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茶旅の原点 福建2016(4)野生化した茶樹

野生化した茶樹

お寺の帰りに寄るところがあるという。道路沿いのガソリンスタンドで待ち合わせ。先方が車でやってきたが、人数の関係で車を変えると言い、去っていく。どこへ行くんだろうか。何でも古い、野生の茶の木があるといっているのだが。ランクルで山道を分け入っていく。道路はいいのだが、山道はきつい。かなりの急カーブ。果たしてこんなところに茶畑があるのだろうか。

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しばらく行くと、茶畑が見えてきた。きれいにそろって植えられており、比較的新しく見える。これが野生の茶樹とはとても思えない。更に行くと、山中には不釣り合いな茶工場が見え、車を降りた。そこで雨が降り始める。仕方なく、工場を見学する。かなり広い工場で、中には烏龍茶を作るための機械がワンセット、設置されていた。かなりの設備投資が行われている。福清に茶畑があり、茶が作られていることを初めて知った。

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お茶を飲みながら説明を受ける。ここは長らく、人里離れた山の中であったが、リゾート開発を行う予定で、ある不動産会社が購入し、道路整備などを行った。これからは静かな、自然の環境の中で過す、と言ったスタイルが想定されたようだが、その過程で山の中に大量の古い茶樹が発見されたという。ちょうどプーアル茶などがブームになり、古い茶樹から採れる茶葉が持てはやされていた。そこに目を付け、この茶葉を使い、お茶を作ることに方針転換したらしい。福清の茶、というのは、新鮮な感じがする。

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実際にお茶を飲んでみた。山の水が沸かされ、期待がもたれたが、お茶としては、まだ生産を開始して1-2年。焙煎が強く、これからというのが正直な感想だった。茶葉はあるが、それを如何に加工するかについては苦労しているようで、武夷山から茶師を呼び、指導してもらっているという。コストをかけているので、この茶が売れるのかどうか、価格が合うのかどうか、今後の推移を見てみたい。

 

雨が止まないので、昼ご飯をご馳走になりながら、待つ。こういう自然な環境の中で食べるご飯はなぜか美味い。腹一杯食べたが、それでも雨は止まない。仕方なく、食後の散歩を兼ねて、傘を差して、山道を行く。先ほど見た茶畑は製茶するために新たに植えたものだったが、山の中に野生茶があるというのだ。少し坂道を登っていくと、道の両脇に背の高い木が生えていた。それが茶樹だった。まさに大自然の中にいる、気持ちよい環境だった。

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雑草や他の木と混在している。真っすぐ立っている木も少なく、横に倒れかけているもの、木同士がもたれ掛かっているもの、など、まさに野生の木といった印象だった。だが、これは放棄地に見られる茶樹ではないのか。そう質問してみると、『実はここに生えている茶樹は1950年代、新中国建国以降、当時の人民公社の生産隊が植えたものだ。外貨獲得の手段として、福建省では政府の指示に基づき、いくつもの場所で植えられたが、そもそも生産効率の低い場所であり、更には文革などもあり、その後完全に廃れてしまい、放置されたようだ』との説明があった。

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もしそうであるとすれば、ここにある茶樹は、野生茶ではなく、野生化した茶、ということではないだろうか。日本や台湾でも、よく『自生』『在来』などというが、そのしっかりした定義はあるのだろうか。あったとしても一般に知られているのだろうか。中国でも同じであろう。現在の古茶樹ブームの影響で、このような放置された野生化した茶も、古茶樹として位置づけられ、売り出されていくのかもしれない。私にとっては古茶樹かどうかよりも、むしろ人民公社が植えたお茶という方がよほど興味深いのだが、それではお茶は売れないのだろう。

 

非常に足場の悪いところに生えている茶樹、しかも背が高いため、はしごをかけて摘むらしい。地元の人を雇って茶摘みをするようだが、そのコストは決して安くない。摘める量もかなり限られている。無農薬、無肥料をうたうことは可能だろうが、あとはお茶の味次第か。それよりも、この大自然の中に歴史的なお茶が植わっていることの方が観光資源かもしれない。リゾート開発で出来た道を利用して、この山の中にトレッキングなどの客を呼び込み、そこでお茶を飲ませた方が、高く売れるような気もするが、どうだろうか。

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そんなことを考えながら、山の中を後にした。大きな道路で彼らと別れ、車で福清の街に戻る。街中には大きなショッピングモールなどもあり、先ほどの大自然が懐かしくなってしまう。中国の発展は、当然ながら自然環境を破壊して成り立っていると改めて感じる。そして何よりもどこの街も同じようで特色がないのが、実に残念なことである。

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黄檗文化促進会に戻り、林会長に万福寺及び茶樹について報告し、お礼を言って別れた。彼らは大規模な日本訪問を計画しており、隠元禅師の足跡をたどるらしい。今後の活動にも注目していきたい。有り難いことに福州まで戻る私を車で送ってくれた。あっという間にさらに都会に福州が目の前に現れた。紅茶屋では魏さんが待っていてくれた。

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茶旅の原点 福建2016(3)黄檗宗万福寺へ行く

お昼の時間になっていた。ランチには数人が集まっており、福清の料理が丸テーブル一杯に出されていた。一言紹介されただけで、テーブルについている人がどこのだれかはよくわからない。皆さんも特に日本人に興味を持つわけでもなく、ただ親切に料理を進めてくれるだけ。何とも和やかなランチがゆっくりと進んでいった。今回急きょ、重要なランチがあるから来るように、との指示だったが、それは一体何だったのか、皆目見当もつかない。

 

しかしその空気を一変させることが起こる。食事も半ばになった頃、突然女性がどかどかっと入ってきて、空いている主賓席に腰を下ろした。その瞬間から、それまでの和やかなムードは無くなり、ピリッと張り詰めた空気が流れ始める。その女性は会長が私を紹介しても『歓迎します』と一言いうと、猛烈な勢いで、テーブルの上の料理を取り、口に運び始めた。それを皆がじっと見ている。

 

そして食べながら、色々なことを言い始めた。『今度博覧会を開催したらどうか』とか、『この街の歴史的な資源を活用しよう』とか。実はこの女性は街の幹部であり、ここに集まった人びとは、役人やマスコミ関係者、そして学者さんだったらしい。このような席に外国人がいてよいのかよくわからなかったが、これはどう見ても会議だった。あっという間に食事をとり、お茶を一杯飲んで彼女は風のように去って行った。今や中国のお役人もすごく忙しい。そして経済成長が鈍化した今、町興し、経済活性化、に重い使命が課せられている。

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午後は福清の歴史に詳しい先生が来られ、話を聞いた。福清は、華僑・華人の排出地であり、実に多くの福清人が海外に移住している。その地域も東南アジア各地、その他世界中に散らばっているが、とりわけ日本との関係が歴史的に深く、日本にも多くの福清人がいる。ただ日本では福清と言っても知られていないためか、福州人と名乗っているケースも多い。実際私の知り合いの福建省出身者の半数は福清人である。

 

海外でも福建出身で日本語が話せる場合、福清人である可能性が意外と高い。隠元禅師だけではなく、実に多くの福清人が日本に来ているのに、日本人はそれに気づいていない。残念なことである。台湾との関係も当然深い。前政権も台湾関係を重視し、この近くの平潭島で大規模開発を行い、台湾からの投資を誘致していたが、今はどうなのだろうか。

 

夕方になると『夕飯だよ』という声がかかる。行ってみると先ほどの丸テーブルにご老人方が座っていた。ここに入ってよいのかとためらったが、席が与えられたので、座ってみる。おじいさんたちは、元この街の幹部だった。同窓会のようにここに集まり、食事をして、茶を飲んでいるらしい。基本的に福清語で話しているので、内容はよくわからないが、どうやら現在の政策について、色々と不満を述べているように思えた。確かにこれだけ拝金主義が蔓延すれば、昔の幹部から不満が出るのは当然のことかもしれない。とても話に割って入って、意見を聞く勇気はなく、ただ黙々と福清風しゃぶしゃぶを頂きながら、様子を見ていた。こんな体験もなかなかできるものではない。この会館には実に様々な人がやってきて、面白い。

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そして何と今晩は、この会館に臨時に泊めて頂くことになった。ちゃんと上の階に宿泊施設まであり、恐れ入る。夜はお茶を飲んでいる人のグループに入れてもらったり、文化人の人から話を聞いたりして、内容の濃い勉強ができた。

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423日(土)
万福寺へ

翌朝はゆっくり起きたが、会館に人気はない。1階に降りてボーっとしていると、事務局長が降りてきて、朝ご飯を買ってきてくれた。肉まんと豆乳、そして名物の海蠣餅、実に充実した朝食。事務局長も文化人であり、単身赴任でこちらに泊まり込んでいた。朝から文化論を聞いていたが、現代中国においては、文化には政治の側面があり、また経済にも大きく関係し、そして商業化していくことを嘆いていた。ただそうでないと、過去の歴史や遺跡はどんどんなくなって行ってしまう、埋もれてしまう、と面もあり、簡単ではない。

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今日は車で隠元禅師のお寺、黄檗宗万福寺に連れて行ってもらった。福清市内から車で30分ぐらい行ったところ、幹線道路から少し入ったところにそのお寺はあった。意外と新しい雰囲気だ。ここがあの京都の万福寺と同じ名前、こちらが元々隠元禅師のいたお寺だった。唐代に創建されたが、文革で破壊されたらしい。改革開放後再建されたので新しいわけだ。

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寺院内はかなり広い敷地があり、周囲には何もなく、凄く広々とした環境は素晴らしい。しかし曇り空とはいえ、土曜日なのに、人は殆どいない。この近隣の方々は、黄檗宗を信仰しているのだろうか。何となく観光地化してしまっているのだろうか。福建省のお寺、これまで行ったところは大体朝から熱心な信者が祈りを捧げているところが多かったが、ここは少し不便だからだろうか。まあひっそりしているお寺、私は好きなのだが。

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茶旅の原点 福建2016(2)黄檗文化促進会

福州街歩き

ホテル騒動があったが、さて今日はこれからどうするのか。実は決めていなかった。知り合いの福建人から人を紹介されていたので、その内の一人と微信で連絡を取ると、『ちょうどいい。今晩会おう』と言ってくれたので、それに従う。これが中国らしくて、気ままで有り難い。ただ指定された場所はちょっと分り難かった。タクシーがなかなか捕まらず、ようやく見つけても、その場所がわからずまごまごした。

 

何とそのレストランは日本食。台湾で日本食を学んだ福建人が開いたらしい。私が会った陳さんは日本への留学経験もあり、日本食が好きなようだ。台湾的にアレンジされた日本食はまずまずだった。なぜか高校生のお嬢さんも同席している。彼女もアニメなど日本好きだという。どうやら彼が食事をとらせる役目になっていたようだ。日本から来て最初の食事が日本食とは、面白い。

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食後は三坊七巷を歩く。福州の古い街並みを再現した場所。夜はきれいにライトアップされている。ジャスミン茶の第一工場、福州茶廠というのがあった。勿論茶葉を売る店。昔のジャスミン茶作りの写真が飾られている。ジャスミン茶は福州の名産、昔ここでしか作られなかったお茶。金日成が送った記念品なども置かれており、その歴史が感じられた。

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硯や石を売る店にも入る。日本でも人気の寿山石というのはここ福州の産。実は福州から日本へは実に様々な文化が海を渡っているらしい。この街を歩き、陳さんに話を聞くと、一層それを感じる。陳さんは実は天目茶碗を扱っている。天目茶碗も福建のものだが、今や国宝級の茶碗は日本に5個あるだけ。中国にはないのである。それを今、中国で再生しようとしている。

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422日(金)
福清へ

朝はホテルの横にあるモスバーガーで食べる。ホテルの宿泊客は10元でセットが食べられるのである。ただ勿論日本のモスほどおいしいという感じはない。それからホテルの向かいにある魏さんの店、紅茶屋へ行った。魏さんとは10時に待ち合わせていたが、他の用事があり、遅れていた。お茶を飲んで待つ。このお店、中国中の紅茶を扱っており、見たことがない、珍しい紅茶もあるので楽しい。

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そこへ微信でメッセージが来た。昨晩お世話になった陳さんからだった。『今から福清に行く』というもの。実は本日午後福清を訪ねる予定だった。やはり福清出身の陳さんが車で連れて行ってくれるという有り難いお話があり、魏さんと会った後、向かう予定にしていたので、ホテルをチェックアウトして、荷物を持ってきていた。それにしてもなぜ急に?

 

実は本日お訪ねする黄檗文化促進会、お知り合いの紹介で連絡を取ったのだが、陳さんもそこのメンバーであり、会長の林さんから『ランチまでに来るように』との指示があったという。何でも重要なランチらしい。それで陳さんが急いで迎えに来てくれた。魏さんには事情を説明して、明日会うことに変更した。何とも慌ただしい出発だった。福清までは車で小1時間、高速道路で空港へ行く方向だった。

 

2.    福清
黄檗文化促進会

その建物は福清の街の外れ?にあった。高級なマンションが立ち並ぶ中に建つ会館。黄檗とは仏教の1つの宗派。我々が京都に行けば、JR奈良線の宇治駅の隣が黄檗という駅であることに気が付く。そこはこの福清の地にある黄檗宗万福寺の隠元禅師が江戸初期に日本に渡り、開いたお寺だった。隠元禅師と言えば、隠元豆の名前が残っているが、一般の日本人は殆ど知らない存在だ。

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この黄檗宗、福建省では古来信仰されてきた宗派だというが、全国区ではなかった。中国でも隠元禅師が広く知られているのかは不明だ。だが、彼は日本の江戸期に様々な文化、文物を日本にもたらした。美術・建築・印刷・煎茶・普茶料理、隠元豆・西瓜・蓮根・孟宗竹(タケノコ)・木魚などは彼がもたらしたものと言われている。お茶の関係では、煎茶の祖とも言われている。勿論今の煎茶ではないが、宇治の万福寺では年に1度、全国煎茶道大会が開かれている。

 

促進会は昨年正式に出来たばかりだという。ちょうど昨年自民党の二階氏が率いた日本の代表団3000人が北京を訪れた際、習近平主席が、この隠元禅師の話を持ち出したことから、急速にその歴史の発掘、文化の伝承などが行われ始めたらしい。まさに中国の文化は政治である。しかしその政治と経済がなければ文化や歴史は忘れ去られる、それもまた中国である。福建省での勤務の長い主席から隠元の名が得れば、地元はそれを活用して、広めていく、当然のことではあるが、我々には違和感もある。

 

ただ会館内の展示はしっかりしており、分かりやすい。そして林会長以下、皆さん、非常にまじめに取り組んでいる。発掘された茶碗の鑑定が行われている。その一方では皆さんが書画を実に自然にさらさらと書いている。こういう点では、中国の底力は凄いな、といつも感じる。文化を語ってはいても、私など、書の一つも書けないし、詩などを詠むこともできない。ましてや骨董を見る目などない。林会長は私に『これが中国の伝統的な煎茶だよ』と言って、茶葉を煮出して、淹れてくれた。煎茶とは何か、をもう一度考えてみたい。

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茶旅の原点 福建2016(1)予約しても泊まれないホテル

《福建茶旅2016》 2016421-55

 

3月のロシア、4月の雲南・ラオスと厳しい旅が続いていた。ちょっと休もうと思ったが、4月はお茶の季節。ここで休んではいけない、と誰かが囁く。それに突き動かされて、動き出す。昆明から戻った僅か6日後にはまた成田空港にいた。今回の目的地は福建。いつもならこのシーズン、安渓大坪の張さんのところへ行くのだが、今年はちょっと違っていた。

 

421日(木)
1.    福州まで

正直体はボロボロだった。疲れがたまっていた。でもまた飛行機に乗った。ちょうどマイレージが切れかけていた。全日空は成田厦門のフライトがあった。帰りは日本のゴールデンウイークだったが、特典航空券はいとも簡単に取れた。本当に中国を旅する日本人は少ないのだろう。爆買い中国人も、労働節の三連休の後は、旅に出ないのだろうか。

 

午前10時発の便に乗るためには、朝6時前に家を出なければならない。まあ東京のラッシュを避ける意味では早く出た方がよいということだろう。いつもの京王線都営新宿線アクセス特急という組み合わせにも飽きてしまい、京王線井の頭線半蔵門線京成線、という流れにしてみた。まあ荷物を持った身としては前者の方が楽ではあるが、後者もなかなか新鮮だった。

 

成田から乗ったフライトは案の定、かなり空いていた。日本人より中国人の乗客の方が多い。ビジネスクラスに乗る客など皆無だった。ANAは中国での路線拡大を続けているが、どのような意図があるのだろうか。恐らくは日本人ではなく、中国人需要を見込んでいると思われるが、その予測はどの程度当たっているのか聞いてみたい。

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厦門空港に降り立つと、ちょうど台湾から来た団体観光客とぶつかり、小さな空港はごった返していた。空港のシステムがうまくできておらず、税関検査は厳しさを増しているため、長い行列ができていた。そこで、台湾人のガイドと税関職員が激しい言い合いをしている。勿論税関職員にはサービスなどという概念はなく、居丈高な態度を取り、乗客を物のように扱っている。それに激昂する台湾人。これが中台の現状だろうか。5月には新総統が誕生し、中台の距離はますます遠くなるとみられている。

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実は私の目的地は厦門ではなかった。福州へ行くために高速鉄道に乗る必要があり、まずは空港から駅へ移動を試みる。厦門北駅行の直通バスがあるというので乗ってみた。15元。バスは市内と反対の方、橋を渡って集美を越えていく。地理を理解していなかったので、ちょっと意外な感じ。20分後には駅に到着した。そこで福州行きのチケットを買うのだが、これが相変わらずの長蛇の列。

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中国人はネット予約して、自販機に身分証を入れれば、すぐに手に入るのだが、私たちパスポート組は窓口でしか買えない。4月だというのに、ここはかなり暑い。汗だくになるが、列はなかなか進まない。華僑などのパスポート組とネットなど使わない中国人のおじさんたち。これでは切符を買うのも一苦労だ。窓口の女性も疲れているのか、大声で怒鳴っている。

 

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何とか30分後に発車するチケットを手に入れ、乗車する。高速鉄道は便利だが、いつも満員の盛況。そして皆が座席を倒すので、既に壊れて戻らないものもある。泉州などを通過して一路福州へ向かう。約2時間後、列車は福州駅に入る。福州南という駅もあるが、こちらの方が便利なようだ。

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2.    福州
ホテルに泊まれない

昨年も来た福州。その時泊まったチェーンホテルが便利だったので、今回はCtripでそこを予約しておいた。駅でタクシーを拾い、そのホテルに向かった。ホテルに入り、予約のある旨を告げたが、なかなか進まない。そしてついに『この名前で予約はありません』というではないか。そんなはずはない、とスマホで予約を調べようとしたが、その時、昔から使っているNokiaの携帯にショートメッセージが入っていることに気が付いた。

 

『酒店告知(不接外,我需核您是否持大身份入住),我一直系不上您,系』、え、一度受け付けた予約をホテル側が中国人ではない、身分証を持っていないから取り消した、という内容だった。しかも中国携帯に連絡したが、連絡できなかったとあるではないか。一体これは何なんだ!全く理解できずに思わずフロントの女性に『こんなものが来ているんですが』とメッセージを見せると、彼女も首を傾げ、『うちは外国人、泊められますよ』というではないか。

 

早速Ctripに連絡したが、何とも埒が明かない。兎に角予約は取り消された、あなたには連絡した、の一点張り。これまで何度も使ってきたが、このような対応は初めてだった。仕方がないので、フロントの女性に『どうしたらいい?』と聞くと、『Ctripの予約はキャンセルして、この場でチェックインしましょう』というではないか。それができるなら、なぜこの問題が発生しているのか益々分からなくなったが、料金を確認すると、Ctripの方が60元も安かった。この時は、中国人向け料金で外国人の予約を受け付けた不備を隠すためだと理解した。

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京都・名古屋茶旅2016(5)名古屋まで在来線で

828日(日)

翌朝、お世話になったISO茶房を離れ、京都駅へ向かう。日曜日の朝、バスもすぐにやってきて、スムーズに進む。駅に着くと、横にバス乗り場があり、名古屋へバスで行こうかと考える。だがちょうどバスは出たばかり、しかも電車より時間が掛かりそうだったので、今日は予定通り電車で向かう。名古屋での報告会に参加するためだが、主催者から『名古屋駅の新幹線口で待っています』とメッセージを頂き、『いえ、在来線で行きます』と答えていた。

 

格安旅行を旨とする私、新幹線は天敵だ。確かに速いのだが、料金が高過ぎる。名古屋まで在来線に比べて2倍以上、3000円の新幹線代がかかる。その価値があるだろうか。もう一つは在来線に乗ると様々な駅を通過していき、面白いのだ。ただ在来線で長距離を乗る場合の注意は、スイカが使えないこと。JRが勝手に決めたエリア、なるものを跨ぐと使えなくなる。そこで切符を買うことになるのだが、いつもはみどりの窓口で並んで買っていた。今回見てみたら、新幹線の切符が買える自販機で、普通乗車券をクレジットカードで買えることを発見。次回からこれにしよう。

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京都から名古屋まで、2時間ちょっとの旅だった。新快速で米原まで、瀬田、安土、彦根など、歴史的な地名が並んでいるが、通過駅になっているところもある。何となく降りて、今どうなっているのか見てみたくなる。米原から新快速を乗り継ぎ、関ケ原、清州などを通っていく。歴史好きの年配者が関が原で降りていくのを横目で見ながら羨ましかった。次回は1つずつ降りて歩く旅をしてみよう。

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3. 名古屋

定刻に名古屋駅に到着する。待ち合わせ場所はバスセンターになっていた。そこには女性が待っていてくれ、報告会会場まで連れて行ってくれるという。何とも有り難い。しかし私はそこでバスの時刻を見た。今日の夜、名古屋に泊まるのか、を決めていなかったのだが、夜10時過ぎに夜行バスがあることに気が付き、何とその切符を買ってしまった。待っていてくれた方はさぞ驚いたことだろうが、これが私の旅だった。

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名古屋には地下鉄がいくつも走っているが、会場付近はちょうどそれがないため、お迎えに来て頂いたようだ。公民館で開かれる報告会、なんとも素朴で好ましい。主催者のKさんとは、2年ぐらい前の名古屋のお茶会で知り合ったが、久しぶりの再会だった。共同主催者のTさんのお店には6月に流れ着き、興味を持っていた。こんな形で報告会が実現するとは思いもよらなかった。

 

主催者の努力で、会場は満員の盛況。有り難いことだ。私の知り合いも何人か来てくれ、懐かしい顔も見た。福建のお話で、冒頭福清のお話をしたところ、参加者の中に福清出身の女性がいたことは、彼女にとっては驚きだったようだ。お茶に詳しい方には物足りない内容だったかもしれないが、中国のお茶事情などを少しは理解して頂けたのではないだろうか。

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会が終わった後、場所を茶心居さんに移して、懇親会が開かれた。店主のTさんが自ら腕を振るい、料理が出てきた。それがタイ料理だったりベトナム料理だったり、とあまりにも多彩で驚く。何とアジアを放浪している私にちなんで、アジア各国料理を作ってくれたというのだ。この才能と経験は凄い。世の中にはこのような人がいるんだな。因みにTさんはミュージシャンでもあり、他にもたくさんの趣味を持つと聞く。

 

懇親会にも10数人が参加され、大盛況。Tさんの料理もあり、大いに盛り上がる。私は端でこっそり料理を頂き、大人しくしているつもりだったが、台湾茶のUさんと話が弾み、それをお隣の人が突っ込み、いつの間には立ち上がっての、大演説をしてしまうという失態。しかも『報告会より、こっちの方が面白い!』という有り難いお褒めの言葉までいただき、どうしてよいやら。何と次回の名古屋開催は『地獄の千本ノック』とし、参加者が自分の疑問を持ち寄り、それに私が答えるという、とても出来そうにない企画が成立してしまった。いくら与太話が好きだとは言ってもそれは無理でしょう。

 

更にはいつもお世話になっている安城のIさん、そして今や和紅茶の有名人、豊橋のGさんまで登場して、本当に驚いてしまった。名古屋というのは広いのか狭いのか。何だかとても楽しい夜を過ごすことができた。10時半のバスまで時間があるな、などと思っていたのが、いつ間にか9時半になっており、また車で駅まで送って頂いた。感謝。

 

JRの夜行バスは、先日乗った南海バスのような配慮はあまりなかった。シートは三列だが、カーテンなどはなく、単なる観光バスのように見える。日曜日の夜のせいか、待合室はめちゃ混みで座る所もない。まあ、また乗り込んで目をつぶったら朝になっていたので、何の問題もないのだが、名古屋からでも、7時間かかって新宿に着いた。京都まで行っても7時間、かなり時間調整しているのだろう。午前5時過ぎに着いたところをみても、始発電車前に到着するのを避けたようだ。

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この夜行バス、運転手は一人しかいなかった。これは現在の規定上問題ないのだろうか。私がこれまで乗った夜行で初めてだ。2人の交代運転が原則ではないのだろうか。おまけになぜか降りる時に全員から切符を回収している。スマホチケットの人もいるご時世、何のためにそんなことをしているのだろうか。そのお陰で全員が荷物のトランクが開くのを待つ羽目にもなっている。早くトランクを開けて、というと『一人しかいないんだから無理だよ』と逆切れされた。サービスの概念がなく、昔のままのやり方を踏襲している企業はいずれ滅ぶだろう。

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京都・名古屋茶旅2016(4)建仁寺から散策して

827日(土)
今日こそ建仁寺へ

昨日の反省を踏まえ、今日はちゃんとバスに乗って建仁寺を目指した。鴨川沿い、出雲阿国の像の前でバスを降り、南座の前を通り、わき道に入ると建仁寺が見えてくる。私はこの寺に来た覚えがないが、何となくスーッと入れるお寺である。建仁寺とは鎌倉初期、栄西禅師が開いたお寺。建仁とは年号が朝廷から与えられたからだという。由緒正しい。

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私がここに来た理由は1つだけ。ここに栄西禅師に関する茶碑があると聞いたからだ。本堂から少し南へ行くと、その茶碑があった。かなり立派で驚いた。栄西が中国から茶の種を持ち帰ったことを記念して平成になってから作られていた。そしてその裏には、何とその800年を記念して、平成の覆い下茶園が作られている。2度中国、宋に渡った栄西は、お茶の種を持ち帰り、自分で種を蒔いたのだろうか。一説に高山寺の明恵上人に渡したとの話もあるが、いずれにしても製茶技術を習得していたのだろうか。この記念碑はそのようなことには答えてはくれない。

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本堂などもちゃんと見学すればよかったのだが、南へ行き門から外へ出てしまった。適当に帰ろうと思ったが、そこで六波羅蜜寺という文字が目に入る。六波羅蜜寺といえば、平家の屋敷があった場所、六波羅といえば鎌倉方の六波羅探題があった場所として、歴史に名を刻んでいる。ちょっと寄ってみようと歩いていく。入口から見ると若い女性が沢山いた。なぜだろうか。観音像と共に記念写真を撮っている。奥には銭洗い弁天などもある。往時は相当の広さがあったのだろうが、今は狭い敷地である。

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更にふらふら歩いていくと、六道珍皇寺に出た。その名前だけでもワクワクする。六道とは仏教の輪廻の考えから出てくるもの。小野篁という文字も見えた。篁といえば百人一首の『わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟』で有名であるが、変わった人でもあったらしい。篁は夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという逸話があり、その井戸があったのが、この寺であったらしい。この寺には篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されているが、我々は隙間から垣間見るだけだった。

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その向こうの通りには、何人もの外国人が見えた。何だろうかと行ってみると、そこは浴衣などの和服レンタルの店。それも1店ではなく、複数の店が出ていた。これが話によく聞く外国人に人気の和服レンタルだったのか。1日、3000円で、簡単なヘアメイクもしてくれるとか。ちょうどタイ人の男女が浴衣で出てきた。その後ろには中国人。女子だけではなく、男子も和装して出てくる。確かに大賑わいだ。

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彼らの後を歩いていくと、高台寺に出た。高台寺と言えば、北政所おねの寺。更にその横を登っていくと、護国神社があった。ここには幕末の志士などが眠っているとあるが、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允などという名前が出てくると、歴史好き向けテーマパークのように見える。さすがにその墓所まで行く気にはなれず、高台寺に入る。

 

きれいな庭があった。政所茶会とか、観月茶会など、多くの茶会が開かれているらしい。一体どんな意味があるのだろうか。どうもこのような堅苦しそうな会にはご縁がない。もうこの辺まで歩いてくると、京都が如何に歴史の宝庫であるか、がよくわかる。どこを歩いていても、必ず何かの歴史にぶつかり、興味をそそられてしまうのだ。次回はゆっくり歴史散歩をしてみたいと思う。

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最後に八坂神社を通った。ちょうどそこでは結婚式が執り行われており、大勢に見物客の目の前で、踊りが行われ、神官が儀式を進めていた。これには特に外国人観光客が大興奮、全員がスマホで写真を撮りまくり、その人だかりはかなりのものだった。外国人が求めているものの一つが、日本にしかない伝統的な儀式であるとは伊勢神宮でも聞いた話だが、それはその通りだろう。

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八坂神社を出て、先ほどの鴨川沿いのバス停まで戻り、バスに乗って金閣寺へ帰った。バスにはタイ人の男性が数人乗っており、何とか金閣寺へ行こうと頑張っていたが、やはり分り難いようだ。でも運転手もそれが分っていながら、手を差し伸べようとはしない。このような観光客が一日中いるのだから、一々相手もしていられないのだろうか。一応金閣寺への行き方は教えたが、日本語ができず、漢字も読めない人にとって、観光は大変かもしれない。

 

今日も午後報告会を開いてもらった。土曜日の午後の早い時間は正直人が集まり難いと言われていたが、私の北京時代の知り合いも集まってくれ、ちょうどいい感じで会ができた。特に湖南・湖北の旅の話だったので、中国に詳しくないと難しかったかもしれない。夜もそのメンバーなどお茶とは関係ない人々で夕食を取った。折角京都に来たのだから、お茶の話だけでなく、色々な人と会い、色々な話が聞けることは私にとっては嬉しいことだ。

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京都・名古屋茶旅2016(3)素晴らしいお茶授業

京都まで

名残惜しかったが、そろそろ帰る時間になっていた。茶畑から加茂駅まで送ってくれるということだったが、広い道路へ出るとちょうどバスが通りかかる。Mさんが急いでバスを停め、乗せてくれた。田舎ならではの光景だった。ガイドさんたちと一緒に加茂駅へ行き、そこから元来たルートで京都のガイドさんと一緒に戻った。

 

ガイドさんに聞くと『最近はヨーロッパ人やアメリカ人のお客さんが凄く増えている。2008年のリーマンショックの時は誰も来なくなって失業した。2011年の東日本大震災でも大きな影響があった。今がいいからと言って、いつもいいとは限らない。実に不安定な仕事です』という。しかもプライベートでガイドを雇う人は当然要求も高いため、日々研さんを積むともいう。今日もガイド仲間で、勉強のために来た。多くの引き出しを持ち、しかも英語で説明できなければならない。難しい仕事だ。

 

京都駅まで来た時、あまりにも腹が減っていることに気が付いた。何しろ朝、サンドイッチを食べただけで、朝の6時前から動き回っていたのだ。駅でそばを食べて、何とか息を吹き返す。それにしても、茶畑見学にしては、濃い内容だった。これを毎日のようにこなしているMさんとインターン、これは大変なことだ。日本には革新が必要だが、その担い手は極めて少ない。

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京都駅前から金閣寺行バス乗り場を探す。1年前にも乗ったはずなのに、なぜか違和感がある。金閣寺行は2つのルートがあり、私が乗りたかったバスは、1つ向こうから出ることがようやく分かる。ボケが進んでいる。何とかバスに乗り込み、大きな荷物を持ち込んで席に着く。すぐにバスは満員となり、お邪魔この上ない。ちょうど時間は退勤ラッシュなのか、バスはゆっくりとしか進まない。やはり金閣寺は遠い。

 

2.京都
突然のレッスン参加

何とか懐かしいISO茶房に辿り着いた。ここは京の町屋を改造したカフェであり、その雰囲気は抜群によい。中に入るとお客さんが一人いた。私が荷物を置くと、店主のIさんが『こちらにどうぞ』という。席にはお茶のセットが用意されていた。更にはレジュメまである。何とこちらで行われている授業の補講が始まり、私も参加することになっていた。あれ?

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Iさんが作成したレジュメは相当にきめ細かい。鳳凰単叢などの説明が行われ、その成り立ちから、茶葉の内容、茶の淹れ方まで、じっくりと教えてくれる。何となく知っているつもりでも、このように基礎から説明してもらうと気が付くことも多い。勉強嫌いの私にとっては、とても良い復習の機会となった。

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ペーパー上の勉強だけではなく、実際にお茶を飲んでみることができるのもうれしい。しかもこのお茶が実に上等で、とても勉強とは思えない。Iさんは店の店主という前に単なるお茶好きとしてこの会をやっているのだろうか。『とにかくおいしいお茶が飲みたい。飲んでほしい』という思いが強く出ている。質の高い茶葉を惜しげもなく出している。

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更にはデザートとして、手作りの杏仁豆腐まで出てくる。元サラリーマンだったIさん。よくもこんなに器用に食べ物まで作れるな、と感心する。こんな講義が東京であったら、大人気になるのではないだろうか。一度は受けてみたい授業、なぞというテレビ番組のタイトルが頭に浮かぶ。しかもこの講座、卒業すれば、中国茶の資格認定もされるらしい。本格的だ。

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レッスン終了後も、お茶話で何となく盛り上がり、時間を忘れる。明日は自分の報告会があることなどすっかり忘れてしまっていた。私は午後からだが、Iさんは朝か通常営業だ。その上で報告会のためにお菓子を作ったり、忙しいはずだ。私も昨晩は夜行バスだったこともあり、シャワーを浴びてすぐに畳の部屋で、眠りに就いた。

 

826日(金)
建仁寺はどこ

翌朝はゆっくり起き上がる。Iさんはいつものように朝食の準備をしてくれた。何とも有り難い。天気が良いので、それを外のテラスで頂く贅沢。ここでモーニングなど始めれば、隠れ家的な人気が出るのではないか。まあそれではIさんの優雅な生活が壊されてしまうかもしれないが。

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午前中はお寺に行くことにした。栄西ゆかりの建仁寺を目指すことにした。何となく、ここから歩いていけば建仁寺に着くと思っていた。それで昨年竜安寺他へ向かう道を歩き始めた。昨年は10月だったが今は8月終わり。暑さが違う。すぐにバテてしまったが、何とか仁和寺まで歩いていった。だが、建仁寺はどこにあるのだろうか。ガイドブックも地図も何も持たずに歩いてきたので、途方に暮れた。どこにも表示がないのである。

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仁和寺で庭の草取りをしていたおじさんに聞いてみたが、『そんな寺、あったっけ』とつれない返事。おじさん、建仁寺は有名だよ、と言いたかったが、これ以上突っ込めず更に歩いていく。疲れてきたので、コンビニでポカリを買い、ぐっと飲む。そこの店員さんに聞くと『そんなお寺、この辺では聞いたことがない』というではないか。え、建仁寺って、京都では知られていないんだ、とがっかり。

 

そこへ奥にいた年配の女性が『建仁寺っていうのは、東山の方にあるんでは』と言ったので、初めて携帯で検索してみると、やはり祇園の方にある。何という勘違いを私はしていたのだろうか。バスで行くことはできるようだったが、行く気力はもうなかった。ふらふら歩いていくと、道を誤って昨年もやってきた妙心寺へ。ここは広い敷地に沢山の寺院があり、庭のきれいなところもあるが、その多くは拝観禁止となっている。結局歩いて戻る。疲れた。

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京都・名古屋茶旅2016(2)おぶぶ茶苑で

 突然イギリス人と遭遇

8時半過ぎにやってきたバスに乗り込んだのは私ともう一人だけ。ベンチに座っていたおばあちゃんは散歩の途中の休憩だったのだろうか。バスは平地を走り、お寺などを通り過ぎていく。その後は川沿いに少しずつ登っていく感じ。茶畑が見えてくる。和束の中心に近づき、そこを越えた。きれいな田んぼが見え、いい田舎の風景が目に入る。

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30分はかからずに目的地の東和束で降りた。他に2人の人が降りたが、どこへ行くのだろうか。指示された通り、道を歩んでいくと、和束天満宮があった。その道には何とも言えないいい風が吹いていた。そこを下るとすぐにおぶぶ茶苑の事務所があるはずだった。だがそこは普通の家、取り敢えずピンポンを押してみたが、返事はない。

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仕方なくドアに手を掛けると開いていたので、『こんにちは』と声を掛けてみた。階段から誰か降りてきた。何と異国の少女がそこに立ち、『こんにちは』と答えた。しかしそれ以上会話は進まなかった。なぜなら彼女が知っている日本語は殆どなかったから。こちらが英語に切り替えると、パッと明るくなり、『こちらにどうぞ』と言ってくれた。

 

彼女はわずか数日前にロンドンからここへ来たばかりだという。茶園のインターン、おぶぶ茶苑の話題の一つは世界中からお茶好きをインターンとして数か月、滞在させていることだった。しかしまさか本当に日本語も出来ない若い女性がここにいるとは思いもよらなかった。私が訪ねるMさんは10時にならないと来ないよ、というので、一度外へ出て、付近を散策する。

 

まずは先ほどのいい風の吹く天満宮へ行ってみた。バスの通る道路に天橋が架かり、その向こうにはご神体が見える。この付近の守り神だろうか。茶畑と何か関連があるのだろうか。誰も答えてくれない。反対側へ行くと、先ほどバスを一緒に降りた女性が熱心に祈っていた。この本殿は重要文化財に指定されており、由緒正しいところのようだ。

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きれいな、輝くばかりの水田を眺めながら歩く。お茶屋さんからほうじ茶の強い香りが流れてきた。製茶工場もあった。さすが和束。その向こうの斜面にはきれいに茶樹が植えられていた。この水田と茶畑のコントラスト、なんとも美しい。うっとりした。これが日本の茶畑の美だ、ということだろうか。お天気も最高によく、じわじわ暑さが迫ってきた。

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おぶぶ茶苑で

戻ってみるとMさんは車の掃除をしていた。『今日もお客さんが沢山来るので』と言い、準備に余念がない。その内に若者が数人やってきた。関西の大学の学生、国際交流などを勉強しているという。引率の先生かと思った女性は、何と関東の大学の教授で、インバウンドの専門家だという。あと聞くとこのT先生、著書もあり、かなり有名な方だった。彼女もおぶぶのインバウンドを取材に来たという。ここに来る人々は決してお茶関係者だけではないと知り、驚く。

 

茶園ツアーにでも行くのかと思っている私を尻目に、『ではこれから交流会を始めましょう』と言い、何と日本の大学生とインターンの外国人が畳の上のテーブルを挟んで交流が始まった。迎え撃つインターンは先ほどのイギリス人のほか、フランス人、ドイツ人など4人。会話は基本的に英語で行われる。これは面白いことになった。一方我と教授2人はMさんを囲み、おぶぶ方式についてヒアリングをする。

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おぶぶとは京都でお茶のこと。この茶苑は茶農家でもない人が、20年前和束のお茶を飲んで感動し、茶業の修行を積み、開業したという。当然茶畑もなく、販路もない。放棄地を借り受け、斬新な方法として、ネット販売を行い、結果としてそれが世界に向けて発信することになる。当時英語でお茶販売をネットするところなどなかったらしい。更には茶畑オーナー制度で支援者を増やし、同時に外国人のニーズに応えてインターン制度を実施している。

 

『世界を動かすたった一つのもの。それは情熱である』とい理念をもとに、資金もコネもない状態から進んできた事業。日本茶の需要が落ちていく中、彼らの取り組みは注目されてきた。ただ彼らのやっていることは日本政府が言うようなクールジャパンでもなく、インバウンド推進でもない。美味しいお茶を作り、それを飲んでもらう、それだけかもしれない。しかしそれを行うことは容易ではなかったはずだ。

 

横では若者同士が英語で様々な議論をしている。これこそがいまのおぶぶの姿かもしれない。ただ国際交流の場を将来の目標にするつもりもなさそうだ。全国におぶぶモデルを広げる、ということもないらしい。『この和束の環境だからこそ、このモデルは出来ている』ともいう。あっという間に3時間近くが経ち、忙しい若者たちは帰って行った。

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一息つく間もなく、次の準備が始まった。ランチを食べる暇もなく、関西の外国人向け英語観光ガイドの皆さんがやってきた。フランス人のインターンが英語で説明を始める。ガイドさんも観光客が急増、その中でも特に富裕層は、日本の特徴ある場所を訪ねたいという要求が強く、連れて行く場所を探しているらしい。日本の農村、京都の茶畑、日本茶は抹茶だけではない、そしておぶぶの取り組み、それは十分に観光資源になるとのことだった。

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ガイドさんたちはおぶぶの茶を飲むため、Mさんから淹れ方を教わっていたが、煎茶の淹れ方を初めて知った、などとの声が聞こえた。外国人に日本茶を紹介する前に、まずは日本人が日本茶を知る必要があることを痛感した。話の後、ついに車で茶畑へ連れて行ってもらった。かなり急な斜面、10にも分れた畑。横にはかぶせのネットがおかれ、茶畑オーナー制度の参加者の名前が掲げられたボードも見えた。

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京都・名古屋茶旅2016(1)和束は奈良が近かった

《京都・名古屋茶旅2016》 2016824-29

 

オリンピックが終わった。16日間は長かった。外へ出たいという気持ちが強かった。実は今年は茶旅報告会を少し多く行う予定でいた。特に東京以外で呼んで頂き、日本国内の茶旅を進めようという狙いがあった。アイドル並みに??全国ツアーに打って出ようとしている。既に札幌で4月に行い、6月には静岡でも行った。

 

京都は年に一度は行きたい場所だった。金閣寺近くのISO茶房さんには昨年もお世話になったが、またあそこへ行きたいと思っていた。そしてついに茶旅報告会を開催する運びとなった。関西での開催は初めてであり、どうなるのか見当もつかなかった。

 

824日(水)
1.    和束まで
バスタ新宿から

スリランカ繋がりのYさんから、『京都へ行くなら、おぶぶ茶苑へ行ったらどう』と声を掛けられた。この茶苑、色々なところで名前を聞いていた。連絡してみると、25日の訪問はOKとのこと。ただ午前10時に来てほしい、と言われ、電車やバスの時間を調べると、どうも朝東京を出たので間に合わない。かと言って前日京都に行くのもどうかというタイミングだったので、夜行バスに乗ることにした。3月のシベリア鉄道の旅以来、夜行、というものに恐怖感はなく、勿論日本のような快適な空間であれば、一晩ぐらい何ともないと思うようになっていた。

 

現在新宿発の夜行バスの大多数は新しくできたバスターミナル、バスタ新宿から出ているらしい。折角なので、どんなところか見学方々、バスタ発で行ってみることにした。何とか安いバスを探したが、以前乗ったような京都まで2000円、と言った価格のバスは既に無くなっていた。例のスキーバス事故以来、夜行バスに対する規制が厳しくなったに違いない。今回は和歌山行のバスに乗り、京都駅で降りることになった。

 

バスタ新宿は夜10時でも相当に混んでいた。座る席もなく、立っている人も多い。評判の悪いトイレは男子用は空いており、難なく用を済ませた。バスの発着場に行ってみると、これでもか、というぐらい頻繁にバスが出入りしており、一体どれに乗ればよいのか迷ってしまうほどだった。バス需要の大きさを改めて感じる。夏休みの終盤ということもあり、家族連れや学生の利用が多く見られた。やはり新幹線は高過ぎるのだ。このようなオプションがあることは旅人にとって大いに救いである。

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さて、私の乗るバスも出発時間ぎりぎりの23時前にようやくターミナルへ入ってきた。何人もの人が並んでいたが、満席ではなかった。私の席は3列シートの真ん中。個室のようにカーテンで仕切ることができたが、窓側の人々もカーテンをしているため、外は全く見えなかった。カーテンというより、何となく蚊帳の中にいるような気分だった。携帯の充電は出来そうだったが、差し込んでも電気は来なかった。周囲の若者は携帯電池も持ち込んでいるようで、皆構わず、スマホをいじっている。

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バスは高速を順調に走り、足柄SAで休息した。出発して僅か1時間ちょっとなので、これは運転手の休憩だと思われる。まあ一応外の空気を吸おう、ということで、トイレへ行く。ここで30分ほど停まった後はもうどこへ停まらず、一直線に走っていたようだ。私はぐっすりと眠りに就き、起きた時はもうバスが京都に入っていた。そこからが少し長く感じられたが、午前6時前、夜明けの京都駅に無事に到着した。

 

825日(木)

大雨でストップ?

朝の京都駅は清々しかった。朝日が昇るのも見え、何となくいい気分で朝を迎えた。トイレを探して入る。トイレは殆ど和式しかない(新幹線内などは洋式かも)。外国人は苦労するだろうな。それからJR奈良線を探す。何となく掲示板を見てびっくり。奈良線の後、乗り換える予定の関西本線は、大雨のため遅延しているというのだ。大雨、どこで降っているのだろうか。駅員に尋ねると『お客さんが行くところまでは動いているようです』とは言われたものの、何となく不安になる。

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そもそも、今回の目的地、京都というより、どう見ても奈良が近い。なぜ私は京都を目指して来てしまったのだろうか。悔やんでも仕方がない。まあ私の旅だ、そんなものだろう。6時台の奈良線で見慣れた景色を見ながら進む。宇治まではすでに何度も乗っている路線だった。だがそこから先は未知の世界。駅名にも山城などというのが出てきて、何となく地理を理解した。山城国とは、平城山の後ろ、という意味だったとか。やはり奈良が近い。

 

木津という駅で乗り換える。心配した関西本線、一部徐行しているようだが、加茂駅までは定刻通りだった。雨は全く降っていない。加茂駅までは一駅、8時過ぎには到着したが、バスは30分以上来ない。しかもその次のバスは2時間後。このため、10時に行くにはこのバスに乗るしかなかった。手持無沙汰で周囲を散策したが、駅付近には何もなかった。歩いて数キロ行けば、古い寺や聖武天皇が短期間遷都した恭仁宮跡(山城国分寺跡)などもあるようだ。今度時間があれば、是非行ってみたい。

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藤枝から愛知へ流れていく2016(5)醤油、みりん、そして常滑

67日(火)
醤油やみりんや

翌朝は朝からTさんが茶を淹れてくれる。お茶好きが集まると、気楽なお茶会がすぐに始まるのが嬉しい。彼は日本に20年住んでいた人で、ある意味では日本人以上に日本に詳しく、またお茶への造詣も実に深い。今はワルシャワに帰っているが、今回も日本滞在中に様々な場所を訪れ、日本を体感しようとしていた。その後は中国へも入り、お気に入りのお茶場を訪問するらしい。すごい情熱だ。

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本日彼はこの三河地方で、醤油屋さんやみりん屋さんへ行くという。面白そうなので、Iさんとともに付いていくことにした。運転はKさんという女性がやってきて担当してくれた。彼女は自然保育のような活動をしているという。『えこども=絵+子ども、エコ+子ども、笑顔+子ども。世界の素敵な人々と創造力溢れる保育』。何だか面白そう。Iさんのところには色々な人が集まってくる。

 

Tさんたちは約束の時間があるので先に出掛けていた。我々は追い掛けていく。車は碧南市というところへ入る。周囲には古めかしい家が並ぶ。事務所ではTさんと日東醸造の社長が面談していた。突然押し入る形になり恐縮。醤油屋さんと聞いていたが、出てきたのは『しろたまり』という商品。日本で醤油を名乗るには大豆を原料として使わなければならないが、こちらでは小麦を使っているので、そのような名前になっていると説明を受ける。

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製造場所が『足助』と聞いて、Iさんの目が輝く。実は寒茶作りをしている場所だったという。兎に角水がいい。空気が言い、環境が抜群だと社長もIさんも言う。木の樽で天然醸造、などと言われると、それだけですごい商品に思えてくる。是非一度足助、という場所には行ってみたい。創業1938年の老舗である、この会社のこだわりがTさんをも驚かせている。

 

続いて向かったのはみりん屋さん。道が狭く、どこから入るのか迷う。背の高い煙突が目印。明治43年創業の角谷文治郎商店。外国語ができる社員がきちんと対応してくれた。勿論Tさんは日本語堪能なので、会話は日本語だったが。三河みりんというのは、原料にしょうちゅうを使い、醸造期間も1年以上で、他のみりんとは違っている。工場を見学すると、もち米が大きな容器に入れられ、蒸されていた。

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みりんを試飲した。まるでリキュールのようにほんのり甘く、濃厚だった。リキュールグラスで飲むとその印象が一層増す。これはちょっと衝撃。製造法を聞いていても、焼酎を使って発酵を抑制するなど、何だかこの辺の商品はお茶に繋がるものがあるようにも思える。最近はみりんがマクロビに使われるなど、その効能にも注目が集まっているようだ。それは大規模大量生産ではなく、伝統製法で作られるみりんにのみ適用される。

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茶の旅で歩いている私だが、このような日本の伝統製法に触れると、その良さが実感でき、茶のみならず、その作り方、こだわりを十分に理解して、消費者としてそれを守っていく必要があると強く感じる。大量・安価な商品に流されてはいけない。Iさんのように料理が得意で、食材にもこだわりのある人だけではなく、一般人が少し昔に戻らないと、良い方向には行かない。

 

常滑

Tさんたちと別れて、車は常滑へ向かった。先日お知り合いのWさんから『ぜひ常滑へ行って』と言われたのだが、焼き物に興味があるわけでもなく、知る人もないので、当面行かないだろうと言ったばかりだったが、なんとその舌の根も乾かないうちに、常滑に連れてこられてしまった。これもご縁というのだろうか。

 

常滑へ行ったのは、焼き物を見るというよりは、ランチを食べに行ったという方が正しい。車で常滑の街を通ったが、焼き物屋さんが目立つなというぐらい。ただ聞いてみると、以前はこんなに店はなかった。特に日本茶が売れない原因の1つが急須離れだ、という意見もあり、急須の産地には打撃が大きかっただろう。確かに焼き物は売れなくなっていたのだが、努力して、店が増えて行ったのだという。確かに中国人や台湾人が日本の焼き物に関心を示しているとはよく聞くが、そういう外国人パワーのお陰なのだろうか。

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常滑屋さん、という、古民家を改造したレストランに入った。何とも雰囲気の良いお店。平日だがお昼は混んでいるようだった。ランチはハヤシライス。器がよい。ご飯ができるまで、オーナーにお話を聞く。常滑の急須を愛し、陶芸家さんを支え、育ててきた様子がよくわかる。常滑の復活?はやはり地道な努力による。そしてこれから、更に発展していけるかどうか。2階には焼き物のほか、地元の商品などが置かれており、買い物ができる。今回は心の準備がなく常滑に来てしまったので、次回はもう少し落ち着いて街歩きがしたい。

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すぐに時間は過ぎていく。車で名古屋駅まで送ってもらう。常滑は空港セントレアからもかなり近く、名古屋駅へも遠くはない。1時間程度で行くことができるので、今回は名古屋駅から新幹線で東京を目指すことにした。