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突然の深圳・香港旅2016(4)深圳の長い地下街で

お父さんに教えてもらったバスに乗り、九龍城から九龍塘へ出る。バスは頻繁に出ており、乗り切れない人は次を待つ。夕方、学生や勤め帰りの女性が多い。九龍塘からまたMRT東線で落馬洲へ戻り、福田から宿へ帰った。香港日帰りはあっという間だったが、宿代を考えると合理的選択かもしれない。

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夜はまた裏通り、香港で食べればよかったのだが、気分的に深圳になってしまった。今晩は、12元で腹一杯食える食堂へ。食べているのは男ばかり。何となく侘しい出稼ぎ者に交じっていると、気持ちが落ち込んでくる。この人たち、かなり苦労しているんだろうな、と感じられる。

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1110日(木)
4. 深圳2

フラフラと地下街

翌朝はゆっくり起きて、かなり遅い朝食をチェーン店で食べる。腸粉と粥で23元。まあ仕方がないか。香港ならこの値段で粥しか食えない。店はきれいでよいが、片づけはできていない。店員は若い子ばかりで、まるで気は利かない。10数年前の深圳はサービスがよかったな、と思い出す。労働力の質低下か。

 

向かいに福田の茶葉市場があったので覗いてみたが、ちょうど雨が降ってきたせいか、お客はほぼいなかった。がらんとした建物の中、閉まっている店も多い。どう見ても流行っている感じはない。入ってみたくなる店もなく、客に声を掛けるでもなく、余りに寒々としていて、何となく外へ出てしまった。

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散歩しようとしたが、雨が本格的に降り出してきた。今日は夜便で台湾に戻るので、まだ時間はたっぷりある。宿はチェックアウトしてあるので時間を潰さなければならないが、どうしたものだろうか。仕方なく地下鉄の駅に潜ってみた。そして驚いた。すごく長い地下街がそこに出現したからだ。

 

連城新天地という名前の地下街。どうやら次の地下鉄駅まで続いているらしいと知り、好奇心で歩いて見た。ものすごい数の飲食店がずらりと並んでいる。中国で名の知れたチェーン店は全て収容されているのではないかと思うほど。日本のラーメン屋もあり、吉野家もココイチも皆ある。大きな和食屋は怪しげだが、客は入っている。台湾系、香港系、シンガポール系のファーストフード、パン屋、カフェ。何より平日の午後でもそれなりに人通りがある所はさすがだ。

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ゆっくり歩いて20分ぐらいで次の駅まで来たが、何と更に続いている。こうなれば暇に任せて歩いて見る。飲食ばかりでなくアパレルなどの店も沢山あり、驚くばかりだ。そして次の駅までそれは続いていた。最後の駅から少し離れたところには高速鉄道の駅さえあるようだった。こんな地下街、日本にあるのだろうか。札幌の地下街はかなり長いとは思うが、どうだろうか。

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折り返して歩くと腹が減ったので、吉野家に入ってみる。その接客がかなりしっかりしており感心する。客がいない時間なので、掃除の仕方を先輩が教えていた。そこに面接の女子がやってくると、まずは掃除だよ、衛生だよ、と言いながら、面接が始まった。ところでここの牛丼、単品18元、何だかとてもうまく感じたのはなぜだろうか。ついでの隣の台湾系でアンパンを買って頬張った。

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因みにこの長い道を歩いている中で、店のメニューと同じくらい求人広告が貼りだされていた。それほどスタッフ、働き手が足りないのだろうか。いや、景気減速の煽りで、コストを押さえないとやっていけない店側と、高い給料を求める出稼ぎの若者のギャップが埋まらないような気がしている。

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ちょっと早いが、宿で荷物を取り、また地下鉄の駅へ降りていく。来た時に乗った、空港行地下鉄を利用する。来た時は全く気が付かなかったのだが、何とこの列車、最後尾にビジネスクラスが付いていた。聞いてみると通常7元のところを3倍の21元出せば乗れるらしい。深圳の住民は地下鉄カードでタッチして乗っているが、私は上に戻り、切符を買わなければいけないと言われて、乗車を断念した。

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一般車両はかなり混んでおり、やはりビジネスクラスに乗ればよかったと後悔したが後の祭り。よく見るとこの列車は最近開通しており、時速も120㎞まで出せるとなっている。ただの地下鉄ではなく、いわゆる空港シャトル線であった。道理で速い訳だ。空港に近づくと、海岸線が見える等、景観もあり、楽しめる。

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ただやはり空港には早く着きすぎて、チェックインできなかった。何とか座る所を見つけてPCをいじっていると、いつの間にかチェックインが始まっており、出遅れてしまう。行きでトラブルがあったので、帰りはもう何も言うまいと思っていたら、何だかプレミアムエコノミーにしてくれていた。これが桃園空港で文句を言ったせいなのかどうかは分からないが、搭乗の順番が早くなっていた。

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帰りも又エバ空港の機体である。ほぼ満席で驚く。フライトは順調で、ほぼ定刻に桃園空港に着陸した。今回の旅、一体何だったのだろうか。たまにはこういうのも悪くはない。

突然の深圳・香港旅2016(3)香港茶荘巡り

また1時間かけて地下鉄で宿へ戻る。まあ1時間乗っても料金は至極安いので、時間があって金がない者には助かる。日本の交通費、何とかならないのだろうか。夜はまた裏通りへ向かう。結構冷たい風が吹いており、11月の深圳としては涼しい。今晩は暖かい黄燜鶏米飯を食べる。

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鍋にとろ火で煮込んだ鶏肉にピーマン、野菜が入っている。鶏が柔らかいのが好きだ。これとご飯というシンプルな組み合わせだが、味が濃いのでご飯が沢山食べられる。18元。しかし数年前までほとんど見たこともなかった食べ物だがルーツはどこに。山東省らしいと言われたが、山東省にあったかな?

 

119日(水)
香港へ

翌朝は早起きして、香港へ向かった。深圳にいてもやることがないので、先月いなかった茶縁坊を訪ね、何とか秋茶を手に入れようという腹である。いつもなら羅湖へ行き、辺境を越えるのだが、今回は折角なので新しいルートにチャレンジする。新しいと言っても私が使ったことがないというだけで、今やこのルートが定番だと思われる。

 

地下鉄4号線で福田へ。そこの上にはイミグレがあり、すぐに中国を出境できる。羅湖より歩く距離が短く便利だ。香港へ入国すると、そこには落馬洲の駅がある。これは上水で羅湖行きと別れた線だ。今や香港人で深圳北駅から高速鉄道に乗る人などはこの福田を使うととても速い。

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イミグレも混んでおらず、順調に列車に乗り込む。前回はホンハムからバスに乗り、失敗したので、今回は九龍塘で乗り換え、旺角、中環で地下鉄を乗り継ぎ、上環まで確実に向かった。それでも結構時間が掛かったのは、乗り換えなどの位置を完全に忘れてしまっていたからだろう。香港はどんどん遠くなっていく。

 

3. 香港
茶荘巡り

とにかくまずは茶縁坊へ向かう。ところが、ところがまさかの、閉まっていた。これまで一度もなかったことが2回続けて起こっている。ここまで来ると、何かが起きたのかもしれないと心配になるが、先月同様携帯のシムを用意しておらず、連絡を取ることも出来なかった。仕方なく、フラフラ歩き出す。ちょうど10月に訪ねた安渓西坪で堯陽茶行の故郷に出会ったことを思い出し、店へ行って見た。だがオーナーも顔見知りの番頭さんもおらず、おばさんに聞いても埒が明かない。

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オーナーは午後返ってくるよ、と言われたので、もう少し上環で粘ってみようと思ったが、ちょうど前日FBで小倉の辻利さんが、IFCに出店したのを見たので、ほんのちょっとお店を覗きに行くことにした。トラムが来たのでそれに乗り込む。懐かしい。未だに2.3ドルか、頑張っているな。

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そしてセントラルで降りてIFCまで歩き、お店を探したが、すぐには見付からない。それが香港らしい。ようやくディレクトリーを見て、場所を確認。お店の横には開業の花が並んでいた。ほうじ茶30ドルなどとあったが、その横にIFC限定サンデー、78ドルが燦然と輝く。食べてみたかったが、何となく気後れして、お店に入れず。次回に持ち越した。

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ふらふら歩いて上環に戻ると昼も過ぎていた。いつものように市場の上の和食屋へ行き、定食を食べる。おばさんはいたが、日本人のKさんは不在。相変わらずランチは安く、勧められた焼き魚定食でも45ドルとお得。お客さんは定期的に来る常連が多いようで、日本人もいた。

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堯陽茶行に戻ってみると、顔馴染みの王さんがいたので、西坪の話をしてみると驚いていた。彼のお父さんもあの日塞と呼ばれていた要塞の出身なのだった。といっても堯陽が香港に出てきたのは、1930年代、それから長い月日が流れ、今やそれほど往来はないという。因みに台湾にも枝分かれしたが、こちらも今や関係はないという。ここで出されるほうじ茶のような鉄観音が、昔を忍ばせる。

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そして念のため茶縁坊へ戻ってみると、ついに灯りがついていて息子がいた。やった、と叫びたいのを堪えて中に入る。聞けばやはり先月、めでたいことに彼に子供が生まれていたのだ。高さんも孫の世話に忙しく、また息子も子供を病院へ連れて行くなど、店を開けられない時間が増えていたようだ。

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知らせを聞いて高さんも駆けつけてきた。しかし張さんは秋茶を作らなかったというのだ。結局ここでも手に入らなかった。もう張さんのお茶は手に入らないかもしれない。何となく寂しさがこみ上げてくる。そういえば、家には数年前のお茶が少し残っている。そう話すと『それを香港に持ってこい、焙煎してあげるから』と言われたので、次回はそうしようと思う。

 

1時間ぐらいで上環を離れた。後は数年顔を出していない、茗香茶荘に行って見ようと考える。九龍城には、旺角まで地下鉄に乗り、そこからミニバス。だがミニバスの乗り場の位置まで思い出せない状態だった。何とか乗り込み、7ドルを払う。後は懐かしい道をひた走る。

 

お店に行くと、お父さんが奥に座っていた。向こうも何となく見覚えがあるな、という顔で出迎えてくれる。ここは潮州系だが、観音茶王という美味しい鉄観音茶を販売している。店の奥で焙煎しているものもある。『今は安渓に行ってもいいお茶は手に入らないよ』と一言で片づけられてしまう。息子のマイケルとは少し昨今の景気について話したが、あまり良いことはないようだった。

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突然の深圳・香港旅2016(2)懐かしい場所を訪ねると

そのゴルフ場に初めて行ったのは1991年の旧正月。私が香港に赴任してすぐに旧正月が来てしまい、暇だろうと先輩が誘ってくれたのだ。当時まだ住居が決まっていなかったので宿泊していたホテルの前からゴルフ場行シャトルバスが出ていた。いきなり国境を越えていくゴルフは何とも新鮮だった。

 

香港ならではと思い、それがきっかけで、一時は毎週のように友人たちと出掛けていった。朝5時に起きて、タクシーを探してでも、楽しかった。国境も最初は凄く遠回りの場所だったが、その後落馬洲皇崗が通れるようになり、かなり便利になった。とはいえ、朝は1つしか窓口が開いておらず、重いバッグを持って毎回並んだものだ。更に先輩に聞くと税関がゴルフ道具を知らずに、クラブ一本一本調べた、ボールに何か仕込まれているのではと疑われたなど、ユニークなエピソードも多い。

 

そのゴルフ場は今では深圳旧市街地のど真ん中、一等地にある。当時地下鉄などなかったが、いつの間にか駅までできている。ただ広い敷地のため、どこから入ってよいかもわからない。昔深圳は怖いところ、という印象があり、20年以上前は市街地に行くこともなく、泊まることもなく、深圳の地理はよく知らなかった。

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ゴルフ場は未だに営業はしているが、既に土地のリース期限が過ぎており、今後この土地をどうするのかを協議中らしい。もう開業から30年以上も経っているのだ。一部会員しか中に入れないのだが、お願いしてクラブハウスを見せてもらう。私が来た頃と変わっていないのは玄関周りぐらいか。コースも20年前に大幅改造され、周囲には別荘も分譲されていた。懐かしい場所だが、景観は一変していた。

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それから地下鉄に乗り、羅湖へ向かった。ここは2001年以降、私がお茶の旅を始めてから度々来た場所だった。香港から九龍鉄道に乗り、イミグレを越えた。駅からほど近いところにある茶葉世界というお茶市場には一体何回行ったことだろう。今でも100軒以上の店が並んでいるが、昔のような活気はない。それは郊外に大型の卸市場がいくつも出来たこと、そして香港の経済力が弱くなり、香港人が来なくなったことに起因していると思われる。

 

2階に上がり、いつも行く一號茶荘に顔を出す。ここは15年前、私が初めてこの市場へ来た時に出会った紅美という女性の店。福建省の武夷山近くから出稼ぎできて、最初は岩茶の店で小妹をやっており、その後自らの才覚で、店を持ち、今は2号店もある。彼女は現在2号店に出勤しており、この古い店はご主人がやっている。久しぶりに紅美に会いたいというと、すぐに連絡してくれ、深圳郊外にある2号店の場所を教えてくれた。午後はここへ行ってみよう。

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一號茶荘の斜め向かいには唯一台湾人経営の子揚茶荘がある。ここのオーナーは高雄の人で、この市場が出来た1997年に深圳へ出てきて店を構えていた。長い付き合いをしていたのだが、その姿は店になかった。代わりにこれまた古い付き合いの春桃姐さんがいたので、声を掛けた。オーナーは、というと、一瞬戸惑ったような顔をして『天国に行ったわ』と寂しそうにいうではないか。既に1年も前に彼は居なくなっていた。私はたまにしか来ないのでそのことを知らずにいた。店は春桃が引き継いだらしい。ただお茶はこれまで同様、台湾茶が中心だ。しばしオーナーを偲んでお茶を飲む。

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もう一軒、単叢の店に寄ったが、いつも物憂げな李さんもいなかった。最近は税関を退職したご主人と交代で店をやっているらしい。日本にも旅行に行っているようで、次回はどこへ行こうかと相談される。閑散とした茶葉世界だが、その変化は相当なものがある。これからこの市場がどうなっていくのかには、ちょっと興味がある。

 

昼ご飯をかっ込んで、地下鉄に乗る。それにしても飯代は高くなっている。駅付近で5年前の2倍にはなっている気がする。それに為替を加えれば、実体はもっと高く感じられる。1号線から2号線に乗り換えて、約1時間、龍城広場と着いた時には結構疲れてしまった。深圳の地下鉄も香港に倣っているのか、冷房がやけにきつい。

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駅のすぐ近くに大きなお茶市場があると聞いてきたが、見当たらなかった。とにかくこの辺まで来てもまだ、大規模マンション開発が進んでおり、ちょっとした建物では目立たなくなっている。案の定、マンションの後ろ、ショッピングモールの脇に茶城があった。しかも中は複雑で、店を見つけるのにかなり苦労する。

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その店は予想よりかなり大きかった。大きな椅子に紅美がドカンと腰掛け、若い男の子2人を使って商売していた。あの幼かった彼女が15年で店を持ち、結婚して子供も持った。この近くのマンションも購入したという。ある意味で、彼女は深圳ドリームを実現した一人かもしれない。

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それでも現在茶業には逆風が吹いている。以前のように右から左に茶が売れる時代は過ぎている。店にはちょくちょくお客が来ていたが、大きな商売は減っているという。『まあ、昔ゼロから始めたことを考えれば、何とかなるのよ』と彼女は笑っていたが、これからどうなるのか、現在の中国で先が見えている人はいない。

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突然の深圳・香港旅2016(1)立栄航空で深圳へ行ったが

《突然深圳・香港旅2016》  2016117日‐10

 

台湾へ20日ほど行こうと思ってフライトを予約した直後、突然深圳へ行かなければならなくなった。しかもその用事は11月中には済ませなければならないのだが、後半にはタイ行きも控えており、大変難しい状況に陥ってしまった。だがよく考えてみれば、台湾から深圳へ飛べばよいだけのこと、仕方がないので、台湾旅を一時中断して、深圳へ行って見た。

 

117日(月)
1. 深圳まで
立栄航空は何もの?

台湾に入ってからすぐに深圳行きの飛行機を探した。エバ航空で台湾まで来たのだが、サービスがよかったし、スターアライアンスメンバーでマイルもたまるので、エバで行きたかったが、あいにく飛んでいない。中国の深圳航空も何とスタアラメンバーだったので、これにしようと決断しかけたところ、エバ航空の子会社、立栄航空が飛んでいることを発見。エバ航空のサイトから直接予約を入れたので、問題ないと思っていたのだが。

 

当日台湾中部の鹿谷からバスで台中へ、台中から高速鉄道で桃園へ。更に桃園からバスで空港に辿り着く。余裕を持って来たのでかなり早く着いてしまった。エバ航空のチェックインカウンターへ行くと、ここではないという。あれ、エバ航空のサイトから予約したのになぜ?まあ立栄航空のカウンターへ行けばよいだけの話だが、そこへ行って見ると、『わが社はスタアラメンバーではないので、マイルも付かないし、メンバー特典は全くない』ときっぱり言われてしまった。

 

でもエバ航空の子会社で、エバのサイトからチケットを買ったのになぜ?といってみても埒が明かない。しかもこのフライトは深圳航空とのコードシェア便だという。それなら料金も安く、マイルもたまる深圳航空を選ぶべきだったと気付いたが時すでに遅し。今さらフライトの変更もできず。例えば全日空で予約しても偶にエア日本の機材を使うこともあるので、てっきりそれだと思っていたいのに。仕方なく、モスバーガーでランチを食べて、搭乗を待つ。

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そして搭乗口で見たものは、驚きだった。機体もCAさんもエバ航空ではないか。機内の設備にもはっきりとエバの表示が見える。これはある意味で悪質な『ひっかけ』だと言えるのではないだろうか。勿論法的問題はないようにしているはずだが、顧客志向とは言い難い。台湾人ならその辺の細かい事情は分かるだろうが、外国人で初めての客には同じに見えてしまう。むしろ台湾人は子会社のチケットでより良いサービスが受けられると喜ぶのかもしれないが、私は大いに不満であった。でも今更言って見ても誰も取り合わないので、すぐに寝入る。

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2. 深圳
ホテル探し

深圳空港まではあっという間に着いた。既に夜になっている。数年前にこの空港を利用した時は確か市内までバスがあったので、バス乗り場を探すと、何と地下鉄が出来ているではないか。今の中国の動きは本当に速い。恐ろしいほどなんでもすぐにできてしまう。しかもこの地下鉄、何となくスピードまで速い。

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これまでと違い、今回は特定の用事なので、そこに近い場所に泊まることとして、1度乗り換えて1号線のある駅で降りた。勿論初めて。駅前にホテルがあるはずだったが、今回も安いホテル狙いで通り過ぎた。そして少しくと150元という表示が出ていたので、そこへ入り『部屋はあるか』と聞くと、フロントの女性が満面の笑みで『ある』と答えた。ところがパスポートを出すや否や、『あー、うちパスポートダメなのよね』と残念そうに言う。

 

まさに没有弁法か。最近は安い宿に外国人は泊まれない。それは中国人を監視するためで、外国人を排除するためではないと分かっていても、腹立たしい。どこに泊まったってよいではないか。仕方なく駅の方へ戻り、立派そうな建物へ。1階にフロントがあり、部屋は24階、料金は約300元とさっきの2倍。部屋には窓はないが、そこそこシックな雰囲気を出しており悪くはない。

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既に夜も9時を過ぎてしまった。腹が減ったので外へ出た。今や深圳も大都会、多くのチェーン店はあるのだが、ちょうど宿の横道を入ると、昔ながらの賑やかな通りに出た。何となく残っている一角だろうか。折角広東に来たのだからと、鶏と叉焼でご飯を食べた。何だか冷めていたがまあ満足か。でも料金は上がったな、これで18元か。

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118日(火)
懐かしい場所へ

翌朝は今回の目的である用事を済ませるために朝から外へ出た。エレベーターで下へ降りると、そこには長蛇の列が。出勤時間と重なり、エレベーターが足りない。上がるのには相当の時間が掛かるだろうが、皆慣れているのか、スマホを見ながら平然としていた。何だかその昔、香港勤務の時の様子を思い出す。

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ところで用事は何と30分で済んでしまった。私はかなり余裕を持ってきたため、フライトの予約は明後日になっている。これを変えるとまた追加料金がかかるので、ここにいることにしたのだが、これは一体何をすればよいのだろうか。既に知り合いの日本人もあらかたいなくなっている。ちょうど地下鉄の駅を見ると、昔よく通ったゴルフ場のある場所だった。懐かしいので訪ねてみることにする。

福建・広東 大茶旅2016(17)ずぶ濡れの香港からエチオピア航空

7. 香港
上環へ

819分、雨の中を列車はホームを離れた。席はほぼ満員。1時間ちょっとで深圳を通過した。そのままホンハムまで一直線。ちょうど2時間で到着。イミグレもスムーズですぐに外に出たが、バス乗り場の位置を忘れて建物を一周回り、時間をロスする。香港も大雨だった。まずは上環へ向かう。今日の目的は茶縁坊だけだった。先日安渓で手に入れられなかった鉄観音の秋茶があれば、ここで買って帰ろうと考えたのだ。

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だが乗り込むバスも間違えて、遠回りのものに乗ってしまう。10年も住んだ香港がもう分らなくなってしまっているのが悲しい。バス代は安い。トンネルを通り、銅鑼湾からハッピーバレー、そして金鐘を走っていくが、雨のせいもあり、渋滞が厳しい。更には乗り降りする人も多く、なかなか進まない。

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ようやく1時間かけて上環に着いた。私は午後のフライトで東京へ行く予定だったので、時間は殆どなくなっていた。雨が激しく降る中、大きな荷物を持っていては、傘は役には立たなかった。ずぶ濡れになりながら、茶縁坊を目指した。だがなんということか、店は閉まっており、灯りはなかった。これまで一度もない光景だった。しかもここでSさんと待ち合わせをしていたのだが、彼女の姿もなかった(後で聞くと彼女も店に行ったが閉まっていたのでメッセージをくれていた)。私は香港のシムカードを持っておらず、電話を掛けることもネットを見ることもできない。途方に暮れるがどうしようもない。

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フライトは午後2時半。濡れた服も気持ちが悪い。ここはもう空港へ向かうしかなかった。また雨に濡れながら、空港バスのバス停が遠い。ちょうどバスが来たので乗り込んだが、こんな時でもクーラーガンガンだから、風邪ひきそうになる。このバスも安いが時間のかかるタイプであり、1時間後、空港に着いたときは服がきれいに乾いていたが、かなりくしゃみが出た。

 

エチオピア航空で成田へ

今回はどのルートで東京に行こうか迷っていたが、広州でネットを見ていると、広州→東京の便が意外と高いことに気が付いた。そこで香港からの便を探してみると、なんとあのエチオピア航空が、香港→成田に就航しているではないか。しかも片道の運賃はLCCより少し高い程度。これは乗ってみるしかない、と予約する。この航空会社にはかつてバンコック→香港線に乗ったことがあり、そのバスのような運行が面白かったのだ。

 

今回の広州でも見たように、減ったとはいえ、アフリカから香港経由で広州に買付に来るバイヤーは沢山いた。彼らのニーズを満たすために、この香港線があるのは何となく理解できるが、以前はなかった成田行きが出来た理由は何であろうか。因みにこのフライトはアジスアベバ→香港→成田で、バンコックには寄らない。一体どんな人が乗っているのか、興味津々だった。

 

チェックインカウンターへ行くと、前回のバンコックと同様、乗客の姿は殆どなく、また『フライトは少し早めに到着します』と言われた。僅かに見たお客は、香港人の若者。日本へ行くのに安いフライトを選んだ、という感じだろうか。今や毎月日本へ行く香港人も多いと聞く。そんなニーズに合わせて路線を延長したのだろう。これに広東省あたりの中国人観光客が加われば、それなりに採算が取れるのかもしれない。

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滑走路の方を見ると、雨は既に上がっていた。さっきの雨は何だったのだろうか。あまりにも歓迎されていない。搭乗口に行ったが、案の定、乗客の姿はなかった。前回のバンコックでは8人しか搭乗しなかったが、今回は恐らく10数人だっただろう。乗って来たのはほぼ香港人かな。機内も当たり前だが空いている。乗って来た人間は前の方に集められているが、後ろの方はガラガラに見える。だが行ってみると、エチオピアから乗って来た人々が3列の席で横になって寝ている。確かに十数時間も乗っているのだから当然だろう。

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機内食はアフリカの料理が出る訳ではなく、香港から積み込んだ食べ物で普通に美味しい。機体も比較的新しく、映画なども見ることができる。私は音楽を聞こうと楽曲を探すと、サイモンとガーファンクルがあったので、聞いてみる。何とも懐かしい。こういう音楽には国境がないな、と思う。

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飛行機は定刻前に成田に着いた。何事もなかったように電車に乗って帰路に就く。今回の旅、よく考えてみれば、台北、福州、安渓、厦門、マカオ、広州と訪ね歩く大旅行だったな。今年はミャンマー・ラオス・スリランカとか、ロシア行などがあり、大旅行が多い。いっぺんに色々と行けるのは良いが、体力的にも限界が近づいている。このような旅は徐々に減らさないといけないな、痛感する旅となる。

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福建・広東 大茶旅2016(16)工夫茶の世界

工夫茶

老茶客、という名のその店は、きれいだった。中に入るとかなり奥行きもあり、思ったよりはるかに広かった。3つの場所でお茶が飲めるようになっており、茶館ではないのだが、友人たちが集って勝手に茶を飲んでいるようにも見えた。茶葉や茶器も豊富に並べられている。Tさんがスタッフに声を掛けたが、老板はまた戻っていないと言い、彼女がお茶を淹れてくれた。

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私は茶荘でお茶を買うことも殆どないので、何となく居てよいのかどうかと思う。まあTさんの知り合いの店だからいいか。見ると、白茶が出てきた。このお茶の味、どこかで飲んだようなと思い、入れ物を見てみると、何と4月に行った政和の楊さんのお茶だった。色々と繋がりはあるものだ。

 

老板の柯さんが帰ってきた。思っていたよりもずいぶん若い。彼は早々に店全部の客に挨拶して回る。とても礼儀正しい人だ。それから主人席に座り、小さな急須を取り出して、茶を淹れ始めた。その淹れ方が実に堂に入っている。聞けば、この世界に入って10年は経っていないらしい。台湾人の先生に見せられて、茶を淹れ始めた。そして今や、有名な茶淹れ人だとTさんは言う。

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そのTさんは子供の迎えがあるというので30分ほどで帰って行った。入れ替わりに昨日会ったKさんがやってくる。Kさんは今日の午後、自宅でお茶会があったのだが、実はこの店の常連だということが分かり、急きょやってきた。Tさんを紹介しようと思ったが、本日は叶わなかった。どうせ狭い茶の世界、遠からずどこかで会うだろう。

 

この店で何と言っても見せられたが、工夫茶。清代に作られたという茶杯と茶海。何ともシンプルで美しい。茶器に興味のない私でさえ、その素晴らしさを実感し、欲しいとさえ、思ってしまう。柯さんが自ら集めているコレクションのようだ。茶葉は香港で仕入れてきた老鉄観音茶。その焙煎の具合がまたよい。そして淹れ手も素晴らしい。このような空間を私は待っていたのだ。今回の安渓の旅では今一つ得られなかった満足感が、この旅の最終日に突然訪れたのだ。何とも言えない、不思議な感覚にとらわれた。ここに私を連れてきたのは一体だれなのだろうか。

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雨は降り続いている。今晩は予定があったのだが、その場所はここからそれほど遠くはないという。しかもKさんの家とも近い。結局柯さんが微信で車を呼んでくれ、我々2人はその車に乗った。この店に次回来るのはいつだろうか。そしてスワトウ出身の柯さん、しかも私が先日高速鉄道の窓から見た、あの古めかしい集落に実家があるという彼、次回は是非彼の実家に行って、彼が淹れた茶が飲みたかった。これで今回の旅は全て繋がった。

 

更にはKさんとも繋がりが深まった。今晩会うのは、私が30年前に上海に留学した時の同学、商社のTさんと生保のYさん。Tさんの勤務先は同じグループの企業だったのだが、何とKさんのご主人も同じグループの社員だと分かり、当然TさんとKさんは親しい間柄であった。こんなものはもう偶然でも何でもない。雨はものすごく強く降り注ぐが、車のお陰で濡れずにレストランに着いた。

 

かなり遅刻してしまった。TさんとYさんは既に食事を始めていた。2人とも会うのは十数年ぶりだった。この3人は企業から派遣生された留学生の中で最年少だったので、比較的気やすい関係だ。更にTさんが入った会社の同じ部署には私の大学の同級生がいた。しかも彼もTという姓だった。彼は数年前にすでにがんで亡くなっている。30年も経てば当然色々なことが起こる。Tさんは留学終了から現在まで中国やアメリカで駐在20年。Yさんも前回会ったのは上海だった。我々の世代で中国語をやった者の多くが、その後海外勤務になっている。

 

私は最近、余り昔話が好きではなかったが、このような夜は非常に楽しい。自慢話でもなく、何となく歴史を追っていく話、そして現在。更には仕事の話が殆どでないことも喜ばしい。何だか30年前にタイムスリップしたような、それでいて実に心地よい時間を過ごした。帰りも雨が降っていたが、Tさんの車で地下鉄駅まで送ってもらった。有り難い。部屋に帰るとすでにTさんは出発していた。ずっと一緒だったTさんがいなくなってちょっと寂しい夜だった。

 

1019日(水)
香港へ

翌朝も雨だったが、チェックアウト時はほとんど降っていなかったので、荷物を引いて、急いで地下鉄駅へ向かった。昨日と全く同じ路線を1時間、東駅に到着する。もう慣れているので、迷わず駅に入り、腹が減ったのでチェーン店で粥を食べた。この店の機械が壊れて注文が大混乱となった。

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それからゆっくりと待合室へ向かった。乗客の中には外国人が多く見られた。白人も見られたが、中東系、アフリカ系もいる。日本人ビジネスマンもいた。やはり直通列車は外国人向きだろう。面倒が少ないがちょっと料金は高い。イミグレを通り中国を出国。荷物検査は長蛇の列だが、乗り遅れる心配はない。列車は何となく昔を想起させ、懐かしい。この鉄道は中国側の運行なのだ。

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福建・広東 大茶旅2016(15)農業大学を訪問して

1018日(火)
農業大学訪問

翌朝は雨が強く降っていた。本日広州郊外で撮影を予定していたTさんもこの雨を見て、行くのを止めたようだ。旅は雨でもできるが、写真は雨には弱い。折角高速鉄道まで予約したのに、可愛そう。今日はIさんに紹介されたTさんと会う予定になっていたのだが、その待ち合わせ場所は華南農業大学のキャンパス内だった。

 

この学校へどうやって行くのかと聞くと『広州東駅から割と近い』というので、地下鉄に乗って東駅へ向かう。ここまで約1時間かかる。東駅と言えば、その昔、香港から広州に出張した際、何度か利用したことがある。ここから香港直通列車も出ているし、深圳行きは頻発していた。駅に早く着いたので、明日の朝、ここから直通列車で香港へ行ってみようと思い立ち、切符を購入した。

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雨は降ったままだ。駅のタクシー乗り場へ行くと結構並んでいたが、タクシーも沢山来たので楽勝だ、と待っていた。ところが私の番が来て、目的地を告げると『そこは行かない』と乗車拒否される。仕方なく後ろの車に乗り込んで大学名を伝えると『正門までしか行かない』という。Tさんから『大学は広いので、門から歩くと20分かかる』と聞いていたので、『指定のビルまで』というとやはり拒否された。すると後ろの車は私を面倒な客と見て、最初から手を振ってくる。

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この乗り場には係員がいるので、この乗車拒否を訴えたところ、彼も運転手に理由を聞いていたが、『行かないものは仕方がない』というではないか。それでは係員の仕事にならないのだが、この辺はやはり中国。怒っていても始まらない。私は勝手に工夫を凝らす。ずっと後ろに控えていたタクシーに、大学名だけ告げて何も言わずに乗り込んだ。車は出発、運転手は気さくなおじちゃんだった。

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この大学は決して近くはなかった。20分ぐらい走ってようやく正門に着く。ここで指定されたビルの名を出し、スマホの地図を見せた。だがこの地図、正直分かりづらい。というか、大学内の11つのビル名は明記されていない。仕方なくTさんに電話、彼女が色々と説明してくれたが、何と言ってもキャンパスは広く、表示は雨で見難い。ここから迷いに迷って20分ほどで何とかたどり着いた。運転手も笑っていた。これだから、タクシー運転手が大学の中に入りたがらないのも頷ける。

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Tさんは何年か前に横浜で私が行ったセミナーに来てくれていた。元々中国の人だが、日本人と結婚しており、日本にも20年住んだらしい。ある意味で日本人以上に日本らしい。その彼女が最近ご主人の転勤で広州に赴任してきて、大学で茶を学んでいるのだという。確かに中国語の問題はないし、広州はお茶を学ぶにはよい環境であろう。

 

案内されたのは許先生の研究室。彼女は雲南省茶葉研究所で長く研究していた人で、10年前に広州に来てこちらの大学で教えている。話を聞こうと思ったが、すぐに教室に案内された。そこでは驚きの光景が待っていた。女子学生6人が、茶器をきれいにセットしている。そして男子1名が司会、詩の朗読のように演技のコンセプトを読み上げる。モダンな音楽に合わせて、6人が連動した動きを見せ、茶芸のポーズをとる。これは行ってみれば、シンクロナイズドスイミングを見ているような、キレのある、素早い動き。かつ一糸乱れぬ茶淹れだった。一体これは何だろうか。

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許先生によれば、彼らは来週福州で行われる全国茶芸大会に参加するため練習しているのだという。そんな大会があるのかと驚くと、かつてこの学校では全国2位まで取ったことがある。残すは優勝のみ。かなり気合が入っており、先生からの指示も相当に細かい。単に芸を見せるだけではなく、茶もちゃんと入れなければならない茶葉は先生が雲南から取り寄せたという。これは大変なことだ。

 

『ここで上位に入ると彼女らの就職が有利になるんです』という先生の一言が突き刺さった。そうか、ここは大学なのだ。勉強や研究するのは勿論だが、最大のポイントは卒業生が如何に就職できるかなのだ。茶荘や茶芸館、お茶会社などで雇ってくれるらしい。なぜ日本にこのような総合的な茶学部が無いのかと言えば、それは明らかに『卒業しても就職先がない』からであろう。儲からないものは研究しない、仕事がないものは大学には不要なのだ。中国が羨ましい。

 

続いて許先生が、陳先生を紹介してくれた。陳先生も雲南で研究していたが、許先生と同時期にこの大学へやってきた。そしてここ3年はアメリカで客員研究員をしており、8月に戻ったばかりだという。陳先生も雲南の茶については詳しく、特に紅茶の研究には熱心で、自ら雲南の品種を植えて、紅茶を作っていた。その紅茶を実際に飲ませてもらったが、実に美味しい。このような紅茶が商品化されればたちまちヒット商品になるのではと思うのだが、どうだろうか。

 

その後雨の中、Tさんの案内で、学校内でランチを取る。本当はこのキャンパス内にある茶畑を見学する予定だったが、雨で取りやめとなる。残念。そのまま正門まで歩き、タクシーに乗る。案内したい店があるというのでついていく。雨はようやく小降りになっている。車は市内中心部へ戻っていき、一軒の茶荘を目指していた。

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福建・広東 大茶旅2016(14)芳村を歩く

ここでTさんとは分れた。彼は連日遅くまで歩き回り、写真を撮り続けている。それはいくら若いとはいえ、凄い。私はふらふらしながら、地下鉄の駅に向かい歩き出す。すると昨日やってきた文化公園の近くに出た。何となく表示を見ると『十三行路』とあるではないか。そこを歩いて見たところ、ここはアパレルの集積地になっており、大勢のバイヤーが行き来し、荷物が往来を行き交っている。この賑やかさは、往年の貿易時代、広東十三行の活動を彷彿とさせるものがあった。広州はやはり雑貨とアパレルの街。中東系、アフリカ系バイヤーもそれを目指してやってくる。

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疲れたので、地下鉄に乗り、宿へ戻った。そして夕方はゆっくり休み、夕飯だけを外で食べ、後は大人しくしていた。やはり先日の体調不良が尾を引いている。Tさんは夜10時過ぎてやって帰ってきた。すごい体力と執念を感じる。なぜか部屋のお湯がちゃんと出なくて困る。実は今は広州名物、交易会の時期に重なっていた。昔ほど盛んではないらしいが、それでも世界中からバイヤーがやってくるので、宿は混んでおり、その結果、ここが予約されたということがようやく分かってきた。

 

1017日(月)
広州茶文化促進会

翌日は車が迎えに来て、茶文化促進会を訪問した。昨年台北で1度だけ会ったKさんが、広州在住になっており、連絡したところ同行することになる。地下鉄の駅で待ち合わせ、Kさんを拾い、茶葉市場の方へ向かう。促進会は、まさに茶葉市場のビルの一つの中にあった。まあ、お茶の関係だから当たり前からも知れない。

 

黄会長が待っていてくれた。彼は長い間、中国に茶文化を根付かせようと努力していた。初めは政府の支援もあったが、今は民間として活動しているようだ。先日案内してくれた張さんは、この会の会報制作を担当している。年に何回も会報を作り、会員とお茶の旅にも出て、理解を深めているという。今の中国で茶文化、と言えば、下に産業という言葉が付きまとい、茶旅と言えば、お茶の旅をさせて儲ける、ティーツーリズム的な発想が主流の中、このよう地道な活動は貴重だ。

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更には我々が茶葉貿易の歴史に興味があるのを知って、元茶葉輸出入公司に勤務していた女性を呼んできてくれた。我々が調べている近代、というより、むしろ現代の茶葉事情に及び、大変参考になる貴重な話が沢山出てきた。紅茶というのはその基本はブレンドであり、中国紅茶もその例外ではないことを再認識した。英徳の紅茶も新中国後の生産だし、紅茶そのものが輸出品であり、その原料を確保するため、雲南から広東に茶樹が持ち込まれ、植えられたりもしている。

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そして近くでお昼をご馳走になり、午後は茶葉市場を歩くことにして黄会長と別れた。Kさん、Tさんと3人でフラフラと店を探す。それにしても店の数が多過ぎる。5700店あると言われたが、誰が数えたのだろうか。取り敢えずいつも行く黒茶の店へ行ってみる。何しろここは骨董屋のように様々な古い茶が所せまして置かれていて楽しい。私はなぜかここで紅茶を買うことにしている。

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次にKさんが政和白茶の店を紹介してくれた。政和の茶を売っている店はこの広い茶葉市場にも殆どないらしい。何しろ香港人は政和の茶を好むが、産量が非常に少なく、いいお茶は香港の茶商に直接買われていくので、市場ではあまり見かけない。4月に政和に行った時、それはよくわかっていた。私は政和の寿眉が大好きなのだが、Kさんは銀針がよいという。茶葉がきれいだ。

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続いてKさんにお買い物に同行する。彼女は台湾でお茶を習い、広州に来てからも知り合いにお茶を教えているという。だから講座で使う茶葉を調達する必要がある。雲南紅茶もその一つ。プーアル茶の店でも、最近は紅茶を扱っている。特にプーアルも古茶樹ブームであるが、紅茶は野生茶ブーム。私も4月に昆明で飲んだ野生紅茶を美味しいと感じたが、本当の野生茶は驚くほど高価だ。

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雨模様の平日ということもあってか、市場は閑散としていた。Tさんは写真を撮りに行くと言ってここで別れた。我々は更に探検を続けようと思ったが、かなり疲れてきた。ビルの中をぐるぐると歩いていると、昔黒茶を買った店を発見。東京のI夫妻の名前を出すと笑顔で迎えてくれたので、休む。ここで以前買ったお茶を試しに4か月続けて飲んでみたところ、体がかなりスッキリした。また必要になるかもしれないと思い、新たに購入する。値段は少しずつ上がっているが、まだまだ安い。

 

そのままフラフラと地下鉄の駅の方へ歩いて行く。駅まではかなりあるのだが、Kさんと歩いているとお茶の話で盛り上がり、楽しく過ぎていく。台湾で出来たご縁が広州で生かされる、何とも有り難いことだ。明日もまた新たなご縁があると思われるが、それを彼女にも伝えたい。さて、どう繋がるのだろうか。因みに彼女のご主人は私の元同業者。ここにもご縁があるのかもしれない。小雨の中、私はそのまま歩いて宿へ戻る。

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福建・広東 大茶旅2016(13)広州を歩く

1016日(日)
広州散策

翌朝は早めに起きて出掛けた。Tさんはどうしても広州の伝統的な飲茶風景を撮影したいという。昨日張さんに聞くと、行くなら北園か南園だろうというので、北園酒家に向かう。地下鉄に乗って最寄り駅で降りたつもりだったが、全然違うところに来てしまった。なぜか目の前に中国大飯店、そして東方賓館が見える。

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ここは29年前、留学中に突然やってきた広州で泊まったホテルだった。当時の広州は中国で最も発展していた町、と記憶している。何しろタクシーが手をあげれば停まった。空港からメータータクシーで東方賓館まで運ばれた。賓館でもすぐにチェックイン出来た。その頃の中国ではありえないサービスの連続だった。ここだけに資本主義があった。その横の中国大飯店といえば、何と言っても2003年のSARSの時、このホテルで開かれた会議に出張していたが、広州の日本人の握手を拒否された場所。戻っていくと香港が大変なことになっていたのは今や歴史だ。

 

掃除していたおばさんに聞いたが、この近くには北園はないようだった。仕方なくタクシーを拾う。運転手にTさんが『たまには北園で飲茶しますか?』と聞くと、そんなバカな、という感じの声で、『俺たちは数元の包子を食えばいいんだ』と答えたのが気になった。北園の前に到着すると、数人が並んでいた。以前広州で飲茶した時、朝は6時ぐらいから開店しており、おじいさんがゆっくりとお茶を飲んでいたものだ。だが今は午前8時。それなのに店は開いていなかった。どういうことだろうか。

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実は飲茶というのは中国では早茶と言い、朝食べるものなのだ。しかし現在は日本人が思うように昼ご飯に代わっている。この店も数年前にオーナーが変わったのか、その名声を武器に高級店化を図り、開店は11時からになっている。これではもう古き良き早茶文化は見られない。因みに今日は日曜日、特別に9時に開店し、顧客サービスをしているらしい。それで人が並んでいたわけだ。

 

1時間待ってもいいことはなさそうだったので、向かいにある越秀公園に入る。この公園も90年近い歴史を誇り、かなりの広さがある。中国の公園でよく見られるおばさんたちの体操。その脇を登ると、アヘン戦争時にあった砲台跡の表示が見える。上には何も残っていなかったが、当時イギリスに占拠されたこの高台を義勇軍が奪還したとある。

 

そして降りてくると広州博物館がある。開館は9時からなので少し待つ。鎮海楼、という名所を博物館にしている。ここは入場料を取るので民間が運営していることが分かる(行政単位が運営していれば全国どこでも博物館は無料)。このような歴史的な建物を利用して商売する人々も出てきたのだろう。

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ここには広東十三行を復元した模型がある。1850年に火災で燃え、再建されたがまたアヘン戦争で燃えた商館の様子が見える。実際に使われた木箱もある。この公園が昔は越秀城であったことも分る。だから先ほどの砲台が設置されていたのだ。ここもアヘン戦争の遺跡の1つだと言える。更に行くと広州の象徴、五羊の像がある。ここには30年前にも来た記憶がある。

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Tさんがイスラム寺院に行きたいという。広州は古くからの貿易港。イスラム商人の出入りもかなりあったということか。茶葉貿易はなかったと思うのだが。懐聖寺、という唐代創建の古い寺が旧市街地にあった。だが門はしっかりと閉まっていて、中には入れない。ここにある塔が有名だ。この寺の向かいには清真料理屋がある。ウイグル系の顔をした男性が、羊肉を焼く準備をしていた。『寺には入れないね』と声を掛けると『誰でも入れるよ』というではないか。

 

ただまだ時間が早いので、先ほどの五羊の謎を調べに行く。広州に羊などいるのだろうか。それを知るためにはある廟へ行けと言われた。五羊仙清という門がある。その中へ入っていくと、2000年以上前に、五人の仙人が羊に乗って広州へ降りて来た、という伝説が語られている。その煌びやかな絵を見ると、返って疑わしく思われるが、伝説にはやはり伝説になる何か理由はあるのだろう。羊の謎は深まるばかりだった。

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イスラム寺院に戻り、結局このレストランで食事をすることにした。この家族はカシュガルからやってきたという。普通話の訛りがきつい。幼い女の子が可愛い。ナンが美味しそうだ。この付近は中東系などイスラム教徒が歩いており、彼らの食べられるものが売られている。だがこの店には漢族のおじさんたちが入ってきて、沢山料理を並べてがつがつ食べている。うーん。これはウイグル族にはかなりのプレッシャーのように見える。

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懐聖寺の門は開いていた。ウイグル人が開けてくれていたようだ。だが中へ入ろうとすると漢族の門番が急に出てきて『今日は入れない』と立ちはだかる。その口調には80年代に経験した、実に横柄な、融通のかけらもない、ぶっきらぼうな漢族が想起させられた。ウイグル族と漢族の間の問題、この辺が尾を引いているようだ。

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次はキリスト教の教会、聖心大教会へタクシーで向かう。何とも忙しい。気温がかなり上昇し、暑くて仕方がない。そろそろ体力が尽きてきた。教会内に駆け込む。ここは広州の観光スポットであり、若者が多く来ていた。中には短パン、ミニスカートを咎められ、ズボンを貸し与えられている者もいる。教会内は撮影禁止とあるが、皆構わずスマホで撮っている。前の方では説話が行われているが、どれだけの人が聞いているのか。

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福建・広東 大茶旅2016(12)広州の史跡

1015日(土)
広州の史跡

翌朝は広州の茶文化促進会の案内で、茶葉貿易の歴史的な場所を訪ねることになっていた。宿まで迎えに来てくれるというので、その前に朝ご飯を探しに行く。宿の近所には実はそれほどたくさんの食堂はなかった。仕方なく、包子を買って、持って帰って食べた。11.5元だから経済的ではある。

 

張さんが車で迎えに来てくれた。紹介された会長の黄さんは出張中とのことで、今日は彼女が相手をしてくれた。彼女は茶貿易の歴史に詳しかった。どこへ行くのかと思っていると、旧市内中心部、文化公園という場所だった。ここは何か関係あるのかと聞くと『この付近は昔広東十三行が店を開いていた場所だ』というのだ。そして今月1日にオープンしたばかりの広州十三行博物館に連れて行ってくれた。

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広東十三行、または広州十三行。それは歴史の授業で出てきた名前だ。清代、広州で貿易を管理するシステムであり、貨物の集散、関税の徴収などを行う指定業者、仲買商である。十三と言っても十三の業者や団体を指すわけではない。1757年に対外貿易が広東だけに制限され、外国企業に対する仲介機能を独占することで巨万の富を得た。だが、アヘンの扱いが多くなり、アヘン戦争前後に正規の取り扱が出来なくなると衰退していった。そんなことが展示物から読み取れる。

 

ここにはマカオの南湾が往時どんな様子だったか、そして地図には香港は書かれていないが、長州島は既に重要拠点として描かれているなど、興味深い内容が含まれていた。1856年には第2次アヘン戦争により、この付近は全て焼けてしまったことも分った。広東十三行は約100年間、隆盛を誇ったが、アヘン戦争で滅亡したことがわかる。だからこの付近には当時の建物は全く残っていないという。

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昼ごはんは飲茶。だがTさんが期待したような伝統的な庭園ではなく、普通のレストラン。広い店舗内はお客さんで一杯。お茶は紅茶を頼むと何も言わずに英徳の英紅9号が出てきた。広東省の紅茶だからだろうか。各テーブルには茶器が置かれており、勝手に淹れる。やはり広州で食べる点心は美味しいのだが、料金もどんどん上がっている。

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午後は黄埔古港を訪ねる。ここは旧市街からかなり離れている。先ほどの博物館で見ると、外国船の入港を手前で制限していたことによると思われる。まあペリーが浦賀に来ても、東京湾までは入れない、という感じだろうか。渋滞もあり、川沿いを約1時間近くかかって、目的地に到着。

 

高層ビル群を抜けて来た、その先には、古き良き広州が少し残っていた。道の両側に懐かしいような店が連なり、野菜やら鶏やらを売っている。ここはちょっとした観光地ではあるが、観光客向けなのか、地元民用なのか、判断に迷うような品ぞろえであった。恐らくはこういう雰囲気を残した観光地なのだろう。

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古港遺跡、博物館がある。スゥエーデンのことが多く展示されているのは、ここに寄港した船が沈没するという事故があったかららしい。往時福建から広州に運ばれたものの中に『紅茶』という表現があり、江蘇、浙江、江西などの茶葉は『緑茶』と表記されているのが面白い。やはり福建は紅茶の産地だったということか。1830年代、茶葉は全輸出の3分の2を占めていた。そしてアヘンの輸入も50%を超えていた。

 

古港遺蹟、という石碑がある場所まで行く。往時はここまで外国船が入ってきて、茶葉を積み込んだのだろう。だが、それにしてはあまりにも狭い空間だ。こんなところに大型船が来たのだろうか。それとも当時は小さな船で世界を渡って行ったのだろうか。今は観光船が渡し船のように運行されているだけ。なぜか犬がペットボトルを咥えて泳いでいる。小学生が団体で何かしている。

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それからこの付近を散策したが、ここでも昔の道や建物を改修して、観光地化しようとしていた。残念だが、中国ではどこの街でも同じような改修が行われていて個性がない。廟があったが、まるで公園のように、皆が憩っていた。どこかの従業員が商売繁盛を祈願しに来ているのが、滑稽だった。

 

そして最後に向かったのは南海神廟という場所だった。南海というから、隣の南海市にあるのかと思ったら、南の海という意味で広州の海が開かれるとき、ここに廟を建て、安全を祈願したらしい。だがその眼の前には、何と発電所が建っていた。神をも恐れぬ仕業、さすが今の中国は違う。

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宋、元、明、清の4代に渡り、王朝が変わるごとに、皇帝がここに特使を派遣して、石碑が建てられたというからすごい。こんな南の果ての廟をなぜこれほど大切にしたのだろうか。そして今は、なぜお参りする人もなく、冷遇されているのだろうか。案内してくれた張さんも『この廟の大切さを知ってほしい』と連れてきてくれた。茶葉貿易の時代、ここに商人はお参りに来たのだろうか。関帝廟もあるからきっと沢山の商人で栄えたことだろう。

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広州市内に戻る間に、あたりは暗くなった。Tさんは橋の夜景を撮ると言って降りていく。私も沙面の租界を見ておこうと車を降りた。だが8年前に行ったことがある沙面への行き方が全く分からずに、道に迷う。ようやくたどり着いたが、意外と暗くて、古い建物の写真もうまく撮れずに、そのまま宿へ帰った。

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