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埔里から茶旅する2016(15)天候に左右される茶作り

林さんのところで

茶工場に入ってみたが、ひっそりとしており、人影もなかった。茶葉が運び込まれる様子もなく、製茶機械が動くこともなかった。あれ、昨日は製茶していると言っていたのに、今日はどうしたんだろうか。事務所にも誰もいない。奥の方まで行くと林さんの奥さんがいて、声を掛けると林さんを呼んでくれ、眠そうな顔をした林さんが出てきた。朝方まで製茶作業をしていたらしい。これは悪いことをした。

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早速出来立ての茶を飲んでみた。いつもの年だと、この時期から東方美人の生産に入るようだが、今年は天候不順で、茶葉がままならない、という。飲んでみたお茶には香りがあったが、先年ほどのキレはなかった。林さんも大きく首を振る。疲れているように見えるのは、決して寝不足のせいだけではないことが見て取れる。茶農家とは本当に大変な仕事だと思う。自らの技術が必要だし、原料としての茶葉の善し悪し、天候、市況、どうしてこんな大変な仕事をしているのか、と尋ねたい気分だったが、林さんの顔を見ていると、聞いてはいけないような気分になる。

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ところで今日の製茶はどうなったのだろうか。実は今朝から茶摘みの予定で、摘み手の地元のおばさんたちにも依頼していたが、何と雨が降ったらしい。台北では雨はなかったと思うので、この辺の気候はかなり変化するのかもしれない。そういえば、その昔、このあたりでゴルフをする機会があったが、急に雨が降り、すぐに上がるということも記憶している。結局午前中の茶摘みは中止となり、午後様子を見て、摘むかどうか決めるらしい。それでも林さんは仮眠に入っていたようだ。天気に振り回される、これまた大変だ。

 

そこにお父さんが入ってきた。前回は最後の30分だけお話した。その時は『もう引退した。息子に任せた』と言っていたが、その後うわさを聞くと、このお父さんこそ、台湾の東方美人の作り手として有名な方だった。既に80歳を超えているが、非常に元気で、日本語も流ちょうに話す。今でも常連客のために、自らお茶を作っているらしい。台湾紅茶の歴史やこの地域の変遷など、大変楽しい話を聞く。日本の茶業の現状もよく把握されているが、『私にはよくわからないが』『私の考えでは』と必ず前振りをして話すのが、とても好ましい。

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お昼時になり、家族の食卓に自然に参加して、食べ始める。普段の食事は、ササッと食べてしまうらしい。それが農家と言うものだ。中には立って食べるのが習慣になっているところもあったが、ここでは皆が座っているだけよい。食べ終わったら、また事務所に戻り、ゆっくりとお茶を飲む。そこへ携帯が鳴る。茶摘みをするかどうかの最終判断を迫る電話だった。林さんは『Go』を出したようだ。これで茶葉が摘まれ、製茶も始まる。ということで、午後もここにいることになった。

 

ダラダラと話をしていると、お客さんが入ってきた。その男性は『近くで会議があったので寄った』という。確かに台北から車で来るのにはそれほどの時間はかからない。彼は日本にも何度も行っており、日本の茶畑にも行ってみたいという。そう、日本の茶畑、茶農家を訪ねたい、という希望は実かなり多い。台湾人や中国人だけではなく、欧米人もいる。茶業関係者は勿論、旅行者でも、日本の田舎を見たい、自然が見たいという向きに、茶園ツーリズムはとても良いと思うのだが。

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林さんはこれからの台湾茶業について、革新的な改革を進めようとしている人である。当然理解者を増やすことが必要であり、資金面も含めたサポーターも必要だ。そのような良き理解者が少しずつ増えているという。従来の台湾茶業の『高山で高品質の茶だけを作る』といった、偏った茶業では将来はない、と考えているようだ。それを改革するには日本の茶業機械を活用して、規模を大きくした農業を展開する必要があるという。さっき入ってきたお客さんも仕事は投資関係、良き理解者の一人らしい。

 

天気が急に悪くなる。茶園からも雨が降り出した、という悪い知らせが入ってきてしまった。雨に濡れた茶葉を使っても、残念ながら良い茶ができるとは思えない。かといって、ここで茶摘みを中断しても、製茶できる分量にも達していないので、摘んだ茶葉が無駄になってしまう。雨の中の作業は大変なのに、続けなければならない、という現実に、顔が曇ってしまう。結局夕方まで待ってみたが、ついに茶葉は届かず、今日製茶するかどうかも分らないので、帰ることにした。製茶作業などは全く見られなかったが、貴重な話は沢山聞けて良かった。

 

バス停まで車で送ってもらう。バスはいつ来るか分らない、と覚悟していたが、何とすぐにやってきて驚いた。来た道を帰るだけだから、緊張もなく寝入る。気が付くとすでに台北市内。地下鉄駅が見えたので、松山空港までは行かずに降りて、帰途に就く。台北もかなりの雨が降っていた。何となく腹が減ってしまい、駅近くの自助餐で早めの夕飯を取る。今や自助餐と言っても、おかずの種類が豊富で驚く。満腹で宿に帰り、シャワーを浴びて早々に寝る。

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埔里から茶旅する2016(14)月見ル君想フ

 そのまま天津街へ行き、フロントで両替したお金を支払い、手続き完了だ。部屋は狭いが機能的で、有り難い。何をするでもなく、またテレビを点けて、日本ハムの試合を見ていた。何の予定もない一日は、旅行者にとっては退屈かもしれないが、私にとっては貴重な、休息の時間だった。今日は何を食べようかな、などとフラフラ考えていると、あたりが暗くなっていく。そこへYさんからメッセージが来た。『今晩、カレー食べますか?場所は、月見ル君想フ』と書かれていたが、何のことやら、皆目見当がつかない。だがこの頃にはYさんの唐突な連絡にはだいぶん慣れており、むしろそれを面白く思えるようになっていた。

 

連絡が来たので急いで指定された場所を探す。地下鉄古亭から歩いていくらしい。7時に間に合うかどうか不安だったが、急なことだし、遅れても仕方がないと出発。前回はYさんがバイトしていた、小曼と言う茶荘にいったが、今回の場所はそこからほど近いため、土地勘はあった。店に到着するとほぼ7時、だが満員の店内にYさんの姿は見当たらない。スタッフに日本人がいたので『Yさんという人が7時に来ているはずですが』と言ってみるも、予約はない、と言われてしまう。

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携帯に電話を掛けてみたが、相変わらず出ない、まだマナーモードのままなのだろうか。FBでメッセージを打っても返事はない。どうなっているんだ、人を呼んでおいて。ふと見ると地下に繋がる階段が見えたので、そちらを降りようとすると、『地下はライブハウスで今、コンサート中です』と言われたが、構わず降りていくと、そこにようやくYさんの姿を発見した。満席だったので、下でライブでも見ていて、ということだったらしい。

 

私も中に引き込まれる。こじんまりしたスタジオでは女子2人組がしっとりとした曲を歌っていた。自己紹介を聞くと日本語では『大根脚ガールズ』と言うユニット名だ。その朴訥としたトークが静かな笑いを誘う。ここの日本人オーナーと話すと『青山で同名のライブハウスをやっているが、台北の方が面白いと思って、こちらに拠点を移してきた』という。そうだよな、東京より台北の方が面白い、または将来面白うそうだ、と言うのには、どのような政治状況であれ、同意せざるを得ない。

 

席が空いたというので、上の階に戻り、食事に入る。Yさん、Iさんの常連と、小曼の台湾人スタッフが同席した。ここの料理は、和風かな。いや、お勧めは南インド風カレーだと言われ、驚く。台北の日本人経営の店が南インド風か、注文してみるとマイルドなカレーが出てきた。インドで何度もカレーを食べたが、確かにコーチンあたりで食べたものに似ていた。そこに台北在住のYさんのお知り合い、Hさんがやってきた。Hさんは台湾人と結婚しているが、Yさんとの出会いは15年以上前だそうで、しかもライブハウスとか。ご縁と言うのは計り知れない。

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それから楽しくお話し、デザートなども食べて、日本の紅茶などを飲む。台北と言うところは、ある意味で何でもあるが、日本のものが何でもある場所だ、と言えなくもない。10時を回り、台湾人とIさんが帰っていくと、代わりに料理人Sさんがやってきた。ここのシェフとは知り合いのようで、色々と情報交換をしている。私はライターでもあるHさんと情報交換。オーナーとも日台について話す。その間にも様々な人が出入りしており、台湾人客も沢山いるのだが、日本人のたまり場的なところになっていることも分る。

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5月23日(月)
桃園へ

前日FBを何となく眺めていると、前回訪れた桃園の茶農家、林さんが『今日は製茶しているよ』と載せていたので、何となく行ってみたくなる。メッセージを送ると、明日来てもよい、という返事をもらったので急きょ行くことにした。前回は知り合いの女性、Iさんに車を運転してもらって訪ねたが、そのIさんもその後出産、子育てに忙しい。今回は自力で行ってみることにした。確かバスで行けるはずだ。

 

林さんの指示により、松山空港前まで地下鉄で行き、そこからバスに乗る。松山空港には何度も来ているが、ここからバスに乗るのは初めてで、ちょっと緊張。バスは30-40分に一本程度しかないので、乗り間違えは許されない。乗客はほとんどおらず、不安が過る。このバスは林口経由桃園空港行らしい。と言うことは、次回は桃園空港から直接、林さんのところへ行くことも可能だということだ。さすがに空港のバスターミナル、様々な行先のバスが行き交っているが、お目当てのバスはなかなか来なかった。

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それから1時間、バスに揺られていた。乗客はまばら。高速道路から林口の病院の広い道路を通り、また小さな街の小さな家を抜けていく。一体いつになったら着くのだろうか、桃園と言っても広いのだな、と実感する。ついに目印のコンビニが見えたので下車した。このコンビニだけが前回の記憶だった。そこから山道を登る。車で来た時は近く感じられたが、なだらかとはいえ、坂道を上がるのは意外と大変だった。途中は工業団地の倉庫がいくつかあり、そして小さな茶畑を横目に見ると、いよいよ目指す林さんの茶工場が見えてくる。

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埔里から茶旅する2016(13)茶荘に両替に行くと

 どうやって戻ろうかと考えていると、守衛さんが『バス停なら、この先の大きな通りにあるよ』と教えてくれた。特に急ぐわけでもないので、その助言に従った。だが、既に夜も10時半、バスは未だ走っているのだろうか。通りに出るとちょうどバスが来た。どこ行きか分らなかったが慌てて飛び乗ろうとしたが、運転手から、このバスは次が終点だぞ、と声が掛かり、すごすごとバスから降りた。そして初めてバス停の表示を見たが、よくわからない。ただもし表示が正しければ、そしてもしバスが来るのであれば、何とここから一本で、台北駅前近くまで戻れることが分かった。

 

果たしてバスは来るのだろうか。ちょっと待っているとちゃんとバスはやってきて、思う方向に進んでいく。途中からは乗客も増えていく。賑やかな夜市の横も通った。台湾鉄道松山駅の饒河街夜市だった。こんなに規模が大きいとは思いもよらなかった。ガイドブックによれば全長600m。靴が凄く安売りしているのが目を惹く。ここは食べ物だけではないらしい。ちょっとワクワクした。降りて覗いてみたかったが、このバスが今日の最終だったので諦めて次回に譲る。この付近にもホテルが沢山あるようだったので、花蓮方面に行く時など、一度ここへ泊るのもよいかもしれない。1時間近くかけて、バスは円環まで来た。あとは人気のない道を歩いてホテルに帰った。

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5月22日(日)
茶荘に両替に行くと

翌朝はゆっくり起きて、ホテルの朝食を食べた。ここにはちゃんとした食堂はなく、ロビーの奥に簡易のスペースがあり、ビュッフェ形式で提供していた。お粥とおかずを取り、サクサク食べる。このホテルの客は香港人など華僑系の人が多いように見受けられた。食後は部屋で休息。何だかとても疲れを感じていた。昼前になり、ようやく始動。取り敢えず部屋をチェックアウト、荷物を預けてホテル周辺を散歩。そしていつもの店でランチを食べる。もうこれは定番化している。

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それから天津街にある先日も泊まった宿へ行き、一番安い部屋が空いていたので、そこを押さえた。だが支払うべき台湾元がなかった。今日は日曜日で銀行は開いていない。そこで思い出したのが、20年以上前から付き合いのある茶荘。昔は出張に来るとまずこの店へ行き、両替したものだ。今は基本的に両替はやっていないが、馴染み客なら便宜を図ってくれると思い、小雨の中、林森北路を北上、歩いていく。

 

まだやっているかな、と店を覗くと、おじさんもおばさんも健在であった。だが何となく雰囲気は違っていた。店には日本人観光客が座って茶を飲んでおり、美味しいと言って、大量に茶を買っていく。彼らが去ると入れ替わるように、また3人組が入ってくる。全て日本語ガイドが連れてきているのが分る。私がゆっくり話そうとしても、お客さんは予定が詰まっているので、おばさんはお茶淹れに終始して、どんどん勧めて行き、話す暇さえない。その後も驚くほど引っ切り無しに観光客が入ってきては茶を買い、すぐに出ていく。

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しかも昔から売っている凍頂烏龍茶以外に、ジャスミン高山茶とか、黒烏龍茶とか、台湾でも聞いたことがない茶を客に飲ませている。客も茶のことが分からない人ばかりで、自分のイメージで茶を注文する。恐らくはお客ニーズ(日本人が知っているジャスミン茶と高山茶をミックスするとか)に応えた結果、生み出されたお茶を販売しているのだろう。だが、それでよいのだろうか。何となく怖い。いつの間にかこの店はガイドとつるんで商売を始めたらしい。長居は無用だったが、ようやく1時間後に両替ができて、店を出た。

 

台北駅のたまり場

そして歩いて台北駅前まで戻る。ホテルに預けた荷物を取り出し、先ほど予約したホテルに移動した。荷物を引いて台北駅の横、普段通らないところをたまたま通ってみた。すると、何やら不思議な光景が。人が集まっている店を覗き込むと、そこにいた人が発していた言葉は、恐らくはインドネシア語。店ではサテーを焼いている。メニューにも漢字はなく、何やら読めない文字がある。ここはインドネシアから出稼ぎに来ている人のたまり場ではないのか。その横にはフィリピン人らしい人もいた。台北駅のすぐ脇が、外国人労働者のたまり場と言うのは意外性がある。

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香港でも日曜日のセントラル、オフィス街をフィリピン人メイドが占拠していた。その後、インドネシアメイドは ビクトリアパークに集っていた。今や台湾も外国人労働者が底辺を支えており、香港のような状況になっている。そして日曜日である今日は週に一度の休みの日。久しぶりに母国語を話し、国の料理を食べ、ストレスを発散する場がここ、なのであろう。何となく今の台湾の裏の一面を覗き込んだような気分になる。

埔里から茶旅する2016(12)台北 夜10時に工業団地へ

5. 台北
宿探し

バスターミナルで降りて、Yさんと別れる。私は今日の宿を決めていなかった。バックパッカーらしく?駅前を歩いて宿を探してみようと思っただが、この考えは間違っていた。バックパッカーっぽい、Yさんだって、馴染みの宿をちゃんと予約していた。今どきのパッカーはネットで宿を予約するのだ。そう気が付いたときはもう遅かった。駅前のきれいなホステルに飛び込んだが『満室です』と3軒で言われ、しかも『今日は土曜日だからどこも一杯かも』と悲しい助言まであった。以前宿泊したことのある日本人経営のゲストハウスはすでに閉鎖された、と聞いていた。最近は当局の規制が厳しくなり、無許可の民泊宿がかなり姿を消したことも、満室の要因らしい。

 

雨が降っており、何となく疲労感が出てくる。駅前には立派なホテルが何軒もあるが、当然料金はかなり高い。それでもそのホテルに入りそうな誘惑にかられる。ここから移動するか、高くても妥協するか、選択を迫られた。普通ならネットで検索すればよいのだろうが、それなら最初からネット予約すればよかった、という後悔が立つので、敢えてスマホからも目を逸らした。すると急に1軒のホテルの看板が目に入った。ここはどう見ても昔ながら駅前ホテル。

 

入っていくと受付の若い女性が何とも優しい感じ。今やこういうところに泊まる客は少ないのか、部屋は開いていた。料金は私の描いていたものより少し高めだが、もう疲れてしまったので、ここに投宿。ツインの部屋でかなり広く、バスタブもある。NHKワールドプレミアも入る。台湾のケーブル放送ではちょうど日本のプロ野球をやっていた。日本ハムの試合は全試合完全中継すると書かれている。日本の台湾選手、陽岱鋼の人気は凄い。陽は福岡の高校に野球留学、そのままドラフトで日本ハムへ。二人の兄もプロ野球選手、妹はバスケの台湾代表というスポーツ一家。台東、アミ族の出身だ。

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そんなことをしていると、すぐに時間が経ってしまい、夕飯に出掛けた。今晩はさっき別れたばかりのYさんの声掛けで、料理人のSさんと昨日先に戻ったIさんと湖南料理を食べるという。Sさんは台北にある日本食の定食屋さんで腕を振るっている。久しぶりの再会である。台北駅前から地下鉄に乗り、市政府前を目指す。ところがYさんからメッセージが入っており、『お店は市政府ではなく、中山でした』と言うので慌てて、乗り換えようとしたが、実はその店の所在地は中山国中。これはだいぶ離れている。二転三転、テンヤワンヤである。

 

店は実にきれい。チェーン店で急拡大しているらしい。如何にも、という感じで、セットメニューがあり、ドリンクなどもおしゃれである。だが台湾人が湖南料理など食べるのだろうか。日本でも湖南料理は知られておらず、四川料理として経営している湖南出身の中国人が多いと聞く。因みに中華料理では一番辛いのは四川料理、と日本人は思っているが、中国人に同じ質問をすれば、ほぼ全員から湖南料理が一番辛い、という回答があるだろう。当然このお店の味付けは台湾人用になっていた。

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夜のデリバリー

楽しく食事をしていたが、時間となり、私だけ退出する。夜も9時過ぎ、どこへ行くのかと言うと、それは全く未知の場所だった。地下鉄なども通っておらずに、仕方なくタクシーを拾う。果たして辿り着けるのか、ただただ心配だった。内湖とは不便な場所であり、その中の工業団地のような場所に行くよう、指示されていた。土曜日の夜10時に工業団地、どうみてもミステリー事件の現場へ行く感覚。

 

タクシーの運転手に行き先を告げると『分った、大丈夫』と言い、快適に車を進めた。これは問題ないな、と安心したが、いざ、団地内に入ると迷ってしまったらしい。私の方が先にそのビルを見付けたが、彼は『いや、こっちだ』と言って別の方へ向かった。そして最終的に私の指したビルまで戻ることになる。『いやー、申し訳ない。老眼なんで』と言い訳したので、私も夜、文字を読むのは辛いから、と料金を支払うと、『いや、これは私のミスだ』といって、50元を返してきた。これが中国なら大もめになりそうだが、台湾の運転手は、自分のミスに対して、責任を取るんだな、と痛く感心してしまった。

 

実はなんでこんなところに来てしまったかと言うと、私が愛用しているPCが壊れてしまい、東京での修理が難しいとわかったからだ。このPCは台湾メーカーのもので、知り合いの香港人が『うちの台湾支社の人間のお兄さんがそのメーカーに勤務しており、修理できると思う』という素晴らしい話を得たので、現物を引き渡しに来た、というわけだ。ところがその紹介された女性に連絡を入れると、『この週末は台北を離れるので、会社の同僚に渡してほしい』といわれ、その会社の所在地が内湖だったということだ。因みにその人はその日、夜勤だったようだ。

 

そのビルの前から電話を入れると、その見ず知らずの男性は『あ、まだ会社に到着していないので、守衛さんに預けて』と言うではないか。携帯を守衛さんに渡して彼に事情を説明してもらい、預かってもらったが、大切なPCを簡単に預けてよかったのかどうか、あとで急に心配になる。この辺が如何にも台湾的な、いい加減さだろう。とにかくミッションは終了した。そしてポツンと、人影もない夜の工業団地に取り残された。

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埔里から茶旅する2016(11)居心地の良い埔里を去る

 マッサージが終わるとYさんが夜市に行きたいという。金曜と土曜だけやっている大きな夜市が街外れにあると聞いていたが、スマホで確認すると歩けそうだったので、歩いていく。最初は腹ごなしに良いと言って歩き始めたのだが、予想外に遠かった。折角脚マッサージで軽くなったのに、また足が重くなってくる。この街はそう大きくはないと侮ったのがいけなかった。さりとて、タクシーがその辺を頻繁に走っているようにも思えない。バスは行先が分らない。歩くしかなかった、のかもしれない。

 

30分以上あるいて、ようやく夜市に辿り着く。結構人が出ているのに驚く。兎に角腹が減ったので、何を食べるのかと思っていると、Yさんは鉄板焼きの前で止まった。夜市のステーキ、と言えば、30年以上前、初めて台湾に来た時、屋台でご馳走になったのを思い出す。懐かしい。目の前の鉄板で焼いてくれるのかと思っていたが、後ろで焼いて、出してくる。まずはキャベツともやし炒め、その後に肉がやってきた。ご飯とスープはセルフサービス。まあそれでも屋台でステーキがあるのは、台湾ぐらいかもしれず、久しぶりに昔を懐かしんだ。

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食べ終わると、その辺を歩き回る。伝統的な金魚すくいもあったが、金魚が機械の中に入っており、ガチャポンのようにお金を入れると出てきてカップで救うという、ちょっと恐ろしいものがあった。また巨大な輪投げと言うべきものもあり、ぬいぐるみなどの商品がズラッと並んでいた。今や田舎の夜市とは家族が友人がみんなで一緒に遊びに行く場所、単に食べ物を食べるだけではなく遊べる場所、として設定していないと集客できないことがよく分かった。帰りに古い夜市の前を通り過ぎたが、お客はまばらで活気がなかった。

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5月21日(土)
台北へ

翌日はだらだらしてゆっくり起きた。何だか夜中に咳き込んでしまった。意外と涼しい。風邪で引いてしまったのか。私の部屋はIさんがいなくなり、一人部屋になっていた。部屋の外にはテラスがあり、鳥のさえずりを聞きながら、ボーっとすることができた。この宿はドミトリーもあるが、個室もいくつもあり、年配者の私には嬉しい。やはりドミで若者と一緒というのは、夜中にトイレに起きるとか、クーラーが寒すぎるとか、色々と不便なことが多い。3階の部屋ではネットが繋がり難いという問題はあるが、ゲストハウスではリビングに皆が集い、情報交換したりするのには、この方が良いのかもしれない。因みにトイレとシャワーは各階にあり、これも便利だった。

 

朝ご飯はパスして、リビングでYさんが起きてくるのを待つ。宿泊客は日本人ばかりだったが、皆さん早くにチェックアウトしてしまい、ヘルパーのMさんだけがそこにいた。彼女はオーストラリアに4年住んで勉強していたとかで、日本に戻る前にここに1か月ほど滞在しているという。そいう旅の仕方もあるのか、と参考になる。面白そうな人なので色々と話したいと思ったが、今日は台北に戻ることにしていたので、あまり時間がなかった。

 

Yさんが起きてきて、バスに乗る前に食事をすることにした。今日は土曜日だからか、閉まっている店もいくつかある。Yさんは感性で動く人なので、歩いていると突然『あれが食べたい』と見付けた店に寄っていく。竹筍肉包を買い、豆乳も買い、更には麺も食べた。何だかYさんだけでなく、私も埔里の街は居心地が良い、と感じ始めていた。だがもうお別れ、旅とはそんなものだ。宿に戻り、荷物を引き取り、バスターミナルに向かう。

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12時のバスに乗ろうと思ったが、『ウエーティング』と言われてしまう。昨日のIさんも同じだったので、まあ乗れるだろうと思っていたが、土曜日のせいか、思いのほか乗客が多く、ギリギリで何とか乗り込めた。以前は5時間以上かかった台北までのバス旅、いつの間にか高速道路が完備され、3時間で着くようになっていた。それにしても台北まで385元は安い。1000円ちょっとで行けるなんて、日本では考えられない。交通費が安いというのが台湾旅で有り難いところだ。。

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バスが出発してから、我々二人はおしゃべりしていた。信号でバスが停まると運転手が、運転席からクルッと我々の方に向き直り、『皆さん、車内では静かにしてください。寝ている方もいるんですから』ときっぱり言って席に戻った。乗客は皆唖然としている。我々が日本語では話いたのがいけなかったのかと反省したが、運転手の目は一番前の老夫婦に注がれていたように見えた。だが彼らの会話も我々にはあまり聞こえないほど小声だった。一体何が気に障ったのだろうか。初めて見る光景に驚く。その後は誰も話す人がいなくなり、携帯もならず、静かに過ごした。2時間はたっぷり寝ただろうか。気が付くともう板橋を過ぎ、橋を渡ると台北だった。少し雨が降り出していた。

埔里から茶旅する2016(10)新総統就任式を見る

 午後の予定はキャンセル

そういえば午後会う予定のおじさんは山を下りてきただろうか。何も連絡がないので、電話を入れてみた。すると向こうから物凄い怒鳴り声が聞こえてくる。『百回も電話したのになぜ出ないんだ!』と怒っている。電話など受けた覚えはないとのだが、ふと思い出したのは、私のスマホはなぜか台湾のシムカードを入れると電話機能が使えなくなっており、先日彼に電話した時は緊急にYさんが台湾で借りた携帯を使ったことだった。ただYさんも『電話なんか鳴っていない』という。まあとにかく午後会おうと言うと、『お前が電話に出ないから、もう農場に戻るため山を登っている。遅すぎだ』と言われて唖然とした。

 

午後会おうと言ったじゃないか、と言ってみたが、『農場の温泉に入れてやろうと朝から待っていたのに』としか言わない。これはもうご縁がなかった、としか言いようがない。これ以上忙しい葉さんに迷惑を掛けないように、このことは黙って置き、美容室でお茶を飲み、そして良久の茶を分けてもらった。紹介者Mさんからは『必ず定価で買うように』との強い指示が出ていた。確かに茶葉が欲しいというと、彼は『記念に差し上げます』という。あんないいところまで案内してもらい、その上茶葉までもらっては申し訳ない。Mさんのメッセージを見せて、定価で購入した。葉さんとはそんな人だった。何とも有り難い。

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さて、電話の件だが、何とYさんの携帯はマナーモードになっており、確かに例のおじさん、通称松ちゃん、から百回は大げさにしても、10回は電話が掛かってきていた。これは何とも申し訳ないが、今さらどうしようもない。Yさんは空港でシムカードを買ったが、自分の機種に適合せず、代わりに携帯電話を貸してもらってきていた。ただその設定など何も見ていなかったのだ。そういえば、初日に台中駅で私が電話を掛けた時も出なかったわけだ。さすがYさん!

 

というわけで、午後が暇になる。Iさんが台北に帰るというので、バスターミナルまで見送る。ちょっと雨になる。その帰り道、Yさんはフラフラと歩き出す。私も埔里の街の位置関係の把握に努める。見ると、パパイアミルクを売っている。何だか懐かしくなり、飲んでみる。Yさんはメロンパンを見付けて、走り出す。香港あたりで流行っているという、中に冷たいバターが入っているものらしい。私は餡が入っているメロンパンを買った。

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宿に帰ろうと道を歩いていくと、向こうから凄い勢いで電動車いすに乗った人が私の脇を通り過ぎた。その直後、Yさんの悲鳴が聞こえた。車いすとぶつかったのかと、振り返ると、何と彼女の手からメロンパンが転げて、道路に落ちていた。袋にしっかり入ってはずのメロンパンがどうしてこうなるのかと聞くと、ちょうど食べようとしたところに車が突っ込んできた!と。まるで漫画の一場面のようで笑い転げてしまった。Yさんの楽しさは、こんなところに出ている。それにしても電動車いすには気を付けた方がよい。

 

夕方宿のオーナーWさんが、お客さんを連れて馴染みのお茶屋へ行くという。我々もついでに連れて行ってもらった。その店は雑然としており、小売りをやっているようには見えなかった。茶葉もばらばらに置かれており、おばさんもどれがどれやら、という感じ。私が気になったのは、このお店のオーナーも葉という姓だったこと。おばさんに聞いてみると、やはり『葉という姓は殆どが客家だよ』という、だが午前中に案内してくれた葉さんは客家には見えなかった。ただお兄さんは客家に見えるかな?

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夜はYさんがマッサージに行きたいというので、Wさんに教えてもらったマッサージ屋に向かう。近くに大きなホテルがあるせいか、店は満員で待たされる。テレビではちびまる子ちゃんをやっており、Yさんは『わー、まる子が中国語しゃべっている』と興味津々だった。アジアの色々なところへ行くが、多くの場所でちびまる子ちゃんは放映されている。お客がぞろぞろと帰り、我々が席を勧められる頃、店のオーナーはそっとテレビの番組を変えた。Yさんはちびまる子ちゃんが見たかったようだが、映像では蔡英文新総統の演説が映し出されていた。

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そうか、今日は総統就任式の日だったか。中国・台湾ウオッチャーと呼ばれる人々、台湾を愛する人々が日本から台北に集結しているのは知っていたが、私は完全にその外にいた。脚マッサージを頼み、目の見えない若い男子が揉み始めた。彼に何気なく『新総統をどう思うか?』と聞くと、彼は毅然として『彼女には何も期待していません。彼女はまだ何もしていません。私は台湾に貢献した人だけを支持する』と答えた。それは驚くほど、はっきりしており、かつ台湾人の心理を突いているように思えた。

 

大陸寄りだった国民党政権にノーを突き付けた台湾人。経済が低迷する中、中国大陸抜きの経済政策は考え難いと思われるが、それでも敢えて蔡新総統を選んだところに台湾人らしさを感じるものの、その前途は相当に多難である、と言わざるを得ない。その若者の横でベテランのマッサージ師が『前政権への失望が大きいんだ。だが我々が選んだのだから、責任は我々自身にある。そこが大陸とは違うんだ!』と静かに付け加えたのが印象的だった。

埔里から茶旅する2016(9)良久 消えゆく茶畑

そしてその先には門があり、頑丈な鍵がかかっていた。それを取り外して中へ入る。両側に気持ちの良い茶畑が広がっていた。上がっていくと奥に茶工場が見えた。既に春茶の作業はすべて終了しており、誰もいない。電気も止めてしまっている。辛うじてトイレが使えるだけだった。ここが茶業関係者の間では『良久』と呼ばれている茶産地だった。これは地名ではなく、昔何かの工場があり、その名前だそうで、勿論地図にも載ってはいない。

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周囲20㎞には全く民家がなく、生活排水など汚染とは無縁な場所。今や台湾でも、このような自然環境は殆ど見られないという。工場で必要な水は特別設備で引いてきており、まさに大自然の中に、ポツンと存在する茶園となっていた。茶畑を歩いて見る。木に囲まれた斜面に茶樹が植えられている。30年ほど前に茶園が開拓され、植えられたものらしい。実にきれいな茶畑で、うっとりしてしまう。空気もすごく澄んでいる。虫の音が微かに聞こえるだけ。ずーっとここを歩いていたい、そんな気分にさせる滑らかな傾斜。うまく表現ができないが、この自然環境、これまでいくつもの茶畑を見てきたが、こんなところは珍しい。わざわざ来た甲斐があったというものだ。

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しかしよくも、こんな山の中に茶畑を開いたものだ。何んとも感心するしかない。ここでお茶を飲みたい、ここのお茶を飲んでみたい、と切実に思ったのだが、残念ながら電気がなく、湯を沸かすことができないし、既にひとかけらの茶葉もないということで断念した。次回はぜひ製茶シーズンにここにきて、ここの小屋に泊めてもらおう。そんなことを思っていると、葉さんが『外国人がここに入るのは2組目ですが、なぜ皆さんをここに連れてきたのか。それはこの茶園がその内無くなってしまうから、その素晴らしさを外国人にも見ておいてもらいたいと思ったからです』と衝撃的なことを言う。確かにこれだけ人が入っていない秘境を紹介すれば、行ってみたいという人が続出して、結果的に環境が徐々に悪化してしまうだろう。これまではそれを懸念して、関係者以外は案内しなかったらしい。

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茶園が無くなるとはどういうことか。『すでに政府林野庁の役人が調査に入っています』と。台湾では梨山の大烏嶺など、標高の高いところにある茶園が、土砂災害の危険があるなどの理由で、相次いで閉鎖されている。本当に茶樹を植えたことにより自然災害の危険があるのか、については、意見が分かれているが、土地が政府の物であれば、賃貸契約を打ち切れば、茶園主は手も足も出ない。一説によれば『高山茶があまりに高値で取引されていることへの同業者の嫉妬』が理由で、政府が動いている、と説明する人もいる。確かに台湾の高山茶の標高はどんどん高くなり、そしてその価格も高ければ高いほど高くなっていた。これと自然環境の破壊が全くリンクしていないとは言い切れない。

 

地域ごとに様々な地元の事情もあると思われ、事はそう簡単な話ではない。ただハッキリしているのは、茶園が閉鎖され、茶樹が伐採されていくという現実である。そもそも大烏嶺などは確かに土砂崩れがあり、道路が封鎖されるなど、交通への被害があるのも見てきた。しかしこの人家もない山の中、例え土砂崩れがあっても被害を受けるのは、茶業者だけのように見える。なぜここを閉鎖するのか、理由はさっぱりわからないと茶園管理者の葉さんも言う。

 

この茶園のオーナーは、非常に良識のある人で、ここで採れた茶を『梨山高山茶』と称して高値で売ることも可能なのだが、敢えて『良久茶』として、区別して販売している。消費者を騙すような真似はしたくないことと、良久の良さを世間に広めたいという思いから、こうしている。それもこれも茶園の存続があって生きるのだが、残念ながらいつ終焉を迎えるのか分らない。葉さんから『良久を日本の皆さんにも紹介して欲しい』と言われたので、敢えて今回ここに記している。今は風向きが変わるのを祈るばかりである。

 

また車に乗り、山道を引き返す。帰りは少し慣れたのと、朝早かった疲れから、寝入ってしまう。気が付くともう埔里の街に戻っていた。何だか夢を見ているような気分である。竜宮城から戻った浦島太郎とは言わないが、かなりの喪失感がある。美容室に戻ると、ちょうど昼時で、昼めし食おう、ということになる。美容室の隣の隣に美味しいおこわの店があるというので、そこで食べる。おこわ飯、美味し。肉団子スープ、絶品!サクサク食べて、嬉しくなってしまった。

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埔里から茶旅する2016(8)魚池から良久へ

巫さんが『山の上の茶畑にも行きましょうか?』と言ってくれ、車で上に連れて行ってもらう。そこには景色の良い斜面に茶畑が広がっていた。向こうの山には茶業改良場がある。魚池だな、ここは。ここにもいくつもの品種が植えられており、ちょうど茶葉を刈ったばかりのところもあったが、鮮やか、といった雰囲気があった。道路脇には小さな家があった。巫さんが子供の頃に育った場所だった。『山の上の狭い家で不便だったが、懐かしい。1999年の921地震の時は、下の家が倒壊し、家族全員でここに避難してしばらく暮らした』という。今は農機具などを置く小屋のようにして使っているが、壊すことはできないようだ。それだけの思い出が詰まっている。

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ある意味で921地震があったことにより、この付近の紅茶が復活したというのは、何とも皮肉なことだ。震災からの復興政策の一環として、日本時代に植えられた茶樹の葉を使った紅茶を作ったところ、折からの旧懐日本ブームや紅茶ブームもあって、ヒット商品となった。紅茶で町おこし。台湾と言えば凍頂烏龍茶や高山茶しか思い浮かばなかったが、変化が求められたのかもしれない。ここ数年、台湾各地で蜜香と呼ばれる紅茶が作られ、台湾人も紅茶を飲むんだな、と思わせるようになってきた。日本人も東方美人のブームにより、台湾の蜜香に人気が高まっている。一方英国式紅茶を愛する世界の人々からは、『パンチがない』とか『甘い』とか、評価はそれほど高くはならない。同じ紅茶の世界なのに、何とも面白い傾向だ。

 

夕飯

魚池からあの美容室に戻る。何と我々が来たことを知った葉さんが、3時間も運転して、わざわざ山の上の農場から降りてきてくれたというのだ。これはもう、申し訳ないとしか、言いようがない。そして夕飯に行こうと誘ってくれた。すぐ近くに行くのかと思ったが、車は街を外れて行き、真っ暗な中、高速道路のあたりを通っていく。一体どこへ行くんだろうか、と思っていると、畑の中に大きな建物が見えた。

 

その巨大な建物がレストランだった。魚の養殖が行われており、付近の新鮮な野菜と合わせて調理され、かなり繁盛しているようだった。葉さんと奥さん、可愛い子供、お母さん、そして我々を案内してくれたお兄さんも加わり、賑やかな夕飯となった。昼間見たマコモダケも登場、初めて見た。鶏は地鶏なのか、特に美味しかった。地元の物を地元の人と食べる、何とも楽しい夕飯だった。葉さんはMさんから聞いてはいたが、ものすごく面倒見のよい人だった。そして紹介があったとはいえ、我々を丁寧に扱ってくれた。これは人柄というものだ。

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また美容室に戻り、ちょっとお茶を飲んで帰った。葉さんは『明日連れて行きたいところがある。7時に集合しよう』と言ってくれた。どこに行くのかよくわからないが、我々は明日の午後、別の茶農家の人と会う約束があったが、午前中に戻れるというので、その厚意に甘えることにした。それにしても彼は、若いとはいえ、相当に疲れているはずだ。それでも我々を最大限もてなそうしているくれることに軽い感動を覚える。

 

宿に戻るとYさんが『行き付けのカフェに行く』というので付いていくことにした。結構暗い街を歩いていくと、かなりおしゃれな店があった。室内も穏やかな雰囲気でよかった。ここで今日の反省会。今日一日は長く、そして実に濃かった。カフェラテを飲みながら話す。お茶の飲み過ぎだったので、コーヒーも悪くない。埔里も案外いい街ではないか。ふと気が付くと夜も11時を過ぎており、急いで宿に帰り、シャワーを浴びて、すぐに2段ベッドの下の潜り込み、寝る。

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5月20日(金)
良久へ

翌朝は6時には起きて、7時前に待ち合わせ場所に行った。葉さん兄弟が迎えに来てくれた。車は農作業用のバン。この車でないとそこへは入れないという。かなり険しい山道が想定された。朝ご飯としてパンと豆乳を買ってくれる。何とも親切な兄弟だ。車は梨山に登る道を行くが、途中で逸れた。そこからは山道を延々と行く。民家なども殆どない自然の林を抜けていく。大自然の中に突っ込んだ、というイメージが強い。道はそれほど悪くはないが、アップダウンもあり、かなり揺れている。

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山道で何か作業している人たちがいた。葉さんが何か話し掛けているが、その言葉はよくわからない。顔を見ると原住民の人々なのであろうと推察された。山の中で仕事をするには、そこに住む人々との信頼関係が重要だと言われているが、確かに普通の人間がここに入ってくれば警戒されるのは当然だろう。お兄さんは何かお土産まで渡しているから、相当によい付き合いをしているのだろう。『今度は一緒に酒を飲もう!』、そんな雰囲気で別れた。

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埔里から茶旅する2016(7)美容室がお茶屋

美容室がお茶屋

そしてMさんから紹介された葉さんの店を探す。住所は持っていたが、Mさんからのコメントには『住所は奥さんのやっている美容院』と書かれており、かなり首を傾げる。お店はないので、美容院で待ち合わせなのかと思う。しかも電話したところ、本人は農場に行っており、不在らしい。取り敢えず紹介されたので行ってみる、という感じになっていた。ちょっと探すと大きなホテルの向こうに、確かに美容室があった。

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ちょうど出てきた女性に声を掛けると、中に招き入れられた。美容室の椅子があり、お客さんがパーマをかけている。我々はなぜここに来たのだろうかと不思議な気分になっていると、男性が出てきて、美容室内に設けられた喫茶スペース?に座れという。そこで彼はゆっくりとお茶を淹れ始める。美容室内で、パーマをかけている人を見ながらお茶を飲む、なんともシュールな光景だった。如何にも台湾らしい、柔軟性の高い世界がそこにあった。

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男性は葉さんのお兄さんで、勿論この街の出身ではあるが、今は台北在住で、たまたま戻ってきたので、対応してくれたらしい。ただ茶葉の置いてある場所も分らないので、その度に奥さんに聞くと、彼女はお客対応の手を止めて、茶葉を出してくれた。Uさんはお茶を2-3倍飲むと、『洗濯物を干してあるので』と言って、鹿谷に帰って行った。雲行きを見て、雨が降るかどうか、わかるらしい。これも如何にもお茶屋らしい。後で聞くと、実際に雨が降ったようだ。

 

Mさんから『もし天府農場のお茶があったら、買ってきてほしい』とメッセージがあったので、聞いてみると、お兄さんは電話で葉さんに確認してくれ、『既にすべて売り切れた』と回答してきた。そして我々が今飲んでいるお茶は、別の高山茶であるという。これは結構美味しいなと思い、興味を持つ。ただその農場も場所も聞いたことがなかった。お兄さんも説明に困っている。まあそんなものなのだ。

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Iさんの目的は日月潭の紅茶にあった。その話をすると、彼は急にどこかに電話をかけ、『もし興味があるなら魚池の茶農家に連れて行く』と言ってくれた。これは願ったり叶ったり、有り難い、ということで、その話に乗り、そして彼の車に乗り込む。すると今度はYさんが『18℃』に行きたいと言い出す。中国語のできないYさんだが、18℃と言うと、その単語は彼にもわかるらしく、行こうという。訳が分からないのは私の方だ。

 

18℃というのが、お店の名前だとわかるのに、時間が掛かった。というより、車がそこに着いて初めて理解した。チョコレート屋さんとか、アイスクリーム屋さんとか言われたが、そこはちょっとしたフードコートのように見えた。実は3年ぐらい前に、ここに一軒の店を出したところ、大繁盛して次々に店を広げ、今では埔里の観光名所にもなっており、大型バスが乗り付けてきていた。お兄さんによると、この付近の不動産価格は18℃のお陰で高騰したという。こういう町おこしの仕方もあるのか、と感心する。ジェラートを食べてみたが、美味しかった。ラーメンなどの食べ物もあり、午後3時なのに、賑わっていた。

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日月潭の紅茶

車は先ほど鹿谷から来た道を戻っていく。そして昔私が行ったことがある紅茶屋さんのある道に入った。まさかそこへ行くのだろうか、と思っていると、あっさりと通り過ぎてしまった。だがそのすぐ近くで車は停まる。そこには茶工場があった。井古茶堂と書かれた看板がある。向かいの斜面には茶畑が見える。中に入ると、女性が待っていてくれた。巫さんは突然の訪問にも拘らず、にこやかに迎えてくれた。この茶工場は、数年前に女性3人で始めたと聞いて驚く。茶業は力仕事、というイメージがある。その昔は紅茶を作っていたようだが、紅茶の低迷期は止めており、ここ数年のブームで生産を再開したという。

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造りが実にシンプルな大きな屋根の下、お茶を頂く。この付近、日本時代は日本人の茶畑だったらしい。その時代に植えられた茶樹はほぼなくなっており、目の前の茶畑の茶樹は30年ぐらい前に植えられたものらしい。中にはかなり新しい木もある。数年前に茶業改良場の指導を受けて、その品種を使い、植えたものだという。巫さんは『茶畑見ますか?』と言って、率先して案内してくれた。かなりゆとりのある植え方で、品種もいくつもあり、ちょっと面白かった。ただ斜面は結構きつく、収穫はそれほど期待できないように見えた。恐らくここは、我々のような見学者のためにあるのだろう。

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もう一度工場前でお茶を飲み始める。Iさんは興味津々で、紅茶に関する質問を始める。女性3人を中心に、親戚も手伝って、紅茶作りをしているという。巫さんのお母さんが出てきて、食べ物を置いていった。初めて食べるフルーツのようなもので、ちょっと辛しのようなものが付いており、ピリッとする。これがさわやかでとても美味しい。農家で出されるこのようなちょっとした食べ物、実に美味しいし、有り難い。このお母さんの人生に思いを馳せる。

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埔里から茶旅する2016(6)鹿谷から埔里へ

 埔里へ

Uさんは若いからか、思いのほか回復しており、安全運転で埔里を目指した。山を下ると、そこには観光地として名高い日月潭が見えてくる。折角なのでと、観光した。路線バスではできないことだった。日月潭は昔より数段きれいになっており、観光客もそこそこにいた。私は興味がないのだがお土産物コーナーに行くと、日月潭紅茶アイスが売っており、Yさんが食べたいというので、後学のために食べてみた。紅茶の感じは出ていたが、それだけ。でも食べている人が多いので、いいアイデアなのかもしれない。

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更に進むと、日月潭の端に、魚池という場所がある。ここには茶業改良場の分場が置かれており、私は5年前にご縁でそこを訪れている。YさんとIさんは初めてだということで、寄り道して坂道を登ってもらった。途中に記念碑が見える。これが『台湾紅茶の守護者』、新井耕吉郎さんを祭る碑であり、歴代場長は朝ここにお参りしてから、出勤すると言われたところである。私は全く知らなかった新井さんについて、少し調べてみたことがあるが、その謎は深かった。そして日本人の誰もが知らなかった、この方の名前が台湾で広まった訳、それもまた旧懐日本ブームの一環であろうし、日月潭紅茶のブランド化、町興しなど、様々な要因が絡まっていることは見て取れた。これ以上は語らない。

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上まで登ると日本時代に茶業試験場として建てられた建物も残っているが、一般人が中に入ることは許されていない。外からそれを眺め、ついでに日月潭を一望し、また茶畑を少し見た。ここは風光明媚な場所として、週末は観光客が登ってくる場所であるが、今日は平日で人はいない。先ほどの新井さんらが尽力して、1936年に建てられたこの試験場。紅茶の輸出、外貨獲得の国策のために付近に茶樹を植えたが、戦争により、その夢は潰えていた。新井さんも戦後すぐに、この地で亡くなり、その魂はここに眠っている。丘の下には、日本時代の官舎が再現されたところがあるが、何となく真新しい。

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魚池から埔里まではあっという間に着く。途中に紅茶屋さんの看板が目立っているのは、数年前より、台湾が紅茶ブームだからだろう。私が以前訪れたことがある紅茶屋さんもあった。懐かしいので寄ってみたかったが、今回はご縁があるだろうか。埔里も何度か来たことはあるが、街中に泊まったことはなく、どこがどこやら、何もわからない。今回はYさんを頼って行動しようか。Uさんの車はゲストハウスの狭い路地に入った。

 

4. 埔里
埔里をフラフラする

そのゲストハウスの入り口は狭かったが、5階建て?で奥行きもあり、かなりの広さがあった。オーナーの日本人Wさんは在台湾20年以上。奥様も台湾人とのこと。埔里が好きになり、こちらのゲストハウスを作ったという。広いリビングのソファーに座り、少し休む。私はIさんと2人部屋、Yさんはいつものドミトリーに入った。外はそこそこ暑いのだが、建物の中はクーラーがなくても何とかなりそうな感じだった。

 

腹が減ったので昼ご飯を食べに行く。二日酔いのUさんのことを考え、Wさんに紹介された近所の麺屋へ行く。ここの麺の名前、何と傻瓜麺だというから驚きだ。日本語にすれば『バカ麺』、一体どんな麺かと興味津々で注文してみたが、あっさりした普通のスープ麺。なんで傻瓜なのかは、よくわからない。Wさんによれば、『傻瓜麵』の由来は台湾語(閩南語)の「撒乾麵」から来ているというが、どうなんだろうか。まあ、二日酔いにはよいのではないか。

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食後、ふらふら歩きながら、腹ごなしする。段ボール箱が沢山積まれているところを通ると、ポスターに美人腿大会とあった。何だろう、美脚コンテストのようだが。優勝すると10万元、というから、結構大きな大会だ。既に予選は終わっている。段ボールにもう一度目をやる。この箱の中にはマコモダケという筍にもちょっと似た農産物が入っている。これは埔里の名産品であり、街のイベントとして、白くて長いマコモダケを宣伝する目的で、この美脚大会が開催されており、台湾では有名だということを後で知る。

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セブンイレブンに寄る。台湾に来たら、やはりセブンだ。この狭い台湾に1万店舗はあるのだろうか。台湾人も殆どの人が利用しており、もしセブンがなければ生きていけなそうな人間も沢山見てきた。Uさんは『食後は黒松ですよ』と言ってドリンクを買う。黒松とは台湾の飲料メーカーの名前で私が台北に住んだ25年前にも売っていた。代表商品は沙士という炭酸飲料で、コーラのようなもの。台湾ではこれを体調が悪い時にも飲むらしい。ポカリスエットのような位置づけとでも言えばよいだろうか。兎に角ロングセラーだ。二日酔いのUさんはこれをぐびぐび飲んでいた。完全に現地化している。

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