「茶旅」カテゴリーアーカイブ

突然の深圳・香港旅2016(4)深圳の長い地下街で

お父さんに教えてもらったバスに乗り、九龍城から九龍塘へ出る。バスは頻繁に出ており、乗り切れない人は次を待つ。夕方、学生や勤め帰りの女性が多い。九龍塘からまたMRT東線で落馬洲へ戻り、福田から宿へ帰った。香港日帰りはあっという間だったが、宿代を考えると合理的選択かもしれない。

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夜はまた裏通り、香港で食べればよかったのだが、気分的に深圳になってしまった。今晩は、12元で腹一杯食える食堂へ。食べているのは男ばかり。何となく侘しい出稼ぎ者に交じっていると、気持ちが落ち込んでくる。この人たち、かなり苦労しているんだろうな、と感じられる。

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1110日(木)
4. 深圳2

フラフラと地下街

翌朝はゆっくり起きて、かなり遅い朝食をチェーン店で食べる。腸粉と粥で23元。まあ仕方がないか。香港ならこの値段で粥しか食えない。店はきれいでよいが、片づけはできていない。店員は若い子ばかりで、まるで気は利かない。10数年前の深圳はサービスがよかったな、と思い出す。労働力の質低下か。

 

向かいに福田の茶葉市場があったので覗いてみたが、ちょうど雨が降ってきたせいか、お客はほぼいなかった。がらんとした建物の中、閉まっている店も多い。どう見ても流行っている感じはない。入ってみたくなる店もなく、客に声を掛けるでもなく、余りに寒々としていて、何となく外へ出てしまった。

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散歩しようとしたが、雨が本格的に降り出してきた。今日は夜便で台湾に戻るので、まだ時間はたっぷりある。宿はチェックアウトしてあるので時間を潰さなければならないが、どうしたものだろうか。仕方なく地下鉄の駅に潜ってみた。そして驚いた。すごく長い地下街がそこに出現したからだ。

 

連城新天地という名前の地下街。どうやら次の地下鉄駅まで続いているらしいと知り、好奇心で歩いて見た。ものすごい数の飲食店がずらりと並んでいる。中国で名の知れたチェーン店は全て収容されているのではないかと思うほど。日本のラーメン屋もあり、吉野家もココイチも皆ある。大きな和食屋は怪しげだが、客は入っている。台湾系、香港系、シンガポール系のファーストフード、パン屋、カフェ。何より平日の午後でもそれなりに人通りがある所はさすがだ。

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ゆっくり歩いて20分ぐらいで次の駅まで来たが、何と更に続いている。こうなれば暇に任せて歩いて見る。飲食ばかりでなくアパレルなどの店も沢山あり、驚くばかりだ。そして次の駅までそれは続いていた。最後の駅から少し離れたところには高速鉄道の駅さえあるようだった。こんな地下街、日本にあるのだろうか。札幌の地下街はかなり長いとは思うが、どうだろうか。

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折り返して歩くと腹が減ったので、吉野家に入ってみる。その接客がかなりしっかりしており感心する。客がいない時間なので、掃除の仕方を先輩が教えていた。そこに面接の女子がやってくると、まずは掃除だよ、衛生だよ、と言いながら、面接が始まった。ところでここの牛丼、単品18元、何だかとてもうまく感じたのはなぜだろうか。ついでの隣の台湾系でアンパンを買って頬張った。

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因みにこの長い道を歩いている中で、店のメニューと同じくらい求人広告が貼りだされていた。それほどスタッフ、働き手が足りないのだろうか。いや、景気減速の煽りで、コストを押さえないとやっていけない店側と、高い給料を求める出稼ぎの若者のギャップが埋まらないような気がしている。

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ちょっと早いが、宿で荷物を取り、また地下鉄の駅へ降りていく。来た時に乗った、空港行地下鉄を利用する。来た時は全く気が付かなかったのだが、何とこの列車、最後尾にビジネスクラスが付いていた。聞いてみると通常7元のところを3倍の21元出せば乗れるらしい。深圳の住民は地下鉄カードでタッチして乗っているが、私は上に戻り、切符を買わなければいけないと言われて、乗車を断念した。

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一般車両はかなり混んでおり、やはりビジネスクラスに乗ればよかったと後悔したが後の祭り。よく見るとこの列車は最近開通しており、時速も120㎞まで出せるとなっている。ただの地下鉄ではなく、いわゆる空港シャトル線であった。道理で速い訳だ。空港に近づくと、海岸線が見える等、景観もあり、楽しめる。

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ただやはり空港には早く着きすぎて、チェックインできなかった。何とか座る所を見つけてPCをいじっていると、いつの間にかチェックインが始まっており、出遅れてしまう。行きでトラブルがあったので、帰りはもう何も言うまいと思っていたら、何だかプレミアムエコノミーにしてくれていた。これが桃園空港で文句を言ったせいなのかどうかは分からないが、搭乗の順番が早くなっていた。

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帰りも又エバ空港の機体である。ほぼ満席で驚く。フライトは順調で、ほぼ定刻に桃園空港に着陸した。今回の旅、一体何だったのだろうか。たまにはこういうのも悪くはない。

突然の深圳・香港旅2016(3)香港茶荘巡り

また1時間かけて地下鉄で宿へ戻る。まあ1時間乗っても料金は至極安いので、時間があって金がない者には助かる。日本の交通費、何とかならないのだろうか。夜はまた裏通りへ向かう。結構冷たい風が吹いており、11月の深圳としては涼しい。今晩は暖かい黄燜鶏米飯を食べる。

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鍋にとろ火で煮込んだ鶏肉にピーマン、野菜が入っている。鶏が柔らかいのが好きだ。これとご飯というシンプルな組み合わせだが、味が濃いのでご飯が沢山食べられる。18元。しかし数年前までほとんど見たこともなかった食べ物だがルーツはどこに。山東省らしいと言われたが、山東省にあったかな?

 

119日(水)
香港へ

翌朝は早起きして、香港へ向かった。深圳にいてもやることがないので、先月いなかった茶縁坊を訪ね、何とか秋茶を手に入れようという腹である。いつもなら羅湖へ行き、辺境を越えるのだが、今回は折角なので新しいルートにチャレンジする。新しいと言っても私が使ったことがないというだけで、今やこのルートが定番だと思われる。

 

地下鉄4号線で福田へ。そこの上にはイミグレがあり、すぐに中国を出境できる。羅湖より歩く距離が短く便利だ。香港へ入国すると、そこには落馬洲の駅がある。これは上水で羅湖行きと別れた線だ。今や香港人で深圳北駅から高速鉄道に乗る人などはこの福田を使うととても速い。

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イミグレも混んでおらず、順調に列車に乗り込む。前回はホンハムからバスに乗り、失敗したので、今回は九龍塘で乗り換え、旺角、中環で地下鉄を乗り継ぎ、上環まで確実に向かった。それでも結構時間が掛かったのは、乗り換えなどの位置を完全に忘れてしまっていたからだろう。香港はどんどん遠くなっていく。

 

3. 香港
茶荘巡り

とにかくまずは茶縁坊へ向かう。ところが、ところがまさかの、閉まっていた。これまで一度もなかったことが2回続けて起こっている。ここまで来ると、何かが起きたのかもしれないと心配になるが、先月同様携帯のシムを用意しておらず、連絡を取ることも出来なかった。仕方なく、フラフラ歩き出す。ちょうど10月に訪ねた安渓西坪で堯陽茶行の故郷に出会ったことを思い出し、店へ行って見た。だがオーナーも顔見知りの番頭さんもおらず、おばさんに聞いても埒が明かない。

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オーナーは午後返ってくるよ、と言われたので、もう少し上環で粘ってみようと思ったが、ちょうど前日FBで小倉の辻利さんが、IFCに出店したのを見たので、ほんのちょっとお店を覗きに行くことにした。トラムが来たのでそれに乗り込む。懐かしい。未だに2.3ドルか、頑張っているな。

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そしてセントラルで降りてIFCまで歩き、お店を探したが、すぐには見付からない。それが香港らしい。ようやくディレクトリーを見て、場所を確認。お店の横には開業の花が並んでいた。ほうじ茶30ドルなどとあったが、その横にIFC限定サンデー、78ドルが燦然と輝く。食べてみたかったが、何となく気後れして、お店に入れず。次回に持ち越した。

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ふらふら歩いて上環に戻ると昼も過ぎていた。いつものように市場の上の和食屋へ行き、定食を食べる。おばさんはいたが、日本人のKさんは不在。相変わらずランチは安く、勧められた焼き魚定食でも45ドルとお得。お客さんは定期的に来る常連が多いようで、日本人もいた。

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堯陽茶行に戻ってみると、顔馴染みの王さんがいたので、西坪の話をしてみると驚いていた。彼のお父さんもあの日塞と呼ばれていた要塞の出身なのだった。といっても堯陽が香港に出てきたのは、1930年代、それから長い月日が流れ、今やそれほど往来はないという。因みに台湾にも枝分かれしたが、こちらも今や関係はないという。ここで出されるほうじ茶のような鉄観音が、昔を忍ばせる。

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そして念のため茶縁坊へ戻ってみると、ついに灯りがついていて息子がいた。やった、と叫びたいのを堪えて中に入る。聞けばやはり先月、めでたいことに彼に子供が生まれていたのだ。高さんも孫の世話に忙しく、また息子も子供を病院へ連れて行くなど、店を開けられない時間が増えていたようだ。

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知らせを聞いて高さんも駆けつけてきた。しかし張さんは秋茶を作らなかったというのだ。結局ここでも手に入らなかった。もう張さんのお茶は手に入らないかもしれない。何となく寂しさがこみ上げてくる。そういえば、家には数年前のお茶が少し残っている。そう話すと『それを香港に持ってこい、焙煎してあげるから』と言われたので、次回はそうしようと思う。

 

1時間ぐらいで上環を離れた。後は数年顔を出していない、茗香茶荘に行って見ようと考える。九龍城には、旺角まで地下鉄に乗り、そこからミニバス。だがミニバスの乗り場の位置まで思い出せない状態だった。何とか乗り込み、7ドルを払う。後は懐かしい道をひた走る。

 

お店に行くと、お父さんが奥に座っていた。向こうも何となく見覚えがあるな、という顔で出迎えてくれる。ここは潮州系だが、観音茶王という美味しい鉄観音茶を販売している。店の奥で焙煎しているものもある。『今は安渓に行ってもいいお茶は手に入らないよ』と一言で片づけられてしまう。息子のマイケルとは少し昨今の景気について話したが、あまり良いことはないようだった。

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突然の深圳・香港旅2016(2)懐かしい場所を訪ねると

そのゴルフ場に初めて行ったのは1991年の旧正月。私が香港に赴任してすぐに旧正月が来てしまい、暇だろうと先輩が誘ってくれたのだ。当時まだ住居が決まっていなかったので宿泊していたホテルの前からゴルフ場行シャトルバスが出ていた。いきなり国境を越えていくゴルフは何とも新鮮だった。

 

香港ならではと思い、それがきっかけで、一時は毎週のように友人たちと出掛けていった。朝5時に起きて、タクシーを探してでも、楽しかった。国境も最初は凄く遠回りの場所だったが、その後落馬洲皇崗が通れるようになり、かなり便利になった。とはいえ、朝は1つしか窓口が開いておらず、重いバッグを持って毎回並んだものだ。更に先輩に聞くと税関がゴルフ道具を知らずに、クラブ一本一本調べた、ボールに何か仕込まれているのではと疑われたなど、ユニークなエピソードも多い。

 

そのゴルフ場は今では深圳旧市街地のど真ん中、一等地にある。当時地下鉄などなかったが、いつの間にか駅までできている。ただ広い敷地のため、どこから入ってよいかもわからない。昔深圳は怖いところ、という印象があり、20年以上前は市街地に行くこともなく、泊まることもなく、深圳の地理はよく知らなかった。

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ゴルフ場は未だに営業はしているが、既に土地のリース期限が過ぎており、今後この土地をどうするのかを協議中らしい。もう開業から30年以上も経っているのだ。一部会員しか中に入れないのだが、お願いしてクラブハウスを見せてもらう。私が来た頃と変わっていないのは玄関周りぐらいか。コースも20年前に大幅改造され、周囲には別荘も分譲されていた。懐かしい場所だが、景観は一変していた。

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それから地下鉄に乗り、羅湖へ向かった。ここは2001年以降、私がお茶の旅を始めてから度々来た場所だった。香港から九龍鉄道に乗り、イミグレを越えた。駅からほど近いところにある茶葉世界というお茶市場には一体何回行ったことだろう。今でも100軒以上の店が並んでいるが、昔のような活気はない。それは郊外に大型の卸市場がいくつも出来たこと、そして香港の経済力が弱くなり、香港人が来なくなったことに起因していると思われる。

 

2階に上がり、いつも行く一號茶荘に顔を出す。ここは15年前、私が初めてこの市場へ来た時に出会った紅美という女性の店。福建省の武夷山近くから出稼ぎできて、最初は岩茶の店で小妹をやっており、その後自らの才覚で、店を持ち、今は2号店もある。彼女は現在2号店に出勤しており、この古い店はご主人がやっている。久しぶりに紅美に会いたいというと、すぐに連絡してくれ、深圳郊外にある2号店の場所を教えてくれた。午後はここへ行ってみよう。

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一號茶荘の斜め向かいには唯一台湾人経営の子揚茶荘がある。ここのオーナーは高雄の人で、この市場が出来た1997年に深圳へ出てきて店を構えていた。長い付き合いをしていたのだが、その姿は店になかった。代わりにこれまた古い付き合いの春桃姐さんがいたので、声を掛けた。オーナーは、というと、一瞬戸惑ったような顔をして『天国に行ったわ』と寂しそうにいうではないか。既に1年も前に彼は居なくなっていた。私はたまにしか来ないのでそのことを知らずにいた。店は春桃が引き継いだらしい。ただお茶はこれまで同様、台湾茶が中心だ。しばしオーナーを偲んでお茶を飲む。

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もう一軒、単叢の店に寄ったが、いつも物憂げな李さんもいなかった。最近は税関を退職したご主人と交代で店をやっているらしい。日本にも旅行に行っているようで、次回はどこへ行こうかと相談される。閑散とした茶葉世界だが、その変化は相当なものがある。これからこの市場がどうなっていくのかには、ちょっと興味がある。

 

昼ご飯をかっ込んで、地下鉄に乗る。それにしても飯代は高くなっている。駅付近で5年前の2倍にはなっている気がする。それに為替を加えれば、実体はもっと高く感じられる。1号線から2号線に乗り換えて、約1時間、龍城広場と着いた時には結構疲れてしまった。深圳の地下鉄も香港に倣っているのか、冷房がやけにきつい。

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駅のすぐ近くに大きなお茶市場があると聞いてきたが、見当たらなかった。とにかくこの辺まで来てもまだ、大規模マンション開発が進んでおり、ちょっとした建物では目立たなくなっている。案の定、マンションの後ろ、ショッピングモールの脇に茶城があった。しかも中は複雑で、店を見つけるのにかなり苦労する。

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その店は予想よりかなり大きかった。大きな椅子に紅美がドカンと腰掛け、若い男の子2人を使って商売していた。あの幼かった彼女が15年で店を持ち、結婚して子供も持った。この近くのマンションも購入したという。ある意味で、彼女は深圳ドリームを実現した一人かもしれない。

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それでも現在茶業には逆風が吹いている。以前のように右から左に茶が売れる時代は過ぎている。店にはちょくちょくお客が来ていたが、大きな商売は減っているという。『まあ、昔ゼロから始めたことを考えれば、何とかなるのよ』と彼女は笑っていたが、これからどうなるのか、現在の中国で先が見えている人はいない。

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突然の深圳・香港旅2016(1)立栄航空で深圳へ行ったが

《突然深圳・香港旅2016》  2016117日‐10

 

台湾へ20日ほど行こうと思ってフライトを予約した直後、突然深圳へ行かなければならなくなった。しかもその用事は11月中には済ませなければならないのだが、後半にはタイ行きも控えており、大変難しい状況に陥ってしまった。だがよく考えてみれば、台湾から深圳へ飛べばよいだけのこと、仕方がないので、台湾旅を一時中断して、深圳へ行って見た。

 

117日(月)
1. 深圳まで
立栄航空は何もの?

台湾に入ってからすぐに深圳行きの飛行機を探した。エバ航空で台湾まで来たのだが、サービスがよかったし、スターアライアンスメンバーでマイルもたまるので、エバで行きたかったが、あいにく飛んでいない。中国の深圳航空も何とスタアラメンバーだったので、これにしようと決断しかけたところ、エバ航空の子会社、立栄航空が飛んでいることを発見。エバ航空のサイトから直接予約を入れたので、問題ないと思っていたのだが。

 

当日台湾中部の鹿谷からバスで台中へ、台中から高速鉄道で桃園へ。更に桃園からバスで空港に辿り着く。余裕を持って来たのでかなり早く着いてしまった。エバ航空のチェックインカウンターへ行くと、ここではないという。あれ、エバ航空のサイトから予約したのになぜ?まあ立栄航空のカウンターへ行けばよいだけの話だが、そこへ行って見ると、『わが社はスタアラメンバーではないので、マイルも付かないし、メンバー特典は全くない』ときっぱり言われてしまった。

 

でもエバ航空の子会社で、エバのサイトからチケットを買ったのになぜ?といってみても埒が明かない。しかもこのフライトは深圳航空とのコードシェア便だという。それなら料金も安く、マイルもたまる深圳航空を選ぶべきだったと気付いたが時すでに遅し。今さらフライトの変更もできず。例えば全日空で予約しても偶にエア日本の機材を使うこともあるので、てっきりそれだと思っていたいのに。仕方なく、モスバーガーでランチを食べて、搭乗を待つ。

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そして搭乗口で見たものは、驚きだった。機体もCAさんもエバ航空ではないか。機内の設備にもはっきりとエバの表示が見える。これはある意味で悪質な『ひっかけ』だと言えるのではないだろうか。勿論法的問題はないようにしているはずだが、顧客志向とは言い難い。台湾人ならその辺の細かい事情は分かるだろうが、外国人で初めての客には同じに見えてしまう。むしろ台湾人は子会社のチケットでより良いサービスが受けられると喜ぶのかもしれないが、私は大いに不満であった。でも今更言って見ても誰も取り合わないので、すぐに寝入る。

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2. 深圳
ホテル探し

深圳空港まではあっという間に着いた。既に夜になっている。数年前にこの空港を利用した時は確か市内までバスがあったので、バス乗り場を探すと、何と地下鉄が出来ているではないか。今の中国の動きは本当に速い。恐ろしいほどなんでもすぐにできてしまう。しかもこの地下鉄、何となくスピードまで速い。

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これまでと違い、今回は特定の用事なので、そこに近い場所に泊まることとして、1度乗り換えて1号線のある駅で降りた。勿論初めて。駅前にホテルがあるはずだったが、今回も安いホテル狙いで通り過ぎた。そして少しくと150元という表示が出ていたので、そこへ入り『部屋はあるか』と聞くと、フロントの女性が満面の笑みで『ある』と答えた。ところがパスポートを出すや否や、『あー、うちパスポートダメなのよね』と残念そうに言う。

 

まさに没有弁法か。最近は安い宿に外国人は泊まれない。それは中国人を監視するためで、外国人を排除するためではないと分かっていても、腹立たしい。どこに泊まったってよいではないか。仕方なく駅の方へ戻り、立派そうな建物へ。1階にフロントがあり、部屋は24階、料金は約300元とさっきの2倍。部屋には窓はないが、そこそこシックな雰囲気を出しており悪くはない。

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既に夜も9時を過ぎてしまった。腹が減ったので外へ出た。今や深圳も大都会、多くのチェーン店はあるのだが、ちょうど宿の横道を入ると、昔ながらの賑やかな通りに出た。何となく残っている一角だろうか。折角広東に来たのだからと、鶏と叉焼でご飯を食べた。何だか冷めていたがまあ満足か。でも料金は上がったな、これで18元か。

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118日(火)
懐かしい場所へ

翌朝は今回の目的である用事を済ませるために朝から外へ出た。エレベーターで下へ降りると、そこには長蛇の列が。出勤時間と重なり、エレベーターが足りない。上がるのには相当の時間が掛かるだろうが、皆慣れているのか、スマホを見ながら平然としていた。何だかその昔、香港勤務の時の様子を思い出す。

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ところで用事は何と30分で済んでしまった。私はかなり余裕を持ってきたため、フライトの予約は明後日になっている。これを変えるとまた追加料金がかかるので、ここにいることにしたのだが、これは一体何をすればよいのだろうか。既に知り合いの日本人もあらかたいなくなっている。ちょうど地下鉄の駅を見ると、昔よく通ったゴルフ場のある場所だった。懐かしいので訪ねてみることにする。

バンコック ヨーガの旅2016(10)悲しみの王宮へ

テスコまで来たら何となく腹が減る。仕方なく、いや無謀にもそこでかつ丼を食べてみる。まあ期待はしていなかったが、一応食べられる。だがセットメニューにはみそ汁の他にドリンクが付き、更には何とたこ焼きが付いてくる。これがタイ人の好む日本食かとある種の感動を覚えた。これで145バーツは高いのか、安いのか。

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夜は久しぶりにテレビを見る。大河ドラマは佳境に入っていた。タイのテレビはやはり何となくシックな番組が多く、中には亡くなった王様を偲ぶ番組もあった。実は私が今日合宿を切り上げたのは、明日やりたいことがあったからなのだが、何と明日は祝日、それも王様の誕生日だと知り、計画が狂ってしまった。こうなれば、明日は王匡に出掛けてみようと思い立つ。

 

125日(月)
王宮

翌朝は5時には起きず、ゆっくりする。私には睡眠時間の確保が重要であり、無理をするとすぐに体調を壊す傾向がある。ちょっとアーサナだけをやり、8時半を過ぎたのでいつものコムヤーンで朝ご飯を食べる。最近店に行ってもあまり笑顔を見せないおばさんだが、今日は孫?を抱いてご機嫌だった。

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その場で食べようとするとお知り合いのKさんと遭遇した。色々とお世話になっているのだが、今回は特に連絡していなかったが、期せずして話が聞けた。やはり王様の逝去はタイ国民にとってかなりのショックだったが、徐々に立ち直りつつあるようだ。彼も今日はお休みで、これからジムへ行くという。バンコックでタイ人にジムが人気らしい。それでも東京のように混むこともなく、料金もまだ安いとか。

 

Kさんにバスの番号と乗り場を教えてもらい、バス停へ。やってきたバスは無料バスだった。バンコックには一番安いエアコンなしのバスに、時々無料のものがある。以前それに乗った話をIさんにしたところ、『それは貧しい人たちのためにあるのでお金のある外国人が乗るのは良くない。政府が廃止を検討している』と怒られた記憶がある。だが次にいつ来るかわからないので乗り込んでしまう。

 

バスはスイスイと見慣れた道を進んでいく。チャイナタウンを過ぎ、カオサンの近くまで来た時、大勢の人々が見えてきた。しかもほぼ黒い服を着ている。バンコックでこのような光景を見るのは初めてだ。私も洗濯した黒いポロシャツを着てはいたが、ズボンは茶色だし、違和感ありあり。外国人だから許して、と思っていると、ノースリーブの白人女性が歩いていたりもする。

 

いつもは楽しそうに歩いているタイ人も、この場ではかなり違っていた。花を持つ人、王様の写真を掲げる人、バイクにタイ国旗と遺影を付けて走って人までいるが、皆が整然として、続々と王宮を目指している。そしてゲートが設けられており、セキュリティチェックを受ける。そこからは広いイベント会場のようになっており、大勢の人が歩いていた。英語や中国語での案内表示もあり、国内外から人々がその死を悼んでいることが分かる。

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駐車場だった場所を見ると、そこには医療車両があり、看護師さんが待機している。ブースにはお医者さんもいるようだ。皆さん、不測の事態に備えている。その向こうではなんと警察官や軍人が通りゆく人に食べ物や飲み物を配っている。曇りとはいえ、暑さはあるので、水分補給は重要だが、彼らはすべて業務ではなく、ボランティアで行っているように見える。

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他のブースでも食事や飲み物、団扇やティシュなどが配られており、ここにいれば無料で何でも手に入ってしまいそうだ。国王の逝去を悲しむことと、人に施しをすることが結びついている。普段はバラバラ、自分勝手に見えていたタイ庶民の団結力をそこに見たような気がする。王様の弔問には毎日長い行列ができているとは聞いていたが、実際にそれを目の当たりにすると、自分が見てきた世界が違って見えた。

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様子が分かったので横から外側へ出た。タマサート大学、博物館ともに、弔意が表されており、博物館は今日は休みだが、来年1月末まで入場無料らしい。偉大なる王の業績なども展示されているのだろう。それからカオサン方面に歩いて行く。バスを待つ人が沢山いた。カオサンの雰囲気はいつもとそれほど変わらない。

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結局カオサンを通り抜け、大好きなお寺、ワット・ボウォーンニウェートへ行く。ここは王様が出家し、修行した寺だ。ラーマ5世以降歴代国王が出家したというから由緒はあるのだが、その規模は決して大きくはない。この寺の何が好きと言って、本堂に座っている時吹いてくる風がとても気持ち良いのだ。勿論今日は大勢の人が参拝に来ており、いつものような風を感じることはなかったが、ここでも王様への熱い思いがあふれ出ていた。

 

王様が出家修行していた頃の写真が何点も飾られている。特別の祭壇も用意され、そこに座って拝む人の姿もある。端の方にはテントがあり、ここでも飲み物が無料で支給されていた。ちょっと疲れていたのでコーラをもらい、椅子に座って休むと気持ちがよい。流れに流されることなく、ここで初めて王様のことを深く思う。私がタイに初めて来たのが1987年、それ以来王様はずっと一人だった。寂しい。

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バンコック ヨーガの旅2016(4)インド人もヨーガを始めた!

この合宿、ワンサニットの広い敷地内のいくつかの場所を使って行われる。昨日のイントロは、この施設の象徴的な建物である、通称『池ハウス』。周囲を池に囲まれ、蓮の花でも咲けば、天国かと思われる作り。この施設を所有する財団のオフィスがあり、その関係で唯一Wi-Fiが使える。日本から来た人は基本的にシムフリーの携帯ではないので、ここに来てネットへ繋ぐことになる。私も前回はちょくちょくここへ来ていたが、今やタイのシムを入れており、どこでも繋ぐことができるので、ここに来る回数は相当減った。

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朝は2階建ての2階、瞑想ホール。早朝の瞑想に始まり、実習も夜のビデオ鑑賞もここで行われる。そして昼間の講義は通称『土ハウス』。天井の高い、立派な建物なのだが、前回はアリが入り込み、かなり噛まれる。実はアリに嚙まれると相当に痛いとこの時に知った。しかし今回は入り口に盛り土がしてあり、侵入が阻まれていて助かった。この施設の横には新しいセミナーホールも出来ており、そちらはエアコンルームだそうだ。

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参加者には各人当番が割り当てられる。私はプロジェクターなどの移動が担当。土ハウスと瞑想ホールの間をプロジェクターを担いで往復し、その設置も行う。何だか楽しい。講義は、以前も何度も聞いている内容のはずだが、なかなか頭に入ってこない。もう歳だ、専門的な用語は特にすぐに忘れてしまう。それでも講義に触れることで、ヨーガが体操ではないこと、その奥深いポイントを少し垣間見ることができる。

 

講義だけでは頭に入らないのは私だけではない。そのため参考図書なども紹介されるが、何と移動図書館として、かなりの量の本が持ち込まれており、実際に手に取って本を眺め、必要な書籍を確認することができる。インドにおいてもヨーガ研究の歴史は1920年代から、というので、参考図書もヨーガだけではなく、インド哲学から日本仏教、そして心理学など様々な要素が取り込まれていて、面白い。

 

講義で初めて、『マインドフルネス』という言葉が流行していると聞いた。瞑想をベースに今現在自らの内面や外面に起こっていることに注意を向けること、無意識に注意を向けること、といった定義がなされているらしい。これはこれまで何度となく、合宿で聞いてきた話ではないのか。普段聞いてもピンとこないだろうが、ここで聞くと何となく分かった気になる。

 

これが『心のエクササイズ』と言われ、ストレス解消法、うつ病対策になる、と巷では言われているらしい。そういう話を聞くと、どうしても胡散臭い、ビジネス的なものを感じてしまう。取り敢えず問題になっていることの対処法を探してきて商売の種にする、という人達がいる。ヨーガもインド伝来と言いながら、中身はアメリカのエクササイズ、ということが少なくない。マインドフルネスの考え方自体は良いと思うが、流行に流されるのではなく、一人一人が自ら考え、静かに実践していくのが望ましい。

 

またランチがやって来た。ここでは基本的に1日のメインがランチとなる。夜は軽めの食事、というのが胃腸の負担を和らげるので、有り難い。現代の暴飲暴食生活、時間との闘い、から隔絶されたゆっくりした空間で、ゆっくりご飯を食べれば、それだけでも健康になるだろう。

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更に私にとっては、『1日中お茶を飲まない』ということが、実は体に良い、ということをこの合宿で体感している。勿論お茶が体に悪いということではないが、1日に何種類ものお茶を次々に飲んでいけば、それはやはり体内にストレスとなる。お腹も減るので食べる量も増え、太っていく原因にもなる。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし、だ。お茶当番の人が淹れてくれる、一杯の日本茶、で十分だ。

 

ランチの後は昼寝。11月終わりとはいえ、タイの日中はそれなりに日差しがある。勿論この部屋にはエアコンなどがないが、十分に快適なのは、森に囲まれているからだろうか。都会は暑い、ということも、ここにいればよくわかる。昨晩の寒さを体験し、日中の涼しさが心地よい。

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午後の講義で、昨今のインドヨーガ事情が出てきた。2年半前に就任したモディ首相はインド至上主義者。聖なる河、ガンジスがどうしてあんなに汚いのかと、浄化作戦も練られているらしい。モディ首相本人が毎日90分やっていると言われるヨーガ。日本では彼の経済的な手腕ばかり語られているが、インドの伝統的なヨーガを世界に発信してもいる。国連で自ら発言し、政府の担当部署を格上げして、相当に力を入れているらしい。

 

この機会にヨーガが再定義され、インストラクターの資格も決められ、インド人にもヨーガを推奨し、一般への普及も図っている。まさにインド人がヨーガを始めた、のだ。これまでのヒンズー教の考え方では人は生まれながらに身分が決まってしまい、現代社会とは明らかに不適合。この中で生きる人々のストレスは従来にも増しており、半端ないはずだ。企業の福利厚生でヨーガが始まっている。

 

インド人がヨーガを通して健康になり、またヒンズーからも自由になれば、凄い活力が生まれるのだろう。首相はそこまで考えて、ヨーガを発信しているのだろうか。500ルピーと1000ルピーの高額紙幣をあっという間に廃止してしまった手腕。インドは大混乱に陥っているというが金を持たない庶民からは拍手喝采とか。大胆な政治はインドをどう変えていくのだろう。興味深い。

 

バンコック ヨーガの旅2016(2)タイの仏教見学

合宿はバンコック郊外のワンサニットというアシュラムで行われるのだが、今日はそこへ行く前に社会科見学がある。タイの仏教に触れる、ということで、お寺を2つ訪問する。「シャンティ・アソーク」と「スーアン・モッカ・バンコク(BIA)」、この対照的なお寺、5年前も訪問したが、その後どう変わっただろうか。日本の仏教とタイの上座部仏教の違いを垣間見る、良い機会となる。

 

因みに10月にプミポン国王が亡くなったタイは、どのような状況になっているのかにも、関心があった。正直昨晩歩いた感じでは、普段とそれほど変わった様子も見られなかったのだが、朝一番、私の普段着を見たA師は即座に、『これに着替えてください』と言って、黒のポロシャツが渡される。全員女性の前でいきなりシャツを脱いでポロシャツを着る羽目になった。さすがにお寺に行く場合、それなりの服装で行くべきなのであろう。

 

まずは車で1時間弱、原理主義的なシャンティ・アソークに行ってみる。ここは元々の仏教に帰ることを目指し、独自の規律で、出家各自がクティを作り、集団生活を送っている。まるで森の中で生活しているような環境にある。5年前に来た時はその原始的な様相に少なからず驚いたが、今回来てみると、クティがかなりきれいになっている。勿論僧たちは相変わらず厳しい顔をしているが、それでも前回よりはなじめる感じがあった。ここにいると何とも落ち着く。

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子供たちが托鉢の帰りなのか、朝礼のようなことをしている。ここに来ている信者の服装はほぼ皆黒。やはり黒のポロシャツは正解だった。裏門から出て、各自買い物タイムとなる。ワンサニットへ行くと、簡単に買い物できる場所はないので、必要なものはここで調達する。ここには有名なシャンティ・アソーク経営のレストランもあり、美味しいそうな湯気を立てていた。路上でも様々な食べ物が売られていたが、なぜか食欲は出ない。

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更に裏手ではトラックが横付けされ、若者が物資を下ろしていた。これもこの寺に住む若者たち。どこからか運ばれてきた食料を運んでいた。かなりの人数を食べさせることは、現代のタイでは托鉢だけでは難しいのだろうか。そもそも托鉢など行わない僧が増えているとも聞くが、ここは本来の仏教を実践する場だから、托鉢は欠かせないだろう。

 

続いてBIAに行く。ここも5年前に来て、極めて印象的だった。大きな目玉が描かれた絵が掛かっているところだ。現代アートと仏教が結びついている。あの目は何を見ているのだろうか。我々には何も見えていない、という表れだろうか。大きな池があり、施設は現代的で、ここも環境がよい。建物内ではセミナーが開かれているが、タイ語なので内容は分らない。

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輪廻について描かれた絵などもあり、ここにいると常に自らについて考える機会が与えられる。1室には暗い空間があり、その奥には非常に安らかに過ごせる場所が設定されている。皆思い思いに寝転んで、池を眺めたり、目をつぶったり。心地よい安らぎが訪れる。タイ人のバンダが同行しており、彼女からタイ式の礼拝の仕方などを習う。彼女とは、バンコックのヨーガクラスでも会ったし、何と言ってもインドのロナワラを訪ねた時、1年間のコースで勉強していたので馴染みである。今はタイに戻ってヨーガの先生をしているらしい。何とも優秀な女性である。

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施設内にショップがあり、皆さんは買い物を始める。これから始まる合宿に備えて、服などを買い揃えているのだが、私はまるで無頓着。A師と共に、自販機のコーヒーを飲んで待つ。それにしても、タイの仏教と言えば、一般人にはワットポーやワットアルンといった観光地の印象しかないが、随分と色々な面があるのだな、とつくづく思う。日本人ももっとタイの仏教を知るべきだろう。それが自分たちのためにもなる。

 

そういえば、5年前ここに来た時、ちょうどタイの高僧が来るというので、会いに行ったが、なんとそれは日本人だった。日本語で話しかけると日本語が返ってきた。タイで長年修行し、タイで誰もが知っているお坊さんになったというので驚いた。だがもっと驚いたのはその後、彼は突然恋に落ちて、還俗してしまったことだ。これは格好のスキャンダルとしてタイ全土を揺るがしたが、果たして信者のタイ人はどう思ったであろうか。

 

そしてまた車に乗り、ワンサニットへ。この2台のチャーターされたロットゥ。普段は普通に路線を走っているらしい。夫婦が個人で運転しており、今日はこの往復だけで十分に上がりがあるのだろう。荷物なども運んでくれて、実に親切。両側で花が売られている通りへ出ると、そこには懐かしいワンサニットアシュラムがあった。花屋?いや植木屋の規模もかなり拡大している。

 

このアシュラムへ入るには小さな川を越える必要があり、小舟に乗り、ロープを引いて渡らねばならない。一種の儀式のようで、何とも面白い。初めてここに来た10年前は、子供が手伝ってくれなければ渡れない感じだったが、今ではきれいになっている。いよいよここで私にとっての1週間の修行が始まる。

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世界お茶祭り2016(4)緑茶コンテストの授賞式

それからゆっくり1階を見て回る。お茶を販売するためのブースもあるが、その場でお金を取ってお茶を飲ませるところもある。何だかそれは新鮮。3階に上がると、下のブースが俯瞰できて面白い。そんなことをしていると、また終了時間が来てしまった。ちょうどエコ茶会のMさんと一緒になったので、静岡駅に向かった。

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驚いたことに、私とMさんは同じところに泊まっていた。夕飯はどうするのかと話していると、今朝のSさんの宴会が話題に上り、そこに合流することにした。実は我々、今晩は万が一台湾人か中国人が静岡にやってきた場合に備えていたのだが、どちらからも連絡がなかったのだ。

 

Sさんの宴会は10数人が参加して行われていた。後から割り込んだ我々、端の席でSさん、そしてTさんと話し込む。この会は皆さんお茶関係者だから、各場所で話が盛り上がっている。Tさんとは以前から顔馴染みだが、ゆっくりお話しするのは初めてで、楽しく時間が過ぎた。

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我々が待っていた台湾人、ジョニーは静岡にやってきたが、既に食事をしているということで放置。更には連絡がないと思っていた福州の魏さん、突然知り合いのS女史から電話をもらう。今浅草で魏さん夫妻を一緒だというのだ。それにしてもなぜ彼女が電話してきたのか。何と魏さんの携帯が壊れてしまい、連絡できなかったらしい。それでも繋がってしまうお茶の世界、凄い、というか、恐ろしい。Sさんたちは近くの別の宿に泊まっているようで、団体さんで帰っていく。

 

1030日(日)
魏さんと

翌朝はチェックアウトして荷物をフロントに預けて出掛けた。昨日のおにぎり屋さんも日曜日はお休みのようだ。もう慣れたルートでグランシップへ。駅で何と札幌の日げつさんと出会う。彼女の案内で1階のブースを回り、新たな出会いがある。札幌セミナーに呼んでくれたKさんとも再会。お茶祭りだ。

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魏さん夫妻が日本で有名なお茶博士、王さんの案内でやって来た。ジョニーもやって来た。この両者、初対面だが、私の親しいお知り合いだ。2人とも今回来日した理由は世界緑茶コンテストで最高金賞を受賞、その授賞式に出席するためだった。まずは受賞茶が展示されている会場へ向かい記念撮影。

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それから1階のブースを回り始めたが、皆それぞれに知り合いが多く、インド紅茶、台湾茶、日本茶、そして製茶機械から茶缶メーカーまで、あちこちで引っかかり、前に進まない。魏さんの熱心さが光る。お昼を落ち着いて食べるところもあまりない。館内のカフェで適当に済ませる。折角日本に来たのに、これでよいのかとも思ったが、魏さんの目的は何よりお茶。ご飯は二の次である。

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今日は天気も良いので富士山が見えるかもしれないと、館内最上階へ行ってみる。ここでは高校生が茶席を設けていた。大きな窓から外がよく見えたが、残念ながら富士山は隠れて見えなかった。魏さんの奥さんは、和服姿の日本人を見ると、『一緒に写真を撮って』といって、近づいていく。これもまた面白い光景だ。

 

それにしても魏さんは忙しい。隙があれば1つでも多くのものを見て、一人でも多くの人と出会おうとしている。この圧倒的な行動力についていく、彼の部下たちは大変だな、とつくづく思う。日本の和紅茶にもかなりの興味を示し、来年は茶産地を訪ねようと意気込んでいる。

 

午後3時から表彰式が始まった。受賞者は日本、中国、台湾、インドなど、各国から出ており、受賞茶もかなりの数に上っていた。その中で最高金賞10品のうち、魏さんとジョニーで4つを取っていた。各人が川勝静岡県知事から賞をもらい、記念撮影をしている。実はこの緑茶コンテストは世界お茶祭りとは関係ないのだが、その授賞式をお祭り内で行っているに過ぎないと聞いた。なんだか不思議な感じだが、まあお茶祭りの最後を飾るにはよい企画と言えよう。

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式が終わってもあちこちで記念撮影は続いている。お茶を販売する者にとって、このような受賞写真は重要だろう。またこの機会にネットワークを広げることも有意義に違いない。お茶の輪が広がっていくのは嬉しいことだ。蛍の光が流れ、お茶祭りは幕を閉じた。出口へ向かうとそこでも知り合いに会い、また立ち止まる。

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魏さんたちは新幹線で東京へ戻るというので、静岡駅まで送る。でも明日は京都へ行くというのだから、東京へ戻るのは反対だよ、と思ったが、仕方がない。私も今日は東京へ行くのだが、いつものように鈍行だ。静岡駅で切符を買っていると、MさんやSさんが通りかかる。『1時間だけ静岡の名物を食べて帰らない?』と誘われたが、すでにその気力はなく、ホテルに預けた荷物を取り出して、緩々と鈍行に乗った。よく考えてみればバスで行くこともできたのだが、何だか今回は頭が回らなかった。

 

世界お茶祭り、私にとっては魏さんたちが登場したし、セミナーも万里茶路で、世界を感じたのだが、正直言うと、全体的には日本お茶祭りか静岡お茶祭りに思えてしまった。どうしてこの名前が付いたのかはわからないが、恐らく中国の茶葉博覧会を常に見ている魏さんからすれば、寂しい会場に映ったことだろう。3年後、果たしてどうなるのだろうか、余計なお世話ではあるが、ちょっと心配になった。

世界お茶祭り2016(3)セミナーについて

紅茶セミナーは事前予約を受け付けないと言い、30分前から先着順というので、10時過ぎに行ってみたら、既に数人が並んでいる。私も並ぼうとしたら、何とすぐ近くに講師のY先生がいるではないか。中では主催者のYさんが忙しそうに準備に追われ、更には紅茶の呈茶担当の丸子紅茶組がバタバタしている。私はY先生から『日本の紅茶史』について、色々と聞いてしまった。

 

実は中国ではいつから紅茶という文字が使われだしたのか、と聞かれたことがあった。私も興味があったので、中国茶の関係者にかなり問い合わせたのだが、最終的に政府機関の研究員でもはっきりしなかった。そのようなことに関心を示さないのが現代中国だ。いや日本だって同じだろう。だからこのセミナー、お茶関係者の関心が極めて高い。

 

10時半の開場と同時に50人以上の人がなだれ込んだ。私も末席に連なる。私の横には日本茶のS先生、反対側にはKさんが座った。開会時には座席を増やして定員を超える70人近い人がいたらしい。今回一番人気のセミナーだっただろう。Yさんの挨拶に続き、丸子のMさんの軽妙なお話。やはり日本の紅茶と言えば多田元吉だから。

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Y先生も日本で紅茶という言葉が使われだしたのは明治初期と言い、それは中国の上海方言から来ていると、文献などを検証した内容を解説した。その前は赤茶とも表現していたらしい。その紅茶という言葉を、多田元吉らが広めていったということだろう。明治7年には紅茶を作るために、清国から技術者も呼び寄せているし、多田元吉自身も中国湖北省に紅茶と黒茶の研修に行っていたはずだ。地元ということで静岡と紅茶の歴史に触れられていた。

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そして多田元吉が植えたという100年以上前の茶樹、原木から摘んだ茶葉を使って作られた紅茶が振る舞われた。何とも歴史を感じる。紅茶は当時日本人が飲むものではなく、輸出される商品作物。日本人が紅茶を本格的に口にし始めたのは戦後だろうが、どのような経緯で飲まれたのだろうか。今回のセミナーは基本的に明治時代に絞られていたので、その後の紅茶史について、続編を期待したい。

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セミナー2

紅茶セミナーから急いで戻り、自分のセミナーの準備にかかる。と言っても昨日と全く同じことを話すのだから、それほど時間はかからない。ただ本日は昨日よりかなり多くの方が聞きに来てくれた。何とも有り難いことだが、その分プレッシャーもある。また2回、全く同じに話せた試しがないので、それも困るが、2日続けて参加という方はいないので、今日は今日の話をしよう。

 

何とか話を終えて、質問を受けた。質問された方は、私の説明が悪かったのか、私の意図していない理解をされていたので、その点は修正させて頂いたつもりだった。だがその夜、ネット上の公開の場で『金を払う価値のないセミナー』という批判をかき込まれていて、驚いた。

 

確かにお金を払って聞いてもらっているという概念が私の方に薄かったのは事実かもしれない。昨日のセミナーの前にも『今日は参加者も少ないので自由に話しましょうか』といったところ、『お金を払って聞きに来ているのだから、ちゃんと話してください』と言われて、ちょっと驚いた。これまでそのように言われたことなどなかったからだ。言われなかった理由、それはこれまではそもそも私の活動を理解している人が多かったからだろう。セミナーの題名だけで来てくれる人を受け入れるのは稀だったのかと反省した。

 

私としては、そのような批判がよい悪いではなく、セミナーをもう一度考え直す必要があると痛感した。一度セミナーをやめて、何が必要なのか、何を伝えるべきなのかを考える良いタイミングではないかと思った。今年は色々とセミナーをやり過ぎた。これまでも私のセミナーにかなり不満を持って帰った方がいたのだろう。Y先生のように文献に根差して検証していくのは学術的でもあり、説得力もあるが、私には難しい。私としては全ての方に満足いくような話はできないし、いくら考えても、限界はあると思うのだが、まあ、これも一つの契機であろう。

 

因みに私のセミナーにこれまで参加してくれた数人に『なぜ私のセミナーに参加するのか』を聞いてみたところ、『自分が行きたくても行けないようなところの話が出るから』とか、『珍しいお茶が飲めるから』『お茶を歴史という観点から考えたことがなかったから』などという答えが多かった。今回も『茶旅』を前面に出せばよかったのかもしれないが、『万里茶路』などという硬いテーマを掲げたため、専門的な話かと誤解されてしまったのかもしれない。

 

フラフラ

昼は大幅に過ぎていたが、ご飯を食べていなかったので、外へ出た。広場では屋台が出ており、食事が買えた。何となく富士宮焼きそばを食べた。疲れていたが、好きなものを食べれば元気は出る。それから昨日も見た釜炒り実演のところへ行くと、今日は有名なKさんが炒っていた。しかもそこへ静岡の手もみ茶の方が来られて、共演!何だかお茶祭りらしい光景だった。

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世界お茶祭り2016(2)レトロな静岡

歩いていると埼玉日高の備前屋さんと出会う。昨年一度お訪ねしただけだが、その後FBでのやり取り、台湾茶農家を紹介頂くなど、しばしば連絡を取り合っている。今年は日本茶アワードで受賞したという。常に勉強の人だ。後をついていくと、何とK先生がいた。しかもコスプレ?でマテ茶を淹れていた。私などは茶葉以外のお茶を飲むことなど極めて稀なのだが、積極的な備前屋さんはそこに座る。

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ブラジルやアルゼンチンなどで生産される南米の飲み物マテ茶。飲むサラダとも呼ばれ、体に良いと現地では相当飲まれているらしい。K先生からマテ茶の飲み方を教えてもらい、飲んでみる。何とも不思議なお茶だった。なんかボンビージャというフィルターのついたストローでちびちび飲む。現地では回し飲みが普通とか。それにしても中国茶や紅茶のK先生と思っていたら、マテ茶まで。実に多彩だ。

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雨の夜

時間が過ぎるのはあっという間だった。午後4時が本日の終了時間。外は雨。私は静岡駅まで電車で行き、予約した宿へ向かう。前回は駅の北側に泊まったが、繁華街で煩いので、今回は反対側にしてみようと思い南側にした。だが最近の方向音痴がさく裂して、ずぶ濡れになりながら宿を探す羽目に。ついにグーグルマップに頼る時が来たようだ。

 

その宿は、如何にも昔のビジネスホテルだったが、コンパクトで悪くはなかった。そして本来1泊の予定だったのが、明日も泊まることになったので、この宿に連泊しようと聞いてみるとなんと『明日は満室です』と言われて凹む。取り敢えず部屋で明日の宿を予約しなければならないと焦る。

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ところがネットで出てきた中に何とこの宿があるではないか。料金も変わらない。予約したうえで下に行き、『部屋、有るじゃないですか』というと、すかさず『それは喫煙部屋では』と言われ、更に凹む。ただフロントもちょっと調整してみます、と言ってくれ、結局禁煙の同じ部屋に2泊できることになる。有り難いことだが、何となく釈然としないところもある。

 

そのまま雨の中、外へ出た。今晩は疲れたので、早く休んで明日に備えたい。そこで駅へ行き、寿司を食べて、すぐに戻った。静岡では駅の寿司と言っても侮れない。かなり美味しいものがリーズナブルな料金で食べられるので、行くと必ず食べている。いつもならコンビニも寄り、更にお菓子など買うのだが、その気分ではなかった。宿ではウエルカムドリンクとして券を1枚くれていた。これを自販機に差し込むとコーヒーが出てくるので、それを部屋に持ち込んで飲んだ。面白い自動化だ。そして早目に安らかに眠る。

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1029日(土)

静岡の朝は

翌朝は当然早めに起きたので、朝食が必要になる。天気は回復しており、気持ちがよい。コンビニでサンドイッチでも買おうかと外へ出たが、すぐに古めかしいおにぎり屋さんが目に入る。そこは何と中で食べられるようになっていたので、入ってしまった。地元の人?が2人ぐらい、食べていたのが、おにぎりセット。おにぎり2個と味噌汁、漬物で300円也。おにぎりの具は自由に選べる。勿論作り置きのおにぎりをテイクアウトしていく人もいる。

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これはいい、と早々に注文する。店内のテーブルなどどう見ても昭和の雰囲気。そのテーブルの上には、なぜか朝からおでんが作られている。これも美味そう、と思っていると後から入ってきた女性がそのおでんを2-3本抜き取り食べ始める。静岡おでんは有名だから食べてみたかったが、そんなに食べられないと控えた。その横ではおじさんが朝から競馬新聞を読み、耳にイヤホンを付けている。本当にすごい!

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自分のセミナーは午後1時だが、紅茶セミナーを聞きたいので早めに行くことにしていた。ちょうど静岡駅で改札を入ろうとすると、向こうから顔馴染みのSさんが改札を出てきた。やはりお茶祭りに参加し、所属する協会の皆さんで茶芸を披露するようだ。何だかとてもテンションが高い。『夜は宴会がありますから、参加してね』などと言い、更には『朝ご飯食べてないから付き合って』と言われ、駅構内のコーヒーショップへ。

 

若者向けかなと思う作りのお店だった。Sさんはクロワッサンとコーヒーのセットを頼んだが、私は飲み物だけにした。メニューを見てびっくり。紅茶のコーナーの一番上に『ディンブラ』と書かれていた。普通の店なら『紅茶』とか、『ダージリン』ぐらいしか書いていないと思うのだが、いきなりスリランカの、それもウバやヌワラエリアではなく、ディンブラと書くのだから、相当に凝っている。実際出てきたお茶は、ポットに入っており、茶葉もしっかり。2杯分もある。これで290円とは驚く。日本の紅茶界は変わろうとしているのだろうか。

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紅茶セミナー

Sさんと電車でグランシップに向かい、10階に上がる。それにしてもこの施設、立派だな。地元の人にそれを言うと『税金の無駄遣い』など問う言葉が飛んで来る。箱物行政だろうか。因みにお茶祭りの規模は3年前と比べ、少し縮小しているようだ。予算が縮小しているのだろうか。広場の出店の数も減っているという。