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台南・高雄茶旅2023(1)奇美博物館へ

《台南高雄茶旅2023》  2023年5月23日-25日

台北滞在も1か月を過ぎ、一度南部へも行こうと思い立つ。はたしてどこまで行けるのだろうか。今回はちょっといつもと違う感じの旅となる。

5月23日(火)奇美博物館へ

朝起きて台北駅へ行く。ちょうど1か月前台中に向かった時とほぼ同じ感じだ。今回は台中を通り越して台南まで行ってみる。時間的には30-40分伸びるだけで、料金も高鐵で600元ほど増えている。実は台南には何度も行っているが、高鐵駅で降りた記憶がない。なぜだろうか。

高鐵台南駅へ降りてみたが、やはり記憶はない。そしてここから台南方面へ向かう電車がどこから出ているのか、良く分からずまごつく。改札を出ると、珍しく日本人の団体さんと遭遇した。高齢者が多く、ガイドさんが日本語で細かい注意事項を伝えており、大変そうだった。

台鐵沙崙駅を何とか探し当てる。三井アウトレットモールの看板が見える。台中だけでなく、台南にも進出か。電車は既にホームに停まっていた。2両編成の車両は上を走っていく。車内はきれいだが乗客は少ない。中洲駅で高雄方面は乗り換えとなる。私は台南方面に一駅乗って保安駅で下車した。

保安駅の駅舎(1908年建造)は実にレトロでよい。そういえばその昔『保安‐永康』間の切符がブームになったことを思い出す。駅前を歩き出すとバス停もレトロだったが、今はかなり荒れていた。更に橋を渡り、向こう側を見ると広大な敷地が見えてくる。駐車場側から入っていく。ここが奇美博物館だった。

奇美実業は台湾有数の企業であり、その老板許文龍氏の名は各方面で知られている。私ももう30年近く前に一度だけ仕事で会ったことがあるが、実に飄々とした人物であった。ただその事業は極めて合理的で、先進的だったことは良く覚えている。帰りに当時の奇美本社ビルの上にあった博物館を見学した。許氏は自らも芸術家であり、世界中から美術品、工芸品を収集し、台南の子供たちに見せていた。

その博物館がいつの間にか郊外の巨大スペースに移されていた。入場料を払い、中に入ってみると、自然科学から歴史まで、展示物はかなり多い。鎧があると思えば、楽器があり、美術品が納められた部屋があれば、はく製なども自然に置かれている。それでもスペースはかなりゆったり取られており、2階まで上がって一生懸命見た。だが私の今回の目的、許氏が自ら作成した日本人胸像を見付けることは出来なかった。この胸像、先日盛岡で新渡戸さんの物を見たし、新井さんについては魚池と沼田で見てはいるのだが、他の人もまとめて見られれば、と思った次第だ。

仕方なく一回りして外へ出た。インフォメーションへ行き、日本人像について尋ねると『以前特別展をやっていた記憶はあるが、今それがどこにあるのか分からない。メールで問い合わせてみては』といい、メールアドレスを教えてもらった。そこへメールしてみたが、その後も何の返答もない。私の言語が不明瞭であったろうか。

台北に比べて南部はかなり暑い。ここから台南行きバスも出ているようだがいつ来るか分からず、結局また保安駅へ戻り、台南駅まで一駅乗る。台南駅は4年前来た時も改装中だったと思うが、今も尚改装中で驚いた。後で聞いたら、途中で工事が中断したらしい。コロナのせいではあるまい。

今日は駅前の老舗ホテルを予約していた。1時過ぎにチェックインしようと思い行ってみると何と『チェックインは4時からです』で言われてしまう。これではまるで東横インだ、と日本語で言うとフロントの女性は『では3時まで荷物を預かります』と今度は日本語で答えた。後ろでも日本語が聞こえるこのホテル、どうなっているのだ。

香港・深圳茶旅2023(8)香港フラフラ

その奥に、元ホテルだという不思議な建物が建っている。中に入るとレトロな雰囲気で、多くの映画の舞台にもなったらしい。壁にはたくさんのスターの写真が飾られている。元々Kさんは、ここでハトを食べようと思い、選んだらしい。まあ何よりもお客が少なく、ゆっくりと話が出来るのは有難い。

のっけから畲族が登場したので、鳩肉を食べながら、潮州人、客家などの言語学的違いについて、色々と教えてもらった。香港にも多い潮州人とは一体どんな人々なのか。突如注目されてから30年の客家、そして誰も知らない畲族との関わりや如何に。知りたことだらけだが、分かることは多くはない。

3時間も話し込み、店を出た。私は沙田にある銀行へ向かった。ここでも手続きに色々と時間は掛ったが、中国のような緊張感はない。ただ店内では何とも横柄な普通話が飛び交っており、英語を話す客など稀らしい。彼らは大事な客だろうが、私はどうでもいい客なので、その対応は何となく雑になる。

ネーザンロードまでMTRで進む。よく知っているが泊ったことのない宿を予約してみた。当日予約だから高いのかと思ったら、当日でいい部屋しかなかったのだと、チェックインして分かる。まあ香港も深圳も本当にコスパは良くない。やはり私は東南アジアが好きになっている。因みにこの宿には電源アダプターがちゃんと備え付けられていた。

もう夕方なので廟街を歩いてみる。やはり昔の熱気はないようで、屋台は出ているものの静かな感じだ。何となく吸い込まれるようにチェーン店に入り、何となく牛喃カレーを食す。うーん、やはり九龍城迄行きたい。暗くなってからもう一度廟街を通ると、食事をする人が多く見られた。こういうところは一人で食べるのが難しいのでパス。ネーザンロードに戻ると、そこには安い弁当を売る店があり、大繁盛していた。香港庶民も厳しい現実に直面している。

5月10日(水)台北へ

朝は早く目覚めた。今日は台北に帰る日だが、香港への未練はあまりない。取り敢えず散歩に出て、油麻地の天后廟にご挨拶する。それから朝ご飯を探して茶餐庁に入る。人が多くてごちゃごちゃしているのは香港らしいが、料金はうんざりするほど高くなっている。それでも何とか食べていると、中国人観光客家族が入ってきて、めちゃくちゃ煩く、退散する。

そのまま油麻地を歩き、更に深水埗までフラフラ歩いて行ってみる。高層建築が目立つ中、古い建物にどうしても目が行ってしまう。いつまで頑張れるのだろうか。深水埗の近づくにつれて、何となく懐かしい香港の風景が出現して、嬉しくなる。ただ人はあまりおらず、いても香港人ではなさそうな顔の人が多い。

深水埗では、鴨寮街でSIMカードを買った。今回の反省を踏まえて、中国でも使えそうなカードを念のため買っておいた。といっても次回いつ中国に行けるのかも分からないのだが、まあ保険の意味合いが強い。その辺で雲吞麺を頬張る。やはり香港に来たら、一度は食べておこうと思う。

MTRに乗って、尖沙咀へ。普段はあまり歩きたくない所だが、偶には行ってみたくなる。ペニンシュラーホテルは健在で、ネーザンロードも人が多い。重慶マンション、懐かしい。結局横道に入る時間はなく、ただネーザンロードを北上しただけだったが、それでもやはり香港が強く感じられる。古き良き香港、などという言い方は、香港には似合わない。

ホテルまで戻り、チェックアウトする。宿のスタバで林さんと会う。東京以来4年ぶりだろうか。大学時代からの知り合いだから、もう40年になる。私は実は正確な彼の年を知らなかったが、既に70歳を超えていると聞き、驚く。まあ元気でよかった。よもやま話をしているとすぐに時間は過ぎてしまう。

林さんと別れて、空港バスに乗る。急にトイレに行きたくなり、一本逃してしまうと、なかなか来なくて不安になる。ようやく乗り込むと、何となく眠くなる。1時間で空港まで到着する。コロナ禍で空港内部もちょっと変化が感じられた。2003年のSARSの時を思い出すと、香港への影響は甚大だった。

人の移動が止まれば香港は死んでしまう、という恐ろしい体験をしたので、今回の被害も甚大だったはずだ。今や空港に人が戻り、結構混雑しているように見えるが、果たしてどれほど回復しているのだろうか。今更香港の将来をどうこういっても仕方がないが、やはり心配ではある。

香港・深圳茶旅2023(6)中英街と茶葉世界で

5月8日(月)深圳茶葉世界

宿は深圳の中心部。周囲は高層ビルで囲まれている。どうなんだろう、この風景。30年前は香港が高層ビルで囲まれていたのに、今は深圳の方がすごい。朝ご飯は上の階へ行く。窓はなく、薄暗い室内で食べる。食事内容はコロナ前とほぼ変わっていない、健康系のように感じるがどうだろうか。

そのまま外へ出る。小雨が降っているがあまり気にならない。ただ既に昨晩かなり降ったようで、所々に水が溜まっているので地下道を通る。深圳も交通量が増え、歩行者の横断は地下道でさせるようにしている。本日の、いや今回深圳訪問の目的地はその先のビルの中にあった。

中国の銀行に口座を持っていると時々機能が停止する。今回はコロナ禍で3年以上使っていなかったので当然止まるとは思っていたが、これを再開するためには中国内へ行かなければならない。中には口座を開いた店へ行かなければ手続きしない銀行もあるようだが、私が使っているところは簡単に再開できてよかった。これで支付宝にもチャージできるので、普通に使えるようになる。この現金が全く流通しない社会では、支付宝が命綱となる。

あまりにあっけなく解決したので、午前中をどう過ごすか考えた。ちょっと地下鉄で遠出しようと思い、思いついたのが沙頭角。ここは昔中英街の件で来たことがあるが、それ以来だろう。地下鉄の切符を買うのに紙幣がはねられたので、今回は係員を見付けて、コインと代えてもらい、無事購入した。

沙頭角駅がいつできたのかは知らないが、私が知っているところとイメージがかなり違っていた。駅から数分歩くと沙頭角の辺境が見えてくる。村人だけが行き来できた以前とは違い、今では中国人観光客が中英街を目指して、専用入り口から入っていく。残念ながら外国人は入れないようで、そのまま引き返すしかない。ただその周辺には立派なマンションが立ち並び、その発展を見ることは出来た。

そこから中心部に引き返し、羅湖駅前にある茶葉世界に行く。まずは腹ごしらえと、その近くにある昔よく行った食堂に入ったが、経営が変わったのか、料金は高くなり、味は落ちており、かなり残念な状況だった。まあ、これも時の流れと諦めるしかない。この周辺、駅前なのに以前と比べて人通りがかなり少ない。

茶葉世界はそのまま残っていた。だが2階に上がっても、人は殆どいない。完全に閑古鳥が鳴いている。馴染みの店に行ってみたが、不在だった。もう一軒は引っ越したのか、それとも閉鎖してしまったのか見付からない。何だか完全に取り残された感じとなり、早々に立ち去ろうかと思った。

フラフラ歩いていると見慣れた名前の看板がある。あれと思い、中に入ると、ご主人の笑顔があった。ちょうどコロナの頃にこの場所に引っ越したらしい。元々岩茶の店だが、今や黒茶類が大半を占めている。茶を飲みながら世間話をしていると、コロナ禍の大変さが伝わってきた。それでも20年も店をやっていれば常連客がおり、基本的に個人より飲食店などへの卸しは影響が少なかったようだ。

もう一軒の店ももう一度覗いてみると帰ってきていた。ご主人は公務員を退職してもう10年近い。夫婦二人で店をやっているが、お客が来ることは稀だという。今は全てが微信なので、直接顧客と会うことは本当に少ない。そして現金を受け取らなければ、偽札を掴むこともなく、会計も全て機械でできるので、個人商店としては本当に有り難いという。確かにその通りだ。慣れてしまえば、こんな便利な社会もない。さすがに店舗が無いと信用度が下がるらしいが、それ以外問題はない。

香港・深圳茶旅2023(5)4年ぶりの深圳では

深圳で

懐かしの深圳に入った。相変わらず人が多く、出口には人だかりが出来ている。その中にシムカードを売る人々もいた。彼らに中国移動香港のシム、というと、小雨が降る中、ちゃんと店まで連れて行ってくれた。店の女性が私のスマホにシムを差し込んだが、このシムも作動しなかった。これは私のスマホの問題なのか。30分ほどあれこれやったが、結局使えず、店を後にした。因みに代金は払わなかったが、ここだけは現金でも良いと言われた。

中国国内のシムは持っていたので、それを使って本日の宿を予約して、地下鉄で向かう。地下鉄1号線の駅はどこだ。迷う。それほどに深圳の地下鉄は路線が伸びている。何とか探し当てて改札へ行くと、皆がスマホスキャンで通っていく。私は切符を買おうとしたが、10台ほどある自販機の9台は使用停止だった。残り1台も勿論100元札など入らず、古い札を入れてみたが、はじかれてしまう。コインを探して何とか切符を買う。僅か3元が払えない恐怖。

地下鉄で3駅乗って大劇院で下車。ここから歩いて予約した宿へ向かう。道はよくわからなかったが、スマホ地図で何とか辿り着く。深圳の街が何となく静かに見えたのは気のせいだろうか。宿はコロナ前からよく使っていたチェーン店で私は会員だった。チェックインしようとすると、フロントの女性が、『何で予約しましたか』と聞いてくる。この宿のアプリからさ、と答えたら、エッという顔をした。

更に微信は持っていないのかと聞く。何とチェックインも全て微信で行うらしい。彼女は私のスマホを引き取り、すごいスピードで作業を完了した。だが最後の支払いが出来ない。私は微信支付を使っていなかったのだ。支払いは現金でも良いかと聞くと、またエッという顔になったが、何となく頷いたので、4年前の100元札を何枚か取り出したら、『お客様・・』となり、私のスマホから支付宝を見付けて、『こちらから払いましょう』と手続してしまった。私のなけなしの電子マネーは一気に無くなった。これが今の中国なのだと思い知った。

この騒動のせいか、部屋はアップグレードされて、広い。冷蔵庫のドリンクは全て無料。茶葉とお茶道具のお茶セットも用意されている。勿論朝食も付いている。ただ料金は円安も含めれば、コロナ前よりかなり上がっている。それでもお客はひっきりなしにやってくる。エレベーターに乗るにはカードキーが必要であり、カードをかざせば自動的に行き先階に連れて行ってくれる。これはコロナによる自動化だろう。

何となく腹が減ったので、外へ出た。突然蘭州拉麺が食べたいと思い探す。見付けた店に入ると、メニューに羊肉拌麺があり、ついそれを頼んでしまった。店員はウイグル族なのだろうか。味は普通だが、量が非常に多く、それだけで十分腹一杯。勿論支払いはQR決済の一択。最初から現金を出すとか、受け取るとかいった雰囲気は全くない。

腹が一杯になったので少しだけ深圳の街を歩いてみる。歩道を歩いて困るのは、デリバリーを行うミニバイクが縦横無尽に走っていること。ちょっと油断すれば確実に轢かれてしまう。比較的静かな街に、このバイクだけが蠅のようにうるさい。バイク側には時間に追われているという制約があるようだが、事故多発は間違いない。規制すべきだと思うが、どうだろうか。

老街に行ってみたが、雨上がりでも人はそれなりにいた。マスク率は低い。店はどこも開いていて、既にコロナは終わった感がある。賑やかな音楽が中国らしい。少し人がいない公園の方へ歩いて行く。深圳はある意味で人工都市だから、緑は意外と多い。多くの人が憩いの場として活用しているように見える。

帰りに線路脇を通る。列車が走っていく。広州へ行くのだろうか。私は深圳市内にしか行けない身。こういうのを籠の鳥、というのだろうか。しかもこの街には何となく監視されている雰囲気もある。以前のような自由な環境は無いようにも感じられる。景気も良くないのかもしれない。

その夜、部屋に戻ってPCを立ち上げた。なぜか日本のテレビ番組を見ることが出来た。中国国内では、FBもツイッターも見られないはずなのに、なぜか読める。それは中国が緩和したのか、この宿の問題なのか、それともほんの一時なのか。とにかく外の人々への連絡などが出来て良かった。中国国内に入ると、何しろ生存報告も難しい。

香港・深圳茶旅2023(4)恐ろしい中国入境の顛末

ちょうど係員がいたので、無言でスマホを差し出すと、彼も無言でパスポートを見ながら打ち込んでくれた。これは助かった。周囲にはどうしてよいか分からない外国人や高齢者が多数立ち止まっている。私はそこをすり抜け、取得したQRコードをかざして、機械ゲートを通り抜けた。

その先に行くと、あれ。何と入国審査ゲートに出てしまった。驚いて係員に聞くと『ああ、ここにはビザオフィスはないよ。外国人が良く間違えるんだ』と笑いながら言う。この瞬間、私の立ち位置は大いにぐらつく。どうするんだ、と聞くと、『戻るんだよ、香港に』と一言。そこから今来た道を懸命に戻る。途中係員に誰何されても、気にせずに戻る。確かに福田の地下鉄という表示が見える。

ついに香港出国審査の手前まで来た。ここで係員に誘導され、事務所へ入る。そこには数人の同じ境遇の人々がいた。ただその多くは香港人で、回郷証が失効していたために入国を拒否されていた。もう一人日本人の若者がいたが、彼は普通話をまくしたてていたので、深圳に住む駐在員だろうか。

20分ほど待って解放されたが、私はどうしたらよいのだろうか。とにかく一度ここを離れ、羅湖を目指そうか。係員に聞くと『落馬洲-皇崗の間にビザオフィスはあるよ』と教えてくれた。そこへ行く方法はバスかタクシーらしい。取り敢えず駅から地上へ降りてタクシーを探した。かなりの雨が降っており、濡れながらタクシー乗り場へ行くと、緑のタクシーは『ここからは落馬洲も羅湖にも行けないよ』と素っ気ない。

ならばとMTRの駅へ行こうとしたが、なぜかそこに辿り着けない。工事中らしいが、今電車に乗ってきたのに、なぜだろうか。もう一度イミグレに戻ると、係員に文句を言っている香港人がいた。彼に連れられ、駅を目指した。だがどの表示に従っても駅へ行けない。香港人の彼は怒りだした。『香港はいつの間にこんなに劣化したんだ』と。

結局工事中、通行止めの印を無視して、階段を歩いて上がると、そこに駅があった。ここは中国ではなく、香港だろう、と叫びたい気持ちになったが致し方ない。香港も中国になったのだ。何とも言えない気持ちを抱えて、上水で乗り換え、羅湖で降りた。ここは慣れ親しんだ辺境なので、ゆるゆる進む。

そして再度健康チェックがやってきた。私は先ほど既に入力済みだったが、それがどこに保存されているのか、わからなかった。どうしようかと悩んでいたが、ちょうど端っこにデスクがあったので、そこへ進み事情を話し、スクショしたQRを提示したら、そのまま通してくれた。こちらではスマホ操作が出来ない人向けに『人工道』が作られており、何とか抜けることが出来るようだった。それにしても今も中国はコロナ禍なのだろうか。

次にビザ申請に向かう。何時間も立って並ぶことを想定していたが、ここは一つの部屋になっており、外国人が座って待っていた。目測で十数人。まずは外の機械で自分の写真を撮る。順番の番号札を機械から取り、そして申請書を書いて待つ。その間窓口に全く動きはない。ただ番号は表示されているので、いつかは順番が来るだろう。

10分ほど待つと番号を表示され、申請は難なく受け取られた。その後ヨーロッパ人の一団が、ビザを受け取り、費用支払いに呼ばれて人が減る。聞いてみると彼らは午前中から2‐3時間待っていたらしい。午後着いた私の後に来る人はほぼいない。狙い目は午後だったか。落馬洲での出来事も無駄ではなかった。

1時間ほど待ってようやく支払いに呼ばれた。私の前にフランス人が並び、ビザカードを出したが、何故か反応せずにはねられた。彼は人民元の現金を持っていたが、ここでは微信支払、支付宝しか役には立たない。何と彼は係官から『香港へ戻れ』と言われ、すごすご帰っていく。恐ろしい世界だ。

私はかなり緊張したが、スマホに支付宝が入っているので安心していた。ところが昨日トミーが直してくれたシムカードがやはり作動しない。おまけに辺境のため、Wi-Fiが弱く、機能しない。結構焦ったが、代わりにビザカードを差し出すと、何とか反応を見せ、無事ビザ取得となった。このビザは深圳のみ5日間有効の特別ビザで必要は168元だった。

香港・深圳茶旅2023(3)ホンハムから上環へ

近所を見ていると、すき家や丸亀製麺が出店しているが、中国系銀行の支店も多く、この周辺は中国人観光客が来る場所だとよくわかる。昼は旧知のIさんと会うことになっていたので、ふらふら歩いてみる。飲食店が並ぶ一角に小さな上海ラーメン屋があった。何とも懐かしい醤油味のラーメンが食べられた。Iさんが広東語で注文したが、店主は我々が日本人だと分かり、普通話で返してくる。

Iさんが病気だと聞いていたので様子を見に来たわけだが、思いの外元気そうでよかった。積もる話はさておき、歴史話などをするために隣のお茶屋に移動した。若者向けのカフェだが、何と奥には座敷がある。そこに座り込んで2時間も話し込んでしまう。店側にとっては迷惑な客だったろうが、こちらは楽しく過ごす。

そこから香港島に渡るため、歩いてフェリー乗り場へ行く。いつもはスターフェリーに乗るのだが、今回は時間がなさそうなので、ホンハム-北角間を渡る。この路線は夜が早いので、今乗るしかない。料金はスターフェリーと比べれば高い。観光用は政府の補助が出ているのだろうか。何の感慨もなく、僅か10分で北角に着く。

北角の海鮮市場を抜けると、高層ビル街となる。その合間に懐かしい新光劇院があった。広東オペラを上演する劇場で、25年前に一度見た記憶があるが、あまりに長いので、その後は行かなくなった。今やっている演目は『毛沢東と四人組』らしい。お客は入っているだろうか。昔ここ北角の山の上に住んでいたが、下に降りてくることはあまりなかった。

MTRに乗って上環まで行く。ここには行きたい茶荘があったが、残念ながら待ち合わせの時間となってしまい、次回に持ち越した。待ち合わせたトミーとカフェに入る。そして私の懸案となっている、中国移動のシムカードの接続をお願いした。いつもは簡単にやってしまう彼が苦戦しており、広東語で中国移動に電話して1時間もかけて何とか繋がった。一体これはどういう状況なのか、私にはさっぱり分からないが、とにかく感謝しかない。

ちょうどその作業中、約束していたOさんが店の前を通りかかる。慌てて捕まえてそのまま一緒に作業を待つ。それから場所を老舗レストランへ移動して、夕飯を食べた。この店に来るのは恐らく10数年ぶり。トミーも『こういう店は来ないんだよな』と言いながら結構食べている。伝統的な広東料理というのだろうか。腹一杯食べて眠くなりながら、地下鉄で宿に戻る。

5月7日(日)深圳入国で体験したこと

今朝は9時からオンラインがあるので、早めに朝食を取る。何となく雑ではあるが、まあ満足できる食べ物だった。部屋に帰り、コーヒーを淹れ、ハーバーを眺めながら時間まで過ごす。オンラインは特に問題もなく、11時には終了する。それから急いで荷物を詰めてチェックアウトして、MTRに乗り、深圳を目指した。

九龍塘で乗り換える。昔は九龍鉄道と言っていたが、今やここもMTR。羅湖まで一体何度この鉄道に乗ったことだろう。ここは特に変わりはない。ただ本日は羅湖ではなく、落馬洲へ向かうため、上水でまた乗り換える。落馬洲にはバスで何度も行ったことがあるが、鉄道で行くのは初めて。

落馬洲駅で香港出境。これは簡単に進む。そこで係員に『中国ビザを取るオフィスはこの先にあるか』と聞くと、あるというので進んでいく。今日は日曜日だからか、人はかなり多い。少し行くと行列が出来ている。何と健康チェックがあった。健康カードを書くのかと探すと、皆がスマホに目をやっている。スマホでスキャンしたQRコードを読み込み、それに打ち込むらしいがよく分からない。

香港・深圳茶旅2023(2)伝統的潮州料理を求めて

宿はハーバー沿いにあり、広い部屋はフルハーバービューという贅沢だった。ただ泊まっている多くが中国人で、ロビーはかなり煩い。まあ今日は到着しただけで儲けもの。だが解決すべきはシムカード、そして電源アダプター(香港の電源が台湾や日本と違うことを忘れていた)。フロントに聞くと『アダプターの貸し出しはありません。イオンに行って買ってください』というではないか。これも中国人観光客対策だろう。でも五つ星ホテルでこのサービスはないだろう。

船の形のイオンの店舗、昔はヤオハン・ジャスコだっただろうか。妙に懐かしい。だがアダプターは見付からない。仕方なくシムを求めて彷徨うことにする。セブンイレブンにあるかもと聞いてみると『あっちに行けばあるよ』とぶっきらぼうに教えてくれる。この辺は中国人観客だらけで、私もその扱いだ。いや、香港は昔からぶっきらぼうだった。

更に歩いて行くと、スマホ修理店を発見。そこで英語で聞いてみるとおじさんが香港シムの登録までしてくれ、難なく開通した。ついでにアダプターもゲット。昔から香港で頼れるのは、街の小店だなと改めて痛感し、同時に嬉しさがこみ上げてくる。スマホで検索できると急に行動できるようになる。

ホンハム市場の前からバスに乗る。今晩は九龍城へ向かう。旧知のYさん、そしてOさんと食事の予定がある。バスはそんなにかからずに九龍城に着き、少し時間があったので、その辺を歩いてみる。4年の間にタイ料理屋がすごく増えたような気がする。この付近は潮州人が多いと聞いているが、バンコクも潮州人が多い街。そんな繋がりからタイ料理が出来ているのだろうか。

我々は伝統的な潮州料理屋で食事をした。それは私がリクエストしたからだ。台湾には伝統的な潮州料理が無いと言われて、では香港で、となった。だが香港でも昔は沢山あった安い潮州料理は姿を消しており、麺屋などが残るだけ。今回は食前に工夫茶が出て来る店を、といったので、九龍城まで来ることになったわけだ。今や工夫茶が出て来るのはそれなりの店だけらしい。

確かにこの店は伝統的で入り口に食材が並び、客がそれを選んで注文する。工夫茶も言わなくてもちゃんと出て来る。料理もなんか懐かしい感じがする。ただ料金だけは昔の数倍になっていた。まあ、香港話や歴史話などで楽しく盛り上がったので、それで良しとしよう。今の香港に昔を求めるのは無理というものだ。

帰りにYさんに地下鉄駅まで送ってもらった。いつの間にか九龍城近くに駅が出来ていたのだ。やはり香港も進んでいる。駅は勿論きれいで、乗客も結構乗っている。距離は近いが一度乗り換えて到着。折角なので、宿の周囲のハーバー、夜景を撮る。部屋からでも十分に見えるのだが、やはり風が心地よい。

5月6日(土)混乱は続く

朝早く目覚めた。カーテンを開けるとハーバーが靄っていた。7時には朝食に行き、かなり食べた。その後ハーバー通りを散歩する。朝は暑くないので、ランニングする人たちもいる。風が何とも気持ちよい。フェリー乗り場の方へ行くと、幼い男の子が進み出た。ああ、懐かしい、土曜日のドネーションだった。思わずコインを入れてシールを張られた。こんなことは昔よくあったが、今もあるんだ、と妙に感傷的になる。

宿では本日結婚披露宴があるらしく、ロビーは朝から慌ただしい。外へ出ると結婚用に飾られた高級車が停まっており、若者たちが楽しそうに写真を撮っている。私はそのまま外出して、用事を済ませようとしたが、何とまさかのインコンプリートとなってしまった。土曜日でお客が多かったのかもしれないが、解決の見込みがないことが分かるまで、1時間半も要してしまった。スピードが信条の香港の姿はやはり過去のものと言わざるを得ないだろう。

香港・深圳茶旅2023(1)香港にも実名制で

《香港・深圳茶旅2023》  2023年5月5日-10日

台北に滞在中、ちょっと所用で香港へ行ってみることにした。合わせて深圳にも潜入したいと思っているが、果たしてどうなるのだろうか。

5月5日(金)4年ぶりの香港で

朝台北駅に向かった。香港行のフライトは桃園空港から出る。昔はよくここからバスに乗って桃園へ行ったものだが、最近は羽田-松山を使うことも増え、久しぶりの桃園だった。バスターミナルへ行くと、人が少ない。コロナのせいか、バスがかなり減っているように見える。以前は20分に一本あった空港行きも、30₋40分に一本となっており、かなり待つ羽目になる。途中で気が付いたのだが、空港行MRTが出来ており、そちらに乗る人が多いのだろう。

バスの運転手は相変わらず愛想が無く、運転も丁寧とは言い難い。MRTより安いとはいえ、やはり選ばれないかな。空港まで1時間、第2ターミナルは後なので、さらに時間もかかる。

空港内は静かだった。チェックインカウンターにも人はいない。朝夕はかなりいるらしいが、この時間は荷物検査も並ぶことはない。羽田空港の衝撃を体験した後なので、どこの空港も混雑していると思ってしまうが、実はそうではないと分かる。当然飛行機も空いている。台湾にGWはないが、それにしても乗客は少ない。実にゆったりと過ごす。

香港の空港もそれほど混んでいなかった。荷物も預けておらず、すぐに外へ出た。4年ぶりの香港、まずはシムカードを買おうといつものブースを探したがない。香港移動の店舗は撤退しており、シムはセブンイレブンで買えるという。確かに買えたが、カードを挿入してくれるサービスはない。ただ何か説明書のようなものを手渡された。

続いてオクトパスカードの確認。だがエアポートエクスプレスに乗る観光客で行列が出来ている。取り敢えず機械で照会してみると、やはり使えなくなっている。まあ4年も使っていなので当たり前か。鉄道駅のホームにも切符売場があることを思い出し、そちらへ行くと、すぐに対応してくれ、15ドルの手数料でカードは見事に復活した。

目の前に来たエクスプレスに飛び乗る。ゆっくり座れたのでやれやれと思っているとさっき買ったシムカードが作動していない。慌ててもらった説明書を見てびっくり。何と中国だけでなく、香港にも実名制が導入されていた。急いで車内のWi-Fiを繋ぎ、パスポートのスキャンをしたが、揺れてうまくいかない。それでも何故か『開通』通知が来た。よかったと思っていたが、やはり繋がっていなかった。

九龍駅で列車から降りるとWi-Fiが無くなり、スマホは使えない。ここから予約した宿までどうやって行くか。まさにサバイバル状態となる。昔スマホなどない時代は常にこうしていたのだが、今はスマホ無しではどこへも行けないことを知る。うろ覚えでミニバス乗り場を探す。

キレイな九龍駅と異なり、ミニバス乗り場は地下の暗い所にあった。運転手に確認すると頷いたので乗り込む。料金はオクトパスで払えるからよい。乗客は満員。皆ほぼ地元の人々らしい。次の課題はどこで降りるか。まあ成り行きだ。ネーザンロードなど慣れ親しんだ道を横切り進む。

降りる時、ミニバスは自ら合図をしなければならない。ボタンなどないのだ。私は乗客からどう見えているだろうか、と急に思ってしまった。普通話をここで使うことはあり得ない。英語でも良いが、それもなんか変だな。と言って広東語の発音には自信がない。下手に使うと、『変な中国大陸人』扱いになってしまう。結局降りる客に続いて降りたので、声を発することはなかったが、何とも窮屈な香港になっている。いや、これは自分の勝手な問題だろう。

台中茶旅2023(3)台鐵で雲林へ

4月22日(土)雲林で

今朝も雨が降っていた。それでも駅近くを散歩する。市場では野菜や果物を買う市民が集まっていた。鉄道の線路を越えると、公園のようなところがある。よく見ると古い建物が建っている。帝国製糖廠、ここは日本時代の砂糖工場だった。今は展示館になっているが、まだ時間が早く残念ながら開いていない。それにしても立派な庭園があるものだ。

その向こう側にショッピングモールが見える。ここが三井のアウトレットパークだと聞き、驚く。日本時代、三井は日東紅茶などで台湾を攻め、今は不動産で攻めているのか。実は台中港付近にもう一つアウトレットがあるというから、中国から台湾に進行方向を切り替えている。

その更に向こうには、立派な市場の建物が見えた。建国市場は元気の良い所だった。雨でも濡れないのでここにもお客が結構いた。こんな駅の近くに色々とあるのはすごい。折角なので、ここで朝ご飯として、赤肉麺線を食べる。何だかお店の人がとてもやさしい。料金も優しいので嬉しい。

台中駅周辺は現在再開発が進んでいるということか。そしてまず駅舎が新しくなった。週末そこを歩いているのはインドネシアなどの外国人労働者というのが、台湾の将来を暗示している。そしてもう一つ気になったのは、多くのホームレスが駅で寝泊まりしていること。台湾も経済が良いとは決して言えない。

今日はまっすぐ台北に帰らず、雲林へ行く。区間車で約1時間かかるが、台鐵に乗るのは好きなので苦にはならない。乗客は外国人も多いが、何とか座れたのでゆったりと進む。雨も上がり、晴れ間も見えてくる。何とも揺れが心地よい。新烏日、彰化、二水など馴染みある駅を通り過ぎていく。

11時過ぎに林内駅に到着。ここから歩いて数分で張さんの店に着いた。コロナ中に新たな住居兼店を買い求めたらしい。初めて来たがすぐに分かった。店に入ると旨いお茶が出て来る。さすがは茶師。更には親戚が肉羹麺を買ってきてくれ、昼ごはんとして食べる。雲林の名物は肉羹麺と排骨飯。今回は麺にありついた。

張さんの車で林内神社へ行く。今も日本時代の鳥居や灯篭が残っている。神社までの階段は一体何段あるのだろうか。さすがに足では上がれないと、車で上がる。上から見ると、ここ林内は、南投、彰化との境目にあり、交通の要所と言える位置にあることが分かる。茶葉も以前はこの付近から鉄道で送られていたのだろうが、今や茶畑はほぼない。

土曜日の午後、店に戻ると親族が見ていた。張さんの1歳になる孫娘が可愛い。張さんもメロメロだ。私は今日台北に帰りたいというと、高鐵の駅が車で30分以内の場所に2つあるという。だが折角なので自強号に乗りたいと無理を言う。週末は席がないことが多いとは知っていたのだが、調べてもらうと空席があるらしい。

林内駅で指定席を買い、斗六駅まで車で送ってもらった。途中張さんが『この辺は中国大陸から戻ってきた工場がどんどんできている。それに合わせて労働者も住み始めており、人口は増えている』という。そんな情報、どこでも見たことがない。これがリアルな現状なのだろう。百聞は一見に如かず、ということだ。

斗六駅から電車に乗ったが、以前のような混雑は確かになかった。台北まで3時間20分、高鐵ならその半分で行けるだろうが、やはり旅情がある。新竹ぐらいから、立っていく客が出てきたが、満員電車という感じはなかった。本当は台鐵弁当を買って食べたかったが、満員を予想して遠慮した。台北駅に着くと妙に腹が減り、近所の麺屋で麺を食べて満足した。

台中茶旅2023(2)魚池で劇的に出会い、豊原へ

4月21日(金)魚池で

今朝はゆっくり目覚める。窓の下に台中駅が良く見える。8時半にはトミーが迎えに来てくれた。今日は久ぶりに魚池へ向かう。高速に乗ってちょっと行くともう埔里と魚池の境目まで来る。一体何度ここを通ったことだろうか。ちょっと時間があったので、そのまま魚池の街へ行き、王さんの茶工場、いやお茶屋さんを見学する。4年前はちょうど開店するところで、忙しくしていたのを思い出す。

ところが今や魚池で最も成功した茶業者となっていた。週末は5000人ものお客が列をなしてお茶を買いに来るらしい。ちょうど日月潭への通り道、その立地の良さと、彼のセンスでビジネスに成功した。彼のお父さんは造園業で成功しており、やはり血筋があるのだろうか。血筋と言えばお爺さんは林口茶業伝習所の卒業生で茶業に関わっていた人。残念ながら昨年亡くなられたと聞く。私が訪ねると喜んで迎えてくれた姿が忘れられない。

そして和果森林へ向かった。ここでデニス夫妻と森永紅茶の歴史について語り合うことになっていた。台中から台湾紅茶の歴史を研究する陳さんも駆けつけてきて、議論に加わる。やはり森永紅茶にはかなりインパクトがある。そして日本で森永紅茶復活プロジェクトが進んでいることを説明し、彼らもそこに参画したい、との希望があるようだった。そこで一度日本へ行ってプロジェクトメンバーなどとも会ってみてはどうか、という話なる。

昼ごはんはこちらで美味しいパスタをご馳走になった。旦那のスティーブは用事があると出掛けていく。そして食後の紅茶を飲んでいると、LINEでメッセージが入る。知り合いのKさんからだったが、何と送られてきた画像は和果森林の1階のショップのものだった。ということは下に居るのかと急いで降りて行ったがその影はなかった。電話すると、既に日月潭の方に移動したという。

我々も次の目的地が日月潭だったので、そちらに向かった。湖に臨む絶好の場所に新しいホテルが出来ていた。何とここのカフェを任されていたのが、以前茶旅にも参加してくれたチェスターだった。ホテルはまだ内装中だったが、屋上のバーからは日月潭が一望でき、ホテルの部屋もかなり豪華なもので、中には畳の部屋まであった。

カフェでは各種紅茶などを飲むことが出来、菓子類も充実しているようだった。取り敢えずこんな場所があることが分かり、ちょっと驚く。場所は文武廟の前だから、誰でもわかるだろう。そこへ先ほど連絡したKさんたちがやってきた。彼女とは何年ぶりだろうか。お互い台湾にいることすら知らなかったのに、何という偶然、いや必然だろうか。そういえば4年前にも香港で突然出っくわしたことがあったので、余程のご縁なのだろう。

Kさんたちはこれから豊原へ行くという。何とジョニーのところだと聞き、私も突如同行することとなり、トミーとはここで別れた。それにしても何という成り行きだろう。頼さんが運転する車に乗り、豊原へ向かった。頼さんは最近お茶の販売を始めた人だったが、昨年のエコ茶会でも会っていた。

突然豊原へ

車は1時間ほどかかって豊原に着いた。懐かしのジョニーの店。ここに来るのは久しぶりだ。彼はもうすぐ山の上の茶工場へ行くので、相当忙しいはずだが、Kさんのために時間を取ってくれていた。丁寧にお茶を淹れ、丁寧にお茶の説明をしている。会社の歴史についてもどんどん詳しい説明になっている。2時間ほどがあっという間に過ぎた。

夜は何といっても豊原の夜市へ行く。私が台湾で最も好きな夜市だ。まずは肉圓を食べてスタートする。肉羹は30分待ちの大行列。ジョニーが番号札を取っている間に、頼さんが菱角酥を買ってくれる。これもうまい。食べながら立って待っていると、どんどん客が増えてくる。ようやく順番が来て、肉羹にありつく。これはまた幸せなこと。

食後は歩いて泉芳茶荘へ向かう。夜遅いのにお母さんが『お茶飲んでいけ』と言ってくれる。お父さんの顔を見ることもできた。お母さんが今年の新茶を淹れてくれ、更には何とあの幻の鉄観音茶まで出してくれた。これはもう感激しかない。何と有り難いご縁で、有り難いお茶を頂く。素晴らしい夜だった。頼さんに車で送ってもらい、夜更けの台中へ帰る。