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梨山に登る2014(5)梨山 茶業の厳しさ

もう一つの茶園へ

それからもう1つの茶園へ行くことに。そこは面積的には狭く、樹木に囲まれた四角い場所。Johnnyの会社が所有する茶園だった。ここでも大勢の摘み手が朝から懸命に摘んでいた。道路から下へ降りようとしたが、意外や急で足を滑らせそうになり、止める。本当に高地の茶畑はどこでも急な斜面にあり、危険が伴う。

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そしてもう一つの危険、雨が近づいていた。勿論山の天気、一日中晴れていることなど殆どないらしいが、今日はかなり長い日照時間が確保されており、雨が降る前に出来るだけ摘んでしまおうとしている様子に厳しさが滲む。日差しが閉ざされるだけで心が沈む。ちょっとJohnnyと話している間に、形勢は一気に変わってきた。突如周囲が暗くなり、大粒の雨が落ちてきた。それでも切のよい所まで摘むのだろうか、手を動かしていた摘み手たちも、横殴りの突風が吹いてくると、一目散に逃げ出した。私は傘を差したが、その傘は役に立たず、我々も車に向けてダッシュ。ところが足が滑り、危険この上ない。

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ようやく車に潜り込んだ時には服はかなり濡れていた。体感温度もかなり下がっている。山の天気は変わりやすい、とは聞いていたが、これも一つの茶業リスクだろう。摘んだ茶葉は直ぐに工場に運ばれたようだ。品質に影響があるのだろうか。

 

茶旅を紹介

工場では布に包まれた茶葉が機械で揉まれていた。かなり固くなると、また布を取り、また揉む。先日訪れた福建省安渓の張さんは布を巻く、取るを一人でやっていた。ここには何人もの若い従業員がいて、どんどんこなしていく。改めて張さんの偉大さを見た思いだ。

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Johnnyには大変世話になっている。何かお役に立ちたいが、製茶作業は私にはできないし、茶摘みも難しいだろう。彼からは『出来るだけ茶旅の話をしてほしい』との要請があったので、安渓からダージリン、スリランカやトルコ、ベトナム、インドネシアと思いつく限りの茶旅を話した。作業をしている人々も時々お茶を飲みに来る。Johnnyのオジサンで茶師の人などは、興味を持って茶旅を聞いてくれ、意見を交換した。茶商や生産者は当然ながら忙しいので、なかなか他の産地へ行くことが出来ない。ましてや海外となると、時間が取り難い。まあ作業の合間、ちょうど良い気晴らしも兼ねて、聞いてくれたのだろう。

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夕飯がやって来て、また美味しく食べる。今日は雑炊のような物が出ており、胃腸に優しかった。ここには若者がかなりおり、食事もカロリーが高そうなものが並んでいるが、美味しいのでつい食べてしまう。私は労働していないのでどう見ても食べ過ぎ。食後はまた、お茶を飲み、話す。なんとまあ、贅沢な時間だろうか。向こうの工場では機械が回り、茶が作れている音が微かにする。

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5月26日(月)

茶商がやってくる

翌朝も快晴だった。これは凄い!喜びで起き上がる。『私はやっぱり晴れ男だ!』と胸を張る。今日は宿のオジサンが麺を作ってくれた。昨日は量が2人分はあったので今日は少なくお願いしたが、それでもかなり多かった。

 

晴れているので気分が良く、外へ出た。工場までの道を歩いて行くと、今日も雲がきれいにかかり、景色は抜群だった。こんな日ばかり続けば苦労はないな、と経営者気分になる。工場に行ったが、誰もいなかった。昨晩の作業が遅く、まだ寝ているのかと思い、外を散歩した。宿の辺りまで戻り、別の道を行く。この辺は茶畑ではなく、高原野菜の畑が多い。どう考えてもこちらの方が手間もなく、儲けが出そうだ。お茶は茶葉を摘むだけではなく、製茶しなければならないが、キャベツなら、育ったら畑から採れば出荷できる。茶畑が消えていく理由は明白だ。

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工場に戻ったが、相変わらず誰もいない。するとそこにJohnnyから『どこにいるんだ?』という電話が。オフィスにいるというと、すぐにやってきた。彼は寝ていたわけではなさそうだ。ただ首が痛そう。寝違えたというが、それだけではあるまい。かなりの精神的な疲労が重なっているはずだ。既に山に籠って1か月、思うようにならない天気と戦っているのだ。良いお茶が出来なければ経営も出来ない。けんちゃんが『朝4時まで作業した』と欠伸をしながら起きてきた。慣れているとは言うものの、やはり肉体的にも精神的も厳しい。

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そんなことを考えていると、外に車の停まる音がした。4人ほどが下りてきて中に入ってくる。若者がJohnnyを訪ねてきた。高雄から来た茶商一家だという。早速試飲が始まった。ここは真剣勝負、和やかな中にも、厳しい空気が流れる。若者はしきりに質問していたが、お父さんは一口飲んでレンゲを戻し、横を向いてしまった。若者はJohnnyにせがみ、工場見学をしていたが、その間、お父さん、お母さんはつまらなそうに雑談していた。お茶にはもう手を出さなかった。

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彼らが帰った後、そのお茶を飲んでみると、それほど良い出来のものではなかった。『商売ならどうしてもっと良い物を出さないのか』と聞くと『彼らとは過去に取引はない。本当に良いお茶は常連さんに渡す分しかない』という。お父さんが一口で止めたのも頷ける。この駆け引きは面白い。素人ではこうはならない。お父さんは息子に修行させているのだが、息子はまだ素人気分が抜けていない?または将来に備えて、好を敢えて結ぼうとしている、ということか。この世界、相当に難しい。

梨山に登る2014(4)梨山 急斜面の茶畑

炒青

昨晩寝かした茶葉を朝4時頃から順次電気釜に放り込み、炒青が始まっていた。単に窯に入れて炒ればよいというものではなく、茶葉の状態、気候の状態などに配慮して、出来るだけきめ細かく対応している。担当者は時々手を入れて茶葉の状態を確認している。乾き過ぎず、水分を適度に残す作業はなかなか難しい。発酵を止める段階で茶葉をあまり傷つけると、茶の味に影響するらしい。徐々に茶葉が多く集まってきているようで、6台の釜が全て使われている。茶葉を取り出して状態を見て、足りないようなら再度入れている。これは意外と大変な作業だ。集中力が求められる。

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Johnnyが炒ったばかりの茶葉を掴み、オフィスへ向かう。この時点の茶葉の味を確認している。全ては同じ要領で、カップにたっぷり熱いお湯を注ぎ、レンゲで香りをかぎ、茶葉を確かめる。何度も首を傾げながら、茶を飲む。味わうのではなく、舌とあごの内側で感じ取るようだ。納得がいかなければ戻って指示を出す。経営者の仕事は大変だ。

 

茶園

急にJohnnyが『茶園に行こう』と言い出す。願ってもないことなのですぐに車に乗り込む。出来るだけ彼の邪魔をしないようにしようと思っているが、彼の方は気を使ってくれているのかもしれない。有難いことだ。いずれにしても晴れている間にたくさん摘まなければならないのは確かだ。

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山道を10分ほど行くと、車は突然停車。どうしたのかと思って下りてみると、何と細い道から下が見え、茶摘みが行われていることが分かった。ただあまりにも急な坂道でどうやって降りるのだろうかと懸念していると、下から遊園地のジェットコースターの小型版が上がってきた。茶葉が積まれており、スタッフも一人乗っていた。そして・・・?

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何とこの車に乗る。それも一番前に。完全に直滑降だ。高所恐怖症の私はジェットコースターだって殆ど乗らない。でもこの場合、乗らないという選択肢は考えられず、目をつぶるしかない。後ろにはJohnny、その後ろにはスタッフが乗り込んだ。私はしゃがみこんでおり、一番安定したポジションを取っている。それでも動き出すと真っ逆さまに落ちていく感じで怖い。目をつぶると、目が回りそうで怖い。どうにもならない。

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僅か2₋3分だったはずだが長く感じられた。よろよろと地面に足をつけると、目の前には大勢の女性たちが茶葉を摘んでいた。いっぺんに酔いが醒めたように、写真を撮る。景色としては絶景だが、この急傾斜で茶葉を摘むのは大変な作業だろう。比較的若い女性もいる。外籍新娘と呼ばれる外国からの労働者だろうか。台湾人と結婚している働き手もいると聞く。

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『茶葉は朝早く摘むと朝露が付いて水分が多いため、午前中の遅い時間が良い』とJohnnyは言う。それでも早くから稼ぎたい摘み手は朝7時ごろから活動しているようだ。彼女らの給料は『摘んでなんぼ』らしい。給与水準はどんどん上がっている。重労働の上、万が一地震でもあれば、リスクが伴う仕事。摘み手は年々減っているが、それを外国人が補っている状況だ。

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また摘み手によってスピードもかなり異なり、丁寧さも違っている。このような労働者を如何にコントロールするかはいいお茶を作るポイントになる。茶農家は懸命に『きれいに摘め』と指示を出す。農家としては以下の多くの量を納めるかが大事。Johnnyは如何に質の良い茶葉を大量に確保するか、という一番難しい立場になる。

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茶樹の中には病気なのか、葉が出ない物もある。Johnnyは何故こうなっているのか、丹念に調べている。分からない物は持ち帰り、検査するようだ。分からない物を放置しない姿勢、忙しさにかまけて蔑ろにしない姿勢、えらいと思う。

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帰りのジェットコースターは登りだが、更に怖かった。どんどん吊り上げられていく感覚は本当にジェットコースターそのもの。上にたどり着いた時は、生きた心地がしなかったが、とてもいい経験をした。

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原住民の部落

昼ご飯をまた美味しく頂いた。本当にお茶関係で食べる飯は美味い。食後、またお呼びがかかる。タイアル族のけんちゃんと呼ばれている工場総監が『タイアル族の部落へ連れて行ってくれる』という。これも行かない手はない。Johnnyの車に乗り込み、けんちゃんの後を追う。因みになぜけんちゃんという名前なのかはよくわからない。

 

20分ほど行くと、山の中にちょっと立派な建物が見えてきた。この集落は90年代にこの地に起きた大型台風被害の後、政府が建てて、原住民に提供したものらしい。部落へ降りていくと、そこにはけんちゃんの家もあった。2階建てのかなり広い部屋だったが、彼は一部屋だけを使い、後は茶摘みで泊まりこむ女性たちに提供していた。簡易なベッドに簡易なシャワートイレ。食事の材料も提供し、自炊するらしい(昼は茶畑で弁当)。これも摘み手確保の重要なポイントらしい。

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部落の入り口で若者に出会った。彼らは珍しく部落に残っている。『この辺は茶園のお蔭で飯が食えている』と言っていたので、茶業関係で働いているのかもしれない。残念ながらこの辺りに農業関係以外に他に仕事はなさそうだ。

 

因みにこの付近は4区、5区などと呼ばれている元軍区。蒋介石が大陸からやってきた後、戦いが無くなって余った兵士を山中に駐留させ、開拓などを担わせたらしい。屯田兵だが、特に辺境警備などはないから、一種の放置だったかもしれない。それでも原住民などには大きな影響があっただろう。

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梨山に登る2014(3)梨山 心浮き立つ晴れ間

華剛茶業で(http://www.hgtea.com.tw/

福寿山農場で待っているとJohnnyがランドローバーに乗って迎えに来てくれた。それにしても寒い。車はどんどん登っていく。まさかこんな高い所へ来ると思ってはいなかったので少々驚く。10分ほどで茶工場へ到着。工場内は非常に清潔、早速お茶を飲み始める。暖かい。

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普通の年であれば、ちょうど今頃茶摘みは終わるという。ところが今年は天気が悪い。何と22日連続雨が降っているという。これでは満足な茶摘みが出来ないと嘆く。それでも毎日茶葉が運び込まれ、茶作りは行われている。私は雨に救われ、茶作りを見ることが出来ている。複雑な思いだ。

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工場の2階に上がると茶葉を干している。室内ではあるが、陽の光が差し込むように設計されており、温度調節などもきちんと管理されている。一面に広げられた茶葉は何とも落ち着く光景。その日の茶葉により、乾す時間も、温度も微妙に変わる。安渓の張さんのように少ない量を一人作るなら自分の感覚で出来るが、一日300㎏以上を作るとなるとそうはいかない。

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乾した茶葉は下に運ばれ、室内萎凋が行われている。今置かれている茶葉は今晩一晩寝かされ、翌朝炒青される。上の階には他に茶葉を検査する部屋もある。普通お茶は作られた後、農薬検査などをするようだが、ここでは運ばれてきた茶葉をまず検査し、基準を超える数字が出れば茶作りは行われない。本来はこれが正しい検査だと思う。

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因みに華剛茶業が持つ茶畑は多くなく、付近の茶農家と長年の付き合いで取引をして茶葉を集め、製茶している。農薬など必要な物は華剛が一括購入して、各農家に配る。これにより、農家ごとのばらつきを抑え、華剛が欲している茶葉を得ることが出来るという。華剛は元々茶商でスタートしたがJohnnyのおじいさんの時代にこの梨山に入り、茶葉作りを始めた。お父さんの時代に、現在の華こうにある製茶場を開業した。最近非常に有名になった大禹嶺の高山茶はおじいさんたちが切り開いたともいえる。

 

それにしても寒い。夕飯は工場で作られ、皆で食べる。私も今日から勝手に一員となり、働いてもいないのに飯を食う。この空間、雰囲気が何とも好きなのである。何人かは立ったまま食べている。そしてお椀は1つだけ。ご飯を食べたらスープが飲める。これは中国でも台湾でもよく見る光景だ。食事は肉あり、魚あり、野菜ありとおかずが多彩。そして冬瓜のスープもあり、体が一気に温まる。人間やはり食べなければいけない。

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食事が終わるとJohnnyが作り立てのお茶の試飲を始める。茶師であるJohnnyのオジサンも加わり、カップにふんだんに入れた茶葉を見、レンゲを突っ込んで香りをかぎ、真剣に飲む。とても食後のお茶という雰囲気はない。ただ長い時間飲んでいる暇はない。さっと飲んで簡単に意見交換して、また持ち場に戻る。私だけが悠長にレンゲから茶をすくって飲み続ける。正直3月に豊原のオフィスで飲んだ高山茶の味は出ていない。

 

民宿

一日目が終了し、9時過ぎに民宿に案内される。車で2₋3分の近さにある1階は商店のような宿。何と客室は地下にある。いや、客室が1階、入口は2階なのだろう。これも面白い。そして泊り客は私一人だけ。おばさんが色々と世話を焼いてくれる。ここに泊まる客は基本的に茶葉の買い付けや製茶に関わる人々らしい。

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地下に降りていくと、ログハウス風の部屋がいくつか並んでいる。部屋の中はこぎれいな作りだが、窓はない。清潔なベッドと掛布団を見て、安心して眠れそう。Johnnyが宿のおばさんに『寒いんだから電気毛布入れてね』と言ってくれていたらしく、ベッドには既に電気毛布が敷かれていた。部屋は最近使っていなかったのか、かなり寒いがこれで安心。

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先ほど夕食時にJohnnyがウイスキーを開け、『寒いから飲もう』というので一杯だけ付き合ったが、水割りでなくストレートであったためか、結構体に効いており、早々に布団に潜り込んで寝る。暖かかったが、お茶の飲み過ぎか、妙に頭が冴えて困った。

 

5月25日(日)

朝晴れた

翌朝6時に起きたが、窓がないので天気が分からない。6時半には上に行き、PCを使う。ここにもWIFIが飛んでおり、ネットは繋がった。但し地下には電波は届かない。外を見ると明るい日差しが目に入る。外へ出ると光がまぶしい。まるで昨日とは別の世界のように輝いている。おばさんが作ってくれた大盛り麺を平らげ、製茶場へ歩いて行く。

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道の両脇には畑が続く。キャベツやニンニクのようだ。向こうには雄大な山の風景が広がる。明るい日差しを受け、山は喜び、雲はうねっている。実に気持ちの良い朝だ。歩いていても足が軽くなるのが分かる。人間、人間も植物も陽の光がいかに重要か、良く分かる。昨日は天気の悪さに落胆していたJohnnyもこの天気に思わずはしゃいでいた。ただ彼は昨晩首を寝違えたようで、喜ぶたびに首を押さえて痛がった。私の経験から言えばこれは単なる寝違えではなく、『経営者としてのプレッシャー』が大きく影響していると思う。その意味でも今日の天気は何よりの薬のはずだ。

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梨山に登る2014(2)宜蘭経由で梨山へ

5月24日(土)

2.梨山

梨山まで

今日は梨山へ行く。梨山というと台中方面から行くものと思っていたが、Johnnyの指示は宜蘭から回ってくるように、とのことだった。台中方面は昔の自然災害で道が塞がっているらしい。先ず宜蘭までどう行くか、台北駅前の空港行きの出るバスターミナルで聞くと、ここではなく円山ターミナルだという。結構面倒だと思っていると、他のバス会社が駅前の大きなバスターミナルから頻繁に出ていることが分かる。

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朝飯がまだだったので、モスバーガーに入る。モスは25年前にお知り合いの台湾人実業家が台湾に持ち込んだのだが、最近は完全に現地化し、朝から繁盛している。サンドイッチとコーヒー、まずまずの味。作り置きしないのでちょっと時間はかかるが、何となくいい朝が迎えられそうな雰囲気がある。

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台北駅前のバスターミナルはビルの中にあった。初めて来たが、大きかった。5分おき、10分おきに、色々な行先のバスが激しく行き交う。係員が乗り間違えがないように大声で指示している。今日は土曜日ということもあり、日帰り観光の人々がどんどん乗り込んでいく。私が乗り込んだバスは板橋から来たようで、慌ただしく乗客を詰め込むと満員の状態であっという間に走り出した。バスのシートはゆったりしており、悪くない。

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バスは台北市内で1か所停まり、その後は宜蘭へ向かった。約1時間で到着。ここは郊外のバスターミナル、かと思ったが、近くに古い宜蘭駅があった。かなりレトロな雰囲気の漂う街並が少しだけ見えた。次回はここで降りてゆっくり歩いて見たい。バスに乗客もこの辺を目当てに、中には温泉を目指して散っていく。

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私はチケット売り場で『梨山行き』を買う。ただJohnnyからは『梨山の福寿山農場で降りる方が望ましい』という不可解なメッセージも入っていた。売り場の担当に言うと『福寿山農場へ行くのね』と頷いたので、安心した。バスに乗り時もわざわざ担当が運転手に『この人は福寿山農場、と念を押してくれた。

 

時間があったので食事場所を探したがあまりなかったので、仕方なくコンビニに入り、肉まんを買って食べる。ここにはイートインスペースがあり、乗客が食べられるようにしていた。有難い。

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バスは定刻にやってきた。観光用というか、かなり広いシートだった。荷物を前の荷台に載せようとすると地元のおばさんから『そこは郵政』と言われる。意味が分からず出発するとすぐに郵便局の前で停まり、大量の荷物が運び込まれる。このバスは梨山の人々の生活線でもあるようだ。因みに宜蘭からは1日2本しかない。

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バスはちょっと平地を走るとすぐに山道へ入る。川沿いを走る。小雨が降り始め、窓の外は見えにくくなる。2時間ぐらい走るとトイレ休憩がある。古い建屋で色々な物を売っていた。ここは一応観光客も来るが、地元民が普通の生活をしている場所でもある。更に2時間以上行くと武陵農場に着く。ここが梨山かと思ったが、リゾート施設があり、観光の人はここで降りていく。大自然の中に涼しさを求めて泊りに来るのだろうか。今日は週末ながら雨でお客は多くない。

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そこから山道をかなりいく。木々の様子も変わっていく。バスに乗ってから5時間半は経過していた。ついに梨山へ着いた。ここで乗客は降り、郵便物も下ろされる。さすがに2000mの高地、かなり涼しい。景色も良い。ここまで来たか、と思いがある。ところが・・、運転手がちょっと待っていろ、という。他にも2人の乗客が車内に残っている。福寿山農場にはまだ着いていないというのだ。一体どんなところなんだ。

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バスはまた動き出した。かなり急な坂を上る。すると中学生ぐらいの女子が乗り込んできた。小学生の男の子も乗った。何とこのバスは地元民向けの通学バスに早変わりしたのだ。ちょうど農場に運ぶ荷物があった場合、動くようだ。ということは、学校に通う子供たちは基本きつい坂を徒歩通学なわけだ。15分ぐらいで農場に着いた。Johnnyに携帯で到着を告げた。辛うじてアンテナが立った。寒いので建屋に避難した。ここにも宿泊施設がある。

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実は昨晩Johnnyからメールが来た。山の上は寒いから防寒の服装で来るように言われた。だが台北はその時32度、防寒用の服など見当たらない。取り敢えず、ユニクロに行ってみたが、あっても長そでのシャツまで。その隣の地元店を覗くと、端の方に特価品として青い上着が売っていた。長そでシャツと一緒に買い込むと何と日本円で1000円もしなかった。どう見ても誰も買いそうにないダサい服、結果的には毎日この服を着ることになるのだが、この服のお蔭で私の体は守られた、と言ってよい。

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梨山に登る2014(1)台北 同行取材で満腹

《梨山に登る2014》  2014年5月23日-6月4日

 

3月に久しぶりにやってきた台湾。やっぱり台湾は居心地がいいし、食事も美味いし、出会いもある。前回出会ったお茶屋のJonny、彼の茶園ははるか2500mの梨山にあると聞き、訪ねることにした。直前の沖縄の旅からそのまま台湾入り。だがJonnyと直前に連絡すると、『最近天候がおかしい。もしやすると23日頃で茶摘みは終わるかもしれない』と言われ、焦る。と言ってもどうなるものでもない。淡々と旅を進めるのみ。

 

5月23日(金)

1.台北

いきなり取材同行

いつものようにバスに乗り、台北駅前へ。そして定宿、EZStayへ。まあ何とも便利だ、相変わらず。宿へ行くとちょうどリビングに人が集まっていた。何と編集会議中だった。ここはGHだが、ガイドブック作成基地でもある。もうすぐ出版される今年の分の取材分担会議だった。

 

そしてそのままGHオーナーHさん達の取材に同行。台北駅の中に食堂街があり、その1つに入る。こんなところにきれいな食堂街があるなんて初めて知る。美味しいごはんが山のように出てきて、皆で真剣に写真を撮り、そして試食する。創作上海料理、小籠包、豚角煮からスイーツまで、いいな、この仕事、と思うが、何でも沢山食べなければならないのは意外と辛い。店側も宣伝のためのどんどん出してくる。

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その後Hさんの車で深坑に向かう。歴史ある儒昌茶行、3年前にHさんに連れられて、ここに王さんを訪ねた。王さんは茶商だが、静岡の試験場に研修に行き、日本茶にも詳しい、日本語もうまい若手台湾人、茶人だった。その後幕張のFoodexでも再会し、台湾茶の歴史についてなど、色々と教えてもらった。

 

その王さんが今年のFoodex後台湾に戻り、急逝した、と聞いた。正直信じられない思いだった。Hさんに伝えると『とにかく深坑に行こう』と言い、車で連れて行ってくれた。お店は開いていた。王さんのお母さんがお店に居たので、お悔やみを述べた。台湾ではこのような場合、どのような会話をするのだろうか、いや、日本でも同じだろう。お母さんは淡々とお茶を淹れてくれ、淡々と話したが、その顔には疲れが見え、そして口惜しさが滲み出ていた。かける言葉がなかった。王さんの訃報に接して日本から何人もの知り合いが訪ねてきたという。故人の生前が偲ばれる。

 

それからHさんの家に寄る。彼はこれからインドへ旅立つため、荷物を取りに来たのだ。先日私が行ったバラナシの伝説のゲストハウスを訪ねる予定。夕方の台北はラッシュアワー。バスに乗ったがなかなか進まず、MRTに乗り換えていく。夜7時前に台北駅前に着いたが、彼のフライトは何と9時発。急いで空港に行きのバスに乗って行った。

 

突然Yさんと

実は台北に着いた時、一つのメッセージを受け取っていた。それは『茶旅に連れて行ってほしい』という内容だった。だが相手は知らない日本人女性、Facebookのお友達繋がりだった。彼女は1か月、台北のお茶屋さんで仕事をしていたが、帰国前に茶畑など現場を見たいという希望を持っていた。だが私は明日の朝から梨山へ行く。いくらなんでも連れて行くのは無理だ、と伝えたかった。電話で話したかったが、彼女は携帯を持っていない。公衆電話から電話を貰ったが、なぜか途中で切れた。メールでやり取りし、今晩会うことにした。

 

三越の前で待ち合わせ、何とか落ち合った。見付からなかった携帯で連絡、が出来ないので意外と緊張した。彼女はSIMカードの存在を知らなかった。日本でも来年からSIMフリーらしいが、アジアではこれが常識。SIMが入る携帯を持っていないと使えないが、彼女も『そんなに安いのだったら、買えばよかった』と後悔していた。

 

取り敢えずどこかで食事、と思ったが、私は腹が一杯だった。さっき試食し過ぎた。ちょうど目の前が台北駅。ここは逆張り、さっき取材で行った店に行こうと考える。ところがさっきは皆に着いていって行けた店になぜか自力では辿り着けない。一体どうなっているのだろうか?きっとこれは行くな、というお告げだ。

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仕方なく、Hさんに教えられた四川料理屋へ行ってみる。店は3階にあり、エレベーターで上がると、お客が沢山待っていた。人気店だ。店のおばさんに聞くと10分でテーブルが空くという。メニューを見ると美味しそうだったのでそのまま待ち、Yさんとお茶の話を始める。話は止まらない。いつの間にか席に着き、食事をしていた。そして梨山から台北に私が戻った後、どこかのお茶屋へ一緒に行こうということで話はまとまる。

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締め出し

夜10時前、GHに戻る。今日は満室のため、新館に泊まることになっていた。この鍵はSという人が持っていた。10時までは別の仕事があるというので彼を待ったが、10時半になっても戻ってこない。仕方なく電話すると『中に誰かいるので大丈夫』との回答だったので、荷物を持って10分以上歩いて行った。

 

ところがベルを鳴らしても誰も出て来ない。後で分かったことにはベルが壊れていた。Sに電話すると『急いで戻る』ということだったが、彼がやってきたのは20分も経ってからだった。ようやく部屋に入った時にはクタクタになっていた。

 

この新館、施設は悪くないし、部屋も広いのだが、ちょっと不便だった。ただもうすぐ近くに地下鉄の駅が出来るということで、将来性はある。勿論台北駅へも歩いて行けるが、荷物を持っているとちょっと辛い。

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台湾茶の歴史を訪ねる旅2011(8)台北 深坑・猫空・新店山中

21. 深坑へ行く

黄さんには大変お世話になった。名残惜しいがお別れする。最後に黄さんから「必ず徐先生に電話を入れろ」と念を押される。しかし私は明日帰国する。徐先生の家は少し遠いらしい。どうしたものだろうか。取り敢えず電話してみたが、お留守のようであった。また次回台湾に来た時に連絡しようと考えていた。

今回の宿泊先Ez StayのオーナーHさんと食事をする時間がなかった。台北最後の夜にようやく時間が出来たので声を掛けると「深坑で豆腐でも食いましょう」と誘われる。深坑、恥ずかしながら実はどんなことろかピンと来なかった。台湾茶の歴史を訪ねる人間としては失格であろう。

Hさんのバイクに跨り、先ずは木柵のHさんの家へ。台北市内でバイクに跨ると鹿谷などとは全く異なるスリルが味わえる。怖くないのだろうか、と思うような恐ろしい台数が脇を通過していく。いきなり左折する。Hさん曰く「もう20年も台北で乗っているんですよ」そうか、それは安心。

H宅でバイクから自家用車に乗り換えようとしたところ、携帯が鳴る。流暢な日本語が聞こえてきた。何と徐先生がコールバックしてくれたのだ。これにはビックリ、恐縮してしまう。徐先生は「資料を準備してお待ちしています。いつ来ますか?」と聞く。実は明日帰国することを話し、次回の再訪を約束する。しかし先生から「それで次回はいつ?」との問いに思わず気の弱い私は「5月下旬には」と答えてしまう。5月下旬は香港へ行くはずなのだが。何と来月の再訪が決定する。

深坑に到着。ご飯を食べるかと思えば、お茶屋さんに行くと言う。儒昌茶荘(http://www.zuchangtea.com.tw/)と言う名前のそのお茶屋さんの祖先は1845年に福建省安渓から移民し、茶園を続けている。この付近は台湾茶の発祥の地の一つに数えてもよいかもしれない。淡水河の上流、そこに福建から持ち込まれた茶樹が植えられていたのである。

我々が訪ねた王さんは3代目、静岡の茶葉試験場での研修経験もあり、若いのに日本語は堪能。ちょうど摘んだ茶葉が上がっていたようで、話しながらも忙しなく仕事をしている。包種茶の茶葉を茶碗に入れ、スプーンですくって飲んでいる。今年は冬が寒く、お茶の生育が遅れたと言いながら、音を立ててすする。

このお店、店頭から茶缶が並び、昔の茶商の雰囲気を残している。深坑の茶の歴史にも興味があったが、資料はあまりないとのことであった。ついでに日本時代の日本人に関する資料について尋ねると「確か研修中に金谷(静岡)の茶葉試験場にあったような気がする」との答え。そうか、台湾に残っていなくても、日本に持ち帰られた資料があるかもしれない。これは収穫であった。

そして豆腐レストランへ。人気店らしくかなり混んでいる。台湾ではこれまで豆腐料理がメインのレストランでは食べたことがない。台湾でも今や健康志向なのだろうか。揚げ豆腐、臭豆腐、どろっとした豆腐スープ。数々の豆腐料理がテーブルを埋める。こりゃ、なかなか旨い。どんどん箸が進む。台湾料理はまだまだ奥が深い。

22.猫空の夜

豆腐を満喫した後、Hさんが「夜のお散歩でもしますか」、と聞く。もうなすがままである。夜8時台、車で猫空へ上がる。猫空とはなかなか奇妙な名前であるが、観光茶園がいくつもある台北市の寛ぎスペースである。景色を売り物にしているが、4月とはいえ、今日は結構冷える。ミニバスが通るが、客は殆ど乗っていない。ロープウェーも開通しており、寒空の中を動いている。

Hさん行きつけの店へ行く。「六季香茶坊」(http://www.taipeinavi.com/food/254/)と書かれた看板の所を上がる。上は前面が露店になっており、奥に建屋がある。人は誰もいない。Hさんが奥の方に入っていき、声を掛けるが、返事がない。こんな時間にお客が来るとは想定外であろう。

ようやく横の建物から返事がある。どうやら茶作りの最中であるらしい。ご主人が出て来た。張さん、独特の雰囲気を持つ人物である。露天の一番前、景色の良い所に陣取る。Hさんは半袖シャツ1枚でかなり寒そう。張さんも上に羽織るものを出して着ている。

ここからの眺めはかなり良い。台北市が一望できる。張さんがお茶を淹れようとしたその瞬間、市内で大音響の花火が上がった。一体どうしたんだ?考えてみれば本日は台湾花の博覧会最終日、そのイベントの一環で花火が登場したのだろう。偶然とはいえ、不思議な気分となる。

張さんは作ったばかりの木柵鉄観音を淹れてくれた。中国の鉄観音はどんどん緑茶化して軽くなっており、香りがあればよい、といった印象が拭えないが、こちらは実に濃厚な味。私の好きなタイプであり、恐らくは本来の鉄観音の味を残しているのであろう。次に冷凍茶が出される。これは鉄観音の茶葉を冷凍して保存。名前だけ聞くとアイスティーかと思ってしまうが、実は室内萎凋と言う工程の後、茶葉を加熱殺菌し、仕上げの乾燥火入れをしないので、ビタミンが凝縮されていると言う。

茶葉は緑であるが、味は木柵鉄観音。なかなか面白い。こんな所にも木柵の茶農家の探究心が感じられる。当然この辺りの茶農家も歴史が古く、1870年代以降茶作りが始まっている。しかし張さん達にとっては、歴史より今日、今日より明日、といった感じで、今晩も茶作りで徹夜らしい。いい鉄観音を作って欲しい。

夜も更けて来て、茶作りの邪魔にもなると言うことで退散した。次回は茶葉料理でも食べながら、ゆっくりと話を聞いてみたい。

23.新店の山中で真の有機茶を

その夜、今回最初の頃お会いしたJさんより連絡が入る。本当の有機茶を見たいなら、お茶屋のYさんが連れて行ってくれると言う。是非にと頼む。翌朝Jさんはゲストハウス前まで車で迎えに来てくれ、私の荷物をトランクに積みこむ。そう、今日は台北最終日だ。

前回訪問したYさんの家の前で私だけ降ろされ、Jさんは仕事に向かう。何故?家ではYさんが待っており、すぐに下に降りる。そしてバイクを持ち出す。バイクの二人乗りで行くのだとか。二人乗りには慣れたが、この華奢なYさんと年代物のバイク、どんなものだろうか。

本当の有機茶を栽培している所には、車では入れない。よってJさんには気の毒だが、二人で行くことにしたと言う。それは本当に気の毒なことをした。バイクは台北市内を南へ向かう。30分も走ると郊外の山へ入る。しかしずっと乗っていると手が疲れる。

それからどこをどう行ったのか、かなり上った。確かにこれは車ではちょっと、という所まで来ると、バイクが停まる。とうとう着いたのか。時間は1時間ほど経っていた。そこには古ぼけた家があり、その奥では・・。そこでは本当に伝統的な四季春が作られていた。

茶畑は更に上にある。そこまで茶農家の車で行き、そして道なき道を歩く。すると斜面に見事な茶畑が。確かにここには肥料はなかった。知る人ぞ知る、茶の産地である。

帰りに飲ませてもらったお茶はまた格別な味がした。思わず、ウメイ、と声が出た。本当に美味しい、自然なお茶に触れた気がした。ここで作られるお茶は市販されることはない。知り合いが全て予約してもっていく。量も非常に少ない。

帰りもYさんのバイクに跨り、幸せな気分で山を下りる。しかしYさんには堪えた様だ。家に辿りつくとぐったりして、昼ごはんもいらないと言う。本当にいい物を見せてもらい、ご迷惑を掛けてしまった。勿論もう一度一人で行くこともできない。

24. 村子口

またJさんが迎えに来てくれた。本当に今回は足代わりに使ってしまい恐縮。昼飯を食べに行くことに。正直バイクに往復2時間揺られ、更にはなかなか目に出来ないものを見てしまった興奮も重なり、空腹にはなっていない。しかし私の旅は言われたらそこへ行くもの。

Jさん曰く、「蒋介石と一緒に来た軍人が住む村があって、そこの料理は美味いよ。」。なに?何だか惹かれるものがある。先ずは向かう。市民大道、昔はこの道はなかったので、何となく位置関係が分からない。ここの駐車場に車を入れ、敦化南路の一本東の道を行く。知らなければ通り過ぎる、そんな平屋の佇まいが村口子であった。特に看板が出ている訳ではない。

中に入ると威勢の良いおじさん(パジャマに見える服装)が、「何食うんだ!」といきなりJさんに話し掛ける。丸いテーブルがいくつかあり奥行きのある店の中はもうすぐ2時だと言うのにお客がいる。先ず目に入ったのが、壁に掛けられた水筒や軍帽。壁には「報国増産」などのスローガン。うーん、雰囲気出ている。

メニューはあるのかどうかわからない。Jさんと共に厨房横の台を眺め、好きな料理を選ぶ。私の大好物の大腸など内臓系、豚の耳がどっさり、嬉しい。主食はここの名物、双醬麺。所謂ジャージャー麺の醬と麻醬を両方とも入れ、かき混ぜて食う。なかなかイケル。

ここで麺を食いながらJさんに先程の茶畑旅行を報告。ついでに少し貰った茶葉を分ける。食べ終わってもまだ話が続いたので、少し歩いて伯朗珈琲館(Mr.ブラウンカフェ)に移動。ここは台北の街を歩いているとよく見かけるコーヒーチェーン店。入るのは初めて。何だかちょっとおしゃれで、店内では皆がネットか携帯をいじっている。聞けばここは無料で無線ランが使える。

店内で驚いたのは、コーヒーも売っているが、ウイスキーも販売していること。これは持ち帰り用で、店内で飲むのではないらしい。中国でも香港でもそうだが、従来コーヒーなど飲まない、お茶を飲む文化圏がいつの間にかコーヒー圏に浸食されている。何故だろうか。日常生活がコーヒー、非日常が茶、と区分けされそうで怖い。

あれこれ考えている内に時間が来て、空港まで送ってもらう。僅か10分で到着。兎に角便利である。今回は収穫の多い、中身の濃い訪問であった。次回は1か月後、さて、どうなるのだろうか??実に楽しみである。




台湾茶縁の旅2014(11)淡水左岸の原住民レストランへ行け

3月23日(日)

大汗をかいて淡水へ

昨晩は寒さで熱っぽく、完全に風邪をひく感じだったので、タオルを首に巻き、クーラーは切り、熱いお茶を沢山飲み、万全の態勢を敷いた。これが私の風邪予防法、その結果か、朝起きると特に異常はなかった。そして今日は昨日とは打って変わって快晴、どんどん暑くなる雰囲気が漂う。日差しが強い、いい感じだ。

 

今日は香港時代のお知り合い、Hさん夫妻とランチをする予定。だが場所はなぜか淡水。お嬢ちゃんの乗馬クラブがある?そうだ。淡水と言えば今やMRTも通っており楽勝だと思っていたところ、実は淡水の対岸(左岸)だったことが分かり大慌てでGHを出る。そして淡水駅に着いてみると、何と対岸行きのフェリー乗り場まで結構距離がある。しかも道は細く、人出は信じられないほど多い。今日は休日で天気が良く絶好のお出かけ日和だったのだ。

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焦って大汗をかきながら何とか乗り場に着く。が、ここも行列。何とか2台目の船に乗り込みギリギリセーフかと。船は対岸まで僅か5分なのだから。ところが・・、下りてから道を間違えてしまう。行けども行けども目印はない。しかし急いでいるので引き返す余裕もない。とうとう困り果てて道を聞いた時には相当離れたところに来てしまう。

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おばさんが、『反対の道のバスに乗れば早い』というのでバス停に行くと折よくバスが来た。運転手に聞くと親切に教えてくれ、3つ目で降り、また走った。何とか15分ぐらいの遅れで着いた。あー、疲れた。Hさんはお嬢ちゃんと外で遊んでいた。

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ここは原住民レストラン。H夫人が既にオーダーを済ませて待っていてくれた。名物、鶏の丸焼きは香ばしくて美味しかった。そしてサーブしているお姐さんが原住民衣装を着て実に可愛らしい。ここまで来た甲斐があったというものだ。

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席もゆったりできるところだったので、ついつい長話をしてしまった。すると電話があり、次の約束のIさんが『時間を30分遅らせ、場所も変更して欲しい』と言ってきたので、これ幸いと更に長居になってしまった。

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そして悠々とレストランを出て、家族連れが遊ぶ気持ちの良い岸部を歩き、フェリー乗り場に戻り愕然。何とも言えないほどの長蛇の列が出来ていた。私は帰りのチケットも買っていたし、台北市内に戻るバスはあるらしいが、分からない路線を取るのも危険だと思い、延々と船を待つ羽目に。炎天下にこれは結構堪えた。まあ修行か。そしてまた人で溢れる道をかき分けて駅へ行き、MRTに乗った頃には、完全な遅刻状態に。30分遅れると連絡したが、果たしてそれで着くのか。

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ローカル食堂へ行く

何とか30分遅れでお茶屋さんに到着した。Iさんとオーナーはゆっくりとお茶を飲んで待っていた。私は息が上がっており、先ずは出されたお茶をガブッと飲んだ。するとオーナーから『姿勢が悪いですね』と注意される。実はここのオーナーには以前も会ったことがある。日本でも賛否両論ある方で、エコ茶と称して、茶葉を極力使わず、自ら考案した小さな急須で淹れる。私のように茶葉を多めに使うタイプは当然嫌われる。Iさんとは色々とお話したかったが、遅れてしまったため、次の時間が押しており、1時間も経たないうちに出てきてしまった。

 

そして夜は後輩のFさんと食事に。彼女は駐在員として台北に赴任している。国賓飯店で待ち合わせて、近くのレストランへ行くとすでに満員。おまけに彼女の取引先の日本人までいて、これは敢え無く退散。場所を替えてタクシーで永康街へ。

 

ここで彼女が良く行くという大来という食堂に入ろうとしたが、何と1時間以上は待つと言われ断念。日曜日の夜、どこも混んでいる。色々と歩いて見たが、最終的にローカル食堂が目に入り、行列にもかかわらず並ぶことに。並ぶとおばさんが先にオーダーを取る仕組み。

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意外と早く席が空き、座る。まさに昔の食堂をイメージしているようだが、それにしてはきれいでシステマチック。だが飯もスープも美味い。だからこれだけ並んでいるのだろう。シンプルに仕上げてすぐに出し、回転を高める。良い作戦だ。まあ家族連れが多かったから、子供が飽きて早く出たのかもしれないが。

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そしてまたタクシーで元に戻り、広方圓へ行く。私はパイナップルケーキを取りに来たのだが、初めてのFさんは興味津々で湯さんの説明を聞き、山茶を飲んでいた。お茶入り石鹸など新商品もあり、女性客は喜びそうだ。

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台湾茶縁の旅2014(10)台北 観音山でナガシのライブを聞く

3月22日(土)

日本が溢れている台北

そろそろ台湾生活も少し疲れが見えてきた。毎日飛ばし過ぎたか。今日はゆっくり目覚める。昼前に地下道を通り、台北駅の向こうへ出る。この地下道、日本のアニメが目に付く。オタク系の店がいくつかあるようだ。そういえば中山方面にはAKBのメンバーの写真が順番に張られていた。ここはどこなんだ、と一瞬迷う。

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駅前のごちゃごちゃした通り、おじいさんが竹とんぼを飛ばして、子供を喜ばせている。竹とんぼ売り、今や日本にもいないだろうな。台湾には本当に日本が溢れている。台湾人は嫌でも日本を意識せざるを得ない。生活の一部に入り込んでいる。当人たちはどう考えているのだろうか。まあそんなこと考えないか。

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いつもの店で肉羹スープを食べる。何とも言えないドロッとした感触、アツアツの肉団子。これは本当に美味い。魯肉飯定食にして食べると美味さ倍増。夜はやっていな店なので今食べるしかない。そして何とあまりの美味さに酔いしれ、小銭入れを忘れて店を出てしまう。

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それから歩いた。総統府の前は学生デモの影響か、かなり警戒が厳重でバリケードもあった。台湾大学院学部の建物も立派だった。日本時代の建物がうまく使われているなと感じる。結局小1時間かけて、昨日も行った遊山茶訪を再訪した。

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遊山茶訪を再訪

今日はゆっくりと室内を見た。窓は北向き、台湾もやはり南国、夏の南向きは暑すぎたのだろう。日本人はしないが、台湾人はここに座りたいだろうと、腰掛を作ってクッションなどを置いている。庭には桜の木が植わっている。今でも毎年桜の鑑賞会が出来るらしい。歴史展示室の柱は太い。天井の梁もしっかりしている。地震が来ても今までちゃんと持ちこたえている。70年前の建物とは思えない木造。奥には縁側があり、小さな庭にはマンゴの木がある。奥の部屋は10人程度でお茶会が出来るスペースになっている。

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楊経理がお茶を淹れてくれた。彼女もかなり拘りがありそうだ。高山茶、紅茶、実に丁寧に淹れている。小さな焙煎機を室内に入れ、ちょっとした焙煎もしている。何だか楽しい空間だった。ずっとここで転寝していた気分になる。

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茶訪の余韻を楽しむために、教えられた青田街へ行く。すぐ近くだった。今日は土曜日で沢山の台湾人が歩いていた。この辺は日本家屋がいくつか残っており、散策には向いている。特に青田76号という場所が有名らしいが、ここは入場料を取る。そして人が一杯いたのでパスして進む。

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ここを北に上がっていくと永康街だ。実に多くの人が散歩しており、もう歩くのはいいかと思う。確かHさんが『温泉へ行く』と言っていたので便乗しようかと思ったが、電話してみると仕事が終わっておらず、今日は無理とわかる。取り敢えずGHへ行ってみることにした。

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観音山へ

Hさんは働いていたが、もういいか、という感じで出掛ける。一昨日会ったミュージシャンBさんのライブを聞きに行くため、観音山に向かう。Hさんは以前一度来たことがあるというこの山、遠目に見ると観音様が横たわっているようにも見える。

 

車は軽快に高架道路を飛ばす。やはり今日も車が少ない。道は良く分からないが淡水の裏側あたりに出た模様。あっという間に山のふもとへ。そこからクネクネ山を登る。なかなかいい雰囲気の自然が残り、ハイキングコースになっているのか、民宿やレストランもちらほら見える。

 

会場は山の廟があるところのすぐ下。実にそれらしい、いい雰囲気の山荘だった。それにしても相当早く着いてしまったが、中に入ると既にBさんと相棒の阿家(アーガー)、そしてベースのアリ嬢がちょうど練習しているところだった。Bさんと阿家はバッテリーという名前でユニットを組んでおり、今日はここでそのライブがある。

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阿家は日本文化の残る台湾で『ながし』として活動していた。既に7年になるという。以前は郵便配達人をしながら音楽活動をしていたようで、その名でも呼ばれている。Bさんは以前組んでいたバンドが活動休止となり、新たな試みとして彼と一緒に歌い始めた。こんないい場所でライブが出来るなんて、と部外者は思うが、阿家は毎週末ここまで通って歌い続けている。それは並大抵の苦労ではないだろう。

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ようやくライブが始まったのは、日がほぼ傾き、かなりヒンヤリしてきた頃。正直山は風が強く、厚手の服を持っていなかった私には相当に堪えた。このままでは風邪を引きそうだった。が、ライブが始まるとかなりの盛り上がりを見せ、阿家の歌に魅力を感じ、寒さを忘れた。お客さんも満員で、我々は関係者席に座らせてもらった。

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先ずは主役である阿家が歌を歌い、Bさんはちょっと登場して、一端休憩。既にあたりは暗くなり、相当に寒くなってきていた。お客さんは前もって予約しており、各テーブルには料理が出始めた。我々2人は予約もなくやってきたので、個別に食事を注文しようとしたところ、オーナーの計らいもあり、関係者の食事に混ぜて貰ってしまった。Bさんはベジ料理の方へ行くと言って、阿家が我々の面倒を見てくれた。この辺が何とも台湾的で、有難いし、懐かしい。

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後半はバッテリーのライブとなり、オリジナル曲の台湾温泉音頭(ど演歌)からチャゲアスの『Say Yes』まで、実に幅広い楽曲を聞かせてくれた。それにしても寒くて、一時は死ぬかと思った。3月の台湾の山を舐めてはいけないと悟る。そんな中でも台湾のお客さんは大満足だったようで、Bさん達のパワーに脱帽した。

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台湾茶縁の旅2014(9)台北 3つのお茶屋を訪ねて

3つのお茶屋へ

一端GHに戻る。今日からちょっと離れた新館の部屋を使うことになっており、Hさんに連れられて行く。こちらは広々とした空間があり、部屋でWIFIも使え、快適だ。もうすぐ地下鉄の駅が直ぐ近くにできるとのことで、そうなると俄然便利になる。だがいつできるのだろうか?そこが台湾の問題だ。

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午後はお茶屋を訪問する。先ほどランチを一緒に食べたF君もとても興味を持っており、同行したいとのことであったが、どこかへ行ってしまった。ご縁がないものと置いて出掛ける。MRTの古亭駅を降り、和平東路をひたすら歩く。15分も歩いて脇道に入ると、そこはちょっとレトロな台北。

 

先日南投で訪問したアンディの遊山茶訪は、ここに台北支店を持っていた。支店とは言ってもそこはお茶屋さん、何と日本時代の家屋を使った優雅な空間を演出していた。一見さんは門を潜ることも出来ない。必ず予約が必要だ。門鈴の位置すら分からず電話して開けてもらう。中は実にこじんまりした日本の昔の家。

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家の中に入ると様相は一変する。とても鮮やかな現代アートの空間が広がり、茶室や展示スペースを彩っている。経理の楊さんがにこやかに出迎えてくれ、案内をしてくれる。現代アートだが、天井の柱や窓際、縁側など所々に日本が染み込んでいる。よくもまあ、このようなものを作ったものだと感心した。

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先ほどのF君もどうしても合流したいとやってきた。ご縁がある人とはある、行ける所には行ける、ということだろうか。彼は若いが興味津々でこの日本家屋を眺め、写真を撮っている。2か月ほどバックパッカーでアジアを回ってきたようだ。この空間でゆったりと体を休めたいのかな。

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ところがそうはいかなかった。急に香港から香港大学の視察団30名が来ることになったらしい。『出来たら明日もう一度来て欲しい』という楊経理。ちょうど暇だったので、出直すことにした。これもまた台湾、これもまたお茶の縁。

 

そしてもう一つのお茶屋さん、昨日会ったT君から『小楊が会いたがっている』と言われ、連絡を取る。小楊は3年前、ジョエルに連れられて行った不思議なお茶屋の主人。自宅で高級茶だけを扱い、広告などは一切しない風流人。何と初めて会った私をバイクの後ろに乗せて、新店の山中まで行き、本物の有機茶を見せてくれた人でもある。ただメールなどやらないのでご無沙汰していた。

 

小楊の自宅は遊山茶訪から歩いて15分ぐらいだった。3年前の記憶を頼りに何とか辿り着く。知らない人は絶対に行けない場所だ。そして古いビルを5階まで歩いて上がると、そこはまた古風な別世界。小楊が畳の上に座り、お茶を淹れている。鉄瓶から湯気が上がっている。F君はまた目を白黒。

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今年も完全有機の春茶が出来ていた。素晴らしい。そして私が14年前福建省武夷山で飲んだのと同じ岩茶が出てきたのにはビックリ。この人は一体どこにお茶を隠し持っているのだろう。茶葉は早く飲むものという概念を変えないといけないのだろうか。良いものは古くなってもいい、骨董と同じか。

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結局2時間ぐらい小楊ワールドに浸る。その間、F君がなぜお茶に興味を持っているかが分かり驚く。彼はバイトとして静岡の製茶工場で働き、そこで得た資金を基に旅行していたのだ。かなりの肉体労働らしいが、割りはいいとか。こんな仕事もあるのか、と1つ発見。

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帰りに近くの弁当屋で、弁当を食べる。F君は『久しぶりにまともな飯を食った』と喜んでバクバク食べていた。まあ台湾の弁当はアジアの中では秀逸の美味しさがだが、何となくこういう若者もいいな、と素直に思った。

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弁当も食ったし、さて帰ろうと台北駅まで戻り、GH新館へ向かったが地下道を間違え、中山方面へ来てしまう。こうなるともう1軒行かなければならない。MRTで2駅分歩き、広方圓へ。ここももう7-8年に付き合いになる。オーナーの湯さんは基本夜しか店に居ないのでちょうど良い。

 

店は特に変化はなかった。美味しい特性パイナップルケーキは売り切れていた。だが大きな変化として、息子が後継ぎになっていた。湯さんは実年齢からすると実に若く見える女性。息子が30歳になると聞けば全員が驚くだろうし、2人で歩いていれば親子には見られないだろう。

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湯さんは90年代からプーアール茶を台湾に広めた人。2000年代は高山茶、そして最近は紅茶に熱を入れている。基本は茶商だが、本物志向。台湾茶のトレンドを知るにはとても良い相手だ。今晩は遅いし、疲れたので、パイナップルケーキを予約して別れる。

台湾茶縁の旅2014(8)台北 中国人観光客で埋まる故宮

3月21日(金)

中国人が押し寄せる故宮

翌朝は初台湾のF嬢の希望もあり、故宮博物院に同行する。私自身は駐在時代に数十回は行ったと思うが、ここ10年はご無沙汰。その間に大改修工事があり、新しくなっていると聞き、見に行ってみた。

 

台湾人から『故宮は朝一番に行かなければならない』と聞いていたので、8時にMRT士林駅で待ち合わせたが、改札が2つあり、ちょっと惑う。そして駅のすぐ近くにあるバス停に行くとちょうどバスが来たので乗り込む。一人15元、お釣りはくれない。他にも故宮に向かう日本人が乗り込んできて、支払方法が分からず困っていた。

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15分ぐらい乗っていると、あの故宮が見えてきた。何となく懐かしい。階段を上がっていくと、昔と変わららない姿を見せていたが、中は相当に変わっていた。何より噂通り、中国人観光客がガイドに先導され、見学に向かうため待機していた。

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我々個人客は160元支払い、すぐに2階へ。以前とは異なり、目玉展示物は個室に収納されており、翠玉白菜、肉形石(豚角煮)をササッと見学することに成功した。しかしその頃にはもう通路から階段まで長蛇の列ができており、中国人観光客に故宮は占拠されてしまったようだ。最後の目玉、象牙球はかなり並んだが、何とかミッションコンプリート。まあ、台湾人が故宮に行きたがらない理由は良く分かった。

 

その他の展示物をサラッと見て、1階の喫茶コーナーへ。故宮と言えば昔は4階に三希堂という雰囲気の良い休み処があり、よくお茶を飲みながら、お菓子を食べた物だが、改装後は雰囲気も一変、お洒落なカフェになってしまった。

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モスバーガー

そしてHさんとのランチの約束の為に、市内に戻る。タクシーが一番早いと言われていたので、故宮前でタクシーを拾う。ここにいるタクシーは昔観光客を騙すよからぬ連中が多かったが、どうだろうか。恐る恐る近づくと『市内片道は後ろの車に乗れ』と相手にされず、気の弱そうな運転手の車に乗る。

 

車は実にスムーズに走り、すぐに市内に入る。更には高架道路もガラガラであっという間に目的地に着いてしまった。この間わずか10数分。あまりに早さにビックリ。朝夕の渋滞はあるのだろうが、台北は車が少なくなったとの印象を強める。

 

Hさんに電話したところやはり早過ぎる、ということで、近くのモスバーガーで時間を潰す。モスバーガー、本当に懐かしい。25年前、台湾財界の大物が日本のファーストフードを台湾に持ち込みたい、と色々と検討した結果、選んだ先だった。90年代はそれほど多い店舗数ではなかったが、いつの間にかどこにでもある。凄い。

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コーヒーを頼むと1杯で1杯無料だとか。かなり得した気分。担当のおばさんも実に愛想がよい。平日の主婦バイトかな。店内も空いていて、ゆっくりF嬢と話ができると思っていると、Hさんから電話。やけに早いな、と思っていると、何と我々をショウロンポー屋に送り届け、自分は一度GHへ行き、そしてまた我々をピックアップするという。何とも申し訳ない。

 

そしてそのショウロンポー屋に着き、席に座った瞬間、違和感が。そうだ、バッグがない。モスバーガーに忘れた。あのバッグにはパスポートとお金、航空券のコピーまで入っている。もし無くなれば重大事だ。F嬢に注文を頼み、走り出す。5分ぐらいでモスに着き、店内を見るとバイトのおばさんが『どうしたの?』という顔をしたが、その時私の座っていた椅子にちゃんとバッグが掛かっているのを発見し、思わずおばさんに笑顔を振りまく。

 

ショウロンポーと鶏飯

その済南鮮というお店は、元は知る人ぞ知る店だったが、Hさんがいち早くガイドブックで紹介し、日本人観光客にも有名になったらしい。確かにお客の何割かは日本人だったので驚く。日本人は本当にガイドブックに頼る傾向がある。

 

出てきたショウロンポーは確かに美味かった。店はどんどん込んできていつしか満員になったが、Hさんは戻ってくる気配がない。空心菜炒め、パリパリの餃子、これまたウマイ炒飯まで食べてしまい、皿を下げられると出ていくしかない。

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今日は予想以上に寒い日だった。熱帯に来るつもりだったF嬢は何とも薄着であり、先ほどから風邪をひきそうな雰囲気。何とかするためには上にはおる物を買う必要があるのは明らか。腹ごなしの散歩がてら、服屋を探すがなかなか見つからない。偶にあっても『趣味が合わない』とのことで、買うに至らない。風邪ひいても知らないよ。

 

そしてHさんの指示で今度は鶏飯屋へ。鶏飯と言えば嘉義の名物。本格的な鶏飯は台北ではここしかないらしい。お客はここでも列をなしていた。HさんはGHの男性客をもう一人連れてきていた。

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ようやく我々の順番が来たが、席を割り振る仕切りニーちゃんが、我々を飛ばす。4人掛けがないらしい。しかし目の前には4人が座れるテーブルがある。Hさんが怒り出し掛けあうが、『俺がルールブックだ』と言わんばかりの対応に呆れる。まあ何とか座り、鶏飯を食べると美味しいのだが、すでに腹が一杯。おまけにニーちゃんとのトラブルもあり、何だか残念な気分になる。

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