田空港駅に着いたのは、あとの電車に乗るのと、それほど変わらなかった。今回は帰りの日程を決めていなかったので、シンガポール系のLCCで片道航空券を買った。LCCは片道でも結構安いのが魅力。試しに今回は、優先搭乗・座席指定などの料金を支払ってみた。20㎏までの預け荷物代込みで1万円ちょっとだった。LCCは第3ターミナルを使っているのだと思い込んでいたが、このLCCは第2ターミナルだと知って喜んだ。何しろ第3ターミナルまでは遠いのだ。

 

チェックインカウンターに行くと、既に行列ができていた。私は優先搭乗できると思い、係員の日本人女性に聞いたところ、『そんなのありましたっけ?』という驚くべき返事。そして『少しお待ちください、英語と日本語は用語が違うので』と嫌味なことを言い、誰かに聞きに行ったが、一向に埒が明かない。それで仕方なく、優先搭乗のカウンターの女性のところへ自ら行くと、『こちらで受け付けます』というではないか。

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何だ?と思ってパスポートを差し出すと『お帰りも弊社のフライトでしょうか?』と聞くので『帰りは未だ買っていません。現地で決めますので』と答えると『え、ではご搭乗はちょっと・・』というではないか。驚いてしまい『なぜ?』と聞き返すと『台湾で入国を拒否される恐れが・・』と。『え、パスポートを見てください。何度も台湾に入国しているけど、一度も拒否されたことなどありませんよ』と主張すると、『ええ・・』と詰まってしまい、後ろの女性に助けを求める。

 

この女性がまた言葉遣いが悪く、客にも聞こえるような声で『帰り持ってないの?じゃあ、インデムね』とぶっきらぼうに指示を出す。カウンターの女性が紙を持ってきて、ここにサインしてください、という。インデムとはインデムニティという英語だ。中身も英語であり、『ちょっと内容を確認させて』というと、また困惑している。そして『なぜこれを書かなければいけないのか?』と質問すると詰まってしまい、言葉遣いの悪い上司も答えられないようだった。

 

最後は責任者のおじさんが出てきて『色々あるんですよ』と言いながら、私を宥めに掛かる。『最近実際に桃園で入国拒否された日本人がいましてね』とか、『これはわが社と台湾当局の協議によるものですから』など、色々と言ってくれる。私も飛行機に乗らないといけないので、これにサインして『ではこの書類のコピーをください』というと、おじさんが『いや、これは内部資料ですから』と答えたので『内部資料だとしても、私は当事者ですよ』と言ったら、しぶしぶコピーを出してきた。この会社の対応、驚くべきことばかりだった。サービスなどというレベルではない。もう乗らないよ!

 

搭乗口に行くと、5分遅れとのアナウンスがあった。こんなところは日本的だな。乗客は台湾の学生の団体が大勢乗りこんでいた。このとても安いフライトはそういう人々のためにあるのかもしれない。サービスは悪くても、安全に運んでくれればよい、という思いだった。機体は新しく、通路が2つある大型機。シンガポールまで行くので大きくてよい、ということだろうか。離陸するとすぐに寝こけてしまい、気が付くともうすぐ桃園だった。

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桃園空港で

無事に桃園に運ばれてよかった。いつもイミグレが混んでいるので、急いで行ってみると、それほど人は多くなかった。さて、LCCの話では、ここで帰りの切符について聞かれるはずだ。その時何と答えるか、回答を幾つか用意して臨んだ。ところがイミグレの女性は一言、『ウエルカム トゥ 台湾』。そう、これが台湾だろう。3か月ビザ不要の日本人に向かって、いつ帰るんだ、などとは聞かないだろう。ようはシンガポール流の責任逃れだったのだ。

突然行く台湾北部茶旅2015(9)変貌する林森北路

帰りは駅まで歩いていく。急な階段を下りるのが近道と教わり、降りていく。更にユルユルとした坂を歩いていると、そこは駅に通じる繁華街。何故か佐野ラーメンという店が目に付く。本当は淡水観光をするつもりだったが、何となく疲れたので、駅から地下鉄に乗り、ホテルに戻った。

 

6.台北3

夜、広方園に行く。頼んでおいたパイナップルケーキを取りに行くためと、ここでKさんと待ち合わせるためだった。今日は湯さんがおらず、ご主人と少し話す。紅茶のティバッグをお土産にもらって、店を出た。Kさんとはアモイ以来の仲だが、彼女の職場が近いので、いつもここで待ち合わせる。

 

適当に店に入る。宜蘭料理の店と書いてあるが、どれが伝統的な宜蘭料理かは良く分からない。夜はそこそこに涼しいので、煮込みのようなものを頼むと、非常にコクのある味のスープだった。担々麺のような麺も美味い。料理はどれも比較的あっさりしており、日本人には食べやすいだろう。昔ながらの店を再現した建屋、こんな店が今、台北では増えている。

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Kさんが台北に来て、2年ぐらい経つだろうか。これまでも大連、天津、アモイなど、いくつもの都市を渡り歩いてきた彼女、そろそろ違う街への憧れが出てきているかもしれない。先日行った台南の話をすると『是非行きたい』と言い出す。確かにあまり考えずに行ってしまった方がよいのかなとも思う。私も台湾拠点を真剣に考えよう。

 

12月11日(金)

今日は台湾最終日。取り敢えず朝ご飯を食べに出る。ここ林森北路は夜の街、朝はひっそりと静まり返っている。だが、昔飲み屋だった場所が、日本料理屋になっていたり、ビルが観光客用のホテルに改装されていたり、大いなる変化が見て取れて驚く。朝から若い女性が歩いている。こぎれないホテルから出てきて観光に行く。昔日本人がバブルだった頃は成り立った飲み屋業は既に完全に過去のものとなっている。それはそれで仕方がないが、何となく寂しい。

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朝ご飯を食べる場所を探すと、隅の一角に地元の人が食べるような店が連なっていた。ハムたまごサンドとミルクティーで40元はとても安い!なるほどこんなところもあるのか。この街は変わらない部分と大きく変わったところに分かれるようだ。如何にも台湾らしいと言える。

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ホテルに戻るとANAからフライトが遅れる旨の連絡があった。1時間半ほど遅れるので、昼飯を食べる時間が出来た。実はホテルのすぐ横に、昔よく行ったウナギ屋、昔はボロボロの建屋だった肥前屋が、とてもきれいになって店を開いている。折角なのでそこで食べようと11時の開店を狙って行ってみると、なんと50人以上が既に列をなしており、店内は満杯だった。台湾人はそんなにウナギが好きだったのか、と思ってしまったが、どうやら並んでいるのは中国人観光客。最近大陸ではウナギブームだと聞いているので、その影響らしい。

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ウナギを諦めて、森林を歩く。昼も朝と変わらない。また朝ご飯を食べた地区にやってきた。どうやらこちらの方が落ち着くらしい私。最後はやはり魯肉飯とスープ。これを食べていればご機嫌だ。店には観光客の姿などなく、地元の人がちょっと食べては出ていく。私も25年以上前は、そんな暮らしの一員だったのだが、その頃日本はバブルに浮かれており、若い私もさぞや浮かれていたことだろう。そんな姿を台湾人はどう見ていたのか、聞いてみるのが怖い。

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実はホテルはチェックアウトしていた。何と12時チェックアウトのところを、12時半にして欲しいとお願いしたが、『出来ない』の一言で交渉も何もない。僅か30分、これは日本の悪しき傾向が台湾にもたらされたのだろうか。中国でも他のアジアでも、このぐらいをは普通は大目に見てくれる。日本だけが時間厳守の国だと思っていたが、台湾人もこれを取り入れてしまった。

 

昔お茶屋のおばさんに言われてことを急に思い出す。『日本は台湾にいい文化も沢山運んできたが、実は悪い文化も一杯持ってきた。例えば暴力的なアニメやパチンコや。若者は日本のものは直ぐに吸収してしまうから困る。日本ももっと考えてほしい』と。アニメなどはまさに良い面と悪い面の両方が共存しているのだが、日本人はアニメを素晴らしい日本文化、とだけ刷り込まれている。ホテルのサービス低下も『効率化』という言葉で置き換えている。実はタイでもそういうホテルに出会い始めて困惑している。『多少の柔軟性』はぜひ欲しいところだ。

 

地下鉄に乗り、松山空港にやってきた。ANAのカウンターに行くと乗客の姿はない。またディレーかと思いきや、既に皆チェックインを終わったらしい。フライトディレーの連絡が付かない人も多いのだろう。そして羽田同様『通路側の席』をお願いしたが、何と満席でないという。一番後ろの席を割り振られ、挙句に『あなたが遅く来たのが悪い』というので驚いてしまった。羽田空港では『台北のカウンターで言えば席は確保できる』と聞いていたのだが。

 

まあそれほど長い時間でもないので、諦めて搭乗口へ向かう。私の後ろから車いすに乗った老人が係員の誘導でやってきた。よく見ると笑点でお馴染みの、歌丸師匠だった。確か病気をして笑点を休んでいたと聞いたが、弟子が和服で付いているので間違いはない。するとその横を歩いている小柄な婦人が富士子夫人なのだろうか。何だかちょっと気分が晴れた。

 

本当に満員のフライトに乗り、何とか羽田にたどり着く。今回の旅は急に設定されたものであり、特に何も期待してはいなかったが、なかなか面白い旅にはなった。

突然行く台湾北部茶旅2015(8)淡江大学に行ってみた

ホテルに帰り、深い浴槽に浸かる。このホテル、古いのだが、古いからこそ、浴槽があり、部屋もコンパクトだがそれなりに使いやすい。有線放送もあるので、日本語の番組を見ることも出来る。ロビーには日本語の新聞も置いてある。ほぼ完全に、25年前の台湾であり、何とも懐かしい。

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12月10日(木)

5.淡水

ジェイ・チョウ行き付けの店へ

翌朝はボーっと起きる。朝ごはんに行く気力はない。10時頃までフラフラとネットを見ている。それからホテルを出て、地下鉄に乗る。今日は淡水に行くことになっていた。淡水は中山駅から一本で行けるので、何も考えずに乗り込んだが、何とそれは北投行きで、途中で降りることになる。

 

それから次の電車を同じホームで待っていると、何と来ない。別のホームに行く必要があったのだ。何とか乗り替え、淡水までたどり着く。淡水駅には昨年も一度来たが、その時は淡水を何も見ずに、渡し船で対岸に渡っていた。今日はゆっくり淡水見物でもしようかなと思う。

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しかし淡水に来た目的は観光ではなかった。いつもお世話になっている大学の先生から『うちの学生が淡水に留学しているので、一度見てきて』と前回言われていた。こちらも南部に行ったので、当分行けないと思っていたところ、急に台北に来ることになったので、連絡してみたのだ。

 

その留学生Sさんと、淡水駅で落ち合い、まずはランチを食べに行く。駅前から、観光用の道が続いていく。土産物屋と食べ物屋が殆どだ。そのかなり行ったところにある食堂に入った。入口には何故か台湾のスター、ジェイ・チョウの写真が飾ってあった。どうやら彼のお気に入りの店のようだ。温州ワンタンメンが名物だという。この雲吞が美味い。スープもよい。焼き鳥を追加で頼んだが、これまたパリパリ、ジューシーでウマイ!週末は行列ができる店らしいが、今日はそれほど混んでいなかったので、2階の席でゆっくりと味わう。

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ランチを食べたばかりなのに、向かいの店の包子がまた美味いということで、そちらにも寄って食べる。これもまた淡水名物らしく、休日は行列が絶えないらしい。淡水は美味しいものばかりなのかと思ったが、Sさんによれば、『大学の周りには美味しいものは何もない』とのこと。因みにSさんは以前大学のプログラムで、大連に半年留学経験があり、大連が懐かしいらしい。中国の東方地方で暮らした人で、『台湾料理はどうも苦手』という人に何人か会っていた。彼女もそうなのかもしれない。

 

淡江大学へ

駅まで戻り、Sさんの留学先である淡江大学へ行ってみる。それほど遠くはないようだが、上り坂もあるので、皆バスに乗っていくらしい。バスの中は大学生で一杯になっている。10分もかからず、大学に到着。Sさんが早々、キャンパスを案内してくれる。緑の多い、静かで雰囲気の良いところだ。

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この大学には世界各国から留学生が来ており、留学生に宿舎も提供しているが、その建物は日本の大学の支援で出来たという。それほど大きくはないが、なかなかきれいなキャンパス。実は我が母校もこの大学と提携したと聞いていたので、その痕跡を探したが、特に見付からなかった。この大学は総合大学であり、実は理科系が強いらしい。小型飛行機が展示されていたりする。

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古い校舎が見える。今でも現役で使われており、実際の授業が行われている。Sさんによれば、夏はかなりの暑さで、蚊などもいるので、あまり好きではないという。文化財とはそのようなものだろう。使い勝手が悪くなったものを如何に保存するか、この瓦屋根を見ながら思う。

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Sさんは今日、1つの授業をさぼって付き合ってくれていたようだ。申し訳ないと思っていると、何とその授業の終わるタイミングで教室へ行こうという。その授業を教えている先生は日本通であり、出来れば紹介したいというのだ。授業に行かないのに、その先生を紹介する、なかなか面白い発想だ。先生も快く応じてくれ、研究室でお話を聞くことになった。

 

先生は日本語がペラペラで日本研究所の主任をしていた。何と安倍政権下のアベノミックスなどの政策について研究しており、この政策を『これまでの政権では動きがなかった日本経済を動かしたことに一定の評価ができる』と言っていた。なるほど、日本国内では批判ばかりが目に付くが、海外から見れば、言うだけでなく実行すること、がとにかく重要だと分かる。先生は日本の政策についてまとめ、近々本を出版する予定になっており、シンポジウムなども開いて、日本の現在の政策に関する台湾人の理解を深めるよう努力している。

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台湾について聞くと『民進党政権になっても経済は良くならない。大陸と離れ、東南アジアへ再度出ていく政策は考えられるが、その際は技術力のある日本と協力していくのが良い。但し民進党内の実務クラスに日本を知っている人間がいないが、大きな問題だ』という。確かに日本語世代は日本をよく知っているが、その下の世代はアメリカ留学組。日本を断片的にしか分かっていないと、日本とはとても一緒にやっていけない、ということだろう。

突然行く台湾北部茶旅2015(7)桃園 台湾の将来は

そして27歳で実家の茶業に入ったという。林さんは7人兄弟の末っ子で、年齢も離れているらしい。それでも父親は甘やかすことなく、厳しく仕込まれ、自分で作った茶を売って給料にする、という状況だったらしい。これによりたんに茶を作るだけではなく、如何に売るかを身につけたようで、最近ようやく余裕が出てきたとか。それもまたすごい。林さんの茶園で作られる東方美人を味わった。紅茶もなかなか良い。ここも客家の血なのだろうか。

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車で茶畑を見学に行く。桃園はその昔、日本時代には一面茶畑だったらしいが、その後衰退し、空港や港に近いことから工場や倉庫が多く作られた。更には最近の不動産ブームで、この辺も開発対象になり、農地はどんどん減っていっているらしい。実際農地を見ることは少なかった。林さんの茶畑はその中で結構広い。敢えて広い土地を確保して、機械化を進めているというのだ。乗用機に乗ったスタッフが、茶園管理作業をしていた。こんな光景は台湾ではあまり見たことがない。

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この付近の茶農家も高齢化しており、後継者がいないところも多い。その様な茶畑の管理を依頼されることも増えてきているが、広い面積が取れる、土壌が良いなど条件が合うものを引き受け、畑を広げているらしい。そうやって確保した土地で従来の手法から脱却し、機械化により効率的に運営していく、それが林さんの考え方である。彼はこの考え方を全台湾に広めるため、走り回っているらしい。確かに標高の高い山のお茶ばかり珍重していても限界があり、今後の台湾茶業を考える上では、林さんのような人が必要であるかと思う。政府も支援する方向らしい。

 

昼時になり、車でランチに連れて行ってもらう。田舎の食堂で客家板條を食べてみる。板條は以前、東方美人の里と言われている北埔で食べたことがある。この辺りには客家が多い訳ではないようだが、かなり美味しかった。台湾は本当に簡単に食べるご飯が美味い!これは大変ありがたいことだ。魯肉飯も大盛りで美味そうだった。

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本当はもう一軒行くつもりだったのだが、あまりに興味深いので、午後も林さんと過ごす。茶畑を見て、話を聞いた後に工場を眺めてみると、面白い機械が色々とある。中には彼が自ら作ったものもあり、さすが機械科出身だと思う。日本の製茶機械メーカーとも日本語で直接やり取りし、機械自体にも詳しく、輸入にも慣れている、こんな人どう見ていないよな。まさに適役だと思う。

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かなりの時間を居座ってしまったが、帰ろうとすると最後にお父さんが登場した。84歳だというが、日本語も話し、かなり元気だ。茶業は既に引退して、息子に譲ったというが、実際はいまだ現役、かくしゃくとして、茶作りを行っているらしい。実はこのお父さんが、台湾で東方美人を作らせれば3本の指に入ると言われる、今風に言えばレジェンドだったのだ。

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帰りは夕方になってしまい、道が混んでいるということで、来た時とは違う駅まで送ってもらった。かなり台北市内に近い場所だったので、Iさんには迷惑を掛けてしまったが、何とも楽しい茶旅だった。この駅は蘆州という名前で、4号線の終点だった。ここは丁度マンション建設ラッシュだったが、一体いくらするのだろうか。この辺なら一般サラリーマンが家を買えるのだろうか。

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そごうにて

一端宿に戻り、夜は台湾人のSさん夫妻と食事をするため、そごうに向かった。台北のそごう、懐かしい。27年前、私がここに住んでいた時、すでにあったデパート。当時はここに来ると何となく落ち着いた。日本人の知り合いともここで出会うことが多かった。ネットで見る限り、太平洋グループとして、現在台北に4店舗、台湾全土で8店舗を展開しているらしい。だが今や台北にも高島屋や三越など日系デパートは沢山あるし、わざわざそごうに行く必要はない。かなり長い間ご無沙汰していた。

 

地下鉄の忠孝復興駅で降りると、何とそごうが2つあることが分かる。私が昔行っていたところは今忠孝館と呼ばれており、その他に駅に直結した復興館があったのだ。はて、待ち合わせはどちらだったか。そこで初めてSさんのメッセージを見返して、復興館にあるレストランだと知る。危ない、危ない、また迷子になるところだった。スマホがあってよかった。レストランフロアーは、夕飯を食べに来た台湾人客で意外と込み合っていた。ロケーションが良いからだろうか。

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Sさんは前回知り合いから紹介してもらった女性で、台湾生まれだが、ニュージーランドで育ち、日本の大学にも留学し、仕事で香港や北京にも駐在した経験を持つ。台湾ではこんな経歴の人にも偶に遭遇する。今日はご主人も一緒に来てくれた。ご主人は台湾大学を卒業して、アメリカ留学。アメリカで仕事をした後、台湾に戻ってきたらしい。2人とも自分のビジネスをやっている。

 

話は台湾の総統選挙に及んだが、『我々中小企業経営者にはそれほど影響はない』という。大陸との商売があまりないせいかもしれない。それよりは『台湾の将来』について、今はその方向性が分からないという。但し、ある意味で『台湾にはいつも方向性などない』とも言っており、個々人が活路を切り開いていく、その結果として、台湾がある方向に動いていくのかもしれない、と感じられた。

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突然行く台湾北部茶旅2015(6)桃園の茶農家へ

そして地下鉄に乗り、広方園に行った。夕方6時以降は湯さんがいるので、その時間に合わせていく。だがちょうどお客さんが来ていたので、先に食事に行くことにした。客家料理がこの店の並びにある。前にも2回ほど行った店だが、入ると、なぜかお客が殆どいない。今日は営業しているのかと店員に聞くと、びっくりしたように、そして皆笑ってやっているとの答え。好きなものを頼んで食べている内に、お客が入ってきたので、少し時間が早かったのかもしれない。客家料理は本当に我々の口に合う。

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広方園に戻ると湯さんが紅茶のティバッグを差し出す。最近はとにかく、これに力を入れている。この紅茶、美味しいのだが、私は広方園の烏龍茶なども飲みたい。でも湯さんとご主人との話ばかりに夢中になってしまい、お茶を要請するタイミングがなかった。その内に時間は9時を大きく過ぎてしまい、ついに紅茶以外のお茶には行き着かなかった。残念。

 

12月9日(水)

4.桃園

引っ越し

今日は朝からお出掛け。その前に3日泊った宿の個室が、今日は塞がっていたので、お引越しとなる。ドミに移るのは嫌だったので、別のホテルへ行くことにした。初日にBさんから天津飯店はどうかと言われ、驚く。26年前、この界隈をフラフラしていることが時々あり、その時に見覚えのあるホテルだった。まだあるのか、と懐かしくなり、寄ってみると、1泊1300元だというので残り2泊はここにしようと決めていた。予約は口頭で行い、言語は日本語で。昔が思い出される。

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台北駅前から林森北路へ荷物を引きずって歩いていく。距離的にはそれほど遠くはないはずだったが、意外と疲れてしまう。歩道が凸凹でとても歩き難いのである。ベビーカーを押していたら大変だろうな、と思ってしまう。台湾は昔に比べて随分良くなったとは言いながら、この辺のインフラはまだちょっと辛いかな。

 

20分ぐらい掛けて何とか天津飯店に辿り着いたが、時間はまだ朝8時。チェックインはできずに荷物を預かってもらうことになる。アジアのホテルでは空いてさえいれば、早朝からチェックインできるところが多いのだが、ちょっと日本的対応であった。地下鉄の駅まで歩いていく間に、朝飯屋を見つけ、また蛋餅と豆乳で済ませる。この店、朝から繁盛していた。

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導善寺という駅まで歩いていったが、市民大道を越え、公園を通りすぎ、意外と遠い。今日も昨日に続き、Nさんが同行することになっていたが、彼女はこの駅の近くに泊まっていると言っていた。我々の待ち合わせ場所は頂埔駅という聞いたことがない場所だったが、フラフラと歩いていくと、なんとひょっこりNさんが顔を出した。偶然とはいえ、恐ろしい偶然だった。そのまま二人で駅に行き、地下鉄に乗る。

 

長生製茶

まずは土城という場所に行くと思っていたが、指定された頂埔駅が新しくできていた。台北の地下鉄はどんどん伸びている。真新しい駅を出ると、そこはこれから開発という感じだった。今日はここにIさんが待っていてくれる。彼女は我が息子が北京に留学した最初の学校の同級生だった。しかもNさんが20年前に留学したのも同じ学校というご縁で結ばれていた。面白いことだ。

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実はIさんは今年、台湾人男性と結婚、彼の実家に住み始めている。それがこの近所だというので、今日車を運転して我々を茶園に連れて行ってくれることになった訳だ。しかし彼女は妊娠5か月、安定期とはいえ、運転してもらってよいのだろうか。会った彼女の印象は特に変わっておらず、お腹も目立たなかった。

 

車はどこを通ったのかよく分からなかったが、駅から紹介された長生製茶まで、そんなに遠いとは思っていなかったのでビックリ。しかもその場所には茶畑があるとはとても思えない、工場がいくつか見える坂道の途中にあった。車で連れてきてもらってよかった。これはナビがなければ迷っただろう。

 

その工場のような建屋、そして横には自宅が付いている長生製茶。埼玉のお茶屋さんであるSさんから、前回南部に行った時、紹介された茶農家だった。まさかすぐに台北に来るとは思っていなかったので、訪問はかなり先だと考えていたが、Sさんも是非行ったほうが良い、と勧めてくれており、折角の機会なので訪問することにした。Sさんたちはここに来て、製茶研修をしているという。日本茶から脱却するために萎凋など、新たな製法を学ぶことは大切なようだ。電話を掛けると流暢な日本語も返ってきた。何とも不思議な場所だった。ここでは何が行われているのだろうか。

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工場には誰の姿もなかった。声を掛けると女性が出てきて、事務所でお茶を淹れてくれた。少しすると、男性が普通の日本語を使って入ってきた。林さん、38歳だという彼は、小中学校時代を日本で過ごしたというから、日本語はうまいはずだ。その他、国語、台湾語、母語の客家語も話すという。しかも台湾に戻ってから、機械関係の専門学校を出て、日系商社に勤めたというから、その経歴は凄い。

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突然行く台湾北部茶旅2015(5)台北のお茶屋を巡る

デパートを出たが、まだ時間があったのでちょっと歩いてみた。少し行くと何となく懐かしい国父紀念館が見えてきた。ここに入ったのは何十年前だろうか。まあ、ここの敷地を通過して行こうと思い、中に入る。メインの建物の写真を撮っていると、中で何かをやっているのが見えた。入っていくとまさに衛兵の交代式の真っ最中だった。これは忠烈祠や中正紀念堂では何回も見たが、ここでもやっているとは知らなかった。沢山の観光客が見入っている。緊張感のあるこの儀式は、1時間に1回、今や人気の観光イベント、資源である。

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その後、ついでに資料展示も見てみた。国父と呼ばれている孫文の歴史が飾られており、蒋介石との関係や孫文が台湾にやってきた時のことが語られている。こういっては何だが、何とか歴史を繋ごうという感じが見えてくる。国民党が台湾に移るはるか前に亡くなった孫文は、現在の事態を予想だにしていなかっただろう。歴史というのは、その時々の都合で語られる、そういうものだろう。外へ出ると、101がまじかに見えている。これも驚きかも。

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茗心坊

そのまま歩いて大安駅まで行く。結構距離があるが、それほど暑くないので、ちょうどよい散歩となる。そこでNさんと待ち合わせていた。Nさんは宮崎の人で、ヨーガの合宿で一緒になった人だった。この2か月間、台北で宮崎料理屋さんを手伝っていたのだが、その仕事も終わって暇なのだという。何だかこんなところで会うなんて面白い。まずはこの駅のすぐ近くにある茗心坊というお茶屋さんへ行くことに。この店に行くのは10年ぶりだろうか。

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店に入っていくと、先客が大勢いた。聞いてみると、お茶教室の生徒さんたちで、先生がここへ連れてきて、店主の林さんの講義を受けていた。林さんは日本語もできたはずだが中国語で話している。生徒が台湾人と日本人、両方いるかららしい。我々のために席を用意してくれたが、それでは申し訳ないので、帰ろうとすると、ちょっと待って言われるしばし留まる。

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しばらくすると男性がやってきた。日本語もできる彼について、奥の席に場を移す。これでゆっくりお茶が飲める。元エンジニアという林さんが作っている高密度焙煎によるお茶、自ら工夫した機械が横に置かれている。水分をいい具合に飛ばし、香りを引き出す。焙煎はデータに基づいて、時間を図り、綿密に行われるという。このお茶には味わいがある。この茶葉は5年置いても味は変わらないという。それが本当にいいお茶という物だろう。我が家にも貰い物の茗心坊のお茶がある。いつ開けて飲もうか、いつも考えながら、既に5年は過ぎている。

 

少しお茶を飲ませてもらって、お店を出た。林さんは申し訳なさそうに、『次回は事前に電話して』という。確かに10年前とは違う。林さんも忙しいだろうから、今度は事前に予定を確認しよう。FBのお友達にもなっているのだから、連絡するのも簡単だ。次回はゆっくり話を聞こう。Nさんも初めての本格的なお茶屋デビューだったらしい。いいお茶を飲んで飾れたのは幸せかなと思う。

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小楊の買えないお茶

そして歩いて小楊の家まで行く。ここも1年ぶりか。台湾にはよく来ているようで、それほど来ていないなと確信する。これからは少しの期間、台湾を拠点にできないか、真剣に検討しなければならない。小楊の家は相変わらず5階にあるがエレベーターはない。年々この階段がきつく感じられる。まだそんな歳ではない筈なのに、どうしてだろうか。運動不足が身に染みる。

 

小楊と奥さんも相変わらずだった。部屋も変わっていない。ただNさんにとっては、驚きの空間だったかもしれない。畳はあるは、火鉢に炭を入れ、鉄瓶を掛けて湯を沸かしている。その鉄瓶も年々豪華になり、ついに今回は金ぴかだった。相当値の張る純金とか。さぞやこれで沸かす湯は凄いだろう。小楊によれば、これで沸かした湯を飲むだけで健康になるという。

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小楊は聞いてくる。『買える茶を飲みたいのか、買えない茶を飲みたいのか』と。私はすかさず、『買えない茶が飲みたい』と答えて、それで成立した。禅問答のようにNさんには聞こえたかもしれない。彼女は昔中国語を習ったことがあると言っていたが、お茶屋さんに来て、こんな中国語を使うだろうか。

 

そして美味しいお茶が出てくるのだから、幸せだ。武夷岩茶の老茶が登場する。私はこれが好きだ。また黒茶が飲みたいというと、20年物のブロック型のプーアール茶をわざわざ削って淹れてくれた。何ともマイルドな味わいがあり、コクが感じられる。一体いくらするのかは知らないが、買える値段ではないということ。台湾のお金持ちというのも、すごい人々だ。鉄瓶にしても平気で日本円で500万円から1000万円出してくるらしい。まあどこにでも金持ちはいるものだが、それにしても桁が少し違ってきている。

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ダラダラと2時間以上、茶を飲んで、他愛のない話をしていたが、このままズルズルしていてもよくないと思い、辞することにした。これから東京のお茶会で使う、パイナップルケーキを買いに行かなければならない。名残惜しいが、お別れした。階段は下りにも拘らず、何となく重たく感じた。