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両岸三通の茶旅2015(11)福州 ジャスミン茶の謎

4.福州

さんぴん茶の謎を解く

結局バスは途中休憩を挟み、3時間以上かかって福州北ターミナルに着いた。高速鉄道なら1時間ちょっとで行けたようだから、やはりバスは失敗だった。バスターミナルから出ると電車の駅が見えたが、ここはどこだろうか。地図すら持っていないので、タクシーを捕まえるしかないのだが、そのタクシーがほぼボッタくり。20元ぐらいで行けるところを、50-60元請求してくる。何とかメーターで行く車を見つけて、魏さんに指示されたホテルを目指して小雨の中を走っていく。

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ホテルは大手のチェーン店だった。チェックインしようとすると、魏さんがわざわざ迎えに来てくれた。この辺がお人柄。魏さんは、3年前に福州にやってきた時、大変お世話になった紅茶屋さんのオーナー。このお店は全中国から紅茶を集めて、販売しているし、福州で様々な文化活動をしており、顔が実に広い。おじいさんが福岡で起業したという面白い一族だ。福建人のダイナミズム、アジアを歩いているとよく見掛けるが、こんな例もあるんだな、と思う。

 

魏さんのお店の場所は以前と変わっており、ホテルの道の反対側にあった。そこへ行くと、スタッフが2₋3人待っており、『さあ、行こうか』という体制であった。皆、私がもっと早く到着すると思い、スタンバイしてくれていたのだ。誠に申し訳ない。今回魏さんには『ジャスミン茶について知りたい』とお願いしていた。実は私、ジャスミン茶はあまり好きではなく、これまで興味を持ったこともなかったのだが、沖縄に3年続けていくうちに、さんぴん茶の謎について、知りたくなってしまったのだ。なぜ沖縄ではさんぴん茶を飲むのだろうか。

 

スタッフと会社の車で向かったのは、海峡茶都という名の茶葉市場。そこに福州でもジャスミン茶の扱い量が最も多いと言われる、満堂香というお店がある。満堂香は単に茶葉を売るだけではなく、この海峡茶都茶葉市場を開設、更には初期の頃、北京最大の茶葉市場である馬連道にビルを建てたことでも知られているという。何ともスケールの大きなお茶屋さんだ。お店も立派で圧倒される。

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私の質問のために、わざわざ林総経理(社長)が応対してくれた。実に香りの良いジャスミン茶が彼の手から繰り出された。林さんは15年前まで米系のGEに勤めていた金融マンだという。確かに物腰がビジネスマンだ。これだけ大きな企業を経営していくには、プロの経営者が必要だ、ということをはっきりと印象付けられた。実に明快に会社を説明し、ジャスミン茶を説明してくれる。

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私はそんな敏腕経営者に実に素朴な疑問を投げかける。『中国ではジャスミン茶に茉莉花茶と香片茶という2つの言い方があるが、どんな違いがあるのか?』。私個人は北の方では茉莉花、南の方では香片という、単なる地域による呼び方の違いだと思い込んでいた。だが、違っていた。『これは等級の違いです』と林さんははっきり言い、2つの茶葉も見せてくれる。『香片茶は5-6級の低級茶』だというのだ。確かに香片の茶葉は荒く、香りもそれほどしない。なるほどこれで1つスッキリ。

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そして沖縄で飲まれるさんぴん茶については『福州付近では香片のことをションピンとかサンピンとか発音します』というではないか。福州は中国最大のジャスミン茶の産地であり、琉球王国が清朝に朝貢していた、その窓口は福州だったのだから、沖縄で飲まれるさんぴん茶はここから来たのだと確信できた。今回の福州訪問の目的は一瞬にして達成された。

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それにしても大きな茶葉市場だ。福州にも何軒もの茶葉市場があると聞く。更に言えば中国中に信じられないぐらいの茶葉市場が存在している。一昨年の習近平政権による腐敗汚職撲滅運動の余波で、高いお茶は売れなくなっていると聞く。それでも茶葉市場が増えているのは中国人がどんどんお茶を飲んでいるからだろうか。コーヒーもスタバなどが店舗展開しているが、どうなんだろうか。ふと、そんなことを考えた。

 

その夜は魏さんの家で、お母さんが作ってくれた芋が入ったお粥を頂いた。魏さんはお母さん思いで、常に夕飯はお母さんと食べるようにしているという。確かに前回も夕飯は家に戻り、その後一緒にお茶屋に行った記憶がある。今回は自宅で一緒にお粥、ということで、魏さんとの距離も少し縮まった感じがする。因みに魏さんのお父さんは10年以上前に亡くなっているが、波乱万丈の人生を生きた方のようで、今回その人生が書かれた本を頂戴した。あとでじっくり読んでみたいと思う。

 

その後魏さんの店に戻ると、お茶仲間が何人かやってきた。雑誌の編集者やお茶愛好家などが、お茶を飲みながらワイワイ話している。今や中国では名刺の交換などあまりしない。若者ならいきなり目の前にスマホを持ち出し、『微信』と叫ぶだけで友達になれる。だが微信をやっていない、いやスマホすら持っていな私はその輪に入ることができない。一緒に写真を撮っても私にだけ配信されない。メールで送ってくれというと若い女性が『Eメールの使い方が分からない』というので、もうお手上げだった。中国人とお友達になるためには、どうしても微信が必要だと分かる。

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それから美味しいプーアール茶の店へ行こうというので、歩いて15分ほど行った三坊七巷へ。ここは3年前も昼間散策したことがある。中国にはよくある、昔の街を再現した観光スポット。その一角にお茶屋があった。ただお勧めのプーアール茶屋には、先客があり、そのすぐ横の岩茶屋に入る。実に豪華な造りだったが、正直3年前にも感じたとおり、福州人は見栄を張る、外見を重視するということがはっきり出ている。帰りがけに琉球王国時代の事務所であった琉球館の前を通りかかる。これも何かのご縁か。この付近、ライトアップがきれいだが、琉球館はひっそりと暗がりの中にあった。

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両岸三通の茶旅2015(10)安渓から福州へ 騙されバスの旅

5月4日(月)

今朝も当然早く起きた。今日は雨だった。濃い霧がこの山の中の村全体を包んでいた。食事には張さん奥さんが自ら育てた巨大キャベツが登場していた。普通であればこんな大きなキャベツ、農薬、化学肥料バンバン使って作ったんでしょう、と言いたいところだが、ここは違う。奥さんが毎日丹精込めて育てているのだ。その姿を見ていれば、化学肥料など使っていないことは一目瞭然。何よりも自分で食べる物にわざわざ毒を盛る人間などいない。

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雨に濡れた道を製茶場へ向かう。昨日より更に滑りやすく、かなり苦労して歩く。竹林が実に鮮やかで素晴らしい。製茶場からの景色も霧で全く前が見えない状態だった。中では張さんが赤々と火を燃やしていた。昨日と全く同じ工程が繰り返されることになる。ただ天候によって、その作業時間などに微妙な差があるらしい。それは全て張さんの感覚に委ねられている。それが年季というものだろう。

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今日はさすがに茶摘みはない、と判断。張さんの緊張も幾分か緩んでいる。朝からお茶を淹れてくれる。昨日に比べてかなりの余裕が感じられる。恐らくは茶の出来栄えも満足のいくものだったのだろう。張さんは完全に職人さん、なのである。作業は順調に進み、雨も止む。張さんは得意のポーズで天気の予報を行う。その結果は『午後はまた雨』というもので、今日の作業が終われば家に帰れることになった。

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昼前にスープありのビーフンを食べる。これ、本当にウマイな!何故だろうか。座ってゆっくりビーフンをすする張さん、様になっている。午後も既定の作業を行ったが、焙煎工程で完全に寝落ちている。疲れが溜まっているのは明らか。そして緊張感が続かなくなっているのだろう。これは安堵の証拠。作業はほぼ終わり、午後4時前に我々は製茶場を離れた。

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家に戻ると女性陣が枝とりに精を出していた。私も加わり、枝を取る。まるでマージャン卓を囲むようだ。色々な話をしながら、手はキチンと動かしている。さすが農家の人達。だが言葉は地元の方言なので、何を言っているのかは全然分からない。みな楽しそうでいいのだが。茶摘み歌なども、労働がきついので歌でも歌いながら、ということらしい。いずれにしても女性は辛抱強い。私は夕飯を機に退散した。

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そこへ張さんが帰ってきたので、早々にできたてのお茶を分けてもらった。昨年は茶葉をパックしてくれる家に持ち込んだが、なかなかうまくいかなかったので、今回はなんと高さんが香港からパッキングの道具を持ってきて詰めてくれた。何とも有難い。その作業時間は枝とりができずに更に申し訳ない。張さんとお茶を飲みながら少し話し、眠りに着いた。私というよりも張さんを早く寝かせる方が良い、と判断したからだ。

 

5月5日(火)

大坪を離れて

今朝も5時台に起きる。今日は福州へ行く日、残念ながらこの地を離れる日だった。朝ごはんを食べ、すぐに家を出た。張さんと奥さんは手を振って見送ってくれた。もう家族のような気分だ。高さんと息子が私の荷物を持ってバス停まで送ってくれた。今日も小雨が降り続く。バス停まで歩くと結構距離があった。先日ここに着いた時、方向が分からなかったわけだ。

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バスは朝6時が始発で、私は7時のバスに乗った。乗客は数人だったが、途中からどんどん乗ってくる。幼い女の子がお父さんと一緒に乗っていたが、慣れていないのか、途中で気分が悪くなってぐったりしていた。乗客のおばさんが心配そうに世話を焼いている内に寝入ってしまったが、何となくほのぼのとした田舎のバスだった。

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バスは8時過ぎには同安に着いた。福州行のバスはあるかと聞くと、9時のバスがあるというので喜んでチケットを買った。これで雨の中、荷物を持って歩かずに済む、有難い。ところが9時に同安にやって来たバスは、どう見ても長距離バスではない。聞けばこのバスは集美行きだという。私のチケットはそこで福州行バスに乗り込むのだという。集美は福州とは反対方向、アモイに戻る感じ。これは完全に騙された、と思ったが後の祭りだ。確かに大坪では皆から『同安から厦門へ行き、高速鉄道に乗るのが速い』と言われていたのに。

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30分乗って集美のターミナル着。何と福州行は10時15分発。しかも雨でどのバスも遅れている。これでは一体いつ頃福州に着くのやら。もうどうにでもなれ、という心境だった。このターミナル、バスが次々にやってきた。凄い数だった。これが今の中国の機動力なのだろう。福建省各地をはじめ、遠くは上海や北京にも行くらしい。乗客もかなり乗っているから、ニーズも凄い。

 

私のバスは10時半ごろようやくやってきた。このバスは空いていた。エアコンが効いていて寒かった。自然の中で生活してきたので特に寒く感じていたのか。バスはもう一度同安の横を通り過ぎ、高速に乗って福州を目指す。途中で28年前に一度行った泉州郊外を通ったが、驚くほどに高層ビルが並び、その発展ぶりには目を見張った。福建省で一番発展しているのは泉州だ、と誰かが言っていたが、まさか、と思っていた。うーん、中国恐るべし。

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両岸三通の茶旅2015(9)安渓 張さんの鉄観音茶作り2日目

5月3日(日)

当然乍ら朝は早く起きる。久しぶりにぐっすり寝込んだ。夜中にトイレに起きても慣れてきたのでスムーズ。午前5時に起きても9時間睡眠。まずは屋上に上がり、天気を見る。今日は晴れそうだ。張さんの奥さんが起きてきて、朝ご飯の支度を始める。この微かな音が何ともいい。お粥に大きな芋が入っている。この芋が台湾に渡り、そして沖縄へ。更には薩摩が持ちだして薩摩芋になったのかもしれない。それでは薩摩芋といえば、確かに沖縄の人が怒るのも無理はない。キャベツや芋は自家製、タケノコなどは山から採ってくる、全く自然な食べ物を簡単に食べている。消化にも良い。こんな食生活が出来れば、病気になることもなく、太ることもないだろう。

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6時過ぎには製茶場へ向かう。朝陽が眩しい。昨晩雨が降っており、道はぬかるんでいて滑りやすい。それにしてもこの朝の散歩、雨のせいか素晴らしく空気がいい。歩いていると心まで澄んでくるような気がする。何とか製茶場に到着すると、張さんは既に午前4時頃から本格的に今日の作業を開始していた。室内に置いておいた茶葉、夜中に揺青をして、今朝殺青している。それが終わると、機械で揉む工程に入る。揉んだ後は布にくるむ。しっかりくるみ、棒を使って形を整えるための機械は張さんが60歳になった時に導入したというから、凄い。普通の職人は退職する年齢であるから、この機械は張さんの強い意思の表れだろう。

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整えた茶葉は団揉という工程で、機械の手のうちでゴロゴロと転がされる。それが終わると一端布を取り、固まった茶葉を崩して、乾燥機へ放り込む。終わるとまたその茶葉を布で巻き、団揉の工程が何度も繰り返される。その度に張さんは重い茶葉を体全身を使って器用に巻いていき、また解し、それを繰り返す、延々と作業する。これはかなりの肉体労働だ。だが張さんいわく『若い者は慣れていないからできないだろうが、50年もやっていれば、この作業は何でもない。ただ製茶できついのは、夜寝る時間がないことだ。もし寝込んでしまえば茶はウマくできない』のだとか。私はその一番きつい夜中の作業を見たことがない。

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殺青をする時、窯に火を入れるが、その薪も張さん自ら暇なときに山から採ってきている。その薪をくべ、火の加減を調節し、終わると火をきれいに消し、必要になるとまた火を点ける。この作業だけでも大変だが、実に鮮やかに火を入れていく。付け火用の枝がパチパチと燃えていく音、これには何とも和む。優しいお茶が出来るゆえんはここにあるのかもしれない。

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私はただただ椅子に座って作業を眺め、時々カメラのシャッターを押すだけ。手伝うことは許されていない。単に張さんの動きを追っているだけなのに、時間はどんどん過ぎていくのが不思議だ。いつの間にか陽は高くなり、日差しが強くなり、薄暗い部屋にも明かりが差し込んでくる。この家は採光が取れるように工夫されており、僅かな隙間から陽が覗き込む。

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大きな茶葉の玉がいくつもできた。これでひと段落ついた。製茶場に完全な静寂が訪れる。私は足の運動を兼ねて外へ出てみた。いつも来る道と反対側へ歩いていく。長年誰も住んでいない家がある。その先に下に降りていく道があった。何だかここを下りたら、戻って来られないような気になり、また製茶場に戻った。何故だろうか、不思議な感覚がある。この辺も空き家が殆どのようだ。

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張さんが焙煎の準備を始める。炭を熾し、竹編みの籠を上に乗せる。その中に少しずつ茶葉を放り込み、火加減を見ながら、ゆっくりと焙煎している。加減は全て張さんの手の感覚にあるという。温度など図っても意味はない。50年の経験で調整していく。このような作業は簡単に受け継ぐことができない。マニュアル全盛の今の世に、ちょっと問うてみたい感じだ。

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しかし前日の午前に茶葉が持ち込まれてから神経を張りつめて作業を続ける張さん。どう考えても疲れが見えている。今日もいい天気、新たに摘まれた茶葉が到着し、また天日干しが始まる。嫁がやって来て、ご飯が作られる。茶摘みをしていた張さんの奥さんもやって来て皆でご飯を食べる。この瞬間、場が和む。農家では皆が揃って食事をする習慣はない。手の空いた者から適当に食べ始める。椀にご飯とおかずを入れて立って食べるのも一般的。

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ようやく出来上がった茶葉が袋に入れられ、一部は息子によって運ばれていった。家のほうで高さんが枝とりを急ぐためだ。製品化された茶葉は、香港で売るため、丁寧に枝と雑味を取り除き、持って帰る。この作業がすべて終了すると高さんと息子は香港に戻っていく。一刻も早く作業を終えて商売に戻るため、朝6時から夜9時まで枝とり作業は続いている。高さんの妹さんなども暇なら参戦し、皆でおしゃべりしながら、やっている。それでも気の遠くなるような作業だ。

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張さんの疲れは限界に近づいていた。焙煎しながら、その横で転寝が始まった。しかし20分ぐらいでスーッと起きて、また茶葉を確認する。そしてまた寝る。これはもう壮絶な戦いだった。その間も天気が良いのでまた茶葉がやって来る。今晩も張さんに安眠はない。これを数日続けると、68歳の張さんにはかなり堪えるはずだ。『来年は引退だ!』と2年前から聞いているが、結局いまだに続いている。その原動力はどこから来るのか、私にはさっぱり分からない。

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今日は日曜日なので、誰かが茶の状況を見に来て、タケノコを置いていった。田舎では、手ぶらではやって来ない。皆で新茶を飲む。何となく今年の茶の出来に満足感があるように思われる。体は疲れていても、気持的には晴れやかに見えるからだ。天気が良い、というのも理由かもしれない。でも私なら雨が降った方が楽でよい、と思ってしまうだろうが。どうなんだろう。

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この日も夕方6時に家に帰り、そして夕飯を食い、シャワーを浴びた。高さん息子と嫁は近所の若者達と下でトランプを始めた。確かに若者にとっては楽しみが少ない場所だろう。高さんたちおばさん組は、相変わらず枝とりに余念がない。私にとっては、早く寝ることが一番。ネットが繋がらず、PCを見ることもなく、ただひたすら製茶を見、偶に枝とりを手伝うだけの生活、これは極上の時間なのだ。人間は物質的な喜びよりも、精神的な喜びの方が大きいと感じる瞬間がそこにある。

 

両岸三通の茶旅2015(8)安渓 張さんの鉄観音茶作り

3.安渓

張さん宅へ

運ちゃんとお茶を飲んでいると、おじさんがご飯の椀を持って食べながら部屋に入ってきた。茶農家では立って食べている人が多い。すぐ近くでお茶屋をやっている人らしい。ちょうど昼時、『うちで飯、食ってけ?』と誘ってくれる。普通なら遠慮するところだが、何となくこの辺に来ると、お世話になろうかなと思ってしまうところが面白い。運ちゃんも、それが良い、という顔をしたので、おじさんに付いていく。

 

バスの終点からすぐそこに彼の店、いや家はあった。『実はこの路線バスを誘致するのに貢献したから、バス停がここになった』という。村ではかなりの有力者らしい。確かに家も立派で大きい。その台所に行き、スープをよそってもらった。豚肉が沢山入っていて美味い。というか、相当に腹が減っていたのだ。朝松山空港でサンドイッチを食べただけで、金門-厦門を経由してここまでやってきたのだ。長い道のりだったが、逆に言えば、半日でここまで着いてしまう便利さに驚く。スープを飲み終わると炊き込みご飯を腹一杯食べ、大満足。農家では碗は1つしか使わない。スープを飲み切らなければ、ご飯はもらえないのだ。

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そして居間に移って茶を飲む。彼のところは日本の大手メーカーとも組んで茶葉が作り、販売しているという。原料茶をかなり大量に扱っているということだ。手作り茶も一部あるようだから、かなり手広い。『これからは観光茶園を作ることも考えている』という彼。鉄観音茶の産地は変革を迫られている。お茶屋さんで食事をご馳走になったのだから、お茶を買わなければ、と思ったが、逆にタダで持っていけ、と言われたので、それはご迷惑だと何とか回避した。都会のお茶屋さんと違って、本当に素朴ないい人達だ。

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そして張さんの家に行きたいというと、知っているからと言って電話してくれ、張さんの娘婿である安飛を呼んでくれた。彼は直ぐに家の前まで迎えに来てくれ、何とも有難いことだ。今やこの村は私にとって知らない村ではない。彼は安飛に、『うちの茶畑に連れて行ってくれ』と頼んでいた。我々は車で村外れまで行き、そこから丘を登る。きれいな茶畑が現れる。そこには観光客の若い女性やカップルが来ていて、写真などを撮っている。これから観光茶園が本格的になりそうだ。ただこの茶園の周囲でも、機械で茶葉を摘む、その機械音が鳴り響く。この音にはどうしても馴染めないが、いまや効率重視の茶作業、やむをえないのだろうか。

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張さんの茶作り

ようやく張さんの家に着いた。安飛は車で行ってしまった。一人で家に入り、勝手知ったる2階へ上っていく。若者が一人、『誰だ、あれは』という顔をしていたが、張さんの孫だとすぐに分かる。彼はどこかに出稼ぎに行ったと聞いたが、今は戻って父親の茶業を手伝っていた。2階には誰もいないと思っていたが、何と香港の茶荘、茶縁坊の高さんがいた。彼女も突然の私の登場に驚いており、『一人で来たの?』と声を上げる。彼女は一人残って製茶した茶葉の枝とり作業をしていた。『沢山茶葉を摘んでも、製茶できないので』という理由だった。既に張さんは年齢を考え、天候を考え、茶作りを減らしていたのだ。

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取り敢えず張さんの製茶場へ行こうということで、荷物を置いて、高さんと一緒に出掛ける。既に2回、ここに来ているので道は分かっているのだが、何となく毎回違うように見えるのは何故だろうか。キャベツ畑は同じだし、鶏や豚を飼っている家も同じなのに。少し歩くと急な斜面に見慣れた古い民家、そこが昔の張さんたちの自宅、現在の製茶場である。

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張さんと高さんの息子は黙々と作業をしていた。私を見て張さんは『よー、来たな』という顔をしたが、言葉は交わさなかった。ちょうど摘まれた茶葉を天日干ししていたが、それを室内へ移動している。全て手で運んでいく。昨年と何一つ変わってはいない。周囲が何となく変化していく中、ここだけ時間が止まったような印象を受ける。相変わらず、周囲は機械摘みする機械音が鳴り響いている。

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それから室内萎凋、大きな笊に茶葉を詰め、棚に収納する。そして床を丁寧に掃く。その姿は何となく茶室の外を掃く茶人、いや土俵を掃く行司のように見える。何とも様になっているのがすごい。張さんの動きには無駄がなく、そしてその所作は実に美しい。これが伝統の技というものだろうか。まるで芝居の一場面を見ているようだ。そこにまた新たに摘まれた茶葉が運ばれて来た。張さんは直ぐに天日干しの対応に追われる。一人芝居、という言葉がぴったりだが、その労働は過酷だ。

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茶畑に行ってみた。摘んでいるのは張さんの奥さんただ一人。昨年は翌日が雨、という張さんの天気予報で、娘婿なども呼び出し総出で摘んでいたが、今年は余裕もあるのだろう。そして何より、茶葉を摘み過ぎないように配慮する家族。張さんの体力が限界に来ないように、そしてよりよい製茶が出来るように気遣っている。

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奥さんが摘んだ茶葉を持って製茶場に戻る。また張さんの作業が始まる。そして休憩。作り終わったばかりの新茶を淹れてくれた。この瞬間のために私はここに来ているといつも思う。恐らくは水がいいのだろう。空気もいい。雰囲気も抜群だ。そんな中でお茶を飲む、最高のひと時だ。香りが吹き出し、優しい感じの味わいがあり、ほんのり甘い。甘露、という言葉がぴったりだった。

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それから嫁さんがビーフンを作ってくれた。彼女は安渓の出身ではあるが、お茶とは無縁の生活を送ってきており、茶業は見習い、まずは自分の役割として食事の支度を担当していた。昨年も思ったが、このビーフン、少し塩気が強いがまたウマイ。台湾では新竹あたりがビーフンの産地だが、お茶とビーフン、何か関係があるのだろうか。

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その後も製茶仕事をジッと見学していたが、夕暮れとなり、張さんを残して我々は引き上げた。そしていつもの健康的なお粥、野菜中心の夕飯を食べ、シャワーを浴び、何と8時前に寝てしまった。今日は朝一に台北を出発して、飛行機、フェリー、バスと乗り継いだ旅だったから、疲れが出ていたのかもしれない。長い長い一日は終わった。

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両岸三通の茶旅2015(7)安渓まで行く路線バスで

五通の港から

ここは五通という名の港だった。案内所で同安行きのバス乗り場を聞いたが、何と『タクシーで行け』と言われてしまう。仕方なく建物の外へ出ると、白タクの運ちゃんが寄ってくる。『同安』というと、『120元』という。きっと高過ぎるのだろうと思い、無視すると『100元』に下げてきたが、それでも無視すると追って来なかったので、相場は70-80元かと見当を付ける。

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その向こうに停まっているタクシーに『70元』といってみると『俺はメータータクシーだ』というではないか。何だ、それなら、と乗り込む。車は空いている道をかなりのスピードで飛ばす。確か日航ホテルから空港に向かった道だった。なんだこれなら11時半のバスに余裕で間に合うと喜んでいたら、途中から渋滞に嵌る。今の中国ではちょっとした田舎でも渋滞が多い。本当に車が増えたんだな、と実感する。

 

なんと11時25分にタクシーはバスターミナル前に停車した。奇跡的にバスに間に合った、と喜んでターミナルに入り、荷物の安全検査を終えて『安渓大坪行バスは』と声をかけると、そこにいた職員が『え、今出たよ!この建物を急いで出たら、道で捕まえられるかも?』と言うではないか。えー、何だそれ、まだ出発時刻じゃないぞ、などと思ってみても事態は変わらないので、荷物を引き摺り言われた通り走ってみた。道の角を曲がると、ちょうど小型バスが1台、ひょろひょろと頭を出してきた。『大坪か?』と聞くと何とそうだったので、急いで乗り込む。まさに奇跡的に間に合った。

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日本を知らない中国人

バスは意外なほど込み合っており、立っている人が何人もいた。そこに飛び入りの私が加わり、更には私の重い荷物が持ち込まれたので、嫌な顔をされるのは当然かと思ったが、そこは中国、日本と違ってそんなことはなかった。運転手の後ろ、荷物置き場に腰かけていたおばさんが『こっちに荷物置きなよ』といい、大きなバッグは『おじさんとこに入れて』といって前に座っていたおじさんの足の間に入れてしまった。驚くほどの親切。そして私に向かって『あなた、日本人でしょ』と中国語で聞いてきた。

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私は日本人に見られることが少ないので、ちょっと驚いたが、聞けば、アモイで働いており、日本人の友人がいるのだという。そうか、日本人を一人でも知っていれば、その仕草、態度で何となく分かるものなのだろうか。そのアモイの日本人に私は救われた思いだった。彼女はきっといい人なのだろう。

 

ところがそのやり取りを聞いていた運転手が突然『なに、お前日本人か?日本人は良くないぞ。何しろ30万だからな』と言い出した。『え、30万、何?』と聞き返すと『南京だ!』というので言いたいことは理解した。実はこれまでもこんなやり取りは偶にあったのだ。中国人で日本のことを知らない人は実に多い。彼らは日本について、何とか自分の知っている知識を頭に思い浮かべようとするが、その結果が南京だったり、尖閣だったりすることがある。

 

さて、どう答えようかと思っていると、さっきの親切なおばさんが運転手に向かい、『あんた、何言ってんのよ。昔の話なんか私たちに関係あんの?今の日本人はね、私たちよりずっと礼儀正しいのよ』と私の代わりに反論してくれたのだ。これにはいささか驚いたが、それ以降、運ちゃんは黙り込み、周囲の乗客もだれ一人、この話題に触れるものはいなかった。

 

バスはどんどん山を登り始める。確か去年まで乗っていた村で運営していたバスは25元ぐらいしたが、この路線バスは僅か3元。泉州市政府が補助金を出しているようだが、これによって大坪の住民が山を下りやすくなっており、乗客の殆どが村の人だった。反論してくれたおばさんも村の出身であり、偶々里帰りの途中だったようだ。この路線バスは人の流れを確実に変えているという。

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バスはゆっくりと進み、少しずつ乗客を降ろし、1時間ちょっとでようやく終点までやってきた。何となく見覚えのある場所だが、目指す張さんの家がどこにあるのか、その方向が良く分からない。張さんたちは今頃、茶畑と製茶場にいるだろうから、さて、どうしようか、朝から張さんの娘婿である安飛にはメッセージを入れたのだが、返事がなかった。すると運転手が『おーい、日本人、茶でも飲んでいかないか』というではないか。普通なら先ほどあんなやり取りがあったのだから、関わりたくないと思ってしまうが、なぜかこの場合、彼について事務所へ行ってしまった。お茶、と言われると弱いことを露呈してまった私。

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今年の新茶だ、と言いながら運ちゃんは慣れた手つきで、茶を淹れてくれた。乗客のおばさんが一人、一緒に飲み始める。運ちゃんは『ここに電話して今日の運転手は良かった、といってくれないか。外国人から褒められるとボーナス貰えるかもしれないから』と言いながら、私に電話番号が書かれた紙を渡してくる。さっきはあんなことを言いだしたのに、何てやつだ、と私は思わなかった。彼の真意は何となく分かっていた。彼は間違いなく、先ほどの発言を後悔していた。だが彼としては村人皆の前で謝ってはメンツが立たない。その結果がこのお茶になったのだ。何とも人の良い、田舎のおじさんだ。『中国人がもっと日本人、日本のことを知っていればこのようなことは起こらないのに』と思いながら、『いや、もっと深刻なのは日本人が中国に来なくなり、中国が分からなくなることだ』との思いに至る。

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華南お茶散歩2015(8)拡大する深圳茶葉世界だが

1月27日(火)

拡大する茶葉世界

翌朝はホテルの朝食を食べる。このホテルの客室はビルの上の方にあり、食堂は更に上、エレベーターもないところに設置されていた。広州で美味い物ばかり食べてきたので、正直味の良い物はなく、ただ何となく腹に詰め込む食事となる。日本も中国も何となく詰め込む型の、ファーストフード的な食事ばかりが横行しているが、広東の食文化を見つめて、真に健康になる食事、健康を維持する食べ物、飲み物を考えたほうが良いと痛切に感じる。

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ホテルをチェックアウトして荷物を持って、深圳の老舗茶城、茶葉世界へ向かう。現在茶葉世界の前は地下鉄工事中。ここが拡張されれば、香港‐深圳が直通?になるのだろうか。朝が早いため、店はまだあまり開いていない。2階の店舗も随分と変わっており、知っている店は殆どない。栄枯盛衰?ということか。更に横に新しいスペースが拡張されているが、ここには足を踏み入れたことがなく、馴染の店はない。更に3階にもスペースが拡大されていた。広州同様、誰が一体こんなに買いに来るのだろうか?まだ旧正月には早いのにすでに帰郷している茶荘もあった。

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結局いつもの紅美の店に荷物を置く。紅美は相変わらず、ここから1時間離れた別店舗を経営しているが、私が連絡するとここに戻ってきてくれる。旦那が代わりに別店舗に行ってくれていたが、今回は旦那もいた。向こうの店は留守番がいるのだろう。ここでいつものように最近の流行り廃りを確認する。元々は岩茶の店だったが、今では何でも扱っている。それが18歳で田舎から出てきて、店を構えるまでになる、ここで生き残るポイントだったようだ。

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トイレに行くとちょうど李さんの店を通りかかる。単叢屋さん。ここは紅美の店とは対照的に、15年以上潮洲の単叢のみを扱っている。店は1つも大きくなっていないし、昔は雇った女の子もいつの間にかいなくなっている。これで儲かっているのだろうか、と他人事ながら心配になる。単叢は高価なお茶であり、早々簡単に売れる物でもない。

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李さんによれば、一昨年頃は単叢ブームが起き、10kg単位の注文が沢山入り、まさに飛ぶように売れたが、習近平政権の腐敗汚職撲滅運動により、贈答用がなくなり、注文は通常に戻り、価格はかなり下がった。ただ李さんのように昔からずっと商っている人にとっては、常連さんが沢山おり、影響は意外と少ないとか。逆に街の小売店の影響が大きく、そこに卸している人々は苦しいらしい。相変わらず、小袋に詰めてくれることはなく、買えない?いつものように1袋貰って退散する。

 

フェリーターミナルへ

茶葉世界滞在は僅か3時間、香港に住んでいた頃は1日10時間はいたものだが、バタバタと忙しい。更に茶葉で重くなった荷物を担いで地下鉄へ。そこから蛇口のフェリーターミナルへ行くはずだったが、1号線から2号線へ乗り換える時、何を間違ったのか、反対方向の電車に乗り込んでしまう。そこで15分ほどロスしてしまい、当初予定していた1時半のマカオ行フェリーを逃してしまう。地下鉄で蛇口までまさかこれほど時間が掛かるとは想定外だったが、後悔しても後の祭り。

 

ターミナルに着くとちょうど1時半。チケット売り場で聞くと2時にもマカオ行があるではないか。だがそれはタイパ島行き、これがタイパのどこに着くのか一向に分からないが乗る以外方法はない。今日はマカオからバンコックへ帰るのだから。ランチを食べていなかったので、レストランで海南チキンライスを注文。さすがにターミナル、実に雑だが、3分で持ってきて、5分で食べたので、フェリーに十分間に合った。

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4.マカオ

フェリーは1時間でタイパに到着した。そして驚いたことにそこは航空のすぐ脇ではないか。何と理想的な場所を自動的に選んだことになる。だが空港の倉庫は見えるが、ターミナルまでどう行けばよいか分からない。目の前にはカジノ行きのシャトルバスが何台も停まっている。聞いてみると空港ターミナルに停まるバスがあるというので乗り込む。3分ぐらいで到着。勿論無料。この辺がマカオの度量の深さだ。

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空港は意外とチェックが厳しく、面倒だった。まだ時間があったので、コーヒーショップでコーヒーを頼み、ネットした。よく考え見るとコーヒー1杯600円、かなり高いが仕方がない。搭乗口近くでは何かもめごとが起こっていたが、フライトのキャンセルでもあったのだろうか。私の便は定刻出発だ。エアアジアなので飛行機まで歩いていく。途中で写真を撮っていると、『撮影禁止』と警備員が叫ぶ。なぜだろうか、安全上の理由?フライトは行きよりは混んでいたが、かなり余裕があった。この便が安かったわけが分かった。バンコックに戻るとなぜかホッとした。中国の旅はいつも疲れる。

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華南お茶散歩2015(7)外国貿易を独占していた街は今

1月26日(月)

広州街歩き

翌朝はゆっくり起きて風呂に浸かる。これだけの空間を享受するのは今日の午前まで。出来るだけ活用しよう。取り敢えず食べ物を探しに、朝の散歩に出掛ける。ホテルの近くは清の時代、西関と呼ばれた商業地区。17-19世紀、当時外国貿易を独占していた広州では、清朝の指定を受けた広東十三行と言われた仲買人たちが商売をした場所だと思われる。アヘン戦争後は、欧米企業と内地を結ぶ買弁に引き継がれたのだろう。現在でも一部に倉庫街が残っており、周囲にはかなり古い住宅街も存在する。しかし開発の波はここまで襲い掛かってきそうだ。

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昨日Iさんが言っていた、プーアール茶文化協会を訪ねてみることにした。だが記載された住所はなかなか見つからない。再開発された川沿いの場所に出た。観光案内所で聞いたが、そんな場所は知らないという。PCで検索を掛けてもらったところすぐ近くだと言われ、そこへ向かう。文塔と書かれた古い塔が見えた。この辺りはまさに古い広州のあった場所なのだろう。何故こんなにきれいにしてしまったのか?古い文化財の保存、維持は本当に難しい。

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プーアール茶文化協会は直ぐに分かった。そこには沢山のお茶が展示されており、プーアール茶を中心に解説もなされていた。数年前に有志で作った展示館のようだ。椅子に座っているオジサンにいくつか質問してみたが、『展示されている物を見ろ』『私は知らない』などと不親切この上ない。何か広州のお茶貿易のヒントなどが見いだせるかと期待したが、無駄骨に終わる。というより、最初から質問を絞っていなかったので、オジサンが取り合わなかったのかもしれない。必要があれば次回はキチンと話を聞きに行こう。

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帰りに軽く食事をしてホテルに戻り、チェックアウトした。地下鉄に乗り、広州東駅に向かい、そこから列車で深圳へ行く。高速鉄道は頻繁に出ており、ちょっと待つと乗ることができた。外国人はパスポート提示が必要、自動販売機で切符が買えないのが面倒だ。車内は相変わらず満席だ。以前よりスピードを落としており、1時間20分ほどで深圳に着く。

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3.深圳

深圳の駅はそれこそ何度も来ており、得意のはずだったが、列車を降りて今日の宿を目指す中、結構迷う。それはその宿のロケーションが駅の東側にあり、あまり行ったことがなかったからだ。そんな街歩きも新鮮でよいが、茶葉を大量に詰め込んだ大きな荷物を抱えていくとかなりシンドイことも分かる。予約したのは昨年南寧駅前で泊まったホテルのチェーン店。南寧での印象が良かったので、予約してみたのだが、深圳はやはり地価が違うのだろう。随分とボロい部屋に愕然!まあそれでもネットが繋がり、VPNも機能し、そしてテレビでサッカーも見られたので良しとしよう。

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なぜかインドカレー

夜になり、出掛ける。今日は深圳に1年間研修に来ているF君と会う。彼は以前北京に留学していた時に知り合ったが、今では立派な社会人、そしてすでに結婚している。現在は日本人出張者の御用達と言われている粤海酒店に住んでいるというので訪ねる。このホテル、懐かしい。以前寄稿していたフリーペーパーが入居しており、何度も来たことがある。今やそのペーパーも廃刊になり、来ることもなくなっていた。相変わらず古めかしいホテルだが、改装も行われており、お客は多いようだ。

 

1階のコーヒーショップでコーヒーをご馳走になりながら、話を聞く。中国に進出している日本企業はどこも高コストや人事で頭を悩ましている。撤退、という文字がチラつくことが多いようだ。そうこうする内にもう一人の知り合いKさんが登場。FさんとKさん、共に北京のお茶会の参加者だから、久しぶりに再会である。3人で食事に出る。中華でも、と言っていたところ、突然この辺に住むKさんがこの近くにインド人経営のインド料理屋があるので、どうかという。深圳でインド料理屋、面白と思い同意する。

 

その店はかなりきれいな外装でちょっとビックリ。入口を入るとお洒落な内装にインド人マネージャーがお出迎え。何だか深圳にいる気分ではない。3人で適当にシェアするため、カレーやナンをオーダー。だがお客はそれほどいない。いつもこんな感じらしい。ちょっと値段が高いのかもしれない。中国人はそれほどカレー好きではないようだし。

 

そうこうしていると、9時近くになり、団体さんが入ってきた。奥に専用のブッフェがあるようだ。その団体さん、全員インド人。今や海外旅行では中国人に次いで目立つ存在になり始めているインド人。彼らが旅行で一番困るのが食事だから、そのソリューションとして、こんな店があるのかもしれない。かなり小食になったというKさんがバクバク食べているのを見て喜ばしい。

 

華南お茶散歩2015(6)景気が上向く広州?

ビルを出て、線路沿いを歩く。少し腹が減ったというので、荷香居というレストランに向かう。この線路、昔はどこでも自由に横断可能だったが、最近は柵があり、かなり制限されている。事故でもあったのだろうか。それでも相変わらず踏切などはなく、単に線路を跨いで渡る。

 

このお店、かなり広いガーデンレストラン。既に午後2時を過ぎ、お客はかなり帰っており、空いてはいる。が店員も散漫になっており、なかなか案内されず、自ら席を占める。豆腐料理が美味しかったが、こちらが要求しても箸も持ってこないし、なかなか面倒だった。こういう店は日曜日には終日営業かと思ったが、どうやら違うらしい。ランチタイムがかなり忙しかったのか、皆疲れて、賄い飯を掻き込んでいるのを見ると責められない。

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またビルに戻り、プーアール茶の店へ行ったが、馴染の店員がいないということで早々に退散した。茶荘では売り子の質が重要、お客を見抜く目が大切だが、素人だとそれは難しい。安くてきれいなパッケージのお茶をしきりに勧めてくる。今や中国国内に何万、何十万もある小売りの店、売れ筋を仕入れることが肝要なのだろう。

 

蔵茶の店にも寄る。元々はチベットなど辺境に送るお茶で、質の良い物はそれほどなかったのだが、最近はこのようなお茶にもスポットライトが当たっている。Iさんが以前雅安に行った時に話をしたら、オーナーの対応がかなり変わり、サンプルをくれたり、記念写真を撮ったりと、忙しくなる。I夫妻がこの店に二人で来ても、言葉は通じないので、茶の要点のみを確認するだけだったようだが、私が簡単に通訳すると話は大きく広がっていくように見える。

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今日の茶葉市場ツアーはこれで終了し、昨日同様タクシーを使ってホテルに戻る。香港から来た女性とI夫人は近くの路地市場へ行くというので付いていく。日曜日のせいか、凄い人で、狭い路地を歩くのに苦労する。野菜や果物は勿論、バラなどの花から、漢方の生薬になる桂皮など様々な物が並べられている。これを買い込むとかなり嵩張るが、それをものともせずに買う。それほどに安いようだ。というか日本では高過ぎる。

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外は人が多過ぎるのでホテルの部屋で休む。夜になり、それほど腹は減っていないが、粥を食いに出る。広州旧市街地の状況はまだら模様。活況を呈しているビルがあるかと思えば、テナントが集まらないビルもあり、宝石屋など入っているテナントもお客がいない場所も多い。広場は煌びやかだが、そこでも安売りが続いている。それでも景気は回復基調、なんとも面白い状況だ。

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以前1度行ったことがあるレストランに入る。繁華街から少し離れたビルの4階、前回同様お客は多くない。それでも営業が続いているのだから凄い。店員の愛想もよくない。これも前回と同じだ。ただ注文した粥が予想外にうまく、満足した。外が涼しかったせいであろうか。そしてI夫妻とは今日でお別れ。明日からは自分で行動する。

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華南お茶散歩2015(5)広州茶葉市場で考える

茶葉市場で考える

I夫妻と合流して、芳村茶葉市場へ向かう。今日は土曜日なのでタクシーがいるか心配したが、タクシーに乗って食事に来る客が多く、すぐに捕まり、乗車するとすぐに着いてしまう。平日とはかなり交通量が違う。茶葉市場自体は閑散としていた。というより、この市場、大き過ぎるのだ。茶荘が5700も店を構えているという。最初は小さな店の集まりだったのだろうが、いつの間にか大型ビルができ、それが広がり、道の両側一杯にお茶屋が広がった。文字通り、中国一、いや世界一の茶葉市場かもしれない。

 

初めてやってきたMさんは目を丸くして『こんなに沢山あるんですか?』と。彼女は日帰りで広州に来たが、茶荘を2₋3見て、それから布市場にも足を伸ばそうなどと考えていたらしい。半日程度ではそれは全く無理であることを瞬時に悟ったのであろう。私がもう少し情報を与えるべきだったと反省した。

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前回も行ったお茶屋に入る。ここの奥さんはやり手の潮洲人で、高価な単叢などを扱っている。旦那は人の良い湖南人だが、最近この付近の家賃が急激に上ったこと、更にはビル全体の改装費の徴収など、出費が嵩んでいるようで、色々な商品を出してきて、何とか買わせようとしている姿がちょっと痛々しい。それぞれ事情というものがあるとは思うが、今の中国で長い付き合いをしていくのはなかなか難しいなと感じる。結局いつものプーアール茶を購入して去る。

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それからアーケードの下を歩いていく。ここは古くからある場所で、I夫妻の昔の馴染の店に立ち寄る。家賃もここの方が安いようで、かなり温和なムードが漂う。その代りトイレなどは入り難い。お客も殆ど歩いていない。いつも思うのだが、この人達はどうやって商売しているのだろうか。卸売だからいいのだ、という声もあるが、いくら中国人でもそんなにお茶ばかり飲まないだろう。コーヒーもあれば他の飲料も増える中、どこに収益源があるのか、不思議でならない。

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ビルに戻り、いつもの茶道具屋に行く。ここにはいつも人がいる。Mさんはパッと茶器をみて、早々に姿を消す。女性だとここに入ったら、30分は出てこないことを経験から知っている私とIさんはゆっくりとオーナー夫人の淹れるお茶を飲む。オーナー夫妻は旧正月にフランス旅行に行くとかで、フランスの話で盛り上がる。この店、相当に儲かっているなと分かる。オーナーは実に地道な商売をしている。20歳の娘(1995年生まれ)と17歳の息子(1998年生まれ)も学校が休みになると手伝いをしている。景気に左右されず、1つずつ丁寧に物を売る姿勢、それが財を成す根幹のようだ。

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大通りを渡り、道の反対側へ行く。前回も行った全く愛想のないおばさんの店へ進む。愛想はないが、品揃えは凄い。今回は100年前の茶の化石?が店頭に置かれていた。一体何なのだろう?その疑問は誰もが持つが、それに答えてくれる人はいない。お茶の試飲も出来ないが、また紅茶を買ってしまった。ここの紅茶がなぜうまいのか、それも謎だ。仕入れはご主人の担当らしい。いつかいる時に話を聞いてみたい。

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何だかんだで時間が過ぎた。Mさんは帰りの電車も予約しているため、ここでタイムアップとなり、皆でタクシーを捕まえて、Mさんを地下鉄駅で下ろし、ホテルに戻る。付近は土曜日の夕方で人の波、パワーを感じる。何だか腹が減ったので、近くのファーストフードっぽい店に入り、軽くご飯を食べる。広州では何を食べても美味しい。幸せな気分で部屋に戻り、ごろ寝。

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ウトウトしていると、時間はどんどん過ぎ、I夫妻の部屋でマカオの英記茶荘で仕入れたお茶などを試飲して過ごす。するとまた腹が減り(広州ではとにかく腹が減るのだ)、夜の9時頃I夫人と共に食事調達に出る。ホテルの横で牛雑という煮込みを買い、馴染の店で雲吞麺や腸粉などを調達。これを部屋に持ち帰り、食べる。これは安上がりでしかもうまいので、言うことはない。食事に関して広州は誠に贅沢な所である。

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1月25日(日)

再び茶葉市場へ

今朝はゆっくり起き上がり、テレビなどを見て過ごす。何だか疲れが出てきていた。自覚がある場合無理はしない。それでも書かなければならないものなどもあり、午前中は瞬く間に過ぎていく。今日はI夫人の知り合いの日本人女性が香港から来るという。到着を待って茶葉市場へ行く。彼女は東京から出張で香港に数週間滞在しており、今日は休みで合流予定とか。

 

電話が来て、ホテルロビーに行くと、I夫人が『お昼食べた?』と聞く。勿論食べていなかったのだが、何と『私たちは食べた』という。この辺が如何にもI夫人らしいところ。私たちのランチはどうなるの?すると近くの沢山人が並んでいる店に入り、肉まんをテイクアウトする。これを持って茶葉市場へ行き、昨日も行った茶具屋でお茶をもらって食べるようにとの指示だ。さすがというか、何というか。

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茶具屋の娘、大学で英語を専攻する彼女は前回会った時から好印象だが、さらに磨きがかかっていた。何とこの茶具屋、このビル内に5店舗もの店を出していた。通販も好調だという。今日は彼女が我々を連れて、各店舗を回った。置物の店、本屋、通販、凄い発展ぶりだった。しかしこれだけ拡大してお客は居るのだろうか?この店のオーナーのことだ、ちゃんと計算はしているだろう。娘は嬉しそうに案内して回る。彼女が将来ここのオーナーだろうか。

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華南お茶散歩2015(4)これぞ広州、夜飲茶

夜はいつもの陶陶居

夕方までネットを見たり旅行記を書いたりして過ごした。その内、サッカーのアジアカップが始まった。今日は日本対UAEの準々決勝がある。その前にイラン対イラクの因縁の一戦を見る。非常に激しい試合だったが、何とイラクが上手く試合を運び、PK戦をものにした。イランの方が格上と思っていただけに嫌な予感が。そして日本戦、相変わらず活力が感じられない。結局PKになり、簡単に破れてしまった。何だか拍子抜けだな。

 

この試合はなぜかI夫人もやって来て一緒に観戦した。私の悪い癖、自国チームを応援しない、を出さないように努力した。家でこういうイライラした試合を見ているとかみさんに『非国民』呼ばわりされるので困る。それにしてもこの敗戦がアギーレ監督に決定打を与えてしまった。混迷の日本サッカーはどこへ行く?

 

そして夜も9時前になり、お決まりの陶陶居へ繰り出す。I夫人の言う『夜飲(夜の飲茶)』の時間である。広州の人は本当に贅沢だ。朝は早くから飲茶(何度も書くが飲茶は朝するもの)、そして夜遅くは宵夜(夜の軽食)を楽しむ。この時間でも沢山の人が店に詰めかけ、席がないこともある。今晩は2階の反対側も開放(昨年8月はなし)、さらに3階も営業しており、席にあり付く。I夫人からは『明らかに広州経済は上向いている。昨年とは大きな違いだ』と言われたが、私個人はこの時点ではかなり懐疑的だった。確かに店に客の入り、そして席の配置や営業時間など、広州ではこの辺が1つの参考指標になることを学ぶ。

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気候的に寒い時期、冬瓜スープを頼んだが、既になかった。広東人はスープが命、健康の秘訣はお茶もあるが、スープの存在が大きい。そして体に良い根菜類を自然に食べている。ラインナップを見るだけでも、香港や広州の人々の食と健康に関する考え方が良く分かる。体を冷やさないことが基本だと思う。日本人は西洋の真似をして、生野菜をサラダとして食べているが、少し考え直すべきかもしれない。愛想のないおばちゃん店員を宥めすかして、お湯を注いでもらいながら、好物の焼きそばを食べる。これぞ広州だ、と感じる。

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部屋に戻ってもネットが繋がるので遅くまで格闘してしまい、その上NHKも入るのでたまのテレビを楽しむ。そして何とシャワーも浴びずに寝る。ベッドがフカフカで心地よい眠りが保証される。

 

1月24日(日)

お湯漏れで

朝もスッキリ起きる。そして湯船にお湯をため、朝風呂を楽しむことにした。だが、お湯がなかなか溜まらない。よく見てみるとバスルーム全体が濡れているではないか。何とバスタブから湯が漏れている。これではいつまで経っても入れないし、何よりバスルームから下の階への影響が心配される。このホテル、かなり古いので表面的な改装はしていても基本的な水回りの老朽化は否めない。

 

フロントに電話すると掃除のおばさんが駆けつけてきた。実はこのおばさん、チェックインした時に言葉を交わしており、既に仲良くなっていた。湖南省から来て10年以上働いているらしい。彼女は一目見て状況を理解し、修理工を呼んでくれたが、すぐには治らないことは明らかとなり、部屋変えを申し出た。担当者が『朝はまだお客がチェックアウトしていない』などと四の五の言うので一喝し、部屋を移った。

 

ところがその部屋は先ほどの部屋より明らかにダウングレードしており、納得できない。迷惑をかけた上で、悪い部屋を提供するバカがどこにいる、というと、すぐさままた別の部屋を用意する。この辺の中国流、顧客対応術に慣れない日本人はかなり翻弄されて、怒り心頭に発するだろうが、こちらは顔では怒っている振りはするが、それは芝居で、先方の出方を読みながら交渉に当たる。これを日本で行うと『クレーマー』とか『強請たかり』と呼ばれることは肝に銘じなければならない。繰り返すが中国ではこれを『交渉』と呼ぶ。

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次の部屋は広さとしては左程変わらないが角部屋であり、明らかに雰囲気が良かったので、ここにお引越しした。そして早々に湯を溜めて、風呂を楽しんだ。時間をかなり使ったが、そこは中国、諦めるしかない。そこへ電話が鳴る。今日は香港在住の日本人女性Mさんがやって来て茶葉市場ツアーに参加する予定になっていたが、随分早い到着だった。彼女は予定より早い列車に乗ってきたらしい。

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このMさん、確か3年ぐらい前に香港で知り合いの紹介で夜10時にいきなり会ったKさんに付いてきた女性。そしてその2日後には私の全行動に1日付き合い、恐るべきバイタリティでその人脈を吸収し、香港転職も成功させ、今日に至っている。当初は英語もできないとのことだったが、今では立派にこなしている。

 

ちょっと早いがランチに繰り出す。ところが今日は日曜日、どこも満員で入れない。辛うじて、以前行った店に空きがあり、相席で滑り込む。ここも地元民がダラダラお茶を飲んでいる傍らで、外から来た観光客が忙しなく、点心を食べている。このギャップがすごい。相席のばあちゃんが『これ美味しいよ』と食べ物を差し出してくる。そんな光景がいいのだが。

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