「茶旅」カテゴリーアーカイブ

苦難の台北散歩2016(3)昔を懐かしむ

4.台北2
久しぶりの茶荘で

宿で少し休む。夜はTさんと会うことになっていた。Tさんとの出会いは25年前の台北。彼は駐在していた私の家を探してくれた。お互い若かったな。彼は長らく台湾にいて、それから上海へ。そして何とイスタンブール、モスクワを経て、つい最近台北に戻ってきた。何ともダイナミックなキャリアを持つ人材。東京では何度も会っていたが、台北で会うのは何とも久しぶり。

 

彼は私の宿まで来てくれた。その昔はお互い慣れ親しんだ場所だ。それから食事に出掛けた。何だか昔来たことがあるような路地裏の食堂。日本人も利用しているようだ。牡蠣と油条が美味しい。炒め物も何だか生きがいい。二人では食べ切れないほど、頼んで食べた。いいな、こんな食事。

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そして宿に戻りながら、Tさんが、『新純香へ行きましょう』という。このお茶屋さん、10年以上前はたまに行ったお店だったが、最近は完全にご無沙汰だ。Tさんは日本からお客さんが来るとここを紹介していたらしい。お店は何となくきれいに整理された感じとなっている。入っていくと、日本人観光客が何組もお茶を買うための試飲をしていた。本当に今の台湾は日本人観光客が多い。こんなに日本人を見かける海外は台湾ぐらいではないだろうか。

 

オーナーの王さんと話す。何とこのお店をずっとやっていた王さんのお母さんは4年前に亡くなったと。私はそれほど親しいわけではないが、とても残念に思う。この飲み屋街のど真ん中で何十年にも渡って店を切り盛りするのは色々と大変だっただろう。今や娘の王さんが頑張っている。このお店はお茶の種類も豊富だが、パイナップルケーキやお茶請けが美味しいと人気である。日本語で対応してくれるのも有難い。

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王さんのご主人は日本語の翻訳などもやっているということで、様々なお茶にまつわる話を紹介したいという希望を持っている。私も茶旅について 様々な国の事情についてお話した。台湾の人々はどのようなことに興味があるのか、王さん夫妻は流ちょうな日本語で教えてくれた。我々が話している間にも日本人客はどんどん入ってきて、ちょっと試飲してお茶やお菓子を買っていく。スケジュールぎっしりの旅、楽しいのだろうか。

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9月30日(金)
図書館で調べもの

翌朝は起き上がれなかった。やはり前日の疲れが重くのしかかっていた。台湾ではケーブルテレビが発達しており、その中には日本チャンネルがある。日本の最新ドラマが字幕付きで放映されている。朝ドラ『とと姉ちゃん』は日本で放映が終わったばかりだが、既にこちらでは始まっている。またスポーツチャンネルも充実しており、メジャーリーグも日本のプロ野球も見ることができる。午前中はテレビを見て休む。

 

朝ご飯も食べず、部屋からも出なかった。昼は近所に住むBさんが来てくれて、一緒に麺を食べる。昨晩も食べ過ぎでたのに、なぜか大盛を頼んでしまい、腹がパンパンになる。その後、横に移動してカフェラテを飲みながら話す。この路上にテーブルを出すコーヒー屋さん、今の台北の流行りだ。Bさんはこの5年間、様々なことに挑戦しており、更に挑戦していこうとしている。私は同じようなことの繰り返しになってきている。常に新しいことを目指すのか、一つのことをしっかりやっていくのか、迷うところだ。

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午後は珍しく国立台湾図書館へ行く。ここは5年前に一度調査に来たことがあったが、中和にある、という以外、何も覚えていなかった。調べると南勢角線永安市場駅で下車するとある。駅前に出るとおぼろげながら記憶があり、図書館までは簡単に行けた。実はこの図書館、日本時代の資料が大量に保管されている。6階にその蔵書があるというので行ってみる。

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6階には人は殆どいなかった。係りの人に、どのようにすれば閲覧できるのか、と聞くと、彼女は日本人対応に非常に慣れていて、『どのような内容をお探しですか』と聞き、テキパキと検索してくれた。そしてお茶に関する本があるコーナーまで連れて行ってくれ、台車まで出してきて、『ここに本を乗せて彼方で読んでください』と実に親切だった。私が外国人だとうことはあるだろうが、こんな親切な図書館、これまで出会ったことはない。

 

更にどうしても調べたい人物と会社を探していると、『それではこの新聞のサイトから検索しましょう。恐らくこの手のものは新聞が一番です』と言って、自ら検索してくれた。記事が見付かると、『ここを押すとプリントできますよ』と。実際の調べ物の成果は芳しくなかったが、このサービスには感心する。日本にはこんなこと、有るのだろうか。いつもは憂鬱な調べ物が、気分よくできてしまった。

 

夜は昨日のTさんと待ち合わせて、最近台北に赴任したSさんにところへ行く。宿から彼のオフィスまで歩いて20分、昔の我が家の近くを通り、昔の取引先、昔なじみの人のオフィスの脇も通り、ロイヤルホストやモスバーガーの誕生秘話?に話が及ぶ。最近の台湾しか知らない人には言っても分らないことがTさんと話すと、いくらでも広がっていくから面白い。

 

Sさんにご飯をご馳走になる。Sさんは北京時代の知り合いだが、香港にもご縁が深く、共通の話題がいくらでもある。彼が台北に来るとは思っていなかったが、恐らくはここでは彼の力が発揮されるだろう。その時にはTさんが役に立つかもしれない。何となく楽しみだ。

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苦難の台北散歩2016(2)なぜか三峡老街へ

929日(木)
2. 台北
松山空港へ

5時間ぐらいは寝ただろうか。当然周囲は明るくなり、強い日差しが窓の外に見えた。実は今日は夜まで確定した予定がない。疲れているなら、このまま寝ていてもよいと思ったのだが、まずはシムカードを手に入れる必要があるので、外へ出た。だが、宿の近くの中華電信ショップはまだ開店していなかった。

 

そもそも旅行者用の短期シムを街中のショップで売っているのかも分らなかった。どうせならいつものように空港で買おうと思い立ち、MRTで松山空港へ向かう。ところが文湖線に乗り換えたところで、なぜか電車が止まっている。何か故障があったようで、進まない。あとでニュースを見たら、この日は大混乱だったらしい。この線はいわくつきだ。

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何とか空港に辿り着き、いつものシムを買う。よくわからないのだが、102日に台湾を離れると言ったら、4日間の滞在なのに、3日間用の一番安いシムを売ってくれる。初日は無料だから、ということらしい。これは有り難いし、無駄がない。でも空港を出てMRTに戻ると、またノロノロ運転だ。

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今日はどうしようかと思ったが、今回の旅でちょっと調べてみたいことがあった。それを調べる手掛かりになるかどうかはわからないが、その昔日本時代に三井が作った茶工場が今やきれいに修繕されて、資料館として開放されているらしい。折角だからそこへ向かう。但し1つ問題があった。HPで場所を確認しても、車で来る人しか参考にならない。というか、車以外では行けないのだろうか。

 

台湾の友人に調べてもらうと、バスに乗れば近くまで行けるとの回答があった。文湖線から何とか板南線に乗り換え、最近延長された終点の頂埔駅まで行く。ここは昨年、桃園の茶農家を訪問する際、待ち合わせた駅だった。あれからもう1年が経つ。早いものだ。妊婦に運転させてしまったな。その後無事出産したようだ。

 

3. 三峡
違うバスに乗って三峡老街へ

地上に出て、バス停を探す。道の反対側にバス停があり、頻繁にバスが来ているようなので安心した。私が目指す大寮茶文館はバスで三峡区にある皇后鎮農場まで乗ってそこから歩くらしい。それにしても最近の台湾のバス停は凄い。ちゃんとバスの待ち時間が表示されている。私が乗るべきバスを探して唖然。『67分待ち』、どうするんだ?

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そこにバスが来て、数人が乗り込んだ。バスのフロントガラスには『三峡老街』という表示があった。そこへ行けば何かわかるかもしれない。やはり67分は待てない、と乗り込んでしまった。それにしてもこのバス、どちらの方向へ向かうのだろうか。普通の路線バスのように次のバス停でも停まる。どこまでいくのか。遊遊カードで15元引き落とされただけだ。

 

それから30分ぐらい乗っていると、突然古い街並みのようなものが見え、何人もが降りて行った。私はその次のバス停で突然降りた。理由はない。そのバス停の前には昭和レトロを思わせる看板を大きく掲げた食堂があった。平日の昼過ぎながら、結構客がいたので、入ってみる。

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これは完全に日本の昭和のようであり、日本統治時代を再現していた。店内には森進一のおふくろさん、が流れている。名物は昔風の排骨飯。そして魚湯。観光客相手の店だろうと思っていたが、予想よりうまい。まあ料金は普通よりは高い。今や台湾人は昔を懐かしむことが好きなようだ。

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そこから散歩してみる。この街には一体どのような歴史があるのだろうか。ちょうど歴史文物館というのがあったので入ってみた。その建物自体が歴史的建造物を利用していた。この街には清代に福建省安渓あたりから移民がかなり流入していた。そして1860年代、台湾茶が海外に輸出される段になると、イギリス商人などがここまでやってきて、茶樹を植えさせたらしい。

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安渓と言えば鉄観音の茶産地だから、ここに移住した人々にも馴染みがあったかもしれない。付近の山林の開拓が進められ、樟脳と茶が主産業になっていく。台湾茶は北部から起こった、と何度も聞いているが、この辺の歴史をもう少しきちんと知りたいなと、という気持ちが起こる。三峡茶の最盛期は清末から日本時代の終わりまでだったようだ。茶葉は川を下って、台北の大稲埕、茶葉の集積地から国外へ運ばれた。

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川沿いへ向かう。そこには立派な廟が建っていた。かなりの広さがあり、地元民も観光客も盛んにお参りしている。往時この地区がかなり栄えたという証拠かもしれない。そしてこの付近から茶葉は台北に向かったと思われる。その横から歩いて行くと、三角湧老街がある。三角湧というのが元々の地名らしい。かなりきれいに改修されており、完全に観光地化しているのはちょっと残念。並んでいるお店も観光用なので、さらさらって見て通り過ぎる。

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古い教会もある。台湾に限らないが、100年以上前に山の中まで宣教師がやってきて布教しているのは本当にすごい。三峡は藍染産業も盛んだったようで、その工場跡もきれいになり、公園になっていた。何だか疲れたので、帰ろうと思ったが、どうやって帰ればよいのだろうか。来た時に乗ったバスを探すと30分以上来ない。

 

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また少しフラフラして時間をつぶそうとすると、他のバス停から台北方面を行けるとおじいさんが教えてくれた。ちょうどバスも来たのでそちらで乗り込む。バスは高速道路を走り、あっという間に板橋に着く。ここまで30元だった。ここからMRTに乗れば、すぐに宿へ着く。

苦難の台北散歩2016(1)遅れに遅れて午前4時

【苦難の台北散歩2016】 2016928-102

 

10月に福建省に行くことになった。厦門集合ということで、今回はどこから入ろうかと悩んだが、やはり台北行が安い。そして福州まで飛び、高速鉄道で厦門へ。こんなルートで厦門へ行く日本人などいないだろう。だが、その前には大きな壁が立ちはだかった。

 

928日(水)
1. 台北まで
遅れに遅れて

先週熊本で台風直撃の中、辛くも脱出したばかりだったが、何と昨日は台風が台湾を直撃した。心底思った。『今日ではなくてよかった』と。だが台風の余波はさすがに今日のフライトにも影響を及ぼしていた。桃園空港が混乱しているらしい。確かに前日全便欠航したのであれば、多少の遅れはやむを得ない。

 

今回は安さでシンガポール系のタイガーエアーを選んだ。前回は同じシンガポール系LCCで大失敗しているので、ちょっと不安もあったが、前日夜遅く、翌日のフライト時間変更の連絡があった。11:40発が17:50発と、実に6時間遅れていたが、それでも連絡があれば空港で待たなくてよい。

 

そして当日15時に成田空港に着いてチェックインカウンターへ行くと、ちゃんとチェックインが開始されていたのでホッとした。かなり長い行列が出てきているのも悪くない。カウンターのスタッフを見ていると、実に多彩な顔が見えた。日本人もいるが、韓国人、シンガポール人などが、日本語、英語などを駆使して対応している。一瞬ここは成田か、と疑いたくなるほど。

 

だが、その説明を聞いて驚いた。17:50発の予定が、20:40に変更になったというのだ。都合6時間近く、空港で待たなければならない。彼女らはかなり上手に乗客に説明し、特に文句を言う人もいなかった。LCCだから、台風だから、多少の不便は仕方がない、と皆割り切っているのだ。私も右に倣って大人しくチェックインしたが、何と17時過ぎまでは出国審査も受けられないというから、ビックリだ。これがLCCというものだろう。

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仕方なく、展望デッキへ向かう。これまで何十回と成田空港には来たが、デッキに行くのは初めてだった。飛行機を見ようとしたが、金網が遮っており、あまりよく見えない。ネットの繋がりもここは今一つ。そして何と雨がぱらつく。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。本当に仕方なく、2階の土産物屋を覗く。本屋でも時間をつぶす。

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そして17時過ぎに出国し、席を探して座る。テレビが設置されており、娯楽番組を放送している。くだらないとは思いながら、こういう時はこのような番組をダラダラ見ているのが一番良い。何と3時間も見ていたと思う。そして20時過ぎに、ボードを見に行くと、何と何と、またディレーしている。出発は21:20。桃園空港の混乱は想像以上のようだ。

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ついにコールがあり、飛行機に乗り込んだのは、21時前。疲れ切り、諦めきって乗る。フライトは満員だ。台湾人の方が多い。中にはシンガポールまで乗り継ぐ人もいるのだろうか。私は席に着くと目をつぶる。起き上がるともう着陸態勢にあった。一体今は何時だろうか。果たして台北市内までどうやって行くのだろうか。

 

市内まで

飛行機を降りたのは午前0時半だった。この時間でも結構人がいるのは空港混乱の余波だろう。入国は簡単に済んだが、荷物が出てくるのに時間が掛かった。これも仕方がないだろう。いつもなら両替して、それからSIMカードを買って。だが、もう開いている時間ではない。

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まずは台北市内までのルートを確保する必要がある。いつものバス乗り場へ行くと、簡単にチケットは買えた。深夜でもバスは動いているのだと安心したが、その列の長さに唖然とした。どこが最後尾か分らない。並んでいた台湾人に聞いたら、彼も分らないながら並んでいるという。ちょっと面白くなってしまった。疲れすぎて頭がボーっとしていたからかもしれない。普通ならタクシーを探すだろうに、なぜか列に並んだ。

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当然これだけの列だから、すぐにバスは来ると思った。確かにバスは来たが、乗車人数が限られている。高速走行なので立っていくことはできない。2台目が来ても列は少ししか動かない。3台目が来るま45分はかかった。だが誰一人列を見限るでもなく、勿論不平もない。空港はWi-Fiが完備しているので、皆スマホに目を落としている。どうやら日本の野球、パリーグは日本ハムが優勝したらしい。ハムには台湾のスター、陽岱鋼が所属しており、台湾でも人気があるチームだったので、皆喜んでいるようだ。

 

私がバスに乗れたのは6台目、何と午前250分だった。ずっと立ったままで約2時間、よくも待っていたものだ。それでも私の後ろにはさらに大勢の人が待っている。バス職員が『昨日から2晩徹夜だよ』という声を聴いて、大変なのは我々だけでないと分かる。このターミナルに降りるお客はLCCで来た人が多いから、タクシーには乗らず、安いバスを待っていたのだろうか。何しろバス代は125元だが、タクシー代はその10倍はする。

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午前340分、台北駅に到着。荷物を受け取り、それを引いて、夜明け前の車も殆ど走っていない通りを歩いて行く。午前4時前、ついに予約していた定宿に着いた。ドアは閉まっていたが、中のソファーにおじさんが寝ており、鍵をくれた。何だか目がさえてなかなか眠れなかった。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(5)台風で突然熊本城へ

919日(月)
熊本へ

翌朝、五ヶ瀬は靄っていた。折角の景色もよく見えない。取り敢えず朝ご飯を食べる。納豆やノリでまたご飯を沢山食べてしまう。九州の米ではなく、山口の美味しいコメだったらしい。これは太るしかない。そして今回、1つの決断をしていた。今日はY夫妻と別れて、一人宮崎市に向かうはずだったが、何と台風が接近していた。このまま宮崎に行くには、バスで延岡へ出なければならない。

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だがそのバスに乗るための足さえも確保できていないし、更には宮崎まで行けても、そこに台風が直撃する予報となっていたので、行くのを諦めた。宮崎ではお知り合いと会う予定だったが、昨晩急きょキャンセルした。何とも申し訳ない。そしてネットで熊本空港から成田へ行くフライトを予約した。そのフライトは夜の7時だったため、熊本経由で福岡へ戻るY夫妻の車にそのまま便乗することになった。

 

五ヶ瀬の周りももう少し歩いて見たかったが、雨も降り出し、出発時間もあったので、次回に譲る。車は一路熊本市へ向かった。私には地理の知識がなかったのだが、五ヶ瀬から宮崎市へ行くより、熊本市へ行く方が近いというのだ。熊本と言えば、昨日一つの疑問をMさんにぶつけてみていた。佐賀のOさんが言っていた、九州紅茶の祖、可徳乾三について、知っていることはないかと。すると彼はすぐに電話を入れた。相手は山鹿のFさんという茶農家だった。

 

『熊本に行くことがあったら、寄ってみたら』と言われた。山鹿と言えば、明治初期に茶業伝習所が開設されたまさにその場所だった。Fさんはその伝統を受け継ぎ、山鹿紅茶を作っているらしい。実に興味深かったが、山鹿がどこにあるかもわからなかった。結局今回は電話で、ヒアリングしたが、可徳についての情報は知りうる以上には出て来なかった。歴史というのは埋もれてしまうものだろうか。これからは気に留めて調べて行こう。

 

4.熊本
震災の街

車に揺られること、約2時間で熊本市内に入った。真っすぐ熊本城へ向かう。雨のせいか、3連休ながら、車はそれほど多くはなかった。駐車場のトイレの屋根瓦が崩れ落ちていた。数日前にたまたまNHKのテレビで見た熊本城、その崩れているところを生で見ると、その感じ方は全然違っている。きれいに崩れている訳がなかった。勿論立ち入りも出来ない。加藤清正の像はビクともしていないが、城は壊滅的な状況だ。

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お昼を食べに行く。Y夫妻は最初から帰りに熊本で食べる物を決めていたので、それに従う。アーケードにある中華料理へ向かう。ここにご当地グルメ、たいぴんえん(太平燕)がある。12時前でもすでに何人もが並んで待っている。太平燕は元々福州料理だったが、明治期に熊本に入り、春雨スープにちゃんぽんの具材が載っている感じだった。セットメニューとして酢豚が付いたが、これをスーバイコウと呼んでいる。なぜだろうか。日本の中華料理屋は時々理解できないことがある。

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更に重たくなったお腹を抱えて、次に進む。どうしても食べたいアップルパイがあるという。南阿蘇産のリンゴが詰まったパイは確かにうまかった。ただ腹が破裂しそうになる。女子はスイーツは別腹というが、私の腹は1つだった。苦しい!また熊本城付近に戻り、お土産にいきなり団子を買う。そして車で熊本駅まで送ってもらい、Y夫妻と別れた。今回は本当に最後までお世話を掛けた。感謝。

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後は熊本空港に行くだけだったが、時間がかなりあったので、もう一度熊本市内を歩くことにした。荷物をコインロッカーに預ける。ちょうど雨も止んでいたので、市電に乗らず、熊本城を目指して歩く。古い街並みが所々に残っていたが、その古い建物がいくつも崩れていた。お墓も倒れていた。震災から5か月が経っており、基本的には平静だが、一度崩れたものは元には戻らない。ゆっくり歩いて見ると、どうしても目につく。

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結局歩いて駅まで戻り、バスで空港に向かった。バスは30分ぐらいで空港に着いたが、私が乗るジェットスターだけ、チェックインカウンターが離れていた。そしてそこへ行くと『台風が近づいているので、大幅な遅延または結構の可能性がありますが、よろしいですか?』と聞かれる。宜しい訳がないが、他に手立てはない。もし本当に飛ばなかったら、自分で宿を確保するのだろうか。かなり不安になる。

 

この頃から雨脚が強くなり、フライトが飛んでこなくなる。飛んでこなければ、こちらからの出発もない。JALANAもフライトは遅れていた。我がLCCの前途は暗い。昨晩予約した時は、宮崎の方へ上陸すると言っていたはずなのになぜ。後悔先に立たず。あとは祈るのみ。6時を過ぎると、急に飛行機が飛んで来るようになった。台風は既に鹿児島に上陸しているとニュースが伝えていたが、なぜか熊本空港への影響は少ないようだった。ついに我がフライトも飛んできた。そして僅か15分遅れただけで奇跡的に熊本を離れた。飛行機が飛びあがると目をつむり、起きた時は成田だった。今回は幸運だったのか、それとも不運だったのか。いずれにしても、それが私の旅だった。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(4)五ヶ瀬の釜炒り茶

駐車場から階段を下りていくと、そこには何とも雄大な景色が見られた。川がかなりの速さで流れ、岩がごつごつとしており、樹木が鬱蒼と生い茂っている。紅葉のシーズンなどはさぞやきれいだろう。今や中国にはこのような風景は見られないような気がする。いや、日本だって、早々あるものではない。雨で濡れる道に足を取られそうになりながら、その眺めを堪能した。

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「天孫降臨とは、日本神話。邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大神の命を受けて葦原の中つ国を治めるために高天原から日向国の高千穂峰へ天降ったこと」を指すようだが、それが実話なのかどうか、そしてこの降りた場所が、現在の高千穂町であるとは確定できないようだ。それでも日本史がここから始まったかもしれないことに、ちょっと感慨があるのはなぜだろうか。

 

ちょうど昼時になり、腹が減ってきたので、駐車場付近に戻り、空いている店に入る。そばと地鶏のセットを食べる。まあ、観光地の昼ごはんだが、地鶏は歯ごたえがあった。それから高千穂を出て、今日の目的地、五ヶ瀬へ向かう。車で僅か15分位だが、これがバスに乗ろうとするとほとんどないので大変だ。実は明日宮崎市へ向かう予定で、ここからバスに乗る算段をしていた。

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五ヶ瀬の釜炒り茶

Y夫妻は昨年も五ヶ瀬に来たという。それは単なる旅だったが、宿で飲んだお茶があまりに美味しかったため、その生産者を急きょ訪ねたというのだ。それが今日訪問するM茶房だった。五ヶ瀬の役場を通過したところ、横断幕にM茶房が全国茶品評会で農林水産大臣賞を受賞したと書かれていた。この付近ではとくに有名な茶農家だと分かる。かなり平たい場所に茶畑が広がっていた。

 

忙しいとのことだったが、Mさんは待っていてくれた。聞けば、午前は四国から阿波晩茶の生産者さんや研究者の方が来られていたらしい。私が昨年3月に四国の後発酵茶を回ったことを話すと『それなら午前中から来てもらえばよかった』と残念がる。役所に就職して、週末にお茶作りをしている青年も一緒にいた。Yさんが言う、『M茶房には色んな人が出入りしている』というのは本当だ。それはMさんの魅力が大きいのだろう。

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M茶房は昭和の初期に茶作りを始めた。こちらでは農薬や化学肥料は一切使わず、30年以上やってきたという。Mさんは4代目。基本的に緑茶、それも釜炒り茶に力を入れてきた。日本では珍しい。高度成長期に皆が蒸し製の煎茶に切り替えた時に、ここだけは昔のままの作り方が残ったという。釜炒りというと、佐賀の嬉野が有名だが、一昨年訪問してみると、もう釜炒りしている農家は殆どなかった。日本に釜炒りが初めて持ち込まれた場所としては有名だが、生産現場は既に違っていた。

 

茶畑をゆっくり見学した。ちょうど小雨が上がり、フラフラ見て回る。標高700m程度の場所に、色々な品種が植えられており、平たい土地ばかりではなく、斜面もあった。平地の茶樹は密集しており、傾斜地の茶畑は美しかった。無農薬なので草取りが大変だという。茶工場もかなりの規模があり、古い製茶道具も置かれており、歴史が感じられる。手前に販売所、奥に試飲室があった。その試飲室に入り、実に沢山のお茶を一気に飲ませてもらった。

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こちらも持参した茶葉を出して、一緒に試飲してみる。茶農家は他の人が作った茶を飲む機会が多いとは言えず、このような場で比較してみるのは面白い。釜炒り茶だけではなく、紅茶も作られていた。昨日訪問した熊本のKさんのお茶にも興味を持っていた。『今年はKさんのところを回ってここにくるお客さんが多い』というのだ。国産紅茶への関心の高まりがそうさせるのだろうか。

 

M茶房では、日々ここで様々なお茶にトライしている。釜炒り茶、紅茶だけでなく、ほうじ茶、烏龍茶まで作っている。一見飄々としたMさんだが、そこに独特の感性があるように思える。そうでなければ、数多くの賞を受賞することなどできないだろう。ただそれがどこにあるのか、外見や話からでは分からない。そして日々の活動を見ないと、何も出てこないようだ。ただただ楽しい日々と過ごした。

 

山の民宿

天気は今にも雨が降りそうだ。M茶房を辞して、すぐ近くにある民宿へ移動する。今日は三連休の中日、Y夫妻が昨年宿泊した農家民宿は予約が取れずに、観光案内に紹介されたこの宿に泊まることになった。何だかちょっとロッジ風。雰囲気がよい。ベッドの部屋と畳の部屋があるようだが、私は一人で畳の部屋に入る。窓から外を眺めると山のいい景色が見えた。それだけで満足。

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外に出て茶畑の写真を撮る。遠くにワイナリーが見える。ここ五ヶ瀬ではブドウが採れ、ワインの製造もしているらしい。高原野菜も美味しそうだ。雨が止んでいたので、そのまま付近を散歩した。予想以上に茶畑があり、その風景は美しい。そして夕飯は豪華。刺身、山の焼き魚、そして和牛まで登場した。宿泊代はそれほど高くないのに、こんなに立派な夕飯でよいのだろうか。昨日、本日の反省をしながら、楽しく夕飯を頂き、そのまま話し込む。10時近くにやっと引き上げたが、それまで片づけを待ってくれていた宿の人には申し訳なかった。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(3)芦北紅茶から天孫降臨の地へ

熊本にはいくつか茶産地があるようだが、ここ芦北で茶作りをしているところは少ないという。一般的にはお茶が活況を呈した、高度成長期の昭和30年代から茶生産が増え、その後のバブル崩壊で、徐々に無くなっていったようだ。お茶も商品作物である。Kさんのところに60年ぐらい前の茶畑もあり、以前より茶作りを行っていたようだが、紅茶を作り始めたのは最近のことらしい。『ここの茶葉が紅茶に合うと言われたんで』というが、それだけでは茶は出来まい。実は5月に台湾の魚池を訪れた時、ある人からKさんの名前が出ていた。ちゃんと台湾に紅茶作りの修行に行き、その成果が着実に出ている。

 

Kさんは若くは見えるが、すでにお孫さんが3人もいるという。それでも日々のチャレンジを忘れない。それは簡単にはできないことだ。こちらの茶畑は3つに分かれているらしい。比較的最近植えた茶畑、数十年前に植えた在来、そして自生茶畑。べにふうきの他、釜炒り緑茶を作る品種で紅茶も作っているという。農薬などは使っていない。飲ませて頂くと、キレがある。従来多くの国産紅茶は何となくボヤーっとした印象があったが、このお茶はとてもすっきりしていて良い。緑茶の釜入り作りと何か関連があるのだろうか。

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春の熊本地震、ここ芦北は震源地から遠くないとのことだったが、幸い被害は軽微だったらしい。実は熊本震災復興支援の一環として、紅葉さんの呼びかけで、この芦北紅茶を売り、募金をしたのも思い出す。正直私は、復興支援の募金というものをあまり好まないが、この紅茶に関しては、自分で飲んでおいしいと思ったから人にも勧め、その人々が美味しいと思って紅茶を買い、合わせて募金にも応じてくれた。ただ言葉に釣られて募金箱にお金を入れるのではない、良いものを味わい、その地を少しでも理解しようとすることが大切だと思う。

 

奥様もフルーツやお菓子を出して頂き、会話に加わっていたが、帰る時には姿が見えなかった。何と高熱を出していたという。そんな時に押しかけてしまい、何とも申し訳ない。『これまでの国産紅茶のイメージが変わった』と、同行したY夫妻も、Kさん宅で頂いたお茶にいたく感激していた。Kさんのお父様とも少しお話することができた。一家で茶作りを行っている様子がよく分かった。

 

家の奥にある茶工場も拝見した。古い、既に使っていない器具も散見され、昔ながらの懐かしい雰囲気があった。その中で紅茶作りの道具もそろっていた。家の周囲は田んぼや畑があり、また神社なども見える。また車に乗り、別の茶畑を見に行く。こちらは山を登って行き、その途中にあった。斜面に茶樹が株で生えていた。何だか、台湾の阿里山で見た、昔の茶畑を思い出す。もっと木が大きければダージリンにもあるかもしれない風景だった。この茶樹が自生かどうかは正直分からないが、貴重な茶畑であることには間違いがない。産量が少なく、手間もかかるだろうが、保存して欲しいと思う。

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八代で

名残は尽きなかったが、Kさんとお別れして、八代へ向かう。明日の宮崎行に備えて、今晩は八代に泊まることになっていた。少し雨が降り出した。茶畑を見る時に降らなくてよかった。1時間もかからずに車は八代市内に入った。ビジネスホテルはYさんが予約してくれたが、連休でかなり混んでいたらしい。八代に何があるのだろうか。八代城跡という表示が見えたが、既に暗くなっており、観光は出来ない。

 

雨が降る中、夕飯に向かう。ホテルでお勧めの場所を聞いてもらったが、アーケードがある場所がよいということで傘を差して歩いて行く。グルメに興味がない私だが、今回はY夫人がいるのでお任せ。『八代と言えば辛子蓮根』だそうだ。ところが人通りは少ないのに、お店は結構満員だ。地元の人なのか、それとも周辺から食事に来た人なのだろうか。居酒屋に入ると子連れも多かった。新鮮なお刺身を頂き、更に馬刺しも出てくる。熊本は海の幸と山の幸の両方が楽しめる場所ということだった。ただお客の数と店員の数がどう見てもマッチしておらず、オーダーしてもなかなか来ないのは難点。その夜は早々にホテルに引き上げ、ぐっすり眠る。

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918日(日)
3.五ヶ瀬

高千穂へ

翌日は睡眠十分で起き上がる。特に朝ご飯も食べずにダラダラして、9時半に出発。車は何となく内陸部へ入っていく、という感じでスイスイと進んでいく。そして最終的にはかなりの山道を登って行った。2時間後、高千穂に着いた。そもそも今回の旅はお茶の旅だったが、私も一度は行ってみたいと思っていた、天孫降臨の地。雨にもかかわらず、ここには沢山の観光客が訪れていた。中国語も沢山聞こえてくる。彼らは何を求めてここに来ているのだろうか。日本の歴史に興味があるのか、日本の始まりを見ようというのか。恐らくはそうではなく、この自然の風景を単に見に来ているだけだろう。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(2)佐賀から芦北へ

Oさんは国産紅茶の第一人者であり、最近とみに有名になってきている。話は流れの中で日本の茶業、特に紅茶の将来についてなど、現実的な話題になってしまう。国産紅茶のブームの兆しがあるのは間違いないが、果たしてその流れにきちんと乗れるのか、品質が伴う紅茶が供給されるのかなど、問題は色々とあるようだ。そして紅茶の歴史についてももう少しきちんと見返すべきという。何故明治以降紅茶が作られ、そして廃れて行ったのか。

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静岡で多田元吉翁が日本紅茶の祖と言われているが、九州にはその多田翁から指導を受けた可徳乾三という人がいたらしい。彼の歴史を聞くと、中国武漢に製茶修行に行き、ウラジオストックで日本茶を売り、最後は台湾で製茶技師、そして茶荘を開いていたらしい。こんなダイナミックな動きをした人が明治期にいたとは、意外だ。興味を持ったが、その歴史はトンと分からない。因みに九州、熊本は明治初期に紅茶作りのために最初に伝習所が作られ、中国人講師が招かれた場所である。

 

Oさんは多彩な才能を持ち、地元ラジオ局に定期的に出演している。最近は東京などへの出張も多くなり、ラジオの収録をまとめてやらねばならない。それがちょうど今日だということで、2時間ほど話して出掛けて行く。2年前に初めて会った時から考えれば、相当に忙しい人になっている。彼がいなくなったお店を眺め、いくつかのお茶を買い求めた。ただ国産紅茶は1つもなかった。自分のセレクションながら、紅茶の店に来てなんだそれは?

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帰り道、この街に溢れている恵比寿像を眺めながら歩く。様々な恵比寿さんが、その辺にパラッと鎮座しているから面白い。その数約800体で日本一らしい。こんなに恵比寿さんがある所は他にあるのだろうか。どうしてそんなにあるのだろうか。雨が降り出した。腹が減ったので駅の近くでちゃんぽんを食べた。昨年はちゃんぽんを食べに30分も歩いたのだが、今回は安直。中華屋のちゃんぽんは、何となくタンメンを連想させる。ちょっと疲れていたので、早目に寝て明日に備える。

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917日(土)
鳥栖から

翌朝は早く起きて、ホテルで朝食を食べる。和食中心の場合、朝から思いっきり食べてしまって困る。生卵をご飯にかけるし、味噌汁をお替りする。宿をチェックアウトするも、腹がパンパンで動きにくい。駅へ行き、鳥栖行の電車に乗る。途中に吉野ケ里公園が見えてくる。未だに行く機会がない。歴史好きとしてはどうしても行くべき場所だ。次回は何としても時間を作ろう。

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今日は鳥栖駅でY夫妻を待ち合わせ。鳥栖までは近いので問題ないと思っていたが、下車してから待ち合わせ場所がわからない。駅前にはJ1サガン鳥栖のホームスタジアムがある。その前に車が待っていた。Y夫が車を運転してくれる。有り難い。Y夫妻とは北京で知り合い、その後も何度も会っているが、一緒に旅に出るのは初めてだ。車は一路熊本へ向かって動き出す。私は地理が全然頭に入っていない。途中でサービスエリアに入ったが、何とトイレがあるだけだった。こんなシンプルなSAは初めて見た。

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煙突から煙が出ている場所も通った。ここが水俣か。今日は天気が非常によく、空も青いが、その昔は水俣病など公害で有名だった。また途中で今年の春に起こった熊本地震の影響があり、道路が片道走行、かなりの渋滞になっていた。今日は三連休の初日、やはり普段より車は多いのだろう。芦北インターまで3時間ほどかかって到着した。本日お訪ねするKさんが『デコポンで待っています』というので向かう!

 

2.熊本
芦北紅茶

デコポンとはJAのスーパーのようなところだった。Kさんは随分早くからここに来て待っていてくれたようだ。誠に申し訳ない。更に移動して、近くの大野温泉へ行った。ここは道の駅と書かれている。温泉はあるのだろうか。天井の高い建物の中に入り、そこでお昼を頂いた。地元で採れた野菜などを使い、かなり多彩なヘルシー料理が並んでいた。お母さんの家庭料理、という感じで、とても美味しく頂いた。炊き込みご飯と汁はお替りした。地方ではこんな食事が特に嬉しい。

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この施設の脇には茶畑が見えた。食後、すぐにそこへ行ってみる。かなりきつい傾斜だ。そして半分は茶畑が無くなっている。『昨年の台風で崩れてしまった』ようだ。横の林も樹木がなぎ倒れたままだった。台風の猛威が想像できる。そしてこのような場所にある茶畑の厳しさにも出会う。横の平地にはきれいな水田、稲が植わっていた。素晴らしい水田と破壊された茶畑の対比が凄まじい。

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Kさんのお宅へ伺った。実は昨年下田で行われた地紅茶サミットでご挨拶し、FBでお友達にはなっていたが、ちゃんとお話を聞くのは初めてだった。そんな関係でも快く受け入れて頂き、感謝の言葉もない。そしてKさんの芦北紅茶は昨日行った佐賀の紅葉さんで初めて飲んで驚いたお茶だったのだ。これまでの日本の紅茶にはない、独特のうまみがあり、これなら世界でも通用するのではないか、と思えるものだった。一体どのようなところでどのように作られているのか知りたくて、宮崎に行く前に今回の訪問となった。

ようやく熊本・宮崎茶旅2016(1)なぜかまた佐賀へ

《ようやく熊本・宮崎茶旅2016》  2016916-19

 

九州には1年に一度は行きたいと思っている。やはり博多は便利で飯が美味い。今年も行くぞと、お知り合いのYさんに連絡したところ、『一緒に宮崎にお茶を見に行きましょう』と返され、それに乗ってしまった。福岡までくれば後は車に乗せて連れて行ってくれるという。やはり車がないと動けないので有り難い。まずは博多で飯を食い、それから宮崎、楽しみだった。実は昨年も南九州の茶旅を計画していたが、直前に台風が来て断念した。それでも博多には寄れたので、水炊きを食べた、良い思い出がある。

 

今年は旅が続いており、直前もマレーシアに行っていた。福岡までどのようなルートで行くか、頭には描いていたが、チケットを取っていなかった。するとなんと、とても高い。考えてみれば3連休に行くのだ。高いに決まっている。それでも色々と足搔いていたところ、何と福岡でなく、佐賀へ連休前日に飛べば安いことが分かった。しかもY夫妻が住む場所からは福岡でも佐賀で等距離らしい。それなら今回は佐賀だ、ということで潔く博多飯を放棄した。

 

916日(金)
1.佐賀
佐賀まで

その日は朝、いつものように成田へ向かったが、なぜかボーっとしていて電車を乗り違え、京成高砂駅に来てしまった。アクセス特急というのは速いのだが、少し高い。同じ駅の反対ホームから乗って、時間が20分くらい違い、料金も150円ぐらい違う。今回は時間があったので安い方で行ってみる。京王線の最寄り駅から成田空港まで約1400円で行けるのは嬉しい。特に国内線に乗る場合、コストが気になる。

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成田空港駅からシャトルバスで第3ターミナルへ向かう。これももう慣れた。今回は春秋航空、フライトは満席だが、チェックインは意外とスムーズだった。第3ターミナルをよく見たことがなかったが、食事が充実している。フライトで食事が出ない前提のLCCに合わせて多彩なメニューが用意されている。国内線の機内食は確かに要らないが、ここなら食べてしまう。面白い。機内でもちゃんと『うれしの茶』がリプトン紅茶と並んで、メニューにあったりして、喜ばしい。お替り自由とは!

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よく考えてみれば、ちょうど1年前、このフライトで佐賀から成田に飛んだのを思い出す。昨年は台風で茶旅が中止になったが、何と佐賀から成田の航空券だけは事前に手配してしまっていた。何しろ片道1000円、という表示に釣られてすぐに購入した。もったいないので、佐賀まで在来線鉄道の旅をして、このフライトに乗ったのだ。しかも今日は奥さんの誕生日。今年は仕方なく、昨日お祝いした。何の因果だろうか。

 

ホテルで

空港に着くと、駅までのバスに乗る。昨年は水曜日の半額デーで300円だったが今回は倍だ!30分ぐらいで駅に着き、すぐ近くの予約していたホテルへ向かう。全てが順調だった。チェックインしようとすると『お荷物をお預かりします』という。時計は35分前。3時からはチェックインできるはずだし、シティーホテルなら、5分前でもOKだろうと思ったが、フロントの男性は『今部屋を掃除中です』というばかり。そんなはずはない、日本のホテルで5分前に掃除が完了していなければ異常事態だ。

 

『何時まで待てばよいのか』と聞くと、取り敢えずお待ちください、としか言わない。どう見てこれは意地悪されているようだ。そこで『これから出掛けるので』と言ってみると、何と『お着替えは別の場所へご案内します』というではないか。さすがに少し強く言うと男性は上の階に電話を入れ、急に『準備が整いました』と言う。これだから日本のおもてなしは、凄い!融通というものがなく、ルールが顧客ニーズを越えている!

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部屋へ行き、着替えをしてすぐに出掛けた。昨年もお世話になった紅葉(くれは)さんへ向かう。既に道は大体わかっており、歩いて行く。途中大きなお寺が見えた。何でも関が原の戦いで西軍に着いた鍋島家を西本願寺が救い、そのお礼に建立されたとか。佐賀はやはり歴史のある街だった。更に歩いて行くと、道場があった。ここが古賀道場。世界平和などと書かれており、不思議なところだと昨年思ったのだが、何と今年の1月ミャンマーのタウンジーへ行った際、大学の後輩がこの道場のミャンマー事務所を任されていることを発見し、お互い驚いたのが懐かしい。

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お店の近くは保存地区になっており、古い家が多い。1つずつ眺めていると、老人が『向こうの方にもっと古い家があるよ』と教えてくれた。何となく親しみやすい街だ。商家の2階を改修した、雑感店などがある。くれはさんもその古い建築の家に店を構えており、相変わらず趣がある。入っていくとカウンターの端に予約の札が立っていた。店主Oさんとは、年に何度かイベントなどで会うようになっている。この店は2度目の訪問だが、何とも居心地がよい。静岡の紅茶を試しているというので淹れてもらう。そして凝ったお菓子も登場する。なかなかいい空間だ。

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茶旅の原点 福建2016(16)厦門のITパークで

7.    厦門
なぜかITパークへ

厦門では本来することがなかったのだが、またS氏から指令が来た。『厦門でお茶のサンプルを受け取ってきてほしい』と。まあ暇なので引き受けたのだが、その相手は茶荘や茶市場にいる人間ではなかった。どのようにして会うのがよいのかよく変わらず、『あなたの近くに泊まりたいが、どこか良いところはないか』と聞いてみると、ある場所を予約してくれた。だがそこはITパーク内だった。

 

行き方は分らないので、厦門北駅からタクシーに乗る。厦門北駅は厦門空港よりも遠い。結構な時間をかけて車は目指すITパークに入った。その中にあるホテルだと思い込んでいた私に、運転手が『住所はここだよ』と言ったのは、単なるオフィスビルだった。こんな所のはずはない、と思ったが、運転手はさっさと私を置いて行ってしまった。こういう工業区などは分り難いのでタクシーは嫌がるのが普通だ。

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1階に喫茶店があったので聞いてみると、何と正面入り口から入れ、という。そこを入ると受付があり、守衛さんが応対した。予約したというと、何やら紙を取り出す。1日泊まるための契約書だというから驚いた。やはりここはホテルライセンスを持っていない。そこで警察との間で取り決めたのが、日ごとに部屋を貸す賃貸契約という手法だったと思われる。恐らくはこのITパークに出張で来る人及び徹夜残業などの人が寝るために作られた宿、必要悪だった。こんなところに潜り込めるとは面白い。

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部屋は15階にあり、いわゆるマンションの一室という感じ。ベランダからの眺めはなかなか良い。ホテルより快適ではないかと思われる。ただタオルがない。歯ブラシなどもない、と思っていたら、ビニールに1セット入った物があったので開けてみる。あとで有料だ、と言われ、10元取られた。因みにタオルも受付に言えば貸してくれたらしいが、その仕組みはまるで説明されないから分からなかった。

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S氏の知り合いである陳さんが部屋まで来てくれた。彼はこのビルで働いているという。動画関係の仕事らしい。日本のアニメが大好きで日本語も覚えたという。彼は私が依頼されたサンプル茶を渡したが、『代金は300元です』というのでまた驚いてしまった。サンプル茶は当然無料だと思っていたのだが、確かにサンプルにしては量が多い。仕方なくS氏に微信で確認すると『払ってくれ』というではないか。正直『どんなお茶をいくらで、どれだけ、持ってきてほしい』とS氏は頼むべきだと思う。そうでなければ外国で、このようなことがあった場合、対処は出来ない。私に持ち合わせがあったから払えたが、もし現金がなければ受け取ることも出来なかったではないか。

 

陳さんは仕事があるので帰って行った。そして私は腹が減った。昼ご飯を食べていなかったのだ。だが周囲にある食堂で食べる気にもなれず、バナナを買って食べて終わりにした。ITパーク内を少し散策したが、広々とした空間で気持ちはよかった。でもどこも同じように見えるので散歩にはあまり向かない。部屋に帰ってPCに向かう。5時を過ぎるとさっきの陳さんから電話があり、食事に行こうと誘ってくれた。

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彼の車で市内へ。やはりそこそこ離れていた。まだ明るい中、レストランが出している外のテーブルに腰掛け、お茶を飲みながら、食べ物を食べる。鍋物から炒め物まで、とても二人では食べ切れないほど頼んでいる。やはり中国人とは食べる量が違うのだ。彼は武夷山の出身であり、厦門とはかなり文化の違うところの出であった。だからお茶に詳しいとも言える。

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食後は彼の知っているお茶屋さんへ行く。この辺は厦門の高級住宅地らしく、地価も相当に高い。こんなところで茶荘を経営するのは大変だろうと思っていると、オーナーの女性が『武夷山に帰ろうかと思っている』とぽろっという。やはりお茶は売れない時代なのだ。店員は一生懸命紙に茶葉を包み、1つずつ丁寧に糸で縛っていた。このような芸術的処置がないと更に売れないらしい。お店の改修をしたばかりだというのに、何とも厳しい時代なのだ。

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55日(木)

日本へ

翌朝は曇っていたので、景色を眺めることが難しかった。雨は嫌だなと思っているとその内靄は晴れてきた。朝ご飯は下のファーストフード店でお粥を食べる。このような店のシステムは残念ながらしっかりしていないから、順番はバラバラ。前の人が食べ残したものが大量にテーブルに溢れて次の人間は使えない。それでも出勤前の若者はどんどん入ってきて注文するから、ますます混乱する。

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ここにいても仕方がないので、早めにチェックアウトして、タクシーを捕まえようとするが、なかなか捕まらない。ITパーク内に入ってくる車は少ないのだろうか。いや、仕事で乗ってくる人は多いはずだ。やはり最近はやりの携帯で呼ぶタクシーのせいだろうか。それでも何とか捕まえて、空港まで行く。この出費はバカにはならない。それでも地下鉄のない厦門としては仕方がない。

 

空港に着くと早過ぎて、チェックインができない。そうだ、これが厦門空港の欠点だった。直接カウンターへ行けないのだ。仕方なく外で待ち、何とかチェックインを済ませ、それでも時間が余る。今回の旅は思えば長かった。その思い出にふける。飛行機はそれほど混んでいなかった。ゴールデンウイークだというに、やはり日本人の旅行者はいないのだ、と実感した。中国には魅力的な場所が一杯あるというのに、なんとももったいない。

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茶旅の原点 福建2016(15)保存されない古い鎮

河口で

王さんのお店はかなり立派な作りでお金が掛かっている。広い部屋でスタッフが淹れたお茶を頂いていたが、昼時になり、ご飯を食べに行く。それが終わると時間があったので、古鎮を散歩することにした。信江という川がある。ここから茶葉が運び出され、遠くヨーロッパまで運ばれたと思うと、ロマンチックだが、現在の状況は川で洗濯している人がいるだけの静かな川だった。ここは本当に茶葉の集積地だったのだろうか。港の跡さえ、見られない。

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古鎮を歩いて見ると、両側すべてが古い建物だったが、大体は100年ぐらいのものが多く、往時茶葉が集積した150年以上前のものは見いだせなかった。ただ建物の下に通路があり、製茶された茶葉がそこから直接河に運び出された様子を微かに垣間見ることができる。この街自体はそれほど保存されているという感じもなく、朽ち果てていくように見えるが、一部にプレートが掛かっており、歴史的意義は見いだせる。もう少し保存をしっかりすればよいのに、と案内のスタッフに言うと困った顔をする。

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土産物屋も数軒あるが、平日の昼のせいか、人は殆どいない。ひなびた古い街、洗濯物が干されるなど生活感もあり、決して嫌いではない光景が広がっている。一軒茶荘があったので入ってみると、天井の高い、2階建てだった。往時は茶葉の問屋だっただろうか。2階に茶葉を保管しただろうか。そこには河口の位置づけと、万里茶路に関する記述が飾られており、簡単な資料館のようになっていた。そこで茶葉も販売している。やはり万里茶路の勃興により、歴史が発掘され、文化が保存されていくのだろう。

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王さんの店の横にあるホテルにチェックインした。きれいでかなり広く、そして高くはない。理想的な宿であった。3時に店に集合ということで、昼寝した。何とも気持ちがよい。桐木は涼しかったが、この平地は少し暑いぐらいでちょうどよい。またお店に戻ると、この街の役人が来ていて、打ち合わせの最中だった。この人は王さんのお母さんの教え子だとか。先生だったんだな。中国では今でも先生というのは尊敬される存在で、卒業してもずっと敬われているケースが多い。日本はどうだろうか。

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車で郊外へ。街の外にやけに広い道があったが、車はあまり通っていなかった。そして巨大な建物も見えた。何だろうと思っていると、新町役場の建物だという。だが使われている形跡はない。2つとも不必要なものに見える。何となく聞いていると、この街の前の書記が『万里茶路』を材料に予算をもらい、この建物と道を建設したらしい。既に彼は別の街に異動しており、この街には使われない公共工事の遺物だけが残ったとか。だから先ほどの古鎮の保存も万全ではなかったのかと、一人合点する。これもまた今の中国の一つの側面だ。

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湖書院という古い建物を見学する。1175年、この地で朱熹など4賢人が集まって討論したという歴史的場所。今残る建物は300年前、清代の建造というからこの付近では相当に由緒ある建物となっている。南宋時代は首都臨安へ行く道がここを通っていたというから、やはりここ河口は昔からの交通の要所。それにしても静かな堂内だが、今の中国人でこのような場所に関心を持つ人は殆どいないことがなんとなく残念だ。歴史の保存より、現代の建築、街の発展よりおのれの蓄財、中国は曲がり角には来ているが、うまく曲がることは難しいようだ。

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皆で夕飯、豪勢な地元料理を頂く。食後の散歩で、もう一度古鎮の方へ歩いて行く。特に観光客がいる訳でもなく、若干のライトアップがあるのみで、基本的には暗かった。ここは十分に観光資源になると思うのだが、果たしてこれから街の政府はどうしていくのだろうか。静かな町はふけていき、私も早めに寝る。

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54日(水)
厦門へ

翌朝は早く起きて、街を散歩した。静かな田舎町、悪くない。ホテルの脇の麺屋で朝飯を頂く。これがまた絶品。内臓系が入り、卵焼きが載り、私好み。王さんのお店で少しお茶を飲み、別れを告げる。大変お世話になってしまった。更に車で高速鉄道の最寄り駅、上饒駅まで送ってもらう。ここまでも車で約1時間。河口はちょうど武夷山北駅と上饒駅の間にあることが分かる。上饒の街はマンションなどがたくさん建ち、河口よりは栄えているように見えた。切符は昨日買ってあったので、スムーズに乗り込む。

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魏さんと林さんは福州で降りていく。私だけが厦門まで乗って行った。明日の厦門発のフライトで東京へ行くためだ。今回もまた魏さんにはお世話になりっぱなしだった。1時間半で福州に着き、更に1時間半で厦門まで来てしまった。何とも速い。昔の鉄道なら10時間以上かかっただろう。そしてもし徒歩なら?茶葉が運ばれたルート、それは途方もなく遠い道だと実感する旅だった。

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