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四国・和歌山・静岡茶旅2015(7)徳島 スカイプ会議と農家民泊

温泉とスカイプ会議

本日宿のオーナーさんは多忙ということで、外で食事をとることになっていた。あの囲炉裏で食事ができるのかと期待していたのだが、ちょっと残念。まあこれもご縁。仕方がない。それでもIさんは色々と仕掛けてくれる。この上勝にある月ケ谷温泉に連れて行ってくれ、またまた温泉に浸かる。これで3日連続、何と贅沢な旅だろう。入浴だけなら520円。素晴らしい。

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入浴後、ここで食事をとる。一石二鳥、というか、周囲に食べる所がないのかもしれない。そこでは人気のご当地メニュー、かみカツ丼を食べる。どれだけカツ丼が好きなんだ、と言われそうだが、これはしいたけで作ったカツだった。サクサク頂く。面白いメニューだった。

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実はなぜここに来たのか、もう1つの理由があった。この温泉で午後7時から会議があるというのだ。てっきりお茶関連の地元の会議だと思って見学させてもらう気でいたが、何とスカイプを使い、東京と徳島市内及び上勝の3か所を結ぶスカイプ会議だった。この温泉宿の広い会議場のスクリーンを使い、他の2か所を映し出している。だが、この会場にはIターンしたという若者が一人いるだけ。あとの人は来ないのだろうか?

 

『この会場は私だけです』とその若者は言う。それで我々も参加者に入れられていたのだ。彼は彩ビジネスに興味を持ち、都会から意欲を持ってやってきた。いろどり晩茶を売り込むのも彼の仕事。現実はなかなか厳しいようだが、それでも前向きに取り込んでいるところがよい。

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スクリーンの向こうでは既に東京会場でワインを飲み始め、徳島のレストラン会場ではシェフが食事を作り始めた。なんだこれは、一体。聞く所に寄れば、東京の会社が『地方の商品をどのようにして売るのか』というテーマで仕掛けているらしい。どのように宣伝し、どのように売るか、それは重要なテーマであるが、地方には情報が乏しいということで、このようなスカイプ会議を企画し、地方の生の声を聞き、皆で話し合うらしい。

 

8時ぐらいになり、ようやく自己紹介が始まり、上勝の若者が阿波晩茶、彩事業としての商品名は『いろどり晩茶』のアピールをしている。先方は既にお酒も入っており、何とも楽しげな様子。これは会議だろうか?このラフな雰囲気が良いのかもしれないが、何だかちょっと腑に落ちない。東京会場からはK和尚に『瞑想とかに興味あるんですー』などという質問が飛ぶ。完全に迷走、酩酊している。

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商品はお茶の他、塩や麺があるようで、若者は話の機会を捉えては、先方に紹介していく。先方も自らの企画を紹介し、また商品の意見交換が始まる。地方で働きたい若者を送り込む、ということも検討されている。まあ楽しみながら、相互理解を図り、堅苦しくない連携を求める、それもまたよしか。日本では今こんな形態の連携が進んでいるということを知り、勉強になった。

 

真っ暗中、宿に戻るが道に迷う。田舎の夜は暗いし、道は極めて分かりにくい。何とか到着すると、家の中はかなり寒いがエアコンなどはない。石油ストーブが置かれているが、S君は『こんなの点けたことがない』としり込みするので、私が点けようとしたが、何と40年ぶりぐらいなので、ちょっと腰が引ける。ある意味、石油ストーブを点けるだけでもタイムスリップできるということを知り、驚く。布団はふんだんにあったので、厚めに掛けて、早々に寝る。

 

3月13日(金)

怒涛の朝食

朝は鳥の鳴き声で目が覚める。既に7時近くなっていた。疲れが出たのだろうか。そこへ少し開けにくくなっているドアが引き開けられ、人が入ってきた。薄目で見てみると、おじさんとおばさん、そして幼い女の子がやって来た。おばさんは台所に入り、朝食の支度を始めた。おじさんはその辺を整理し、囲炉裏付近を片付ける。皆慌てて起きる。

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野菜を刻む音、みそ汁の良いにおい、何だかとても懐かし気分になってきた。その昔のおばあちゃんの家を思い出す。女の子が何とも可愛らしいが、なかなか近づいてこない。僅か30分で、凄いボリュームの朝食が運ばれた。昼のランチより多いんじゃないか、と思うほど。囲炉裏を囲み、皆で食べると実に美味しい。食べ過ぎと分かっていても、お替りしてしまい、完全に腹がパンパンになる。

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ここのオーナーが言う。『過疎化していく農村を知ってもらいしたいし、とにかく人に来てほしい。そうすれば何かが変わる。その思いで農家民泊を始めた』と。実際は色々と大変なことも多いだろうが、少しでも村を変えて行こう、という姿勢が素晴らしい。昨晩は忙しかったが、いつもなら、この囲炉裏で鍋を囲むこともしているらしい。是非次回は鍋を食べてみたい。日本人のある程度の年齢の人なら、この懐かしさは伝わるだろうし、若者なら新鮮に映るかもしれない。そして外国人なら、日本の以前の生活を知る機会を得て、大喜びだろう。

 

フェリーで

農家を離れて、車で徳島市内へ向かう。元々の予定では四国一周だったが、Iさんが私の意図を汲み?和歌山県の龍神村へ行くことになった。ちょうどK和尚も高野山へ帰るのでそれを送る意味もある。車は途中道の駅に寄り、徳島の特産品を買う。それから市内のフェリーターミナルへ入る。このカーフェリー、何と夜中も出ている。四国と和歌山、私が思っているより遥かに近い。

 

車が2列に並び、船の口が開くのを待つ。車のナンバーを見ると四国全県、関西圏、名古屋圏など実に多彩。鳴門大橋を通って関西へ行くのかと思いきや、意外と和歌山ルートが便利らしい。バイクで日本一周している若者もいた。このフェリー、かなり認知されているようだ。

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客室に上がると、大広間のような場所に寝転ぶこともでき、座席に座って弁当を食べることも出来た。上の階へ行くと外に出られる。風が少し強いがいい天気で、周囲もよく見えるが、乗客は結構乗っているのに、ここに出てくる人は殆どいない。皆初めてではないのだろうか。フェリーは2時間ほどで和歌山に着いた。四国と和歌山の結びつき、を知る実に良い機会を得た。歴史的にはこのルートはかなり重要だったはずだ。お茶の流れにも関係あるかもしれない。

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四国・和歌山・静岡茶旅2015(6)徳島 上勝の神田茶

霧の森ロッジに戻り、そこのカフェを見学する。脇さんのお茶関係の業績をここで初めて目にして、その多さに驚く。手もみ用の道具も展示されており、ちょっとしたお茶博物館になっているのがよい。そして喫茶スペースは、囲炉裏を囲むようになっているが、掘りごたつ式で、足が痺れることもない。こんな雰囲気でお茶を飲むなら、外国人も大喜びだろう。

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別のところには和室も備えられていた。そちらも茶道の茶室とは違い、気楽にお茶を楽しめるスペース。お菓子と一緒にお茶を飲む、畳もあり、椅子もある、くつろぎの空間。残念ながら出発の時間になり、お茶を飲む機会はなかったが、次回は是非ゆっくりした時間をここで過ごしてみたい。この四国の山の中に、このようなお茶の総合博物館がある、ということは実に貴重なことではないだろうか。

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4.上勝

それから車は徳島へ向かう。私は運転しないのでどこをどう通っているのかさっぱり分からないが、1時間半ぐらいでいつの間にか徳島市内へ入る。ここに来ると車が渋滞し、都市に来た感じが出る。それまでの山の中が嘘のような喧騒があり、ちょっと残念。今日はここから小1時間ほど行った上勝というところへ行く。

 

途中ランチの時間になり、雰囲気の良いレストランへ入る。店の横にはお遍路さんの接待所があるのが如何にも四国。私もいつかは歩いてみたい気分になる。このレストラン、周囲は田んぼと山に囲まれており、環境抜群。天気が良いので外で食べたい気分だったが、さすがにまだ涼しく断念。料理は柔らかいチキンカツに魚が付いて、豪勢だった。お雛様が飾られており、ムードも満点。

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武市さんの神田茶

食後、車は軽い山道を登る。S君は数年前に一度来たことがあるという。私は全く知らなかったのだが、上勝は『葉っぱビジネス(葉っぱを料理のつまとして出荷)』で有名になった街だという。「葉っぱをお札に変える魔法の町」と言われ、地域活性化の成功事例になっており、特に高齢者が生き生きと働く姿が好印象を与えたと聞く。

 

神田と書いて『じでん』と読む地区へ行く。ここで阿波晩茶を『神田茶』として作っている武市さんを訪問した。K和尚はこの名前にいたく興奮し、早々に実家へ送るべく、お茶を購入している。神田茶はこれまでの黒茶同様年に1度7月頃しか作らないので、それ以外の期間は小さな工場をやっているようだ。基本は兼業農家。

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神田茶の特徴は茶樹から枝ごと茶葉をしごきとり、釜茹でするところにあり、樽に漬ける作業などは同じだった。樽は明治時代から使っているものもある。ミャンマーから持ち込んだ酸茶を披露したが、やはり似ていることは似ているが、少し違うようだった。阿波晩茶の歴史は自生の山茶に始まるとのことだが、本当のことは良く分からないらしい。ここの晩茶は後発酵茶、一般的に使われる番茶の名前と混同される、ということで最近では晩茶と呼ぶことも多い。

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四国の山中とミャンマーや雲南の山中には何か共通点があるのだろうか。全く根拠はないが、私がこれまで旅して感じた感覚で言えば、『雲南ミャンマー系の一部は日本人のルーツの1つであり、海を渡って、ここ四国にやってきた。その時にお茶ももたらされ、山中に植えられ、茶作りが行われた』というもの。長い航海の中でもビタミンの不足などを補うため、この酸茶は実に有益だったのではないか、それが今の瀬戸内の茶粥などに繋がっていくのではないか。そんな妄想に取りつかれ始める。

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茶畑は直ぐ上にあり、向こうには見事な段々畑も見え、眺めがとても良い。ただ広さは左程なく、収穫量も限られている。斜面の一角に茶樹が植えられており、周囲には大きな石が一部妨げていた。まだまだ茶樹を植える余地はあると思うのだが、労働力の問題もあり、また販売にも限りあるのではないだろうか。阿波晩茶は一般的にこれまで黒茶より飲みやすく、消費者に受け入れられやすいと思うのだが、どうだろうか。

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S君と武市さんは茶農家らしく、かなり具体的な、新しい茶樹の植え方、管理の仕方などについて意見を交わしている。これまで日本の茶農家の相互交流というのはあったのだろうか?その地域、地域の伝統的なやり方にプラスして、他の地域の手法を取り入れることも重要ではないだろうか。S君の活動は実に深い意味があると感じる。

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農民家でお茶

神田を離れ、今日の宿泊先へ向かう。今日は初めての体験、農家民泊である。農家に泊まる、何だかうれしい。ようやく探し当てたその農家には誰もいなかった。鍵は開いているので勝手に上がって使ってよいとのこと。まるで誰かの家に上がり込む感じが懐かしい。ここは以前住んでいた人がいたが、その後空き家になり、宿泊を希望する客に貸している。完全に宿として整備しているのではなく、その生活品がそのまま置かれていたりするので、妙に子供の頃を思い出したりする。部屋には囲炉裏があり、雰囲気もある。面白いコンセプトだ。

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勝手に使ってよいというので、家の前のテーブルで夕陽が傾く中、いきなりお茶会が始まる。涼しいが寒いというほどでもなく、ちょうど良い。農家の庭先で早春に、暖かいお茶を頂く。なかなか味わいがある。梅がほころび、そしてお雛様が出したままになっている。実に落ち着いた午後だった。

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四国・和歌山・静岡茶旅2015(5)愛媛 霧の森と脇製茶

日本一の大杉

大石さんと別れ、街のスーパーに碁石茶を買いに出かける。スーパーには地元の特産品として碁石茶を置いているほか、碁石茶入りの大福などもある。地元限定食品が大好きなK和尚は喜んで色々と買い込んでいる。私は碁石茶を買ってみたが、小分けにされており、買い易い。しかしよく考えてみると結構高い値段で売っている。これでも買う人がいるのであれば、それは成功、ということなのだろう。従来の日本茶の売り方では未来への希望は感じられないが、碁石茶には未来が見えている。

 

次の地へ移動するのだが、途中に気になる看板があり。寄ってみることになる。『杉の大杉』、行ってみると、駐車場で『協賛お願いします』と言われ、1人200円の入場料を取られる。これは駐車代なのか、入場料なのか?中には賛同しない人もいて支払わないケースもあるとか。

 

神社には見事に大きな杉があった。2株が合体している。樹齢3000年以上?樹高は56mと60m、1株の根回りは20m近くもあり、とても普通の杉とは思えない。静寂の中、あたりが少しずつ暗くなる。大杉が全てを覆いつくそうとしているかのようだ。四国の山中は実に神秘に満ちている。

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霧の森ロッジ

本日のお宿は霧の森ロッジという場所。高知県から愛媛県に戻ってきた格好だ。市の名前が『四国中央市』、確かに四国のほぼ真ん中に位置するようだが、なかなかすごい名前だと感心する。四国4県で議論はなかったのだろうか?川の脇に作られた霧の森、という施設。かなり大きな敷地を使っている。ロッジがいくつかあり宿泊が可能。我々は一番奥のロッジに4人で泊まった。隣には温泉がある。が、もっと大きな温泉が別にあるというので、そちらへ向かう。

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その温泉はとても大きく、地元の人が沢山入りに来ていた。宿泊者用というよりも、地元の人に使われている。それが本来の望ましい姿なのかもしれない。それにしても、日本というところは本当に贅沢だ。1泊2食付き温泉に泊まればバカ高いが、ただ温泉に入るだけなら数百円で済む。何とも有難い。外国人もこんなところにはきっと満足できるだろうと思う。実は日本人ほど風呂に拘る民族?はいない。日本人は毎日温泉に浸かっても平気だが、外国人は慣れた人でないと難しいのではないか。

 

ロッジに戻ると、この霧の森に大いにかかわった脇製茶の脇さんとお孫さん、そしてこの施設のカフェで働く日本茶アドバイザーの方々が集まっていた。今夜もまたお茶会だ。こんな集まりは何とも嬉しい!それもロッジの部屋でこじんまりと。S君が早々に釜炒り茶を淹れる。脇さんはすでにご高齢だが、わざわざ来て頂き、お茶の話などを聞かせて頂く。有難い。横でお孫さんがしっかりとそれを聞きとっている。まさに伝承の世界なのだ。

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お茶会がお開きになると、皆はまた温泉に浸かりに行く。私は疲れていたので遠慮した。既に体が東南アジア型になっているようだ。元々に体質かもしれないが、江戸っ子のように烏の行水になってしまう。長風呂は疲れ、体に堪える。『日本人は風呂で体の機能を調節している』と言った人がいるが、まさにそうなのだろう。私は調整が出来なくなっている。

 

3月12日(木)

脇製茶

翌朝は早く起きて、一人付近を散歩した。実に気持ちの良い朝で、周囲の静寂さ、そして鳥の鳴き声、足取りも軽やかになる。川辺に降りるとその音が素晴らしい。水も澄んでいる。こんな環境、中国人ならお金を払っても欲しいだろうな、などと思ってしまう。中国人がひっそりとここを訪れる日が来るかもしれない。夏は水遊びも出来るようだ。

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朝ごはんは前日配られたパンと卵、そしてサラダ。このような朝食の出し方もありかな、と思う。個人的には毎朝ご飯とみそ汁よりは、パンやコーヒーがあった方が有難い。といってもこのメンバーでコーヒーはないだろう。やはり朝からお茶だった。早々に荷物を纏めてチェックアウト。

 

本日はすぐ近くの脇製茶さんを訪問する。家の前の茶畑まで脇さんが出てきて頂き恐縮した。この街は新宮といい、ここの茶は新宮茶と呼ばれている。脇さんのお父さん、脇久五郎さんの像がある。新宮茶の創始者。被せ用の畑もあり、一部手摘みも行われているようだ。S君は早速茶畑に切り込み、写真を撮りまくる。

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ご自宅では現在の社長、脇さんの息子さんに応対して頂いた。四国のお茶の歴史を尋ねると、これまで綿々と調べてきた話を披露してくれた。恐らくはかなり前に、西方から船に乗って流れてきた人々が茶樹と製茶法を持ち込んだのではないか、とのことだった。私も感じるところがあり、この説を証明することは難しいとしても、排除はできないな、と思う。今回のミャンマー茶もそのようにして、四国に流れ着き、碁石茶などになったというのが分かりやすい。

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それにしても脇製茶のお茶は実にお茶の味のうまさが出ていた。何故なのだろうか、歴史の話ばかりで肝心のお茶の話を聞き逃したが、最近沢山飲んできた日本茶の中でも、非常に美味しいと感じられる、濃い目の緑茶が出てきた。水もよいのかもしれない。そしてこの四国の中央で、大切にお茶を育て、作っているからだと思う。

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四国・和歌山・静岡茶旅2015(4)高知 小笠原さんの碁石茶

3.大豊

ひばり食堂

そして愛媛を離れ、高知に向かった。目的地、大豊町は四国のほぼ真ん中、となりは愛媛県の四国中央市という名前だから、その位置が分かるというもの。車で1時間半ほど乗ると、もうそこは山村。取り敢えずご飯を食べようと、Iさんが前回行ったという道の駅へ向かう。だが残念なことに道の駅は改修中で営業していなかった。地元の人に聞くと『ひばり食堂のカツ丼を食え』と言われたので、その食堂を探しに行くと、町役場の真ん前にあった。

 

時間は1時を過ぎていたが、店内は満員で驚いた。この辺りでは有名な食堂なのだろう。隣に肉屋があったから、いい肉が入るのかもしれない。メニューを見るとミニカツ丼が400円、普通のカツ丼が800円になっている。横の女性の食べているカツ丼がやけに大きい。聞くとこれが普通だという。東京ならミニカツ丼が普通の大きさなのだが。迷わず普通カツ丼を注文した。肉が柔らかくて美味かった。分量も気にならず(私は相当のカツ丼好き)、あっという間に平らげた。地元の人達も、ごく普通に平らげている。大食いなのだろうか、この街。

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ところでこの街には『ひばり』という文字がやけに目に付く。鳥のひばりが多い場所かと思ったが、何と美空ひばりにご縁のある街だった。出生地などではなく、子供の頃、バスの事故で九死に一生を得た、という場所。その後大スターになった彼女、この街もそれにあやかりたい、ということだろうか。町役場にはお茶関連の博物館があるとのことだったが、中身はあまりない、ということで、カツ丼で重くなった腹を抱え、車で茶畑に向かった。

 

小笠原さんの碁石茶

そして山の中に入っていく。またカーナビは効かなくなる。相当深い山、森林地帯に入っていく。携帯の信号が入らなくなる。家はほとんど見えない。その道沿いの下に僅かに家が見えた。『小笠原』という看板がある。車は降りていくが、私は歩いて降りてみた。茶畑が狭い隙間に広がっていた。

 

ご自宅では、土佐碁石茶の象徴的存在の小笠原さんと、その復興に尽力されている大石さんが待っていてくれた。いきなり自宅前の茶畑に足を踏み入れる。手前はきれいな茶畑が2列、その向こうはかなり下っており、初めて見た縦畝の茶畑が続く。『手前は自分で飲む煎茶用、向こうは碁石茶用』という。面白い。何故縦畝か、と聞くと、実に軽い動作で畑に入り、茶葉を刈る動作を見てくれた。坂を登りながら枝ごと刈り取り、茶葉を採っていくので、この畝が良いのだとすぐに分かる。これは山間部の知恵だろうか。畦には藁が敷かれている。今日は日差しがあり、比較的暖かいと言っても、この付近の標高は500m程度、霜も降りるだIMG_3722mろう。

 

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自宅に隣接した建物の戸を開ける。『ここに茶葉を堆積するんだ。蓆には菌が沢山付いているよ』と言いながら見せてくれた。使うのは年に1度、今は農作業の道具などが置かれているが、7月に茶摘みをすると、ここが茶葉で一杯になるようだ。小笠原さんはその時の作業の様子を再現してくれる。温度が40度ちょっとになるように手で確認していく。そして頃合いを見て、足で踏むのだという。これも中国の黒茶作りの中で何度か見た光景。実に親切、丁寧に教えてくれ、有難い。部屋の横には古い樽がある。100年は使っているのではないか、と思える年代物。『もうこんな樽が作れる人はいなくなった』と寂しそうに話す。樽の修理も自分でやらなければならない。

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実物の碁石茶を見せてもらう。樽で漬け込んだ後、きれいにカットするらしい。かなり大き目に切られた四角い形は、まるい碁石とは少し違うような気がする。何だかミルフィーユを連想させる多重構造、茶葉が何層にも重なっている。聞けば、最後に茶葉を天日干しする際、大きな蓆に並べられる茶葉が、碁盤に置かれた石のように見えるらしい。因みにこの天日干し作業、ミャンマーの山中でも見られたが、茶葉を並べるだけでも大変な作業であり、アルバイトを雇うという。また3₋5日ほど晴天が続く時を見計らって干す必要もあるので、タイミングが難しい。

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土佐碁石茶、これがミャンマーの酸茶と一番近いように思う。が、小笠原さんに酸茶を見てもらうと『似ているがちょっと違うね』とのコメント。確かに少し製造方法も違うようだ。農薬を使うとカビが付かないので無農薬、というところも同じなのだが。碁石茶の謎、結構深い。

 

小笠原さんと別れて、大石さんの案内で、大豊ゆとりファームの事務所へ行き、更に詳細なお話を伺う。大石さんは町役場のお役人でもあり、そして滅びかけていた碁石茶(一時は小笠原さん一人だけが作る状態)の宣伝に努め、見事に知名度を上げ、今では多くの人が知るお茶となった。その貢献は大きい。今日は偶々時間が空き、我々に付き合ってくれたのだが、普段はとても忙しいようだ。

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このオフィスには碁石茶に関する様々な資料があり、また研究成果などをしるす物もある。単に健康に良い、と言っても信じられない時代。大学での分析、研究なども大切になってきている。私が興味のある歴史に関しては400年以上前から作られていたようだが、やはり作り手は飲まず、瀬戸内などに輸出し、茶粥などとして食されていた。ここでもこのお茶はどこから来て、何故ここで作られ、そして茶樹は元からあったのか、などは不明のままになった。それはそうだ、400年以上前に山の中の記録が残っている方が稀なのだから。

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四国・和歌山・静岡茶旅2015(3)愛媛 幻の石鎚黒茶

3月11日(水)

朝のお勤め

朝は6時からお勤めがあるというので、5時半に起床。まだ暗い中、本堂へ向かう。お遍路さんが数人、外国人が一人、そして我々も参加して読経が始まる。椅子に座っているので足は楽。外が空けていく中で聞く読経は清々しい。そして住職の講話が始まった。実は我々の前には遺影が飾られている。朝からお葬式でもあるまいし、と不思議に思っていると、住職が話の冒頭から『昨年家内が亡くなりました』という。お坊さんのお話し、というイメージからちょっと外れる。

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実は住職と奥さんは、外からこのお寺にやってきて、かなり苦労したらしい。そしてようやく今の立派なお寺を作り上げた後、二人同時に癌にかかってしまう。住職は回復したが、奥さんは返らぬ人となる。住職いわく『亡くなって初めて、家内の有難味が分かった』と。そして夫婦でお遍路している奥さんに『ご主人は大切にしてくれていますか?』と聞く。私も日頃、大切にしているとは言い難いので身につまされる。他の人達もそのように問われると、耳が痛いのでは。

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それにしても朝、お寺でお坊さんから亡くなった奥さんへの切実なる愛情表現を耳にするとは思わなかった。タイであればそれこそ『執着』という言葉で片付けられるのではないだろうか。いや日本においても、お坊さんが公にこのような話をすることは稀だろう。普通なら『家族を大切にしろ』と説教はするが、自分個人のことを話しはしない。K和尚も『こんな率直な住職は初めてだ』と感心していた。

 

私はいつも『日本の仏教は堕落している、いや既に無くなっている』と思っているのだが、この住職の話を聞き、このような『情愛』という感覚が日本人の心に触れ、そしてそれが求められているように感じる。これこそ日本の仏教ではないだろうか。であるとすれば、今の日本の坊さんは『檀家に説教する』のではなく、『檀家と一緒に率直に語る』姿勢があれば、信じる者を引き留められるのかもしれない。ふと、そう思う朝であった。

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そして朝ごはん。お粥に漬物、爽やかな朝に相応しい食事だった。食べ終わるとお遍路さんが出発していく。次の目的地に関する情報交換も行われている。住職と話す機会があったが、『宿は1年中、開けていなくてはならない。朝は早く、夜も遅い。お客さんが来るとは限らない。経営は難しく、辞めていく宿も増えている』と。先ほどの講話なの中でも『今日は沢山泊まって頂き、宿坊も黒字のようです』との話があったことを思い出す。特に民間施設とも少し違う、お寺の宿坊の難しいさがあるかと思う。ただこのような場所がお遍路さんにとって重要であるとも強く感じる。皆が必要なものは皆で支えていく、と言った発想が必要ではないか。

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天狗黒茶

そしてお寺を後にする。もう少し居たい場所だったが、次の予定に進む。山を下り、車は平地を走る。そしてなぜか高架道路を行くと、途中でカーナビが終了を告げる。どうやら大きく道を誤ったらしい。S君は首を傾げる。機械に頼るのを止め、地図を頼りに自力で行くことにした。実は四国ではカーナビが機能しないことが時々あるようだ。

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30分後にようやく社会福祉法人障害者事業所ピースに到着した。ここは障害を持つ人達が働く場。工場内に入ると何やら箱詰め作業が行われていた。特にお茶関係の施設ではないが、黒茶復活のため、年に1度、7月頃に天狗黒茶の生産に関わっているという。今は生産の時期ではないので、実際の作業を見ることはできないので、写真などを見ながら製造工程を説明してもらう。ミャンマーの酸茶とかなり似た工程だが、一部違うところがある。ピースのメンバーは茶葉の選定、箱詰めなどで活躍すらしい。次回は7月頃実際の作業を見てみたいと思う。

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話を聞いているうちに、お茶が出てきた。このお茶、何と『幻のお茶』と呼ばれている曽我部さん製造の石鎚黒茶だという。昨日訪ねた石鎚神社で保存していたものをわざわざ持ってきて頂いたというのだ。感謝。この黒茶、ミャンマーの酸茶よりあっさりした味で酸味もほんのり。今の天狗黒茶はどちらかというと酸味が強いので、保存年限の差かなと思う。形状は葉っぱそのままというものもあり、かなり自然な感じがした。いずれにしても、一度無くなったものを復活させる、それは本当に難しいことだろう。特に黒茶は発酵に使う菌に左右される。

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昔から山で作られた黒茶は自らの飲むのではなく、販売用だったというのはミャンマーの酸茶と同じだった。こちらは瀬戸内の島に送り、代わりに塩や魚を手に入れていたらしい。瀬戸内ではこのお茶を船に乗せて、長い船旅のビタミンなどの補給などに使ったという。またお粥に混ぜて茶粥として食べてもいた。現在も茶粥を食べる人はそれなりにいるようで、自分で作って食べた人からは好評だった。

 

ではなぜ石鎚山では、飲まないお茶の生産が行われたのだろうか。単なる商品作物だったのだろうか。それにしてもこの製造技術をどのように手に入れたのか、この山には茶樹が自生していたのか、どこから茶樹を持ち込んだのか、謎は深まるばかりだが、もはやそれに答えてくれる人はいない。

 

現在は健康茶として、日本全国に向けて販売している。一度飲んだ人からは再度注文が入ることも多く、口コミで広がり始めており、売り上げは伸びているが、残念ながら供給が安定していないという悩みがある。今後は知名度を上げて、顧客を掴みながら、生産を安定させる、という課題を克服する必要があるようだ。

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四国・和歌山・静岡茶旅2015(2)愛媛 お遍路寺で即席セミナー

2.石鎚

石鎚神社

実は電車に乗っている時に、突然電話が鳴った。石鎚の地元の方からで、何と迎えに来てくれるという。『では駅の改札を出たところで』というと、『改札なんてありません。ホームに立っていてください』という。伊予西条から一駅目にある石鎚山駅。電車を降りたのは私とK和尚の二人だけ。そして駅舎はあったが駅員はいない無人駅。何だかとても遠くへ来た感じがした。

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NPO法人のHさん、この地の石鎚黒茶を受け継ぐ天狗黒茶の製造を行っているという。まずは車で駅前にある石鎚神社にお参りに行く。実はS君とIさんが車で先に到着しているはずだったが、何と瀬戸内海に雪が舞い、スピードを落とした運転により、大幅に遅れていたのだった。この石鎚神社、1330年の歴史を持つ、由緒正しい神社。ちょうど改修中ではあったが、その威風は堂々としている。遠くに海が見える。昔は海の近くに建てられた神社、いつの間にか埋め立てなどで海から遠ざけられている。

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お参りを済ませると、ちょうどIさん、S君が到着した。Hさんが『宮司さんにご挨拶を』というので社務所の中へ入る。正直なぜこの神社にお参りにやって来たのか、そしてなぜ宮司さんが出て来られるのか、全く分からなかったが、流れに任せることにした。宮司さん、祢宜さんとお話しする。当方の目的は石鎚の黒茶、この歴史のある石鎚神社にも何かお茶に関係した資料などはないかと聞くと、昔の火事で殆ど資料は残っていないという。大変残念な話だが仕方がない。

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すると祢宜さんが『実は私は石鎚黒茶が作られていた山の村の出身だ』ということで、その当時の村の様子などを伺う。きちんとした道などはなく、けもの道を登っていく。一般人がこの村へ入るのは大変だったらしい。それでも祢宜さんが小学生の頃は子供たちもいたが、その不便さゆえに徐々に人口が減り、黒茶の作り手も減っていった。そして3年前に最後の作り手、曽我部さんが石鎚山を下り、石鎚黒茶は途絶えたという。

 

神社を出ると既にあたりは暗くなり始めていた。清々しい神社の夕暮れ、何か寂しいような、そして荘厳な雰囲気、張り詰めた中に何となく優しさが感じられたのは、普段接することのない、宮司さんや祢宜さんと会って、直接お話したからだろうか。ちょっと神社が身近になった気もする。

 

仙遊寺にて

そして車で今日の宿泊場所へ向かう。神社から車で小1時間、結構な山道をいく。そこにあるお寺、仙遊寺はお遍路さんも通う、四国八十八箇所霊場の第五十八番札所。ほぼ暗くなった道を登ると、駐車場には車が沢山停まっていて驚く。お遍路さんは今や車で来るのだろうか。確かにこの道を歩いて登るのは大変だし、バスもあまり通っていない、と思われる。

 

お遍路さん、とい言葉には何となく憧れた時期もあり、また知り合いが遍路旅に出た話を聞いたこともあるが、実際には全く知識がなく、どんなところに行き、どんなところに泊まるのかも分からない。本堂脇を進んで行くと、きれいな建物があり、『宿坊(天然温泉)』と書かれた札があって驚いた。ここは1泊2食、温泉付きだそうだ。簡易宿舎というイメージはない。

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そして何より驚いたのは、大広間に大勢の人がいたことだ。何か地元の集会でもあるのかと思っていたが、何と我々のために集まってくれた人々だったのだ。確かIさんが直前にお茶関係者に声を掛けてくれた、とは聞いていたが、2₋3人の集まりだと思い込んでいた。ところが何と20名もの方に来て頂き、何と私と和尚が即席セミナー?を行うことになる。時間は既に7時だが、夕飯は後にして、早速お話をさせて頂いた。

 

話の内容はズバリ、『ミャンマーの酸茶』。11月に行ったミャンマー山中の茶旅を話し、実際に酸茶を飲んでもらうという趣向となった。お茶淹れはS君の仕事、彼はこのために?茶具一式を持ってきており、茶杯も沢山用意していた。さすが。聴衆はお茶関係者、特に石鎚黒茶を引き継ぐ、天狗黒茶の生産に関わっている方が多く、興味を持って頂けたのでは、と思う。

 

K和尚は『新タイの僧院にて』という題で?3年間のタイのお寺生活の体験談をユーモアたっぷりに、実に分かりやすく、話していた。この人は高野山大学の博士であり、南方熊楠の研究者でもあるので、話の幅はかなり広い。四国のお寺でタイの仏教の話を聞くのは、とても興味深い。日本の仏教とは何なのだろうか、と真剣に考える機会となる。尚今回は仙遊寺のすぐ傍のお寺の住職も来ていたが、彼もK和尚と同じ研究者だということで感激の対面をしていた。

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会は大いに盛り上がり、地元の人同士の交流の場にもなったようだ。もし我々が来たことで、少しでもお役に立ったのであれば喜ばしい限りだ。こんな機会がまたあるといいな、と感じる。夜10時前にようやく夕飯にあり付く。ここで採れた野菜のてんぷらなど、美味しい精進料理が並ぶ。食後は温泉に浸かり、疲れを癒す。やはり日本の旅はいいな、とつくづく思う。普通のお遍路さんは2階の部屋で寝るようだが、K和尚がいることにより、我々男子3人は特別に1階の部屋で寝る。実に温かい夜であった。

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四国・和歌山・静岡茶旅2015(1)高松から愛媛へ

《四国・和歌山・静岡茶旅2015》  2015年3月10日-15日

 

昨年11月にミャンマーのシャン州、標高1600mのミョーテイという村へ行った。そこに古くから生産されている酸茶という、食べるお茶ラペソーを干した独特のお茶が存在していた。この話を日本でしたところ、『そのお茶なら四国にあるのではないか』と言われ、かなり興味をそそられた。

 

本当にミャンマーや雲南の山岳地帯にあるお茶が四国にあるのだろうか。いつものことながら事前調べなし、仮定なしで、実際に行ってみたいと思う。ちょうどお知り合いのIさんが四国のお寺とお茶のことで関係があるのを思い出し、相談したところ、『四国巡礼茶旅』のアレンジをしてくれた。

 

四国といえばお遍路さん、そして何となく仏教というイメージがあり、あのタイで3年修行したK和尚にも声を掛けたところ、一緒に行くことになる。四国の山道を行くのには車が必須。牧の原の釜炒り名人、S君が運転手として参加することも決まる。何とも豪華なメンバー、はて何が起こるのだろうか。今回もワクワクする旅だ。

 

3月10日(火)

1.高松

高松空港まで

実は四国に行くのは生まれて初めて。どのように行ったらよいか分からなかったが、『取り敢えず高松か松山まで飛行機で来て』と言われたので、調べてみると、何と高松空港にはジェットスター、春秋航空という外資系LCCが2社も就航していた。これは正直驚きだ。日本の空は明らかに変わっている。そしてちょうどバンコックでジェットスターの画面を見ていると『明日午前0時よりキャンペーンあり』と出ていた。

 

時間を見ると夜の10時過ぎ、時差が2時間あるので、日本はちょうど0時を過ぎており、初めてキャンペーンに参戦した。そしてあっという間に『成田⇒高松、片道、2980円』のチケットをゲットしてしまう。これは安い。成田は遠いと言っても、もう新幹線などには乗れない料金だ。因みに定価でも5300円だったので、これから日本の旅はLCCにしようと思う。

 

当日は10時半発なので、早めに家を出て、若干のラッシュアワーを経験しながら、成田へ向かう。これも暴利をむさぼるリムジンバスや成田エクスプレスを避け、京王線、都営新宿線、京成線を乗り継ぐと、1370円で空港まで行くことができる。2時間半ほどで着くので、意外と便利で安い。

 

ジェットスターは昨年、一昨年と沖縄へ行くのに使っていたので、慣れたもの。チェックインカウンターには地方から来た日本人の団体さんが並んでおり、これもまた日本の旅の変化を感じる。今は確実に日本が安いのである。チェックイン荷物を自分でX線のところに運び、終了。そしてゲート近くでK和尚と合流。

 

機内はほぼ満員。外国人もちらほら乗っているが、大半は日本人の年配客。このフライトでお遍路へ行くのだろうか。四国の旅も非常に近くなっている。目を瞑っていると1時間半ほどで高松空港に到着した。実はここから問題だった。直前になり、1日目の集合場所が愛媛に変更になる。そして我々二人はそこまで自力で行くことを要請されたのだ。どうやっていくのか検索したところ、空港バスでJRの駅へ行き、そこから電車で・・。

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しかし空港バスの坂出駅行は12時15分に出発する。フライトは12時着の予定だったが、わずか5分だが遅れる。我々は荷物を預けていたので、出てくるのを待っていると、何と12時15分を過ぎてしまう。ただ外を見るとまだバスはいるようだ。よく掲示を見てみると小さな字で『航空便の遅延により、最大約15分バスが遅れる場合があります』と書かれているではないか。結局荷物を取り、切符を買い、バスに乗り込んだが、バスは12時半に空港を出た。どうしてこんな大事な表示を大きくしないのか。外国人には分からないではないか。

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空港から

そこから40分ほど田舎道を走った。田舎道と言ってもアジアとは違う、とてもきれいな整備された道。よく中国人が言う、『日本の凄さは田舎にある。車が殆ど走っていな道が驚くほど整備されている。本当の豊かさとはこんなところに見える』と。確かに中国では上海や北京の高層ビル群もあるが、地方の外れは整備されていない。こんなところにお金が掛けられる、それが富だ、という認識も間違いではない。

 

しかし坂出駅前に到着すると、商店街は昼間だというのに殆どが閉まっていた。完全なシャッター通り、これが四国の現状、いや日本のもう1つの現実なのだろう。話には聞いていたが、実際目の前に現れると軽いショックを覚える。午後1時半に快速電車が出るのだが、それに乗っていっても、2時過ぎの特急の方が早く着くことは分かっていた。折角香川に来たのだからと、駅の中のうどん屋に入る。名物のぶっかけうどんを注文。うどんの上に大根おろしが乗っていた。麺にこしがあって、実にうまい。結局これを食べるために香川を通過したんだ、と心に思う。

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特急に乗り、伊予西条へ向かう。平日の昼間、乗客は少ない。因みに目的地までの乗車券、特急券の合計は2990円。成田⇒高松の空港運賃を越えている。日本の交通運賃は高過ぎると思うが、ヨーロッパならもっと高いのだろう。今日は思ったより肌寒く、途中小雪が舞う。波乱の旅を予感させる。1時間15分で伊予西条駅に着き、そこからローカル線に乗り替えた。この電車、ホームの同じ側に、何と反対方向行きの電車が、向き合って停まっていた。一瞬どちらに乗ればよいか迷う。初めて見る光景。ローカル線は面白い。向こうにはアンパンマン列車が停まっている。女性の車掌さんが実にきびきびしている。4分後、ついに目的地、石鎚山駅に着いた。長い旅がようやく始まった。

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九州で茶旅2014(6)長崎のそのぎ茶

4.長崎

彼杵

今日もOさんが来てくれた。これで3日目、申し訳ないが、Oさんとの旅は楽しい。嬉野の山を越えると、そこは長崎県だった。彼杵(そのぎ)という地名は初めて聞いた。嬉野の山の反対側にも茶畑が広がっていた。特に大村湾を望む景色はなかなか絵になる風景だ。因みに嬉野の人々は飛行機に乗る時、佐賀空港より長崎空港の方が近いらしい。

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茶樹は比較的若く、なだらかな丘陵に大きめに畑が広がる。近年開拓した茶畑のように見える。そして気になる看板が。『貸して安心あなたの農地』とか、『農地の相談は地区の農業委員へ』など、どうも農業を辞める、高齢で続けられない農家の為に町が色々と苦心している様子が伺える。

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Oさんは『彼杵の茶畑はもっと山の中に小規模にあると思っていた』と言い、山にも分け入ってみたが、茶畑は見付からなかった。既に大規模?農業への転換を図っているのだろうか。基本的に彼杵茶というブランドは確立されておらず、嬉野や八女茶として鹿児島あたりへ送られて、混ぜものにしていたのだろう。近年何とかブランド化を図ろうとしていると思われるが、その試みはウマく行くだろうか。長崎にも茶畑がある、それを知っただけでも収穫だ。

 

大村湾へ降りていく。彼杵町がある。町役場には長崎国体のポスターが貼ってある。来月長崎で開かれるらしい。国体、まだやっているのか?自動販売機に『そのぎ茶』と書かれたアルミ缶がある。買って飲んでみると悪くはない。ついでに茶ちゃ焼という、大判焼きのような物も食べてみる。特に茶葉が入っているようには見えなかったが、そのぎ茶が入っていると書いてある。意外とおいしい。

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公園に古民家が移築されており、古墳もある。そのぎ茶の起源は明らかではないが南北朝時代には茶樹が植えられていたと推定していた。最近は大規模茶園が出現し、長崎県の荒茶の60%を生産しているとある。ということは長崎には他にも茶産地があるということか。

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なぜか大村には珈琲園があるというので行ってみる。小さな植物園という雰囲気の出で立ち、日本初の観光珈琲園となっている。コーヒーの木が沢山植えられており、やはり植物園だが、ここで珈琲を収穫し、作っているのだろうか?レストランが併設されており、話のタネにコーヒーおにぎりを食べてみたかったが、生憎当日は定休日。このチャレンジは次回に回そう。

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大村駅まで送ってもらう途中にランチの場所を探したが、この街自体が定休日なのか、店が開いていない。時間もなかったのでイタリアンのチェーン店に入る。15分ぐらいで平らげて、駅へ急ぐ。Oさんとの別れ、3日間本当にお世話になった。Oさんが和紅茶と本をくれた。その本は彼自身が書いた『和紅茶の本』という題名だった。

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私は初めてOさんが『和紅茶の世界の第一人者』であることを認識したが、既に彼の車は遠くに去っていた。因みに彼の佐賀の店は紅葉(くれは)http://creha.net/。和紅茶マニアが集うらしい。そういえば『現在和紅茶にはブームの兆しがあるが、自分の店はブームと関係ない、ブレない』と言っていたのを思い出す。10数年、和紅茶一筋で店を運営する、半端ではできないことだ。再会が楽しみだ。

 

長崎で再会

大村駅からJRに乗り、長崎駅へ向かう。何ともローカル線の匂いが漂う。実は北京の知り合いTさんの故郷が諫早でちょうど里帰りしているというので会うことにしていた。長崎までの途中に諫早があるので、そこで下車すればよいと思っていたが、Tさんの都合により長崎駅で会うことになった。

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電車に乗ること40分で、長崎駅へ着いた。長崎に来るのは1991年以来23年ぶり。殆ど何も覚えていない。改札を出るとTさんとご主人のIさん、そして可愛い坊やが待っていてくれた。Tさんと初めて北京であったのが7年前。息子が北京留学した時に大変世話になっていた。その後テレビなどの番組を制作するIさんと結婚。今も北京在住だ。

 

駅ビル内の喫茶店に入る。長崎といえばミルクセーキということで、注文した。これは食べる物?たまご風味の冷たいお菓子、という感じ。好みだな、この味。長崎といえばカステラだが、こちらもイケル。そういえば23年前は茶碗蒸しを食べるためにここに来た。他にもチャンポンや皿うどんがあるのにね。

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何とも楽しい再会だった。Iさんは番組制作の中でお茶も取り上げたいということだったので、今回の茶旅を含めて、色々とお話した。いつか茶旅が、いやお茶が取り上げられる日が来ると面白いな、とは思う。

 

出島ワーフの夕陽

携帯電話が鳴る。Xさんが駅にやって来た。これまた北京繋がり。Xさんは2007年に北京に赴任した際、紹介されたのだが、すぐに長崎大に赴任してしまい、今では教授になっている。これまでも広西やモンゴルに一緒に行った仲であり、実に面白い人物としてお付き合い頂いている。

 

荷物を持ったまま、歩き出す。10分も行かないうちに、出島ワーフに出る。この辺の距離の近さが長崎の良い所。街がこじんまりしているので、便利この上ない。夕日が傾いてくる中、港が見える店の屋外から2人で夕陽を眺めた。これも面白い情景だ。そして美味しい魚料理を食べていると夜が寄って来た。

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更に2階のバーに入り、話を続ける。Xさんとはいくらでも話が出来る。不思議な空間が存在する。彼はとても優秀な人だが、それを感じさせない語り口がいい。世俗の話から経済、金融まで、幅広い分野について率直に語り合えるのが良い。大いに情報を交換し、参考になる。

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今日はXさんの計らいで大学のゲストハウスに泊めてもらった。由緒正しい作りだが、最近改装したようで、中は実にきれいだった。トイレに電気のボタンはなく、全て自動だった。田舎者の私は少々面食らう。あまりに便利ではあるが、何だかなあ。いずれにしてもとても快適な夜を過ごした。

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9月26日(金)

長崎散歩

朝の散歩。気持ちが良い。Xさんと奥さんが迎えに来てくれ、長崎見物に。長崎大の彼の研究室に少しお邪魔をした。それから長崎の湾が一望できる展望台へ。いい天気でよく見えた。三菱の造船所も健在だ。原爆ドームにも初めて行った。修学旅行生が神妙な顔で説明を聞いていた。近い将来、このようなことが起こらないことを祈るしかない。

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駅近くのバスターミナルへ。そこで簡単にランチを食べて、バスで長崎空港へ。長崎空港は大村湾の付近にあり、昨日来た道を戻って行く感じ。だがウトウトしている内にバスは空港に着いた。ここは海に面している。

 

長崎から飛行機で神戸

スカイマークで羽田行を買っていたが、自動チェックインするとチケットが2枚出てきた。何となくどこかで一度下りるという認識はあったのだが、それが神戸とは意外。何故だろうか。搭乗した瞬間に寝てしまい、気が付くと飛行機は着陸していた。全員飛行機から降ろされた。だからチケットが2枚あったのだ。

 

驚いたことに神戸空港も海辺だった。『長崎から船に乗って神戸に着いた』という歌があったが、まさか飛行機に乗って神戸に着くとは。神戸はスカイマークのハブの1つらしい。伊丹や関空もあるのになぜと言っても仕方がない。

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また小1時間飛行機に揺られ、羽田に着いた。ここも海辺だった。まるで船旅をしたような気分に一瞬なるが、すぐに雑踏に紛れた。

九州で茶旅2014(5)佐賀 嬉野の無農薬茶作り

9月24日(水)

3.嬉野

無農薬のお茶作り

翌朝はいい目覚めだった。外は曇りだが、暑くなくてよい。ホテルで簡単な朝食が付いていると言われたが、パンと卵、コーヒー本当に簡単だった。でもそれで十分、最近、特に九州では明らかな食べ過ぎだ。このホテル、実に面白いのが部屋に入るための電子カードに『日時、部屋代と名前』が記載され、『領収致しました』と書かれている。このカードは領収書か?チェックアウト時には回収されたが。

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Oさんが佐賀から今日も迎えに来てくれた。有難い。今日は佐賀の嬉野へ行く。私はOさんの佐賀市内のお店へも寄りたいと思っていたが、彼は茶畑、まっしぐら。当方の希望を全力で叶えようとしてくれた。凄い。八女から嬉野へ。車で1時間ほど行く。

 

本日はOさんと紅茶でお付き合いのある太田さん(http://www.sagaryo.co.jp/)のお宅を訪ねた。太田さんは30年に渡って、無農薬で紅茶を作っている、嬉野でも稀な存在。自身が農薬散布により何度か農薬中毒になった体験から、『必要最小限の肥料、そして無農薬』で茶作りをしているという。

 

嬉野と言えば釜炒り茶、というイメージのあった私だが、『嬉野で釜炒りは殆ど作られていない』という衝撃の事実を知った。嬉野は伝統的に『蒸製玉緑茶(グリ茶)』を生産している。水色もきれいな山吹色で、味わいがあった。太田さんは釜炒りも復活させた。『最近は釜炒りが欲しいという人が出てきた』というが生産量は非常に少ない。

 

太田さんは既に70歳、昔話を聞くと『昭和35年頃、アフガンやモロッコに茶を輸出した』とか、『モンゴルやソ連とも貿易した』など、まるで歴史の生き証人。嬉野茶の歴史をよく聞いておきたいと思った。町会議員として嬉野発展の為にも活躍した。今でも色々なまとめ役になっているようだ。息子の裕介さんが既に跡を継いでおり、後は日本の茶産業が発展してくれれば良い。

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大チャノキ

嬉野の大チャノキを見学する。推定樹齢350年、6株あるとのことだが、かなりの大きさだ。葉っぱは今も生き生きしている。嬉野茶の歴史を見ると、1504年に明の陶工、紅令民が嬉野の不動山に唐釜を持ち込み、釜炒り製茶法が伝わった。1657年に吉村新兵衛が縦釜で蒸す製法を編み出し、嬉野茶の茶祖となる。この大チャノキはその頃に植えられた物らしい。

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尚吉村新兵衛は法に触れ、一度は切腹と決まったが、藩主に助けられ、茶栽培にまい進したという。藩主が逝去した1657年に新兵衛も殉死を遂げている。この辺りが茶とどのような関わりになるのか、興味深いがよく分からない。ある人は『吉村新兵衛は永谷宗円とならぶ、日本茶の偉人だ』と書いていたが、新兵衛を知る日本人は殆どいない。

 

嬉野を車で走っていると実にきれいな棚田が目に入ってくる。日本にもこんな素晴らしい風景がまだあるんだな、としみじみ思う。よく見ると水田の合間に茶樹も見える。お茶だけでは生計が立てられない現実も少し垣間見える。日本の茶業はどうなるんだろうか、この美しい棚田でそんなことを思う必要ないのだが。

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茶業研修施設に立ち寄る。大きな釜が3つあった。聞けば『最近は釜炒り茶の作り方が分からない人が多く、経験のあるお年寄りが時々ここで伝授している』のだとか。本当に釜炒りは伝わっていないのだろう。横に工場があり、製茶機械が置かれていた。あまり使われることもないと言い、きれいなまま置かれていた。

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最後に太田さんの茶畑を見に行った。周囲がきれいに整備される中、雑草が生え、蜘蛛の巣が張っていた。太田さんは『人手が足りない、恥ずかしい』と言っていたが、これは私がインドのダージリンの大自然の茶園で見た光景とほぼ同じだった。無農薬で茶を作ることはものすごい労力がいる。こうして作られたお茶の価値が正当に評価されるとよいのだが。山の上から見ると実にいい霧が出ていた。嬉野が茶栽培に適している、と示しているようだった。

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温泉と湯豆腐

Oさんが予約してくれた嬉野温泉のビジネスホテルに入る。何だか懐かしいような部屋、きっと和室を洋室に改造したのだろう。部屋にも風呂は付いているが、ここまで来たら温泉へ。シーボルトの湯、という公共施設へ向かう。途中シーボルトの足湯、というのもあり、観光客に便宜を図っていた。

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このシーボルトの湯は入浴料400円。だがなかなかいい湯だった。地元の人も観光客も一緒に風呂に浸かっている。最近の強行軍で疲れた体を休めるには絶好の湯だった。2階には休息場があり、そこには嬉野茶に関する資料も置かれていて参考になった。またこの場所が以前は立派な旅館だったことを示す写真も掛けられており、歴史的建造物の保存の仕方にも色々あると分かる。

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大浦お慶、確かNHKの龍馬伝では余貴美子が演じていた女商人。幕末の志士を助けた軍資金は、何と嬉野茶をはじめとする九州の日本茶を海外に輸出して得た利益だった。大隈重信も佐賀の出だ。最後は騙されて財産を失うお慶、でもこんな豪快な人生、有だな。

 

湯を出て、目の前にある店で湯豆腐を食べる、という予定だったが、何と休業中。まあその辺を歩いていればどこかにあるだろうと思っていたが、甘かった。夜になると意外と寂しい温泉地帯。大きな旅館にはいる訳にもいかず、ちょうどあった居酒屋に入ってしまった。

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そこに湯豆腐があった。土鍋にアツアツの湯豆腐がやって来た。一口食べて、こりゃ美味い。隣にいたおばさんが『どうだ、美味いだろう』という。誰が食べても美味いだろう、これは。450円。そしてメニューを見ると中華カツ丼という面白そうな物があり、注文してみた。名前の通り、中華丼の餡をカツに掛けているだけ。でもこれがなかなかイケル。嬉野侮るなかれ。

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帰りにスーパーに入り、飲み物を買う。ちらっと見ると、何だか物価がとても安い。ペット飲料は70円ぐらいで売っている。東京のスーパーなら80円台ではないか。日本の田舎、物価が安くて美味いなら、住まない手はない、とちょっと思う。

 

9月25日(木)

翌朝は天気が良かった。ホテルの窓からは広々とした景色が見える。朝ごはんはホテルに頼んでいたが、宿泊客が殆どいないのか、8時に行ったら、もう私だけが取り残されていた。焼き魚、納豆、生卵、ご飯を沢山食べるように仕組まれた朝食、また腹が出てしまう。

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九州で茶旅2014(4)福岡 八女茶の歴史と将来

霊厳寺

それから黒木町にある霊厳寺を訪ねる。ここが八女茶発祥の地であるからだ。因みに黒木町は女優、黒木瞳の出身地だそうだ。霊厳寺は応永13年(1406年)に明の留学より帰朝した出羽の学僧周瑞禅師が、教えを広めるため各地を巡り歩いていた時にここを訪れ、かつて修行した蘇州霊厳寺の景観によく似ていることから、禅寺を創建したという。

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同時に明より茶の実を持ち帰り、鹿子尾村庄屋の松尾太郎五朗久家に種子を与え、製茶の技法を伝授したことが八女茶の始まりと言われている。松尾家は現在も茶作りをしており、34代目の当主が継いでいるというが、当時の製法である釜炒り茶は今では作っておらず、蒸し煎茶のみの製造だとか。時代が変われば商品も変化するということか。

 

寺に入り、山道に踏み込むと、奇岩が並んでいることころがある。あまりにも急な坂道なので途中で引き返す。まるで修行だ。道沿いに小さな仏像が置かれている。なかなか面白い風景だ。本堂近くには『八女茶発祥の地』の碑と周瑞禅師の像が置かれている。因みに日本の茶の発祥は1192年に栄西が宋から持ち帰った茶種を福岡県と佐賀県の県境にそびえる背振山に播きその飲用法を伝えていったのが始まりと地元では言っているが、異論もあり、確たる証拠はないようだ。

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境内には古い茶の木も保存されている。当日は祝日だったが、ここを訪れる人も殆どなく、ちょっと寂しい気分になる。Oさんの車でJR羽犬塚駅前のホテルへ送ってもらう。小雨が振り出し、肌寒い。

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八女茶の将来

夕方、羽犬塚駅へ行ってみる。看板があり、羽犬の由来が掛かれている。2つの説があったが、どちらも豊臣秀吉の九州遠征に絡んだもので、司馬遼太郎が言う、馬から訛った話などどこにも出て来ない。数年前まで犬の像があったらしいが、あまりにもグロテスク?なので市民の反対で撤去されたとの話も聞いた。この犬の伝説、果たして本当のところはどうなんだろうか。興味深いがこれ以上は進めない。

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夜はこれもFさんのご紹介で、県職員のNさんとお会いした。ホテルで待ち合わせ、近くの居酒屋に入るとNさんは直ぐに、『氷持ってきて』という。何で氷、と思っていると、何とバッグから透明のポットを取り出し、そこに玉露を入れ、更に氷を足した。『1時間半ぐらい経つと飲み頃になるので、それまでビールでも飲んで食べていましょう』という。これには驚いた。

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Nさんは若い頃からお茶関係者。中国やインド、などアジアの茶畑にも足を運んでおり、知己も多く、アジアの茶事情にも詳しい。ここでアジアの茶畑の話になるとは思っていなかったので驚く。もうすぐ定年なのでアジアの茶畑を巡りたい、とも言うが、どうやら状況はそれを許さないようだ。この知識は八女にとって必要だろう。

 

Nさんは言う。『八女茶は全国の茶葉生産量の僅か3%しかない。静岡や宇治に張り合う訳にはいかない。そして八女の過疎化、茶農家の廃業は避けられない』と。だがそれを嘆いても仕方がない。『高級茶への転換、伝統的な玉露の生産』が重要、既に八女の高級玉露は日本の品評会で13年連続(昨年を除く)日本一になっている。

 

静岡とタッグを組むことも考える。どうしたら飲んでもらえるのか、『玉露と玄米を混ぜる(顧客ニーズに合わせる)』など試行を開始。ヨーロッパでも試しに売り始めている。台湾などアジア市場の開拓も模索している。日本の茶産地にもこのようは発想が出てきている。特に顧客ニーズは重要だと思うが、どうのようにしてニーズを掴み、売り込むのか。果たして成果は出るだろうか。

 

尚現在の和紅茶は中途半端だ、との指摘もあった。多くの農家が緑茶種でまず緑茶を作り、その後紅茶を作るやり方をしているが、これでは本当に良い紅茶は出来ない。紅茶専用品種から紅茶だけを作るべきだが、生活が懸かっている農家はなかなか踏み出せないという。

 

氷を入れて1時間以上ゆっくり出すパフォーマンスは面白かった。アミノ酸がじっくりと絞り出され、かなり濃厚な味わいになっていた。その後は白湯、熱湯と順に淹れ、数回楽しんだ。伝統製法の高級玉露にはこのような仕掛けも必要だろう。特に外国人が大喜びすることは間違いない。日本の茶葉茶道だけではない、というところを見せる必要もある。

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ホテルに戻り、すぐにベッドに入ったが、ほろ酔い気分と濃厚なアミノ酸の融合でちょっと刺激が強すぎて、眠りが浅くなる。