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極寒北京旅2023(3)寒い日は鍋

11月26日(日)寒い日は鍋

昨日は久しぶりの北京で張りつめていたのか、疲れを感じなかったが、さすがにチェンマイからの移動とこの寒さでかなり長い時間寝た。そして朝飯は宿についていたので、昼前まで外へは出なかった。シャワーを浴びるのも、部屋は十分暖かいはずなのに、意外と寒い。これが北京の冬だなと何となく思い出す。

昼前に宿を出て近所を歩く。何だか立派なビルが沢山建っている。その反対側には小さな食堂が軒を連ねている。いい湯気が上がっているところもあるので、ちょっと食べたい気分になる。だが約束があった。Sさんが予約してくれたお店も、また石鍋だった。やはり冬の北京は鍋が定番、ということなのだ。しかもこの鍋、最近流行っていると言い、選んだ立派な魚をぶつ切りにして、鍋にぶち込む。確かにこれは旨い。そしてスープもいい感じだ。湯気が上がるパフォーマンスも人気のようだ。

Sさんとも久しぶりなので、話がどんどん進んでいく。最近の中国の話しから、仏教の話など、話題は多岐に渡り、止めどなく発展していく。気が付けば、周囲にいたお客は皆帰ってしまい、3時間も話し続けていた。2人ともおしゃべりなのは当然だが、コロナ禍の長い期間を経た上での会話だった。中国の店は、何時間居ても、出て行けとは言わない。

店を出て三元橋駅まで歩いて行く。意外と遠い。その上工事中で入口が分かり難い。そこから地下鉄で西単へ向かった。昨晩Iさんに交通カードをもらったので、今日からは切符を買う必要がなくなり、何とも快適になって嬉しい。西単には大きな本屋があり、以前も良く行っていた。だが行ってみると、図書大厦の中はかなり変わっており、おしゃれな本屋のようになっている。お茶関係専用コーナーも何とか見つけたが、最近の流行り、傾向をよく表していて、私が探している本はなかった。

宿近くまで戻ってくると、既に夜の帳が下りていた。月はほぼ満月。シンとした北京の夜だった。昼が食べ過ぎだったので軽く麺でも食べようと思い、山西刀削麺の店に入ったが、その量は南の物ではなかった。味はまあまあだったが、もっと美味しい所があったのでは、と思ってしまった。何となく物足りなくて、帰りに清真の売店で煎餅を焼いてもらい、持ち帰って食べる。何とも温かく、懐かしい。

11月27日(月)久しぶりに茶城へ行くと

今朝は天気が良いようだ。ダラダラしながら、朝ご飯を宿で食べる。まあここの食事はどこでも同じようなものなので、お粥とフルーツを中心に頂く。部屋に戻ろうとすると、何とお掃除ロボットが、私の後に来たおじさんについて動き、何とエレベーターにまで乗り込んできて驚く。何と可愛げのあるロボットだろうか。後で聞けば、これはお掃除だはなく、配送ロボットだったか。

朝ご飯を食べると出掛けることになっていた。バスで行くには面倒な場所。ついに車を呼んでみる。アプリも入れてみたが、ちゃんと起動しないので困ったが、フロントで聞くと、支払いアプリからそのまま呼べると聞き、やってみるとちゃんと車が来た。そして支払いは勝手に引かれるので、何も考えなくてよい。これは本当に楽だった。Grabの上をいっている。

極寒北京旅2023(2)懐かしい北京

取り敢えず空港タクシーに乗る。本当はアプリで呼びたかったが、待ち合わせが難しいと聞いていたので、仕方なく乗る。年配の女性運転手だったが、訛りが酷くて半分も分からなかった。真っ暗な中、車は何となくいつもと違う道を進んでいるような気がする。コロナで4年ぶりの入国だから景色も変わっただろうか。予約した宿に着くと、料金は100元近くなっており、更に運転手はチップをくれてせがむ。もうこういう時代遅れな運転手は空港ぐらいしか商売できないのだろう。

宿に入ると、『昨日は金曜日で本当に満室だったので、まだ部屋の準備が出来ていない。午前9時にもう一度来て欲しい』と言われる。日本だったら午後3時に来てくれだから、やはり中国のサービスは良い。荷物を預けてカフェにでも行って待つことにしようと外へ出た。まだ零下6度の表示、夜明け前の街だが、何故かそれほど寒さを感じない。

懐かしい亮馬橋までやってきた。この辺にマックがあるのだが、何となく地下鉄に乗りたくなり、駅へ降りていく。自販機で切符を買おうとしたが、何と身分証をかざさないと買うことが出来ない。仕方なく窓口を探して買う。駅名を言わないといけないので、思いつくまま国貿と言ってしまう。北京市民はQRコードで乗車しているらしい。

さすがに土曜日の午前7時前。地下鉄は空いていた。老人が多い気がしたが、彼らはほぼマスクをしていた。コロナに加えてインフルも流行しているとの話があったが、チェンマイでマスクをしなかった私はそのままにしていた。国貿で降りて、中国大飯店のロビーを通り、懐かしいその辺の道を歩いてみた。勿論ビルは変わっていないが、店などは大きく変わったように思われる。

歩いていると少し寒さを感じてきたので、急いでマックに入った。朝食セットとして、お粥とマフィンがあったので、それを注文してゆっくりと食べた。ダラダラしていると宿に戻る時間となり、また地下鉄に乗って戻る。何と小雪が降り出した午前9時過ぎ、無事にチェックインして部屋に入り、とにかく疲れたので寝ることにした。

11時半に部屋を出てまた亮馬橋方面へ向かう。燕沙から歩き、光明飯店まで。25年の昔毎日のように歩いた道だった。勿論今や立派なビルが並んでいるが、その道自体それほど変化はない。光明飯店は当時オフィスがあった場所であり、私が中国を学んだ辛く厳しい学校だった。3階に行ってみると、全く雰囲気は変わっていたが、建物の構造は一緒なので、何となく懐かしい。

地下1階に何軒かの日本料理屋が入っている。その中の一軒でTさんと会った。そこにはMさんも同席していた。この店はTさん経営であるが、コロナ禍を潜り抜けるのはさぞや大変だっただろう。そんな話やら、旅の話しやらを長々としてしまった。立派な天丼もご馳走になった。

夕方の北京は風も出てきて、寒くなっていた。また地下鉄に乗り、10号線、1号線、4号線と乗り継いで、西四駅で地上に上がると、既に暮れかかっていた。何だか懐かしい北京の下町風景が蘇る。高層ビルやきれいなショッピングモールではなく、20₋30年前の古き良き北京がそこにはあった。

今晩はKさん、Iさんと砂鍋居で食事となった。この店に来たのは10数年ぶりだろうか。以前から西側にはあまり来ないので随分とご無沙汰した。砂鍋白肉など美味い食べ物がいくつも出てきて嬉しい。やはりこの濃い味付けが無性に食べたくなる時があるのだ。白菜と辛し、ナス炒め等、何気ない物が特に美味いと感じられるのは、少し感傷的になっていたからだろう。

Kさんはコロナ禍の4年ほど、北京から動かなかったようで、さすが北京好きとは思ったが、その実は相当大変だっただろう。Iさんはコロナ禍に北京に復帰していたので、これはちょっと驚いた。私は南方人なので、決して北京が好きだとは言わないが、北京に良い所がいくつもあるのは知っている。帰りはKさんに車を呼んでもらい、宿へ戻る。

極寒北京旅2023(1)緊張の北京入国

《北京2023》  2023年11月25₋28日

チェンマイからどのルートで帰ろうかと検討した。バンコク経由を避けると、北京経由が浮上した。しかも中国に行くにはビザ取得が必要になった中、何故かトランジット入国という制度があることを知り、試してみることにした。しかし30度を越えるチェンマイから零下の北京へ(日本を出る時は想定していなかったので冬服は持っていなかった)。果たして入国できるのか、そして寒さに耐えられるのか。

11月25日(土)緊張の北京入国

ちょうど北京時間午前零時、エアチャイナはチェンマイ空港を飛び立った。お客はたぶん半分もいなかった。やはり中国人観光客が戻っていない、は本当だったということか。離陸前、CAがあたふたとやってきた。何と私の通路の反対側の席で雨漏りが発生した模様だ。どうやら乗客が荷物に液体を入れており、それが漏れたらしい。

私はもう眠くて仕方がない。飛び上がるとそのまま寝てしまった。2時間ぐらい経ってトイレに起きると、既に食事は配られ、皆食べ終わっていた。フライト時間はわずか4時間ちょっと、1時間前になると機内が明るくなる、するとCAが飛んできて『あなた、ご飯食べなかったでしょう?今食べる?』と聞いてくる。

それを断ったが、2分後にはもう一人がまたやってきて食事を勧める。更には男性がやってきて『大丈夫ですか?北京は零下8度ですよ』と声を掛けてきた。こういうおせっかいはある意味ではうっとうしいのだが、決して嫌いではない。某国航空会社のルール重視のサービスよりは余程好感が持てる。

午前4時に北京空港に到着した。チェンマイの夜との気温差は約35度。空港内はしんと静まり返えっていたが、寒さはあまり感じない(ウルトラライトダウンの下にヒートテックなどを重ね着している)。とにかくトランジット入国の許可をもらわなければならないが、その表示があるものの、場所が分からず、入国審査場まで行ってしまう。実のその前を右に行ったところにちゃんとしたカウンターがあったのだが、気が付かない。

カウンターにはヨーロッパ系の観光客が数人並んでいた。既にこの入国方法は144時間ルールとして、知られているようだ。一人一人意外と時間が掛かる。よく見ると私の前には日本人もいたが、何と宿泊先を答えられずに、バッグの中を懸命に探している。私の番が近づき、緊張が高まる。

20分ぐらいで私の番が来た。東京行きのチケットとパスポートを渡すと、『北京の滞在先は』と聞かれ、スマホアプリで予約画面を提示したが、予約だけで支払いがまだだった。『なぜ支払わないのか』と聞かれたので喉元まで『入国できるか分からないから』と出かったが飲み込み、支払いを行う。ところが支払いが出来ない。これには焦ったが、その後何とか出来て、無事に臨時入境証シールが貼られた。

そこから入国審査に進み、午前6時前には無事北京の地を踏んだ。まずは預け荷物を回収したが、完全に1つだけポツンと放置されていた。外へ出たが、荷物も大きく、電車に乗る勇気もない。飲み物が欲しくてローソンを見付けて、ポカリスエットを買って飲んだ。ようやくホッとした。

周囲を見渡すと以前は沢山あった銀行の両替所が一つも見当たらない。インフォメーションで聞いてみると、何とこの入国フロアーには両替所は全くなく、1階上の出国フロアーに僅かにあるだけだという。これは中国国内では現金がほぼ使えない状態であり、中国人が海外へ行く場合の両替だけが必要だと暗に言われているようなものだった。

ホーチミン茶旅2023(4) ビンズオンで台湾

フラフラと歩いていると一軒の茶荘が目に入った。阿里山高山茶の文字が目に留まり、興味本位で入ってみた。するとそこにいたのはやはり台湾人。オーナーは以前ここに投資して工場を作ったが、今は引退して茶荘を開いたらしい。茶を飲ませてもらうと懐かしい阿里山の烏龍茶の味がした。『ベトナム産高山茶は沢山あるが、わざわざ台湾から烏龍茶を輸入しているのはうちぐらいか』と笑っている。

1990年代台湾も変化して、南進政策が取られていた。その時期軽工業を中心に、東南アジアへ数多くの台湾企業が出て行ったが、実は政府の支援はあまりなく、皆独力で頑張ったらしい。その後他へ移る者、台湾へ帰る者など様々な進路があり、今や台湾人はそう多くはないという。これも一つの華僑だろうか。台湾の中小企業はなかなか強い。

付近をほぼ一周して腹が減り、元の店に戻って大腸米線を食べることにした。ベトナムでこれが食べられるとはちょっと感激。ほとんどの客はランチビュッフェで皿を山盛りにして、腹一杯食べている。さすがに台湾系なので、台湾人と思われる客が多く来ている。

午後は車を呼んでビンズオン省の中心へ向かう。トーゥダモートという街の真ん中には、天后廟があった。ここも華人が多そうだ。だがその横にはかなり立派な教会も見られる。ちょっと行くと、古い市場がある。建物がレトロでよい。その向こうには川が流れている。この川が物流の中心だったのだろう。いい風が吹いている。渡し船に乗ってみた気分になる。

市場には昔はお茶屋だったところがいくつか見られた。だが現在はコーヒーがメインになっている。この街にはいくつものお寺があり、華人は多そうだが、お茶は飲まれないようだ。帰りがけに台湾系の店があり、美味しい豆乳を買って飲む。なぜかパンをおまけにくれた。最後に見つけた寺はかなり由緒があるように見え、更にその向かいには相当大きな仏像が横たわっている。この街は決してホーチミンの横にある、というだけではない。

また車を呼んで、Nさんを送り、そのままホーチミンまで帰った。既に辺りは暗くなり、ちょっと腹が減る。フラフラ歩いていると、ブンチャーの店が目に入り、思わず入ってしまう。まあ味はそこそこだったが、そこの主人の態度が悪く、あまり気分の良くない夕飯となった。やはりブンチャーはハノイで食べるべし。

11月12日(日)チェンマイへ戻る

今朝も宿で朝ご飯を食べて、帰り支度をする。ホーチミンの空港は街から近いので安心して行ける。それでも随分早く車を呼んで空港に向かった。それは今回のフライトがベトジェットであり、その昔、随分とチェックインで並ばされた、苦い経験があったからだ。カウンターへ行ってみると、多少は並んでいたが、大したことはなかった。イミグレもすぐに終了する。

時間を持て余したが、この空港でやることはない。仕方なく搭乗ゲート近くへ行くと、何と前の便がオーストラリア行きとかで、その便が出るまでは他の搭乗者はそこの椅子に座ることが出来ないと、仕切りが出来ている。そんな決まりがオーストラリアにはあるのか、とちょっと驚く。同時に座る場所が無くて難渋する。昔はよく遅れが出たベトジェットだが、今やベトナム航空を上回る航空会社となり、今回遅れもなく、スムーズにチェンマイに戻った。あの制服はそのままだった。

ホーチミン茶旅2023(3) 鰻と火鍋

Kさんとは前回会おうとして叶わなかったので、久しぶりだ。外へ出てランチを探すと丸亀製麺が目に入ったが、ちょうど昼時で超満員。相変わらずベトナムでは人気のようだ。仕方なく隣を見ると宇奈とという鰻屋があったので、こちらへ入ってみることにした。日本でも格安鰻屋というイメージだ。

こちらの店はお客がまばら。日本の宇奈と同様、鰻としては安いがさすがにベトナム人のランチには高いので、ゆったりと食べられる。私は鰻唐揚げ丼、Kさんは鰻カレーを試してみたが、まあわざわざ一緒に食べなくても良い、という感じで、ベトナム人の気を引くこと、鰻単品より安くなるように設定しているのかもしれない。

それにしてもKさんとは4年ぶりだったが、その間の彼の変化は凄かった。コロナ禍により、人生が変わってしまった人は多いのかもしれないが、彼もその一人なのだろう。ベトナム社会も温かいとは言えないが、実は日本社会も温かくはない。今後何が起こるか分からないが、その時頼れるのは自分だけかなと、話を聞いていて強く思う。

夕方まで人生について考えていた。時間が来たので外へ出て歩く。張さんから指定された行き先はビジネスビル。なぜこんなところに中国の有名火鍋屋があるのだろうか。時間は午後5時だったが、店内には既にかなりの客がいて、熱気があった。この店は入り切れない客の待ち時間に、色々なサービスをして客を飽きさせない、というのがあったが、ホーチミンでもあるのだろうか。

張さんが火鍋を注文してくれ、前菜やフルーツを取り、乾杯した。その頃、店のいくつかのテーブルでは誕生会などが催され、ハッピーバースデーの歌が歌われ、店員がケーキをプレゼントして、テーブルを盛り上げている。更には途中からあの変面ショーまで行われ、大いに盛り上がっている。まるでバブル期の東京を思い出す光景だった。

火鍋の料理は決して安くはないのだが、ベトナムの若者はこういうことにはお金を使うようだ。ここの火鍋は格別美味いというわけではないが、こういうパフォーマンスが重要だ。午後8時ごろ店を出ようとしたら、店の前に長蛇の列ができていた。勿論全員の椅子が用意されていたが、ネイルなどが行われていたかは確認できなかった。歩いて帰るとホーチミンのライトアップは美しい。若い女性が着飾って街を闊歩しているのが、これまたバブルを想起させた。

11月11日(土)ビンズオンへ

今日は一昨日会ったNさんの住むビンズオンへ行くことになった。隣の省へ行くので長距離バスに乗るかと思いきや、Nさんから『Grabで来て』と言われてちょっと驚く。バスがないのかと聞くとGrabが便利で早いという。チェックしてみると料金もハノイなら空港から市内へ行く程度なので、その通りに車を呼ぶ。

市内をすり抜け、郊外へ。と言ってもずっと町が続いている感じだった。約1時間かかって、指定の場所に近くづくと、そこはなんと大きな工業団地で驚く。1990年代シンガポールとベトナムが共同プロジェクトで開発した場所らしい。工場も大きいものが多く、日の丸も見えたので日系工場もあるようだ。

団地の先にNさんの住まいがあった。そこで車を降りて歩き出す。この周辺、Nさんによれば台湾系が多く住んでいるという。この工業団地にやってきた台湾人が住み着いたのだろうか。食堂を見ると漢字が見られ、何となく台湾的な料理がメニューに並んでいるのが面白い。この地域の限られた場所だけだというが、小さな台湾村が出てきた。だが最近中国の進出も多いようで、簡体字で書かれた看板も目に付く。

ホーチミン茶旅2023(2)老舗茶荘へ再び

市場の横まで戻ると細い道にはハラール料理屋などが並んでいる。インド系だけではなく、マレー系などもいるのだろうか。それともムスリム観光客向けの店なのだろうか。よくよく見ていると謎は結構深まっていく。そして2つ目のモスクに辿り着く。こちらは中に人が結構いたので遠慮して外から眺めていると、おばさんが『中に入りなよ』という感じで招き入れてくれた。

マリアマンという名前らしい。こちらは観光客も立ち寄るようで有名な寺なのかもしれない。すぐ近くに日本のカレー屋、ココイチがあるのは関連あるのだろうか??それにしてもホーチミンにインド系がそんなに住んでいるとは思わなかった。確かにその昔の貿易都市だから、華人とインド人がいてもおかしくないが、インド系はベトナム戦争などによってどのような影響を受けたのだろうか。そんな歴史が無性に知りたくなる。

ホーチミン郊外に滞在中のNさんがやってきた。Nさんとはヨーガ繋がりで、沖縄やバンコクで知り合い、台湾で茶旅を一緒にしたこともある。取り敢えず今日も茶旅ね、ということで、前回一度行った茶荘を訪ねることにした。まずは市場の横にある松記へ。オーナーは覚えていてくれ、また女性のNさんが一緒だったこともあってか、前回よりかなり対応が柔軟になっており、歴史的な話や家族のことなど色々としてくれた。このお店、いつまで続くだろうか。

続いて、前回一度行って、もう一回来るからと言いながら、突然の帰国となり行けなかった新生茶荘に向かう。ここのオーナーも覚えていてくれ、歓迎してくれた。なぜか六堡茶を飲みながら、情報交換を進める。このお店の間取りが独特で面白い。ベトナム北部の老茶樹についても、知り合いを紹介してくれるという。何と有難いことか。ベトナム高山茶を買って帰る。

お昼はその近くの華人系食堂で食べると、何となくホッとする。そこから車を呼んでショロンへ移動した。前回の旅はショロンに泊まったが、不完全燃焼に終わったので、ちょっと覗いてみる。天后廟などを見たNさんは『こんなホーチミンがあるとは』と驚いている。ザビエル教会なんかもあるので、面白い街ではある。

だがわたしが探したいお茶屋の場所がなぜか分からなくなっていた。もしやすると閉店してしまったのかもしれない。今回はNさんと一緒なので、もう少し話が聞けるかと期待していたが、かなり歩いても見つからない。代わりに高山茶と書かれた紙を見付けたので華語で声を掛けたが、返ってきたのは広東語だった。その店も40年ほどの歴史だというが、雑貨屋さんなどもやっている。結局車で宿に戻り、Nさんと別れた。

夜は前回初めて会ったIさんと再会して、また歴史談義を始めた。場所は宿からほど近いフードコート。かなりきれいで外国人観光客を当て込んで作ったのだろうが、いまやベトナムの若者もかなり酒を飲んでいる。料金はそれなりに高いので、ベトナムの消費力向上が窺える。歴史の話しは果てしなく続き、どんどん遠くへ飛んでいく。

11月10日(金)再会

朝はさわやかなので、朝食後は散歩に出る。今日は北の方にある教会を目指した。30分ぐらい行くと、かなり立派な教会が道路沿いに見える。その建物の形が良く、周囲の目を引く。ホーチミンも本当に色々な宗教が点在している。帰りにトイレに行きたくなり、公園へ駆け込む。ホーチミンの公衆トイレも今やきれいで驚く。その周辺にはバイク配送の人々が大勢待機している。

帰りがけに郵便局に寄る。ここはフランス時代の建物で、郵便を出すというより、観光地として大いににぎわっていた。隣の大聖堂はあいかわらず改修中で姿を現さないが、写真を撮る観光客で溢れている。何とか宿に帰り着くと、意外と疲れてしまい、休む。そこへ旧知のKさんがやってきた。

ホーチミン茶旅2023(1)再びホーチミンへ

《ホーチミン茶旅2023》  2023年11月8₋12日

チェンマイ滞在中にホーチミンを再訪した。これは先月のハノイ旅が非常に簡単だったことと、7月のホーチミン訪問が途中で中断したことにより、やり残しことがあったためだった。

11月8日(水)再びホーチミンへ

先月のハノイ行はエアアジアだったが、今回はベトジェット。ほぼ同じ時間にチェンマイ空港に到着したのに、今回は1階のチェックインカウンターがかなりの行列。そして2階の出国審査、荷物検査の入り口に着いて驚いた。ものすごい大行列。まさかと思ったのは前回ほぼ人がいなかったからだ。チェンマイが乾季となり、急に観光客が増えたからだろうか。同時にタイ人の出国者も増えているのはなぜだろうか。何とも不思議な感じで行列の後ろに並ぶ。

何と荷物検査場に入るまでに40分近くかかった。これならバンコクと変わらない混雑ぶりだ。検査が済むと出国手続きはあっと言う間ではあった。少し余裕を持ってきていたからよかったが、もしギリギリに宿を出ていれば、かなり焦っただろう。待機場には中国人と韓国人の団体が多く見られた。やはり中国人が少しずつ増えているということか。次回も余裕をもって空港に来ることとしよう。

機内はそこそこ混んでいた。そしてあの制服のCAさんたちが動き回っている。前回のハノイまでは1時間ちょっとだったが、ホーチミンまでは2時間かかり、到着したら、もう日が西に傾いていた。入国審査の前にシムカードを売っていたので買っておいてよかった。入国審査も30分はかかっており、その間スマホを眺められたのは良かった。次回からはタイシムカードのローミングを使う方が良いだろうか。

空港を出るとGrabを呼ぶ。ここでは車が空港駐車場に待機しているのをすでに勉強しており、捕まえた車を探しに動いた。何とか見つかったので良かったが、大きな荷物でも持っていたらどうするんだろうか。夕方のラッシュ時に近く、バイクがすごく多く、車の窓の脇まで溢れる。

それでも市内まで近いのが良い。今回予約した宿はベンタン市場のすぐ近く。ただ改修中でちょっとわかり辛かった。ここも窓のない部屋となっている。安い部屋を予約すると最近こんなことが多い気がする。気を取り直して夕飯を探しに行く。取り敢えずベンタン市場を通ってみたが、腹をそそられる食べ物は見付からず、通り抜けただけに終わる。

そこから大通りをちょっと行き、裏通りを歩くと、何となく良さそうな店が目に入った。ちょっと覗くとおばさんが『食べていきなさいよ』と言っているように見え、そのまま席に着く。ここは華人の店だった。メニューを見ると英語があり、麺とトッピングを選ぶようになっている。フウティウ、内臓ミックスを選び、ゆっくりと待つ。何とティシュ2000ドンがメニューにあるのはご愛敬か。この麺、あまり食べたことはないが、内臓好きには堪らない。帰りに店の前をよく見ると、確かに内臓がぶら下がっている。

11月9日(木)インド系と華人

朝ご飯は宿についていたのでそこで食べた。いつものようにオムレツを作ってもらう。それから散歩に出た。昨晩ちょっと検索していたら、宿の近くに、モスクがいくつかあると出ていたので、興味を持った。ベンタン市場の向こう側に、1つ目のモスクはあった。小さな入り口を入ると、その建物はかなり立派。誰も人はいなかったのでゆっくりと見学した。しかしいつ作られたのか分からない。

ハノイ茶旅2023その2(3)民族博物館からブンチャーへ

10月11日(水)民族博物館へ

朝は気持ちが良い。すると朝ご飯をまたまた食べ過ぎてしまう。何とか腹ごなししようと、宿を出て散歩する。キンマー通りをロッテデパートの方へ歩いてみると、確かに日本料理店が何軒かあった。だが一部は営業していないようにも見えた。コロナ禍の影響か、それとも日本人勢力の衰えか。

40分ほど歩いて民族博物館に着いた。ところが入り口は学生で大混雑。秩序もなくチケットがいつ買えるか分からない状態となっており、その先の窓口で訴えると、優先して切符を売ってくれた。建物の入り口まで進むと、今度は可愛らしい幼稚園児が手を繋いで入場している。ここは子供たちの勉強の場となっている。

中の展示は、民族ごとにかなり詳しい説明書きや写真などがあり、予想以上に内容だった。ヤオやモン、タイなどの民族を集中的に眺めてみるとやはりタイやラオスのことが思い出される。南部では華人が目立つ形で説明されており、マイノリティーとしての漢族が興味深かった。

外に出ると広い庭がある。本当に天気が良くて空が青い。Grabで車を呼んで宿へ戻ろうとしたが、何とピックアップポイントが自分のいる場所に設定されておらず、車を探すことが出来なかった。いよいよ困って色々とやってみると何とか設定が変えられたが、かなり時間をロスした。

宿に戻って荷物をまとめた。しかしどうしても食べたい物があり、荷物を宿に預けて再び歩き出す。ハノイの道はやはり複雑でGoogleの力をかなり借りたが、そのお陰もあり、路地を見たり、中越戦争前に華人が住んでいたであろう建物の跡をいくつか見ることが出来た。これはこれでとても面白い体験だった。

最後に食べたかったブンチャーの店に辿り着き、勢い込んで腹に収めていく。さすがに11時頃なので、お客は殆どいなかったが、肉が焼かれる姿がよい。そして何とも言えない味わいがよい。7万ドンと代金は来るたびに上がっているようにも思えるが、これを食わないと居られないから仕方がない。帰りもまた路地を通過して、ハノイを味わった。

宿に戻りGrabを呼んで空港に向かった。何となく名残惜しいが、また来ればよいか。空港まで30分、ハノイの街を眺めていた。空港に着くと、エアアジアのチェックインは始まっていたのだが、何と私のWebチェックインは出来ていなかった。実は帰りは有料で座席を買おうとしていたのだが、何故か決済が上手くできずにいた。係員は実に手早く支払いに誘導して、あっという間に完了させてくれた。この辺は如何にもエアアジアだろうか。

かなり時間は余っていたが、出国審査を行い、後はひたすら飛行機が来るのを待っていた。この空港、さらに拡張工事が行われており、近い将来更なるフライトが増便されるのだろうか。結局出発30分前になってようやく飛行機がやってきた。すると何故か搭乗手続きが始まる。どう考えてもまだ飛行機の乗客が下りていないのに、と思っていると、何と手続きの終わった乗客全員を通路に立たせて待たせているではないか。そうだ、いつかマレーシアのどこかの空港でも見た光景だった。これもまたエアアジア流、こんなことで遅延していないと言い張るのがすごい。

ようやく機内まで辿り着くと疲れが出てしまった。ただドリンクを買っていなかったので喉が渇いたが、お金を払ってまで機内でドリンクを買うのもなんだと思い、我慢した。僅か1時間ちょっとのフライトが意外と長く感じられたわけだ。まあ、チェンマイ空港に着くと、あっという間に入国審査を通り、またあのまったりした日常に戻っていった。

ハノイ茶旅2023その2(2)ベトナム華人の話しで盛り上がる

まあ歴史談義はどこまでも続いて行くということだろう。適当にカフェに入ったら、すぐに店員が外の椅子を片付け始めた。オーナーらしい男性が我々に向かい『ポリス』と話し掛けてきた。何だか懐かしい路上取り締まりの光景だ。ただ実際にポリスが来ることはなかった。コーヒーを飲みながら話しはゆっくりと、しかしどんどん広がっていく。

昼間になり、近くの酒家に移動する。ここは広東系レストランだと言い、粥麺や飲茶などで人気の店だった。Iさんが予約してくれなければ、とても入れなかっただろう。店員からも広東語が聞こえてくる。Iさんは華人研究などをしているので、この辺りの話は専門家だ。私は来年ベトナム華人の歴史を勉強したいと考えており、彼に色々と聞いてみた。『カントーを拠点に歩いてみるのがベトナム華人研究ではお勧めだ』とのこと。ホーチ民からも離れたその町へ行く、そのチャンスはあるだろうか。何とかNさんを巻き込まなければなるまい。

腰片湯麺などという珍しいメニューがあり思わず注文する。腸粉や焼売もオーダーして、美味しく頂く。何となく懐かしい味がするのは気のせいだろうか。食後は横のカフェに移動して時間一杯まで話しを続ける。ベトナム華人の歴史もまた話が尽きない。かなり複雑だ。来年また来て話そうと思うが、果たしてどうだろうか。

そこからGrabを呼んで、少し離れた場所に向かう。午後は前回突如再会した蔡君が開いたという茶空間を訪問した。驚くほど立派な郊外の有名なマンション群の中にそれはあった。まだ正式オープンでもないらしく、ようやく用具が並べられただけのシンプルな空間がそこにあった。それはそれで実に蔡君らしい感覚だと思う。

ここで台湾茶やベトナム茶を淹れながら、茶文化をベトナム人に発信していく予定らしい。将来を見据えた投資の始まりだろう。お茶屋さんをやるわけではなく、ベトナムの若者と共に茶についての勉強を続けていくという。何ともいい空間だが、果たしてベトナム人にどこまで響くだろうか。

サロンを辞して、MRTの駅へ向かう。周囲は新しく開発されたようで、きれいなのだが、何となく味気ない雰囲気が漂う。その向こうの川の周辺は正直きれいとは言い難いが、これがベトナムっぽいと思ってしまう。夕方のラッシュ時、何とか車とバイクをよけながら、駅まで辿り着く。前回来た時乗った路線だが、ここへ繋がっているのか、という感じ。郊外の住宅街を走っていることがようやく分かってきた。残念ながら帰宅時間だが、乗客は多くはない。

終点のカットリン駅で降りて、歩き出す。方向を間違えてしまい迷っていると、何だかとても明るいレストランがあった。いわゆるインスタ映えするスポットだが、食べている客はいるのだろうか。宿まで辿り着く前に腹が減ってしまい、適当な麺屋に入り、適当に注文してみた。よく分からない麺が登場したが、たくさん入っている具が意外と美味しく頂けたのは良かった。衛生的な店というのもポイントは高いかな。今やハノイの麺の価格は最低5万ドンになっている。

ハノイ茶旅2023その2(1)再びハノイへ

《ハノイ茶旅2023その2》  2023年10月9₋11日

チェンマイからハノイへ行く。ハノイへ行くのはバンコクへ行くのと時間的には変わらない。チェンマイは空港も近い。わざわざラオスへ行くよりずっと近い気がして、まずはトライアルで行ってみることとした。

10月9日(月)ハノイへ

チェンマイ空港は街中にあり、本当に便利だ。フライトの2時間前にBoltで車を呼び、5分で到着。そこから空港まで約10分。荷物もないので、スマホ搭乗券を持てば、カウンターに行かず、検査場・出国審査も難なく終わってしまい、時間が余る。バンコクのあの面倒な車の手配、大行列のイミグレを考えると、実に簡素で有難い。

久しぶりのエアアジア。これだとハノイ往復が1.2万円程度で、国内線並みの安さなのは実に有り難い。そして何より近いのが良い。僅か1時間ちょっと、バンコクへ行くのと変わらない。ビザのつなぎが必要であれば、ハノイへ行くのが一番近くて便利だと分かる。

ノイバイ空港に着くのは今年2月以来。入国審査も簡単で、ノービザ期間も45日に伸びている。今回2泊3日というのがもったいない気がする。両替して、SIMを買って、Grabを呼ぶ。ベトナムにはかなり慣れが出てきたので、気楽でよい。車もすぐに見つかり、スムーズに市内へ向かう。日が西に傾いているが、まだまだ午後の半ばだ。

今回はキンマー通りにあるくれたけインに泊まってみる。ここは最近私が静岡駅付近で常宿にしているホテル。それがハノイにもあるというので来て見た訳だ。如何にも日本です、という飾りがある。フロントの女性は日本留学経験があり、日本語が上手い。部屋に窓が無いのはよく眠れるだろう。流し台あり、浴槽が深いのに、更に大浴場も完備されていてよい。もう10年も前からあるとは知らなかった(コロナで2店舗の内1店舗は閉鎖)。

取り敢えず外に出て、コンビニにドリンクを買いに行く。意外とないので少し遠出する。買い物が終わり、ちょっと近道しようかと路地に入る。しかしベトナムの路地は行き止まりが多い。するとちゃんと私と同年輩の人が出てきて、道はあっちだと教えてくれる。ただ私がその路地から出るまで、ずっと付いてきたのは、ちょっと中国的(監視)だった。

夕方Nさんが来てくれた。今回ハノイに来た目的、それはNさんと話すためだった。ビアホイでコーラを飲んでつまみ系の食べ物を食べながら、歴史談義はいつまでも続いて行く。ベトナムから東南アジア、そして中央アジアへと、それは壮大で果てしなく、永遠に尽きない話となる。こんな楽しい夜はない。来てよかった。

10月10日(火)歴史談義は続く

朝は目覚めが良かった。この宿は何と日本のテレビ番組がほぼ見られるので、朝から眺めていると、何とベトナム話をやっているから面白い。朝ご飯は宿についているが、なかなか充実している。しかし納豆、そして生卵が置いてあるのにはちょっとビックリ。納豆まではイケルが、さすがにベトナムで生卵を食べる日本人はいないような気もするが。

散歩しながら目的地まで行く。ハノイの街は歩いていてとても楽しい。途中で来たことがある場所を見付けて驚く。地理が全く頭に入っていないことが良く分かる。団体観光客がバスから降りてきたが、中国人は珍しい。ハノイで一番よく見かけるのは韓国人だろう。約1時間歩いて昨日も散々話したNさんと落ち合う。