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台湾南部ぶらり茶旅2015(3)高雄 茶業組合会長の店で

茶業組合会長の店で

一度宿に戻り、休む。それほど暑い訳ではないが、そうは言っても東京とは気温が違う。しかも高雄は台北よりもかなり暑い。それでも来た早々の今晩、何もしないのはどうかと思い、Mさんがくれた情報に基づき、お茶屋さんを訪問してみることにした。宿でその場所を聞くと、『歩くと30分ぐらい、地下鉄はない』というので、教えられた通り、歩いてみた。

 

高雄駅前の川を渡ると、なぜか31年前の記憶がふと蘇る。ここは昔も渡ったが、あのごみごみした猥雑感はきれいに消えていた。駅を右に折れると、なぜか電気屋街が。電気屋というよりITショップ。高尾駅前が東京の秋葉原みたいになっているとは、初めて知った。高雄は台北ほど地価が上がっていないということか。駐車場がないので、若者向けのショップになったのか。はたまた何か特別な理由があるのか。安そうな台湾製のスマホがあったので、買いたいと思ったが、機械に弱いので迂闊に手を出しても色々面倒だと、止めにした。

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インドネシア商店なる店もあった。最近はインドネシアからの出稼ぎ者が多く、お手伝いさんも大体ネシア人らしい。ここで母国の雑貨を買い、親に電話を掛けるのだろうか。駅から少し離れると段々寂しくなる。最近は車社会で駐車スペースの少ない駅前が寂れるというは日本の地方にもよくある現象とはいえ、高雄は台湾第二の都市。これでよいのだろうか。

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比較的大きな道路を渡った先に、目指す長信銘茶は存在した。予想したより遥かに大きく、そしてきれいな店で驚いた。店内に入ると、女性が『何か?』と聞いてきたので、オーナーはいるかと聞くと、その横にいた男性が『私です』という。高雄の茶業組合会長の店、と聞いていたので、長老が出てくるとばかり思いこんでいたのに、私と同年輩の人とは意外だった。

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彼、黄さんに私の茶旅を紹介すると、お茶を淹れてくれ、話が始まる。黄さんのお爺さんが30年ぐらい前、六合夜市辺りで観光客にお茶を売り始めたのが、茶販売の最初だという。黄さん自身は、阿里山あたりに持つ茶畑から茶を採り、製茶している。『私は茶農家です』という感じだった。商売が大きくなったのは、やはり大陸に茶葉を売り始めてかららしい。現在河南省鄭州に支店を持ち、息子を派遣している。2年前に建て替えたこの新店舗も、大陸からの収益で出来たのではないだろうか。

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高雄の茶業界、20-30年前は300軒ぐらいの店があったというが、彼が会長になった数年前は、80軒程度まで落ち込んでいた。現在は110軒程度まで盛り返してきているが、その理由は台湾人のお茶需要ではなく、やはり大陸観光客の急増、『お茶を土産物として観光客向けに小商いする人が増えた』ということだった。しかし今後もこの傾向は続くと言えるのか。

 

では来年の総統選挙で、民進党が勝ち、大陸との距離が離れたら、商売はどうなるのだろうか。『選挙では民進党が勝つだろう。それは仕方がないこと』とすでに割り切っている様子。それ以上話を聞こうとすると、どこかに電話を掛けて、『今娘が来ますから』という。何でわざわざ自分の娘さんを呼んだのか?

 

やってきた彼女は大学を卒業したばかりの22歳。父親はさっとどこかへ消え、彼女が応対してくれた。学校で日本語を勉強しており、日本人客は彼女の担当ということらしい。『日本と同様、台湾の若者のお茶離れがとても激しいんです』『ペット飲料のお茶をお茶だと思っている、それが美味しくないという友達が多くて残念です』と一生懸命日本語で語ってくれた。

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だからいい烏龍茶の茶葉をそのまま入れた特性ティバックを作り、販売を開始した。これなら若者でも面倒なく、お茶が淹れられ、美味しいお茶が飲めると笑顔で話す。現物を見ると、確かに丸まった茶葉がそのまま入っている、三角状のティバッグ。これを作る機械は、と聞くと、日本から取り寄せたという。この投資は決して小さくはない。父親は『娘や息子の時代になるんです。私は茶作り』とさらって言っていたが、簡単なことではないように思う。

 

更に高雄は暑いので、若者は冷たい飲料を好む。出来るだけ美味しい、そして冷たい飲料を目指して、例のティバッグをちょっと重厚なビンの容器に入れて、冷やし烏龍茶を作り、店内の冷蔵庫に入れて、販売している。これもこれまで見たことのないスタイルでとてもユニーク。ビンの容器はちょっとずっしりしていて、持ち歩くのにはどうかとも思うが、再利用可能で、若者らしいエコスタイルも演出している。友人たちの評判も悪くないと顔をほころばせる。実に素直な、そして、堂々とした応対が出来る、自分の主張も話せる彼女。素晴らしい!

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日本ではとかく『茶業の将来は厳しい』という話ばかりをするが、こんな前向きな、明るい、そして楽しい茶販売、いいなと思う。将来のことは若者に任せて見守る、それができれば、茶業の形も変わるかもしれない。そういう意味では日本の将来も若者たち、子供たちに託すべき、口だけ出して何もしない老人は退場すべき、というのが本当ではないだろうか。

 

お茶屋さんを後にして、また歩いて宿へ戻る。高尾駅前のメインストリートは、なぜかブライダルショップが目に付く。宣伝が派手だ、ということもあるかもしれないが、結婚産業は、経済が低調でも順調だ、ということだろうか。来年以降の先が見え難い台湾だが、誰も分からない未来に皆が賭けている。『いつの時代もそうさ、安定などないのが台湾』と言われているようだった。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(2)高雄 夜市で中国人に間違われないように

きれいな宿

今日の宿は、皆さんから勧められたあひる屋へ。ゲストハウスなのに、とてもきれいだといい、評判が良い。美麗島駅からも近くて便利。ビルの5階に行くと、確かに改装したのか、ピッカピカ。入口でスリッパに履き替える。スタッフもフレンドリ―でニコニコしている。日本人女性も手伝っていた。部屋数もかなりあるようで、一番端の8人部屋にベッドを確保した。

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リビングもかなり広いので、そこでネットを繋ぐとサクサク。無料の茶を飲み、かなり寛げる。トイレとシャワーの数も十分にあり、トイレの近い老人には嬉しい。オーナーの一人は日本人だというが、ちょうど日本へ行っており、会うことは出来なかった。1泊、700元はドミトリーとしては若干高いのかもしれないが、きれい好きの日本人に会うコンセプトかと思う。因みに同じバニラ航空に乗っていた日本人の若者達も数人チェックインしていた。

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因みに朝が早かったので夜は早く寝たいと思ったが、同室の香港人の若者がずっと話をしており、ちょっとうるさい。おまけにクーラーをガンガンかける(香港スタイル)ので、こちらは風邪をひくのではないかとビクビク。既にいい年の私は、もはやドミトリーで若者と一緒に寝るのは無理なのかもしれない、と悟る。

 

夜市にて

宿のスタッフに両替場所を聞くと、もう銀行は閉まっているので、銀楼へ行け、という。銀楼、何とも懐かしい響き。昔台湾では銀行の手続きが面倒で時間がかかることもあり、両替は普通、宝石などを扱う銀楼へ行っていた。20年前の台北では、隠し扉の向こうで両替、などという映画まがいのところまであった。そして両替レートは勿論銀行より良かった。

 

その銀楼は小さな市場の中にあった。教えられた所へ行くと、何やらやる気のなさそうなおばさんが欠伸をしていた。両替レートを聞くと、何と高雄空港の銀行レートより悪かった。え、なぜ?と聞いても、今日はこのレートだと、交渉の余地はない。今や両替も銀行の方が良いということだろうか。今日はなんとか持ち金で暮らせそうなので、そのまま失礼した。

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美麗島駅の夜のライトアップも素晴らしかった。何でこんなにきれいなの?宿のすぐ近くには、これも懐かしい六合夜市があった。私が初めて台湾を訪れ、高雄に来たのは、今から31年前の1984年。あの頃の台湾は、何となくのんびりしていて、それでもなぜかちょっと猥雑で、何とも言えない独特な雰囲気を持っていた。特に高雄は、その猥雑感がひどく、皆が台湾語しか使わず、困ったことをよく覚えている。高雄牛乳大王という店名で一世を風靡した、パパイヤミルクを飲んだのが、この夜市だったように思うが、どうだろうか。

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台湾は夜市ブーム。どこの街にも夜市があり、観光客も含めて、大勢の人が行き交っている。六合夜市はまだ時間が早いせいか、人通りは少なかったが、暗くなるにつれ、お客が増えてくる。『日薬本舗博物館』という名のドラッグストアーが目を引く。夜市というより、観光スポットというのが正しい。

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ここに来ているお客の何割かは、中国からの観光客だ、とすぐに分かる。先ほどの薬も、台湾人が買うのではなく、中国人が買うのではないか、と思ってしまう。日本、とうたっているのが如何にも怪しい。屋台ではパパイヤミルクもある。海鮮粥や蚵仔煎(牡蠣のオムレツ)など、食べたい物はいくらでもある。ただ値段は30年前の何倍だろうか。最近また値上がりしたかな。

 

あちこちで、台湾国語ではない、普通話が聞こえてきて、ちょっと興ざめ。中には屋台の爺さんがあからさまに大陸人を軽蔑して、素っ気いない対応をしていたりする。お客に来てもらわないと商売は成り立たないが、中国人は嫌だ。この辺が現在台湾の心理状態だろうか。

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私は大好きな魚羹を食べるために屋台に座った。ここではできるだけ中国語を使うのを止めているので、おじさんに身振りで注文した。如何にも日本人観光客だよ、という素振りで頭を下げたりもする。何故ならここで中国人に間違えられてよいことは一つもないからだ。

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だが、席には先におばさんが二人座っており、『この麺、どうやって食べるの?』などと、私を地元民扱いして聞いてくるから、敵わない。折角中国語が出来ない振りをしていたのに、おばさん攻撃には成すすべがない。『おじさんに聞け』というと、『何よ、ケチ』と言って不機嫌そうだった。おじさんに50元を払うと、笑っていた。彼には台湾人と日本人の区別は当然つくのである。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(1)高雄空港で感激!

《台湾南東部茶旅2015》  2015年11月10-18日

 

最近台湾へは年に1₋2度行っているが、高雄にいつ行ったか、と聞かれると答える自信がない。全て台北から入り、台北から出ているのが実情である。高雄、台南には2000年代前半、香港駐在時代には近いので2度ほど行っている。その時は嘉義から阿里山へという、台湾茶の王道を行っていた。

 

今回偶然予定していた旅が延期となり、ぽっかりとスケジュールが空いてしまった。台湾にも半年行っていないので、ちょっと行ってみようと思い立ち、フライトを調べてみた。東京から台湾へのフライトは格段に増えており、バニラエアーが高雄にも飛んでいることが分かった。しかも料金は遠いのに台北へ行くより安い。それなら高雄へ行こう、そして未知の南部の茶畑を探そう、ということで意気込んでいってみたのだが。果たしてどうなったか。

 

11月10日(火)

1.高雄

高雄空港で

普通LCCの場合、フライトが深夜だったり早朝だったりと、時間帯が不便なことが多いが、今回乗ったバニラ航空の高雄行きは、昼の出発で午後4時に高雄に着くので、私としては体が楽だった。成田第2ターミナルまで電車で行き、そこからシャトルバスに乗る。前回は第3から第2までかなりの距離を歩いた失敗から、色々と学び、皆さんのお教えも頂き、スムーズに行った。

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だがチェックインカウンターは相当に込んでいた。そしてカウンターの対応は極めて遅い。一人ずつ、丁寧に説明して責任を果たしているようだ。だが、初めて飛行機に乗る人と、何度も乗っている人を同じように扱うのは、如何なものだろうか。誰が旅慣れているか見抜く力も、おもてなしの一つだと思うのだが。

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ある台湾人に『日本の丁寧さには残念ながら、バカが付きますね』と言われたのは忘れられない。因みに帰る時、同じバニラの高雄空港カウンターは、ほぼ成田の半分のスピードで、処理が終わっていた。お客の方も心得ている人が多いのだ。これは考えるべきではないか。

 

フライトは順調。食事などは出ないので、単に寝て過ごす。4時前には高雄空港に降り立つ。12年ぶりらしい。当たり前だが、とても綺麗になっている。中国大陸や東南アジア便の発着も格段に増えているようだ。まずは台湾ドルの両替をと思ったが、レートのみ確認して、スルー。最近両替したことがない。市内で替えた方が良いという判断だったが、これは後で尾を引く。

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それからシムカードの購入。これまでは携帯電話だけだったが、最近はスマホを持ち歩くので、それ用を初めて買う。おにいさんがテキパキ入れてくれ、楽チン。これで10日間500元。便利なものだ、と思ったのもつかの間、実は私のスマホとシムに不具合があり、電話を掛けることができず、その後の旅では結構苦労する。

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そして何と空港から市内まで行く、地下鉄が出来ていた。凄い、と思い、取り敢えずトイレに入り、用を済ませて、エレベーターで駅の方へ降りたのだが、何となく手元に足りない感じがあった。あっと思うと、成田で買った土産物の袋をトイレに置き忘れたらしい。高雄空港の変容に圧倒され、ぼっとしていたようだ。急いで取りに戻ったが、何と僅かの間に物は無くなっていた。さて、これは困った。土産がないのも困るが、東京から着てきたジャンパーをそこに入れていた。帰りの東京到着は夜遅く、とても寒さは凌げないだろう。

 

どうしてよいか分からなかったが、まずは到着ロビーに戻り、すがる様な気持ちでインフォメーションセンターへ駆け込んだ。『あの、成田の袋を・・』というと係のお姐さんが、『あの人が持っていますよ』と若者を指差すではないか。確かに免税店の袋を下げてはいるが、そんな人はこの空港にいくらでもいる。兎に角声を掛けると『あー、よかった』と言って袋を渡し、私の礼の言葉も聞かずに、スタスタと立ち去ってしまったのだ。何とも仕方なく、ボー然と彼を見送る。やはり台湾はいいな、などと、自分のへまを棚に上げて、一人喜ぶ。

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ホテルまで

地下鉄に乗る。私は台湾で便利な遊遊カードを持っているので、簡単に改札を通れると思っていたが、甘かった。カードがエラーになるので、残高不足かと思い、駅員に確かめたところ、何と「高雄では使えないんです」と。えー、金門や馬祖の離島ですら使えるこのカード、どうして第2の都市、高雄で使えないの?

 

大阪でスイカが使えないようなもので、結構ショック。駅員は『来年には使えるようになるとの話はありますがね』と笑いながら言う。中央の反発する高雄、という構図でもあるのだろうか。確かに以前より、台湾南部と北部はまるっきり違うな、と思うことは何度もあったが、どうなんだろうか。

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地下鉄はそれほど混んでおらず、30分かからないで、中心部の美麗島駅に着いた。この駅、とにかく写真スポットとして有名らしく、何人もの人が同じ構図をアップしているのを見た。確かに美しく、ピアノの生演奏まであるとは、恐れ入る。この駅だけなのだろうか。芸術の街、高雄。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(19)ベトナム茶道の心

ハノイ散歩

そしてどこかのホテルの2階でランチを食べる。ここもきれいだが、お客は殆どいない。お客がいないので、ツアー客を格安で連れて来る、という構図が見え見えである。基本的にはビュッフェスタイルで、料理が並んでいるが、それをとる人は誰もいない。従業員が暇そうに欠伸をしている。それでもなぜか我々にはセットメニューが用意されている。そして例のドリンクメニューが配られるが、昨晩と似たような料金体系になっており、もうだれ一人、手を出そうとはしない。皆この話には疲れてきている。責任者の説明に納得する人などいないのだ。食事はまずくはなかったが、その場の空気はお通夜のようだった。

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それからハノイの旧市街を散策した。古い教会が相変わらず、いい感じで建っている。道端では美味しそうな食べ物が売られ、一般庶民が楽しそうにランチしている。私もこちらに混ざって、B級グルメを堪能したい、と心からそう思った。樹齢100年は超えるだろうと思われる、如何にも雰囲気の良い木の下で食事がしたい!欲求不満が募ってしまう。

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何故か韓国料理のファーストフード店が紛れ込んでいる。韓国はベトナムでも強さを発揮しているが、韓流ブームの影響もあり、ベトナムの若者にはイメージが良いようだ。メニューを見ると、海苔巻なども売られている。今やアジアの日本料理屋の多くが韓国人経営とも言われている。

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漢字が書かれた門がある。中に入ると小さな廟である。ハノイは中国の影響を色濃く受けている。この廟もそんな時代を反映しているのかもしれない。現在では中国人を嫌っている人が多いと言われているが、既に生活に染み込んだものは、自国文化として取り込んでいる。中国を嫌う日本人も沢山いるようだが、日本も全く同じ状況ではないだろうか。

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ベトナムではバイクに乗る人がかなりいる。道路上の大気汚染は中国ほどではないが、かなりひどい。そこでマスクをして乗るのだが、若者、特に女の子は、キティちゃんの絵柄など、お洒落なマスクをしていて、目を引く。マスクは白、というイメージはここにはない。白だとすぐに汚れが目立ってしまうからだろう。面白い土産になると、買い込む人も。値段交渉をすると、言い値の70%引きに下がってしまう。やはり観光客向けの商売だった。

 

スオンさんの店で

疲れたのでガイドが行き付けのカフェに入る。コーヒーが2万ドン。若者が店の前の小さな椅子に座り、何をするでもなく、ボーっとしている。Tさんが『日本でも若者がこんな感じお茶を飲んでくれるといいんだが』とポツリ。『お孫さんに小さなカフェを開かせて、対面式で抹茶ラテなど売ってみては』と素人考えを披露する。

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過去2回訪れた文廟横にあるスオンさんの店へ行く。M先生とぜひ引き合わせたいと思っていたが、暑い中の散策が堪えたのか、先生はバスで休んでいるとのことで、残りのメンバーで行く。いつもながら古民家を使ったショップは雰囲気がとても良い。ベトナムを代表する茶人であるスオンさんも忙しい中、店にやって来て、我々を待っていてくれた。

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今回はお茶関係者が来ると伝えたせいか、ベトナム茶道について、一通り話してくれ、一部実際に披露もしてくれた。作法はゆったりとしており、日本に通じるものもあるように思われた。だが一番違っていたのは『お茶を飲む時はそれを作った人に感謝します』という言葉。日本の茶道では作り手に感謝することはないそうだから、これには一同感銘を受ける。ベトナムでも、このような茶道をたしなむ人はごく一部だろうが、その感覚は素晴らしい!

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ジャーナリストでもあるスオンさんは、PCに収めた画像でセレモニーの様子を上手に説明してくれた。お茶も渋いが良質な緑茶から、古茶樹を使ったプレミアムティー、更にはジャスミン茶なども飲ませてくれた。スオンさんがセレクトしたお茶、中には産地で茶農家と一緒に作ったお茶もあるようだった。予定の1時間半はあっという間に過ぎてしまい、M先生の待つバスに引き上げた。

 

夕方水上人形劇を見た。私は前に見たので不要だったが、これもセット。ガイドはチケットを買ってきてくれたが、一人10ドル徴収された。そんな料金ではなかったはずだと思い、チケットをもらうと、なんと5ドルという表示。一人から5ドルの手数料をとっている。きっと彼も安い給料で働かされ、チップや両替の手数料などで補うように言われているに違いない。そんな思いで人形劇を見ると、何とも味気ない物になってしまった。夕飯はまた立派なフレンチレストランで。大きな鶏肉を食べて腹一杯になる。ここでも一番安いお茶だけを飲む。ツアー旅行は食事が楽しみ、だったはずが、食事の時間が憂鬱になってしまったのは、誰のせい?私のせい?日本的団体行動にはやはり馴染まないのだろう。

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今晩の日本行きフライトは午前0時半。夕飯を食べ終わると、まだ午後8時台だったが、早々に空港に向かった。3時間半前でもチェックインできるベトナム航空。ガイドは早く仕事を終えたくて、仕方がない様子。それからの長い時間、我々は空港内で、土産物を買い、飲み物を飲み、転寝をして過ごした。驚いたことに、この夜行フライト、日本行きが名古屋、成田、大阪、福岡と4便も運航している。これは日本人の乗客が多いからではなく、ベトナム人や中国人、他のアジア人が乗っているという事実を再認識した。

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今回の旅では茶の木の源流を訪ね、植物学的、また民俗学的に見たお茶、という新しい切り口を学んだことはこれから茶旅を続ける上で、とても大きな収穫があったが、同時に日本の旅行業界の現状を大いに認識し、暗澹たる思いを抱いたのも、また真実である。飛行機は早朝成田に降りた立ち、旅は終了した。

 

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(18)とんでもないツアーの仕組み

だが今回はビールだけではなく、ソフトドリンクも相当に高かったので気になった。コーラが4.4万ドン、市価の4倍以上ではないか。しかもこのメニューは紙1枚に日本語で書かれている。どう考えても怪しい。そこでやってきた若いウエートレスに何となく『英語か中国語のメニューはないのか』と聞いたところ、彼女は立派なメニューを持って戻ってきた。

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それを開いてみてビックリした。コーラは1.6万ドン、ビールでも4万ドン台だった。これは一体どうしたことか、と尋ねようとしたその時、マネージャーの女性がスッ飛んできて、『すみません、古いメニューを渡してしまいました。この日本語メニューが最新なんです』と英語で言う。だが、それでは中国語版の最新メニューを出せ、というと彼女も困ってしまった。

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ガイドはこの事態を静観していたが、『いや、この日本語版は団体用メニューなんです』と思わず口走ってしまう。どうして個人と団体で料金が違うんだ、というと、二人とも無口なってしまった。そして最終的に『今日は個人版の料金でよい』と言い出した。後でガイドは言うには、『あなたたちが払わなかった差額はあのメニューを渡してしまった若いウエートレスが弁償することになる』と。まるで我々が悪いかのような言い草にはさすがに腹が立った。楽しいはずの夕飯、何を食べたかもよく覚えていないし、完全に台無しになってしまった。

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翌日我々の要請により、このツアーの現地請負A社の責任者なる人物が説明にやってきたが『我々には一切の責任はない。全てレストランが勝手にやったことだ』と言い放ったのには、本当に驚き、そして呆れた。日本人だからちゃんとやれる、などと言うつもりはないが、団体旅行を請負い、レストランを選定したのは自分たちであるのに、そんな言い草がある通用すると思っているのだろうか。ガイドも団体から高い料金を請求している事実を認めているではないか。

 

結局その日本人がとった行動は、我々が日本へ帰国するため空港へ向かう直前に、押し付けるように1枚の紙を渡しただけ。それは英語で書かれたレストランのわび状だった。最後まで『楽しい旅を台無しにして申し訳ない』などという日本語は全く聞かれず、自分は悪くない、言い続けた。日本語ガイドの質の低下を嘆く前に、日本人の質の低下を嘆くべきであろう。

 

因みにこの件について、ある旅行関係者から『現在のパッケージツアーでは、レストランの食事料金をツアー会社が低料金で設定させ、その代りドリンクは別料金として工学を黙認して、補填させる仕組みをとっている』と丁寧に教えてくれた。もしこんなことが常にまかり通っているのなら、日本の旅行業界に未来はない、とはっきり断言してもよい。何もわからない、海外に不慣れな老人たちを騙して商売している、と言われても申し開きはできないはず。

 

これまでのように豊富な資金を使い、旅行社に利益を落としてくれる日本人など、いなくなるのはもはや時間の問題だ。70歳以下で普通にパソコンを操り、ネットにアクセスできる世代は、航空券やホテルは自分で取り、自分で旅行するようになってきている。ベトナムにいる日本人の中には、以前と同じやり方を繰り返し、進歩がない人が時々いて困る、とも聞いている。海外で日本人相手にプロ意識なく仕事ができる時代は過ぎているという認識がない。

 

11月2日(月)

翌朝はまたビュッフェでたらふく食べた。もうできるだけ元を取ってやろう?という気分である。このツアー、特に安い訳ではない。いや、むしろそれなりの料金を払っているのに、一人一部屋でもない。その上、こんなツアーオペレーターの度を越した対応には呆れるしかない。もう2度とツアーには参加しないという思い。その不満が食欲に見てしまったようだ。

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食後、大学の後輩で、ハノイ在住10年を超えるNさんがわざわざホテルまで会いに来てくれた。最近のベトナム経済の状況、不動産市況、そしてベトナム人の日本への渡航状況などについて、短時間に丁寧な解説をしてもらった。やはりベトナムの景気は良くないが、中国との関係改善もあり、観光客が持ち直し、投資も回復傾向。今後は少しずつ良くなってくるようだ。

 

ベトナム茶協会

ベトナム最後の日、午前中はベトナム茶協会を訪問した。約束の時間より早く到着したので、そのビルの1階に入っているティーショップでお茶を見てみた。ここは茶協会の直営店、それなりの品質のものが買えるだろうと期待したが、試飲はないので、パッケージだけを頼りに緑茶を選んでみた。棚には紅茶や烏龍茶も並んでおり、蓮茶も合わせて、ベトナムでは多彩なお茶作りが行われていることがよく分かる。

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協会の会議室で、会長と面談した。ベトナム茶業の係数(輸出額や輸出先、種類別の生産量)などが欲しいと言ってみたが、『正確な数字は持っていない』などと、不可解な返事が多かった。そして『日本からベトナム茶業への投資を歓迎する』という発言が何度も出てきており、この協会が投資促進協会であったことを認識する。

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まるで中国共産党と同じスタイルだ。政府が作った協会の目的は、対外交流という名の外資導入、金儲け。純粋な研究目的の訪問にはほとんど興味を示さない。本当は会長もこんな話はしたくないのかもしれないが、今のご時世、そうも言っていられない、というところだろうか。とても残念だったが、これも今のベトナムの現状だろう。昔作られたと思われるパンフレットをもらって、早々に退散した。

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(17)強かに生きるベトナム

私の目を引いたのは、爆撃の様子やフランス人の捕虜などではなく、この時期、この付近に既に住んでいたモン族やヤオ族の動向だった。ベトナム軍に協力して、荷運びなど使役に耐えている様子が写真で展示されているが、実際はどうだったのだろうか。本当はどこにも支配されない自分たちの国を持ちたかったのではないか、などと勝手な妄想に取り付かれる。

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それからA1の丘、と呼ばれる場所に行った。ここはフランス軍の爆撃弾が直撃した場所。丘を緩やかに登っていくと、その穴が丘の上にぽっかり空いている。その横には地下司令部かなと思われる、地下道が開かれており、ここを目掛けて爆撃した様子が分かる。激戦地だった、ということだろうが、今やベトナムの若者が楽しそうに、それを眺め、記念写真を撮っている。時代は変わったのだ。

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ここの入り口には戦車が飾られており、ちょっとした展示館があった。そこには中国清朝時代の地図が掲げられており、その説明には『この地図には中国の最南端は海南島と明記されており、南沙諸島は明確に中国領ではない』と書かれていた。このあたり、現在問題なっている歴史をはっきりと主張している。きちんと主張しなければ、何をされるか分からない。ベトナムが過去に経験してきた歴史上の戦いは決してフランスだけではない。アメリカとのベトナム戦争もあれば、中国との1000年の長きに渡る戦いも当然含まれてくる。強かでなければ生きてはいけない。

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最後に街の真ん中にある『勝利の記念像の丘』にやってきた。ここの階段を見ただけで、なぜM先生らが、我々と別行動したか、すぐに分かった。この数百段ある階段を登るだけでも、相当の労力がいる。実際それほど日差しが強いわけでもない午後、我々は物凄い汗を掻きながら、一段一段よろよろと歩を進めた。何故ここを登らなければならないのか、と考えても始まらない。

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喘ぎながら上まで登ると、そこには勝利の像があった。周囲は全て見渡せるが、木々があり、クリアーではないところも多い。しかしそれ以外には何もない。ここでも入場料を取られたのにはちょっと驚く。この苦行の末に何故。それがベトナムのために戦ってきた人々の慰霊になるとはとても思えない。

 

空港はここから直ぐだった。しかも国内線なのに、2時間弱前には空港にやってきた。この辺もツアーの不便なところ。確かに遅刻して乗り遅れてはいけないが、こんな小さな空港で、何をしろというのだろうか。チェックインが始まったが、その対応スピードはかなり遅い。それでも時間はあり余っているので、気にはならなかったが、ガイドは何故か別室へ向かう。

 

何か問題があったのか、と心配になったが、出てきたガイドに聞くと『地酒を預け荷物に入れてよいか』と質問して、何と全て没収されたというのだ。えー、信じられない!あのシンホのホテルで作られた酒をポットボトルに入れて持ってきていたのだが、それを自ら申告するとは。彼は本当にガイドの経験があるのだろうか。国内線の飛行機に乗ったことはないのではないか。疑問が湧き上がる。今回の旅のストレスの一つは、これだったかもしれない。

 

日本語ガイドの質はアジアのどこへ行っても、低下していると感じることが多い。それは本人のせいもあるが、日本人観光客の減少、そして収入の減少が大きく響いている。彼と話しても『実は中国語の勉強をしている。中国人相手の方が遥かに儲かる』とつぶやいていた。日本人相手は儲からない、そう思われていることを当の日本人は気づいているだろうか。かつての金持ち日本人のイメージは完全に中国にとって代わられ、『妙にうるさいだけで、金には渋い』というレッテルが貼られそうだ。フライトは定刻に出発し、順調にハノイに着いた。

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8.ハノイ2

夕飯で事件

また前回と同じホテルにチェックインした。もう判で押したように同じ行程だ。実はハノイ在住10数年の日本人に聞くと、『知り合いのビジネスマンをこのホテルに泊めることはない』と言い出した。このホテルは古い上にベトナム人からも何故か評判が悪く、取引先のベトナムの会社へ行って、このホテルに泊まっているといえば、それだけで仕事がうまくいかないことさえあるらしい。まあ我々はそういう意味でビジネスをしているわけではないから、どうでもよいのだが、なぜ旅行会社がこのホテルを使うのかはとても良く分かった。

 

既に暗くなっており、夕飯に出掛けた。どこかのショッピングモールの2階にそのレストランはあった。中華料理だったが、広いスペースにお客は殆どいない。時間が早いのだろうか。何でこんなところに来たのだろうか。料理はコースで、どんどん運ばれてきて、選ぶことはできない。唯一選べるのが、ドリンク。日本人なら、『取り敢えずビール』となるのだろうが、ハノイでこれまで食べたレストラン同様、市価に比べてビールはずいぶん高い。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(16)アジアの厨房から

11月1日(日)

アジアの厨房から

翌朝も快晴だった。朝食を食べていると、Uさんがスーッと奥の厨房に消えていった。また面白いことが始まりそうだと思い、後からこっそり着いていく。見ると、葉を採り除いた茎?枝?を釜で炒っていた。茎茶を作っている。更には昨日から作って置いていた茶葉をポットに入れて試飲を始めた。だがやはりどうしてもかなり渋いようで、顔をしかめている。

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するとそこにいた若い女性が、何かビンを持ってきた。既にUさんとかなり仲良くなっているようだ。見ていると彼女はその中のものを、お茶が入ったカップにタラリと垂らしていた。それはハチミツだった。この辺りでは、蜂を飼い、蜜を採っているらしい。自家製だ。

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そして渋いお茶に入れて飲むのだという。それならよく分かる。ベトナムの人も必ずしも渋いお茶がこの実とは限らない。確かに甘い蜜は有効だろう。ベトナムではこんな工夫が行われていると分かった。因みに彼女はバナナも持ってきて、お茶と一緒に食べろ、という。彼らは渋いお茶をそのまま飲むのではなく、当然ながら色々と対策をとっていたのだ。これは発見!

 

Uさんは自分でも『人の家やホテルの厨房に入るのが大好き』だというから、それならいっそのこと、この趣味?を使い、『アジアの厨房から』という企画で、どこへ行っても厨房に潜り込み、お茶を作り、そこで何かを発見してレポートすれば、これは読者の大いなる注目を集めるのではないかと思う。地元の人との交流、などと口では言うものの、真の交流ができる人が決して多くはない。UさんやSさんは、どんな人ともすぐ親しくなるという武器を持っており、これを活用すればきっと面白いことが起こる。いや、現に起こっている。

 

またモン族の家へ

そしてホテルをチェックアウトして、また車に乗る。今日はハノイへ帰る日だ。だがフライトは午後なので、午前中は道中にあったモン族の家へ立ち寄る。この家には珍しく一家全員が揃っていた。今日は農作業、休みだろうか。道路脇から少し上ったところにある家へ招き入れられた。

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中は薄暗い。Sさんは早々に家内を物色?いいナイフを見つけた。ご主人がそれを見て立派な鞘を持ってきた。きっと自家製だろう。実に格好いい!家の女の子にモン族の子供の衣装を着てもらった。とてもかわいい。これも全て手縫い。お母さんの作品だろう。本当の手作り、それは何にも増して暖かいように思う。

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外には竹などの材料が放置されている。農作業だけではなく、何かを作って生計の足しにしているのかもしれない。蜂を飼う箱も置かれている。Uさんは野菜などを担ぐ、籠が気にいったようで、自分でしょって記念撮影。何だか人の家に来てやりたい放題なような気もするが、それがまた交流を生んでいる。

 

この家を辞してまた車で進む。既に平地となっており、農作業する人々が見えた。何か長い草を刈り採っている。燃料になるのだろうか。向こうには水田も見えている。実にのどかに見える農作業だが、暑い中、毎日これを続けるのは大変なことだろう。実は道路脇で喧嘩している人々を見た。何かの拍子に日頃の不満が爆発する、ということは十分あり得る。

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7.ディエンビエンフー2

戦地跡観光

車は昼前にディエンビエンフーに入った。まずはランチということで、また同じレストランに入ろうとする。ツアーの場合、提携レストランに連れていくことに決まっており、旅人の自由は本当にない、ということがよく分かる。ガイドによれば『日本人が行けるような清潔なレストランはない』ということだが、果たしてそうだろうか。ところが、数日前に行ったレストランは、何と結婚披露宴が行われるとかで、その準備のため、使えなかった。

 

仕方なく、向かいのレストランに入る。ここも提携先なのだろうか。サイゴンビールを皆さんが頼んだので、一口飲んでみたが、なぜかとてもまずかった。食事もうーん、どうなんだろうか。急に外国人が来たからか、それともここがベトナム人のスタンダードなのか。横のテーブルで食べている炒飯は実に美味しそうに見えるのだが、それを食べさせて欲しい!

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午後は二手に分かれた。M先生など、前回もここに来たメンバーは郊外の立派なホテル?を見学に行った。我々初めてディエンビエンフーに来たメンバーは、取り敢えず、戦いの爪痕を辿ることにした。まずは戦争博物館へ。ここは箱モノ行政的で、モダンな建物だった。1.5万ドンの入場料を払って中へ。

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1954年、ベトナムは宗主国フランス相手に独立戦争を戦っていた。そしてこの地で勝利し、独立を決定づけたと言われている。まさに聖地だった。先ごろ亡くなったこの戦いの英雄、ボーエンザップ将軍やホーチミンの胸像が置かれており、戦いの経緯が克明に展示されている。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(15)ムンライという街で

6.ムンライ2

運転手の家

5日ぶりにムンライに帰ってきた。懐かしいような、ホッとしたような気分で、また同じリゾートホテルに投宿した。ホテル環境は抜群だが、ネット環境はここの方が良くない。まあ1泊だけなので、ゆったりした気分に浸る。

 

まだ外は明るいが、特にやることもないので、市場見学に出掛ける。前回は夕方入って来て、翌朝出掛けてしまったので、この村をゆっくり見ることはなかった。まあそれほど大きな村ではない。市場もそれほどの規模ではなく、しかも日が傾いている。野菜や魚を売る人々は既にやる気はなく、のんびりムード。魚だけが焼かれていて、いい匂いはしていたが。

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市場のゲートの所に、座り込んでいる女性がいた。何かを売っているのかと思ったが、商品は見えない。どうもやら目が悪いように見えた。横には息子だろうか、男の子がいた。彼は何となくこちらに目をやり、近づこうか、止めようか、と迷っているように見える。そして母親の手を引き、ユルユルとこちらにやってきた。気が付いた運転手がすぐに手を振って追い払った。彼らはそれ以上来なかった。後で聞いたところ、M先生は彼らにこっそり、何がしかのお金を渡したと聞く。

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実は運転手の1人はこの村の出身でタイ族だった。彼の家を訪ねることになる。行ってみるとかなり大きな家だった。彼の奥さんが幼い子供を抱っこして迎えてくれた。典型的な高床式の住居で、2階へ上がる。大きなテレビ、ソファーもあり、部屋もいくつもあった。部屋と部屋の間、真ん中あたりには神棚のようなものも置かれていた。また部屋が並んでいるところと反対に1つだけ部屋があった。嫁さんはこちらで寝るという。お母さんも出てきた。

 

彼のお父さんはトラックで荷物を運ぶ仕事をしているようだ。彼自身も数年前に車を買い、仕事があれば運転手をしているという。ランドクルーザーを買えるのだから、そしてこの家を建てられるのだから、それなりの財力がある。この財はどこからやってくるのだろうか。

 

Uさんがまた得意の抹茶を点てて皆さんに振る舞う。奥さんもお母さんも『美味しいです』と言いながら、この場から姿を消していた。やはりこの苦味は、苦手なのではないだろうか。ただ運転手の彼だけが、とても興味を持ち、Uさんの指導で、実際に茶筅を使ってお茶を立ててみた。その手つきの良いこと、まるですでにどこかで習っていたようにしか見えない。茶を点てる潜在的才能というがあるのだろうか。

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ホテルに戻ると夕暮れ時。前回はあまり見なかったのだが、ホテルの裏側にある、古い木造の建物を見た。私ならこちらに泊まってみたい、と思ったのだが、設備がとても古く、今はガイドなどしか泊まっていないという。つい最近手前に新しい棟を建てたことが分かる。旅行客の増加を見込んだのだろうか。前回M先生らが来た時は、ここのオーナーも来ており、親しく懇談したようだが、今回その姿は見えない。どう見てもオフシーズンなのだろう。

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新しい建物の屋上へ行くと、向こうに川が見え、そして遥か遠く、微かに水力発電所が見えた。送電線が川沿いを伝っている。ベトナムの電力供給は現在どうなっているのだろう。最近あまり停電という事態に遭遇しないのは、それなりに行き届いてきていることを示しているといえるのかもしれない。

 

部屋の前ではTさんがお茶を点て始めた。Y先生が庭に咲いていた小さな花を摘んできて、その脇に活けた。このようなちょっとした心遣いが風流だと感じられる。自然な心というのだろうか。一人一人お点前を頂き、心地よいひと時を過ごす。夜が少しずつ近づいてくる気配がした。

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夕飯はまたあの広い食堂で食べた。今日も我々しか客がいない。これまでの4日間と違って、味付けがより中国的になる。それを美味しいと感じるのは、やはり日本人だからだろうか。海外に出た日本人が日本食を食べられない時、中華を食べてホッとする心境に似ている。まあ最近は中華よりも韓国料理かもしれない。今や韓国料理もアジア中、大体どこにでもある。

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食後、お待ちかねのカラオケとなる。前回M先生たちは、ここでカラオケを大いに楽しんだと聞いていた。特に若手のO君が活躍したようで、彼も張り切っている。そしてカラオケセットの準備を始めたのだが、どうしても日本の歌が出てこない。今やカラオケも衛星配信だから、その通信に問題があるかと思ったが、ベトナム語の歌は出てくる。結局日本人客は来ないし、来てもカラオケなどやらないということで、契約を打ち切ったらしいと諦める。

 

それでも収まりがつかないO君、英語の歌を歌い出したが、慣れていないせいか、フラストレーションが溜まる。すると宴会部長のSさんは、素早くIpadを持ち込み、何やら操作している。何とIpadの中に、曲が入っており、これを見ながら歌うことが出来た。これには一同ビックリしたが、M先生も懐かしい歌を探して、歌い始めた。良く考えてみれば、今回のグループの年齢差は最大60歳。当然知っている歌も違ってくる。それをここベトナムで歌う。何だかとても面白い。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(14)可愛い子供たち

10月31日(土)

モン族の可愛い子供たち

ついにシンホ村を離れる朝が来た。このホテルには何と4泊もした。朝ごはんをいつもの定位置で食べていると、さすがに飽きてはいた。だが、何となく離れ難いのは、ここの従業員のおじさん、おばさん、お姐さんの、不思議な優しさ、素朴な気遣い、などに魅了されたからだろうか。

 

いつも1階のフロントに座っている若い女性、Sさんは彼女に洗濯物を頼み、乾かないな、と言いながら、一緒に笑っている。Sさんのように常にアクションを起こしていると、自然に周囲と打ち解けていく。彼女には幼い男の子がおり、すっかり顔なじみになった。だが彼はママに構ってもらう以外、大体一人で遊んでいる。何人かの子供たちが、ホテルの敷地内に入って来て、遊んでいる。それはそれで可愛いのだが、どうにも彼のことは気にかかっていた。

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そうこうしている内に、荷物をまとめ、出発した。名残惜しい!5日前に来た道をただ戻るだけだが、気分は大いに違っていた。天気も悪くない。途中で車を停めて、眼下に山並みの中に霧が立ち込める見事な景色を眺めながら、私がここに来た意味を改めて自分に問う。道にはいつ起こったのか、土砂崩れの跡も見える。自分の生きている意味を考えさせられる。

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時間はたっぷりあるので、途中でモン族の村に立ち寄る。子供たちが沢山出てきて、恐る恐るこちらを見ている。男の子は普通の格好だが、民族衣装を着ている女の子がいる。皆元気についてくる。彼らは学校へ行っているのだろうか?今日は土曜日で休みなのかもしれない。大人には休みがないようで、農作業で出て行ってしまって留守だった。農作業をする小屋にも人影はない。

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子供の中に顔はモン族なのに、髪の毛は金髪の女の子がいた。どうみてもハーフかなと思うのだが、どうしてこんな山の中にいるのだろうか。お父さんがフランス人で、わけあってお母さんの故郷に戻ったのだろうか。どう見ても余計な妄想が広がり始める。ベトナムには、様々な深い歴史がある。

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ランチで

それからまた車で移動した。ちょうど昼頃、道路脇のレストランに入った。見ていると、皆鍋を食べている。どうやらここは、新鮮な鶏肉を1羽鍋にぶち込む、豪快な鍋が売り物のようだ。ここでもSさんが鍋奉行として活躍、湯気の立つうまい鍋にあり付けた。何しろ4日間、ホテルの食事に飽き飽きしていたこともあり、ぷりぷりした鶏肉は実にうまいと感じた。

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このレストランにはWi-Fiもあると表示されていたが、パスワードを入れても全く反応しなかった。まあこの田舎でWi-Fiは望み過ぎかもしれない。食事が終わると、慣例に倣って席を移して、お茶を飲む。いつもの渋いお茶を飲んでいると、食事したテーブルに柿とみかんの入った袋を置き忘れたことを思い出す。だがそのテーブルに戻ってみたが、袋はなかった。

 

きっと片づけてしまったのかと思い、ウエートレスに聞いたが知らないという。おかみさんらしい人も知らないというが、厨房の方へ行くと、何とそこに柿がポツンと置かれているではないか。これは何だ、というと、やはり知らないという。だが袋も見つかったので、もう完全にこの人が私の柿をとった、ということが判明した。ではみかんはどうしたと聞くと、悪びれることもなく、『捨てた』と言い放った。さすがに驚いたが、何ともしようがない。

 

ガイドがやって来て『田舎ではよくあることですから』と取り成したが、本当に田舎では人のものを確認もせずにとってしまうのだろうか。それにしても『謝る』とか、『言い訳する』とか、いうこともない。『あー、見付かっちゃった』という雰囲気である。ちょっと憤慨して車に乗り込むと、ガイドが『お詫びのしるしです』と言って水を一本くれた。うーん?

 

田舎の人だから、『外国人が怒っているのにどう対処したらよいのか分からなかった』という意味だろうか。ただもう一つ、分かったことは、この辺では、みかんは一般的なものだが、やはり柿は高価なものらしいということ。だから、おばさんもみかんは捨てて、高価な柿だけ残したのだろう。

 

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(13)食事もお茶も雰囲気次第

おじさんの家を辞して、車に乗り、弁当を食べる場所を探した。あまり適当な場所はなかったので、道路脇の平らな場所で弁当を開くことになる。弁当の中身は分かっているのだが、外で食べると気分が全然違う。何となく部屋で食べるより、解放感があり、美味しく感じられる。食事には環境、雰囲気が大切だ、としみじみ。

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食後のお茶はどうするのか。朝からSさんは悩んでいた。そこで私が自分のバッグを探ってみたが、出てきたのは、何と日本のビジネスホテルに置かれているほうじ茶のティーバッグ。こんな物、お茶のプロの皆さんに出すのは失礼だ、と思っていると、Sさんが『これがいい』と言い出す。半信半疑で持っていく。Sさんはちゃんと厨房からお湯をポットに入れて持ってきている。プラスチックのコップすら用意している。そこへほうじ茶バッグを入れる。

 

食事中に皆さんに配ると『これはうまいなあ』という声が聞こえる。皆さん、お茶の専門家である。まさかこれが安いほうじ茶のティーバッグだとは言い出せなくなる。しかし自分で飲んでみても、何とも味わいがある。そうか、食事だけではなく、お茶も環境に左右されるものなのだ。そして長らく日本のお茶を飲んでいなかったので、その味が懐かしく思われる。このような状況下であれば、お茶の質など、大きな問題ではない。これは面白い実験だった。しかしこれがいいと選んだSさん、包丁の見立てだけではなく、商才もあるな。

 

格好いいおじいさん

午後、どのような経緯からか、ある家を訪問した。そこの集落の子供たちがみんなで遊んでいる姿が微笑ましい。するとUさんがバッグから何か取り出した。何と小さな独楽を持ってきていた。ちょっとやってみせると、子供たちの目が輝き、皆がやりたいと寄ってくる。私も何十年ぶりかで回してみた。上手くはできないが、独楽が回ると嬉しい。子供の頃を思い出す。

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この家にも対聯が貼ってある。ヤオ族の家であろうか。天井からとうもろこしが大量につりさげられていた。これは食べるのだろうか、家畜の餌なのだろうか。中からすごく絵になる、白髭を蓄えたおじいさんが登場した。ここは一体何なんだろうか。このおじいさん、近所でも評判のお茶好きだったようだ。早速お茶を淹れてくれる。あのタリエンシスの葉っぱが出てくる。

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これが近くに沢山植えられているようだ。家の裏を上って行くと、丘があり、そこにポツポツと植えられていた。お茶を大量生産しようという計画があったのかもしれないが、どうみても自家用になっている。おじいさんも『今の若者は茶など飲まない』と嘆いており、金になる作物に変わっていくだろうと、将来を悲観していた。まるでどこかの国の話のようだ。

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ホテルに戻ったが、まだ時間が早い。やることもないので、周辺をフラフラした。ここからライチョウという街までミニバスが出ているが、そのバスは韓国の現代製だった。若い女性が民族衣装を着て、バイクに乗りながら携帯で話している。バイクも中国製の安物から、ベトナム製造の日本ブランドに変わってきている。ベトナムの経済的な底上げは確実にある。

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市場へ入っていくと、Sさんが既に馴染となっているヤオ族のおばさんのところへ行く。Uさんが縫っている上着を見て気に入り、値段交渉に入った。おばさんはまけてあげる、とは決して言わず、逆に『このステッチを縫い付けると素敵でしょう』という身振りをした。確かにそれが良かったので、それを込みの料金として、実質値下げがなったものと安心していたが、その場で器用に縫い付けたおばさんは、ちゃんとそのステッチ代金も要求してきた。今更要らないとも言えず、結局おばさんの言い値になる。なかなかやるな、おばさん!

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市場の真ん中で、豚の丸焼きが始まり、皆の興味を引く。このようなパフォーマンスが美味しく感じさせるのだろう。市場の外でも串焼き屋が豪快に肉を焼いていた。腹は減っていないが、何だか食べたくなる。するとSさんが既に包まれていた物を買い込む。持ち帰って食べてみようというのだ。ついでに飲茶で出てくる腸粉のような食べ物も買う。これはうまそうだ!

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ホテルに帰り、皿などがないので、慣れ親しんだ厨房へ行く。おじさんが『何買ってきたんだ』という顔をして、覗き込む。品物を見ると、手際よく、必要な皿やフォークを出してくる。腸粉は、何と甘い味のデザートだった。これにはライムをかけるとうまいぞ、という感じで、奥からライムまで出してきた。

 

そして包まれていた物体を開けたが、それは肉などではなく、本当に謎の物体だった。するとおじさんは、これをつけて食べるといいよ、という感じで、酢や調味料を混ぜ合わせ、付けるためのたれを用意してくれた。この親切には、本当に驚いた。訳の分からない物を買ってきて、と言われても仕方ない中、何とかしてあげようというおじさんの心意気には感じるものがあった。しかし食べた物が何だったのか、最後まで分からなかった。おじさんとは言葉が通じない。

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今日も夕飯はホテルだが、それを簡単に済ませて、外の店で先ほど食べられなかった串焼きを食べ、ビールを飲もうという計画が密かに進行していた。さすがに明日はこの地を離れるので、最後ぐらいはいいだろう、という思いがあった。ところが、何と急に雨降り出した。それもシトシト降るのではなく、ザーザー降り。これは外へ行くなという天からの合図だっただろうか。

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