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茶筅の街から宇治まで茶旅2015(2)高山町 茶筅工房からお茶室へ

お茶室へ

1時間ほど茶筅についての様々なお話を伺い、さてそろそろお暇するかと思って腰を上げると、『さあ、こちらにどうぞ』と言われ、家の奥に案内される。何とそこはお茶室であり、これからお茶が供されるというのだ。これにはビックリしたが、Iさんからここに来る前に、『お茶とお菓子付きで1,080円です』と聞いていた意味がようやく分かる。先ほどの部屋では確かにお茶は出てきたが、お菓子は出なかった。話に夢中でそんな事は全く気にしなかったが、お茶付とは、抹茶のことだったのだ。このような趣向は意外性があって、なんとも面白い。

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こちらでは、今回のような普通の訪問、工房見学の他、茶筅作り体験コースが用意されている。ここに来て、自ら茶筅作りを最初から最後まで簡単にやってみるらしい。谷村さんの隣で作業をしていた男性は、茶筅作りに興味があり、会社を定年になってから、この工房に入って、今やプロになっている。まずは一度体験し、身近に感じてもらうという趣向だろう。後継者不足の今日、このような取り組みも重要ではなかろうか。因みに茶筅の他、茶杓製作のコースもあり、何回も楽しめるようになっている。私は不器用だが、興味のある人には良いのではないか。

 

お茶室には掛け軸もかかっており、花も活けられている。外を見ると、小さな、きれいな庭がこっそりと隠れるように配置されていた。何とも言えない空間、居住まいを正し、畳に正座して待つ。お菓子が出される。そして茶碗に抹茶が淹れられて、運ばれてきた。谷村さんとお話しながら、お茶を頂く。一緒に行った2人は茶道の心得があったが、お茶を飲む作法も知らない私にも、丁寧に教えてくれる。実にゆったりした時間が流れ、心が静まって行く。30分後、立ち上がろうとすると、完全に足が痺れており、恥ずかしい思いをした。茶道の作法を学ぶ必要があると痛感すると同時に、正しく座る練習もする必要がある。

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偶にはこのような体験も必要だな、と思う。そして外国人にも人気がでそうな、茶筅作り+抹茶のプログラムであった。また茶事、茶懐石を食するコースなども用意されている。千利休が考案したとされる「茶懐石料理」、茶道の会合に供する懐石料理ということで、本格的な会食が可能である。実際大阪あたりから、意気なお客さんが、会合を兼ねて昼にやってくることもあるという。今や忘れられつつある伝統的な作法を守り、あるものは復活させること、谷村さんの単に茶筅を作るだけでなく、文化そのものを伝え、残していこうという姿勢が素晴らしい。

 

そして谷村さんの工房を後にした。車で大学まで戻り、そこで長野に戻るSさんと別れた。今回の思いがけない茶筅の旅はSさんの存在が非常に大きかった。このご縁は今後も大切にしていきたい。そして私は今度Iさんの車に乗り、京都に向かった。車を運転しない私にとって、日本の、特に地方都市を移動する場合、このような乗り継ぎをさせてもらえることは、時間や費用の節約にもなり、また新たなご縁も繋がり、とても有難い。朝方の高野山は小雨だったが、ここはいい天気だった。

 

2.京都

町家風ゲストハウス

車は1時間ほど走って、京都市内に入った。まずは今晩の私の宿に向かった。ネットで予約した京都駅のすぐ近くのゲストハウスだった。本当に駅からすぐ、こんなところに、と驚くような場所に、蔦が絡まった古い建物が建っていた。中に入ると、町屋風というだけあって、本当に古い家であった。そこに管理人の女性が2人おり、お客さんは殆どいなかった。

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部屋は2階で男女別のドミトリーになっていた。男子部屋はベッドが5つ、何となくいい雰囲気だった。今晩は客が2人しかいない、と聞いたので、ゆったりと過ごせそうでよかった。シャワーは1階に1つしかなく、トイレは男女別に2階にあった。キッチンもあり自炊も可能らしい。1階の居間でスマホをいじりダラダラしている人もいるようだ。管理人はテレビに見入っている。階段は急なので、年寄りの私には夜間の上り下りはちょっと辛そうだ。

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部屋には鍵は掛からない。そして建物の入り口にも鍵はかけていない。この辺は如何にも日本だな、アジアではあり得ないと驚く。管理人がいない時間も長くあり、その間はどうするのだろうか。実際翌日居間にいると、電力会社の人がやってきたが、誰もいなくても、中に入ることは出来てしまう。

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現在京都には外国人観光客が大挙して訪れており、それに対応して、ゲストハウスを含む様々な宿が急激に増加している。外国人が好む宿は、必ずしも駅前にあるのではなく、もっと京都らしい場所の近くにあるのではないだろうか。今回の宿は利便性が高いが、1ベッド3,000円は少し料金的に高いのかもしれない。次回はまた違った宿を探して泊まってみよう。

茶筅の街から宇治まで茶旅2015(1)高山町 日本で唯一の茶筅の街

《茶筅の街と京都宇治茶旅2015》  2015年5月19日‐20日

 

タイ人と高野山に登ってみたが、なかなか刺激的な、参考になることが多い、面白い旅であった。そして山を下りる日、今日は京都へ行こうかと思っていたが、何とそこへ『私は奈良県の高山町のお寺にいます』というお知り合いのIさんからのメッセージが届く。まあ私には関係ないや、と思っていると、『この高山町は茶筅の街です』と追い打ちがかかる。『茶筅か?』と思わずつぶやいた私の口の動きを逃さなかったのが、小学校の先輩であることが昨夜発覚したSさん。

 

茶道をやっているというSさんの『茶筅の街、行ってみたい!』という一言で、私の運命も急転する。和歌山県の高野山から、奈良県の高山町、果たして遠いのだろうか。少なくとも電車では簡単に行けそうもない。Sさんは今回のメンバーで唯一車を持っており、車であれば行けるのではないか、ということになる。何という巡り合わせ。まあこれぞ茶縁というものだろう。

 

5月19日(火)

1.高山町

高山町まで

午前9時半頃に、タイ人一行とお別れして、高野山を出発した。Sさんの車は小雨の中、快調に山を下って行く。スリップしないように注意しながら、坂を蛇行しながら下って行くと、逆にこの道を歩いて上ってくる参拝者はすごいな、と思わざるを得ない。ナビを使って、橋本付近まで1時間ぐらいかかった。今回高山町ではIさんが待っている。『まあ午後1時につけば御の字』と言われたが、和歌山県から隣の奈良県の街まで3時間半もかかるのだろうか。

 

橋本付近からは3月に四国1周茶旅の帰りに通った道とほぼ同じだということが分かる。前回も運転手のS君がかなり苦労して道を探しながら、車を走らせていた。奈良の道は、高速道路などが所々にしか整備されておらず、道を繋ぎ合わせて行くため、分かり難いのだという。今回はその経験があったので、助手席からSさんに多少ナビが出来、何とか進んでいく。

 

途中でトイレ休憩。コンビニのトイレを借り、ついでにサンドイッチや飲み物などを買っておく。地方のコンビニのトイレは充実している。これが集客の一つの手法だということがよく分かる。飲み物を飲みながら、この先の方向などについて、車内で作戦会議を行い、更に進んでいく。

 

それにしても高架道路を走ったかと思えば、下の道しか行けない場所もあり、何とも分かり難い。地図を見ながら悪戦苦闘の末、何とか、近くまで来た。Iさんは関係しているお寺に滞在しているが、そこも分かり難いので、奈良先端科学技術大学の正門で待ち合せることになった。こんなところに先端大学などという名が付いた大学があるなんて。実は先日ベトナムに行った時に、ここの非常勤講師だという方に偶然出会っており、理科系の非常に先端的な研究がなされているだと聞いた。まさかここでその大学に出会うとは、これもご縁かと驚く。沖縄でこの前、やはり偶然行った科学技術大学に通じるものがあるように思える。周囲には何もないが、団地のような建物がいくつか建っていた。この大学に通う学生と教師、職員が住んでいるのだろうか。何となくバブル期の不動産開発を思い起こす雰囲気がある。

 

ちょうど3時間半かかって、ようやく目的地に着いた。大学の裏のかなり細い道を上がって行くと、そこにお寺があった。お寺と言いっても一般の民家を借用している。有名な信貴山の奈良の分院だという。座敷に仏像が置かれており、お寺の形式を備えていた。お参りもそこそこにして、お昼ごはんに炒飯とサラダをご馳走になる。朝ごはんもちゃんと食べていなかったので、何とも有難い。

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茶筅工房で

食後は直ぐに出掛ける。ここ高山町は茶筅の街、ということで、Iさんが事前に連絡を入れてくれていた茶筅工房を訪問する。ここも普通のお家だが、道路より高くなったところに、草木が植えられ、更には茶筅の模型も見える。その上にはかなりの規模の立派な建物があった。

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中に入ると、この家の主であり、この街の茶筅組合の長でもある谷村弥三郎さんが待っていてくれた。リビングが茶筅を作る作業場になっており、そこでお話を伺う。谷村さんの家では代々茶筅作りが行われていたが、谷村弥三郎を名乗るのは谷村さんが3代目だという。ここ高山町は元々日本有数の茶筅の街だったが、最近は価格の安い韓国、中国製に押されており、今では100円ショップに行けば中国製を僅か324円で買うことができるとか。こちらで丁寧に作られている茶筅は安い物でも1本3000円以上はするので、価格では全く勝負にならない。ここ高山町以外、日本で茶筅を作っている地域は既に無くなっているとの話は衝撃的だった。

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作業は8つの工程の分業制であった。1つの工程に5-6人の職人がいるとのこと、全体で50名を抱える工房であり、谷村さんはその総指揮者的な存在である。実際に出来上がった茶筅を見てもらう。正直茶道などをしたことがない私には、茶筅の良し悪しは分からないが、これを使うと抹茶がクリーミーになる、というのは何となく分かる。そこには値段の差がはっきり出るのだろう。『本当のお茶会では茶筅も茶碗も全て新品を使うことになっている。茶筅は一度しか使わないで欲しいというのが職人の願い』と言われ、その貴重さにビックリ。ただ日本の茶道人口は減ってきており、茶筅の需要も減少してきているのはとても残念な話だ。

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更にスス竹という特殊な竹で作られた茶筅の鮮やかさには目を見張る。茶道をしているSさんは思わず『欲しい』と声を出し、目を輝かせたが、『スス竹はこの辺でも既に殆どないので、現在注文を受けても数か月待ち』との説明を受けて断念した。価格も1本、2-3万円はするらしい。これはもう伝統工芸品の域に達しており、それだけの価値のある見事さだった。

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鎌倉日帰り旅2015(2)竹の報国寺で茶樹を見る

セミナーに参加

すーさんから紹介されたセミナーの講師は橋本素子先生。『中世日本喫茶文化史』が専門。こんな分野があったのかと思ったが、聞けば、茶道の歴史は別にして、日本茶の歴史を本格的に研究している人は殆どいないのだそうだ。先日静岡で会ったYさんが近代史、そして橋本さんが中世を研究しているという。道理で日本茶の歴史がなかなか分からない筈だ。このお二人は頑張っておられるが、如何せん研究者の層が薄いと言わざるを得ない。

 

会場は駅前のきらら鎌倉。駅前の立派な施設だ。今日は午前と午後と2つの講座があるが、午前は復習講座ということで、人数は少ない。橋本さんは普段は京都に住んでいるが、昨日鹿児島を日帰りし、今日は朝から鎌倉へ。かなり激しい活動をしている。セミナー中は鹿児島から持ち帰ったお茶が出され、気分が盛り上がる。

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「平安時代の喫茶文化」というテーマで話を聞く。一体いつから日本人はお茶を飲んでいるのか、そんな基本的な疑問に文献から答えてくれる。最初にお茶に関する記述が出てくれるのは815年なのだそうだ。嵯峨天皇に永忠という僧侶がお茶を差し上げたという記述があるらしい。私などはここから物凄い妄想が膨らみ、『そのお茶は日本で植えられたものか、中国から輸入された物か』など質問してみるものの、回答は『書いていないのでわからない』というもの。

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何だ、つまらない、と思ったりもするが、研究者としては実に正しい姿勢だ。一般の人は自分の知識の中で妄想を膨らまし、私のような者は自分のイメージと読む人の興味から、面白いネタを探せばよいので、いくつかの事象を考え併せて推測していけばよいのだが、本来の研究とは文献に基づき、そこに裏付けを重ねていくものだろう。『書かれていないから、何を言っても間違いではない』というのは、やはり間違いなのだろう。

 

ただ仮説を立てることは重要だ。その仮説に行き着くために、様々な体験をし、資料を読み、話を聞く。お茶に関しても、日本の中だけで完結できるはずもないので、中国などの資料にもあたり、その真偽を確かめ、なぜ日本にお茶が入ったのか、寺院とお茶の関係なども検証していくとよいな、と感じた。

 

まあいうのは簡単だが、実行するのは大変だし、そこに価値を置く人が増えない限り、なかなか難しいとは思うが、アジアを歩いていて時々感じるのは『たんにお茶を売るだけではじり貧、これからは文化や歴史を含めて売っていく必要がある、そこに価値が見いだせる』ということだ。

 

竹の報国寺

2時間弱の講義が終わり、昼休みになる。私は直ぐに会場を出て、久しぶりに行ってみたところを目指す。天気が実に爽快で、観光客が増えている。八幡宮に行く参道は工事のため、道幅が極端に狭くなっているので、余計に多く感じるのかもしれない。八幡宮前の道を右に曲がる。この辺からうろ覚えになる。何しろ長い間来ていなかった道だ。宝戒寺という寺に着きあたる。台湾人が写真を撮っている。ここは滅亡した北条氏の霊を弔うため、足利尊氏が建立したとある。最後の執権北条高時が切腹した腹きりやぐらにほど近い。

 

それからずーっと歩いていくと、鎌倉最古の寺、杉本寺がある。急な階段があり、時間もないので門前で失礼する。奈良時代に行基が開祖で建立されたとある。そして鎌倉駅前から歩くこと、20分。ついに到着したのが『竹の報国寺』。足利、上杉両家の菩提寺として栄えたこの寺は、今は孟宗竹など見事な竹で有名である。私は昔から常にここに行きたい、と願っている。この竹に囲まれると何となく落ち着く。それがなぜなのかは分からない。

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門を潜るときれいな庭があり、そして竹が生えている。入場料を払い、更に奥へ進むと、本当にすごい竹の林が広がる。一面の竹林に囲まれる幸福感が蘇る。皆ここに来ると静かになる。静寂の中にシャッター音が響く。まさに癒しの空間。竹林を1周しても足らずにもう1周した。奥の方は崖になっており、そこには小さな洞窟があるように見えるが、立ち入り禁止。その前の庭には何と茶の木が見えた。何となく、この辺には昔お茶が植えられていたのか、と思ってしまう。午前中にお茶セミナーを受けたからだろうか。

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名残惜しい寺を出て、田楽辻子の道、という細い道を歩いて戻る。広い通りとは違い、車も走らない住宅街を抜けていく。小川が流れ、早春の雰囲気に満たされる。八幡宮近くに戻ると急に腹が減る。その辺のそば屋に入り、天丼セットを食べる。何となく満たされた日曜日のお昼。やはり鎌倉に来てよかったと思う。

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午後のセミナー

午後はレギュラー講座。「中世の茶園について」という題で、室町時代の茶園についての講義を受ける。今のような規模の茶園ではなく、田んぼの合間に茶樹が植えられているケースなど見ると、お茶が一般庶民に普及したのはつい最近なのだな、と思ってしまう。中世というと千利休など茶道の発展に目が行きがちだが、一般的にはどうだったのだろうか。

 

話の中に『鎌倉にも茶樹は植えられていた。例えば報国寺の後方の小山の辺りとか』という言葉が出てきて驚いた。私がさっき行った寺、そして庭で見た茶樹。勿論この茶樹はそんなに古いものではないが、何か因縁を感じる。『鎌倉の寺の庭に茶樹が植えられていても不思議はない』とのことだったが、先ほど見た洞窟がある斜面、あそこには古来茶樹が植えられていたという感覚が何となく確信に変わった。と言っても当然何らの根拠もなく、歴史的には何の効力も持たないのだが。

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このセミナーではお茶淹れ担当の人がいて、適宜お茶が出てきた。それも煎茶あり、紅茶あり、発酵系の茶もあった。お茶好きの人が集まるセミナーである。お茶の講義を聞くという側面と、美味しいお茶を飲む、という両面があるようだ。私の茶旅報告会などでは、無理やりにでも旅先で得た物を皆で飲んでみるのだが、テーマに関係なく、その時手元にある、本当に美味しいと思えるものだけを味わったほうが良いのかと感じる。

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セミナー終了後、八幡宮に参拝する。梅が咲いている。高く聳えていたはずの大銀杏も今はもう無い。小学校1年生の遠足も、6年生の修学旅行もここに来た。階段を登りながらこの場所で源実朝が大銀杏に隠れていた公暁に暗殺された話を何度となく聞いた記憶がある。鎌倉とは一体どんな時代だったのだろうか。そしてこの時代、お茶はどのように扱われ、飲まれてきたのだろうか。建長寺を通り、円覚寺を眺めても、その答えは出て来なかった。

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鎌倉日帰り旅2015(1)東慶寺から鎌倉へ

《鎌倉日帰り旅2015》  2015年3月22日

 

3-9歳まで藤沢市で過ごした。決して私にとって良いことばかりではなかったが、あの重油まみれの湘南海岸で泳いだこと、そして偶におばあちゃんたちと鎌倉へ行って、なぜか心が洗われたことを何となく思い出す。高校生になった時、夏休みに一人で鎌倉の寺巡りをした。若者が皆ビーチではしゃいでいる時に何でまたお寺なんか巡るの、と散々に言われたが、あのじりじりと照り付けるような暑さの中、ふらふら歩いているのは気持ちが良かった。大学3年の時は1か月、鎌倉のある施設でアルバイトした。やはりあの暑い中、ふらふらと歩いたことを覚えている。

 

社会人になってからは行く機会があまりなかった。ミャンマー人と話をすると『日本に行ったら必ず行きたい場所、それは鎌倉の大仏だ』という話を何回も聞き、実際にお土産としてミニチュアの大仏を大量に買ってくる、お寺にデカい大仏のポスターを張っているミャンマー人を見ると、何となく江ノ電に乗って行ってみたくなるのだが、その機会は意外と訪れなかった。

 

最近は行っていないな、と強く思っていたら、先日静岡から東京まで車に乗せてくれたお茶好きのすーさんが『鎌倉で日本茶の歴史に関する講座があるので是非行ってみて!』と言われ、都合が付きそうだったので、直前に急きょエントリーしてみた。今月は東京で日本茶セミナーに出た上で、四国+和歌山・静岡の旅で日本茶の奥深さを実感し、静岡単独の旅をもすでに敢行しており、日本茶の歴史に対する興味はどんどん高まっていた。さて、今日は一体どんな話が聞けるのだろうか?お茶と鎌倉、私のキーワードがダブって見えてくる、またとない機会となった。

 

3月22日(日)

北鎌倉で降りて

当日朝、新宿まで行き、湘南新宿ラインに乗る。昔はこんな電車なかったな。日曜日の朝だが、結構混んでいて座れない。横浜の方に行く人が多いのかと思いきや、渋谷あたりで大勢降りて何とか座れた。旅に若干疲れていたのかもしれない。かなりボーっと車窓を眺め、おも思いに耽っていると、いつの間にか横浜も過ぎて、戸塚の先まで来ていた。昔の東海道線には戸塚や保土ヶ谷などという駅はなかったな。

 

大船まで来てしまった。確か武蔵小杉で横須賀線に乗り換えなければならなかったのに。武蔵小杉もマンションなどが立ち並び、凄く発展した、と聞いていたのだが見過ごした。最近こんなことが多い。パンを焼いていて放置して焦がしたような気分。大船は殆ど降りたことはないが、子供の頃から、ここの観音様を見て育っている。たぶん一度も登ってみたことはないが。

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横須賀線で鎌倉へ行こうと思ったが、何となく北鎌倉で降りてしまう。さだまさしの『縁切寺』という曲がふと頭を過る。あれはさだがまだグレープという2人組として歌った歌だっただろうか。『源氏山から北鎌倉へ、たどりついたのは縁切寺』というフレーズはなぜか忘れられない。しかしこの歌に出てくる二人、単純に鎌倉駅から源氏山公園を経て、東慶寺に着いたのだろうか?それとも大仏なども回ったのだろうか。私は子供の頃、銭洗い弁天で五円玉を洗った記憶しか蘇らないが。

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多くの乗客が北鎌倉で降りた。ホームは工事中でかなり狭い。まずは円覚寺だろうと思ったが、縁切寺という名前に引きずられて、反対の道を歩く。東慶寺が縁切寺と呼ばれたのは江戸時代まで、女性からの離婚請求権がなかった時代に駆け込み寺だったから。明治以降は、尼寺でもなくなっているのだが、未だに何となく、女性の寺、というイメージを持つ。本日も女性たちが次々に門を潜っていく。私は遠慮して、門前で写真を撮り、一礼して去る。

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今日は天気が良いので、散歩がてら鎌倉駅まで行く。ところどころで花が咲いており、春の訪れが感じられる。何とも気分が良い。亀ヶ谷の切通しを通過し、八幡宮の横を歩いていく。車はかなり渋滞しているが、徒歩の私には関係ない。だが駅近くの小道を入るとそこは別世界。観光地らしい土産物屋が並び、カフェが開店準備をしている。どうもこういう場所は苦手だ。既にこの時間なのに、観光客がかなり歩いている。

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脇道に入ると、何と源吉兆庵のギャラリーが見える。源吉兆庵、香港で愛用した和菓子屋、何と現在の東京の家の最寄り駅にも支店がある。これもご縁だろうか。そういえばこの店の鎌倉せんべい、美味しいな、と思い出す。よく海外に土産として買っていった。後日東京で吉兆庵に行ったところ、鎌倉せんべいはなくなっていた。というか、神奈川限定の名称になっており、この鎌倉店以外では買えないことが分かった。それなら店に寄って買えばよかったと思ったが、後の祭り!まあ時間は朝の10時前、まだ店も開いていなかっただろう。

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静岡のお茶を訪ねて2015(3)川根でチャレンジする茶農家

Mさんちで

駅前には家は見られなかったが、少し歩くといくつも家がある。緩やかな登りに、江戸時代からあるお茶畑が広がる。オーガニック認定農地なるものもあったが、小さな面積に、ほぼ放棄地のような茶畑。これでどれだけの収穫量があるのだろうか。有機、オーガニックという言葉には何となく疑問がある。そして本当の放棄地も散見される。やはりここも後継者がいない状況だと実感できる。

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Mさんちの茶畑は何か所かに分かれており、色々な品種が植えられている。きれいに整備された茶畑、少しだけ伸びてきた新芽に霧がうっすらかかる。これまで出来上がった商品を数種類、飲んでみたことがあるが、いずれも独特で、紅茶もあれば、烏龍茶、微発酵茶もある。煎茶オンリーとは違い、実にチャレンジングな茶農家さんであるが、その原点がこの畑にあるということにはちょっと感じるものがある。現在は茶園管理から、製茶、そして販売までほぼ一人で行っているという。

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Mさんとは昨年のエコ茶会で初めて会ったが、初対面から『FB見てるよ』と笑顔で言われ、引き込まれた。昔はバックパッカーもやり、海外青年協力隊でセネガルに滞在した経験もあるという。海外に対する抵抗感が少なく、新しい物へのチャレンジ精神も旺盛なのだろう。エコ茶会だけでなく、色々なイベントに自ら出向き、ブースを出して、自ら茶の説明をして、売っていく。

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現代の行商人スタイル。本当にいい物を知ってもらうためには、対面が一番、ということだろうか。青山のファーマーズマーケットで会った時には、『試飲してもらうのも大変だ』と言いながらも、通り掛かる人に声を掛けていたのが印象的。実際お茶のイベントにはお茶に興味のある人しか来ないので、何の問題もないが、農産品全般のマーケットでのお茶のニーズは高くはないと言わざるを得ない。そのハードルの高いところで、如何に認知してもらい、売っていくか、これはもう修行の世界のように見えた。

 

現在の茶業の厳しさ、将来への不安、様々なお話をお家に上がり込み、お茶を頂きながらずっと聞いていた。正直昼ご飯を食べることも頭になく、自分でも驚いてしまった。この環境、台湾人や中国人の茶業関係者は絶対に見たいだろうなと思う。茶畑を見ながら、日本の農家を見て、そして抜群の自然環境を見る。更にはSLに乗れる。ということで、私の僅かな滞在時間が終了となり、Mさんに車で送ってもらい、SLに乗り込むことになった。

 

SLの旅

千頭駅でMさんと別れ、切符を買ってホームに入る。SLに乗るには通常乗車券のほか、SL急行券が必要で合計2520円。週末に運行される機関車トーマスはこれよりさらに高いが、人気があり、予約が取れないらしい。この料金の高さに、観光ツアーの方では1駅だけ乗せてあとはバスで運ぶようになり、それに対抗して、SL停車駅を減らしているとの話を聞いた。実際停車駅は川根温泉と家山の2つだけだった。

 

ホームにはかなり古い客車が既に入線しており、前の方では機関車が白い煙を吐き、雄たけびを上げていた。うーん、何とも言えない光景。雨の平日で乗客は多くないが、皆がその雄姿を見て、写真に収めている。C11という型らしい。客車は昭和10₋20年代に活躍した標準型とある。まるでドラマの撮影用、といった感じの造りであり、乗っていると、タイムスリップしたような感覚に捕らわれる。

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車掌さんのアナウンスがなかなかユニークだ。突然歌が始まったり、また車両を回るのに、ハモニカを吹いていたりする。何とも旅情を掻き立てられる演出で面白い。車窓から覗く茶畑、趣がある。単に来た道を帰るだけなのだが、雰囲気が違うと気分も違う。面白いものだ。

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新金谷駅まで1時間強で到着。朝乗った駅は金谷だったが、SLは新金谷止まり。何となく不便だが、歩いて金谷駅まで行けると聞いていたので歩き出すと、かなりの雨が降ってきて断念。駅へ戻り、切符を買って金谷行き電車に乗り込む。たった一駅、面倒だ。そして金谷からJRで静岡へ。

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バスに乗れず

静岡駅で降りて、新宿行のバスに乗るため、チケット売り場へ。このチケット売り場、いつも混んでいる。というより、窓口が1つで、皆が色々と質問しながら買うため、なかなか列が進まない。前回も結局自動販売機で買って、何とか乗れたので、今回は最初から自販機に進む。そして面倒な手順を経て、何とか購入までこぎ着けたのだが、何と表示された画面は『このバスには男性のお客様は乗車できません』だった。え、差別?どうやら、女性専用席しか空いていないという意味らしい。夜行バスでもなく、僅か3時間半ほどのバスで男女をそこまで分ける必要があるのだろうか?

 

何とも釈然としない思いだが、自販機に何を言っても仕方がない。そして列に並んでも時間が掛かる上、恐らくマニュアル通りの説明をされるだけ、と判断し、電車に切り替えた。実は在来線を使ってもバスの方が料金も安い上、時間も短いのだが、仕方がない。ホームに行くと、急に腹が鳴る。そうだ、昼飯も食べていなかった。急いで駅そばを頬張り、何とか電車に乗り込んで、後はひたすら、揺られ続けた。東京の家に着いたのは、夜も9時半過ぎだった。次回は早めにバスを予約しよう!

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静岡のお茶を訪ねて2015(2)大井川鉄道で川根へ

駿府城へ

その後、約束より早めに月刊『茶』を発行している茶業会議所の編集長とご担当にご挨拶に行く。この1月から、有難くも簡単なコラムを連載をさせて頂いているので、一度は訪問しなければと思い向かう。忙しいと聞いていたが、2時間近くも色々と教えて頂き、今後の参考になった。何しろ日本茶のプロ向けの雑誌で内容はかなり濃い。これまでとは違い、あんまりいい加減なことは書けないなと思いながら、『素人目線』で、皆さんとは違う視点で書いてみたいと思っているが、果たしてどうなるのか?怒られそうで、怖いがチャレンジしてみよう。

 

帰り掛けに駿府城を訪ねてみる。雨も上がり、何となく気分の良い夕方。駿府といえば、徳川家康が幼少の頃、今川家の人質として暮らした場所。そして秀吉の時代に武田を滅ぼし、城を築いた場所。更には将軍を退き、隠居した場所。歴史的には何とも意味のある城だと思うのだが、現在はお濠は残っているが、それ以外は整然と整備され、公園になっている。真ん中の家康の像があるが、それ以外目立った特徴はない。雨上がりの夕暮れ時、夕陽が眩しい。

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駅の方へ戻る。元勤め先の支店があり、そこに昔一緒に働いた先輩がいたので、ちょっとご挨拶に行く。『地方支店は皆家が近いし、終電も気にならない』と、いまだに猛烈に会社で仕事しているのには驚く。静岡はとても生活環境が良いように見えるが、殆どの時間を会社で過ごしているようで、大変だなと思う。私がもし静岡に住んだら、楽しいことが一杯ありそうなんだがな。立場が違うとこうも違うものだろうか。会社を辞めるという自分の決断が正しかったかどうか、ふと考える。

 

静岡駅から電車に乗り、藤枝に戻って宿へ帰る。途中軽く夕飯を食べ、そのまま寝てしまう。コンビニに行く気力がなかったということは結構疲れていたのだろう。この宿、ビジネスホテルという趣で、部屋はかなりコンパクト。経費節減努力が見られるが、一体誰が泊まっているのだろうか。スタッフの愛想はかなり良く、ホテルチェーンともまた違った昔の雰囲気がある。

3月20日(金)

翌朝はゆっくり起き、宿代に含まれている朝食をとりに食堂へ。そこでご飯を食べていたのは、皆工事現場などで働く人々。ビュッフェの朝食をモリモリ食べていた。食堂のおばさんも愛想がよく、『もっと食べてね』などと言ってくるので、こちらもついつい食べてしまう。納豆、生卵、焼き魚、ご飯はいくらでも食べられる。そして食べ終わると皆礼儀正しく『ご馳走様』と言って、食器を自ら片づける。おばさんが『そんなことしなくていいのに』と言いながら『今日も頑張ってね!』とエールを送る。日本って、凄いな、と思う瞬間である。

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3.川根

大井川鉄道で

今日は川根の茶農家Mさんの家へ行く予定だ。大井川鉄道に乗るため、藤枝駅からJRで金谷へ行き、9時の電車に乗る。大井川鉄道はSL、また機関車トーマスが走っていることで有名だが、SLの停車駅は限られている上、時間も合わないので、行きは普通電車で行き、帰りにSLに乗ることにした。

 

金谷駅を出て、大井川鉄道駅へ。改札口で切符を買うと分厚い昔の切符が渡される。いいなあ、と思うのだが、僅か35㎞行くのに、1680円もかかる。うーん、ロカール線を維持するのは大変だな。狭いホームには小雨の中、乗客がちらほら。向こうに茶畑が見えるのはやはり静岡!まだお茶のシーズンでもなく平日であり、大半は地元の人が数駅で下車していく。車両は昔の急行風。車窓からも茶畑が見え、幸せな気分になる。

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少し行くと山間部に入り、大井川に沿って走る。この辺は全て無人駅のようで、小さな駅舎が見えるだけ。昔からお茶で栄えてきたこの付近、川を使って茶葉を下ろしていたのか。今は皆車だろうか。たぬきの置物があった。雨に煙る大井川、霧がいい感じで出ている。いい茶葉が出来そうな風景、茶畑の雰囲気が高まる。

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1時間強電車に揺られ、緩やかに登っていく。そしてついに青部に着いた。小さな木造の駅、単線の線路、茶畑の向こうの学校、大井川に架かる吊り橋、何だか映画のセットのような風景が目の前に出現した。そして何とMさんが傘を差して駅舎のところに立って待っていてくれた。この光景を見るだけで、今日は来てよかったと思ってしまう。それほど絵になる。

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まずは駅の前の茶畑へ。その向こうはMさんが通った小学校、だがなんと50年前に廃校になっていた。今はある大学が使用しているので、現存しているという。校舎の窓などは入れ替えられているようだが、雰囲気の良い昔の学校がそのまま残っている。Mさんの小学生姿が思い浮かぶ感じだ。

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そしてその向こうの大井川。遥かに見えるのは昔作られた発電所。この地が重要な場所であった証拠。きれいな吊り橋が架かっているのだが、なぜか通行禁止になっている。安全基準を満たしていないとのことだが、それを理由に撤去が検討されているようだ。部外者が言うのもなんだが、この風景にこの吊り橋、残してほしいな、と思うのだが。

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静岡のお茶を訪ねて2015(1)静岡 茶町KINZABURO

《静岡茶旅2015》  2015年3月19日-20日

 

先日の日曜日、思いがけずも静岡に行った。それは偶然だったが、今回は元々予定していた旅である。昨年知り合った茶農家、川根のMさんを訪ねることにしていたのだ。そして幕張Foodexで知り合った中国人留学生が何と静岡大の人で、案内を買って出てくれた。今回は静岡をお茶以外の角度からも見てみようとしたのだが、直前になり彼女は都合が悪くなってしまった。さて、19日はどうしよう。まあいつものように行きあたりばったりだな、こりゃ。

 

3月19日(木)

1.藤枝

藤枝まで

実は先日静岡に来て以降、日本茶の歴史にとても興味を持っていた。東京まで送ってもらったすーさんに『日本茶の歴史を研究している人、知りませんか?』と聞いたところ、『それは静岡のYさんでしょう』と言われた。そのYさんは確か、私が1月から連載を始めた月刊『茶』に執筆していたので、名前は知っていた。そしていつの間にか、FBでもお友達になっていたので、思い切って面談をお願いしたところ、ランチを一緒にという喜ばしいご返事があった。

 

それで12時前に藤枝へ行くことになった。昨年静岡駅まで新幹線を使わず在来線で行った経験があった。高い料金ももったいないし、時間もあるしで、今日も在来線で行く。東京の家を午前7時に出て、京王線、井の頭線、小田急線と乗り継ぐ。平日の下り電車、それほど混んでいないかと思ったが、途中まで座れなかった。日本はどこでも人が多い。

 

小田原から東海道線で、熱海まで、そして更に乗り継ぎ、静岡を越えて藤枝まで行った。この辺まで来ると電車の網棚の横の広告が殆どなかった。何となく寂しい!小雨が降り続いていた。11時過ぎには藤枝に着いてしまった。そういえば日曜日も藤枝のマーケットに来たのだが、車で連れて行かれたので、位置関係は皆目わからない。駅の近くに泊まることにしていたので、そこに荷物を預けた。藤枝の駅前は、それほど店もなく、何となく閑散としていた。サッカー日本代表の長谷部選手の出身地、とうことでポスターが張られている。駅にあるドトールでしばしネット。

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Yさんと

雨の中、Yさんはバスでやって来てくれた。Nさんも一緒だった。ドトールと反対側の駅の出口を出て、食堂に入る。お刺身、フライ、煮付けなど、すごく立派な魚定食が登場し、お話しもそこそこに食べ始める。実はYさん、私のことは殆ど認識がなかった。認識がないのに、よく会ってくれたなと思うのだが、一時の気の迷いかもしれない。

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YさんもNさんも東京の人だが、今は仕事で静岡にいる。Yさんは煎茶道をやられている方で、実に上品。そしてお茶処静岡でもお茶関係者の間で有名人。お茶に関する講義を大学などでしているという。専門は近世のお茶史。本当は色々と伺いたかったが、悪い癖で自分のことを説明している内に時間が過ぎてしまい、歴史の話は次回に持ち越した。どうやら歴史に関する資料などを纏めているグループがあるようなので、次回はそちらにお邪魔したいと思った。

 

2.静岡

茶町KINZABURO

食事中、Nさんから、静岡市内へ行くなら面白いお茶屋さんがあると聞き、藤枝駅から電車に乗って向かう。静岡駅には何度か来たことがあるが、実は市内を歩くのは初めて。駅前のメインロードをまっすぐ歩いていくと、居心地の良さそうな本屋があったり、カフェがあったり、他の街とそう変わらない作りだった。

 

だが、更に歩いていくと、商店街が終わり、傘を持つことになる。そしてまばらにお茶屋さんが見えてくる。何と銀行クラブもこの辺になった。どうやらその昔、この辺はお茶で栄え、静岡の中心だったようだ。そのほぼ真ん中頃に目指すお店があった。茶町KINZABURO。元々茶問屋さんであるが、斬新な改造が行われ、1階はお菓子とお茶を売る店舗、そして2階は憩いのスペースになっていた。

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ここの名物、茶っふるは、店主である前田富佐男さんが、自ら焼くワッフル。そこに季節に合わせたお茶が入っている。1個100円台と手頃であり、また2階に持って行った食べることができる。そしてその2階、何とお茶が無料で飲める。しかも何種類ものお茶が置かれ、様々なお茶が味わえる。これなら気楽にお茶を試飲でき、喫茶感覚で店にも立ち寄れる。

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前田さんによれば、台湾のテレビ局の取材に対応し、それがテレビで放映されたため、台湾人が多くやって来て、前田さんを見つけると笑いかけて来るという。他の外国人もここを目指してやってくる人が出始めており、新しい予感がする。『お茶を従来のように売っていても進歩がない』という前田さん。新しいお茶屋さんの感じを先取りしていたアイデアマンであるようだ。

 

2回の奥には畳の部屋もあり、地元の小学生が集まって、共同制作か何かをやっていた。人がお茶屋に集まる、ということはとても大切なことだと思う。特に若者、子供たちがお茶に日頃から慣れ親しむことは極めて重要。前田さんの試みがどのような結果になるかは先の話だが、このようなチャレンジは素晴らしい。

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四国・和歌山・静岡茶旅2015(10)静岡 朝から釜炒り

3月15日(日)

藤枝で釜炒り

翌朝は5時に起きる。5時半にはS君のお母さんが朝ごはんを用意してくれた。何とも申し訳ない。S君は既に軽トラに荷物を積み込み、6時には家を出た。そして途中で商品のお菓子を取りに行き、7時前に藤枝の朝市会場に着いた。『れんげじオーガニックマーケット』という名前で月に一度開かれる。有機野菜や健康的な食べ物、飲み物が売られる。周囲は公園で池があり、環境は良い。

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参加者は農家の他、レストランや個人などであり、こじんまりした意外なマーケットであった。7時前には出展者のミーティング、自己紹介なども行われ、ちょっとしたコミュニティという雰囲気があった。S君は着々と準備をしている。毎回ここで釜炒り茶の実演会を行い、お茶を売っているというのだ。大きな鍋もセットされ、さて釜炒りが始まるぞ、と思っていると『僕は販売に注力しますから、釜炒り宜しく』と言われて面食らう。まさか自分がお茶を炒るなど考えてもいなかったのだ。私が静岡に留められた本当の理由、それはこれだったのか、と気が付くが後の祭り。まあ楽しそうだし、いいかと始める。

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恐る恐る茶葉を鍋の中でかき混ぜる。少しずついい香りがしてくる。お客さんが来始めた。S君のお茶のファンだというIさん夫婦がワンちゃんを連れて、手伝いに来てくれる。隣のドーナッツの売れ行きが良い。私の炒りにも力が入る。お客さんに試飲してもらい、少しずつ売れていく。何となく順調。

 

ところが1時間も炒っていると、腰が痛くなってきた。これはまずいな、と思っていると、そこに女子中学生が4人やって来て、やりたいという。実は先月もここで釜炒りを行い、香りが良いのと、手がスベスベになったので、またやりに来たらしい。陸上部でこれからこの周辺を走るとか。これ幸いとお願いした。お茶にはこんなニーズもあるのか、とひそかに勉強になる。

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お客さんの動きを見ていると、半数ぐらいの人は、釜炒りやその香りに興味を持ち近づいているが、半数は素通りする。ところは釜は素通りながら、その横にいるI家のワンちゃんに反応する人が意外と多い。そしてこのワンちゃん、Iさんに倣ってお茶好きらしい。ペットフード全盛の時代、ペットドリンクとして、お茶があってもよいのではないだろうか。誰か過去に開発を試みた人はいないのか?

 

このマーケット、7時に始まり、11時前には何となく終了した。完全に売り切れて早々に引き上げる人、残った物を片付ける人など様々。我が釜炒りはまあまあの売り上げとか。正直4時間立って作業をしても、それほどの売り上げにはならない。商売とは厳しいものだと改めて感じる、と同時に何とも言えない楽しさがあり、人々の交流の場としてこのマーケットが機能していることもよく分かった。

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そしてS君はどんどん撤収作業を進め、あっという間に軽トラに積み込み、呆気なく去って行った。私は東京から手伝いに来たすーさんに引き渡され、その車に荷物を積み込む。すーさんはお茶好きで、度々静岡を訪れているという。お茶好きと言っても、東京から月に一度以上車を飛ばしてここまで来る人は珍しい。

 

お茶っ子交流会

すーさんの車は藤枝から静岡方面へ。まずは腹ごしらえのランチへ向かう。私は食事の選択は全て相手に任せるようにしているが、すーさんの選択はカツ丼、ちょっと意外で面白い。勿論カツ丼好きの私に異論は全くない。何でも息子さんが高校時代を静岡で過ごし、毎週のようにこの辺に来ていたという。お茶に深く入るきっかけもそれだったようだ。

 

そして午後、静岡市内のある建物へ行く。そこで『お茶っ子クラブ』に参加した。震災後、福島から静岡に移住した方々の親睦会と聞いていた。会場に行くと、その部屋には誰もおらず、皆さん5階の別室にいるというのでそちらへ。そこではろうそく作りが行われていた。これは311の慰霊のために使われると聞いたが、皆さん何とも明るく、楽しそうに作っていた。私も1つ作ってみたが、色を3重にしてなかなか楽しい。このような地道な活動が人の心を和らげてきたのかな、とちょっと感じた。

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その後、1階の部屋に戻り、持ち寄ったお菓子などを食べながら懇談。すーさんはすかさず、ここでお茶を淹れる。日本茶、中国茶などバラバラ。どんどん淹れていく。正直この会でお茶を淹れる意味は良く分からなかったが、実際に行ってみると、参加者から『人にお茶を淹れてもらうのは何とも嬉しい』とか『お茶を飲むと何だかホッとした気分になる』などという声が聞かれ、よく言われる癒しの効果、そして人を繋ぐ1つの要素になっていることに気が付く。すーさんがここでお茶を淹れ始めた経緯は良く分からないが、これはかなりすごいことかな、と思う。

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会には静岡の大学生がボランティアで参加していた。女子学生がやって来て、就職相談をすることになる。『海外で働くことに興味がある』ということだが、やはり実感がわかない、日本での就職を基準に物を考えてしまうようだ。まずは外に出てみることから始めよう、とアドバイス。

 

今日でボランティアを終わるという大学4年生の男子がいた。とても明るい性格で、誰からも好かれているように見えた。ケーキが出され、皆が彼の前途を祝していた。驚いたことに彼の就職先は『バンコック日本人小学校』。まさか新卒で海外の日本人学校に採用されるとは。聞くと、現在は新卒採用もあり、その条件も国内よりかなり良い。彼は静岡県の試験にも合格したのに、不安定な2年契約のバンコックを選んだという。これは今後の方向性の参考になる事案だった。色々な要素が含まれている。

 

東京へ

午後4時過ぎに会がお開きになり、すーさんの車で東京へ向かった。今日初めて会った女性の運転する車の助手席に座り、東京まで送ってもらう。普通では考えられないかもしれないが、それが私の旅。すーさんはお茶関係者にかなり顔が広い。話していると、共通の知り合いもおり、今後一緒にお茶会しよう、など様々な前向きの話が出る。面白い。日本茶に関しては参考になる話を沢山聞いた。

 

日曜日の夕方、高速道路はある程度混んでいたが、思ったほどの渋滞もなかった。途中蛯名のサービスエリアで軽食を買い、車の中で食べる。ちゃんとポットに入ったお茶が出てくるのがすごい!すーさんはここ数年、東京-静岡の往復を一体何回したのだろうか?相当に慣れている。

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それにしても、東京の自宅まで車で4時間、ずーっとお茶の話をして過ごした。このような経験も実はあまりない。お茶が好き、という1点で結び付いたご縁、同好の士というのか、何とも楽しい時間を過ごした。これもすーさんのお人柄によることが大きい。今回は日本の中の長旅、だったが、日本のことは知らないことばかりだと再認識した。同時に様々な人と触れ合うことが真に重要だと感じさせる旅でもあった。またこんな機会があるといいな。

四国・和歌山・静岡茶旅2015(9)和歌山から静岡まで

3月14日(土)

高野山へ行けず

翌朝は昨晩の雨も上がっており、この温泉の周囲を散策した。上御殿本館、という宿が立派だ。徳川家康の十男、紀州藩の開祖宣頼が温泉好きで、この宿を建てたが、明治に焼失し、現在宿はその後再建されたとある。興味深いのは、宿の管理を任されたのが『龍神家』だとあること。この地には代々土地の名前を継ぐ者がいた、ということだ。この龍神家がどこから来たのか、それが昨日考えた答えなのかもしれない。

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実は今日は和尚を送りがてら、高野山経由で愛知、静岡へ、という予定だったが、何と高野山で雪が降り、龍神スカイラインが通れる保証がなく、断念した。既に3月も中旬、今年も異常気象だろうか。まあこれは高野山から来るな、と言われていると思うしかない。S君、Iさんは色々と情報を集め、帰路のルートを検討していたが、昨日来る途中に目にした明恵上人生誕の地に興味があったため、そこへ行くことになった。

 

明恵上人といえば、栄西が持ち帰った茶の種を京都栂尾高山寺に撒いたと伝えられる人物として、お茶関係者の間では有名。しかもK和尚が敬愛してやまない高僧でもあり、これは行くしかない、ということで、向かう。出身地は有田であり、何とか辿り着いたその場所には碑が建っていた。和尚は早々にご挨拶の読経する。このような経験はなかなか出来ない。

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明恵上人は武士の子として8歳までここで暮らしたが、孤児となり、親戚を頼って神護寺に入り、その後華厳宗中興の祖となる。『仏陀の戒律を重んじ、受け継ぐ者』としても知られている。近くの歓喜寺も上人ゆかりの地となっていた。更には如何にも箱モノ行政?の、明恵ふるさと館、なるものもある。ちょっとそぐわない感じ。そこで食事をすることになったが、何と明恵うどんというメニューまである。どうなんだろうか、この高僧に対する地元の態度にはちょっと疑問がある。

 

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奈良で即席茶会

そして有田からJR橋本駅まで走り、ここから電車で高野山に戻る和尚を見送り。そこからはなかなか分かりにくい一般道を縫うようにして走り、何とか切り抜け、奈良方面へ。昨年3月訪れた針テラスというところへ行く。そこには昨年6月にS君のところに手伝いに来ていた茶農家一家が待っていた。何とこのサービスエリアの公共スペースで即席お茶会。これはまたすごい展開。今回四国などで手に入れたお茶などを早々試してみる。

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数年前に就農したこの人、お茶作りを行っているが、それを軌道に乗せるまで、様々な仕事を合わせてしているようだ。行政からの支援もあるが、実態としては、日本で新しく農家をやっていくのは容易ではない、という印象を受けた。特に家族がいる場合、そのリスクはかなり大きい。それでもチャレンジする、それは素晴らしい。

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あまりゆっくりしていると日が暮れてしまう、というので、小1時間ほどで奈良を後にする。それから三重を通っていると、道の両側に茶畑が見える。三重は日本で三番目に茶が採れる場所。初めて見る三重の茶畑にちょっと興奮。伊勢神宮などの話をしていると、車はサービスエリアに入り、建物の中には伊勢の赤福の出店がある。ぜんざいを注文。大勢の人が待っている。こんなに気軽にぜんざいを食べながら、お茶を飲める空間があるのは良いと思う。それでもお茶というものはやはり主役ではなく、脇役なのだな、と強く感じもする。まあワインは料理の引き立て役、という感覚も重要かと。

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そしてIさんの故郷、安城へ向かうが、土曜日の夕方でかなりの渋滞に嵌る。ここだけはIさんが運転する。かなりののろのろで、安城に到着したのは午後7時前。そこで荷物を下ろし、今日はS君の家に泊まるため、牧の原へ向かう。『東京に帰るのは明日がよい。車で送ってくれる人がいる』という言葉に敏感に反応し、ずうずうしくも、1泊お世話になり、その上、東京まで連れて帰ってもらう案に乗っかる。

 

途中サービスエリアで夕飯を食べ、夜9時半頃、牧の原に着く。そういえばS君の茶畑、見たことないというと、真っ暗な中、連れて行ってくれ、車のライトで見学。こんな夜分に茶畑を照らして写真を撮っている、どう見ても怪しい二人連れだ。人が通ったら泥棒と思うだろうか?

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その夜はS家にお世話になり、疲れもたまっていたせいか、人の家にも拘らず、早々に寝込む。本当に疲れているのは長時間運転していたS君のはずだが、すでに明日の準備に追われていた。若さというのであろうか。羨ましくもあり、無理は禁物との思いもある。まあ普通の人は私みたいに遊んでばかりはいられないのである。

 

四国・和歌山・静岡茶旅2015(8)和歌山 興味の尽きない龍神茶

5.龍神

龍神村へ

フェリーを下り、和歌山市内から龍神村へ向かう。私は完全に方向を失っており、一体どこを通っているか全く分からなくなっていた。この付近に来るのは初めてであり、地図を眺めたこともないので、龍神村がどの辺にあるかも分からない。龍神という神秘的な名前が益々神秘的になる。

 

有田の辺りを通過した。昔は有田みかんといえば有名で、父が良く食べていたのを思い出す。八百屋の次男だった父はみかんやスイカの良し悪しを見分けるのが上手く、父の買って来たみかんは常に甘かった。途中道の駅に寄る。K和尚は知り合いの工房がそこにあるというので挨拶に行く。さすが和歌山、和尚の地元である。が、彼も高野山から近い龍神村に足を踏み入れたことはないらしい。

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そして約2時間かけて龍神村付近に着いた。カフェに飛び込むと、そこには龍神茶の関係者が首を長くして待っていてくれた。早々にまた車に乗り、茶農家さんを訪ねることになる。龍神茶は晒青緑茶と言われ、プーアール茶の原料茶のようなものだ、と以前聞いたことがある。一体それはどんなものだろうか。

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宮脇さんのお茶

更に車は30分ぐらい山道を入る。龍神村はその面積の70%以上が500mを越える山に囲まれている山岳地帯。きれいな道路はあるが完全な山の中に、茶農家宮脇さんの家があった。バス停が目の前にあったが、1日2本しかない。殆どの人が車で龍神温泉へ向かうようだ。周囲はいい感じの山に囲まれている。まずは家に上がり、お茶を頂く。この家には以前秋篠宮様がやってきたとかで、それ以来、お茶を献上しているという。その貴重なお茶を早々に頂戴する。確かに雲南あたりで飲んだお茶、ミャンマーで緑茶と言っているお茶に似ている。

 

作り方を聞いていると、茶葉を炒めて、揉んで、天日干しする。先日行ったタイ北部、メーテンの緑茶の作り方によく似ていた。やはりここのお茶は雲南、タイ、ミャンマー辺りから渡来したのではないか。しかしいつ頃、誰がここにお茶を持ち込んだのだろうか。四国同様その歴史は謎に包まれている。恐らく書かれた資料は存在しないだろうし、推測の域を出ないだろう。

 

気になったのは、この辺の人は『明るい人が多い』という話。以前富山のバタバタ茶の里、蛭谷を訪ねた時も、この集落だけ、人柄が他と違う、実に明るいと聞いたのを思い出す。渡来人が祖先と決めつける材料には乏しいが、決してありえない話ではない、ということだろうか。四国の高地同様、黒潮に乗って太平洋から和歌山に着いたのだろうか。龍神という名前がどうしても中国を想起させる。徐福伝説なども頭を過るが短絡すぎるだろうか。このお茶と同じ製法が広東省にあった?という話も以前聞いた。本当に興味は尽きない。

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宮脇さんがとても丁寧に茶畑を案内してくれた。何だか盆栽のように茶樹が丸く刈り取られている。シカやイノシシの被害に遭わないように、防御のネットがあるところもある。自生の山茶が原料とのことだったが、ここではしっかり管理されている。既にお茶を作る人も少なく、茶は貴重、幻になりつつある。陽が西に傾いてきた。茶畑の自分の影が伸び、帰る時間を告げていた。

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最後の食堂と温泉

夕飯を食べる場所がない?ということで、龍神最後の食堂を予約してもらった。予約というより、これから行くので、閉めないで待っていて、という依頼をしたということだ。日高川沿いに走っていくと、その食堂が見えた。周囲は釣りをする客ぐらいしか来そうも無い場所。

 

店内は如何にも昔の大衆食堂の雰囲気を残しており、いい感じだ。有名人のサインなどが飾られており、ロケなどで立ち寄った形跡がある。アユ釣りが解禁になるとここで入漁券を購入するらしい。ここはアユ釣りのメッカ!ご主人も釣り人で、これから忙しくなるらしい。食事はあまごという魚を焼いた定食。まあなんとも贅沢に2尾も付いている。またまた日本の良さを堪能した。

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そして本日の宿泊先、龍神温泉へ。立派な温泉宿があり、料金も高いが、我々はその別館で素泊まりして、安く上げる。ナイス!男三人、布団を並べて寝る。温泉は、川を渡った本館にある。川には吊り橋が掛かっており、高所恐怖症の私には難易度が高そうだったので、小雨を口実に車で送ってもらう。温泉は立派で、日本三大美人の湯?という触れ込み。何だか肌がすべすべした気分になる。それにしてもこうも連日温泉三昧。そして風呂から出るとお茶三昧、もうあり得ないほど、満たされた世界を送っている。実に、実に有難い。Iさん、S君には感謝の言葉もない。

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