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《雲南お茶散歩 2006》易武・孟海(1)

2月13日(月)4.易武
(1)バスターミナル
結局よく寝られないまま、5時半には起き上がる。そうなるともう出掛けるべきである。真っ暗なロビーでフロントの女性を起こして、チェックアウトをお願いする。あまりに早いので『どこに行くの?』と聞かれる。易武というとポカンとしている。眠いせいもあろうが、そんな所へ行く外国人がいるのかといった反応であっただろう。バスターミナルを確認すると翻胎廠という。変な名前だが、昨夜の男性従業員が書いてくれた場所と同じであったので納得する。

 

ホテル前の道に出るが流石に車も走っていない。タクシー以外に行く方法がないのでどうしようかと思っていると1台やって来た。ターミナルの名前を告げると直ぐに出発。誰もいない道を5分で到着。

ターミナル前は人がかなりいた。バスも何台か見える。よかった、これで行ける。と思ったが、切符売り場で女性に『易武行きは12時20分』と言われて唖然とする。今は朝の6時、バスが出るのは6時間後である。ホテルもチェックアウトしてしまった。どうするんだ??

ここは中国である。何が起こるか分からない。昨夜F夫人はもう一つターミナルがあることを告げていた。南駅。電話番号も貰っていた。さすが中国人には備えがある。不案内な場所では細心の注意を払う。南駅に電話すると女性が出て6時半にバスが出ると言う。

時計を見ると6時10分、直ぐに停まっているタクシーを捕まえて急ぐ。また5分で到着。タクシー代も常に5元で交渉する必要がないのがよい。あー間に合った。しかし切符売り場には人が何人もいた。時間がない。横にいた女性に『易武行きバスはあるか?』と聞くとPCで検索してくれ、あるから心配するなと言ってくれる。

ところがようやく順番が回って来た時、別の女性が切符を切ろうとしていきなり『このバスは易武には行かない』と言い出す。これまで色々と耐えてきた私は『なんでだ!』と怒鳴ってしまう。周りの人々がどうした、どうしたと女性に聞いている。そして私に向かい『このバスは易武の近くには行くが、街道沿いに下ろしていく。外国人がそこから易武へ行くことは出来ないだろう。』と説明する。

別の人間は易武から10km離れている、別のある人は5kmだという。頭に来ていた私は『何でもいいから切符を売れ!バスに乗る。』と叫ぶ。その時切符売り場の彼女がポツリと『バスは出ちゃった』。私は完全に切れてしまった。朝5時半に起きて、別のバスターミナルに行き、そしてやっとここに辿りつたのだ。それなのに・・??久しぶりに中国人はいい加減だと思ってしまう。

兎に角途方にくれる。これからどうすればいいんだ。切符売り場の女性は『ごめんなさい。11時には直通バスが出るからそれに乗って。』と言う。謝ってくれたのは、昔の中国と違うなと感じた。仕方がないので引き下がる。頼みの綱は昆明のF夫人だ。携帯に電話したが、電源がオフになっている。確かに朝早くに携帯を使っている人は少ないかもしれない。これで万事休す。さてどうするか??

しかしターミナルを離れる気分でもない。ボーっと立っていると何故か英語で『英語できるか?』聞いてくるヤツがいる。見ると大きなバックを背負った西洋人が立っていた。彼は昨夜昆明からバスに乗り今着いたと言う。人民元がないので中国銀行のATMでお金を下ろしたいという。何で外国人がと思うが、恐らく提携している国際クレジットカードを使うのだろう。彼が捕まえていたタクシーの運転手に彼の意図を伝えてあげた。

そして本当に私はどうしようかと思い、念のためその辺に居たタクシー運転手に易武までの値段を聞く。800-1000元、そう言われてはとても乗れない。しかも1泊2日で行くにはその倍は掛かる。ダメだ、ホテルに戻って不貞寝しよう。そう思っていると何とさっきの西洋人が目の前にいた。何だ??

彼は100元札をヒラヒラさせて、『運転手に換えてもらった』と嬉しそう。そして『景洪の町はいい所か?泊る価値はあるか??』と聞いてくる。お前はどこへ行きたいんだ、と聞くと『バックパッカーに聞いたんだ。布朗山、自然が素晴らしいらしい。』とのこと。周りに野次馬が集まっており、地図を広げると布朗山を指して教えてくれる。そこは雲南省南部、ミャンマーとの国境近くにあり、どうやっても簡単に行ける場所ではない。勿論自然は濃厚に残っているだろうが。

取り敢えず2人でホテルに戻ることにした。タクシーに乗り込むとさっきの運転手だ。彼は私に向かって『易武に行きたいだろう?400元で行くよ。俺はここの人間だから道もよく知っている。知り合いの茶農家もある。さっきお前が聞いたのは、東北出身者だよ。アイツ等には道が分からない。だから高い値段を言ったんだよ。』と誘って来た。これは渡りに船ではないか??おまけに日帰りできるから400元で済むと言う。急にこの車で行くことに決める。

正直言ってさっきのやり取りでどうみても易武が簡単な場所ではないことが分かってきた。バスで行っても果たして茶の木が見られるかどうか?そして本当に泊れるのかどうか??不安がかなりある。このタクシーで行けば不安が解消できる。

西洋人、その後聞いたところオーストリア人も誘ったが、彼は昆明からの夜行で疲れているといって断ってきた。きっとバックパッカーの彼にとってタクシーで観光するなどはポリシーに反するのであろう。私はバックパッカーではなく、目的があるのだから必要な時はお金を使う。当然違いが出て来る。

(2)易武へ
オーストリア人は兎に角寝たいようだ。100元ぐらいのホテルがいいと言うので運転手に聞くと彼はちょっと車を走らせて適当な所に泊める。朝7時過ぎだが、フロントは100元で泊めるという。オーストリア人とはここで別れた。

2人になると運転手は『あそこは武警の隣にあって、実は彼らが経営している。だから安全だと思って紹介した。』と舌を出す。なかなか気が利く。運転手羅さんとはこうして知り合った。何となく運命的な出会いである。

車は郊外に出た。と思うと直ぐに停まった。『朝ごはんを食べていこう。道のりは長いから。』と羅さんはさっさと麺を売る店に入って注文する。米線、昨日昆明でも食べたが、ここでは路上で食べる。あのベトナムでフォーを食べた時のように、風呂場にある小さなプラスチックの椅子に座る。麺には味付けがなく、テーブルの上に置かれた調味料を使って自分で味付けする。私が醤油を少し入れて食べようとすると羅さんがさらに油や砂糖、唐辛子などを入れて味を調えてくれた。この麺は美味かった。1杯1元ぐらいだったが、羅さんが払ってくれた。何だか不思議な気分である。さっきはターミナルで中国人を悪く思っていた。今はこんな良い中国人がいると感激している。

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車は上海サンタナ。昨年23万元をはたいて買った中古だという。1ヶ月数千元の収入だという彼はどうやってこのお金を工面したのだろうか?子どもは1歳で昨年家も建てたと言う。どうなっているんだ??彼は29歳、将来が見えているのだろう。

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しかしよく聞いて見ると彼は29歳で既に色々と経験している。15歳で兵役に着き、海南島の部隊にいた。4年で兵役を終えて故郷景洪に戻る。22歳までの3年間は兵隊で覚えた運転技術を使ってバスの運転手をした。その時担当したのが今走っている易武の路線だそうだ。

 

車は快適に川沿いを行く。瀾滄江、19年前この川を船で下り、ビルマとラオスの国境の方向に向かった。途中水浴びしている少女が恥ずかしそうに小走りする姿を見て桃源郷だと思ったのはこの川である。絵画のような風景が続いていた。殺伐とした上海から来た我々は目を奪われ、皆が絶賛した。船を下りて昼食を取った。粗末な小屋で食べた野菜が美味しかった。テーブルの下には家畜の豚がやってきて分けてくれという目をしていた。まさに自然の中で食事をした。

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 その場所は恐らくは橄欖?という町ではなかろうか?今回通りかかると道沿いに大きな建物がある。タイ族の伝統的な建物の中で朝市と称して土産物を売っていた。羅さんは折角来たのだから見ていけばといった感じで車を停める。しかしその建物には興味はあったが、中身には興味はない。5分で出て来てしまった。

 

道にはかなり太い幹の椰子が川との間を仕切っている。根元近くは白く塗られており、夜事故が起きないように配慮がされている。しかし本当に夜真っ暗中、ここを通ったらどうなるだろうか?

風景を写真に収めたいので車を停めてくれと頼む。彼は果物を売っている小屋の所で停めた。私はどんな果物があるか見るために近寄った所、トイレはこっちだとおじさんに言われる。しかし行った先には本当に掘っ立て小屋があった。中は不潔でとても入れる雰囲気ではない。イヤーすごい。これが田舎のトイレだと思い出す。

 

またまた何も買わずに戻る。これで羅さんは私が本当にお茶を見に来た人間だと分かったようだ。その後はどこにも寄らず真っ直ぐ易武を目指す。道の脇の木々も幹が細くなり、その内にジャングルの様になっていく。それから2時間後、孟醒と言う町に着く。ここが分かれ道である。右に行けば孟?、左に行けば易武である。ここから先は土の道になると聞く。かなりの山道、アップダウンを覚悟する。

ところが道が出来ていた。昨年来道の舗装工事が行われていたらしい。かなり行った所では実際に舗装工事が行われていた。その場所でも既に半分は出来ていたので、問題はなかった。

30-40分走ると山の中に茶畑が見えてきた。ここが易武であろうか?そして道が分かれた。恐らく朝6時半バスはここで易武に行く客を降ろすのではないか??確かにこんな所で降ろされたら、どうしようもなかったかもしれない。切符売り場のネエチャンに感謝すべきかもしれない。

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道を下り、民家が見えて来た。茶畑もある。車が茶工場の前で停まる。ここが易武なのである。時間は10時半過ぎ。3時半ほどで到着したことになる。やはり道路の舗装は大きい。体力的にも楽であった。

(3)易武永聘茶廠
羅さんがバスの運転手をしていた時、酷い時は景洪―易武間を一日一往復していたそうだ。当時の道である。これは大変なことだ。その際に易武の町を知っていた。町外れ、と言っても殆ど建物の無い町の入り口にそのお茶工場はあった。

入り口には網が張ってあり、入る人は網を潜っていく。恐らくは泥棒に備えているのであろう。中に入ると庭に竹の台に載せられてずらっと餅茶が干してある。横には完成した餅茶が重ねられて竹皮で包まれていた。反対側には昨日摘んだ茶葉が干されている。

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レンガで出来た小さな工場に入る。責任者はまだ若い男性である。突然昔馴染みが外国人を連れてきたのである。ちょっと困惑した様子であったが、案内はしてくれる。手前に干した茶葉が置かれ、その横でおばさんが茶葉を筒状の入れ物に詰める。その際にこの工場のことが書かれた紙も一緒に入れる。その横には蒸し器があり、筒を入れて蒸している。

蒸し終わると茶葉の塊を取り出し、手で丸める。丸まったものをお椀の形にする。そしてそのまま布の中に入れる。その布を床に置き、足元にある重石を載せる。その後重石の上に両足を乗せ、思い切り力を入れる。徐々に茶葉の形が平らになってくる。平らになったら布から取り出し、干す。干したものを紙で包む。7つ纏めて竹の皮で纏める。これで七子餅の出来上がりである。ここまでの工程が1泊2日である。

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聞いてみると昔はもっと山の中で作っていたが、最近易武の茶葉を求める人が多く、大量生産の為にここに工場を建てたようだ。ここでもプーアール茶ブームに乗って起業している人々がいる。複雑な心境になる。

《雲南お茶散歩 2006》昆明、景洪(3)

3.景洪
(1)景洪まで
昆明空港に到着するとまだチェックインも始まっていなかった。やることもないのでカウンター前に並び、1時間半前に一番にチェックインを済ませる。それでも時間が相当余ったので、レストランに行って夕食を食べる。勿論空港のレストランなので非常に高いし、美味しくもない。

ここで携帯から日本に電話を入れる。実はFさん夫妻が携帯電話を貸してくれたのだ。しかも国際電話が可能なプリペイド式のカードも買ってくれたので、安く日本に掛けることが出来た。尚このカードは昆明でしか使えないとのことで、これから行く景洪では使えない。中国は広いこともあるが、地域間で色々とややこしい。因みに昆明で使える携帯電話は昆明発信となり、中国の他地域へ掛けるときは割高になる。更に電話を受ける側も受信料が掛かるのだが、例えば上海に掛けると受けたほうは結構高いらしい。

電話の趣旨は本日が長男の誕生日であった為、そのお祝い。朝ホテルのPCから一応メールでメッセージは出しておいたのだが、時間もあったので電話したのである。自分の誕生日に出掛けてしまった父親を彼はどう思っているのだろうか??しかし毎度のことなのであまり気にしている様子はなかった。

時間を潰していると出発になる。昔の中国では飛行機がいつ飛ぶかは分からなかった。空港で浪費した時間はどのくらいであったろうか??ジェット機に乗り込む。19年前に昆明から思茅に行った時は、ソ連製プロペラ機アントノフで死ぬ思いであったが、今回は景洪まで僅か40分のフライトであった。時代は変わったのである。何しろ景洪に空港が出来たこと自体が画期的である。そしてかつての秘境西双版納は一大観光地に変貌した。

(2)版納への思い
景洪の空港に到着。非常にシンプルな空港である。タラップを降りると南国の夜風が吹き抜けて気持ちが良い。ターミナルでは民族衣装を着た女性達がパンフレットを持って出迎えてくれた。確かに観光地である。

今回Fさんはホテルを予約してくれていた。タクシーで行けば直ぐだと言われていた。しかしターミナルを出ると暗いせいもあってかタクシーが見当たらない。団体さんはお迎えのバスに乗り込んでいく。どうしようか?すると目の前にミニバスが停まっており、客を呼び込んでいる。何となく乗ってしまう。4元で市内のホテルへ送ると言う。

運転手に版納飯店と告げると『名前は変わったがホテルはまだある』と言う。何となく変な気がしたが、出発する。ほんの10分で街中に入る。私が知っている19年前の素朴な町とは異なり、車が溢れ、ホテルや商店のネオンサインが煌く。まさに普通のどこにでもある町になってしまっていた。

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80年代に西双版納を旅した人々にはある種共通の感慨がある。暖かい気候、あの素朴な人々、笑顔、車も殆ど通らない土の道。夜は街灯もまばらで薄暗い中、笑顔で酒を酌み交わす姿。瀾滄江を緩やかに下ると南国の木々が見え、川で洗濯をする人々が見える。水浴びをする少女の姿などはまるで桃源郷の絵の様である。

皆口を揃えて言う。90年以降版納に行って感動することはなくなった。もしまだ行っていないのなら二度と行かないほうがよい。思い出は大切にするものであると。しかし私は戻って来てしまった。これも茶縁と諦めるしかない。

(3)版納飯店
そんなことを考えていると後ろの中国人カップルが降りていく。宿を決めていなかったようで、何とガイドと思われる男性がバスまで付いて来て、彼らのホテルを斡旋しようとしている。皇冠飯店という名のホテルがよいといっている。1泊200元、Fさんが予約してくれた版納飯店と同じ値段である。外から見るとかなり立派なホテルである。ここでもいいなと思う。

かなり若い女の子4人組は国籍もバラバラに見える。恐らく香港あたりの子がリーダーで旅行に来た感じである。曼丁路という場所へ行こうとしている。タイレストランが沢山あると言っていた。彼女が降りると私一人が残る。段々町の中心から離れて行く。何故だ??

運転手がここだ、と言った場所はどう見てもホテルとは思えない旅館であった。名前も耳海賓館という。中に入るとフロントの女性が怪訝そうな顔をする。『予約しているんだけど?』と聞いてみると、奥からオーナーらしい男性が出てきて、『うちには今夜予約は入っていないよ』とかなり胡散臭そうに私を見る。(どう見ても外国人が予約して泊まるような所ではない)

おかしいなとバックからFさん作成の予定表を取り出す。男性も覗き込み、『金版納じゃないか』と言う。確かによく見ると『金』が付いている。男性はそれならあっちだと指を指すが、歩くと相当かかると言う。タクシーを捜すと直ぐに見つかる。昔は夜9時過ぎにタクシーを見つけるなんて至難の技であったが、今は普通のことである。

タクシーはメーターも倒さずに走り出す。観光地なのでぼられるかと思って見ていたが、5分で立派なホテルの前につける。よく見るとさっきカップルがガイドと降りて行った皇冠飯店の向かいではないか。運転手は何事もなく5元と言う。ここでは市内はどこへ行っても5元であると言う。まるで戦前の東京の円タクではないか。

ホテルは結構立派なロビーがあり、部屋は後方の2階建ての棟にある。プールサイドで飲み物を飲んでいる人達がいる。如何にも南国風で心地よい。緊張は全て吹き飛ぶ。部屋は普通のツインで3星ホテルとしては良い方ではないか。

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(4)夜市
暖かい南国の夜に部屋にいるのはつまらない。タクシーを降りる時に道路に夜市が出ているのが見えた。皇冠飯店の横にある。昼間は普通の道として使われているが、夜は交通を遮断して観光客向けの夜市としている。

 

『西双版納旅遊購物夜市場』と書かれた看板が光っている。歩くと少数民族が民族衣装を着て、路上に品物を並べて売っている。バナナなどの果物、花、工芸品。プーアール茶を売る者もあるが、暗くてお茶の質などはよく見えない。きれいな箱に入れているものもあるが、中身はどうであろうか?

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太い幹の椰子の木にイルミネーションが煌く。中国各地から来たと思われる観光客が思い思いに土産物などを選んでいる。中国の観光地の中には売り子がしつこいくらいに纏わり付いてきたり、強引に売りつけようとしたりするところがあるが、ここでは皆が受身である。声を掛けることもなく、ただ座っている。民族衣装で横座りする姿は、怠惰にも見えるが、何となくたおやかである。

結局何も買わずに帰る。明日はどうするのか、どうなるのか分からない旅では物を持つ予定が立たない。明日は易武という山中に分け入ることになっている。そう思いながら部屋に戻ると電話が鳴る。

F夫人から『易武行きのバスは6時半と9時半に出る。』との連絡が入る。さっきは8時といっていたから、再度確認してくれたのだろう。有り難い事である。ゆっくり9時半のバスに乗ると返事をしたが、結構興奮している自分に気が付いていた。

 

《雲南お茶散歩 2006》昆明、景洪(2)

2月12日(日)
(3)昆明2日目の朝

朝はゆっくり起きた。9時になっていた。昨夜F夫人からは昆明の観光地である花博物館(2001年に花博覧会の会場)や雲南民族村(雲南には少数民族が多い)に行こうと誘われていたが、これも断っていた。一つは彼らも疲れているはずで申し訳ない、もう一つ私は観光地に本当に興味が無かったから。

ホテルは朝食付きなので1階のレストランへ。ブッフェ形式は中国のどこのホテルも同じである。しかし食事をしている人々の顔が違っていた。中国人はあまり多くなく、パキスタン系と思われるファミリーが沢山いた。何故なのだろうか??偶々団体旅行に来ていたのだろうか??お陰でフルーツなどはきれいに食べられていた。私は粥をすすった。

そして外に出た。今日は日曜日であったが、両替をしようと銀行を探す。日本では日曜日は休みであるが、中国の銀行は大抵開いている。ホテルの斜め前に大きなビルの銀行があったので入ってみたが、中国銀行以外外貨の両替は出来ないと言われる。銀行が開いている理由は中国人の個人客向けのサービスだそうだ。

中国銀行を探し出す。取り敢えず市の中心部に向かう。大きな通りは立派な商店などが並んでいるが、一歩路地を入ると昔ながらの町並みが見える。道の両側に露店が並び、道に品物を並べる人々がいる。80年代の面影である。

やがて般龍江という川に出る。双龍橋という橋の袂に花が満ちていた。さすがに花の都。川沿いに歩いてみると老人が転寝していたりする。川面をじっと眺めている人民服を着た老人もいる。この風景は昔よく見た。

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少し行くと水を売る店が有る。中国では生水が飲めないので、一度沸かしたお湯を使うが、最近は豊かになり蒸留水を使う家庭が増えている。恐らく18?で10-20元と日本と比較すると破格の料金ではある。その水をどのようにして運ぶのか?見ると自転車の後方に両側に2つずつ収納できるケースを取り付けてある。成る程一度に4本自転車で運ぶらしい。お茶に興味を持って以来、水にも無関心で居られなくなった。

川沿いに犬が二匹繋がれている。昔は食べていたかもしれない犬を飼う中国人が最近は増えている。この二匹は胴体に服を着ている。ペットであることは明らかだ。犬はギャンギャン吼えている。繋がれていることが余程不本意なのであろう。何となく現在中国の状況を感じさせる。

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どんどん北に向かって歩いて行く。川から離れ、住宅街を行く。やがて金馬広場に出た。大きな2つの門に『金馬』『碧鶏』と書かれている。どんな謂れがあるのであろうか??広場は観光スポット化している。広場の道路と反対には土産物を売る商店が並び、中にはプーアール茶を売る茶荘もある。

南に行くと塔が見える。西塔。公園のようになった広場の奥に囲われている。849年に創建され、1499年の昆明大地震など数回の地震で倒壊し、現在の塔は1983年に再建されたもの。35m。塔には小さな凹みがいくつもあり、その中には1つずつ仏の像が入っている。塔の後方には古めかしい建物もあるが全体的にはかなり新しいイメージである。

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東の方を見ると遥か向こうに東塔が見える。そこまで行く間は如何にも観光地といった舗装道路がある。両側に商店があり、建物は皆新品である。残念ながら私はこういう光景が好きではない。確かに昆明も観光で潤っているのだろうが、如何なものであろう??

横道に入るとそこにも新しい城壁、新しい城門が見られる。全て昔の物を復元したのだろう。昆明の歴史とはどのようなものなのか??不勉強で何も分からない。確か三国志には諸葛孔明が西南の国を攻めたと思う。当時は南方の野蛮な国として描かれているが、そうなのだろうか??

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東塔。西塔とほぼ同じ形である。塔の横に茶花園がある。5角を払って入る。塔もこの花園の中にある。バラの花が咲く下にテーブルといすがある。決してきれいとはいえないその家具が輝いて見える。別のテーブルでは老人がお茶を飲みながら話し、また別のテーブルではトランプに興じている。この空間には理想の匂いがある。ゆっくり流れる時間がある。ここに座ってお茶を飲みたかったが、そろそろ時間である。ホテルに戻る。結局ホテルの向かい側に中国銀行があり、両替できる。両替先を求めた午前中の旅は意外性を持って終わる。こんな散歩が楽しい。

(4)円通寺と昼飯
昨夜F夫妻と昼食を取る約束をした。というよりFさん達が昆明の名物の麺を是非食べさせたいと誘ってくれたのだ。有り難い。待ち合わせ場所が円通寺の門前というのも面白い。念の為間違えないようにタクシーに乗ると『今日は正月15日だから人が多いよ。』と言う。そうか、今日は元宵節。

門前に到着すると確かに人が多い。入場券を買う窓口には人が溢れて、次々にお札を窓口に押し込んでいる。傍では乞食が手を出している。Fさんはまだ来ていないようだ。周りを眺めてみると線香を売る人、果物を売る人、様々な人々が市をなしている。

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Fさんと合流。寺に入る。円通寺は唐代に創建された1,200年以上の歴史を誇る昆明の古刹。円通山の麓にあることから途中で円通寺と改名される。門を潜ると何と下って行く。珍しい。下り切ると池が見える。池には放生と呼ばれる仏教の功徳として、亀、鯉などが放たれている。

池の前では所謂焼香が行われている。大勢の人々が線香を焼いて祈っている。更に奥にいくと宝殿がある。輝かしい仏像が安置され、人々が祈っている。その前には麒麟の像が両側に置かれ、皆が像に触れている。自分や家族の悪い所に触れると直ると言う言い伝えがあるそうだ。取り敢えず頭を撫でておいた。

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寺を出て道を渡る。向かい側のビルの1階に仏具を売る店がある。その一角にプーアール茶を売るコーナーがあった。Fさんは立派な箱を取り出す。上の段にはお守りや数珠などが入り、下段には餅茶、沱茶などが納められている。Fさんも関係して出来た豪華版だそうだ。お寺がお茶を売るなんて、と言う考えはもう古いかもしれない。中国では誰でも収益を上げて生きていかなければいけない。

写真を撮っていると店員の女性に怒られてしまった。確かに宗教関係の写真を撮るのには注意が必要だ。しかも店の商品や品揃えを撮るのはやはり拙かった。Fさんが取り成してくれたが、写真には注意しなければ。

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お昼は昆明でも美味しいと評判の過米線城というレストランに行く。日曜日の昼ということも有り、満席である。F夫人も加わり、3人で過米線を頂く。先ずは前菜として小皿が4品。これが美味い。山菜の漬物、セロリとピーナッツなど日本人には食べやすい。というより日本と同じようなものを食べているというべきであろう。

 

続いてスープ。鶏がらのスープでコクがある。ワンタンが入っている。あっと言う間に飲んでしまう。学生の時に近所の肉屋に鶏がらを貰って学園祭でスープを作ったことがある。その味に似ている。勿論こっち方が遥かに美味いのであるが。

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スープを口に入れていると大きな椀が来る。スープが入っている。麺が来る。分かれている。小皿に肉、魚、山菜、生卵などが盛られてくる。何故か菊の花まである。飾りかな??Fさん達は携帯に頻繁に電話が入り、その間を縫って麺と具を椀に入れている。ここに入れて半生で大丈夫なのかな??心配になりながら、入れた具を眺める。菊の花も入れる。

少し間を置いて食べてみる。スープが熱いのか、生で入れた肉や魚が上手い具合に温まっている。菊の花の香りが非常に良い。麺は日本のうどんのようで食べやすい。卵もいい感じになっている。駅の立ち食いうんどに生卵を入れた感じである。これもあっと言う間に片付ける。Fさんがお替りするかと聞く。何と替え玉が頼めるらしい。今回は腹いっぱいで遠慮した。このセットで一人20元だそうだ。ご馳走になってしまい恐縮。

店を出ると次の仕事が待っている。全てFさん夫妻のアレンジがスムーズなお陰である。店の横は昆明動物園である。今は野生動物園が郊外にあり、動物が少なくなっているそうだが、人通りは多い。ここで何と、今日の夜に行く西双版納景洪行きのエアーチケットを受け取る。旅行社の人間が待っており、大胆にも路上で金銭を渡し、チケットを受け取る。一瞬緊張したが、治安は悪くないようだ。夜8時に出発だ。しかしそれまでまだまだ時間がある。どうなるのやら??

(5)茶卸市場へ
ここでFさんと別れ、F夫人と二人でタクシーに乗る。どこへ行くのか??着いた所がどこかも良く分からない。するとF夫人が目の前のレストランを指し、『最近まで経営していたレストランだ』という。

羊肉料理を出していたそのレストランは繁盛していたが、家主から場所の一部返却を求められ止む無く人に譲ったという。今は別のレストランとなっていた。彼女はまたレストランを始めたいという。日本のラーメンはどうかと真剣に考えている。彼女の弟が日本に留学中アルバイトでラーメンを作っていたことを知る。兄弟で知恵を出し合って何かを作り出す、素晴らしいことではないか。私としては日本に過米線の店を出してもらった方が有り難いが、恐らくコストが合わないだろう。

そうこうする内にFさんが何故かバイクで登場。そしてプーアール茶の専門家であるという男性を連れている。FKさん。どうやら一緒にお茶の卸市場に行くらしい。昆明には2つの卸市場があるという。今回は南にある新しい方へ行く。

突然また男性2人がいなくなる。どうなっているのか?少し待つと何とFKさんがバンを運転して来た。急いで乗り込む。聞くとFさんは自家用車を持っていたが、脊髄を痛めてしまい、医者から運転禁止を言い渡されたらしい。

車に乗ること30分、康楽茶葉交易中心に到着。この2年前にオープンした卸市場には当初はなかなかテナントが集まらなかったが、その頃始まったプーアール茶ブームが追い風となり、現在308軒の茶荘が軒を並べる。広々とした敷地にはプーアール茶中心として、思茅、景谷、版納など雲南各地の地名を付けた看板が並ぶ。

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1軒の茶荘に入る。FKさんの親戚の店だという。早々に秘蔵のお茶が取り出される。しかし会話が全て雲南語(昆明語)で聞き取れない。FKさんは入れられたお茶をちょっと飲んで、直ぐに捨ててしまう。気に入らないらしい。私にはそんなに不味くは感じられないが。Fさんもここでは茶商の顔を出す。彼はこの商売を本格的に始めて2年とか。ある意味ではFKさんの弟子として修行中なのかもしれない。

もう1軒入る。ここはお客さんが多い。案内書を見るとここのオーナーは現在雲南省で最もプーアール茶を出荷している孟海茶廠の茶師を20年に渡って務めた女性だという。有名人らしい。店にはニコニコしたお姐さんがお客に愛想を振りまいている。何となく面白い。

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ここで餅茶の生と熟を飲み比べる。FKさんなどは生茶を飲むと胃が受け付けないという。生茶は30年ほど前に開発された物でそれまでは全て熟茶であった。飲んだ生茶は本当に緑茶のようであった。聞けば作って1-2年のお茶である。ここ昆明では香港や台湾で売っている所謂ビンテージ物などは殆どないという。殆どないから貴重なのであり、その辺に転がっていれば価値はない。地元の人は数年物を日常的に飲むのである。考えてみれば当たり前の話である。では香港や台湾にあるビンテージ物は一体何なのだ??

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その中で1984年作製の餅茶が出てくる。面白いのは餅の形にしたのは10年後ぐらいだそうだ。どうしてそうするのかは分からなかったが、現地に来ると色々と発見がある。やはり外地で売る時は情報が段々いい加減になり、伝言ゲームのように信憑性が無くなっていくものらしい。

この店はかなり広く、竹筒茶や正月飾りの茶などデザインが凝らされたものも売っている。ここで小さなサンプルを貰う。菊花プーアール茶。Fさんから日本人が好きなお茶はどんなものか?と聞いてきたので、さっきの過米線の中に入った菊花が気に入ったので、これを選んでみた。実際香りがよく、プーアールのかび臭さを消している。

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茶馬古道の話も聞く。FKさんから説明を受ける。店に有った雑誌に載っていたので確認する。この道は隋唐時代に始まり、シルクロードと同様の方式で雲南省の茶葉を遠くは西アジアにまで輸出していたもの。ルートは西双版納から大理、麗江を経由し、チベットにぬけると言う壮大なもの。また別ルートでは昆明から西安を通って北京まで行っている。

馬の背に乗せる茶葉として餅茶、沱茶の形が適していたような気がする。大量の茶葉を載せて、高い山々を越えて行く馬の姿を想像すると何となくワクワクする。行って見たくなる。

近年降って沸いたプーアール茶ブームである。この卸市場も開業当初は入居者が少なく、3ヶ月のフリーレントを付けて何とか入ってもらっていたが、最近は空きがない状況。プーアール茶の出荷量も倍倍ゲームの伸びを見せている。訊くと普通の店舗で年間3万元程度の家賃だそうだが、これから値上げがあるだろう。

プーアール茶は昔から香港や広東省などでは良く飲まれていたが、90年代に台湾人がお茶ブームの中でビンテージ物のある事に注目し、古い餅茶などを骨董品のように売買した。(他のお茶は新しい方が良いのでビンテージなどはない)40年物、50年物などのお茶が実しやかに店頭に並び、数十万円、数百万円単位で売買された。その流れが台湾人から香港人、香港人から大陸中国人に移ってきている。現在はお茶と何の関係もない人々がこの卸市場にも買いにやって来る。市場が繁盛することは喜ばしいことであるが、その内容については残念ながら首を傾げる。

(6)南塀街
FKさんの車で街中へ戻る。もう直ぐ景洪へ行く飛行機の時間であるが、ホテルをチェックアウトしていることもあり、Fさん達が町を案内してくれるという。ほぼ町の中心で車を降りる。

南塀街、広い道は観光用にきれいな街路樹に石畳。しかし一歩横道に入ると昔の中国であった。多くの屋台がひしめき合う。少数民族の多い昆明のこと、タイ族などにより竹筒飯など南の物品が運び込まれる。見慣れない木の実や草葉も売っている。漢方薬用であるらしい。

建物もレトロである。1階が商店、2階が住居という南国の典型的な造りである。木造のものもあり、屋根に瓦が載っているものもある。この辺りで一番古い建物は漢方薬屋として使われている。何となく効きそうな薬を売っている雰囲気がある。

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2億年前の石を売っている店もある。結構きれいで部屋の飾りとして使われているようだが、さすが2億年前を信じている人はいるのかどうか??雲南ならではといった感じで、なかなか面白い。

広い通りに戻ると例えば上海の南京路の遊歩道のようなちょっと洒落た道がある。中心には昔の昆明の地図が描かれており、足で踏みながら位置を確認したり出来る。昆明は古い町なのである。

般龍江の畔に出ると大きな牛の像が囲みの中にある。この辺の守り神のようで、大切に置かれている。以前は囲いがなく、寺の麒麟のように自分や家族の悪いところを触って拝んでいたようだ。観光客の増加と共に守り神を守る必要が出てきたのであろうか??

午前中に通った金馬広場に出たところで、Fさん夫妻と別れてタクシーに乗る。ホテルに戻って預けていた荷物を受け取り、そのまま空港へ。夕方のラッシュ時で渋滞が予想されたが、あっと言う間に空港に着いてしまう。

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《雲南お茶散歩 2006》昆明、景洪(1)

《2006年2月 雲南お茶の旅》

前回2005年7月の台湾・香港・広東省お茶の旅から数ヶ月が過ぎていた。次回はどうしようか?毎年2回台湾・広東省を回ろうか、それともミャンマーに行こうか?そんなことを考えながら帰宅するため電車に乗っていた。

突然声を掛けられた。中国茶の専門家でサラリーマンとしても頑張っているHさんが前に立っていた。『次回はどこに旅行に行くんですか??』と聞かれて何気なく『雲南省にお茶の原木でも見に行きたいんですが、知り合いがいないと難しいでしょうね?』と答えた。きっと潜在意識下にはいつか行かなければいけない、という感覚はあったのだろう。

Hさんは『この間雲南省出身の中国人と知り合ったので紹介してあげましょう。』とさり気なく話してくれた。これは何かの縁かもしれない。最近の私の旅は大体何らかの縁で出来ている。急に行く気になってきてしまった。

Hさんのご紹介で早速雲南省出身のQさんと連絡を取り、会いに行く。彼は1986年に来日以来日本で大いに活躍し、最近プーアール茶を扱い始めた。以前は高給を取っていた彼が、『お客さんからの注文を受けて1つ1つお茶を封筒に詰めて郵送することに喜びを感じている』との言葉に感銘を受ける。

たった1度の出会いであるが話は尽きず、遅くまでお邪魔してしまった。雲南旅行のアレンジもご快諾頂いた。しかしその後なかなか休みが決まらず、お待たせしてしまった。ようやく2月に行くことになった。

1.上海
(1)上海まで
朝起きるとトリノオリンピックの開会式を放送していた。昔はオリンピックと言えば何をおいてもテレビにへばり付いていた私が、興味を失い始めたのはいつの頃だろうか?アテネの時もミャンマー旅行に出掛けていたりした。

今日は2月11日、忘れもしないあの札幌オリンピックのジャンプで日本勢が金銀銅独占を果たした記念の日である。何か因縁めいたものを感じる。そういえば聖火リレーを見たのも、札幌大会だ。当時住んでいた栃木にも聖火がやって来た。駅前で大勢の人に混ざって見た。

最近マラソン界では大会前に昆明で高地トレーニングをする選手が増えている。今回昆明に行くのも何だか因縁めいている。何でも因縁、因果などで説明してはいけない。単に思い出すだけなのだから??

今回のフライトは午後なので時間的な余裕がある。しかし日本では何があるか分からないので2時間前には成田に到着。全く順調である。が、成田エクスプレスはいつも満員であり、今日は立ち席の販売があった。何となく混んでいる雰囲気がある。

案の定、東方航空のカウンターは込み合っていた。出張や観光で上海に行く日本人も並んでいるが、やはり中国人が多い。久しぶりに上海語も聞こえてくる。ふと横を見ると荷物検査台の上の石油ヒーターを挟んで、検査員と上海人が睨み合っていた。どうやら燃料を入れる場所に何か入っていたため、搬入を拒否されているようだ。

上海人は日本語の出来る友人を交えて、一体何がいけないのかと言った感じで憤慨している。その人の子供達は何が行ったのか分からない様子で無邪気に遊び回っている。何となく昔日本人が海外で起こしていた小事件を見る思いである。これからは中国人が世界中でチャイニーズウエーを押し出していくのだろう。

いつも思うのは、出国手続きの混雑である。今回は荷物検査に長い列が出来ていたのに、出国審査は全く並んでいなかった。荷物検査が厳しくなったのか??冬で皆着ているものが多く、時間が掛かっている様だ。時間短縮の努力を空港は行っているのだろうか??外国人観光客を呼び込む政府活動はこういうところには及ばないのだろうか??

東方航空の機内も満員であった。やはり上海が世界の中心都市の1つとなった気がする。20年前我々が上海に留学した時、誰がこの状況を予想しただろうか??機内でも日本語のアナウンスがあり、日本の新聞も配られる。

しかし時刻表では午後4時到着となっているのに、4時近くになっても何のアナウンスも無い。どうなっているのだろうか??私は今日浦東から虹橋の空港に移動して7時の昆明行きに乗り継ぐことになっている。いつ着くかわからないでは困る。如何にも中国的。

(2)浦東から虹橋へ
4時40分に浦東に到着。最後まで延着の理由は分からない。イミグレの前は予想通り長蛇の列。それでも3年前に比べれば外国人のゲートが相当増えている。明らかに外国人と分かる人も多いが、中国人と思われる人々も並んでいる。間違っているのかと思うと、パスポートが日本である。既に日本に帰化した人も相当数いるということか。

イミグレのスピードは格段に速くなっており、心配を他所に10分程度で通過した。外に出ると虹橋行きシャトルバスもあるようだったが、土曜日の夕方と言うこともあり、大事を取ってタクシーに乗る。昆明行きのフライトの2時間前である。

タクシー乗り場も長蛇の列であったが、ここも整然と並んでいる。中国人の出迎えを受けて一緒に並ぶ日本人も多い。事業は上手く行っているのだろうか??タクシーに乗ると運転手は40分で着くと言う。何だか拍子抜けするほど便利になっている。3年ぶりの上海、私の時間は明らかに止まっていた。

浦東空港を出ると直ぐに空港2期工事の現場が見える。浦東はどんどん大きくなる。上海の繁栄が見えるようである。高速に乗って快適に走る。空港が出来た頃は畑であった場所に高層のマンションが出来ていたりする。立派な橋を渡り浦西に入り、ここでも高速に乗り、スムーズに虹橋空港へ。確かに40分で着いてしまった。しかしタクシー代は150元。便利には費用が掛かる。

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空港では時間が余る。そこで先ずは両替をしたいと思ったが、何とこの空港には両替所も銀行も無かった。ATMがひっそり置かれているだけ。昔の国際線が発着していたイメージからは程遠い。ターミナルはきれいになっており、落ち着いた雰囲気で人がごった返すかつての面影は無い。

荷物検査を通り、今度は携帯電話の充電を行う。この携帯、実は家内が香港で使用していたもの。日本の携帯は殆ど海外では使えないが、この携帯はチップを換えれば中国でも香港でも使える。そして面白いのが、各携帯に合わせた充電器を備えた機械があるのである。これは便利と1元を入れたが、一向に充電できない。どうやら香港の携帯は壊れていたようだ。

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仕方なくビジネスセンターに行き、インターネットでメールを確認。今回はわざわざ新しいPCを買ったにも拘らず、結局面倒で持って来なかった。携帯も使えないとなるとかなり面倒なことになった。

2.昆明へ
(1)昆明まで
夜7時15分に東方航空は上海を飛び立った。しかしここで初めて分かったことがある。何とこの便は昆明直行ではなかった。確かに旅行社から日程表を貰った時に上海―昆明間のフライト時間が結構長いことが気になっていた。偏西風の関係だろうと高を括っていたのだが。

しかも経由地は聞いたことがない場所であった。宜昌。武漢と重慶の丁度中間に位置する。長江の三峡を下ってここで川幅が広くなる。ダムで有名。三国時代は劉備が関羽の仇を打とうと呉を攻め、逆に大敗する『夷陵の戦い』の舞台でも有り、日中戦争も武漢まで攻め込んだ日本軍がここを超えられなかった要所だ。

夜9時過ぎに宜昌空港に到着。ここで乗客の殆どが降りた。それを見送っていると何と我々昆明組みも下りるように言われる。何故??どうやら清掃のために全員を室外に出すようだ。タラップを降りる。殆ど飛行機も見えない。勿論ターミナルまで歩いて行く。

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ターミナルは立派である。最近出来た空港に違いない。空港の正式名称は『三峡宜昌空港』。まさに三峡を下ったお客をここから飛行機に乗せるらしい。それでは今降りて行った乗客は何をするのだろうか??確かにビジネスというよりは観光と思われる人々であった。トランプをやり、騒いでいるグループもあった。きっとここからバスで少し上流に行き、下って来てまたどこかへ行くのだろう。

中国の旅も慌しくなったものだ。便利になるということはそういうことである。中国中に飛行場が出来、溢れ返っている。兎に角何でもいいから飛行場を使って欲しいという要請と、各地方の観光収入増加策が相まって、かなり無理はスケジュールの団体旅行も組まれているらしい。

10時前に再び搭乗。我々が乗り込んだ後、新規組みが乗り込む。彼らは自由席だ。混乱しながら席を探す。また満員になる。中国で飛行機に乗って感じることの1つは、一体どこから出てくるのか、大勢乗り込んでくることである。特に地方都市では最後は大体満員になることである。チケットの按配はどうなっているのであろうか??かなり複雑なはずであるが、最終的に席が無いといった混乱はない。不思議である。

(2)昆明1日目
23時45分、定刻に昆明に到着した。前の空港とは異なり、沢山の飛行機が停まっている。ターミナルに向かうバスは飛行機を避ける為、大回りする。19年ぶりの昆明空港は勿論綺麗になっていた。

1987年1月当時留学していた上海の大学の留学生旅行で昆明を訪れた。上海―昆明間は66時間を掛けて列車で移動した。そして当時秘境と言われていた西双版納に向かうためにこの空港から、旧ソ連製のアントノフという凄まじいプロペラ機に搭乗したのである。その時の空港は正直言ってバラック小屋のようで、飛行機の乗るのに滑走路の脇を歩いた。そしてアントノフを見て、搭乗するのに尻込みしたものである。

今の空港は綺麗な国際空港である。香港、タイ、更にはミャンマーなどとも結んでいる。関空からの直行便もある。手荷物しかない私は一番に出口を出た。出迎えの人を探したが、見当たらない。今回はQさんのアレンジで、彼の妹さんご夫妻にお世話になることになっている。ふと横を見ると向こうから紙を持ってやって来る人がいる。紙を見ると私の名前がある。Qさんの妹さんの旦那さんFさんであった。

実はFさん達にとって今回の私の訪問は迷惑であったはずである。何故なら旧正月休みにQさんのお父さんの故郷山西省に皆で行っており、何と帰ってきたのが今日だったのである。しかも山西から列車の旅である。48時間、丸二日を列車で過ごし、昼に自宅に戻る。そしてこの夜中の12時に空港に出迎えに来てくれたのである。もう申し訳ないのを通り越して、恐縮してしまう。

空港からタクシーに乗り、予約して貰っていたホテルへ。金龍飯店は空港から15分ぐらいと近く、直ぐにチェックインできた。そして3人で部屋に上がり、明日からの予定を立てた。

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彼らは西双版納と大理、麗江などの観光地を候補として用意してくれていた。普通の日本人ならここまで迷惑を掛けていれば、素直にこの案に従ったであろう。しかし私はこの部分では既に日本人の思考を持っていない。

雲南の茶の木を見たい、プーアール茶の製造工程を見たい、というと旦那のFさんは疲れていたはずだが、目を輝かせた。そして午前1時、案が纏まり明日アレンジしてくることになった。さて、どうなるのだろうか??長い一日は既に翌日になっていた。