「茶旅」カテゴリーアーカイブ

埔里から茶旅する2016(20)紅茶談義から梨山へ

作業が終わるとまた紅茶を飲みながらよもやま話。そうこするうちに昼前になる。すると奥さんも呼んできて『じゃあ、行くか』と車で出かける。出掛けると言っても5分も走らないうちに、畑と林の中のレストランに着いた。こんなところにレストランがあるのか、というロケーションだ。天井の高い、不思議な空間がある。お客はいない。だがそこで出される料理は何とも絶品だった。名物だという蒸し魚、豚肉の脂身炒め、空芯菜炒め、ニンニク炒めなど、どれも驚くほどに美味しい。シンプルな料理が美味いということは食材がよいということだろうか。大満足!

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午後はまた劉さんの家に戻り、話を続ける。『台湾茶の将来はどうあるべきか』といった、かなり大きな話題も出てくる。彼はやはり『ティバッグなど便利なもの』になるのではないかと考えているようだ。美味しい茶葉を入れたティバッグはコストが高いが、それでもペット飲料よりは、かなり安いはずだ。マイポットを持ち歩き、お湯さえ手に入れば、いつでも美味しいお茶を飲むことができるのだから、これを定着させるべきだ。特に紅茶は欧米でもほとんどがティバッグであり、抵抗感は少ない。問題は依然として、どうやって台湾人に紅茶を飲ませるのか、という根本的なところに突き当たっている。

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良質の紅茶の値段は高山茶に近づいてきている。それは良いことだが、また一般人には受け入れられない値段になってきているともいえる。1斤3000元以上するプレミアム紅茶にも需要はあるだろうが、台湾紅茶全体から見えればどうだろうか。リプトンのティバッグならかなり安いのだから。品質は高山茶と比べてどうなんだろうか。話せばきりがない。私は劉さんの茶畑を見せてもらおうと思っていたが、結局そこへ行く車の手配が出来なかった。ベンツで行けるようなところではないらしい。

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梨山へ

代わりに『今から行こう』と言われた場所は何と梨山だった。既に夕方になってきていたが、どうやら知り合いの茶業者から電話が入り『いいお茶ができたから』と声が掛かったようだ。流れに任せて私も同乗させてもらう。荷物を積み込み、魚池を後にした。また埔里を目指し、そこを越えて、山道を登り始めた。これで何回目だろうか、この道。劉さんはかなり運転に慣れていた。相当のスピードで駆け上がる。

 

途中の街で停まる。劉さんは食堂で何か注文している。出来上がるまで、セブンイレブンのトイレを借りる。こんな所にもセブンがある。さすが。食べ物は茶工場で働いている人たちへのお土産だった。山の上の工場では毎日似たような食事ばかりで飽きてしまう。2年前に行ったジョニーの茶工場でもそうだった。偶然寄ることができたセブンイレブンでジョニーが『20日ぶりだ』と実に嬉しそうにコーヒーを飲んでいたのはかなり強烈な印象として残っている。

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標高2000m近く、清境農場という、今や観光地?を通り過ぎ、着いたところは松崗という茶工場が並ぶエリア。その一軒に入っていくと、まさに茶作りも佳境に入っていた。かなり規模の大きな工場で、何人もの男たちが働き、室内で萎凋している茶葉を管理し、時間を見て、順番に揺青をしている。また別室で殺青などの作業も行われている。実にいいお茶の香りが鼻を衝く。外は暗くなろうとしていたが、靄がかなり掛かっており、如何にも茶産地の夕暮れの様相を呈していた。

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別室でお茶を頂く。老板のほか、近所の友人、遠方から茶を買いに来た人などが、出入りしている。茶ができると早速試飲が始まり、全員が品評委員のような顔をして、茶を飲んでいる。清香系のいい感じの茶だったが、1つ1つにかなり微妙な差異があった。それによって各人の評価も分れた。その内には劉さんの持ってきた紅茶がなども飲まれ、何だか分らない状態が続く。隣の女性は私に『九州ならどこへ行くのがお勧め?』などと日本観光の話題をふり始める。

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いつの間にか夜も更けてきた。劉さんは老板から茶葉を分けてもらい、ご満悦だった。皆が重い腰を上げたのは、午後10時近かった。そして劉さんが『ところでお前、今晩どこに泊まるんだ?』と聞いた。このセリフ、何回聞いたことだろうか。もう私の心は決まっていた。埔里のゲストハウスに戻る。Wさんに電話で戻ると告げると、さすがに驚いていた。劉さんは車で送ってくれた。彼もまた日本人が開いたゲストハウスには興味を持っていて、宿の前まで送ってくれた。そして『もし俺の茶畑が見たいのなら、明日行こう』と。

 

GHにはWさんも戻ってきており、ヘルパーMさんも半分呆れた様子で『おかえりなさい』という。今日は数名のお客がいたが、Wさんから『ドミトリーは誰もいないからそこで一人で寝たら。その方が個室より安いよ』と気を使われて、今日はドミに潜り込む。部屋には2段ベッドが3つあったが、真ん中の下を使う。疲れたので、さっとシャワーを浴びてぐっすりと休む。まさか今日もここに寝ることになるとは、本当に不思議だ。

埔里から茶旅する2016(19)懐かしの日式親子丼

 525日(水)
日式親子丼

松ちゃんとの面談も終わってしまい、やることがない。では集集線の方へでも行って、電車に乗ってみるかと考えたが、突然もう一つのことを思い出した。鹿谷で連絡したのは松ちゃんだけではなかった。日月潭紅茶の劉さんにも電話を入れたのが、何と彼は中国でその電話を受けていた。確か25日に台湾に戻ると言っていたような気がする。すると今日は25日だから、上手くすれば明日会えるかもしれない。実際に連絡を入れると、26日ならOKとの返事をもらったので、それなら日月潭にでも行って泊まろうかと思う。

 

だがなぜか体が動かない。やはり歳のせいか、疲れが出ている。こういう日は休むに限る。ということで、このGHに連泊決定だ。午前中は殆どの時間をリビングでネットに費やす。ここはクーラーがなくても、何となく涼しく、快適だ。ヘルパーのMさんもリビングで何かやっている。聞けば、大学院に提出する論文を書いているらしい。オーストラリアに4年居たそうだが、大学院で勉強していたのか、凄い!

 

お昼になる。Mさんがいつも行く食堂があるというので、付いていく。そこはGHから10分ぐらい歩いた路地。そこには『日式』の文字があり、勝丼、牛丼、天丼などがメニューに載っていた。Mさんと同じ親子丼を注文する。見ていると、おじさんは豪快に中華鍋を振るい、親子丼を作成している。まさに日式の神髄だ。まあ醤油などの味を別にすれば、親子丼などどう作っても、それらしい味にはなる。味噌汁が付いて60元、悪くはない。最近台北などでは本格的日本料理、日本から進出して日本人が作る日本食が多くなってきているが、たまには日式を食べてみるのもよい。なんとなく懐かしい感じがする。

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食後はMさん行きつけのカフェへ。ここは広くはない空間ながらおしゃれで居心地がよさそうだ。ネット環境も抜群で、午後中、ここでPCと遊んでいることも出来そうだった。マンゴシェイクを頼む。横のおじさんが突然『日本人か』と話しかけてくる。このおじさん、日本との商売をしていたとかで、日本語も話す。台北で大きな商売を日本商社としていたが、今は故郷で農業に従事しており、果物を作っているらしい。こんなおじさん、昔は沢山いたな、台湾。昨日の松ちゃんも、日本語ができれば、完全にその部類に入る。

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このおじさん、昼間からベルギービールを飲んでいる。『日本人はビールだろう』と笑っている。そうこうしているうちに、有閑マダム風のおばさんたちが6人も入ってくる。皆が席のやりくりをつけている。かなり騒がしくなってきた。このカフェも当然地元のお客のものだ。我々はすぐに退散した。夕方、劉さんに電話すると、既に中国から帰国しており、明日の訪問はOKとなった。夜は早めに麺を食べて、早々に寝てしまう。こういう時は、部屋でネットが繋がらないのがよい。

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526日(木)
劉さんの紅茶

翌朝は劉さんに指定された、魚池のバス停を目指す。GHをチェックアウトして、荷物を引っ張って、またバスターミナルへ。40元でバスチケットを買ったが、どれに乗ればよいのかよくわからない。結局来たバスは日月潭行の台湾好行。魚池でちゃんと降りられるのかちょっと不安だったが、何とか農会前で下車した。劉さんが車で迎えに来てくれる。10分ぐらいで劉さんの自宅兼工場に着いた。

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劉さんのお父さんは魚池の茶工場の工場長をしていた方だそうだが、茶農家ではない。劉さん自身も7年前までは高雄で広告代理店を経営していたというから、茶業関係者ではなかった。だが地元の紅茶の良さを知り、戻ってきて、茶業を始めたという。しかしわずか7年で紅茶作りがそんなに上手くなるとはとても思えない。恐らくは以前から何がしかのことはしていたのだろう。日月潭の、いや台湾紅茶は一般的に甘味があるが、劉さんの紅茶にはコクが感じられた。広告代理店はそんなに儲かるのだろうか。古い茶や急須の収集もかなりやっていたらしい。年代物の茶葉がテーブルに転がっていた。

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続いて、日本との繋がりを説明してくれる。大勢の日本の茶農家が、ここに紅茶作りを習いに来ている。それを仕掛けたのはコンサルタントのTさんだという。私も愛飲している熊本のKさん、宮崎のM茶房さん、八女の茶農家さん、どんどん彼らが置いていったお茶が出てきて驚く。語学のできるTさんが仲介して、これだけのネットワークができていたのには正直びっくりした。ここで学んだお茶作りがどのように九州で役に立っているのだろうか。次回は訪ねて聞いてみたい。

 

そこへ摘まれた茶葉が運び込まれてきた。突然茶葉の処理が始まってしまった。工場の奥に置かれた台の上に茶葉が並べられていく。この時は劉さんと奥さん、そして運んできたおじさんの3人がかりで手早く、茶葉を広げていた。茶作りとは本当に大変なものだ。摘まれたばかりの茶葉は生き物と同じ。

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埔里から茶旅する2016(18)昔気質の台湾人 松ちゃんに会う

 バスのチケットを買うと、先日と料金が違う。平日は25元の割引があった。バスは雨上がりできれいな夕焼けが出ている高速道路を行く。台中近くで、高速を降り、すぐに大きなターミナルに入った。もし桃園空港から埔里へ行こうとすれば、ここで乗り換えればよいらしい。何だか埔里がどんどん近い存在になってくる。このバスは充電も出来るので、とても便利に感じられる。あたりが暗くなった頃、バスは埔里の街に入った。

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7. 埔里2
松ちゃんに会う

なぜ先週も来た埔里に無理して再びやってきたのか。それは前回携帯が鳴らずに怒らせてしまった松ちゃんに会うためであった。紹介者のMさんに事の次第を報告したところ、『それはまずいな』という話になり、出来ればもう一度会いに行った方がよい、という助言を受けていた。しかも『松ちゃんの農園には温泉も付いている』などという嬉しいおまけまで付け加えられると、それは行かねばなるまい、ということになった次第だ。

 

連絡を取ってみると、何と明日から中国出張だという。それでも『ぜひ来い』と言われてしまい、この強行軍となったのである。埔里のバスターミナルに着くと、向こうから軽トラが近づいてきて、乗れ、という。この人が松ちゃんか。車は市内を抜けていく。どこへ行くのだろうか、と思っていると、そこで停まった。ここが自宅兼小規模工場だった。松ちゃんは、如何にも昔の台湾のおじさん、という感じで、矢継ぎ早に自分の話したいことを話していく。そのスピードにはとてもついて行けない。

 

私が夕飯を食べていないと知ると、奥さんがチャーハンを買ってきてくれた。そいうところも昔気質の人だ。それをぼそぼそ食べながら、松ちゃんの話を聞くと、彼は良質の烏龍茶を作っており、台湾ばかりか、中国大陸にも幾つも代理店をもって、茶葉を販売しているという。大陸の従業員も100名を超えるというから、なかなかの規模だ。しかし大陸での茶葉販売も限界に来ているらしい。松ちゃんは言わないが、習近平政権以降、大陸で高級茶葉は売れていない。それは反腐敗、汚職撲滅運動の目の敵だから、であろう。経営者として松ちゃんは少し困っているようだ。

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そしてチャーハンを食べ終わると、『どうだ、美味いだろう』と言って、お茶を淹れてくれる。このお茶、茶葉がしっかりしていて確かに美味い。私の好みの焙煎だ。その焙煎は、横の籠で焙煎されているらしい。私の好みだと告げると、突然松ちゃんが言う。『お前、俺のお茶を東京で売れ!』、え、何の話?私は必死になって、自分の茶旅について、そしてちょっとした執筆活動について、少し大げさに説明をした。が、彼は聞く耳など持っていない。『そんな茶旅なんか、いいからさ、まずは金を稼ごうよ』と譲らない。自分のお茶がどれだけ評価されているか、新聞記事などもどしどし持ってきて、突っ込んでくる。

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そして少量のサンプルを渡されて、『お前の知り合いに飲んでもらえ。飲めばわかるから』という。売る気はないのだが『それでこれはおいくら?』と問うと、『まずは興味を持つかどうかだ。値段はそれからだ』というから、ある意味で話にならない。『日本人はね、中国人のように爆買はしないよ。気に入っても買うのは50gぐらいだよ』と念を押したが、分っているのかいないのか、まあいいからとサンプルを押し付けられた。

 

『ところで今日はどこへ泊るんだ?』と聞かれて、『いや何も決めていない』というと、『それは困ったな』という。じゃあ、前回泊まった日本人経営のGHに泊まるよ、というと、『それはいい、俺が送ってやる』と親切にも車を出してくれた。確かにここから自力でGHに行けと言われても無理だったのだが。そして大体の場所まで来たので『あとは分るからここでいいよ』と言っても『いやGHまで送る』と言ってきかない。狭い道を間で入ってきて、GHの前に車をつけ、何と中まで入ってきた。

 

実はGHのオーナー、Wさんに電話すると『今日は台北にいる』という。GHにはヘルパーにMさんがいるから大丈夫、と言われていたので、入っていくと、何と松ちゃんも入ってきて、Mさんに向かって自分のお茶の良さをまくしたてる。Mさんは中国語ができないので、おろおろ。それでも構わず『日本人のお客でお茶に興味があったらぜひうちに連れてきてほしい』と名刺を出し、宣伝に努めている。通じてないよ、と言っても聞かない。松ちゃん、悪い人ではないし、お茶も悪くないのだが、なかなか日本人の企画には収まらない。

 

ようやく嵐が去ると、このGHには私とMさんしかいないことが判明。Mさんもまさかこの時間にお客があるとは思ってもおらず、『取り敢えず前回の3階の部屋へどうぞ』と言われて、そこへ収まる。さすがにお客が誰もいないという日は滅多にないようで、それでWさんも奥さんがいる台北に行っているという訳だ。何だかとんでもないところに、台風と共に飛び込んだ、というところだろうか。Mさんには本当にいい迷惑だったはずだ。

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埔里から茶旅する2016(17)製茶中の驚くような再会

彼らの茶工場は数年前に長男が茶作りをしたいということで作ったらしい。元々は坪林でも有数の茶商であり、各地の茶葉を集めてきて、相当の種類の茶を商っている。よく茶商が茶作りにも手を出したな、と言うのが率直な感想だ。前回訪ねた時には基本的に次男が対応してくれたが、彼はお茶のことより、日本酒やラーメンに興味があるようで、お茶の話はあまり出なかった。長男はストイックなのか、自ら茶作りを学び、製茶している。

 

Yさんが聞いた試飲会とは一体何だったのだろうか。結局この日のイベントは本当の製茶体験会であり、生徒は我々二人しかいなかった。さすがYさんらしい情報のとり方だ。そんなことを考えていると、次の工程、殺青に入る。茶葉を計り、笊を動かして、向かいの部屋に移動する。こちらには小型の製茶道具が揃っており、ちょっとした茶作りをするのに良い環境が整っていた。茶葉を運んでいると、そこに見学者が現れた。

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その4人組は偶然店へ行き、今なら製茶が見られるよ、と言われてやってきたらしい。上海から来たお茶関係者だという。その内の一人の女性が突然私に向かって『以前どこかであなたに会ったことがある』と言い出し、驚く。正直彼女の記憶はまるでない。人違いしているのかな、と思ったが、向こうはこちらをまじまじと見つめ、『間違いない』と言い出す。そして『えーと、福州・・・?うーん、そうだ、魏社長・・・』。彼女が思い出していく、その単語は確かに私の記憶にもあるものだった。そしてついに『福州の紅茶屋、魏さんのところで一緒になりましたね。あなた、ライターさん?』と言い出す。

 

顔は思い出せないが、確かにその時、上海から来た女性がいたような気になる。すると畳みかけるように、『一緒に呉雅真さんのところへ行きましたよ』と言う。確かに4年前、福州で有名なお茶関係者である呉さんのところに魏さんに連れて行ってもらったのも思い出した。それでも彼女の顔を思い出せないでいると、何と携帯からその時の証拠写真?まで取り出してきた。これには双方大いに驚き、『これぞ茶縁』と叫ぶ。私は旅をしていると偶にこんなことがあるが、彼女の方は初めての経験なのか、痛く興奮している。そして微信で魏さんに二人の写った写真を送り、この歴史的快挙を報告していた。すぐに魏さんからも返信があり、『なんで台湾で出会うんだ』『なんで製茶体験なんか、しているんだ』と言ってきた。自分でもどうしてだか、分らない。

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彼女は以前魏さんの上海の店を任されていたが、その後は自ら茶芸師として活動しているらしい。今回の台湾も各地の茶産地を訪問して見聞を広め、いいお茶を捜し歩く旅をしている。殺青の作業が始まると、私などよりはるかに真剣にその作業を見つめ、そして時々質問している。中台交流、というのだろうか。まあどこの国の人間かは関係ない。お茶が好きな人が集まっているのだから。殺青が終わると、横の揉捻機に茶葉が入る。そしてそれが終わると、乾燥。この乾燥機が手動でしゃれている。皆が面白がって挑戦している。昔は何でも手作業だったんだな、と改めて感じさせてくれるナイスな一品だった。

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お父さんも加わり、もう少し良い茶葉を天日で干す。工場の奥には家があり、そこにはこのお父さんのお父さん、つまりはおじいさんがいるらしい。この茶作りはある意味で、孫がおじいさんのために茶を作っているかのように、長男は一々茶葉をもって奥へ行く。そして指示を仰いでいるようだ。創業1921年と言うから年季が入っている。おじいさんは一体どんなお茶を求めているのだろうか。次男も加わり、茶作りが佳境を迎えた。

 

上海から来た一団は帰って行き、そしてランチの時間がやってきた。豆腐、粽、麺、野菜、と実に豊富な昼食だった。恐らくはさっきの一団も一緒に食べる前提で作られたと見え、その量は凄まじく多い。まあ、美味しいのでどんどん食べるが到底追い付かない。農家で食べる料理が一番美味しい、と言うのはほぼ間違いがない。食後は作り立てのお茶を飲む。我々が作った?お茶は未だ乾燥が十分ではなく、飲めないのが残念。

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埔里まで

試飲会のつもりで来たら製茶体験だったが、何となく楽しいものだった。お茶の完成までいたいと思ったが、今日はこれから台北に戻り、その足で埔里を再訪する予定になっていた。新店行のバスは2時半だったので、2時過ぎに工場を失礼して、車でバス停に送ってもらった。生徒なので学費800元を払い、乾燥が半端なままのお茶を受け取った。更に店にも寄ってもらい、前回買って好評だった焙煎の効いた包種茶を購入した。正直に言うと、私は包種茶が苦手な方だが、焙煎が効いているお茶が美味しく飲めた。私の嗜好が極端に偏っている良い例らしい。

 

新店までバスで1時間弱かかるが、1つ前のバス停も地下鉄が通っていたので、そこで降りる。小雨が降り始めていた。そこから地下鉄で中山まで戻り、ホテルで預けた荷物を引き出した頃には幸い雨も上がっていた。4時半のバスには少し時間があったので、ゆっくり歩いて駅前のバスターミナルへ。雨であれば地下道を通ればよいが、やはり地上を行く方が速い。

埔里から茶旅する2016(16)突然の製茶体験

 5月24日(火)
7. 坪林
坪林へ

翌朝は早く起きて、坪林へ行く。実は埔里にいる時、Yさんが『日曜日に坪林でコンテスト茶の試飲会があるので行きたいが、中国語ができないので代わりに電話して欲しい』と言い、Iさんが電話をした。ところが『それは火曜日に変更になった』と言われ、月曜日の夜帰国するYさんは参加できないと残念がった。そこで私とIさんが代わりに行くこととして、先方も了承していた。場所は昨年Mさんの紹介で訪れていた茶荘だったので、問題なく行ける。コンテスト茶が飲めるなら、ちょうどよい。

 

坪林へは前回、地下鉄の大坪林という駅からバスに乗った。これが速いということだったが、朝は高速が渋滞したので、それほど速いと感じなかった。更にはこの茶荘は新店から出るバスの終点の横にあるため、新店で待ち合わせて、出掛けることになった。新店から何時にバスが出るかは分っていなかったが、まあ30分に一本ぐらいはあるだろう、とたかを括っていた。

 

何となく早目に宿を出て、地下鉄に乗って終点の新店に7時過ぎには着いてしまった。待ち合わせは7時半、何気にバスの時刻表を見ると、何と7時半の次は8時半。1時間も待つのはかなわないし、9時に茶荘に着けないので、焦ってIさんにラインした。彼はちょうど7時半に駅に到着。バスは幸いそのあとすぐに来たので、事なきを得た。乗客は結構乗っている。大坪林からのバスに比べて料金がかなり安い、と言うのも要因だろうか。

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開いていない茶荘

1時間バスに乗り、坪林に到着した。8時半で少し早いとは思ったが、バス停の横なので茶荘に行く。ところが、何とシャッターが閉まっていた。9時から会があるというのに、一体どうなっているのだろうか。行けば分ると思い、電話番号すら控えていないので、どうにも連絡のしようすらない。少し待つことにして、バス停向かいの店に入り、朝ご飯を食べる。かなりのローカル店だが、お客は沢山いて、焼きそば食べたり、蛋餅を食べたりしている。バスを待つ間に食べているのか、それとも単なる朝飯か。

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お客がどんどんやってきたので、席を譲るために外へ出た。しかしまだ茶荘は開いていなかった。仕方なく、道を歩き出す。コンテスト茶と言えば、前回コンテスト入賞常連の店に行ったのを思い出した。こんなに早く開いているのか不安だったが、見に行くと、こちらはちゃんと開いている。老板を呼んでもらうと、『前にも会ったな』と何とか覚えていてくれた。ここでIさんに見せたかったのが、丸まった包種茶。

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製法も味も包種茶なのだが、なぜか高山茶のように丸まっている。老板によれば、『中国人観光客は台湾茶と言えば丸まっているもの、と思い込んでおり、味より形、丸くなければ買って行かないのでこうなった』と驚くような話をする。しかしこれは一面の真実を語っており、美味しいとか品質が良いというのと売れるというのは違うのである。勿論ある時期が来れば、飽きられて売れなくなるのであろうが、まずは売れないと次がないのであれば、売っていく。コンテストでいくら入賞しても、それほど商売に直結しない、という現実もあるらしい。

 

突然の製茶体験

お茶を飲んでいると9時を過ぎてしまった。慌てて礼を言い、店を出て、目的の店へ。今度はシャッターが空いていたので一安心。だが人はない。声を掛けると奥からお母さんが出てくる。『今日の会に参加しに来ました』というと、『ちょっと待ってね』と言って、電話を掛ける。『生徒さんが来たよ』といい、こちらを向いて、今お父さんが迎えに来るからと言う。生徒と言う言葉が引っかかったが、まあ試飲の生徒、と言う意味だろうと解釈した。お父さんは工場から来るという。では試飲会はどこで行われているのだろうか。全く理解できないが、流れに従う。

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迎えの車に乗り込み、10分ほど登ると、そこに廟があり、その横に工場があった。中に入ると、お父さんの息子、長男が待っていた。そしていきなり、茶葉はここにあるので、これから一緒に作ろうという。何だか分らないが、荷物を置いて笊を揺する。なぜこんなことをしているかも全く分からないが、長男は全く意に介さず、揺らし方などを指示している。Iさんもまじめにやり始めた。もうこのままやっていくしかない。

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揺らし終ると、製茶の工程の説明があった。室内で萎凋を続けて、それから殺青する。何だか完全に製茶体験の生徒のような気分になる。ところで試飲会はどうなったのだろうかと思ったが、外に散歩に出た。この付近には植えたばかりの可愛い茶樹が広がっているが、最近開拓したのか、野菜畑でも転作したのか、よくわからない。すぐ近くには川が流れており、遊歩道ができている。向こうからハイキングする台湾人が歩いてきた。この辺は観光地なのか、山間部なのか。

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埔里から茶旅する2016(15)天候に左右される茶作り

林さんのところで

茶工場に入ってみたが、ひっそりとしており、人影もなかった。茶葉が運び込まれる様子もなく、製茶機械が動くこともなかった。あれ、昨日は製茶していると言っていたのに、今日はどうしたんだろうか。事務所にも誰もいない。奥の方まで行くと林さんの奥さんがいて、声を掛けると林さんを呼んでくれ、眠そうな顔をした林さんが出てきた。朝方まで製茶作業をしていたらしい。これは悪いことをした。

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早速出来立ての茶を飲んでみた。いつもの年だと、この時期から東方美人の生産に入るようだが、今年は天候不順で、茶葉がままならない、という。飲んでみたお茶には香りがあったが、先年ほどのキレはなかった。林さんも大きく首を振る。疲れているように見えるのは、決して寝不足のせいだけではないことが見て取れる。茶農家とは本当に大変な仕事だと思う。自らの技術が必要だし、原料としての茶葉の善し悪し、天候、市況、どうしてこんな大変な仕事をしているのか、と尋ねたい気分だったが、林さんの顔を見ていると、聞いてはいけないような気分になる。

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ところで今日の製茶はどうなったのだろうか。実は今朝から茶摘みの予定で、摘み手の地元のおばさんたちにも依頼していたが、何と雨が降ったらしい。台北では雨はなかったと思うので、この辺の気候はかなり変化するのかもしれない。そういえば、その昔、このあたりでゴルフをする機会があったが、急に雨が降り、すぐに上がるということも記憶している。結局午前中の茶摘みは中止となり、午後様子を見て、摘むかどうか決めるらしい。それでも林さんは仮眠に入っていたようだ。天気に振り回される、これまた大変だ。

 

そこにお父さんが入ってきた。前回は最後の30分だけお話した。その時は『もう引退した。息子に任せた』と言っていたが、その後うわさを聞くと、このお父さんこそ、台湾の東方美人の作り手として有名な方だった。既に80歳を超えているが、非常に元気で、日本語も流ちょうに話す。今でも常連客のために、自らお茶を作っているらしい。台湾紅茶の歴史やこの地域の変遷など、大変楽しい話を聞く。日本の茶業の現状もよく把握されているが、『私にはよくわからないが』『私の考えでは』と必ず前振りをして話すのが、とても好ましい。

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お昼時になり、家族の食卓に自然に参加して、食べ始める。普段の食事は、ササッと食べてしまうらしい。それが農家と言うものだ。中には立って食べるのが習慣になっているところもあったが、ここでは皆が座っているだけよい。食べ終わったら、また事務所に戻り、ゆっくりとお茶を飲む。そこへ携帯が鳴る。茶摘みをするかどうかの最終判断を迫る電話だった。林さんは『Go』を出したようだ。これで茶葉が摘まれ、製茶も始まる。ということで、午後もここにいることになった。

 

ダラダラと話をしていると、お客さんが入ってきた。その男性は『近くで会議があったので寄った』という。確かに台北から車で来るのにはそれほどの時間はかからない。彼は日本にも何度も行っており、日本の茶畑にも行ってみたいという。そう、日本の茶畑、茶農家を訪ねたい、という希望は実かなり多い。台湾人や中国人だけではなく、欧米人もいる。茶業関係者は勿論、旅行者でも、日本の田舎を見たい、自然が見たいという向きに、茶園ツーリズムはとても良いと思うのだが。

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林さんはこれからの台湾茶業について、革新的な改革を進めようとしている人である。当然理解者を増やすことが必要であり、資金面も含めたサポーターも必要だ。そのような良き理解者が少しずつ増えているという。従来の台湾茶業の『高山で高品質の茶だけを作る』といった、偏った茶業では将来はない、と考えているようだ。それを改革するには日本の茶業機械を活用して、規模を大きくした農業を展開する必要があるという。さっき入ってきたお客さんも仕事は投資関係、良き理解者の一人らしい。

 

天気が急に悪くなる。茶園からも雨が降り出した、という悪い知らせが入ってきてしまった。雨に濡れた茶葉を使っても、残念ながら良い茶ができるとは思えない。かといって、ここで茶摘みを中断しても、製茶できる分量にも達していないので、摘んだ茶葉が無駄になってしまう。雨の中の作業は大変なのに、続けなければならない、という現実に、顔が曇ってしまう。結局夕方まで待ってみたが、ついに茶葉は届かず、今日製茶するかどうかも分らないので、帰ることにした。製茶作業などは全く見られなかったが、貴重な話は沢山聞けて良かった。

 

バス停まで車で送ってもらう。バスはいつ来るか分らない、と覚悟していたが、何とすぐにやってきて驚いた。来た道を帰るだけだから、緊張もなく寝入る。気が付くとすでに台北市内。地下鉄駅が見えたので、松山空港までは行かずに降りて、帰途に就く。台北もかなりの雨が降っていた。何となく腹が減ってしまい、駅近くの自助餐で早めの夕飯を取る。今や自助餐と言っても、おかずの種類が豊富で驚く。満腹で宿に帰り、シャワーを浴びて早々に寝る。

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埔里から茶旅する2016(14)月見ル君想フ

 そのまま天津街へ行き、フロントで両替したお金を支払い、手続き完了だ。部屋は狭いが機能的で、有り難い。何をするでもなく、またテレビを点けて、日本ハムの試合を見ていた。何の予定もない一日は、旅行者にとっては退屈かもしれないが、私にとっては貴重な、休息の時間だった。今日は何を食べようかな、などとフラフラ考えていると、あたりが暗くなっていく。そこへYさんからメッセージが来た。『今晩、カレー食べますか?場所は、月見ル君想フ』と書かれていたが、何のことやら、皆目見当がつかない。だがこの頃にはYさんの唐突な連絡にはだいぶん慣れており、むしろそれを面白く思えるようになっていた。

 

連絡が来たので急いで指定された場所を探す。地下鉄古亭から歩いていくらしい。7時に間に合うかどうか不安だったが、急なことだし、遅れても仕方がないと出発。前回はYさんがバイトしていた、小曼と言う茶荘にいったが、今回の場所はそこからほど近いため、土地勘はあった。店に到着するとほぼ7時、だが満員の店内にYさんの姿は見当たらない。スタッフに日本人がいたので『Yさんという人が7時に来ているはずですが』と言ってみるも、予約はない、と言われてしまう。

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携帯に電話を掛けてみたが、相変わらず出ない、まだマナーモードのままなのだろうか。FBでメッセージを打っても返事はない。どうなっているんだ、人を呼んでおいて。ふと見ると地下に繋がる階段が見えたので、そちらを降りようとすると、『地下はライブハウスで今、コンサート中です』と言われたが、構わず降りていくと、そこにようやくYさんの姿を発見した。満席だったので、下でライブでも見ていて、ということだったらしい。

 

私も中に引き込まれる。こじんまりしたスタジオでは女子2人組がしっとりとした曲を歌っていた。自己紹介を聞くと日本語では『大根脚ガールズ』と言うユニット名だ。その朴訥としたトークが静かな笑いを誘う。ここの日本人オーナーと話すと『青山で同名のライブハウスをやっているが、台北の方が面白いと思って、こちらに拠点を移してきた』という。そうだよな、東京より台北の方が面白い、または将来面白うそうだ、と言うのには、どのような政治状況であれ、同意せざるを得ない。

 

席が空いたというので、上の階に戻り、食事に入る。Yさん、Iさんの常連と、小曼の台湾人スタッフが同席した。ここの料理は、和風かな。いや、お勧めは南インド風カレーだと言われ、驚く。台北の日本人経営の店が南インド風か、注文してみるとマイルドなカレーが出てきた。インドで何度もカレーを食べたが、確かにコーチンあたりで食べたものに似ていた。そこに台北在住のYさんのお知り合い、Hさんがやってきた。Hさんは台湾人と結婚しているが、Yさんとの出会いは15年以上前だそうで、しかもライブハウスとか。ご縁と言うのは計り知れない。

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それから楽しくお話し、デザートなども食べて、日本の紅茶などを飲む。台北と言うところは、ある意味で何でもあるが、日本のものが何でもある場所だ、と言えなくもない。10時を回り、台湾人とIさんが帰っていくと、代わりに料理人Sさんがやってきた。ここのシェフとは知り合いのようで、色々と情報交換をしている。私はライターでもあるHさんと情報交換。オーナーとも日台について話す。その間にも様々な人が出入りしており、台湾人客も沢山いるのだが、日本人のたまり場的なところになっていることも分る。

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5月23日(月)
桃園へ

前日FBを何となく眺めていると、前回訪れた桃園の茶農家、林さんが『今日は製茶しているよ』と載せていたので、何となく行ってみたくなる。メッセージを送ると、明日来てもよい、という返事をもらったので急きょ行くことにした。前回は知り合いの女性、Iさんに車を運転してもらって訪ねたが、そのIさんもその後出産、子育てに忙しい。今回は自力で行ってみることにした。確かバスで行けるはずだ。

 

林さんの指示により、松山空港前まで地下鉄で行き、そこからバスに乗る。松山空港には何度も来ているが、ここからバスに乗るのは初めてで、ちょっと緊張。バスは30-40分に一本程度しかないので、乗り間違えは許されない。乗客はほとんどおらず、不安が過る。このバスは林口経由桃園空港行らしい。と言うことは、次回は桃園空港から直接、林さんのところへ行くことも可能だということだ。さすがに空港のバスターミナル、様々な行先のバスが行き交っているが、お目当てのバスはなかなか来なかった。

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それから1時間、バスに揺られていた。乗客はまばら。高速道路から林口の病院の広い道路を通り、また小さな街の小さな家を抜けていく。一体いつになったら着くのだろうか、桃園と言っても広いのだな、と実感する。ついに目印のコンビニが見えたので下車した。このコンビニだけが前回の記憶だった。そこから山道を登る。車で来た時は近く感じられたが、なだらかとはいえ、坂道を上がるのは意外と大変だった。途中は工業団地の倉庫がいくつかあり、そして小さな茶畑を横目に見ると、いよいよ目指す林さんの茶工場が見えてくる。

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埔里から茶旅する2016(13)茶荘に両替に行くと

 どうやって戻ろうかと考えていると、守衛さんが『バス停なら、この先の大きな通りにあるよ』と教えてくれた。特に急ぐわけでもないので、その助言に従った。だが、既に夜も10時半、バスは未だ走っているのだろうか。通りに出るとちょうどバスが来た。どこ行きか分らなかったが慌てて飛び乗ろうとしたが、運転手から、このバスは次が終点だぞ、と声が掛かり、すごすごとバスから降りた。そして初めてバス停の表示を見たが、よくわからない。ただもし表示が正しければ、そしてもしバスが来るのであれば、何とここから一本で、台北駅前近くまで戻れることが分かった。

 

果たしてバスは来るのだろうか。ちょっと待っているとちゃんとバスはやってきて、思う方向に進んでいく。途中からは乗客も増えていく。賑やかな夜市の横も通った。台湾鉄道松山駅の饒河街夜市だった。こんなに規模が大きいとは思いもよらなかった。ガイドブックによれば全長600m。靴が凄く安売りしているのが目を惹く。ここは食べ物だけではないらしい。ちょっとワクワクした。降りて覗いてみたかったが、このバスが今日の最終だったので諦めて次回に譲る。この付近にもホテルが沢山あるようだったので、花蓮方面に行く時など、一度ここへ泊るのもよいかもしれない。1時間近くかけて、バスは円環まで来た。あとは人気のない道を歩いてホテルに帰った。

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5月22日(日)
茶荘に両替に行くと

翌朝はゆっくり起きて、ホテルの朝食を食べた。ここにはちゃんとした食堂はなく、ロビーの奥に簡易のスペースがあり、ビュッフェ形式で提供していた。お粥とおかずを取り、サクサク食べる。このホテルの客は香港人など華僑系の人が多いように見受けられた。食後は部屋で休息。何だかとても疲れを感じていた。昼前になり、ようやく始動。取り敢えず部屋をチェックアウト、荷物を預けてホテル周辺を散歩。そしていつもの店でランチを食べる。もうこれは定番化している。

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それから天津街にある先日も泊まった宿へ行き、一番安い部屋が空いていたので、そこを押さえた。だが支払うべき台湾元がなかった。今日は日曜日で銀行は開いていない。そこで思い出したのが、20年以上前から付き合いのある茶荘。昔は出張に来るとまずこの店へ行き、両替したものだ。今は基本的に両替はやっていないが、馴染み客なら便宜を図ってくれると思い、小雨の中、林森北路を北上、歩いていく。

 

まだやっているかな、と店を覗くと、おじさんもおばさんも健在であった。だが何となく雰囲気は違っていた。店には日本人観光客が座って茶を飲んでおり、美味しいと言って、大量に茶を買っていく。彼らが去ると入れ替わるように、また3人組が入ってくる。全て日本語ガイドが連れてきているのが分る。私がゆっくり話そうとしても、お客さんは予定が詰まっているので、おばさんはお茶淹れに終始して、どんどん勧めて行き、話す暇さえない。その後も驚くほど引っ切り無しに観光客が入ってきては茶を買い、すぐに出ていく。

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しかも昔から売っている凍頂烏龍茶以外に、ジャスミン高山茶とか、黒烏龍茶とか、台湾でも聞いたことがない茶を客に飲ませている。客も茶のことが分からない人ばかりで、自分のイメージで茶を注文する。恐らくはお客ニーズ(日本人が知っているジャスミン茶と高山茶をミックスするとか)に応えた結果、生み出されたお茶を販売しているのだろう。だが、それでよいのだろうか。何となく怖い。いつの間にかこの店はガイドとつるんで商売を始めたらしい。長居は無用だったが、ようやく1時間後に両替ができて、店を出た。

 

台北駅のたまり場

そして歩いて台北駅前まで戻る。ホテルに預けた荷物を取り出し、先ほど予約したホテルに移動した。荷物を引いて台北駅の横、普段通らないところをたまたま通ってみた。すると、何やら不思議な光景が。人が集まっている店を覗き込むと、そこにいた人が発していた言葉は、恐らくはインドネシア語。店ではサテーを焼いている。メニューにも漢字はなく、何やら読めない文字がある。ここはインドネシアから出稼ぎに来ている人のたまり場ではないのか。その横にはフィリピン人らしい人もいた。台北駅のすぐ脇が、外国人労働者のたまり場と言うのは意外性がある。

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香港でも日曜日のセントラル、オフィス街をフィリピン人メイドが占拠していた。その後、インドネシアメイドは ビクトリアパークに集っていた。今や台湾も外国人労働者が底辺を支えており、香港のような状況になっている。そして日曜日である今日は週に一度の休みの日。久しぶりに母国語を話し、国の料理を食べ、ストレスを発散する場がここ、なのであろう。何となく今の台湾の裏の一面を覗き込んだような気分になる。

埔里から茶旅する2016(12)台北 夜10時に工業団地へ

5. 台北
宿探し

バスターミナルで降りて、Yさんと別れる。私は今日の宿を決めていなかった。バックパッカーらしく?駅前を歩いて宿を探してみようと思っただが、この考えは間違っていた。バックパッカーっぽい、Yさんだって、馴染みの宿をちゃんと予約していた。今どきのパッカーはネットで宿を予約するのだ。そう気が付いたときはもう遅かった。駅前のきれいなホステルに飛び込んだが『満室です』と3軒で言われ、しかも『今日は土曜日だからどこも一杯かも』と悲しい助言まであった。以前宿泊したことのある日本人経営のゲストハウスはすでに閉鎖された、と聞いていた。最近は当局の規制が厳しくなり、無許可の民泊宿がかなり姿を消したことも、満室の要因らしい。

 

雨が降っており、何となく疲労感が出てくる。駅前には立派なホテルが何軒もあるが、当然料金はかなり高い。それでもそのホテルに入りそうな誘惑にかられる。ここから移動するか、高くても妥協するか、選択を迫られた。普通ならネットで検索すればよいのだろうが、それなら最初からネット予約すればよかった、という後悔が立つので、敢えてスマホからも目を逸らした。すると急に1軒のホテルの看板が目に入った。ここはどう見ても昔ながら駅前ホテル。

 

入っていくと受付の若い女性が何とも優しい感じ。今やこういうところに泊まる客は少ないのか、部屋は開いていた。料金は私の描いていたものより少し高めだが、もう疲れてしまったので、ここに投宿。ツインの部屋でかなり広く、バスタブもある。NHKワールドプレミアも入る。台湾のケーブル放送ではちょうど日本のプロ野球をやっていた。日本ハムの試合は全試合完全中継すると書かれている。日本の台湾選手、陽岱鋼の人気は凄い。陽は福岡の高校に野球留学、そのままドラフトで日本ハムへ。二人の兄もプロ野球選手、妹はバスケの台湾代表というスポーツ一家。台東、アミ族の出身だ。

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そんなことをしていると、すぐに時間が経ってしまい、夕飯に出掛けた。今晩はさっき別れたばかりのYさんの声掛けで、料理人のSさんと昨日先に戻ったIさんと湖南料理を食べるという。Sさんは台北にある日本食の定食屋さんで腕を振るっている。久しぶりの再会である。台北駅前から地下鉄に乗り、市政府前を目指す。ところがYさんからメッセージが入っており、『お店は市政府ではなく、中山でした』と言うので慌てて、乗り換えようとしたが、実はその店の所在地は中山国中。これはだいぶ離れている。二転三転、テンヤワンヤである。

 

店は実にきれい。チェーン店で急拡大しているらしい。如何にも、という感じで、セットメニューがあり、ドリンクなどもおしゃれである。だが台湾人が湖南料理など食べるのだろうか。日本でも湖南料理は知られておらず、四川料理として経営している湖南出身の中国人が多いと聞く。因みに中華料理では一番辛いのは四川料理、と日本人は思っているが、中国人に同じ質問をすれば、ほぼ全員から湖南料理が一番辛い、という回答があるだろう。当然このお店の味付けは台湾人用になっていた。

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夜のデリバリー

楽しく食事をしていたが、時間となり、私だけ退出する。夜も9時過ぎ、どこへ行くのかと言うと、それは全く未知の場所だった。地下鉄なども通っておらずに、仕方なくタクシーを拾う。果たして辿り着けるのか、ただただ心配だった。内湖とは不便な場所であり、その中の工業団地のような場所に行くよう、指示されていた。土曜日の夜10時に工業団地、どうみてもミステリー事件の現場へ行く感覚。

 

タクシーの運転手に行き先を告げると『分った、大丈夫』と言い、快適に車を進めた。これは問題ないな、と安心したが、いざ、団地内に入ると迷ってしまったらしい。私の方が先にそのビルを見付けたが、彼は『いや、こっちだ』と言って別の方へ向かった。そして最終的に私の指したビルまで戻ることになる。『いやー、申し訳ない。老眼なんで』と言い訳したので、私も夜、文字を読むのは辛いから、と料金を支払うと、『いや、これは私のミスだ』といって、50元を返してきた。これが中国なら大もめになりそうだが、台湾の運転手は、自分のミスに対して、責任を取るんだな、と痛く感心してしまった。

 

実はなんでこんなところに来てしまったかと言うと、私が愛用しているPCが壊れてしまい、東京での修理が難しいとわかったからだ。このPCは台湾メーカーのもので、知り合いの香港人が『うちの台湾支社の人間のお兄さんがそのメーカーに勤務しており、修理できると思う』という素晴らしい話を得たので、現物を引き渡しに来た、というわけだ。ところがその紹介された女性に連絡を入れると、『この週末は台北を離れるので、会社の同僚に渡してほしい』といわれ、その会社の所在地が内湖だったということだ。因みにその人はその日、夜勤だったようだ。

 

そのビルの前から電話を入れると、その見ず知らずの男性は『あ、まだ会社に到着していないので、守衛さんに預けて』と言うではないか。携帯を守衛さんに渡して彼に事情を説明してもらい、預かってもらったが、大切なPCを簡単に預けてよかったのかどうか、あとで急に心配になる。この辺が如何にも台湾的な、いい加減さだろう。とにかくミッションは終了した。そしてポツンと、人影もない夜の工業団地に取り残された。

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埔里から茶旅する2016(11)居心地の良い埔里を去る

 マッサージが終わるとYさんが夜市に行きたいという。金曜と土曜だけやっている大きな夜市が街外れにあると聞いていたが、スマホで確認すると歩けそうだったので、歩いていく。最初は腹ごなしに良いと言って歩き始めたのだが、予想外に遠かった。折角脚マッサージで軽くなったのに、また足が重くなってくる。この街はそう大きくはないと侮ったのがいけなかった。さりとて、タクシーがその辺を頻繁に走っているようにも思えない。バスは行先が分らない。歩くしかなかった、のかもしれない。

 

30分以上あるいて、ようやく夜市に辿り着く。結構人が出ているのに驚く。兎に角腹が減ったので、何を食べるのかと思っていると、Yさんは鉄板焼きの前で止まった。夜市のステーキ、と言えば、30年以上前、初めて台湾に来た時、屋台でご馳走になったのを思い出す。懐かしい。目の前の鉄板で焼いてくれるのかと思っていたが、後ろで焼いて、出してくる。まずはキャベツともやし炒め、その後に肉がやってきた。ご飯とスープはセルフサービス。まあそれでも屋台でステーキがあるのは、台湾ぐらいかもしれず、久しぶりに昔を懐かしんだ。

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食べ終わると、その辺を歩き回る。伝統的な金魚すくいもあったが、金魚が機械の中に入っており、ガチャポンのようにお金を入れると出てきてカップで救うという、ちょっと恐ろしいものがあった。また巨大な輪投げと言うべきものもあり、ぬいぐるみなどの商品がズラッと並んでいた。今や田舎の夜市とは家族が友人がみんなで一緒に遊びに行く場所、単に食べ物を食べるだけではなく遊べる場所、として設定していないと集客できないことがよく分かった。帰りに古い夜市の前を通り過ぎたが、お客はまばらで活気がなかった。

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5月21日(土)
台北へ

翌日はだらだらしてゆっくり起きた。何だか夜中に咳き込んでしまった。意外と涼しい。風邪で引いてしまったのか。私の部屋はIさんがいなくなり、一人部屋になっていた。部屋の外にはテラスがあり、鳥のさえずりを聞きながら、ボーっとすることができた。この宿はドミトリーもあるが、個室もいくつもあり、年配者の私には嬉しい。やはりドミで若者と一緒というのは、夜中にトイレに起きるとか、クーラーが寒すぎるとか、色々と不便なことが多い。3階の部屋ではネットが繋がり難いという問題はあるが、ゲストハウスではリビングに皆が集い、情報交換したりするのには、この方が良いのかもしれない。因みにトイレとシャワーは各階にあり、これも便利だった。

 

朝ご飯はパスして、リビングでYさんが起きてくるのを待つ。宿泊客は日本人ばかりだったが、皆さん早くにチェックアウトしてしまい、ヘルパーのMさんだけがそこにいた。彼女はオーストラリアに4年住んで勉強していたとかで、日本に戻る前にここに1か月ほど滞在しているという。そいう旅の仕方もあるのか、と参考になる。面白そうな人なので色々と話したいと思ったが、今日は台北に戻ることにしていたので、あまり時間がなかった。

 

Yさんが起きてきて、バスに乗る前に食事をすることにした。今日は土曜日だからか、閉まっている店もいくつかある。Yさんは感性で動く人なので、歩いていると突然『あれが食べたい』と見付けた店に寄っていく。竹筍肉包を買い、豆乳も買い、更には麺も食べた。何だかYさんだけでなく、私も埔里の街は居心地が良い、と感じ始めていた。だがもうお別れ、旅とはそんなものだ。宿に戻り、荷物を引き取り、バスターミナルに向かう。

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12時のバスに乗ろうと思ったが、『ウエーティング』と言われてしまう。昨日のIさんも同じだったので、まあ乗れるだろうと思っていたが、土曜日のせいか、思いのほか乗客が多く、ギリギリで何とか乗り込めた。以前は5時間以上かかった台北までのバス旅、いつの間にか高速道路が完備され、3時間で着くようになっていた。それにしても台北まで385元は安い。1000円ちょっとで行けるなんて、日本では考えられない。交通費が安いというのが台湾旅で有り難いところだ。。

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バスが出発してから、我々二人はおしゃべりしていた。信号でバスが停まると運転手が、運転席からクルッと我々の方に向き直り、『皆さん、車内では静かにしてください。寝ている方もいるんですから』ときっぱり言って席に戻った。乗客は皆唖然としている。我々が日本語では話いたのがいけなかったのかと反省したが、運転手の目は一番前の老夫婦に注がれていたように見えた。だが彼らの会話も我々にはあまり聞こえないほど小声だった。一体何が気に障ったのだろうか。初めて見る光景に驚く。その後は誰も話す人がいなくなり、携帯もならず、静かに過ごした。2時間はたっぷり寝ただろうか。気が付くともう板橋を過ぎ、橋を渡ると台北だった。少し雨が降り出していた。