「台湾」カテゴリーアーカイブ

《台湾お茶散歩2》2006(2)

(3)夕飯
大きな荷物を持ってMRTに乗る。2回乗り換えて中山駅へ。この駅から歩いて1分の所に今日の宿がある。前回は広方園の湯さんに紹介してもらい、泊った所であるが、今回は会社の駐在員T君にお願いした。

チェックインして時計を見ると7時20分、既に夕飯の約束時間が迫っている。直ぐに飛び出してタクシーに乗る。長安東路と龍江路の交差点付近に予約された店がある。行ってみると良く分からない。よく見ると『九番坑』という看板はあるが、入り口のみ。言われなければ絶対分からない場所である。

2階に上がると入り口がある。隠れ家的な雰囲気がある。入ると大学の後輩Iさん夫妻とT君が待っていてくれた。後から北京時代に一緒だった新聞社のI君も来てくれた。北京以来I君とは5年振りである。先日新聞を見ていて偶然彼の記事を見付けた。見ると台北発だったので所在が分かったのである。

因みに他社のH君は今香港に居ることが分かった。新聞記者はぐるぐると回っているのである。北京時代彼は中国の雑誌社におり、一念発起して日本の新聞社に入った。その時北京で面倒を見てくれたのが、今毎日10時から古館一郎がやっている報道ステーションに出ている加藤千洋さんだったそうだ。加藤さんも大学の先輩であり、私も何度かお会いしているが、まさかテレビに出るとは思わなかったので、驚いている次第である。

この店の主人は九?の出身だそうだ。九?と言えば、映画『非情城市』。私が駐在していた1989年、一時帰国した際、妊娠中で日本にいた家内に誘われて見た。台湾に住んでいる人間を何故連れて行くのか??しかし見てみてビックリ。当時はタブーであった『二・二八事件』が映画の中に描かれていた。こんな映画いいのか??正直な感想であった。当然台湾では上映禁止であり、私は家内に感謝した。

店の名前は恐らくゴールドラッシュに沸いた金鉱のあった九?らしく、坑道の9番目ということらしい。そう考えればこの店の入り口が妙に狭くて、分かり難いのも頷ける。料理には九?料理と言うのは無いようで、主人が子供の頃に屋台で食べた庶民の味を再現しているそうだ。家庭料理といわれるのもちょっと違いと言っていた。

そういいながらも料理は結構斬新なアイデアが盛り込まれていて、見た目楽しい。たけのこスープの上に卵の細切りが載っていたり、魚のフリッターがあったり。味も日本人向き。そしてビールはコップではなく、椀で飲む。これはなかなか良い。ビールは普通のビールであるが、気分的には凄く美味しいビールを飲んでいる気になる。不思議だ。

遅くに別の宴会に出ていたKさんが加わった。前回Iさんから紹介されたKさんは何事にも好奇心旺盛。台北の小食レストランを紹介する本も出している。現在はエバエアーに記事を連載しているそうだ。

先程埔里に実家のある人に車で送ってもらった話をした所、ロングスティの話となる。台湾も最近55歳以上の日本人にロングスティビザを発給するようになったが、その第一号として中村さんという人が埔里に住んだようだ。しかし彼の要求があまり過度で、台湾中の話題になっているというのだ。

テレビにも登場し、埔里の人々や交流協会(大使館に相当)の悪口を言っているらしい。何ということであろうか??今や台湾で一番有名な日本人だそうだ。日本では1つも報道されないから誰も知らない話ではないか??何ということだろうか??これだから日本の台湾に対する関心が低いというのだ。これがアメリカのことなら直ぐにニュースになるはずだから。

6月3日(土)
3.阿里山
(1)阿里山へ
前日は12時近くにホテルに戻り、シャワーを浴びて寝たのは1時過ぎていた。しかし今回は3日間のショートステイ。ゆっくり寝てもいられない。今日は何と阿里山日帰りの強行軍。朝7時発の自強号に乗らなければならない。結局寝付かれず、6時前にはホテルを出た。

MRTで一駅乗って、台北駅へ。土曜日の朝早くでは地下には人もあまりいない。切符は簡単に買えた。嘉義まで600元。駅の中のセブンイレブンで朝ごはんとして、竹のこ饅頭とポカリを買う。りんご日報台湾版も買い込む。

 

7時発の自強号は空いていた。もう何回も乗っており、景色も珍しくないので眠ることにした。結構良く眠れた。桃園あたりで結構人が乗ってきたが、特に気にならず、下車直前まで寝られたのは大きい。

彰化、員林という駅を過ぎていく。17年前当時駐在仲間のKさんとクリスマスにゴルフ旅行に出たのを思い出す。2泊3日で台中にゴルフに行ったのであるが、1日目の午後に台中に到着して1ラウンド。翌朝5時に起きて、タクシーを拾い、彰化のゴルフ場へ。12月の冬至を過ぎたばかりで、まだ真っ暗な中、スタート。最初はキャディーが4人付いて、ボールの落ちる位置を確認するほど。

お客さんも少なく、18ホールを2時間強で終了。8時過ぎに朝ごはんを食べて、さてどうしようと、フロントに相談すると員林にゴルフ場があるので行ってみてはどうかという。クリスマスイブに朝8時のゴルフが終わってやることが無いのも冴えないので、シャワーも浴びず、ゴルフシューズを履いたまま、タクシーを呼んでもらい30分ほど行く。

員林のゴルフ場は戦前日本人によって設計されたという山岳コース。クラブハウスからロープウエーで下に下りていったのが印象的。かなりの起伏があったが、非常に楽しめた。そんな日はスコアーも良くて、午後1時半には18ホールを終了。キャディーは原住民の可愛らしい女の子。まだ時間があるのであとハーフしようと誘うと、18ホールしないのなら帰ると言われてしまう。可愛らしさに負けたのか、余程体の調子が良かったのか、OKしてしまう。尚Kさんはゴルフ気違い、何ラウンドでもやると言う。

とっぷりと夕陽が落ちる午後6時頃、18番ホールのティショットを待つために丘の上に腰掛けていた時、幸せな気分に浸りきっていた自分がいたのを覚えている。あの日は一日3ラウンドした記念すべき日である以上に、田舎でのんびり、ゆっくり暮らしたい、という原点であったかもしれない。勿論体力的にはきつかったはずだが、若かった。

クラブハウスに引き上げてシャワーを浴びて出てくるとフロントには誰もいない。タクシーを呼んでくれる雰囲気も無い。ようやくおじさんが一人いた。タクシーで台中に帰りたいというと、『タクシーは無いんじゃないか?』などとそっけなく言われてしまう。既にほぼ無人と化したクラブハウスに取り残されてしまうのは困る?と困惑しているとそのおじさんが帰り支度をして出てきた。

『途中まで送っていくよ』と気軽に言う。何と家が台中郊外にあるのだそうだ。何とも奇縁。おじさんの車に乗り、話していると『日本人がこんな所まで来てくれて嬉しい』と言ってくれ、結局ホテルまで送って貰った。何という一日だろうか。因みにこのおじさん、ゴルフ場の支配人であった。最初はクラブハウスに残られては困ると思い仕方なく、車に乗せたようだが、我々が3ラウンドしたこと、員林のゴルフ場が非常に気に入っていたことが分かり打ち解けた。いかにも台湾らしいエピソードである。

そんなことを思い出している内に列車は嘉義駅に滑り込む。

(2)石卓へ
10時半に嘉義に到着。過去2回ともここから同じバスでお目当ての石卓へ向かっていたので、慣れていた。11時10分にバスが出ることも分かっていた。一日に5本しかない、貴重なバスである。しかし時刻表を良く見ると色々な路線があることに気づく。

 

実は会社の後輩だった(既に転職した)K君はアメリカに留学したバリバリの欧米派であったが、留学先で台南出身の女性と知り合い結婚。今では大の台湾ファンとなっている。今回阿里山に行くというと、是非奥さんのオバサンの家を訪ねて欲しいと言う。

しかしよくよく聞くとオバサンの家は阿里山ではなく、梅山という隣の山にあり、車で1時間半は掛ると言うことで今回は見送りになった経緯がある。今時刻表を見るとここから梅山に行くことも出来る。次回は行ってみようか??茶の縁はどんどん続いていくもの。面白い。もう一つの発見は石卓に行くには、一日5本以外にも何本かあるらしいこと。あとで聞くと1時間に一本はあるという。何だ、慌てることは無かったわけだ。

バスターミナル付近では客引きのおじさんやおばさんが何人にも寄ってくる。タクシーの運ちゃんもいるし、山頂のホテルをアレンジするおばさんもいる。いつもは相手にしないのだが、時間があるので聞いてみると、ちゃんと日本語を話す。日本人でこのバスに乗る人は殆どいないようだ。確かにバスが何時発車するのか、言葉の多少分かる私でも不安であるから。

定刻にバスが出るが、先ずは街中を走る。途中で何人か乗ってくる。中には市場で買出しをしたおばあさんが大きな野菜の入った荷物を担いで乗ってきたりする。いかにもローカル。バスは半分も乗っていないので私は一番前に乗って、降りる時に備える。何しろ過去2回は、1回目は1バス停乗り越し、2回目は辛うじて少し過ぎて停めてもらった。何しろ目印はガソリンスタンド、見過ごせば大変。

しかし阿里山の公道で、ガソリンスタンドがここ1軒しかないというのが不思議。ガス欠になる車は無いのだろうか??山道に入って1時間、ようやく到着。降りた瞬間雨が大粒で降り出したのには正直参った。

 

 

 

 

《台湾お茶散歩2》2006(1)

1年に一度も台湾に行かない、と言うことはやはり出来ないようだ。何だかんだで、忙しい訳だが、行けない理由は見つからない。怠け癖が付いた???新茶も出揃った頃だし、航空券を予約した。今回は僅か3日の旅ではあるが、行くとなれば、それはそれで嬉しい。

1.成田空港
(1)空港まで
今回は節約して、一番安いルートで成田空港へ行こうと考えていた。JRの快速に乗ればそれ程時間が掛からずに行けるらしい。朝も早く起きられた。4時半である。6月の東京の朝は早い。直ぐに明るくなる。

しかし大きな荷物を持つ私は電車に乗ると気が変わる。新宿からリムジンバスに乗ろう。何だかそんな気分である。このバスは15分に一本出る。空港の出発階に到着する。便利さには勝てない。バックは担いでいてもただの中年おやじ。

6時のバスに乗る。さすがに空いている。何故か60代の女性が3人、元気に話し込んでいる。他の人々は皆眠りこけている。若い女性が口を開けて寝ている姿は平和そのものである。

朝の首都高も空いている。あっと言う間に風景が変わる。人影のないお堀端、日銀の旧館も見える。こうやって上から見るとなかなか格好が良い。ディズニーランドもまだ動き出してはいない。いつもは通勤途上で急いで本を読んでいる私ではあるが、こうやってゆっくりと外を眺めていると何だか落ち着く。

私は一体何をやっているのだろうか??ぼやーっとした頭を掠める。本当にお茶が好きで出掛けているのだろうか??本当に台湾が好きなのだろうか??本当は何がしたいのだろう??日本の生活に疲れている自分がいた。

(2)引越し
結局70分ぐらいで到着。速い。今回もエバエアーを使う。ANAとの共同運航便である。何と、何とANAなどのスターアライアンスは全て本日より第1ターミナルに移動していた。初日である。バスを降りると報道陣がいる。

中に入るときれいである。ANAのカウンターで開いている所では、チェックインする客に報道陣がフラッシュを浴びせている。私は慌てて目深に帽子を被る。まるでハワイに遊びに行く芸能人のように。HISのカウンターの場所もよく分からないが、足早に動く。

HISでチケットを貰ったが、指定されたチェックインカウンターには全く人がいない。どうなっているのか??何度も確認した挙句に、全日空でチェックインしているという。行くと又報道陣がマイクを持って待っている。やだなあー。何とかすり抜けカウンターへ。空いているので直ぐにチェックイン。

何とチェックインは機械で行うようになっていた。勿論初日なので横に係員がいる。しかし『チケットを入れてください』というので、入れるとエラーとなる。チケットを切っていなかったのだ。注意してくれないと皆間違うだろう。混乱が予想される。国内線同様自分で好きな席を選べるのは良い。

イミグレも人が殆どいない。前と比べると少し遠くなっている。イミグレを越えると店が並んでいるがここもお客は殆どいない。逆に初日ということで店の関係者が多数来ているので、返って入りにくい。皆少ないお客に懸命に呼びかけており、恥ずかしい。上司の前で懸命になるのは万国共通としても、お客のことも考えて欲しい。

開業記念セレモニーもこの後行われるようで、丁度リハーサルをやっている。兎に角私の乗る台北行きは今日の一番機である。新ターミナルの準備はまだ終わっていない時の出発となった。

搭乗口に行っても人が少ない。この飛行機はガラガラなのだろうか??搭乗しても半数も乗っていない。そして、やはり・・・??アナウンスがあり、『チェックインで機械の故障があり、搭乗者を待ちます』とのこと。悪い予感的中。

それから1時間以上搭乗者は乗ってこなかった。一体どんなトラブルがあったのか??飛行機は定刻の1時間半遅れで離陸。恐らく一番機の栄誉は無くなったのであろう。

2.坪林
(1)坪林へ
結局台北に到着したのは1時間遅れ。前回は関空や福岡から同時刻の到着があり、日本人でイミグレは満員、かなり時間が掛かったが、今日は遅れた分、人がいなくてスムーズ。

バス乗り場で新店行きのバスがあるか聞いたが、無かった。これから直接坪林の茶農家張さんを訪ねる予定であったが、時間が遅れているので迷う。仕方なく丁度着た台北行きに乗り込む。車中で携帯を使って連絡しようと思ったが、香港から持ってきた携帯でローミングができない。家内が安い携帯チップを買ったせいだろう。さて、どうしようか??

取り敢えず本日の宿、老爺INNに行って電話しようと思ったが、降りる所を間違えて台北駅まで来てしまった。仕方なく、駅で公衆電話を探す。最近はカード式電話が多く、コインでかけられるものは少ない。ようやく見付けて張さんに電話すると当然のように『今から木柵駅に迎えに行くから30分後に』との答え。

遅れてしまったし、夜も予定があるし、と言ったことはここでは通用しない。電話したからには行かなければならない。それが掟である??兎に角急いでMRTに。木柵駅は木柵線にあるので、ここからは板南線に乗り、乗り換えなければならない。間に合うか??

MRTは実に便利な乗り物である。次に電車が何時来るかも表示されるので、安心。これなら間に合いそうだ。ところで張さんの家から木柵まで30分で行けるとは思えない。前回送ってもらって時は確か小1時間掛っていたから大丈夫だろう。

30分以内に木柵駅に到着。何も無い駅である。何故ここで待ち合わせなのか??電話しようと公衆電話を探すとタイ人と思われる女性が電話中である。友達とで話しているか、なかなか終わらない。指で残り金額の表示板を指して、まだまだ話す姿勢を見せている。こちらも時間に余裕があると思っているので鷹揚に構える。

5分後ようやく電話した所、張さんは既に到着していると言う。車のナンバーを聞いて外へ出る。しかし見つからない。どう見ておかしい。もう一度電話すると、何と木柵駅ではなく、終点の動物園駅にいることが分かった。また一駅MRTに乗り、何とか再会を果たす。

彼は木柵駅という駅があることを知らなかったようで、木柵といえば、動物園だと思い込んでいた。しかし又随分早く着いたと思っていると、昨年7月に訪れて以降、この1年の間に新しい道路が開通していた。そして車はあっと言う間に我々を張さんの自宅を運んでしまった。台湾もまだまだ進化している。

(2)張家の飲み会
張さん宅は特に変わっていなかった。いつもの茶を飲むテーブルに着く。今年の包種茶は出来がいいという。楽しみである。4月に茶摘が行われ、直ぐに品評会もあったようだ。彼のお茶は又賞を取っていた。素晴らしい。

早速味わう。大きな薬缶でたっぷりと湯を沸かす。そして大振りの蓋碗に注ぎ込む。葉の間から茶渋が噴出す。色は薄い緑。包種茶の色合いだ。かなり離れた場所からも香りが立っているのが分かる。

 今年のお茶は清淡である。気候のせいだという。包種茶のあの独特の強い香りがない。代わって非常にまろやかな味わいに出会える。これは嬉しいやら、悲しいやら。張さんにすればこの茶の出来は満足だという。そうかもしれない。何しろ香りがまろやかな方が顧客にも喜ばれるのだろう。

コストも上がっているようだ。原油高の影響は色々な所に出ている。今年はお茶の値段も20%ほど上がっている。張さんは心配そうに、日本の友達はこの値段で受け入れてくれるのか、聞く。それでもこのお茶を日本で買ったら大変な値段になるので全く問題ない。

そんなことを話していると、あれよあれよという間に近所の人が3-4人集まって来ていた。私が来たことを知らせたのだろうか?小さな子供もやって来て、盛んに私にちょっかいを出す。面白いので相手をする。張さんのお父さんもやって来た。思い出せば5年前初めて訪れた時に一生懸命日本語を思い出そうとしていた姿が忘れられない。

お父さんは5年前と全く変わっていない。お茶のせいであろうか??肌もつやつやしているように見える。盛んに『今夜はメシ食ってけ、泊っていけ』と言ってくれる。嬉しい限りである。時々日本語の単語を思い出すと使っている。前より思い出しているのでは??

 

近所のおじさんが盛んにお茶談義を仕掛けてくる。日本茶についても聞かれる。入間の狭山茶を少し勉強したので茶の製法などをその範囲で答える。やはり日本人は日本のことを知らないといけない。日本人のアイデンティティーが問われる。

その内何故か酒を飲もうと言う。台湾製のウイスキーが運び込まれる。大き目のショットグラスも出て来る。これは危険な兆候である。今日は夜台北に戻って日本人の友人達と会う約束がある、といくら言っても聞かない。辛うじて酒は飲まずに調子を合わせる。しかしお茶の香りは良いのだが、何故ウイスキーを飲んだり、タバコを吸ったりするのだろうか??

こんな言い方は失礼かもしれないが、これが田舎での客へのもてなしであると思っている。本当はそれに合わせるべきであるが、私は私のポリシーで動こうと思っている。酒は飲まない。しかしつまみとして出てきた煎り豆は最高であった。塩味が効いていて煎り方も上手い。この豆が自家製だと聞いて、夕飯をご馳走になりたくなったが、辛うじて押さえた。

話はお茶の話から、台湾の政治、例えば陳総統の息子の疑惑や、日本の小泉首相の人気などへ発展する。そして日本人は台湾に関心があるかと聞かれる。残念ながらかなり断片的にしか台湾のことを知らない人が多いと言わざるを得ない。これはいつも台湾で私が悩むことである。台湾人は日本のことをよく知っているが、日本人は台湾に関心が薄い。特に最近は中国大陸一辺倒の感がある。どうしたものだろうか??

宴会が何時終わるのか分からないので外に出てみると、雨が降りそうだ。靄が懸かる山並みに茶畑が映える。何時見てもいい眺めである。飼い犬も既に慣れていて吼えたりしない。足元でゆったりと待機している。

 

しかし考えてみればどうやって帰るのだろうか??時間は既に6時。張さんは酒をかなり飲んでおり、とても運転できる状態ではない。うーん、お父さんは採ってきた野菜を剥いている。これで夕飯は免れないか??

すると近所の人々が帰り始めた。夕飯の時間のようだ。面白い。昔日本でも夕飯の時間になると誰かが呼びに来て帰っていった。あの姿が忘れられない。『Always 三丁目の夕陽』という映画があるが、そんな気分になる。

そして意外なことに、一番端に座っていた人が私を送って行ってくれるという。なんと彼はお客さんだったのだ。日本なら有り得ない事だろうが、そこは台湾、何の問題もない。張さんとお父さんが何度も手を振る中、坪林を離れた。今回も僅か2時間の滞在である。次回はもう少し長くしよう。

ところで運転してくれている人は軍関係のお勤めだとか。確かに制服を着ている。木柵に住んでおり、包種茶が好きで何年も張さんの所に行って買っているそうだ。台湾には大陸反抗、祖国統一のスローガンがあったが今や有名無実。しかし未だに兵役がある。彼は総務担当ということで前線に出ることは無いが、今後どうなるのだろうか??

彼の実家は埔里という台湾中部の蝶々と紹興酒で有名な町にある。私は17年前にここを訪れたことがあったが、長閑な所という印象であった。実は近くの霧社の神社をお参りし、夜は廬山温泉に泊った。霧社では1930年に原住民が蜂起した霧社事件が起こり、その報復として日本軍は空爆や毒ガスを使用して反乱を鎮めたという忌まわしい過去がある。

その廬山温泉の宿で当時の生き残りであった首謀者の一人の奥さんからお話を聞いたのが印象深い。彼女は感情を込めずに流暢な日本語で淡々と事件を語っていた。その姿は話し慣れているとも言えるが、より一層深い悲しみを現しているというのが正しい感じであった。彼女は当時18歳で身篭っていた。いかにして生き延びたのか??肝心の部分は多くは語られなかったと思うが、その後の生活も含めて大変なことであったはずだ。

運転してくれている彼はそのことは当然知っているだろうが、非常に親切に対応してくれている。複雑な気持ちである。昔台北に駐在した時に良く味わった思いである。戦争の話を本当に自分のこととして話す、日本の勝利を信じていた、俺は日本人だったんだ、こんな話をよく聞いた。

李登輝前総統が『22歳まで日本人だった』と言っているが、多くの日本人はその意味を誤解しているはずだ。彼は本当に、ごく普通に日本人だったと思っている。植民地の被征服者として言っているのではない。誇りにさえ思っていると思う。そして同じような台湾人は何十万人もいるだろう。彼らは今の日本に人一倍失望している。昔の日本人には凄い人たちがいたという事実もある。

静かに車が木柵の駅に着いた。今度は本当に木柵駅に送ってくれた。

 

 

《台湾茶産地の旅-2004年阿里山》

2004年4月 阿里山 石棹
(1)再び阿里山へ

前回2年前と全く同じ行程を辿り、阿里山を目指す。前日関子嶺に宿泊し、温泉にも浸かり、気分も持ち直していた。この勢いで石棹のお茶農家へ。しかしこの2年間一度も連絡していない。果たしてどうなっているだろうか?

前回嘉義の駅前の阿里山行きのバス停は桜の花見のシーズンで、ごった返していた。しかし今回は人影も疎ら。前回と全く同じ11時10分発のバスに乗り込んだが、お客は何と10人あまり。おじいさんとおばあさんの団体が数人。どうしてこうも違うのか?今日は清明節、この日は観光する日ではないと言うことか?

バスは街中を抜けると所々にお墓があり、やはり大勢の人が墓掃除に来ていた。40分以上走ると愈々山登り。前回経験しているだけに今回は余裕を持って景色を眺める。本当に自然に包まれている。

登って30分も経つと、やはり何処で降りるのか分からず不安に。仕方なく運転手に行き先を告げると『何処行くんだ?そんなところで降りて。』と怪訝そう。おばあさんの乗客も何しに行くのと聞く。そう言えば訳の分からない台湾人で無い人間が阿里山の途中でバスを降りるのはどう見ても不思議なのだろう。私は相変わらず不思議な人間と見られている。

(2) 石棹
ガソリンスタンド脇で下車するとそこは見慣れた風景。道を渡ると前回訪問した天隆銘茶の看板が見える。入り口から覗き込むと小学生だった次男が顔を出す。ああ、居た居た。
直ぐに奥さんが顔を出す。一瞬誰だろうという顔をしたが、ああ、という表情になる。

 

どうしたの?と言いながらお茶を入れてくれる。何か話そうとするとそこに黒っぽいスーツを着たこの辺には似つかわしくない風体のおじさんが入ってくる。このおじさん、何やら奥さんと商売の話を始めているようで、しきりに値切っているようだ。台湾語なので良く分からないが。私には泡抹紅茶を作っていると紹介している。この紅茶は台湾で一時流行した紅茶を泡立たせて作るアイスシェイクのような飲み物。その原料として何故かここのお茶を使いたいと言う。どう見ても怪しい。こんな高価なお茶では合わないはずである。

結局彼はニコニコ出て行ったが、外を見るともう一人同じような格好のにいちゃんが居た。そこに薛さんが帰ってきた。2人は怪しいヤツがうろついているとして、近所に連絡を取っている。こういうところが田舎の良い所である。

前回同様薛さんが私の為に昼の弁当を買ってきてくれた。どうやら隣のレストランで作っているらしい。これが又絶品。キャベツなどの野菜が新鮮なのか美味い。

食べ終わると又茶である。幸せな気分。しかし今回の誤算は新茶の茶摘が1週間遅れていることであった。今年は寒かった為、生育が遅れていた(何と玉山では昨日雪が降ったという。4月に雪が降るのは台湾でも珍しい)。その分良いお茶が取れると聞くと更に残念。それでも冬茶を頂くと幸せな気分にはなれるのである。因みに阿里山の桜は一昨日の大雨で花が殆ど散ってしまった由。道理で観光客が少ないはずだ。ということは私は桜も無く、新茶も無い空白の一週間に阿里山に来てしまったことになる。何とも残念。

薛さんの茶畑を見に行くことに。車で5分ぐらい。ここは海抜1,300mぐらいだが、この茶畑は見晴らしが良い。今回は奥の茶畑も見せてもらう。茶は2種類。珠露と金宣。畑は摘み取りを待つ茶葉がきれいに並んでいる。実に手入れが行き届いている。こういうお茶を目で確かめて買う、これが良いと思う。

 

前回は茶摘シーズンで忙しかったが、今回は時間があるようでお茶の説明を色々と聞く。先ずここの気候。午前中に太陽が出て、午後に霧が出ることが多い。これが茶の生育には極めて良い。今も霧が風に流されながら実に良い景色を作り出している。気持ちが良い。

ここでは全て手摘み。1芯2葉。葉はかなり厚手であるが、これが甘みを内包し、渋みを少なくすると言う。生育が遅い葉ほど良質と言うもいう。尚茶摘は近隣のおばあさんが担っているが後何年続くか?福建省あたりから茶摘娘を移入し、摘む方法も検討しているが、政府が認めないことと、茶摘時期以外をどう扱うかで未だ実現していない。現在はベトナムから一部労働力を入れているのみ。

茶摘は1年4回。春はこの時期、夏茶は質が悪いので摘んでも安いお茶屋に出荷される。秋は9月、冬は11月。各シーズン20日前後は寝ずに茶を作ると言い、年中休む暇もないかと思えば、最近は毎年大陸に見学にも行っていると言う。広州、シンセン、福建省も行った。研究熱心である。但し大陸のお茶は飲んで美味しくないと言う。

この茶畑でずっと気持ちよい風に吹かれていたかったが、茶工場を案内すると言われて同行する。前回は見ていなかったが、何とそこは自宅を兼ねていた。公道から降りたところに4軒ほどが軒を連ねて製茶工場となっていた。入ると萎調をする竹の皿、乾燥機、殺青をする機械などが所狭しと置かれている。殺青をする時布を使う。布の中で捏ねる為茶葉が丸くなる。鉄観音なども同じである。これは利便性の為と薛さんは説明する。

《製茶法》
1. 茶摘   1日2回(午前9時から11時、午後1時から3時)
2. 日光萎調 45分
3. 室内萎調 1回2時間(拌撹を4回計8時間) 
4. 炒青   2時間(1時間で150斤程度出来る)
5. 揉捻   7時間(基本的に機械で行う)
6. 乾燥   2時間
7. 火入れ  (火を入れず毛茶で出荷することもある)

ここに住んでいるのは公道沿いでは一晩中車の音が煩いからだと言う。こんな環境の良い所で騒音に悩まされるとは?民宿を併設している為、お客が居る場合は泊まるようだが、本日は誰も居ないようだ。

 

ところで薛家ではこの2年間に大きな変化があった。ホームページを開設、製茶を見せる企画も立ち上げた。今や旅行業も手掛ける。お茶農家も色々と大変なのだろう。

(3)隣の茶農家
実は今回ここに来る前にシンセンの茶葉世界で台湾茶を売るオーナーから別の茶農家を紹介されていた。きっと近くだからと言われていたが、薛さんに聞いてみると何と隣の隣で、しかも奥さんの親戚だと言う。この辺は皆がかなり近い。

そこに行ってビックリ。2年前夕飯を食べた食堂は正にここであった。そうだったのか?入って行くと先客がいたが、薛さんの紹介で快く迎えられる。薛さんも同席してお茶を頂く。ここのお茶も同種の物であるが、シンセンで売る際にはかなりの火を入れて味を極端に変えている。実は私はこの味が好きでシンセンで購入している訳だが、台湾人からすれば、不本意らしい。『清香』が台湾の高山茶であろう。大陸の人間は何故この味が好きなのだろうと、半ば呆れ顔でサーブしてくれたのは印象的であった。

表では従業員が晩の用意で竹の子の皮を剥いている。何とも田舎の風景である。レストランは奥さんが切り盛りしている。『田ママ』(田んぼのおかあさん)と言う愛称が名刺に刷り込まれている。今年の茶摘が遅いのは、今年が閏年だからという。そうなのだろうか?

(4)嘉義へ下る
その後茶荘に戻る。取り敢えず珠露茶を4斤買う。150g毎に小分けにして貰う。値段は1斤NT$1,600と前回と変わらないが、特別にNT$1,500にしてくれる。おまけに檜の樹液の入った小瓶をお土産に貰う。開けると良い匂いがする。阿里山では檜がかなり取れるのだという。もう1つ嘉義名物の方塊酥を頂戴する。これはお茶請けにぴったり。ちょっと甘くてサクッとしている。

今日はどうするのかと聞かれる。何時も計画が無いので困る。但し今日はこの民宿には客が居ないようなので私も宿泊は遠慮する。嘉義に戻ると言うと送って行くという。聞けば高校3年のお嬢さんは受験直前で嘉義の街に残って勉強しており、高校1年の長男は家に戻ってきているが明日学校なので送り届けると言う。そうかこの山の中には高校は無いのである。実際には阿里山山頂付近には高校があるようだが、薛さん自身も子供の頃、嘉義と台中で学生生活を送っていた。

ボルボに薛さん一家4人と私が乗り込み出発した。途中で公道から外れて近道を行く。薛さんが『公道の無かった子供の頃親と一緒に山を歩いて降りたことがある。道は険しく歩くのが大変だった。30時間ぐらい掛かった。』と話す。我々はその山道(但し舗装されている)をスイスイと下る。嘉義から歩いて登ったこともあるという。倍は掛かるだろうか?山での生活は厳しいものであるのを思い知らされる。そして何となく親子の情が交わされる情景を想う。

大自然がそこにある。竹の林も多く見られる。高原野菜や胡蝶蘭などの花を栽培するビニールハウスは見られるが、本当に人工的なところが少ない。実に伸びやかな気分である。公道に戻り平地に近づくと目の前に大きな太陽がある。夕日が大きい。私は夕日好きである。ただ見とれる。黙る。一家も何も言わない。子供達は寝ていたのかもしれない。

(5)夕食
薛さんが『嘉義の名物、鶏肉飯をたべよう。』と言う。夕飯まで一緒にしてくれるとは思っていなかったので、素直に感激。店は嘉義で有名な『噴水鶏肉飯』である。街の中心にある七彩噴水池の横にある本店は昔の屋台風の作りで歴史を感じさせるが、連れて行ってくれたのは、ファーストフード店の様な綺麗な支店であった。この店は嘉義に5店舗を有する。

奥さんは車で何処かへ行ってしまい、薛さんと男の子2人と一緒に入る。鶏肉飯の他、野菜・スープ・豆腐などが並ぶ。鶏肉飯は名物であり美味い。男4人である。アッと言う間に平らげる。奥さんが女の子を連れてくる。長女である。高校3年で親戚の家に下宿している。統一試験は2週間後とのこと。英文科を目指している。日本の高校生と異なり非常に純粋で好感が持てる。

食後車でホテルへ送ってもらう。一家で心配してくれフロントまで付いてきて、値段を確認してくれる。NT$1,380朝食付き。安い。リーズナブルなホテルを選んでくれている。その心遣いが嬉しい。突然やってきた異国の人間にここまで親切に出来るのだろうか?分かれる時には思わず涙が出そうになってしまった。

チェックイン後近くの本屋を回り、お茶関係の本を買い込む。前回お会いしたHさんよれば、お茶関係の本は台湾が多く、行った時は必ず買うのだそうだ。確かに茶芸雑誌、各種専門書、茶園ガイド等。嘉義の夜は本に埋もれていった。

《台湾茶産地の旅-2001年坪林》

《中国茶産地の旅-台湾編》

2.2001年7月 坪林
(1)台湾へ
2001年5月に北京より香港に転勤になった。香港勤務は2度目だが、今回香港で真っ先にしたかったことが台湾訪問。北京で中国茶修行を1年以上行うとどうしても台湾の高山茶が買いたくなった。

赴任して直ぐに香港返還記念日の3連休があることに気付く。早々飛行機を予約。同じ会社のOさんが同行。5年ぶりの台北に胸が高鳴る。キャセイのパッケージで予約したホテルはインターコンチ。5年前にはそんなホテルはなかった。やはり台北は変わったのか?ホテルに着いてみるとそこは昔は別の名前だったホテル。リノベーションしてきれいになっていた。街全体も心持きれいになっていた。

(2)新しい茶芸館
台北にはおしゃれな茶芸館が沢山あると聞いていたので、先ずその内の1軒に行く。『回留』という名の茶芸館は小さな公園の横にあった。まるでフレンチレストランのような外装で、如何にも若い女性が好みそう。

 

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中に入るとかなり広い。裏には陶芸場(?)のような施設もある。特級の高山茶を頼む。蓋碗を頼み、入れる。香が重い。どうやら重火で焙煎しているようだ。香ばしい感じはある。オーナーの女性は『有機栽培により環境に配慮した茶を心掛けている』という。お茶請けに甘いお菓子やひまわりの種が出る。

1時間ほどいたが、お客は日本人の女性が多いので驚く。昔台湾に若い女性の二人連れなどはあまり来なかった。世の中は変わったのだなと思う。皆ガイドブックを片手に探してやってくる。しかしこれでは、表参道の茶荘に行くのと変わらない。彼女らは台湾に何を求めてやってくるのだろうか?

夜は『竹里館』という茶葉料理で有名な店に行く。昔からの友人、王さんも一緒だ。王さんもこの店は初めてとのことで、きれいな店で驚いていた。確かにきれいで、日本人に受けそうな感じである。

お店の人に聞くとここも日本人客が多いという。棚を見ると高そうな高山茶が並んでいる。しかも陳年という年代物だ。毎年一度焙煎を行い、風味を保つ。よく烏龍茶は何年持つのかと聞かれるが、ある意味では何年でも保つといえる。但し風味や品質は変化するが。

茶葉料理は先ず先ずであった。龍井茶を使った定番、龍井蝦仁、ジャスミン茶とあさりを使った台湾的なスープ、清香茶蛤蜊湯、そして高山茶炒飯。あっさりしていて、食べ易い。しかしお茶代も入れて、一人日本円6,000円もするのは、日本価格か?

 

(3)馴染みの茶荘
『回留』や『竹里館』のような比較的新しい茶芸館は中国茶の世界を広げられるが、やはり私にとっては台湾の馴染みの茶荘が心地よい。実は前回の香港駐在中、台北出張の折には必ず立ち寄っていた茶荘があった。そこは大きな通りから少し入っており、正直道も忘れてしまっていた。あれから5年、もしかしたら店も無くなっているかも知れない。

そんな不安を胸に道を探す。漸く何とか辿りつく。驚いたことにその店は5年前と全く同じ姿であり、中を覗くとおばさんが5年前と全く同じ姿でお茶を入れていた。入ると相手も一瞬『誰だっけ?』という顔をしたが、直ぐに思い出したように『歓迎』という。

以前出張で来た時は、お茶を買うというよりも台湾の経済情勢を聞くという意味合いが大きかった。お茶は嗜好品であり、景気が良いとよく売れ、悪いと売れ行きが悪くなる。また茶を買いにくる人々から色々な情報が入る。台湾株や台湾企業の話も出来る。業務上も便利であった。(江戸時代の髪結いのようだ)

今回も行く早々銀行がどうしたの、台湾の失業率が上がったの、と話が弾む。同行したOさんは目を白黒させている。何でお茶屋のおばさんが失業率が5.3%であることを知っているのか?それが台湾なのである。そしてそこが日本の弱いところではないのか?

この店の夫婦は台湾中部の南投県の出身で、実家で作ったお茶を売っている。南投はお茶所、高山茶や東方美人の産地である。今回その特産の茶を買う。香りが良い。味は独特。東方美人はマイルドで女性に人気がある。

(4)坪林
翌朝台北郊外の茶園に行こうと出掛ける。聞いた話では台北動物園の近くに猫空という場所があり、観光茶園があるという。新しく出来たMRT(モノレール)に乗り、動物園駅で下車。駅前に停車しているタクシーを捕まえ、猫空に向かう。1時間300元という。

途中話をしていると猫空は先日の大雨で土砂崩れがあり、道も一部不通となっている。茶の出来も悪い。観光でちょっと見るには良いが、本格的に茶畑を見るには坪林だという。面白そうだと思い、猫空を捨てて坪林へ行くことにする。

坪林には茶葉博物館がある。先ず見学。茶の歴史、製法などを紹介している。広い庭を歩くと気持ちが良い。台北と比べて空気も良い。茶芸館もあるが、入る気はしない。

運転手が山道を行く。茶農家に案内するという。かなり急な坂道を登るとそこは茶畑。別世界のような山の畑の風景がある。いきなり一軒の茶農家にタクシーが乗り入れる。運転手が話をすると招きいれられる。回りには茶の製造道具が置かれている。

奥に大きなテーブルがあり、近隣の人が数人茶を飲んでいた。珍客到来で皆好奇の目で見ている。40歳ぐらいの主人、張さんが茶を入れてくれる。なかなか誠実な人物で丁寧な印象。またその父親は70歳を越えていたが、日本人に会うのは50年振りだと言っていたく喜んでくれた。仕舞いには日本語を思い出したいといって『あいうえお』を教えてくれと言う。

ここの茶は文山包種茶といい、以前は大陸福建省で作られていたが、緑茶の無い台湾で好まれた為、台湾でも作られるようになった。今では大陸には包種茶は無い。発酵度が極めて低く、僅か数パーセント。緑茶に似た香があり、味わいも深い。日本人にも好まれるお茶であるが、それほどには知られていない。張さん宅の庭からは、雄大な包種茶畑が見える。彼の畑はもう少し上にあるようだが。

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昼近くなると当然のように昼食を食べて行けと言われる。あまり茶に興味のないOさんは早く帰りたい様子であったので断っていたが、その内今日の昼はこれだ、といって何と生きたすっぽんを持ってきた。これには流石に驚いて更に断ったが、運転手は美味しいそうなものが出て来た、といった面持ちで一向に腰を上げない。勿論彼にとって時間が掛かればそれだけ実入りがあると思っている面もある。

帰る、帰らないと言っている間に『ヘビ、ヘビ』といって家の人が袋を持ってきた。Oさんは耐え切れず、外へ飛び出す。しかしよく見てみるとそれは川蝦であった。発音が悪くヘビと聞こえたのだ。この蝦がかなり美味しい。塩味で揚げただけだが、酒のつまみに丁度良い。

そうこうしている内に、卓に料理が並ぶ。すっぽんの炒め物もある。あとは裏の畑で取れたほうれん草、ヘチマ、山で取れたたけのこ等で実に美味しい。やはり新鮮な野菜は美味い。卓にはおじいさん、張さんはじめ近所の男性が数人食べている。女性と子供は後回しのようだ。しかし大人数で食べるというのは良いものである。広い土間で食べるのも良い。要するに気に入ってしまったのだ。

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おじいさんが卓の料理を差し、仕切りに日本語を言っている。どうやら一部思い出したようだ。但し単語は全て食べ物の名前である。いも、ヘチマ、キュウリ等等。想像するに60年前おじいさんが子供の頃は食べる物があまり無く、苦労したのではないだろうか?日本は戦前台湾で何をしたのだろうか?現在台湾人は親日的であると思われるが、決して日本の統治が良かったのではないのでは?後から来た蒋介石の国民党が悪すぎただけでは?おじいさんはそんなことは全く考える様子もなく、無邪気に、子供のように単語を並べている。何となく、物悲しいものを感じたのは私だけだったろうか?

帰る時おじいさんは私の手をしっかり握って涙さえ浮かべていた。感激である。車が出ても一生懸命手を振ってくれた。

少し行った所で、何とバックを忘れたことに気が付いた。戻るとおじいさんが庭に立っていた。何時帰ってくるかと心配していたようだ。もし戻らなかったら、バイクで台北に届けに行くつもりだったという。ホテルも分からないのに。思わず涙が出てしまった。このような暖かい言葉を聞くことは最近先ず無い。私の台湾好きは益々高まるばかりである。

因みにこの茶農家には2003年9月に家族を連れて再訪した。おじいさんの姿は見えなかったが、おばあさんは元気に台湾語で話し続けていた。この年は雨量が少なく、茶の出来が悪いと言われていたが、飲んでみると美味しいお茶であった。丹精込めたお茶にはやはり味わいがある。

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(5)台北の茶荘2
台北に戻った私はもう1つ行きたい茶荘を探した。『林華泰茶行』。重慶北路にあるこの店ははっきり言って気を付けて見なければ通り過ぎてしまうほど地味な、というより茶荘というよりは茶工場といった構えである。実際裏では乾燥や焙煎を一部やっている。

入ると更に異様である。大きな茶缶に白豪烏龍茶、高山茶等が山盛りに入れられており、客は半斤(300g)単位で買って行く。試飲は出来ず、茶葉を見て決めるしかない。作業しているおじさんは上半身裸で、まるで少林寺にでもいるような頭をしていて怖い。

値段は良心的。コストが安いのが要因のようだ。机も椅子も全て年代物。しかし何より年輪を感じるのは、オーナーの林氏であろう。私が行った日も部下に体を支えられながら、帳場にやってきていた。95歳で尚お茶に情熱を傾ける。理想的な人がそこにいる。

最後に『三希堂』。故宮博物館の見学が終わった後は、4階の喫茶室である三希堂で一休みする。これは昔からの習慣である。台湾ではお茶を飲む時日本的なお茶菓子が出る。大陸はスイカの種程度である。三希堂では豊富なお茶菓子が味わえる。落ち着いた空間である。

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昔ここでお茶を飲んでいると大雨となってしまった事がある。偶々おじさんが一人で我々のテーブルに来たので、一緒にお茶を飲み始め、結局おじさんの車で市内まで送ってもらいそれでも分かれ切れずに夕飯を一緒に取った事が思い出される。今は流石に古き良き台湾も無くなろうとしている。その中でお茶農家の人々、老舗の人々は僅かに残った良き風習を今日も守っている。

《台湾茶産地の旅-2002年阿里山》

2002年3月 阿里山 石棹
(1)阿里山へ

ふと思い立って高雄に降り立った。何の当ても無く、行ったことがないという理由で嘉義に向かう。その夜関子嶺の温泉宿で『そうだ、この辺にも茶畑があるのでは』と思い、おじさんに聴いてみたが、『ここには茶畑は無い。』と一言で言い切られてしまう。

翌朝起きると朝ごはんがある。簡単な粥を食べていると隣で呼び込みおじさんも食べている。従業員と客が一緒に食べているのが面白い。おじさんが『茶畑に本当に行きたいのか?』と聞いてくる。行きたいと言うと、何と阿里山中腹の茶農家を紹介してくれた。これだから行き当たりばったりの旅行は面白い。

嘉義の駅前に戻り阿里山行きのバスを探す。探すまでもない。今は桜の花見シーズンで、多くの台湾人が山頂に向かうバスに乗っている。私はといえば、途中の良く分からない地名の切符を言われたとおり買う。確か103元。バスは満員の乗客を乗せて出発。平地の間に数人が下りた後は、ひたすら山道を登る。偶に観光客相手に農作物や飲み物を売る掘っ立て小屋がある他は、人影も見えない。何となく心配になる。私が行く石棹は何処にあるのだろうか?唯一の手掛かりはガソリンスタンドが見えたら降りろ、ということだけ。

隣のあばさんに聞くと未だ先だ、といっていたが、やがてそのおばさんも降り、不安で一杯になる。後ろの方では大学生の団体が花見気分で騒いでいる。あれ、と思った時はもう遅かった。ガソリンスタンドを過ぎてしまった。仕方なく、次で降りて電話してみる。電話には女性が出て、居場所を伝えると直ぐに迎えに行くという。勝手にしかも突然来た上にこれでは申し訳ない。

(2) 石棹

暫くするとボルボが停まった。おじさんが降りてきて私の名前を呼ぶ。お茶農家の人がボルボに乗っているところが台湾らしい。これが薛さんとの出会いであった。お茶農家には直ぐに着いた。農家というより、道路沿いのそしてガソリンスタンドの真ん前の民宿であった。因みに阿里山に登る道でガソリンスタンドはこの1軒しかないというのには驚いた。これが国営中国石油だ。この立地で1階でお茶販売、2階で民宿をやっている。

中に入ると薛さんの奥さんが暖かく迎えてくれた。早速お茶が振舞われる。これが独特である。香は高山茶であり、その上味わいが深い。忽ち気に入ってしまう。薛さんは私の為に昼の弁当を買ってきてくれた。どうやら隣のレストランで作っているらしい。これが又絶品。キャベツなどの野菜が新鮮なのか美味い。

食べ終わると又茶である。幸せな気分。そうして1時間ぐらい飲んでいたら、今夜は泊まって行くかといわれる。民宿だから気兼ねなく泊まれる。今夜は満員だが、何とか一部屋空けるという。おまけに今は茶摘のシーズン。薛家は今日茶を摘んでいないが、他家で摘んでいるので夜製茶現場を見に行けると言う。これは凄いことになった。

取り敢えず薛さんの茶畑を見せて貰う。車で5分。ここは海抜1,300mぐらいだが、この茶畑は見晴らしが良い。茶は2種類。珠露と金宣。畑は摘み取りを待つ茶葉がきれいに並んでいる。大陸の畑よりかなりきれいだ。手入れが行き届いている感じがする。

 

農薬はかなり厳選して使用している。袋を見ると日本製のようだ。また畑の至る所にスプリンクラーが設置されており、水不足に備えている。如何にも台湾的な自主改良だ。道の下側には、製茶場がある。薛さんは仕事があるのでそちらに向かう。私はこの景色が気に入り、1時間ほど一人でボーっとしてから戻る。

 

戻るとまた奥さんとお茶を飲む。奥さんに寄れば、茶摘は全て手摘みである。昔から摘んでいる近郊の女性が摘みに来る。ただ最近は女性の年齢が上がり、おばあさんばかりになってしまった。若い人はやりたがらない。日本の20年前と同じである。おばあさんだから能率は上がらない。休んでお茶を飲むことも多く、給与以外にお茶菓子、弁当も出さなければ来てくれない。早晩この体制では手摘みは難しくなる。大陸から安い労働力を入れたいところである。

日本人でここに来た人は他に一人だけ。台北から台湾人に連れられてきたようだ。外国人に慣れていないから、最初は私が何者で、何の目的か分からず戸惑ったとのこと。そんな話をしていると突然大型バスが停まり、大勢の人が降りて来た。一目で大陸の人と分かる格好だ。中へは入らず奥さんと何か話していたが、行ってしまった。聞くと雲南省から来た茶の視察団だという。但し多分に観光目的であり、茶の話を少し聞けば用が足りるという。最近この手の大陸人が多く来るという。大陸中国人が団体とはいえ、台湾は入れるようになったのはほんの最近のことだ。省や市の役人が物見遊山に来るのはよくある話しだろう。

(3)花見客
夕食は隣のレストランで済ませた。宿泊客が多い為、早めに行くように言われていた。しかし6時になっても誰も来ない。本当にこの民宿に客が来るのだろうか?

このレストランが又安い。昼の弁当は35元だったそうだ。夜は豪勢に100元を出したら、キャベツ炒め、鴨肉、スープが出て来た。インドネシアからのメイドが手伝っていた。裏で取れた野菜・メイドのコストも安い。

戻ってみると大勢のお客が着ていた。皆騒がしい。会社の旅行のようだ。十数人いた。に家族連れが1組。この民宿の1階はかなり広く、2つの大きなテーブルがあり、茶が飲めるようになっている。この客は特にお茶が好きで来た訳ではなく、花見に来たのであるが、そこは台湾人。皆ここのお茶を誉めながら、自分の話しを延々とやっている。

奥さんが私を皆に紹介してくれた。初めは、皆変な外人といった扱いであったが、その内打ち解け話に花が咲く。台湾の経済が悪いこと、大陸に行く人が多く、会社が移転するなど、あまり良い話ではないが、決して暗くならないのが良い。

製茶を見に行く話が出ると、皆も行くと言い出す。酒を飲んでいる訳でもないのに、何だか酔っ払ったように出掛ける。そういえば台湾人は何時も酔っ払っているように見えないこともないが。

 

(4)製茶
そうして皆で茶を飲んでいる間に薛さんは何度も茶農家に電話を掛けている。行ってよいかどうか確認しているのだ。結局夜10時に本日茶摘をした茶農家へ。私も誰かの車に分乗する。

行ってみると茶農家のおじさんもビックリしていた。まさかこんなに沢山くるとは思っていなかったのだろう。製茶場は広いので問題は無いが、皆がテンでバラバラな質問をするのには困ったろう。台湾人は好奇心が旺盛である。
私は反対に黙って発酵を促す萎調をさせている茶葉を見ていた。摘んだ茶葉を日中天日で干し、夕方から室内で萎調させている。その後揉んで出来上がる。その過程を全て見るには朝まで掛かる。この時期農家は何日かに一度徹夜になる。

大陸の茶農家に比べて勿論機械化は進んでいるが、基本はやはり手作業のようである。乾燥も機械の性能が良ければよいと言うものではない。時間を短縮することも出来ない。面白いものである。紅茶のプランテーションのように機械の流れ作業とならないところが良い。手作り感がたまらない。

皆写真を取り捲り、飽きてきたようだ。時計を見ると12時になっている。おじさんからは朝まで見て行っても良いと言われたが、流石にそれはお邪魔だろうと思い、残念ではあったが、戻ることにした。

(5)地震
翌朝私以外の宿泊客は早くに宿を出て花見に行ってしまった。起きると奥さんが朝ごはんを買って来てくれる。本当に色々と気を使わせてしまった。
最後にお茶を頂きながら、珠露を2kg買い込む。また奥さん特製の茶梅も買い込む。彼らは私が茶を買うと思っていなかったらしく、驚いていたようだ。ここまで来て、こんなに美味い茶を買わないはずが無いと思わないところが又良い。

帰りは又バスに乗る。当然のように時間通りに来ない。心配した薛さんは態々前のバス停に私を連れて見に行ってくれたが、その際下りのバスと擦れ違ってしまい、1本乗り損ねるハプニングもあった。しかしそこが又何とも微笑ましい。

 

嘉義に戻り、台南に向かう。実は台南の1つ前の駅に永康という駅がある。家内より土産を頼まれていた。それは何と永康駅の切符を買ってきて欲しいと言うもの。『蘇永康』これが彼女の最も好きな香港シンガーなのである。

永康駅は予想とは異なり、何も無い駅であった。丁度昼時で何か食べようと思ったが、レストラン1つ無い。あるのは工場だけ。駅前に土産を売る店があったが、そこのおばさんは『蘇永康』すら知らない。

午後台南市内を歩いていると担担麺屋がある。台南名物である。そのかなり古い店内で麺を食べていると少し揺れが来た。途端におじいさんとおばあさんが外に飛び出す。近年台湾では多くの地震があり、台北で建物が崩壊したのも記憶に新しい。

結局震度2程度であったので、気にも留めずにいたが、夜ホテルに戻ってテレビを見ると何と台北で建設中の101階建てビルのクレーン車が落下して死者が出ていた。阿里山は大丈夫であったろうか?最近台湾では地震と大雨が続き、お茶畑も土砂崩れなどで壊滅した地域もある。農業は自然との闘いである。品種改良に努めると同時に自然災害に対する対策も必要なのである。