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タイ巡礼、そして茶旅2017(11)パヤオからチェンライ散策

しかしそのうち我慢できなくなり、雨が止みかけたのをよいことに外へ出て湖を目指した。景色としては近くに見えるが歩くと10分ほどかかった。下は濡れているので何度か転びそうになる。そうしてやって来た湖は確かに美しく、吸い込まれるような感じだった。観光に訪れた人は屋根のあるところに固まり、ご飯を食べたり、話をしたり、楽しんでいる。

 

帰りにまた雨が降り始めたので慌てて麺屋に駆け込む。朝以来ご飯を食べていなかったので、美味しく掻き込む。ホテルまで戻るとまた雨が止み、麺で腹に空腹を呼び起こしていたので、更に探索して、叉焼飯を食べる。当たり前だがローカル飯は安い。そして美味い。本当にありがたいな。夜はまた雨となり、静かに就寝した。

 

7月22日(土)
パヤオの寺

翌朝は雨も上がり、散歩にはちょうどよい気温となっていた。朝ご飯は、ホテルに付いていたが、お客が少ないため、ビュッフェではなくメニューから選ぶ方式になっていた。こういう時はオムレツを頼むことにしている。でも隣のタイ人が麺を食べているのを見ると、それも美味しそうに思えてしまう。

 

外へ出た。レンタサイクルで行けばと言われたが、何となく歩きたくて歩き出す。この旅で定番なりつつあるお寺を目指す。大通りをずっと歩いて行くとパヤオ文化展示館があるはずだったが、残念ながら改修中だった。その先に最大の寺、ワット・シー・コムカムがある。規模が大きく、仏も大きい。寺の裏も湖になっており、いい景色が見られる。

 

更に道の反対側を登って行くと、ワット・プラ・タート・チョーム・トーンという長い名前の寺がある。龍の像が両側に置かれた階段を上って行く。かなり長く、疲れる。丘の上にはこじんまりした寺があり、女性が一人熱心に祈っているだけだった。私も後ろに座り、祈った。爽やかな風が吹き抜けた、それだけだった。

 

丘を降りて、適当に歩く。細い道に入っても、どこかには寺はあるのだ。ちょうど何かの法要が行われており、私は近くの木の下に置かれていた仏像に祈った。寺の名前はタイ語でしか書かれておらず、分からない。が、何となくいい雰囲気を感じていた。それからゆっくりと日差しが出て暑くなる中をホテルに戻る。

 

昼過ぎにホテルを出て、すぐ横のバスターミナルへ行く。15分後のチェンライ行きバスがあるというので、チケットを買ったが、全然やって来ない。ニーちゃんは英語が少しできるので、『大雨でバスが遅れている』というのだが、雨は降っていないので信じられない。仕方なく、他のバスを探すとロットゥがあるというので、買ったチケットをキャンセルして、こちらに乗り換えようとしたが、払い戻しは面倒なのか、なかなかやってくれない。そうこうしているうちにバスがやってきたので、何事もなかったかのように乗り込む。まあ、そんなものだ。

 

7. チェンライ
常宿が変わっていた

確かにバスは雨に濡れていた。そして出発後も少し雨に見舞われる。だが何事もなく1時間半でチェンライに着いた。まあ100㎞しか離れていないから、何とかなるのだ。ところが着いたのは新しい方のバスターミナルで、ここからソンテウに乗り換えて市内へ向かう。古いバスターミナルは改修中で、跡形もなくなっていた。

 

ここまで来れば慣れたもので、いつものホテルに向かうと、その向かいに新しいホテルが出来ていた。こちらの方がきれいだからと入ってみたが、料金を聞くと、何と向かいの倍だったので、すごすご引き下がる。まあ一晩だけだからどこでもいいや。ところが定宿は変わっていた。入口にあったレストランは無くなっている。

 

中に入ると前は愛想がなかったフロントがやけに親切だ。しかも料金は600バーツと前より安い。その代り、朝食はないよ、と言われる。そう、レストランを閉じたからだ。競争が激化し、合理化を迫られたらしい。部屋は相変わらずで、特に変化はなかったが。安くなったのはよいことなのだろうか。

 

洗濯物が溜まっていた。ここなら洗濯してくれるところがあるだろうと探しに出ると、すぐ近くにお寺があり、また入ってしまった。ワット・ジェヨー、ここは交通の要所で有名な場所らしい。付近にはゲストハウスが多く、外国人が沢山歩いている。そこに洗濯屋があった。今日中に洗濯を終わらせたかったので、急ぎでお願いすることにした。通常は100バーツぐらいで出来るらしいが、160バーツと言われる。それでもホテルで出すよりかなり安い。

 

洗濯を出すと、周囲を散策した。北の方に歩いて行くと、外国人向けのバーが並んでおり、サッカーなどテレビをやっている。その中にバレーボールがあった。最近タイの女子バレーは相当に強くなっており、日本も負けそうなほど、タイでの人気も高まっているようだ。更に歩いて行くと、大きなイスラム寺院、清真寺があった。チェンライはその昔から貿易拠点であり、華僑も多く、街に漢字が沢山見られるが、貿易相手のイスラム商人や回族もいたのだろう。

 

時計台がライトアップされていて、きれいだった。ただ雨が降り始め、早々に退散する。洗濯屋は苦戦しており、予定より時間が掛かったが、ちゃんと仕上げてくれた。追加料金も取られず、有り難い。夜は麺を食い、部屋でコンサドーレ札幌とムアントンのサッカー試合を見る。ムアントンは強く、コンサドーレにはタイのスター選手が入っている。アジア全体の底上げが図られている。

タイ巡礼、そして茶旅2017(10)花農園からきれいな湖へ

それから広い広い農園を散歩し始める。一体何種類植えられているのかと思うほど沢山の花が咲いている。見たことがないような花もあるが、いつも見ているのに名前を知らない花もある。世界情勢もそうだが、花のことも何も知らないことに愕然。FBなどにキレイな花をアップして、『それは何という花か?』と質問されたらどうしようと思ってしまうが、取り敢えず夢中で?写真を撮る。植物園のように色々な草花が試験的に植えられている場所もある。『植物は何も言わなくても驚くほど成長する』そうだ。

 

作業場ではタイ人スタッフが花の出荷に備えて作業を始めている。花は鮮度が大切だから、その輸出には気を遣うだろう。最近は経済が発展してきたタイ国内需要が増加しているとも聞く。確か5年前に『日本は細かいところにうるさいばかりでデフレで価格は上がらないから、もう輸出したくない』と言っていた記憶も蘇る。これから日本は世界から見捨てられていくな、と感じたのを思いだす。

 

道路の反対側にも農園は広がっており、最近植えたのか、背の低い花が並んでいた。5年前はこの辺を開拓して、長期滞在できる家を幾つも作る、という話を聞いた気もするが、それは夢に終わったのだろうか。それから道沿いをずっと歩いて見る。昨日の市場のあたりまでは行けるかと思ったが、車なら早いが歩いてはとても行けない。途中で数匹の犬に吠えたてられ、追い払われる。空しく帰途に就く。

 

午後はまた小雨が降る。ロッジから庭をずっと眺めていたが、なぜか掃除がしたくなり、そこにあった箒で周囲を掃き始めた。こんなことは滅多にないので自分でも驚いている。泊めて頂いているのだからきれいに使おうとか、掃除ぐらいするのは当然、と言った感覚ではなく、体が自然に動いてしまった。これもお寺巡りの効能だろうか。その日はそんなことをしながら、ほぼ1日を過ごした。こんな旅もあってよいと思う。いやむしろあるべきだと思う。実に質の良い睡眠がとれる。

 

7月21日(金)
パヤオへ

翌朝も早く起き、庭の散歩をしていた。母屋を通るとちょうどメオさんがお嬢ちゃんを学校に送る所だった。『今ならバスターミナルに連れていけるよ』と言われたので、面倒がないようにお願いしようと思ったが、さすがにSさんに挨拶もせずに出て行くわけにもいかないので、午前10時頃、送ってもらうことになった。メオさんには大変な負担をかけてしまい、何とも申し訳ない。

 

Sさんと朝ご飯を食べながら、また色々と話した。話題は全く尽きない。そしていつしか時間となり、名残惜しいがここを離れる時が来た。Sさんの体調が回復することを心より願っている。何とも心休まるこの空間に、次回また迷惑を掛けながらも、是非とも訪れたいと思う。

 

メオさんの車に乗り込むと、外へ出てすぐに停まった。農園の隣にカフェを作っているという。将来はここに宿泊場所も作り、エコを売り物にした農園にしていきたいと話してくれた。そうか、夢はこういう形で繋がれていくのだな、とちょっと感激。確かに彼女一人では訪ねてくる人の対応も大変だから、ちゃんとした宿の形式にして従業員を雇った方がよいと思う。次回はこのカフェでコーヒーを飲もう。

 

ターミナルまで送ってもらい、パヤオ行きのバスがあるか聞いてもらうと、『あるよ』という喜ばしい返事が返って来た。そこで彼女とは別れ、15分後に来るバスを待ったが、何とやってきたバスはボロボロ。しかも見たことがある。そうだ、これはミャンマー国境メーサイからチェンライへ行く時乗ったバスだ。何とこのバス、チェンマイ-メーサイ間を走る超ローカルバスだったのだ!パヤオまで90バーツ、とても安いが、一体どれだけの時間が掛かるのだろうか。まあ急ぐ旅でもないので、ゆっくり行こう。

 

しかしこのバスは本当のローカル。荷物は何とか後部に押し込むが、座席はガタガタ、勿論エアコンはない。ただちょうど涼しかったのでエアコンは不要だったが、それでも途中急に雨が降ると、皆が一斉に窓を閉めるなど、色々と大変なのだ。乗客も道路脇から乗り込んでくるが、長時間乗っている者などいない。途中のトイレが困ると思ったが、バスターミナルで若干の休憩(運転手の)もあり、その間にトイレに行けた。ただいつまで経っても着かないのだ。車掌は親切だが言葉は通じないので何も聞けない。

 

6. パヤオ
パヤオの湖

途中かなりの大雨に降られ、バスのスピードも心持ち遅くなり、バスがパヤオに入ったのは午後4時だった。何と5時間もかかっている。バスを降りるとまだ雨は降っている。周囲を見渡すとすぐ近くにホテルらしい高い建物が見えたので、走ってそこへ向かう。ちょっと立派そうに見えたが、中に入って聞くと、800バーツだという。ここもローシーズンの割引があった。

 

部屋へ行くと、街がよく見えた。更にその向こうにきれいな湖が広がっている。これがパヤオの湖か。タイでは有名な観光地だという。私はただ地図を見て、チェンライへ行く途中にパヤオをという地名があったので降りてみたが、存外いいところかもしれない。部屋からその景色を十分に満喫する。

 

タイ巡礼、そして茶旅2017(9)5年ぶりのランプーンへ

7月19日(水)
長い長いランプーンへの道のり

翌朝はホテルの朝食を食べた。勿論これまでのホテルより立派な食堂であり、メニューの豊富な朝ご飯だったが、結局食べたのはお粥やパン、目玉焼きで、これまでとそれほど変わらない。これで300バーツ出すのであれば、昨日の豚肉炒飯がもう一度食べたい、と思ってしまった。因みに朝食券を2枚もらったので、2度食べることも可能だろうが?それもしなかった。

 

昨日バスターミナルでランプーン行きのバスをチェックしたが、意外と少ない感じだった。ただ少なくとも午前11時には必ずあると聞いたので、10時過ぎに居心地の良いホテルを出て、近くでバイタクを拾い、ターミナルに駆け付けた。何しろ先日メーソットで『満員』を食らっていたので、気を付けたわけだが、切符はあっさりと買うことができて、手持無沙汰となる。

 

バスは11時過ぎにやって来た。ケンコーンからチェンマイへ行くバスだ。一応座席は決まっているがガラガラだったので、好きな席に座っていると車掌のおばさんに『ダメ』と言われる。仕方なく戻って狭い座席に座っていると、スコータイの遺跡を通り過ぎる。元はここに泊まるはずだったのに、と思っていると、白人が大勢乗り込んできて本当に満員となってしまった。カップルが席を代わってくれというので、ちょっと広い席に移動できたのはよかった。

 

当初5時間でランプーンに着くと言われて乗ったのだが、このバスも幹線の全てのターミナルに停まり、どう見ても早そうではない。先日通り過ぎたタークでは30分以上のランチ休憩もあり、進みが極端に悪い。しかも車内はクーラーが効きすぎて、体が冷えてしまい、体調を崩しそうになる。

 

実はランプーンではSさんのところにお世話になることになっていた。過去2度行っているがいずれも車で連れて行ってもらったので、バスに乗って自力で行くというのは初めて。午後4時頃バスターミナルに着く、と伝えていたにもかかわらず、午後4時にようやくランパーンまでしか行けなかったので、慌ててメールする。

 

5. ランプーン
久しぶりの花農園

結局午後5時半前にようやくランプーンに着いた。あまりバスの発着もない、ローカルな感じだった。そこにポツンとSさんの奥さん、タイ人のメオさんが待っていてくれた。恐らく1時間半以上、この何もないところで待っていただろう。何とも申し訳ない。メオさんの車で自宅へ向かう。そこはランプーンの街からも結構離れており、むしろランパーンに戻る方角だった。ただタイの長距離バスは頼んでおいても途中下車は危険だということで、取り敢えずターミナルへ行ったのは正解だったようだ。

 

家に行く前に近くのマーケットに寄る。そこで焼き鳥、焼き豚など今晩のおかずを買う。何とこの市場でも寿司を売っており、しかもなぜか白人女性がそれを買っていた。なんとも不思議な光景だったが、やはり市場というのは面白い。私は言葉ができないのでタイ人の後ろをついていくと色々な発見がある。夕日もきれいに線路に傾いていく。

 

5年ぶりにSさんの花農園にやって来た。以前より一層木が生い茂っている感じがする。その自然の中のコテージに泊めて頂くのが何とも楽しみだった。ここは何もしないでいるだけで十分に心地よい。かなり鈍感な私に、植物の力を感じさせてくる場所だ。すぐにあたりは暗くなる。

 

母屋で先ほど買ってきた焼き鳥などの夕飯を頂く。Sさんは最近大きな病気をされており、以前のように動くことは出来なくなっていたが、色々な話をしてくれた。娘さんも12歳になり、何でもお手伝いができる。タイ語も日本語も話せるようで、何とも月日の速さを感じる。息子さんは今やチェンマイの大学に行っているという。卒業後は、この花農園を継いでくれるのだろう。頼もしい限りだ。

 

夜は部屋に付いているシャワーを浴びて早々に就寝する。何しろ静かなのだ。時々微かに虫か何かが動く気配がするが、それだけだ。夜半に雨が降り出した。その雨の音がなぜかとても心地よく聞こえてくる。なかなか表現が難しいが、どこかに吸い込まれていくような、気持ちよい眠りがあった。

 

7月20日(木)
ゆったりとした1日

朝起きると軽く雨が降っている。傘を差して少し散歩した。それから母屋でお粥の朝食を頂く。この家には犬や猫が何匹かいるが、昨晩もちゃんと夕飯のおこぼれを狙って、ずっと待機していた。今朝も同様だ。猫は椅子の上に上がってきて、ついには私の膝の上で寝転がる。人間に対する恐怖心というものは皆無なのだ。ちょっと叩れたり、追い出されても遊んでいるような雰囲気だ。飼い主の愛が感じられる。

 

Sさんは体が少し不自由になったが、毎日朝からインターネットを通じて世界中の情報を集めて関心を寄せている。私などが知らない世界の話もよく知っていて驚く。『この問題をどう思うか?』などと聞かれても答えられない。アジア中を旅していると言っても、実はたかが知れている。しかも知っている分野は相当に限られており、多くの人が関心を寄せるような問題を全く知らないことが多いと痛感。

タイ巡礼、そして茶旅2017(8)突然ピサヌロークへ

7月18日(火)
なぜかピサヌロークへ

翌朝はゆっくり起きて朝食を食べ、昼前にホテルを出た。結局スコータイへの行き方が分からず、トゥクトゥクを呼んでもらいバスターミナルへ向かう。ところが運ちゃんは途中でスコータイ行きのソンテウがないか、聞き始める。だがやはり昼間はないようだった。仕方なくターミナルまで送ってくれたが、当初の金額+20バーツ出せと言い出す。元々決めた金額があり、その場所まで来ただけなのだが、追加を要求する、さすがにお断りした。

 

さて、ターミナルでスコータイ行きのロットゥを探したが、すぐに出るものはないという。まあ時間があるのでゆっくり行くかと思いながら、フラフラしていると、目の前に大型バス、そこにはピサヌロークという文字が見えた。何となく同じ方向なので、急きょピサヌロークに行ってみることにして、そのバスに乗り込んでしまった。

 

確かにバスはすぐに出発したが、このバスは村々を回るローカルバスだったので、色々な所に停まり、なかなか進まない。まあそれこそ時間はあるので、と余裕を持っていたが、座席が一番後ろでよくないこともあり、途中からさすがにちょっとイライラしてくる。文字が読めない私は、行先の英語だけでバスを判断しないといけないのだ。もっと豪華なバスを探すべきだったと言ってももう遅い。

 

ただいいこともあった。車掌が乗っているのだが、子供や年寄りが乗ってくると、ちゃんと席に誘導し、大きな荷物を抱えた女性などの世話も熱心に焼いている。乗っているうちに寝込んでしまった幼い子を抱っこし続ける母親には、2席空いているところに移動させていた。こういうところがタイのいいところだと思うし、車掌が必要とされる理由だろう。

 

結局3時間近く掛かって、ピサヌロークの街に入った。だがどこで降りてよいかわからない。取り敢えず終点まで行こうと乗っていると、何と郊外まで連れていかれてしまう。そこがバスターミナルだったのだ。急なことで、泊る宿の目星も付けていなかったのがいけなかった。

 

4. ピサヌローク
立派なホテルに泊まり

仕方なくネット検索して出てきたホテルを目指すことにして、バイタクと交渉しようとしたが、仕切り屋のおじさんがいて、彼が差配した。そのホテルまでは2㎞ぐらい離れていたが、炎天下に歩く距離ではない。ピサヌロークは思ったより大きな街で、道も広く、ホテルの前を通り過ぎ、橋の袂でUターンするほどだった。

 

しかしこのホテル、私には立派過ぎた。だがどうも歩いて探す気力が起こらず、フロントに値切り交渉をしてみる。すると『ネットの方が安いから』と言われ、Wi-Fiパスワードをもらって、ネット検索する。結局分ったことは、朝食ナシなら1300バーツ、朝食付きなら1600バーツという違いだけだった。前日の宿が500バーツだったから、奮発して朝食付きにしてみる。部屋へ入ると、確かに1600バーツの部屋だった。非常に清潔でベッドもよく、窓から街が一望できた。何だかちょっと嬉しくなる。後で聞いたところ、日本企業の出張者がよく泊まるホテルらしい。日本なら東横インに泊まる料金だからやはりタイは嬉しい。

 

街歩き
取り敢えず腹が減っていた。外へ出てみたが、すぐには店が見付からない。ちょっと行くと線路がある。これがバンコックとチェンマイを繋いでいる鉄道らしい。その横に店があり、うまそうな豚肉が下がっていた。思わず入って、その豚を指したところ、若者が英語で対応してくれた。しかも日本人と分かるとなぜがとても喜んでくれ、『この豚肉を入れてチャーハンを作ろう、そこに卵も乗せよう』とアドバイスしてくれた。この炒飯、滅茶苦茶うまかった。出来ればもう一度食べたい。この豚肉、かなり念入りに焙っているらしい。てっきり中国系かと思ったが、聞いてみると『中国は嫌いだ』と英語で答えていた。

 

ホテルの先の方に寺が見えたので行ってみる。川沿いのワット・ナンパヤーという寺だった。とてもすっきりした仏像が安置されており、暑さもあって、長い時間座り込んだ。外へ出ると、屋根の下でお坊さんが講義をしていた。話しているのは若い坊さん、聞いているのは相当の年配者。どうやら在家が一時的に出家して修行しているようだ。私も修行してみたいように思ったが、この暑さには耐えられそうもない。

 

もう一つ、もっと大きな寺があった。ワット・プラスリラッタナーというお寺。こちらにはここピサヌロークを治めた王の奮戦ぶりが描かれた絵画が飾られていた。仏塔も見える。本堂には大勢いの信者が集まっており、エアコンが効いているので、皆座り込んでおしゃべりしている。寺の機能として、皆が集まる場所、というのもあるかと思う。私も又ここでかなり座り込んでいた。だんだんお寺で座っていることに快感?を覚えるようになってきた。なぜだろうか。

 

夕方までホテルでゆっくり休んだ。ここでも雨が降っていた。少し止んだのを見計らって、街を歩く。まずは駅に向かった。明日ランプーンへ行くことになったのだが、列車でも行けるのではないかと思い、偵察に出た。だがどう見ても列車が沢山走ってようには見えない。ただ面白いと思ったのは、鉄道駅を中心に街が発展していること。タイで初めて見るケースだと思う。

 

川沿いまで歩いて行き、観光客が行くような市場へ出た。お客は多くなかったが、川風に吹かれながら、焼きそばを食べた。これはこれで風情があった。暗くなると本当に街は暗い。きれいな仏塔があったが、写真が写らないほど。何とか宿に辿り着くのがやっとだった。

タイ巡礼、そして茶旅2017(7)カンペッペの遺跡で思う

7月17日(月)
遺跡へ

カンペッペに来た理由、それは遺跡を見るためだった。タイ中部の遺跡と言えばスコータイなどが有名だが、出来ればあまり観光客がいない場所がよいと思い、この地を選んだ。だが、ホテルから遺跡までは歩いて4㎞近くあり、バスなどの交通手段はないという。タイの観光地によくある利権なのだろうか。プーケットやチャンマイとここは違うと思うんだけどな。タクシーなどはなく、トゥクトゥクが走っているだけなのだが。

 

仕方がないので暑くない早朝に散歩がてら歩いて行くことにした。朝6時過ぎに起きて、朝食のお粥を食べると、すぐに出掛けた。昨晩までの雨は上がっており、既に太陽は登り、日差しが出ていたが、それほど暑くはなかった。道は川沿いの大通りの一本道で間違えることはない。昨日見たお寺を過ぎ、渡った橋の近くを通り、ただただ歩いて見る。

 

その先の方から、ちょっと遺跡らしいところが見えてきた。このまま歩いて行けば入り口があるに違いないと思い、ひたすら歩いたが、ついに入り口はなく、遺跡もそこまでになってしまった。何と私は遺跡の入り口の反対側を歩いていたのだ。一本道だと思い込む、やはり地図などはきちんと見て歩かなければいけない。

 

その遺跡の先を回りこんで何とか入り口に着いたと思ったが、私が目指していたカンペッペ歴史公園はここからまだ先だったのだ。途中バイタクのお兄さんが声を掛けてくれたが、近いと思って断ったのが悔やまれる。その入り口に着いた時には正直もうクタクタだった。5㎞以上は歩いただろう。いい運動にはなる。

 

入り口で入場券を買う時、横を見ると自転車が置かれていた。貸自転車だというので、借りることにした。パスポートを預ける必要があったが、まあ無くなることもないだろう。入場者は殆どいない。自転車は快適だった。この公園は傾斜地にあるようで丘の上に向かって漕いでいく。雨ざらしの状態で、実に沢山の寺院跡があり、壊れかけた仏像が安置されている。

 

スコータイ時代のものが多いようだが、その破壊のされ方がかなりひどい。アユタヤなど、他の遺跡でも見られることだが、異教徒同士の争いは、極めて凄惨な結末を生む。これは現代でも続いている。そんなことをこの遺跡群は教えてくれる。組んだ足だけが残っている仏像を見ると、その痛ましい状況に耐えがたいものを感じるが、同時にそれでも数世紀の間、そこに座っている不思議さを思わざるを得ない。

 

奥の方に自転車で入っていくと、犬が何匹かいた。その横を通り抜けてさらに奥に行こうとすると、猛烈な勢いでその犬たちが私を追撃してきた。そのけたたましい叫び声と迫力は、とてもただ吠えているようには感じられなかった。その場所には私には見えない何かがあったに違いない。犬たちはそこを守っており、入って来る者を許さない、そんな世界があるのかもしれない。

 

この公園、何とも広い。自転車は正解だった。外周道路を走り、入り口に戻り自転車を返した。だが実は先ほど通ってきた方にも公園は続いていたのだ。また歩いてそちらに向かう。こちらはコンパクトで、仏像もかなり完全な形で残っており、ビジュアル的には観光客が見学するのに適していた。この遺跡全体に興味を持ったが、博物館は残念ながら休館日で、その歴史を知ることは出来なかった。もっと勉強してからくるべきだった。

 

帰りも歩いて戻っていく。お爺さんのトゥクトゥクが近づいてきて20バーツで乗らないかという。まだ歩けるので断ってしまったが、後で考えるとお客がいなくて困っていたのだろう。乗ってあげるべきだった。そう思うと急に足が痛くなる。ゆっくり歩きながら、街中のお寺を見たりして過ごす。次はスコータイへ行こうと思っているので、ロットゥ乗り場を探したが、見付からなかった。

 

昼前にようやくホテルに辿り着いた。もう1泊すると告げるとフロントのおばさんはかなり意外な顔をしたが、それでも笑顔だった。暑いシャワーを浴びてゆっくりとベッドでまどろむ。最高の気分だった。3時頃には朝出しておいた洗濯物も届けられてきた。洗濯代も安いので本当に助かる。

 

午後は雨が降っていたので外出せず。夕方何となく雨が止んだように見えたので、取り敢えず外へ出たが、まだほとんど歩かないうちにまた雨が降り出した。思わず小さなショッピングモールに駆け込む。そこにはちょうどケンタッキーがあったので、そこへ入り込んで休息のつもりが夕飯を食べてしまう。偶に食べると意外とうまい。

 

食べ終わると雨が上がり、川沿いを散歩する。そこには市場があり、色々な食べ物を売っていたのでちょっと残念。見るだけに留める。何と日本料理の提灯が見える。タコ焼きなどはこちらでも大人気、そして小さめの握り寿司も売られている。日本人にはなかなか手が出しにくいが地元の人は気楽に食べている。お寺もあったが、ここは中国式、華僑のためのものだった。華僑というのはどんなところにもいる、それは凄いことだ。

 

タイ巡礼、そして茶旅2017(6)チケット売切れでも行くカンペッペ

7月16日(日)
カンペッペへ向かうが

翌朝、ホテルで朝食を食べて、迎えを待った。近いのだが一応バスターミナルまで送ってくれるというのだ。バスの出発時間も分っているので問題はなかったが、見送りに来てくれるという心が嬉しい。ターミナルで涙のお別れとなる。次はいつ会えるかな。

 

一昨日確認したブースで11時のカンペッペ行きのチケットを買おうとしたら、何と売り切れだという。次は午後までないらしい。一昨日買おうとしたら当日しか買えないと言われたのだが、こうなると言葉が通じないのでお手上げだ。出だしで躓いた。ただこのような経験は何度もあるので、ターミナル内で聞き込みをしてみた。すると、ここからソンテウに乗って、町のバスターミナルへ行き、バスを乗り継げば行けることが分かった。面白そうなのでそのままソンテウで街へ行く。

 

ついにメーソットの街にやって来た。やはり一度は見ておかないと。ただ確かに何もない。バスターミナルというより、市場の横にバスが来るといった感じだが、一応チケット売り場があり、そのおじさんは英語を話し、ちゃんとしていたので安心。ロットゥに乗り込み、一路タークを目指す。

 

タークまで約2時間、所々山道はあるが比較的平たんな道を走っていく。席がちょっと狭くて窮屈、しかも意外と乗り降りがあり、私は席を立ったり座ったりと忙しい。まあでも僅か69バーツ。十分に我慢できる。タークは交通の分岐点、ここも見ておきたかったが、まずは目的地を目指す。カンペッペ行きのソンテウはすぐに見つかり、50バーツ払って出発した。

 

ロットゥは密室で窮屈だが、空いているソンテウは快適だ。特に天気が良い日は、風がとても気持ち良い。そしてどうやらロットゥにはスピード制限があるようだが、ソンテウにはないのか、速いのも魅力的。平らない国道、車も殆ど走っていないので、ビュンビュン飛ばしていく。気持ちいい!午後1時過ぎにソンテウはカンペッペのバスターミナルに入った。元々乗る予定のバスと同じぐらいの時間で到着したことになる。

 

3. カンペッペ
古いホテルは狙い目

バスターミナルはちょっと郊外にあるらしい。歩いて街に行けるのかよくわからないので、バイタクに乗ることにした。吹っ掛けられるかと思ったが、リーズナブルだった。目的地はよくわからないので、取り敢えずガイドブックにあった『ホテル ペ』と言ってみた。橋を越えて街に入り、意外と距離があってペホテルに到着した。

 

ここは昔街一番のホテルだったらしい。名前からして想像できる。結構立派な作りになっている。取り敢えずフロントで聞いてみると『1泊1300バーツの部屋が700バーツだよ』というではないか。しかも朝食まで付いている。更にはスタンダードな部屋なら何と500バーツだことが分かり、そこに泊まることにした。いくらなんでも安過ぎるのではないだろうか。

 

部屋は古びていたが、ネットも繋がるし、ホットシャワーも出る。何より部屋が広い。環境としては悪くない。更にはフロントのおばさんはそこそこ英語も出来て、とても親切で有り難い。このような昔のいいホテルが古びてかなり安く泊まれることを知ったのは幸運だ。これからの旅、狙いは昔の一流ホテルで行こう。

 

もう午後2時頃だが、腹が減ったので外へ出た。さすがに日差しが強くて、あまり歩く気にはなれない。すぐ近くに麺屋があり、うまそうだったので店頭でオーダーして中に入った。店主は髪を後ろで束ねた男性で一風変わっていた。店の中を見てびっくり。まるで骨董屋かと思うほど、古いビールやウイスキー、コーラのビンが飾られていた。反対側に何と仮面ライダーのフィギャーがいくつもあった。これはもうオタクの域を超えている。全て店主のコレクションらしい。食べ終わるとその横の市場でTシャツを2枚買う。

 

夕方までゆっくりと休んだ。暑い時は昼寝して、涼しくなったら行動する。地元のタイ人の行動様式を真似てみる。普通の観光客には時間がないが、私にはたっぷり余裕がある。今回の旅の一つの目的、それは『ゆとり』そして『茶以外の旅』だ。原則1つの街には2泊して、毎日移動しない、出来るだけゆっくりと街を回ることにしていた。

 

暗くなる前に宿を出て街の散歩を始めた。フロントでもらった地図はタイ語であり、よくわからないが、お寺の位置ぐらいは分かるので、そちらへ歩いて行く。お寺は大きかったが6時を過ぎており、本堂は閉まっていた。タイのお寺は境内にはいつでも入れるが、仏像を拝むのは午後6時までと学ぶ。

 

更に歩いて行こうとすると突然雨が降り出す。急いでホテルへ引き返すも、ちょっと腹が減り、食べ物はないかと市場へ紛れ込む。ただ市場も雨で店仕舞いが多く、食べるところがなかなか見つからない。すると一軒、鶏肉をつるした屋台があった。ここで鶏肉を買って部屋で食べようかと立ち寄ると、何と後ろに食べるスペースがあった。

 

雨も小ぶりで助かった。カオマンガイを運んできた少女が、なぜかとても嬉しそうな顔をしていた。屋台は父親がやっており、幼い弟がいる。今日は雨で商売はあがったり、鶏肉も売れ残って、と思っているところへ一人でもお客が来たのが嬉しかったのだろう。そんな顔を見ているとなぜか『きっとこの子には母親はいないんだろうな』と思ってしまった。笑顔の中にほんの少し影が見えるのだ。何と言うこともなく、寂しい気分になって、ホテルへ帰った。

タイ巡礼、そして茶旅2017(5)メーソットお寺巡り

7月15日(土)
お寺巡り

翌朝はゆっくり起きた。さすがに昨日の夜行バスの疲れが出ていたのだろう。最近夜行をあまり使わなくなって、少し柔になったか。朝食は宿で付いているので、お粥と目玉焼きを食べる。今日は土曜日、特にゆったりしているように感じられた。昨晩の雨も何とか上がっている。

 

10時頃にスス一家が迎えに来てくれた。因みにアイちゃんには若い女の子が子守役としており、どこに行くにも付いてくるので、一家は4人である。今日は車でメーソット見学に連れて行ってくれるというのだ。ただメーソットに観光する場所はそれほどないとのことで、ヤンゴンの時のようにお寺巡りが始まる。私はこれが嫌いではない。いや、むしろ好きなので歓迎だ。まあススとの付き合いは15年近くになるのだから、私のことはかなり分っているはずだ。因みに今回行ったお寺、名前は憶えていない。何しろ文字は全てタイ語、しかも案内人がいるので覚える必要がなく失念。悪しからず。

 

まずは鶏の像が沢山置かれている寺へ。ここはミャンマーの王様が関係して建てられたお寺だという。この付近は昔、タイの王朝に支配されたり、ミャンマーに入ったりと、随分時代に翻弄されたことだろう。そんな中で今のタイ人にもミャンマー人にも崇拝されるお寺、素晴らしい。

 

何故鶏が沢山置かれているのか。幸運を呼ぶかららしい。それにしても圧巻の並びに、願いが込められている(笑い)。参拝者も皆記念撮影している。ロンジーを履いたミャンマー人も多く見られる。ミャンマー人がタイ国境を越えて観光に来る、そういう時代に入っているのだ。

 

次に行ったのは洞窟。この付近も山間であるから、洞窟もあるだろう。何となく昔ススと行った、シャン州ビンダヤの洞窟を思い出す。あそこは相当奥まで仏像が並んでいた。ススは空気が悪いと言って中に入らなかったはずだが、ここは奥には入れず、入り口付近の仏像にお祈りするだけ。アイちゃんも流石ミャンマー人、きちんとお祈りできている。こういうのが、親の教えというのであろう。

 

郊外の舗装されたいい道を走っていると突然『ここから始まります』と言われたが何のことか。マジックヒルと英語でも書かれている不思議な上り坂だという。スタートポイントから数十メートルは、車のエンジンを掛けなくても、自動的に車が登っていくというのだから、確かにマジックである。何か自然科学的原理があるのだろうが、神秘のままでいいか。

 

3つ目のお寺で黄金の仏像を拝む。ここはいかにもお金持ちの寺、という印象で、きれいな室内にきれいな輝く仏像が安置されている。最近タイのお寺のお布施箱は、殆どが金庫式になっているのがおかしい。泥棒が多いのだろう。信心も金には勝てない時代なのだろうか。日本でも賽銭泥棒、いや仏像泥棒は多発しており、そのせいか?寺は固く門を閉ざし、用事の無い人間の来訪を歓迎しない。それって仏教なの、と思う事態だ。

 

お昼は郊外のとても雰囲気の良いレストランへ行く。大自然の中にある、という感じなのだが、庭などは非常に人工的でちょっと日本の庭園管理を入れているのかと思うようなアンバランスな印象。トイレの作りも変わっていて、アイちゃんはお気に入りらしい。ちょっとしたテーマパークのようにも見える。タイ人にはとても人気のあるところだという。確かに従業員の対応などは良い。

 

料理はススが選んでいるが、なかなか美味しいものを選択している。やはりミャンマー料理よりタイ料理の方が美味しいのではないか、などと言えばミャンマー人は怒るに決まっているが、実際に食べているところを見えればそれが分かる。それはインドの料理より中国の料理の方が美味しいよね、と言っているような感じではなかろうか。

 

午後も又お寺に向かった。普通の日本人なら、もう勘弁してほしいという気持ちになるかもしれない。その昔の私もそうだったが、今ではお寺の違いや面白いものを見付けて楽しんでいる。最後の寺はそれにふさわしかった。何と境内に骸骨の人形があるのだ。これにはアイちゃんも興味津々。タイのお寺には可愛らしい人形が置かれていて、面白いのだが、まさか骸骨が登場するとは。

 

でも可愛いものがある一方で、人間は死んだらこうなるんだよ、という不気味な模型が置かれていたりもするので、普通のことなのかもしれない。またここにはきれいな傘が飾られていたり、花がふんだんに飾られた自転車が置かれていたり、その由来は何だろうと思うものが一杯あるのだ。お寺とは本来何のためにあるのかを考えさせてくれる1日だった。

 

ホテルまで送ってもらい、彼らはまたミャンマーへ帰っていった。近いとはいえ毎日出入国、これは大変だ。ホテルで休んでから、夕飯は近所にあった麺屋へ行き一人で食べた。昼ご飯を食べ過ぎているのでこれで十分だった。その先にあるロビンソンデパートをちょっと見て、帰って寝てしまった。結局メーソットの繁華街がどこにあるかもわからないまま、次に向かうことになる。

タイ巡礼、そして茶旅2017(4)ミャワディ ワンデートリップ

まずはメーソットで泊まる宿へ。きれいなホテルに連れて行ってもらったが、周囲には何もない街外れ。朝8時でもすぐに部屋に入れるのはなんとも嬉しい。この田舎で1泊1000バーツだから、新しいそれなりのホテルだろう。スス旦那はタイ語が少しわかる程度、友人のタイ人パートナーがすべてを取り仕切ってくれる。

 

それから朝ご飯を食べに行く。この辺の名物という麺だったが、そうめんのように見える。そこに野菜や汁を自分の好みで掛けて食べる形式。わんこそばを思い出す。かなりの量が腹の中に納まる。タレがうまいのだ。食後はアイスチャイを飲む。ここはコーヒーが有名のようだが、これがまた美味い。何だかタイに来た気分になる。

 

車はアジアンハイウエー1号線を走り、すぐに国境に到着した。タイ側を出国して、次にミャンマー側のイミグレ部屋に入る。まるで『いらっしゃい』と言われているような顔で、『1日、500バーツだよ。午後6時前には必ず帰って来るんだ』と言われ、パスポートを預けて入国を許される。

 

何とも呆気ないイミグレだ。後で見てみるとちゃんと入国スタンプは押されている。いわゆるワンデイトリップというヤツだが、私には初めての体験だった。後で気付いたのだが、陸路でタイに入国するとビザ免除は15日しかもらえない可能性があり、そうなると私の旅の予定が狂うところだったが、再入国では30日くれたのは助かった。パスポートが無くならないか、とても心配になる。それと1日500バーツというのはいかにもボッタくりだなと思う。まあ、これも可愛いアイちゃんに会うためだから仕方がない。

 

国境付近はさすが人も多く、車も連なっている。ミャワディ側に入ると急に道が悪くなる。そして狭くもなる。ススたちの住む会社の事務所はすぐそこにあった。前はお寺だ。それだけで落ち着く。国境貿易業を営む旦那はここミャワディを拠点に、頑張ってきた。ススとアイちゃんもいつの間にかヤンゴンから引っ越してきていた。アイちゃんとは4月にススの姉、ピョピョの結婚式のおり東京で会っている。2歳を過ぎたアイちゃんは可愛らしくなっており、もう一度会おうとやってきたわけだ。

 

小雨が止んだので、みんなでお寺に出掛けた。アイちゃんは私のことを覚えているのだろうか。ピタッとススにくっ付いたきりだ。このお寺には大きな龍の像があり、そちらに興味がいっている。まあ元気だからそれでよい。それから昼ご飯を食べに行くと言われたが、車は非常に道の悪いところを走っていく。どう見てもレストランなどありそうにない。

 

ところが突然立派な建物が目に前に見える。何とそこはカジノだった。免税店も併設されている。そこにチョウヤの梅酒が売れられていたのがおかしい。何となく外からでもカジノの様子が見えたが、勿論平日の昼間、お客は殆どいない。恐らくは週末にタイ側からカジノ客が来るのだろう。ミャンマー-タイ国境にはこんなカジノがあることは既にタチレイで体験済みだ。

 

その横にレストランがあり、そこにはランチを食べるお客がいた。料理はやはりタイ料理。結構上品でうまい。ススは美味いものがある場所をよく知っている。アイちゃんもご機嫌で食べている。外には川が見えるが、その狭い川幅の向こうはタイだった。ここなら夜、ちょっと川を渡ればすぐにタイに行けそうだ。密航者はいるだろうか。

 

その後、また悪路を走り、別の川沿いへ出る。そこからは橋の建設が見えた。あれが第二の国境橋だという。アジアンハイウエーは現時点ではあまり動いているようには見えないが、その内橋が出来、動きが出てくるかもしれない。タイとミャンマーの国境は、時々来てみる必要がある。

 

メーソットの帰りにはススとアイちゃんも一緒に来るという。彼らは特別のライセンスがあり、簡単に国境を越えられる。私は先ほどのイミグレ部屋に戻り、無事にパスポートを取り戻した。これで一安心。折角なので、橋の上を歩いて国境越えをした。特に目立つものはなかった。

 

タイ側に戻ると、すぐに道路沿いのホームセンターへ行った。これはスス旦那の要望だったが、何を買うのかと付いていくと、何と自家発電機を熱心に見ている。またこのセンターには多数の自家発電機が展示されていて驚く。基本的にこの店にはミャンマー人が多く来ることが想定されており、ミャンマー人の欲しい商品として、発電機があるのだ。これが今のミャンマーの電力事情を表している。旦那もお客さんからの要請にしたが、商品を写真に撮り、メールで送って検討を促している。ミャンマー人従業員もおり、ミャンマー語で会話している。

 

それ以外にもこのセンターには沢山の商品があり、ミャンマー側のススとアイちゃんも喜んで食べ物や日用品を買い込んでいる。ミャンマーが発展したとは言ってもまたタイの経済格差は大きい。その後ロビンソンデパートにも行ったが、パンやお菓子、水はそこで調達していた。洋服などもここで買うらしい。夕飯もMK火鍋となり、完全なタイ仕様だった。雨の中をアイちゃんたちはミャンマーへ帰っていった。

タイ巡礼、そして茶旅2017(3)VIPバスでメーソットへ

7月13日(木)
お茶会

今朝は宿をチェックアウト。9時前にはカフェの店員が来ていないので、荷物を共有スペースにおいて、出掛けていく。もう慣れ親しんだMさんの家に向かう。今日は恒例のお茶会。少人数でゆったりとお茶を飲み、私の話を聞いて頂くという趣向が気に入っているので、止められずにいる。

 

始めたのは5年も前。当時は私自身もバンコックを臨時拠点にしており、開催回数も多かった。20人ぐらいでやっており、会場も大きかったが、その後少人数に切り替わり、現在に至っている。元はタイにも茶畑があり、タイ産のお茶があることをバンコック在住者に知ってもらおうという意図だったが、今は純粋にお茶を楽しみ、お茶の話題を提供している。

 

前回同様MさんのPCにパワーポイントが入っておらず、東京に行っているお嬢さんのPCを借り、東京との電話のやり取りで接続しているところが、いかにも現代的だ。そしていつものメンバーに集まって頂き、また初めましての方にもお出で頂き、最近の台湾や中国のお茶の話題をパワポを使って、お話しした。お茶はMさんが淹れてくる。あっという間に2時間が過ぎ、時間をオーバーして話し込む。年に1-2回は今後もお茶会を続けたいなと思う。

 

それからランチを食べて、スクンビット通りソイ53を歩いて見る。なぜここを歩くのか。それは香港長洲島のお爺さんが1975年頃、ここでプーアル茶を作っていたと証言していたからだ。勿論茶工場が残っているはずはなく、40年前の面影が見られるとも思えないが、ちょっとその雰囲気を味わう。このソイ、ゆったりとした住宅街で、意外と昔の影があった。大きな木があり、古い家もチラホラ。お爺さんがここへ来れば、懐かしむだろうか。これも一つの茶旅と言える。

 

銀行で用を足し、宿の方向へ戻る。途中でまたマッサージ屋に寄り、ゆっくりをとマッサージを受けた。このお店、かなりの大型店であり、海外からのお客も多い。ヨーロッパ系もいるが、韓国系、中国系が主になっているように見える。中国人も結構英語で対応している。マッサージ師とは言葉は通じないが、特に問題はない。

 

バスターミナルへ
それが終わると歩いて宿へ向かう。途中の市場で麺を食う。今晩は夜行バスなので、こまめに食事を腹に入れておくのがよい。周囲に安い屋台がないからか、結構お客がいた。今やバンコック中心部では、安いご飯を食べることが難しくなってきているようだ。食後、宿に帰る。預けた(置いておいた)荷物を受け取るが、バスの時間までは早過ぎるので、カフェで時間を潰す。

 

しかしお客がいなくなり、店員は帰りたそうだったので、外へ出た。例のバスでゆっくりとバスターミナルに向かうつもりだった。バスは結構混んでおり、道も混んでいたが、時間に余裕があるので問題はないと思っていた。このバスは6.5バーツと安いので乗る人が多い。そしてどんどん郊外に進んでいき、客も減って来た頃、突然Uターンして停まってしまう。何とバスターミナルまで行かなかったのだ。

 

これにはちょっと慌てた。何しろ真っ暗の中、自分がどこにいるのか分らない。文字も読めない。取り敢えず道路脇のバス停に行くも要領を得ない。少し歩くと交差点があり、お巡りさんがいた。聞いてみると、言葉は通じないが私の意図を理解し、タクシーを止めてくれた。結局安く上がるとバスに乗ったものの、タクシー代が高くつく。しかもかなり早く着いてしまい、時間を潰すのにも苦労する。

 

夜行バス
バスターミナルは若干エアコンも効き、快適ではあるが、人が多い。地方へ行くバスは夜行が多いということだ。メーソット行きは予約したバスより1時間前のものがあり、乗りたかったが、メーソットに早く着きすぎても先方に迷惑が掛かるので止めにして、色々と見学して回る。まあネットも繋がるので、問題はない。

 

ようやく乗るバスがやって来た。立派なバス、私の座席は1番前。座席は広く、隣は不在。充電も可能で非常に豪華。さすがVIPシート。飲み物とスナックも配られて快適。出発間際にオランダ人カップルが乗り込んできて、『こんなに安い料金でビジネスクラスのサービス、驚いた』と言っていたが、私も同じ感想だった。これからVIPに乗ろうと思う。

 

既に時間は夜の10時半、出発してすぐに寝入ってしまった。平地の道をスイスイと走ったようだ。夜中の1時頃、どこかのサービスエリアに停まる。取り敢えずトイレに行き戻ってみると、多くの乗客が飲み物を受け取っていた。どうやらバスチケットにクーポンが付いており、それを出せば無料でもらえるらしい。文字が全てタイ語で分からなかったのだ。折角なのでハニーレモンをもらったが、これが意外とうまかった。玄米茶は微妙な味。

 

それからうつらうつらしながら山道に入ったことを認識した。朝5時過ぎにはうっすらと明るくなり、かなりの山の中にいることが分かった。そして6時半、メーソットの街に入り、バスターミナルにバスは停まった。8時間のバスの旅は終わりを告げた。体は夜行でもかなり楽だった。

 

7月14日(金)
2. メーソット
ミャワディへ

早々にススにフェイスブックで連絡をした。ススは旦那の仕事の関係で、ここメーソットの対岸、ミャンマー側のミャワディに住んでいるのだ。ミャンマー人も許可があれば、メーソットに来るのは簡単だというので、迎えに来てもらうことにしていた。ただ朝が早過ぎて、ススの旦那が車でやって来たのは、1時間ぐらい経ってからだった。まあ眠かったのでぼっとしているとすぐに時間は過ぎた。

 

タイ巡礼、そして茶旅2017(2)運河ボートに乗って

気が付けばバンコックに来たのは昨年12月以来。帰りにちょっと散歩してみると、所々に変化が見られる。まずはアソークの近く、スクンビット通り沿いになぜか怪獣のテーマパークが出来ている。観覧車も見える。ここには元は何があったのだろうかと考えたが全く思いつかない。いずれにしても、突然街の真ん中にこんな物が出来てしまうのが、タイらしい。

 

そのすぐ近くには北朝鮮レストランも出来ている。昔からあったのかもしれないが気が付かなかった。営業時間前、中では女性従業員が踊りなどの練習をしているのが見えている。以前北京で行ったことがあるが、まあそれほど面白い所ではない。でもなぜか人気なのが不思議だ。

 

タイと言えば、やはりセブンイレブンにはよく行く。暑いので、水分補給は水かポカリスエット。最近はアクエリアスの細いボトルも売っているが、明らかに日本とは味が違う。そんなセブンで会計しようとすると、中国人観光客がどっと押し寄せている。そして皆が微信で支払いをしている。ついにタイでも微信決済か。私も使ってみたい衝動に駆られる。

 

疲れたので近くのマッサージ店に入ってみる。普段は脚マッサージばかりで、タイ式マッサージはあまりやらないのだが、ちょっと眠気があったので、そこで寝るつもりで受けてみる。これが何とも気持ちがよい。終わった後に冷たい水を飲むと本当に心地よい。病みつきになりそうで怖い。夜はやはりやはり早く寝る。どうも様々な疲れが出てきたようだ。

 

7月12日(水)
ボートの旅へ

翌朝も早く起きた。夜中に雨が降ったようだが、朝は止んでいた。宿のすぐ近くに運河があり、そこには乗合ボートが走っているのが見えた。特に予定がなかったので、散歩がてら、これに乗ってみようと、とっさに運河に降りた。ボートはすぐにやって来たが、どうやって乗るのか見ているうちに、皆が乗り込み、あっという間に行ってしまった。

 

ボートが着くと、大勢が降りてきて、乗る側はその後ボートのへりにつかまり、飛び乗るような感じでボート内に入っていく。ちょうど席が空いていたので座り込む。すると動き出したボートはすぐに水しぶきを上げ、危うく、ずぶ濡れになる。前の女性がビニールシートを持ち上げ、難を逃れる。これはかなり動きの激しい、スポーツのような乗船だ。

 

料金は車掌?に手渡し。いくらか分らないので20バーツ札を差し出す。お釣りが返ってこないので20バーツらしい。この運河ボート、意外と乗り降りが激しいので驚く。乗っている人は渋滞を避けた通勤途上の人々だから、服装はちゃんとしている。黒が多いのは未だに王様の死を悼んでいる。この服装でこの水しぶき、ちょっと日本ではあり得ない。しかも水はきれいとは言い難い。

 

終点を迎え、全員降りた。どうしようかとみていると更に先に行くボートが来て、乗り込む。僅か10分ぐらいで、また終点を迎えた。ここはどこだろうかと運河から上がってみると、何となく見たことのある光景が。ここには以前来たことがあるお寺があった。まずはお寺に入り、仏像を拝む。そうすると心が落ち着く。

 

それからどうやって帰るろうかと歩いて行くと、何と前回訪れた王宮への道を歩いていることに気が付いた。今日もまだ多くの人が王宮を目指している。私も王宮まで歩いて見たが、中には入らず、カオサン近くのバス停からまた無料バスに乗り込む。そろそろ戻らないと昼の約束に間に合わなくなる。ところがこのバス、アソークの裏を回り、そのまま高速に乗ってオンヌットの先まで行ってしまい、エラク遠回りとなってしまう。

 

ちょうど宿に辿り着いた頃、同級生のOさんから遅れるとの連絡が入る。待ち合わせはプロンポンの紀伊国屋。まあ先に行って少し本でも見ることにした。東南アジア関連の本がここには沢山あるからだ。ミャンマーの本が多い。どこまで真実が語られているのだろうか。またビジネスが進められるのか。

 

Oさんと落ち合い、まずはユニクロへ。ステテコを買いに行くが、ちょうどよいものがない。それにしてもタイのユニクロにもステテコがあることが驚きだ。続いてエンポリアムの上のフードコートに行く。ここは昔よりきれいになっているが、お向かいの新しいショッピングモールのそれより、安い。そしてそれほど混んでもいない。いつものカオマンガイを食べる。カメラを落として立ち上がってしまったが、向こうの席のお客さんに教えてもらい、事なきを得る。

 

それからエンポリのカフェでずっと話し込む。3時間以上はそこにいて、随分と色々な話をしたと思うのだが、それほど記憶には残っていない。何故だろうか。むしろタイ人男性が大声で携帯電話を掛けていたり、セレブの奥さんたちが騒いでいたりしたのが気になってしまった。帰ろうとすると、日本人のセレブ、Sさんが入って来たのにはびっくりしながら挨拶した。

 

帰りにアソーク駅のところにあるタイ茶のショップに立ち寄り、タイ茶アイスを食べた。昨日Tさんから『タイ茶アイスが大人気だ』と聞いていたので行ってみたのだ。このタイ人が好きなオレンジ色のタイ茶、2年前に茶工場まで訪問して色々と話を聞いたのが懐かしい。確かに行列ができていて驚く。45バーツで結構幸せな気分になれる。

 

そのままアソークから歩いて行くと、途中にすき屋があった。日本ではまず入ることがないのだが、『かつ丼』の文字が新鮮で、寄ってしまった。牛丼ではなくかつ丼。店は若者を中心に混んでいる。私のことはすぐに日本人だと分かるようで、英語で応対してくれる。170バーツぐらいでセットメニューを頂く。タイではこんな形態が流行っているのだと勉強になった。