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両岸三通の茶旅2015(19)南投 鹿谷の品評会

6.南投

5月10日(日)

鹿谷まで

台北に戻り、2つの茶荘に寄るなど、用事を済ませてから、駅で高速鉄道のチケットを買った。明日は日曜日だから混んでいるかと思ったが、実際に翌日駅に行ってみると予想外に空いていた。拍子抜けだ。今日は台中経由で鹿谷へ行く予定だ。台北-台中の高速鉄道料金は735元。所要時間1時間であるから、日本では東京―静岡ぐらいか。だとすれば料金は約半額だろうか。これなら乗ろうという気になるが、高過ぎて日本では新幹線は乗りたくない。

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列車は快適に運行され、時間通りに高鉄台中駅に到着した。ここから渓頭行きのバスに乗るよう指示されていた。これが混んでいるという話であったが、チケットがすぐに買え、バスも直ぐに来た。この時間帯、バスは頻繁に出ていた。日曜日の朝、渓頭のハイキングや温泉に行く人が一杯いるからバスも沢山は知っているはずだが、今日は何故か空いていた。

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見慣れた風景の中、バスで1時間ほど走る。冷房が効いていて、車内はかなり寒い。昨年3月に車で竹山までは来ているのだ。竹山のターミナルにはホテルができており、人の往来が多いことが分かる。ここは鹿谷の下の街なので、もうすぐだなと思っていたのだが、そこからが意外と時間が掛かった。U君に言われていた停留所まではなかなか着かない。合計1時間20分ぐらいかかってようやく、指定されたバス停に着く。既に多くの人は下車した後だった。

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そこにはU君が待っていてくれた。彼とはちょうど4年前、この鹿谷で初めて会った。その時彼は茶業の修行中だったが、その後修行を重ね、2年前に帰国。今は日本で台湾茶の卸しを行っている。今回もお茶の買い付けのために滞在している彼に色々とお世話になり、鹿谷を回ってみようと思ってやってきたのだ。バス停にはちょうど昔の農会長の林さんがいた。この人が鹿谷の品評会を仕掛けた人だと4年前に紹介され、お話を聞いたのをよく覚えている。台湾茶の内需振興はここ鹿谷から始まったとも言えるのだから、実に重要な話だ。

 

それから歩いて教会へ行く。ここがU君の根城だ。彼は4年前もずっとここに泊まって活動しており、今回もここに居た。前回は私も泊めてもらったので、今回もここでよいと勝手に思っていたが、教会の管理が変わり、泊まることが出来なかった。取り敢えず彼の部屋に荷物を置かせてもらい、出掛けることになる。毎回のことながら、流れは全く読めない。

 

農会品評会

歩いて農会に向かう。前回もやって来たが、見晴らしの良い場所だ。今日は大勢の人が農会に集まっていた。春の品評会のためのお茶の出品日に当たっていたのだ。U君も昨日まで出品用のお茶を作っていたという。U君の周りに人が集まってきた。何と新聞記者など地元のマスコミ関係者だった。今やU君は間違いなく鹿谷で一番有名な日本人なのだ。突然インタビューが始まる。テレビカメラも回っている。どうなっているんだ、この意外感は。

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台湾で今一番話題になっていることは、食の安全かもしれない。昨年噴出した油の問題をはじめ、最近ではお茶からも残留農薬が出たらしい。これはどうも台湾以外で作られ、輸入されたお茶から出たというのだが、マスコミ的にはこの点がニュースの焦点であり、U君への質問もそこに集中していた。日本の茶葉についての質問も飛ぶ。それに対して1つ1つ丁寧に答えるU君。驚いたことに4年前に比べて台湾国語が飛躍的に上手くなっている。南投の訛までばっちり身に着けている。目を瞑って聞いていると、台湾人が話しているのと特にそん色がない。これは驚きだった。地元に深く入り込んでいる、と確実に印象付けられた。結局取材の一部が後日記事になっていたが、その中にはなぜか私の名前を入っていた。

 

品評会に出品する人は毎年増えているようで、すごく混んでいた。受け付ける方も相当の人員を用意して対応している。もし品評会で賞を取れば、そのお茶の価格は数倍に跳ね上がるのだから、みな力が入っている。品評会は何となく博打好きの台湾人気質にあっているような気がする。出品するためには20kg以上の茶葉を用意する必要があると聞いたが、それでも何品も出す農家が大勢いる。皆が大きな茶袋を持ち込み、それを正確に測っていく。

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『農薬検査で不合格になった茶葉は1.5万元から15万元の罰金を科す』との表示が出ている。これが先ほどの取材ぶりを反映している。勿論違法な農薬を使った茶葉を持ち込む人などいない筈だが、これは対外向けのパフォーマンスなのだろうか。それともついうっかり、というケースがあるのだろうか。

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農会の事務所に行くと、先ほどの取材陣がお茶を飲みながら雑談していた。相手をしているのは秘書長。元宣伝担当だったという彼は鹿谷のお茶の歴史についての資料のありかも知っているかもしれないというので、聞いてみると、『これを読んだら』と冊子を1冊渡してくれた。まずちょっとこれを読んで勉強してみようと思う。

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両岸三通の茶旅2015(18)馬祖 媽祖生誕祭

5月9日(土)

媽祖生誕祭

午前8時に部屋の窓から下を見ると、既に大勢の住民が集まっている。街内アナウンスが響き渡り、祭りの開始を知らせ、更に住民に集まるように求めている。まさに村の祭りの様相だ。小雨が降っていたが、みな気にもせずに最後の準備をしているようだ。私も何となく気になってしまい、下に降りていく。廟の脇には大きな豚が丸ごと、奉納されており、迫力がある。

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海の方を見ると、こちらにはお揃いの服を着こんだ人々が何かを待っている。管理人に聞くと『媽祖様が海からやってくる』というので、海辺に行ってみる。お揃いの服だけではなく、被り物をしている人、大きな旗を持っている人、獅子舞の大きな獅子を操る練習をしている人々、地域ごとに、学校単位で、媽祖様を待っていた。台湾のマスコミも数社来ており、この祭りの大きさが分かる。ドローンを飛ばして、取材を進めているのが何とも面白い。

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途中雨が降ってきたが、みな構わずに海の方を眺めている。雨に煙る港についにフェリーがやってきた。爆竹が一段と大きく鳴り響く。それを合図に皆が少しずつ動き出した。露払いのようなじいさんの被り物が、先頭を払っていく。その後ろから整然として列をなし、みなが廟に向かって歩いていく。小型の山車も出ていた。島の役場幹部も沢山来ており、人々に声をかけ、激励している。皆顔なじみのようだ。本当に島を挙げてのお祭りであることがよく分かる。

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隊列は真っ直ぐに廟には向かわず、港前の小さな廟に寄り、それから狭い路地を練り歩く。地元住民は総出で戸外に列をなし、山車が通ると、線香を捧げている。その祈りの姿が実に良い。老人が多いが、サポートしている若者もいた。台北あたりから祭りのために戻ってきたようで、微笑ましい。坂を登り始めると、また爆竹がすごい。もう耳が裂けそうな音だ。

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廟の階段を上がっていき、廟の正面で祈りを捧げている。ここで一大イベントがあるのかと待ってみたが、少し経つと隊列は廟から離れ、更に坂を登り始める。恐らくは県庁の方まで行くのだろう。さすがにそこまで付いていくと大変なので、諦めて戻る。既に清掃車がやって来て、爆竹のゴミなどが片付けられている。さすが台湾、中国ではあり得ない対応だ。港付近には祭りを見に来た観光の人々が沢山おり、小雨の中、バス停に避難する人もいる。

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そこで腹が減っていることに気が付く。港前の昨日の食堂へ行くと、今日は大入り満員。それはそうだ、これだけ大きな祭りで、食べるところはないのである。何とかサンドイッチと蛋餅をゲットして、頬張る。祭りだからといって屋台が出るわけでもなく、地元の人は祭りで忙しいのである。

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食後、そのまま観光に行く。といってももうバスも飽きたので、近くへ。実は馬尾からフェリーでここへ来る時に、大きなスローガンが見えていた。「枕戈待旦」と書かれていたが、どんな意味があるのだろうか。小高い丘の上にあるのかと思っていたこのスローガン。実は地上5階建ての建物の上に置かれていた。外の階段を登ってみると結構きつい。1958年に馬祖島を視察した蒋介石が書いたものだという。「矛を枕にして寝て、あしたを待つ」とは、すなわち戦いの準備をいつも怠っていないということを表わしており、馬祖の軍隊を鼓舞していた。

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ここからは港付近が一望できる。そして下には蒋介石の像が見える。遥か福州の方を向いて、故郷への復帰を夢見ていたのだろうか。蒋介石の像は色々な場所にあるが、この像を見ていると、その重みを考えずにはいられない。この島の置かれていた位置、過酷な運命、日本人は一度この地で戦争についてよくよく考えてみるのが良いのではないだろうか。雨に煙る港はほんの少し何かを語っているように見える。

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宿へ帰り、室内に干した洗濯物を片付ける。いよいよこの宿を離れる時が来た。しかしなぜか荷物が収まらない。既に茶葉などで満員になっていたのだが、一度出してしまうと、同じようには入らないらしい。そのうちに管理人が迎えに来た。無料で空港まで送ってくれるというのだ。素晴らしい。荷物はまた紐に括り付けて、下まで下ろす。このサービスは良い。

 

空港までは10分かからない。既に訪れた八八坑道のすぐ上だ。3時50分発の国内線フライトなので、3時過ぎに来ても余裕だ。管理人は車を降りて、チェックインカウンターまでちゃんと付き添ってくれる。何という親切。そして預け荷物のカウンターに行くと長蛇の列。台湾人のグループが『10kgを越えているか』で各自の荷物の賭け?をしていて、一喜一憂。これはまずい。私の荷物は来る時に14kgだった。今回は超過料金を覚悟したのだが、結局超過していても、料金は徴収されなかった。何故だろうか、ラッキー。待合室にはまだは入れない。

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出発10分前にようやく搭乗。飛行機はART72という小型双発機。このサイズだとすぐに満員になってしまうのだろう。滑走路が短いのかもしれない。エバ航空の子会社である立栄航空が運航していた。復興航空より信頼感を感じてしまう。フライト時間は40分程度。コーヒーが出てきただけですぐに松山空港に着陸した。これくらい早いと楽でよい。楽しかった馬祖ライフも、あっという間に終わってしまった。

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両岸三通の茶旅2015(17)馬祖 戦争が遠のき寂れていく島

店に入ると女性が携帯電話で話し込んでいたが、私は質問すると親切にお茶について教えてくれ、更には試飲もさせてくれた。あの茶園は2007年頃に台湾本島の人が投資して作った新しい茶園だった。その20年ぐらい前に一度馬祖の人が茶園を作ったが失敗したらしい。現在はウーロン茶と紅茶を作っているという。まだ知名度もなく、これから本格的な生産を開始するのだという。次のバスまで15分しか時間がなかったので、簡単に2種類飲ませてもらったが、正直まだ購入しようと思うレベルではなかった。次回来たら、ゆっくりもう一度飲んでみよう。

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バス停に走って行くと、ちょうどバスがやって来て、何とかバスに乗り込む。昨日行った津沙の近くを通り、旅遊服務中心というところで降りる。ここに北海坑道という観光スポットがあるらしい。行ってみると確かに坑道があった。先ほど八八坑道に入れなかったので、どんどん行ってみる。すると、坑道内に船が浮かんでいるのが見える。水があるのである。どうやらここから小舟に乗り、坑道内巡りをするらしい。ただそれがどのくらいの時間が掛かるのか、すぐに乗れるのか全く分からなかったので、パスして引き返した。因みにこの坑道は1946年に作られたもので、完全に国共内戦を想定している。その頃は相当の緊張が走っていただろう。

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外に出るとインディアン頭岩というのが見えた。突端の岩がインディアンの頭に見えるというのだが、そうは見えなかった。その向こうを海沿いにへ歩いていくと、今度は大漢據點という1954年に作戦拠点として作られた基地があった。入ってよいのか分からなかったが、誰もいなかったので進んでみる。中は薄暗い。先の方に人が沢山いた。団体観光客がガイドに連れられて、見学していた。坑道には2つのルートがあり、団体さんがいない方へ向かう。

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海の所まで出ると、砲台が設置されていた。飾り物だと分かっていても、目の前に大砲を見ると、やはりリアリティがあり、ここから砲撃をしていたのかと、一種の恐ろしさが湧き上がる。まあ逆に言えば、この程度の装備で戦闘状態に入った場合、どのような事態が訪れるのか、それもまた考えると恐ろしい。徴兵された若い兵士の恐怖、中台の戦いとは何だったのだろうか。どう見ても中国のすぐ横にあるこの小さな島を押さえられなかった中国。何とも不思議な状況だが、それがこの地域の当時の状況をよく表しているのかもしれない。

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急な坂を上がり切り、今度は急激に下がってみた。鐵堡と呼ばれる要塞があると聞いていたので、行ってみたのだが、門を潜ると小学生が建物に入っていくのが見えた、同時に見張りの兵士も目に入る。どうしてよいか分からず、兵士に向かって『見学できるか』と聞いてみると、『ダメに決まっているだろう』というふうに手を横に振る。やはりここも軍事拠点、小学生は授業の一環か何かで、特別に参観していたのだろう。鐵堡は見学できない場所なのかと思っていると、さっきの兵士が『向こうだ』という感じで手を方向を示してくれた。

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海沿いに歩いていくと、ちゃんと遊歩道のようになっており、観光地の体裁をなしており、遠くに突き出した要塞が見えた。歩いてかなり急激な階段を下りていく。完全に要塞化されている。後ろからさっきの小学生たちもやってくる。社会科見学か。中に入ると、かなり狭い通路を通る。その通路には兵士が寝ていたというスペースがあったが、その狭いこと。体を丸めて寝ていたのか。ここで寝起きしていたとすればこれはきつい。ここは有事の場合の仮眠場所だろう。その先は海になっていた。ここから監視を続けていたのか。上に上がると、周囲が一望できる。小学生がやってきたので、それを避けて帰るが、狭い階段で彼らと何とかすれ違う。これも軍事上の配慮だろう。

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帰りに鐵堡の天后廟に寄る。この島の海が見えるところには、どこにでも廟があるようだ。海の守り神、深く信仰されている。また坂を上り、バス停でバスを待ってみたが、すぐに来ないので、別の坂を下り、村の中を見てみる。細い道が海まで続いている。その途中に店があり、民家があるが、人は全く歩いていない。過疎化、という言葉がぴったりだ。中台の関係緩和以降、この島はどんどん寂れているのだろう。それは悪いことだろうか、何とも言えない複雑な思い。

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バスがやってきたので、乗り込む。もうバスにも慣れてしまい、どこを通ろうと驚かない。今回は真っ直ぐ宿のある港へ向かったので、また夕飯に困る。いや、この港で困るのであれば、恐らく食べられるところはかなり限られているのだろう。結局昨日と同じ食堂へ入り、定食を食べるしかなかった。昨日は鶏、今日は豚肉という違いだ。因みに飲み物はネスレの紅茶だった。やはり食べ物とは合わないが仕方ない。午後4時台に夕飯を食べるのは、何となく面白い。

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小雨が降ってきた。洗濯物を干していたのを思い出し、慌てて屋上へ駆け上がる。残念ながら洗濯物は濡れており、どうにもならなかった。明日は台北に帰るのに、と思っていると、その思いが伝わったのか、急に晴れ間が覗く。喜んでそのまま干し続けたが、少しするとまた小雨が降る。島の天気、海の天気は気まぐれだ。天后廟で祈る気持ちもよく分かった。

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宿の横の廟はかなり騒がしくなっていた。明日から媽祖生誕祭が始まるのだ。その準備のため、この過疎の島の島人たちが沢山集まっていた。宿の管理人もやって来て、『明日は9時から儀式があるから、見ろよ』と言って行く。何と良いタイミングで滞在しているのかと喜ばしくなる。その夜も早く休んだ。本当に静かな夜、ぐっすり眠ったのだが。翌朝は早朝から、爆竹が鳴り響き、飛び起きることになる。

 

両岸三通の茶旅2015(16)馬祖 海辺の軍事施設と媽祖巨人像

5月8日(金)

馬祖街歩き

朝はかなりゆっくり起き上がる。馬祖にやって来た目的は特に何もなく、単なる休養とした。それにしても休養するには絶好のリゾート型宿。お茶を飲みながら、広いベランダから眺める海の風景は本当に癒しになる。天気も悪くないので、昨日に続き、洗濯をしたりする。風が吹き抜ける屋上に洗濯物を干す気持ちのよさ。ハマるな、これは。

 

そしてさすがに腹が減ったな、と動き出した。まあとにかく5階建ての5階にいるのだが、エレベーターがないので、一度下りたら、早々上がって来られない。食事をしたらそのまま観光しようと決めて出る。ところがご飯を食べる場所がない。どうなっているんだ、この島は。港の前の店が1軒開いていたので、何とか滑り込む。活力早餐、と書かれており、朝ご飯しかやっていないらしい。時間はもうすぐ11時となる。危なく食べ損なうところだった。

 

サンドイッチを頼んでみる。トーストにハムが挟まれており、台湾の朝ごはん、という感じが良い。紅茶のホットを頼むと、ビニールカップ?を電子レンジでチンして出してくれる。昨日の紙パックと言い、飲料をあまりに簡素化しているのはちょっと残念だ。個人観光の数人がここで食べていたが、私がここを離れるとすぐに閉店になってしまった。一日中営業しよう、働こう、という感覚はまるでないようだ。凄い。お客の利便性というより、自分の都合で営業している。

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港前に来たバスに乗り、どこかへ行こうとしたが、何と昨日の介寿に運ばれて来てしまった。馬港では、そのまま乗っていればどこかへ行けたので、それを目論んだのだが、何と介寿は終点で、運転手も電気を消して、姿を消してしまった。時刻表を見ると、次は1時間以上もバスは出ないことが分かり、絶望する。

 

仕方なく、街歩き。野菜公園を過ぎ、県庁の脇を歩いて上がる。その上には馬祖酒廠があった。馬祖は高粱酒で有名だという。ちょうど大型観光バスが出て行ってしまい、工場はお休みムードに入ってしまった。『見学可能』とはなっていたが、一人だと受け入れてもらえそうもない。しかも酒を買うつもりは全くないので、外から眺めるだけにして、また歩く。

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その横を見るとまだ登る道があった。そしてほんの少しくと、八八坑道と書かれた洞窟がある。1952年に作られた軍用の坑道。奥まで273mあるとなっているが、その奥からは軍用飛行場に出られる抜け道もあるらしい。軍用飛行場とは、最近民間用に開放され、台北行きの飛行機が飛んでいる飛行場のことだろう。私も明日の午後、ここから台北へ戻る予定だ。

 

坑道入り口には酒樽がきれいに置かれている。今では酒廠に払い下げられ、酒の貯蔵庫として使われているようだ。坑道の冬は暖かく、夏は涼しいとある。貯蔵庫としては絶好の場所らしい。だが、その扉は固く閉まっていた。何と昼休みの閉館時間、結局何も見ることは出来なかった。また歩いて介寿の街まで下り、バスを待つことになる。何ということだ。

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この街にも『老船長カラオケ』とか『上等兵パン屋』など、軍人関係の名前を付けたユニークな店がいくつもあった。昨日見たバス停横の廟には『明日から媽祖生誕祭』という表示があり、大きなお祭りがあることが分かった。明日午前中、何かみられるだろうか。そしてその横には古びた市場があり、その前にはおばあちゃんがやっている麵屋があった。ここで食べたいな、と思ったが、バスが来てしまう。何ともタイミングの悪い旅を続けている。

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バスは私の希望通り海沿いを走った。先ほど乗った港前を通り過ぎ、そのまま馬港の方へ行く。これはいいぞ、途中に前線基地のような場所が見えたので、海沿いの村でバスを下りたが、そこは海に突き出た基地ながら、改修工事中で見ることは出来なかった。向かいには発電所があり、この辺が軍事拠点らしい。

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そして遠くを見ると、何か立派な建物が見えたので、歩いて行ってみた。海辺に建つ別荘のようにも見え、いい感じで建っていた。だが近づいてみてビックリ。何とそこは県営の室内プールだったのだ。しかも使われている様子は全くない。昔軍人のために作ったのだろうか。そのすぐ横に小高くなったところがあり、写真を撮ろうとすると、慌てて兵士が飛び出してきて、こちらに向かって手で遮る。何とそこは現役の軍事基地だったのだ。これには驚いて退散する。中国なら軍事基地を撮影すれば最悪国外退去だ。台湾だって、タダではすむまい。

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そこから馬港まで3₋4㎞を歩いていく。バスはなかなか来ないのだ。曇りがちだが、海が遠くまで見え、眺めの良い散歩だった。小さなダムもあった。そしてついにまた馬港へ来てしまった。今日こそは媽祖観音像を見に行かなければならない。だがその道は予想以上に険しい。かなりの数の階段を登り、それでもまだ続いていく。媽祖巨人像、高さは29m、世界最大の媽祖像だそうだ。これぞ海の守護神。2009年に出来たばかりだとか。小雨が降り、人は殆どいない。

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媽祖像を裏手に降りていくと、教会があった。そこにはベルギー人修道女の記念碑が建っていた。こんな所まで遥々やってきて、島の人々のために尽くした人らしい。何故私がここを通ることになったのか、とても不思議に思っていたが、教会の敷地を出て右に曲がると、何と茶荘があった。昨日見た茶園、あのお茶が何とここで売っていたのだ。神のお導きか。

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両岸三通の茶旅2015(15)馬祖にも茶園があったが

津沙聚落

津沙聚落は馬祖の西南端に位置する伝統的家屋が残る場所だった。バスを降りると、大きな木の下でおじさんたちがトランプに勤しんでいる姿を発見。何とものどかな雰囲気だ。集落に入ってみる。ごくわずかな人しか住んでいる気配はなく、建物も古いことは古いが何となくきれいで、観光地化している。土産物屋やゲストハウスが所々に見られるが、平日の午後、お客は稀。1960年代までは漁港として栄えたらしいが、今やその面影は殆どない。海が見える廟が静かに佇んでいる。

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海辺に行くと、波と戯れる若い女性たちが4人ほどいた。だがそれ以外に人は居ない。海岸沿いには軍事拠点跡が見える。鉄血、と書かれた小さな洞窟もある。兵士がここに隠れて、敵を迎え撃つのだろうか。平時にこれを見れば、そんな馬鹿な、と思うのだが、有事には全てが真っ当になる。砂浜の向こうには階段があり、斜面に住宅が建てられている。これは住民も盾となって戦ったことを示すものなのだろうか。いや、実際は馬祖では戦闘はなかったと聞くが。

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それから歩いて坂を登っていく。この坂は結構きつい。バスは2時間後にしかないことは分かっていたが、それよりも気になる場所があったのだ。先ほどバスで坂を下りる時、何とかく『茶園』という文字が目に入った気がするのだ。気のせいかもしれないが、時間もあるので行ってみることにした。それにしても坂がきつい、そして暑い。大汗をかき、もがきながら進む。それでも津沙の集落が上からきれいに見えるのが美しい。

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雲津茶園

道の脇には記念公園があったが、記念碑が建っているだけだった。何だか分からない戦争オタクの住処のような場所もあった。昔の馬祖といえば、金門と並ぶ反共の最前線基地という位置づけで、常に砲撃があったところだったが、中台関係緩和でここ数年は砲撃もないと聞く。全島要塞化は今や昔。平和になったんだな、と妙に感じる。しかし中台関係は微妙であり、本当に平和なのか、実は良く分からない。

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喘ぎながら何とか看板の所まで来た。確かに『雲津茶園』と書かれている。更には行政院茶業改良所の指導、という文字まで見え、ちゃんとお茶を作っているらしいことが分かる。取り敢えず脇道を下りてみる。少し行くと確かにまばらだが、茶樹が植わっている。おー、こんなところで会えるなんて、とちょっと感傷的になる。茶樹は若そうで、まだそれほど年数が経っているようには見えない。茶園が広がっているわけでもなく、茶を作っているといっても少量だろう。

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小屋があったので、恐る恐る近づいてみたが、誰もいなかった。何とか話を聞きたいと思うのだが、周囲に人の気配はない。ビニールハウスもあるが、中は空だった。諦めて元来た道を上がる。大きな道路の脇まで戻ると、トーチカが見えた。この辺には所々あるのだが、その横に車が停まっていたので、もしや人がいるのではと近づく。確かに事務所のような気配はあるのだが、トイレにも鍵がかかっており、人の気配はやはりなかった。折角茶園を発見したものの、それが何であるのか、どこかで茶葉を売っているのか、何の情報も得られず、むなしく退散した。

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まだバスの時間まで1時間以上あった。どうするか?仕方なく、更に坂を上って、広い道路に出ることにした。そうすれば別のバスが来るような気がした。途中に軍施設があり、若い兵士が2人、歩いてバス停に向かったので付いていく。バス停でバスを待つと数人がやってくる。地元の人はこのバスを使っていることが分かった。バスは時刻通りに来て、馬港へ向かった。

 

馬港でバスを下りたが、バスはそのまま乗客を乗せて去ってしまった。次のバスまではまた時間がある。馬港には大きな観音様が見えるが、小高い丘の上にあり、そこまで行く気力はとてもない。媽祖廟があったので、そこを見学した。実に立派な廟であり、媽祖の由来は感じられた。鮮やかな媽祖様が鎮座し、壁の壁画も精緻だった。

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それから小さな商店街を歩く。殆どの店が閉まっているが、気が付くのは、軍関係の言葉。『軍服洗います』というクリーニング屋、『軍人理髪』という床屋など。往年の馬祖は軍人で溢れていたのだろうか。今やひっそりとしているこの街、それが台湾の平和である、と喜んでいいのだろう。観音様が見える場所に『国軍への参加を歓迎する』との標語が掲げられているが、今や台湾は徴兵制ではなくなったのだろうか。

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バスに乗り、宿の方へ戻る。今度は海側バスに乗ったので、海岸沿いを行く。明日はこの辺を歩いてみようと思わせる風景が続いていく。30分ぐらいで、先ほど馬尾から乗ったフェリーが着いたターミナルに戻ってきた。セブンイレブンがあったので飲み物を買いに寄る。昼ご飯が少なかったので腹が減ったが、港付近なのに、食堂は殆ど閉まっている。このままでは夕飯にあり付けないと少し焦る。

 

最悪セブン弁当だな、と思っていると、宿近くの食堂が1軒開いていたので、入る。3種類から選べというので、鶏もも焼をチョイスすると、定食として出てきた。これは美味しかったが、何とスープの代わりに出てきたのが、アッサム紅茶という紙パック、しかもイチゴ味。これを飲みながら食べるのか、台湾も変わったな、と強く感じる。結局は経済が回っていかなくなるとこうなる。コストのかかるスープなどは排除されてしまったのだろうが、それでは台湾の良さもなくなる。

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宿に戻ると干しておいた洗濯物が風にはためいており、見事に乾いていて気持ちが良い。屋上から眺めると夕陽が港に落ちていく。何といいところなのだろうか、馬祖は。予想以上の状況に感激した。部屋ではネットも自由に繋がるし、もう言うことはない。ベッドもフカフカで、すやすや眠れた。

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両岸三通の茶旅2015(14)馬祖 突然見つかった快適な宿

5.馬祖

意外な宿は

フェリーを下り、入国審査へ。こちらは馬尾とはかなり違い、ほんわかリラックスムード。更には日本のパスポートを持っていると、『こっちこっち』と係員に呼ばれ、別枠で入国完了。何というゆるさ。という訳であっという間に入国してしまう。今回私が着いたのは、南竿島。ただ何一つ調べておらず、どこへ行けばよいのか、どこに泊まればよいのか、全く分からない。ちょうど旅行会社のカウンターがあったので聞こうと思ったが、ここは他の島へ渡るフェリーのチケットなどを販売するのが主業務であり、地図すら置いていないという。

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仕方なく、別の建物にある観光センターを訪ねた。そこには確かに地図があり、係員がいた。宿泊について尋ねると、そこにいたおばさんが『すぐそこで泊まれる所があるよ』という。どこに、と思っていると、前をスーッと通ったおじさんに『お客さんだよ』と声を掛けている。するとおじさんが『こっちだ』と手招きして、車へ向かう。荷物を積み、何だか突然車に押し込まれる?

 

3分ぐらい行ったちょっと小高い場所に廟があり、車はそこに停まる。そしてその上のビルに向かって荷物を持ち込み、更に驚いたことに大きなバッグを紐に繋いでいる。何をしているんだろうか、意味が分からない。おじさんは建物に入り、階段を5階まで歩いて上がっていく。これは大変だ、と言いながらハアハア言って付いていく。5階はバルコニーになっている。おじさんはその端に行き、ひもを引くと何と荷物が上に上がってくる。原始的だが合理的。

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驚いたことに広いバルコニーの後ろに部屋が4つある。部屋にはソファーがあり、更に後ろの部屋にベッドがあった。かなり広いスペース、ちょっとしたスイートルーム、いや知り合いの家に遊びに来た感覚だ。おじさんは簡単に説明をして、あっという間に去って行く。彼が管理人なのだろうか。それすら分からず、ただ茫然となるが、しかし予想外に良い住処を得たものだ。快適な空間は心地よい。今日は実にいい天気で、海がきれいに見えた。まずは洗濯しようと、備え付けられていた全自動洗濯機を使う。5階の上には屋上もあり、洗濯ものが風に吹かれ、よく乾く。何という素晴らしい環境だろう。しばし休息する。

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雲吞しかない街

少し経つと腹が減ってきた。朝から何も食べていない。だが台湾ドルをあまり持っていなかった。おじさんからは『銀行は脇の小道を登って、下ったところにある』という謎の言葉を教えられていたので、その通りに行ってみる。まさに廟から少し行くとハイキングコースのような小道があり、結構きつい登りを上り詰めると、広い道に出た。そこから下って行くと確かに台湾銀行の支店があり、外貨の両替が簡単にできた。一昨年金門の土地銀行で両替した時は、日本のパスポートを持ち、怪しげな中国語を使う人間として、いくつもの質問を受けたが、ここでは何の障害もなく、台湾ドルをゲットすることができた。嬉しい。

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時刻は午後1時半。銀行から更に下ると街がある。ここは蓮江県の県庁がある場所だった。ちょっと複雑な話だが、馬祖島は中華民国の福建省蓮江県に所属している。街中で食事をしようとしたが、なぜかレストランは殆どが閉まっていた。お客がいないので、開いていないようだった。何とか人に聞くと、小さな店が1軒しかやっていない、という返事。何ということか。

 

教えられた店に行くとおばさんが、一生懸命何かの仕込みをしていた。魯肉飯はあるか、と聞くと、ご飯はない、というつれない返事。そして雲吞しかないという衝撃的な言葉により、自動的に頼む。それなりの街で食べる物が雲吞しかないというのは驚きだ。腹が減っていたせいか、その雲吞は実にうまかったのだが。おばさんは『あんた、一体どこから来たんだ?一人で来た?じゃあ、ご飯ないよね』と。馬祖に観光に来る人は基本的に団体観光なのだろう。確かに平日だが観光バスは何台も走っていた。

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街には人通りが殆どない。県庁前には野菜公園があり、区画された畑に野菜がなっていた。建物は大きいが、何とも田舎の町役場、というムードを漂わせていた。バス停を探すと、その向こうにも広々した公園はあるが、特に何もない。廟が1つあり、祭りの準備をしていた。何の祭りなのだろうか。馬祖は媽祖から来た名前だというが、ここも媽祖廟なのだろうか。

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私の移動手段は公共バスしかないことが分かったので、乗ってみることにした。ここでも遊遊カードが使えた。セブンイレブンを見つけて、チャージもした。介寿というのがこの街の前だということも分かる。バスはここが始発だ。しかしルートは複雑で、何時のバスに乗るとどこへ行けるかは、すぐには分からななかったので、取り敢えずやって来たバスに乗る。乗客は地元の人が数人のみ。

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どこへ行ってよいか分からないので、先ほど港でもらった地図を見て、津沙という集落を目指すことにした。バスルートには山側と海側があるようで、今回のバスは山側を通ったが、時折海にも出て、また山を行くと言った感じで、何となく楽しい。30分ぐらい乗るとバスが急激に下っていく。そして一番底まで下りきると、津沙という旧い町並みが見えてきた。

両岸三通の茶旅2015(6)金門を経由して厦門へ

寝苦しいドミ

その夜、宿に帰ると、日本からお客さんが続々とやってきた。既にGWに突入しており、現在人気の旅行先である台湾には、様々な日本人がやって来る。昨日までは誰もいなかった8人部屋、2段ベッド4つがあっという間に満員になった。リビングも人で溢れてきた。私は明日の朝早く出発するので、早く寝ようと試みるが、11時までは電気を消せず、寝付けない。

 

ようやく電気が消えたが、今日は何となく蒸し暑い。部屋の中に8人もの人がいるからかもしれない。おじさんの一人がエアコンを点けようと動き始め、また電気が点く。確かに暑いのだが、この人、何かうめくような声を出すので、どうしても寝付けなくなる。またリビングへ行き、PCに目をやる。結局3時間も眠れず、朝5時前に起きて、荷物を纏め、外へ出る。

 

5月2日(土)

2.金門

復興航空で

朝五時過ぎにタクシーで空港に向かった。本当は地下鉄で行きたかったのだが、始発電車の時間を確認していなかった。午前6時ごろかと言われる。午前7時発のフライト、国内線とはいえ、30分前までに着かない可能性もあったので、敢えて早めに車を使った。当然ながら街に車など走っておらず、15分も経たずに松山空港に着いてしまった。

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今回は初めて乗る復興航空。カウンターを探すと、誰もいない。チェックインをすると預け荷物は別の場所へ持っていかなければならないと言われる。何故だ?しかもそのカウンターにはまだ職員はいなかった。ちょうど横にいた太った男性に声をかけると、彼が代わりに手続きをしてくれた。この辺の柔軟性がとてもよい。しかも見ると荷物は14kgになっている。手荷物は10kgまでと書かれていたので一瞬緊張したが、何事もなく預かってくれた。

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空港には無料のWi-Fiもあり、朝ご飯をコンビニで買って食べながら過ごす。日本と同じような感覚でよい。ただコンビニのサンドイッチは相変わらずパサパサで、しかも味付けが今一つ。美味くない。搭乗の時間になるとバスに乗り、飛行機へ。乗客は驚くほどに少ない。土曜日の早朝という理由だろうか。いや、何しろ3か月前に、同じ松山-金門線で墜落事故を起こしている航空会社なのだ。それも衝撃的な映像が公開されており、復興航空の人気はがた落ちだと聞いていた。あとでFBに搭乗した旨アップすると何人もの友人から『勇気がある』と褒められた。

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機内は空いているにも拘らず、私と同じ座席番号を持った人がやって来て驚いた。まあどこに座っても問題ないのだが、こんなミスがあるとちょっと怖くなってしまう。フライト中は一応紙パックのお茶が出た。LCCではないのだ。新聞も自由に読めた。ただそれだけだ。あっという間に飛行機は金門空港に着陸していた。当然何事もなかった。

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バスで島内巡り

空港は小さく、預けた荷物もほどなく出てきた。時刻はまだ午前8時。確かここから厦門行きのフェリーターミナルまで航空会社のシャトルバスが出ているはずだったが、どこから出るのか分からなかった。表示は一つもなく、尋ねるところもないまま、外へ出てしまう。さてどうするか、と思っていると、ちょうど路線バスが来たので、思わず乗ってしまう。台北でも使っていた遊遊カードが使えたので、現金が要らず、便利だった。

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それにしてもこのバス。どこへ行くのだろうか。恐らくは2年前に行った街に行くのだろう。空港からターミナルはそれほど遠くないはずだが、などと考えていると、バスは意外や郊外を走り続ける。金門島にはかなりの自然が残っており、そこに少しずつ人が住んでいた。このバスは住民用だったことが分かる。

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40分ほど走り、ようやく金城に着く。ここは2年前に泊まったところであり、土地勘がある。古い街並みが30年前の台北を想起させる。聞けば、ターミナル行バスは直ぐに出るというので、今回はバスから風景を眺めるだけにした。周囲は2年前と変わっていないように見えたが、大型ホテルなどが出来たようで、中国人観光客がバスに乗ってきた。ターミナルまでは20分ぐらいで着いた。今回の金門散策はバスに乗った僅か1時間半で終わってしまった。

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港で

ターミナルの掲示板を見ると、20分後に船が出るようだった。急いで窓口でチケットを買おうとしたが、『間に合わないから9時半はダメ』と言われ、10時の船のチケットを買わされた。2年前と違い、便数が格段に増えている印象がある。30分から1時間おきに1本、船があるというのはかなりの頻度だ。恐らくは台湾と福建を行き来するビジネスマンが増えているのだろう。運び屋もいるのかもしれない。

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イミグレは直ぐに通れたので、道なりに進むと、なんと9時半のフェリーはまだ出ていなかった。『私も乗せてくれ』といってみたが、やはり駄目だった。仕方なく待つ。ここでもネットが使えたので、便利だった。フェリーも何だか大型化している。10時発の乗客はそこそこいた。

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そして何と出港してから僅か30分で厦門に着いてしまう。驚いて聞いてみるいと、ここは2年前に乗り降りした場所ではなく、何と別の港だった。そういえば、前回日航ホテルに泊まった時、金門からならこの近くの港が便利だと言われた記憶が蘇る。ただここから目指す同安までどうやって行くのだろうか。それが分からない。取り敢えず中国に入国して、外へ出た。

両岸三通の茶旅2015(5)台北 青田から松菸へ

5月1日(土)

遊山茶房で

実は本当であれば、今朝金門島へ行くはずであった。だがなぜか金門行きのフライトが2日目に殆どネットから消えてしまったのだ。1日に5便もあるフライトが急にすべて売り切れるとはとても思えないので、何か操作があるのだろうが、いずれにしても翌日のフライトを買ったため、今日丸一日が、完全に空いてしまった。さてどうしようかと思っていると、東京の知り合いから、台湾人を紹介されたので、彼女に会うことになった。

 

私には1つ行かなければならいところがあった。これまでも何回か行っている遊山茶房。だが最近お客が多いらしく、連絡はしたものの、行くことができないでいた。今回偶々空いた1日、先方の時間が取れたので、急遽行くことになった。ついでに紹介された台湾人女性、シェリーも連れて行くことになった。何ともいい展開だ。

 

東門駅で待ち合わせ、昨日も行った青田七六を通り過ぎるあたりには、いくつか日本家屋がある。遊山茶房は予約制なので、いきなり行ってもドアが開かない。シェリーは初めてなのでちょっと驚いている。彼女は台湾生まれだが、3歳でニュージーランドへ移住し、日本の大学にも留学経験があり、英語は勿論、日本語を話す。会計士として、香港や北京でも働いたことがあるという異色の経歴の持ち主。結婚を機に台湾に戻ったという。面白そうだ。

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いつものように楊経理がにこやかに出迎えてくれた。ただかなり忙しいようで、ちょっと疲れ気味の様子。それでも、店内を案内した上で、お茶を淹れてくれる。シェリーは茶芸館が初めての経験のようで、とてもいい雰囲気だと喜んでいる。彼女は台湾人だが、感覚は外国人なのかもしれない。美味しいお菓子を出してくれたが、楊さんは用事があるといって、出掛けてしまったので、我々も直ぐに退散した。商売繁盛は良いことだが、ちょっと心配なほどだ。まあここが人に知られ始めると、そうなるんだろうな、とは思う。そんないい空間だ。

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松菸

どこかでランチを食べようと思ったが、休日の永康街は人で溢れており、ちょっと腰が引ける。シェリーは自分の地元に行こうと言い出し、地下鉄に乗り、市政府駅で降りる。駅のところにあるショッピングモール、その地下が穴場だという。立派なビルの地下なので、値段の高いレストランが並んでいると思いきや、リーズナブルな店もある。入った店は、『We share everything』という名前。

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その名の通り、キッチンをシェアして、各国料理を提供している。台湾料理もあるが、日本料理も洋食もある。私はなんとマレーシア料理、海南チキンライスを注文してみたが、これが意外や本格的。なかなかやる。店はシックな雰囲気で、広々としており、ソファー席もあったりして、リラックスできる。席と席がかなり空いているので高級感がある。これは確かに良い。

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食後、忠孝東路を歩いていくと、広々としたスペースが出てくる。日本統治時代のたばこ工場跡。こんなところがあったなんて、知らなかった。そういえば昨晩行った華山は酒工場だったな。最近このような場所が活用され始めたということか。ガラス工房があり、きれいな室内があるかと思えば、古い建物を活用しているところもある。松山煙草工場、という看板が掛っているところもある。工場や倉庫、事務所などを存分に活用しており、庭の雰囲気もなかなか良い。

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古い建物の中ではイベントなどが行われている。シェリーは私を単純に案内してきたと思っていたのだが、実はここのイベントに興味があったようだ。何と東京都の墨田区がブースを出し、ガラス工芸などを披露していたのだ。そしてそこには例のふうせん屋のSさんの会社の商品も展示されていた。初めてこれで繋がった。Sさんが来ていた理由は、このイベントへの参加だったのだ。墨田区以外にも日本のモノを売り込んでいるブースがいくつもある。そしてシェリーは日本のモノを買い付けて、台湾で売るのが今の仕事だったのだ。なるほど、この円安で、質の良い日本商品は大人気になっている。『昔は自ら日本に買い付けに行ったものだが、今では台湾に居れば、日本がやって来る』というシェリーの言葉を何となく複雑な思いで聞く。

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台湾の大型書店、誠品の建てたビルもあった。上はホテルらしい。この書店、すでに書店の域をはるかに超えている。このビルも1₋2階は生活雑貨のテナントが並ぶ。但しかなり高級、またはこだわりがある物のみ。いわゆる選りすぐりのグッズが売られている。そして3階は書店スペースだが、何と茶荘も沢山並んでおり、本とお茶のコラボが行われている。書店に喫茶スペースがあるのは今や普通だが、いくつもの茶荘が、それぞれの店を出し、お茶を飲むことも出来るし、買うことも出来る、こんな本屋初めて見た。

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そして地下へ。世界的な賞を取ったというパン屋がある。何とかなりの行列ができており、ビックリ。シェリーがパンを買うというので、一緒に並んでみる。20分ぐらいで店内に入り、明太子のフランスパン、クリームパンを買って帰る。値段は思ったほど高くはない。あとで食べたら確かに美味しかったが、並んで食べるほどかどうかは?今や台湾でもこの店を真似て、パンのブームが起きているとか。

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両岸三通の茶旅2015(4)台北 意翔村とライブイベント

初めての意翔村

それからIさんと別れて、大きな道、新生南路へ出て歩く。回教徒のためのモスク、清真寺があったので驚く。1960年落成、サウジアラビアと台湾が共同で作ったという。台湾にはどれほどの回教徒がいるのだろうか。それとも中東から来て定住しているイスラム教徒が礼拝に訪れるのだろうか。中に入ってみようかとも思ったが、あまりに静かだったので、外から写真を撮るに留めた。何故かのその横にキリスト教の教会もあった。台湾の宗教事情も面白いかもしれない。

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新生南路を北上する。今日は午後暇だったので、Facebookで『台北で行ったほうが良いお茶屋さんを紹介してください』とメッセージを発したところ、先日那覇の最後の日に初めて会ったMさんより『意翔村に是非行って』と連絡があったので、行ってみることにしたのだ。そのお店は大安森林公園駅の北側に、ひっそりとあった。

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店に入ると、おじさんが日本語で話し掛けてきたが、その後中国語に切り替えると、若い男性が相手をしてくれた。そしていきなり、試飲してみましょう、と言って、6種類の茶葉を並べて、順番に飲んでいく。中には肉桂と書かれたお茶もある。岩茶で有名な烏龍茶系だが、台湾で作っているとは。この肉桂はこの店のオリジナルだそうだ。色々と質問していると、さっきのおじさんが答え始める。

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意翔村は20数年前に、日本語を話すこのおじさん、陳煥堂さんが開業したという。陳さんの祖先は日本統治時代に、台中、台南、高雄で茶葉を小売りするライセンスを得た茶商であったというから、かなり古い歴史を持っている。茶農家が直接一般人に茶葉を売ることが禁じられていた時代、これは珍しいことだったようだ。茶葉は当時の戦略物資、輸出商品だったのだ。

 

陳さんの名前、どこかで聞いたことがあるな、と思っていたら、ご著書も沢山あり、その1冊を頂くことに。南投県出身で、お茶の鑑定をやっていたということで、中国茶・台湾茶のソムリエ、などとも紹介されているらしい。日本人のお客さんも、お茶屋さんや専門家も含めて、沢山来るようで、日本人対応にも慣れている様子が伺える。

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逆に私の茶旅の話を色々としている内に、これから安渓に鉄観音茶を見に行く話をすると、『ぜひその爺さんが作る茶を飲んでみたい』というので、帰りにまた台北に寄り、お茶を持ってくることになった。まあ張さんの作ったお茶がどのような評価を得るのか、こちらも興味があるので面白い。

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取り敢えず、宿に戻ることにした。だが台北駅前まで来るとどうしても大腸麺線が食べたくなり、寄り道した。香菜が沢山乗った細い麺、ドロドロしたスープにちょっとたれをかけて啜る。相変わらず止められない。1杯50元だから、まあおやつ感覚。4時台でも下校時の学生などがどんどんやって来て、店は繁盛していた。

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ライブイベント参戦

今晩は以前厦門で出会い、昨年台北で再会したKさんと会うことになっていた。彼女の勤め先が近いということで待ち合わせは広方圓になっていた。だが、昨晩計画は激変していた。Bさんから『ライブイベントに行こう』と言われ、よくわからないがOKしていた。青木由香さんのご主人がプロディーサーの音楽イベントらしい。折角なので、Kさんとそこへ行くことに。更には昼に会ったIさんも誘う。

 

広方圓前からタクシーに乗る。Legacyという名の台北で有名なライブハウスは華山1914創意文化園区の中にあった。ここには以前Bさんと一度飲みに来たことがあったのでその存在は知っていたが、入るのは初めて。Bさん、Iさん、そしてふうせん屋のSさんとも合流。何だかお洒落なスポットで、台北のおしゃれな若者がどんどん入ってきて、気後れした。

 

ビールかソフトドリンクは無料で飲める。それはこのイベントがシューズメーカーとのコラボだったから、スポンサーがいる訳だ。会場内には、このメーカーの靴がさりげなく展示されており、中にはアーティストがウオールに絵を描くなど、面白い試みがなされていた。ライブがスタートする頃には超満員。音楽に合わせて体を動かすと人にぶつかるほどだった。

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台湾のグループの演奏はなかなか乗りがよかった。トークも英語を織り交ぜて慣れた感じ。この後には日本からもバンドを呼んでいるということで、期待が持てる内容だった。だが若者向けのイベントであり、入場者が多いこともあり、椅子は用意されていない。スタンディングの状態でライブを楽しむ。若者にとってはわるくないが、おじさんにはちとキツイ。30分もするとBさんが、『疲れたので、どこかにご飯を食べに行こう!』と言い出し、私も直ぐに同意してしまう。ダメだな、若さがないな、本当に。でも疲れるのは仕方がない。

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そしてまた、昨晩同様熱炒に行く。ライブ会場からも歩いて行ける距離だったのだ。どうも同じエリアで活動しているらしい私。昨日とは違う店に入ったが、それでもお客は満員。本当に流行っている。海鮮などの高い物を頼まないと、ビール飲んでも一人200元程度、というのは何とも魅力的だ。今晩はちょっと酔っ払いになり、ご機嫌で宿まで歩いて帰る。この散歩が実に気持ち良い。

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両岸三通の茶旅2015(3)台北 熱炒と青田七六

活気のある熱炒

夕飯の待ち合わせは大学の後輩Fさんと青木さんの店からはちょっと離れたシェラトンホテルで。Bさん、Sさんと一緒に地下鉄に乗っていく。何とか約束の7時半に間に合う。このシェラトンホテル、25年前の台北出張の時に何度か泊まったことがある。その時の名前はライライ(来来)シェラトン、その名前で憶えており、どうしてもそう呼んでしまう。最近の台北しか知らない人には『何ですか、その可愛い名前は』と何度も言われ、ちょっと寂しい。いつから名前が変わったのだろう。台北にも立派なホテルが随分たくさんできている。

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このホテルに比較的近い、長安東路沿いにある『熱炒』と呼ばれるビヤホールとレストランを合わせたような場所に行く。店はいくつもあるようだが、その1軒では店の前から熱気があふれだし、如何にもビヤホールのように騒がしい。既に酔っ払ったおじさんたちが大声で議論していたり、日本人駐在員が数人でビール飲んでいたり、若者達が乾杯の声を上げている。こんなところがあるんだ、最近は。いや、以前にも来たことはあったと思うが、こんなに活気があっただろうか。

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基本的に炒め物は1皿、100元前後のようだ。メニューはかなり豊富で選び甲斐がある。注文すると鶏肉、貝やエビなどの海鮮、卵焼き、スープなどがどんどん料理が運ばれてきて嬉しくなる。その場の雰囲気もあるのか、美味いウマイとバンバン食べてしまう。なるほどこれがミソか。水蓮と呼ばれるしゃきしゃきした野菜の炒め物が今日の一押し!日本にはないな、こんな野菜。

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ビールや飲み物は冷蔵庫から勝手に取って飲む方式だが、そこにはビールのキャンペーンガールが控えており、自社の製品を売り込むことに余念がない。台湾ビールが飲みたいのに、なぜかお姐さんに釣られて、外資系を飲む羽目に。いや、彼女に悪いので頼み辛いのである。そうなるとお姐さんの目を盗んで、冷蔵庫から台湾ビールを取り出したりと、その攻防戦もまた面白い。久しぶりに日本の雑多な居酒屋の風景なども思い出して、楽しかった。

 

帰りは歩いて、宿まで。台北駅前まで20分弱の道のりは、気候的にもよく、ちょうど良い散歩となる。台北は最近それほど車の渋滞もない。都心部は何となく静かに時が流れている。それは街が落ち着いたからだろうか、経済が低迷しているからだろうか?相変わらずさっぱり掴めない都市である。GW直前、宿には日本からやってきた人たちが集い始めている。

 

4月30日(金)

青田七六

翌朝はゆっくり起き上がる。部屋ではWi-Fiが繋がらないため、リビングへ行くが、まだ皆さん、起きて来ない。腹が減ったので外で朝飯を探す。フラフラ歩いていると馴染の店に出っくわす。やはり台北の朝は蛋餅と奶茶だろう、ということで、フラフラって入って食べる。蛋餅にはベーコンを入れてもらうのが一番美味い、と思う。こんなシンプルな食べ物なのに飽きないのは不思議だ。台湾、恐るべし!

 

それから宿に戻り、ネットに集中した。何しろこの後はGWの上、福建省の安渓に行くと、ネットなど全てが遮断されてしまうので、やるべきことはここでやっておかなければならない。宿では起き出してきた人々が次々に観光に出たり、次の旅に出発していく。その中で私は一人、取り残されていく。

 

昼前に地下鉄に乗り、東門駅で降りて、永康街へ。鼎泰豊、いつ来てもここは客が外まで溢れている。昔は小さな、だけど美味い店だったんだがな、などと昔を懐かしむ老人のようなことを思いながら通り過ぎる。そして今や高級住宅街となっている青田地区へ行く。実はここには何回も来ているが、青田七六と呼ばれる建物は外からチラッと見ただけだった。今日は北京時代の息子の留学仲間のIさんとここで会うことになっていたので、初めて中に入る。

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この建物は日本統治時代、台湾大学に農学関係の教授として赴任した足立仁という日本人が家主だった。当時日本から大勢の大学教授が海を渡ってきたから、その官舎の1つだったということだろう。戦後は馬廷英というやはり台湾大学教授で著名な地質学者が住んでいたという。馬廷英は奉天の生まれで、日本でも教育を受けており、なぜか中国に渡り、終戦で台湾にやってきた人物。日本との関係が深いことから、この家を選んだのかもしれない。

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この建物は台北市の古跡に指定されており、入館時には裸足は厳禁。中はかなりレトロな雰囲気が漂うレストランになっている。木の床を踏みしめていく。玄関近くの席に座ったため初めは分からなかったが、実はかなりの奥行きがあり、縁側や中庭もあり、立派な日本家屋だった。庭も含めて、沢山の人が食事をしていたのでビックリした。有名な観光スポットだったのだ。食事は何と日本料理。ランチの定食も結構いい値段がする。折角なので、南極氷魚定食というのを頼んでみたが、氷魚が何の魚なのか、よくわからなかった。

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Iさんから『結婚するんです』と報告を受ける。それほど普段接点のない若い女性からこんな話をされるとちょっと嬉しい。折角なので我が家の息子も台北での披露宴に招待してくれるという。いい機会かな、と思ったが、最終的には体調不良により欠席することになってしまった。残念。彼女は台湾人と結婚し、これからは彼の両親と同居するとか。色々と大変なこともあると思うが、実にいいことだ。

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