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さしま茶旅2016(1)栃木から古河へ

《さしま茶旅2016》  2016年1月13日

 

2016年になった。アジア放浪の茶旅も3月で満5年を終える。これまでの旅は一言で言えば、楽しかったと言えるのだが、これからまた5年間、同じような茶旅を続けられる自信は正直ない。やはり残念ながら変化がなければ、飽きてしまうのではないだろうか。そこで最近は少しテーマ性を持った旅にもチャレンジを始め、6年目に向けて活動を開始してみた。

 

今回は『江戸時代、庶民はどんなお茶を飲んでいたのか』というテーマで調べを進めている中、関宿とか、さしま、とうか言う地名が引っ掛かってきた。江戸の街に運ばれたお茶だから、狭山茶あたりからかと思い、入間のお茶博物館、アリットのKさんに聞いたところ、『狭山茶は煎茶以降だよ』という答えであり、『むしろ関宿あたりに集まった安い番茶が江戸へ行ったのでは』というのである。これは面白いと思い、一度訪ねてみようと、考えた。

 

実は関宿はうちの奥さんの両親の所縁の地。二人のお墓もあり、私も何度か行っているのだが、まさかお茶が採れるとは驚きだった。江戸時代には利根川の水運を利用した、重点都市として、機能しており、お墓の近くには川が流れ、城も再建されているのは知っていた。そして近年さしま紅茶という名前をよく聞かされていたが、関宿からさしまが、1つの茶園圏であることを初めて知る。昨年11月の地紅茶サミットでは、さしま紅茶も出展されており、そのご縁により、まずは行ってみようと立ち上がる。因みに私にとって猿島という地名で思い出すのは平将門ぐらいであるが、今年は申年であり、何となく縁起を担いでいる。

 

1月13日(水)

古河まで

地紅茶サミットで知り合った吉田茶園さんに、お店の場所を聞くと、何とJR古河駅に近いという。てっきり東武動物公園駅あたりからバスに乗るものと思っていたので、かなり意外だった。そして古河といえば、私が育った栃木にほど近い。まずは最近ご無沙汰している墓参りに行こうと、朝東京を出て、栃木市へ行った。今や栃木市に行くには、特急を使えば、新宿から駅3つ目という、驚きの近さだが、私は延々鈍行に揺られ、3時間かけて行ってみた。

 

既に両親はなく、栃木に行くこともめっきり減っていた。法事でもないとなかなか足が向かないという不幸者が、突然現れたので両親もびっくりしただろう。菩提寺は歴史だけは古い天台宗の寺で、江戸時代の2代横綱、綾川 五郎次の墓などもある。商店街は残念ながら寂れて行くばかりに見えるが、一応江戸時代には水運で栄えており、一時北川歌麿も滞在したとされている。今も古い蔵が残っている蔵の街として、天気が良ければ観光客も来る。冬場は風が強く、人通りは少ない。

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寺の前の花屋で墓に備える花を買う。向かいには昔肉屋があり、コロッケが美味かったが、無くなっていた。『随分前だよ、無くなったのは』と花屋の主人に言われ、自分はいつからここに来ていなかったのかが、気になり出したが、何とも思い出せない。肉屋は見事になくなり、跡地は駐車場になっていた。尚寺のすぐ近くには女優山口智子の実家、老舗旅館鯉保もあったが、10年ほど前に時代の波で閉店している。因みに山口智子は中学の後輩に当たり、弟は同級生である。栃木からトレンディ女優が出た、というのは当時相当の話題だった。

 

駅前で昼ご飯を食べて、JR両毛線に乗り、小山で乗り替えて、東北本線で古河まで行った。乗り換えを含めて1時間近くかかる。高校時代、同級生で古河から通っていた者がいたのをふと思い出したが、名前までは思い出せない。うちの高校には栃木県以外に、群馬、埼玉、茨城から生徒が通ってきていた。4県に跨る高校、結構広域だな、と。古河は茨城県に属するが、やはり近いとは言えない。

 

吉田茶園

駅には吉田さんが待っていてくれた。昨年の地紅茶サミットで出会い、さしま茶の歴史が知りたいというと、心よく案内を引き受けてくれた。さしまといえば、近年は紅茶で売り出しているところだが、実は地紅茶サミットで私が惹かれたのは、いずみという珍しい品種で作った煎茶だった。紅茶の会で緑茶を買っていく変な客、として吉田さんの印象に残ったのかもしれない。

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駅から車で5分ほど行った、JRの線路近くに吉田茶園はあった。まずは近くの茶畑を見学する。まさに線路脇にあるこの茶畑、東北本線で唯一見える茶畑だという。確かに東北へ行くのに茶畑、というとイメージは合わないかもしれないので、もし見付けたらちょっと驚くことだろう。

 

茶畑はフラットな場所にあり、向こうまでよく見渡せた。そこには川も流れているという。やはり茶葉の輸送は水運か。今日は天気は良いが、茶樹は1月のこの辺りにありがちな強い風に耐えているように見えた。しかしよく見ると、上の部分はしっかりと全体をガードして硬くなっているが、その下からは新しい息吹が感じられ、比較的寒い地域の茶樹のありようを見せてくれていた。茶樹はやぶ北をはじめ、数種類が植わっており、ここでは様々なお茶が作られている様子が見て取れた。

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突然行く台湾北部茶旅2015(9)変貌する林森北路

帰りは駅まで歩いていく。急な階段を下りるのが近道と教わり、降りていく。更にユルユルとした坂を歩いていると、そこは駅に通じる繁華街。何故か佐野ラーメンという店が目に付く。本当は淡水観光をするつもりだったが、何となく疲れたので、駅から地下鉄に乗り、ホテルに戻った。

 

6.台北3

夜、広方園に行く。頼んでおいたパイナップルケーキを取りに行くためと、ここでKさんと待ち合わせるためだった。今日は湯さんがおらず、ご主人と少し話す。紅茶のティバッグをお土産にもらって、店を出た。Kさんとはアモイ以来の仲だが、彼女の職場が近いので、いつもここで待ち合わせる。

 

適当に店に入る。宜蘭料理の店と書いてあるが、どれが伝統的な宜蘭料理かは良く分からない。夜はそこそこに涼しいので、煮込みのようなものを頼むと、非常にコクのある味のスープだった。担々麺のような麺も美味い。料理はどれも比較的あっさりしており、日本人には食べやすいだろう。昔ながらの店を再現した建屋、こんな店が今、台北では増えている。

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Kさんが台北に来て、2年ぐらい経つだろうか。これまでも大連、天津、アモイなど、いくつもの都市を渡り歩いてきた彼女、そろそろ違う街への憧れが出てきているかもしれない。先日行った台南の話をすると『是非行きたい』と言い出す。確かにあまり考えずに行ってしまった方がよいのかなとも思う。私も台湾拠点を真剣に考えよう。

 

12月11日(金)

今日は台湾最終日。取り敢えず朝ご飯を食べに出る。ここ林森北路は夜の街、朝はひっそりと静まり返っている。だが、昔飲み屋だった場所が、日本料理屋になっていたり、ビルが観光客用のホテルに改装されていたり、大いなる変化が見て取れて驚く。朝から若い女性が歩いている。こぎれないホテルから出てきて観光に行く。昔日本人がバブルだった頃は成り立った飲み屋業は既に完全に過去のものとなっている。それはそれで仕方がないが、何となく寂しい。

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朝ご飯を食べる場所を探すと、隅の一角に地元の人が食べるような店が連なっていた。ハムたまごサンドとミルクティーで40元はとても安い!なるほどこんなところもあるのか。この街は変わらない部分と大きく変わったところに分かれるようだ。如何にも台湾らしいと言える。

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ホテルに戻るとANAからフライトが遅れる旨の連絡があった。1時間半ほど遅れるので、昼飯を食べる時間が出来た。実はホテルのすぐ横に、昔よく行ったウナギ屋、昔はボロボロの建屋だった肥前屋が、とてもきれいになって店を開いている。折角なのでそこで食べようと11時の開店を狙って行ってみると、なんと50人以上が既に列をなしており、店内は満杯だった。台湾人はそんなにウナギが好きだったのか、と思ってしまったが、どうやら並んでいるのは中国人観光客。最近大陸ではウナギブームだと聞いているので、その影響らしい。

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ウナギを諦めて、森林を歩く。昼も朝と変わらない。また朝ご飯を食べた地区にやってきた。どうやらこちらの方が落ち着くらしい私。最後はやはり魯肉飯とスープ。これを食べていればご機嫌だ。店には観光客の姿などなく、地元の人がちょっと食べては出ていく。私も25年以上前は、そんな暮らしの一員だったのだが、その頃日本はバブルに浮かれており、若い私もさぞや浮かれていたことだろう。そんな姿を台湾人はどう見ていたのか、聞いてみるのが怖い。

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実はホテルはチェックアウトしていた。何と12時チェックアウトのところを、12時半にして欲しいとお願いしたが、『出来ない』の一言で交渉も何もない。僅か30分、これは日本の悪しき傾向が台湾にもたらされたのだろうか。中国でも他のアジアでも、このぐらいをは普通は大目に見てくれる。日本だけが時間厳守の国だと思っていたが、台湾人もこれを取り入れてしまった。

 

昔お茶屋のおばさんに言われてことを急に思い出す。『日本は台湾にいい文化も沢山運んできたが、実は悪い文化も一杯持ってきた。例えば暴力的なアニメやパチンコや。若者は日本のものは直ぐに吸収してしまうから困る。日本ももっと考えてほしい』と。アニメなどはまさに良い面と悪い面の両方が共存しているのだが、日本人はアニメを素晴らしい日本文化、とだけ刷り込まれている。ホテルのサービス低下も『効率化』という言葉で置き換えている。実はタイでもそういうホテルに出会い始めて困惑している。『多少の柔軟性』はぜひ欲しいところだ。

 

地下鉄に乗り、松山空港にやってきた。ANAのカウンターに行くと乗客の姿はない。またディレーかと思いきや、既に皆チェックインを終わったらしい。フライトディレーの連絡が付かない人も多いのだろう。そして羽田同様『通路側の席』をお願いしたが、何と満席でないという。一番後ろの席を割り振られ、挙句に『あなたが遅く来たのが悪い』というので驚いてしまった。羽田空港では『台北のカウンターで言えば席は確保できる』と聞いていたのだが。

 

まあそれほど長い時間でもないので、諦めて搭乗口へ向かう。私の後ろから車いすに乗った老人が係員の誘導でやってきた。よく見ると笑点でお馴染みの、歌丸師匠だった。確か病気をして笑点を休んでいたと聞いたが、弟子が和服で付いているので間違いはない。するとその横を歩いている小柄な婦人が富士子夫人なのだろうか。何だかちょっと気分が晴れた。

 

本当に満員のフライトに乗り、何とか羽田にたどり着く。今回の旅は急に設定されたものであり、特に何も期待してはいなかったが、なかなか面白い旅にはなった。

突然行く台湾北部茶旅2015(8)淡江大学に行ってみた

ホテルに帰り、深い浴槽に浸かる。このホテル、古いのだが、古いからこそ、浴槽があり、部屋もコンパクトだがそれなりに使いやすい。有線放送もあるので、日本語の番組を見ることも出来る。ロビーには日本語の新聞も置いてある。ほぼ完全に、25年前の台湾であり、何とも懐かしい。

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12月10日(木)

5.淡水

ジェイ・チョウ行き付けの店へ

翌朝はボーっと起きる。朝ごはんに行く気力はない。10時頃までフラフラとネットを見ている。それからホテルを出て、地下鉄に乗る。今日は淡水に行くことになっていた。淡水は中山駅から一本で行けるので、何も考えずに乗り込んだが、何とそれは北投行きで、途中で降りることになる。

 

それから次の電車を同じホームで待っていると、何と来ない。別のホームに行く必要があったのだ。何とか乗り替え、淡水までたどり着く。淡水駅には昨年も一度来たが、その時は淡水を何も見ずに、渡し船で対岸に渡っていた。今日はゆっくり淡水見物でもしようかなと思う。

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しかし淡水に来た目的は観光ではなかった。いつもお世話になっている大学の先生から『うちの学生が淡水に留学しているので、一度見てきて』と前回言われていた。こちらも南部に行ったので、当分行けないと思っていたところ、急に台北に来ることになったので、連絡してみたのだ。

 

その留学生Sさんと、淡水駅で落ち合い、まずはランチを食べに行く。駅前から、観光用の道が続いていく。土産物屋と食べ物屋が殆どだ。そのかなり行ったところにある食堂に入った。入口には何故か台湾のスター、ジェイ・チョウの写真が飾ってあった。どうやら彼のお気に入りの店のようだ。温州ワンタンメンが名物だという。この雲吞が美味い。スープもよい。焼き鳥を追加で頼んだが、これまたパリパリ、ジューシーでウマイ!週末は行列ができる店らしいが、今日はそれほど混んでいなかったので、2階の席でゆっくりと味わう。

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ランチを食べたばかりなのに、向かいの店の包子がまた美味いということで、そちらにも寄って食べる。これもまた淡水名物らしく、休日は行列が絶えないらしい。淡水は美味しいものばかりなのかと思ったが、Sさんによれば、『大学の周りには美味しいものは何もない』とのこと。因みにSさんは以前大学のプログラムで、大連に半年留学経験があり、大連が懐かしいらしい。中国の東方地方で暮らした人で、『台湾料理はどうも苦手』という人に何人か会っていた。彼女もそうなのかもしれない。

 

淡江大学へ

駅まで戻り、Sさんの留学先である淡江大学へ行ってみる。それほど遠くはないようだが、上り坂もあるので、皆バスに乗っていくらしい。バスの中は大学生で一杯になっている。10分もかからず、大学に到着。Sさんが早々、キャンパスを案内してくれる。緑の多い、静かで雰囲気の良いところだ。

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この大学には世界各国から留学生が来ており、留学生に宿舎も提供しているが、その建物は日本の大学の支援で出来たという。それほど大きくはないが、なかなかきれいなキャンパス。実は我が母校もこの大学と提携したと聞いていたので、その痕跡を探したが、特に見付からなかった。この大学は総合大学であり、実は理科系が強いらしい。小型飛行機が展示されていたりする。

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古い校舎が見える。今でも現役で使われており、実際の授業が行われている。Sさんによれば、夏はかなりの暑さで、蚊などもいるので、あまり好きではないという。文化財とはそのようなものだろう。使い勝手が悪くなったものを如何に保存するか、この瓦屋根を見ながら思う。

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Sさんは今日、1つの授業をさぼって付き合ってくれていたようだ。申し訳ないと思っていると、何とその授業の終わるタイミングで教室へ行こうという。その授業を教えている先生は日本通であり、出来れば紹介したいというのだ。授業に行かないのに、その先生を紹介する、なかなか面白い発想だ。先生も快く応じてくれ、研究室でお話を聞くことになった。

 

先生は日本語がペラペラで日本研究所の主任をしていた。何と安倍政権下のアベノミックスなどの政策について研究しており、この政策を『これまでの政権では動きがなかった日本経済を動かしたことに一定の評価ができる』と言っていた。なるほど、日本国内では批判ばかりが目に付くが、海外から見れば、言うだけでなく実行すること、がとにかく重要だと分かる。先生は日本の政策についてまとめ、近々本を出版する予定になっており、シンポジウムなども開いて、日本の現在の政策に関する台湾人の理解を深めるよう努力している。

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台湾について聞くと『民進党政権になっても経済は良くならない。大陸と離れ、東南アジアへ再度出ていく政策は考えられるが、その際は技術力のある日本と協力していくのが良い。但し民進党内の実務クラスに日本を知っている人間がいないが、大きな問題だ』という。確かに日本語世代は日本をよく知っているが、その下の世代はアメリカ留学組。日本を断片的にしか分かっていないと、日本とはとても一緒にやっていけない、ということだろう。

突然行く台湾北部茶旅2015(7)桃園 台湾の将来は

そして27歳で実家の茶業に入ったという。林さんは7人兄弟の末っ子で、年齢も離れているらしい。それでも父親は甘やかすことなく、厳しく仕込まれ、自分で作った茶を売って給料にする、という状況だったらしい。これによりたんに茶を作るだけではなく、如何に売るかを身につけたようで、最近ようやく余裕が出てきたとか。それもまたすごい。林さんの茶園で作られる東方美人を味わった。紅茶もなかなか良い。ここも客家の血なのだろうか。

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車で茶畑を見学に行く。桃園はその昔、日本時代には一面茶畑だったらしいが、その後衰退し、空港や港に近いことから工場や倉庫が多く作られた。更には最近の不動産ブームで、この辺も開発対象になり、農地はどんどん減っていっているらしい。実際農地を見ることは少なかった。林さんの茶畑はその中で結構広い。敢えて広い土地を確保して、機械化を進めているというのだ。乗用機に乗ったスタッフが、茶園管理作業をしていた。こんな光景は台湾ではあまり見たことがない。

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この付近の茶農家も高齢化しており、後継者がいないところも多い。その様な茶畑の管理を依頼されることも増えてきているが、広い面積が取れる、土壌が良いなど条件が合うものを引き受け、畑を広げているらしい。そうやって確保した土地で従来の手法から脱却し、機械化により効率的に運営していく、それが林さんの考え方である。彼はこの考え方を全台湾に広めるため、走り回っているらしい。確かに標高の高い山のお茶ばかり珍重していても限界があり、今後の台湾茶業を考える上では、林さんのような人が必要であるかと思う。政府も支援する方向らしい。

 

昼時になり、車でランチに連れて行ってもらう。田舎の食堂で客家板條を食べてみる。板條は以前、東方美人の里と言われている北埔で食べたことがある。この辺りには客家が多い訳ではないようだが、かなり美味しかった。台湾は本当に簡単に食べるご飯が美味い!これは大変ありがたいことだ。魯肉飯も大盛りで美味そうだった。

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本当はもう一軒行くつもりだったのだが、あまりに興味深いので、午後も林さんと過ごす。茶畑を見て、話を聞いた後に工場を眺めてみると、面白い機械が色々とある。中には彼が自ら作ったものもあり、さすが機械科出身だと思う。日本の製茶機械メーカーとも日本語で直接やり取りし、機械自体にも詳しく、輸入にも慣れている、こんな人どう見ていないよな。まさに適役だと思う。

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かなりの時間を居座ってしまったが、帰ろうとすると最後にお父さんが登場した。84歳だというが、日本語も話し、かなり元気だ。茶業は既に引退して、息子に譲ったというが、実際はいまだ現役、かくしゃくとして、茶作りを行っているらしい。実はこのお父さんが、台湾で東方美人を作らせれば3本の指に入ると言われる、今風に言えばレジェンドだったのだ。

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帰りは夕方になってしまい、道が混んでいるということで、来た時とは違う駅まで送ってもらった。かなり台北市内に近い場所だったので、Iさんには迷惑を掛けてしまったが、何とも楽しい茶旅だった。この駅は蘆州という名前で、4号線の終点だった。ここは丁度マンション建設ラッシュだったが、一体いくらするのだろうか。この辺なら一般サラリーマンが家を買えるのだろうか。

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そごうにて

一端宿に戻り、夜は台湾人のSさん夫妻と食事をするため、そごうに向かった。台北のそごう、懐かしい。27年前、私がここに住んでいた時、すでにあったデパート。当時はここに来ると何となく落ち着いた。日本人の知り合いともここで出会うことが多かった。ネットで見る限り、太平洋グループとして、現在台北に4店舗、台湾全土で8店舗を展開しているらしい。だが今や台北にも高島屋や三越など日系デパートは沢山あるし、わざわざそごうに行く必要はない。かなり長い間ご無沙汰していた。

 

地下鉄の忠孝復興駅で降りると、何とそごうが2つあることが分かる。私が昔行っていたところは今忠孝館と呼ばれており、その他に駅に直結した復興館があったのだ。はて、待ち合わせはどちらだったか。そこで初めてSさんのメッセージを見返して、復興館にあるレストランだと知る。危ない、危ない、また迷子になるところだった。スマホがあってよかった。レストランフロアーは、夕飯を食べに来た台湾人客で意外と込み合っていた。ロケーションが良いからだろうか。

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Sさんは前回知り合いから紹介してもらった女性で、台湾生まれだが、ニュージーランドで育ち、日本の大学にも留学し、仕事で香港や北京にも駐在した経験を持つ。台湾ではこんな経歴の人にも偶に遭遇する。今日はご主人も一緒に来てくれた。ご主人は台湾大学を卒業して、アメリカ留学。アメリカで仕事をした後、台湾に戻ってきたらしい。2人とも自分のビジネスをやっている。

 

話は台湾の総統選挙に及んだが、『我々中小企業経営者にはそれほど影響はない』という。大陸との商売があまりないせいかもしれない。それよりは『台湾の将来』について、今はその方向性が分からないという。但し、ある意味で『台湾にはいつも方向性などない』とも言っており、個々人が活路を切り開いていく、その結果として、台湾がある方向に動いていくのかもしれない、と感じられた。

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突然行く台湾北部茶旅2015(6)桃園の茶農家へ

そして地下鉄に乗り、広方園に行った。夕方6時以降は湯さんがいるので、その時間に合わせていく。だがちょうどお客さんが来ていたので、先に食事に行くことにした。客家料理がこの店の並びにある。前にも2回ほど行った店だが、入ると、なぜかお客が殆どいない。今日は営業しているのかと店員に聞くと、びっくりしたように、そして皆笑ってやっているとの答え。好きなものを頼んで食べている内に、お客が入ってきたので、少し時間が早かったのかもしれない。客家料理は本当に我々の口に合う。

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広方園に戻ると湯さんが紅茶のティバッグを差し出す。最近はとにかく、これに力を入れている。この紅茶、美味しいのだが、私は広方園の烏龍茶なども飲みたい。でも湯さんとご主人との話ばかりに夢中になってしまい、お茶を要請するタイミングがなかった。その内に時間は9時を大きく過ぎてしまい、ついに紅茶以外のお茶には行き着かなかった。残念。

 

12月9日(水)

4.桃園

引っ越し

今日は朝からお出掛け。その前に3日泊った宿の個室が、今日は塞がっていたので、お引越しとなる。ドミに移るのは嫌だったので、別のホテルへ行くことにした。初日にBさんから天津飯店はどうかと言われ、驚く。26年前、この界隈をフラフラしていることが時々あり、その時に見覚えのあるホテルだった。まだあるのか、と懐かしくなり、寄ってみると、1泊1300元だというので残り2泊はここにしようと決めていた。予約は口頭で行い、言語は日本語で。昔が思い出される。

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台北駅前から林森北路へ荷物を引きずって歩いていく。距離的にはそれほど遠くはないはずだったが、意外と疲れてしまう。歩道が凸凹でとても歩き難いのである。ベビーカーを押していたら大変だろうな、と思ってしまう。台湾は昔に比べて随分良くなったとは言いながら、この辺のインフラはまだちょっと辛いかな。

 

20分ぐらい掛けて何とか天津飯店に辿り着いたが、時間はまだ朝8時。チェックインはできずに荷物を預かってもらうことになる。アジアのホテルでは空いてさえいれば、早朝からチェックインできるところが多いのだが、ちょっと日本的対応であった。地下鉄の駅まで歩いていく間に、朝飯屋を見つけ、また蛋餅と豆乳で済ませる。この店、朝から繁盛していた。

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導善寺という駅まで歩いていったが、市民大道を越え、公園を通りすぎ、意外と遠い。今日も昨日に続き、Nさんが同行することになっていたが、彼女はこの駅の近くに泊まっていると言っていた。我々の待ち合わせ場所は頂埔駅という聞いたことがない場所だったが、フラフラと歩いていくと、なんとひょっこりNさんが顔を出した。偶然とはいえ、恐ろしい偶然だった。そのまま二人で駅に行き、地下鉄に乗る。

 

長生製茶

まずは土城という場所に行くと思っていたが、指定された頂埔駅が新しくできていた。台北の地下鉄はどんどん伸びている。真新しい駅を出ると、そこはこれから開発という感じだった。今日はここにIさんが待っていてくれる。彼女は我が息子が北京に留学した最初の学校の同級生だった。しかもNさんが20年前に留学したのも同じ学校というご縁で結ばれていた。面白いことだ。

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実はIさんは今年、台湾人男性と結婚、彼の実家に住み始めている。それがこの近所だというので、今日車を運転して我々を茶園に連れて行ってくれることになった訳だ。しかし彼女は妊娠5か月、安定期とはいえ、運転してもらってよいのだろうか。会った彼女の印象は特に変わっておらず、お腹も目立たなかった。

 

車はどこを通ったのかよく分からなかったが、駅から紹介された長生製茶まで、そんなに遠いとは思っていなかったのでビックリ。しかもその場所には茶畑があるとはとても思えない、工場がいくつか見える坂道の途中にあった。車で連れてきてもらってよかった。これはナビがなければ迷っただろう。

 

その工場のような建屋、そして横には自宅が付いている長生製茶。埼玉のお茶屋さんであるSさんから、前回南部に行った時、紹介された茶農家だった。まさかすぐに台北に来るとは思っていなかったので、訪問はかなり先だと考えていたが、Sさんも是非行ったほうが良い、と勧めてくれており、折角の機会なので訪問することにした。Sさんたちはここに来て、製茶研修をしているという。日本茶から脱却するために萎凋など、新たな製法を学ぶことは大切なようだ。電話を掛けると流暢な日本語も返ってきた。何とも不思議な場所だった。ここでは何が行われているのだろうか。

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工場には誰の姿もなかった。声を掛けると女性が出てきて、事務所でお茶を淹れてくれた。少しすると、男性が普通の日本語を使って入ってきた。林さん、38歳だという彼は、小中学校時代を日本で過ごしたというから、日本語はうまいはずだ。その他、国語、台湾語、母語の客家語も話すという。しかも台湾に戻ってから、機械関係の専門学校を出て、日系商社に勤めたというから、その経歴は凄い。

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突然行く台湾北部茶旅2015(5)台北のお茶屋を巡る

デパートを出たが、まだ時間があったのでちょっと歩いてみた。少し行くと何となく懐かしい国父紀念館が見えてきた。ここに入ったのは何十年前だろうか。まあ、ここの敷地を通過して行こうと思い、中に入る。メインの建物の写真を撮っていると、中で何かをやっているのが見えた。入っていくとまさに衛兵の交代式の真っ最中だった。これは忠烈祠や中正紀念堂では何回も見たが、ここでもやっているとは知らなかった。沢山の観光客が見入っている。緊張感のあるこの儀式は、1時間に1回、今や人気の観光イベント、資源である。

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その後、ついでに資料展示も見てみた。国父と呼ばれている孫文の歴史が飾られており、蒋介石との関係や孫文が台湾にやってきた時のことが語られている。こういっては何だが、何とか歴史を繋ごうという感じが見えてくる。国民党が台湾に移るはるか前に亡くなった孫文は、現在の事態を予想だにしていなかっただろう。歴史というのは、その時々の都合で語られる、そういうものだろう。外へ出ると、101がまじかに見えている。これも驚きかも。

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茗心坊

そのまま歩いて大安駅まで行く。結構距離があるが、それほど暑くないので、ちょうどよい散歩となる。そこでNさんと待ち合わせていた。Nさんは宮崎の人で、ヨーガの合宿で一緒になった人だった。この2か月間、台北で宮崎料理屋さんを手伝っていたのだが、その仕事も終わって暇なのだという。何だかこんなところで会うなんて面白い。まずはこの駅のすぐ近くにある茗心坊というお茶屋さんへ行くことに。この店に行くのは10年ぶりだろうか。

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店に入っていくと、先客が大勢いた。聞いてみると、お茶教室の生徒さんたちで、先生がここへ連れてきて、店主の林さんの講義を受けていた。林さんは日本語もできたはずだが中国語で話している。生徒が台湾人と日本人、両方いるかららしい。我々のために席を用意してくれたが、それでは申し訳ないので、帰ろうとすると、ちょっと待って言われるしばし留まる。

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しばらくすると男性がやってきた。日本語もできる彼について、奥の席に場を移す。これでゆっくりお茶が飲める。元エンジニアという林さんが作っている高密度焙煎によるお茶、自ら工夫した機械が横に置かれている。水分をいい具合に飛ばし、香りを引き出す。焙煎はデータに基づいて、時間を図り、綿密に行われるという。このお茶には味わいがある。この茶葉は5年置いても味は変わらないという。それが本当にいいお茶という物だろう。我が家にも貰い物の茗心坊のお茶がある。いつ開けて飲もうか、いつも考えながら、既に5年は過ぎている。

 

少しお茶を飲ませてもらって、お店を出た。林さんは申し訳なさそうに、『次回は事前に電話して』という。確かに10年前とは違う。林さんも忙しいだろうから、今度は事前に予定を確認しよう。FBのお友達にもなっているのだから、連絡するのも簡単だ。次回はゆっくり話を聞こう。Nさんも初めての本格的なお茶屋デビューだったらしい。いいお茶を飲んで飾れたのは幸せかなと思う。

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小楊の買えないお茶

そして歩いて小楊の家まで行く。ここも1年ぶりか。台湾にはよく来ているようで、それほど来ていないなと確信する。これからは少しの期間、台湾を拠点にできないか、真剣に検討しなければならない。小楊の家は相変わらず5階にあるがエレベーターはない。年々この階段がきつく感じられる。まだそんな歳ではない筈なのに、どうしてだろうか。運動不足が身に染みる。

 

小楊と奥さんも相変わらずだった。部屋も変わっていない。ただNさんにとっては、驚きの空間だったかもしれない。畳はあるは、火鉢に炭を入れ、鉄瓶を掛けて湯を沸かしている。その鉄瓶も年々豪華になり、ついに今回は金ぴかだった。相当値の張る純金とか。さぞやこれで沸かす湯は凄いだろう。小楊によれば、これで沸かした湯を飲むだけで健康になるという。

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小楊は聞いてくる。『買える茶を飲みたいのか、買えない茶を飲みたいのか』と。私はすかさず、『買えない茶が飲みたい』と答えて、それで成立した。禅問答のようにNさんには聞こえたかもしれない。彼女は昔中国語を習ったことがあると言っていたが、お茶屋さんに来て、こんな中国語を使うだろうか。

 

そして美味しいお茶が出てくるのだから、幸せだ。武夷岩茶の老茶が登場する。私はこれが好きだ。また黒茶が飲みたいというと、20年物のブロック型のプーアール茶をわざわざ削って淹れてくれた。何ともマイルドな味わいがあり、コクが感じられる。一体いくらするのかは知らないが、買える値段ではないということ。台湾のお金持ちというのも、すごい人々だ。鉄瓶にしても平気で日本円で500万円から1000万円出してくるらしい。まあどこにでも金持ちはいるものだが、それにしても桁が少し違ってきている。

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ダラダラと2時間以上、茶を飲んで、他愛のない話をしていたが、このままズルズルしていてもよくないと思い、辞することにした。これから東京のお茶会で使う、パイナップルケーキを買いに行かなければならない。名残惜しいが、お別れした。階段は下りにも拘らず、何となく重たく感じた。

 

突然行く台湾北部茶旅2015(4)デパ地下のお茶屋さん

そう思って午後は、街から少し離れた清境茶園に行ってみる。ここには2軒の店が連なっていると書かれていたが、1軒はシャッターが閉まっていた。中に入るとおばさんがおり、早々に包種茶を淹れてくれた。私が日本から来たと分かるとどこかに電話を入れている。ご主人がわざわざ工場から戻ってきてくれた。包種茶以外のお茶を、というと、紅烏龍茶を出してくれた。これは先日台東鹿野で飲んでいたが、ここでも作っているのか。しかし飲んでみると何かが違う。こちらはやっぱり烏龍茶でしかないようだ。何が違うのだろうか。

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誘われて、彼の車で茶畑を見学した。かなりの斜面に茶樹が植えられていた。合わせて茶工場も見に行った。そこにはお父さんや弟さんもおり、既に坪林で彼が4代目だと聞く。弟さんは日本語も少しできるらしいが、黙々と製茶作業に取り組んでいた。日本からも製茶ツアーなどを受け入れており、日本人もたまに来るようだ。自分たちのお茶を広めるのに熱心だった。

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ご主人がわざわざバス停まで送ってくれたが、タッチの差で、バスは出てしまっていた。1時間に一本しかないため、次のバスまでは時間があった。バス停の横には朝最初に訪ねた祥泰茶荘があった。まだ茶葉も買っていなかったので、再度店に入る。それから約1時間、またお茶を飲みながらダラダラ話す。

 

この店からは発車直後のバスが見えるので、ずっとここに座ってよいと言われた。バスが見えたら手を上げて乗り込むらしいが、やはり何だか不安なので、バス停に行く。既に多くの人が列を作っていた。因みにこのバスは大坪林行きではなく、新店行きだ。文平茶荘の女性に『大坪林行きは52元、贅沢だよ。新店行きは30元だからね』と言われたこと、そして朝は渋滞で意外と時間がかかったことから、帰りは新店行きに乗ってみた。安いせいか、偶々なのか、乗客は意外と多いが座ることはできた。

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新店までは最初高速道路を使い、途中で降りていくつか寄って行く。結果だけ言えば、ほぼ朝と変わらない時間で新店に着いた。勿論地下鉄は新店駅の方が遠いのだから、大坪林に行く方が早いとは言えるのだが、地元の人は安いほうが良いと考えるのだろう。既にあたりは暗くなっていた。新店始発の地下鉄で台北駅前に戻る。

 

駅前まで来るとちょっと腹が減る。そうなると取りあえず大腸麺線を食べることになる。夕方はいつも学生などで混んでいるが、テイクアウトする人が多いので、座って食べる分には問題はない。僅か50元、日本ではなかなか味わえないな、このとろみの味としあわせ感。

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宿に戻ると結構疲れてしまい、食欲もなく、そのままネットなどにうつつを抜かして、夜が更けると寝てしまう。普通の人は折角台北まで行ったのだから勿体無い、夜市に行くべし、などと思うのだろうが、私にとっては休息も大事な旅の一環。

 3.台北2

12月8日(火)

阪急デパートと国父記念館

翌朝もゆっくり起き上がる。朝ごはんを食べる気にもなれない。お湯がないのでお茶も淹れられないが、リビングへも行かず、ポカリスエットを飲んで我慢する。昨日包種茶の飲み過ぎたせいかもしれない。それで部屋でずっとダラダラしている。気力がみなぎらない。腹が減ったら、どこかに食べに行くだけだ。11時前についに腹が鳴り、いつもの食堂へ向かう。

 

魯肉飯セットを注文する。ここの肉圓湯は本当にいい味を出している。私の向こうのテーブルでは若い母親が一人でやはり魯肉飯を食べていた。そして驚いたことに、ベビーカーに乗っている赤ちゃんに、魯肉飯を食べたスプーンを渡していた。赤ちゃんはそれを美味しそうに舐めている。美味しいものは誰でもわかるんだ、と実感した瞬間だった。私も舐めるように食べた。

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それから地下鉄に乗り、統一阪急デパートへ行く(その後名称から阪急が無くなったようだ)。市政府駅で降りると直結しているので分かりやすい。ここに来るのは実は初めてだが、目的はずばりデパ地下。地下にはとんかつ屋やラーメン屋など、日本食が並んでいたが、既にランチを食べ終えた私は、そこには目もくれずに、お茶屋さんへ進む。先日訪ねた小倉辻利のショップは、少し奥まったところにあった。ちょうど台湾人のOLさんが辻利ラテという飲み物を買っていた。

 

この店は抹茶アイスやラテなどの飲みもが中心で、基本的にテイクアウト。80‐100元ぐらいのメニューに手ごろ感がある。煎茶などの茶葉は隅の方に申し訳程度にあるだけだった。辻社長からは『海外』『スイーツ』がキーワードだと聞いていたが、まさにこの店はそうなっている。これで辻利の知名度が上がっていけば、台湾人にとって日本茶といえば辻利になる。実際小倉の店にも台湾人観光客が来て、抹茶アイスを食べながら、記念写真を撮っていた。

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近くの台湾系の店を見ても、同じように飲料のテイクアウトを基本としているが、食べ物なども売っている。しかもその種類はとても多い。料金は辻利とほぼ同じ。辻利は台湾で地元企業と同じ土俵で戦っていた。他の日本食レストランが『日本』を前面に出し、料金も高め設定なのとは明らかに違っている。本当に美味しいと消費者に感じさせなければ売れないだろう。

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突然行く台湾北部茶旅2015(3)坪林 お茶屋を巡る

お茶屋巡り

仕方なくトボトボ歩きだす。博物館の休館は、かなりのショックで珍しく引きずる。もう一度橋を渡って、お茶屋街へ進む。ただフラフラ歩いていれば、どこに入ってよいか分からないほど沢山ある。だが私の手にはMさんのマップがあった。これは何とも心強い。まずはお茶屋街に入ってすぐのところにある広い間口の祥泰茶荘が目に入る。初心者はここに行け、と書かれていた茶荘だ。

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入っていくと、かなり広い店には茶葉の袋がそこら中に置かれており、雑然とした感じで、如何にも問屋だった。近隣の農家から茶葉が運ばれてくる。その茶葉を奥で製茶しているようだ。その店の中央に若者が一人立っていた。そこへ近づき声を掛けた。彼は『博物館の紹介?』と聞いてきたので、『今日は休館日だよ』というとかなり意外そうな顔で、休館日なんかあったのか、と小声で言う。

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取り敢えず座って茶を飲み始めた。あまり包種茶らしいお茶を好まない、というと、ちょっと発酵度の高い、老茶と呼ばれる茶を出してくれた。今日は結構涼しいので、このお茶葉は有難い。特に朝一に飲むのに向いていた。店内を見渡すと、台湾のあらゆるお茶がありそうで、楽しみだった。

 

しかしこの若者はお茶の話題より、日本の話が好きなようだった。越後湯沢の日本酒博物館や福岡のラーメン屋の話で盛り上がる。台湾人の日本好きは相当なものだが、彼は酒やラーメンの本(中国語に翻訳されている)をよく読んでいるようで、年に一度は実際に日本に遊びにも行っているらしい。彼はこの店の4代目、かなり余裕がある。そんなに儲かるのだろうか。

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時々後ろの方をお父さんとお兄さんらしい人が動き回っているが、彼らは製茶担当のようだった。何だかんだで居心地がよく2時間以上居座っていたが、いざ何かお茶を買おうかとした時に、ベンツに乗ったお金持ち風台湾人3人がいきなり入って来て、茶を飲み始めたので、退散した。

 

続いて、この辺では有名な文平茶荘に行ってみる。付近には同じような店名がいくつかり、迷う。そして何とか見付けたのだが、店には誰もいなかった。食事にでも行ったのだろうか。仕方なく、この道を端まで行ってから戻る。それでもいなければ食事をしようと決めていくと、王さんが座っていたので入っていく。包種茶のコンテストでは常に入賞する有名人。コンテスト茶も飲ませてくれたが、私が好きな焙煎が比較的強いお茶も淹れてくれた。

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彼は根っからの茶農家であり、茶園管理をしっかりやり、焙煎にもこだわり、いいお茶を作ることには自信があるという。だが『コンテストで入賞したからって、お茶が売れるわけではない。そこが問題なんだ。消費者が求めている茶とコンテストで入賞する茶は全く別物さ』と内情を打ち分ける。30年前ならどんなお茶でも売れたのだが、今や台湾にもお茶が多過ぎた。

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そして『中国からの観光客は「茶葉は丸まっていないと台湾茶じゃない」という概念を持っているので、丸めてみた。品質なんかどうでもいいんだよ』と言って、包種茶を丸めて見せた。なるほど、お茶を売るとはそんなものか、とちょっと悲しくなる。いいお茶とは何か、ということをここでも考えさせられた。ただ坪林は阿里山ほど大陸客が来るわけでもないらしい。

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何だかんだで昼時になる。少し雨模様ながら、その頃にはそれなりの観光客がおり、皆が食堂で食事し始めている。坪林の名物は何だろうかと考えたが思い付かない。いつもは茶農家の美味しい昼飯をご馳走になってきているので、街で食べたことなどなかったのである。

 

取り敢えずお客さんが多そうなところに入る。一人だと頼むのも結構面倒だ。炒飯と団子スープで十分だろう。この店はお茶の販売もしており、そのプロモーションも兼ねて、おじさんがお茶を入れて持ってきてくれる。これは嬉しいサービスだ。だが食事は観光客料金であり、量的にも一人用ではなく、食べ切るのに苦労する。

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食べ終わると早々に店を出て、散歩する。坪林にも老街がある。古い廟を中心に、ごく一角だけが保存されている感じだが、この道にも何軒かの茶荘があった。情報によるとここにもお勧めの茶荘があると書かれていたが、探してもどれだか見付からない。腹も一杯なのでウロウロと運動した。

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ちゃんと真面目に探さなかったからだろう。実は私は、包種茶を沢山飲むことができない。どうもあの緑茶っぽい味が得意ではない。午前中の2軒だけでかなりの量を飲んでしまっていたので、ちょっと辛くなっていた。しかしMさん情報には合計7軒の店が掲示されている。あと5軒行くのは無理だな。近くの茶畑を見て和む。包種茶以外のお茶も飲みたいのだが。

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突然行く台湾北部茶旅2015(2)坪林 休館だった茶業博物館

居酒屋の店長

午後2時に知り合いのBさんと会う約束をしていた。電話を入れて、中山駅付近で会うことになった。雨の日曜日の午後、その付近は混雑していた。喫茶店は満員で席がない。台北というのはどういうところなんだろうか。景気はいいのだろうか。まあ、新宿でも同じか。

 

何とか席を見つけておしゃべりした。彼には前回台南や台東の旅で知り合いをたくさん紹介してもらい、大変世話になっていた。ミュージシャンや俳優の顔を持つ彼の人脈は、当然台湾に住む、ほかの日本人とはかなり違っており、またその知り合いが皆さん何ともユニークで面白い人ばかり。人生、こんな人々と楽しくやれればいいよね、と思える人ばかりだ。

 

彼と前回会ったのは今年の5月だったが、その直後に重大な変化があった。何と居酒屋の店長になったというのである。一体どういうことだろうか。まあそれでは、ということで、一端宿に戻り、夜その居酒屋へ行ってみることになった。香港時代からの友人のH夫妻とお嬢ちゃんもやってきた。更には大学の後輩であるFさんも登場して賑やかな夕飯となった。

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1階にはいい感じのカウンターがあり、地下にはゆったりしたスペースもあった。かなり広い店だ。このお店、映画監督がオーナーで、そのお父さんが洋食のシェフ(日本でずっと洋食を作っていたそうだ)、お母さんが家庭料理を作って出すという面白いコンセプト。作り手は日本人だが、お客は台湾人が多いようだ。ハンバーグのデミグラスソースなどといわれると食べたくなる。新鮮な魚、オムライス、おばんざいなど、に次々反応してしまう。今日日本から来たとは思えないリアクションだ。店内には映画のポスターなどが展示されている。

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Bさんは見事に店長をやっていた。本人に言わせれば、この店は劇場であり、店長という役柄を演じているのだとか。なるほど、まさにそんな感じだ。中国語でも日本語でも、実にハマっている。そして店員の台湾人がやって来て、マジックを見せてくれる。それまで静かにご飯を食べていた子供の目が輝く。ただの居酒屋ではないぞ、ここは。更にはお客がいなくなった後、店長自らギターを取り出し、即席コンサート。弾き語りが良い。楽しい夜を過ごした。

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12月7日(月)

2.坪林

坪林まで

今回の旅で予定のない旅。翌朝は坪林に行くことにした。坪林といえば、包種茶で有名な茶産地。私は15年前に偶然ここを訪れ、茶農家と親しくなり、何度もその家へ行っていた。だがここ5年間はご無沙汰だった。包種茶は緑茶に近い烏龍茶だが、高山茶など、他にも飲みたいお茶が増えてきたからだろうか。今回はMさんの教えてもらった店を訪ねてみることに。

 

いつもは茶農家に連絡すると地下鉄の動物園駅まで車で迎えに来てくれていたが、普通はどのように行くのだろうか。昔1度、台北駅近くからバスに乗っていったことがあるが、えらく時間がかかったことは忘れられない。確か新店までは地下鉄で行ったほうが早かったはずだ。しかし今回はMさんからの情報で、『新店まで行かずに大坪林駅で降りてバスに乗ったほうが良い』と聞いていたので、その通りしてみる。

 

大坪林駅、そんな駅があったんだ、大そうな名前だな。駅で降りて地上に上がるとバス停がいくつかあったが、どこから乗るのか少し迷う。もう少し先に行ってみると、『新店‐蘇澳』行きのバス乗り場があった。ちゃんとチケット売り場まで設置されている。このバスに乗り途中で下車することが分かる。52元でチケット買う。1時間に一本、バスがあるらしい。少し時間があったので横の店で朝ご飯を食べる。バスに乗る人々が次々に買っていくので、店はかなり繁盛していた。蛋餅と肉まん、豆乳という定番朝食を食べながら発車を待つ。

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バスは3列シートでかなりゆったりしていた。自由席。高速道路に乗るので速いと聞いていたが、月曜日の朝だからだろうか、何と高速でちょっと渋滞にはまる。30分で坪林に着くと言われていたが、何と50分ぐらいかかってしまった。これなら新店からバスで行ってもあまり変わらないような気がする。

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教えられたバス停で降りたが、そこは学校の前。そして周囲に目立つものはない。取り敢えず今日の目的地である坪林の茶業博物館を探すと、橋を渡った向こう側に見えた。この博物館、10年以上前に一度見学したことがあるが、どんな展示だったかまるで記憶がない。今回はある方の希望で、ある物があるかどうかを見るために、やってきたのだが、時間はまだ9時過ぎだった。これならゆっくり見ることができるし、学芸員を探して聞くこともできそうだ。

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ところが正門は閉まっていた。まだ早過ぎるのだろうか。表示板を確認して愕然となる。今日は7日、『月の第一月曜日』、つまり月に一度しかない休館日だったのだ。そんなバカな、と思っても仕方がない。これもあまりにいい加減な、全く事前調査をしない旅を続けてきたツケが回ってきたのである。

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門の向こうに人が見えたので呼びかけてみると、反応があった。おばさんに『日本からわざわざ来たので、何とかならないか』と言ってみると、おばさんは中に入っていって聞いてくれたが、答えは『ノー』の一言だった。今や台湾でもそんな便宜は図られない。さてこんな朝早くからどうするんだ、俺は。

 

突然行く台湾北部茶旅2015(1)なぜか台北へ

《台北茶旅2015》  2015年12月6-11日

 

11月に台湾南部を旅していた。確かに台湾はいいところだな、と実感できる旅ではあった。だがしかし、まさか3週間も経たないうちにまた台湾に来ることになろうとは全く想定外だった。何か台湾に引き寄せられることでもあるのだろうか。そう思って試しに前回会えなかったジョニーに連絡してみたら、『え、その時は箱根の温泉だよ』との答え。あんまりご縁はなさそうだな、今回の台湾。

 

ところでなぜ台湾へ行くのか。それは台湾とは関係がなかった。実はためていたマイレージの期限切れが12月に迫っていることに突然気が付いたからだった。これまでも期限切れは起こるはずだったが、一度もそれを気にしなかったのは、北京に留学していた息子が年に2回、確実にマイルを消化していたからだった。その彼も昨年帰国してしまっており、今回目の前にマイルが現れてきた。

 

どうして台湾になったのか。それは最小マイルで行けるところだったこと。中国や香港、韓国には別途行く予定があったので、消去法で台北になってしまったという訳だ。しかも台北行きはローシーズンということで、通常2万マイルのところ、1.7万マイルでよかったのも影響していた。そんなに混んでいないというのも有難いと思ったのだが、なぜか事前の座席予約ではお気に入りの通路側を取ることが出来なかった。2週間前の予約で?何とも幸先が悪い。

 

12月6日(日)

1.台北

台北まで

12月の東京は夜明けが遅かった。6時過ぎでも外は真っ暗で、清掃車が駅前に駐車していたのが、それをよく表していた。羽田空港まではいつものように電車で行った。日曜日なので電車は混んではいない。カウンターで聞くと『通路側の座席が用意できます』との答えでホッとしたが、何故予約画面には通路側座席が1席も空いていなかったのかは、全く不明だった。

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それにしても羽田空港の税関審査の長蛇の列は何とかして欲しい。アジアの空港では審査に時間のかかるところが多いのは事実だが、これほどまでに効率の悪いところはあるだろうか。兎に角丁寧すぎるのである。スピードというものがまるで感じられない。中国人などは『これこそ日本の良さ』と思っている人もいると聞いて、驚いてしまったが、どうなんだろう。

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ローシーズンということだったが、フライトはかなり混んでいた。今や中国には行かない日本人の行き先ナンバーワンは台湾ではないかと思うほど、日本人は台湾によく行く。全日空もこの季節にこんなに乗客がいるとは想定外だったのかもしれない。機内の映画はなぜか木村拓哉主演のHEROを見る。何と事件が起こった日時が12月6日の午前11時、まさに今見ているこの時間じゃないか。単なる偶然ではあるが、こんなところにも何かあるのではないか、と思ってしまう私。

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12時半に無事に松山空港に到着。中華電信で3週間前に買ったシムカードを出してみるが『これ、使えません』とあっさり言われ、新規購入。実は前回、なぜか電話が使えなくて困った旨伝えると、おにいさんが、一生懸命、その理由を探っている。彼は実に丁寧な言葉遣いであり、しかもかなりのノウハウを持っているように見える。オタク系のスタッフである。だがその彼でも、結局原因はつかめず、今回もスマホは使えても電話はできない状態に。これは困るので仕方なく、もう1枚100元のシムを購入して、予備の携帯に挿入する。

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駅前の宿

それから地下鉄に乗り、台北駅前に着く。何となく雲行きが怪しい。雨の気配だ。いつもと違う宿を予約したが、やはり駅前である。簡単に見つかると思ったが、どうも最近方向感覚がおかしい。スマホで位置を確認して、何とかビルにたどり着く。古いビルでエレベーターなどない。1階で呼び出すと管理人の日本人が降りてきて案内してくれた。4階まで上がるのは結構大変だ。

 

最近はこんな感じの日本人宿が増えているらしい。ここも1年半前に出来たとか。前回の経験からドミトリーには泊まらず、個室を予約。個室は更に1階上にあり、結構快適な空間だった。快適な空間なら、リビングに出ていく必要もなく、結局この宿に3泊したが、殆ど宿泊者との交流はなかった。

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個室だと料金的にもそれほど安いわけでもなく、それでいて階段の上り下りは大変だ。部屋にトイレもない。それでも泊る理由があるとすれば、それは管理人や他の宿泊者との交流、情報交換などだろうが、それをしないのであれば、ホテルに泊まる方が快適なのである。まあ、宿泊客もそれほど多くなく、トイレやシャワーで困ることはなかったが、何だかなあ。