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チェンマイゆる旅2014(5)土のゆるカフェで和む

11月14日(金)

チャイナタウン

翌朝も早く起きて、朝食を食べることに。昨日と同じでは面白くないので、外へ出て食べるところを探す。この辺の路地を歩いていると、小さなゲストハウスやカフェがいくつも見える。何となく雰囲気のよさそうな1軒に入る。欧米人が朝食を求めて入ってくる。やはりチェンマイの朝はカフェの朝食が良いのだろうか。

 

今回は90バーツで、トースト、卵、ソーセージとコーヒー。ボリュームは昨日ほどないが、満足。私は皆が食べているところから一人離れて、席に着く。ここだと声も聞こえないし、良い。だがウエーターがなかなか来ないので困る。ウエーターはオカマ君、如何にもタイらしい。

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そのまま歩いて散歩する。チェンマイにもチャイナタウンがあるというので行ってみた。宿から近い河沿いのワローロット市場、そこには如何にもチャイナタウンという門があり、活気のある昔ながらの市場があった。この付近には漢字の看板も目立ち、華人を中心に商業で発展したということを示している。

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古い市場を中心に路地には雑貨や建材などの問屋が並んでいる。昔はビン川を使って、物流が行われていたのだろう。それほどきれいな店はないが、ベンツなどの高級車が停まっているのを見ると、やはり華人らしいと思ってしまう。華人にとっての商売の神様、関帝廟もあるというので探してみたが、見つけることはできなかった。

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チェンマイあたりはバンコックと違って色の白い人が多いように思える。華人なのか、中国で言うタイ族なのかよく分からないが、明らかに色の黒いタイ人とは違うように思われる。タイという国は北と東北、そしてバンコック付近と南部、の連邦のようである。決して単純に一つの民族で成り立っている訳ではない、と改めて感じる。と同時にどこの街でも商業の実権は華人が握っていることを強く意識させられる。この国は連邦の国家で、華人がその基盤となって、運営されている。

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土のカフェ

そして宿に戻り、チェックアウト。荷物は預けて、歩き出す。昼のチェンマイはさすがに暑いが、木陰に入ると風がいい。今日もまた昨日同様城内をまっすぐ歩き、ワットプラシンで突き当たる。更にこの寺を越えて、城門を出て、どんどん進む。地図では近いと思ったが、実はここからが遠かった。一体何㎞歩いたのだろうか。右側にチェンマイ大学の建物が見えてくる。各学院に分かれている。

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チェンマイ大学のメインキャンパスの手前に美術館がある。その敷地に入るとバスが何台も停まっている。チェンマイ大学へ行く観光客や社会科見学の学生がここで降りていく。その向こうに、ポッコリとした形の、不思議な建物が見える。そこが目的地、ディンデーだった。ゆるカフェ、といったらここ、と何人もの知り合いから紹介された場所。日本人が経営しているとのことだったが、その姿は見えない。

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中に入るだけでその緩さ、落ちつきのある空間が良く分かる。何とも言えない空気が流れていた。お客は一組しかいない。店にとってはいいことではないが、私にとっては本当にリラックスできそうな場所だった。店員が扇風機をこちらの向けてくれると余計にいい風がやってくる。屋内だがエアコンがないのは本当に良い。

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炒飯と飲み物を頼んだのだが、これが実に優しい味で美味しかった。タイの辛い味を避けたい日本人の為に作られたメニューではないだろうか。カフェの雰囲気だけでも満足していたのに、食事も美味しいとなると益々気に入って長居する。時間が止まった空間、ゆるい音楽だけが静かに流れていると、強烈な眠気が襲ってきた。このまま蕩けてしまいそうな気だるい時間が流れる。

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ちょうど日本人の若い女性とタイ人の男性が店に入ってきて、土間?に座る。そして彼女は日本語とタイ語をごちゃ混ぜにした言語を大きな声で発し始めた。相手は日本語を習っているタイ人なのだろう。私は思わず席を立ち、トイレに行く。戻ってみるとその2人は既になく、また元の静寂が帰ってきている。彼らは授業の合間に立ち寄ったのだろうか。

 

そうして2時間ほどボーっとしていた。PCも開いていたが、殆ど見ていなかった。ただただ目を瞑って、空気を吸っていた。建屋の多くに穴が開いており、どこからでも風が吹き抜ける。その風を感じることがとても幸せに思えた。

 

離れがたい思いを断ち切り、外へ出た。折角なのでチェンマイ大学を見学しようと思ったが、正門でないところから入ってしまう。看板に『観光客は正門へ回れ』とある。中国人観光客がどっと押し寄せたため、学内ツアーを有料で実施していると聞いていたが、本当にようだ。ただ誰も止める人いないので、見学は自由に出来るのだが、体力と時間がなく、退散した。

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宿へ戻る。歩いて行く必要はなかったが、余韻を楽しみたかった。だが、暑さの中、余韻どころか、疲れがドーッと出てくる。往復で10㎞弱を歩いたらしい。何もそこまでしなくても、といつも思うのだが、こればかりは止められない。街を知るには車に乗っていてはダメだ、という信条のような者が出来上がっている。ただ結果として、この歩行で足を痛めてしまったが。

 

宿で荷物を受け取るとすぐにトゥクトゥクと拾い、空港へ向かった。チェンマイはタクシーが殆ど走っていないため、トゥクトゥクかソンテウに頼ることになる。街が良く分かっていて、タイ語もできれば、ソンテウに乗る方法もあるのだろうが、私の場合、トゥクトゥクしかない。タイの地方都市はこれが不便だ。空港バスでも走らせてほしいが、あまりに街と空港が近い。

 

チェンマイ空港でもフリーWiFiのシステムが完備しており、ここでようやくネットを繋げてメールを確認した。先ほどのカフェで、私は一体何をしていたのだろうか。きっと夢を見ていたのだろう。ゆるいチェンマイ、また来よう!

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チェンマイゆる旅2014(4)ゆるカフェで蚊に刺される

Ferm Forest

宿で少し休み、また外へ出た。今回のチェンマイの旅、ゆるーいカフェへ行きたい、という良く分からない欲求で満たされてしまう。既に2つのカフェに行き、それなりに満足していたのだが、旅行作家S氏にメールして、ゆるカフェを紹介してもらった。チェンマイ在住者推薦の場所だという。宿からターペー門を潜り城内へ。そしてまっすぐに2㎞ほど歩いて行くと、突き当りに大きな寺、ワットプラシンがあり、そこから北へ向かう。

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Ferm Forestは大きな道からちょっと入った場所にひっそりとあった。目指していかなければ分からないし、通りかかったとしても入ろうとするかどうかは分からない。不思議な空間だった。建物にはカフェ、と書かれている。右側を見ると、庭が広がっており、お客はその庭に置かれた椅子に座っている。2人用もあり、5人用もあり。更に奥にも何かあるのかと思ったが、そこまでだった。

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空いている席は入り口近くの1つだけ。そこに座るように予め決められたように私を待っていた。午後の陽ざしも避けられ、爽やかな風が吹き抜けていく。これはいい、と満足して席に着く。WiFiは勿論フリーなので、PCを出して、旅行記を書き始める。ウエートレスは英語ができ、ゆっくりゆっくり注文を取り、飲み物を運んでいく。

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座った席のすぐ横には木々が生え、柔らかい風が行きかい、いい感じだった。ネットもサクサク繋がり、大きめのグラスにアイスティが運ばれてきた。いいな、ここは。歩いてきた疲れをいやすにはいい場所だ。チェンマイのカフェとは、観光客が歩き疲れて辿り着くようになっているのかもしれない。周囲のお客は欧米人が多かったが、中に中国人も数人いた。こういうところを探してくるようになったんだな、彼らも。団体旅行ではなく、個人旅行が増加している。タイ人の観光客も結構いて、国際的な構成だった。

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だが30分もすると、不都合が起こった。何と蚊に刺され始めたのだ。私はなぜか普通の人より蚊に刺されやすい。それはバンコックでも香港でもそうだったが、ここでも、足に数か所、刺されてしまった。かゆくて仕方がない。しかしこのオープンエアー、そこに座ったのが悪い。他の客は気にならないのだろうか、みな楽しそうにおしゃべりしている。文句をつける訳にもいかず、残念ながら、早々に退散することになってしまった。次回は是非午前中にここに来よう、と思う。

 

日本料理屋と夜市

それからずーっとチェンマイの街を歩いてみた。まさに端から端まで行った感じだ。きれいなスパもあった。古びた寺もあった。観光客が歩かないような路地では子供たちが声を上げて、遊んでいた。昔からありそうな日本食レストランも見掛けた。だが疲れているのにどこにも寄ろうという気が起こらなかった。日は西に傾いていく。どこへ行くのだろう、私は。

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自分の宿へ戻ろうと歩いてみたが、どうやら道を間違えた。地図を取り出してみていると、すかさずトゥクトゥクの運ちゃんが寄ってきて、『どこへ行くんだ』と聞く。取り敢えずターペー門、と答えると、乗れ、という。歩いて行くというと不機嫌になったが、道は教えてくれた。この辺は親切だ。インドなら絶対に正しい道など教えないだろう。念のため近くの店に入り、ターペー門と言ってみたが英語は通じない。中国語で言ってみると見事に通じた。なるほど。

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しかしターペー門についても宿に戻る気にはなれず、背中に担いだPCが重いなと感じつつ、南へ歩き出す。どこをどう歩いたのか、途中からよくわからなくなる。何と周囲も暗くなってしまう。どうするんだ、これは。あてどない旅は得意ではあるが、今はどこか目標を定めよう、ということで、地図を見て大きめのホテルを探した。

 

そこへ行くと、その周りには日本語の看板が見えた。カラオケ屋などもあった。そして1軒の日本食レストランを発見。将来チェンマイに長期滞在するなら経験のため、日本食も食べておこうと、入ってみる。店内は広かったが夕方6時過ぎにお客は殆どいない。メニューを見ると、定食がバンコックの30%オフの料金。やっぱり安いな、チェンマイは。ビールも飲まずに店の売り上げに全然貢献しない。カツ煮定食、135バーツ。店員は日本語もちゃんと話すし、悪くはないけど、お客さんはいつ来るんだろうと心配になった。

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帰りも歩いて戻る。もう6㎞以上は歩いていると思うが、食事で休んだので、元気になっていた。ナイトマーケットという場所が2つほどあった。夜は人出があるかと思いきや、それほどでもない。今はオフシーズンということか。中国人観光客が一番目に付く。私にも中国語で声を掛けてくる店員がいる。Tシャツでも手に入れようと見てみたが、質が良い物があまり無い。値段も安くないのでパスした。

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チェンマイゆる旅2014(3)チェンマイの帽子屋さん

散歩

マッサージ後、N社長はトゥクトゥクで空港へ向かった。我々は宿に戻り、そして私は散歩に出た。どこをどう歩いたのか良く分からない。突然奇妙なお寺に出た。沢山のキャラクターが置かれている。可愛らしい置物はタイのお寺の特徴ではあるが、これだけ揃っていると驚く。ここのお坊さんは毎朝この置物に祈るのだろうか。日本なら『ゆるキャラ』と呼ばれてもおかしくない。

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それから河へ出た。先ほども見たビン河だ。鉄橋が見える。夕日に映える鉄橋、なかなか絵になる。橋を渡る車が多く、歩いて渡るとちょっと危ない。チェンマイはゆるい雰囲気は漂うものの、車が多くになってきており、散歩するには今一つか。まあ高い建物がないので、圧迫感はなく、よいのだが。

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夜はKさんと雲南料理へ行く。Kさんは夜の便でバンコックへ帰るため、荷物を持って歩いていく。雲南料理と言われたが、実際は単なる中華料理かな。若い店員も中国語は通じず、店にはあまり客もいない。この店は観光客目当てなのか、それとも地元客のためにあるのか、ちょっとよく分からない。が、そのゆるい感じは悪くない。

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その夜、Kさんと別れて、一人になる。コンビニでなぜかバナナを買い、部屋で食べる。宿へ向かう道の角にあるクレープ屋が気になっていたが、ついに買うことがなかった。インド系のおばさんがやっているのだが、いつも混んでいるのはウマイからか。あとで聞くと、その辺では有名な店らしい。残念。

 

11月13日(木)

帽子屋さん

翌朝も起きるとロビーに出て、PCに触る。横で朝食を取っている人がいたので、覗いて見ると美味しそう。トースト、卵、フルーツ、コーヒー、立派な食事だった。120バーツ。麺が一杯35バーツ程度なので3倍もするが、何となく、こんな朝が望ましい。気持ち良い風が吹き抜けていく。食事をしているのに、体が軽くなる。いや、心が軽くなっているのだろうか。そのまま10時近くまで、そこでダラダラとネットして過ごす。バンコックにいる時も部屋に籠らず、いい風を浴び、良い日の光を浴びて、外で旅行記を書くのもよいかと思う。

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今日はバーンタオ氏に紹介してもらったSさんと会う。Sさんは10年以上、シンセンや大連で仕事をしてきたが、思うところあって昨年タイに拠点を移し、今年からチェンマイ在住となっているという。会ってみると初対面ではあったが、共通の知り合いも何人かおり、中国の同じフリーペーパーに寄稿するなど、親近感がわく人だった。

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彼は帽子屋さん。大連で事業をやっていたのだが、中国でのビジネスに限界を感じて、アジアを目指すことにしたらしい。アジアの中ではタイが良いということになり、ご縁でチェンマイへやって来た。既に試験的に帽子を作り、販売にこぎ着けたが、今後は新たな試みを実施していく予定とか。

 

帽子というアイテムを私は殆ど被らないので、今一つピンと来なかったが、男女とも帽子を被る人は増えており、しかもおしゃれな帽子へのニーズが高まっている。そして頭の大きさの問題で、気に入った帽子を被れない人も多いのだとか。確かに基本的にフリーサイズだが、ちょっと頭が大きいと、入らないのだろう。サラリーマン時代、工場見学や防災訓練でヘルメットが入らない人、必ずいたな、と思い出す。

 

Sさんのように、中国でビジネスをしてきて今後はアセアン、という動きは出てくるだろう。大企業のように工場を増やしていくのではなく、拠点を移していく動きが見えてくる。帽子のビジネスもネット販売が可能。中国人が彼の帽子を買いたければネットで注文すればよい時代だ。中国内に拠点を置くリスクを排除しながら商売ができる時代、好きな場所に住んで仕事ができる時代、それを是非見せてほしいと思っている。

 

お話をしたのは宿のすぐ近くのきれいなカフェ。カフェというより、セラドン焼の焼き物を売るお店で、その器を使い、飲み物を提供している。セラドン焼はチェンマイの陶芸、器は重厚で、お茶を飲んでいても重い。釉薬の下の細かい貫入、ひびわれが最大の魅力らしい。女子なら店内を散策して、カップの一つも買うのだろうが、私は奥の庭の方に目がいっていた。ここにも実にゆるい空間が広がっていた。ここでずーっとお茶飲んでいたい、と思わせる造り。因みにチェンマイ郊外で採れるお茶の販売も行っているようだった。

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Sさんとは3時間近く、話し込んでしまった。日中はチェンマイもさすがに暑い。宿へ帰る途中、海南チキンライスが目に入ったので、食べる。50バーツだったが、質がよかった。外国人が入るような観光向けかと思ったレストランでも、意外とウマイ。きっとローカル屋台ではこれが30バーツぐらいではないだろうか。チェンマイの物価は安い、というのが10年前の印象だったが、バンコックとの比較では変わってはいないようだ。

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チェンマイゆる旅2014(2)ゆるいチェンマイ生活

夕飯とマッサージ

夕暮れ前に宿を出て、夕飯に向かう。沢山の観光客が歩いているが、何とも中国語が多く聞こえてくる。中国人がそんなに多いのだろうか、それとも一人ずつの声が大きいのだろうか。『何故中国人の声は大きいのか』というテーマで研究している人はいないのだろうか?勿論遠くにいる家族に声をかける場合は、日本人でも大声を出すだろうが、見える範囲であれば、近づいて適正な声を出すだろうに。

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彼らは何かに急いでいる。その結果、周囲も顧みず、大声で相手を探し、安い物を見つければすぐに買おうとする。高度成長期の日本人も、そのような行動を海外でしていたのではないだろうか。今でも時々、そんな日本のおばちゃんを見掛けることがある。中国人も全てが大声を出すわけではない。日本人も全員が小声で話すわけではない。ただその数が圧倒的な中国は、アジアに、世界に脅威を与えているのは確かである。

 

当然観光地では中国人向けの土産物屋、レストランでは中国語が通じ始め、少なくとも中国語の看板が出てきている。昔日本語が氾濫したアジア各地、今やその勢いは完全に逆転している。それを日本の成熟化、と呼ぶのだろうか。それとも日本の衰え、というのだろうか。今回の円安で完全に日本語は廃れていくだろう。因みに韓国人も多く見かけたが、彼らの声は小さくなったように思う。経済的に韓国も苦しいのだろうか。

 

夕飯は地元レストランで地元料理を堪能した。チェンマイ城内でも、地元民が行く食堂はあるのである。ゆるゆるとビールを飲み、ゆるゆるとご飯を食べる。何と先ほど行ったゲストハウスのタイ人従業員が来ていた。こんなところで会うとは面白い。

 

食後、マッサージを探す。観光客向けは高くてよくない、というので、レストランのすぐ近くのマッサージ屋に入る。3人しか入れない狭い空間だった。料金は1時間150バーツ、これは激安だ。安かろう、悪かろう、ではないのか不安だったが、それは杞憂に終わる。私は足だけやってもらったが、ちゃんとツボを押さえており、上手にこなしていた。若干おしゃべりしていたが、基本的には真面目に揉んでいた。欧米人が何人もやって来たが、全て断っていた。日本人はきれいな所を求めるが、欧米人は安くてウマイところを求めているようだ。

 

少し街を散歩した。我々の宿はターペー門のすぐ近くでとても便利な場所だった。観光客が街に押し寄せていたが、夜はそれなりに涼しいので、昼に休んで夜出掛けるようだ。まだ時間的に早かったが、宿に戻り、熱いシャワーを浴びて、ベッドにもぐるとあっと言う間に寝入ってしまった。心もかなり緩くなっていたのかもしれない。

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11月12日(水)

カオトーム

翌朝は快適に目覚め、すぐにネットに向かった。WiFiは勿論完備されており、吹き抜けのロビー空間、いや朝食を食べる空間?にPCを持ち込み、気持よくブログをアップした。隣ではドイツ人カップルが朝からパンと卵のブレックファーストを食べており、何となく腹が減る。

 

そこへN社長とKさんがやって来て、『カオトームを食べに行こう』というので喜んで付いていく。トゥクトゥクと捕まえて、走り出す。城壁の周囲を少し走り到着。ここも現地のレストランだった。何ともゆるい朝の光景がそこにある。これはいい。すぐにカオトームを頼む。

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カオトームとは、 澄んだスープにお米を軽く入れて煮たお粥のこと。日本のお粥に近いのはジョークと言われる別物。しかもジョークは米粒を潰して煮込むので、やはり日本とは違う。本当にとろとろ粥だ。私はメーサローンで食べて以来、カオトームが大好物。これは雑炊に近いが、特にニンニクが効いているのがよい。風邪など直ぐに治りそうだ。

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午前9時過ぎでも沢山の人が食べている。タイ人は暇さえあれば何かを食べている、という感じで、一日に何回も食事を取る、いや軽食を食べるので、驚きはしないが、どんな仕事をしているのかは気になるところ。バンコックなどでは食べ終わると急いで出ていくが、この辺では皆、ゆったりと座っておしゃべりしている。

 

ユルーイ河沿いのカフェ

今日は何の予定もない3人。私がゆるーいカフェに行きたい、というと、そうしようということになり?粥屋からまたトゥクトゥクで移動する。Kさんがスマホで検索した河沿いの優雅なカフェへ向かう。そこは市内から少し離れていて、運ちゃんも『150バーツ』というではないか。空港より遠いの?と思うほど。

 

着いたところは、きれいなお屋敷。庭が深くて、いい雰囲気のレストランだった。しかし・・?こんな早い時間からやっているのか、との危惧をよそに『今日は定休日だよ』と警備員に簡単にあしらわれてしまう。え、そんな。ここでダラダラお茶したかったのに、と言っても始まらない。それより、トゥクトゥク運ちゃんにチャンスが巡ってきている。ここから歩いて帰ることもできない我々。

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また検索してもらい、河沿いの別の所へ進む。運ちゃんは更に50バーツをせしめて御の字、意気揚々と引き揚げていく。我々はどうみても夜はバーという雰囲気の店へ入って行く。ここも完全に吹き抜けで、河が見える。お客は一人もおらず、ここでアイスティを飲む。これは予想外に良かった。本当に他愛もない雑談をし、ダラダラ過ごした。

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ランチの時間になり、ピザを食べた。この店はタイ料理もあるが、サンドイッチやスパゲッティなどの洋食もある。欧米人向けのパブというわけだ。昼からビールを飲んで風に吹かれている欧米人もいる。タイ人のカップルがランチを食べている。みんな実に自由に過ごしている。セカセカした感じは全くない。

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結局ここに3時間以上いたことになる。N社長はもうすぐバンコックに戻るということで、その前にマッサージを受けに行く。今度は日本人が経営しているという宿の近くの店へ行く。さすがに日本人経営、非常に清潔できっちりしている。マッサージはまあまあ、これで200バーツなら悪くない。特にチップも要求されない。マッサージは2階で、1階は土産物屋になっている。

 

チェンマイゆる旅2014(1)ゲストハウスに思う

《チェンマイゆる散歩2014》  2014年11月11日-11月14日

 

チェンマイに行ったのはいつのことだろうか?ちゃんとチェンマイを歩いたことがあったろうか。最近何だか疲れている。『激しい旅ばかりせずに偶にはゆるく旅してみては』とある友人に言われていた。でも自分に関係ない、と思っていた。

 

今回は知り合いのN社長がチェンマイへ行くというので、付いて行くことにした。私の目的は『ゆるいカフェ巡り』というこれまでにないパターン。チェンマイ郊外には茶畑があるとも聞いていたのに、チャレンジもしない、この体たらく。さて、どうなるのだろうか。久しぶりのチェンマイに変化はあるのか。

 

11月11日(火)

チェンマイまで

今朝はゆっくり出発した。いつもの私なら朝一のチェンマイ行を選んでいただろうが、今回はお伴で付いていくので、N社長が予約したフライトに従った。何ともゆるいスタートが好ましい。ドムアンまではいつものルート(BTS+シャトルバス)で向かう。シャトルバスは今回も空いていた。皆どうやってドムアン空港へ行くのだろうか?

 

空港に着くと、エアアジアの国内線カウンターはかなり混んでいた。それでも昔と比べると処理スピードが上がったのか、30分ぐらいでチェックインにこぎ着けた。聞く所によれば、朝6時前後にここに着くと、中国人団体観光客で溢れかえっており、カウンターはおろか、空港入り口にすら入れないことがあるという。LCCは中国人観光客を爆発的に増加させたことになる。

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それにしてもエアアジアは混んでいる。どのフライトにも人が大勢乗り込んでいる。我々のフライトも満員だ。やっぱりこの便も中国人が多い。最近は他のLCCもいくつかあるようなので、次回はエアアジア以外を使ってみよう。まあ1時間、目を瞑っていればついてしまうのだから、誰が乗っていようとあまり問題ではないのだが。実際飛行機が動いたと思ったら寝てしまい、起きたら空港に着いていた。どうも最近は家で寝るより、飛行機の中の方が良く眠れるし、眠りも深いように思う。これはどういう意味だろうか。

 

空港からサタデーマーケット

空港にはター君が待っていてくれた。N社長のお友達、Aさんの会社で働くチェンマイ出身のタイ人だ。彼は高校卒業後、日本の大学の留学、そしてそのまま就職したという。たまたまチェンマイに里帰り中だった。彼の車で空港近くの彼の実家へ行く。彼は華人であり、お父さんは事業をしていたが、今は引退しているらしい。実家は工場だったが、今は使われていなかった。大きな工場の建屋が目に付く。

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この家の付近はサタデーマーケットという、週に一度開かれる市場があるらしい。今日は火曜日だから、私の滞在中に市場を目にすることはできない。周囲には全く市場の痕跡などはなく、土曜になると急ごしらえのテントなどが立つのだろう。今はただ静かな街外れである。

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ゲストハウス

本日宿泊するのはゲストハウス。ここ1₋2年、ゲストハウスに興味が湧いてきた私には非常に良い選択。同行のKさんが個室を予約してくれたが、ドミトリーもあるらしく、欧米人バックパッカーも次々にやってくる。チェンマイには様々な観光客がやってくる。バックパッカーなどの為の安宿も多いと聞くが、この宿は経営者が日本人だという。いわゆる日本人宿かと思ったが、経営者を見かけることもなく、従業員は全てタイ人でコミュニケーションも英語、ちょっと予想外だったが、居心地は悪くなかった。

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ランチに出掛ける。チェンマイといえばカオソイ、ということで、カオソイの名店に向かう。このお店、10年ぐらい前にも来たことがあるようだ。段々思い出してきた。私は2005年にロングステイの視察で、ここチェンマイにやって来た。その時、ここのカオソイを食べている。

 

このお店、少し郊外にあるが、お客は引っ切り無しに来ている。わざわざ車で来る人が多いので?道の反対側には大きな駐車場まである?店の入り口には『カオソイ』とカタカナでも書かれており、如何にもガイドブックにも載っている、観光客が来そうな場所だった。メニューも日本語で書かれており、後ろの席では日本人観光客が楽しそうにカオソイを食べていた。

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カオソイ、ミャンマーのシャン州では『麺』という意味だと聞いたが、ここでは特定の麺を指す。ココナッツミルクを加えたカレースープに揚げ麺を入れた物、というイメージだ。雲南省の回族の影響を受けているとも言われており、豚肉を入れることはなく、鶏肉などが基本。美味しいのだが、タイでは1杯の量が極めて少なく、合わせて焼き鳥や炒飯などを注文して腹を満たす。

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その後、他のゲストハウスに行ってみる。日本人宿。こちらはリビングを見る限り、本当に日本人しかおらず、従業員のタイ人も日本語を話した。午後3時過ぎだったが、『おはよう』と言って2階の部屋から降りてきた日本人がいた。所謂沈没組、と呼ばれる人で、1年以上、ここに泊まっているらしい。

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最近の若者に聞くと『日本人宿を選ぶ基準』として、『名主のような沈没組のオジサンがいないこと』を挙げる人が多い。沈没組は何でも知っているという感じで偉そうに命令口調で話し、昔話を繰り返す。雰囲気が良くない。夜も話の輪に入り辛い。もっと自由にゲストハウスを楽しみたいと。私もインドなどで何度か見掛けたが、確かに新参者には敷居が高い。昔のバックパッカーにはそんな人が多かったと聞くが、

 

現在では何年も旅をしている人は減ってきており、ゲストハウスの在り方も変わってきていると思うのだが。チェンマイに来る日本人は多いと思うのだが、日本人宿は少ない。もっとフランクな新しいゲストハウスが出来ると、楽しくなるような気がする。

プーケット街歩き2013(2)パトンビーチで不動産投資?

9月10日(火)

朝ごはんはタラートで

ホテルには朝食がないので、街を歩いて探す。フラフラしているとローカル市場が見えたので入る。野菜や肉を売っている普通の市場で地元の人が買い物をしている。そこで朝ごはんを取る。適当に席に着き、適当に食べる。

 

目の前にタイ人の女性が座った。彼女は小さな袋を持っていたが、中からフライドチキンを取り出し、食べ始めた。私と目が合うと黙ってチキンを1つこちらに寄越す。私は黙って、受取り食べる。美味い、笑顔を返すと彼女も笑顔になる。たったそれだけのことだが、一日が幸せな気分になる。

 

パトンビーチ

今回の旅は特にすることがない。今日は丸一日あるので、パトンビーチへ行ってみる。ここはプーケットでもっとも有名なビーチだ。ジョジによれば、バスで小1時間。但し帰りのバスは午後6時までしかなく、それを過ぎたらタクシーに乗る。ただその場合も600b以上は払わないこと、と念を押される。

 

街の真ん中あたりのロータリーの北側にバスが数台停まっていた。その中にパトン行きもあったが、一番立派なバスだった。もっとローカルなバスに乗りたかったが、車掌に促されて乗り込む。30b。安い。

 

街を抜けると、田舎道。途中から山越え。結構アップダウンがある島だったのだ。パトンの街はプーケットタウンより立派で賑わっていた。さすがに観光客が多い。プーケットの産業は観光なのだから仕方がない。

 

ビーチには人影は少ない。やはり雨季なのだ、と思っていると、海上の雲が怪しくなる。慌てて建物の陰に身を潜めたが、物凄い土砂降りとなり、身動きが取れなくなる。皆が逃げ込んでくる。そして不思議な集団となり、黙って空を見上げる。毎日のことなのだろう、タイ人の子供などは嬉しそうに母親に甘えている。

 

30分ぐらいジッとしていると、空が明るくなる。人々が急に動き出す。商売を再開する人、観光を続ける人。私は何もすることがない。ビーチの脇を歩くが特に目ぼしいものもない。街の方も歩いて見るが、特に何も。仕方なくランチを取ることに。

 

ここは観光地、実は物価は高い。高いものを食べても意味がないので、フードコートに行くと、意外と外国人もここで食事をしている。確かに料金がリーズナブルで、きれいな場所だから。ここにトンカツがあったので食べてみる。柔らかくはなく、薄い肉だが、トンカツである。結構満足。

 

プーケットで不動産投資

そしてまた雨が振り出しショッピングモールに逃げ込む。1階にはなぜか不動産販売のブースがいくつもある。何気なく近づくと『暇か』と英語で声がかかる。勿論暇なので話を聞いてみると、パトンビーチでマンションを購入する外国人をターゲットにした販売所であることが分かる。

巧みな話術で色々と説明してくれた。英語が通じること、不動産市況が分かること、そして雨宿りにちょうど良いことから、耳を傾けていると『物件を見に行かないか』と誘ってくる。暇だし、ビーチも飽きたし、そして『帰りはプーケットタウンまで送ってやる』と言われ、行ってみることにする。

案内人が現れたのは30分後。何とスエーデン人だった。タイが好きで住み始め、奥さんもタイ人、そして子供の環境なども考え、バンコックからプーケットにやってきたという。彼の車で3つの物件を見学する。

全てビーチから少し入った物件。そしてこれから完成する新築。現在プレセールをやっていた。マレーシアでもそうだが、タイもプレセールはディカウント価格、そして完成後自分が滞在したいとき以外は人に貸すことが出来る。完全な投資物件として賃貸することも可能。利回りは10数%らしい。40㎡程度で300万バーツ前後、家具や内装には別途費用が掛かる。ちょっと高いと感じる。

投資物件は狭いベッド1つの物件が多い。それは借りる側が大きな部屋を望んでいないから。家族で住む人は少ないらしい。一人かカップル、カップルの中には男性同士も多いとか?一人で来た人も2人になっているケースが多いらしい??1泊2000b程度が良いとか。屋上から海が一望できるところもあり、そこにプールが付いていたりもする。如何にもビーチリゾート。欧米人、最近はロシア人の投資も増えている。パンフにはロシア語もあった。中国人はどうかと聞くと、『彼らは英語が出来ないから来ない』と。中国人専用のブローカー(華人)はきっと別にいるのだろう。

帰りは送ってくれるとの話だったが、彼に急用が出来てしまった。『タクシー代を出すから一人で帰って』と言われたので、それを断り、またバスに乗る。購入もしないのに案内してもらって、その上600bも出してもらうのはちょっとね。バスの車掌がなぜか『写真撮ってやる』というので、1枚収まる。その夜は近くに食堂を見つけ、久しぶりにカオマンガイ(チキンライス)を食べる。

9月11日(水)

キャパオーバーの空港

翌朝はカサブランカでゆっくり過ごす。今日も雨。外に出るのも億劫だ。ジョジによれば『空港までバスが出ている』というので、ホテル近くのバスターミナルまで行く。バスは1₋2時間に一本しかない。80bなら仕方がないか、観光客が乗るというよりは路線バスだ。

 

バスに乗る人は少ない。空港職員と、余程金のない?時間に余裕がある人だけが乗っている。バスはゆっくり進み、途中で多少乗り降りがある。1時間20分ほど掛かって空港へ到着。

 

ノックエアーのカウンターは空いていて、すぐにチャックインできた。だが空港内、特に出発を待つゲート付近は異常なほど込み合っていた。皆待ちくたびれて床に座り込んでいる。さては何か遅延が起こっているなと勝手に思ったのだが、そうではなく、空港のキャパが一杯だということが分かる。

 

元々観光地として有名なプーケット。欧米人や日本人に加え、最近は中国人、韓国人、ロシア人などが大挙して押し寄せてきている。昨日のパトンビーチでもこれらの人が非常に多かった。エアアジアやノックエアーなど、LCCが乗り入れ、益々便利になってきている。だが空港は18年前と変わっていない。現在は雨期で繁忙期ではない。それでこの状態であれば、クリスマスや正月などはどうなるのだろうか。通路まで人が溢れているのだろう。空港の横で何か工事が行われていたが、新たなターミナルでも作っているのだろうか。

 

ノックエアーは何事もなく、バンコックへ戻った。ドムアン空港の最大の問題はLCC空港なのに、市内までのアクセスがタクシーしかなかったことだが、今回降りてみると、何とモーチット行きのバスが出ていた。30b。これは便利なうえ、速い。15分でモーチットに着いてしまった。世の中は進化している。プーケットも進化するだろうか。

プーケット街歩き2013(1)プーケットタウンはマレーシアに似ている

《プーケット散歩2013》  2013年9月9日-11日

 

 

タイに滞在して数か月。ある日中国人の知人が「プーケットで中国語が通じて驚いた」と話していたのを聞き、急に行ってみたくなった。何しろプーケットへ行ったのは1994年(http://www.chatabi.net/asiatabi/1135.html)と1995年(http://www.chatabi.net/asiatabi/1147.html)の2回。いずれも幼い息子たちを連れた家族旅行だった。18年ぶりのプーケット、どのような変化があるのだろうか、そして華人は居るのか、さてどうなることか。

 

9月9日(月)

1. プーケットまで

タクシーが捕まらない

今回はドムアン空港へ行く。前回同じ時間にスワナンプーンへ行った時は非常にスムーズだったので、今日も高をくくっていたが、それは大きな間違いだった。宿泊先から道路へ出て行ったが、タクシーは全く捕まらない。午前7時半、段々交通量が増えてくるが、タクシーは益々やってこない。他にタクシーを待つ人が出始め、これは本当に捕まらないのでは焦り始める。フライトは午前9時半、国内線だから間に合うはずだが、車がなければ空港へ行けない。仕方なく、5分以上歩いてスクンビット通りへ出る。この道はさすがに朝のラッシュが始まっており、車が多い。

 

空車は直ぐに見つかった。だが、運転手に「ドムアン」と告げると、首を横に振る。ここで乗れないと困るので、もう一度頼むと「うーん」となり、仕方ないかとなった。この運転手のリアクションが正しかったことは直ぐに分かった。スクンビットを抜けるだけでも大変なことになっていた。高速に乗ったが、完全な渋滞にはまった。動かない。これでは今来た道すら戻れない。どうする、いや、「着くときは着くもの」と思い、考えないことにした。

 

途中何度もダメかと思ったが、なぜか最後はスムーズに行き、フライトの40分前には空港に着いていた。驚いた。しかも前日Webチェックインしていたので、すぐに荷物検査を通ると、搭乗時間までにはまだ間があり、ネットを見る余裕すらある。信じる者は救われる、ということか。

ノックエアーに萌える?

搭乗ゲートにいる黄色い制服を着たノックエアーの女性職員はなぜか皆小柄で可愛らしい。日本人的な人が多い。ある人が「ノックエアーの黄色い制服を見ると萌える」と言っていたが、何となく分かる気がする(笑い)。これも一つのサービスの成果、ということか。空港内で搭乗者のみ無料でネットが繋げられるというのも、ノックの良いところ。エアアジアは持ち込み荷物の分量などにうるさいため、個人的には敬遠している。

 

機内はほぼ満員だったが、なぜか私の席は隣もその隣も来なかった。3席独占で悠々と過ごす。プーケットということで、リゾート客が多い。欧米人も結構いたが、中国語もかなり聞こえてきた。LCCでは通常食べ物も飲み物も出ないのだが、ノックでは小さなパンが一つと水が配られた。たったこれだけでも印象はかなり違う。

 

バスとモータサイを乗り継ぐ

定刻にプーケットの空港に到着。イメージより小さい。恐らくは18年前と大きく変わっていないようだ。預け荷物なしですぐに外へ出る。タクシーと書かれた場所へ行くとプーケットタウンまで何と650bもする。『バスはないのか』と聞くと『ない』と言われ、タクシーに乗るように勧められる。

 

なんだかおかしいと思い、3回同じことを聞くと、一人のおじさんが『あっちだ』と指をさす。残りの2人が舌打ちしたのが分かる。観光地プーケットのイメージは決して良くない。タイにはロットゥというミニバスがあるが、これはパトンなどのビーチにしか行かない。料金は180b。ではタウンに行くにはどうしたらよいのか?一番端のおじさんが手を挙げて呼ぶ。『プーケットタウン』と叫ぶと『うーん、近くまでは行くよ』という。

 

聞けばこのバスもパトンビーチ行きだが、途中タウン近くのロータスを通るという。取り敢えずこれに乗ることにした。だが出発は11時半、まだ30分以上もある。それでも急ぐ旅でもなし、気長に待つ。これだけ観光客が多いプーケットにおいて、交通網だけははっきり悪いと言わざるを得ない。

 

バスにはタイ人などが乗っていた。欧米人や中国人はタクシーか団体バスに乗って行ってしまう。結局半分以上が埋まった11時20分過ぎに、バスは出てしまった。飛行機の関係でこれ以上乗客がいないと判断したのだが、実は一人、荷物をバスにおいてどこかへ行っていた人がいた。慌てて車掌が止めて事なきを得た。

 

空港からの道は何だか昔と変わらないような田舎道だった。途中ジャングルのような林も通過した。これが中国だったら相当の変化が見込まれるが、この地は発展していないのだろうか。幹線道路沿いには商店がびっしり並ぶ。これは昔とは違う。途中ロータスが見えたが、まだ時間的に早いとスルー。そしてちょっとウトウトしていたら、車掌のおばさんが『ロータス』と声を掛けてくれた。ロータスが2つあるとは、やはり発展はしている。

 

バスを降りたが、どうしてよいか分からない。そこは本当に郊外の店だった。キョロキョロしていると、バイタクのおじさんが目に入る。市内まで70bと言われ、ちょっと高いかなと思ったが、それ以外に選択肢がないので乗り込む。この付近は他にもショッピングモールがあり、建設中のマンションもあり。

 

バイクは結構時間がかかった。やはりそれなりに遠かったのだ。オールドタウンに入ると、いろいろな建物が目に入る。時計台などもある。だが目的地であるホテルはどこにあるか分からない。バイクのおじさんも自分で探す気はないようで、『ここがプーケットロード』と言っては、何度も同じようなところを回っていた。仕方がないので『ここで停めろ』と言ってバイクを降りようとしたところ、今日の宿泊先、カサブランカが斜め前に見えてホッとした。

 

2. プーケット

予約ミスは笑って帳消し

ホテルへ入り、チェックインを告げる。ネットで予約したとだけ話した。実は先日ネットで予約した際、日にちを間違えて入力していた。ホテルの女性オーナーは笑いながら一言『問題ない。このまま泊まってよい』という。何ともおおらかな。日本だったら例え部屋がいていても絶対に追加料金を取られただろう。

 

このオーナー、ジョジは非常に流暢な英語を話す。そしてどことなくヨーロッパ系の面影も感じられる不思議な女性だった。『家族はバンコックに住んでいる。バンコックでいい日本レストランはどこか』などと聞いてくるので、『エンポリの葵はどうか』と言ってみると『オー、あそこのカレーうどんは確かにおいしい』と意気投合。

 

親切にもプーケットタウンの地図にお勧めのレストラン、観光スポットをどんどん書き込み、紹介してくれた。これはグッドなサービス。『イギリスに留学していた時にベストフレンドは日本人だった』と日本びいきの理由を話す彼女。何とも面白い。

 

ホテルはカサブランカという名前の通り、白を基調としている。部屋もそこそこ大きく、ゆったりした感じがある。ビーチリゾートとは違うが、リゾート感覚のホテルだった。スタッフも英語が出来、お客の80%以上は、ヨーロッパ人だとか。何で私がここへ迷い込んだのだろうか、これも必然のなせる業か。

 

韓国人が行く麵屋

ジョジに勧められて、ランチに出かける。ホッキンミー、福建麺のことだが、美味しい店があるという。そしてなぜか『韓国人客が多い』ともいう。なんだそれ。店はホテルからそう遠くはなかった。行ってみると確かに韓国語の看板が出ており、韓国語のメニューもあり、そして韓国人観光客が座っていた。この店は韓国系がやっているのかと思ったが、どうやら中国系らしい。ただ普通話で話し掛けても全く通じなかった。むしろ英語の方が通じた。

 

店の売り物は福建麺。これは太麺でラーメンに近い。スープはかなりあっさりしており、韓国人などは辛いソースでも掛けないと物足りないだろう。汁麺と汁なしがあるようだ。1杯、40bと庶民的な料金。というより、ここプーケットタウンは一部を除いて観光地ではない。ビーチとは違うのである。

華人博物館

そのまま午後はオールドタウンを歩くことにした。何しろここは歴史的景観の街。随所に映画のセットのようなヨーロッパ風であり、また亜細亜風の建物が見られる。ホテルのすぐ脇の道が、一応整備されており、観光街となっていた。時計台も見事に古い。

 

その観光街を歩いて行くと、普吉泰華博物館がある。ここはプーケット華人の歴史が展示されているということで、参観してみる。先ず博物館の建物が立派だ。1934年建造とか。1948年に博物館になったらしい。プーケットに最初の中国人が住み始めたのは1817年とある。そんなに遅いのか?その後ラーマ5世時代に移住が増えていった。福建人が大半を占め、広東、海南からの移住者もいたという。主に鉱山開発などに従事した。荒くれも者も多く、問題は常に起こっていた。

 

実はマレーシアのペナンとの縁が非常に深い。プーケットに来るとタイというより、マレーシアをイメージしてしまうのはそのような理由があるのかもしれない。建築物も、マレーシア風、というか、ポルトガルなどヨーロッパとの融合が感じられる。

 

街の外れにシノポルトギーズスタイルと言われる建物が残っている。今はレストランになっていたが、誰かのお屋敷だったのだろう。実に寛げる造りで好ましい。庭もとても広い。レストランに入るとクッキングスクールをやっているようだ。最近アジア料理のクッキングスクールが随所で見られる。単なる観光ではなく、その土地を知ろう、知らせようという試みか。面白い。その後どこにでもある天后廟、観音廟などを回る。本当に中西混合だ。

 

現在は雨期ということで、小雨が降り続いている。観光客も少ない時期だと分かる。夕飯を食べようと歩いて見たが、レストランはあまり多くない。仕方なく観光地化されたレトロなレストランで食べる。この店、元は薬屋さんか。聞けば隣で薬屋はまだ営業している。オーナーのおばさんは華人の顔をしていたが、普通話はしゃべれず、流暢な英語を話す。既に4代目、『私たちは華人と言っても単なるタイ人だよ』と。そう、普通の生活に中国語は不要だろう。

 

チェンマイ散策2011(3)インドのご縁でロングステイヤーの家へ

3. チェンマイ2    再会

ランプーンからチェンマイ市内へ戻る。バーンタオ氏に車で送ってもらい、待ち合わせの某ホテルへ。先に着いてしまったので、ホテルで50バーツを払い、Wifiのパスワードをゲット。ロビーのデスクで電源を繋ぎ、メールをチェック。気が付くと農園にいた2日間、ネットに接続することはなかった。急に現実に引き戻された思い。

ロビーでPCを触っていると声を掛けられた。待ち合わせをしたTさんだ。このTさんとの出会いもまさにご縁。7月にインドのラダックに行った時、ある寺院で偶然出会い、少し話をしたそれだけなのだ。社交辞令のように『もしチェンマイに来ることがあれば連絡して』と言われ、そして連絡してしまったのだ。日本国内では先ずない。http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4504

Tさんは私と同じ50歳で会社を辞め、チェンマイでロングステイを実施している。元々はアメリカで働いていたというから、タイにはご縁があったのだろう。奥さんもタイ人。ラダックでもお寺で熱心にお祈りしていたし、チェンマイへ来てね、と熱心に誘ってもくれた。

グランドビューホテルでビュッフェランチをご馳走になる。和洋中、何でも食べられる。このような食事には自然と反応してしまう。デザートのケーキやアイスには特に反応してしまうので、困る。店内はクリスマス休暇なのか、大勢の人々で満員。そういえば、この時期はホテルも満員か高いようで、Tさんは『家に泊まって行けば』と言ってくれる。たった一度の短いご縁だが、これは嬉しい。

ロングステイヤーの暮らし

Tさんの車に乗せてもらい、チェンマイ郊外へ。市内中心部からは4㎞という住宅街にTさんの家はあった。チェンマイに来て10年弱、ロングステイして5年で、ここに家を建てて永住を決意したという。

その家には大きな庭があり、様々な草花の他、ミカンなどの果物の木、野菜を植える小さな農園まであり、非常に豊かだ。そして平屋の家屋には広いリビングルーム、2つのベッドルームがあり、何と外から丸見えの自慢のバスルームまである。快適な空間がそこにあった。

チェンマイは物価も安いし、バンコックのように暑くもない。テレビは日本のテレビを見ることもできるし、仲間とゴルフもできるし、車も持てる。年に2-3回はアジアの山々、秘境を訪ね歩き、写真を撮る旅もしている。言うことはない。日本に居るよりよほど快適であり、日本であくせく暮らすぐらいなら、チェンマイに永住した方がよほど良い、Tさんは言う。

50歳でリタイア‐したTさん。勿論退職金など資産は人より多いかもしれないが、殆ど働かず、家も建て、楽に暮らしている。この姿を見ると、生き方の幅を実感する。夕方、Tさんが簡単な鍋料理を作ってくれた。新鮮な野菜などを入れ、日本のポン酢で食べる。シンプルなこの料理がTさんの生活を表している。

お金でアジアをエンジョイするのか

夜7時にチェンマイ市内で待ち合わせがあるというとTさんは車で送ってくれた。その上、2時間ほど市内で時間を潰し、私をピックアップして、自宅を連れて行ってくれた。大変申し訳ない思いだが、確かに自力でTさん宅へ戻ることは出来ないので、お言葉に甘える。

待ち合わせたのは、元勤め先の後輩N君。ちょうど旅行でチェンマイに来ていたN君と日程がぴたりと合ったので、会うことにした。東京在住なので、東京で会えばよいのだが、これも何かのご縁。今回チェンマイ市内を見ることもなかったので散歩がてら行く。

マクドナルドの前で待ち合わせ。良く見るとドナルド人形がワイしている。ワイとは合掌のこと。これはタイならではないか。バンコックも同じ仕草だろうか。

N君はチェンマイに慣れていた。何度も来ているようだ。彼は元勤め先に内定した時、香港に旅行に来て、私が勤務していた香港支店に寄った。その後会うこともなく、過ぎたが、いつの間にかお互い勤務先を辞め、彼は転職した。でも出来ればアジアで働きたいという。私は月並みなことを口にした。『アジアはいい所だが、給料は安い。日本の給料でアジアを旅するから、良く見えるのかもしれない。もう一度よく考えてから、アジアの職を選ぶのが良い』と。

しかし話している自分に違和感も持った。お金を持って初めてエンジョイできるアジアは、本物ではあるまい。それでもいざとなるとお金でアジアをエンジョイしてしまう、この発想は実に危険だ。

N君は何度か来たという焼き鳥の店に連れて行ってくれた。地元の人が行く店に見えたが、メニューに日本語も書かれている。だが英語は片言しか通じない。N君は店の人とも顔なじみのようで、スムーズにオーダーしていく。チェンマイで触れ合う、それがアジアをエンジョイすることなのだろう。少し考えた。

朝ごはん

前日はTさんの家のリビングで寝かせてもらった。ソファーがベッドになる。夜は結構涼しいチェンマイ、これもまたいい体験だった。無駄なお金を使う必要はない、というTさんの言葉にロングステイの一つの形を見た。そしてそれを私に提供してくれ、教えてくれたことに感謝したい。

朝は日の出と共に起き、庭を散歩する。Tさんの奥さんは昨日も庭に水をやり、今朝もケアーしている。私は口では自然と共に生きる、などと言うこともあるが、実は自然と共に生きたことが無く、庭いじりすらしたことはない。今後農作業を含めて簡単なことから勉強していく必要がある。

朝ごはんもTさんが作ってくれた。前日残った鍋を使ったお粥。海苔や小エビも入れるが、現地で調達した醤油などを使っており、日本から輸入するものは極力使わない姿勢もよい。日本人ではあるが、この地で一生生きて行こうとすれば、当然日本のものに頼らず、現地調達も必須だ。日本人のロングステイはコストが掛かる、これは現地調達比率に寄るのかもしれない。

バスターミナル

Tさんの車でバスターミナルへ。今日はチェンマイを離れ、チェンライ経由でメーサローンに向かう。Tさんによれば、チェンマイから北に1時間半ぐらい言った所には温泉もあり、茶畑もあるという。この付近以前は少数民族の地。ミャンマーのシャン州や雲南とも似ているのだろう。次回は是非訪問してみたい。

バスターミナルは初日に訪問したOさんの家のすぐ近くにあった。英語の表示はあまりなくタイ語の出来な私にはちょっと分かり難い。Tさんの奥さんが面倒を見てくれ、チケットを買う。チェンライ行は30分に1本出ており、非常に便利。車内も思ったより快適。中国のローカルバスより良いのは当たり前か。

ターミナルのトイレに入る。ここも思ったよりかなりきれいで感心する。考えてみれば、タイで長距離バスに乗るのは初めてかもしれない。言葉が出来ないので敬遠していたのが、これは十分に使える。今後はタイでバスの旅を楽しもう。

ターミナルにはお菓子や果物など売っている。何だか遠足気分で楽しそう。中国のバスターミナルのちょっと殺気立ったような緊張感はそこにはない。バスに乗るとバスガイドさん?も添乗する。タイ語に何を言っているか分からないが、私の所に後で来て最低限の言葉を英語で伝えてくれた。バスはチェンマイを離れた。



 

 

チェンマイ散策2011(2)龍眼(ラムヤイ)の中国輸出

炭焼き

同行しているバーンタオ氏は最近炭焼きビジネスを始めていた。今回も数年ぶりにこの農園を訪れたようだが、前回はロングステイのビジネス、今回は炭焼きビジネスを見に来ている。面白い。

ここランプーンにはタイ語でラムヤイと呼ばれる龍眼の木が物凄い数、生えている。道を行くとラムヤイはそこかしこに見られる。龍眼は中国の果物と思っていただけに意外だった。そして更に意外なのはバーンタオ氏がこのラムヤイの木に目を付け、炭が作れないかと考えていることだった。

Sさんとタイ人の奥さん、そしてSさんの農園で働く地元の女性を一緒にラムヤイの炭焼き現場を訪ねた。ランプーン郊外、河沿いに煙が上がっていた。傍にラムヤイの枝が転がっている。地元の人が自分で使うために焼いているらしい。その横には太いラムヤイの木、更には竹の林が林立する。竹は自分の伸びたいように伸びるもの、日本のように真っ直ぐに伸びるとは限らない。

そしてある家を訪ねるとそこには炭焼きの窯があった。本格的に炭を作っている。ただ中には誰もいない。お昼ご飯を食べているのだろうか。この辺では泥棒が入るということもないのだろう。昔の日本の田舎もそうだったのだが、今や農家も鍵を掛ける日本。タイもその内鍵を掛けるのだろうか。

炭焼きがその辺で普通に行われている光景にバーンタオ氏もご満悦。現時点では地元で消費する程度の炭焼きかもしれないが、この中から商売になるような炭が誕生するかもしれない。バーンタオ氏もなかなか味な商売を始めたものだ。

ラムヤイ(龍眼)

そのラムヤイだが、本当にその辺にいくらでも生えている。ラムヤイの林、など日本では想像できないが、何ともいい雰囲気な木々である。

道沿いに小屋が見えた。外で人が何か作業していた。覗き込むと先方も首を突き出してこちらを見る。更に見るとラムヤイの木の下で数人の男女が作業していた。ラムヤイを取り、仕分けしているのである。

小屋の周辺では更に多くの人が籠を前にして仕分け作業をしていた。近所の若い娘からおばさんまで、何だか楽しそうに見えるが意外と大変な作業のような気もする。ラムヤイの実を大きさや熟度に応じて分けているようだ。

このラムヤイはタイ国内に出荷されるのだろうか。聞いてみて驚いた。ここで仕分けされた後、近所のある中国系工場に運ばれ、そこで乾燥工程に入る。そして乾燥ラムヤイが中国に輸出され、何と中国産龍眼として、日本に漢方薬などとして再輸出されるというのだ。

中国産漢方薬は多いが、残念ながら必ずしも原産国が中国ではないケースが増えているのだろう。そういえば、中国とアセアンのFTAが締結され、農産物も加工品も完全がゼロになっている。今後タイの農業もアジアを、特に中国を向いて作られていくのだろう。

昼飯 日本語姐さん

昼時になる。この辺の名物、カオソイを食べさせるお勧めのレストランを目指したが、何故か休みだった。そこで街道沿いにある麺屋に入る。とてもゆったりした店で、真新しい自宅の横に半外のお店を作ったという感じ。

お昼の柔らかい日差しが少し差し込む。腹は減ったが、眠気にも誘われる、そんな感じのテーブルに着く。豚肉ラーメンが出て来る。これは肉の味がよく沁み、ネギなどの薬味も効いていて、実にウマい。また麺がラーメンというのもいい。ミートボールも付いている。これはもう完璧だった。

そしてどうしても我慢できなくなり、お替りを頼むことになった。オーダーを取りに来たお姐さんは何と日本語を話した。聞けば、2年ほど、日本で生活したことがあるという。しっかりした日本語だった。でも日本より地元の方が良いという。日本ではどんな生活を送っていたのか、知りたくもあったが、敢えて聞かなかった。

   

2杯目は牛肉きしめんに替わった。もやしがちょっと載っているのが良い。こちらはほど良い濃厚な味わいで、グッとくる。本当に何杯でも食べられそうな、いや、止めておこう。日本語を話しお姐さんも他の従業員も既に完全に休息ムード。我々が帰ればお昼寝だ、と顔に書いてあった。

パワナガーデン(http://www.kubox.net/phawana/mein.htm )

我々もお昼寝か、と思ったが、もう1軒行くことに。Sさんはもうすぐ70歳と言っていたが、とても元気に、自らハンドルを握ってくれる。そしてやって来たのは。

どこかの御宅に着いたのかと思うような、木々に囲まれた庭。その奥に建物が見える。ここは日本人久保田さんが開いているプチホテルだ。既に開業から10年近く経つという。正直こんな田舎に日本人が宿を経営しているとは信じられない。

久保田さんは10年前シンガポールに企業の駐在員として滞在していたが、そこを辞して、奥さんの故郷であるランプーンにやってきた。小さいお子さんもいたから相当に決断だったのではないか。

そして土地を確保し、一からゲストハウスを作った。庭の木々も今や大賑わいだが、何もない所に自ら植えた。建物を建てるのも大変だった。全く思うように地元の大工さんは動かない。イチイチ注文を付けてようやく完成させた。

まさにアットホームな宿を目指したが、当初はお客さんがいなかった。ここランプーンには工業団地もあり、日本企業に売り込みにも行ったが、上手くはいかなかった。そんな時に、テレビ番組で取り上げられ、テレビを見た人たちが少しずつ来るようになる。そして一度来ると気に入ってリピーターになる人が多いという。

この宿は朝ごはんが付く。また夕ご飯もリクエストで作ってくれる。地元の野菜などを使った料理が良いらしい。食堂もアットホーム、家でご飯を食べる良な雰囲気だ。裏に回ると自分で作ったというかまどがあり、木の枝が暖かい色を出して燃えていた。『この木の温もりのある火で作った料理は味が違う』という。焼肉なんか最高に美味いらしい。

今度は一度ここに泊まってみたい、と思わせる雰囲気がある。何も考えずに、ボーっとしていることも偶には大切ではないだろうか。

本当の野菜

農園に戻り、ゆっくり休む。夜はラムヤイのチャーハンが出た。これが意外や美味しい。また近所から新鮮なキャベツが届けられたとのことで、シンプルなキャベツ炒めも出たが、これが実に歯ごたえがあり、また柔らかく、美味。

昔は日本の実家にも親戚の農家が、時々採れたての野菜を届けてくれた。決して形は良くないが、大きな野菜。ニンジンやキャベツが袋からはみ出している姿は、如何にも美味しそうだった。あれは本当の野菜だった。今日本で売っている野菜は、ある主婦によれば、『包丁で切ってもにおいがしない。まるで温もりが無い。工業製品と同じではないか』と。

我々は一体どんな食べ物を食べるべきなんだろうか。価格と形にこだわる日本人は、益々自然から遠ざかる。『有機野菜』と言う名のもとに売られる野菜でも、何か本物でない気がする。一度田舎暮らしを体験し、真面目に考える時期かもしれない。シャワーを浴びて、早く寝る。気持ちはよい。

12月26日(月)    ラムヤイの木

翌朝も気持ちよく起きた。広大な農園を散歩する。朝日がまぶしい。Sさんとスタッフが朝から作業している。例のラムヤイの枝を炭焼き用に切っていた。当たり前のことだが、いい感じに切れている。

2泊させてもらった農場を後にする。短い間だったが、とてもいい経験をした。もっと多くの人々が、特に若者がここに来て、見ることを勧めたい。






チェンマイ散策2011(1)ランプーンの花園で

《チェンマイ散歩2011》  2011年12月24日-27日

シェムリアップからバンコックに戻ったが次の日にはもうチェンマイへ。今日はクリスマスイブだ、などと思う間もなく、旅から旅へ。スワナンプーン空港では何故か飛行機が飛ばない。機内でずーっと待たされる。機長のアナウンスの中に『VIP』という単語を発見。もしや、今日は中国の習近平氏がタイ訪問中だったことを思い出す。

飛行機の窓から外を見ると飛行機がまさに数珠繋ぎ。20機はあったろうか。やはり習氏のために飛行場が実質閉鎖されていたのだ。これは参った。それにしてもこんなことはあるのだろうか。タイの中国重視の表れではあるまい。

12月24日(土)   1. チェンマイ1

Oさん

チェンマイ空港ではOさんご夫妻が2時間以上も待っていてくれた。全くの初対面で、友人の紹介でちょっとお訪ねしようと思っただけなのだが、とんだご迷惑を掛けてしまい、恐縮。

空港からタクシーで20分ほど、Oさんのご自宅はチェンマイ郊外のマンションの一室。ここで既にロングステイ生活を数年送っている。チェンマイには数千人の日本人がロングステイしているが、中には悪い人もいて、トラブルがあったり、日本人コミュニティーは大変なようだ。

Oさんは大手企業を退職後、チェンマイにステイ。チェンマイのお寺を1つずつ訪ね歩きながら、その歴史などを纏めて雑誌に発表している。また月1回メルマガを発行するなど精力的な活動をしている。タイだけではなく、ネパールなどにも在住経験があり、その幅は広い。奥様は現地各地でボランティア活動をするなど、溶け込んでいる。

7階のお部屋は気持ちの良い風が吹き抜け、実に爽やか。郊外で比較的家賃も安いとのこと、このようなロングステイは一つの理想かもしれない。お昼をご馳走になりながら、色々な話を聞く。途中からは紹介者であるバーンタオ氏がバンコックから車で乗り付け、合流。

2. ランプーン    ランバンとランプーン

Oさん宅を辞し、バーンタオ氏の仕事用1トンピックアップに乗り、次の訪問先へ。チェンマイから50㎞ほど離れた場所で、花農園を経営されているSさんを訪問し、泊めてもらう予定となっていた。

道は高速で非常に快適。タイも道路は良いようだ。色々と話しながら進んで行ったが、1時間以上経っても高速を降りない。50㎞は過ぎたような気がするのだが。ようやく目印を見付けて、間道に入るが、既に日は落ち、あたりは暗く、なかなか見付からない。仕方なく、ガソリンスタンドにより、道を聞くと・・。バーンタオ氏の顔が引きつる。そして何度も同じ会話を繰り返す。

携帯で電話をしたバーンタオ氏は愕然とする。そしてその携帯を近くの人に渡し、現在位置を確認。ガソリンスタンドの人も親切に対応し、ちょうどガソリンを入れに来たバイクの後ろについて、道を行く。

又もとの高速道路に戻る。何が起こったのか。『ランバンとランプーンを間違えたんです。しかも目印の病院が両方の街にあって、それで迷いました』。え、ランバンはチェンマイから100㎞離れており、我々はまた50㎞チェンマイ方面に引き返す。しかし珍しいこともあるもんだ。

結局4時間ほど、掛かってランプーンの農場に到着。周囲は非常に静かで環境が良い。Sさんに案内され、農場内の宿泊施設に。2部屋あるコテージ風の建物。部屋の前のテーブルには夕飯も用意されており、バーンタオ氏とビールを飲みながら疲れを癒す。イヤー、これは快適。ぐっすり寝る。

朝 カオトーン

寝ている部屋の朝日が差し込む。外へ出てみると、昨夜は気が付かなかった広大な花農園が広がっていた。そして一つ一つが良く手入れされ、朝の空気を穏やかなものにしていた。木々の力を感じる。

庭を歩いて見る。実に様々な草花がある。木々がある。私は草花の名前を殆ど知らない。タイの木々を知らないのではなく、日本の木々も花も知らない。名前は問題ではないかもしれないが、ここに滞在して、植物に親しんでみたいという気が起こる。

この農園のオーナー、Sさんがやって来て、朝ごはんを食べようと言ってくれる。農園内の小屋に行くと、既に朝ごはんが用意されている。カオトーンというタイ北部でよく見られるお粥。これは粗く煮込んだ粥にニンニク、胡椒などで味付けがされ、朝から力が出る。

そして何よりこの自然環境の中、日の光、木々の間を流れる爽やかなそよ風。バンコックやチェンマイなどの都会では決して味わえないタイがそこにある。

海外から日本を見て考える

この素晴らしい自然の中にある農園のオーナー、Sさんは日本人。若い頃は日本で政治的な活動にも参加、その後色々なご縁があり、関東で花の栽培を開始。海外にも輸出する規模で花農園を経営していた。

そして還暦も近くなった頃、日本の農園を部下に譲り、タイに移り住む。ランプーンにやって来て、ここで農園を始めた。それから10年以上経つ。今では様々な草花が花開き、タイ国内は勿論、日本をはじめ海外にも輸出されている。そして単にビジネスと言うだけではなく、色々は新しい試みをこの地で行っている。Sさんのこれまでに培った花栽培の技術、輸出などの商売のノウハウ、そして何よりも気持ちが込められた農園である。

広大な敷地の中には外から来た人々が宿泊できるコテージなどがいくつもある。一度に30人は宿泊できるという。何故このような施設を作ったのか。『初めて自分と同世代の日本人のロングステイを考えた』のだと。

当然興味を持って見学に来る日本人は沢山いたが、いざロングステイという段になると、考え方の違いが露骨に出た。『XX万円支払うとこの土地の権利は自分の物になるのか』など、予想外の反応があった。理想的な環境で穏やかな余生を送る、と言いながら、結局はお金から離れられない人々を見た。

『面倒だから止めたんだ』という。何だか残念な話だが、それが今の日本の現実。代わりに『日本の若者に海外での農業体験をして欲しい』と現在は日本の農業関係の大学生、インターンなどを受け入れているという。『若い人なら大歓迎。海外での就業経験も役に立つはず』と前向きだ。

海外に居ると日本の現状が良く見える。日本国内でガッカリして生きているより、タイに来て、将来を考えてみるのもよい。若者に無理に海外に出ろとは言わないが、海外で考えてみるのは必要な機会だと思う。