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ダラダラ佐賀まで茶旅2015(11)博多で水炊き

5.博多

ホテルでケーキ

私は小倉と博多がどのくらい離れているかも知らずにT社長にアポを取った。今晩は博多で約束があるが、そんなに離れていないと思い、寄り道したのだ。だが何と快速電車でも1時間20分かかっていた。これは急がないと、夕方会う予定にしたK社長との約束にも間に合わない。小倉散策がほぼ不発に終わったのは、事前調べが全くなかったからである。残念。

 

何とか博多駅に着き、駅近くに取ったアパホテルに行く。ちょっと分かり難い場所だったが、駅からは近い。部屋からK社長に連絡を入れると『あれ、今日だっけ?』という反応。あれ?それでもすぐに来てくれるというので部屋で待っていたが、いつになって来ない。あれれ?結局K社長はホテルの場所が分からず、すぐ近くのクラウンプラザで会うことにした。

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ホテルのティールームに入ると、コーヒー1杯900円、ケーキセットは1200円。さすがクラウンプラザ。コーヒーはお替り自由、ということもあり、ケーキも食べることになる。例えば900円のコーヒーはどう見ても高いが、そこそこに質が良く、お替り自由なら、それは結果的に高いのだろうか。まあK社長にご馳走になったのだから、ラッキー!ご馳走様でした。

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K社長とは、インバウンドビジネスや中国関連の話題で大いに盛り上がり、気が付くと、既に時間は6時半。7時の約束の場所もよく分かっていなかったので慌てるが、K社長が車で送ってくれた。この時間、東京ならもう少し車が混んでいそうだが、博多ではそんなことはなかった。ただ食事の場所は少し分かり難く、何度も細い道を曲がり、何とか到着した。

 

水炊き

約束の時間ギリギリにそのお店に滑り込んだ。昨年も福岡を訪ねた時に美味しいところに連れて行ってくれたYさん夫妻、Fさん夫妻と博多名物の1つ、水炊きで再会した。このお店、博多でも老舗だそうで、既に満員の盛況だった。ベテランのおばさんたちが、さっさと鍋の準備をして、どんどん作っていく。

 

まずは突き出しを食べる。この酢もつ、歯ごたえがあっていい。スープも飲んでみる。当然だろうが、いい味出している。その間に、スモークチキンが出てくる。もう鳥肉好きの私には堪らない。バクバク食べてしまう。鍋には鶏肉が入れられ、その肉が取り出され、食べていく。鍋にはいい出汁が残る。そこへ鶏団子が加えられていく。最後はおじや、ああ満足だった。

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Y夫人は最近病気をしたとのことだったが、元気そうで、新たな仕事を考えていた。F夫妻はこの後すぐに北京に行くという。耳鼻科医のF夫人からは『耳掃除は一生しなくてよい』と言われ、ちょっと驚くが、理屈を聞くと納得できるので、チェレンジすることにした。耳掃除、大好きなんだが、息子も掃除しすぎて、返って耳鼻科のお世話になっているという事情もある。

 

食後Y夫妻と別れて、F夫妻の案内で、中州のとてもユニークなバー?に行く。どう見ても知らなければ入れない、古民家のような佇まい。そして何と店自体が燻されているような香り、隠れ家的な雰囲気。独特の燻製を出すお店だった。すごく暗い店内、カウンターに座り、お酒を飲みながら、寡黙な店主が燻製したという食べ物を食べる。ここでFさんからお酒の話を聞いていると、珍しく酔いが回りそうだった。燻製、お茶にも関連するその何とも言えない響き。因みに今回も博多名物、ラーメンと豚バラには行きつかず、お預けとなった。

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そして地下鉄の駅までご一緒して別れた。F夫人から、『博多駅方面の電車に乗るんですよ、2駅目ですよ』と2度も念を押されたのに、何と貝塚方面の線に乗ってしまい、また中洲川端まで戻る。何故だ?何とか博多に着いたが、かなり時間をロスした。これも燻製の香りのせいだろうか。まさか博多駅の向こうに福岡空港があるとは思わなかったのだ?単なる言い訳だが、空港が近いというのは悪くない。

 

9月15日(火)

八女へ

翌朝は早起きした。今日は八女の奥地に向かう。車の運転ができない私はレンタカーを借りることもできずに、電車とバスで。そのため、博多駅から始発電車に乗る必要があり、駅近くに宿を取ったという訳だ。5時15分の大牟田行きの電車に乗る。さすがに乗客は少ない。それから1時間弱、徐々に夜が明けていった。途中の鳥栖駅ではJリーグ、サガン鳥栖のホームグラウンドが駅から見えた。何とも地元密着。広島を思い出す。そして6時19分、昨年もやってきた羽犬塚駅に到着。まずはトイレに入り、これからのバスの旅に備えた。

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ダラダラ佐賀まで茶旅2015(10)初めての小倉で焼うどん

9月14日(月)

小倉へ

今朝もまた6時には起き、急いでホテルをチェックアウトして、7時過ぎの山陽本線に乗る。電車には通学の学生、通勤のサラリーマンが大勢乗っており、朝のラッシュ状態。荷物を持ち込み、何とか席を確保する。昨日行った宮島口まではすでにお馴染みとなっており、寝こける。それから30分ぐらいして、岩国で一度下りる。そして下関行きの電車に乗り換える。

 

それから延々、ローカル戦の旅が始まった。光、徳山、防府といった、名前だけは知っている駅が過ぎて行く。降りてみたかったが、今日は小倉で約束が。駅名の中には全く読めない物がいくつかあった。藤生(ふじゅう)、厚東(ことう)、厚狭(あさ)、これらは一体どこからこの読み方になったのだろうか?きっと意味があるに違いないが、今は知る由もない。

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徳山や小野田、宇部などは工業都市として知られており、その付近には工場もいくつか見られた。それ以外は、海が見えたり、田畑が続いたり、山があったりと、山陽の道を楽しんだ。そして乗ること3時間、ついに下関に着いた。今年の大河ドラマ『花燃ゆ』の舞台である山口、来たことがなかったので、もっとゆっくり回りたいという希望があったが、それは次回のお愉しみとなる。

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そして初めて関門海峡を潜り、門司まで進んだ。トンネルを潜るとあっという間に九州に上陸していた。これまで3時間乗り続けていたが、ここの区間は数分で門司、数分で小倉まで到着した。この辺の地理感覚は全く持っていなかったので、あまりにも呆気ない到着となった。

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4.小倉

小倉の老舗茶屋

初めて小倉へやってきた。今日もまたお茶のご縁に引き寄せられた。実は4年前、台北で行きつけのお茶屋さんでお茶を飲んでいると、横で日本人男性が一人、お茶を飲んでいた。『観光ですか?』と聞くと『出張です』との答えで驚いた。平日の午後からゆったりお茶を飲んでいる出張とは?それがT社長との出会いだった。彼の会社はその時、台北に店舗を出店しており、取引関係のある、このお茶屋さんに出向いていたのである。お茶を飲むのがお仕事、いいなと思ったのを覚えている。

 

このお店は有名なお茶屋さんであり、万永元年、幕末の京都で創業。玉露製法を考案した祖先は非常に有名である。大正時代に茶処の九州で一番繁栄していた小倉の街に支社を作り、商売を広げた、というのが小倉店舗の始まりのようだ。今は京都とは全く別経営だとか。

 

駅前から少し行くと京町銀天街があり、その商店街の中に店舗があった。如何にも老舗という店名の看板、しかしその下で売られていたのは、抹茶アイスだった。そしてそれを嬉しそうに買い、皆で記念写真を撮る台湾人の若い女性たちがいた。T社長に経営について話を聞く。現在の日本の茶業にとって、とても刺激的、画期的な内容だったが、その話は別の機会に書くので譲る。T社長は地域の活性化にも力を入れているようで、とても忙しそうだった。

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焼うどん

ランチはどうしようかと思ったが、昨晩の例に倣い、T社長に小倉のB級グルメを尋ねると『それは焼うどんだろう』ということで、お勧めの店を紹介してもらった。因みにお店の周囲だけで、うどん屋さんが数十軒あるという、北九州はうどん好きの街だとか。確かに駅から歩いて来る間にも数軒のうどん屋を見たような気がする。ラーメン屋も多い。何故麺好き?

 

小倉発祥焼うどん、とは、初めて聞いたが、何故だろうか。『終戦直後、鳥町食道街の「だるま堂」店主が、焼そば用のそば玉がなかったため、干しうどんをゆがき、焼いて出したところ大好評だったのが始まり』との説明があった。検索すると北区だけで30店舗以上の焼うどん屋が出てきた。

 

さて、訪ねた店は午後1時だというのに、大繁盛で、定員もてんてこ舞い、席にもなかなかつけなかった。ようやく座って注文したが、それでも随分と時間が掛かって出てきた。上に温たまごが乗っている。ランチはご飯、みそ汁、サラダのうち2つを選べるとのこと。うどんにご飯かと思い、選ばなかったが、地元の人は焼うどんをおかずにご飯を食べている人が多い。焼うどんそのものは、特にほかで食べる物と変わらないようにも思えたが、豚バラや若松キャベツを使う、ソースが特製など色々とこだわりはあるようで、美味しく頂いた。

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小倉散策

これから博多へ行かなければならない。時間は限られていたが、初めての小倉を全く見ないのもどうかと思い、食後の散策を試みた。方向もよく分からなかったが、取り敢えず小倉城を目指した。すぐにビルの間からお城が見えたので、迷うことはなかったが、それなりに距離はあった。

 

この城、かなり広いようで、中に入るのは断念した。だがよく見ると、城内に松本清張記念館があるではないか。学生の頃、清張の推理小説を全て読んだ私である。是非行ってみたかったが、時間が切れていた。仕方なく城の周りだけを回り、駅へ向かった。残念。小倉城といえば細川忠興が今の大きさで築城し、幕末の長州征伐で高杉晋作が攻めて焼け落ちた城。

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駅のすぐ近くに昭和の匂いが残る一角があった。うらぶれた飲み屋が残っていた。今は北九州市の一つの区にすぎないが、元は官営八幡製鉄所や炭坑があり、人の出入りが多い、気性の荒い土地柄とも言われていた。長崎に落ちされた原爆も当初の標的は造兵廠のあった小倉だったと言われている。小倉は交通の要所でもあり、本州と九州を繋ぐ玄関口としての機能もあった。

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ダラダラ佐賀まで茶旅2015(9)広島 原爆ドームと汁なし担々麺

原爆ドーム

お茶会が終了するとロビンさんに方向を教えてもらい、原爆ドームへ向かう。思っていたより、かなり近くにあり、歩いていく。私は全く広島の地理が分かっていなかったのだ。川沿いに出ると、ドームがあると聞いたが、見付からない。と思ってみると、何とそこにあった。いつもテレビで見る角度と違うところから見ると全く違って見えることが分かった。

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世界遺産、原爆ドーム。旧広島県産業奨励館、昭和20年8月6日に残骸となったものを、寄付により、補修したものであった。これが原爆の悲惨さを伝える象徴として残された。川沿いから見ると、その青空がとても眩しい。何ともやるせない気持ちになる。更に歩いていくと、広々とした公園の中に原爆慰霊碑があり、そして資料館が見えてくる。立派な資料館は50円で入館できる。この辺も広島市のアピールが伝わる。勿論外国語の資料もある。

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先日原爆投下直後に市電を動かした女子たちを描いたNHKのドラマ『一番電車が走った』を見たばかりだったので、資料館の展示がより一層リアルに浮かぶ。ドラマの中にはこの資料館から取られたと思われる内容、黒焦げの三輪車や女性の衣服などが多く出てきた。その悲惨さについては、言葉も出ない。原子爆弾の科学的な説明、その後出来事は全く頭に入らなかった。私は何故今までここへ来なかったのか、いや今日なぜここへ来たのか。反芻しても何一つ答えはない。ただただこのようなことが繰り返されてほしくない、と思うのみである。

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もっと色々見ていたいという気持ちと、居たたまれない気持ちが交錯する。急激な疲れが体を襲う。そろそろ閉館時間だと自分に言い聞かせて外へ出た。外はまだまだ明るく、とても眩しかった。そのままフラフラと広島城の方へ歩いていった。夕陽が更に目を打つ。城内には神社があり、城跡に書かれていたのは、『日清戦争時に大本営が置かれた』とある。そして昭和20年、天守閣・表門など全て瓦解、とある。ここにも留まる気力がなく、足早に去る。

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兎に角ホテルへ行こうと思い、そこにいた警備員の人に道を聞いた。非常に親切に教えてくれ、地図までくれた。何となく救われた気がして、そのまま住宅街を歩いていく。フラフラ20分ぐらい歩いて広島駅にたどり着いたが、道中何も目に入らなかった。更に駅を越えて、何とかホテルへ。

 

汁なし担々麺

疲れが体に充満していた。取り敢えず、風呂に入り、気分を転換した。すると今度は急に腹が減る。お好み焼きは昼に食べたし、どうしようか。そういえばロビンさんが『広島のB級グルメといえば汁なし担々麺』と言っていたことを思い出す。ただどこへ行ったらよいか分からなかったので、ホテルのフロントの女性に聞いてみた。彼女はちょっと困ったような顔をして『この辺にはあまりないんですよ』と言いながら、奥へ入り、上司にも聞いてくれた。

 

上司の男性が出てきて『担々麺じゃないといけませんか?』と聞くので、お薦めを聞いてみると、『駅の所にうまいつけ麺屋があります』というので、そのつけ麺に切り替えて食べに行くになる。言われた通り駅まで行き、土産物ショップあたりに数軒のレストランがあったが、麺屋は見つからない。更に奥に入ると、一番奥にその店はあった(いや、実は裏から回っただけだった)。

 

店のポスターには、何と大きな字で『汁なし担々麺』と書かれていたので、初志貫徹、つけ麺を捨て、担々麺を注文してみた。ついでにお薦めの唐揚げも。唐揚げは1個、108円という細かさ。付け合わせとしては、これもアリかと。この店、実は有名なのか、Jリーガーの佐藤寿人選手やプロ野球、カープの選手などが来店した時の写真も飾られている。店も混んでいる。

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担々麺がやってきた。元々中国人バイトが賄いで作ったものを店主が気に入り、店を休業して四川省まで修行に行って、作り始めたと聞いたが、私が知る四川の担々麺とはかなり趣が違っている。ゴマ、そぼろ、ネギ、たまご、海苔が入っており、これをうまくかき混ぜて、麺に絡めて食べる。確かに四川でも汁なしでかき混ぜて食べる担々麺はあったが。この麺、かなり山椒が効いていて、口がヒリヒリし始めて、一気にはとても食べられない。唐揚げも熱いので、しばし休みながら進む。麺はかなり太い。水を流し込み、何とか食べ終えた。

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とても美味しいのかというとどうだろうか。ただここで一人旅の楽しみの一つとして、ご当地B級グルメを、ホテルのフロントの人に聞いて食べに行く、という新しい手法が確立されたような気がする。これは地元感がかなりあり、お金もあまりかからず、一人飯を充実できるとてもいいアイデアだ、と自画自賛する。FBで紹介すれば、誰かの参考にもなるだろう。ホテルに戻った時、美味しかった、といえば、相手もニッコリするだろう。いいコミュニケーションにもなる。

 

帰りに土産ものコーナーで、もみじ饅頭を買いこみ、ホテルへ戻る。このホテル、飲み物がフリーで用意されており、部屋に持ち帰ることも出来る。なかなか良い。熱いコーヒーを入れて、フロントに礼を言い、部屋で飲むと、担々麺で痺れている口の中に相当なダメージが広がる。

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ダラダラ佐賀まで茶旅2015(8)広島 カフェとお茶会

カフェで

今回ロビンさんが宮島に連れてきてくれたのは、実は神社に行くためではなかった。そこはやはりお茶関係者。『宮島にいいカフェがあるので行きましょう』というのが主目的。だが、カフェは10時開店なので、それまで私の願いである宮島観光に付き合ってくれたのである。何ともカンシャ!

 

そのカフェは、古い街並みに中、路地裏に埋もれるようにあった。『タムカイマ、宮島の時を静かに感じる空間』と、その町家風のお店の前に貼ってあった。引き戸を開けると、中はこじんまりした空間。木のテーブルとイス、なんかふんわりしていい感じだった。入り口横の畳空間では既に若い女性3人が座り込んで、話に夢中になっている。まるで自宅感覚なのだろう。

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メニューを見ると、台湾茶・中国茶もあり、日本茶もある。あんみつなどのスイーツもあり、如何にも若い女性が好みそうにできている。ご主人は福岡の八女、奥さんは静岡の出身だと聞き、驚く。お茶処の2つの場所から、2人はどうして出会い、どうして宮島にお店を出したのか、とても興味深かった。更には宮島こけしなど、木彫りの工芸品の展示・販売もされており、何とも不思議な空間に包まれていた。

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これから八女を目指すので、今日は台湾茶を頂きながら、お話を伺う。広島には茶園は殆どないが、お茶好きは意外と多いようだ。顔なじみのロビンさんは自ら茶葉を持ってきている。この空間では、ちょっとした展示、セミナー、コンサート?なども行われているらしい。いつか、ここで茶旅報告会ができたらいいな、と思いながら、あっという間に時間が過ぎてしまった。

 

お好み焼き

今日の午後はロビンさんが参加するお茶会に便乗することになっており、時間があまりなかったが、まずはランチを食べてから広島に戻ろうということになる。『お好み焼きでいいですか?』と聞かれたので、勿論と答える。広島に来たらお好み焼きでしょう、とある人に言われていたので、好都合だった。

 

そのお店も裏道にある、観光客ではなく、地元の人がいく所だった。こんなところが嬉しい。店はほぼ満員だったが、カウンター席に座れた。ロビンさんが注文したところ、おばさんが『お皿、鉄板?』と聞いてくる。ロビンさんが鉄板と言ったので、私も合わせて鉄板で、と言ってみた。目の前では美味しそうな麺の入ったお好み焼きが次々焼き上がっていく。それを見ているだけで食欲が出る。少し甘いおたふくソースのような自家製ソースが更に食欲を増す。

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そしてついに自分の前の鉄板にお好み焼きが置かれた。喜び勇んで口入れると当たり前だが、熱い。その上ヘラを使って鉄板から器用にお好み焼きをすくい取り、口に運ぶのは私にとっては至難の業であり、何度もこぼしてしまう。とうとう見かねたおばさんが、『お皿、お箸』と言って渡してくれた。何とも無様だ!それでもこのお好み焼き、ボリューム満点で、実にうまい!冷たい水をがぶ飲みすると、すきっとした気分になり、大満足で店を後にする。

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そして広島へ向かったのだが、ちょうど良い時間の直行フェリーに間に合わず、また元来たフェリー、JRで戻っていく。ただJRの広島駅まで行かず、1つ前の新白島駅で下車。アストラムラインという新交通に乗り換えた。ここでもスカイは使えなかったが、駅が芸術的でちょっとヨーロッパチック、とても気に入ってしまった。車体もモダンな造り。これに乗り、3駅行って、終点の本通で降りた。既にお茶会の開始時間である2時を若干過ぎていた。

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お茶会

そのお茶会はビルの3階で開催されていた。何と主催者が南九州旅行で購入してきた日本茶を飲む会だった。今回の私の旅、そもそもは南九州への茶旅だったのだが、台風の影響で延期となり、巡り巡って広島へ流れ付き、そこで南九州のお茶に出会った。何とも出来過ぎたシナリオと言わざるを得ないが、それが現実であり、それが私の茶旅である。ご縁は巡る。

 

鹿児島の屋久島茶、知覧茶、宮崎の茶などが登場し、次々に飲んでいく。美味しい栗の和菓子も登場し、満足だ!ただ正直中国茶・台湾茶に慣れた私には、全体的にちょっとお湯の温度が低く感じられる。それが煎茶の淹れ方、それが日本茶ということだろうか。『人肌のぬくもり』、うーんそうなのか。

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また主催者の話の中で、彼女が訪ねた屋久島の宿では、大きな急須が沢山並べられており、番茶の茶葉が入れられ、お湯を勝手に注いで、ガブガブ飲むスタイルだったが、それはそれで美味しい、と言っていたことが気になった。そう、お茶って、本来そうやって飲むものだろう、と妙に納得してしまう。

 

その中で、鹿児島の後岳というところのお茶に興味を惹かれた。今や知覧茶の中に組み込まれているようで、なかなか商業ベースに乗らないお茶だが、ちょっといいのど越しとほのかな甘味があった。次回は是非ここを訪ねてみたいと思うのだが、車のない私に、果たして行けるのだろうか。また主催者のお一人であるIさんは尾道のお茶問屋さん、日本茶初心者の私は途中から、いくつかつまらない質問をしてしまったが、丁寧に答えてくれた。次回は尾道にも是非寄ってみたいと思う。

 

ダラダラ佐賀まで茶旅2015(7)広島 厳島神社と大聖院

宮島へ

午前8時前に広島駅へ行く。地下街には広島カープの監督や選手のポスターが貼られている。そういえば、昨日電車が広島駅に近づくと、幼い女の子が急に『カープ、カープ、カープ広島』と歌い出し、マツダスタジアム(旧広島市民球場)が見えてきたのは、何となく懐かしい。今でもこの歌なのかと感慨深いものがあった。名古屋が近づくと、ナゴヤドームが見えてくるのに似ているが、この球場は実に素朴で、場内まで見えてしまう。広島はサッカーのサンフレッチェも強い。駅前には路面電車が停まっており、思わず写真に収める。

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今日はFBで友達になっているロビンさんと待ち合わせ。会うのは初めてだが、お茶好きということは分かっているので、折角広島に来たのだからと、コンタクトしてみたところ、快諾してくれた。更に彼は色々な案を提示してくれたが、最終的には宮島へ行くことになった。実は当初の予定では、原爆ドームにも宮島にも行けない可能性があり、広島初めての私としては、ちょっと残念に思っていたのだが、ちゃんと神様は願いを叶えてくれた。素晴らしい。

 

日曜日の朝の広島駅、人は少ない。ロビンさんと難なく落ち合い、昨日ひと悶着あったJRの改札を抜けて、そのままホームへ。ここから宮島口駅まで約30分、山陽本線に揺られていく。その車内でお互いの人となりを確認していくのが面白い。ロビンさんは勤め人だが、台湾茶が大好きで、台湾にもよく行っており、かなり詳しい。出身は松江で、毎朝抹茶を自分で立てて飲むのだそうだ。松江にも今度是非行って、その茶文化に触れてみたいと思う。

 

宮島口に着くと、駅から外へ出て、歩いてフェリー乗り場に向かう。JRの連絡船を待つ人がちらほら。今日は日曜だが、まだ時間が早く、お客は多くない。宮島観光はこんな物かと思っていたがそうではない。もう少し経つとドッと観光客が押し寄せてくるらしい。フェリーはかなり立派な造りだったが、僅か10分で宮島へ着いてしまう。『宮島って、島だったですね』などと私は無邪気なことを言って、ロビンさんを呆れさせる。今日も天気は快晴で、船上からも厳島神社の鳥居が見られたが、海に半分以上沈んでいた。

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フェリーを下りて改札を通る。昨日広島駅でおじさんが『広島エリア内はどこでもスイカが使える』と言っていたので、スイカで出ようとしたが、またもはねられた。職員によれば『JRではあるがフェリーでスイカは使えない』という。またもやローカルルールか。因みにロビンさんが持っていたローカルカードはちゃんと使えた。どうなっているんですか、JRさん??

 

厳島神社といえば、何となく平清盛を思い出す。その像がちゃんと水辺に置かれていた。西海を稼ぎの場としていた平家の海の守り神。何とも鮮やかな空が広がっている。日本三景の1つ、安芸の宮島、実は松島も天橋立もちゃんと行ったことはないので、この歳にして初めて三景を訪れたことになる。参道をいくが、まだ店も開いていない。ゆっくり歩ける。混雑を避けた時間設定をしてくれたロビンさんに感謝だ。

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世界遺産、厳島神社は艶やかな社殿が水に覆われている。なぜここまで海に面しているのだろうか。ドイツ人観光客が盛んにシャッターを切る。五重塔も視野に入れ、これぞ日本の風景、といった顔をしている。混雑時には社殿を巡る回廊は一方通行らしく、単に歩いて参観し、外へ出る。今なら逆走しても文句は出なさそうだが。行きつ戻りつして、伽藍を眺めているフランス人もいる。外では海に沈む、いや浮かぶ鳥居を撮ろうと、皆が列をなしている。引き潮だと鳥居まで歩いて行けるのだろうか。清盛はここに一体何を見て、このような竜宮城のような物を作ったのか。それは単なる夢だったのだろうか。珍しく歴史上の人物に思いを馳せてしまう。

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まだ時間が早かったので、ロビンさんは神社の後ろ側の坂道を登り始めた。普通の家が並んでいる。少し行くと、如何にも日本的な、鮮やかな樹木が生い茂る空間に出る。ここに山門がある。真言宗の名刹、大聖院、の階段を登る。これは意外と急でかなりきつい。一体何段あるのだろうか。ようやく上に登ると、神社の屋根に隠れるように海が微かに見える。

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ここで空海が修行して寺を開いたというが、当時は絶景であったかもしれない。十一面観音菩薩をはじめ、見事な仏像も豊富に安置されている。何となく心が安らぐ。これはただの寺院ではあるまい。明治天皇も行幸、ここに宿泊された。2006年の開祖1200年祭の折には、ダライラマもここへきて弥勒菩薩の開眼法要を行ったとある。相当の格式を持っている。

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外にも沢山の仏像が置かれている。全部をお参りするのにはかなりの時間がかかる。仏像に見とれている台湾人夫婦がいた。観光客は厳島神社には行くが、ここまで登ってくる人は多くないかもしれない。木々を眺め、仏像の1つ1つ丁寧に見入る。観光資源として、活用されていないなら、かなり勿体無い話だと思う。特に天気が良かったので、爽快感がある。

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階段を下りて山門を出ると、ハイキングコースの表示がある。ここから歩いて弥山の山頂を目指す人々がいる。ロープウエイもあるようだが、折角なら歩いて登りたい。私ももし時間があれば、是非一度ハイキングしてみたい。宮島観光は厳島神社だけではない。いい資源を持っている。そして下に降りて、古い街並みを歩く。土産物にはあまり興味はなかったが、もみじ饅頭にはちょっと惹かれる。ようやく10時を過ぎてきて、観光客の数が増えてきた。

ダラダラ佐賀まで茶旅2015(6)広島でカンボジア料理

宿を探す

ちょっと怒りながら、駅を出る。今日は知り合いの家に泊めてもらうつもりなのだが、明日の活動を考えて、明日の夜の宿を駅近くに取り、そこに荷物を預けようという作戦に出たのだ。だが、行けども、行けどもホテルがない。どうもおかしいと思い、再度地図を見ると、何と全く反対の方角に歩いているではないか。長時間電車に乗った疲れか、先ほどの怒りか。やはり冷静さは重要だな。日が沈んでいく広島の街、川があり、静かに夕暮れの風景が広がっている。これはなかなか美しい。

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何とかホテルにたどり着き、事情を話して、荷物を預ける。料金も高くないビジネスホテルだが、フロントの女性はにこやかに応じてくれた。この辺の対応は実にいい。ホテルを後にして歩きだす。本来路面電車に乗れば直ぐに行けるらしいのだが、折角なので、少し街を見てみようと思う。既に暗くなった道を歩く。方向を間違えないように市内中心の三越を目指す。そのすぐ近くにカンボジア料理屋さんがあるというのだが、見付かるのだろうか。

 

広島にカンボジア料理、というだけで何となくワクワクしてしまう。それにしても初めての広島で最初に食べるのがカンボジア料理、というのは変わっている、と言われても仕方がない。が、それもまたご縁だから仕方がない。三越は直ぐに見つかったが、お店はなかなか見つからない。スマホを持っているのに役に立たない。仕方なくアヤさんに電話して何とか辿り着く。

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広島のカンボジア料理

ミリア・アンコールというその店は、繁華街の一角にあるビルの2階にあった。店内に入ると、右側にはテーブル席もあるようだが、カウンター席がズラッと並んでいるのが印象的。そしてカウンターには実に懐かしいサナちゃんが座っていた。サナちゃんとお母さんのアヤさんとは、昨年12月のカンボジアのアンコールワット視察ツアーで一緒になっていた。それから1年近くが過ぎたが、サナちゃんはかなりお話ができるようになっていて驚く。

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アヤさんのご主人、サルーンさんがカウンターの向こうから微笑みかけてきた。カンボジアのシェムリアップ郊外の出身。5年前にアヤさんと結婚して来日。3年前にこの店を開く。初めは別の場所で開店したが、立地の良い今の場所に移転。4年半前、私が会社を辞める前、サラリーマン時代最後の旅をした時、弟のサレンを紹介してもらい、シェムリアップで彼のトゥクトゥクに乗って街歩きをして、楽しく過ごした。その時から、お兄さんが広島にいることは聞いていたが、一度も会ったことがなかったので、ようやく念願が叶ってうれしい。

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料理は空芯菜炒めやカンボジアの甘めのカレーが登場して、懐かしい。イカの炒め物や春雨サラダも出てくる。サナちゃんも結構沢山食べている。やはり美味しいのだろう。カンボジアの香辛料などは日本ではなかなか手に入らないらしい。今度運んできてあげたいと思う。カンボジアのビールは輸入するとかなり高くなり、他のアジアのビールで代用している。

 

カンボジア人宅に泊まる

段々お客が増えてきたので、食事が終わるとお店を出た。今晩はサルーンさんとアヤさんが最近建てた家に泊めてもらうことになっていた。サルーンさんはお店があるので、アヤさん、サナちゃんと3人で、バスに乗って行く。広島市内には路面電車はあるが、市内交通はバスが主流らしい。

 

バスは直ぐにやって来て、15分ぐらい乗って住宅街で降りた。バス停からちょっと道を入るとそこに戸建ての家があった。中に入ると、木の感じが良い、新築という感じの真新しい家がある。2階にはカンボジアのでよく見掛けるハンモックがかかり、ブランコまである。サナちゃんが喜んで乗って遊ぶ。とても楽しそうな家だった。私は1階の和室に泊めてもらった。サナちゃんたちはもう遅いので早々に2階で寝てしまう。私も特にやることがなく、疲れもあってあっという間に眠りに着く。

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9月13日(日)

翌朝は6時台に起きる。8時に広島駅で待ち合わせがあり、バスの時間を考えると、早めに行くのが良いとの判断があり、7時過ぎにはアヤさんの家を後にした。サナちゃんはまだ寝ており、お別れできなかった。残念。バス停に行くと、ちょうどバスが来たので乗ったのだが、乗客はいなかった。何とこのバスは教習車、運転手の後ろに教官がいたのだ。ちょっと驚き。

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日曜日で車の少ない道、バスは20分もかからずに広島駅に着いてしまった。待ち合わせ時間に間があったので、不要な荷物を、またホテルに持っていき、追加で預かってもらった。コインロッカーを使ってもお金がかかるし、これは結構助かった。ベースキャンプがあるのは嬉しい。

ダラダラ佐賀まで茶旅2015(5)名古屋から広島へ在来線の旅

まずは名古屋から米原へ、愛知県から岐阜県に入る。特別快速で1時間ちょっと。名古屋から岐阜は完全な通勤圏なんだな、と初めて感じる。ここまでは結構乗客が多く、満席だった。米原から新快速に乗り換え、京都、大阪を通過して、一気に姫路まで行く。私の荷物が少し邪魔になる。彦根、近江八幡、大津など下りて、歩いてみたいところが続々登場してきたが、今日は広島までの長い道のり、とても途中下車する余裕などない。残念だが次回個別に、丹念に回ることにしたい。

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岐阜から滋賀に移り、京都が近づいてくると大勢の観光客が乗り込んできて、車内はかなりの混雑となる。京都で、大阪で、三宮で、皆途中駅で降りていく。そして新たに乗ってくる。関西圏も人の出入りが多い。都会を走る電車、いつもの風景だった。この間、2時間半、何となく窓から外を眺める、馴染の地名を探すか、寝ているだけ。こんな電車の乗り方をしているのは私ぐらいだろう。

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姫路で乗り換え、そこで昼ご飯を食べる。駅の立ち食いうどんである。薄味でつゆが美味しいが、麺は少し固め。電車に乗り続けるだけなので、腹が減ることもなく、1杯で十分。また電車に乗り込む。姫路から山陽本線になり、相生まで20分、そこで電車は本線を外れていき、下ろされる。次の電車は何時かと駅員に聞いたが『少しお待ちください』と言われる。そして何と岡山方面の電車は50分来なかった。仕方なくどこかを見ようかと思ったが、特に見るところもないらしい。ゴルフバッグを持った3人連れが所在なく、ベンチに座っている。

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トイレに行きたくなり、探してみるが見当たらない。何と駅構内にはなく、改札を出なければならなかった。『切符を拝見』と言われたので、スイカを出すと、中も見ずに『どうぞ』と言われ、外へ出た。ここではスイカは使えないらしい。ところで、ローカル電車にはどこでもトイレが1つは付いている。1時間に1本ほどしかない電車、トイレに行きたくなっても降りられないことに配慮しているのだろう。急にトイレに行きたくなるなどの原因で電車が遅れたこともあったかもしれない。この電車を使うのは年寄りと学生が多い。因みに中国人観光客が『日本の電車は田舎を走っていても、車両がきれいでトイレもきれい』と言っていたのが印象的だった。

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相生からまた各停に乗り、兵庫県から岡山県に入る。岡山まで1時間。岡山といえば、お知り合いが二人おり、連絡すればよかったと思ったが、すでに遅かった。予定のない旅、いつどこへ行くか分からないので仕方がない。田舎の単線を電車は走っていく。ローカル色が強くなり、乗客も顔なじみだったりする。更に岡山から倉敷を通過して、福山まで1時間。倉敷を通るなら、やはり知り合いに連絡すればよかった。私は何と電車がどこを通るかすら、調べていなかった。

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福山、ついに広島県に入った。何と広島に来るのは人生で初めて。福山出身の知り合いの顔が数人浮かぶ。ここで降りて観光したかったが、広島で夜約束があり、断念した。このあたりで車掌が検札にやってきた。こんなローカル線で検札とは、と思ったが、不正乗車が多いのだろうか。ただ私がまたスイカを取り出すと『結構です』とノーチェック。どうなってるんだ?

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福山から30分で、糸崎という駅に到着し、また乗り換えて広島へ。また1時間半乗る。ついに広島に着いたのは、午後5時50分ごろ。朝8時半に名古屋を出てから、約9時間半かかった。乗り換えは6回、8都道府県を跨ぐ大旅行だった。意外と疲れはなかったのだが、少々腰が重かった。

 

3.広島

駅でスイカは使えない

荷物を引き摺り、改札を出ようとしたが、出られなかった。スイカが反応しなかった。駅員のいるところへ行くと、女性が色々と行き方を相談している。それがずっと続き、ちょっとイライラしてしまう。人が待っていることも構わず、駅員も女性も会話を続けている。ようやく私の番が来て、『出られない』というと、おじさんが『あんた、どこから来たの?』と聞く。名古屋からと答えると『新幹線も使わずに?』と聞くので、そうだと答えると、『それでスイカで乗ったの??』とあきれたような顔。

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そして『エリアを跨いじゃダメなんだよ』と少し怒ったように言う。何だそれ、エリア?名古屋圏、関西圏、広島圏など、同じJRなのにエリアを跨いでは使えないと説明を始める。JR東海や関西という会社ごとの話ではない。同じエリア内では使えるのになぜ?ここは先進国日本ではなかったのか?そんな思いから『不便な国ですね、日本は?』とつい口走ったところ、『全国に機械を設置する?そんなこと、出来るわけがないだろう!』と怒られる。それでも精算の場所にはスイカを読み取る機会があり、手動で処理している。8420円かかっていた。このおじさんの対応にはちょっと頭に来た。そんなローカルルール、誰が知るか!と言ってやりたい。

 

この話、外国人が聞いたら、どう思うだろうか?東京でも使え、広島でも使えるスイカが、エリアという内輪のルールで跨ぐと使えないと言われても理解できない筈だ。ここには何らかの利権が絡んでいるように思えてならない。まるで成田空港から東京までリムジンバスも成田エクスプレスもなぜか3000円もするのに似ている。完全な利権だから、と関係者に言われた。後日日本人数人にこの話をしたら、エリアのことは知らない人の方が多かった。まあ普通の人は新幹線に乗るので、私みたいな例外者への対応はないということだろう。

ダラダラ佐賀まで茶旅2015(4)名古屋 山ちゃんとパッカー宿

2.名古屋

突然のアポ

そしてKさんに松坂駅まで送ってもらう。いつもなら在来線でゆっくり行くところだが、今回はKさんのご依頼で、名古屋で人に会うことになり、急いで特急に乗る。この段階で、当初決めていた、特急には乗らない、というルールは破られてしまったが、まあこれは流れ上、仕方がない。駅で特急券と切符を買い、少し待って乗り込む。

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車両は、何となく懐かしい感じ。昔栃木でも乗った特急と似た形だ。携帯の充電をしたかったが、勿論コンセントなどは見当たらない。近鉄も儲かっていないのか?なかなか車両の新装が難しいらしい。松阪茶、というペットボトルのお茶を飲む。来年からは伊勢茶に変わるのだろうか。松坂から名古屋までは近いと思っていたが、1時間以上かかり、名古屋到着は5時を過ぎていた。

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ホームには紹介されたYさんが待っていてくれ、そのまま駅を出て、タクシーで東急ホテルに向かう。今日の宿泊先から近いので、そこに行ってもらった。Yさんは畳屋さんだが、海外進出を考えており、過去うまくいかなかった中国を避け、台湾・香港あたりでの見込みを探していた。色々とお話を聞いたが、最終的には、残念ながらサポートするのは難しかった。

 

パッカー宿

それからホテル近くの宿へ歩いて行く。名古屋で旅行会社をしているAさんの紹介で、バックパッカーが集まる名古屋トラベラーズホステルという宿を予約していた。場所は名古屋の中心、栄にあり、立地は良い。Yさんも一緒にやって来て、見学した。私を迎えに来てくれたAさんを紹介した。リビングは広く、そこには台湾人やヨーロッパ人の若者が何人かいた。

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この宿、ドミトリーと個室がある。私は個室を予約、1泊3800円は安いのか高いのか。部屋は4階、中はかなり狭いが清潔。ドアは暗証番号で開き、鍵は要らない。シャワー・トイレは各階にあり、共同だ。ベッド横にはコンセントや灯りがあり、とてもコンパクトで便利に作られている。さすが日本人仕様だ。若者たちは数人でドミトリーに泊まっている。勿論一人で来ている外国人もいる。

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手羽先の山ちゃん

Aさんと夕飯に出る。今日は金曜日、昔で言うハナ金である。私には既に曜日感覚はなかったが、店はどこも混んでいるらしい。『世界の山ちゃんに行きましょう』と言われ、その名前に聞き覚えがあったので、同意した。宿のすぐ近くにある。何と名古屋だけで36店舗(全国75店)もあるチェーン店。東京の新宿でも見掛けるし、最近香港とバンコックにも出店した、名古屋では有名な店である。

 

手羽先がメインメニュー。ピリ辛のタレを付けて唐揚げにしている。昭和40年頃、名古屋で作り始められ、山ちゃんも昭和56年に小さな店からスタート。バブルの荒波を経て、いつの間にか巨大チェーンになったらしい。ビールのおつまみとして、鳥肉好きの名古屋人の心を掴んだのだろう。確かに一人でカウンターに座り、ビールを飲みながら手羽先を頬張る姿が見られる。サクサクッと、鶏のから揚げよりもおつまみ感覚でたくさん食べてしまう。

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メニューには『台湾ラーメン』というのもあった。このラーメン、台湾では見たことがない。『豚挽き肉・ニラ・長ねぎ・モヤシなどをトウガラシで辛く味付けして炒め、醤油ベースのスープを加えて茹でた麺にかけたもの』とある。これも名古屋めしの1つだとか。元々名古屋で台湾料理屋を出す人が担仔麺を賄いとして作り、これを日本風にしてメニュー化したらしい。その具だけを野菜炒めのように出すメニューまである。山ちゃんはオリジナルというより、あるものを工夫して売っていくタイプらしい。商売上手、ということだろう。

 

宿に戻り、バックパッカー達に旅について聞いてみよう、話をしようかと思っていたが、疲れが出て、そのまま寝込んでしまった。良く考えてみれば、昨晩は夜行バス。これからの旅の日程を考えれば、睡眠が重要だった。部屋は意外と静かで、ゆったりとした気分ですぐに眠りに着く。

 

9月12日(土)

名古屋から広島へ

朝は7時前に起き、荷物を纏めた。今日は広島に向かう。この宿、簡単な朝食が付いているというが、提供されるのは8時から。ビジネスホテルとは全く違う時間帯だ。急ぐ旅ではないので、食べてから行こうか迷っていると、おじさん3人組が下りてきて、『早く食べたい』と言いながら、『モーニングへ行こう』と出て行ってしまう。確かに名古屋はモーニングもボリュームがあり有名。私も行こうかなと思った瞬間、担当の女性がやって来て、少し早めにパンとコーヒーの準備をした。これをパッと掻き込み、宿を出て名古屋駅へ向かった。

 

栄の駅まで、歩いて数分。そこから地下鉄で名古屋駅まで2つ。確かにロケーションは悪くなかった。京都方面に向かう9時発の快速に乗るつもりだったが、8時半前に駅に着くと、すぐに1本前の列車に乗れることが分かり、急いでスイカを使い、ホームへなだれ込む。ちょうど電車がやって来て、何とか乗り込む。土曜日の朝なのに、そこそこ混んでいる。何と席を確保。

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ダラダラ佐賀まで茶旅2015(3)伊勢 茶業に立ち向かう人々

茶来

車は少し山道に入っていく。すると川が見える。茶畑があるところ、必ず川あり、と言う通りだろう。『茶倉』などという地名も見えてくる。いよいよ茶畑は近い。道路沿いある一軒のお店の前で停まる。『茶来まつさか』と書かれている。お茶屋さんだろうか。店内ではもちろんお茶を売っていた。

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Kさんが事前にお願いしてくれており、Mさんが対応してくれた。こちらの会社やお茶の説明もなく、すぐに車に乗り、茶畑へ行くという。嬉しい展開ではあるが、全くここがどこか、そして何をしているのかも分からず進んでいく。5分ほど走ると、そこには広大な茶畑が広がっていた。斜面でなく、平地に近い場所に、びっしりと茶樹が植えられている。大規模に機械で摘んでいく様子が目に浮かぶ。ものすごい数の防霜ファンが設置されているが、ここはそんなに寒いのだろうか?寒暖の差はありそうだ。

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向こうの方に金色に見える場所がある。変異した茶樹があるらしい。私一人が走って写真を撮りに行く。静岡の黄金みどりのような貴重な茶葉に見える。だが、なかなか根付かず、商品化するまでには至っていない。変異するということは、茶樹そのものが強くないということか。

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茶来は、7年前に茶農家の有志3人が集まり設立された。これまでの個人経営に限界を感じて行動を起こしたという。工場も見せてもらったが、かなり大きな設備投資も行っており、確かにこれまでの個人では出来なかった、そして農協などに頼らない経営を目指しているように見えた。

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お店は元々事務所として作り、茶の卸しをするつもりだったが、個人向けの販売も顧客の要望で始まったようだ。そして管理する茶畑も増えていっている。この地域もご多分に漏れず、高齢化が進み、後継者がない農家が増えている。最近は『茶畑を管理してほしい』という要望が良く持ち込まれ、管理できるところであれば、それに応えていこうとしている。

 

問題は作った茶の販売であろう。各地の品評会に出品し、受賞するなど知名度を上げてきているが、受賞することと売れるということが、必ずしも結びつかないのが、今の日本茶の問題の1つかと思う。以前は三重の茶は宇治などに供給されていたが、今はその量もかなり減ってしまった。茶問屋を通していては、従来と変わらない、知名度が低いこともあり、安い価格で買いたたかれるだけで、将来は見えてこない。農協に頼るのもどうだろうか。

 

三重県は県内のお茶を『伊勢茶』で統一する予定だといい、正直個別性のある尖ったお茶、が求められる中、その個性が更に見えなくなることが危惧されている。茶来のお茶は『飯南茶』として売れればよいと思うのだが、来年から県外ではこの名称も使えないという。海外へも目を向け、販路を開拓しなければならい。イスラム教徒向けにハラール認証を取るなど、様々な工夫をしているが、外国人のニーズを掴むまで活動は広がっていないようだ。

 

結局色々と話を聞きたかったが時間切れとなった。そしてもう一度お店に寄ると思っていたのだが、Mさんとはあっさりと別れてしまい、茶来のお茶を購入することもなく、次の目的地に向かうこととなった。何とも残念だが、それもまた流れ、と諦め、次回を期すことに。

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おじいさんの茶畑

車はどこを目指すのか。もう駅に向かうのかと思っていたが、学校の前で停車した。Kさんの知り合いの人が紹介してくれた茶農家を訪問する予定があるというが、その場所が分からず、携帯で確認していた。すると、軽トラに乗ったおじいさんが迎えに来てくれる。申し訳ない。

 

85歳のSさんは昭和30年代の高度成長期に、ミカンや桑の畑から茶に転作した。当時は順調に茶栽培もでき、作れば売れるということで、販売にも問題はなく、順調にやってきた。だがバブル崩壊後、茶の需要は減り続け、最近は茶価も下がるばかり。今日も元気に畑に出て、我々にも色々と説明してくれていたが、自らも高齢となり、奥様も亡くなり、茶畑の管理も日増しに難しくなってきている。

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『勤めている長男が、あと2年で定年となるので』と言い、茶畑を継いでくれるのを望んでいるが、果たしてそうなるのだろうか、と心配そうだ。茶業の現状からは、明るい将来が見え難く、今はハッキリ分からない。茶葉は元気に伸びているが、それを刈り採ることが、しんどくなってきている。

 

既に茶畑の一部は先ほど訪ねた茶来に管理を任せているという。彼らはきちんと管理してくれるので安心であると言っていた。実際ここに立つと、このような茶畑がどんどん増えていることが実情として良く分かる。青い空に映える茶畑を眺めながら、日本の茶の将来について考える。

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ダラダラ佐賀まで茶旅2015(2)伊勢 赤福のお茶

9月11日(金)

朝から伊勢神宮参拝

到着したバス停は何と伊勢神宮の外宮のすぐ前にあった。夜半新宿からバスに乗ると朝一番で伊勢神宮を参拝できる、これは何とも素晴らしい旅のルートではないだろうか。天気も快晴で、朝日が気持ち良い。夜行バスに揺られた気怠さは直ぐに吹き飛んでいった。地元の人が朝早くから参拝に訪れている外宮。大きな木の脇の橋を渡り、高い並木の道をゆく。

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20年に一度遷都される神宮。元の場所はきれいに更地になっており、近くに新しい宮ができている。この循環には色々な歴史があると思うが、職人を絶やさない、材料を定期的に切り出すなど、伝統を継承するためには、適当な期間が必要であることを示しているのではないかと思う。常に新たな気持ちで臨む、そこにはとても日本らしい涼やかさが感じられる。

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多賀宮という別宮へ上っていく。地元以外の人はあまり来ない、人が少ない場所だと聞いたが、太い木の後ろにシンプルな宮が建っていた。本来神社とは、飾り気のない、華美ではない、小さな木造の建物が合っている。朝早くからこのような場所を参拝できるのは、何とも幸せな気分だ。外宮を出てもまだ時間は8時前だった。最高の気分で一日がスタート。

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それから朝食を頂き、車で内宮へ向かう。実は伊勢神宮に来たのは実に18年ぶり。前回は会社の後輩の結婚式で名古屋に来たついでに、賢島に1泊して翌日参拝した。あの時どんな気持ちだったか、どうにも思い出せないが、今とはだいぶん違った景色を見ていたことだろう。

 

天気は本当に素晴らしい、秋晴れになってきた。Kさんも『こんないい天気は最近見たことがない』というほどだった。2日前には台風が通過し、一時はこの度自体がどうなることかと危惧していたが、台風一過、ともまた違う、鮮やかな天気に驚く。駐車場には既に観光バスが停まっている。そこから出て、橋を渡る。20年に一度の遷都の際は、山から木が切り出され、この川を流されてくるという。橋を越えると、整えられた樹木の庭、そして中へと続いていく。

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並木道を大勢の人が歩いていく。よく見ると中国人の団体だった。上海から来たというが、上海語を話していない。上海付近のどこからか来たのだろう。彼らは盛んに写真を撮っている。このような荘厳な雰囲気は、中国でもあまりお目にかかれない。本殿に上がると、ちょうどどこかの企業のエライさんが、祈祷を受けていた。何度も頭を下げるその仕草が新鮮に見えるのか、中国人達も真似をしたりしている。

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隣に立っていたおばさんに聞いてみると『中国でもお寺はあるが神社はない。やはり日本的と思えるのは神社でしょう。そして厳粛な雰囲気の中で、何をしているのかは分からないけれど、神主さんとお客さんが無言で頭を下げ合う風景、これぞ日本だと感じる』のだそうだ。まだまだ少ない中国人観光客だが、これから増えてくるのかもしれない。因みに神社のお守りに興味を示す若者もいた。お守りではなく、お土産として買って行く人もいる。

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神宮に向かう参道はとてもきれいに整備されており、統一感があった。両側に商店が並んでおり、土産物屋や食堂が立ち並ぶ。『伊勢茶』という表現が随所に見られ、土産物として売られている。しかしその価格は正直かなり安い。知名度の問題なのだろうか、味の問題なのか。『詰め放題』などと書かれたコーナーさえあり、お茶が無造作に箱に入れられている。

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伊勢といえば赤福だろう。今年3月、和歌山からの帰りにサービスエリアで赤福の店に行き、ぜんざいを食べたのを思い出す。店先ではお茶を軽く焙じているのか、いい香りが漂ってくる。店の中に入ると、大きな釜もある。古い佇まいであり、縁側からは川が見え、いい眺めになっている。畳の部屋の隅に寝転ぶお客までいる。Kさんがお餅を頼んでくれ、お茶と一緒に出てきた。何ともいい雰囲気の中、甘い餅を頂き、ゆったりとしてお茶を味わう。

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このお茶はどこから来たのだろうか。縁側から外へ出ると美しい庭がある。まるで料亭のようだ。その裏にはちょっとした展示館があった。その中にも『伊勢茶』という表現があったが、元々は亀山、飯南、渡会などに茶産地があったと書かれている。平安時代に僧侶が茶を植えたとある。そして伊勢商人によって全国に運ばれたというのだが。そこにいたおじさんに聞いてみると『昔は赤福の茶は渡会だったが、今はどうだろうか』との答えだった。それは暗に、現在のお茶は違うところから来ていると言っているように聞こえたのだが。さて?

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表に戻ると、さっきの中国人が『赤福氷』なる物を食べていた。かき氷に甘い餅を入れたものだろうか。暑くなってきた最中、美味しいと言いながら、啜っている。これが500円だとして、彼らにとっては25人民元、日本は安いと感じるのも無理はないのかもしれない。食べ終わると、みな楽しそうにバスに乗り込み、次の目的地、奈良に向かっていった。ここは名古屋にも奈良にも行ける。

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我々も神宮を離れ、松坂市の方面へ向かった。Kさんのオフィスは松坂にあり、まずはそこを訪問。その後、お昼をご馳走になり、いよいよ茶畑のある場所へ行くことになる。夜行バスの疲れも『茶』と聞くと吹き飛ぶから、自分でも面白い。