「日本」カテゴリーアーカイブ

ダラダラ佐賀まで茶旅2015(1)お伊勢参りは夜行バスで

《ダラダラ佐賀まで茶旅2015》  2015年9月10-16日

 

激走ミャンマーの列車旅から1か月、腰痛も完治せず、ずっと立ち直れずにいた。日本はお盆シーズンで旅行するには適していないことを言い訳に、東京でゴロゴロしていた。その内に北京で世界陸上が始まり、連日ワクワクしながら、そして北京オリンピックを思い出しながら、テレビで見ていた。8月下旬、東京は異常気象で涼しかった。それがまた、タイ帰りの私の体調を不安定にした。

 

家族も『どうして毎日家にいるのだろう』といぶかるような目で見始める。確かに会社を辞めてから4年半、こんなに長い間東京にいたことはなかった。そろそろ旅に出ずにはいられない。8月下旬、嬉しいお誘いが来た。昨年九州北部の茶旅でお世話になった佐賀のOさんが『今年は南九州へ行きますか』と聞いてきてくれた。渡りに船とばかり、お願いした。

 

そして東京から佐賀までの格安航空チケットを探していたところ、なぜか帰りの佐賀-成田が僅か1000円で出ていたのだ。これは買うしかない、と前後も考えずにネットで購入し、Oさんに連絡した。ところがその後Oさんから一向に連絡がない。ニュースを見ると南九州に台風が上陸、相当の被害が出たらしい。9月に入り、恐る恐る聞いてみると、やはり台風の被害があったということで、茶農家さんへの訪問は難しい、ということで、今回の茶旅は来年に延期となってしまった。

 

ところで残ってしまったのが、佐賀-成田のチケット。1000円とは言いながら、諸費用と預け荷物代を入れると3000円ほどになっており、何となくもったいない。それよりなによりも私は旅に飢えていた。そこで思いついたのが、『佐賀まで行って春秋航空に乗る旅』という企画。今まで行きたかったが、行けていなかったところを巡りながら、佐賀まで行くことにした。何とも珍道中の様相を呈しているが、果たしてどうだろうか。基本的に新幹線、特急、などは使わない。

 

1.伊勢

9月10日(木)

伊勢まで夜行バス

最初の目的地は伊勢にした。三重県は日本で3番目に茶葉が採れる所だが、正直知名度は高くない。一度は訪ねてみようと思っていたが、なかなかご縁も出来なかった。ところが昨年ヤンゴンでKさんと出会った。Kさんは三重で不動産業をやっており、その後早くからミャンマーでも不動産関連の仕事に従事していた。地元の有力者ということで、お茶とは関係がなかったが、アレンジをお願いしたところ、快く引き受けてくれた。お茶と関連のない、このようなご縁が実に嬉しい!

 

伊勢に行くにあたり、一つの問題が出てきた。ちょうどその日、北京から友人がやってくることになったのだ。さて、どうするか?翌日にするか?何となくネットで検索すると伊勢方面行きの夜行バスがあるのに気が付いた。これだ、と思い、予約した。格安とは違い、ちゃんとしたバスのようで、料金は7200円だったが、1泊する料金を考えれば、決して高くはない。

 

当日、蒲田で友人との再会を果たし、その後一端家に戻り、夕飯を食べる。荷物を持ちだし、再度新宿へ向かった。21:50、新宿駅西口乗車となっているが、空港行きのリムジンバスバス以外、そんな所に長距離バス乗り場などあっただろうか。しかも示された場所は、何と以前早稲田の事務所に通っていた時に、度々乗っていた都バスの乗り場の奥だった。あれだけ何度も乗ったのだが、初めてここがこのような用途にも使われていることに気が付く。

DSCN6607m

 

今回は伊勢方面に行くので、三重交通のサイトで予約したつもりだったが、なぜかやってきたバスは西武バスだった。確か軽井沢に行く時に池袋から乗った記憶がある。しかしなぜ?どうやら地元のバスと共同運航のような体制をとっているらしい。やはりバスは大宮から池袋経由してやってきた。乗車時間が遅れるだろうと思っていたが、何と正確にバス亭に着いた。

 

乗客は多くない。席は3列で、快適そうだった。毛布が席に置かれており、早々に被る。車内はかなりヒンヤリしていた。バスは直ぐに出発したが、私はお土産の袋を上の棚に乗せ、バックは座席の前に置いた。席は3列の真ん中、前はある程度空いており、席を後ろに倒しても問題なさそうに見えた。だが、後ろに倒す方法が分からず、まごまごしてしまう。すると斜め後ろの女性が親切にもやり方を教えてくれた。かなり乗り慣れているようだった。

DSCN6613m

 

バスは1時間ほど行って、なぜか立川で停車、数人が乗車してきた。このまま中央道を走って行くらしい。0時半頃、双葉東サービスエリアで休憩があったが、安い深夜バスと違い、それから先はサービスエリアには全く寄らなかった。明け方から三重県内に入り、四日市、松坂など数か所に停車後、午前7時過ぎ、定刻通りに伊勢市駅前に到着した。誰もいないバス停ではKさんがにこやかな笑顔で迎えてくれた。天気も良く何とも有難いスタートとなった。

DSCN6612m

DSCN6614m

 

梅ヶ島茶旅2015(5)梅ヶ島を思う人々

梅ヶ島を思う人々

SさんとHさん、そして私の3人は、再び昨晩宿泊した古民家へ戻った。そこでKさんたちとしばし歓談した。昨晩の鹿肉ソーセージが美味しかったと話すと、また焼いて出してくれた。KさんやOさんもこれから東京へ引き上げるので、残さず食べようということだ。またこの地域の活性化を如何に進めるかという話になる。今日も実際に見た通り、いい自然資源を持っており、利用できそうな土地もあるこの街だが、それを評価しているのは外から来た人々だけ。

DSCN5081m

 

地元の人はそこのところになかなか気が付かず、また気が付いてもそれらが生かされていないのが残念だと皆がいう。だが地元の人が主体的に動かず、外から来た人だけがイベントを仕掛けたり、勝手に何かを夢想してみても、決してうまくは行かないことは、誰もが分かっていることだろう。ただ狭い社会での物事の運び方、歴史的、人的な様々なしがらみや固定概念など、簡単に解決できない問題も多く、地元民だけでは動きにくい面もある。日本の地方で最近よく聞く話である。

 

それから急遽、お茶農家を一軒訪問した。この辺りでも高齢化が進み、お茶農家は少しずつ辞めていき、数が減ってきているという。訪ねた農家では従来から作っている煎茶に加えて、紅茶栽培にも力を入れていた。やぶきた以外にも紅茶品種を植え、本気で美味しい紅茶作りを目指している。茶畑管理もかなり入念に行っているとのことで、よい茶を作ろうとする前向きな姿勢が良かった。後はいいお茶を作っても上手く売れるか、という問題かもしれない。

DSCN5086m

 

Sさんの別荘に行く。彼女はご主人の関係で海外暮らしが長く、今はドバイと日本を行き来している。18年前にこの別荘を買い、1年のうち、2₋3か月はここにきて過ごしている。彼女とお茶の出会いも、まずはこの土地が気にいったところから始まったという。家の前には茶畑が広がっている。

DSCN5083m

 

この家のすぐ近くに、昨晩囲炉裏の食事会で私の横に座っていた夫婦の別荘があるというので、そこへもお邪魔する。普段は静岡市内に住み、週末だけここへやってくる。彼らは何と、鹿肉を使って、鹿肉のハンバーガーを作っていた。これを食べさせてもらったが、さっぱりして実にうまい。これは商売になるほど質が高いと思う。今は知り合いに分けているだけだが、秋に行われる地元のイベントに出品するつもりだという。ただ鹿肉は沢山確保できるものの、バーガーの数量を作るのは大変らしい。既にこの別荘に通って10数年。地元の良い物を使っていこう、他の人にも知らせていこう、いや伝えたいという意識は地元民よりむしろ高い。

 

そして何と、この別荘は4年の歳月をかけて、自らの手で、梅ヶ島の木材を使って建てたというから驚きだった。更には別荘の一室に、地元の木材を使った癒しの空間まで作っていた。はめ込み式の材料を地元企業に加工してもらい、誰でも簡単にできるように工夫したという。この部屋に入ると、木の香りがして、確かに何とも言えない心地よさがあった。『マンションの一部屋だけ、この木材を使えばいいんです。費用もそれほど高くはない。あなたの家に梅ヶ島を』というキャッチフレーズに売りだしたらどうかと真剣に考えている。地元の主要産業である林業の活性化にも役立ちたいという。いい感じであり、東京のマンションの一室を林に替える、悪くない発想ではないだろうか。こんな部屋で暮らしてみたい。

DSCN5088m

 

今晩はSさん宅に泊まる予定だったが、Hさんが急遽東京に戻りたいと言い出した。私は流れに任せる。ところが車を運転する予定のSさんは2日間のツアーで疲れ果て、持ち帰る荷物の整理もままならない。このまま運転しても返って危険ではないか、ということで、1時間ほど仮眠をとった。私は免許証を持ってはいるが、30年間一度も運転したことがないので、申し訳ないが、運転を替われない。そして午後8時に大きな荷物を車に詰め込み、出発。

 

当初は『運転できない』と言っていたHさんがハンドルを握った。え、大丈夫かと思ったが、全く問題なく、暗い山の夜道を川沿いに軽快に進み、静岡の高速道路のインターチェンジまで無事にたどり着いた。Hさんは普段東京では運転しないのだが、今後は田舎暮らしを検討しており、実は運転は堅実で上手だった。こんな意外性もまた面白い。それにしても昨日のバスは梅ヶ島まで1時間半かかったが、今日は1時間弱で戻る。車なら早いことを実感。

 

それからはSさんが高速を快適に運転してくれ、懸念された渋滞に引っかかることもなく、3時間で東京に着いた。夜中に自宅に戻ると、家族が『あれ?』という顔をしたが、誰も何も言わなかった。いつものことなので、『また気まぐれな旅をして』と思われただけだった。今回は茶旅として行ったつもりだったが、色々な要素が絡み合い、実にユニークな旅となった。気まぐれな旅が出来る幸せ、を噛みしめよう!

梅ヶ島茶旅2015(4)天空の茶畑

天空の茶畑

そしてついに天空の茶畑へ向かう。車に乗って山道を登って行くと、所々に茶畑がかすかに見える。かなり急な斜面に茶畑が作られており、何でこんなところに、と不思議に思う。駐車場がないため、茶畑の下の道路に車を停めて、歩いて登るとその坂の急な様子がよく分かる。そこには一軒の農家があり、その裏をさらに上ると茶畑に到達した。そしてそこには何と『日本一高い茶畑 海抜1000メートル』と書かれているではないか。えー、僅か海抜1000m程度で日本一高い場所にあるとはどういうことか、俄かにはとても信じられない。

DSCN5024m

DSCN5043m

 

これまでアジアの茶畑を色々と巡ってきたが、標高1000m以上の茶畑はどこにでも見られた。台湾では高山茶の定義が『海抜1000m以上の茶畑』と言われているぐらいだ。私が訪ねた一番高い茶畑は標高2500mを越える梨山というところだった。インドの南部でもアドベンチャー旅行をして、この凄いアップダウンの末、標高2160mの紅茶畑に行った記憶がある。日本には本当に1000mを越える茶畑は1つもないのだろうか。緑茶栽培なので、高いところはむしろ弊害が多いということだろうか。標高が高ければよいということでは決してないが、ただ驚くしかない。

 

その茶畑は斜面の狭い空間に整然と茶樹が植えられていた。数年前、管理する人がなくなり、耕作放棄地となったものをSさんが借り受けたのだという。向こうに山並みが見える。斜面の上の方から茶畑を眺め回すと、何とも言えない豪華な風景が広がる。雨の予報もあったが天気は崩れず、天空の茶畑、実にいい眺めだ。農薬などは撒かず、肥料も最小限に抑えているということだったが、この環境なら、茶葉の生育にはよいかもしれない。今年の一番茶の茶摘みは既に終わっており、1₋2週間後には再度元気に吹き出してきた茶葉を摘む予定だとか。

DSCN5022m

 

ツアーメンバーはこの風景を見るだけで十分に満足しており、記念写真を撮ることに夢中になっている。よく見ると付近にも点々と小さな茶畑が見えている。一体なぜこんな山の中で茶作りが行われてきたのだろうか。地元の人と話していると『ああ、あそこは武田の間者だったから』などという言葉が普通に出てきて驚く。武田とはあの甲斐の武田信玄などで有名な武田氏のことである。この場面で400年以上前の歴史上の人物がいきなり登場するのがすごい。

DSCN5033M

 

『この辺りは戦国時代に武田氏と今川氏が領土を争った場所』であるらしい。いまだにこの地域では、あそこは今川、ここは武田などという言葉が普通に語られるというから、その歴史にはよそ者には知り得ない、かなり根深いものがあるのだろう。そして何といっても、農民が間者となり、敵の動きを知らせていたということが、興味深い。これも平家の落人伝説などと並んで、1つの茶の歴史といえるであろう。これほどの山の中だから、木こりをするか、茶農家をするのが、怪しまれず、適当だったということか。もし敵方がこの山を越えて領内に攻め入ろうとすれば、きっと狼煙を上げて知らせたことだろう。今川が衰えた後は徳川が相手だったのだろうか。

DSCN5019m

 

先ほど通り過ぎた農家に上がり込み、お昼ご飯を食べる。広々とした畳の部屋に地元の人が作ってくれたお弁当が用意されていた。この家は今や誰も住んでおらず、お願いすれば宿泊も可能、食事はないがいわゆる農家民泊としても利用できる。かなり広いスペースがあるので、大勢でワイワイ合宿するのも面白いかもしれない。縁側から山の景色を眺め、疲れた体を休めつつ食べるお弁当は実にうまい。因みにこの家の納屋には製茶道具などが今もそのまま置かれており、昔からお茶作りが行われていたんだな、ということがよく分かる。

DSCN5048m

DSCN5053m

 

地元の人によれば、『昔はなんでも自分たちで作ったよ。この家の漬物が美味しいとこのあたりでは評判だったな。電話などない時代、子供が学校に行くと帰り道で手紙を託され、それで漬物を発注したり、その見返りにお茶を渡したり、そんな暮らしだった』と懐かしそうに話す。

 

食後はダラダラお休み。しばらくするとHさんによる日本茶講座が始まった。Hさんとはお茶繋がり、香港で知り合ってもう何年にもなるが、そのお話をキチンと聞く機会はなく、どんな内容なのか、とても興味があった。急須と茶杯が沢山用意され、各自に配られる。お茶の淹れ方、新茶と少し古いお茶の違いなどを簡単に、そして丁寧に教えていた。出がらしの茶葉を残しておいたご飯に載せ、ポン酢で食べたりするパフォーマンスには参加者から思わず声が上がる。特に急須に対する強い愛情がよく伝わってきて、参加者の共感を呼び、皆が家で自からお茶を淹れようという気になる内容だった。これはとても参考になる。素晴らしい。

DSCN5060m

DSCN5065m

 

講座が終了し、このツアーは盛況の内に終了した。帰る途中、山の中で車が停まる。水が湧きだしているところがあり、その水を汲んで家に持って帰ろうとする人達がいた。お茶には水も大切、ということだろう。その後車で来た人は車で、電車で来た人はバンで静岡駅まで送られて行き、皆さんとても満足した様子で別れた。

DSCN5076m

 

梅ヶ島茶旅2015(3)安部川源流を歩く

6月14日(日)

翌朝はかなり早起きした。朝の日が差し込む古民家は何だか落ち着く。皆さん、まだ寝ていたので朝の散歩に出て見た。山の朝は本当に空気が清々しく、足取りが軽やかになる。小さな、自宅の茶畑が見え、この付近がお茶の産地であったことを実感する。道路の所まで降りてくると、梅園、と書かれた広い場所がある。梅ヶ島、という地名なのだから、昔は梅の木が沢山あり、梅の花が咲いたのだろうか。今の梅園は婦人会が面倒を見ているとある。

DSCN4966m

 

実は私の携帯はとても古い。10年前に購入したもので、山へ行くとほぼどこでも圏外となり、使えなくなる。今回は家内のスマホなる物を持ち込み、メールなどが見えられるようにしたつもりだったが、やはり古民家では繋がらなかった。ただ他の宿泊客はちゃんと見ているのでオカシイと感じ、道路まで来て携帯を見ると繋がっている。何故だか理由は分からないが、困ったものだ。何かのスイッチが入っていなかったのか、スマホの使い方を早く覚えないと、この文明国で難民になってしまう。

 

古民家に戻るとKさんたちが朝ごはんの準備をしてくれていた。朝は各自でパンにソーセージを挟み、食べている。そして野菜がたっぷり入ったスープが絶品だった。囲炉裏のところで、ホットドッグを食べ、スープを飲むと、なぜか新鮮な感覚になり、活力が湧いてきた。特に火が点いているわけでもないのに、これは実に不思議な感覚だったが、古民家パワーなのか、それともスープパワーなのか。いずれにしても気持ちよい朝を迎えられ、よかった。

DSCN4970m

 

沢下り

今日の成り行きも全く分からないので、取り敢えず荷物を持って、クリエーターチームの車に乗せてもらう。茶園ツアーに合流するため、待ち合わせ場所に向かう。皆さんの宿泊先、くさき里には、既に大勢の人々が外に出て待っていた。このツアーは某大学主催の社会人向け公開講座だと後で聞いたが、私は大学生が茶園にやってくると勘違いしており、ご年配の参加者が多いのを見て、意外感ありあり。まずは安倍川の源流を訪ねる、沢下りに行く。

 

車は山の中のきれいな林道を走って行く。この道は30年前に山梨側に抜ける道として整備されたとあるが、今は繋がっているのだろうか。車は殆ど走っていない。そして何とここまでが静岡市なのだ。これは驚き、静岡市はどこまで大きいのか。そこから道を外れ、沢に降りていく。まさに原生林、という感じの林が続く。その合間から木漏れ日が差し込み、雰囲気は実にいい。

DSCN4981m

 

水が流れるルートはくっきりと見えるのだが、実際には水は全く見られない。この6月の梅雨の時期、何故水がないのだろうか。では源流とは何だろうか。その先を歩いていくと、『安倍川の水源』と書かれた小さな表示が目に入る。そしてその辺りから、何となく水が湧きだしている。水たまりが見え、その中には小さな魚やおたまじゃくしが泳いでいた。この魚、一体どこから来たのだろうか。地下を潜ってくるのだろうか。不思議な光景が続く。

DSCN4988m

DSCN4997m

 

途中から、水量が多くなり、川のように流れていく。そこを避けて、沢の斜面を下り続ける。クリエーターの人々は思い思いの場所で足を止め、様々な考察を行っている。自撮りで動画を撮影して、イメージを膨らませている人がいる。一般参加者は、周辺に生えている草木に興味を持ち、名前を確認し合い、静々と歩いていく。このようなツアーに参加する方々だから、山道にも慣れており、植物に詳しい人が何人もいた。私は植物にほぼ興味がなく、花や木の名前を全く知らない。少しは勉強する必要性を感じるのだが、今から図鑑を見ても覚えられないだろう。

DSCN4999m

 

驚くのは、参加者が自発的にゴミを拾って持参したビニール袋に入れていること。これなどは中国人が日本に来て、もっとも感心することの一つだと言われている。このような日本の原点、自然を訪ねるツアーを中国人向けに作り、ついでにゴミ拾いもやってもらう、というのは悪い発想ではない気がする。買い物してくれない中国人は必要ない、のが観光庁の現状かもしれないが、日本の良さを体感するにはとても良い機会であるし、彼らの日本への理解が進むことは我々にとっても大いに望ましいと思うのだが、そう考える人はどのくらいいるのだろうか。中国人を金の亡者のように言う人がいるが、まずは自分たちを見直してみるのが良い。

DSCN5004m

 

30分ぐらい歩いて、ようやく林道へ出た。意外と歩くのが大変な場所もあり、ちょっとしたトレッキングだった。そこから運転していた人たちが出発地点まで車を取りに行ってくれ、黄金の里、という施設に行き、休憩した。ここには温泉があり、売店もあった。売店では、地元で採れた新鮮野菜の他、棒茶と呼ばれるお茶が売られていたが、これは何だろうか。トレッキング中に蛭に刺された人がおり、脹脛から血が。すぐに地元の人の指示で薬が塗られた。

DSCN5010m

梅ヶ島茶旅2015(2)古民家で囲炉裏を囲んで

古民家で囲炉裏を囲み

そして言われた通り、道路脇の小道を上がり、今日の宿を探す。古民家、と聞いていたが、それらしい家は見付からない。近所で聞いて何とか探し当てたが、そこは普通の、しかし大きな民家。庭が広く、車が何台も停まっていた。入口すらよく分からず、縁側から声を掛けた。玄関はかなりの年代物、開け方も分からない。中へ入ると、目の前には圧倒されるほどの高さの天井が。そして骨董品であると言える農作業の道具が一式、天井裏に放置されているのが丸見えだ。これは何とも迫力がある。凄い、一体ここは何だろうか。博物館のようにも見える。

DSCN4938m

DSCN4940m

DSCN4949m

 

Sさんから紹介されたKさんが出てきて挨拶した。私はここがどんなところで、Kさんが誰かも全く分かっていなかった。Kさんも私が誰だから分からない。ただSさんから『土曜日はツアーに参加するには時間的に間に合わないので、古民家に混ざって泊まっておいて』と言われただけである。そんなご縁、これも茶縁で1泊する、実に興味深い出会いである。

 

混ざって泊まる、とはなにか?そこには梅ヶ島の魅力を映像化するためクリエーターの人々が数人、週末の活動として来て、ミーティングしていた。私は明日彼らの車で現場へ連れて行ってもらうことになっている。見ず知らずの人のお世話になる、海外ではよくあることだが、日本ではどうなんだろうか。まあ、いつものように流れに任せるしかないと素直に従う。

 

古民家では夕飯の準備が進んでいた。土間には実に大きな囲炉裏がある。この家は数十年前、長野から移築されたとのことだが、庄屋さんの家だったのだろうか。その後家主は、青少年の宿泊施設として、ここを使っていたという。確かに大きな家で、何と温泉まで引かれていた。何十人かが泊まれるようになっている。今は高齢となった家主の代わりに、東京在住のOさんがここを借り受け、月に1₋2回、やってくる。週末にKさんや知り合いもやって来て一緒に使っているのだという。何とも優雅な週末の過ごし方に見えるが、どうだろうか。

 

囲炉裏では女性が二人で、折り紙をしていた。何を織っているのか、と聞くと、箸置きとの答え。彼女たちは、週末をここで過ごそうとやってきたKさんの知り合いらしい。特に目的があってやってくるわけではなく、ここが気に入ったので、何となく時々フラフラと来るらしい。その気持ち、ここに座っていると少しずつ分かってきた。何ともゆったりとした時間が、ゆっくりと流れて行く。猟師だという中年男性がお子さんとやってきた。地元との交流もあるようだ。古時計が時刻を告げる。その音が実に大きい。昔自分の家にもあったな、と思い出す。

DSCN4953m

 

若者が二人やってきた。胸板が非常に厚い。ラグビー部出身だそうで、一人は高校でラグビー部の監督をしているという。その二人はKさんに命じられ、囲炉裏で火を熾し始めた。これは決して簡単な作業ではない。この家の囲炉裏は巨大であり、今晩は大人数で夕飯を食べるため、三か所に火を熾している。種火を熾し、薪をくべる。焦りは禁物、じっくり時間を掛けて、吹いていく。少しずつ赤い火が見えてくると、何だかホンワカして来るのが分かる。

DSCN4958m

 

囲炉裏を囲んで夕飯が始まった。BBQ!この付近でも鹿が多く、その被害に困っているようだ。先ほどの猟師さんが鹿を撃っているが、その後の処理に困っている。Oさんはその鹿肉を使い、ソーセージを作り始めたという。鹿肉ソーセージ、そして豚肉ソーセージ、鹿と豚を半々に入れたミックスの三種類が登場し、囲炉裏で焼いて食べた。どれが美味しかったかというと、鹿肉。さっぱりした感じが好評だった。ただ地元の人たちは、鹿臭い、と言って食べないそうだ。

 

この夕食を囲んでいるメンバーも実に多彩だった。一体何人いるんだろうか。こんなに大勢でワイワイやりながらご飯を食べたのは久しぶりだった。クリエーターメンバーは皆、それなりの経歴を持ち、活躍している人々だった。発想がユニーク、話も面白かった。週末だけここへやってくるという夫婦も、この梅ヶ島を愛しており、4年かけて自分で家を建てたという。

 

こんなに人が集まるのは、OさんやKさんの人柄だろうか。地元には色々としがらみがある。その辺を打開できるのは外部の人間、ということで、過疎化が進む地元と協力しながら、何かが前へ進みそうである。言葉で色々と発するより、ここへ来て、そこで触れて、何かをやってみること、それが大事だと教えられる。他人の目を気にすることは必要ではあるが、まずは自分のために何か行動を起こしてみれば、それが他にも連鎖するということ。

DSCN4963m

 

宴会は延々と続く。私は眠くなってきたので寝る準備をする。古民家は寒い、と聞いていたのだが、囲炉裏のせいか、暖かい。私の部屋は2階に一人。ここは普段使っていないようで、何だかお化けが出そうな雰囲気だった。階段も急で怖い。夜中にトイレに起き、真っ暗な階段を降りていくのは何とも言えない恐ろしさ。皆さんは上から下へ布団を運んで、1階の広間で雑魚寝するらしい。それもまた面白そうだが。風呂に入る順番を待つうちに、何と寝込んでしまった。折角の温泉は次回に譲ることとなる。残念。だが寝心地は良かった。

DSCN4956m

梅ヶ島茶旅2015(1)聖一国師所縁の地をバスで

《梅ヶ島茶旅2015》  2015年6月13日‐14日

 

日本の茶畑に行ってみよう、ということで、東京にベースを移してみた。何しろ円安だ。今やバンコックから航空券を買うより、東京で買った方が安い場合が多いという、これまででは考えられない現象が起こっている。日本には茶畑が沢山あるし、日本を旅するコストも格段に低下してきている。

 

今回は今年3月、鎌倉のお茶講座で出会ったSさんのお誘いを受け、静岡県の梅ヶ島というところへ行ってみることにした。『天空の茶園』というキャッチフレーズに惹かれたのだが、どんなところなのだろうか。スケジュールは当初15日の月曜日に伺うことになっていたが、何とお茶繋がりのHさんもこの茶園に関係していることが分かり、『13-14日に週末ツアーがあるので参加してみては』と言われて、その気になった。だが色々と誤解もあり・・・?

 

6月13日(土)

梅ヶ島まで

突然に決まった静岡行き。梅ヶ島というところへ行くには静岡駅からバスに乗るらしい。最終バスを調べてみると、午後3時20分だったが、その日は女子ワールドカップ、なでしこジャパンの試合があり、午後1時過ぎまではテレビの前でカメルーン戦の勝利を見ていた。そして走って外へ出た。2時過ぎに品川から新幹線に乗らなければ間に合わない。かなりギリギリの選択だが、これ以外にはありえない。そもそも新幹線は料金が高いから乗らない、と決めていたのだが、あっさりとその禁を破る。これも運命、いや流れというヤツだろう。

 

品川駅に何とかたどり着いた。昼ごはんを食べていなかったので、崎陽軒のポケットシューマイを買う。これ、280円で6個入っており、安くてウマイ。私のお気に入りだ。新幹線は5分に一本というハイペースで出ているのだが、静岡駅で停まる列車は30分に一本ぐらいしかないのがやや意外だった。結局新幹線とは京都や大阪へ行く人のためにある線なのだろう。自由席に乗り込んでシューマイを食べるとすぐに、静岡に着いてしまった。僅か1時間。これで片道6000円は決して安くはないが、今回は時間を買ったので仕方ないと諦める。

DSCN4919m

 

時刻は3時を過ぎていた。駅前のバスターミナルには多くのバスが発着する。その中から梅ヶ島行きを探して、列に並ぶ。意外と乗る人がいるんだな、と思っていると、違う路線が先に来て、間違えて乗りそうになる。そして時間通りに梅ヶ島温泉が来て、乗り込む。乗客はそこそこいたが、街中を走っている間に大半が下りてしまい、30分後には私以外誰もいなくなっていた。梅ヶ島は静岡市内だと聞いていたが、何とバスで1時間半もかかる所。

DSCN4924m

DSCN4926m

 

バスは黙々と進む。片側はずっと山が繋がっている。途中蕨野というところで、聖一国師墓所と書かれた看板が見えた。静岡茶はこの僧侶が中国浙江省の径山寺に修行に行き、そこから茶の種を持ち帰った。静岡茶の始祖と呼ばれる聖一国師は「本山茶」の種を安倍川筋にまいて,静岡茶を日本一にする基をつくったとして崇められている。他に誰も乗っていないのだから、『停まって』と言いたかったが、そこは路線バス。せめて『看板の写真を撮るまで停まっていて』とは言いたかったが、無情にも信号が変わり通り過ぎてしまった。その看板、もっとじっくりと見てみたかった。

DSCN4928m

 

ところでその中国の寺、径山寺へ行ったことがある。杭州から車で1時間半、そこには静岡の人々が建てた聖一国師の石碑があり、日本茶の源流とも書かれていたので、驚いた記憶がある。寺の裏はまるで日本かと思うような風情の竹林があり、また山裾に茶畑が広がっていた。今でも寺が茶園を所有し、修行の一環として、僧侶による茶摘み、製茶が行われている。寺院内には、ちゃんと製茶室があり、製茶道具が置かれている。勿論かなりイベント化していると思われるが、それでも仏教と茶の関係、日本に何故僧侶が茶をもたらしたのかが、何となく分かる気がした。

 

安倍川の横の道をバスは遡って行く。3月に行った川根の場合も、大井川に沿って進んでいった。確か山の方には温泉もあったと思う。梅ヶ島の茶畑も同じような環境で作られているのだろうか。輸送を考えるとやはり川沿いが便利なのだろうな。そして静岡駅から1時間半を過ぎ、ついに指示された大野木、という停留所で降りた。梅ヶ島温泉まではあと6₋7㎞はある場所だった。運転手さんが何となくホッとした様子を見せた。何と乗車料金は1400円もかかった。単独の路線バスでこんなに支払ったことは今までないだろう。そこには道路はあり、ログハウスのレストランが1つあるだけで、他には何もない、トンでもない田舎へやって来てしまい、唖然とした。

DSCN4932m

DSCN4933m

DSCN4934m

茶筅の街から宇治まで茶旅2015(6)京都 新宿まで2000円の夜行バス

駐車場を借りた関係で、仕方なく、もう一つの上林の店に入り、お茶を飲むことになった。店は1階が茶葉販売、2階と言っても狭いスペースだが、喫茶コーナーになっていた。今日は既に京都駅で1回、堀井さんで1回、お茶を飲み、お菓子を頂いた。半日で3回も本格的に日本の茶を飲むのは初めてかもしれない。かりがね、抹茶と続いたので、今度は煎茶にしてみた。疲れた体にはさっぱりして、美味しい。お菓子はどこも本当に甘さ控えめで上品な味だ。

DSCN0273m

 

1階奥のトイレに行くと、その横にはとても小さいが、きれいに形作られ、彩られた庭が備わっていた。このような空間がある所が老舗らしいということか。見ていると何ともホッとする。そして日本人でよかったな、と思ったりもする。何なんだろうか、この感覚は。一番高いお茶は100g、5000円位。日本茶としては相当に高いのだろうが、中国茶・台湾茶から見えれば決して高くはない。この高いお茶を買うお客さんは果たしてどれくらいいるのだろうか。

DSCN0270m

 

上林を出て、車を駅前の駐車場に入れ直し、フラフラと歩いてみる。古い蔵などが残っており、やはり雰囲気は悪くない。Iさんが早めの夕飯を取ろうというので探したが、適当なところがなく、意外と困る。観光客は日帰りで、京都などへ行ってしまうからだろうか。ローカル商店も店仕舞いしている。宇治は早めに暮れて行く。仕方なく、ローカル食堂を見つけてうどん定食を食べる。何十年もの間、変わっていないのだろうな、という店の雰囲気と味。ちょっと寂しい気分になる。

DSCN0275m

 

4.京都2

雨の中で2000円の夜行バスに乗る

Iさんとは駅前で別れ、一人京都に戻る。駅前の宿に預けた荷物を取りに行ったが、今日も殆どお客は居なかった。立地はいいのに、何故だろうか。次回は別の宿に泊まり、その違いを見極めてみたいと思う。宿を出て、数歩歩きだすと、何と雨が降りだした。これから2時間ぐらいは散歩しながら、夜行バスの乗り場へ行こうと思っていたが、全く当てが外れた。

 

宿のすぐ近くにコーヒー200円のカフェがあった。ホテルに併設されており、きれい。この値段ならいいなと思うのだが、お客は思ったほどは多くない。電源も備えられており、Wi-Fiも飛んでいて、PCを使う環境はできている。受験勉強をする高校生、営業のサラリーマン、会社帰りのOLが軽食を食べる、などが利用している。2時間ほど雨宿りして、旅行記を書いていく。

 

少し早かったが、バスの乗り場が分かり難いので、出掛ける。京都駅から地下鉄で2駅だったので、本来ならば歩いて行けるはずではあるが、雨のせいで地下鉄に乗ることになった。2駅、当たり前だが、すぐに着いてしまう。駅には『Kyoto Wi-Fi』の表示があり、24時間、無料でWi-Fiが自由に使えた。これは実に素晴らしい、さすが国際観光都市、京都だな。

DSCN0280m

 

地下鉄の駅を出ると、そこは田舎の交差点という感じで、高いビルなども全くなく、京都駅の近くとは思えない風景だった。所々にラーメン屋などが見えるが、基本的には住宅街である。指定されたバス停は、なんと大型の駐車場。勿論屋根などもなく、これから30分以上ここで待つのは大変だというので、慌てて駅の方へ引き返した。因みにバス乗り場には係員も乗客もおらず、場所を教えてくれたのは駐車場の誘導員だった。雨の中、大変な仕事だ。

DSCN0278m

 

雨が降っていなければ、心地よい散歩ができそうだったが、そうはいかずに、コンビニに入り、飲み物を買い、トイレを借りる。バスに乗る前にはトイレに行くのは必須だが、乗り場付近にトイレなどの設備も全く見えられなかった。コンビニはトイレがお客の増加に繋がっているのだろうか。30分後にバス停に戻ってみると、既に乗客が数十人、列を作っていた。バスも次々に入ってきて乗車が始まった。雨に濡れながら、荷物を持って、自らのバスを待つのはちょっと辛い。

 

何とかバスに乗り込むと、4日前の大阪行きとはかなり違い、座席が2列2列のバスだった。これが格安夜行バスであり、前回のバスが料金の割に豪華だったことが分かる。座席は既に指定されており、座席のリクライニングも殆どできずに、隣との仕切りもなく、席はかなり狭い。但し料金は新宿まで、僅か2000円。この料金設定は破格だろう。どうやったらこんな価格が出てくるのだろう。しかもこれはキャンペーンではなく、閑散期の平日夜の一般料金なのである。もう新幹線になど乗れない。新幹線料金より1万円以上安いのだから。

DSCN0281m

 

そして行きと同様、帰りも2時間に一度サービスエリアで停まり、休憩を繰り返す。トイレにきっちり行き、眠ることは殆どなかった。今回の方が、なぜか休憩時間が長かったような気がする。取り敢えず眠ることを考えなければ、このバスの旅、それほど大変ではない。鮎沢のサービスエリアで夜が明けた。富士山を拝むことも出来た。バスは定刻の6時半前に新宿駅西口に戻ってきた。所要時間8時間弱、多少の疲れはあったが、この料金を考えると、疲れが吹き飛んだ。私は家に帰って寝込んだが、若者達は、原宿だ、ディズニーランドだと、これから東京の街に繰り出して、一日中大いに遊ぶのだろう。元気なうちが華だ!

DSCN0284m

DSCN0287m

DSCN0293m

 

今回の旅はタイ人と高野山へ行き、色々と得るものがあった上、その流れで茶筅の街、奈良高山町を訪れ、京都・宇治でもお茶三昧となった。まさにある意味での日本の茶旅の一つの形を作ったとも言えるのではないだろうか。今後も自らの茶旅を自ら楽しもうと、心に決めた。

茶筅の街から宇治まで茶旅2015(5)宇治 お茶巡り

3.宇治

お茶屋さん巡り

Hさんと駅で別れ、私はJRで宇治に向かった。この電車には何回も乗っているので慣れたものだった。本当はHさんと一緒に行く予定だった宇治。Hさんの都合が悪くなったので、一人で行こうかと思っていたが、昨日高山町から一緒だったIさんが付き合ってくれるという。彼女は高山町から宇治までまた車に乗ってわざわざ出てきてくれていた。これまた有難い。

 

駅で待ち合わせて、Iさんの車で向かった先は、堀井七茗園。ここはHさんからも勧められたので訪ねてみた。室町時代に足利将軍家が宇治茶の良さを認め,七茗園と呼ばれる優れた茶園を宇治の地に七ヶ所指定したという。現在では都市化の波で殆どの茶園が消える中、「奥の山」茶園だけが現存する唯一の生業茶園であり、歴史は悠に500年を超えることになる。それを管理しているのが、こちらのお茶屋さんだという。歴史的に興味津々の場所だ。

 

 

その奥の山茶園で栽培される茶樹から、足掛け20年の歳月をかけて、誕生した新品種。それが碾茶向きの「成里乃」と玉露向きの「奥の山」の2種類だという。特に「成里乃」は絶品である、とHさんからも聞いていた。お店では奥さんが対応してくれた。Iさんがお茶会で使うため、成里乃を購入し、お願いして、その茶葉でお茶を淹れて頂いた。このお茶、飲むとジュワッとする。説明ではうま味成分であるテアニンの含有量が、通常の2倍あるということで、これがこのお茶のウマさを出している。因みに成里乃とは、開発者のお孫さんの名前だとか。

 

 DSCN0230m

 

このお店では過去に様々な賞を受賞しており、その賞状が張り出されている。その功績は勿論素晴らしいのだが、私は違うところに目が行ってしまった。平成元年と平成22年の賞状、どちらも農林水産大臣の名前が鹿野道彦氏になっている。22年の時を隔てて、同じ人物が同じ役職の大臣になる、これは凄いことではないだろうか。いや、もしやするとそれほど日本の政治家は人材不足、特に農業分野に関しては、同じような人が携わっている、ということなのだろうか。

DSCN0237m

DSCN0238m

 

奥さんがゆっくりとお茶を淹れてくれた。ご主人は新茶の競り?で忙しいらしい。今年は出品されたお茶が数がかなり多いという。ちょっと帰ってきたが、すぐにまた打ち合わせということで出掛けてしまう。5月20日といえば、お茶屋さんにとっては多忙な時期なのだろう。新茶を求めて店頭には引っ切り無しにお客さんが来ている。ここだけを見ると日本茶もまだニーズがあるなと思う。

DSCN0236m

 

奥さんに場所を教えられて、奥の山茶園を見学することにした。車で出掛けたが、歩いても行けるほど近い住宅地の一角に、ひっそりと囲われて茶園が存在していた。ここは少し高台になっており、室町の昔は、家など全くない、小山の上に茶樹が植わっていた、という想像は十分にできる。宇治市名木百選にも選ばれている、との表示もある。こんな住宅街に突然茶園が出現したら、驚くだろうな、けれど周囲の眺めも良かっただろうな、という立地である。

DSCN0249m

 

茶葉の刈り取りは既にある程度終わっており、覆いも外されている。思ったより低木であり、すごく古い、歴史が感じられる茶樹とは思われなかった。茶樹の下には大量の茶葉が落ちており、これがこの茶樹の栄養素になっていることがよく分かる。近年は下の方の茶葉まで刈り取って、ペット原料にする、との話も聞いており、この畑の豊かさは際立っていた。

DSCN0245m

 

何だかんだで時間は過ぎて行く。宇治茶の歴史を知ろうというので、上林の記念館へ向かったが、既に4時を回り、閉館の時間になっていた。ただ聞いてみると見学してもよい、ということだったので、中に入れてもらう。入口の門が実に立派である。約300年前に作られたものらしい。展示物も戦国末期から400年余の上林家と茶の歴史で埋められている。上林竹庵という人が関ヶ原の直前、伏見城で石田三成に攻められて討ち死にしたという。その忠節が家康との結びつきを強めた、上林家が繁栄した話など、如何にも戦国時代の茶の歴史であろう。

DSCN0252m

 

お茶壺道中、という江戸時代に行われた宇治の茶葉を豪華に運ぶための茶壺も展示されている。将軍家や諸大名から厚い庇護を受けた宇治の茶師たちの様子がよく分かる。上林はその筆頭であったが、明治維新で顧客を一気に失い、煎茶や玉露を扱う茶商に転身していく。

DSCN0267m

 

実はこの博物館には駐車場がなかったので、少し離れたもう一つの上林と書かれた店の奥に駐車した。ところがお店の人が、『あそことは経営が違うので、こちらで何か買ってもらわないと駐車はできません』というではないか。同じ上林という名前を使い、同じ通りに店を出しているというのに、これはまた何ということか。聞けば、兄弟で仲が悪いのだとか。我々一般顧客には一体何の話か全く分からない。この辺が京都らしいところなのだろうか。

 

茶筅の街から宇治まで茶旅2015(4)京都 駅構内でかりがね茶

5月20日(水)

喫茶文化史

駅前のゲストハウスには本当に2人しか泊まっていなかった。翌朝はゆっくり起きて、1階の居間でネットを繋いで、ダラダラ過ごす。私の旅には休息のための、ダラダラ時間が必要である。年齢的にも無理できる歳ではなく、また無理してもよいことは一つもない。天気は良いようだ。宿の管理人の女性2人はいつの間にかどこかへ行ってしまい、誰もいない。

DSCN0213m

 

そこへ工事現場の人が入ってきた。工事をするにあたり、近所にご挨拶に来たというのだ。勿論鍵は掛かっていなので、簡単に中に入ってきてしまう。もし私がいなかったらどうなるのだろうか。アジアなら色々と危険だと思うのだが、日本はやはり平和な国なのであろうか。

 

今日はお昼に日本茶喫茶文化史を研究しているHさんとランチの予定がある。昼前に宿をチェックアウトし、荷物を預けて出掛ける。荷物はちょっと心配だが、まあ大丈夫だろう、日本だから。宿の周囲は駅前とは思えない、昔の路地の雰囲気を残しているところがある。観光客向けのお茶屋などもある。京都駅まで僅か5分で着く。駅に入ると『海外の方専用案内所』がある。さすが京都と思ったが、簡易な場所に係員は1人いるだけ。外国人観光客は沢山来るのでとても対応しきれない。英語で電車の時刻表が張り出され、『取り敢えずそれを見て』という対応になっている。日本を代表する観光地、京都、それでいいのだろうか?

DSCN0214m

DSCN0218m

 

Hさんとの待ち合わせはSUVACO。伊勢丹とも書かれており、何だか良く分からないが駅に併設されたデパートらしい。3階へ上がると、レストランがあり、既にHさんが椅子に座って待っていた。ここは予約ができないので、順番を取っていたという。有難い。Hさんとは3月に鎌倉で、彼女の講座を拝聴した。数日前にFBで『宇治にいらっしゃい』という誕生日メッセージを頂いていたのだが、ちょうど訪ねようと思っていた宇治の茶問屋さんが上海の展示会に行っており、会えないことが分かった。そこでダメもとでご連絡したところ、心よく会ってくれた。これまた有難い。それにしてもまさか数日後に京都に来るとは思わず、メッセージをくれたんだろうな、きっと本人も驚いていることだろう、と思いながらの再会となる。

DSCN0219m

 

美味しいさば寿司を食べながら、色々とお話を伺う。日本史におけるお茶の歴史は、茶道史を除くと、研究者は殆どおらず、文献研究も進んでいないことが分かる。ある意味でHさんがこの研究分野を開拓したとも言える。彼女は頑張っているが、如何せん他に人材がいない。大学でもお茶の歴史を扱うところは少なく、人が育つ環境はない。全国に眠っている資料は、古い家やお寺などにかなりあると思われるが、調べたくてもとても手が回り切れない状態らしい。文献調査が進まないと、皆が都合の良い歴史を作り出し、妄想が膨らみ、根拠なく広まって行く。また一度定着した歴史を修正するのには大変な労力がいるのだそうだ。

DSCN0220m

 

話の中には、昨日出会った福寿園のIチーフやHさんも出てきた。彼女らがとても熱心な、貴重な研究者であり、今後の新たな歴史を切り開いて欲しい人材であることも分かった。私は日本茶を発展させていく上では、単に味や香り、価格だけではなく、文化、歴史に根差した付加価値の向上が重要だと考えている。イギリスや台湾などと日本のお茶には、そこに大きな違いがあるのではないだろうか。喫茶文化史は本当にこれからの研究分野であり、私もここに大いに注目している。

 

食事を終えると、『お茶を飲みに行きましょう』と言われる。どこへ行くのかと思っていると、新幹線の改札口に向かう。何とそこで入場券を買い、中に入る。まさか新幹線に乗るの?とは思わなかったが、ワクワクして面白い。土産物屋などが並ぶ中、きちんとした和菓子のお店があり、そこには喫茶スペースも設えられていた。『ここは隠れ家です。裏ワザ、裏ワザ』とHさんはいたずらっ子のように笑いながら言ったが、本当に得難い経験ができた。

 

確かに新幹線に乗る人しか来ない場所であり、お菓子を土産に買う人はいても、喫茶するお客さんは多くない。入ってきたお客さんでも電車の時間になると出て行くので、実に落ち着いたスペースになっている。しかもお菓子とお茶は本格的だから、我々にとってこれ以上の場所はない。

 

早速お菓子とかりがね茶を頂く。この茎茶が私は大好きだ。値段は高くないし、味も悪くない。いぶし銀、という感じだろうか。自分でお湯を注いでお茶を淹れるのもよい。美味しい生菓子と干菓子も出てくる。引き続きHさんのお話を伺い、何とも贅沢な時間を過ごした。尚入場券は2時間以内有効なので、あまりにまったりしてしまうと、出られなくなるので、気を付ける必要がある。

DSCN0224m

茶筅の街から宇治まで茶旅2015(3)京都 福寿園、中国茶茶房、そしてインドカレー

福寿園本店

さすがに京都は車が多いが、それでも渋滞というほどではない。但し駐車場を探すのはとても大変だ。我々は福寿園本店に向かった。3月にIさん他と四国の茶旅に出た時、紹介されたのが大学院でお茶の歴史を研究しているというHさん。日本で茶道以外の茶の歴史を研究している人は多くないとのことで、機会があれば、是非会ってみたいと思っていた。彼女は京都に住んでいるので、ちょうどいい機会だと思い、連絡したところ、今日は福寿園でアルバイトをしているとのことで、ここに来ることになった。ここを訪れるのは初めてである。

DSCN0200m

 

福寿園京都本店は四条烏丸の四条通に面している。地上6階、地下1階のビルであり、各階にはお茶に関する展示、レストラン、喫茶コーナー、茶葉販売、体験スペースなどが配置されている。このビルに来れば、日本茶のかなりの部分を味わえる仕組みができている。その中で今回は地下1階に来るようにと言われていた。果たしてどんなスペースなのだろうか。

 

『宇治茶のMyTea工房』と銘打って、プロ仕様の設備で好みの味や香りの茶葉を独自にブレンドして、作ることができる、というスペースだった。更にはお茶の美味しい淹れ方やブレンドの仕方を教える本格的なセミナーなども開かれる。先ほどの茶筅を使った手軽な抹茶講座などという企画もあるようだ。このようなイベントを支えるために。このフロアーで働いている人は、皆日本茶インストラクターの資格を持ち、それなりの経験を持っている人だけで固められている。

 

今回訪ねたHさんもその一人。我々が訪ねた時は、特にイベントもなく、お客さんもいなかった。カウンターに座り込み、初対面にも拘らず、旧知の間柄のように、お茶を出して頂き、話し始める。勿論Iさんが知り合いだったことが大きいが、やはりお茶繋がりはいいな、と思う。話題には困らないし、年齢の違いなども考える必要がない。彼女が先日行った富山のバタバタ茶の話、四国の碁石茶などの話も、FB上で既に見ているので、違和感がない。翌日HさんのFBを見ると『滅茶苦茶人見知り』だとあったが、我々の間には何の問題もなかった。面白い。

 

このフロアーにはもう一人、Iチーフがいた。偶々福寿園に就職したIチーフは、そこからお茶に興味を持ち、ついには会社を辞めてお茶の歴史を勉強するために大学院に進んだそうだ。そして大学院を卒業した頃、福寿園にこのスペースができ、会社から声が掛かって、出戻ったという。さすが芸は身を助く、ということだろうか。ここには様々なお茶の情報が入るし、お茶関係者との往来も多いはず。そして何よりもお茶に触れる仕事ができるということが貴重だと思われる。これはHさんも同様で、お茶に関係した仕事、がポイントで、ここでバイトしている訳だ。そしていい先輩、Iチーフから得られるものも大きいだろう。

 

ISO茶房再訪とインドカレー

楽しい時間は直ぐに過ぎていき、福寿園にかなり長居してしまった。今日の夜は、ISO茶房のISさんと、食事をする予定にしていたので、慌ててIさんの車で向かう。京都の街は渋滞がかなりひどい、という印象があったのだが、この日は四条から金閣寺までそれほどの時間は掛からなかった。

 

ISO茶房を訪問するのは2回目。ISさんとは昨年台湾で、お茶のご縁で知り合った。この茶房、町屋風の建物、織物工場をリノベーションしており、天井も高い。かなり雰囲気の良いお店に仕上がっている。ISさんの強いこだわりが感じられる。ここでは台湾の高山茶、岩茶などを淹れてもらった。日本茶の福寿園から中国茶、台湾茶へ。なかなか面白い変化である。

DSCN0201m

 

そこに電話が入る。29年前に上海で私の中国語の家庭教師をしていた中国人女性Wさんからだった。彼女のご主人Hさんの実家は金閣寺のすぐ近くだと聞いてはいたが、ちょうど今、そこにいるというのだ。15分ぐらいして、彼女は本当にやってきた。IさんもISさんも驚いただろう。突然中国人女性が現れたのだから。

 

しかも彼女は店に入るなり、この店が気にいってしまい、『ここを買ったらいくらぐらい』とか『改修費用はどれくらい?』とか、ISさんを質問攻めにした。今の中国人の一部には、日本の文化を感じさせる家屋に興味を持つ傾向があり、そして出来ればそれを手に入れたい、という欲求があることが分かる。だが、それにしても、お茶をゆったり飲む、という文化より、頭は不動産投資になってしまうのだろうか。

 

1時間ほどお茶を飲んでいると、先ほどのHさんがバイトを終わり駆けつけてきた。彼女も日本茶だけではなく、台湾茶にも興味を持ち、この茶房にも一度来たかった、というので誘ったのだ。京都にいても、お茶という共通点があっても、なかなか機会がない、というのは、ちょっと残念な話。お互いがで会うために、何らかの仕組みが必要かな、とは思う。

DSCN0202m

 

夕飯を食べに外へ出た。魚の美味しい店があるというので、行ってみるとなぜか既に閉店していた。そこでその近くにあるインド料理屋へ進む。京都で、日本茶と台湾茶を飲んだ後に、インドカレー、というのは実に意外な展開でよい。このお店、インド人オーナーがやっており、味は本格的。ボリュームは学生向けのようで、凄い。かなり気にいってしまった。ここでもカレーを食べながら、日中お茶談義となり、何とも楽しい夜だった。帰りはIさんの車で京都駅前まで送ってもらった。

DSCN0203m