「中国」カテゴリーアーカイブ

《蘇州お茶散歩2013》(6)蘇州 いきなりIT博覧会へ

10月16日(水)

なぜかIT展示会へ

翌朝ホテルをチェックアウトして、王さんのオフィスへ。こじんまりしていたが、展示物が多く、色々なビジネスをやっている様子が伺える。日本と中国を繋ぐ仕事、何とも幅が広い。王さんはいくつも飛んでくるニーズに一つ一つ丁寧に答え、確実に積み上げていったのだろう。

DSCN7378m

 

ここで王さんとお別れして、IT展示会に行くことに。ところが午前9時過ぎなのに、タクシーが全く捕まらない。走ってきても乗車拒否される。どういうことだろうか?仕方なく王さんのスタッフが運転して送ってくれることに。何とも申し訳ない。

 

どうして私がIT展示会へ行くのか。これも不思議なご縁だが、昨年1度セミナーに呼ばれた先の主催者Yさんが偶々この展示会の関係で出張してきていたのだ。せっかくなので会場で会うことに。会場は蘇州でも一番大きなコンベンションホールだと思うが、そこに人が溢れていた。やはりITはいまだに活気があるのか?

DSCN7389m

 

Yさんとちょっとミーティングして、展示を少し見学。日系企業も多く出店していたが、勢いは韓国・台湾勢か。更に11時からオープニングセレモニーがあり、蘇州市長以下の列席で盛大に取り行われていた。中国は未だに仰々しいセレモニーが好きなんだな。

DSCN7384m

 

久しぶりの再会

会場を出てそのまま開発区を行く。昔の蘇州のイメージは埃っぽくて、あか抜けない感じだったが、開発区を歩くとそのイメージが一変した。従来上海からの日帰りゾーンだった蘇州にも高級ホテルが建ち始め、久光などのデパートも充実していた。空気も川も上海より遥かにきれい。

DSCN7390m

 

今回最後に会ったのは、昔北京で一緒だったHさん。同じグループの金融機関だったことから仲良くしていたが、彼はその後上海、北京を渡り歩き、蘇州のオフィス開設と共に赴任していた。ランチを共にしたが、忙しい彼はこの後すぐに成都へ出張に出るという。

 

Hさんによれば『今の開発区は、上海よりもはるかに暮らしやすい。物は何でも揃うし、上海ほどごみごみしていない。ひょっとすると日本人にとって中国一住みやすい街かもしれない』とのこと。反日の時は一部で被害があったものの、その後特に問題もないようだった。

DSCN7392m

DSCN7393m

 

食事後、タクシーでホテルへ戻り、荷物を取ってそのまま駅へ。立派な駅で切符もスムーズに変える。高速鉄道でわずか30分、上海、虹橋駅へ着いてしまった。確かに蘇州は便利になった。

DSCN7399m

《蘇州お茶散歩2013》(5)蘇州 昼は白魚、夜は蟹

豪華な昼ご飯

それから立派な庭園レストランへ行く。杭州ほどではないが、蘇州にもお金持ちが多く、また文人も多い。趣のあるレストランが作られるのも当然だろう。中には誰もいなかったが、予約したのだろう、我々の席は用意されていた。

DSCN7348m

 

蘇州、太湖の名物、白魚。柔らかくとろけるように美味い。家から持ってきたじゅんさいをスープにしてもらっていたが、こちらも豪勢だった。あっさりしたスープに仕上がり、何杯でもお替りできた。碗からじゅんさいがはみ出すほどで、これほどのじゅんさいを一度に食べたのは初めてだった。

DSCN7352m

DSCN7354m

DSCN7356m

 

そしてそのまま庭を散策し、これまた立派な建物に入る。呉濃、と書かれているが、何だか博物館に入るようだ。中は薄暗かったが、董事長という肩書の人が、蘇州の茶の歴史などを話してくれた。ちょっと趣があり過ぎて、お茶が買えるかどうかも分からず、話だけ聞いて退散した。今回の茶旅は茶畑までやってきたが、茶葉なしという結果に終わる。

DSCN7359m

 

帰る前にじゅんさいの養殖池を見学した。その脇に新しい工場を作っていた。池は結構広いので、どこにじゅんさいがあるのかすら、分からなかった。お土産にこの池でじゅんさいを取る時に一緒に取れた蟹を貰う。じゅんさい池に蟹がいるのかと思ったが、どうやら隣は蟹の養殖池らしい。まさに上海ガニ、そのものが迷いこんできている。

DSCN7365m

 

4. 蘇州2

晩御飯は蟹

その夜は王さんの家で蟹パーティーとなる。何とも意外な展開だが、中国ではよくあること。ここで上海ガニにありつけるとは、何とも。この蟹は本当に美味しかった。久しぶりに蟹を堪能した。

DSCN7373m

 

王さんの家にはお母さんがいたが、ご主人は出張中で会えなかった。色々とビジネスをやっていて、忙しいようだった。一人息子はカナダへの留学が始まり不在だった。王さんは自分のビジネスをしながら、お母さんの世話、ご主人の会社の世話、息子の面倒を見てきたわけで、その苦労は大変なものだった老が、そんなことはおくびにも出さない。

 

もう一人客がいた。何と上海復旦大学で王さんの同級生、日本語学科卒の男性、王さんだった。現在は上海で人材紹介業をやっているようで、偶々出張できていたらしい。恐らく留学当時キャンパスですれ違ったりしていただろうが、覚えはない。ただ同じ空気を吸っていた者同士、すぐに打ち解けた。彼は日本へ留学し、日系金融機関で働いていたが、見切りをつけて独立したようだ。何とも楽しい蟹パーティーだった。

DSCN7376m

《蘇州お茶散歩2013》(4)蘇州 碧螺春の茶畑

10月15日(火)

3. 東山

先ずはじゅんさい屋さんへ

翌朝王さんがホテルに迎えに来てくれた。トヨタの高級車、王さんも今では会社を経営する老板である。何だか夢のような気分だった。王さんと交わした会話など、このことはコラムに書いた。

 

http://www.chatabi.net/chatabi/thailand/418.html

 

そして30分走り、先ずはじゅんさい屋さんへ。日本では高級料理の先付などに使われる高級食材だが、蘇州にただ一軒、じゅんさいを栽培しているこちらの農家は日本に輸出している。勿論王さんも貿易で活躍している。だが何故じゅんさい屋さん?実はこの家の親戚が東山で茶農家をやっており、紹介を得るためにやってきたのだ。25歳の2代目が同行してくれた。彼は日本への留学経験もあるが、この2年は殆ど使っておらず、忘れてしまったと嘆く。

DSCN7304m

 

大きなプラスチックの桶に、じゅんさいが溢れんばかりに詰め込まれている。こんな大量のじゅんさい、見たこともない。それを大きさで選り分けている。これは意外と大変な作業だ。特に日本は大きさにうるさいので、慎重にやっているようだ。多少大きさが違ってもよさそうだが、日本の料亭で出て来る時は、ほんの少しだから、大きさに差があってはまずいのだろうか。

DSCN7307m

 

とても広い敷地内に立派な家があり、工場もある。工場は狭くなったということで別の場所にも持っているようだ。これからは中国国内市場の需要に合わせたじゅんさいの出荷をしていきたいとのこと。日本より中国市場の方が有望であろう。

 

東山茶農家

そしてここの息子が同行してくれ、いよいよお茶農家へ行く。車で10分ほどの場所だった。ここも立派な家構えで、車も保有している。蘇州の農家は裕福なところが多い。早々に主が出てきて、茶園へ案内してくれた。

DSCN7309m

 

歩いてすぐの所に小高い丘があった。そこを上ると、両脇に茶畑が広がる。そして聞いてはいたが、茶畑の茶樹の上には果樹が覆いかぶさっている。適度に光が当たるように調節されているようだ。実際に見てみると何だか不思議な感じだが、『果樹は茶樹を遮る、かぶせの役割のためにあるのか』との質問には、『我々はそんなことは全く考えていない。果樹を植えたのが先か、茶樹が先かすら分からない』との答え。ちょっと意外だった。

DSCN7311m

 

主が果樹を指して『みかん』という。ちょうど今はみかんのシーズンのようで、日本とほぼ同じサイズのみかんが沢山なっていた。他にも枇杷や杏子など数種類の果樹が植えられており、ほぼ1年中、何かが採れるということだった。だから『碧螺春は1年に1回、春にしか作らない』のだとか。芽が出ている茶樹もあり、ちょっと残念に思ったが、収入から言えば果実の方が実入りはいいのかもしれない。無理して摘まないから、茶樹も力がある。

DSCN7316m

 

更に坂を上る。石畳になっており滑らないようになっているが、とても機械で茶葉を刈ることはできない。この農家でも毎年江西省から茶摘みおばさんを呼んできて、手摘みしている。『茶摘みをする労働者は年々減っているので、確保が大変だ。旧正月には江西省の彼女らの家まで手土産を持って新年のあいさつに行くんだ』という。驚くべき状態だ。賃金も毎年上昇しており、お茶の価格が上がらなければ、その内辞めてしまうかもしれない。危機的な状況だ。

DSCN7323m

 

茶樹と果樹が混合しており、また雑草なども何種類も生えている。農薬などは極力使わないようにしているらしい。単一の作物を植えるのは、決して木にも土にも良くないと聞いている。そういう意味ではこの畑は自然とよく調和しているのではないか。

 

家に戻り、お茶を頂く。豪華なリビングルームの横には、何と大きな鍋が備えられていた。『これで茶葉を炒るんだよ』と手真似をしてくれたが、どうやら主の仕事はこれだけであるらしい。茶葉は産毛が多く、湯を注ぐと濁るが、独特に香りと甘さがあった。茶葉を分けて欲しいと思ったが、今は既に10月、『来年の3月にまたおいで』と言われてしまった。いつの時期でもお茶があると思う方がおかしいのだろう。来年を期す。

DSCN7335m

DSCN7340m

DSCN7344m

《蘇州お茶散歩2013》(3)蘇州 平江歴史文化街

ユニークな銀行体験

同行してくれたスタッフの日本語はほぼ完ぺき。80年代上海の大学を卒業して日本へ留学、日本でも働いていた上海人。彼女のような人を私は何人も見てきた。当時上海は日本留学ブームだったのだ。毎日日本領事館に数百人が列を作り、ビザの発給を待っていた。あの光景の中に彼女もいたのだろうか。

 

『どこへ行きたい?』と聞かれ、咄嗟に『銀行』と答えた私は滑稽に見えただろう。蘇州で行きたいところが銀行とは。でもちょうど北京の息子に仕送りする必要があったので仕方がない。中信銀行を探すとすぐに見つかり一安心。ところが・・。ATMで振り込みをしようとすると、『このカードは北京発行なので機械では受け付けない。振り込み手続きをしてほしい』と言われる。用紙を貰って書き始めると色々と記入しなければならず面倒だというと、振込先に行けばと追い出される。諦めて、振込先の中国銀行へ向かう。

DSCN7277m

 

こちらは口座が無くて相手の口座番号が分かれば機械で振り込みOKとのこと。ところが・・、何とATMが全て故障、となっていた。そんな馬鹿な!慌てて係員に訴えると、そんなはずはない、と言い張る。口論しても仕方ないので、もう一度機械の所に行き、勝手に動かしてみるとなぜか普通に振り込みが出来てしまった。唖然!

 

中国の銀行業、ハード面では急速な進歩を遂げたが、所詮は国有銀行。サービスという概念には乏しい。とは言っても『顧客第一』を謳う某国の銀行団も、全て銀行の利益第一だから、実はそうは変わらない。むしろ慇懃無礼、という言葉が当たる場合すらある。

 

平江歴史文化街

それからバスに乗り、平江歴史文化街というところへ行った。蘇州には名所が沢山あり、過去にも色々と行ったことがあるが、ここは初めてだと思う。きれいに整備された街並みに、ちょっと人工的な感はあるが、小川が流れ、古い建物があり、フラフラと歩くにはとても良い場所でもある。

DSCN7280m

 

平日で人は少ないが、相変わらず結婚式用の写真を撮るカップルが何組もいる。確かに写真写りの良い場所ではあるが。きれいな風情のあるお茶屋に入ってみたが、商売っ気むき出しで観光客料金、ちょっと、と思う。風情と商売、似合わないな。

DSCN7284m

 

ちょうど良い茶屋があり、そこの2階に座り、茶を飲みながら軽食を取る。秋の日差しが入り込み、少し眠たくなるようないい雰囲気。個室で2人、在りし日の上海を懐かしみ、話が弾む。中国の変化と人々の変化、今中国が直面している諸々の問題点が洗い出されるようだった。

DSCN7292m

 

あまりにゆっくり過ごしており、時間も止まる。気が付くと既に午後もかなり経っていた。繁華街に出た。お洒落な店が立ち並び、お洒落な格好の若者が行き交う。うーん、27年前の蘇州はそこには見いだせない。

DSCN7297m

 

バスでホテル近くに戻り、夕食。台湾系カレー味の鍋屋に入る。何とメニューはなく、カレー鍋の一品しかない。これはこれで面白い。店長は気さくで面白い。『嫌だったら隣の店に行っていいよ』の一言でここに座る。カレー味の鍋、具はきのこや野菜など普通なので心配したが、思いの外美味い。隣の店では普通の台湾料理を出しており、鍋意外が食べたい人はそちらに誘導する。どちらもオーナーは台湾人らしい。

DSCN7301m

 

《蘇州お茶散歩2013》(2)蘇州 ホテル従業員の機転

2. 蘇州

ホテル従業員の機転

チェックインしようとカウンターへ行ったが、どうやら明日から大きなイベントがあるようで、長蛇の列。従業員は全く対応しきれていないが、既に夜9時近くで、人員不足だ。ようやく私は団体ではない、と告げてチェックインさせてもらった。そしてキーを貰い、エレベーターを探すが、どう見ても私の部屋番号はない、あれ?

 

フロントに戻り、部屋を確認しようとしたが、相変わらずごった返しており、フロントのお姐さんも『自分で探してよ』といった態度で相手にしない。『分からないんだからちゃんと説明してよ』と少し大きな声で言うと隣にいた身なりの良い中国人が流暢な英語で『私も同じ建物だから連れて行ってあげよう』と言ってくれる。これはこれで新鮮でうれしい。

 

すると近くにやってきた従業員が『いえ、私がお連れします』と名乗り出て、私の荷物を引こうとした。それは断って彼女の後について行く。ところが・・?彼女も道に迷ってしまった?何故??聞いてみると彼女はレストランスタッフで客室のことは知らないのだと言う。ではなぜ連れて行くと言ったのか。『だって外国人のお客さんが困っているのにホテルが対応しないのは恥ずかしいと思ったから』、実に素晴らしい!

 

それから2人でホテルを探検し?ようやく部屋にたどり着く。彼女は英語も殆どできないが、一生懸命対応しようとしており、本当に好感が持てた。中国のホテルサービスもこのようになってくれば一歩前進だな、と思う。ついでに『今から君のレストランで食事したいのだけど』と言ってみると、『残念ですが既に今日は閉店しました』という。

 

しかし彼女はそこで『ホテルの外にレストランがあります。気に入るかどうかわかりませんが、お連れします』というではないか。部屋に荷物を置いてすぐに階下へ降り、ホテルの敷地内を行く。確かにそこには韓国料理屋の明かりがついていた。『明日の朝また会いましょう』と去っていく彼女。その親切は忘れられない。

DSCN7267m

 

因みにその韓国料理屋でビビンバと焼き魚を食べたが、とても美味かった。韓国人駐在員らしき人々が焼酎でほろ酔い気分になっていた。この周辺にはほかにレストランはないようだった。

DSCN7268m

 

10月14日(月)

翌朝、朝食会場へ行ってみると例の彼女が働いていた。ちゃんと覚えていて『昨晩の韓国料理はどうだった?』と聞いてきた。このホテル、相当の規模で朝からお客で込み合っていたが、その一言が嬉しかった。

DSCN7274m

 

午前9時にロビーで王さんに会った。27年ぶりながら、小柄で素敵な笑顔は変わらなかった。『一瞬で分かりましたよ』と言われてしまう。そんなに変わっていないのかな、私。本日王さんは仕事が忙しいため、会社のスタッフが蘇州を案内してくれることになった。

 

《蘇州お茶散歩2013》(1)浦東から直接バスで蘇州へ

《蘇州お茶散歩2013》  2013年10月13日-16日

 

蘇州といえば、27年前の上海留学中、大熱を出した厄払いに行った場所。正月元旦に寒山寺で鐘を突いたことが忘れられない。その時一緒に行ったのが蘇州出身の日本語学科の秀才、Xさん。彼女の家で湯圓をご馳走になったことは鮮明に覚えている。それから何回も仕事で行ったが、一度も茶畑に行く機会はなかった。蘇州は碧螺春という美味しい緑茶の産地あるのに。

 

その蘇州出身のXさんと25年ぶりに劇的な再会を果たした時、ふと思い出したことがある。Xさんといつも一緒にいた同学の王さん、どうしているんだろうか。Xさんによればナンと蘇州にいるというのだ。王さんは無錫の出身だが、卒業以来蘇州で働いているらしい。

 

27年ぶりに連絡を取ると『蘇州に来るなら歓迎する』との回答があった。せっかくなので王さんに茶畑を案内してもらおうと思い、出掛けた。果たしてどうなるのか。

 

10月13日(日)

1. 蘇州まで

フライトキャンセル

東方航空の午前便で上海へ行き、少し用事でも済ませてから蘇州へ行こうと思っていたが、何とそのフライトがキャンセルになっていた。恐らくは最近の中国の旅行法の改正に要因がありそうだ。東方航空傘下の上海航空に振り替えられ、午後便で上海へ向かった。

DSCN7258m

 

上海航空は元々エアチャイナと同じスターアライアンスに属していたが、いつの間にか国の方針で東方航空傘下に組み込まれた。上海ベースの航空会社の統合だった。これが良かったのかは甚だ疑問ではあるが、致し方ない。東方航空よりサービスはましだと思っていたが、昔よりはだいぶん落ちている。まあそれでも何事もなく、浦東に到着した。

DSCN7262m

 

浦東から直接バスで

もう夕方である。上海には寄らず、浦東空港からバスで直接蘇州へ行くことにした。広い浦東空港の中を探して歩き、ようやく発見したバス乗り場は地下のような所。江蘇省、浙江省各地へ向かうバスが頻繁に出発しており、蘇州行きも20分待ってスムーズに出て行った。

DSCN7263m

 

だがバスは直ぐに蘇州には行かず、虹橋空港を経由。上海内で1時間以上を費やし、蘇州には更に1時間ちょっとかかったため、蘇州に着いたのは午後8時過ぎだった。王さんが予約してくれたホテルはどこにあるか分からないのでタクシーで行こうとするが、なかなか捕まらず難儀。ようやく捕まえて行ってみると、広い敷地の立派なホテルだった。

DSCN7265m

《香港・華南・マカオ お茶散歩 2005》(3)

4.香港

(1)香港へ
お茶を一杯ザックに詰めてホテルをチェックアウト。直ぐ近くの日本料理屋に駆け込み、ランチ。ここは50元あれば大体の物は食べられる。メイン以外に小鉢2-3品付くのが嬉しい。味は日本並み、ウエートレスのサービスもしっかりしているので、日本人が穴場として訪れている。シンセンには日本料理屋が100軒はあると言われている。物凄く高級な店はなく、日本とかけ離れた日本料理もあるが、野菜や肉が香港と比べて非常に安いこともあり、非常にリーズナブルな店が多く、競争も激しい。

食後真っ直ぐ駅へ歩く。日差しが強い。シンセンの日差しは香港に比べて何故こんなに強いのか??海がなく、風が吹かないからであろうか。兎に角僅か数百メートルを歩くのに汗びっしょりとなる。駅前は昔と比べて格段にすっきりしている。地下鉄が出来ているので、途中で地下に潜り、何とか日差しを防いだ。

イミグレは相変わらずスムーズで直ぐに香港側へ。私は3ヶ月前まで香港に住んでいたのでIDカードを持っている。既に退去しているが果たして香港居民として扱われるのか??それともビジターの列に並ぶべきか??結局香港居民の窓口にIDカードを差し出すと何と問題もなく通ってしまった。私は未だに香港居民なのだ。もう一度香港居民に戻りたいな、と強く思う。その夢は叶えられるのであろうか??

KCRでもいつもと同様ファーストクラスに乗る。他のところでファーストクラスに乗ることはないので、ここぐらいはいいか??料金は500円のところが1000円になる程度。どんな日のどんな時間でも普通車両は混んでいるので、1両しかないファーストは実にありがたい。以前KCRは羅湖―ホンハムであったが、最近チムサッツイ東まで駅が伸びた。取り敢えず終点まで乗り、今夜お茶会が開かれる緑與茶芸館に向かう。安心して向かえる場所があるのは何よりありがたい。

香港も暑かった。ネーザンロード付近はかなりヒートアップしていた。大きなザックを背負って歩くのには負担が重い。ようやく目的地に辿り着くとホッとする。中に入るとオーナーの妹がいた。

 teatrip001 298m

ちょっとぽっちゃりした彼女の瞳が大きく開かれて、『アレ?』という顔をする。そして歓迎の笑顔になる。これは嬉しい。この店でお茶会を20回ほど開いただろうか。彼女は英語が出来るのでよく連絡係をしてくれていた。PCを借りてネットでメールなどを検索。荷物を置かせてもらい、直ぐに外に出た。私にはまだミッションがあったのである。この店には夜戻ってくることになる。

(2)上環
MTRで上環に向かう。上環には馴染みのお茶屋が数軒ある。香港での私の遊び場であった。週末はここに来ると気分が乗った。既に午後4時、兎に角注文をこなさないと??今回台湾の旅でお茶屋さんを紹介してくれたHさんより、『香港に行ったら林奇苑で白牡丹を買って来て欲しい』と言われていた。何故かは良く分からないが、白牡丹だそうだ。私はここではいつも一番安い黄金桂しか買わなかった。何故ならコストパフォーマンスが最も良いからである。

しかし白茶も予想外に安かった。この店の値段はやはり良心的と思われる。店に入るといつものおばさんが迎えてくれる。何が欲しい、と聞いて来る。白牡丹などと言っている内に今日は大旦那が登場した。『久しぶりだな』という笑顔で椅子を指す。白茶を入れてもらうと、これがなかなか良い。色は薄いが味がしっかりしている。うーん。これで100g 1000円もしない。ついでに自分の分も仕入れる。鉄観音の高級な茶も出してもらう。これまでは近所のオッサンとして来ていたのが、今日はお客さん扱いだ。

teatrip001 299m

地球の歩き方にも掲載されているこの店には日本人女性が多く訪れる。我々がお茶を飲んでいると丁度やって来た。座って一緒に飲まないかと大旦那が誘う。皆一様に遠慮するが、その内一杯だけと言う感じで、座る人が居る。日本人は試飲したら買わないといけないという先入観念を持っている。座った人は最初から何かを買うことに決めている。しかし大旦那が出す様々なお茶に引き寄せられ、思った物より一段上のお茶を買うことになる。それが商売というものであろう。そして私にはそれは難しい。

teatrip001 302m

林奇苑の向かいには尭陽茶行という店がある。台北で発見した店の本店である。ここのおじさんとも仲良しである。今日も何気なく店の前に立つと笑顔で『お茶を飲んでいけ』と言う。ここのお茶は焙煎が効いた鉄観音で、日本で言えばほうじ茶の様相がある。決して高級なイメージはないが、胃に優しい、老人向けのお茶である。この種のお茶が好きな人にはとても好評である。何しろ値段が安い。創業50年、福建省から出て来る前を入れれば100年は経っているとかで、かなりレトロなパッケージを使っており、それが又日本人には好評なのである。

もう一つ好評なのが茶器。何しろ安い。急須は1つ50ドル前後。工夫茶のセットは4つの茶杯が付いても50ドルしない。昔福建省で安く作った物ばかりだと言うが、それが又ちょっとレトロでいい感じなのである。台北のこぎれいない店と香港の茶問屋の天井の高い、奥行きが深い店とでは深さに雲泥の差がある。気が付くと既に6時。この店の閉店時間である。礼を言って店を出る。急いでチムサッツイへ戻る。

(3)お茶会
夜7時、いつもと同じようにお茶会が始まる。緑與茶芸館、この素晴らしい空間は健在である。外の喧騒が嘘のような静寂、落ち着きのあるインテリア、内装。ちょっと寒すぎる冷房。全てが変わっていない。赤ちゃん連れのYさんがやってくる。レギュラーメンバーのOさんはじめ数人は参加者が多いため、別テーブルに移動する。有り難い事に十数人が来てくれた。いつものように女性が多いが、スーツ姿の男性も居る。日本では今年からクールビズが始まり、ノーネクタイでよいが、逆に香港ではきちっとした服装をしている日本人は多い。因みに香港のテレビコマーシャルでは室温を25度に設定するよう呼びかけているが、恐らくは誰も聞いていない。

香港歴史散歩の会で幹事を引き継いでくれたMさんにも声をかけてもらった為、普段お茶会と縁のない人も来てくれた。これもまた嬉しい。歴史散歩の会は『香港に歴史はあるのか?』をテーマに、駐在していてもなかなか行く機会のない、真の香港を訪ねようと言う企画。最初は私一人で始め、徐々に賛同者が増え、現幹事の熱心さと美人講師Kさんの多大なるお陰を持って毎回多数の参加者が集う会にまで発展している。

このお茶会はそのもの中国茶のプロHさんが香港に来た際、Oさん、Tさんと4人でこの場所でお茶を飲んだのがきっかけで始まったもの。OさんとTさんはこの茶芸館主宰のお茶教室に参加していたのが縁。因みにOさん、Tさんともにアジアンポップスの大ファンであり、そちら方面では既にうちの家内とは繋がりを持っていた。やはり世間は狭い、そして悪いことは出来ない。

2週に一度木曜日の夜に開催しており、定着した。当初はフランス人がやって来て、英語で会が進行されると言うような異常事態もあったが、現在は日本人、または日本語の出来る人が参加している。参加者も多彩で毎回楽しい話が出る。また驚くほど色々な情報が集まる。この会のお陰で香港生活をエンジョイできたとも言える。

この会がそれなりの参加者を集められたのは、先ず費用が手頃であることが上げられる。この茶芸館、結構な費用が掛っているはずなのにお茶も食事も安い。1回当たり平均一人100ドル程度。これなら夕飯食べるのと変わらない。しかも場所が便利。当初はこの茶芸館を何とか盛り立てようとお茶会を企画した側面もあったのだが、どうやらオーナーはお金持ちの道楽でやっている様子。宣伝すると返って煩くなるとの指摘でひっそりとやっている。

また会の方針を『誰でもいつでも参加可』として、日本人的な会の雰囲気を出来るだけ排除した。事前に出欠を確認し、7時集合と言えば、きっちり時間を守ろうとする日本人。疲れを取る為の企画に返って疲れてしまう日本人、そういうことは辞めようと言うのが主旨。お陰で毎回誰が来る、何人来るというのが分からず、席が足りなくなることもあったし、殆ど誰もこないこともあった。それはそれでいいじゃないか、というのが自分では良いと思っていた。

茶芸館では台湾茶、大陸の鉄観音、岩茶、プーアールなど各種揃えており、その時々の幹事の気分でお茶を選んで勝手に飲むスタイルをとっている。人数が多いと入れ方も難しい。均等に行き渡るとも限らない。正規のお茶会であれば許されないことも皆さんの寛容な精神で進行して行く。オーナー夫人が台湾人と言うこともあり、台湾の小皿料理が並ぶ。これをつまみながらお茶を頂くのである。特にここの魯肉飯は絶品であり、台湾の良い味を再現している。今夜も〆に大量に頼んで、厨房をてんてこ舞いさせている。

元うちの会社の社員であった香港人Aさんもやって来た。彼女とは私の1回目の香港赴任時に一緒に働いたのだが、その後退職して日本に留学。現在は別の日系で働いている。雰囲気は日本人女性にしか見えない。日本語も上達している。偶然再会し、お茶会に参加してくれ、今ではここでお茶を習っている。これも『茶縁』であろうか。因みにここのお茶教室は広東語で行われる。彼女にとっては問題ないが、日本人にはチトきつい。

何とも楽しい夜を過ごすことが出来た。時間は既に10時を回り、解散する時間となったが、何とも名残惜しい。尚この茶芸館は家賃高騰で退去し、現在まで開かれていない。お茶会も茶芸館再開待ちでお休み状態である。(2006年7月29日に茶芸館は再開、お茶会も再開される予定)

その夜はタクシーで以前私が住んでいたフラットへ。そこには私の業務上の後任Uさんが独りで住んでいたので、泊めて貰った。決してホテル代をケチったのではなく、どうなっているか見に行ったのである。ここから眺めるビクトリアハーバーの夜景は健在であった。4年もの間、自分は随分と贅沢な暮らしをしてきたのだと言うことが実感できた。今の東京の生活と比べて全てが伸びやかである。

7月20日(水)
(4)茶縁坊
翌朝出勤するUさんに付いて、MTRで会社へ。8時には日本人は全員出社している。7時45分にフラットを出ると8時に到着してしまう。何とも贅沢。一通り挨拶した頃、ローカルスタッフがやってくる。2回合計9年も勤務した場所である。ローカルとも顔なじみ。ランチを一緒に食べないか、などと誘ってくれる人もいる。しかし私には行く所がある。茶縁坊である。昨日時間がなくて行くことが出来なかった。荷物を置いて早速出掛ける。

上環までMTR、そして階段を上がるとハリウッドロードに出る。この辺りで朝9時から開いているお茶屋はここしかない。店をやっている人の誠実さが伝わる。お客が来ても来なくても、毎日全く同じスタイルで仕事をする。平凡のようで大切な営みに映る。行くとおばさんが笑顔で迎えてくれる。お互いの近況もそこそこにお茶を飲み始める。6月に出来たばかりの鉄観音春茶はなかなかいける。ここのおじさんの絶妙の焙煎技術に支えられて、支持するお客は多い。

teatrip001 315m

店内に置いてある茶器は少しずつ変えている。お客に飽きられない最低限の対応はしている。しかしこの店は茶器を売ろうという気はない。それが証拠にシンセンから仕入れてきて、殆ど変わらない値段で売っている。これでは儲けが無いだろうが、これも顧客サービスと考えている節がある。茶器はおじさんと息子が荷物を担いで国境を越えている。費用の節約を行い、顧客に還元する、これは目指すべき商売の姿かもしれない。

何だかんだと話していると2時間ほど過ぎてしまった。この店にいると簡単に時間が経ってしまう。とてもリラックスできる。日本にこんな店が欲しい。精神衛生上どうしても必要な場所である。日本人は一般に自分の好きな場所を持っていないのでは??いや、持っていても、その場所で過ごす時間がない。

5.マカオ2
(1)新中央飯店
香港を離れた。いつも乗りなれたフェリーに乗り、1時間。簡単にマカオに着く。平日の昼間にマカオに行く人は少ないだろうと高を括っていたら、何と中国人の団体が大半を占拠。出てはいけない甲板に出るは、酒を飲んで大騒ぎするは、で散々である。中国人旅行者で経済が成り立っているとはいえ、さすがに注意すべきではなかろうか。昔の日本人団体もこんな感じだったのだろうか??

マカオに泊る事はあまり無かったので、どこに泊るべきか悩む。そして歴史的な建物として、セナド広場の直ぐ近くにある新中央飯店を選ぶ。中央飯店は第二次大戦中、戦争を避けて逃れてきた金持ちの中国人、ヨーロッパ人が宿泊しており、ダンスホールがあり、カジノも2フロアーあったという。外では餓死者が出る中、全くの治外法権状態で、世の中と関係ない世界が繰り広げられていた。

teatrip001 321m

そして何と言っても、この物の無い時代に毎晩ステーキを食べていたことは、驚嘆に値する。人々は町の子供が攫われているとして、人肉を食していたと信じていたようだ。実際にそんなことがあったら恐ろしいことではあるが、恐らくは真実なのであろう。

戦後はマカオの凋落の象徴のようにこのホテルも落ちて行き、1999年のマカオ返還時には全くの安ホテルになっていた。よくまだ残っているという感じである。場所は一等地、しかしボロボロの姿を何故晒しているのであろうか??何かの報いとしか思えない。入り口を入るとレトロな雰囲気が漂う。レセプションで値段を聞くと180元とか。一体どんな部屋なのか?10階まで上がる。エレベーターが凄い。今停まっても何の不思議も無い旧式。10階の廊下もあまりにボロボロでビックリ。部屋も内装がボロボロでベットも何とか寝られる程度の清潔さ。これだけ酷い部屋に泊るのは生まれて初めてであろう。

着いて来たおばさんがこの部屋でよいかと聞く。他に部屋は無いのかと聞き返すと、『全て同じだよ、昔とね』と言われてしまう。このおばさんは戦後このホテルの全てを見てきたのかもしれない。歴史の生き証人はあまり語らず、出て行ってしまった。何故かこのホテルに泊ることにした。

(2)春雨坊
マカオにはお茶ネタがあまり無い。マカオの人はどんなお茶を飲んでいるのか、以前聞いてみたことがあったが、あまり特徴的な答えは無かった。老人は自分の出身地の茶を飲んでいるようだが、若者は飲茶などでも全く拘っていない。

そんな中でタイパ島に春雨坊という名のお茶屋があるので、行って見る。以前1度行ったときには時間が無くて店をちょっと覗いた程度。2度目はお茶の買出しとかで店が閉まっていた。3度目の正直である。

teatrip001 322m

タイパ島では慣れたミニバスで行く。最初はどこへ行くのか分からなかったこのミニバスもマカオ歴史散歩で使い続けた結果、大体どこへ行くか、どこに行くにはどれが良いか分かる様になっていた。このノウハウを維持できないのが口惜しい。

春雨坊は開いていた。そして1回目と同じようにオーナーと思しきおじさんがいた。店内の雰囲気はまずまずよい。マカオの喧騒を考えれば素晴らしい空間ともいえる。英語も北京語も堪能な人であったが、お茶について2-3質問すると、答えは素っ気無い。写真を撮らせてほしいと言う要請にも全く応じない。

teatrip001 320m

ここはお茶が飲めるスペースがあるので、お茶でも飲んでいきたかったが、どうやら観光客向けの対応しか考えていないらしく、私のような者がいるのは迷惑だという雰囲気が流れる。残念ながら店を去る。やはりマカオにはお茶文化は育たないのだろうか??この店は香港人をターゲットにしているのか、それとも本当に無知な観光客のみを対象としているのか??不思議である。

7月21日(木)
(3)朝食
昨夜は疲れていたせいもあり、また目ぼしいものが見つけられなかったせいもあり、はたまた新中央飯店のかび臭さに耐える為の手段も考慮して、夕飯も食わずにビールを飲んでさっさと寝てしまった。マカオに泊る人間としては異例なことではないか??香港人に話せば『バカ、勿体無い。夜通しギャンブルだ!!』などの罵声を浴びそうである。翌朝は当然早く起きた。7時には服を着替えた。既に夏の日差しが感じられたが、まだ涼しい。ホテルの前からバスに乗る。目指すはレトロな朝飯。50年前の香港、マカオの飲茶(いや早茶)を食べる為に紅市場に向かう。

市場の横にマカオで唯一残った龍花楼というレストランがある。前回訪ねた時は午後2時半で既に営業は終了していた。まさに早茶である。店の店員は気軽に写真撮影を許可してくれた。きっと私のようなお客が多いのであろう。慣れた対応であった。

teatrip001 329m

階段を上がると懐かしい空間が広がる。高い天井、大きな扇風機、背もたれのある4人掛けの椅子、テーブルの上には年季の入った茶器。朝は鳥籠を持った老人が大勢い訪れるのであろう。しかし今は午後2時半、席に座ったものの店員は誰もこない。今回こそはと言う思いがあった。しかし思いはなかなか叶わないものである。バスを降りると目の前の建物には竹の足場が築かれていた。何と改装中であった。入り口には『40日間改修』の張り紙がある。残念。

仕方なく辺りを歩く。細い道を入ると屋外で飲茶を楽しんでいる人々がいた。鳥かごも掛けられていた。本当の庶民の朝食風景なのであろう。さすがの私もこの中に分け入り、点心を食べる勇気はない。それ程他者を寄せ付けないコミュニティーが感じられる。

思い直してリスボアホテル近くへ。細い路地を入るとナタ(エッグタルト)で有名なマーガレットカフェがある。朝からちゃんと開いている。店の中は狭いので屋外の椅子に座り、朝食を楽しむ。

teatrip001 333m

ポルトガル領であったマカオはパンが美味い。このカフェのパンもよい。思わず砂糖たっぷりのデニッシュを手にする。コールドレモネードも甘い。ナタも頼んでしまう。朝から甘い物だらけになる。空港に向かう直前であったので、東京へお土産としてナタを買う。持ち運びが不便だが、9日間も留守にしたのだから、仕方が無い。

 

 ホテルをチェックアウトして、タクシーで直ぐに空港へ。この数日間が夢のように過ぎていった。香港駐在を終えて僅か3ヶ月。センチメンタルジャーニーには早過ぎる。まだ生々しい生活感がそこにはあった。これからは毎年1度はこんな旅をしようと思う。

 

 

 

 

 

《香港・華南・マカオ お茶散歩 2005》(2)

3.シンセン

(1)シンセンへ
Hさんとの昼食後、珠海をあとにする。バスでシンセンに行こうと思ったが、ホテルの従業員に『バスだと2時間半は掛かりますよ。』と言われてフェリーにしてしまう。九州港から蛇口行きフェリーは1時間に1本以上出ている。便利である。

teatrip001 244m

約1時間で蛇口に着く。久しぶりの蛇口は前にも増してコンテナが多くなっていた。コンテナ船も多く見受けられる。中国経済が急速に伸びている様子がフェリーの中からでも見て取れる。蛇口港には沢山の人が溢れていた。流石に勢いがある。出口でシンセンのホテル予約を斡旋していた。料金表だけ貰ってタクシーに乗り込む。

白タクの運ちゃんを振り切ってタクシー乗り場のタクシーへ。途中渋滞がある。平日の午後3-4時は結構混んでいたな、と昔を思い出す。結局フェリーでも2時間以上掛かって、羅湖駅前に到着。次回はバスを試してみよう。

ホテルを選ぶのは面倒なので茶葉世界の横にある新都飯店へ。この辺のホテルでもシンセンだから500元程度だと思っていたが、受付で研修生のバッチを付けた女性が出て来て1泊800元だという。しかしここで怯んでは中国旅行は出来ない。20年前は部屋を確保する交渉だったが、今は値段交渉で気も楽である。ああだ、こうだ、と言っているうちに何とか520元になった。蛇口の料金表は 価格交渉に大いに役に立った。

teatrip001 252m

(2)茶葉世界 武夷茶荘

シンセン茶葉世界。香港駐在中の2001年10月頃、初めて訪れて以降月に1度ペースで遊びに来ていた場所である。遊びに来た、という表現がまさにピッタリ。最初は恐る恐る入ったのだが、馴染みが出来るとそこに入り浸り、入り浸る店が増えていくと滞在時間が長くなった。1軒あたり1-2時間いるのであるから、一日仕事である。

teatrip001 257m

既に何度も色々な所に書いているので、敢えてここでは触れないが、店選びはフィーリングである。ここだな、と思ったところに入るだけ。大通りから階段を上がって2階へ。最初に目に付いたのは入り口付近の小さな店。それがこの世界との接点となった紅美の店。

teatrip001 262m

今日も行ってみると紅美はいなかった。全く知らない女性が座っていた。向こうも不思議そうに見ていたが、名前を出すと『ああー』という感じで走り出す。少しするとこの店のオーナー黄さんが登場した。前は居ないことが多かったが、どうしたのだろうか??

 

武夷山の岩茶が出る。この店は武夷山茶葉研究所の出先であったが、数年前に研究所は香港人に売却されたため、現在は違う所から仕入れて営業を続けている。最近の傾向を聞くと、『軽めのお茶』との答え。試しに大紅袍を飲ませてもらうと、確かに軽い。岩茶といえば、その独特の味わい、少し苦い、そして重いイメージがあるが、これはその独自性が感じられない。しかし味は美味い。これはどういうことであろうか。

典型的な岩茶、肉桂も飲む。こちらはあの岩茶独特の風味がある。日本人が飲むとすれば先程の大紅袍の方が好まれるかもしれない。一般的に日本人は緑茶に近い味を好む。一方大陸の人々は焙煎の効いた濃い目のお茶が好きなのである。

ところが最近大陸でも台湾茶などが入って来て、こちらの方が更に美味い、と思われるようになってきている。商業ベースで考えれば、消費者が美味しいと感じるお茶を作ることが重要であり、岩茶の伝統を守ることは二の次であろう。軽火で仕上げた美味しいお茶は、比較的高級な茶葉を使用していることもあり、人気となっている。因みに値段は5倍違う。

帰国後開いた試飲会では『この大紅袍は岩茶ではない。全体的な傾向ではあるが、特徴が無くなって来ており、どのお茶も同じに感じる。』などの厳しい意見も出たが、返って『肉桂が非常にリーズナブルな値段』であるなどの感想も寄せられた。今後岩茶がどうなっていくのか、要注意である。

(3)龍井堂

私が毎日会社で飲んでいるお茶は中国緑茶、龍井茶である。何故か?朝は目覚めが良い、そして便利だからである。当然ながら大量に消費する。本来高級茶であるので、偶に飲めばよいのだが、そうはいかない。一日1リットルは最低飲むので茶葉の使用量も半端でない。

香港に住んでいる時は無くなればここに来て買えばよかったが、日本に戻ってはそうも行かない。今回はいつも飲むお茶を確保することが目的。龍井堂はそこにある。店の前に行くとお客がいた。オバサンは中で愛想良くしていたが、私の顔を見ると驚いたように手招きする。そしてお客を追い出してしまった。いいんだろうか?

よく来た、よく来たと言いながら、落花生を差し出す。先ずは何か出さないといられないのだろう。田舎のオバサンという感じが好ましい。こういう歓迎の仕方には何となくは恥ずかしいものの感激してしまう。来てよかったと思う。

商売は相変わらず順調だと言う。シンガポールから大量のオーダーが入るらしい。恐らくはレストラン用の安い商品だろうが、100kg単位で売れれば、満更でもない。龍井茶を飲むお客とはどんな人達なのだろうか??日本人は緑茶好きであるから飲むだろうが、大陸の人はどうだろう。最近は中国国内でもブランド商品の販売が多く、売れ行きもよいという。

人々の往来が活発になり、収入も増えてくると、中国中の商品、特に有名ブランドへのニーズは高まる。日本人は一般の中国人が皆烏龍茶を飲んでいると誤解しているが、実際には8割方は緑茶を飲んでいる。その緑茶の代表格が龍井であるから、茶の世界ではトップブランドである。

しかも観光地である杭州に産地があるとなれば、観光客目当てでボロイ商売をしようという人間は必ず現れる。結局外国人だけでなく、他の地方から来た中国人も質の悪い龍井を法外な値段で掴まされる。知らない人間は龍井村に足を踏み入れるな、ということになる。実に不幸なことである。私も最近は一度も村を訪ねず、外で信用ある人々から買っている。

司馬遼太郎は『街道をゆくー江南の道』で龍井村を訪ねている。そこにはひたすら茶ことだけを考える若い女性村長の話が出て来る。お茶以外のことは分からないといった素朴な農民の態度が今は無くなっているのだろうか??

今年は天候不順で龍井茶も生産が遅れたらしい。所謂明前茶はどのくらい採れたのだろうか?オバサンは多くは無いとボソッと言う。私は有名な明前茶よりその一つ後の雨前茶を買う事にしている。その方が美味しいし、値段も安いからだ。何でも初物を有り難がるのは如何なものか??今回も大量に龍井茶を買い込む。これで会社生活を少しでも潤いのあるものにしなければ??

(4)その他

その後馴染みの台湾茶の店、子揚銘茶で許小姐とお話しした。最近台湾茶はよく売れるという。ようやく大陸中国人も本当のお茶の味が分かるようなった、ということであろうか??それとも一時の流行であろうか??個人のお茶の嗜好はそんなに簡単に変わるとも思えない。

許小姐は若いだけあって、可愛らしい物には直ぐに飛びつく。宜興の急須と同じ材質、紫砂で作った犬の置物に毎日お茶をかけ、歯ブラシで汚れを落としている。私も彼女から教わり家でお茶をかけているが、こまめに汚れを落とさない為、可哀想なくらい汚い犬になっている。最近我が家のお茶会に来る人にこの犬が好評で中には欲しいと言う人もいるほどだ。

teatrip001 265m

そういえば、この店のオーナーである台湾人から記念に蛙の置物を貰った。犬と同じで毎日お茶をかけるのだが、台湾人は三本足の蛙が大好きで、金運が強まると信じている。何と口の所には小銭が挟まれており、毎日この銭を三回回して『マネー、カムカム』と唱えるように言われた。そんな話は信用できないと思ったが、試しにやっていると確かにそこそこのお金が何故か巡って来た。実に不思議な蛙は今も家の玄関に飾られている。最近良いことがないので、再度『マネー、カムカム』をやらないといけない。

鳳凰単叢を売る鳳凰海源に李さんを訪ねる。『相変わらずよ』といつもと同じ姿勢で椅子に座り淡々と語る。本当に何も変化がないのか??周りの店の人々も特に変わっていない。子供達が走り回る。この空間に毎日座り続けていることは果たして幸せか?それとも不幸か?

teatrip001 283m

単叢の認知度は決して高くない。広東省に青茶があると言ってもあまり理解されない。日本でも一時的なブームはあったようだが、日々飲んでいる人はごく僅か。李さんはこのお茶の良さ、フルーティな香りの高さ、爽やかな味わいを分かってほしいと言う。私も是非サポートしたいが、このお茶は日本人には強すぎるような気がする。毎日飲むにはちょっと辛い。

(5)夕飯
既に結構な時間が過ぎていた。ホテルに戻り、どうしようかと考えて、後輩のK君に電話してみた。K君は忙しい中、夕飯を一緒に食べてくれると言う。有り難い事なのでホテルで彼を待つ。

K君は以前日本で雑誌記者をしていたが、数年前に一念発起??してシンセンに来て、雑誌を創刊した苦労人。我々などと違い、実に日中双方に様々な人脈を持ち、豊かな発想を持っている。香港駐在中は何度かシンセンで世話になっている。

あるホテルの中にある日本食レストランに行く。しゃぶしゃぶ食べ放題だという。腹一杯食べても日本円で1000円ぐらい。ビールも安いからご馳走しても大船に乗ってもらえる料金。シンセンの物価は兎に角安い。香港とは雲泥の差である。だから香港人が大挙シンセンの不動産を購入し、週末をここで過ごすわけである。珠海より交通費が安いので人気は高い。

感心したのはそこの女性従業員が実に礼儀正しく、また日本語が上手いことであった。K君によれば、最近シンセンでは優秀な従業員の引き抜き、引止めが企業の重要課題となっている。特に日本料理屋が増加しており、日本語の出来る従業員の賃金はどんどん上がっているようだ。

しかし香港で愛想の無い従業員のいる店で高い料金を払うより、ここで実に気持ちよく食事が出来ることは嬉しい。いや、香港ではなく、日本の従業員の愛想の無さ、融通の利かなさ、には正直イヤになっていたのが本音。競争原理が働いているといえばそれまでだが、今の日本では競争原理も働き難い。どうしたものであるか??

7月19日(火)
(6)紅美
翌朝の目覚めはあまり良くなかった。昨夜しゃぶしゃぶを食べながら延々とビールを飲んだせいだろうか??それとも旅の疲れだろうか??5日目に入った。珠海の朝は爽やかな海が感じられて良いが、シンセンの朝は騒音と埃に塗れていて、中国を感じさせる。

9時過ぎに茶葉世界を訪ねた。昨日戻って来た武夷茶荘の紅美は様子がおかしかった。何故か彼女は武夷茶荘の向かいの小さな店に座っていた。そこは彼女と初めて会った場所であった。どうなっているのか??彼女が小声で言う。実質的に独立したと。何だか複雑な事情があるようだ。兎に角明日午前、ここではなく三島中心で会おうと言う。三島中心にはもう一つの卸市場がある。

teatrip001 274m

紅美に伴われて三島中心へ。ここも茶葉の卸問屋がワンフロアーに並んでいる。しかしこちらを訪ねるお客は少ない。その奥の方に彼女の店はあった。結構広い。鉄観音が中心の品揃え。さすがに武夷茶荘を意識して地元からの茶葉の調達を控えている。やはり同郷で独立して商売していくのは、かなり難しいのだろう。

teatrip001 293m

彼女とは長い付き合いである。これからも応援していきたい。取り敢えず今回は各店で購入した茶葉を集めて彼女に送って貰うことにした。その後も電話一本で茶葉を日本まで送ってもらえる関係である。これは貴重。岩茶もちゃんと調達して送ってくれる。

茶葉世界は常に変動している。年に数軒、いや十数軒は店が入れ替わる。流行り廃りもあるだろうし、何らか無理をして店仕舞となる所もある。最近目立つのは後に入ってくる店をやる人間がお茶の世界と無関係なケースが増えていることであろう。昔は茶の産地の出身者、ようは茶葉を売り歩く為に出てきた人々が多かったが、近頃は趣味でお茶を始めて商売としてしまう人が出て来た訳だ。しかしこれは長く続かないから入替が激しくなる。

茶葉の質の変化も大きい。愛飲家の嗜好に答えると言う理由で、何となく軽いお茶が多くなった。焙煎の効いたしっかりしたお茶ではなく、生の香りを生かした軽いお茶が作られる。

紅美とは今後も良い関係が作れるだろう。彼女には頑張ってもらいたい。しかし商業主義でなければ生き残れない厳しい世界で彼女は独自の商売を展開できるのか?ちょっと心配ではある。

 

《河南お茶散歩 2009》

2009年8月7-11日

《河南省お茶散歩》2009年8月7-11日

2009年8月7日(木) 
3.信陽

(1)信陽へ

タクシーで六安南駅バスターミナルへ。昨日降りた駅なのに、イメージは違っていた。昨日は雨の中、全く周囲が見えなかったからだろう。直ぐ隣に列車の駅があったのには驚いた。何故こんな街から離れた場所(と言ってもタクシーで10分ちょっと。街が小さいので感じるだけかも)にあるのだろうか??信陽行きのチケットを買う。77元。7時45分発だが、40分になっても何のアナウンスも無く、ゲートが開く気配も無い??よく見るとバスには既に数人が乗っている。聞いてみると、直ぐにバスに通された。乗ると5人しか乗っていない。もう一人を待ったが、きっと私と同じように分からなかったのだろう。さり気なく乗り込み出発。

Exif_JPEG_PICTURE

4時間半の旅と聞いていたので、これだけ空いていると気分が楽である。しかし、僅か10分後には郊外に出る辺りでトラックと危うく接触事故を起こしそうになる。急ブレーキでバックが飛んだ。ぶつからなくて良かった。バスは高速を行くのかと思うと、別の道を進む。地図で見ると明らかに遠回りであるが、恐らくこれがルートなのだろう。その証拠に道端からどんどん人が乗り始めた。途中で乗った女性は料金が高すぎると叫び出す。55元だと言う。50元に下げるように交渉が始まる。他の客も下げろと加勢する。途中乗車に定価はないのか??

言葉は方言であり、意味は不明。その内収まったので車掌のおじさんの勝ち。その後も客が乗る度におじさんは席の確保と料金交渉をしている。特に席の確保は見事。荷物を退かせ、子供を纏めて座らせ、席を作る。満員になったと思ったが、それでも未だ乗せようとする。最後は風呂で使う小さい椅子を渡して即席を作る。貰ったおじさんは結構辛そうだった。それはそうだろう。道はでこぼこ、車を避けるたびに右往左往する。この椅子では腰を痛めそうだ。途中また雨となる。雨になると心が暗くなる。今日は直ぐに止んだ、ラッキー。途中に胡族の村があった。・・・・

バスにリュックとバックを持ち込んだ私は足の置き場が無く、きつかった。更にきついのはバスが長距離であるのに、一度もトイレ休憩を取らないことだ。子供も何人か乗っていたが、よく我慢できたと思う。いや、最近歳を取ってトイレが近くなったのは私の方か??道端に田んぼがあり、米が植えられているのを見て、『この辺は米を食べるんだ』などと考えながら、トイレを我慢した。バスは事故も無く、予定より早く12時前には信陽のターミナルに入った。

 

  1. (2)ホテル

バスターミナルは大きかった。先ずは兎にも角にもトイレに飛び込む。ホッとする。地図を買おうとしたが、何処にも売っていない。外に出ると街中ではあるが、それ程きれいではない。田舎町の印象。目の前のタクシーに『信陽の良いホテルは?』と聞くと、『豫花園飯店』と答えたので、そのまま乗っていく。

タクシーは街中を抜けて、河を渡る。これまではごちゃごちゃしていたが、川向こうは道がすっきり。新市内であろう。ホテルはリゾート風。フロントに聞けば218元だと言う。不安であったが、部屋を取る。予感的中。これまでになく、汚い部屋。うーん。

 

部屋から出てフロントに戻ると、フロントにーちゃんが『よかったら部屋を変えませんか?料金は倍になりますが。』と聞くではないか?案内してもらうと、さっきの部屋とは雲泥の差。何故最初からここを勧めなかったのか?確かに私がパスポートを出した時、かなり動揺していたのはその為か??

Exif_JPEG_PICTURE

この新館、繋ぎの廊下には何故か『茶文化廊下』と名前が付けられ、両側にお茶の説明が並ぶ。その先にはお茶を飲ませるコーナーまである。ここから新館。部屋は全く違っていた。シャワーしかなかったが、部屋は広くてきれい。昨年出来たばかりらしい。当然こちらに変更した。

部屋に入り、電話を掛けた。秦さんから紹介された黄さん宛てである。黄さんは電話に出たが、残念ながら信陽にはいないという。それでも親切にも会社の部下であるもう一人の黄さん、黄経理を紹介してくれた。2時半にお店で会う約束をした。外に出るために先ずは地図を手に入れようと、フロントに行くと売店を指され、売店では隣の部屋に行くように言われた。行ってみると、部屋の中に地図が張ってあった。地図を売って欲しいと言うと困った顔をして、『最近信陽では地図をあまり売っていないので、この地図を見て欲しい』と言われる。こちらも困ったが、仕方なく、これから行くお店、バスターミナルなど必要な所を手書きした。こんな事はミャンマー以来か??

 

ホテルから歩いて行く。少し行くと河があり、橋を渡る。渡った所に『熱乾麺』の看板があり、お腹も空いたので中に入る。既に時間は午後2時、店では常連さんが世間話をしていた。この店には何とランチメニューがあったが、私は麺にした。麺はきしめん風、味は唐辛子、生姜などが混ざり、更に牛肉のひき肉をベースにしたソースは非常に濃厚で旨い。1杯3元。

 Exif_JPEG_PICTURE

 

(3)茶店

店を出ると喉が渇く。お茶屋さんに行くには時間があったので、何か冷たい飲み物を買おうとしたが、見付からない。飲み物は売っているが冷蔵庫に入れていない。東方紅大道と言う立派な名前の付いた道でもである。何故?アイスは冷蔵庫を使っているのだから、恐らくそのような習慣なのだろう?

賑やかなショッピングセンターらしい所に出た。ケンタッキーがあった。安徽省もそうであったが、ケンタッキーの進出はもの凄いものがある。マックの比ではない。中国人は鶏肉が好きなのだろう?救われたように中に入り、セブンアップ大を頼んでしまった。正直収入が大都市に比べて少ないと思われる信陽であるが、若者や子供が沢山いた。

 

2時半になったので中山北路にあるという黄さんのお茶屋さんに向かった。ところが・・?中山北路は直ぐに分かったが、この街には番地表示がなかった。205号を探したが、全く分からない。お店を出している女性に声を掛けて聞いたが、『知るわけ無いでしょう』との答え。自分の店の住所も知らないらしい??

結局東方紅大道から中山北路に入って直ぐにあった立派な茶館とお茶屋さんのあるビルに入って聞くと『ここだ』と言う。更に一人が奥にどうぞ、と言う。それが黄経理であった。彼はこの店を任されている。かなり若い。

 

この店は劉文新氏が1992年に設立した集団。劉氏は1972年生まれと言うからまだ若干39歳。信陽郊外の貧しい農村で生まれ、18歳で茶を売り始めた。持ち前の頭の回転の良さを生かして、瞬く間に頭角を表したと言う。今では従業員200人、信陽に4店舗、省都の鄭州には7店舗を構える茶荘・茶館を展開。信陽でかなり有力な企業集団となっている。彼らは07年に日本で開かれた中国10大茶葉大会?に省の代表として参加したとか。

 Exif_JPEG_PICTURE

お店は明るく清潔。茶葉も1回1回使えるように4gずつ小分けにしている。お土産として人に送ることを前提としているようだ。茶葉を見せてもらう。信陽毛尖は産毛がかなり多い、細やかな茶葉。特に白い葉が多く入っているものが高級らしい。黄経理は茶葉を掴む場合もビニールの手袋をして行う。素手で掴むと汗などの湿気が残りの茶葉に付いてしまうと言う。拘りと言えば拘りだが?そこまで考えなくても良いのでは??お茶はお店の店員が普通のお茶を出してくれるのみ。

Exif_JPEG_PICTURE

茶葉は信陽市から車で1時間ほど行った獅河港と言う街の付近で採れると言う。海抜は800m以上、黒龍潭などの地名が見える。夏でも茶葉はあるが、やはり山に入るのは不便だそうだ。黄経理にこれ以上迷惑を掛けるわけにも行かず、産地行きは断念。信陽市からはかなり離れた場所に新県と言う所がある。こちらは日本にかなり茶葉を輸出しているらしい。玉露と言う名前を付けているので、京都あたりへ出しているのだろうか?因みにこの地域もかなり貧しく、昔は将軍を多く排出している。食べられないので軍隊に入る。昨日六安で見た金塞県の状況と酷似している。やはり茶葉の産地はかなり厳しい状況に置かれていた、と言うことである。

 

茶館も見学させてもらった。金曜日の午後であったが、かなり賑わっていた。かなりシックな造りで、高級感はあった。最低消費は僅か一人10元ということで、北京などとは全く違う料金設定。2階には個室が幾つかあり、最低消費は20元。こちらはソファーあり、麻雀卓あり、トイレも付いていた。商談する人なども多いと言う。

信陽人はかなり堅実らしい。食事は別の所でしてから茶館へ来て、マージャンかトランプをしていると言う。鄭州のお店では食事とお茶を両方出すそうだから、信陽独特の光景らしい。消費水準の差が大きいとは思うのだが。

(4)茶葉市場

お店を出て、バスターミナルに向かう。明日何処へ行くかが未だ決まっていなかったのだ。バスは武漢まで3時間、鄭州まで4時間でいずれも豪華バスとのこと。但し一番行きたかった西安行きは時刻表の表示にはあったのだが、聞くと無くなっていた。どうしても西安には行けない宿命なのだろうか??(今年の5月の労働節にもホテルを予約していたのだが、新型インフルの影響で取り止めている)

西安に行きたければ列車で行け、と言われたので、外へ出て駅へ向かう。すると、ターミナルの横に何故か茶葉市場と書かれた道があった。行ってみると10軒ほどの小さな茶屋があったが、誰もやる気が無く、トランプに勤しんでいた。どうやらここは最近移転させられたという茶葉市場らしい。

Exif_JPEG_PICTURE

 

では新しく建てられた市場は何処に??ホテルの人は東方紅大道にさっきあったケンタッキーの裏だと言っていた。黄経理は既に市場は解体され、茶屋は分散したと言っていた??どちらが本当か、訪ねて見た。バスターミナルから東方紅大道に出る。雨が降っていた。何となく寂しい。ケンタッキーの後ろに回る。何だか立派なマンションがある。その向こうに『文化第一』と名付けられた茶葉市場があった。

 Exif_JPEG_PICTURE

昨年移転したとのことで、きれいな店が並んでいたが、何となく風格が無い。お茶屋さんの雰囲気が今一つ。それにここもまた夏の淡期、皆トランプに余念が無い。私が歩いていると皆不思議そうにちょっと見ては、またトランプに戻る。かなり疲れていた。休みたい気分になり、一つの店に入って見た。そこには雲霧茶と書かれていた。おばあさんがやってきて、茶葉を見せてくれた。冷蔵庫から大事に取り出す。500g、450元と言われた茶葉は黄経理が見せてくれた物の半値か?

おばあさんから話を聞きたかったが、残念ながら訛りが強すぎて、聞き取れない。辛うじて地図を見ながら、おばあさんの故郷の場所を確認。やはり獅河港から少し行った所だが、地図にも無い。お互い言葉も通じず、地図の細かい字も読めず、悪戦苦闘。娘さんがいたのだが、何故か殆ど助けてくれない。結局6時になり、店を出た。

 

ホテルに戻る途中に、橋のたもとに八一路歩行街と言う歩行者天国があった。車も少ないので歩行者天国もないものだが?何故か羊料理の店に入り、爆葱羊肉を辛いと感じながら食べた。八一橋を渡ると、心地よい風が吹いてきた。そろそろ疲れてきたようだ。

 Exif_JPEG_PICTURE

8月8日(土)

2.鄭州へ

疲れたが溜まってきたが、そういう時は寝付かれない。結局PCなどを繰り回し、遅く寝た。翌朝はゆっくり朝飯に行った所、食べる物が殆どなかった。このホテル、新館のファシリティーは悪くないが、やはりかなりのローカルホテルであった。雨が降ってきた。どうしようかと思ったが、タクシーが来たのでバスターミナルへ向かう。実は今日何処へ行くかは相当に迷った。やはり昨日4時間半休みなしのバス旅をしたことは堪えた。出来れば長くバスに乗るのは避けたい。

河南省の省都鄭州までは4時間、西安にも行きたいと思ったが、何と直接バスなし。うーん、武漢は3時間で行けた。どうしようか?22年ぶりに武漢、しかも最近24歳のマルチタレント田原(女優で作家でミュージシャン)と会っていたので彼女の故郷を見たい気持ちもあった。昨晩ネットで検索すると武漢のホリデーインは合肥よりも更にかなり安かった。と言うことはきっとかなり暑くお客が来ないのだろう??

結局運任せとした。きっぷ売り場で鄭州と言ってみて、30分以上出発がなければ、武漢と言う。早いほうに乗ることに。結果は呆気なく『もう直ぐ出るから早く行け』の声で鄭州に決まった。バスを見ると何となく安心。豪華そうなバスである。思わず写真を撮ると若い女性(車掌さん)が『何しているの?』ときっと睨む。が、バスに乗り込むと何と小型トイレが付いていたので気持ちが一気に楽になる。席で発車を待つと、車掌さんがやってきて、今度はにこやかに、パンと水をくれた。オー、これは豪華だ?因みにこのバスは89元。確かにこれまでで一番高い。お客は数人しか乗っていない?出発した。また昨日の悪夢が??一体何処で残りのお客を乗せるのだろうかと身構える。ちょっと行くと直ぐに高速の入り口付近に来た。数人が荷物を置いてしゃがみこんでいた。この人々か、と思ったが、素通りし、何と高速に乗った。『直通バス』は本物であった。

Exif_JPEG_PICTURE

 

この高速は快適であった。天気は小雨から曇りへ。気持ちは軽やかであった。信陽を離れた所で景色が一変した。それまで周囲の風景が田んぼで米が稲穂を垂れていたが、駐馬店と言う街に近づくと、全てがとうもろこしに変わった。これが聞いていた小麦文化の河南(小麦と米の境目)である。これより北は米は食べないのだ。

昨日お茶屋でも話していたのだが、北緯32度が河南の茶の生産ラインらしい?沿海部では上海の上あたりだから、内陸部はラインが低い。恐らくこの線に沿って、米作が行われていたと思われる。本来北京は勿論東北地方でも米作は行われていなかったはずだが、日本が東北(旧満州)に米を持ち込んだので、現代の我々は中国では何処でも米が取れると錯覚する。

河南省に来るのは今回が初めてであるが、駐馬店は聞き慣れた地名である。私がいつも通っている脚マッサージ屋は河南省出身者で占められており、特に仲の良かった子の出身地が駐馬店だったのだ。しかしここに来るまで地図で確認したこともなく、場所は知らなかった。結構河南省の南の方にあるんだな、と言う認識と、ここからバスで十数時間乗れば北京に戻れるという実感があった。彼女らは電車ではなくバスが快適だといっていたが、確かにこれなら眠っている内に到着するだろう。当たり前だが、今回は何の波乱もなく、バスは僅か3時間で鄭州市内に入った。

しかしいつになってもバスターミナルに到着しない。土曜日の午後と言うこともあるのか、結構渋滞している。道も広くない。外を見ていても特段特徴が感じられない。面白みのなさそうな街だ、というのが第一印象。2つバスターミナルを通過したが?ようやく到着したターミナルは駅前の込み合った中にあった。普通であればターミナルは郊外に移して、このように効率の悪い運行はしないものだが。地図を買うとおじさんが丁寧に現在位置を教えてくれたが、それに寄ればこの街は大きくないように見えた。

 

ターミナルを離れてタクシーを捜したが、駅前の混雑で拾うことが出来ない。歩いていこうかとも思ったが、方向に自信がない。何とか大通りでタクシーに乗り込む。『ホリデーイン』と言ってみたが通じない、あれ。道の名前を言うと走り出す。

(1)ホテル

結局車で10分以上掛かった。二七塔と思われる下を通って以降何処を走ったか良く分からない。そして何と?ホリデーインは敷地内に3つもあった??取り敢えず中に入る。フロントで聞くが850元と言われ、驚く。ここはクラウンプラザと言う高級ブランドだった。それにしても鄭州でこんなに高いの?フロントのお姐さんは如何にも不愉快そうに首を縦に振る。

何だか言語が通じていない気がしたので英語で聞いてみる。もう一人のお姐さんが愛想よく『これは週末パッケージです。月餅一箱も付いています。』と答える。夏休み特別企画か。月餅はいらないので、もっと安い所をお願いするとさっきの姐さんが蔑む様に『裏に回れ』という。裏のホリデーインも古びていた。それでも658元もするのだ。部屋は狭く、今一。ようするに鄭州にはいいホテルが少ない。それと夏休み、洛陽、開封を見学する場合、地の利から言って、鄭州に宿を取る。仕方なくチェックイン。

Exif_JPEG_PICTURE

それにしてもこのホテルは80年代の建築ではないか?隣の格安ホテル、ホリデーインエックスプレスの方が余程新しいことに後から気が付く。後の祭り??明日は引っ越そう。しかしフロントのお姐さんはさっきの人と違い、丁寧に対応してくれた。開封や洛陽へのバス乗り場を尋ねると色々と問い合わせてくれた。翌朝の朝食も人が少なく、満足のいくパンを食べた。引越しは取りやめ、2泊した。

8月10日(月)

3.洛陽へ

朝何と寝坊した。目覚ましも掛け忘れた。旅の疲れか?気の緩みか??急いで朝食を食べる。メニューは昨日と同じ。最後にバナナを一つ持ち、素早くチェックアウト。ホテルの門のところで、タクシーが客待ちしていた。バスターミナルと言うと洛陽まで送ると言う。しかし最低450元と聞いて止めた。古いホテルにはこのように外地から来た人間を相手に料金を吹っかける輩が未だにいる。もう21世紀なんだし、そろそろ止めたらどうだろうか?彼らの時代は終わったはずなのに。昨日の開封のタクシー運転手たちとは大違いだ。

道路に出てタクシーを拾い、昨日同じ徳芸駅へ。ここは開封行き専門かと思っていたが、ちゃんと洛陽行きもあった。しかも30分に一本と聞いていたが、何故か直ぐに出るバスがあった、ラッキー。しかし荷物検査を済ませてバスに乗り込もうとすると検査していないと言われる。良く聞くと荷物を通してから、また元に戻りシールを貼ってもらうとか??それなら最初から検査員の方で荷物が出てくる所にいればよいのだが???この検査、形式的にやっているにしては、良く分からない。

バスは大型で空いていた。ラクチン。料金も僅か41元。タクシーの10分の1以下だ。20分ほどで高速に乗る。洛陽までは約100km、バスは思いの他、ゆっくり走る。時速60km??安全のためにはこれが良い。途中で山間に入る。段々畑が少しだけ見える。数箇所のトンネルも潜った。確か歴史の授業で習った長安と開封の間を隔てる山とはこれか??何となく歴史を感じる。そして特に意味も無く、これからの人生を考える。

そうこうする内に高速は洛陽で下りた。しかしここは郊外、市内までは約30分掛かった。旧市内はかなり細い道が多く、渋滞となっていた。すると車掌が途中のバス停付近で『ここで降りても大丈夫』と怒鳴り、皆一斉に下りた。私も釣られて下りた。直ぐにタクシーが横に来たので調べておいた洛陽一のホテル利豪酒店に向かった。

(1)ホテル

運転手に『龍門石窟と白馬寺に行きたい、半日チャーターするといくらだ』と聞いてみたが、ずっと考えて答えない?もう一度聞くと『基本的にはチャーターはしないので分からない。でも行きたいなら連れて行くよ。』と言う??ホテルのボーイにも後で聞いたが、やはり同じ答え。

ホテルは昨年1月にオープンしたばかり。周囲は新区であり、非常に清潔。ルームチャージを聞くと『携程で予約した方が安いんですよ、50元ほど』と言われたが、もう面倒でそのままチェックイン。652元。部屋は広く、周囲も広々としていて気持ちが良い。大手企業の広告が出ているビルが数棟と高級そうなマンションが幾つかあるだけ。洛陽の新しいスポットになるのは数年先か?

ビジネスセンターで明日の北京行きの航空券を予約しようと思ったが、担当がいないと言うことで、依頼して外へ出る。洛陽空港はフライトが殆どなく、もし明日の午前便が取れない場合は、鄭州に戻ることになる。それでもなるようにしかならない、との考えで出たとこ勝負。

(2)龍門石窟

タクシーに乗る。今度はきれいな車。北京のタクシーと同じである、何故?運転手は普通にメーターを倒す。龍門は値段交渉をする必要も無いほど、近かった。新区にあるこのホテルからは僅か5-6kmではなかろうか?料金16元。道も真っ直ぐ、龍門大道を行く。運転手は親切で出来るだけ切符売り場の近くまで乗り付けた。

 

それでも電瓶車と呼ばれるカートで4元を払って、1km以上走り、ようやく切符売り場へ。横には川が流れ、柳が靡き、結構気持ちが良い。入場料120元は今回で最高額。

Exif_JPEG_PICTURE

河に沿って、山が続く、その斜面に石窟が彫られている。小さな石窟は風雪によってか、また文革などの迫害にあってか、頭や顔の無い仏像が目立つ。しかし比較的大きな石窟ではしっかり仏像が残っており、見るべきものがあった。

493年に北魏の孝文帝が洛陽に遷都(大同より)したことにより、石窟の造営が始まったとされる。その後北宋頃まで掘り続けられ、現在では敦煌、雲崗と並ぶ中国3大石窟の一つとなり、世界遺産にも登録されている。特に大きな仏像が並んだ中央部分(奉先寺)は迫力があった。唐代の則天武后をモデルにしたと言われる廬舎那仏、力士像が並ぶ。圧巻である。その他、洞の中の天井部分に蓮の花が見える蓮花洞、小さな仏が無数に置かれている万仏洞など、大小多数の洞が所狭しと並んでいる。

Exif_JPEG_PICTURE

先日甘粛省蘭州郊外のヘイ霊寺で見学した石窟も黄河の支流に合ったが、規模がそれよりかなり大きい。尚ヘイ霊寺では石窟の写真を撮ることは禁止されていたが、今回は写真撮り放題であった。仏にカメラを向けるのは気が咎められたが、取り敢えずシャッターを押す。

 

また階段がかなりあり、上り下りも激しい。今日はそこそこ涼しいはずで、風も吹いてきたが、やはり汗が出た。西洋人も多く見学しており、ガイドも英語の他、ドイツ語なども聞かれた。

Exif_JPEG_PICTURE

一通り見終わると、出口を出て橋を渡る。今度は反対側に回り、西山石窟の全貌を見る。良い眺めである。何だかありの穴が無数に開いた状態を横にしたような感じだ。更に歩くと香山寺があったが、疲れていて急な階段にたじろぐ。パス。

切符売り場の対岸まで来ると白園があった。唐代の大詩人、白楽天の墓がある場所である。園内に入ると(入場料は石窟に含まれていた)、日本的な庭園が見えた。緑が深く、池が配され、花が咲く。中国にもこのような場所があったのか??

 

山を登るとお墓があった。円形の土盛り。周囲には各国から寄せられた碑が建っている。日本も碑を建てていた。韓国やシンガポールもあった。白楽天の詩が如何に人々に愛されていたかが分かる。

 Exif_JPEG_PICTURE

 

《安徽お茶散歩 2009》(2)

(4)包公公園

確かに公園は直ぐに見付かった。実はホテルとも近かった。包孝粛公墓園と書かれた門を20元支払って入る。かなり静かな、広い空間がそこにある。神道を歩き、神門を潜る。両脇は木々に覆われ、細い道が如何にも神の道のよう。

その奥に包公の墓碑と墓があった。こんもりした墓は穏やかな雰囲気があった。包孝粛は合肥出身の北宋時代の官吏。非常に清廉潔白、公平無私の人物だったと言われており、中国では戯曲に何度も登場している。私も香港時代に彼を主人公とした『包青天』というドラマを見た記憶がある。日本で言う大岡越前の大岡裁きのような痛快な判断が話を面白くしている。彼が聖人と拝められると言う事象が『中国の官吏に清廉潔白な人物が如何に少ないか』を物語っている。

Exif_JPEG_PICTURE

実はこの墓の下には遺骨が納められており、我々も中に入ることが出来た。地下道には両側に明かりがあるものの、やはり暗い。写真も上手く撮れなかった。尚墓の近くには夫人及び子供の墓も作られていた。

Exif_JPEG_PICTURE

ここまでは包公祠であり、外へ出ると大きな公園になっている。いきなり猿を連れた男が飛び出してきて、猿が宙返りをする。何だろうと思っていると男が手を出し『10元』と叫ぶ。芸の押し売りだ。無視していくと何か叫んでいたが、周囲の中国人からも『あれで10元』と言った野次も聞かれた。

池があり、きれいな風景が見える。合肥は本当に良い公園が多いと思う。ゆったりと歩く。道端で水を筆に含ませて地面に字を書いている老人がいた。

Exif_JPEG_PICTURE

疲れが出てきたので、ホテルに戻り、夜も簡単に済ませて寝てしまう。

 

8月6日(木)
(5)朝

朝起きてテレビをつけると、広島の原爆式典をやっていた。麻生首相の挨拶が特に冴えなかった。政権交代か?朝食は満足の行くビュッフェであった。急ぐ旅でもないので、2度寝しようとしたが、それは無理だった。起き上がってチェックアウトする。

ホテルを出てタクシーに乗る。昨日調べた鉄道駅の隣のバスターミナルを目指すが、何とこれまた2つあった。これは不便である。幸い運転手が分かってくれたので、無事に到着。窓口で六安行きの切符を買う。所要時間を聞いたが、相手は全く聞いておらず、逆に私の手元を見て『50元札が2枚あるなら100元と取り替えて』と勝手なことを言い出す。相手にしていられないが、最近は笑える自分がいる。

Exif_JPEG_PICTURE

バスは中型。赤ちゃんが3人も乗っていて賑やか。満員ではなかったので、ゆったり座る。最初はエアコンが効かず暑かったが、スピードを上げると涼しくなる感じ??バスは市内を抜けるのに30分を要し、更に高速はないので、一般道をゆっくり走る。70kmしか離れていないのに1時間半掛かる理由である。

途中でバスが横道に入った。前のバスに習っている。何故?何と検査があった??と言うか形式的にチェックしたように見せていた。こういったことが無駄である。ミャンマーでは各関所で本当に身分証を運転手が持って走っていたのを思い出す。最後に道路を数百メートル逆送したのには呆れた。道路工事か事故かと思ってみていたが、何とバスターミナルに入るのに便利だからと言う理由。慣れている車もあったが、驚いて避けている車も。恐ろしい。雨が強く降っていた。

2.六安 
(1) 雨 
バスターミナルは南駅。ここが郊外だということは分かるが、一体何処??傘を取り出して何とかビルの中へ。次の目的地??河南省信陽へのバスを確認。六安の地図を買おうとしたが、どこにも売っていない。ここがどこかも分からず、どうすれば良いかも分からない。外へ出るとちょうどタクシーが客を降ろした。取り敢えず乗り込む。

『六安で一番良いホテルへ』。仕方なく伝える。地方都市だからそんなに高くないと高を括る。タクシーの初乗りも4元。10分ほどで市内中心へ。ここにも開発の波が来ている。ウォルマートが先月開業したと宣伝している。高級そうな建物も見える。そして立派なマンションとこれから開発する広大な敷地の間を抜けてタクシーはホテルに入った。8元。地方都市の省都の次のランクは今まさに市内中心を大規模開発中。バブルが弾けなければよいが。

晥西賓館、それは結構高級そうなホテル。ロビーも立派。フロントで料金を聞くと560元を35%オフの368元(サービス料、朝食込み)とのこと。雨で他を探す当てもなく、チェックイン。フロントの女性は皆若くて可愛い??日本人と分かると一生懸命英語を使ったりする。

(2) 張さん 
時刻は12時前。さてどうするか?唯一の当ては秦さんが紹介してくれた六安のお茶屋さん。何はともあれ、電話してみる。しかしどんな反応だろうか?秦さんの紹介文でも『最近取引は余りない。丁寧に説明すれば思い出すのでは?』と心許ない。

電話に人が出てホッとする。出なければ、全てが振り出し。しかし『秦さんを知っていますよね?』の問いに、『余り記憶にない』との答え。どうしようかと困っていると、『兎に角良く分からないので、ホテルに行くよ』という有り難いというか、申し訳ない答え。しかも今昼休みで家にいるので、1時には行けるとのこと。当方はちょうど良いので、昼食を抜いて待つ。最近の食べ過ぎで食欲も減退。

1時前に部屋のベルが鳴る。張さんがやって来た。旧知のように握手。部屋で話を始める。彼がどんな人かは秦さんのメールにも書いていなかった。住所はあったが、今はそこにはいないとのこと。晴れていれば直接行く所だった。

彼は六安瓜片の里、斉頭山の麓に茶葉工場を持っていた。同時に輸出を行う会社も経営。六安瓜片の産量は年間50万トン、彼の工場は1万トンを製造。よい瓜片は年1回の摘み取り、時期は穀雨の前後10日と非常に短い。その他、霍山黄芽という柔らかい芽を中心に摘み取った茶も製造。こちらは霍山に工場を所有。

輸出はアメリカ、フランス、ドイツ、ベルギーなど。日本向けもあるが多くはない。毎年春に欧米の取引先がやってきて、斉頭山で茶の製造を見学する。来年来れば案内するよ、と言ってくれる。因みに今は茶葉がない、その上雨で道が悪い。何と斉頭山に行くには途中までは車で行き、ダムのある所は船で行くそうだ。今日の様な雨では道路が危険とか。

張さんのお茶は秦さんが認めているのだから本物だろう。ホテルで話していても茶葉は出てこない。思い切って張さんのお茶を見せてもらいたいと頼む。既に最高級のお茶は売り切れとのことだが、快く承諾してくれた。

タクシーでオフィスに向かう。人民路を少し行くと茶葉市場があったが、素通りした。そこからかなり乗って漸く着いた場所も何と茶葉市場。張さんのオフィスはこの郊外の市場の中にあった。バスターミナルの東駅と開発区の近くらしい。聞けばこちらの市場はそれ程大きくないようで、先程通った市場は百数十軒とか。

シャッターを開けて店に入る。張さんはここ数日ここには来ていなかったようだ。早速六安瓜片が出てくる。茶葉は全て手摘み、機械だと葉っぱの外形はきれいだが、口当たりが良くない。茶葉の中に黄色掛かった少し異質の物がある。これは山の中で採れたものの証らしい。最近は麓の方で摘んだ茶葉も値段を吊り上げて売っているらしい。見分けは難しい。

 Exif_JPEG_PICTURE

彼の工場で製造した良質の茶葉は既に輸出したか、地元で売ったか(少量)、友人に配ってしまい、500g、600元が最高だと言う。私のような一見さんには今あるお茶を高く売っても良さそうだが??400元の物と飲み比べた。一般的に六安瓜片は龍井などと異なり、少し重い感じのする緑茶である。日本人には向かないとも思える。しかし今回飲んだ茶葉は飲んだ後の感覚がすっきりしていた。

Exif_JPEG_PICTURE

霍山黄芽も飲ませて貰ったが、こちらは最近愛飲している黄山毛峰と似ており、値段が安い分だけお得かもしれない。結局瓜片を少し購入。入れ物は小型の茶筒で、これが気に入ったので購入したような物。結構な荷物を背負ってしまう。

Exif_JPEG_PICTURE

Exif_JPEG_PICTURE

タクシーでホテルまで送ってもらい分かれる。張さんは他に用事があったようだが、態々付き合ってくれた。有り難い。

(3) もう一つの茶葉市場 
ホテルに戻り、一仕事を終えてぐったり。ところがこういう時に限って雨が止む。そうなると出掛けない訳には行かない。気を取り直す。先ずはフロントで明日のバスの予約をお願いする。お姐さんが一生懸命電話してくれるが、要領を得ず、何度も依頼する。しかし彼女らは一度も嫌な顔をせずに聞いてくれた。これは素晴らしい。今回発見したのは先程南駅で確認した掲示板と電話で言われた時刻がかなり違っていること。どちらが正しいのだろうか?明日は早起きになってしまった。

ホテルの隣には六安烈士記念公園があった。毛沢東の像が出迎えてくれる記念館。中に入ると六安付近から多くの将軍が出ていることが分かる。確かに清代も李鴻章の出身地として軍事に長けていた。正直山間の貧しい地域では軍隊に入るのは一つの就職だったかもしれない。それにしても志の高い人々がいた。革命、抗日で命を落とした人々が掲示されていた。鄧小平もこの付近で国民党と戦ったとある。意外と知られていない安徽省の一面である。

Exif_JPEG_PICTURE

公園自体はよく整備されていてきれいで気持ちが良い。記念館の裏には記念塔も建っている。そして周囲は池と緑、芝生も青い。散歩しようとすると何故かまた雨。実は南駅からホテルに到着した際、荷物に紛れて傘を忘れてしまったので、急いで探して買う。

そのまま人民路を歩いて行くと、博物館がある。六安博物館、入ってみる。料金は無料。

Exif_JPEG_PICTURE

北京の四合院のような造り。中庭はかなり整備されており、花が咲き、雨上がりで非常に瑞々しい。しかし展示物は余り無く、係員は本当に手持ち無沙汰。彼らは本を読むのにも飽き、やることは何もない。

 

 

博物館の先を右に折れると、茶葉市場がある。六安にあるもう一つの市場である。入り口には『????』と書かれ、両側に店が並ぶ。ここは1軒ずつ独立しており、雨のせいで戸を閉めている所が多く、入り難い。

Exif_JPEG_PICTURE

たまたま雨だったからかもしれないが、折角来たのに、何故かパスしてしまった。1軒も寄らないのは自分としても不思議。先程の張さんの案内で、満足してしまったと言うことか?それとも歳を取ったということか??

そのまま立ち去り、晥西路を歩く。この街、かなりの都会である。大きな地場百貨店がいくつもあり、不動産開発も結構盛ん。数年前は㎡数百元だったが、今は3000元程になっていると言う。それでも中国の一般的な都市よりは価格の値上がりは抑え気味。

ホテルの横も立派なマンションが建っている。その周りはブティックが並び、公園を借景としてなかなか雰囲気のよい散歩場所を提供している。ここ数日は雨が降ったせいもあり、夕方は特に涼しい。気分良く、散歩を続けた。

食事は簡単なものが良いと思い、小さなレストランで相談すると親切にあれこれ考えてくれる。どうやらこの辺りは味がかなり濃いらしい。普通の木耳豚肉炒めがよいと言うので、食べてみると、それでも唐辛子とピーマン、生姜も入り、結構辛い。

夜は早々に寝たが、何と夜中の12時に花火を上げられ、音で飛び起きたのには驚いた。どんな理由かは知らないが、こんな事は旧正月以来であろうか?そう言えば、隣の公園で京劇か何かを遅くまでやっていた。何の日なのだろうか??

8月7日(金) 
(4)朝 
朝6時前に起きる。ホテルの従業員が気を利かせて6時にモーニングコールが鳴る。こういうサービスは嬉しい。6時20分に1階の食堂に行ったが、食事の半分も無かった。こちらも余り食べる気が無かったので、麺を小椀で1杯とフルーツで済ませる。

それでもこのホテルの印象はよかった。さて、これからどうなるのだろうか?安徽では不完全燃焼??