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世界お茶祭り2016(1)お茶祭りでセミナーしてみた

世界お茶祭り2016》  20161028-30

 

静岡で3年に一度開かれる世界お茶祭り。その名前は数年前から聞いていたが、これまで訪れる機会はなかった。今年はその開催の年に当たっており、かなり早い段階からその話が聞こえてきていた。私が静岡のお茶雑誌に寄稿していることも一つの要因だったかもしれない。中には『お茶祭りでセミナーやったら』などと言ってくれる人もいた。果たしてこのお祭り、どんなものか全く分からなかったが、折角なので見てみることにした。そしてついでにセミナーで『万里茶路』を紹介してみようと思い立つ。

 

お祭り事務局を紹介してもらい、連絡すると『ぜひセミナーを沢山やって』と言われたのだが、その参加者募集からスタッフの調達まで、全てが自前であることが分かり茫然。なるほど、これこそ旅芸人だな、と気を取り直して、お手伝い頂ける人を探し、宣伝も自分でしてみた。更には入館申請からセミナールームの問い合わせまで、結構面倒だった。セミナー主催者の苦労はよく分かったが、一体どうなるのか、当日まで不透明な状態が続いた。

 

1028日(金)
グランシップへ行く

セミナー開催当日の朝、いつものように在来線に乗り、静岡まで向かった。小田急線で小田原まで行く。東京へ行くのとは逆向きであるのが、それでもサラリーマンや学生が乗っておりかなり混んでいる。小学生が制服で通学しているのが、何とも日本的だ。途中まで座れなかったが、相模大野あたりから空いてくる。

 

そして我が息子が数か月通っていた伊勢原を通り過ぎる。毎日ここまで通うのは大変だったな、と思う。まあ私も1年間毎日栃木から東京の予備校に通った実績があるので、慣れれば何とかなることは知っているのだが、たまに長距離電車に乗ると、特に座れない電車に乗るとその大変さを思い出す。

 

小田原から東海道線に乗り、とろとろと進む。静岡に近づいて頃、よく見ると、今日お手伝いをお願いしたKさんが座っているのを発見した。彼女は横浜からやはり各停で来ると言っていたが、ここで会うかと驚く。しかもスーツケースに大きな荷物を持っている。中には茶道具一式が入っている。何とも申し訳ないことだ。私が巻き込んでしまったのだ。

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静岡の一つ手前に東静岡駅がある。その駅前にお茶祭り会場、グランシップがある。私はその位置関係すらよくわからず、Kさんについて会場に向かう。確かに駅前には広場があり、その向こうに立派な建物が建っていた。お茶祭りは既に昨日から始まっていた。雨が降りそうな天候の中、建物の外にテントがある。

 

セミナー1

屋外で茶葉の販売などが行われている。ここはちょっと大変だな、と覗いていると、何と釜炒り茶を作っている人がいた。目が合ってビックリ、先月お訪ねした高千穂の宮崎茶房さんだった。釜炒りの実演をしていた。中国では珍しくはないが、日本では今や貴重になった釜炒り。その人気は徐々に高まっている。お馴染みの川根のMさんもにこやかに参加していた。

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セミナールームは10階。そこでもすでにいくつものセミナーが準備されており、実際に開催されているものもあった。ちょっと興味を惹かれるものもあったが、まずは自分の準備をした。私は持ち込んだプロジェクターを設置するぐらいだが、Kさんは茶道具を広げ、水を汲み、忙しい。今日の話は黒茶が多く出てくるので、その用意はちょっと大変だ。

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そこへ更にお手伝いのSさんとIさんが来てくれた。Sさんは藤枝で料理屋さんをやっており、何とお昼ごはんを作ってきてくれる。何とも有り難い。牧之原のSさんが1階でお茶の販売をしているが、彼の分の昼ご飯もあるというので、私が届けに行く。1階はお茶屋さんのブースが並んでおり、すぐには見付からないほど。お客さんがお茶を試飲して、買い求めている。日本だけではなく、中国や台湾、インドなどのブースもあり、世界お茶祭りらしくはある。

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お昼ご飯を頂き、セミナーの開始を待つ。本日は平日でもあり、参加希望者はそれほど多くはない。これまで何度も参加しているKさんによれば、『当日参加したいと来る人もいるはず』とのことだったが、結果はそれほど多くはなかった。私としては、少人数でお話する方が楽なので有り難い。興行主としては失格だが。

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セミナーではいつものように万里茶路を紹介した。参加者は皆熱心な、お茶好き、お茶の専門家ばかりで、セミナー終了後も、色々と質問があり、また参加者同士で意見交換が行われた。これはとても有意義だった。話しての話を聞いて帰るのではなく、そこから疑問をぶつけあい、各自の情報を共有化していくことはとても大切だ。今回はいい勉強になった。

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セミナーが終われば、自由時間になる。1階では顔馴染みの人々がお茶を売っていたので挨拶する。3階はお茶席があり、入間の極上茶仕掛け人が高級茶試飲会をしていたり、アニメ茶柱倶楽部の世界を再現したコーナーもあった。著者の青木さんとは何年も前にご連絡を頂き、会ったことがあり、懐かしく思い出す。アニメは海外編に進んだだろうか。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(5)台風で突然熊本城へ

919日(月)
熊本へ

翌朝、五ヶ瀬は靄っていた。折角の景色もよく見えない。取り敢えず朝ご飯を食べる。納豆やノリでまたご飯を沢山食べてしまう。九州の米ではなく、山口の美味しいコメだったらしい。これは太るしかない。そして今回、1つの決断をしていた。今日はY夫妻と別れて、一人宮崎市に向かうはずだったが、何と台風が接近していた。このまま宮崎に行くには、バスで延岡へ出なければならない。

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だがそのバスに乗るための足さえも確保できていないし、更には宮崎まで行けても、そこに台風が直撃する予報となっていたので、行くのを諦めた。宮崎ではお知り合いと会う予定だったが、昨晩急きょキャンセルした。何とも申し訳ない。そしてネットで熊本空港から成田へ行くフライトを予約した。そのフライトは夜の7時だったため、熊本経由で福岡へ戻るY夫妻の車にそのまま便乗することになった。

 

五ヶ瀬の周りももう少し歩いて見たかったが、雨も降り出し、出発時間もあったので、次回に譲る。車は一路熊本市へ向かった。私には地理の知識がなかったのだが、五ヶ瀬から宮崎市へ行くより、熊本市へ行く方が近いというのだ。熊本と言えば、昨日一つの疑問をMさんにぶつけてみていた。佐賀のOさんが言っていた、九州紅茶の祖、可徳乾三について、知っていることはないかと。すると彼はすぐに電話を入れた。相手は山鹿のFさんという茶農家だった。

 

『熊本に行くことがあったら、寄ってみたら』と言われた。山鹿と言えば、明治初期に茶業伝習所が開設されたまさにその場所だった。Fさんはその伝統を受け継ぎ、山鹿紅茶を作っているらしい。実に興味深かったが、山鹿がどこにあるかもわからなかった。結局今回は電話で、ヒアリングしたが、可徳についての情報は知りうる以上には出て来なかった。歴史というのは埋もれてしまうものだろうか。これからは気に留めて調べて行こう。

 

4.熊本
震災の街

車に揺られること、約2時間で熊本市内に入った。真っすぐ熊本城へ向かう。雨のせいか、3連休ながら、車はそれほど多くはなかった。駐車場のトイレの屋根瓦が崩れ落ちていた。数日前にたまたまNHKのテレビで見た熊本城、その崩れているところを生で見ると、その感じ方は全然違っている。きれいに崩れている訳がなかった。勿論立ち入りも出来ない。加藤清正の像はビクともしていないが、城は壊滅的な状況だ。

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お昼を食べに行く。Y夫妻は最初から帰りに熊本で食べる物を決めていたので、それに従う。アーケードにある中華料理へ向かう。ここにご当地グルメ、たいぴんえん(太平燕)がある。12時前でもすでに何人もが並んで待っている。太平燕は元々福州料理だったが、明治期に熊本に入り、春雨スープにちゃんぽんの具材が載っている感じだった。セットメニューとして酢豚が付いたが、これをスーバイコウと呼んでいる。なぜだろうか。日本の中華料理屋は時々理解できないことがある。

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更に重たくなったお腹を抱えて、次に進む。どうしても食べたいアップルパイがあるという。南阿蘇産のリンゴが詰まったパイは確かにうまかった。ただ腹が破裂しそうになる。女子はスイーツは別腹というが、私の腹は1つだった。苦しい!また熊本城付近に戻り、お土産にいきなり団子を買う。そして車で熊本駅まで送ってもらい、Y夫妻と別れた。今回は本当に最後までお世話を掛けた。感謝。

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後は熊本空港に行くだけだったが、時間がかなりあったので、もう一度熊本市内を歩くことにした。荷物をコインロッカーに預ける。ちょうど雨も止んでいたので、市電に乗らず、熊本城を目指して歩く。古い街並みが所々に残っていたが、その古い建物がいくつも崩れていた。お墓も倒れていた。震災から5か月が経っており、基本的には平静だが、一度崩れたものは元には戻らない。ゆっくり歩いて見ると、どうしても目につく。

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結局歩いて駅まで戻り、バスで空港に向かった。バスは30分ぐらいで空港に着いたが、私が乗るジェットスターだけ、チェックインカウンターが離れていた。そしてそこへ行くと『台風が近づいているので、大幅な遅延または結構の可能性がありますが、よろしいですか?』と聞かれる。宜しい訳がないが、他に手立てはない。もし本当に飛ばなかったら、自分で宿を確保するのだろうか。かなり不安になる。

 

この頃から雨脚が強くなり、フライトが飛んでこなくなる。飛んでこなければ、こちらからの出発もない。JALANAもフライトは遅れていた。我がLCCの前途は暗い。昨晩予約した時は、宮崎の方へ上陸すると言っていたはずなのになぜ。後悔先に立たず。あとは祈るのみ。6時を過ぎると、急に飛行機が飛んで来るようになった。台風は既に鹿児島に上陸しているとニュースが伝えていたが、なぜか熊本空港への影響は少ないようだった。ついに我がフライトも飛んできた。そして僅か15分遅れただけで奇跡的に熊本を離れた。飛行機が飛びあがると目をつむり、起きた時は成田だった。今回は幸運だったのか、それとも不運だったのか。いずれにしても、それが私の旅だった。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(4)五ヶ瀬の釜炒り茶

駐車場から階段を下りていくと、そこには何とも雄大な景色が見られた。川がかなりの速さで流れ、岩がごつごつとしており、樹木が鬱蒼と生い茂っている。紅葉のシーズンなどはさぞやきれいだろう。今や中国にはこのような風景は見られないような気がする。いや、日本だって、早々あるものではない。雨で濡れる道に足を取られそうになりながら、その眺めを堪能した。

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「天孫降臨とは、日本神話。邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大神の命を受けて葦原の中つ国を治めるために高天原から日向国の高千穂峰へ天降ったこと」を指すようだが、それが実話なのかどうか、そしてこの降りた場所が、現在の高千穂町であるとは確定できないようだ。それでも日本史がここから始まったかもしれないことに、ちょっと感慨があるのはなぜだろうか。

 

ちょうど昼時になり、腹が減ってきたので、駐車場付近に戻り、空いている店に入る。そばと地鶏のセットを食べる。まあ、観光地の昼ごはんだが、地鶏は歯ごたえがあった。それから高千穂を出て、今日の目的地、五ヶ瀬へ向かう。車で僅か15分位だが、これがバスに乗ろうとするとほとんどないので大変だ。実は明日宮崎市へ向かう予定で、ここからバスに乗る算段をしていた。

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五ヶ瀬の釜炒り茶

Y夫妻は昨年も五ヶ瀬に来たという。それは単なる旅だったが、宿で飲んだお茶があまりに美味しかったため、その生産者を急きょ訪ねたというのだ。それが今日訪問するM茶房だった。五ヶ瀬の役場を通過したところ、横断幕にM茶房が全国茶品評会で農林水産大臣賞を受賞したと書かれていた。この付近ではとくに有名な茶農家だと分かる。かなり平たい場所に茶畑が広がっていた。

 

忙しいとのことだったが、Mさんは待っていてくれた。聞けば、午前は四国から阿波晩茶の生産者さんや研究者の方が来られていたらしい。私が昨年3月に四国の後発酵茶を回ったことを話すと『それなら午前中から来てもらえばよかった』と残念がる。役所に就職して、週末にお茶作りをしている青年も一緒にいた。Yさんが言う、『M茶房には色んな人が出入りしている』というのは本当だ。それはMさんの魅力が大きいのだろう。

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M茶房は昭和の初期に茶作りを始めた。こちらでは農薬や化学肥料は一切使わず、30年以上やってきたという。Mさんは4代目。基本的に緑茶、それも釜炒り茶に力を入れてきた。日本では珍しい。高度成長期に皆が蒸し製の煎茶に切り替えた時に、ここだけは昔のままの作り方が残ったという。釜炒りというと、佐賀の嬉野が有名だが、一昨年訪問してみると、もう釜炒りしている農家は殆どなかった。日本に釜炒りが初めて持ち込まれた場所としては有名だが、生産現場は既に違っていた。

 

茶畑をゆっくり見学した。ちょうど小雨が上がり、フラフラ見て回る。標高700m程度の場所に、色々な品種が植えられており、平たい土地ばかりではなく、斜面もあった。平地の茶樹は密集しており、傾斜地の茶畑は美しかった。無農薬なので草取りが大変だという。茶工場もかなりの規模があり、古い製茶道具も置かれており、歴史が感じられる。手前に販売所、奥に試飲室があった。その試飲室に入り、実に沢山のお茶を一気に飲ませてもらった。

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こちらも持参した茶葉を出して、一緒に試飲してみる。茶農家は他の人が作った茶を飲む機会が多いとは言えず、このような場で比較してみるのは面白い。釜炒り茶だけではなく、紅茶も作られていた。昨日訪問した熊本のKさんのお茶にも興味を持っていた。『今年はKさんのところを回ってここにくるお客さんが多い』というのだ。国産紅茶への関心の高まりがそうさせるのだろうか。

 

M茶房では、日々ここで様々なお茶にトライしている。釜炒り茶、紅茶だけでなく、ほうじ茶、烏龍茶まで作っている。一見飄々としたMさんだが、そこに独特の感性があるように思える。そうでなければ、数多くの賞を受賞することなどできないだろう。ただそれがどこにあるのか、外見や話からでは分からない。そして日々の活動を見ないと、何も出てこないようだ。ただただ楽しい日々と過ごした。

 

山の民宿

天気は今にも雨が降りそうだ。M茶房を辞して、すぐ近くにある民宿へ移動する。今日は三連休の中日、Y夫妻が昨年宿泊した農家民宿は予約が取れずに、観光案内に紹介されたこの宿に泊まることになった。何だかちょっとロッジ風。雰囲気がよい。ベッドの部屋と畳の部屋があるようだが、私は一人で畳の部屋に入る。窓から外を眺めると山のいい景色が見えた。それだけで満足。

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外に出て茶畑の写真を撮る。遠くにワイナリーが見える。ここ五ヶ瀬ではブドウが採れ、ワインの製造もしているらしい。高原野菜も美味しそうだ。雨が止んでいたので、そのまま付近を散歩した。予想以上に茶畑があり、その風景は美しい。そして夕飯は豪華。刺身、山の焼き魚、そして和牛まで登場した。宿泊代はそれほど高くないのに、こんなに立派な夕飯でよいのだろうか。昨日、本日の反省をしながら、楽しく夕飯を頂き、そのまま話し込む。10時近くにやっと引き上げたが、それまで片づけを待ってくれていた宿の人には申し訳なかった。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(3)芦北紅茶から天孫降臨の地へ

熊本にはいくつか茶産地があるようだが、ここ芦北で茶作りをしているところは少ないという。一般的にはお茶が活況を呈した、高度成長期の昭和30年代から茶生産が増え、その後のバブル崩壊で、徐々に無くなっていったようだ。お茶も商品作物である。Kさんのところに60年ぐらい前の茶畑もあり、以前より茶作りを行っていたようだが、紅茶を作り始めたのは最近のことらしい。『ここの茶葉が紅茶に合うと言われたんで』というが、それだけでは茶は出来まい。実は5月に台湾の魚池を訪れた時、ある人からKさんの名前が出ていた。ちゃんと台湾に紅茶作りの修行に行き、その成果が着実に出ている。

 

Kさんは若くは見えるが、すでにお孫さんが3人もいるという。それでも日々のチャレンジを忘れない。それは簡単にはできないことだ。こちらの茶畑は3つに分かれているらしい。比較的最近植えた茶畑、数十年前に植えた在来、そして自生茶畑。べにふうきの他、釜炒り緑茶を作る品種で紅茶も作っているという。農薬などは使っていない。飲ませて頂くと、キレがある。従来多くの国産紅茶は何となくボヤーっとした印象があったが、このお茶はとてもすっきりしていて良い。緑茶の釜入り作りと何か関連があるのだろうか。

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春の熊本地震、ここ芦北は震源地から遠くないとのことだったが、幸い被害は軽微だったらしい。実は熊本震災復興支援の一環として、紅葉さんの呼びかけで、この芦北紅茶を売り、募金をしたのも思い出す。正直私は、復興支援の募金というものをあまり好まないが、この紅茶に関しては、自分で飲んでおいしいと思ったから人にも勧め、その人々が美味しいと思って紅茶を買い、合わせて募金にも応じてくれた。ただ言葉に釣られて募金箱にお金を入れるのではない、良いものを味わい、その地を少しでも理解しようとすることが大切だと思う。

 

奥様もフルーツやお菓子を出して頂き、会話に加わっていたが、帰る時には姿が見えなかった。何と高熱を出していたという。そんな時に押しかけてしまい、何とも申し訳ない。『これまでの国産紅茶のイメージが変わった』と、同行したY夫妻も、Kさん宅で頂いたお茶にいたく感激していた。Kさんのお父様とも少しお話することができた。一家で茶作りを行っている様子がよく分かった。

 

家の奥にある茶工場も拝見した。古い、既に使っていない器具も散見され、昔ながらの懐かしい雰囲気があった。その中で紅茶作りの道具もそろっていた。家の周囲は田んぼや畑があり、また神社なども見える。また車に乗り、別の茶畑を見に行く。こちらは山を登って行き、その途中にあった。斜面に茶樹が株で生えていた。何だか、台湾の阿里山で見た、昔の茶畑を思い出す。もっと木が大きければダージリンにもあるかもしれない風景だった。この茶樹が自生かどうかは正直分からないが、貴重な茶畑であることには間違いがない。産量が少なく、手間もかかるだろうが、保存して欲しいと思う。

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八代で

名残は尽きなかったが、Kさんとお別れして、八代へ向かう。明日の宮崎行に備えて、今晩は八代に泊まることになっていた。少し雨が降り出した。茶畑を見る時に降らなくてよかった。1時間もかからずに車は八代市内に入った。ビジネスホテルはYさんが予約してくれたが、連休でかなり混んでいたらしい。八代に何があるのだろうか。八代城跡という表示が見えたが、既に暗くなっており、観光は出来ない。

 

雨が降る中、夕飯に向かう。ホテルでお勧めの場所を聞いてもらったが、アーケードがある場所がよいということで傘を差して歩いて行く。グルメに興味がない私だが、今回はY夫人がいるのでお任せ。『八代と言えば辛子蓮根』だそうだ。ところが人通りは少ないのに、お店は結構満員だ。地元の人なのか、それとも周辺から食事に来た人なのだろうか。居酒屋に入ると子連れも多かった。新鮮なお刺身を頂き、更に馬刺しも出てくる。熊本は海の幸と山の幸の両方が楽しめる場所ということだった。ただお客の数と店員の数がどう見てもマッチしておらず、オーダーしてもなかなか来ないのは難点。その夜は早々にホテルに引き上げ、ぐっすり眠る。

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918日(日)
3.五ヶ瀬

高千穂へ

翌日は睡眠十分で起き上がる。特に朝ご飯も食べずにダラダラして、9時半に出発。車は何となく内陸部へ入っていく、という感じでスイスイと進んでいく。そして最終的にはかなりの山道を登って行った。2時間後、高千穂に着いた。そもそも今回の旅はお茶の旅だったが、私も一度は行ってみたいと思っていた、天孫降臨の地。雨にもかかわらず、ここには沢山の観光客が訪れていた。中国語も沢山聞こえてくる。彼らは何を求めてここに来ているのだろうか。日本の歴史に興味があるのか、日本の始まりを見ようというのか。恐らくはそうではなく、この自然の風景を単に見に来ているだけだろう。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(2)佐賀から芦北へ

Oさんは国産紅茶の第一人者であり、最近とみに有名になってきている。話は流れの中で日本の茶業、特に紅茶の将来についてなど、現実的な話題になってしまう。国産紅茶のブームの兆しがあるのは間違いないが、果たしてその流れにきちんと乗れるのか、品質が伴う紅茶が供給されるのかなど、問題は色々とあるようだ。そして紅茶の歴史についてももう少しきちんと見返すべきという。何故明治以降紅茶が作られ、そして廃れて行ったのか。

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静岡で多田元吉翁が日本紅茶の祖と言われているが、九州にはその多田翁から指導を受けた可徳乾三という人がいたらしい。彼の歴史を聞くと、中国武漢に製茶修行に行き、ウラジオストックで日本茶を売り、最後は台湾で製茶技師、そして茶荘を開いていたらしい。こんなダイナミックな動きをした人が明治期にいたとは、意外だ。興味を持ったが、その歴史はトンと分からない。因みに九州、熊本は明治初期に紅茶作りのために最初に伝習所が作られ、中国人講師が招かれた場所である。

 

Oさんは多彩な才能を持ち、地元ラジオ局に定期的に出演している。最近は東京などへの出張も多くなり、ラジオの収録をまとめてやらねばならない。それがちょうど今日だということで、2時間ほど話して出掛けて行く。2年前に初めて会った時から考えれば、相当に忙しい人になっている。彼がいなくなったお店を眺め、いくつかのお茶を買い求めた。ただ国産紅茶は1つもなかった。自分のセレクションながら、紅茶の店に来てなんだそれは?

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帰り道、この街に溢れている恵比寿像を眺めながら歩く。様々な恵比寿さんが、その辺にパラッと鎮座しているから面白い。その数約800体で日本一らしい。こんなに恵比寿さんがある所は他にあるのだろうか。どうしてそんなにあるのだろうか。雨が降り出した。腹が減ったので駅の近くでちゃんぽんを食べた。昨年はちゃんぽんを食べに30分も歩いたのだが、今回は安直。中華屋のちゃんぽんは、何となくタンメンを連想させる。ちょっと疲れていたので、早目に寝て明日に備える。

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917日(土)
鳥栖から

翌朝は早く起きて、ホテルで朝食を食べる。和食中心の場合、朝から思いっきり食べてしまって困る。生卵をご飯にかけるし、味噌汁をお替りする。宿をチェックアウトするも、腹がパンパンで動きにくい。駅へ行き、鳥栖行の電車に乗る。途中に吉野ケ里公園が見えてくる。未だに行く機会がない。歴史好きとしてはどうしても行くべき場所だ。次回は何としても時間を作ろう。

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今日は鳥栖駅でY夫妻を待ち合わせ。鳥栖までは近いので問題ないと思っていたが、下車してから待ち合わせ場所がわからない。駅前にはJ1サガン鳥栖のホームスタジアムがある。その前に車が待っていた。Y夫が車を運転してくれる。有り難い。Y夫妻とは北京で知り合い、その後も何度も会っているが、一緒に旅に出るのは初めてだ。車は一路熊本へ向かって動き出す。私は地理が全然頭に入っていない。途中でサービスエリアに入ったが、何とトイレがあるだけだった。こんなシンプルなSAは初めて見た。

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煙突から煙が出ている場所も通った。ここが水俣か。今日は天気が非常によく、空も青いが、その昔は水俣病など公害で有名だった。また途中で今年の春に起こった熊本地震の影響があり、道路が片道走行、かなりの渋滞になっていた。今日は三連休の初日、やはり普段より車は多いのだろう。芦北インターまで3時間ほどかかって到着した。本日お訪ねするKさんが『デコポンで待っています』というので向かう!

 

2.熊本
芦北紅茶

デコポンとはJAのスーパーのようなところだった。Kさんは随分早くからここに来て待っていてくれたようだ。誠に申し訳ない。更に移動して、近くの大野温泉へ行った。ここは道の駅と書かれている。温泉はあるのだろうか。天井の高い建物の中に入り、そこでお昼を頂いた。地元で採れた野菜などを使い、かなり多彩なヘルシー料理が並んでいた。お母さんの家庭料理、という感じで、とても美味しく頂いた。炊き込みご飯と汁はお替りした。地方ではこんな食事が特に嬉しい。

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この施設の脇には茶畑が見えた。食後、すぐにそこへ行ってみる。かなりきつい傾斜だ。そして半分は茶畑が無くなっている。『昨年の台風で崩れてしまった』ようだ。横の林も樹木がなぎ倒れたままだった。台風の猛威が想像できる。そしてこのような場所にある茶畑の厳しさにも出会う。横の平地にはきれいな水田、稲が植わっていた。素晴らしい水田と破壊された茶畑の対比が凄まじい。

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Kさんのお宅へ伺った。実は昨年下田で行われた地紅茶サミットでご挨拶し、FBでお友達にはなっていたが、ちゃんとお話を聞くのは初めてだった。そんな関係でも快く受け入れて頂き、感謝の言葉もない。そしてKさんの芦北紅茶は昨日行った佐賀の紅葉さんで初めて飲んで驚いたお茶だったのだ。これまでの日本の紅茶にはない、独特のうまみがあり、これなら世界でも通用するのではないか、と思えるものだった。一体どのようなところでどのように作られているのか知りたくて、宮崎に行く前に今回の訪問となった。

ようやく熊本・宮崎茶旅2016(1)なぜかまた佐賀へ

《ようやく熊本・宮崎茶旅2016》  2016916-19

 

九州には1年に一度は行きたいと思っている。やはり博多は便利で飯が美味い。今年も行くぞと、お知り合いのYさんに連絡したところ、『一緒に宮崎にお茶を見に行きましょう』と返され、それに乗ってしまった。福岡までくれば後は車に乗せて連れて行ってくれるという。やはり車がないと動けないので有り難い。まずは博多で飯を食い、それから宮崎、楽しみだった。実は昨年も南九州の茶旅を計画していたが、直前に台風が来て断念した。それでも博多には寄れたので、水炊きを食べた、良い思い出がある。

 

今年は旅が続いており、直前もマレーシアに行っていた。福岡までどのようなルートで行くか、頭には描いていたが、チケットを取っていなかった。するとなんと、とても高い。考えてみれば3連休に行くのだ。高いに決まっている。それでも色々と足搔いていたところ、何と福岡でなく、佐賀へ連休前日に飛べば安いことが分かった。しかもY夫妻が住む場所からは福岡でも佐賀で等距離らしい。それなら今回は佐賀だ、ということで潔く博多飯を放棄した。

 

916日(金)
1.佐賀
佐賀まで

その日は朝、いつものように成田へ向かったが、なぜかボーっとしていて電車を乗り違え、京成高砂駅に来てしまった。アクセス特急というのは速いのだが、少し高い。同じ駅の反対ホームから乗って、時間が20分くらい違い、料金も150円ぐらい違う。今回は時間があったので安い方で行ってみる。京王線の最寄り駅から成田空港まで約1400円で行けるのは嬉しい。特に国内線に乗る場合、コストが気になる。

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成田空港駅からシャトルバスで第3ターミナルへ向かう。これももう慣れた。今回は春秋航空、フライトは満席だが、チェックインは意外とスムーズだった。第3ターミナルをよく見たことがなかったが、食事が充実している。フライトで食事が出ない前提のLCCに合わせて多彩なメニューが用意されている。国内線の機内食は確かに要らないが、ここなら食べてしまう。面白い。機内でもちゃんと『うれしの茶』がリプトン紅茶と並んで、メニューにあったりして、喜ばしい。お替り自由とは!

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よく考えてみれば、ちょうど1年前、このフライトで佐賀から成田に飛んだのを思い出す。昨年は台風で茶旅が中止になったが、何と佐賀から成田の航空券だけは事前に手配してしまっていた。何しろ片道1000円、という表示に釣られてすぐに購入した。もったいないので、佐賀まで在来線鉄道の旅をして、このフライトに乗ったのだ。しかも今日は奥さんの誕生日。今年は仕方なく、昨日お祝いした。何の因果だろうか。

 

ホテルで

空港に着くと、駅までのバスに乗る。昨年は水曜日の半額デーで300円だったが今回は倍だ!30分ぐらいで駅に着き、すぐ近くの予約していたホテルへ向かう。全てが順調だった。チェックインしようとすると『お荷物をお預かりします』という。時計は35分前。3時からはチェックインできるはずだし、シティーホテルなら、5分前でもOKだろうと思ったが、フロントの男性は『今部屋を掃除中です』というばかり。そんなはずはない、日本のホテルで5分前に掃除が完了していなければ異常事態だ。

 

『何時まで待てばよいのか』と聞くと、取り敢えずお待ちください、としか言わない。どう見てこれは意地悪されているようだ。そこで『これから出掛けるので』と言ってみると、何と『お着替えは別の場所へご案内します』というではないか。さすがに少し強く言うと男性は上の階に電話を入れ、急に『準備が整いました』と言う。これだから日本のおもてなしは、凄い!融通というものがなく、ルールが顧客ニーズを越えている!

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部屋へ行き、着替えをしてすぐに出掛けた。昨年もお世話になった紅葉(くれは)さんへ向かう。既に道は大体わかっており、歩いて行く。途中大きなお寺が見えた。何でも関が原の戦いで西軍に着いた鍋島家を西本願寺が救い、そのお礼に建立されたとか。佐賀はやはり歴史のある街だった。更に歩いて行くと、道場があった。ここが古賀道場。世界平和などと書かれており、不思議なところだと昨年思ったのだが、何と今年の1月ミャンマーのタウンジーへ行った際、大学の後輩がこの道場のミャンマー事務所を任されていることを発見し、お互い驚いたのが懐かしい。

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お店の近くは保存地区になっており、古い家が多い。1つずつ眺めていると、老人が『向こうの方にもっと古い家があるよ』と教えてくれた。何となく親しみやすい街だ。商家の2階を改修した、雑感店などがある。くれはさんもその古い建築の家に店を構えており、相変わらず趣がある。入っていくとカウンターの端に予約の札が立っていた。店主Oさんとは、年に何度かイベントなどで会うようになっている。この店は2度目の訪問だが、何とも居心地がよい。静岡の紅茶を試しているというので淹れてもらう。そして凝ったお菓子も登場する。なかなかいい空間だ。

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京都・名古屋茶旅2016(5)名古屋まで在来線で

828日(日)

翌朝、お世話になったISO茶房を離れ、京都駅へ向かう。日曜日の朝、バスもすぐにやってきて、スムーズに進む。駅に着くと、横にバス乗り場があり、名古屋へバスで行こうかと考える。だがちょうどバスは出たばかり、しかも電車より時間が掛かりそうだったので、今日は予定通り電車で向かう。名古屋での報告会に参加するためだが、主催者から『名古屋駅の新幹線口で待っています』とメッセージを頂き、『いえ、在来線で行きます』と答えていた。

 

格安旅行を旨とする私、新幹線は天敵だ。確かに速いのだが、料金が高過ぎる。名古屋まで在来線に比べて2倍以上、3000円の新幹線代がかかる。その価値があるだろうか。もう一つは在来線に乗ると様々な駅を通過していき、面白いのだ。ただ在来線で長距離を乗る場合の注意は、スイカが使えないこと。JRが勝手に決めたエリア、なるものを跨ぐと使えなくなる。そこで切符を買うことになるのだが、いつもはみどりの窓口で並んで買っていた。今回見てみたら、新幹線の切符が買える自販機で、普通乗車券をクレジットカードで買えることを発見。次回からこれにしよう。

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京都から名古屋まで、2時間ちょっとの旅だった。新快速で米原まで、瀬田、安土、彦根など、歴史的な地名が並んでいるが、通過駅になっているところもある。何となく降りて、今どうなっているのか見てみたくなる。米原から新快速を乗り継ぎ、関ケ原、清州などを通っていく。歴史好きの年配者が関が原で降りていくのを横目で見ながら羨ましかった。次回は1つずつ降りて歩く旅をしてみよう。

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3. 名古屋

定刻に名古屋駅に到着する。待ち合わせ場所はバスセンターになっていた。そこには女性が待っていてくれ、報告会会場まで連れて行ってくれるという。何とも有り難い。しかし私はそこでバスの時刻を見た。今日の夜、名古屋に泊まるのか、を決めていなかったのだが、夜10時過ぎに夜行バスがあることに気が付き、何とその切符を買ってしまった。待っていてくれた方はさぞ驚いたことだろうが、これが私の旅だった。

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名古屋には地下鉄がいくつも走っているが、会場付近はちょうどそれがないため、お迎えに来て頂いたようだ。公民館で開かれる報告会、なんとも素朴で好ましい。主催者のKさんとは、2年ぐらい前の名古屋のお茶会で知り合ったが、久しぶりの再会だった。共同主催者のTさんのお店には6月に流れ着き、興味を持っていた。こんな形で報告会が実現するとは思いもよらなかった。

 

主催者の努力で、会場は満員の盛況。有り難いことだ。私の知り合いも何人か来てくれ、懐かしい顔も見た。福建のお話で、冒頭福清のお話をしたところ、参加者の中に福清出身の女性がいたことは、彼女にとっては驚きだったようだ。お茶に詳しい方には物足りない内容だったかもしれないが、中国のお茶事情などを少しは理解して頂けたのではないだろうか。

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会が終わった後、場所を茶心居さんに移して、懇親会が開かれた。店主のTさんが自ら腕を振るい、料理が出てきた。それがタイ料理だったりベトナム料理だったり、とあまりにも多彩で驚く。何とアジアを放浪している私にちなんで、アジア各国料理を作ってくれたというのだ。この才能と経験は凄い。世の中にはこのような人がいるんだな。因みにTさんはミュージシャンでもあり、他にもたくさんの趣味を持つと聞く。

 

懇親会にも10数人が参加され、大盛況。Tさんの料理もあり、大いに盛り上がる。私は端でこっそり料理を頂き、大人しくしているつもりだったが、台湾茶のUさんと話が弾み、それをお隣の人が突っ込み、いつの間には立ち上がっての、大演説をしてしまうという失態。しかも『報告会より、こっちの方が面白い!』という有り難いお褒めの言葉までいただき、どうしてよいやら。何と次回の名古屋開催は『地獄の千本ノック』とし、参加者が自分の疑問を持ち寄り、それに私が答えるという、とても出来そうにない企画が成立してしまった。いくら与太話が好きだとは言ってもそれは無理でしょう。

 

更にはいつもお世話になっている安城のIさん、そして今や和紅茶の有名人、豊橋のGさんまで登場して、本当に驚いてしまった。名古屋というのは広いのか狭いのか。何だかとても楽しい夜を過ごすことができた。10時半のバスまで時間があるな、などと思っていたのが、いつ間にか9時半になっており、また車で駅まで送って頂いた。感謝。

 

JRの夜行バスは、先日乗った南海バスのような配慮はあまりなかった。シートは三列だが、カーテンなどはなく、単なる観光バスのように見える。日曜日の夜のせいか、待合室はめちゃ混みで座る所もない。まあ、また乗り込んで目をつぶったら朝になっていたので、何の問題もないのだが、名古屋からでも、7時間かかって新宿に着いた。京都まで行っても7時間、かなり時間調整しているのだろう。午前5時過ぎに着いたところをみても、始発電車前に到着するのを避けたようだ。

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この夜行バス、運転手は一人しかいなかった。これは現在の規定上問題ないのだろうか。私がこれまで乗った夜行で初めてだ。2人の交代運転が原則ではないのだろうか。おまけになぜか降りる時に全員から切符を回収している。スマホチケットの人もいるご時世、何のためにそんなことをしているのだろうか。そのお陰で全員が荷物のトランクが開くのを待つ羽目にもなっている。早くトランクを開けて、というと『一人しかいないんだから無理だよ』と逆切れされた。サービスの概念がなく、昔のままのやり方を踏襲している企業はいずれ滅ぶだろう。

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京都・名古屋茶旅2016(4)建仁寺から散策して

827日(土)
今日こそ建仁寺へ

昨日の反省を踏まえ、今日はちゃんとバスに乗って建仁寺を目指した。鴨川沿い、出雲阿国の像の前でバスを降り、南座の前を通り、わき道に入ると建仁寺が見えてくる。私はこの寺に来た覚えがないが、何となくスーッと入れるお寺である。建仁寺とは鎌倉初期、栄西禅師が開いたお寺。建仁とは年号が朝廷から与えられたからだという。由緒正しい。

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私がここに来た理由は1つだけ。ここに栄西禅師に関する茶碑があると聞いたからだ。本堂から少し南へ行くと、その茶碑があった。かなり立派で驚いた。栄西が中国から茶の種を持ち帰ったことを記念して平成になってから作られていた。そしてその裏には、何とその800年を記念して、平成の覆い下茶園が作られている。2度中国、宋に渡った栄西は、お茶の種を持ち帰り、自分で種を蒔いたのだろうか。一説に高山寺の明恵上人に渡したとの話もあるが、いずれにしても製茶技術を習得していたのだろうか。この記念碑はそのようなことには答えてはくれない。

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本堂などもちゃんと見学すればよかったのだが、南へ行き門から外へ出てしまった。適当に帰ろうと思ったが、そこで六波羅蜜寺という文字が目に入る。六波羅蜜寺といえば、平家の屋敷があった場所、六波羅といえば鎌倉方の六波羅探題があった場所として、歴史に名を刻んでいる。ちょっと寄ってみようと歩いていく。入口から見ると若い女性が沢山いた。なぜだろうか。観音像と共に記念写真を撮っている。奥には銭洗い弁天などもある。往時は相当の広さがあったのだろうが、今は狭い敷地である。

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更にふらふら歩いていくと、六道珍皇寺に出た。その名前だけでもワクワクする。六道とは仏教の輪廻の考えから出てくるもの。小野篁という文字も見えた。篁といえば百人一首の『わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟』で有名であるが、変わった人でもあったらしい。篁は夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという逸話があり、その井戸があったのが、この寺であったらしい。この寺には篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されているが、我々は隙間から垣間見るだけだった。

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その向こうの通りには、何人もの外国人が見えた。何だろうかと行ってみると、そこは浴衣などの和服レンタルの店。それも1店ではなく、複数の店が出ていた。これが話によく聞く外国人に人気の和服レンタルだったのか。1日、3000円で、簡単なヘアメイクもしてくれるとか。ちょうどタイ人の男女が浴衣で出てきた。その後ろには中国人。女子だけではなく、男子も和装して出てくる。確かに大賑わいだ。

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彼らの後を歩いていくと、高台寺に出た。高台寺と言えば、北政所おねの寺。更にその横を登っていくと、護国神社があった。ここには幕末の志士などが眠っているとあるが、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允などという名前が出てくると、歴史好き向けテーマパークのように見える。さすがにその墓所まで行く気にはなれず、高台寺に入る。

 

きれいな庭があった。政所茶会とか、観月茶会など、多くの茶会が開かれているらしい。一体どんな意味があるのだろうか。どうもこのような堅苦しそうな会にはご縁がない。もうこの辺まで歩いてくると、京都が如何に歴史の宝庫であるか、がよくわかる。どこを歩いていても、必ず何かの歴史にぶつかり、興味をそそられてしまうのだ。次回はゆっくり歴史散歩をしてみたいと思う。

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最後に八坂神社を通った。ちょうどそこでは結婚式が執り行われており、大勢に見物客の目の前で、踊りが行われ、神官が儀式を進めていた。これには特に外国人観光客が大興奮、全員がスマホで写真を撮りまくり、その人だかりはかなりのものだった。外国人が求めているものの一つが、日本にしかない伝統的な儀式であるとは伊勢神宮でも聞いた話だが、それはその通りだろう。

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八坂神社を出て、先ほどの鴨川沿いのバス停まで戻り、バスに乗って金閣寺へ帰った。バスにはタイ人の男性が数人乗っており、何とか金閣寺へ行こうと頑張っていたが、やはり分り難いようだ。でも運転手もそれが分っていながら、手を差し伸べようとはしない。このような観光客が一日中いるのだから、一々相手もしていられないのだろうか。一応金閣寺への行き方は教えたが、日本語ができず、漢字も読めない人にとって、観光は大変かもしれない。

 

今日も午後報告会を開いてもらった。土曜日の午後の早い時間は正直人が集まり難いと言われていたが、私の北京時代の知り合いも集まってくれ、ちょうどいい感じで会ができた。特に湖南・湖北の旅の話だったので、中国に詳しくないと難しかったかもしれない。夜もそのメンバーなどお茶とは関係ない人々で夕食を取った。折角京都に来たのだから、お茶の話だけでなく、色々な人と会い、色々な話が聞けることは私にとっては嬉しいことだ。

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京都・名古屋茶旅2016(3)素晴らしいお茶授業

京都まで

名残惜しかったが、そろそろ帰る時間になっていた。茶畑から加茂駅まで送ってくれるということだったが、広い道路へ出るとちょうどバスが通りかかる。Mさんが急いでバスを停め、乗せてくれた。田舎ならではの光景だった。ガイドさんたちと一緒に加茂駅へ行き、そこから元来たルートで京都のガイドさんと一緒に戻った。

 

ガイドさんに聞くと『最近はヨーロッパ人やアメリカ人のお客さんが凄く増えている。2008年のリーマンショックの時は誰も来なくなって失業した。2011年の東日本大震災でも大きな影響があった。今がいいからと言って、いつもいいとは限らない。実に不安定な仕事です』という。しかもプライベートでガイドを雇う人は当然要求も高いため、日々研さんを積むともいう。今日もガイド仲間で、勉強のために来た。多くの引き出しを持ち、しかも英語で説明できなければならない。難しい仕事だ。

 

京都駅まで来た時、あまりにも腹が減っていることに気が付いた。何しろ朝、サンドイッチを食べただけで、朝の6時前から動き回っていたのだ。駅でそばを食べて、何とか息を吹き返す。それにしても、茶畑見学にしては、濃い内容だった。これを毎日のようにこなしているMさんとインターン、これは大変なことだ。日本には革新が必要だが、その担い手は極めて少ない。

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京都駅前から金閣寺行バス乗り場を探す。1年前にも乗ったはずなのに、なぜか違和感がある。金閣寺行は2つのルートがあり、私が乗りたかったバスは、1つ向こうから出ることがようやく分かる。ボケが進んでいる。何とかバスに乗り込み、大きな荷物を持ち込んで席に着く。すぐにバスは満員となり、お邪魔この上ない。ちょうど時間は退勤ラッシュなのか、バスはゆっくりとしか進まない。やはり金閣寺は遠い。

 

2.京都
突然のレッスン参加

何とか懐かしいISO茶房に辿り着いた。ここは京の町屋を改造したカフェであり、その雰囲気は抜群によい。中に入るとお客さんが一人いた。私が荷物を置くと、店主のIさんが『こちらにどうぞ』という。席にはお茶のセットが用意されていた。更にはレジュメまである。何とこちらで行われている授業の補講が始まり、私も参加することになっていた。あれ?

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Iさんが作成したレジュメは相当にきめ細かい。鳳凰単叢などの説明が行われ、その成り立ちから、茶葉の内容、茶の淹れ方まで、じっくりと教えてくれる。何となく知っているつもりでも、このように基礎から説明してもらうと気が付くことも多い。勉強嫌いの私にとっては、とても良い復習の機会となった。

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ペーパー上の勉強だけではなく、実際にお茶を飲んでみることができるのもうれしい。しかもこのお茶が実に上等で、とても勉強とは思えない。Iさんは店の店主という前に単なるお茶好きとしてこの会をやっているのだろうか。『とにかくおいしいお茶が飲みたい。飲んでほしい』という思いが強く出ている。質の高い茶葉を惜しげもなく出している。

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更にはデザートとして、手作りの杏仁豆腐まで出てくる。元サラリーマンだったIさん。よくもこんなに器用に食べ物まで作れるな、と感心する。こんな講義が東京であったら、大人気になるのではないだろうか。一度は受けてみたい授業、なぞというテレビ番組のタイトルが頭に浮かぶ。しかもこの講座、卒業すれば、中国茶の資格認定もされるらしい。本格的だ。

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レッスン終了後も、お茶話で何となく盛り上がり、時間を忘れる。明日は自分の報告会があることなどすっかり忘れてしまっていた。私は午後からだが、Iさんは朝か通常営業だ。その上で報告会のためにお菓子を作ったり、忙しいはずだ。私も昨晩は夜行バスだったこともあり、シャワーを浴びてすぐに畳の部屋で、眠りに就いた。

 

826日(金)
建仁寺はどこ

翌朝はゆっくり起き上がる。Iさんはいつものように朝食の準備をしてくれた。何とも有り難い。天気が良いので、それを外のテラスで頂く贅沢。ここでモーニングなど始めれば、隠れ家的な人気が出るのではないか。まあそれではIさんの優雅な生活が壊されてしまうかもしれないが。

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午前中はお寺に行くことにした。栄西ゆかりの建仁寺を目指すことにした。何となく、ここから歩いていけば建仁寺に着くと思っていた。それで昨年竜安寺他へ向かう道を歩き始めた。昨年は10月だったが今は8月終わり。暑さが違う。すぐにバテてしまったが、何とか仁和寺まで歩いていった。だが、建仁寺はどこにあるのだろうか。ガイドブックも地図も何も持たずに歩いてきたので、途方に暮れた。どこにも表示がないのである。

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仁和寺で庭の草取りをしていたおじさんに聞いてみたが、『そんな寺、あったっけ』とつれない返事。おじさん、建仁寺は有名だよ、と言いたかったが、これ以上突っ込めず更に歩いていく。疲れてきたので、コンビニでポカリを買い、ぐっと飲む。そこの店員さんに聞くと『そんなお寺、この辺では聞いたことがない』というではないか。え、建仁寺って、京都では知られていないんだ、とがっかり。

 

そこへ奥にいた年配の女性が『建仁寺っていうのは、東山の方にあるんでは』と言ったので、初めて携帯で検索してみると、やはり祇園の方にある。何という勘違いを私はしていたのだろうか。バスで行くことはできるようだったが、行く気力はもうなかった。ふらふら歩いていくと、道を誤って昨年もやってきた妙心寺へ。ここは広い敷地に沢山の寺院があり、庭のきれいなところもあるが、その多くは拝観禁止となっている。結局歩いて戻る。疲れた。

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京都・名古屋茶旅2016(2)おぶぶ茶苑で

 突然イギリス人と遭遇

8時半過ぎにやってきたバスに乗り込んだのは私ともう一人だけ。ベンチに座っていたおばあちゃんは散歩の途中の休憩だったのだろうか。バスは平地を走り、お寺などを通り過ぎていく。その後は川沿いに少しずつ登っていく感じ。茶畑が見えてくる。和束の中心に近づき、そこを越えた。きれいな田んぼが見え、いい田舎の風景が目に入る。

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30分はかからずに目的地の東和束で降りた。他に2人の人が降りたが、どこへ行くのだろうか。指示された通り、道を歩んでいくと、和束天満宮があった。その道には何とも言えないいい風が吹いていた。そこを下るとすぐにおぶぶ茶苑の事務所があるはずだった。だがそこは普通の家、取り敢えずピンポンを押してみたが、返事はない。

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仕方なくドアに手を掛けると開いていたので、『こんにちは』と声を掛けてみた。階段から誰か降りてきた。何と異国の少女がそこに立ち、『こんにちは』と答えた。しかしそれ以上会話は進まなかった。なぜなら彼女が知っている日本語は殆どなかったから。こちらが英語に切り替えると、パッと明るくなり、『こちらにどうぞ』と言ってくれた。

 

彼女はわずか数日前にロンドンからここへ来たばかりだという。茶園のインターン、おぶぶ茶苑の話題の一つは世界中からお茶好きをインターンとして数か月、滞在させていることだった。しかしまさか本当に日本語も出来ない若い女性がここにいるとは思いもよらなかった。私が訪ねるMさんは10時にならないと来ないよ、というので、一度外へ出て、付近を散策する。

 

まずは先ほどのいい風の吹く天満宮へ行ってみた。バスの通る道路に天橋が架かり、その向こうにはご神体が見える。この付近の守り神だろうか。茶畑と何か関連があるのだろうか。誰も答えてくれない。反対側へ行くと、先ほどバスを一緒に降りた女性が熱心に祈っていた。この本殿は重要文化財に指定されており、由緒正しいところのようだ。

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きれいな、輝くばかりの水田を眺めながら歩く。お茶屋さんからほうじ茶の強い香りが流れてきた。製茶工場もあった。さすが和束。その向こうの斜面にはきれいに茶樹が植えられていた。この水田と茶畑のコントラスト、なんとも美しい。うっとりした。これが日本の茶畑の美だ、ということだろうか。お天気も最高によく、じわじわ暑さが迫ってきた。

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おぶぶ茶苑で

戻ってみるとMさんは車の掃除をしていた。『今日もお客さんが沢山来るので』と言い、準備に余念がない。その内に若者が数人やってきた。関西の大学の学生、国際交流などを勉強しているという。引率の先生かと思った女性は、何と関東の大学の教授で、インバウンドの専門家だという。あと聞くとこのT先生、著書もあり、かなり有名な方だった。彼女もおぶぶのインバウンドを取材に来たという。ここに来る人々は決してお茶関係者だけではないと知り、驚く。

 

茶園ツアーにでも行くのかと思っている私を尻目に、『ではこれから交流会を始めましょう』と言い、何と日本の大学生とインターンの外国人が畳の上のテーブルを挟んで交流が始まった。迎え撃つインターンは先ほどのイギリス人のほか、フランス人、ドイツ人など4人。会話は基本的に英語で行われる。これは面白いことになった。一方我と教授2人はMさんを囲み、おぶぶ方式についてヒアリングをする。

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おぶぶとは京都でお茶のこと。この茶苑は茶農家でもない人が、20年前和束のお茶を飲んで感動し、茶業の修行を積み、開業したという。当然茶畑もなく、販路もない。放棄地を借り受け、斬新な方法として、ネット販売を行い、結果としてそれが世界に向けて発信することになる。当時英語でお茶販売をネットするところなどなかったらしい。更には茶畑オーナー制度で支援者を増やし、同時に外国人のニーズに応えてインターン制度を実施している。

 

『世界を動かすたった一つのもの。それは情熱である』とい理念をもとに、資金もコネもない状態から進んできた事業。日本茶の需要が落ちていく中、彼らの取り組みは注目されてきた。ただ彼らのやっていることは日本政府が言うようなクールジャパンでもなく、インバウンド推進でもない。美味しいお茶を作り、それを飲んでもらう、それだけかもしれない。しかしそれを行うことは容易ではなかったはずだ。

 

横では若者同士が英語で様々な議論をしている。これこそがいまのおぶぶの姿かもしれない。ただ国際交流の場を将来の目標にするつもりもなさそうだ。全国におぶぶモデルを広げる、ということもないらしい。『この和束の環境だからこそ、このモデルは出来ている』ともいう。あっという間に3時間近くが経ち、忙しい若者たちは帰って行った。

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一息つく間もなく、次の準備が始まった。ランチを食べる暇もなく、関西の外国人向け英語観光ガイドの皆さんがやってきた。フランス人のインターンが英語で説明を始める。ガイドさんも観光客が急増、その中でも特に富裕層は、日本の特徴ある場所を訪ねたいという要求が強く、連れて行く場所を探しているらしい。日本の農村、京都の茶畑、日本茶は抹茶だけではない、そしておぶぶの取り組み、それは十分に観光資源になるとのことだった。

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ガイドさんたちはおぶぶの茶を飲むため、Mさんから淹れ方を教わっていたが、煎茶の淹れ方を初めて知った、などとの声が聞こえた。外国人に日本茶を紹介する前に、まずは日本人が日本茶を知る必要があることを痛感した。話の後、ついに車で茶畑へ連れて行ってもらった。かなり急な斜面、10にも分れた畑。横にはかぶせのネットがおかれ、茶畑オーナー制度の参加者の名前が掲げられたボードも見えた。

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