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両岸三通の茶旅2015(2)台北 突然の有記茶荘

突如の有記茶荘

午後は宿でゆったりと過ごす。今朝は早起きだったので、体を休めることは重要だろう、と考える。リビングでダラダラとネットをしていると、夕飯を一緒にすることになっていたBさんより急に電話があり、これから会おうという。彼はお知り合いと台湾南部に行っていたのだが、予定が早く終わり台北に戻っていたというのだ。取り敢えず台北駅前まで来てもらう。

 

その辺でお茶でも飲むのかと思いきや、『知り合いのふうせん屋さんが、青木さんの店で待っている』という不可解な説明が発せられる。まあいいや、流れに任せてみよう。駅前から少し歩き、重慶北路あたりでバスに乗る。バスは何本かあったが、来たバスに乗ってみると、すぐに曲がってしまい、予想と少し違ったようだ。これでも行ける、というので乗っていく。バスが信号で停まり何気なく見ると『茶葉公園』という名称が見えるではないか。『あれは何だ』と声を出すと、Bさんが『じゃあ、降りて見てみましょう』というではないか。待ち合わせはいいのだろうか。

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朝陽茶葉公園、と書かれたその小さな公園、なぜか茶葉の製造工程が、地面にはめ込まれたプレートを使って説明されている。しかもそれがかなり精緻なので、ビックリ。こんなこと、誰がするんだろうか。Bさんは、日本からお客さんを連れて、何と今朝もここに来たのだという。この公園の前には、有記茶荘という台北でも有名なお茶屋さんがあった。ここがこの公園を整備していたのだ。

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有記茶荘は大稲埕にある1890年創業の「百年老店」と呼ばれる老舗の茶商。大稲埕は19世紀半ば以降、台湾茶の輸出拠点であり、昔はこの辺りにも茶葉の卸問屋が沢山あったと聞いているが、今やそれほど見当たらない。店に入ると手前で茶葉を売っている。お客さんが引っ切り無しに来ている。卸が中心だが、小売りもやっており、観光客もよく来るらしい。Bさんは午前中も来ており、また過去にこの店を取材していることもあり、既にお馴染みさん。奥の方からいい香りがしている。茶葉の焙煎が行われているのが分かる。フラフラと覗き込む。

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ここのオーナー夫人がいたので話を聞いてみる。台北市内で自店で伝統的な炭火焙煎を今もやっているのはここぐらいだという。この独特の雰囲気が人気の秘訣のようだ。数十年前にタイにも出店し、今もバンコックで売っているという。多義のパッケージも表示されていて驚く。3月に幕張で開催されたFoodexにも参加しており、対外宣伝も怠らない。確かに私もFoodexでこの店を見掛け、話をした覚えがある。焙煎が効いており、比較的私の好みのお茶だった記憶がある。

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お茶の試飲をさせてもらう。台湾各地から集めたお茶を焙煎している。特に特徴が感じられたのは文山包種茶。発酵が非常に浅いこのお茶をしっかり焙煎し、いい感じに仕上げていた。色々と話を聞いていたかったが、元々人を待たせて、突然寄り道しているので、残念ながら、引き上げる。

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それから重慶北路沿いの細かい道を歩いていく。途中で小さな食堂があったが、Bさんはその店に突然入っていき、挨拶している。そこには日本人のプロデューサーがいた。Bさんが芝居でお世話になっているという。そしてその店は日本人の女優さんがやっており、カレーなどを出していた。この女優さんとBさんは夫婦役をやるはずだった、などと聞くと、Bさんが役者さんだったことに思い至る。ここも興味深かったが、時間の関係ですぐに失礼した。

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元々は漢方薬屋街である迪化街の横を通る。ここは今や、観光地化しており、日本人もかなり歩いていて、お洒落な店がいくつもある。以前私が歩いたとき気になった古びた警察署が見えた。懐かしい。30分ぐらいで着くと思っていた目的地に最終的に行きついたのは、1時間半以上も経っていた。

 

青木由香さんの店

涼洲街、というところは元々古びたところだったが、最近はそこに観光案内所が出来たり、お洒落なブテックが出来たりしている。以前とは様変わりの様相だ。その一角に小さなお店があった。台湾で有名な日本人、青木由香さんが出した店だという。常に同じ商品を並べるのではなく、期間ごとにアイテムを入れ替えて売る、という新しい方式だ。服や雑貨、小物など、色々とあるようだ。

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青木さんは台湾から様々な情報発信をしている。4年前にBさんのライブの時に一度会っている。とてもユニークで型破りな人で、そのキャラが台湾人にはウケるのだろう。昔はバックパッカーだったのか、タイにも郷愁があり、最近はバンコックに行く仕事があって嬉しい、と喜んでいた。このお店を始めたのも、一つの発信の形態だろうか。お子さんが小さいので、子育てしながら活動しているようだ。

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実はここが待ち合わせ場所、辿り着くと中にはお客が何人もいた。日本人の家族が服を買っていたが、聞いてみるとご主人は天母で珈琲店を経営しているとか。阿里山珈琲、ちょっと気になるフレーズだ。あとで聞くと、彼のお父さんが元々台湾で珈琲屋さんをやっているのだという。どんなコーヒーなのだろうか。次回は是非お店に行って飲んでみようと思う。

 

そして待ち合わせた人は東京墨田区のふうせん屋、Sさん。ここでふうせん屋さんと知り合うとは思いもよらなかった。日本には2社しかないふうせん屋さんらしい。本社は東京だが、タイにも工場があり、月に一度はタイにも行くという。今回は何かのイベントがあり、台北にやって来て、Bさんと合流している。我々を待つ間にも子供に恐竜の風船を膨らませるなど、交流に余念がない。何だかとても面白い。

両岸三通の茶旅2015(1)台北 台湾に来たらまずは四川料理

《両岸三通の茶旅2015》  2015年4月29日‐5月14日

 

台湾にも毎年行っている。福建省にも毎年行っている。一昨年は厦門から金門までフェリーに乗って往復してみたが、実にスムーズだった。今回はいよいよ台北→金門→厦門→福州→馬祖→台北、というルートで旅をしてみることを突然思い立った。これは2001年1月1日、まさに21世紀の最初の日を厦門で過ごし、小三通の最初の一日を港で目撃した私の長年の?憧れ?であった。

 

まああまり調べなくても何とかなるだろう、といつもの調子で思っていたが、2月には復興航空の台北発金門行きが淡水河に墜落。その衝撃的な映像が誰の目にもはっきり焼き付いた。福州→馬祖も本当に行けるのか、情報が殆どない。とにかく行ってみるしかない。厦門からは安渓にも行き、あの鉄観音茶の張さんに家にも3年連続で滞在するつもりだ。福州も3年ぶりの訪問。前回お世話になった老板のもとを訪れる予定だ。だが基本的には無計画の旅、何とも楽しみだ。

 

4月29日(木)

1.台北

台北まで

那覇発のピーチは満員の乗客を乗せて順調に飛行した。午前8時半に出て、午前9時には桃園空港に到着する。時差1時間は意外と大きいと実感。空港には乗客は殆どいない。今日、ほぼ一番初めに到着したフライトではないか。スタスタと入国審査まで歩いて来て、機内で入国カードをもらわなかったことに気が付く。イミグレには誰も並んでおらず、入国カードが欲しいというと、先方もまだ準備していなかったらしく、慌てて出してきた。あっという間に入国した。

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それから携帯シムを買いに行く。以前使っていたカードは既に1年経過し、失効していた。ということで台湾は1年ぶりであることが分かる。前回は中華電信のショップで何も考えずに買ったが、今回はいくつかのショップが並ぶ場所を教えてもらい、選ぼうとした。だが、プランはどこも同じだったので、前回とは違うところを選んでみた。300元、半年有効だそうだ。そしていつものように国光号に乗り、台北へ。チケットを買うとちゃんとバスが待っており、すぐに発車。乗客も殆どいない。何と順調なんだ。何と10時前には台北駅前に着いてしまった。

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まずは四川料理

宿は相変わらず駅前のゲストハウス。オーナーHさんはさすがにまだ来ていなかった。管理人のMさんの顔は何となく知っていたので、どかどか入り込み、リビングでネットを繋ぎ、メールチェック、ブログ更新と作業に専念。昼前にHさんがやって来て、お知り合いのお客さんも一緒にランチに向かう。

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『台北ではまずは四川料理でしょう』?ということで、以前も行った近くのレストランへ。駅前には行列のできている店があったが、よく見ると香港の飲茶屋らしい。こんな名前の店、香港にあったっけ?聞けば、台北では大人気なのだとか。ただ香港の飲茶を知っている人からは、『なぜあんなに行列ができるのか分からない』との声も。一度は怖いもの見たさで行ってみるか?

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ビルの3階にある四川料理屋は、そこそこに混んでいたが、席はあった。麻婆豆腐、おこげ、回鍋肉、という完全な日本定番四川が並ぶ。中国で四川料理屋へ行ってもこのようなメニューを並べるのは日本人だけ。まあ嫌いではないが、さすが台湾、辛さはそれほどでもない。そして『炒飯も食べたい』という日本的な要請があったが、『四川料理に炒飯?』という疑問通りメニューに炒飯などない。

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だが店員に聞いてみると、ちゃんと日本語メニューが提示され、そこには炒飯があるではないか。日本人の好みを熟知していて、日本語メニューと中国語メニューがちゃんと違っているところが恐ろしい。そしてこの炒飯はやはり台湾風。当然?これは美味しい!私の理解では炒飯が一番美味しいのは台湾である。その土地に行ったら、その土地の美味い物を食う、これは鉄則だろうから、四川料理に台湾炒飯があってもよいと思うのだが、このような会話を素人さん?にしたら、目を白黒された。

 

そして両替に向かう。ここ数年台湾に行っても、台湾ドルの両替をする機会がなかったが、Hさんに連れられて、銀行に行って両替してみた。昔は台湾の銀行の両替は時間が掛かり過ぎて、行く気がしなかったが、さすがに最近はきれいな店舗でスムーズに両替ができる。聞いてみると非居住者でも口座開設が可能なようで、そのうちやってみようかと思う。それにしても日本円は安すぎる。思わず米ドルを取りだして両替した。こんな円安で誰が得をするのだろうか??

 

梨山に登る2014(13)台北 兄弟飯店で再会

夜は久しぶりに腸麺を食べる。台北駅近くにある屋台に毛が生えたような小さな店。だがお客が引っ切り無しにやって来て、麺を買っていく。中で食べることも出来るが、持ち帰りが原則なのか、椀を洗えないのか、麺は紙カップには入ってやってくる。これはこれで面白い。

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内臓系がたっぷり入り、上から香菜をパラパラ落とし、ダラッとしたスープと共に頂く。麺は細麺で、春雨のよう。これが美味いんだな、本当に。思わず2種類の麺を頼み、食べる。今日の夕飯はこれで終わる。実にヘルシーでいい。

 

6月3日(火)

兄弟飯店で

今日は朝から雨だった。どこかへ行こうと思っていたが、止めにした。昼前に宿を出て、兄弟飯店へ向かう。このホテル、25年前、私が台北に出張していた初めの頃、よく利用していた。ネットなどなかった当時、出張報告をこのホテルからFaxし、上司からFaxで指令が来たりしていた。突然若い頃を思い出す。

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そしてこのホテルの2階にある2つのレストラン。1つは台湾料理、1つが広東料理。ここは駐在になってからも何度も来たところ。何しろ当時胃腸が弱かった私は時々腹を壊し、台湾料理の地瓜粥で癒された。調子の良い時は広東料理の飲茶を食べて元気を出した。若かったと言えばそれまでだが、28歳でたった一人誰も知らない所に駐在するとは、相当精神的にも辛かったのだろう。それでここに来ると急に懐かしくなる。

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Kさんとは先日10数年ぶりに連絡を取ったばかり。Iさんの上司ということで名刺を渡してもらい、連絡が始まった。今回はKさんの指定で、このホテルの広東へやってきた。彼は良くここを使うという。25年経っても便利なレストランに変わりはなかった。ある意味で凄い。

 

Kさんとは北京にいた1999-2001年の2年間重なった。同業の大先輩ということでよく相談に乗ってもらい、公私ともに大変世話になった。Kさんは2005年まで北京におり、09年から台湾勤務になったという。私などより遥かに大変な道のりを歩んでいる。実は北京では家も近所で家族同士も知っていた。日本人学校の運動会には一緒に行った。既にお子さんの進路も決まり、悠遊という感じだ。それでもまた働くという。

 

美味しい食事を頂きながら、昔話に花を咲かせた。そして別れてみると、傘を忘れていた。取りに行ったが、既になかった。雨は小雨だったので、そのまま帰ってきた。あのホテルに傘を忘れるなんて、何か意味があったのかもしれない。

 

3回目の広方圓

明日は日本へ帰ることにしていた。最後の夜はどうしようかと思っていたが、先日2回会ったYさんが『広方圓に行ってみたい』ということだったので、案内することにした。今回は広方圓に3回も来てしまった。これも珍しいこと。早めに待ち合わせ場所に着いたので、その辺をフラフラしていると、これまた早めに着いていたYさんと彼氏にばったり遭遇。

 

Yさんは日本でもお茶屋さんに勤めていたこともあり、興味津々で茶葉に見入る。ウダウダお茶を飲みながら話し込む。その内腹が減り、また客家料理に行く。これもまた珍しいこと。まあ、楽しんでくれたようなので良かった。

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6月4日(水)

バニラ航空

ついに台湾を離れる日となった。朝駅前のバスターミナルへ行き、1時間で空港に着いた。今回はバニラ航空という初めてのフライトだったが、チェックインは実にスムーズ。早めにイミグレを通り、レストランへ。ネットをやりたかったので、お粥を頼み、席に着く。まあ空港価格で高かったが、それほど不味くはなかった。

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バニラ航空の乗客は日本人と台湾人、半々だった。同じANA系列と言っても、ピーチとは全く違っていた。座席からCAの服装まで。ただCAは全て日本人だった。この辺が台湾人に受けるのかもしれない。特に問題はなく、目を瞑っていると3時間はあっという間に過ぎ、いつの間にか成田に着いていた。バニラのよい所は、荷物が20kgまで無料(料金に込み)であること。特色を出している。

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今回は成田‐那覇‐台北‐成田を巡ったが、全て違うLCCを使い、料金は20kgの荷物込みで合計約29,000円。やはり格安だ。これからはこの路線で毎年1回は旅をするのもよいかもしれない。

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梨山に登る2014(12)台北 小楊の大宴会と陸羽茶芸

大宴会

昼は先日企画された小楊主催、Tさん送別会が決行された。場所は永康街の大来小館。この店はガイドブックでも絶賛されており、3月にFさんと行こうとして、日曜日の夜に2時間待ちと言われた所。特に魯肉飯が美味いと評判で、先日Yさんと友人の日本人シェフは魯肉飯を食べたという。だが小楊は『ここで魯肉飯なんか、食べなくてもいい、他に美味い物が沢山ある』と言い、今日の宴会となった。

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先日突然会ったYさん、日本人としては少しかっ飛んでいる。初対面の小楊に対して知り合いを3人も連れてくると言い出す。しかも3人とも料理人、面白い。店に行くと大きなテーブルが1つ確保され、小楊と奥さんが待っていた。そこへ日本人男性が2人、Yさんの友人だ。Tさんの送別会だが、全く関係ない人が来るのがまた一興。Tさんは小さい息子と二人で現れる。彼らは7月にはニュージーランドへ旅立つ。

 

しかしYさんは来なかった。彼女は携帯を持たず連絡も取れない。小楊が料理を注文し、出てきた頃にようやく登場。日本から来たシェフの彼氏を空港に迎えに行っていたというが、待ち合わせ場所を間違え、随分探したらしい。さすがYさん。

 

料理は基本的にお店に推薦、そして小楊の希望を加味して作られた。サラダ風のもの(台湾のマヨネーズを付ける)、ソーセージ、肉と野菜炒め、揚げた魚、どれもメニューには無さそうなものが並んだ。そして何といってもご飯によく合う。おかずというのは本来ご飯を食べるためにある物だ、ということを感じさせてくれる。

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8人で卓を囲むと料理数もかなりあり、昼から大宴会となる。でも酒は飲まない。これは健康でよい。本当に美味い物は店の看板メニューではない、ということも良く分かる。シェフたちも満足した様子。店は相変わらず混んでおり、食べ終わると早々に退散する。それでも名残惜しいということで、小楊に家へ行き、更にお茶を飲むことに。

 

シェフである日本人男性3人は、小楊の畳の部屋、劇的な空間を見て、喜び、『至極の時間』を味わう。料理を作る者にとって、『何が本物か、何が本当に手の込んだ素晴らしい物か』を感じることは大切なのだろう。お茶の一杯、一杯をじっくり飲み、香りをかぎ、そして話を聞く。良い時間を過ごしたのではなかろうか。

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Tさんとじっくり話すことはできなかったが、不思議な送別会となった。これもまた台湾らしくてよいのかもしれない。次回はニュージーランドで、と行くのだろうか。名残惜しいが分かれる。帰り道、なぜか夕日がきれいだった。思わず写真に収める。

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そしてGHの部屋を移る。本来は今日までしか予約をしておらず、どこか台湾の地方へ行こうと考えていたのだが、結局面倒になり、取りやめた。だがGHは混んでおり、今の部屋は他の予約で埋まっていた。仕方なく2号館へ。ここの場所は悪くないのだが、入口への階段が急激で、疲れる。Hさんからは『50歳以上には勧めない』という言葉を振り切り、突入した。

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6月2日(月)

陸羽茶芸

さすがに疲れてきた。連日出掛け、人に会い、美味しい物を食べる。一見とてもいい生活に見えるが、疲れは溜まってくる。私の旅には休息日が必要だ。その日が今日ではないかと思い、午前中は部屋から出ずに休む。と言っても貧乏性、旅行記などを書き始めた。

 

空模様はさえないが、返って外は暑くない。昼には外へ出て、散歩する。総統府周辺、いい感じだ。台湾銀行本店の建物は重厚だ。25年の昔、若者だった私はこのビルに入るたびに緊張したような気がする。それくらい重みがある。今は使われているのだろうか、平日だが扉は閉まっている。

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今日はまたまたFacebookで見つけた懐かしい人と会う。Aさん、8年ほど前に東京の代々木でお店を開いていた人で(あとで聞くと手伝っていただけ?)、2₋3度そこへ行き、1度は自分のお茶会を開いた。その後そのお店はなくなり、Aさんとの音信も途切れていたが、昨年成田に転居したことを知る。今回偶然台北に居ることを知り、連絡してみると『陸羽茶芸に来て』とメッセージがあり、出掛けた。

 

陸羽茶芸、台湾で茶芸を広めた中心と聞いており、その茶芸コースは厳しいらしい。北京で一緒だったKさんはそこの卒業生で、日本でも有数にお茶淹れが上手いが、ここで習得したものだという。『まずは中国語を覚え、1年間コースに通い、試験に合格する』、簡単なことではなかったという。いい加減な私は『そこまでやらなくても』などとかる口を叩いてしまい、嫌われる。どうも敷居が高く、足を踏み入れたことはなかった。

 

今回初めて行ってみると、そこは天仁銘茶のお店の上?しかも2階は先日も行った喫茶趣が入っている。そうか、ここは天仁だったのか、と分かる。でも確か3階に来てくれと言われていたので、階段を上がる。3階は全く違う雰囲気だった。静かで、何となくピリピリしていた。

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Aさんはここで先生と言われている。実際に教えている訳ではないが、時々茶芸を披露するらしい。私が知っているAさんではなく、白老師なのである。彼女が適当にお茶を持ってきて淹れてくれる。そしてこの8年の空白を埋めるように色々と話し出す。話は尽きない感じで、どんどん広がる。白老師は茶芸で世界を回っていた。私のアジアより遥かに広い空間だった。

 

途中から生徒がやって来て、『お茶を飲んで』と持ってくる。何とこれも試験勉強だというのだ。何種類ものお茶を自分で淹れ、人に勧める。今日は自習ということで、勉強に来た者同士がお茶を淹れあっている。奥の方には日本人もいるようで、日本語も聞こえてきた。なんだ、この空間は。

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3階には茶葉や茶器もふんだんに置かれており、買うことも出来る。一応ここの生徒用なのだろう。値段もリーズナブル。1階のお土産用とはかなり違うので、お茶関係者には3階に上がることを勧める。結構珍しいお茶もあり、またお茶関係の本もあるので、次回はゆっくりここに来よう。Aさんとは日本での再会を約して別れる。

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梨山に登る2014(11)台北 天仁銘茶

5月31日(土)

元台北市長官邸で

翌日は歩いて立法院付近へ。3月に台北に来た時はちょうどここを大学生たちが占拠し、一大騒動になっていたのだが、最初は気が付かなかった。事件は意外と知られないもの、と感じた。ツイッターなどの情報でようやく内容を知り、その義挙?に驚いた。台湾の学生も大人しそうで、日本とあまり変わらないと思っていたのだが、やはり違っていた。日本の学生が命を懸けて国会議事堂を占拠する姿を想像できない。

 

この辺りは日本時代の建物も多く、土曜日ということか人影もまばらで、気持よく歩く。そんな中に指定された待ち合わせ場所、市長官邸藝文沙龍はあった。ここは1940年、日本時代に建てられ、1994年までは市長が実際に住んでいたという。陳水扁が台北市長になって、民間に開放したらしいが、如何にも元台北市長の官邸。そんな場所にカフェがあるのか、と思いきや、和洋折衷、レトロな雰囲気の穴場カフェがあった。

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Hさんとは香港時代に知り合い、色々と情報交換をしていた仲。先日大学の先輩で台北に住むIさんから突然『Hさんが私の職場にやってきた』と聞き、驚く。確か香港から日本へ帰って1年ぐらいしか経っていないのでは。聞いてみると『希望してきた』という。中国ではかなりハードな旅(いや出張)もしてきたHさん、今度は役職上、旅は難しいらしいが、台湾で何かやってくるような気もする。

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因みにこの建物には広い庭がある。いつもはここでもお茶が飲めるのかもしれないが、今日はここで仏教団体?のイベントが行われており、大勢の人が集まっていた。台湾には以前から熱心な仏教徒がいると感じていたが、最近はとみに目立つような気がする。これも時代の流れだろうか。

 

昼は宿の隣の新光三越へ。とんかつのさぼてんが目に入ったので行ってみる。私はトンカツが大好きで、あると食べてしまう。ビルの6階の店の前には人が沢山おり、満席のため順番を待っていることが分かる。台湾でも大人気なんだ、トンカツは。10分ほど待って店内へ進む。

 

一人で食べている人は殆どいない。家族連れかカップル。当然安い食べ物ではないのでよそ行きの雰囲気。漬け物のダイコンが美味い。揚げたてのトンカツも日本と変わらない。ご飯、みそ汁、キャベツのお替りも自由で、店員がこまめにフォローしてくれるので、ついお替りしてしまう。食べ過ぎだ、どうみても。これで大体1000円ちょっと。日本より少し安いか。バンコックと同じぐらいだな。

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午後は宿のすぐ近くのユニクロへ。実は梨山の茶畑でズボンがかなり汚れてしまい、洗濯しても落ちなかったので、買いに行く。ズボン一本3000円はしない。日本並みか。そして裾上げは直ぐにやってくれるが、有料だった。日本より生地の薄い、バンコック辺りで重宝しそうなズボンが手に入ってよかった。

 

客家料理へ

昨年アモイに行った時、元勤め先の後輩の弟さんと突然会うことになった。昼ご飯をご馳走になったのだが、その際同席していた部下の女性がいた。Kさん、彼女は今年メールをくれ、台北で転職したという。連絡してみると、職場が広方圓のすぐ近くであり、お茶にも興味があるというので、そこで待ち合わせた。

 

広方圓はお茶も美味しいが、お茶飴やパイナップルケーキも美味しい。そして湯さんの女性ならではの商品、石鹸などが置かれており、女性客は何倍も楽しめるようだ。特に湯さんが余りにも若く見えるので、その若さの秘訣がどこにあるのか、興味津々の様子。勿論お茶屋の湯さんは『いいお茶を飲んでいるから』と答えるだけで宣伝になる。これは凄い。

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湯さんの店でアルバイトをしている女性がいたが、何と日本人だった。Kさんとも仲良くなり、皆で食事に行くことに。湯さんに『この辺の美味しいレストラン』を聞くと、道の並びの客家料理を推薦してくれ、何と彼女が連れて行ってくれることになった。これは初めての展開か。

 

店の前は道路工事中で足場が悪かったが、中へ入るとほぼ満員の人がいてビックリ。料理は全て湯さんが頼んでくれたが、客家料理らしく、鶏肉が美味い。更にはなぜか揚げだし豆腐のような食べ物におかかが掛かっており、気に入ってしまう。野菜炒めにしても、味がいい。湯さん、ご馳走様。店に戻ってまた茶を飲む。湯さんの旦那が店番をしており、レストランから持ち帰った料理が彼の夕飯になった。申し訳ない。

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6月1日(日)

天仁銘茶

今日は午前中、大学の先輩、北京でお世話になったIさんと会う。昨日会ったHさんの存在を伝えてくれた人。指定された場所は天仁銘茶のレストラン、喫茶趣、初めて入る。ところが指定された10時少し前に行くと、『既に朝食メニューは止めているので、開店は10時から』と言われる。ここで朝食をとる人、それほど多くはなかったのだろう。お茶を飲みながら、麺を食べる。お店はきれいである。

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天仁は台北に住んでいた1990年頃、よく見かけたお土産物の茶を売る店という印象。それが中国大陸へ進出し、天福の名で全国展開、今では中国のどこへ行っても見られるブランドとなった。台湾企業の中国進出という意味では興味深い企業だ。

 

台湾内では路線を変更したのか、お土産茶+喫茶、という感じで、いつの間にか喫茶店を出し、お菓子や食べ物も提供している。台湾茶の店、茶芸館などが拘り過ぎ、と感じる向きに、気軽にお茶を飲んでもらおうというコンセプトか。イギリス風に紅茶を飲む感覚で台湾茶を飲む、ということかもしれない。

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梨山に登る2014(10)台北 懐かしの老爺酒店へ行く

5月30日(金)

王さん

台北に来てから気になっていたこと、それは25年前にお世話になった王さんのこと。今回も携帯番号をどこかへやってしまい、連絡手段はメールだけ。それももし会社を代わっていれば通じないという状況で数日は返信もなし。いよいよ会えないかと思った昨日、突然電話が鳴った。

 

彼は25年前に私も世話になった会社の社長が作った別の会社に転職していた。実に多彩な人なので、ボスにとってこれほど重宝な人はいない。色々な所から声が掛かり、その度に断れずに働いているが、実家にはかなりの資産があり、リタイアしても問題がないはず。台湾にはこんな人が時々いる。

 

地下鉄文山線に乗り、港墘という駅で降りる。この辺には全く来たことがなく、土地勘がない。勿論王さんの会社の住所や簡単な行き方は聞いていたのだが、最近よくある方向音痴が出てしまい、完全に反対の方に歩いて行ってしまった。一度間違うとなかなか修正が効かない。かなり時間に余裕を持って来たにもかかわらず、遅刻となる。

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行けども行けども見付からず、最後はタクシーを拾う。まあタクシーならあっという間に着いてしまう。立派な本社ビルだった。中に入ると博物館のような展示物があり、コンサートホールまで設置されている。さすがオーナー企業は違う。最近日本ではこういう驚きはなかなかない。

 

王さんは忙しい中、会ってくれた。3年ぶり。引退したいが出来ない言い、実はいまだに色々なことをやっている。少し足が悪いのだが、昔からそれを全く感じさせない行動力だ。数年前からチベット仏教に関心を寄せていたが、ついに本格的に勉強することになり、会社が終わった後、学校にかよく予定とか。台湾では、いやアジアではチベット仏教の信者が増えている。それにしても熱心だ。

 

台湾の経済は厳しい状況にあり、企業は海外に出ているところが多く、国内金融機関は淘汰の時代が始まっている。これから合併などが増えるのではないかと。我々が昔お世話になった金融機関は、逆に日本の金融機関を買収するなど、海外戦略を強化している。これだけ小さな島、これからの方向性が気になるところだ。

 

懐かしのホテル

懐かしい再会を終わり、慌ただしく戻る。ウエスティンホテルのロビーで大学の後輩Fさんと待ち合わせる。このホテル、その昔はぼろかったが、いつの間にか、ウエスティンになっている。サービスもとてもよさそうで、ロビーのソファーも居心地がよく、スーッと眠たくなる。Fさんは女性ながら、日本の大手企業の台湾現法日本側責任者。偉いのである。

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でもFさんと行ったのは、地元の餃子屋さん。こういう店が美味しいし、ウエスティンからのギャップが面白い。台北のよい所は、街がいくらきれいになっても、付近にいいホテルが建っても、必ず庶民的な小さな店がどこかにあること。小皿の前菜を2つ取る。ちょっとした煮つけや野菜。これが口に合う。台湾的な料理、これとスープ、ご飯で十分ではないかと思ってしまう。餃子が付け足しに思えるのは凄い。

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その後、お茶でも、ということで、喫茶店へ。この辺はオフィス街、昼休みは滅茶混み。ところが結構空いている店があった。入ってみると、何とコーヒーが200ドル以上と、普通の店の倍はする。こんなところが出来てきたんだ、そういえば昨日の朝食の場所もそれになりに高かったな、最近のトレンドかもしれないと思ったが、勿体無いのでスタバに移る。何とか席を確保し、お話した。

 

疲れたので宿へ帰り、休息。夕方また出かけた。目的地は老爺大酒店。日航系のホテルで25年前、よく行った場所。何となく若い女性向けかと思わせる内装、当時は珍しく、気分良く過ごせるので、日曜日の午後にカフェで本を読んだり、日本食レストラン中山へも出入りした。またここの広東料理屋は飲茶で有名。何とも懐かしい。

 

実は東京で開催していた寺子屋、当時現役大学生だったNさんが参加、その後社会人になっても主要メンバーに入っていた。これは珍しいケースだった。その彼女が台湾出張ということで、会うことに。だが彼女の出身大学であるG大の同窓生と会うという。そんな所へ合流してもよいものか、と思いつつ、誘われたら流れに任せることに。

 

3階の広東料理屋へ上がって行くと、勿論きれいにはなっているが、昔の雰囲気を残していた。2階の日本食中山は完全に別次元の店に変わっているようだが、名前は残っている。Nさんはここに泊まっているという。一体どんな会社なんだ、こんないいホテルに泊まれるなんて。

 

G大OBが2人、そしてNさんと私、4人会だった。Aさんは25年前から台湾在住ということで、昔話に話が咲いてしまった。もうひと方は某商社の駐在員、偶然2月にお世話になったハルピンの方の名前を挙げると『え、今日の昼ごはんは彼と食べましたよ』というではないか。ちょうど台北出張だったようだ。これもご縁、凄いニアミス。点心を美味しく頂きながら話が弾んだ。

 

梨山に登る2014(9)台北 思いがけない再会

5月29日(木)

Iさん発見

実は昨夜、Facebookを見ていると、何となく見覚えのある名前を見つけた。あれ、誰だっけと考えると、息子が北京に留学した際、同じ学校にいた日本人女性、Iさんだった。プロフィールを見ると『台北在住』とある。メッセージを送ってみると、すぐに返事が来た。世の中狭いものである。今日会うことにした。

 

彼女はわざわざ宿の下まで来てくれた。よく考え見れば3年前、初めてこの宿に泊まった後、彼女もここに泊まっていたことが分かり、Facebook上では繋がっていた。これもまたご縁だ。

 

彼女は『人気のワッフル屋に行きませんか?』という。地下道を一駅分歩き、中山で地上へ上がる。その駅のすぐ近くに、その店はあった。朝10時頃だが、店内は満員だった。凄い。カウンターしか空いておらず、取り敢えず座る。朝ごはんを食べ終えた人が席を立ち、テーブル席に移る。かなり広い店内なのに、なぜこんなに人がいるのか。

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モーニングセットを頼む。パン、卵、ハム、サラダ、そこに飲み物、定番だ。ただ何となく質がよさそうな食べ物だ。そしてワッフルも頼んでみる。相当の大きさがあるワッフルにストロベリーが掛かっている。これが大体同じ値段、決して安くはない。食べてみると両方とも美味しい。台湾人にはかなり拘りがある。その気質は日本人に似ている。3-4年前は行列が出来ていてなかなか入れなかったらしい。最近はこのような店が増えてきたようで、我々は席にあり付けたということ。

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Iさんは北京留学の後、演劇関係を目指して台湾にも留学。つい最近台北で就職した。その勤め先を聞くと、私も昔関係があった日系企業であったので、何気なく、『ここの現地法人のトップは誰?』と聞いてみると、何と何と、15年前北京で大変お世話になったKさんだという。これもまたご縁、Iさんはしきりに『会社のオフィスへ行きましょう』と誘ってくれたが、私は今や単なる旅人。名刺を託すことにした。その夜、Kさんからすぐにメールが来た。『懐かしい、会いたい』と言われ、15年前の日々が急速に蘇る。後日台北で再会することになった。人はどんどん繋がっていく。

 

広方圓で

腹が一杯になり、昼ご飯を抜いて、部屋で休息。休息というか、最近何も書いておらず、さすがに原稿書きも必要だった。大体いつまで台湾に居るのか、次は台湾のどこへ行くのか、さえ、決まっていなかった。どこか茶畑へ行きたい気もするし、何だか疲れたので日本へ戻ることも考えた。こんな時は色々考えるのを止めて、東京行のフライトを見てみる。なぜか6月4日のバニラ航空が安い。これだと思い、予約。滞在日が決まった。

 

夕方歩いて広方圓へ。近くまで行くと急に腹が減り、またモスバーガーへ。何とここでホットドッグを食べる。何とも久しぶりだ、ホットドッグ。午後は下午茶で、色々と安い。一息入れて、休む。

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広方圓の湯さんには事前に電話をしてあったが、やはり?いなかった。店番の女性に見覚えがあった。湯さんの妹、グレースだった。この姉妹、それほど似てはいない。グレースは昼間だけ、店番をしている。その関係で湯さんは普通昼間は店に来ない。今日はグレースとお茶を飲むことにした。

 

湯さんは以前プーアール茶、その後高山茶に力を入れてきたが、近年は紅茶。台湾紅茶を広めたいと意気込んでおり、自ら紅茶を作りに南投あたりに出掛けている。本当に良いお茶を、自分が飲みたいお茶を手に入れるには、流通しているお茶を探しても無理。自分で茶葉を確保して、茶師も確保して、自分で作るしかない、これは先日梨山でも体験したことだったので説得力がある。湯さんがやってきたのは6時前、私は次の予定があり、また来ると言って店を出た。

 

Bさんと

夜はミュージシャンBさんと。3月には彼のコンサートにも行っており、上海留学も一緒で会社を辞めたことも同じで親近感がある。今日は小籠包でも食べようということになり、3月にHさんに連れられて行ったお店へ行く。ここは小籠包も美味いけど、炒飯やスープもウマイ。店はいつも混んでおり、日本のガイドブックにも載っているので、日本人観光客も来ている。

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Bさんとはこれまで、何回か会ったが、個人的な話、家族の話などをする機会はなく、今回初めて色々と聞いた。そこにも共通点が見られ、我々同世代、共通の悩み、があるように思われた。彼は力強く『何かあれば協力しますよ』と言ってくれた。28年前は上海の同じ大学内に居ても、殆ど口を聞くこともなかったのだが、ご縁というものはやはり面白い。これの今後のミュージシャンとしての成功に期待したい。

 

食事が終わって、お茶でもと言って歩き出す。Bさん目的の店は何と既に閉鎖されていた。数年前はとても流行っていたのだが、店の場所を移ってから振るわなくなったらしい。仕方なく、歩き出すと、実にレトロな建物があり、映画のセットのようになっていた。今やこんなところがあるんだ、台北。ここでお茶をしようとしたが、台湾の若者が酒を飲んでおり、どこも満員。

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更にまた歩き出し、いつしか台北駅に近づく。そこに一軒のカフェがあった。店内は台湾の若者で一杯。幸い1つだけ席があったので、潜り込む。この店、パスタやサンドイッチなどもあり、夕飯を食べることも出来る。驚いたことにコーヒーを頼むとパンが無料で付いてきた。お腹は一杯だったが食べてみるとこれが美味い。え、こんなおいしいパンが無料、台北恐るべし!

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梨山に登る2014(8)台北 お茶屋巡り

5月28日(水)

中国人

翌朝、朝飯を探す。粥屋があったので、入って食べる。食べ終わってフラフラと外へ出て、横の店でマントウを買おうとしてハッと気が付く。あれ、粥のお金、払っていない。慌てて店に戻り、すみません、と言いながらお金を渡すと『ああ、戻ってくると思っていた』と。何と台湾的な!

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地下鉄で101に向かう。ここに来るのは何年ぶりだろうか。中国大陸からの観光客が大挙してやってくる。外では法輪功が座り込み活動をしている。台湾人は『法輪功がいいかどうか知らないが、ここでやって欲しくない』という意見が多いらしい。法輪功は大陸では邪教なので、大陸中国人に見せつけるために、観光客が多い場所をあえて選び、中国政府の非道ぶりを訴える。

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知り合いのJと会った。建物の1階のフードコートは満員だったが、何とか席を確保し、食事をした。でもなぜかJは食べなかった。『沢山並んでいるかいいや』というが、どうなんだろうか?複雑な心境でもあるのだろうか。

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食後、歩いて喫茶店へ行く。オープンドアの小さなお店。コーヒー専門店と言いながら、日本の煎茶などもある。と言っても日本から来たお茶ではなさそうが、とにかく抹茶に煎茶、台湾では認知されてきている。店は大変混んでいたが、何とか席を確保して座る。また小雨が降り出す。

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小楊

バスで科技大楼へ行く。ここで先日突然巡り合ったYさんとバンコックお茶会で一緒だったNさん(今年バンコックから台北へ)と合流した。小楊の店を目指す。3月にも行っていたので、すぐに行けた。だが電話しても小楊はいなかった。奥さんがいたので中へ入れて貰い、5階まで階段を上り、屋上の植物園?を見学する。

 

その内に小楊が戻ってきた。相変わらず飄々としている。この突然の空間にYさん、Nさん共に驚きながら座る。Yさんは茶盤に興味津々。3年前に連れて行って貰った完全有機栽培の四季春が出される。ああ、もう一度行ってみたい。武夷岩茶も懐かしい味。かなりまったりと過ごす。Yさんが働いていた台北のお茶屋さんの話題でも盛り上がる。お茶はアートか?

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その内、日本人Tさんの移住話となる。小楊が突然、送別会をやろう、と言い出す。今度の日曜日、永康街の店で。小楊の行きつけだという。Yさんが先日、シェフをやっている友人と行ったというと、『本当に美味しい料理を頼んでやるから来い!』と誘う。Yさんも負けじと『じゃあ、その日本人シェフも連れて行く』と言い出し、大宴会の予感。誰のための会だっけ?

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それからも散々お茶を飲み、鉄瓶に触れ、急須を愛でる。もっとここに居たかったが、日曜日の再会を約して別れる。すぐにタクシーに飛び乗る。台北の道は相変わらず混んではいない。

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遊山茶坊

向かった先はやはり3月にも訪問した遊山茶坊。距離が近いのでここを選ぶ。Nさんは早めに帰る必要があったが、今回はサッと見学するという前提で同行。一見さん、御断り。皆日本家屋に圧倒される。

 

楊経理はにこやかに迎えてくれ、案内をしてくれた。そしてお茶。この空間で飲むお茶はまた別の味がする。お腹が空いたと言えば、特別にデザートを用意してくれた。Yさん、大感激で、喜びまくる。確かにこういう空間でこういうサービスを受ければ感激するわな。Yさんは日本でこんなお店をやってみたいのかな。

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小型焙煎機が室内にあり、常に良い香りがする。お湯が沸く音が微かにする。周囲に音はなく、ただ庭の夕暮れを眺めるだけ。あっという間に日が暮れて、時間は過ぎて行った。帰りは歩いて地下鉄の駅まで。何となく余韻に浸る。

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梨山に登る2014(7)梨山 山の別れ

5月27日(火)

天池

翌朝は雨だった。天気が悪いと気持ちが沈む。一面、霧に覆われた茶工場、そして茶畑。歩いていても、ジメジメして寒い。オフィスに入ると、皆何となく浮かない表情で働いていた。しかし天気ばかりはどうしようもない。工場では昨日何とか運び込んだ茶葉を盛んに製茶している。あの土砂崩れの中救出された茶葉、何となく愛おしい。

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今日私は山を下りる。Johnnyが『帰る前に天池を見に行こう』と言い、荷物を積み込んで、工場を後にした。呆気ないほど簡単な別れだった。まあ、また来ることもあるだろう。車は懐かしい茶畑を過ぎ、別の山へ。そこに天池はあった。霧が無ければとてもいい景色だろうという場所に車を停める。

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少し歩くと霧の中に池が現れる。なかなか幻想的な風景となっている。そして向こうに霞んで建物が見える。達観亭、蒋介石の別荘、いや会議をするための建物らしい。蒋介石は風光明媚な所に別荘を多く建てている。恐らく1年の内半分以上は別荘で政治をしていたのではなかろうか。

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達観亭の中を見学しようとすると、既に午前中の見学時間は過ぎていた。だがJohnnyが声を掛けると、おばさんが出てきて、どうぞ、という。こんな天気だからお客さんは来ないと思っていたと言いながら、中へ促す。1階は会議をする雰囲気はあるが、2階には大きなベッドがあり、休息場所だった。おばさんによれば、実際の宿泊施設は別に山荘があるという。何という贅沢な。行ってみると、古めかしい建物はあったが、中の見学は出来なかった。今でも使用されているのかもしれない。雨も降っていたので、そのまま車に乗り、スルー。

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梨山の街に入る。そこでランチを取る。美味い麺があるというので、注文する。Johnnyとは4日間も一緒にいた。彼は忙しいのに色々と面倒を見てくれた。とても感謝している。別れはちょっと辛い。

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バスで下山

梨山発1時のバスを探すがどこから出るのか分からない。雨はかなり強くなり、周囲が見えなくなる。バスは2台停まっていたが、運転手の姿はない。梨山山荘、立派なホテルがあり、逃げ込もうかと思ったが、もしバスが出てしまうと、今日はもう便がない。強風が吹く中、耐えて待つ。もう一人、バスを探している人がいた。

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1時少し前に運転手が来て、バスに乗り込んだ。Johnnyは手を振りながら去って行った。何だかとても寂しい気分になる。雨のせいだけではあるまい。バスは直ぐに動き出す。ちょっと下って行くと晴れてきた。やはり山のお天気だ。そしてバスが停まる。ここでも通行止めがあった。本当に大変だ、山の中。そこも無事に通ると、後は来た道を戻るだけ。目を瞑っているとどんどん時間が過ぎた。特に何もしていなかったような気がするが、実は相当疲れていた。当然だろう、2500mの高地、慣れていなかったのだが、何となく過ごしてしまった。これも旅慣れた、ということだろうか。

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宜蘭に着くと、天気だった。先ほどの梨山の風雨は何だったのだろうか、そしてあまりに暑い。というか、梨山が如何に涼しく、快適だったかが今になって分かる。バスのエアコンが心地よい。台北までのバスは梨山と違い、頻繁に出るので、すぐに台北に到着してしまった。

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3.台北

吉野屋

宿に戻る。今回は本館に泊まる。先ずは溜まっている衣服の洗濯だと思い、リビングに行くと、60代の男性が洗濯しようとしていた。だが、洗濯機の使い方が分からないという。自宅ではやったことがないのだろう。日本統治時代の何らかの研究にために来たという。ネットも自分で繋がなければならない。良い経験なのではないだろうか。

 

洗濯しながらネットを見る。山の上でもネットは繋がったのだが、やはり何となく落ち着かなかった。ここでは落ち着いてメールを返信し、ブログアップを行う。旅の間は出来ることは限られる。あたりは暗くなり、腹が減る。

 

外へ出ると、なぜか吉野家が目に入る。偶には食べてみるかと入っていく。吉野屋と言えば、25年前、台北単身赴任中によく行ったところ。確か近くに店がなかったので、タクシーで行ったな。吉野屋にタクシーで行く、それだけでバブルっぽい。そして驚いたのが、定食は味噌汁かコーラが選べたこと。牛丼にコーラなどあり得ない、と思ったが、ある日思い切って食べてみるとこれが意外とイケた。以後、私は吉野屋ではコーラになった。

 

今回も久しぶりなので牛丼、コーラを注文しようとしたが、何とコーラは無くなっていた。代わりは紅茶?だった。試しに頼んでみると、甘いアイスティーが出てきた。これで牛丼は辛かった。店員は『今は皆さん健康志向です!』と言い、メニューには『ヘルシー』と称して、生野菜と温野菜が付いたセットがあった。店は混んでいたので、ちゃんと顧客ニーズを掴んでいるのかな、と思うが、甘い紅茶が健康なのだろうか。

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梨山に登る2014(6)梨山 土砂崩れで危機一髪

大禹嶺の茶畑

昼飯がやってきた。野菜の炒め物、魚、何でもウマイ。何度でも食べられる。塩味が効いていてよい。午後、宅急便がやってきた。正直こんな所まで来るのか、と驚いた。『黒猫』は今や台湾でも誰もが知る名前。『他の業者は来てくれないが、黒猫だけは来てくれる。有難い。お蔭で、作った茶葉をすぐに豊原に送れる』と喜んでいる。担当者も動作がきびきびしていて、重い茶の箱を慣れた手つきで運んでいく。こんなところにも日本の技術、いやサービスが生きている(恐らくはヤマトは出資せずにノウハウを提供しているだけだろうが)。

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Johnnyが『行こう』と言って車に乗り込む。今日は遂に有名な大禹嶺の茶畑に行けるらしい。ここから車で30分ぐらいと聞いて、気楽に出掛けたのだが。Johnnyが妙に時間を気にしている。茶畑で何かあるのだろうか。ある程度の所まで行くとJohnnyが『やっぱりな』と残念がる。前を見ると、こんな山の中で渋滞が起こっている。信じられない思いで見ていると、彼は車を下り、前方を確認に行く。事故なのだろうか。付いて行く。

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何と通行止めだった。そして驚いたことにはこれは昨年の集中豪雨で土砂崩れが起きて以降続いているらしい。何と1時間の間に僅か10分だけ、通行が許されている。前の方には香港から来たサイクリングチームが楽しそうに話しながら、待っている。更に前を見ると確かに崩落しているところがあり、剥げ落ちた山肌で作業している人がいる。

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20分後にようやく通行が出来、無事茶畑に着いた。ここも急斜面。Johnnyのおじいさんたちが切り開いた場所の近くらしい。現在でも不便な場所、今から40年も前にどうやってここへやって来て、茶畑を作ったのだろうか。ここにもジェットコースターの小型版が設置されており、摘んだ茶葉が次々に運ばれている。我々は歩いて登ってみる。登るだけでも大変なのに、摘み手は素早い手の動きでどんどん摘んでいる。

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隣の畑は木が切られていた。ここは政府の所有地だとか。最近台湾政府は自然災害、土砂崩れなどの原因として、『茶樹を植えたこと』を挙げているようだ。その是非は良く分からないが、茶農家は当然反発している。政府は強制的に畑を接収していると聞いていたが、ここにもそれが現れていた。だが、木を切った後、なにも植えられていない。これではもっと悪い状況ではないのか。如何にも台湾的対応。これで土砂崩れが起こったらどうするのだろうか?これから高山茶の畑も減少して行く運命にあるのは間違いがない。

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皆、ギリギリまで茶葉を摘んでいた。日は傾いたがまだまだ明るい。ただ通行止めの時間を見て、そして茶葉の工場での処理を考えて、切り上げた。そして大量の茶葉を摘み込み、車で戻る。通行止めの場所をクリアーして、さあ、工場へ、と思ったところで、思わぬ言葉を聞いた。『路、不見』、え、何だそれ。道が見えない、とは?

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道路陥没

何と山道の路肩が落ちており、車は通れなくなっていた。僅か1時間半前に通った道なのに。崩れた時に通っていたら、命はなかった。どうするんだ、と見ているとJohnnyは携帯で工場に電話を入れ、あるだけの車を呼んでいた。車は通れないが、人はまだ何とか通れるらしい。経営者としては、人命が確保されれば、次は茶葉。何としても摘んだ茶葉を生かさねばならない、それは摘んだ人々も同じ気持ちだったろう。

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おばさん達は車から茶葉の入った籠を取り出し、担いで歩き出した。Johnnyは彼らについて一緒に向こう側まで行ってまた戻ってきた。そして私に『どうする?』と聞く。茶葉と一緒に工場へ帰るか、車と一緒に迂回路を通って帰るか。迂回と聞いたが、2₋3時間はかかるらしい。しかしここでJohnnyを見捨てるわけにはいかない?私も彼に同行して車で今来た道を引き返す。閉鎖されている道路の最終通行時間を何とかクリアーして茶畑の横を通り・・。

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それにしてもなぜ急に崩れたのだろうか。私が台湾に来る前の日、花蓮で強い地震があり、この辺りもかなり揺れたらしい。そして毎日雨が降った。強い雨ではなかったかもしれないが、連日少しずつ地盤が緩んだ。そして地震の数日後、とうとう崩れたということ。山ではすぐに土砂が崩れのではない、と分かると、急に恐ろしくなった。

 

少し行くと道路脇で車が停まる。全部で4台の車が繋がっていた。建屋に皆が入っていく。知り合いの茶農家らしい。ちょうど皆がご飯を食べていたが、我々もそこへ入り込み、一緒に食べ始める。先ずは腹拵えということか。周囲には茶葉が室内で干されている。食べ終わると、双方お茶の情報交換が始まった。基本的に台湾語なので良く分からないが、長老を中心に、輪が出来た。困った時の相互扶助、山間部の連帯を見た。

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そして山道を行く。既にあたりは暗く、どこを走っているのかは分からなかったが、どうやら別の山を越えて、回り込もうとしているらしい。途中3000m近くまで登る。そこに何と数時間前に見かけた香港人のサイクリングチームの姿があった。雨が降ってきている。気温は10度ぐらいしかないだろう。

 

隊列は既になく、個人の力で喘ぎながら登っている。遅れている人たちは危険な状態にあるようだ。Johnnyは車から降り、リーダーと思われる男に近づき、道を教え、指示をしている。そして車に積んでいたパンを与え、励ました。Johnnyの優しさが溢れていた。山は本当に恐ろしい。あの通行止めで予定時間が狂ったのだろう。更にここまで寒いとは思っていなかったかもしれない。間違えば遭難の危機だった。全員が無事に目的地に着いたのかは分からなかったので、心配だ。

 

それから山を越え、また別の山道を行く。所々道が崩れているのを見て、これは決して簡単な旅ではないことが分かる。下手をすれば、また土砂崩れが起き、巻き込まれる可能性もあった。細い道では水が溢れているところもあり、常にリスクを感じる。2時間以上、登って降りてを繰り返し、大きな道にセブンイレブンを発見した。ここで休息。Johnnyは『ああ、20日ぶりに文明社会に戻った!』と大きく伸びをして、何とアイスコーヒーを注文した。確かにお茶ばかり飲んでいたので偶にはコーヒーという気持ちは良く分かる。そしてあの山の中の工場から見れば、コンビニが輝いて見えるのも頷ける。

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それから30分ぐらい走り、ついに工場に戻った。夜も10時を過ぎており、3時間半以上かけて迂回したことになる。いや、これは迂回などというものではなく、全く別ルートを命がけで脱出したというべきだろう。民宿のベッドで初めて『恐ろしい』と思い、眠れなくなる。