「茶旅」カテゴリーアーカイブ

関西茶旅2024(4)

話に夢中になって、琵琶湖の夕陽を写真に収めることも出来なかった。既に周辺は真っ暗になっている。さっきスコーンなど美味しいものを一杯食べたのだが、また夕飯を食べようとしている。このホテル内にあるイタリアンが美味しいというので、軽くパスタでもとKさんに連れられて行く。いや、このパスタ、実に本格的で、すぐに完食してしまうほど美味しかった。お客さんも多く、皆さんディナーを楽しんでいる。

チェックインして部屋に入る。実にシンプルだが居心地の良い空間があり、寝心地もよさそうだ。屋上にある大浴場に向かった。一日の疲れを癒すのにふさわしいお風呂だった。まさかこんなに盛り沢山の1日になるとは、Kさんには感謝しかない。

3月15日(金)長浜散歩

翌朝は早く目覚めた。窓から琵琶湖に昇る朝日が見える。何とも素晴らしい光景だった。朝ご飯も宿で食べる。こちらの食事、何とも豪勢で驚く。しかも一品一品の精度が高い。これで琵琶湖を眺めながら、ゆったりと食べられるとは何とも贅沢。多くのお客さんはこれを目当てにここに泊まっているのかもしれない。

外に出ると目の前に竹生島行きフェリー乗り場があり、ちょうど出航直前で人が多くいた。もし時間が許せば行ってみたかったが、取り敢えず今回は琵琶湖畔を散歩する。ちょうど目標物として、大仏が見えている。昨日電車からも見えたので行ってみる。良疇寺という鎌倉時代の執権北条時頼とゆかりのてらにそれはあった。高さ28mは大きい。寺の庭もなかなか良い。

そこから街の方へ北国街道を北上する。天満宮に犬塚があるのはなぜだろうか。ずっと行くと旧長浜港跡まで来る。そこに昨日の慶雲館があったが、今日も閉まっていた。向かいの旧長浜駅舎は見学できたので入ってみる。昨日Kさんから渡された観光カードで入れた。古い駅舎の雰囲気も良かったが、何といってもこの鉄道が、日本で有数に早く敷かれたという歴史に興味が沸く。明治初期この地は極めて重要な場所だった。SLなどの展示もあり、かなり楽しめる内容だった。

フラフラ歩いて行くと、駅前には秀吉と石田三成の像がある。三成もこの付近の出身なのだ。その向こうには秀吉関連の石碑があり、更には加藤清正が建立した豊国神社がある。確かに長浜の歴史は秀吉から始まっているのかもしれない。宿まで歩いて戻る中も、歴史的な場所にいくつも出会い、歴史好きには堪らない長浜であった。

お昼に宿で長浜城学芸員のO先生とお会いした。これもKさんのお計らいで感謝。宿の和食レストランのクオリティーが高く、実に素晴らしい。O先生には長浜とお茶、ということで聞いてみたが、はっきり残るものは少ないようだった。ただ細かくは色々とあり、とても楽しい時間だった。ちょうど再来年の大河ドラマが豊臣小一郎に決まったことで、きっと先生もお忙しくなるだろう。

午後はKさんと長浜城へ。立派なお城だった。琵琶湖畔にもその遺構が残り、秀吉像も建っている。城の中の展示を見ていると、三成だけでなく、脇坂、田中吉政、小堀遠州などの出生地がこの近くであり、秀吉が自らの家臣団をこの地で築き上げた様子が良く分かる。やはり現地で展示を見ることは重要だ。城の上から長浜を眺めると、その地形も良く分かった。

今回はすっかりKさんにお世話になってしまった。最後も駅まで車で送ってもらい、駅横のスーパーで名物『サラダパン』を買った。何とコッペパンの中にたくあんが入っているらしい。これはこの地の発酵文化と何らかの関連があるのだろうか。鮒ずしなどもこの地が有名だ。

長浜に別れを告げて、電車で米原まで行く。そこでこだま号に乗り換えて名古屋まで進む。思ったより乗客が多く、自由席はかなり埋まっていた。そして名古屋のホームでは恒例のきしめんを食べて夕飯とする。今回の旅は長かったが、思わぬ収穫はかなりあった。また再び日本旅に出る日を待とう。

関西茶旅2024(3)初めての長浜でアフタヌーンティー

お茶を運んできた方が突然『もう少ししたらM先生が来られます』と告げた。え、M先生とは地下1階で待ち合わせているのだが?そしてこの人は私が誰か知っている。何と以前大阪でM先生主催のセミナーに参加されており、私の拙いお話を聞いて頂いていたというので、驚いた。お茶界隈では悪いことは出来ない。

M先生が登場し、Kさんと3人でランチの場所へ移動した。そこは地下鉄に乗って何駅か行き、歩いて10分ぐらいのところ。点心工房と書かれており、いわゆる飲茶のお店かなと入ってみると、何と立派な豚バラ肉の豆豉ご飯が出てきてビックリ。点心とスープも美味しいぞ。これはクオリティーの高いランチだった。3人でデザートを頂きながら、台湾茶を飲み、お茶話に耽る。これまた楽しい時間だった。

3月14日(木)初めての長浜で

朝はすっきり目覚めた。天気も良い。地下鉄で梅田へ行き、そこから大阪駅を探す。何とかJRに乗り込んだが、予定していた列車より早いものだとまた気づく。まあ何とか座れたので草津まで行き、次の列車を待つ。本日の目的地、長浜は米原から分かれており、そちらに向かう本数は、東海道線に比べて少ない。

結局予定通りの列車に運ばれ、長浜に着いた。長浜は以前通り過ぎた時に気になっていたが、降りるのは初めて。今回は紅茶界で有名なKさんのお誘いを受けて、訪ねてみた。駅まで迎えに来て頂き、誠に恐縮。奥様の運転する車に荷物を預けて、Kさんと長浜の街を歩き始めた。

まず目に飛び込んできたのは、長浜の迎賓館、慶雲館。だがそこは休館中で拝見できず。その向かいの『日本で一番古い駅舎 旧長浜駅』にも惹かれたが、後で時間があったら行こう、と素通りする。そこからするすると街へ入っていく。古い木造家屋もあり、また蔵を改造した店舗もあり、不思議な洋風建築まであり、何とも楽しい街歩きだ。

北国街道、などという言葉が見えてくると、もう戦国末期の気分になる。長浜で最初の城持ちとなった秀吉、賤ケ岳の戦いで対峙した柴田勝家など、様々な歴史がそこにあり、脳裏に焼き付く記憶が蘇ってくる。いい感じの形のお寺があり、『浅井の小谷城落城後、この地に移された』とある。浅井も重要人物だ。

ランチに連れて行ってもらったのは、ご当地名物のっぺいうどん。あんかけうどんのあんかけはどこから来たのだろうか。何となく中国風な雰囲気もある。椎茸がデカい。鯖寿司なども美味しい。このお店がまた雰囲気がある。常に混んでいるようで、その人気のほどが良く分かる。

食後は素敵なお店の中を見学。更におしゃれなカフェもある。さすが商人の街長浜。よくこんなに残っているものだ。曳山博物館で曳山や長浜の歴史をゆっくり見ていると、何となくこの街に住みたくなる。その後は街から抜け出し、琵琶湖畔にある本日お宿へ向かう。久しぶりの琵琶湖。

午後は何とも優雅なアフタヌーンティーを、Kさんの特別な紅茶で頂く。恐らくKさんの多くのファンに羨ましがられる特別待遇で、恐縮至極。しかもティールームからは琵琶湖の眺めがよく、殊に夕日が美しい。紅茶の様々なお話も実に興味深く、ことのほかオリジナルブレンド紅茶が美味しい。ここにはお茶関係の本も置かれており、ひがなここで読書しているお客さんもいるとか。

夕方もぐさ製造会社の社長が来られ、面白いお話をたくさん聞く。針灸は中国で興ったが、現在もぐさは日本製が一番だとか。社長も北京などに何度も行っており、中国との交流も盛んだというが、中国では日本ほど良質のもぐさは出来ないと聞くと、えー、と思ってしまう。鍼灸の世界も実に奥が深そうだ。そういえば、さっき長浜の街歩きをしていたら、せんねん灸のお店があったことを思い出す。私も東洋医学を信じている。

関西茶旅2024(2)初めての新農生活

ここに来た理由、それはXさんに会うためだった。実は彼女のお父さんと先日天津で会い、娘さんが京都で就職したと聞いたのでちょっと会いに来たのだ。頼まれてはいないが、お父さんも願っていたようだ。彼女とは大学1年生の時東京で1度あっただけだったが、当たり前だが随分と大人になっていた。

何と就職先はお茶関係だという。このミュージアムのカフェも、その会社が手掛けているらしい。お菓子とほうじ茶が美味しく、まったりと話す。日本で働いていてくれること、お茶が好きなことなど、嬉しい話題が続いて行く。どこかで何らかの力になりたいが、その機会はあるだろうか。

彼女と一緒に宇治橋まで戻る。その径はなかなか風情があってよい。橋の袂には紫式部の像があったが、これまた初めて見た。雨は止んでいたので、帰りは京阪を止めてJRにしてみた。京都で乗り換えようとしたら、何だか電車が遅れており、1つ前の電車に乗ってしまった。だがこれは鈍行、途中で快速に抜かれた。それでも山崎などという地名を見ると何となく嬉しい。

新大阪で荷物を拾い、心斎橋まで行き、今日の宿に入った。アパとあまり料金が変わらないのに、あまりにも違う部屋の古さ。ここもルートイン系に吸収されたらしいが、リノベが出来ておらず、残念な感じだった。無理して部屋を動かなければよかったと後悔したが、先に立たず。部屋で相撲を見る。

夕飯を探しに外へ出た。が、意外と良さそうな店がない。オフィス街だからだろうか。地下に潜ると店が結構あり、その中の一つに入って焼き魚を頼んだ。だが、注文したものはなかなか出て来ない。普通のサラリーマンはまずはつまみで一杯やってから、定食を食べるのだろう。その時間をわざと空けているのだろうか。鶏皮を頼んだらすぐ来たのはそのせいか。何だかサックと食べられなかったので消化不良に終わる。

3月13日(水)新農生活でお茶を

何となく朝を食べる気が無く、ブラブラしてから天王寺に向かう。10時少し前に到着すると、近鉄百貨店の地下入り口にお客が開店を待っている。あべのハルカス、名前だけは何度も聞いていたが、初めて来た。大きな施設でちょっと戸惑うが、なんとか10階まで辿り着く。

そこにあるのが新農生活。ここには台湾関連の食品、雑貨などが売られており、台湾まで行かなくても台湾が買える場所になっている。埔里米粉から大同電鍋まで、すごい数の物が並んでいる。勿論お茶も何種類かある。そしてその横には食べ物コーナーもあり、牛肉麺などがメニューにある。1320円、高いのかなと思ったが、今や1台湾元=5円の時代。台湾でもちょっといい牛肉麺は250元ぐらいするから、同じぐらいか(開店前で食べておらず、クオリティーは不明)。

その向かいに台湾茶のお店があった。ここには喫茶コーナーもあるようだったが、開店は11時から。今日はここで烏龍茶の歴史を研究しているKさんと待ち合わせたので、取り敢えず開店まで椅子に座って話を始める。近年彼女の活躍により、国産烏龍茶への認識も高まり、また藤江勝太郎の認知度もかなり上がっている。何とも有難い人だ。

店が開いて、鉄観音茶を飲みながらお茶話に花を咲かせる。私が昔書いた物には、間違いも多く、修正が必要なものばかりだが、彼女は研究者の視点からそれを的確に指摘してくれるので、なんとも勉強になる。ただ文献ありき、根拠の明示が必須の世界には、息苦しさもあるようで、私の活動の自由さは、自分では心地よい。

関西茶旅2024(1)宇治へ

《関西茶旅2024》  2024年3月11₋15日

佐賀から始まった今回の旅は、九州を離れ、関西に場所を移した。ここでも何かあるのだろうか。

3月11日(月)アパホテルに泊まる

新大阪駅に着いたのは夜8時頃。今晩は駅近くのアパホテルを予約していた。駅近くといっても新大阪の駅は広く細長く、新幹線ホームからその宿まで歩いて10分以上かかった。一番近い出口からは2₋3分なので駅近に嘘はない。宿へ入ろうとすると、栃木県の有名高校(私も一応受験したことがある)の名前が書かれていた。甲子園球児もこんな宿に泊まる時代なんだな。

フロントはかなりきれい。外国人観光客が大勢いるようだ。部屋も思ったよりはるかにきれいだ。これは佐賀で経験したのとほぼ同じだった。これで1泊5900円なら安い、と言わざるを得ない。そして何とここには大浴場まであった。エレベーターに乗り込むとアメリカから来た白人おじさん3人が楽しそうに浴衣を着て浴場に向かっていく。彼らにとっては円安もあり、ものすごく安い宿なのだろう。ウキウキになるのも当然だ。夕飯は既に新幹線内で弁当を食べていたので、風呂に入ってすぐに就寝となる。

3月12日(火)

宇治へ

今朝は雨だった。部屋が快適だったので、何もせずボーっとテレビを点けて過ごしてしまった。チェックアウト時間が11時というのも有難い。チェックアウトして荷物を預けようとすると、チェックインもそうだったが、これもまた全てQRコード処理になっている。荷物の取り出しもQRということだ。マジで進んでいる。

凄い雨だったが、宿は傘も貸してくれる。僅か3分の道を濡れながら何とか駅まで辿り着く。少し時間があったので駅の地下へ行くと、何とも言えない雰囲気の店があった。牛すじモツ丼とうどん定食、が目に飛び込み、さっと店に飛び込んでしまう。夜は居酒屋なのだろうか。だが注文はパネルであり、このあたりのアンバランスさがまたよい。まあ何となく雰囲気だけ、大阪を味わう。

地下鉄で淀屋橋まで行き、そこから京阪に乗る。今日は宇治へ行くのだが、京阪の方が便利のようだったので、数年ぶりに利用した。だが全く覚えておらず、特急に乗り込むのも一苦労だ。雨のせいか乗客は多くはない。途中中書島という駅で乗り換える。この辺にも興味深そうな場所がいくつかあるのが分かったので、今度は降りてみてみようと思う。

宇治線で宇治まで行く。何となく始発から終点まで乗った気分になれる。駅を出ると宇治川が見える。宇治橋は幾多の合戦の舞台になっている。これまで宇治には何度も来たが、そんな風に見ることはなかった。本日は源氏物語ミュージアムを訪ねる。ここも昔からあったらしいが、初めての場所。現在大河ドラマをやっているので、来場者は例年より多いに違いない。

約束より少し早く着いたので、立派なミュージアムの中をサラッと見学した。源氏物語、当然ながら全部読んだ記憶はない。かなり部分部分の記憶だけであり、また登場人物が多過ぎてその把握も殆ど出来ていない。それでも展示は分かりやすく、ある部分の記憶を呼び覚ましてくれた。紫式部は宇治に来たのだろうか?宇治十帖とは?もし何かを調べようとしたら膨大な作業となるのだろう。私の人生はそんなには長くない。

佐賀・福岡茶旅2024(7)なぜか山口 重源の旅

3月11日(月)山口へ

翌朝はさわやかに目覚めた。疲れてはいても、腹が減る。こういう時は前回も行った資さんうどんへ直行した。朝はそれほど人が無い。何と従業員もいない(奥にはいたが)。席に勝手に着き、勝手にパネルにインプットしてでオーダーし、黙々と食べる。そして支払いも機械で行うため、何と全く人に会わなかった。これまた日本では、驚きの光景。

午前9時にUさんが迎えに来てくれた。先月東京で偶々会った時に、山口に行こう、という話になり、ここでピックアップされたわけだ。南アジアが専門のM先生が同乗していた。楽しい3人旅で、車は関門海峡方面へ向かう。この辺の表示は分かり難かったが、いつの間にか山口県に入っていた。

途中王司のSAに寄ると、どら焼きが売っている。巌流焼きとある。さすが山口。そこから40分ほど行き、ランチの場所に着く。何だか繁盛している定食屋さんだったが、我々は美味しそうな定食を無視して茶粥を注文する。これがかなり旨い。店の名前はばんちゃ屋で、元々はお茶屋さんだったらしい。今でも茶の卸しはしているとか。

そこから1時間ほど走り、徳地という場所へやってきた。なぜここに来たのかといえば、Uさんが『東大寺再建に奔走した重源がここから木材を切り出して奈良へ送った。この付近にはかなり古いお茶の木があるので、鎌倉初期と関連があるのでは』との話からだった。確かに興味深い。重源といえば、栄西と一緒に宋から戻ってきている(栄西の1回目)ので、茶を持ち帰った可能性など色々と考えたい。因みに近くにある『重源の里』は改修中で今年の年末まで開かないらしい。

その地域は実に穏やかな里だった。石垣などに茶が顔を出している。花と茶、自然がまさに共生している雰囲気が良い。この辺にも勿論重源の伝説は残っており、800年前とあまり変わらないのではとさえ思える、自然な風景に癒される。ほぼ人影はなかったが、偶々農作業をしている老夫婦に話しを聞く。本当に過疎の村だった。

それから佐波川のほとりに重源上人像と顕彰碑を見る。木材切り出しで貢献があったのだから、川沿いに像があるのは自然なことだが、やはりかなり新しい。更に対岸に渡り、岸見の石風呂を見学する。ここは往時、重源が作業員のために作ったらしい。けが人や病人などが入ったのだろう。

そこを管理している人とちょうど出会い、何と中を見せてもらった。800年間現役で、今も月に1回、入ることが出来るらしい(文化財指定がされているのに)。石風呂に入り、外で焼肉などをする人もいるとか。尚先日NHKの取材が入ったともいう。ローカル番組かと思ったら、私が常に見ている『英雄たちの選択』だというから驚く。重源が取り上げられるらしい。これはいつか見なければと思う。

そして新幹線の徳山駅まで送ってもらった。今回の山口はほんの少しだけだったが、またまた興味深い内容だった。新幹線まで少し時間があったが、何と駅に図書館が併設されているので、時間つぶしには困らなかった。こういうのは本当に有り難い。中で本を読んでいる人、カフェでお茶している人など、様々な利用が可能となっている。新幹線がやってくるまで十分に寛いだ。そして「さくら」が2時間もかからずに、新大阪まで運んでくれた。

佐賀・福岡茶旅2024(6)柳川から博多へ

トイレを済ませるともう戻る気にはなれず、立花邸の裏に回って歩く。そこからは邸宅の様子が少しだけ見え、声が聞こえてくる。披露宴の最中、という感じだ。そこから柳川城跡へ向かう。学校の敷地になっているのだろうか。小山になっているところが城だった。更に歩くと旧戸島家住宅といういい感じの古民家が見える。また街へ入るとこの地で『さげもん』と呼ばれている飾りが沢山あった。そこからバスが出ていたのだが気が付かず、別のバス停まで歩き、何とか駅前へ戻る。

宿にチェックインして休む。最近はすぐに疲れてしまう。テレビではWOWOWが映り、アメリカ女子ゴルフツアーが見られる。上海でやっているので、この時間がライブ中継だった。ボッーとみていると日が暮れていく。昼のカレーで腹が一杯だったので、麺でも軽く食べようと思い、外へ出てみた。

立花うどんという店がある。店に入ると何ともいい匂いがした。凄く混んでいて驚く。何とか席を確保して肉ごぼてんうどん+まぜめし、という名物を注文する。つゆはかなり甘いのだが、何とも私向きの味で、嬉しい。まぜめしと合わせて食べると確かにいい感じだ。私のすぐ後にはもう、ごぼてんは売り切れていた。ご当地グルメを堪能する。

3月10日(日)柳川から博多へ

今日も朝ご飯を宿で食べる。特にここのめしは美味かったので、沢山食べてしまう。かなり疲れてはいたが、散歩に出る。近所の三柱神社に参拝。この辺が舟遊びの船に乗る起点のようだ。私はじっと船に乗っているのは難しいのでパスする。神社内にはなんと安東省菴の顕彰碑がある。

安東といえば、江戸初期に長崎にやってきた明の朱瞬水をサポートしたことでその名を聞いていたが、こういう人が柳川から出ているのか。気になったので、安東省菴の墓を訪ねてみると、そこには水戸光圀、朱瞬水が3つの巨石という形で置かれていた。この辺の歴史については、いつかもう一度見てみたいと思う。

後は古いお寺、蔵などの街並みを見ながら散歩に勤しんだが、だいぶん暑くなってきたので、途中で止めた。荷物を取って駅へ行き、西鉄を待つ。特急だと僅か40分ほどで天神まで行けるらしい。福岡県も広いと思っていたが、意外と近い。薬院で降りて電車を乗り換えた。前回乗った新しい路線で、櫛田神社前へ行く。前回も泊まった宿に荷物を置き、腹が減ったので食堂を探す。

残念ながら目当ての食堂は午後2時でも長蛇の列。仕方なく住吉神社をフラフラしてから戻る途中、ちょうど席があったえびすやうどんに入る。隣のおじさんが美味しそうにかつ丼を食べていたので、私も頼んでしまったが、何とそのおじさんは更にぶっかけカルビうどんも食べている。私の素うどんが寂しい。外へ出るとさっきは待ちが無かったのに、10人ほどが待っていて人気店だと分かる。やっぱり博多もうどんだな。

帰りに櫛田神社にも行く。ここに来たのは何年ぶりだろうか。外国人観光客が非常に多い。何だか桜がきれいに咲いている。横の細い道も何となく風情がある。宿へ行き、部屋に入ると、もう完全に疲れた。ベッドに横になり、仮眠をとるつもりが本格的に寝入ってしまった。何と夕飯に出る元気も無くなっていた。

佐賀・福岡茶旅2024(5)佐賀をフラフラ、そして初めての柳川へ

昼を過ぎていたので、慌てて近所の食堂を検索したら、何と県庁の地下に案内された。既にランチは売り切れていたが、何とかハンバーグの食事にはありつく。昔の社員食堂をちょっと思い出したが、今やだれでも利用できる場所。役所の打ち合わせの人々が場所を取り、会議の準備を始める。

午後もフラフラとする。佐賀の街をこんなにゆっくりと歩いたことはない。県庁の裏から佐賀城を目指す。二の丸跡へ来ると、鍋島直正の立派な像が聳え立つ。天気が良いので映える。その横の門から中に入ると、本丸歴史資料館があった。何と入場無料。靴を脱いで上がると、思ったよりはるかに素晴らしい展示の数々。幕末のパリ万博に佐野常民を団長に、野中元右衛門らが参加した話などもちゃんと展示されている。素晴らしい。

そこから堀沿いを歩くと、副島種臣生誕地の碑が建っている。更に歩いて行くと龍造寺隆信、大木喬任などの生誕記念碑、官軍墓地などが次々に現れる。佐賀市内は歴史散歩に適している。長崎街道は何度か歩いているが、やはり楽しい。今回はシュガーロードとの関連にも関心を持つ。そしてOさんのお店まで行き、お茶を買って帰る。

夕飯はカレー専門店と書かれた店でロースカツカレーを食べる。本当は佐賀牛カレーを食べるつもりで入ったのだが、何だかロースカツが食べたい気分になる。何とも分量が多くて、腹が特大に膨れた。店で食べている人よりデリバーの方が頻繁に出入りしている。今時はこんなものだろうか。

3月9日(土)柳川へ

朝ご飯を食べて、駅でぼうろを買って、バスターミナルへ横移動。今日は柳川へ行ってみる。何と電車で行くとかなりの回り道になり、逆にバスだと1本で簡単に着くらしい。バスに乗ると、どうやら先日降りた佐賀空港の近くなのだと分かる。完全なローカルバスで、観光客などいない。

ローカルな道を約1時間走り、柳川駅に着いた。予約した宿に荷物を置き、観光案内所で地図を貰い、だいたいの観光地を把握した。そして初めての柳川を歩きだす。すぐ川が流れており、舟遊びの観光客を乗せて走っていく。まだ寒い時期だとは思うが、今日は日差しが暖かい。船頭さんの声がいい。

川沿いに公文書館があった。お雛様を飾っているというので中に入ると、ふときいてみたいことが出来た。係の人に聞いてみたが、よく分からないとのことで、上司の人まで出てきて説明してくれた。突然なのに、この対応は実に有り難い。もう少し勉強してから来れば、もっと聞けたかもしれない。

川沿いを歩いて行くと、田中吉政という名が出て来る。柳川の武将といえば立花宗茂だが、その後は田中吉政がここを築いたらしい。関ケ原の戦い後、石田三成を捕らえたのはこの吉政だったらしい。立派な像も建っている。日吉神社まで来ると、大きなおかめに迎えられた。婚礼用の写真を和装で撮るカップルが初々しい。

柳川の古い町並みを残すエリアに入ると、北原白秋の生家など古い建物が多く残されており、土曜日ということもあり、観光客が多い。私は観光案内所で聞いた柳川のグルメ、和牛ステーキのせカレーを食べるために、清柳食堂へ向かった。ここは有名店らしく、観光客も多く、お店の人も慣れた感じの案内だった。牛すじを煮込んだカレー、かなり濃厚で旨い。

柳川藩主立花邸(御花)に行ってみる。かなりいい感じの洋風建築で、中を見学するのが楽しみだったが、何と今日は結婚式使用のため、入ることは出来ないという。週末で観光客が多い時に、いや週末は結婚式も多いだろうから、かなりの確率で見学不可なのだろう。何となく納得できない感がある。そして何よりトイレは中にしかなく、入れない。何と1㎞も離れた観光案内所まで行かないとトイレにも入れないとは。観光地でこれはないだろう、と驚いた。

佐賀・福岡茶旅2024(4)ついに吉野ケ里遺跡へ

吉野ケ里歴史公園、かなり広い敷地だ。川を渡って集落の入り口を入る。ほぼ復元されているものだけが残っているらしいが、木柵が気分を揚げる。そして先日25年ぶりに行った青森三内丸山遺跡を思い出す。まずは遺跡展示室に入り、ここの概要を掴む。弥生時代最大の環濠集落、というだけではないようだ。観光客は多くはないので、ゆったりとみられる。

広い敷地内をフラフラと歩いて行く。時々ガイドさんが観光客に説明している場面に出くわしたが、私が欲しているようなお話は出て来ない。弥生時代、ここでは酒や絹織物が作られていたようだ。当然ながら茶の痕跡などは全く見られない。住居から祭りごとの中心地へ移動していく。

一時はここが邪馬台国かと騒がれたところ。司祭者が重要な決定を行う場などは、我々が教えられてきた卑弥呼の姿を彷彿とさせる。更に歩いて行くと、甕棺墓と呼ばれる墓場があった。ここからは往時の物がそのまま出てきているらしい。吉野ケ里唯一の現物と言っていた。それが納められ、復元されている展示館があった。さすがにここは迫力がある。

それから森の中を少し歩き、広い広い曠野?を歩いて行く。この辺はまだまだ発掘調査などがされていない場所が多くありそうだ。最後に南側の集落を歩き、その先の展示室を少し覗いて、見学を終了する。ここまでほぼ休むことなく約3時間半、サラッと見てもこれだけ時間が掛かるので、ちゃんと見ると本当に2日は掛かるかもしれない。古代のロマンをどれだけ感じられただろうか?

また駅まで戻り、電車で佐賀駅へ。ここで初めて腹が減ったと気が付く。駅にこれまで気が付かなかったうどん屋があったので、入ってみる。午後3時前なのに、お客が意外といる。ゴボてんうどんとお稲荷さんを頼んだが、味はまあまあかな。そこから今日の宿に行き、チェックインする。これまで定宿として使ってきたが、昨日のアパと比べて、かなり見劣りする。

さっきうどんを食べたのに、また物足りなくなって、夕方定食屋を探してみる。するとお食事処があったので入ってみると、なかなか立派な夕飯が出てきて驚く。これは定食というより、お刺身御膳だろうか。さしみも分厚いし、魚のカマ焼きの塩加減も絶妙だ。味噌汁もうまい。まあいいお値段で私には贅沢な夕食だが、偶にはこういう経験も良い。

3月8日(金)佐賀をぶらつく

朝ご飯を宿で食べて、すぐに散歩に出た。街中には、数年前の維新博の時に作られた偉人たちの像がいくつも置かれている。歩いていると龍造寺八幡宮という文字に引かれて寄り道する。横から入っていくと、何と義祭同盟の記念碑が建っている。この同盟には幕末維新の佐賀藩を支えた江藤新平、大隈重信、副島種臣らが参加していた。八幡宮の鳥居は石造りで古めかしい。その先の太鼓橋もやはり古めかしい。その横にはなぜか楠木神社もある。

ずっと歩いて行くと鍋島家の徴古館があった。今は博物館のようになっているが、その建物はなかなか良い。川を渡ると、そこには図書館がある。この建物も古めかしい。2階へ上がるのも、現代の造りとは違っていて面白い。ここで佐賀県の茶業史を探す。親切に色々と資料を出してくれたので、思っていたより時間をかけて眺める。嬉野茶の歴史以外にも色々と参考になる資料が見付かった。

佐賀・福岡茶旅2024(3)嬉野と彼杵

そしてその明治初期の紅茶史を求めて、式浪村という場所へ行ってみる。1873年のオーストリア万博にこの村の山口という人による紅茶の報告書があるというのだ。しかし何の手掛かりもなく、ちょうど山口製茶園があったので、そこに入って聞いてみるも、その歴史については何も分からなかった。もう150年も前の話しだから、分かる方が珍しい。

嬉野の大茶樹にも行ってみる。ここは9年前に来ていたが、冬で誰もいないせいか、400年を越える老茶樹も元気がないように見えた。この茶樹が植えられた頃に茶業に尽力した吉村新兵衛という武士の記念碑が近くにあるというので、そこを訪ねてみたが、何とかなり急な坂道で、あわや転げ落ちそうになりながら、何とか辿り着く。これだと一般の人は、とても登っては来ないだろう。

そこから30分、山を越えると長崎県だった。彼杵茶は近年コンテストで連続受賞するなど有名になりつつあるが、こちらも早い時期に紅茶生産があったのではないか、ということで訪ねてみる。東彼杵町歴史民俗資料館へ行くと、古民家が建っており、雛飾りなどが鮮やかだった。資料館へ入ると、茶業についても展示もあったが、その開始時期は明治中期以降とそれほど早くはなく、また期待したような展示には出会わなかった。

ランチは資料館の敷地内にあった店で、『クジラ炊き込みご飯と団子汁』を頂く。彼杵ではクジラが名物なのだろうか。我々が行った後すぐに売り切れになっていた。長崎街道を大村の方へ走っていく。老舗茶舗があるとのことだったが、既にやっている様子はなかった。図書館を目指すべきだったのかもしれないが、残念ながら本日の調査はここで終了となり、一路佐賀市を目指して引き返す。

佐賀駅まで送ってもらい、珍しくアパホテルに入る。6₋7年前に使った時はあまり良い印象はなかったが、部屋もリノベされ、フロントも実に親切で好感度が爆上りした。飲み物を買おうと、駅周辺へ行くと、駅もきれいになっており、その横にスーパーも出来ていた。そこで寿司を買って持ち帰ったのだが、何と入れたはずの醤油が見当たらず、醤油を全くつけずに食べた。それはちょっと新鮮でよかった。

3月7日(木)ついに吉野ケ里遺跡へ

これまで何度も佐賀には来ていた。電車に乗ると吉野ケ里という名前の駅があることも知っていた。だが、何故かこれまで一度も吉野ケ里遺跡を訪れたことはなかった。雨が降っているとか、急に予定が変更になったとか、色々と理由はあるが、要はどうしても行きたいとは思っていなかった可能性がある。

JR長崎本線で佐賀駅から3つ、吉野ヶ里公園駅で降りる。そこから歩くと1㎞ぐらいあると聞いていたが、きちんと表示があり、途中に気分を盛り上げる物もあり、あっという間に門まで着いた。チケットを買おうと見ると、何と2日券が売られている。ここに2日続けてきて見学する人はどんな人なのだろうか。アンコールワットのように1日ではすべては見切れない遺跡なのだろうか。興味津々となり、入場する。

佐賀・福岡茶旅2024(2)古湯温泉で読書三昧

夕方になり、古湯温泉にやってきた。ここには森平太郎の別荘があったというが、今や掲示板一枚だけで、建物などはなかった。本日はこの古湯温泉に泊まる。Oさんから教えてもらった不思議な宿に行った。何と客は1日1組限定、というわけで今晩は私一人だけ。そして古民家の畳部屋や廊下などには、何と本好きが選んだ一人20冊の本が70人分置かれていた。

しかもその本の後ろには、選者のコメントや順位なども表示されていて、実に面白い。思わず眺めてみると、私と同年代の方が選んであろう本は実に懐かしく、すぐ手に取ってしまった。更にはちょうどテレビドラマでやっている『舟を編む』があったので、つい手を出してしまい、結果一晩で読むことになった。畳の部屋にはこたつがあり、エアコンにヒーターまで完備されており、お茶も飲み放題だから、もうこれ以上の環境はない。ここに来る客は比較的若い層(20‐30代、男女両方、一人客も多い)らしい。決して安い訳ではないが、自分だけの落ちける空間を求めてくるのだろうか。

取り敢えず暗くなる前に温泉へ向かう。この家には風呂はないので、近所の温泉に入ることになる。古湯温泉の湯は極めてぬるい。だからいつまでも入っていられて、気持ちが良い。宿のオーナーも『本を読みながらゆったり入れる温泉』をテーマに全国を探して、ここに場所を得たらしい。近所の老人たちと一緒に入る。

部屋に戻ってまた本をめくり始めると、夕飯が届けられる。お弁当形式だが、ご飯とみそ汁は作りたてで美味しい。おかずも豊富で、思わずご飯をお替りしてしまう。食後は文机でゆっくりする。文豪気取りでニタニタしている自分がいるのが分かるような、楽しい時間が過ぎていく。

お茶を飲み終えると、また本に向かうのだ。自分にこんなに集中力があったとは、と感心するのだが、これも環境の成せる業だろう。何と合計8時間ほど本を読み耽り、気が付くと夜中になっていた。隣の部屋に敷かれた布団に潜り込み、この空気を独り占めしながら、まるで中学生のような気分の中で寝入った。

3月6日(水)嬉野・彼杵へ

翌朝は早く目覚めてしまう。散歩に出ると、こじんまりした温泉街は小雨に濡れていた。古めかしい神社の石段は、滑って登れそうもない。こんな時に仕事の用があり、郵便ポストを探して投函する。昔の温泉旅だ。部屋に戻ると『ザ・日本の朝ごはん』が運ばれてきて、またウキウキしながら食べる。勿論それなりのコストはかかるが、たまにはこんな宿に泊まって、自分だけの時間をゆっくりと過ごしたいものだ。

Oさんが迎えに来てくれ、名残惜しい宿と別れた。そしてまた森平太郎探索に戻った。佐賀に戻る途中にあった実相院というお寺。そこの急な石段を整備したのが森だったらしい。記念碑もあったのかもしれないが、文字が判別できず断念する。それにしてもなかなか雰囲気のあるお寺だった。

そこから嬉野へ向かった。実はOさんと初めて会った9年前、嬉野へ連れて行ってもらった。それ以来だった。前回はなかった、うれしの茶交流館「チャオシル」に行く。ここに嬉野茶の歴史に関する展示があり、大変興味深い内容を見ることが出来た。嬉野紅茶は明治初期からあったのか、また江戸時代オランダは日本茶を輸出していなかったのか、など、の疑問にヒントを与えてくれていた。更にその出典について聞いてみると、既に亡くなった郷土史家の先生直筆のノートが保存されており、そこから様々な考察が出来た。実に貴重な資料を見せて頂き、感謝しかない。