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島根横断茶旅2019(3)奥深い出雲へ

ちょっと早いお昼を食べようかと、かんべの里という場所へ行く。そこは20年前に歩いた神魂神社の近く。出雲風土記の世界を味わえるとても良い神社だった記憶がある。その時はかなりの距離を歩き、神社とは何か、などを考えていた。かんべの里は道の駅のようなところだったが、土曜日のせいか、大変混んでおり、昼ご飯を食べ損ねて去る。

 

宍道湖を回り、車は出雲方面に出ていく。30分ぐらい行くと山道を登り始め、かなりの山の中に着く。そこにはコテージなどの表示があり、一瞬ペンションにでも来たかと思ったが、よく見るとお寺だった。一畑薬師。入っていくとすぐに『お茶湯』があり、お茶を掛けてお参りする。番茶もそこで販売していた。薬師というぐらいだから薬と関連があり、お茶との関連も垣間見える。

 

実はかなり大きなこのお寺。本堂からは読経が流れてくる。仏像が並んでいるところを見ていると何と『赤塚富士夫、天才バカボンのレレレのおじさんのモデル』と書かれた像があったので驚いてしまった。注荼半諾迦というひたすら掃除をして、人の心の汚れは落ちにくいと悟ったとある。もう少し行くと水木しげるの漫画に出てくる『のんのんばあ』の像もある。何だか観光地に来てしまった感が強く、少し違和感はあるが面白い。

 

お腹が空いている。少し下ったところにお店があるというので車で向かう。本当は階段で行けばよいのだが、帰りの上りが怖い。お店には番茶の大きな袋が売られており、『この辺の人は800gも入っているものがお得だから買うのよ』と言われて、この周辺の番茶文化を知る。温かいのと冷たい出雲そばを両方頂き、別の店でまんじゅうも食べて、お茶も飲ませてもらい満足。

 

そこから山道を10分ぐらい下ると茶畑が見えてきた。ここが一畑番茶の畑かと思ったが、防霜ファンがあり、寒冷紗が掛かっており、玉露でも作るのかと思うような設備になっている。しかも茶樹は若く、最近開拓されたようにも見える。この辺りにも新しい動きがあるのかもしれない。

 

更に30分ぐらい走ると、寺の入り口が見えてきた。鰐淵寺と言い、弁慶修行の地とある。武蔵坊弁慶は出雲の生まれだった。京都に出る前にこの寺にいたようだ。ここは1つの山全体が寺になっており、かなり広い。ただ入り口で入山料500円を徴収するというのは如何なものだろうか。推古2年(594年)開山、天台宗の古刹とはどういう意味だろうか。我々は茶旅中で時間もないのでパスしていく。

 

山登りを続けていくと、唐川という場所に着く。とてもきれいな茶畑が並んでおり、思わず写真を撮る。Uさんによれば、ここがぼてぼて茶の番茶を供給している地区だという。農家のおじさんの言葉も訛りが強くて少しわかり難いが、そこがまた情緒があってよい。ここにはまだかなりの茶農家が残っており、春にはお茶祭りも開かれるという。『今茶はないよ、春においで!』と言われ、また来たくなるような風景を去る。

 

田舎の路は分かり難い。ナビもあまり役に立たない。同じ場所をぐるぐるしていたが出られない。いつの間にか辿り着いたのは、韓竈神社。出雲風土記にも登場する由緒ある神社。名前からして朝鮮半島から渡来した人が作ったものだろう。いや、この辺は半島と近く、ゆかりの場所は沢山あるはずだ。

 

神社は高いところにあるようだが、石段は滑りやすいので、上るのを諦める。船石があるというので、小川の横の道を上がっていく。船石と言えば、高橋克彦の小説ではUFOということになっているのを思い出す。小さな滝などもあり、自然に満ち溢れていたが、夕方ということもあり、ちょっと神秘的で恐ろしい雰囲気もある。何かに付かれたように歩いてしまい、Uさんに『行き過ぎです』と言われるまで気が付かなかった。大きな石もあり、いわゆるパワースポットなのだろうか。

 

今日はどこに泊まるか決めていなかった。Uさんがネット検索すると、我々がこれから向かう西の方には安くて手頃な宿はないようだった。今日は土曜日なので、既に満員なのだろうか。仕方なく、出雲市に戻り、宿泊先を探す。辿り着いたのは、郊外のホテル。何と地元の人がサウナや岩盤浴に来るところの上がビジネスホテルとして泊れるようになっていた。週末は出張者の宿泊もなく、閑散としている感じだった。

 

夕飯を食べる所もあまりなく、名物を食べるのは早々に諦め、普通の食堂に入った。『かつ柳川』というメニューがあり注文すると、いわゆるカツ煮、かつ卵とじが出てきた。柳川とは、ゴボウが入っていれば柳川なのか、それともこの鍋を使っていれば柳川なのか、地域性も含めてちょっとした考察をした。

 

更にはUさんと人生について語り合っていると、あっという間に閉店の時間なり、宿に帰ってサウナにでも入ろうかと思っていたら、何と既に時間を過ぎていて入れなかった。女性用岩盤浴は遅くまでやっているのになぜ、と思いながらも、少し疲れていたので、すぐに眠りについてしまった。

島根横断茶旅2019(2)松江でぼてぼて茶

街中にある「はんのえ」というお店に入り、ぼてぼて茶碗などを見た。抹茶茶碗とさほど変わらない。茶筅は奈良の高山町産だという。ただ扱っているお茶は地元産ではなく、ぼてぼて茶の由来についても収穫はなかった。最後に出雲大東町の方まで出向く。ここには20年以上前、須賀神社の総本山を訪ねてきたことがあり懐かしい。神社は立派な鳥居などが出来てかなり変わっているようだった。降りてゆっくり眺めたかったが、茶旅にはその時間もなく通り過ぎた。

 

藤原茶問屋を訪ねる。ここで島根茶の歴史について、教えを乞う。藤原さんはお茶作りにも熱心であり、地元の茶の歴史にも熱心だった。大東茶の起源は松平不昧公がこの地に来て、番茶を飲んだことから始まるらしい。250年の歴史あるお茶。水もよい土地だったという。古い茶業史資料が出てきて面白い。お茶も美味しく頂く。

 

長い一日のドライブを経て、車はついに松江市内に入った。松江に来たのも20年ぶりだが、街の様子はそれほど変わっていないように見えた。駅前のホテルを予約しており、チェックイン。思ったよりずっと良いホテルで、パッケージツアーの良さを知る。続いてUさんが急きょ泊ることになったゲストハウスを探したが、なかなか見つからず苦戦する。

 

それが済むと、Iさんの店に向かった。Iさんとは5年ほど前、香港、広州で一緒に旅をしており、その後彼は故郷で中国茶荘を開いていた。一度は訪ねたいと思いながら、開店して5年以上、来る機会がなく過ぎてしまったが、ついに今晩実現した。お店は茶町と書かれた通りに面していたが、その通り自体、多くの店が閉まっていた。せっかく茶町なのに、茶の雰囲気はない。

 

お店の中はかなりきれいで雰囲気が良い。お茶の種類も豊富で、お客さんも多いだろうと思って聞くと『松江は保守的で、新しい物に手を出す人が少なく、中国茶の認知度が非常に低い』というではないか。これには正直びっくり。松江と言えば茶文化というぐらいだから、さぞや各地のお茶に精通しているものと思っていたが、全く様子は違うようだ。

 

隣の鳥取や広島から来るお客さんもいるというのに、地元の人が来ないとは困ったものだ。それでも昨今の台湾ブームなどもあり、豆花を出すなど工夫をしており、興味を持つ人は増えているらしい。外部への出張なども行っているようだが、是非店を続けられるようにして欲しいと願う。

 

3人で夕飯を食べに行く。私の泊まるホテルに車を駐車したところ、宿泊代とは別に一晩1000円の駐車料が掛かるというので驚いた。日本というのは本当に恐ろしいところだ。それから歩いて、松江名物のおでんを食べに行った。ところが今日は金曜日の夜、8時過ぎに店に入ったところ、もうほとんど食べるものは残っていないという。

 

あり合わせのおでんを注文してつまんでいると、いつの間にかお客さんはいなくなっている。まだ腹も満ちていなかったので、今度はしじみラーメンを食べに行って見る。しじみは宍道湖の名物だが、ラーメンがあるとは初めて知る。しじみが金属の笊に分けられて出てきたのはちょっと驚く。味は意外とうまい。長い1日目はこんな感じで暮れていく。

 

3月9日(土)
松江から出雲へ

泊まっていたホテルは快適だった。ビジネスホテルではあるが、東横インなどからすると2段階も上と言う感じだ。昨晩帰る時に酔っぱらったサラリーマンが『今回の出張、ここに泊まれてうれしいです』と大声を出していたのを思い出す。朝食も充実しており、和食にオムレツまで付けてもらい、朝から嬉しい悲鳴?

 

今日はまず、ぼてぼて茶を実際に飲んでみることにした。お城の堀端にあるお店へ行くと、堀沿いの外の席に案内され、ぼてぼて茶がやって来た。茶碗に既にお茶が入っており、具として、豆腐、黒豆、高菜など7種類を入れて、塩も振る。このお茶は番茶だという。茶筅を茶碗にぶつけるのはバタバタ茶と同じ原理だ。

 

味はかなり飲みやすいのだが、飲み方は片手でひょいと口に持っていき、こぼさないようにさっと飲むらしい。だがこれは全くできない。お店の人から、ぼてぼて茶の由来などを調べた資料を見せてもらったが、当然ながら不昧公の逸話などが載っており、バタバタ茶やブクブク茶とは違うことは分かったが、その歴史的背景を探るのは難しかった。

 

松江の郊外に出てきた。造園業の傍ら、宝箱、という茶業をしているMさんのところにお邪魔した。島根茶の復興、農薬や化学肥料を使わないお茶作りを進めているという。事務所ではお嫁さんが対応してくれ、車で山を上がると、お父さんが待っていてくれた。非常に眺めの良い場所に茶畑が見える。

 

大庭空山、有機の畑。造園業をされているので、林と茶畑の共生などにも配慮され、合わせて他の場所から飛んで来る農薬などの侵入も防いでくれるのだという。何しろ景観が素晴らしい。茶工場も横にあり、紅茶製造の機械なども導入されている。脇には井戸があり、水が良いことも分かる。やはり信念をもって茶作りをしている茶畑はちょっと違う。

島根横断茶旅2019(1)米子から安来へ

《島根茶旅2019》  2019年3月8日‐11日

島根県、そこは東京からもっとも遠く感じられる日本の県かもしれない。5年前にぼてぼて茶に興味を持ち、すぐにでも行こうと思ったし、2年前には知り合いのUさんは島根に移住して茶作りを始めたので、ぜひ来て、とも言われていた。しかしいざとなると、なかなか一歩が踏み出せずにいた。

 

ちょうど予定していた勉強会が、会場の都合で延期となった。実は私は今回の説明資料を作りあぐねており、この延期を心から歓迎していた。そしてぽっかり空いた数日間、これを島根行きの当てることにして、Uさんに連絡したところ、折角だから、島根を端から端まで楽しもうという話になり、渡りに船と出掛けていく。

 

3月8日(金)
米子から松江へ

今回の島根行きに際しては、Uさんより、『パッケージツアーを使うと安い』と言われてちょっと驚く。送られてきた内容を見ると、ANAの往復航空券(いくつかの空港から選択し、行き帰り別空港可)+ホテル1泊が付いており、他にも特典がいくつかあった。観光客を呼びたい島根とのタイアップ商品かもしれない。

 

行きは出雲空港から入ろうとしたところ、何とANAは飛んでおらず、米子空港となる。またいい時間のフライトには割増料金が掛かり、どこまでお得だったのかは判断が難しいが、この商品のお陰であまり悩まずに日程が決められたのは良かった。尚いつも思うことだが、ネットで購入したツアーのチケットなどが郵送されて来るのには本当に違和感がある。

 

早朝羽田空港に向かう。国内線は乗る機会が少ないので、いつも駅ホームの前で降りるか後ろで降りるかが覚えられずに困る。国内線はWebチェックインすれば、そのまま搭乗ゲートまで行けるので、荷物も預けずにスタスタと進む。正直、誰が乗っているか分からないフライト、ちょっと怖いけどね。

 

飛行機に乗る前にツアー特典を1つ使う。1000円分の買い物券があるので、それでお土産のお菓子を買う。足りない税金分80円を現金で払うと、マイレージを溜めましょう、と言われ、カードの提示を求められる。80円でマイルがたまるのだろうか??もし貯まらないのなら、こういうマニュアル的な無駄は排除して欲しいものだ。

 

フライトは順調で、1時間半ほどで米子空港に着いた。バッゲージクレームでは目玉おやじに歓迎されるなど、空港内は鬼太郎一色になっている。出口をUさんの姿はない。何とUさんの住む場所から、この空港まで車で4時間以上かかり、その予想外の遠さで少し遅れたという。それは本当に申し訳なかった。でも車がないと、何もできないのも事実。せめてANAも出雲行きを飛ばしてくれていればと思う。米子は鳥取県の端なのだ。

 

Uさんと落ち合って、最初に行ったのは境港のおさかなセンター。ここでお昼を食べようという。それにしてもいい天気だった。海も輝いており、向こうに大山がくっきりと見える。釣りをしているおじさんたちも何となく楽しそうに見えるのはやはり天気のせいだろう。

 

展望台のようなものが建っているが、登っている人はあまりいない。鳥取紅茶などが並んでいるお土産物店も開店休業状態だ。如何にも箱物行政の産物だ。ランチに魚を食べて、ちょっと市場を覗く。大きな蟹や魚がゴロゴロ。あまり見かけない魚もいるのは、やはり日本海側だからだろうか。

 

それから境港の鬼太郎ロードでも歩いて観光するのかと思いきや、突然の茶旅が始まり驚いた。さすがUさん、只者ではない。車はドジョウすくいで有名な安来町に向かった。30分ぐらい走るとちょっとした山の中へ入る。そこに古い工場が見える。茶工場だった。既に閉鎖しているのか看板もない。事務所に恐る恐る入っていくと、話しを聞くことが出来た。

 

この辺りでは昔から茶を作っており、戦後の好景気には製茶組合が出来て、共同工場としてここが作られた。だが茶葉需要は落ちていき、組合は解散。今は一部の人がここを使って、番茶などを細々と作っているという。工場は大きく、かなりの生産量があったことを窺わせる。安来番茶は、今でも周辺地域では飲まれているが、全国的には知られていない。因みにぼてぼて茶の原料はここの番茶ではなく、安来にはそもそもぼてぼて茶を飲む習慣もないとのこと。

 

茶畑の残っている場所を聞き、見に行く。突然立派な鳥居が見える。登っていくと、平安時代に京都岩清水八幡宮の別宮だったと書かれており、由緒正しい。それにしても、その時代にここに建てられた八幡宮、何か特別な意味があるようにも思う。更に進んでいくと、道路脇に茶畑が僅かに残っていた。防霜ファンも装備され、きれいな畑だった。

 

それから同じ安来市内の、母里という場所に移動した。そこに民俗資料館があるとのことだったが、閉まっていた。周囲を見ると立派な図書館があり、中には当地の民藝品などの展示室があった。更には地元の歴史本を見ていると、昭和初期にぼてぼて茶について纏めた資料が見つかり、コピーをお願いした。因みに母里と言えば、黒田官兵衛の部下に母里太兵がいたのを思い出すが、何か関係があるのだろうか。

横浜・鎌倉茶旅2019 大船に泊まったが

《横浜・鎌倉茶旅2019》  2019年2月7-8日

静岡、愛知の旅から東京に戻ったが、どうも腰が落ち着かない。今度は横浜と鎌倉でお話しを頼まれたので、思い切ってその中間?大船に泊まってみることにした。勿論初めての経験。さて、どうなるのだろうか。

 

2月7日(木)
横浜から大船へ

朝から横浜中華街に向かう。9時半に到着するには、ちょうど通勤ラッシュにぶつかるため、少し早めに家を出た。これまで色々な行き方を試したが、今回は王道の東横線、偶々速い電車に乗れたので、中華街到着も早まった。実は開始時間を10時だと思っていたが10時半だとついてから気付く。時間調整のため、会場を通り越して港の方に出てみる。何だか雰囲気のよさそうなホテルに惹かれる。

 

山下公園も長らく歩いていない。向こうには氷川丸も見える。歩き出すと、突然リカルテ将軍記念碑にぶつかる。フィリピン独立の英雄だと書かれており、横浜に亡命していたらしい。この人のことをもっと知りたい、と思っていると、今日の主催者Kさんからお呼びがかかり、ここでお散歩はあえなく終了。

 

香流という居心地の良い茶空間で、お話しさせて頂くのは、昨年5月以来今回が3回目。主催者お二人は大学の先輩でもあり、お声が掛かれば駆け付ける。今回のテーマは『台湾高山茶の歴史』と『鉄観音茶の歴史』の2本。恐らくはこれまでイメージしていた茶の歴史とはかなり違う角度からのアプローチであり、聞いている方は意外に思ったかもしれない。毎回脱線ばかりで、お役に立ったかどうかは定かでないが、午前午後通しの会に集まってくれた人々には感謝したい。

 

お昼は参加者の皆さんと中華街へ繰り出す。今日はまだ旧正月中であり、イベントなどもあるようで、多くの人出が予想されていた。我々は一番近い台湾料理屋、青葉に飛び込む。このお店、実は30年前にも来たことがある。あの時は台湾から研修に来た人を連れて来た。店の人と懐かしそうに台湾語で話していた姿を覚えている。でもメニューを見ると日本人向けになっている。台湾語で注文すれば裏メニューが登場するのだろうか。

 

午後のお話も無事に終了し、それから中国の茶旅などについて、引き続き相談を受けた。暗くなる頃横浜駅まで出た。大船への行き方は色々とあるが、横須賀線で大船へ向かう。大船駅のすぐ近くに宿をとっていたのでチェックイン。このホテル、快適な上、窓から駅と大船観音が見えてよい。

 

腹が減ったので、すぐに夕飯に。先ほどHさんに教えてもらった観音食堂に入る。ここは魚屋さんがやっているというので刺身定食を注文。店内はちょっと古めでいい感じ。皆酒を飲んでいる時間帯だが、一人でも快く受け入れてくれたのは有り難い。刺身も美味しく、満腹。そのまま付近を散策したが、酒も飲まない私は、ホテルに部屋に帰り、テレビを見ているうちに寝落ちる。

 

2月8日(金)
西鎌倉から自由が丘へ

翌朝は早めに起きた。快晴!大船に泊まったのは、大船観音に参拝するため。実は幼い頃、辻堂に住んでおり、東海道線に乗るといつも見えたのが観音様。だがただの一度も参拝したことがなかった。駅の反対側まで歩いて行き急な坂を登るとそこに門があったが、何と9時からしか開かないという。またダメだったか。

 

何とも残念な気分になりながら、ホテルに戻り朝ご飯を食べる。ここはカフェ。メインの料理を選び、後はビュッフェスタイル。私は和食系をチョイス、味噌汁も給湯器のようなものから出てくるのだが、なぜか味噌が入っていない。係員に言うと恐縮しながらすぐに味噌液を交換するというが、いつまで待っても出来ず、メインも来たので洋風スープを取る。食べ終わる頃係員が味噌汁を持ってやってきたが、もう必要がないので断ってしまった。こういう場合、どうするのがよいだろうか。彼女はどう思っただろうか。

 

大船からモノレールに乗るのは、何十年ぶりだろうか。記憶がないくらい遠い過去だ。途中アップダウンがあり、また富士山が見えたり、大工場があったりと飽きない。西鎌倉に到着すると、すぐに今日の会場、茶風さんが見付かる。駅から近い。こちらには初めて来たが、手前にお店があり、ご自宅内がセミナーなどの出来る場所になっている。更には広い庭、いや裏山があり、様々な茶樹が植わっていて楽しい。モノレールも同じ高さに見える。

 

今日は包種茶のお話し。平日なのに男性も来てくれていて心強い。そして皆さん非常にノリがよく、脱線話にもついて来てくれて有り難い。お茶を飲みながら話し、途中には軽食が出てブレーク、ここでも雑談が始まる。合計3時間、何だか沢山話して楽しかった。終了後も何人かがお店でお茶を飲んでおり、そこに加わってまた話す。

 

時間が来たので、自由が丘を目指す。モノレール、横須賀線で武蔵小杉まで行き、東横線に乗り継ぐ。今日は30年前の同じ部署の先輩Tさんと久しぶりに会う。食事の場所は何と泰興楼。ここは本店が八重洲にあり、その昔よく行った。餃子が大きいのが特徴。この支店も同じで懐かしい。上海焼きそばは上海にない、などと言いながら、30年のご無沙汰が吹き飛び、昔話に花が咲く。偶にはこのような再会も嬉しい。夜遅く帰宅し、1泊2日の旅は終了した。

静岡から愛知へ2019(3)犬山の病院と城

2月3日(日)
セミナー

今朝は早めに起きる。あまりに狭い部屋で、息苦しかった。上はちゃんとした部屋だったから、料金を払えばよかっただけだが、それなら駅前の3000円の所に泊まって、銭湯だけ入りに来れば、420円で済む。次回はそうしよう。チェックアウトする時に見ると、朝から銭湯は開ており、大勢が入っていて驚いた。また泊り客は若者が多く、皆朝風呂後にチェックアウトしようとしている。こんなのが流行りなのかもしれない。

 

名古屋駅前から地下鉄に乗り、今池に向かう。ところが今池に行ける地下鉄は2つあることに気が付く。どちらが便利なのか、さっぱり分からず、適当に乗ったら、遠回りだった。やはり不慣れだ。駅を出て、荷物を引っ張って会場へ向かう。会場に行くのは3回目なので、問題はなかったが、結構歩いた。

 

今日は台湾高山茶と中国紅茶の話。主催者の茶心居さんが参加者を集めてくれて有り難い。高山茶の話は、茶産地の位置と意味が分かり難かったようだ。確かに余程詳しくないと理解できないはずだ。私は今や、自分の話したいテーマで、話したいようにしており、参加者のことはあまり考えていないと改めて思う。

 

お昼は台湾おにぎりとスープの会場販売があり、私もそれを頂いた。しかし午前と午後の間が2時間以上あり、雑談に花が咲いてしまい、少し気が抜けた。散歩に行った人もいたが、雨が降り始めたようで、ちょっと難儀した。次回は1時間ぐらいのインターバルで出来るとよい、と思う。

 

午後の中国紅茶、こちらも中国全土を駆け巡っており、位置関係は分からなかったかもしれない。また紅茶全体の歴史の詰めがまだ甘いため、分かり難かったかとも思う。紅茶の近現代史は、各産地共に似通っているので、もう少し工夫が必要だろう。まだ烏龍茶の歴史などを勉強していないため、その比較ができないことも苦しい。

 

セミナーが終了すると小雨の中、今池に歩いて戻り、また名古屋駅へ。今日はこれから犬山市へ向かうのだが、何しろ初めてで、名鉄でもまごつく。ホームまで行くと、色別に並ぶ列が違っており、本当に困った。そこにアジア系外国人数人がやってきて、当然のように空いているところに並んでいたが、自分たちが乗る電車が来ると横入りの形になってしまう。何となく車内の雰囲気が悪くなる。

 

5時半過ぎに犬山駅に到着する。旧知のIさんが車で迎えに来てくれて、夕飯に連れて行ってくれた。そこはちょっといい和風ファミレス。何と香港で一緒だったTさんが今そこの役員になっているというので驚く。立派な定食とドリンクバー、親子三世代で来られるお店を目指しているようだ。

 

そこでIさんと昔話に花が咲く。実はIさんと、昨晩名古屋で会ったUさんも香港の時に知り合い。奥さん同士は今も年賀状をやり取りしているらしい。この二人、近くにいるのに会う機会がなかったようで、ちょっと橋渡しした。Iさんはこの偶然?にとても驚き、そして喜んでいた。今晩はIさんが予約してくれたホテルに入り、足を十分に延ばして寝る。

 

2月4日(月)
背骨と犬山城

翌朝、朝食付きというので1階のカフェに行って見ると、トーストとゆで卵に、煮物のようなものが付いてきた。とても不思議な朝ご飯。そういえばいまだに名古屋のモーニングを食べたことがない。Iさんが迎えに来てくれ、勤務している、『あいちせぼね病院』に向かう。

 

この病院には椎間板ヘルニアと脊柱管狭窄症の患者がやってくる。治療費は100万円以上するが、1度の手術で、ほぼ治るというので、東海地方を中心にお客がたくさん来ているという。確かに費用が多少掛かっても、数か月、数年痛い思いするより、すぐに治る方を選びたいという希望は理解できる。東京にも分院があるので、腰痛持ちの私もいつかお世話になりそうだ。

 

病院内を見学すると、MRIが何台もあるなど最新鋭の機器が揃っている。病室もとても広くてきれい。外国人富裕層向けの対応だろうか。病院はつい最近だが、オペクリニックは20年以上前に開業しているという。愛知にこんな病院があるとは驚きだ。健康診断に来る人も多いとか。Iさんとこの病院が更に良くなる方法について話しているうちに、あっという間に昼になる。

 

とんかつ屋に連れて行ってもらったら、満員盛況。何だか活力あるな、犬山。その後車で国宝犬山城まで連れて行ってもらい、Iさんと別れ、城に登る。この城、日本で一番古い天守を持つことから、城好きに大人気だとか。登っていくと階段が急で大変。上からの景色はとても良い。歴代城主、明治以降も城主が城を所有してきたという。

 

城の下には神社などもある。前の道は、昔ながらの風情を作っている。そこを歩いて駅へ行き、名鉄で名古屋に出る。JRバスで帰ろうと思い、新宿行きを頼んだが、『30分後の東京駅行きの方が早く着く』と言われてびっくり。余った時間で、あの台湾ラーメンを食べてみるが、辛くてたまらない。これに台湾と名付けるか?長距離バスに乗る前に食べるものではない。バスは空いていて快適。途中SA に寄って約5時間で東京駅まで帰って来られた。料金は新幹線の半分、その日の内に帰れるし、次回からこれにしよう。

静岡から愛知へ2019(2)富士山茶園から袋井、名古屋へ

2月2日(土)
富士山茶園から袋井、名古屋へ

翌朝は早めに起きたが、既に包丁とまな板がぶつかる音が響いていた。農家の朝は早い。朝ご飯を頂いていると電話が鳴る。Nさんのお知り合いの茶農家から、『富士山がきれいだから茶畑見に来れば』とのお誘い。本日は午前中に金谷のミュージアムを見学してから袋井まで行くことになっていたが、富士山の誘惑には勝てずに、Nさんの車で出掛けて行く。

 

そこは金谷とは反対方向。車の中からも富士山が大きくなっていくのが分かる。まずはHさんの家に迎えに行き、一緒に茶畑に進む。もう沼津に近いこの辺り、平地にも茶畑が見られるが、我々は山道を登り始める。少し行くと山沿いにひっそりと茶畑が広がっている。まるで山茶を見に行った時に出会ったような光景だ。

 

更に登っていくと、新しく開墾された場所にまだ小さな茶樹が植えられていた。畝の幅がとても広く、普通の畑とはかなり違ってみえる。『皆が山を捨てて機械を入れやすい平地に移ったから、逆張りで山に植えている』のだという。新しい試み、実に新鮮だ。大きな木が邪魔しなければ富士山がよく見え、観光スポットとしても絶景になるだろう。

 

帰り路を行くと、今度は目の前に海が見える。その前には広々とした平地があり、製紙工場などの煙突が見える。写真撮影には絶好の場所だが、当然地元の人以外に知る者はない。更に下りると高速道路を渡るが、この辺は高速の上を渡る橋がとても多く、比較的簡単に平地に戻れる。

 

そのまま車は沼津インターを目指す。ここから高速に乗った方が金谷には近いという。そしてSAではHさんのお茶が売られていた。このSAは、ここから海が撮影できることから、立ち寄る客が非常に多く、売り上げもかなりあるという。またなぜか入り口には行列が出来ており、なぜかアニメキャラのイベントが大人気なのだという。

 

高速道路に乗ったが、静岡は広いことを改めて知る。途中まで行って、金谷に寄っていては、袋井の約束に全く間に合わないことが分かり、金谷のミュージアム行きを諦めることになった。松下先生のコレクション展示の見学は次の機会に譲ることとしよう。Nさんたちは静岡の東側の人。西側にある袋井へ道は分からないという。途中のSAで確認してようやく道を選び、遠州森町で高速を降りた。

 

そこから一般道を走り続け、11時半の約束に10分遅れで到着。ランチはお知り合いのIさん、Mさんとハンバーグを食べる。Hさんは金谷に行くために同乗してきたが、この混乱に巻き込まれ、一緒に食べる。同業者のMさんとは、やはり何となく面識があり、業界内話も始まる。

 

食後NさんはHさんを乗せて金谷に向かった。金谷へ行きたかった私が行けず、特に必要がなかったNさんが行くとは。何かのお告げかもしれない。我々はMさんの車で、セミナー会場へ移動する。袋井駅近くの立派な公民館だ。『茶学の会』のことは何度も聞いていたが、偶々今日開催だったので初めて参加する。

 

重鎮K先生をはじめ、参加者が続々集まってくる。旧知のY先生と隣になり、茶の歴史について雑談する。今日は埼玉の博物館の学芸員から『明治期のさいたま茶の輸出』について、話があった。この方は茶の専門ではなく、博物館の展示のために1年かけて準備した、その内容を報告している。

 

埼玉と言えば狭山茶だが、県内にはそれ以外にも茶産地があり、一時輸出されたというもので、地元の茶関係者などが紹介されている。出来れば、江戸時代の茶生産まで遡ってもらえると、私としてはもっと興味を惹かれたのだが。静岡の参加者は茶の歴史に詳しく、鋭い質問がどんどん飛んでくる。ずっと聞いていたかったが、夜の名古屋の予定に備えて、一足先に失礼した。

 

袋井駅まで歩いて行き、JR在来線に乗り込む。浜松で乗り換え、また豊橋でも速い電車に乗り換えた。途中で乗客がたくさん乗ってくる場面もあったが、席は確保できたので楽ちんだった。新幹線を使わなくても約2時間で名古屋駅に到着した。今晩は前回とは違う駅近くのホテルへ向かう。

 

その宿は、何と銭湯が部屋を提供するという面白い所だった。銭湯の入り口でチェックイン。そこから横のビルに繋がっていて、地下へ。どうやら前はバーだったと思われる場所に実に狭い部屋がいくつかあった。この部屋で6000円は、いくら銭湯入り放題といわれても正直高い。

 

夕飯は旧知のUさんと駅付近で洋食。Uさんとは香港、北京でご一緒、その後東京、名古屋でも会ってはいたが、今回は久しぶり。還暦を過ぎてもバリバリ働きながら、奥さんと欧米にも旅行するというからすごい。仕事の話から家族の話まで、古い付き合いの方とは幅広い話が出てよい。その後銭湯にゆっくり浸かり、早々に寝る。銭湯には若者がたくさん来ており、ちょっと驚く。

静岡から愛知へ2019(1)ホッとする農家民宿

《静岡・愛知茶旅2019》  2019年2月1日-4日

1月の台湾生活から戻ったが、旧正月で行くところがない。それでは日本国内を回ろうということで、名古屋のセミナーに呼ばれた。折角名古屋まで行くなら、静岡に寄ろうと思い立ち、農家民宿をされているNさんの所に泊まることになった。更には名古屋の後、初めて犬山市にも向かう。ご縁はずっと続いていく。

 

2月1日(金)
農家民宿へ

台北から戻って僅か2日だったので、今日は朝ゆっくりと出発した。日本は冬だし、無理は禁物。今回は在来線で静岡を目指す。やはり時間がある時は、苦手な新幹線は避けるべし。小田急藤沢経由を計画したが、乗り継ぎに失敗し?いつもの小田原経由となる。スイカが使えないので切符を買うなど、久しぶりのルーティン。箱根駅伝グッズを見ていると、外国人観光客が相談窓口周辺にたむろしている。

 

小田原かJRに乗ると、今日は本当に天気が良くて、海が輝いている。熱海で乗り換えてまた進むと、富士川を渡る頃、おっきな富士山が目の前に現れた。あまりの見事さに心を奪われている内に、写真を撮り損ねた。新幹線では遠くに見える富士山が、在来線ではなぜこんなに大きいのだろうか。

 

午後3時前にJR興津駅に到着。そこにNさんが待っていてくれた。興津といえば、東海道17番目の宿場町。以前一度降りたことがある。茶のゆかりの寺があったはずだと言うと、早速車で連れて行ってくれる。清見寺、ここの特徴は何と言っても、山門と本堂の敷地の間に東海道本線が通っていることだろう。

 

この寺に鎌倉初期、聖一国師が立ち寄り、茶の種が伝えられたと聞いたことがある。ただ境内にはそのような雰囲気も、表示も何もない。あるのは見事な古い五百羅漢などである。ここでお茶会が開かれることがあると言うが、静岡茶の祖だと言われる聖一国師の由来があるのであれば、もう少し宣伝するだろうと勝手に思う。

 

むしろ興味深いのは、大正天皇が皇太子時代にここで静養し、海水浴などをしたという話。その時食べられたのが、宮様まんじゅうとして残っているという。それにしても大正天皇とは一体どんな人物だったのだろうか。天皇が退位する今年、ちょっと知りたいテーマの一つではある。

 

車は旧東海道を走っていく。街角には、古い道しるべや石碑が残っていた。色々なところにあったものを、一か所に集約したのだとか。身延山へ、という表示から、ここから山梨方面を行く旅人がいたことも分かる。『この辺には見るものは何もない』と言いながら、車はその身延山方面に向かって走っていく。

 

途中で高台に上がる。小島陣屋跡、と書かれた場所がある。江戸時代陣屋があった場所、明治維新後は小学校になり、私有地として所有され、下の方の大部分は戦後分譲されたらしい。石垣が残っており、陣屋があったことは何となく分かる。ここには昭和30年以降、かなりの茶畑があったとのことだが、残念ながらかなり前から茶業は衰退し、放棄地が増加していた。

 

10年ほど前に、その放棄地が陣屋跡として、国から指定を受けて、活用されることになった。だが本日現在、若干の茶樹以外はほぼ更地で、陣屋跡の看板だけが建っている。史跡指定を受けて10年も経つのに、再建される訳でもなく、何かに活用される訳でもない。何故だろうか。それにしても陣屋が茶畑になり、また陣屋に戻される、何だか面白い展開ではある。

 

興津駅から10㎞近く進んだところに、小河内という地区があり、車は小道に入って停まる。そこには『有機農法の宿 ぬくもり園』と書かれている。庭には古い建物があり、その横には茶畑がのぞく。とても雰囲気があり、ちょっとテンションが上がる。宿泊場所は、Nさんのおうち、本当に民宿だ。元々は土間になっていた玄関、敷居が高い。その横に広い部屋が2つ、今日はお客さんがいないので、この部屋を占拠する。

 

暗くなる前に周囲の茶畑を散策。家の裏から山沿いに広がる。こういう光景に憧れるお茶好きは多いだろう。近くには小学校があり、下ると川もある。畳の部屋に戻って、お茶を淹れる。涼しくなってきたので、石油ストーブに火が点く。何とも懐かしい生活が始まる。猫がこちらをチラチラ見ている。お風呂に入る。お茶風呂、本当に淹れたお茶が湯船に入っている。体が相当に暖まる。

 

夕飯はNさんと二人で食べた。何だか実家に帰ってきたような気分になる。もう長いこと味わっていなかった感覚だ。猫も慣れてきて、おこぼれを狙いながら、膝の上を占拠する。暖かな夕飯となる。静かな環境で、お腹が一杯になると、かなり眠気に誘われる。今日はサッカーアジアカップ決勝があるはずだが、そんなことにはお構いなく、早々に布団を敷いて寝てしまう。

天津・大連・北京周遊茶旅2018(11)即席茶会、開催される

12月25日(火)
即席お茶会

翌日はゆっくり起き上がり、またホテルの朝食を食べた。昨日の疲れもあってか、動きが鈍い。今日は昼と夜の予定があったが、その間は何をするかも考えていなかった。ちょうど昨日のセミナー関係者が微信グループを作ってくれ、写真のアップや感想などが来はじめる。そうだ、今日の午後は、このメンバーに先日案内してもらった茶荘を紹介しよう。そう思い立ち、突然ながらお声掛けしてみた。思いがけず反応があり、今日の午後と明日の午前、2回の即席お茶会の開催が決まる。さすが北京。

 

取り敢えず午前をゆっくり過ごし、ランチの約束に向かう。場所は望京の韓国焼き肉屋。望京と言えば、10年前はコリアンタウンとも言われ、多くの韓国系、朝鮮系が住んでおり、それに合わせて韓国料理屋が繁盛していた。今では地下鉄も開通して、簡単に行けるようになっていたが、訪れるのは10年ぶりだろうか。やはり韓国語の看板は多い。

 

お会いするのは北京在住35年?というAさん。北京で会うのはこれで2度目だが、いつもFBで近況は見ているので、久しぶりと言う感じはない。中国人の奥様、そのお子さん、お孫さんの話から、今の中国の一面が見えてきて非常に面白い。当然80年代の昔話も出てくる。昨晩の交流会メンバーとも大体お知り合いという、北京の超有名日本人なのだ。ご馳走になり、誠に申し訳ない。

 

地下鉄でホテルに戻ると、すぐに茶荘へ行く。バラバラと参加者が集まり、岩茶などを飲み始める。今日の今日なのに、皆さん予定をやりくりしてきて頂いたので、当然ピタリ集合は難しい。それでもお茶飲んで、無駄話しているだけだから、時間は気にならない。このお店も、日本人客を増やしたい、北京の日本人にもっと岩茶や紅茶など、福建茶を知ってもらいたいという思いもあるので歓迎される。

 

全員揃ったところで、会員制の茶空間に移動して、またお茶を飲み続け、話し続けた。こういう会は気楽で有難い。聞く方も、聞きたいことが思い切って聞けて良いのだろう。話はどんどん弾む。皆さん、この付近に住んでいる方が多いので、今後も利用してもらいたい。尚この会員制個室は、全ての部屋がお客で埋まっていた。やはり密会?のニーズは高いということだろう。

 

夜6時過ぎ、外へ出ると零下10度の表示に凍える。今晩は旧知のTさんと会う約束があり、そこへ向かうのだが、地下鉄は不便、タクシーは渋滞なので、2㎞ほどの道を歩いて行く。風がかなり強く、これが何とも寒い。日壇公園の北側にあるロシア料理店、と言われていたが、危うく行き過ぎる。どう見てもロシアっぽくないし、店名がMangoだからタイ料理と間違える。

 

この付近、ロシア人街で、革のコートなど、ロシア製商品が売られていた場所だったが、今はどうだろうか。中に入るとクリスマスムードが漂う。ロシア教会のクリスマスって今日なのか?既に沢山のお客で満員盛況。Tさんの他、旧知のNさん、そして大学の先輩ながら殆ど面識のなかったOさん他と一緒にロシア料理を食べ、ディナーショーを見た。中国人もこのようなショータイムに興味津々なのか。ショーの時間が長いので、あまり話も出来ずに会食は終了。帰りはOさんの車で送ってもらい、寒さなしでホテルに戻る。

 

12月26日(水)
北京を去る

翌朝も10時からお昼まで、第2回即席茶会を行う。今日も数人が参加してくれ、昨日と同じような感じで、お茶を飲み、話した。もう年末ということで、日本に帰国してしまったとか、バケーションに出掛けてしまった人もいた。もう年の瀬なのだ。休みだと聞いていた店長が突然登場して、自らの好むお茶を淹れてくれた。また北京に来たら、是非立ち寄ろう。

 

北京空港までは、またお車で送ってもらった。今回は本当にお世話になり、気持ちの良い北京滞在となった。誠にありがたい。北京空港は大連のようなサービスはないが、乗客は予想外に少なく、イミグレ、荷物検査共にサクサクと終了した。今回12日前に北京空港に降り立った旅は、ここ北京空港で終わろうとしている。お茶と直接関連の少ない北の地域にも、時々来てみるのも良いかと思う。お茶の歴史、それは探せばどこにでもある。

 

帰りのエアチャイナの機体はとてもきれいで、資金力豊富な中国系の力を見せ始めていた。夜、暮れの羽田に帰り着くと、どこの企業も御用納めなのか、ほろ酔い気分のサラリーマンが沢山電車に乗っていた。日本は平和だというべきだろうか。2018年の旅も今日で終わった。2019年はどんな旅が待っているのだろうか、楽しみだ。

天津・大連・北京周遊茶旅2018(10)北京で即席セミナー

12月24日(月)
即席セミナー開催

朝起きて窓の外を見ると、ややガスっているがCCTVのビルが見える。このビル、10年前の完成直前に、元宵節の花火で火災が起き(実際は後ろのマンダリンオリエンタル)、焼け落ちたのが記憶に残っている。今は完成して立派な本社ビルになっているようだ。まあ、窓からこんな景色が見られるのも喜ばしいことだ。

 

朝ご飯はホテルで取る。さすが5つ星だけあって、メニューが充実している。意地汚い私は、パンとお粥、オムレツと卵など、乱雑に食べたい物を取り、思いっきり食べてしまった。こんな生活をしていては、いくらお茶など飲んでも何の足しにもならないと分かっていても止められない。美味しい!

 

いつものように建国門の銀行で用事を済ませる。最近は中国の銀行サービスも改善しているな、と感じることが多かったが、今日の担当者の対応はかなりひどかった。顧客の話を聞かない。まあ先日香港でも感じたが、『今の若い者は』と思ってしまうところに、自らの老いを感じる。

 

西単に行こうと思い、地下鉄はいつも混んでいるので、バスに乗ることにした。ところがバス路線は一本しかなく。激混みで驚いた。降りることが出来ない乗客が、ドアが閉まってから大声で不平を述べ始める。この路線は地下鉄と共に、天安門を一度は見たいという、いわゆるおのぼりさん路線なので、トラブルも多い。いや、地下鉄だと天安門が見えないので意外と人気なのかもしれない。

 

西単では、図書大廈に行く。先日の大連と違って、さすがにここには沢山の本が置かれていて、ホッとした。お茶の本を探していると、何と書棚2つ分のスペースに様々な本が置かれており、ワインや酒より多いのではないかと驚いた。以前と比べて中国でもお茶への関心が高まっているようだ。早々茶の歴史に関する参考図書を購入する。

 

朝ご飯を食べ過ぎて、昼になっても腹は減らない。そのまま地下鉄に乗り、魏公村へ向かった。予定の時間よりだいぶ早い。ふと思い出したのが、ここの銀行のカードを無くしており、未だに口座が回復できていないことを。ちょうどよい機会なので、銀行に寄る。何だか新しくなっているが、建て替えたのだろうか、この支店は。

 

これまで何度かチャレンジして、その度一からやる羽目になっていた。今回も覚悟していたが、まず客の数が少なく、すぐに案内された。窓口の女性も非常に丁寧で親切だ。だがやはり私の口座はないという。そんなはずはない、とパスポートを出してもダメ。ここは想定内で事情を説明していくと、開設時のパスポート番号がいるという。ところがそれは2つ前のパスポートで既に番号は覚えていない。

 

ここで万事休すかと思ったが、これからセミナーがあるためPCを持参しており、その中身を隈なく探してようやく見付かった。そして彼女も『口座ありました』というから、よし今回こそは、と思ったが、次の言葉に愕然。『あなたの口座はうちの支店ではなく、隣の支店ですから、そちらに行ってください』、えー、確かに雰囲気は違うと思ったが、まさかの失態。ここで時間切れとなり、また次回に持ち越す。

 

今回は突然北京に行くことになり、久しぶりに会いたいと思っていたOさんに連絡を取ったところ、『折角だからなんかやりますか』という話になり、僅か2週間前にセミナー企画が出来た。告知は僅か1週間前、しかも今日はクリスマスイブ。場所も日本人居住地から近くない。これだけの条件が揃えば、数人来て頂ければ御の字だと思っていた。

 

会場を探すが、私も道に迷ってしまった。何とかたどり着くと、そこはカフェ?バー?驚いたことに今日の参加者は20名近いという。どうやってそんなに集めたのだろうか、と思っているとMさんを紹介された。彼女はライターだが駐在奥さんとも付き合いがあり、声を掛けてくれたらしい。どうやって座るかで悩むとは嬉しい悲鳴。

 

だがもう一つ問題が。茶葉は私が持ってきたが、何と茶器などがない。誰が淹れるのか聞くと、なんと昔北京お茶会でお茶淹れをしてくれていた張さんにお願いしたという。慌てて張さんに電話して、茶器一揃えを持ってきてもらうように依頼した。何とかなってしまうところが北京だな。いやOさんの神業か。

 

今回は『中国紅茶の歴史』についてお話しした。うまく伝わったかどうか不明だが、中国に住んでいるのだから、知っていても損はない、という話をしたつもりだ(中国人も紅茶の歴史は知らない人が多いと思う)。元々茶芸などをやっている方も多く、ある程度参考になったかもしれない。参加者の中には10年前のお知り合いや、共通の友人がいる人やらで、何とも素晴らしい出会い、再会があった。現役の留学生も来てくれ、お茶に関心があるというのは心強い。

 

そのまま無駄話をしていると夜になり、Oさんの交流会が始まった。こちらも10数名が参加、昔の知り合いが会いに来てくれ、初めてだけど長い付き合いのような方もいて、驚きは続く。珍しくビールなんかも飲んでしまい、心地よい疲れが出た。クリスマスイブの夜は更けていく。帰りの地下鉄は終電まじかでちょっと焦った。こんな遅くまで遊んでいるのは滅多にない。

天津・大連・北京周遊茶旅2018(9)北京へ

12月23日(日)
VIP待遇

今朝は6時に起きて、7時前にはホテルを出た。まだ周囲は暗く、人通りも殆どない。地下鉄駅がある地下に潜るまでの数分間は本当に寒かった。地下鉄にもあまり乗客はいない。日曜日だからだろうか。先日空港から乗った路線を引き返す。30分で空港に着いてしまうのは、何とも便利で有り難い。

 

空港に着くと正面にVIPカウンターがデカデカと見えた。こんな空港は初めてだ。そしてなぜか私の持っていたカードでもこの待遇がウケられ、チェックインはあっという間、いつもは手間取る荷物検査もVIP待遇ですぐに抜けてしまった。大連はこんな所のサービスにも力を入れているのだろうか。まあ、兎に角有り難い。

 

時間が余ってしまったので、本屋に入る。昨日のこともあるので期待はしていなかったが、驚いたことには日本関連の中国語本が多い。特に第二次大戦など歴史関連が見られるのは、中国人も日本の歴史を知ろうという意識の表れなのだろうか。歴史問題、確かに官製の歴史で海外に出ると色々と困るかもしれない。いやここに並んでいる本も官製か。フライトは順調で寝落ちている間に北京に到着。

 

大連空港だけでなく、今日の私は北京でもVIP待遇を受けている。慣れ親しんだ北京空港をサクサクと外へ出ると、そこには迎えが待っていた。そして車は快晴の北京市内、東三環路の5つ星ホテル、グランドミレニアムへ滑り込む。普段はもう泊まることなどない高級ホテルだが、これも全て先日の香港のご縁でなされたものだった。

 

部屋は広く快適。テレビを点けるとNHKが写り、少しだけ全国高校駅伝を見ることが出来た。そして香港オフィスから指令を受けた北京オフィスの人が連絡をくれ、ランチを一緒に食べる。このホテルのレストラン、飲茶が旨いことで有名で、10年ほど前にも当時ここに住んでいた先輩からご馳走になったことがあった。何故うまいのか、それはオーナーが香港の実業家だったからだと先日初めて知った。今日は魚料理と叉焼が絶品だった。

 

お茶にも凝っている。以前来た時も北京では珍しいぐらいに凝っているな、特に緑茶ではなく、岩茶などが多いなとは思っていたが、これもまたこの企業集団が茶業も行っていたからだったのだ。そう思って見てみると、ロビーのカフェもアフタヌーンティが充実しており、ケーキもうまそうだ。クリスマスケーキまで揃っている。日本なら明日はケーキの日だが、北京ではどの程度だろうか。ロビーのクリスマスツリーもデカい。

 

このホテル、周辺にはサービスアパートを含む住宅と商業施設を同時に開発していた。ホテルの後ろ側にはショッピングモールがあり、茶荘も出店している。そこに案内され、お茶を飲む。かなりゆったりとして空間があり、落ち着いて茶を飲むには十分だ。奥には茶を飲むためのレンタルスペースも用意されている。茶葉は各種あるが、北京では従来花茶系が好まれていたが、今は紅茶類のニーズも高い。

 

そしてサービスアパートには最近プライベートな空間を別途オープンした。会員制の茶空間、ゆったりと部屋で茶を淹れて飲み、商談などにも使えるスペースを提供している。確かにこの辺はオフィス街であるが、会社でし難い話などをここでするというニーズはあるように思う。店長はお茶好きで、楽しくお茶話をした。

 

部屋に帰ると休む間もなく、建国門に出掛ける。既に10年以上前に作った脚マッサージの会員カードがまだ使えるのか確かめに行く。店はちょっと変わっていたが、カードは健在とのことで、早々足を揉んでもらう。思えば料金も高くなったものだ。技術が進歩するより物価上昇が急すぎた。夜寝る前の水分の取り方など、色々とご指導いただき、有り難い。

 

急いで地下鉄に乗り、夜の食事に向かう。昔一緒に働いた中国人と久しぶりに会う。日曜日なので彼の家に近い場所にしてもらった。ところが地下鉄の距離感を間違えてしまい、遅刻する。分かっているつもりでも、既に多くは過去の記憶、これからは一回一回確認して進まなければならない。

 

中国系金融機関に務める彼は、以前はとても羽振りが良かったが、今はかなり厳しい状況にあるという。経済低迷の影響で案件のリスクは高くなり、うかつには手を出せない。案件をやらなければ成績は伸びず、給与もいくらか減っているらしい。そしてこれまで日本に全く興味を持たなかった彼が、今年3回も日本に行っているのには本当に驚いた。

 

目的は不動産の購入。東京だけではなく、福岡にも足を延ばしたという。値上がり期待ではなく、人民元の下落に備えた逃避らしい。これまでの稼ぐ姿勢から、資産を守る態勢になってきている。奥さんは買い物が出来て大いに喜んでいるというから、いよいよ中国も大きな変化が起こるのだろうか。