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広州茶葉市場ツアー2014(3)世界の雑貨市場 一徳路

今年は日本でも白茶ブームだそうだ。特に月光白と言う名の白茶を求める人が多い。中国で火が付いたようで、白茶屋さんには段ボールに月光白が積まれていた。いくつか試飲してみたが、うーん、という感じ。ほんの少しだけお茶会用に買おうとすると『サンプルだ』と言って、無料で分けてくれた。

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買付人が中国全国からやって来ており、引っ切り無しに商談が進められている。売り子も沢山いるが、手が足りないほど。我々はその横でまったりとお茶を飲む。今の中国と日本のスピード感が良く出ている光景だった。そして買い付けられた白茶がどんどん箱詰めされ、運び出されていく。勢いが感じられる。

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実は最初のお店で1年半前も購入したプーアール茶、可以興を買っていた。前回は1塊のブロックで35元、これは手で砕けるお茶で飲みやすい。更には私の体で実験した結果、便の通りが非常によくなることがわかり、また購入したのだが。店のおやじは『今は200元で売っている』という。え、1年半で6倍?I夫人が長年の付き合いで50元にまけさせてくれたが、『もう次回はないから』と念を押された。

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なぜ急にそんなに高くなったのか、それはこの老舗の可以興(1926年創業)が昨年四川省の大手資本に買収され、そこがブランド化を一気に進めているからだという。試しに新しくなった可以興の専門店へ行って驚いた。パッケージも全く違っており、店もすごくきれいになっていた。だがそこで売れられていたお茶の値段は何と800元だった。中味は私が50元で手に入れた物と同じだという。一体どういうことだ?それが今の中国だ、ということか。

 

3時間ほど茶葉市場を歩くと限界が来る。今日はここでおしまいとなり、ホテルへ戻る。ホテルで体を休め、夜も9時を過ぎてから『夜飲茶』に出掛ける。昼と同じ、陶陶居。夜もまた混んでいる。今日はそこで焼いていた焼きそばを食べてみる。このおばさんがまた無愛想で美味しそうに見えないのだが、食べると実にぱりぱりしていて美味い。思わずお代わりするほどだ。まあ夜の10時過ぎに活気のある食堂で、美味い物を食う。極楽気分で寝る。

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8月30日(土)

一徳路市場

翌朝は世界の雑貨市場と呼ばれる広州を見に行く。一徳路にある雑貨の店店、その数も凄いが売っている商品のバリエーションも半端ない。道も午前中から荷卸しと荷積みの車でかなり塞がっている。中国経済の減速が言われて久しいが、土曜日の午前中でも、ここには活気が感じられる。

 

私とI夫人は茶葉を詰める小袋を買いに行ったのだが、その専門店だけでも何軒かある。更には店内に置かれている品揃えも豊富で、どれを選んでよいか迷ってしまう。カタログを見て多過ぎて選べない。どうやってこんなに大量に作っているのだろうか。またそのトレンドをどのように掴んで生産しているのか、疑問なほどだ。

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世界の工場と呼ばれた中国、安価な商品の大量生産にかけては世界で誰も真似が出来ない。それをまざまざと見せつけられるのが、この市場だ。周辺国はもとより、アフリカあたりからも買付人が大勢やってくる。広州にはアフリカ系だけでも10万人単位の人が住んでいると言われている。

 

我々が選んだ小袋も極めて安い。100枚で10₋20元、日本なら10倍ぐらいはするのではないだろうか。文具を売る店では色鉛筆からノートまで物凄い種類があった。陳皮などの生薬も大量販売されている。I夫人は『安い』と言って買っている。とは言っても店側から見れば卸の量ではないので、それほど歓迎はされていないかもしれない。

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付近には実に立派な教会もある。1555年にイエズス会がこの地にやって来て布教が始まったらしい。現在の教会は恐らくは広州で一番、いや中国でも有数の素晴らしい作りだと思われる。この教会を見るだけで荘厳な心持になる。ただ兎に角暑い。これには堪らず、短時間で退散する。

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茶葉市場2

昼ごはんは市場の帰りにホテル近くでテイクアウト。私は油鶏飯を頼む。僅か12元で、山盛りのごはんとおかず。これも広州ならでは、ではないだろうか。勿論中国の物価は上がっており、ここ広州でも上がっているが、それでも他の中国と比べると、そのコストパフォーマンスが実に良い。日本人が広東料理と合う、と言う以外にも理由はありそうだ。

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午後は再度茶葉市場へ。今日は土曜日のせいか、タクシーも直ぐに拾えて、回り道もなかった。今日はメインのビルではなく、道の反対側にある、小さな店に足を運ぶ。この店、既に外に出ている商品からして凄い。数十年前の黒茶、どう見てもその辺の倉庫から掘り出して来たままの状態で、放置されている。

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店内に入ると、骨董市場と見まがうような、古い茶葉がぼんぼん置かれている。竹籠に入った60年代の広西六堡茶、年代不明の湖南の茯磚茶なども無造作に飾られている。店のおばさんも無愛想で、聞いたことに生返事するだけ。恐らくはご主人が相当なマニアなのだろう。これは中国中を回って掘り出してきているに違いない。ここでなぜか祁門紅茶を買う。美味い!

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細かい餅米茶、1粒、1粒売っている。量り売りだ。これもI夫人は籠にどさっと入れて買っている。私も真似して買ってみる。タイ人には玄米やもち米茶が良いと聞いたので、今度飲ませてみようと思う。

 

それから昨日も行った茶器屋へ行く。I夫人は何と茶杯を数百個持ってこさせて、気に入ったのを選んでいる。私はお茶を飲んで待つ。店の奥さんが客と丁々発止のやり取りをしている。気に入った急須が欲しいお客、出来るだけ値切ろうとするが、そうはさせない。かなり長い交渉になっており、間に笑い話あり、泣き落としありでなかなか面白い。

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広州茶葉市場ツアー2014(2)芳村茶葉市場へ

財布を忘れ

さすがに諦めかけてホテルへ戻る。だがI夫人、どうしても諦めきれずにまた不動産屋へ入る。如何にも胡散臭そうに我々を見た角刈りのおやじ、I夫人は委細構わず、空いて居る椅子に座り込み、『月極めないの?』と聞く。I夫人の度胸にはいつも敬服するが、通訳する方は嫌になってしまう。当然『そんなものあるか!』と言われて退散。

 

更にはローカルホテルを見つけたので、部屋を見学しながら『月極め割引』を狙ってみた。しかし部屋もそれほど豪勢でもなく、しかも割引も殆どなく1か月も居れば息がつまりそうなので断念、この地域での部屋探しの難しさを思い知った。

 

そしてホテルに帰り、部屋に落ち着いた瞬間、I夫人は『財布がない』と言い出す。どこかに忘れてしまったようで、今来た道を戻る。薬局、不動産屋などを回るが、どこも無いという。急須屋では同情されたが、やはりなかった。ホテルで見学した部屋にまで行ってみたが、どうしても見つからない。

 

さすがのI夫人も諦めモードとなり、下を向いてホテルへ帰ることに。だがもう一軒、あの角刈りオヤジの不動産屋が目に入り、恐る恐る行ってみる。もう入るのも嫌だったが、案の定、『何しに戻って来たんだ』という顔をされる。そしてすごすご退散しようとすると『忘れた物、あるんじゃねえの?』と言うではないか。さっきI夫人が座っていたテーブルにちゃんと財布が乗っていた。人は見かけによらない、というより、儲けにならない客が置いていったものなど興味がない、と言う雰囲気で、お礼を言うとすぐに退散した。

 

茶葉市場

午後は芳村の茶葉市場へ行くことにしていた。外に出るととても暑い。ホテルの前は歩行者天国になっており、少し歩いた場所に車が走っていた。ホテルの反対側には道路があり、そこにはタクシーがたむろしているが、運転手は皆外国人目当てのぼったくりと分かっているので、近寄らない。最近は中国でもこの手のタクシーは減ったのだが、20年も前からあるホテルには未だにこの手合いがいる。

 

昼下がり、車は少ない。ましてやタクシーは少ない。時々通っても乗車しており、捕まえることはできなかった。ちょうど悪い時間帯なのだろう。別の場所に移動しても事態は変わらなかった。地下鉄も通っているが、駅まで遠いし、また芳村の駅から市場までもそこそこ遠いので、断念する。

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じゃあ、仕方ないから昼ごはんでも食べようということになり、いつもの陶陶居へ入り込む。午後2時でも混んでいるが、2階にちゃんとテーブルが1つ空いている。そこがIさん達の凄い所だ?プーアール茶を飲みながら点心を軽くつまむ。いい雰囲気だが、店員の愛想は相変わらずない。

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もう一度出直して道へ出ると、今度はタクシーが直ぐに捕まった。やはり時間帯だったようだ。タクシーは軽快に走り出したが、途中で渋滞に遭う。すると運転手が少し遠回りになるが、速い方で行こう、と言い、道を変えた。ところがこれがかなりの遠回り。後ろに乗っていたI夫人が『何でこんなに遠回りするの?』と言い出すが、運転手は知らんぷりして運転を続ける。

 

確かに大きく回り込んでいつもと逆方向から茶葉市場に入った。メーターを見ると通常の道より10元ほど高い。I夫人は憤然と『これしか払わない』と言って金を渡して降りてしまう。『彼は故意に遠回りしたのだから当然だ』と言うのだが、私には速さと料金の整合性は良く分からない。運転手も最初は怒ったようだが、I夫人の権幕に負けて去って行く。(I夫人は特別な存在感があるので良いが、普通の人がこれをやると喧嘩になり、最悪暴力行為に発展しかねないので、良い子は真似をしないように)

 

ここの茶葉市場は中国最大と言われるだけあり、非常に規模が大きい。茶城のビルもあり、その周辺には平屋の建物も沢山あり、道の反対側にも連なっている。正面に陸羽の像があり、茶葉市場の雰囲気を醸し出しているのが、如何にも中国的。

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まずはIさん行きつけのお茶屋へ入る。潮州の単叢屋さん、と看板にあるが、プーアール茶なども商っている。奥さんが潮州の出身で地元の単叢を商っているが、ここで単叢を飲んだことはない。今日もプーアール茶が出てきた。Iさんも持参した20年前の茶を出して応戦する。20年前のプーアール茶、本物はやはり価値があるようで、『もし沢山持っているなら全部買い取るよ』と言い出す。そんなの沢山あるわけないよ、というと、じゃあ自分で大事に飲んでね、となる。

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下関の沱茶屋さんもきれいになっている。下関には昨年11月に訪問したが、その売込みは凄いし、ニーズもそれなりにある、ということらしい。この市場では結構高い値段をつけて売っている物も見られる。実は他の店に卸しているようで、この本拠地は定価をつけ、他の店は各人が値段設定をしているように見える。

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茶器屋さんにも行く。さすが専門店だけあり、ものすごい数の茶道具が所狭しと並んでいる。その数だけでも圧倒され、私などは疲れてしまうのだが、I夫人は果敢に分け入り、良い物を探し当ててくる。これも長年の経験とセンス、ということで、私はお茶を飲みながらダラダラしている。お茶を淹れてくれたのがここの娘で大学生。専攻は英語、将来は外資系企業で働き、あわよくば海外での生活を夢見ている。お茶屋を継ぐ気はない、というのだが、どうだろうか。

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I夫人の茶器探して付いていくと、今年のトレンドがわかり、その中から日本人、特に女性が好みそうな品々が出てくるので面白い。一人用の茶濾しつき茶淹れと茶杯を買う。これはなかなかすぐれもので、海外旅行に持参してもいかと思う。お湯をかけると色が変わる置物もついでに購入し、バンコックのMさん向け土産とする。

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広州茶葉市場ツアー2014(1)夜も朝も食は広州

《広州茶市場散歩2014》  2014年8月29日-9月1日

 

1.広州

地下鉄を乗り継ぎ

南寧から乗って来たバスを降り、電車の駅へ向かう。その電車は地下鉄5号線だった。広州にもそんなに地下鉄が走っているのか。知らなかった。6年前に来た時はこんなに沢山は走っていなかった。1年半前に来た時も気が付かなかった。いつも同じ所ばかり行っていると、見えてこない物がある。しかも本日の宿泊先までここから僅か4駅なのには驚いた。仏山と広州はちょうど隣り合わせの場所にあるようだ。

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駅数は少ないが、乗り換えは2回もあった。5号線に一駅乗り、6号線に乗り換えて2駅。そして1号線に乗り換えて1駅で長寿路という駅で降りる。ホテルはここから5分ぐらいで着いたので、7時前にはチェックインできた。このホテルの周辺は古い広州の雰囲気を色濃く残しており、大好きな場所だ。

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ホテルはかなり古い建物であり、チェーン展開している他の都市の部屋と比べると見劣りするが、料金はそれなりだった。ロケーションが良いということだろう。WIFIも部屋で繋がるということだったが、なかなか繋がらない。相変わらずVPNも不調で、メールもろくに見られない。

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夕飯 そして夜食

兎に角今日は朝から何も食べていないので早々に外出して食事を取る。何でもよいから食べようと思ったが、そこは広州、美味しそうなものが並んでいて目移りした。ウロウロしていると疲れるので、先ずは白切鶏飯にあり付く。お母さんが会計に座り、息子が肉を切り、椀に盛り付ける。僅か12元だが、揚げ豆腐と鶏の味がとてもいい。叉焼も思わず食べたくなるが止めておく。

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他の食べ物を物色していると、韓国式のイカ焼きがあった。イカは大好きなので、思わず手が出た。3本、10元、決して安くはないが、食べ歩きの好きな中国人には絶好の食べ物。かなりの人気だった。味はまあまあか。残念ながらこれでお腹が膨れてしまい、ホテルに戻る。

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そして東京のお茶屋さんI夫妻の到着を待つ。彼らは今日香港からバスで広州入りする。9時頃には到着と聞いていたが、一向に到着の連絡はなかった。シャワーを浴び、寛いでいたが、10時半になっても音沙汰がないので心配になり、宿泊予定のホテルに電話を入れる。このホテルはアメリカ系であり、電話するとやたらに英語を使いたがるのだが、こちらの英語力の問題かもしれないが、意思を通じさせるのは厄介だった。『英語が話せても意味が分からない』人が多いらしい。

 

そうこうしている内に、携帯が鳴り、Iさんが到着した。こんな時間ながら明日の打ち合わせも兼ねてホテルへ出掛けた。ホテルの部屋はゆったりしており、私の所とは大違い。そして何と、このホテルではWIFIが繋がるだけではなく、GmailもFacebookも自動的に繋がるのだという。一体これはどういうことだ。政府が規制しているものを外資系ホテルがサービスとして提供している。明日は是非試してみよう。

 

Iさんはお腹が減った、というので、夜の11時過ぎに外へ出た。そこはやはり広州の下町、この時間でも屋台が繁盛しており、粥麵屋も空いていた。粥と腸粉、ワンタンメンなどで軽い食事を済ませた。広州の食事文化は実に便利で美味しい。

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8月29日(金)

朝は粥

朝はゆっくり起きる。腹が減ると外に出て粥を食う。朝から美味い物を食うと気分がいい。周囲で食べている人を見ると麺が多い。やはり中国人は朝麺を食べるのが一般的な習慣ということだろうか。これは日本人とかなり違っている。

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IさんのホテルにPCを持って行き、ネットを試みる。驚くほどサクサクと繋がり、本当にGmailやFacebookが普通の状態で見られた。こうなるとやることが一杯あり、しばしネットに向かう。人の部屋でこんなことをしていいのだろうか、などとは考えない。やれる時にやっておく。

 

I夫人が突然『不動産を探したい』というので付き合って外へ出る。広州は非常に住み易い所なので、来年1か月ぐらい滞在したいとのことで、月極めのマンションを探したいとの要望だった。広州酒家の所から文昌南路を歩くと、古い町並みの後ろに高級マンションが見えたりする。この辺を狙っているらしい。不動産屋があったので入ってみたが、『月極め』と聞いただけで『そんなのあるわけない』とけんもほろろ。隣にも入ったが『この辺は最低でも半年、普通は1年契約しかない』とにべもない。I夫人は『天河地区には沢山あるのに』と食い下がるが、『それなら天河へ行け』と取り付く島もない。天河は高級地区で不動産投資目的が多く、外国人も好むことから、マンスリーがあり得るが、この下町にはそんな習慣はない、ということらしい。

 

歯が欠けてしまったというI夫人の為に、薬局に寄り消毒液を買う。この消毒液、水で薄めたりせず原液を口に入れ、1₋2分口をゆすぐという。ちょっと怖い。この付近は昔の路上市場が残っており、狭い路地に野菜売りなどがひしめく。本当に古き良き広州を思い出す。

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それから文昌北路を歩き、きれいなマンションの下に出る。ここは骨董市場街になっており、骨董好きのI夫人は『ここに住みたい』というのだが、マンションを見つけることはできない。ここの1階で急須屋をやっているおばさんの所へ寄る。ここの急須は宜興から来ている。主人がそこの出身らしく、良い物がある。今日は不動産を探しているので、明日また寄ることにした。

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懐かしの安渓を再訪する2014(7)永定 一日土楼ツアーに参加して

5月8日(水)

5.土楼一日ツアー

今朝は6時に起床、初めて中国人観光客が乗る1日ツアーに参加して、永定の土楼を見に行くことにした。前々日、ホテルのデスクで予約をする際、『外国人でも参加できるが、携帯を持っていること、中国語が話せること』が条件になっていた。その理由は直ぐに分かった。前日夜、ガイドから携帯に電話があり、『明日7時15分にホテルに迎えに行くからロビーで待機するように』と連絡が入った。勿論全て中国語だった。

 

そして当日7時過ぎにロビーに降りると『もうすぐホテルに着く。ホテルの外へ出て待っていて』と言われ、5分もせずにミニバスがやってきた。乗り込むと『4190ね』と言われる。それは私の携帯番号の末尾4桁だった。まるで監獄の囚人のように番号で呼ばれて驚く。同時にきめ細かい連絡、時間に正確な対応にも驚く。

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それから市内のいくつかのホテルを回り参加者を集める。中には時間になっても出て来ない参加者もおり、ガイドが厳しく携帯で咎める場面も。時間にルーズな中国人、徹底的に時間管理をしていた。

 

ミニバスは郊外へ出ると、ある広場の前で停まる。そこには多くの人が既に集まっており、ここが最終集合場所と分かる。ここで行先別に大型バスに乗り換える。永定行きのバスの車両番号が渡され、そこに乗り込む。この日は3台の永定行きが出た模様だ。ここまで実にシステマティック。

 

バスに乗ると先ずガイドから『今座った座席が今日一日のあなたの座席。決して場所を移らないように』と言い渡される。席で揉めるケースもあるようで、事前防止策も出来ている。またバス内でグルーピングがされる。と言っても家族単位。私のような一人旅は殆どいないので、私は一人でも『第9家族』と呼ばれた。周囲は中国全土から来た観光客と出張のついでに観光しているおじさん達。2人から5人の家族単位となっていた。この家族で、バスの乗り遅れなどを防止しているようだ。

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何とバスは昨日行った漳州への道を辿る。これなら昨日戻らなくてもよかったな、と思ったがあとの祭り。1時間ほど乗っているとなぜか検問に引っかかり、停車を命ぜられる。運転手は困った顔をしていたので、一時はどうなるかと思うほど緊迫したが、結局会社に電話したのか、何とか解放され前に進めた。

 

それから30分ほど行くとトイレ休憩があった。ここには大量の土産物が売られており、まだ観光もしていないのに、乗客が物色を始める。そして幹に付いたバナナをもぎ、皆食べ始める。中国人観光客は朝9でも10時でも、手軽に食べられるものがあれば食べるのだ。これは面白い。

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そして11時半頃、土楼に到着した。先ずは観光ではなくランチ、というのも中国らしい。土楼近くの指定レストラン。中は大きなスペースがあり、団体専門という感じ。座るとすぐに大きなボールでご飯が運ばれ、おかずが次々に出て来る。ガイドはテーブルごとに人数をきちんと数え、公平性を保つ。もし人数が多いようならおかずの皿を増やすよう指示する。中国人のクレームはまず食事に出る、この鉄則をきちんと理解して細心の注意を払っていた。食事内容は正直美味しいとは言えないが、腹は膨れた。これが最低線だろう。因みに今回のツアー参加代金は138元。これに土楼入場券、バス代、ガイド代、食事代も含まれているので、この食事の単価は一体いくらなんだろう。

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食事が終わるとすぐに土楼見学へ。ここでは専門のガイドが登場し、1時間ほどガイドしてくれる。写真では見ていたが、古い物は1700年頃たてられているはずだが、この土楼はかなりきれいになっていた。世界遺産でもあるし、一大観光地。正直それほどいいとは感じなかった。中に入ると土産物屋が並ぶ。2階以上に上がるのは禁止されているが、写真屋さんは盛んに上で写真を撮ろうと誘う。この辺も商売になっていて嫌らしい。1時間後、ガイドさんは馴染のお茶屋に入り、休息と称してお茶を売り始める。ここで実質解散となり、後の1時間半は自由行動、要は買い物時間となる。

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買い物をしない私は、ガイドが回らなかった裏側などを歩いて楽しむ。人がいない所には、何となくいい雰囲気が漂う。お客のいない土産物屋には怠惰な雰囲気が流れ、いい。世界遺産となった今、ここに住む人は殆どいないのだろう。ここは生活の場ではなく、仕事場になっている。客家の人々がなぜこのような物を作り、このような場所で暮らしていたのか、それを慮る観光客は殆どいないように見える。写真を撮る、それが中国観光のメインであり、門切り型の説明を覚えて、自分の街に帰って自慢する、それでいいのか、中国。

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1時間半の休息は長かったが、バスに戻った乗客は口々に買い物の戦利品の話で盛り上がる。このお茶はいくらで買ったとか、値切ったとか。果物や菓子などを頬張りながら、満足げにバスに乗り込む。それでも出発時間に遅れた家族はいなかった。今の中国の時間管理、概念、昔とは隔世の感がある。帰りにまた休憩所に寄ると、また買い物している。信じられないバイタリティで最後まで頑張る。そして食べる。中国人団体観光はこれに尽きる。厦門市内に戻り、大型バスを降り、ホテルへ帰ろうとしたが、どのバスがホテルへ行くのか良く分からない。何とかバスを探してようやく長い一日が終わった。

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それでも夕飯が食べたくなり、古い街並みへ出た。ご飯をよそい、おかずは取り放題、という店に入る。スープも自分でよそう。これで10元、中国はまだまだ安いということか、それとも安全に大いに問題があるということか。

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5月9日(木)

雨の中を空港へ

本日は朝8時の飛行機で香港へ向かい、そして午後の便でそのまま羽田へ向かう。厦門の空港は遠くないが、朝早いのでちょっと心配していた。前日ホテルに聞くとタクシーは朝5時台でも走っているし、ホテルスタッフが拾うのを手伝う、というので安心して寝た。ところが朝5時半にチェックアウトすると外は雨。フロントにタクシーを呼んでと頼むと『こんな時間にタクシーを呼んでも来ない』と言われて慌てる。

 

ここで口論などしていても意味はない。雨の中傘を差して大きな荷物を抱えて大通りへ飛び出す。だが大通りでさえ、車は殆ど走っていなかった。さて、どうしたものだろうか?この辺が中国の危機管理、ホテルへ戻って思いっきりクレームして探させるか、などと考えていると、なぜか1台タクシーがフラフラとやってきた。難なく空港まで行く。

 

空港には何と6時前に着いてしまった。ホテルからわずか10分ちょっとか。そして国際線のチェックインカウンターに入ろうとすると、そのゲートは閉まっており、数人の人が並んでいた。6時になるとゲートが空き、皆ドラゴン航空のカウンターへ進んだ。今回もこの空港ではなぜかWebチェックインができず、座席の指定も出来なかった。カウンターで何とか通路側を確保した。ドラゴン航空は手荷物にも厳しい。今回は大きなスーツケースを既に預けており、更に手荷物としてバッグを引いていた。もしダメと言われると面倒だったが、何とか見逃された。LCCではないのだから当然か。雨の降る中、飛行機は定刻に厦門を離れた。

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因みに香港の空港で羽田行のANAに乗り継いだが、ANAの乗り継ぎカウンターの場所が分かり難く、かなり探した。まあフライトまで5時間もあったので問題はなかったが、カウンターではちゃんとチェックインができたし、更に1個の荷物を預けることも出来た。そして飛行機に乗り込むと離陸する前から音楽でも映画でも楽しめた。ANAは確実にLCCとの差別化を図っていた。快適なフライトで久しぶりに日本へ帰った。

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懐かしの安渓を再訪する2014(6)漳州 絶品の麺を食べて

5月7日(火)

4.漳州

乗り合いタクシー

今日は朝から出掛ける。これもご縁だ。実は昨年紹介されていた厦門のお茶屋さん、前回は都合が合わずに会えなかったが、今回は会えることになった。ただ彼女は厦門ではなく、漳州という街に移っており、そこへ来るようにとのことだった。行き方が良く分からないので聞いたところ、乗り合いタクシーの電話番号が送られてきた。中国で偶にある地元民が使うタクシーだった。ホテルの名前を言えば迎えに来てくれるので、とても便利だ。しかも一人35元とバス並みの安さ。

 

乗車20分前に電話を入れるとちゃんとやってきた。前1人、後ろ3人を乗せている。漳州までは1時間以上かかった。渋滞は特になく、意外と遠い。この厦門の衛星都市にも万達集団がビルを建てており、そこで降りるように言われていた。よく聞くとその前に茶市場があるらしい。因みに万達が不動産開発をするとその付近の地価が上がるらしく、地方政府はこの会社の誘致に懸命だとか。

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茶市場で降りるが、まだ時間は早かったので、近くのレストランで腹ごしらえを。粥でも食べるようと思ったが、白粥はなく、広東粥になった。野菜も付けて食べたが、安渓の張さん宅の食事のように美味くはなかった。既に張さん宅が懐かしい。

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翁さん

携帯電話で相手を呼び出す。彼女は直ぐに迎えに来てくれた。翁さん、思った以上に若い女性でビックリ。彼女の知り合いがやっているという店に入り、鉄観音を飲む。この時期、商売はかき入れ時、お客が引っ切り無しに入ってきて試飲して出ていく。『これはなかなか美味いだろう』などと言っていても、正直それほど高級ではなかったりする。そこは商売の駆け引きだ。皆真剣勝負。必ずしも高級なものを求めているとは限らず、基本的に売れる物、割安な物を探しているのだから、我々とは観点が違う。

 

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外は小雨が降っていた。私は折角漳州に来たのだから、天福茶の茶博物館へ行ってみたいと言い出す。だが皆が、『あの博物館はここから60㎞も離れていてバスもあまり通っていない。しかも行っても面白くない』と止めるので断念。やることがない。

 

もう一軒彼女の知り合いの店へ行き、岩茶を飲む。これはなかなかいい味だったが、値段は結構高かった。ここで分かったことは実は翁さんはこの市場で働いているのではなく、ここから更に30㎞も離れた村に住んでいるということ。私の為にわざわざ出てきてくれたのだ。そして昨日まで安渓に行っていたと知ると『じゃあ、お茶はいいわね』と言ってタクシーを探す。

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ルーミエン

午後1時頃だった。腹が減ったなと思っているとタクシーが停まる。『ここの麺は美味しいのよ』と翁さんが小さなレストランに入っていく。店頭に具材が並んでいたが、それを見ただけで『美味そう』と思ってしまう。内臓系の物が並んでいた。

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麺は普通だが、スープはドロッとしており、絶品だった。そこに内臓系あり、練り物あり、根菜類あり、具沢山のスープを飲む感じで頂く。麺は1人前だが、具が物凄い量なので、腹は直ぐにパンパンになる。美味い、ウマイと食っていると、周囲のおじさん、おばさんもそうだろう、美味しいだろう、という顔で眺めていた。この街自慢の麺なのだ。ルーミエン、という名前だけを聞いたが、字も良く分からない。美味ければ字などどうでもよい、という心境だった。

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ここは昔ながらの街並みがかなり残っており、市政府もそこを売り物にすべく、整備しているようだった。古城と銘打って、古い家が並ぶ。昔風の寺もある。車より自転車が走っている。小雨の路地に入ると、そこは別世界。子供の頃に帰ったような雰囲気だ。

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大きな公園があり、その周辺はちょっとおしゃれなカフェなどもあった。今中国では子供から老人まで楽しめる施設が求められている。それが人を呼ぶ一つのモデルになっているようだ。古い茶屋の前には昔ながらの老人が、椅子に座って茶を飲み、話し込んでいる。平和な平日の午後だった。

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バスで戻る

翁さんが『よかったら、うちの村まで来ないか』と誘ってくれた。ここより田舎だという。行ってみたい気はしたが、今日中に厦門に帰れない可能性があった。『泊まればいい』と彼女は言ってくれたが、明日は既にツアーに申し込んでいたので断念した。既にこの街でやることは無くなっていた。

 

帰りはバスで戻ろうと思っていると、目の前にバスが来た。彼女が『それは厦門行きだ!乗って』と言って私をバスに押し込んだ。実に呆気ない別れとなってしまった。彼女には何のお礼もしていない。どうしようか?紹介者にも申し訳ない。だが既にバスは彼女から遠く離れてしまった。

 

バスは来た道を戻っているようだったが、街中をぐるぐる回っているようにも見えた。きっとお客を沢山拾ってから厦門へ行くのだろう。途中から何人もが乗り込んできてほぼ満員になった。厦門へ向かう一本道。途中には台湾の政治家の出身地などの看板が見える。この辺りから台湾へ渡った人々が大勢いただろう、と思う。

 

結局バスに乗ってから2時間以上かけて厦門に着いた。ただ突然ここで降りろと言われ、自分がどこにいるのかも分からなかった。ちょっと歩くと地図の表示があり、何となく歩いて行くとホテルに着くと分かる。相変わらず小雨は降っていたが、まあ仕方がない。濡れて行こう。

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結構歩いてようやくホテルに着いた。正直かなり疲れた。夜遅く少し腹が減ったので、ホテルの横の麵屋で麺を食う。辛い四川風、昼間のルーミエンが懐かしい。あれなら何杯でも食べられるのに、と思いながら寝た。

 

懐かしの安渓を再訪する2014(5)厦門 観光地化したコロンス島

トイレ

昨年同様、同安から厦門までどのバスに乗ればよいかはよく分からない。まあ経験もあるので適当に乗って行こうと、やってきたバスに乗り込んだのだが。少し走ると何と大規模な道路工事があり、道は大渋滞になっていた。しかもバスは他の道を行くため、狭い所を方向転換しようとして、はまってしまう。一体いつ着くのだろうか。

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全く分からない道を走っていく。ここから厦門までどれぐらいあるのだろうか。海に近い一本道だと高を括っていたが、完全に当てが外れる。乗客は的確な情報を得て下りていくが、私はとにかくこのバスに乗って厦門まで行くしかない。近道も分からない。

 

1時間以上も乗っていただろうか、本来なら厦門に着く時間だがまだまだ遠い感じだ。かなり我慢していたトイレに行きたくなる。それからしばらくは我慢していたが限界がやってきた。ちょうど公衆トイレが見えたので思い切ってバスを降りた。トイレに駆け込む。実にスッキリした。

 

しかしここがどこかわからない。バス停で見ても厦門までの距離も分からない。仕方なくタクシーを拾う。乗ってみてわかったのだが、実はかなり遠かった。市内まで20分はかかった。タクシーが拾えてよかった。また先日のホテルに投宿した。腹が減ったので、すぐに外へ出て、台湾式弁当を食べる。美味し。

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1.厦門2

コロンス島

今日は予定がなかったので、そのままフラフラと散歩する。ホテル付近は古き良き厦門の下町。市場があり、古い建物もある。歩いていて気持ちが良い。まっすぐ歩いて行くとちゃんと港へ出る。昔の厦門なのだ。

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折角なので、コロンス島へ行ってみることにした。昔はフェリーで渡り、静かで心地よいあの島を歩いたものだ。そう思ってチケット売り場に行って驚いた。20元もするのだ。昔は確か1元。どうなっているのか?乗り込むと事情は直ぐに分かった。これは観光船だった。中国全土から来た観光客が乗っていた。カップル、若者同士、家族、みな楽しそうだ。

 

それにしても観光客相手、船員も観光ガイドをしながら物を売り込む。地図、双眼鏡、食べ物、面白いのは誰か一人が買うと言い出すとつられて何人もが席を立ち、買い漁るさま。まあ家族を連れた観光ではいいところを見せなければならないのだろうが。写真を撮りまくっているのも微笑ましい。

 

フェリーはゆっくりゆっくりと動く。鄭成功の像などを回り、何と島の反対側へ着いた。40分も掛かった。そこからは自力で正面の港まで歩いて行き、帰りのフェリーに乗るのだという。これが観光コースなのだ。まあ観光船だから仕方がいない。

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港から歩いて行く。正直昔とは変わってしまっていた。歴史的な建造物は今もあるが、ホテルやお洒落なカフェなどになっており、昔の面影は薄れていた。道は観光客であふれ、静かなピアノの音が流れる島ではなくなっていた。まあこれも時の流れ、致し方ない。1時間ほど歩き回り、港へ行き、フェリーに乗る。満員の乗客を乗せた船はわずか数分で向こう岸に着いた。

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台湾街

コロンス島から戻ると目の前に台湾小吃街という門があった。前にも通りかかったことがあり、気になっていたので、今日は通ってみた。海鮮やお好み焼き、ちょっと台湾風の軽食屋台が並んでいる。衛生管理面からここにまとめたのだろう。厦門と台湾の近さを強調している訳だ。

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中にイカを焼いている店があった。私はイカが好きだ。特に焼きイカは最高に好きだ。どうしても食べたくなったが、午後4時という半端な時間にもかかわらず、ここだけが異常に繁盛していた。腹が減っていないこともあり、ちょっと面倒になり断念。

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歩いてホテルへ戻る。途中果物屋があった。バナナでも買おうと入っていくと若い女性店員が『バナナですか?それならこれがいいですよ、1人ですか、それなら半分に切りますね』とおよそ中国らしからぬテキパキしたサービス。こんな店が中国にあるのか、この戦略は消費者の心をつかむに違いない、と思った。バナナ代も4元、とても安くて気分が良い。

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因みにこれは店の戦略かどうか確かめるために翌日も同じ所へ行き、同じバナナを買ってみた。今度は若い男性店員だったが、前日の彼女のような愛想はなかった。ようは彼女が素晴らしい店員だった、将来自分の店を持てる器だった、ということだろう。日本でも昔の八百屋は皆あんな愛想があったよな、と懐かしむ。

 

今日は腹も減らなかったので、バナナを食べて寝てしまう。4日ぶりにネットが繋がり、メール処理などに追われたというのが本当にところだ。ネットが繋がらない生活、素晴らしいと思うのだが、その分のしわ寄せはちゃんと来るのだ。

 

懐かしの安渓を再訪する2014(4)安渓 1年で変化する村

5月5日(月)

雨の散歩

昨晩から雨は降り続いていた。張さんは朝になっても帰ってこない。朝飯は粥。奥さんが裏の畑で自ら作った立派なキャベツを採ってきて炒める。この組み合わせ、絶妙。台湾でもキャベツが美味いが、ここでも美味い。やはり何か繋がりがあるのだろう。

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小雨になったので、散歩に出る。村外れまで来ると後ろからバイクの音がした。張さんの長男が後ろに嫁さんを乗せていた。彼女は昨年泉州に出稼ぎに行っているということで、今回初めて会った。昨年は母親のいない息子が父親に反抗して大変そうだったが、今年は既に村を出てしまったという。この嫁さん、帰っては来たが、長男の機械による茶作りを手伝うことはしていない。今日も村外れにできた茶工場に出勤するところだった。この茶工場、何のために出来たのか良く分からない。それでも彼女は『家の近くで給料も悪くない』ということで、働きに出ている。この動きは今の中国の農村を端的に表しているように思う。『出稼ぎの場所は近くなっていくが、決して農業には戻らない』

 

お寺があった。最近改修工事をしたようで、きれいになっている。寄進した人の名前がずらりと列挙されている。何とその中に知り合いの日本人の名前を見つけて驚く。確かに彼はお茶の関係者で、かつ鉄観音再生の活動をしている。それにしても彼の活動場所はこの近くなのだろうか。鉄観音の将来に危機意識を持つ者はかなりいる筈だ。

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雨が強くなってきたので、家に戻る。高さん息子が手持無沙汰にしていた。既に張さんの手伝いも終わり、枝とりの仕事にも飽きている。2人で1階へ茶葉を持って行き、飲む。あー、ウマイ。今年は何だか出来がいいのではないだろうか。高さん達も枝とりの手を休めて飲む。普段はなかなか飲む機会がないようだ。それほど貴重で大切にしているお茶。

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昼ごはん、今回初めて白いご飯が出た。これまでは粥か麺、芋などだったので白米好きとしてたまに食べると喜ぶ。おかずはキャベツ炒めなど。何だか今まで以上に食が進む。粥や麺は消化に良く、体にはよいと分かっているが、習慣というのは恐ろしい。

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水のないダム

午後は張さん次女の旦那が車でやってきた。私が暇だろうと気遣い、ドライブに誘ってくれた。近くの山道を登ると、そこには池があったが、水はほとんどなかった。ここはダムだという。今日は雨だが、最近降水量が減っていたのだと。逆に午前中に行った寺の付近では、滝のように水が落ちている場所もある。地形が難しいようだ。

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また張さんのお茶を購入するにあたり、パッキングを依頼するところを探す。農家では50gずつきれいにパッキングなどはしないので、専門のパッキングする場所へ行く。茶農家でも最近はパッキングを専門にしているところも出てきている。そこへ持ち込む。2度ほど50gずつ包んで、と念を押す。昨年は量がバラバラのお茶を持ち帰って困ったので、今回は安堵する。

 

夕方張さんが戻ってきた。ついに製茶は終了したらしい。張さんの春は終わった。早々自分の部屋で寝込む。疲れただろう。この3日ほどろくに寝ていない筈だ。神経を尖らせ、茶作りに精を出した結果、今年の出来は良い。張さんも上機嫌だった。夕飯にはウマイ芋が出た。きっと張さんの好物に違いない。

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食後、張さんがお茶を淹れてくれた。鉄観音だけではなく、本山と呼ばれるお茶も飲む。これがまた美味しい。これは1週間前に作ったものだが、今年は特に出来がよく、鉄観音に引けを取らない、と張さんは胸を張る。我々はブランドで物を見がちだが、お茶に関しては作る時の環境などでその味に大きな変化が出る。

 

鉄観音の出来もよかったという。理由を聞くと『昨日大量の茶葉が供給され、作業が少しずつ遅れた。その遅れが良かったのだ』とか。何たる微妙、何が幸いするか分からない。作業量が多過ぎて、面倒見切れなかった分、いいお茶が出来るなんて、ちょっと考え付かない。だがそれが現実であり、我々の前にそのお茶が存在している。

 

テレビでは卓球の世界選手権が放映されていた。東京で開催されていうようだ。女子の決勝は日本対中国、皆是非見ようと期待を込めていたが、パッキングを頼んだ茶を取りに行った。何とあれだけ念を押したが50gではなく100gパックになっていた。やはり農家は農家、致し方ない。

 

卓球を見ようと戻ると、張さんは中国ドラマにあっさり切り替えていた。皆がっかりした。まあ、中国が勝つとは思っていたが、石川佳純の試合は見たかった。恐らく張さんは私に気を使ったと思われる。周囲は皆中国人、中国チームの応援するに違いない。その時私が嫌な思いをすると考えたようだ。有難い話だ。

 

5月6日(月)

分かれ

あっという間に3日が過ぎ、厦門に戻る日がやって来てしまった。今日曇りで雨はない。健康的な朝ごはんを頂き、張さんの茶を飲みながらちょっと話し、時間は直ぐに過ぎて行った。出発前にまた腹ごしらえ、として、ビーフンを食べた。美味い。

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次女の旦那が車で送りに来てくれた。前回はバスが家の前まで来たが、そのシステムが変わってきたらしい。もうすぐバスの本数も増えるとか。1年でも色々と変わってきている。車に乗り、3分でバス乗り場へ。呆気なく皆と別れた。

 

バスは中型で、すでに何人か乗り込んでいた。時間通りに出発し、この大坪の地を離れた。何とも寂しい限りだが、心地よい揺れにいつしか寝入ってしまった。1時間ちょっとで同安という下の街につき、バスを降りた。

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懐かしの安渓を再訪する2014(3)安渓 手作り茶は重労働の連続

5月4日(日)

朝6時から

前日は暗くなる前に張さんの家に戻り、夜も早く寝た。張さんは戻らなかった。彼は大漁の茶葉と格闘しているのだろう。本当に真剣勝負だ。翌朝は5時台に起床、雨は降っておらず、鳥のさえずりで目が覚めた。

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高さん息子が6時前に作業場へ向かう。私もお供した。今日は一日中、作業場で作業を眺める予定だ。勿論一言もこちらからは話し掛けないという約束である。朝のさわやかな茶畑の道を歩く。気持ちが良い。

 

作業場では張さんが窯に火を入れていた。薪をくべ、温度の調節を図っている。昨晩室内萎凋させた茶葉を炒る作業が始まった。炒られた茶葉を高さん息子が取り出し、揉捻機に掛ける。それが終わると茶葉を布で巻く。巻かれた布は団揉のため機械へ。機械がグルグル回り、茶葉が固められていく。布をほどく真ん丸でこちこちに固まっている。そして軽く乾燥機に入れる。そしてまた茶葉を取り出し、布で巻く。

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作業はこれの繰り返しに見えた。何回も何回も布を撒いてはほどき、また巻いてはほどく。果てしない作業に見える。その度に張さんは渾身の力を籠める。既に66歳、確かにこれはきつい仕事だ。しかも前日からほとんど寝ていない。気を抜けば茶葉はダメになる。何と恐ろしい仕事なのだ。だから張さんは昨年『早く引退したい。きつくて仕方がない』と言っていたのだ。

 

 

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10時頃安飛がやってきた。やはり気になっているようだ。確かに昨日大量の茶葉を処理していたのだから、心配になるのも無理はない。張さんと高さん息子は黙々と自分の仕事をこなしていた。最終的に火入れの仕上げをする。これがまた曲者。ちょっと気を抜くと焦げたり、香りを飛ばしてしまったり。慎重に慎重に張さんは籠に手を入れて確認している。

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表では機械音が鳴り響始めた。近所で機械摘みの作業をしている。どうしてもこの音になじめない。機械で摘めばどれだけ早いかは昨日良く分かっていた。それでもこれは茶業をダメにしてしまう音にさえ、聞えてしまう。

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昼頃、何と高さん達が茶葉を摘んでやってきた。この上また茶葉を処理しなければならない。今夜も張さんは眠れない。その茶葉を見ただけで心が苦しくなってきた。それでももうすぐ雨が降る、それまでにできることはやって行かなければならない。過酷な状況が続いていた。

 

午後の雨

午後に入り、少し散歩でもしようと思い、外へ出た。雨はまだ降ってきていなかったが、空は曇っていた。途中で茶畑に出ていた人々が戻ってくるのに出くわした。張さんが『もう茶葉は要らない』と指令を出したようだ。摘んだ茶葉を急いで天日干しにしている。

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ついに雨が降り出した。全く予想通りの展開だ。天気予報もそうだが、張さんの長年の経験は的確に予測していた。茶葉を室内の収容したところ、次女の旦那がビーフンを作ってくれた。今日作業場では食事を取っていなかった。このビーフン、汁麺で実に美味い。皆この簡単な料理を美味く、手早く作り、立って食べる。

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あとの作業は張さん、高さん息子、安飛、次男旦那の4人で行う。これなら効率は格段に上がる。もし張さんの作る茶葉の値段が今の4倍になれば、このように労力をかけた作業も可能になるのだろうか。いや、残念ながら茶作りは1年の内、数週間しかない。これで全員が満足に食べていくことはできない。そこに難しさがある。

 

安飛が雨の中、製茶済の茶葉を担いで出ていく。バイクで素早く張家に持ち込み、奥さんや高さんが枝とりの作業をするためだ。雨の中を天秤棒で担いでいくのは大変だ、という配慮。

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室内には大量の茶葉が摘み上がる。昨日製茶を開始した茶葉が最後の火入れを待っていた。それを黙々と処理していく。火の加減を調整し、籠の中の茶葉の様子を刻々と確認していく。4つの籠を一度に使っていく。勿論まだ団揉する茶葉もある。そして今日摘んだ茶葉もある。

 

夕方6時、あたりが暗くなる前に家に戻るように指示が出て帰る。一日がとても長かった。製茶がこんなにも大変な作業だと初めて知った。そして今日もまた寝ずに作業をこなす張さんの姿にはある種の感動がある。これだけのことをして、それほどの報酬に恵まれない。息子や娘たちが自らは跡を継がない理由も十分に分かった。

 

家では持ち込まれた茶葉の枝とりが行われていた。これもまた地道な、気の遠くなるような作業。思わず私も座り込み、この作業に加わりながら、話をする。一年中この作業をしろと言われれば誰も出来ないだろう。茶葉を疎かにしてはならない、特に手で摘んだ茶葉から作られたお茶は大切に飲もうと、痛切に感じる。

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懐かしの安渓を再訪する2014(2)安渓 家族総出の茶作り

車は見知らぬ家の前に停まった。運転手、安飛の家だという。『じいさんの家は皆仕事で出払っている。うちで飯を食おう』と。彼の奥さんは張さんの長女なのだ。奥さんは麺を作って待っていてくれた。何だかとても美味しく感じられた。

 

食後安飛は『茶でも飲むか』と言い、老鉄観音茶を出してきた。これは味わい深いお茶だった。彼は車の運転もしているが、茶の仲買のようなこともしているらしい。いいお茶があれば買い込んでおいて、外へ売るらしい。この村ならこんな商売も成り立つのかもしれない。

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それから荷物を持って張さんの家へ行き、荷物を部屋に押し込んでまた外へ出る。安飛は車をバイクに乗り換え、私は後ろに乗り、山道を行く。今日はいい天気だ、少し熱いぐらいの陽気だ。茶畑もきれいに見える。

 

懐かしい再会 茶摘み

あの懐かしい作業場へやってきた。張さんは相変わらず黙々と作業しており、高さんの息子が手伝っていた。だが、高さんはいなかった。聞けば『今ちょうど総出で茶摘みをしている』ということで、茶畑へ連れて行って貰う。畑へ行くには山の細い道を上り下りしなければならず、慣れないと案外難しい。

 

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茶畑へ着くと、高さん以外に張さんの奥さん、次女夫婦が茶摘みをしていた。珍しい、こんなに大勢で摘むなんて。『実は明日は天気が崩れる。今日のうちに摘めるだけ摘んで茶作りをする』という。機械なら多少の雨でも摘むが、手摘みは雨の時はしない。張さんは茶葉を大事にする。『いい茶葉が無ければ苦労して作っても無駄だ』という考えだ。

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高さんの摘むスピードは相当なものだ。奥さんは大きなはさみを使って摘んでいる。皆軍手をはめている。炎天下の茶摘み作業、重労働だ。思わず見様見真似で私も手伝う。出ている芽の部分をめがけて手を伸ばす。次々に手を動かすが、摘める量など高が知れている。手摘み、というのは本当に大変なことなんだ、その茶葉は貴重なんだ、疎かにはできない、と摘みながら考える。

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1時間ほど摘むと『もういいか』ということになり、茶葉を担いで作業場に戻る。摘んだ茶葉は直ぐに家の前で天日干しにする。シートを敷いて茶葉をその上に均等に撒く。これなら私にもできるだろうと思ったが、安飛に『これは簡単じゃない。見ているだけがいい』と言われてしまう。どんな作業にも簡単などというものはない。素人には分からない。

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中に入ると先ほどまで干していた茶葉が収納されている。今日は本当に多くの茶葉が摘まれたのだ。張さんが『昨日作った茶、飲むか』と手に茶葉を掴んでやってくる。飲むと『あー、俺はこのためにここまで来たんだ』という爽快な気分になる。このお茶の美味しさを言葉に表現することは難しい。

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ここでずっと茶を飲んでいたい、と思うのだが、張さんは直ぐに作業に戻る。安飛が手伝う。殺青を行い、揉捻の為に茶葉を布で巻き、そして茶を火に掛ける。いつもならゆっくり1つずつやるのだろうが、今日はいくつもの作業を並行して行う。私も手伝いたかったがとても手が出ない。安飛と次女の旦那は心得があるようで、さっさと作業を進める。私はただただ見入る。

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少し経つと、地瓜を干した地瓜干を茹で戻した食べ物が出て来る。作業は刻一刻、その中で常に腹ごしらえもしなければならない。これは本当に戦いなのだ。作業した全員で美味しく頂く。張さんは遠くの空を見つめていた。その後ろ姿は何とも格好が良い。今日会ってから初めて会話した。『明日は雨だな。雲の動きと、鳥の動きで分かる』という。安飛は携帯で確認し、『明日の天気予報は雨だぜ』と告げる。『そんなことは分かっている』と張さんの背中が語っていた。

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懐かしの安渓を再訪する(1)厦門 便利なホテル

《安渓お茶散歩2014》  2014年5月2日-9日

 

昨年初めて行った安渓。あの自然な、落ち着いた生活が忘れられない。そして一人でお茶を作る張さん、昨年は既に茶作りはほぼ終わっていたが、今年はどうしても作っているところを見たい。でも昨年の条件は『茶作りが終わった頃来て』だった。

 

香港に行き、茶縁坊で相談した。『茶作りの間、話し掛けないという条件なら見ていることはできる』という話になり、もう心は安渓に飛んでしまった。2年続けて同じ茶畑に行くのは初めてのことである。それほどまでに魅力的なお茶、環境、楽しみだ。

 

5月2日(金)

1.厦門

昨年は香港在住だったので、単に厦門に飛んだだけだったが、今年はバンコックから。しかもそのまま東京へ戻るというスケジュールのため、結構フライト選定で苦労する。最終的に残ったのは、キャセイとドラゴンでバンコック=香港=厦門を往復、その過程で香港から東京まで別の飛行機を予約するというものだった。まあ最近は比較感からいってキャセイが安い。

 

香港までのフライトも中国人観光客が多かった。東南アジアへ出る際、先ずは香港へ行き、そこから各地へ飛ぶ。帰りも香港に集まり、そこから中国各地へ帰る。これがキャセイの基本戦略らしい。中国系のエアラインは広州や昆明、成都などをハブに東南アジア路線を組み立てている。どちらに軍配が上がるのだろうか。

 

香港で乗り換える際の手続きにも多くの中国人が並んでいる。私のフライトは1時間半後なので、ちょっと焦る。まあ3月に台北に行った時も同じ経験をしているので慣れてはいたが。香港-厦門は1時間ちょっと。あっという間に到着する。空港は相変わらず小さく、スムーズだったが、税関検査で若い女性が化粧品などのお土産を入念にチェックされていた。厳しくなっている。

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昨年はバスで市内へ出たが、今回は大きな荷物を抱えており、タクシーに乗る。道は夕方の帰宅時間だったが、それほど混んでいなかった。車がスムーズに走ると何だか楽しい。40元で宿泊先に到着。

 

如家

今回は2月の北京で泊まったチェーン店、如家を選択した。このホテルは基本的にサービス内容が安定しており、各地に沢山あるので、使い勝手が良い。前回会員になったので割引もある。今回のロケーションも港まで歩いて行けるし、悪くない。何より良いのは同じ都市にいくつも店舗があるので、選択肢が広い、ということだろう。

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取り敢えず夕飯を食べることにした。ホテルを出てすぐに気が付いたことがある。ここは昨年Kさん夫妻とタクシーでやってきた海鮮料理屋の横にあったのだ。その時はどのへんなのかも分からず、連れて来られたのだが、今日ハッキリと認識した。Kさんはその後妊娠、出産休暇に入っており、もうすぐ赤ちゃんが生まれる。1年の時の流れは本当に早い。

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一人だし、それほど沢山食べたいわけではなかった。海鮮粥の店を見つけて入る。ここは観光客が来るような場所でもないので、地元の人が食べる場所。お客はいなかったが、粥は美味かった。ご主人は黙々と料理を作り、奥さんは接客。そんな環境が嬉しい。

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5月3日(土)

2.安渓

車で

翌朝は昨年同様に車が迎えに来てくれた。ホテル近くの病院を指定され、そこで待ち合わせたが、上手く見つけられず、困る。あとで考えると覚えていると思っていた運転手の安飛の顔をしっかり認識していなかったことによる。しかも車も変わっていたので、余計手間取った。今回は高さんが茶摘みで忙しく、来ていなかったことも災いした。

 

車は快調に飛ばす。今日は土曜日で渋滞もなく進む。昨年も同じ道を通ったはずだが、全く記憶にない。もう相当にボケてきているとの自覚が芽生える。山道に入り、景色を眺めていると何となく着いてしまった。覚えていないと言っても一度来ていると感じている時間の長さが違う。懐かしの村へ入った。

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