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下田紅茶旅2015(3) 下田散歩

既にあたりは暗くなっている。少し行くと川沿いに風情のある街並みが見えてきた。ペリーロードと呼ばれるその道は、了仙寺から下田公園まで約500m。平滑川をはさむ石畳の小道沿いには伊豆石造りの風情ある家並みが続いていた。ペリーが日米和親条約締結時に歩いた道だそうだが、今や観光スポットとして、復活している。ペリーは往時の下田を見て、どう思ったのだろうか。

 

そこから上り坂を行く。何だか闇夜のハイキングのようになってきたが、今更止める訳にも行かない。いくつかのホテルやペンションなどが見えたが、目指すホテルは高台の上にあることが分かり、愕然とした。喘ぎながら登っていく。これも私の茶旅なのだろうか。ようやくたどり着いたところは立派なホテル。

 

懇親会にも多くの参加者があった。乾杯のご発声は紅茶研究家の磯淵先生。明日は船上で紅茶を飲み、セミナーを行う、紅茶クルーズを開催するという。何故か下田芸者の踊りも披露される。この辺がご当地のPRなのだろうか。私はOさんに付いて、適当なテーブルに座る。Oさんのところには引っ切り無しに挨拶の人が来る。さすが地紅茶の第一人者だけのことはある。

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ビュッフェの食事を取りに行き、新鮮な刺身などを食べながら、同じテーブルの方々とお話をする。お隣のご夫婦は、愛媛県の山里で紅茶を作っているという。民宿もやっているので泊ることもできるらしい。反対側には長崎県の対馬で紅茶作りを始めた人もいた。本当に色々な場所で紅茶が作られていることを実感。同時に折角のご縁、一度はお訪ねしてみたいと思う。参加者の大半はここに泊まっているのだろう。

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食事が終わっても皆さん、話し続けている。この懇親会もメンバーオンリーなので、皆紅茶関係者だ。年に1度のこの機会、親睦を大いに深めている。私はそっと失礼して、夜道を駅前まで歩いて帰った。テレビでは丁度フィギャアスケート中継があり、浅田真央の復帰戦が映っていた。

 

11月29日(日)

松陰散歩

翌朝、この宿には朝ごはんがついていた。宿の別棟が居酒屋をやっており、朝食はそこで食べる。昨晩結構食べてしまったので、お腹はそれほど空いていなかったが、付いてみるものは食べる。昨日の女性が、焼き魚、目玉焼き、ご飯とみそ汁を持ってくる。お客は仕事で来ている人が多いようだ。1人ずつカウンターに並んで食べるのはちょっと面白い。

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散歩に出る、実にいい天気で気持ちが良い。海の方に向かって歩いていくと、黒船サスケハナ号が停留している。クルーズ船だ。その先を歩いていくと弁天島に着く。吉田松陰の碑・金子重之助の顕彰碑と弁天社がある。松陰はここから黒船への密航を試みたのだな、夜の海はさぞや暗かっただろうなと思うと、何となく胸が躍り、同時に切なくなる。

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アメリカ領事館が置かれた玉泉寺にも行ってみた。ハリスがここにいたのは僅か2年だったが、日本初の(牛の)屠殺場があり、牛乳の碑があるのが、何とも開港という言葉を感じさせる。また寺社内にはアメリカ人やロシア人の墓もある。ペリーの船に乗り込んで命を落とした人々の墓は立派だった。ロシア人の墓を探す前に団体が来たので、早々に立ち去る。三島神社には立派な松陰の像が建っていた。

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サミット会場の脇の宝福寺も覗いてみる。勝海舟と土佐の山内容堂がここで会見したとあるが、なぜか坂本龍馬の像が建っている。唐人お吉の墓もあるとかで、記念館も建っている。だがお吉は、間違ってハリスのもとへ行き、そのことで下田の住人からは相当冷たい仕打ちを受け、失意のうちに死んだと聞いた。それが芝居で有名になると持ち上げているとは、なんとも。歴史と商売、何でもありというのはどうなんだろうか。

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サミット2

サミット2日目。昨日回れなかったブースを回り、お茶を購入した。さしま紅茶のYさんからは、紅茶サミットなのに何故かちょっと渋い煎茶を購入。こういう味、求めていたんだよな、いずみ。牧之原のYさんの紅茶もなかなかの味。そして熊本のKさん、しっかりした紅茶を作っているなと感じる。来年サミットを主催する奈良月ヶ瀬のIさんのところも早々に訪ねてみたいと思った。

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10時からは、地紅茶の第一人者、すでに30年以上丸子で紅茶を作り続けている村松二六さんの講演があった。二六さんの丸子には既に9月に訪問していたが、その時は研修会でお話を聞くことが出来なかった。今日の講演は実務者として、その蓄積したノウハウを惜しげもなく、伝えていた。参加している茶農家にはとても参考になったであろう内容だった。

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私も茶農家の方から、これほど実践的な話を聞くのは初めてではないだろうか。様々な工夫を重ね、自ら機械を調整し、気候などに合わせて茶作りを行っている。そのぶれない姿勢は素晴らしい。紅茶作りを目指す皆で盛り上げて行こう、という感じが、30年のご苦労を物語っていた。

 

講演会で顔馴染のRさんに会い、彼女らともう一度ブースを回る。お茶の味やパッケージ、展示の仕方、女性の感覚は全く別なので大いに参考になる。そのままランチに行き、昼過ぎの電車で下田を後にした。

 

下田紅茶旅2015(2)地紅茶サミットで

来賓あいさつの後、地紅茶サミットが始まった。現在の地紅茶の問題点、取り組みなどを各地の生産者代表が報告していく。北は茨城、新潟から南は熊本あたりまで、実に幅広い生産者が集まっていた。皆さん、紅茶作りをはじめてそれほど年月が経っている人は少ないが、その熱意は感じられる。中には『皆さんの製茶レベルは低すぎる』とのたまう、コンサルタントと称する人もいて、ちょっとビックリしてしまう。単なる仲良しの会ではなさそうだ。

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兎に角、如何にして品質の良い紅茶を作るか、そしてそれをどのように消費者に広めて、売っていくのか、という共通の、重い課題が地紅茶にはある。その取り組み事例を紹介し合い、皆で地紅茶を盛り上げて行こうという姿勢がある。『いいお茶とは何か』という問いかけに『消費者に選んでもらえるお茶』『自己満足ではいけない』という言葉が響いていく。日本茶業界の問題点をそのまま突きつけるような話になっている。煎茶にもこんな議論はあるのだろうか。

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知り合いのOさんも、普段は温和な話しぶりなのだが、この時ばかりは『地紅茶が少し世間に認知されてきたとはは言っても、流行りは一時的なものになりがちだ。ここから努力して、消費者に真に受け入れられる商品を提供する必要がある』と厳しい顔で指摘していた。このサミットは一般の人向けに行うイベントではなく、地紅茶業界の決起集会のようなものであった。それはとても面白い。

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そして最後に次回開催地である奈良県月ヶ瀬の茶農家とその支援者が、前に出て発言した。既に来年の開催も決まっており、12月4-5日に行われるらしい。しかも開催地は持ち回り、というより、自ら立候補して、企画書を提出し、審査を経て決まるという。自分たちのやっていることを同志に見てもらおう、より多くのお客さんに知ってもらおうという志、とても大切なことだと思う。

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サミットは時間が短く、あっという間に終わってしまった。後は懇親会での相互交流になるようだ。続いて、静岡の重鎮、K先生による基調講演があった。『開国と紅茶』という場所をわきまえた演題だったが、この発表内容にも驚いた。下田紅茶は『ハリスが将軍に茶を献上した』ことに由来すると聞いていたが、K先生は『歴史的に文献に当たってみたが、そのような事実は見付けられなかった』とバッサリ、と述べていた。これには会場もビックリ。

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具体的には、ハリスの幕府への献上品リストの中にお茶はなく、また当時アメリカでは紅茶は作られていなかった(下田ではこの紅茶は中国産だと説明しているようだが)、ということだ。ではなぜこのような話が出てきたのだろうか。これは後世の人が書いた物を参照した結果ではないか、とのことだったが、一方『お茶の商売をするため、地元振興の為に宣伝として使われる分には、このようなストーリーは良いかもしれない』とも付け加えられていた。

 

町おこしをした市長さんも聞いている目の前で、こんな話ができる研究者というのは、すごい。自分の研究成果をちゃんと発表するものだな、と妙に感心してしまった。それにしても江戸時代、オランダや清朝は献上品として将軍にお茶をもたらしたのだろうか。もしそれがあったとすれば、それは紅茶だったのだろうか。ちょっとした興味が湧く講演内容だったことは確かだ。

 

講演終了後、知り合いと出会って話し込んでいると、1階のブースの試飲販売は既に終了してしまっていた。また明日があるからいいや、と思っていたが、何と今日だけ参加という人達もいて慌てるも、もう遅かった。先日訪問した村上茶のIさんとはトイレですれ違ってあいさつしただけに終わる。行き当たりばったりの旅が多いが、もうちょっと計画的に回るべきだった。

 

懇親会

それから宿に戻り、チェックインした。そこにいたのは外国人(フィリピン人かな?)のおばさん。明日の朝までは彼女が当番なのだろうか。人手不足の上、経営が難しくなる従来型のビジネスホテル、その生き残り術にも興味が沸いてくる。後でゆっくり観察してみよう。

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サミットの懇親会にも飛び入りで参加することになっていた。その場所はサミット会場ではなく、某ホテルだというのだが、その場所はよく分からなかった。まあ、検索すれば分かるだろう、下田はそんなに広い街ではない、とタカを括り、駅前から歩いて向かったが、検索で見る地図では高低差はよく分からなかった。

下田紅茶旅2015(1)地紅茶サミットで下田へ

《下田紅茶旅2015》  2015年11月28-29日

 

最近静岡に行く機会が増えている。静岡市内の他、牧之原、川根、梅ヶ島、清水など、今年は既に4回も行っているようだ。静岡県茶業会議所の雑誌『月刊茶』の連載が始まったこともあるかもしれない。まあ、日本茶の中心地は静岡だから、当然といえば当然かもしれないが、やはり何といっても静岡は広い。まだまだ行くべきところはいくらでもある感じだ。

 

そんな中、『全国地紅茶サミット』が下田で開かれるという話を聞いた。地紅茶、和紅茶など、最近日本各地を巡っていると、紅茶製造の話がとても多いので、ちょっと興味が湧いてくる。ちょうどその時期に予定していた旅が延期になり、日程的に行けると分かったので、ちょっと覗いてみようと思い立つ。下田は本当に初めて行く場所であり、幕末の吉田松陰やハリスなど、歴史的なことも色々と思い出され、折角なので1泊でトライすることにした。

 

11月28日(土)

下田まで

いつものように小田急線の急行で小田原へ出て、そこからJRに乗って、熱海で乗り替え。東京から踊り子号なら乗り換えなしで行けるというのに、相変わらずかなりの時間をかけた、ブラブラした旅となる。少し早いが腹が減る。熱海駅の下田行き列車のホームにあった駅そばに入る。こんな時間なのにお客が入り替わり立ち代わりやってくるのは意外だった。

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かき揚げうどんを注文し、待っていると、かき揚げ蕎麦が出てきた。私のではない、というと、次の注文者に蕎麦を出すが、彼もうどんだった。おばさんが不貞腐れて『エー』と声を出したので、その男性は『じゃあ、俺が食うよ』と救いの手を差し出したが、『いいよ、もう』と言って作ったばかりのかき揚げ蕎麦を流しに放り投げてしまった。そしてそれから一言も声を発せずに私と彼に作り直したうどんを差し出した。何とも後味の悪いし、居心地も悪い。こんなに気分の悪い思いをしたのは実に久しぶりだった。おばさん、虫の居所でも悪かったのか。

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熱海から伊東まではJR線、そして下田までは伊豆急行という不思議な連結になっていた。川奈といえば、有名なゴルフ場があるな。河津といえば、桜がきれいだと聞いたことがあるな、など、初めて巡る鉄道の旅は思ったより楽しかった。山が見えるかと思うと、海が見えてくる。これをゆっくりと走っていくのだから、急行などよりも各停の旅が似合っている。

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途中伊豆高原駅で6両だった列車の3両が切り離され、前3両へ移動を余儀なくされる。この列車、勿論観光客も乗っているが、地元の人のちょっとした移動にも使われている。今日は土曜日なので、買い物などにいくのだろうか。この辺に住んでゆったり余生を送る、きっと悪くない。

 

1時間半ほど列車に揺られ、12時過ぎに下田駅に着いた。改札口は関所になっていた。今日は宿を予約していたが、駅前にあるのですぐに分かるだろうとタカを括っていたが、すぐには見付からず、周囲をウロウロしてしまう。最終的に観光案内所に聞くと、駅の裏側だと分かる。ホームのすぐ脇、電車がよく見える位置にその古びたビジネスホテルは建っていた。鉄道オタクなら喜ぶロケーションだろうか。ご主人がいたので、荷物を預かってもらい、出発する。日本ではどこでもチェックインは3時以降だ。もう慣れたよ、その習慣。

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地紅茶サミット1日目

『全国地紅茶サミット』という看板が出ていた。市民文化会館は、駅前の道を歩いて5分ぐらいのところにあった。すぐ近くになぜか坂本龍馬の像があり、また唐人お吉の記念館があった。そちらに興味があり、歩いていくと、ちょうど佐賀の紅茶屋さん、Oさんが向こうからやってきた。Oさんには昨年の九州茶旅でお世話になり、そして今年は佐賀のお店を訪問しており、既に顔なじみだった。今朝佐賀を出てきたのだという。東京から来た私と到着時間はそう変わらない。

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そのままOさんに付いて会場入り。主催者の方に挨拶をして、通路を通ると、そこには地元のお菓子を売る店、そしてなぜか歌を歌っている人がいた。このようなイベントを地域で盛り上げているようだ。そういえば、会場外にもブースが出ていて、紅茶とは関係ない食べ物などを売っていた。

 

奥のホールへ行く。入場料800円を払うと、お茶を飲むカップと、パウンドケーキの入った袋を手渡される。このカップで紅茶の試飲を行うようである。中では全国各地から紅茶作りをしている人々がブースを出して、詰め掛けた紅茶専門家・紅茶ファンにお茶の説明をしながら、試飲を勧めていた。取り敢えず敬意を表して地元下田紅茶のブースへ行ってみた。

 

下田で紅茶が作られていることをはじめて知ったのだが、そのお茶のネーミングがすごい。開国下田紅茶『ペリーティー』。そしてハーブを使った『ハリスティー』、りんごチップを混ぜた『プチャーチンティー』。そして夏みかんチップを混ぜた『しょういんティー』にはもう驚くしかない。それにしてもペリーやハリスがお茶と関係があったのだろうか?何も知らない私の疑問!

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台湾南部ぶらり茶旅2015(20)台南 最後の晩餐

夕飯

安平から戻ると、結構疲れてしまい、宿でシャワーを浴び、ベットで寝転がる。台南最後の晩は、ちょうど東京から出張で台南に来るNさんと待ち合わせている。彼女が宿泊している高級ホテルは、旧市街地の端にあるが、20分ぐらいトボトボ歩いていく。駅前などは開発されていないが、この付近は立派な建物が多く、ホテルもきれいだ。新しい街だと言える。

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Nさんがお客さんから聞いたという夜市へ行こうかと思ったが、夜市は毎日やってはいない。近所にもいいところがあるというので、何となく歩き出した。私はたった今、歩いてきたので、道には自信があると言って先導したのだが、何と全く違う方向へ歩いて行ってしまった。実は最近、方向感覚がかなり怪しくなってきていた。昔はさっと歩き出せたのに、今や何度も地図を見返して、そして迷う、間違う。若い頃、記憶力と方向感覚に自信があっただけに、この2つを失うことで、歳をとったな、とつくづく感じている。旅には方向感覚、重要なんだが。

 

Nさんのスマホで何とか、小さな食べ物屋が並んでいる道に着いた。彼女はどうしても魯肉飯が食べたいと言ったのだが、どこの店のメニューにもこの名前はなかった。どう考えてもおかしい、定番である魯肉飯がないなんて。食べ物屋街を一周して、残念ながら諦める。そしておいしそうな店を選び、魚団子スープを頼み、肉燥飯という飯を頼んでみると、何と魯肉飯とほぼ同じものが出てくるではないか。台南では肉燥飯というらしい。初めて知った。

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後で聞いてみると、使っている肉の種類が違うとか、薄めの醤油を使っているとか、色々と定義があるようだった。この辺のこだわりは日本的。まあ、そんなことはどうでもよい、美味ければ。因みに珍しいというので魚鬆飯も頼んでみた。これは魚でんぷがご飯の上にかかっており、あっさりしている。肉燥飯と混ぜるとおいしいとの話もあったが、どうだろうか。

 

更にNさん、どうしても意麺も食べたいというので、彼女が前回入れなかったという人気店を探した。今回は直ぐに席が確保できた。汁なしと汁ありを両方頼んで食べてみた。昨晩アナバーで食べている私はさほど感動しなかったが、Nさんは満足だったようだが、既に腹の膨れ具合は半端ない。私は隣のカップルが食べていた、内臓系のおでんのようなものが食べたくなり、それも頼んでしまった。これも腹に入れると、もうさすがに動けなくなる。

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Nさんは林百貨に行きたいという。スマホで検索するとそれほど遠くないというので、腹ごなしの散歩をする。暑くないので快適である。途中にまた、食べ物街があったが、今度こそ手が出なかった。林百貨はきれいにライトアップされていた。中に入ると、土産物が並んでいる。完全な観光地、土産物屋となっている。林はリンではなく、ハヤシと読む。この百貨店は日本時代の1932年に山口県出身のハヤシさんが作ったものだった。当時は台南で唯一エレベーターがあったらしい。屋上には神社まである。台南市内が一望出来たことだろう。

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宿へ戻ると、日本人が数人で談笑していた。旅の技術から、危険な目にあった話など、早く寝ようと思って帰ってきたのだが、ついつい引き込まれて、12時過ぎになってしまう。中には『会社を辞めて旅に出たいが』という若者もいた。私は意見を述べる立場にはないが、『やりたいならやれば』と言ってみると、家庭の事情などでそれはできないのだという。私は幸せ者だ、と教えられる。

 

11月18日(水)

翌朝もゆっくり起き上がる。フラフラと天后廟などを見学して、永楽市場で海鮮粥を食べて、満足する。今回の台南は終わりだ。昼に宿をチェックアウトして、荷物を引いて台南駅へ。そこからまた各停で高雄駅へ戻り、そこで駅弁を買って食べ、地下鉄で空港へ行った。

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既に懐かしい感覚を持つ高雄空港。初日にここで荷物を失くしてから始まった旅。今回もまた、台湾の人々に助けられて、面白い旅が出来た。台湾は決して見返りを求めないだろうが、感謝せねばなるまい。土産物屋をちょっと覗くと、何とそこではジョニーのお茶が売られていた。彼も頑張っているんだな、と分かる。ここ2回ほど、彼とはタイミングが合わずに会っていない。

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バニラ航空のチェックインカウンターは2時間半前に開き、長蛇の列になっていた。だが、その処理スピードはかなり速く、それほど待ったという感じはない。これは台湾スピード、日本も見習ってほしい。飛行機は定刻に満員の乗客を乗せて成田まで順調の飛行していった。

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成田に着いたのは午後9時半。税関に少し時間がかかったが、第3ターミナルからバスを探すと、ちゃんと待っており、東京駅まで1000円で行ける。バスではスマホの充電もできた。リムジンバスや成田エクスプレスは何故あんなに高いのだろうか、などと思っていると、東京駅に着いてしまった。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(19)台南 安平に行ってみる

Oさんたちとランチに行く。サバビーの美味しい店があるというので食べに行く。この食べ物、本当に気にいってしまった。店も繁盛しており、昼時でものすごく混んでいたが、何とか座席を確保した。地元の人ばかりだ。サバビーの肚、皮、身の三種類が入っているものを頼んでみる。皮はこりっとしている。腹は何とも柔らかい。まあ、全てにおいて味が良い。Oさんにご馳走になってしまった。開店直前に突然やってきた上に、大変申し訳ない。

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安平へ行く

宿の近くまで歩いて戻ってきた。暑い日だったが、宿で休んでいても仕方がないので、いままで行ったことがなかった安平へ行ってみようと思い立つ。聞くところによると、宿近く、赤崁楼の前からバスが出ているという。そのバス停へ行って、細かい字の時刻表を見てみたが、休日運行など多く、平日である今日、どれが来るのか、よく分からない。一生懸命理解したところでは、あと40分バスは来ないと判断された。さて、どうするのがよいのか。

 

実は私と一緒に時刻表を見ていた台湾の若い女性が二人いた。『バス、当分来ないね』と一言言ったところ、彼女らは直ぐに手を上げてタクシーを停めた。そして私にも助手席に乗れ、と合図する。相乗りはとても有難いので、慌てて乗り込む。運転手は行き先を言う前に『安平だろう』と笑っている。この時間、バスが来ないので、こういうお客が多いらしい。

 

彼女らは台北から来た観光客だった。運転手との間で軽快なトークを展開し、旅を楽しんでいた。運転手が『安平国中という中学校があそこにあるんだ。以前は校舎の上に高々と学校名を掲げていたが、最近外したんだ。何故だと思う?』答えは『台湾では漢字は右から左に書くことがある。するとこの学校名は「中国平安」になってしまうから、大陸観光客が喜んでいたが、台湾人からクレームがついて、学校側も撤去したのさ』と。みんな大笑いだ。若い女性と年配の運転手、日本ならこんな会話になるだろうか。面白い光景を見た。

 

20分ぐらいで安平に到着した。彼女らが下りるというので私も降りて、割り勘分の料金を払おうとすると、何と彼女らは『あなた、日本人でしょう。わざわざ日本から来てくれたのに、交通が不便で申し訳ありませんでした』というと、料金を支払い、さっさと行ってしまった。何と格好いい!思わずそう思ってしまうほど、鮮やかな所作だった。20代の日本人でこんなこと出来る人、いるんだろうか。

 

安平古堡、彼女らはそちらの方へ歩いていったので、私はその外を回ることにした。この街には17世紀のオランダ時代に城が築かれ、その後鄭成功がこの城を攻略、台湾における初の漢人政権ができるが、すぐに清朝政府が占拠。19世紀には貿易が盛んになり、1858年に天津条約で福建省のアモイなどが開港されると、商売を始めたイギリス、ドイツなどの貿易商人がここにも洋館を構えていたようだ。だがこれらも日本時代に徐々に廃止されていく。

 

今は運動場になっているイギリス領事館跡。日本時代も同盟国であったため、ここに残ったのだろう。その後関係が悪化し、撤退したものと思われる。徳記洋行跡は復元され、博物館になっている。その付近にはジャーディンマセソンなど、有名な貿易商も洋館を持っていたようだが、今は記念碑がポツンと建っているだけ。更に歩くと、ドイツの東興洋記跡があり、そこはカフェと展示館になっているようだった。

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その横には日式宿舎、と書かれた木造の建物がある。何かと見てみると、大正時代に後の昭和天皇が台南を訪問した際、宿泊した施設を復元したものらしい。最近の台湾は、旧懐日本ブーム。皇太子の台湾訪問に関連した場所も、大いにクローズアップされているようだ。

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安平古堡は以前確か紅毛城と呼ばれていたような気がする。ゼーランジア城とも言う。入場料を払い、中へ入ると大きな木の下にテーブルが出ていたので、アイスクリームを買って休む。その後ろが、昔の城壁がそのまま保存されており、記念写真を撮っている人々がいる。この城は鄭成功がオランダを駆逐した場所だが、その後はあまり使われなかったようだ。日本時代に荒廃していた城が整備されたとある。鄭成功はここでは「民族英雄」として位置付けられている。

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洋館もそれほど古い感じはない。中には歴史に関する展示があったが、鄭成功がオランダを破って台湾を回復したこと、最後まで大陸への復帰を目指したことが、台湾国民党にとっては都合の良い材料だったことだろう。だが現在はどうだろうか。ちょっと暑いがこののどかな古城を見ていると、複雑な気分になる。

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本当ならもっと歩き回り、あわよくば歩いて台南に帰る、というのも選択肢だったが、なぜかここでエネルギー切れとなる。やはり疲れが出ているのだろう。こういう時は素直にそれに従い、歩くのを止めて、帰ることにした。台湾好行のバス停に行くと、15分後に来ると表示がある。この15分、何もすることがなく、意外と長く感じられる。バスに乗り込むと、すぐに海が見えた。この海沿いを歩くと気持ちがよいだろうな、と思ったが、あっという間に市内に戻ってしまった。次回はもっとゆっくり安平の街を歩いて、何か美味しいものでも食べてみよう。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(18)台南 蕎麦屋を開く日本人

11月17日(火)

台南散歩

翌朝はゆっくり起き上がる。昨晩遅く帰った寝たこと、そしてそろそろ旅に疲れてためだろう。個室なので誰にも邪魔されず、じっくり寝ていられたのは良かった。朝ごはんを食べるかどうか迷い、取り敢えず外へ出てみた。食べたいという気持ちはそれほどなく、付近の散策を始めた。因みに宿のオーナーは横の空いている場所に、建て増し?のための作業をしていた。自らが大工になり、材料も自分で買ってくるそうだ。やれることは自分でやる。

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すぐ近くに日本統治時代に料亭として栄えた鶯料理という店の跡が観光スポットとして保存されていた。建物などは殆どが復元されたもので、あまり古さは感じられない。当時は日本人などが多く集った集会場所のようなところだったとか。どんな日本料理が出されていたのだろうか。ここ台南にも日本時代の建物がたくさん残されていることを知り、興味を持つ。

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鄭成功母子を祭った廟もあった。鄭成功は台湾人から見るとどう映っているのだろうか。廟があるということは、やはり英雄なのだろうか。もう少し歩いていくと、通りの角に旧勧業銀行台南支店の建物があった。重厚で立派な建物で、今も台湾の銀行が使用している。その向かいには林百貨があった。ここは後で夜に行くことになる。この辺が昔の台南の中心地か。

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その先には現在の与党、国民党の事務所があった。来年1月には総統選があるが、国民党が勝つ見込みはこの時点で殆どなかった。台湾人の誰に聞いても、『今の政権は変えなければならない』という意味の発言をしていた。民進党がいいとは決して言っていないが、今の馬総統の政策は止めなければならない、そういう意味だろう。政策とは主に対中国政策だが、中国に頼らずに経済を立て直すことなどどう考えてもできない筈だ。それでもNOという。心配などしていても何も始まらない。如何にも台湾的なこの判断、どうなるのだろうか。

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昨晩蔡さんに教えてもらった台南の面白スポットに向かう。それは単なる廟だった。だがその柱に天使が彫られているのだという。それはどういう時代に何の為に作られたのかは分からないが、とにかくあるというから行ってみる。表の柱を一生懸命眺めてみたが、全く天使は見付からなかった。その辺にいた人に聞いてみても『何の話だ』と相手にしてもらえない。

 

一人の老人に聞いて、ようやくその天使を発見した。天使は柱に絡みつくように、そして笑顔であった。中洋折衷ということなのだろうか。実に不思議な状態である。知らないと言っていた人々も、これを見て驚いていた。『いつも来ているがこんなものがあるとは初めて知った』というのだ。

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帰り掛けに呉園に行った。表の建物は公会堂、という名前になっていたが、後ろの庭には、池があり、岩が置かれ、まさに大邸宅の庭園だった。その横には日本の木造家屋を改造した茶荘もあった。ここのオーナーの名前も聞いていたが、何となく入らなかった。オーナーも忙しいのでいないと思われたこと、ちょっと観光客向けかな、と思ってしまったことが理由かな。

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蕎麦屋を作る日本人

府中路を目指して歩いていく。雰囲気の良い木々が並んでいる。そこはちょっとお洒落なエリアになっており、観光客に土産物を売る店などが何軒もあった。突き抜けると孔子廟に当たる。1655年に創建されたというから台南でも古い廟だ。説明書きの中には1923年に昭和天皇が皇太子時代に訪問したことまで書かれている。リスが木を伝っており、皆がスマホを向ける。

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府中路から横道に入ると、そこは迷路のように小道が入り組んでいた。そこを辿っていくと目的地に到着した。小さな庭先には男女が立っていた。一瞬日本人とは分からなかったその男性がOさんだった。向こうも私を日本人とは思わなかったようで、ぎこちない出会いとなる。

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OさんはBさんの音楽仲間。沖縄の三線奏者だというが、東京出身らしい。そして何と彼はここに蕎麦屋を開店しようとしていた。蕎麦打ちの修行もしており、台湾人に蕎麦の打ち方を教えるイベントなどをやっているとか。その開店は今週の土曜日に迫っていた。居抜きで借りた店は、元は日本料理屋だったという。建物は日本時代に建てられたもの。家の壁には1945年に米軍の空襲を受けた際に残った弾痕がある。庭の井戸はいまだに使われており、こじんまりしていて雰囲気は良い。まずは週末営業してみるというが注目を集めるだろう。

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実はOさん、台湾に関した本も出している。この本、泊っている宿にも置いてあったのでぱらぱらと眺めたが、バイクと徒歩で台湾を一周していた。庶民との触れ合いにより、台湾を理解していく姿はよい。Oさんは実に多彩な面を持っており、若いが面白い存在だと言える。蕎麦屋の成功を祈ろう。

 

台湾南部ぶらり茶旅2015(17)台南 繋がっていくご縁

そしてBさんが紹介してくれたもう一人の人物、阿勇の店に行く。店の場所がちょっと分かり難かったのだが、それも楊さんが教えてくれており、スムーズに行き着ける。暖暖蛇珈琲、という名のそのカフェは、やはり古い民家を改造しており、ちょっといい感じだった。阿勇はPCをいじっていたが、私をカウンター席に案内して、自らコーヒーを淹れてくれた。このカウンターがまた、木で出来ている。電源も沢山あり、若者のニーズに応えている。

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このお店、コーヒーを頼んだのに、まずはビールが出てきた。わざわざやってきた日本人の為に出したのか、と思ったら、何とそのビール瓶には水が入っていたのだ。しかもその瓶はミャンマービールのものだった。どこから手に入れたのだろうか。伝票にはボーディングパス、と書かれている。何だかとてもユニークな店だが、どうしてこうなっているのだろうか。

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阿勇はイギリス留学経験があり、旅行好き。この店でも旅をしている気分なのだろう。台南で見るべきところを尋ねると、『それは蔡さんに聞くといいよ』と言われる。実はこの蔡さんにもFBでメッセージを出したが、返事が来ていなかった。もっと話を沢山聞きたかったが、友人がやってきて、夕飯に出ていってしまった。取り残された私は、居心地の良いカウンターでコーヒーを飲み、まったり。このスペースではBさんのライブも行われたという。いい空気が流れていた。

 

突然の連絡

その蔡さんは、台南で宿を経営していると、Bさんのメッセージに書かれていた。こうなったら直接訪ねてみようと思い、その宿を検索して歩いて行ってみる。この付近は古き良き台南が残っている場所。ライトアップがされているところもあるが、今も庶民が普通に暮らしているところも多くある。そんな一角に宿はあるはずだったが、いくら探しても見付からなかった。

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諦めて宿に戻る。宿には1か月もここに滞在している日本人がいた。台南が気に入ったので、これからここに定住するため、住処を探しており、ようやく目途が付いたという。なるほど、そういう旅の仕方もあるのだな。私も来年は茶旅5年を終えるのだから、次は旅の仕方を変える必要がある。この宿の一階のリビングで話をしながら、ネットをチェックしていた。

 

すると、突然FBにメッセージが来た。あの蔡さんから『会いましょう』という連絡だった。では明日、と書くと、明日は仕事で忙しいので、これからが良いという。午後9時にファミマの前で待ち合わせた。ファミマは通りに面しており、この宿へ来る一つの目印であった。何故突然このような展開になったのか、分からなかったが、後で聞いてみると何と先ほど会った阿勇が蔡さんに電話してくれていたのだった。何ともご縁を感じる繋がりだった。

 

ファミマにやってきた蔡さんはバイクだった。メットを渡され、彼の後ろに乗り込む。先ほど彼の宿を探したあたりにやってきたが、何と看板もなにも出ていない民家だった。分からないはずだ。中へ入ると、単なる民家のように見えた。1階は広いリビングスペース、2階にはお洒落な屋根裏のような部屋が2部屋あり、最大6人が泊まれるスペースとなっている。この宿は一軒貸しをするとのことだった。なるほど、面白い。泊まってみたい空間である。

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しかし宿の名前「屎溝漧客廳」とは何だろうか。実はこの建物、蔡さんの親戚が住んでいた物をリノベーションしたらしいが、昔の建物で、トイレがなく、汚物が家の中に作られた溝を流れていた?ことから、その名を付けたらしい。なんだそれは?ちょっとギョッとするそのネーミングもまたユニークだ。このスペースでも映画の上映会やコンサートが出来るという。

 

蔡さんの本職はカメラマン。日本に留学経験もあり、来月も東京の骨董市に行くというほど、日本が大好きである。また同時に故郷台南も大好きであることが分かる。カメラマンとしての目線で、台南の良さを色々と見てきており、私にも台南の隠れた見どころをいくつか紹介してくれた。阿勇がなぜ蔡さんに会うように言ったのか、その意味がよく分かった。

 

夜も11時になり、そろそろ帰ろうかと思って立ち上がったところ、蔡さんが『さあ、これからテレビを見よう』という。何でこんなに夜遅く、テレビを見るんだろうかと思っていると、何と我々を繋いでくれたBさんがテレビに出ていたのだ。外国人クイズ大会、彼は流暢な国語を使い、得意の歌もちょっと披露していた。この番組は録画であったが、蔡さんは早々Bさんに電話を掛けてからかっていた。私と蔡さんが今晩ここで会ったのも決して偶然ではない気がした。

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番組が終わり、さすがに帰る。蔡さんがバイクで送ってくれたのだが、『腹減らないか?』と聞かれたので、ちょっと空いたと伝えると『アナバーへ行こう』という。夜遅くまでやっているバーで何か食べるのかと思っていると、バイクが着いたのは、昼間は市場になっている場所。その隅で屋台が営業していた。ここで名物意麺を食べた。汁なしで、スープは別に付いてくる。これもまたウマイ。そしてここがアナバーではなく『穴場』という日本語であったことが分かる。蔡さんのユーモアだったのだろうか、私の聞き違いだったのだろうか。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(16)台南の檳榔屋さん

7.台南

ゲストハウス

台南駅に降りたのは10年ぶりだろうか。駅を眺めているとそれほど大きく変わった様子はない。自動改札が出来たぐらいだろうか。台南にも21世紀になってから宿泊した記憶はない。確か半日グルメツアーで食い倒れをしたことがあったはずだが、それも遠い過去のこと、よく覚えていない。前回来た時は、街も何となく暗く、活気がなかったように感じた。隣近所、親戚が中国大陸へ移住した、という人が何人もいた。シャッター通りもあったような。

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荷物を引いて、街を歩いていく。古い、という点ではそれほど変わりはないが、それはどこでも駅前は開発に向かないからだろう。涼しかった鹿野から台南へ来ると、暑さが身に染みる。歩いて10分ほどの宿に着くまでに、相当の汗をかく。当然道は荷物を引くには適しておらず、アップダウンに苦しみ、バイクを避けながら、何とか進むので、その疲れが加わる。

 

その宿は、数人の知り合いから『台南に行ったら泊まってみて』と紹介されたものだった。大通りからはかなり入っているので分かり難いと聞いていたが、ちゃんと道順を示す地図が公開されていたので、その通り行くと意外と簡単に見つかった。確かにこんなところに宿があるとは普通は気が付かないだろう。予約していなかったら、他を探していたかもしれない。

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宿は民家の中に埋もれるようにして建っていた。季節はずれなのか空いていた。それでも高雄での経験を踏まえて、ドミトリーを避け、個室をお願いした。個室は3階、そしてトイレは1階にしかない(老人にはトイレが大切な要素だ)、という不便さを除けば、快適なところだった。2年半前に日本人オーナーが始めたこの宿。台南に来るバックパッカー、安宿志向の日本人にウケている日本人宿だった。

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檳榔屋へ

Bさんから、台南の知り合いを何人か紹介してもらっていた。FBでメッセージを送るとすぐに反応してくれたのが楊さんだった。まずは彼を訪ねてみようと、住所を見ると宿からそう遠くないので、何も考えずに歩き出した。『馬路楊檳榔會社社長』と言う肩書がFBには書いてあったが、一体どんな人物なのだろうか?ちょっと謎めいていて興味をそそられる。

 

言われた通りに歩いていくと、やがて看板が見えた。そしてその下へ行くと、楊さんと奥さんが檳榔を詰めていた。えー、本当に檳榔屋さんだったんだ?!それは面白い。以前はトラック運転手など、檳榔をかむ人が多かったが、今では相当減っているらしい。『昔は10人もの人を使っていたが、今は夫婦二人で十分だよ』と言いながら、盛んに手を動かしている。

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楊さんの周囲には写真が沢山貼られており、特に歌手の一青窈さんと一緒の写真が目に入る。すると『これが妙さんの本』と言って、1冊の本を取り出す。一青窈さんのお姉さんである一青妙さんの『私の台南』という題名で本である。一青姉妹は日台のハーフである。その中に楊さんのことが出てくるというのだ。この本がきっかけで、台南を訪れる日本人が次々と彼のもとにやってきている。写真を撮り、FBにアップし、台南の紹介、宣伝に一役買っている。私も一緒に写真を撮り、そしてノートにサインした。No.158という番号が振られた。

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楊さんと話している間、彼は何かとても忙しそうにスマホをいじっていた。聞いてみると、来月妙さんのイベントが台南であるため、その打ち合わせをしているらしい。彼女と直接、ラインでやり取りしている。何とも不思議な人物だが、これ以上邪魔するのも何なので、『この辺でうまい物はあるか』と聞いてみると、すぐそこの牛肉湯を食べろ、と勧めてくれた。

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腹が減っていたのでまだ5時台だったが、言われた通り牛肉湯の店を探して、入る。魯肉飯もいるか、と聞かれたので、追加注文した。牛肉麺は聞いたことがあるが牛肉湯?以前はそんなに流行っていたとは思えない。だが、一口すすってみると、これは牛のうま味が十分に出ていて実にうまい。さすが台湾食文化の聖地、台南人が美味いというのだから本物だ。

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さて、会計をしようと思い立ち上がると向こうから若者がやってきて、いきなり『会計は済ませましたよ』というではないか。一体誰なんだ?何と彼は楊さんの息子だった。『日本人がわざわざ訪ねてきたのに、お構いできなかったので、せめてものしるしだ』という。えー、これには驚き、急ぎ店に戻り、楊さんに礼を言った。勿論Bさんの紹介、ということが大きいとは思うのだが、このような扱いをされるとビックリするやら、何と言ってよいやら。楊さんは一言『美味かっただろう!』と言って笑っていた。こんな交流、日本で出来るかな?

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夜の散歩

それから台南の案内人である楊さんが教えてくれた、夜のライトアップがきれいな神農街へ行ってみた。楊さんの店からすぐのところにある、小さな道だったが、昔の建物が見事に残され、お店になっていた。観光客誘致に力を入れる台南、古き良き街のアピールが伝わってきた。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(15)鹿野 茶業改良場を訪問

私は皆が帰ったであろう、6時過ぎに店に入る。おばさんがまた来たか、という顔をした。観光客でここに二晩も泊る人間などいないのだろう。例えいたとしても、車で来て、食事は郊外の道路沿いのレストランへ行くに違いない。私はある意味で怪しい人だということだ。

 

今晩は魯肉飯とキャベツ炒め、そしてスープを頼んでみる。スープは野菜がたっぷり入っており、味もよかった。キャベツは勿論新鮮でシンプルに炒められている。家庭料理の延長だが、こんな定食が、実に有難い。おじさんが二人、酒を酌み交わしながら、何やら議論している。台湾語なので何を言っているか分からないが、結構白熱してくる。おばさんはじっと見ている。恐らくある程度以上エキサイトしたら、家の人を呼んで引き取ってもらうのだろう。。

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11月16日(月)

翌朝も早く起きた。鳥のさえずりが心地よい。1階で朝食を食べていると、『今日は改良場へ行くんでしょう?』と奥さんに聞かれる。一昨日出会った場長さんと9時に訪ねる約束をしていたが、問題があった。どうやっていくのか、勿論場所も分かっているし、歩いていくことは可能だ。だが、荷物をどうするのか。一度そこへ行き、終わったら民宿に戻って、荷物を持ってバスで台東へ行こうかと言うと、奥さんは『場長さんに迎えに来てもらおう』と言い出す。

 

いくらなんでも初めて会った偉い人に迎えに来てほしいなどとは、日本人としてはとても言えない、というと『電話番号を貸しなさい』と言われ、彼女はあっさりと場長に電話してしまった。『田舎ではこんなことはよくあることよ』と全く意に介さない。9時前に改良場の車がやってきて、荷物を積み込み運ばれて行った。これもまた台湾ならでは、であろうか。日本でも田舎ならそうだろうか。実に呆気なく、この素晴らしい民宿をチェックアウトした。

 

茶業改良場にて

5分で改良場に着いた。運転手は私の荷物を2階まで運んでくれた。場長の呉さんが待っていてくれた。早速鹿野の茶業改良場の歴史などについて教えてもらう。ここは他の改良場と異なり、1984年というかなり新しくできた場所であり、その設置理由は、東部の産業振興にあったであろうことは想像できる。呉さんの担当地域も鹿野だけではなく、花蓮までの東部全体が含まれていることから、何故近年花蓮付近で紅茶製造が盛んになってきたのか、その理由が分かるような気がした。

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直ぐに茶畑へ出てみる。この改良場の周囲は全て、試験用に植えられた茶畑であることは昨日既に見ていたが、実際にそばで見てみると、その品種の多さは驚くほどだ。台湾の品種は当然としても、世界の色々な品種をそろえている。日本のやぶきたまで植えられているのである。これらを使い、日々この地に適した新品種の開発をしているようだが、それは大変な苦労であろう。

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改良場内には、試験用の製茶工場まであり、実際に茶葉を摘み、お茶を作っているという。お茶も実に様々な工夫を施し、挑戦している。烏龍茶をお椀型の沱茶にしてみたり、黒茶にあるブロック型の磚茶に固めたものもあった。如何にして茶を作り、如何にして売るか、実践的な解決が求められている。ただ茶農家や茶商ではないので、あくまでも茶の普及が目的ではあるが、単なる研究ではことは済まないようだ。

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台湾における野生茶樹についても聞いてみた。先日阿里山で見た、老木のことが頭に引っかかっていた。確かにこの付近の山中にも、老茶樹は存在し、それを野生とか、在来とか、山茶と呼んだりしているが、それが中国大陸かどこからもたらされたのか、それとも古来より自生しているのかは、よくわかっていないようだ。やはりかなり難しい問題であるらしい。

 

鹿野駅から

あっという間に2時間が過ぎ、お暇することにした。申し訳ないが、また荷物を積み込み、車で送ってもらった。鹿野駅までは坂を下りていくだけ。車なら10分で着くが、歩くと1時間弱かかるかもしれない。もしバスを待つと何時間に一本しかないらしい。これは大いに助かった。鹿野駅の周辺は本当にローカル駅の風情が漂っていた。駅で写真を撮っていると、駅員の女性が『列車に乗るのか』と聞いてきた。何と5分後に高雄行きの自強号が来ると言うのだ。この駅、自強号が停まるんだ。

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慌てて切符を買い、ホームに行く。私は時刻表など見ていなかったが、どうやら1時間に一本程度しかない列車に偶然乗れたようだ。これも全て送迎のお陰。バスで台東に戻っていたら、それだけでも2₋3時間違っていただろう。何とも面白い旅だ。列車は15分後には台東駅に着いた。そしてそのまま、屏東を経て、2時間半後に高雄に戻った。途中、車内販売で台湾鉄道名物の弁当を買い込み食べる。排骨、たまご、さかなどが入って80元で大満足。

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高雄から速い電車に乗り継ぐことはできるのだが、それでは面白くないし、時間も節約できているので、ここは敢えて各停で台南へ行く。一度改札を出て、自販機で切符を買い直す。台南まで1時間乗って、68元、やはり安いな。各停も意外と混んでいて、何とか席を確保する。台南まで乗客はどんどん入れ替わった。ここまで乗る人は、やはり自強号などに乗るものだ。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(14)鹿野 気持ち良い自転車散歩

おばさんたちはここが気にいってしまい、次々に出されるお茶に釣られて、帰らずにいた。仕方がないので、『紅烏龍とはなにか』という質問を始めると、おばさんたちもそれに食いつき、色々と言い始める。廖さんはまた、私に本を差し出す。そこには紅烏龍について書かれていた。

 

それによると、1957年に廖さんの義父である李紅甲氏が苗栗から鹿野へ移住して、高台にアッサム種の茶樹を植え始める。だが紅茶の輸出は競争力低下で難しくなり、茶樹は放置されて行った。80年代に家業を受け継いだ廖さんが茶業改良場の支援の下、その茶葉を使って、新種の紅烏龍を開発したとある。紅烏龍はそんなに昔から作られていたのか。『阿公茶(自然農法管理)』と表に表示があったのは、廖さんの義父のお茶、ということなのだろうか?

 

かなり長い間、座って本を眺めていたので、腰が痛くなる。気分転換に外へ出て、茶畑を見に行く。この茶畑、平地に植えられているが、何とも言っても、その茶樹の種類が多い。畝ごとに違う種類、まるで試験場のような多さで、アッサムもあれば、在来種もあり、紅茶品種もあれば、烏龍茶用もあるという具合。かなり広々とした茶畑で整然とした植えられ方である。

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フラフラして戻ってくると、何と廖さんが弁当を用意していてくれた。昨晩も食べるところがなくて困った。今日の昼もどうしたものかと思っていたのだが、これは何とも有難い。しかもこの弁当、実にうまい。鶏肉、野菜は新鮮だし、魚の味付けもよい。こんな弁当が売っていれば食事の苦労はないのだが、恐らくは知り合いの家に頼んでいるのだろう。そういう家は看板など出してはいない。内輪商売だから、我々は入り込めない。しかし農家もだんだんと忙しくなり、自分でご飯を作らずに、弁当などを買うようになっているのだろうか。

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食べ終わると、廖さんと一緒に再度茶畑を歩いてみた。一々品種の説明などをしてくれたのだが、やはり種類が多過ぎて、写真を撮っても把握できなかった。『高山茶などと違って、ここでは色んなお茶を作り、工夫していなかないと生計を立てるのは難しい』ということらしい。茶業改良場とも連携して、開発していかなければ個人でン開発は難しいと思うのだが。

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自転車散歩

軽トラで送ってくれるという廖さんの親切を断って、自転車を漕ぎだした。道は複雑ではないので、迷子になる可能性はなく、今民宿に戻っても、特にやることはない。折角自転車があるのだから、その辺をぐるっと回ってみようと考えた。バナナ畑を通り、北へ向かう。そこにも茶畑があった。ここも相当に広い。そこを過ぎると、立派な建物が見えた。何と茶業改良場があるではないか。そうか、ここは改良場の茶畑だったのだ。明日又来よう。

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更に自転車を走らせると、茶摘みをやっていた。この暑い炎天下に茶摘みとは、どうなんだろうか。それもかなりの人数が出ている。こんな時間に茶摘みして、何を作るんだろうか?やはり紅茶だろうか。それにしてもこれだけ平らな場所なら、機械を入れて摘んだ方が効率的だと思うのだが。今や人件費が高騰している台湾で、手摘みで採算が取れるのなら、それはそれで素晴らしいが。

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暑いには暑いのだが、自転車で風に吹かれながら、村を回っていくのは気持ちが良かった。さすがに高台に行く勇気はなかったが、下はほぼ平らだから、サイクリングに適していると思う。日曜日のせいか、車は殆ど走っていない。少し汗をかいたが、まさにいい運動になる。自然も素晴らしい。一面の花畑の向こうに山が霞んでみえる。子供連れの観光客が車を停めて、それに見入っている。花には蝶々が停まり、周囲に甘い香りが風に吹かれて拡散していく。私もしばし、自転車を降りて、その香りを楽しみ、その風景を十分に味わった。

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村には古い建物がたくさん残っている。瓦屋根の家、木造住宅、日本時代からそのまま建っているような家もあった。人口はどう見ても多くはない。特に娯楽もないように見える。若者は都会に出てしまっているのだろう。観光客としては良いが、住人としては将来に懸念はあるだろう。

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夕飯2

明るいうちに今日の夕飯場所を探し始める。自転車でメインストリートを再度巡回したが、たった1つ、外れに看板が出ている食堂があり、満を持して夕方そこへ行ってみた。が、『今日は休み』と言われ、この辺に食べるところは他にないかと聞くと、あっさりとないと言われてしまう。昨晩は暗かったから見付からなかったのだ、と思い込んでいたが、実際にないのだ。