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愛知、奈良お茶散歩2014(5)宇治 茶葉がキープできる宇治茶ファンの店

4.宇治

作品展

今日の日程は終了した。参加者は三々五々分かれて行った。私はIさんが宇治へ行くというので、車に乗せてもらった。宇治の茶問屋Tさんがいるので、昨日メールしたところ、『今日は東京出張で会えない』と言われていた。だがそれでも行った。今千葉の幕張でFoodexが開催されており、お茶関係者が多数出掛けていた。Tさんも宇治から日帰りで駆け付けた。

 

Iさんは宇治の平等院のすぐ近くにあるお茶屋さんに向かった。ここで知り合いの若者が陶芸展を開催しているのだという。奈良で支援しているお寺の関係で知り合ったらしい。奈良から宇治へ、そして奈良の陶芸家の作品を見る、何だか不思議だ。

 

『隠れ宇治茶ファンの店』と書かれたその店は赤門茶屋。常連さんがお客の中心なのか、何とマイ茶葉キープが可能なお店だった。西尾で抹茶を見学した後だっただけに、これまで以上に抹茶に対する関心が高まっていた。

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抹茶と和菓子を頂きながら、陶芸作品を見た。なかなか発表の機会がないというが、若者らしい、新しい感じの作品だった。今後彼らの為にもっとさまざまな機会、例えばアジアに作品を紹介する、などもあるといいなと思う。

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お店は6時で閉店。もっと居たかったが、これもまたご縁である。Iさんに宇治の駅まで送ってもらい、電車に乗る。元々は東京に帰るはずだったが、何と今日は京都に泊まることになっていた。

 

5.京都

アパホテル

Tさんから指定されたホテルは京都駅前のアパホテルだった。そこにネットで予約を入れ、向かったが、何と最初に見つけたホテルに私の予約はなかった。駅前にアパホテルは2つあったのだ。それほどにこのチェーンホテルは急速に拡大していた。

 

ようやく見つけたそのホテル、フロントでチェックインしようとしたところ、電話をしていた従業員の言葉が耳に入る。何と私がネットで予約した料金より、今電話予約した料金の方が500円安かったのだ。何となくその点を指摘するとフロントマンは『いいですよ、今日の料金で泊まってください』というではないか。そのような柔軟性がこのホテルにあったのか、これからはもう少し料金に敏感になろう。

 

これまで毎日、美味しいものを食べてきたこと、そして少し疲れたことから、今日はコンビニでサンドイッチを買い、部屋でテレビを見ながら食べた。今晩はなぜか、サッカー男子の日本代表と女子のなでしこジャパンの試合が両方あったので、ダラダラとみていた。

 

すると9時過ぎに電話が鳴り、何とTさんがロビーに来ていた。東京から新幹線に乗り、京都駅で降りて寄ってくれたのだ。何だか劇的な再会のような気分。だがTさんはこれから宇治まで帰るので、少し話して別れた。明日の朝また迎えに来てくれるという。有難いことだ。

 

サッカーの試合の合間に、大浴場に行き、汗を流した。誰もいなかったので、ゆったりとお湯に浸かった。日本の旅、それもわずか3泊なのに、ちょっと疲れていた。

 

愛知、奈良お茶散歩2014(4)奈良 自然と共生する健一農園

農地の料亭

夜はUさんが食事に誘ってくれた。2人で出掛ける。何と農道を行く。真っ暗な道を進むと道に迷う。どう見てレストランなどなさそうな農道。周囲は田んぼか畑だが、それすら見えない。暗い。完全に道を間違えているとしか思えない。

 

ところがうっすら明かりが見え、その料亭はあった。車も何台か停まっており、お客もいることが分かる。お座敷が何部屋かあり、我々2人も通される。料理も素晴らしい味の物が出て来る。これだから日本は侮れない。

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我々はお酒も飲まずに語り合った。お茶のこともそうだし、個人的に進むべき道もそうだ。Uさんはまだ若い。これから行くべき道はいくつもある。だが人生はいくつもの道を行くことが出来ない。私は既に流れに任せて自分では考えなくなっているが、それが良いのだろうか。

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3月5日(水)

3.奈良

自然農園

翌日は曇り空。朝ホテルをチェックアウトして、Iさんの運転で奈良へ向かう。車は空いており、どんどん走っていく。どこを通ったのかはよくわからないが、三重を通過。三重は確か日本で4番目にお茶が採れる所。次回機会があれば寄ってみたい。

 

それにしても岡崎から奈良がこんなに近いとは思わなかった。2時間程度で目的地に到着してしまい、他の参加者の到着を待つ。道の駅、針テラス、ここはどこだろうか。お湯を調達し、お茶を淹れ始める参加者。さすが、と思っていると、皆が揃った。今日の主役、伊川さんの先導で行く。

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車で15分ほど行くと少し山沿いとなった。雄神神社といういかにも由緒正しい神社が見えてくる。思わず車を停めて貰い、参拝する。どうしてか分からないが惹かれてしまうこの神社。小雨の中、小走りで駆け上がり、写真に収めた。

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伊川さんによれば、この神社のある山がご神体であり、ここには踏み込めない、ここの木を切ることも出来ない、という。そのような聖域が必ず山にはあり、古来その仕来りは守られてきている。

 

それからかなり狭い山道に入る。茶畑が見えてくる。全てが茶畑ではなく、一部が茶畑、一部が畑であったり、木が伸び放題の場所もある。伊川さんが説明してくれる。『8年前に小さな畑を借りて茶作りを始めた。全く農薬や化学肥料を使わないことにより、茶樹そのものに自力で再生する、生きる力をつけさせている』『初めは様子見だった周辺の農家も、高齢化しているので、茶畑の面倒を見て欲しいと要請してくるとことが増え、少しずつ茶畑を増やしている』『近くにある障害者施設と連携して障害者の方に茶摘みなどの作業をお願いしている』『里山制度という、山全体を管理してその生産を行っていくシステムを試みている』

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話しには非常に説得力があり、現場で聞くと納得できるものが多かった。健一農園のこの取り組みは市や県も注目しており、支援に乗り出す動きがあるという。特に山の再生と障害者の活用は大きなポイントとなっているようだ。従来の農業とは違ったアプローチ、実績が上がってくれば、更に輪が広がりそうだ。

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それにしても大和高原にあるこの茶畑、斜面もきつく、農作業は大変だろう。既に放置されてしまった茶畑も目立つ。森林と茶畑の共生、確かインドのダージリンで見た光景だ。森林を再生させること、そこから全てが始まるのかもしれない。

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お昼に健一農園の茶葉を売っているレストランへ向かう。ところが満員。観光客が平日に小雨にもかかわらず、意外といるのに驚く。ここでは竈でパンを焼いており、こだわりの食品を提供していた。日本の田舎は侮れない。別のレストランへ行き、やはり地元でとれた物で作られた定食を食べる。

 

午後は工場へ。山から切り出した木を炭にして、ここで焙煎に使っていた。山との共生、ということか。大きな釜を使い、茶葉を焙煎し、番茶を作っていた。とても良い香りと共に、暖かい空気が流れてくる。

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ここで働いている人々はただ労働しているのではなく、何かを感じながら体を動かし、満足しているように見えた。このような労働が重要。ある機材をうまく活用して、きちんと茶を作る、この活動、今後も注目していきたい。

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愛知、奈良お茶散歩2014(3)西尾 抹茶巡り

3月4日(火)

2.西尾

抹茶巡り

翌日は西尾へ向かう。初めて知ることだが、西尾は抹茶生産では最近宇治に抜かれるまでは、ずっと日本一だったという。抹茶は茶道に使われるもの、というイメージがあったため、正直あまり興味がなかった。アジアでは抹茶アイスなど粉末が使われているが、これは単価の高い日本製ではないだろう。

 

西尾に着くと地元のお茶屋さんが案内をしてくれた。紅樹院というお寺へ行くと『茶祖の寺』との表示があり、鎌倉期に西尾に茶がもたらされ、その後すたれたらしい。明治期にこの寺の住職が宇治から茶の種を持ち帰り、西尾のお茶が再び始まったと聞く。院内に古い茶樹が大切に保存されている。周辺にも茶畑がある。

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次に実相寺というお寺に車で行く。このお寺も創建は鎌倉初期。境内に入ると実に古い松の大木が見える。建物もいい感じに古い。そして敷地は相当に広く、裏に回ると、何と土が盛られていた。この寺は戦国時代、城のような機能を持っていたのであろう。よく見てみると1560年、桶狭間の合戦の年に織田信長に攻められ、焼けたらしい。間違いなく、かなりの勢力を持ち、僧兵がいたのだろう。

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続いて稲荷山茶園公園に行く。ここは茶園見学ができるように整備された場所。台湾人の茶農家?が数人で見学に来ていた。ここの茶園は基本的に手で摘まれるとか。煎茶の価格に対して抹茶は相当に高いらしく、人件費を賄えるという。それでも最近は人手が確保できていない。西尾市の小学校では年に2日、生徒が授業で茶摘みをするらしい。これに賛否両論あるが、私はこのような地元の特色ある活動は続けていくべきだと思う。勿論収益の一部は学校に還元すべきだが。

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そして赤堀製茶を訪問し、製茶の機械などを見学。今は製茶の時期ではないため、機械は止まっていたが、ここはかなり大型の機械を入れ、大量に作るらしい。お茶作りそのものはシンプルだが、抹茶の場合は最後の工程に比重がかかる。

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工場の外に茶畑があったが、一目で2種類あることが分かる。機械摘み用と手摘み用。茶樹の葉の揃い方が全く違うので直ぐに分かる。大量に作る場合は機械摘みが主。当然コストを掛けられない。

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それから本日案内をしてくれている朝日園にも立ち寄る。ここは分かり難い所にあるが、古民家を改造したような造りで雰囲気がとても良い。囲炉裏の横で、お母さんは、サササッと抹茶をたてて出してくれる。『これはインスタントコーヒーと一緒です』と言われると、そうだなと思ってしまう手際の良さ。西尾では普通の家庭で普通に抹茶が振る舞われるそうだ。茶道ではなく、普通の抹茶を飲む、いい感じだ。ここにはずっと居たいと思わせる何かがあった。

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午後は昨日に引き続き、ここでもお茶会が。西尾城脇の立派な家。古民家を移築したらしい。いい感じだ。庭も素晴らしい。お城を背景に梅が咲く。実にゆったりとした空間、勿論家の中もゆったり。先ずはここでランチを頂く。今日はひな祭り(昨日)ということで、ちらし寿司にお雛様が。このような芸当が日本は得意だ。外国人も喜ぶサービスだろう。実に細かい。

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そしてお茶を淹れ始めたところに、もう一軒見学許可が出てお茶道具をそのままに急遽外出。面白い。葵製茶、ここはかなり有名らしい。きれいな店舗の横に工場があり、見学。ただ見ることが出来たのは、最後の茶葉を引く工程のみ。

 

ここでは工程よりもむしろ、碾き臼の特徴を勉強した。臼の挽く方の面は実は様々な模様が描かれており、細かい線が入っている。この線によって茶葉の味が変わってくるそうだ。そしてこの臼を作る職人さんも不足しており、常に募集しているとか。10年ぐらい修業を積むと一人前になれるらしいが。このお茶屋さんでも『もしなりたい人がいたら是非ご紹介を』と言われ、一人前になればくいっぱぐれはない、とも。

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先ほどのお茶会会場に戻り、購入したばかりの抹茶と和菓子を頂く。何種類もの抹茶、それも製茶メーカーから購入したばかりのお茶を頂くのは面白い。各抹茶の特徴を見る上でも興味深い。当たり前だが抹茶と一口に言っても、その味は千差万別。今日も実に勉強になるプログラムだった。

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愛知、奈良お茶散歩2014(2)岡崎 お茶を飲みながら経営を考える

お茶会

老舗和菓子屋さんに行き、お茶菓子を買う。岡崎は徳川家ゆかりの場所、古いお店がいくつもある。和菓子も年季が入っている。勿論日本茶と合うお菓子なのだろうが、中国茶、台湾茶と一緒に食べても、いいだろう。

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お茶会の場所は岡崎城の脇、お城が見える施設。庭もよく手入れされており、感じがいい。日本の地方都市には相変わらず感心する。よくぞこのような施設を維持し、低料金で貸し出しているものだ。

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今日の茶会は台湾茶のUさんがいいお茶を淹れてくれた。そして横では静岡のS君がコンロを持ち込み、茶葉を炒って見せてくれた。徐々にいい香りがしてきて、最後にはそのお茶を飲ませてくれる。このようなパフォーマンスは良い。更に豊橋の若手茶農家Gさんも参加しており、『お茶を実際に作っている人』『若手』ということで、話題もいつもと少し違い、とても刺激的だった。

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このような多様な参加者のお茶会が定期的に開かれるのであれば、それは素晴らしい。話題も現在の日本茶の状況などお茶のことばかりではなく、事業を如何に経営するか、自分のやりたいことを如何にやっていくか、といった経営者としての目線も学んでいく。

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夜は今回の主催者Iさんとデザイン会社を経営する方と3人で話した。『若い人がチャレンジしていくのは良いこと。如何にこれを妨げないか』『一方若者の創造力を如何に作り出すか』など、有意義な議論があった。日本自体は下り坂、という認識は残念ながら共有されたが、その中でもまだまだできることは沢山あるということ。

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三河安城駅前のドーミインに泊まる。ここは駅前だが朝食込みで4900円。なぜか歯ブラシは部屋になく、購入しなければならないが、夜食の夜泣きラーメンはあるし、朝日新聞は無料で大量に置いてある。朝食はビュッフェだが、郷土料理などもあり、かなり充実している。この周辺のビジネスホテルはもっと安いというから、このホテルの質は高いということ。日本の地方は中国などのアジアに比べても本当に安いと感じる。

愛知、奈良お茶散歩2014(1)岡崎 八丁味噌

《愛知、奈良お茶散歩2014》  2014年3月3日-6日

 

昨年12月に10数年ぶりに降り立った名古屋。そこで素晴らしいお茶会が開かれ、感激するご縁があった。何となく愛知県に惹かれていたところ、お茶会でご一緒したIさんから『岡崎へ来ませんか?』とのお誘い。更にはその後奈良の健一農園の見学も、ということになり、俄然興味が湧き、出掛けてみる。

 

3月3日(月)

1.岡崎

八丁味噌

Iさんから三河安城で降りるように、と言われる。この駅は新幹線こだましか停まらないらしい。それならこだまで行こうと思い、品川へ。こだまは30分に一本しかなく、名古屋停まりが多い。しかしなんとなんと、かなり混んでいる。すぐに出る便、指定席は満員だと。自由席で何とか席を確保。

 

新幹線の各駅停車、なかなかいい。だが当たり前だが遅い。以前から一度買いたいと思っていた崎陽軒のシュウマイ、6個入り250円を買い込み、車内で食べる。この安いパックもかなり人気で午後だと売り切れていることが多い。今日は朝だったので買えた。ラッキー。これを食べていると富士山が見えてきた。

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そして2時間半かかって三河安城駅に到着。これだけの時間があれば東京から京都、いや大阪にも行ける。その時間を使ってゆっくり東海道を上る。贅沢だ。乗客も急いでいる人は少ないようで、寝入っている人も多い。のんびり旅だ。

 

駅にはIさんと静岡でお茶を作っている若者S君が待っていてくれた。Iさんの車で八丁味噌の工場へ行く。何でみそ工場へ?と思ったが、この展開は面白い。車で20分ぐらい行くと古めかしい工場が見えてきた。

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『八丁味噌は、岡崎城から西へ八丁(約870m)の距離にある岡崎市八帖町で、江戸時代初期より、旧東海道を挟んで向かい合った2軒の老舗が伝統製法で造り続けている豆みその銘柄』との説明あり。そして何といっても『大豆と塩のみを原料に、大きな杉桶に仕込み、天然の川石を山のように積み上げて重石とし、天然醸造で二夏二冬以上の間熟成』とあり、興味を持つ。

 

今回行ったカクキュー(http://hatcho-miso.co.jp/)では定期的な工場見学ツアーを行っており、便利。時間があったので、先ずはランチに味噌田楽を食べる。濃厚な味噌が絡まってなかなかイケル。

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見学は30分程度。江戸初期から続く会社の歴史、味噌の作り方、具体的な道具などを見ることが出来る。中でも大きな樽に大豆としおを詰め、上からきれいに石を積み上げて寝かせる工程は面白い。この石、近くの矢作川からとっているらしい。こんな良い石があるから、味噌作りができるのだろうか。

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大きな樽を作るのも大変だろう。樽の周囲には箍が嵌められているが、この箍を作れる職人もすでにいなくなっているらしい。需要が無ければ成り立たない、とはいえ、残念なことだ。小さな工芸品は土産物などとして復活するかのせいもあるが、生産用品は難しい。

 

この工場、NHKの朝の連続ドラマ、純情きらりの舞台ともなったとか。主演は宮崎あおい。確かにこんな風景を見たことがあったような。赤だし味噌と八丁味噌の試食も行われ、その違いも分かる。なんかとてもいい見学だった。

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伊那・名古屋散歩2013(5)名古屋 日泰寺と揚輝荘

12月13日(金)

日泰寺

名古屋で是非見ておくべきものは何か、色々と話を聞いたが、現在バンコックに拠点を持つものとしては、やはり日泰寺だろうということで、出掛けてみた。名古屋にも地下鉄は6路線ほど走っており、どれに乗ればよいか迷う。私が滞在していたのは栄で覚王山までは東山線一本だったのだが、地下の乗り場は複雑だ。いや慣れてしまえば簡単なのだろうが。

 

 

駅を下りると、参道のようなものが見付かり、道なりに歩いて行くと、立派なお寺が現れた。覚王山日泰寺、タイのラーマ5世より、日本に寄贈された仏舎利を安置するため1904年に創建された。超宗派のお寺で、各宗派の官長が3年交代で官長を務めているらしい。覚王とは釈迦の別名、日泰寺とは勿論、日本とタイという意味であり、今でも駐日タイ大使はお参りに来るようだ。

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立派な門を潜り、右手の五重塔、正面に本堂。何となく新しい感じで、敷地も広々としている。ラーマ5世の像もあり、タイ人がやってきたら、喜びそうな寺だが、タイ語表記があるようには見えない。日タイ友好のシンボルなのだから、もう少しタイ人に配慮してもよいように思うのだが。

 

 

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このお寺の周辺には、お地蔵さんなどがいくつも置かれているが、それがまた何となくよい。煌びやかな中国的なものではなく、如何にも控えめなタイ人を表しているようでなんとも微笑ましい。

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仏舎利自体は境内ではなく、別の場所に安置されているようだが、特に表記もなく、分からない。仕方なく、本堂を後にして、外へ出てみる。少し歩くと、何やら大きな葬儀の会場があった。どうやらそこが「奉安塔」で、その中に仏舎利が安置されているらしい。だが近づくと葬儀参列者と間違われ、係から頭を下げられたので、退散した。

 

揚輝荘

昨晩Uさんから、日泰寺に行くならその横にある揚輝荘には是非行くべし、との提案があり、向かう。ところがここがまた分からない。どうして表示もないのだろう。奉安塔の方から歩いて行ったが見つからず、近所の人に聞いてようやくお寺をぐるっと一周して到着した。

 

中へ入ると素晴らしい庭園があり、バンガロウと呼ばれた母屋も見えた。入場は無料だという。一通り歩いて見たが、きれいな庭に池、茶室もあり雰囲気は悪くない。ここが松坂屋初代社長、伊藤次郎左衛門祐民によって建てられた別荘だということは分かったが、Uさんが言っていた、ロッジ風の建物は見えない。聞いてみると、それは南園だという。

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南園と行くには、何とマンションの横の細い道を通り抜けなければならない。逆に言えば、この大きなマンションがあるところも、以前は全て別荘だったということか。実に広大なお屋敷である。どんな事情があって真ん中にマンションが建ってしまったのか、下世話な詮索だろう。

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見えてきたのは聴松閣という日本風の名前だが、建物は洋風。ここは入場料を払って入る。中はモダンで、山小屋風、如何にも別荘と言った感じである。随分とお金をかけたのだろう。各階には案内の人がいて、色々と説明してくれた。それを聞いているとどんどん時間が無くなり、東京に戻る時は近づいていた。

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帰ろうとすると入口の人が一目でいいから地下を見て行け、という。慌てて下に降りてビックリ。そこはインド様式の間だった。祐民は1934年に4か月間、タイ、ビルマ、インドなど仏跡巡礼の旅に出ていた。それまでに援助していたビルマの僧に会い、インドではタゴールも訪ねたらしい。

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彼が援助していたインド人留学生が作ったレリーフが復元されており、何と地下室の入り口はエローラの石窟を模したらしい。実はこの別荘には多くに皇族、貴族、外国要人などが宿泊したため、万一に備えてこの地下通路から脱出できるようになっていたという。かの汪兆銘もここに泊まっていたらしい。

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この部屋はインド巡礼後、それまでの設計を取りやめて、作られた。それだけ祐民はインド旅行で大きなインパクトを受けたということだろう。今行っても大変なインドへ、あの時代に行く、それだけで十分すぎるインパクトがある。残念ながら時間が来た。名古屋は意外なほど、様々な物があり、言い方は悪いが「穴場」であることを今回発見した。次回はじっくり見たいものだ。

 

伊那・名古屋散歩2013(4)名古屋 優雅な別邸茶会

12月12日(木)

3.名古屋

優雅な別邸茶会

翌朝はゆっくり起きて、また新大阪から新幹線で名古屋へ向かう。どう見ても昨日名古屋泊まりにすれば効率が良かったのに、とは思うのだが、それもまた私の旅。東京に近づいたと思えばよい。

 

昼前に名古屋駅へ到着。名古屋で降りるのは昨日を除くと10数年ぶりか。東京と大阪を行き来しても、なぜか下りない名古屋。不思議だなと思う。駅には台湾で2年半前にお世話になり、先日エコ茶会で再会したU君が待っていてくれた。彼は台湾でお茶修行をして、地元の名古屋へ戻っていた。

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Uさんとの鹿谷での出会い

⇒ http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/category/651/page/4

 

車で20分ほど行くと、郊外の住宅街の一角に昔のお金持ちの別邸があった。東山荘、洋風と和風のミックスで雰囲気がとても良い。今日はここでお茶会を開いて頂けるというのでワクワクした。天気は良いが部屋は寒いということで今日は洋館の一室を借りていた。とても良い雰囲気の中、5人の方が集まってくれた。

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先ずはお弁当を頂く。これがまた豪華。二段重ねで色とりどりのおかずがきれいに並んでいる。これは本当に日本の美であり、特徴だと思う。お味も上等で、素晴らしい。この辺りでも由緒正しいお店の物だそうだ。

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それから3時間ほど、Uさんはじめ、皆さんが持ち寄ったお茶を頂く。お茶の関係のIさん(女性で10月のエコ茶会で私のセミナーを聞いてくれていた)、お茶のコーディネーターNさん、折型の先生Kさん、そしてわざわざ奈良からやってきたお茶農園をやっているIさん、皆それぞれ個性的な方で、このメンバーが集まって、これから何か定期的にやろうということらしい。お茶に関する話もふんだんに出て、次回は奈良のIさんの農園訪問が決まった。実に面白い。私も出来るだけ参画したい。名古屋で下車して本当に良かった。

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夜の部

今日のホテルは香港・北京時代からのお知り合い、Uさんに取ってもらった。最近できた新しいビジネスホテルだという。ホテルチェーンより若干高いが、きれいであった。でもやはりチェックインタイムは遅く、荷物を預けていた。戻って部屋へ行くと、ちゃんと荷物が入れてあったのは、普通のホテル並みのサービス、なかなか良い。更にビジネスホテルも進化していくのだろう。

 

お茶会の流れで、名古屋駅前のホテルのコーヒーショップで話が弾んでいたら、Uさんから電話があり、ここまで迎えに来てもらった。そして名古屋の街へ。今晩はUさんの会社の人々と食事をした。スペイン料理、何だか随分と久しぶりに食べた気がする。また普通の会社の飲み会の雰囲気に久しぶりに触れた気もする。既に私にとって会社は遠い過去なのである。飲み放題の時間が過ぎても、まだ話が続き、またワインを一本開ける。こんな食事も今では滅多にしない。

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Uさんとは元同業で、家族もお世話になっていた。転職後最近名古屋勤務となり、単身赴任。奥さんがいないと家事などできないUさん、どうしているか、一度訪ねてみようと思っていたのだが、何となく楽しそうな単身生活を垣間見て、ちょっと安心。

伊那・名古屋散歩2013(3)伊那から大阪までの長い道のり

12月11日(水)

2.大阪

名古屋までバス

翌日は夜大阪で用事があるので、ゆっくり出発。正直伊那から大阪へは簡単に出られると思っていたが、それは大きな間違いだった。伊那から名古屋までバスで3時間かかる。そこから新幹線に乗り換えて行くとのことで、スケジュールを誤ったと後悔する。日本国内にはまだまだ遠い所があるんだと、再認識。

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バスのチケットを買い、定刻に来たバスに乗ろうとした私に運転手は『今日は中央高速が一部工事で通行止め、いつ着くかわかんないよ』と突然言う。どうしてバスチケットを買う時に行ってくれなかったのだろう。それなら伊奈駅から電車を使う算段も出来たのに。と言ってももう後の祭り。このバスに乗るしかない。乗客は5人ぐらいしかない。

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それからバスは延々と渋滞に嵌った。先ずこのバスは駒ケ根まで行くのだが、そこが渋滞していた。高速に乗れない車が一般道に集まったためだ。そして駒ケ根から高速に乗る道は大渋滞。いつになっても進まない。この時点で1時間は遅れていた。それでも高速の停留所には人が待っていた。確かに他に方法はないのだ、待つしかなかっただろうが、アジアの田舎でひたすらバスを待つ風景を思い出した。

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それでもちゃんと休憩は取るので、遅れは取り戻せない。結局名古屋駅横に到着したのは、定刻より1時間半弱遅れていた。まあ何とか間に合う時間ギリギリだった。新幹線の切符を買う時、『大阪のどこまで』と聞かれ、一瞬詰まる。今日はどこに泊まるんだけっけ?忘れていた。何とか思い出し『てんまんまで』というと、『てんま』と直された。

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名古屋駅で新幹線を待つ間に、どうしても腹が減り、ホームの駅そば屋できしめんを食べる。午後3時を過ぎているのに、なぜか混んでいる。きしめんも何故か美味い、腹が減っていたからだろうか。後日ある人曰く、『住よしのきしめんは本当に美味い』と。良い物食べたな。

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天満とグランフロント

新大阪で新幹線を下り、そのままJRで大阪駅へ。更にそこから環状線に乗り替え、一駅。天満はそんなところにある。東京で言えば、神田だろうか。駅を降りると、大阪・梅田とは異なり、ひっそりとした場所に出た。天満と言えば江戸時代は青物市場があり、商人の街。市場が統合されて無くなった今、その活気は全く感じられない。今回も何故かアパホテルに泊まったが、前回の淀屋橋と天満では、雰囲気がまるで違う。同じ大阪駅(梅田駅)から一駅なのに、なんでこんなに違うのか。街というものは面白いものだ。全国一律のホテルチェーンの雰囲気すら変えてしまう。

 

そして夜は今年3回目のセミナーへ。場所はグレードアップして、大阪駅の北側に出来たばかりのグランフロント。確か4月ごろ開業したばかりだ。これがまた立派な煌びやかな建物であり、ビックリする。駅に直結しているのに、意外と時間がかかる。中も迷路のようになっており、なかなか目的地にたどり着けない。夕飯もそこで食べたが、人で賑わっていた。大阪も変わっていくのだろうか。

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伊那・名古屋散歩2013(2)伊奈 ロウメン

伊那散策

雨は上がっていたが、腹が膨れすぎて困る。散歩をするしかないと歩き始めた。すぐに天竜川へ出た。船着場、という石碑が見える。江戸から明治の一時期、船が往来したという。ここ伊那は、陸の孤島のような場所、船を運航させるのもなかなか難しかったようだ。本日見る天竜川は、水嵩も少なく流れも穏やか。伊那はこの川が物流の中心だったはずだが、どのように機能したのだろうか。

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小高い丘を登っていくと、由緒正しげな神社があった。伊那東大社、19もの祭神が祭られており、由緒書きを見ると、明治政府により7つの神社が統合されたとある。日本の西洋化は、このような形で従来の日本を壊してったということだろうか。丘の上から伊那が一望できる。急に晴れ間が見え、寒さが和らいだ。

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伊那は特に何もない所だ、と地元に人は言っていたが、山々に囲まれて景色もいいし、何よりも空気が澄んでいる。これで雪でもちらつき、温泉でもあれば、グッとくるところ。また癒しを求める都会の中国人などを、こんなところに連れてくれば、大喜びするのではないだろうか。

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一仕事終えて、夜は地元の方々との宴席に出た。やはり中華食堂だったが、最初にカツが出てきたのにはギョッした。地元では卵でとじるカツ丼の上を『煮カツ』といい、ソースかつと区別していた。

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更には名物ロウメンも登場。羊の肉を使った焼きそば、と聞き、新疆ウイグルのラグメンと名前も似ていることから、興味津々だったが、戦後の食糧難の時代、1955年に萬里というお店のご主人が冷蔵庫の無い環境で麺を蒸すことで日持ちさせる方法として開発したそうな。ロウメンの名前の由来は中国語の肉麺かららしい。

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現在はにおいが残るなどの理由で普通の豚を買うなど、日本の焼きそば化しており、ラグメンとの共通性は見いだせなかった。満蒙開拓団などから日本に戻った人々が羊などを使って食べ始めたのかと思ったが、そのような説明はなかった。モンゴル風焼きそばなど、似ているような気もするのだが。

 

伊那地区は戦中、満蒙開拓団として多くの人が移民していったという。長野県が全国で一番多いとは聞いていたが、この辺りから組織されていった人が多かったということか。伊那についてはもっと歴史をよく勉強した上で出直して来ようと思う。

 

伊那・名古屋散歩2013(1)伊奈 名物ソースかつ丼

《伊那、名古屋散歩2013》  2013年12月10日-12月13日

 

年も押し詰まってきたが、日本に戻り6月の上田に続き、長野県へ行くことになった。今回は伊那、なかなかご縁の無い所だが、上田のセミナーでご縁を得て、今回呼んで頂いた。とても感謝している。

 

伊那と言えば、大学時代、部活動の夏合宿で1度だけ、駒ケ根に泊り、伊那の体育館で練習した思い出がある。電車で行ったが、随分と遠かった、という記憶しかない。30年の歳月を経て、伊那はどうなっているのだろうか。

 

12月10日(火)

1. 伊那

伊那まで

『冬は寒いですよ』と地元の人に言われていたこの時期に行くことになり、心配していたが、何と当日の朝、新宿で既に雪が降ってきた。これはどうなるのだろうか、と本当に心配したが、バスは何事もなく、出発した。

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中央高速で調布などを通過、高速の道路脇に乗り場があり、途中から乗ってくる人がいたのは新鮮だった。確かに調布に住んでいる時、深大寺の近くの高速付近で『バス停』と書かれた看板を見たことがある。だが乗客はここまでどうやってくるのだろうか?誰かが車で送らない限り、来ることが出来ないバス停、私には縁のないものだ。

 

途中で一度、休憩があった。日本のシステムはしっかりしており、時間通りに運行し、時間通りに休憩する。雪はやんでいたが、冷え冷えしたドライブイン、空気だけは美味しく感じられた。その後諏訪湖を眺めた。ここも部活の合宿でよく通った場所、今や昔の物語、ちょっと思い出した。

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ほぼ3時間半で、予定通り伊那に到着。今日の宿泊場所は北伊奈駅の横にあるホテルとのことだったが、バスはその駅を通過して、伊奈駅の先のバス停に入った。さてどうするか、電車で一駅戻ろうと思ったが、1時間後しかないらしい。バス停の人に聞くと、そこに停まっていたバスに乗れ、ということ乗り込む。乗客は私一人、150円だった。

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あっという間に北伊奈駅に着く。歩いても来られる距離だった。ホテルに行くと『チェックインは4時からです』と丁重に言われる。もうこの会話にも慣れた。荷物を預けてランチに向かう。

 

ソースかつ丼

『伊那に来たら必ずソースかつ丼を食べてください』と言われていた。ホテルでは周辺の地図をくれ、その中にソースかつ丼の店も記載されていたので、歩いて向かう。また伊奈駅方面へ歩く。

 

それにしても誰一人歩いていない。本当に寂しい所だった。天気も悪く、寒いということもあったろうし、外出には車、なのだろう。『有楽街』などと書かれた商店街?もあったが、誰もいないし、店も開いていない。

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飯島、というその店を探し当てた頃には雨が降り出していた。そしてこの店、『中華料理』と大きく書かれている。中華料理屋でカツ丼を食う、昔栃木の田舎もそうだったなと懐かしむ。中に入ると意外なほどお客さんがいて驚く。皆近所で働いている地元の人らしい。

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メニューを貰ってソースかつ丼を探したが、何と見つからなかった。多くの人が中華料理の定食を食べており、一瞬間違えたかと恐る恐る聞くと、『カツ丼と書いているのが、ソースカツ丼です』という。値段は1100円、定食は800円だから結構高い。

 

待っていると運ばれてきたどんぶりを見てビックリ。何とカツがはみ出している。蓋を取り恐る恐る食べ始めるが、カツを食べてもその下もカツ。カツ丼のカツが二段になっているのだ。何とかご飯にたどり着きたい一心で懸命に食べる。カツの下にはキャベツが敷かれている。万全の布陣だった。

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何だか残してはいけない気分になる。ご飯を食べる頃にはかなり腹が膨れたが、押し込んだ。実は向こうに座っていたおじいさんが持ち帰り用にパックを受け取っていた。何と食べ残した物を持って帰っていたのだ。最後の一口を終えた時、おばさんが『よく食べたわね』と笑っていた。お茶を貰って退散した。