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タイ中部横断の旅2018(11)何もないスリンの街で

8月15日(水)
スリンのホテルで

翌日は移動日。今回は駅の近くに泊まっていたので、また電車を使いスリンまで移動した。もう電車の乗り方にも慣れたので、難なく移動できた。約2時間の三等車の旅、途中でお婆さんが大きな荷物を持って一人で乗り込んでくる。車掌を中心に周囲の乗客がサポートしている姿が微笑ましい。日本なら、『なんでこんな老人を一人で乗せるんだ』などというクレームが聞こえてきそうだが、タイでは個々の事情を問うのではなく、目の前の困っている人を助けるのがよい。

 

スリン駅を降りて、駅近くのホテルを探した。一応昔のいいホテル風の建物があったので、入ってみると、ロビーも広い。フロントで聞いてみると、何と490バーツ、朝食付きだというので、早々にチェックインした。ところがこの部屋、あまりきれいとは言えない。メンテナンスされていないことがよくわかり、さすがの私でもどうだろうか、と思ってしまう。

 

取り敢えず昼飯を食うので外へ出た。すぐ近くにバスターミナルがあるのも分り、その近くによさそうなホテルが見えていた。まずは麺を食べたが、この麺は本当に美味かった。スープも少しとろみがあり、絶品。これで40バーツは幸せだ。これで勢いをつけて宿に戻ったが、何とWi-Fiも繋がらない。聞けば、Wi-Fiの機械から一番遠い部屋だからだという。

 

ロビーは繋がるというのだが、話が違うので、ここを出ていくことにして交渉を開始。まずは英語のできるスタッフを探し、話をするもの決定権がない。最後はマネージャーが出てきて、二つ返事で料金を返金してくれた。どうしてこんなに落ちぶれてしまったんだろう、このホテル。それでもこんなホテルが生きていけるのは、スリンで有名な象祭りの時に破格の料金が取れるからだというが本当だろうか。

 

宿を脱出して、荷物を引いてまたバスターミナルを目指す。その横にあるこぎれいなホテルできいてみると1泊1200バーツだというが、応対もよくここに泊まることにした。部屋は風通しが良く、実に快適だった。Wi-Fiも繋がり、先ほどとは大違いだった。まあ料金が2倍以上なのだから当然だろうか。

 

ホテルの入り口にレンタサイクルが置かれていた。何と日本の中古自転車だった。しかも『下高井戸』などと貼られていると乗りたくなる。1日50バーツだというので早々に乗って、スリンの街を散策する。まずは近くのお寺へ。何となく立派で格式があると思ったら、皇室に関係があるらしい。ブラパラマと英語で書かれていた。これが寺の名前だろう。

 

池沿いを漕いでいくと、ロータリーに像がある。その近くには象の像がある。ここはスリンだ、象の街だというアピールだろうか。更に線路を渡り反対側にも行ってみるが、特にこれと言って見るべきものはなかった。かなりの暑さを覚え、予定より早く自転車を返して部屋で休む。

 

いつの間にか寝落ちていた。気が付くと外は雨が降っている。スコールのように強い。腹は減ったが、ここは我慢。夜7時すぎにようやく雨が止む。今晩は道路も濡れているので、バスターミナル内で食事を済ませようと探すが、なかなかいい感じの店がない。最後に行き着いたのは、チャーハン。これが一番無難だ。しかもおばさんの手つきがよく、味も予想より良かった。これで満足して寝られる。

 

8月16日(木)
またロットゥに乗り

翌朝は気持ちよい朝だった。食事は別棟のレストラン。ここには白人の客もあり、ビュッフェもまずまずだった。気にいったのでここにもう1泊することにして、今日は旅の中の休養日にすることにした。朝方は涼しいので、ちょっと散歩に出た。昨日の寺でお祈りだけして帰るつもりだったが、やはりどうしても何かしたくなってしまい、結局バスターミナルからロットゥに乗る。

 

また1つ、遺跡を探す旅。今回はまたシーサケット方面に戻るようだ。運転手には行先を伝えてあったが、結局降ろされたのは、ある電車の駅。そこからどう行くのか、その辺の人や駅の人に聞いて何とか方向を定め、歩き出す。そんなに遠くないとの話だったが、どう見ても近くはない。日差しが照り付け、大変なことになってしまった。

 

小学校を通り過ぎたので、遺跡の名前を言って聞いてみたが、通じない。仕方なく、ガイドブックの写真を見せると、皆が一斉に『あっちだー』と指をさす。礼を言って歩き出したが、彼らも外国人は珍しいらしく、付いてきて、更に教えて呉れようとする子もいた。こんな交流は楽しい。だがその先を行っても分らず、また聞いて、ついに辿り着いた時は、疲れ果ててへたり込む。

 

そこはちゃんとした遺跡だった。外国人は100バーツ支払って中に入る。プラサット・シコラプム、というようだ。これまでの現代寺院との組み合わせはなく、池に囲まれた完全な遺跡、如何にもアンコールワットの一部にいるような雰囲気があった。そして木陰で休むと気持ちがよい。一応別れた隣に寺院はある。そこの裏にお墓が多くあったのが目を惹いた。

 

帰りも黙々と歩いたが道が分かっているのでかなり楽だった。腹は減ったが、まずはロットゥに乗らなければならない。駅前で待っていたが、やって来たのはシーサケット行き。どれがどこへ行くのか分からないので面倒だ。ようやく見つけて戻る。また午後はお休みして、夜は麺を食べて寝る。

タイ中部横断の旅2018(10)シーサケットで冒険

8月14日(火)
シーサケット縦横無尽

翌朝はホテルの朝食を食べる。ロビーはとても立派なこのホテルだが、泊り客はそれほどいないことが何となく分かる。シーサケットの街には特に見るべきところもないようだ。だがなぜかこのホテルに2泊することにしたので、今日も1日、時間がある。それなら昨日の電車に続き、今日はロットゥで郊外のお寺に行ってみることにしよう。基本的に言葉が出来ないため、分かっている区間以外は、ロットゥには乗らない私だが、偶にはちょっと冒険してみようという気になる。

 

まずはバスターミナルまで歩いていく。15分ぐらいかかる。そこで行先の寺の名前を連呼してみると、誰かが反応し、ロットゥを指さす。事前に調べた番号とも一致したのだが、その終点は何と、ウトムボン・ピサイ。昨日電車で行った駅の名前だ。そうか、その途中に寺があるのか。

 

ロットゥはほぼ客がいないのに出発した。そして駅の横まで来て停まる。そうか分かっていれば、ここで待てばよかったのか。それから線路を渡ったところでも客を拾う。それである程度の人数になり、急激に郊外の道路を飛ばしていく。20分ぐらい行くと、運転手が、ここで降りろ、と指さす。その先には寺が見えた。

 

プラサット・カンペーンノイ。ここも昨日と同様、クメール時代の遺跡が保存されており、寺と一体になっている。これがこの地域の一つの保存形態なのかもしれない。昨日の寺程規模は大きくなく、返って見学しやすい。横に大きな池があり、小さな橋を渡っていくとお堂に辿り着く。ここで風に吹かれながら、仏像を拝んでいるのは何とも心地よい。

 

帰りは来た時と逆向きのロットゥを捕まえる必要があるが、一応それを待つベンチがある。ただ誰もいないのでちょっと心配になる。車はどんどんスピードを上げて走り去る。もしロットゥが来ても、文字は読めないため(英語が書いてあっても動体視力の衰えで)、とにかく来たら停めるしかないのだ。

 

10分後にやってきたロットゥは凄いスピードで飛ばしており、大きく手を振って何とか私を見つけてもらい、かなりのオーバランをしたが、停まってくれた。やはりこんなところで乗る人は殆どいなのだろう。料金も分っており、駅前で停まったところをすかさず降りた。バスターミナルまで行く必要はもうない。

 

宿に帰ってもすることがないので、駅舎に向かう。ここは線路を通行人が自由に渡っており、それに習う。もう電車もバスも乗ったので次はどうする、と考えていると、ガイドブックにあったちょっと変な中国系の寺を思い出した。そこで、駅前にいたバイタクに声を掛けて聞いてみたところ、往復200バーツだというので、すぐに断り、歩き出した。するとバイクが後ろから追いかけてきて、150バーツで行ってくれることになる。

 

その寺まではやはり8㎞ぐらいあった。最初はさっき通った道を進み、途中で別れて、ちょっと複雑な道を進んだ。少し雨の気配がある。濡れるのは嫌だ、どこにあるのかな、とキョロキョロしていると、前に巨大な寺が見えてきた。まるでテーマパークだ。いかにも現代中国ではないか。こんな所にまで中国が入ってきているのだろうか。ワット・プラタット・ルアンローンという名前らしい。

 

まあとにかく1つ1つの建物が大きく、広い。ちょっと見て回るだけでも大変だ。一番大きな建物は4階ぐらいまで登れるようになっており、上まで行くと周囲が一望できる。そしてここの広さ、大きさが更に実感できる。観光客はそこそこいて、やはり普通の寺ではない。更には横に建設中のものがあり、まあ今風に言うインスタ映えを狙ったようなものが続いており、写真好きのタイ人が喜んでいた。

 

1時間以上見学して、待っていてもらったバイクで街に戻る。意外と疲れてしまい、部屋に戻って昼寝する。タイでは日中は休んで朝晩活動するのがよい。今日は晴れてはいなかったが、それでも体力は確実に奪われる。夕方になり、腹が減ると、ノコノコ起きだして、飯を探す。

 

タイで基本的に食事に困ることはないが、さすがに何日もいると、飽きては来る。少し変わったものを食べようかと考えていると、ムーカタの店に出くわした。文字は読めないが数字は99、と書いてあるので、99バーツ食べ放題らしい。見ると学生や女性が食べている。一人で食べている人もいるので、思い切って、一人焼肉ならぬ、一人ムーカタをしてみた。

 

店のシステムはよく分からなかったが、店主は英語が出来たので、教えてもらい、沢山肉や海鮮を取り、どんどん焼いていく。相手がいない一人だと、すごいスピードで焼いて、すごいスピードで食べていくことになる。ムーカタは以前、ラオスの鍋として取り上げたことがあったが、イーサン料理なのだろう。会計してみると、160バーツだった。何と水代が60バーツ、これは一人で来ると割負けする要因だな。

タイ中部横断の旅2018(9)シーサケットで電車に乗る

フラフラ歩いて宿に戻ろうとすると、ちょっとおしゃれなホテルが目に入った。ここがこの街で一番高そうなので入っていき、フロントで『カオ・プラ・ウィハーンへ行きたい』と言ってみた。英語は出来たが、やはりあまり行く人はいないようで、タクシー会社に電話してくれ、『往復1800バーツ』という回答を得た。しかしこのホテル、ちょっと泊まってみたいかもという思いが募る。明日ここに鞍替えしよう!宿に戻ってネットで調べると、どうもこの世界遺産にはタイ側から入ることは出来ないようなので、今回は諦め、次回カンボジア側から挑戦することにした。

 

夜は食べ過ぎなので、外出はせずに、テスコで買ってきた懐かしいバヤリースオレンジを飲み(なぜ沖縄で生産終了となったドリンクがタイで売っているのか?)、その辺で買ってきたパイナップルで済ませる。夜になるとWi-Fiが弱いこの宿、動画を見ることは出来なくなっていた。ちょうどよいとばかり、旅日記など書き始めるが、疲れに負けて眠りに着く。

 

8月13日(月)
ついに電車に乗る

朝、太陽はなく、涼しい。珍しく朝食が付いていない宿なので、持っているクッキーなどを食べて過ごす。10時前に宿をチェックアウトして、昨日のおしゃれなホテルへ荷物を移動した。『チェックインは午後2時からです』と言われ、ちょっと日本的な嫌なものを感じたが、ちょうど出掛けるので、荷物を預けた。

 

今日はどうしても列車の旅をしたいと思ったが、まずは練習とばかり、近くのウトムボン・ピサイ駅まで乗ってみることにした。何しろタイで鉄道に乗るのは3年ぶり、一人で乗るは5年ぶりになるだろうか。タイの鉄道と言えば、時間通り走らないと思い込んでいるが、さて、どうなることだろうか。

 

まずはチケットを買う。行ってみると30分前だというのにかなりの列が出来ている。後ろにはなぜか中国人女子2人も並んでいる。切符は自動的に三等車、座席番号があるから席は決まっているらしい。25バーツ。ホームにはかなりの人が待っている。10分前には鐘が鳴り、その後アナウンスもあり、何と定刻前に列車が入って来るではないか。だが指定された車両がどこに来るかは分からない。警察と書かれた服を着た人に聞くと親切に教えてくれた。

 

乗り込むと4人掛けのシートで意外と清潔。まあまだウボンから30分走っただけだからだろうか。この列車はこれから10時間かけてバンコックへ向かう。なぜか丸刈りの若者が制服のような服を着て、ネクタイ締めてアタッシュケース持っているのが気にかかる。あれは何だろうか。お坊さん?セースルマン?

 

列車は田園風景を走る。次の駅で降りればよいと思っていたが、何とその前の駅で止まり、対向車とすれ違った。これにより私の列車旅は22分から25分に増えたようだ。何しろ文字が読めず、アナウンスが分からないのだから、時刻表に頼るしか下りる方法はないと思ってちょっと緊張したが、その次の駅、ウトムボン・ピサイ駅にはちゃんと英語表記もあったよ。

 

この駅も小さい。駅前は閑散としている。私はすぐに進路を線路沿いに取り、歩いていく。荷物がないし、涼しいので軽やかだ。10分ほど行くと、右手に大きな大仏が見えてきた。大仏があるとは書かれていなかったがあれだろうと近づいていき、中に入ったが、道はぬかるんでおり、大仏殿も建設中と言う感じだった。ここはどこなんだろうか。

 

更に先を見るとすぐにお寺のようなものが見えた。後で行ってみると、それは焼き場だったのだが、何とも美しく感じられた。中に入ると、普通のお寺が目の前に見ているだけだったが、その後ろに回ると、何とクメール時代初期の遺跡が保存されていた。ここが今日の目的地、サ・カムペーン・ヤイ遺跡だった。

 

20世紀に建てられた寺と11世紀の遺跡が一緒にある、こんな場所初めて見た。古い遺跡の方はかなり整備したと見え、整っている。神殿と図書館らしきものが見えるのは、やはり何となくアンコールワットの遺跡群を思い出す。建物にわずかに残る彫刻もまたそれを想起させるに十分だった。本堂に入ろうとすると犬に吠えられる。

 

またとぼとぼと駅へ引き返す。次にシーサケット行きは午後1時なので、まだ時間はある。駅前にはちょっと歴史を感じさせる木造の建物で麺屋があったので、そこへ入ってみる。やはり華人が経営している。いい場所は基本的に華人が占めているのは、どこも同じだ。さっき線路沿いに華人学校も見えたので、こんな小さな場所でもそれなりに華人は住んでいる。遠く海を渡り、陸を歩いてここまで辿り着き、生活基盤を築く。すごいパワーだ。

 

今度の電車は何だか2等車、料金も倍になっている。席も勿論三等よりは良い。我々は時間で列車を選ぶので、クラスを選ぶことは出来ないようだ。何となく不思議な仕組みだ。また20分ぐらい乗ると、シーサケットに戻って来た。新しい宿まで歩いて数分、軽く雨が降る。

 

今度のホテルは確かにきれいでよかったが、前日の500バーツに比べて、1200バーツが釣り合うのかは正直よく分からない。エレベーターもあるし、見た目はとても良いのだが、所々ボロが出ており、すごく快適とは言い難い。恐らくは昔のホテルを買い取ってリノベーションしたのだろうが、相変わらず壁は薄い。これが地方都市の限界だろうか。夜線路近くの市場で麺を食べ、焼き鳥をつまんで済ませた。

タイ中部横断の旅2018(8)突然のシーサケット

8月12日(日)
バスは満員で

今日もいいお天気だ。この宿は壁が薄いのか、廊下から声が聞こえてくる。昨晩も外で若者が遅くまで騒いでいた。朝食の場所へ行くと、無料の物は、カオトームとトースト、そしてインスタントコーヒーだけだった。しかもトーストに付けるものはないもない。50バーツ払えば卵やハムが食べられるらしいが、特に必要ないのでさっさと済ませる。

 

昨日のバスターミナルの様子からして、今日の日曜日、特に午前中は何となく混みそうだとの予感はあったが、もうここにいてもやることもないので10時前にタクシーを呼んでもらう。フロントは80-バーツと言っていたが、やはり100バーツ取られた。3時間ロットゥに乗っても100-120バーツしか取られないのに、なぜ僅か3㎞、5分で行けるタクシーに同じ料金を払わなければならないのか。いつも思うことだが、考えてもよいことはないので止めよう。

 

バスターミナルで『ウボンラチャタニ―』と言ってみる。チケット売り場を教えてくれたので、そこへ行くと何と3時間後しかないという。1時間に一本あるバスは全て満員だそうだ。そこを何とか、というと、バンコックやチェンマイから来る大型バスに空きがないか聞いて見ろ、とそちらを指さす。行ってみたが、全く取り合ってもらえず、また元に戻る。

 

そこで考えを変え、『シーサケット』と言ってみる。すると1時間半後だという。これでも辛いが半分になったので、えーいとチケットを買った。105バーツ。それからちょっとウロウロして、言われていた乗車場所へ行ってみると、既にバスは来ていた。まだ45分も前だぞ。いや、ここが始発だからまだエアコンも入っていない。席だけ確保して外で待つ。30分前にエンジンがかかり、車内に移動。定刻5分すぎてようやく出発してくれた。

 

乗客はほぼ満員ながら、途中でチラホラ降りていく。かなり水かさがある河、きれいに揃った水田、などを眺めているうちに寝込む。1時間半経って、ヤソートーンという街に入る。ここで降りたい衝動にかられたが、ここのバスターミナルも郊外の街道沿いにあり、街を探すのが大変だ、と諦めてそのまま乗っていた。トイレに降りればよかったのだが、横のおじさんが寝込んでいたので、そのまま座っていた。

 

その後バスはウボンへの道から分かれ、いくつか小さな町を通り抜け、街道沿いで人を下ろし、進んでいく。ローイエットで乗車してから3時間ちょっと過ぎた頃、ようやくシーサケットの街が見えてくる。バスが線路を越えたので、思わず電車に乗りたい、という思いが出てくる。だがバスは駅では停まらず、南にかなり離れたバスターミナルへ。その間の道には商店などがかなり見える。

 

6.シーサケット
宿と世界遺産探し

バスを降りたが、周囲にホテルなどは見付からない。ここに宿を取れば、かなり便利だと思ったのだが、本当に簡易な宿しかないことが分かり、今回もまた検索して、新しめのホテルへ向かう。バイタク40バーツ、ローイエットなどと比べれば良心的な料金だ。駅の方へ向けて走り、また線路を越えた市場の近くにその宿はあった。

 

ブティックホテルという名前が如何にもと言う感じで、ロビーは少女趣味?若者が好みそうなところだ。部屋は広くて明るいが、ネットは弱い。朝食も付いていない。2階の部屋は600バーツ、3階は500バーツで、部屋のタイプは同じだそうだ。エレベーターがないので、100バーツ違うというのが、何ともタイらしい。迷わず安い3階を選択する。

フロントの女性は簡単な英語で色々と教えてはくれたが、急にカンボジア国境の世界遺産へ行きたくなり、なかなか話がかみ合わなくなる。仕方なく、ツーリストインフォメーションを探して街へ出た。ところがすぐに雨に降られ、市場に逃げ込む。昼飯を食っていなかったが、既に3時半を回り、誰も営業していない。雨はなぜか5分で上がる。まさに通り雨。

 

駅へ行くとちょうど列車が入って来た。やはり乗りたくなり、隣の駅まで行く時刻を聞いてみると、ちゃんと英語で答えてくれ、更には英語が書かれた時刻表までくれた。よし、明日は乗ろう。それにしてもこの駅も小さいし、駅前にはほぼ何もない。そこから歩き出すとどうしても腹が減り、麺屋を探すがない。

 

仕方なく一軒の食堂に飛び込むと、『外人が来た』とちょっと向こうがパニックになる。しかし英語のメニューがあるではないか。豚肉炒飯を注文。意外とイケる味だ!その先にツーリストインフォがあるはずだったが、見当たらない。それより、多くの女性が同じ制服?を着てその先の広場に集まっている。一体何のイベントがあるのだろうか。警備員のおじさんに聞いてみるも、言葉が通じず追い返される。イベントは母の日だったようで、午後6時のタイ語のテレビは全てこのイベントになってしまった。

タイ中部横断の旅2018(7)小さな街 ローイエットで

8月11日(土)
ローイエットへ

翌日は移動日。コーンケンからどこへ行こうかと、ホテルロビーの大きな地図を眺めていると、ラオス国境の方に近づいていくのがおもしろそうだと思い、昔ウンドンタニには行ったので、今回はウボンを目指すことにした。まあ、急ぐ旅でもないので、その中間に位置するローイエットという街にも寄ることにする。

 

フロントに『ローイエットにはどうやって行くのが良いか』と聞いたが、そこにいた3人は首を傾げている。仕方なく一人を地図のところまで引っ張っていき指さすと、あー、と言いながら、あなたの発音では通じない、というのだ。どこが悪いのか、どうしても聞き取れなかったが、とにかく発音できないとバスチケットも買えないので、懸命に練習する羽目となる。

 

結局バスターミナルへ行くしかないと分かり、タクシーを呼んでもらったが、この運ちゃんがイマイチ。ホテルから出た瞬間、呼び出し料金を要求したり、メーターではいかないと言い出したり。面倒なので降りてしまった。そして道端でタクシーやトゥクトゥクを探すも全然通らない。仕方なく旧バスターミナルまで歩いていくと、そこに寝ているトゥクトゥクおじさんがいたので声を掛けた。かなりのお爺さんが行くと言い出し、120バーツと良心的な料金を提示してくれる。このお爺さん、1日に1回か2回仕事して、後は寝ているのだろうか。

 

バスターミナルに着き、練習を重ねた地名を吐き出すと、すぐにロットゥが指さされ、乗り込むとすぐに出発となった。幸先がよい。だが、走っていく方角がどう見てもラオス国境方面ではなく、コラートの方なのだ。このルートで行けるのだろうか、いや自分では正しい発音をしたつもりだが、やはり通じなくて、間違った車に乗ってしまったのだろうか。

 

ロットゥは途中から何度も停車し、その度に人が乗り降りした。かなりのローカルロットゥだった。その内に何となく方向性も合ってきて、どうやらローイエットに向かっていることが分かり一安心。結局近いと思っていたのに、3時間もかかってバスターミナルに滑り込む。

 

5.ローイエット
ローイエット散策

バスターミナルは街から少しだけ離れているようだ。まずは適当な宿があるかどうか探したが、良さそうな宿が予約できない。取り敢えず適当に一つ探して、そこまで連れて行ってもらおうと思い、バイタクおじさんに聞くと、60バーツだという。それは高いだろうと言っていると、横からお兄さんが、俺のクマに乗れ、と片言の英語で言うので乗ってみた。

 

確かにクーラーもあり、快適だったが、何とかその宿を見つけると100バーツを要求されてげんなり。3時間乗ったロットゥが120バーツで、僅か3㎞走っただけでどうして100バーツ。この世界から何とか脱却したい。それでもこの宿、何と英語の看板がなく、一人ではとても来られないローカルさ。1泊500バーツだが清潔なので泊る。

 

宿から歩くと川沿いに大きなホテルが見えた。先ほど予約できなかったホテルだが、よく見ると既に廃業していた。この街には必要のないものだったのだろうか。腹が減ったので、その辺で食事を探す。ガバオライスが目に入ったので注文する。ここはインド系らしい。ちょっと辛めの味付けだが、イケル。

 

この街は湖を中心に出ているようだ。風景もなかなか良い。気が付けば今日は土曜日、大勢の家族連れが付近を楽しそうに散策している。湖を半周して向こう側へ行き、更に歩くと、立派な大仏を擁するお寺があったので、そこを参拝する。寺の中にはかなり古い建物も存在し、この街もかなりの歴史があることが分かる。物売りのおばあさんが流ちょうな英語で話しかけてきてビックリした。

 

今度は湖の北側を歩き宿に戻る。途中の繁華街はやはり漢字の看板が多い。そしてその外れには、これまたかなり大きな仏像が建てられており、思わず見上げる。ここには外国人などの姿も見られ、ちょっとした観光地になっている。それにしても誰がこんな仏像を建立したのだろうか。

 

実は問題が一つ発生していた。そろそろ着替えも尽きており、洗濯が必要になっているのだが、安い洗濯屋には出会っていなかった。宿の近くに洗濯工場?らしいところがあり、大量の洗濯物が干されていたので、そこを覗いていると、おばさんが英語で話しかけてきた。そして今日中に50バーツで洗濯して乾かしてあげる、というではないか。もう時刻は午後3時を過ぎていたが、急いで宿から洗濯物を持ってきて預けた。3時間後に取りに行くと、一応乾いている服が畳まれていて驚く。こんな料金でなぜできたのだろうか。

 

夜になってもう一度外へ出て、夕飯を探す。市場に辿り着くと、色々な食べ物を売っていて楽しい。卵焼きのようなものを買って帰る。田舎町はそこで食べるというより、買って帰るのが、基本だ。この小さな街の人々、外国人が多いとは思えないが、なぜかかなりフレンドリーで有り難い。

タイ中部横断の旅2018(6)コーンケンをフラフラ

8月9日(木)
コーンケンへ

翌朝はどんより曇っていた。今日はスコータイから、かなり西にあるコーンケンへ移動する予定だ。宿の女性に聞いたら、『チケットを買ってあげる』と言われ、スタッフがバスターミナルまで買いに行ってくれていた。何とも親切で有り難い。更には宿からバスターミナルまで、スタッフのバイクで送ってくれた。この宿は意外と便利でよかった。外国人観光客に必要なものを安く提供する、これは印象が良いに違いない。

 

バスターミナルに早めに着いたが、特に何もない。10時半発と聞いていたが、やはりバスもやってこない。不安になった頃、ようやくバスに乗り込み一安心。このバスは特に豪華でもなく、ローカル色が漂う。向こうには相当大きなお腹をした若い妊婦が一人で乗っていた。大丈夫なのだろうか。前の若いカップルは音楽をかけて、自由に振る舞っている。

 

初めは平たんな道を走っていた。昨年行ったピサヌロークはすぐに過ぎ、3時間ぐらいして山道を登り始める。正直タイ中部にこんな山があるとは思ってもいなかった。タイはここでも分断されているようだ。1つ山を越えて、どこかのバスターミナルで休憩すると、また山に挑む。これは思ったより難コースだった。

 

途中で雨も降り、山の天気となった。小さな街が点在、そこで乗客が乗り降りする。私だけが取り残されている感じだが、車掌もいるので安心して寝ていく。それにしても随分と時間が掛かる。バスの馬力の問題かもしれない。ようやくコーンケンに到着したのは夕方暗くなりかけた頃、実に7時間以上バスに揺られた。かなりの疲労感を持ってバスを降りる。

 

4.コーンケン
静かな街

タイでは今急速にバスターミナルの郊外移転が進行しており、コーンケンも例外ではなかった。バスは全く街の雰囲気などない、道路沿いを入り、そこに出来ている新しいバスターミナルで停車する。ここから街まで何キロあるのか、どうやって行くのか、さっぱり分からないので聞いてみると、タクシーなら200バーツ、トゥクトゥクでも150バーツなど、法外とも思える料金を言われる。

 

確か7時間乗ってきたバスの料金も300バーツぐらいだったから、と躊躇していたが、事態は一向に進展しない。ついにバイタクのおじさんに100バーツと言われたので、それに乗る。バイクはかなりの距離をかなりのスピードで、幹線道路を走っていく。確かにこれなら100バーツかもしれないと思う程遠い。もうちょっと便利にして欲しい。

 

夕暮れが過ぎ、暗くなりかけた頃、取り敢えず私が指定したホテルにバイクは着いた。そこはこの街の名を冠した古いホテル。何となく街外れにある印象で、ちょっと驚く。聞けば1泊800バーツだというので、泊まることにしたが、フロントの女性もあまり英語が通じない。部屋は昔のホテルのようで広くてよかった。

 

腹が減った。とにかく7時間もバスに乗り、昼飯も食べていなかったのだから、当然だ。フロントで食事の場所を聞くと、ホテルの裏口から出るとすぐにあるという。半信半疑で出てみると確かに数軒ある。麺でも食べようと思って探したが、それより先に英語のできる愛想のよいお姐さんに捕まってしまう。

 

何しろ排骨湯が目に入ったので、それを頼む。大好物のモツの煮込みもあるではないか。何となく客家系の雰囲気が漂う料理だ。それを白い飯で豪快に食べた。すぐに満腹になる。会計をすると200バーツを越えていた。私が普通に食べるご飯は数十バーツ。何と贅沢をしたことかとは思ったが、食事に満足することも大切だと割り切り、楽しげに夜の街を散歩した。ここもやはり華人系が多いことは、漢字の看板などでよくわかる。

 

8月10日(金)
コーンケンをフラフラ

翌朝はホテルで朝食を食べる。こういう老舗ホテルの朝飯は悪くない。この町で何かをしようという計画はまるでなく、まあ散歩に出た。以前ホテルの近くになったというバスターミナルは見事に無くなっており、これがこのホテル周辺の寂しさの主な原因だと思われた。ここから新バスターミナルまで出ているだろう交通手段すら、タイ語のできない私には確認できない。

 

コーンケン博物館があったので入ってみた。かなり立派で広く、展示物も多かった。コーンケンは今でもバンコックからラオスのビエンチャンへ抜ける幹線の途中にあり、交通の要所だと言えるが、その昔からこの地理的条件により栄えていたらしい。8世紀ぐらいからの出土品もあり、その歴史は思ったよりずっと古い。

 

昼はホテル周辺で麺を食べたが、ここでも英語が出来る子がいた。コーンケンは単なる田舎町だと思っていたが、やはり交易なども盛んなのだろうか。曇りではあったが、かなりの疲れもあり、午後は部屋で休む。夕方再度歩き出し、コーンケン駅を探してみる。駅は高架工事のため、小さくなっていた。タイ国鉄もお金をかけて整備するんだと妙に感心した。

 

更にフラフラと歩いていき、大きな池に出た。そこでは夜市が立っており、美味しそうなものが売られていたので、夕飯はここにした。大勢の人が食べ物を買って、楽し気に食べている。私はレイズンワッフルを頬張り、池を眺めて過ごす。陽がくれた頃、ホテルに辿り着いたが、足が痛くなる。歩きすぎだ。

タイ中部横断の旅2018(5)意外に快適なスコータイ

3.スコータイ
スコータイの宿

走っている道は全てアジアンハイウエーとの表示がある。一体どれだけのハイウエーがあるというのだ。2時間ぐらいかかってロットゥはタークからスコータイにやって来た。最近はどこでもそうだが、バスターミナルは郊外だ。とは言ってもここはまだ街に近い。それでも歩いて行けそうもなかったので、トゥクトゥクおじさんに100バーツで乗せられて、街へ向かう。宿も決めていなかったので、おじさんが勝手に連れていく。

 

スコータイは過去2度ほど、素通りした経緯がある。この付近で一番の観光地なのだが、観光地らしいところは、ぼられるし、いいことはないと踏んで、通り過ぎたのだ。今まさに、やはり観光地は、と思いながら、過ごしている。しかし結局ガイドブックに載っている宿へ行きたいというと、おじさんはあっさり連れて行ってくれた。明日は250バーツで遺跡まで連れて行くよ、と言いながら帰っていく。その後ろ姿は何となく寂しいが、悪い人ではない。

 

この宿、昔西洋人が開いたと書かれていたが、その人はもういないようで、英語の上手い女性が応対してくれた。バンガロー風の木造の部屋、それほど高くもないので泊まることにしたが、後で考えると机がないので困った。更には部屋の前の屋外テーブルでPCをいじることは出来たが、あまりにも蚊が多くて、作業は出来なかった。部屋は結構暗いので、夜は早く寝る。

 

昼は過ぎていたが、腹が減ったので飯を探しに出る。この宿、川沿いにあり、横には大きな寺がある。大きな道へ出て橋を渡ると本格的な街のようだ。だが食堂は皆閉まっていて、ようやく麺屋を探して食べた。この麺が優しい味でよかった。今日は天気もイマイチであり、宿でゆっくり休むのがよい。

 

夕方雨も降っていなかったので、散歩に出た。宿のすぐ近くには中国系の廟があり、ここも川沿いは華人が押さえていたことが分かる。この付近は現在外国人向け安宿が数軒あったが、どこも似たようなものだった。また腹が減り、道に出るとちょうどクレープの屋台があった。そこのお姉さんの愛想がよかったのでバナナクレープについ手が出る。これ甘いんだよね。

 

それから川を渡り、地元の人が良く行くという廟を訪ねた。確かにきれいで信仰心が沸きそうな場所だった。その後ろに回ると、大きな仏塔がいくつも立っている。そこで掃除していた青年僧が、突然英語で明るく『この街、エンジョイしている?』と聞いてきたのでちょっと驚く。でもこんな会話が異国では楽しい。

 

さっきクレープを食べてしまったので、夕飯は要らない。と思いながらも、串焼きを3本ほど買い、歩きながら食べてしまう。何だか最近お腹が妙に減るのだ。宿に帰る道で、車が立ち往生している。何と立ちはだかっていたのは、大きな野ブタ!怖そうだったので、襲われないように、端を歩いて退散。

 

8月8日(水)
スコータイ遺跡へ

翌朝は早めに起きたが、曇りだった。朝ご飯は宿のトーストとコーヒーで済ませる。宿の女性からスコータイ遺跡に行くには、大通りからソンテウに乗れば30バーツだと聞き、行ってみると、ちょうどその車がやってきて乗り込む。白人も何人か乗るが、満員にはならない。30分ぐらい揺られていくと、以前も通り過ぎた遺跡の入り口が見えてくる。

 

ソンテウを降りると正面に貸自転車屋があった。遺跡は広いので自転車で回るのがよいと聞いており、早々に借りに行く。何と僅か30バーツで1日乗り放題。しかも自転車返却を保証するための証明(パスポートなどを預ける)も不要という寛大なシステムに驚く。観光地と言っても、こんなところは素晴らしい。

 

自転車は快適に飛ばしていく。地図もくれたので、一番遠くの遺跡から回ることにしたのだが、3㎞ぐらい離れており、整備はあまりされておらず、しかもかなりの階段を登らなければ仏塔に辿り着かない。初期の寺院は丘の上に作られていたのだろうか。サンダルで来てしまったこともあり、途中で断念。

 

舗装された道をスイスイ行くと、メインの遺跡に入れる。チケットは最初に買ったもので3か所共有、1日使えるらしい(実は1か所100バーツ)。ワット・マハタートなど大型の遺跡は見る者を圧倒する。1200年代から1300年代にこれだけの施設が作られたということは、スコータイ王朝の強大さが見て取れる。この辺は観光客が多い。

 

日差しも強くなり、疲れも出てきたので、入り口横にある博物館に入って、この辺の歴史を確かめてみた。入場料150バーツ(外国人)はちょっと高いような気もするが、それなりの広さがあり、勉強にはなった。何より涼しい空間で休めてよい。さすがに自転車に何時間も乗ることはないので、疲労感が凄い。

 

それでも折角なのでと、東の方にも向かう。雄大な建物と仏像。どこまでも伸びていく感じが凄い。ただもう体力の限界に達したので、メイン遺跡を通りながら、遺跡とお別れする。さすがに腹も減ったので、観光客向けではない、裏にある食堂でまた串焼きを頬張る。これは幸せだ。

 

自転車を返却し、また30バーツのソンテウに乗って帰還する。なんて安い観光地巡りだろうか。これならまた来ようかと思う。午後は宿でゆっくり休養し、夕方また出掛ける。大きな大仏のある寺院をお参りし、その後屋台でカオマンガイの夕飯にありつく。

タイ中部横断の旅2018(4)メーソットで再会

セミナーが終わり片付けをしたが、フライトまではまだ時間があった。セミナーに参加してくれた以前からのお知り合いの2人が近くのパブにいるというので、そこへ合流してお昼ご飯を食べる。クラブサンドイッチを注文したが、バンコックではクラブサンドがなんと高いことか。1時間ちょっと近況などをお話して、タクシーでドムアン空港に向かう。

 

日曜日の昼下がり、タクシーで行けばすぐだと思っていたが、まさかの大渋滞。30分で行けそうなところを1時間半近くかかってしまった。それでも国内線ということもあり、時間的には余裕があるはずだった。ところが出発ボードを見ると、私のフライトはあと40分で出発予定となっているではないか。これには焦ったが、よく見ると、ディレーとも書かれており、元の時間に出発するようで安心した。でもなんでこんな表示?

 

久しぶりのノックエアーで1年ぶりのメーソットへ向かった。このフライトは小型機で、荷物もあまり持ち込めない。中国人や韓国人、インド系まで乗り込んできて賑やかだ。そしてなぜか日本人の若者グループが乗ってくる。恐らくは大学の視察ツアーだろう。こんな所まで来るとは、なかなかやるな。

 

2.メーソット
水だけが配られ、目をつぶっていると1時間でメーソット空港に到着する。本当に小さい空港だ。自分の荷物が運ばれてくるのが分かる。外へ出るとアイちゃんが恥ずかしそうに待っていた。1年の間に随分と成長した。にこやかな笑顔が可愛い。近くのホテルにチェックインして、隣のロビンソン百貨で夕飯を食べる。お土産の傘を渡すととても喜んでいるアイちゃん。

 

夕飯が終わると彼らはミャワディに戻っていく。一応国境の閉鎖時間もあるので、長くは一緒にいられない。昨年は私が国境を越えて行ったが、今回はちょっと顔を見るだけ、ということで、明日またこちら側で会う約束をして別れる。それからスーパーを見てみると、意外なほどの品ぞろえがあり、思わず好物のビスケットを買ってしまった。

 

8月6日(月)
メーソットで一日

翌朝はホテルでゆっくり朝食をとる。このホテル、最近できたばかりでデザインが面白い。Wi-Fiも問題ないし、朝飯もそれなりでよい。そのまま散歩に出た。実は昨年もメーソットには来たが、街をゆっくり歩くことはなかった。アイちゃんは午前中幼稚園なので、ちょうど時間が出来たわけだ。

 

いくつかの大きなお寺がある。これはタイ式なのだろうか、ミャンマー式もあるのだろうか。私には判別できないが、意外と規模が大きい。お堂でお祈りする。1年前同様に何もない街でも寺参りで充実する予定だ。小さな市場などもあったが、既に朝の商売を終えて休んでいる。私はパイナップルが食べたくなり、買い食い。これもまたタイ旅の楽しみ。ホテルの横はバーになっていたが、何とスパイダーマンと仮面ライダーがいた。

 

昼になるとアイちゃんたちがやってきて、去年も行った庭がとてもきれいなタイ料理レストランで食事をした。ここの料理は全て美味しい。ススはもう美味しいものしか食べないようだ。もうすぐ4歳になるアイちゃんは底抜けに可愛いポーズをとっている。写真が好きらしい。

 

スス一家は特別ライセンスでメーソットには自由に入れるが、メーソットの街で行ける範囲は時々変わるらしい。昨年行ったお寺には行けないというので、中国寺院に行ってみる。彼らミャンマー人にとっては、どれでも信仰の対象となり、まずはミャンマー式のやり方でお祈りしている。私は日本式でする。ここにも沢山の華人がいるのだろう。

 

夕方、ロビンソンデパートのゲームセンター?でアイちゃんを遊ばせる。暇があれば一日中遊んでいるというから元気だ。ここで30分、滑り台をしたり走り回ったり。ミャワディの友達も来ているようだった。運動した後は飲み物、ということで、ドリンクスタンドで飲み物を買って飲む。今やタイではドリンクの種類が非常に多く、抹茶と書かれているものも沢山あった。

 

その後ススが従業員のご飯の材料などを買っている。ミャンマーよりタイの方が安くて質が良いらしい。そんなミャンマー人のために、道路沿いには大型スーパーやホームセンターなどが並んでいる。取り敢えず来た時に買いだめする、ということらしい。最後にピザ屋で晩御飯を食べる。このピザ屋、今タイでは人気があり、出店が加速しているという。確かに手ごろな料金で、まあまあうまい。ここで時間切れとなり、アイちゃんとお別れして、一人ホテルに戻った。

 

8月7日(火)
スコータイへ

翌朝は雨模様だった。朝ご飯を食べるとタクシーを呼んでもらい、古いバスターミナルへ向かう。昨年もここを使ったので、その近さは分かっており、運転手が100バーツというのを50バーツに値切る。運転手もあっさり応じる。まずはロットゥでタークへ行くのも昨年と同じ。昨年はそこからソンテウで南下してカンペッペへ向かったが、今年はすぐにロットゥを乗り換えてスコータイに向かう。

タイ中部横断の旅2018(3)ヤワラーでリベンジを図るも

そこからスクンビットまで出るには通称赤バスが便利。だがこのバスがなかなか来ない。向こうの方に1台停まっているから、故障でもしたのだろうか。やっとのことでトンロー駅まで来て、BTSでアソークへ。こちらで以前お茶会会場を貸してもらっていたOさんと久しぶりに会う。

 

バンコックの人材派遣業にとって、この3年間の変化は大きかったようだ。日本企業も現在はサービス業の進出が中心。景気の割には給与も上がっているようだ。日本の大手派遣会社がどんどん出てきても、それでも地道にやっているところが凄い。相変わらず就職希望で活気があるオフィス。

 

帰りにアソークの交差点に差し掛かると、何やら人が並んでいた。数年前ここがデモ隊に占拠されたことを思い起こしたが、どうやら赤信号の間にパフォーマンスする企業の宣伝か、またはYoutubeなどへの動画配信を目論んだ仕掛けのように見えた。まあ平和なことは悪いことではない。

 

8月4日(土)
ヤワラー2

いつもの朝のルーティンをこなし、一昨日も行ったヤワラーへ。一昨日の活動があまりにも不本意だったのでリベンジ。今回はちゃんとバスに乗り、ワットトライミットで降りる。この寺は黄金仏で有名で観光客が多い場所。基本的にこういう寺には行かないのだが、今日はある目的があった。

 

それはここに華僑博物館があるというので、ヤワラーの華僑の歴史を勉強するためだった。日差しの強いワットトライミット、黄金仏を見学するだけなら40バーツだが、博物館に入るには更に100バーツ掛かる。これでは興味のない人は仏様を拝んで退散だ。私がこの仏を拝んだのは、恐らく20年以上前、折角なのでまずは上まで登って参拝する。そしてこの寺院の由来などの展示を簡単に見る。

 

その後で2階に戻り、博物館に入る。ここに入ってくる人は殆どいない。1-2時間に1度、説明フィルムの上映もあるが、その時間ではなかったので、まずは展示物を見る。1800年前後、ラマ1世の時代に、首都建設のために中国系に土地を与え、その貿易による経済力、労働力を活用したのが、ヤワラーの始まりだった。その後歴代の王様と協力して、バンコックを発展させていった様子が窺える。特にコメ貿易で財を成した華僑が多かったようだ。最後に私一人のために紹介フィルムを上映してくれた。

 

そこから久しぶりに三馬に行ってみる。相変わらず中国語は通じず、片言の英語で応対される。ここには包種茶はないかと聞いてみたが、話が通じない。後ろの表示を見ると、武夷奇種があったので、そのお茶を見せてもらったが、特別水仙と書かれており、値段も高かった。むしろ横にあった茶が台湾から来た緑茶だ、と説明されており、こちらが包種茶かもしれない。

 

それからフラフラと歩いていると、文山包種という文字がいきなり目に飛び込む。そこにあった茶荘、中にいたおじさんに中国語で話しかけたが、あまり要領を得ない。ただよくよく見ると、パッケージに有記銘茶の文字があり、おかしいなと思う。おじさんは『ここが有記銘茶だよ、台湾にもあるだろう』と言っているが、俄かには信じがたい。それでも最後に奥から出してきた包種茶の包装はどこか台湾ぽいので、なぜだろうとは思う。この店に関しては後日確認したいと思っている。

 

いつも街歩きはサンダルなのだが、突然履いてきたサンダルが壊れてしまい、往生した。雑貨屋や服屋はいくらでもあるのに、サンダルを売っている店がなかなか見つからない。片方の足を引きずるようにして、探し回り、ようやく新しいものを手に入れた頃には、かなりの時間が経過しており、疲れ果ててしまった。

 

またもや不完全燃焼の中、何とかバスに乗り込み、帰る。だがこのバス、エアコンバスなので行先を車掌に言って切符を買うのだが、私が場所を言うと『そこには行かないから降りろ』と言われてしまう。私はこのバスに何度も乗っていて、よく分かっていると英語で言ってみても埒が明からない。横のおじさんが助け舟を出してくれるも、車掌のおばさんは頑として聞き入れない。最後はとにかく乗せてくれ、とお願いして、何とか切符を買わせてもらう。英語おじさんが言うには『あんたの下りたい場所は、このバスの停留所から歩いて7分はかかるから』と説明され、本当にあきれ返る。タイ人はなぜ歩かないのか。

 

8月5日(日)
お茶会2

翌朝は宿をチェックアウトして、荷物を持ってお茶会会場に向かう。今日は何とMさんの家が停電だとかで、急きょ会場を探してくれたようだ。そこは以前話を聞いたことがあるサロンで、広々としていた。だがやはりここでもプロジェクターとPCの接続で手間取る。最新のPCと数年前のプロジェクターでは、接続口などが異なっているのだ。

 

それでもなんとか接続し、お茶会はスタートした。今日は休日で、一昨日より多くの人が来てくれた。何とその中には偶々バンコック旅行に来ていた、熊本県荒尾在住の人までいた。よほど熊本にご縁があるようだ。話は一昨日と一緒だが、その中に昨日のヤワラー体験なども盛り込んでみたが、どうだったろうか。

タイ中部横断の旅2018(2)バンコックで行く懐かしい場所

8月1日(水)
昔を思い出す1日

翌朝は天気が良かった。毎朝恒例8時からのコーヒータイムでYさんから最近のタイ情報を仕入れる。以前はカフェラテだったが、今はアメリカーノのホットに変わっている。健康を気遣う歳なのだ。そのまま私は朝ご飯を食べに外へ出る。もう定番となっているコムヤーンだ。これにモチ米、カオニャオを付けて僅か45バーツ。こんなに幸せになれる朝ご飯はない。

 

部屋に戻って何だかやっているとすぐに昼が来て下に降りる。Yさんが、遠出するので、と言ってバイタクに乗る。歩いても僅か10分以内のところを歩かないんだな、タイ人は。周囲のランチにあまりに飽きてしまったので、少し遠くの店に来たのだが、特に大きく変わり映えのする料理があるわけではない。まあ気分転換とはそんなものだろう。

 

午後はそのバイタクに乗ってスクンビットまで出た。さすがにスクンビットまで歩いていく気力は今の私にはない。懐かしいカフェにそのオーナーを訪ねた。ここでは昔お茶会をやり、茶旅の報告を行っていた。元々は日本人向けのカフェでカラオケもあるが、最近は日本人以外のお客が増えているようだ。

 

それからエンポイアムでYさんと待ち合わせして、IPhoneを買いに行く。これは一昨年と同じ行動。今年になってスマホが急に壊れ、慌てて台湾で中古を買ったのだが、折角なので、新しいのを買い直そうということにしたのだ。タイ語が出来る上、スマホに詳しいYさんの助けは必須だった。

 

前回は安いスマホがあったのだが、今回同じ店に行ってみると、新しい機種は日本とそれほど変わらない値段になっている。型落ちの品でもそれほど安いとは感じられない。この2年の間に、バンコックの消費力はやはり向上しているのだろうか。それでも日本で買うと色々と制限が掛けられている可能性があるので、比較的安めのものを購入したが、次回はもっと安い中国製スマホに切り替えた方がよいようにも思う。

 

夜はターミナル21の様子などを見に行ったが食べたい物もなく、宿へ戻る。途中にパッタイ屋があったので、そこで夕飯を済ませたが、その先の屋台で豪快に鶏肉を焼いているのが目に入り、思わず2本も買い食いしてしまう。僅か20バーツ、そしてこれがまた美味い。

 

8月2日(木)
ヤワラーへ

翌日はコーヒータイムの後、チャイナタウンヤワラーへ向かった。バス一本で行けると思ったが、そのバスを見逃してしまい、別のバスに乗ると大渋滞の上、MRT駅近くには停車せず、大混乱。ファランポーン駅からバイタクでヤワラーの通りまで出る。何だかぼられた気分。

 

明日はお茶会もあるので、ネタになりそうなお茶を買いに行くと、いつものお茶屋に息子がいて中国語が上手い。取り敢えず南港茶と書かれたものを購入する。その後も資料はないかと本屋を覘くが前回同様目ぼしいものはない。何だか思いのほか疲れてしまい、何もしないまま、飯だけ食って、ヤワラーを後にする。

 

午後は休養することにした。よく分からないが疲れているようだ。日本に比べれば、すごく暑いとは感じないバンコックではあるが、どうやら先日の関西旅行のツケが回ってきている。こういう時は大人しくしているのが一番だ。明日のお茶会の準備でもしようか。

 

8月3日(金)
お茶会1

翌朝は早めに起き、体調を確認する。いつものコーヒータイムを終えて、そのままタクシーに乗り込み、トンローに向かう。Mさんの家で開催されるバンコック茶会、一体何回開かれたんだろうか。毎回なぜかPCとテレビ画面の接続に苦労しているが、今回も何とか繋がる。

 

このお茶会、1年ぶりに開かれるが、毎回来て頂く常連さんと初めての方とで、良い感じで続いている。正直お茶とのご縁が少ないバンコックで、台湾茶の歴史の話をしてもどうかとは思うのだが、普段はほぼ聞く機会のない話ではあるので、偶には良いのかもしれない。次回はぜひタイのお茶の歴史、をお話ししたいと思った。

 

今回もヤワラーのお茶を出したり、台湾とヤワラーの繋がりを紹介してみたが、やはりご当地話の方がウケは良いし、話に入り易い。いずれにしてもいつも通り2時間があっという間に過ぎていく。因みに参加者の自己紹介をお願いしようと思いながら、全然できていないのは、私の困ったところだ。今回参加者の中にも、あとでFBを見たら、熊本県山鹿市出身の人がいた。山鹿は明治初期、日本で初めて紅茶伝習所が作られた場所だ、と伝えるべきだった。

 

お茶会参加者にランチに誘われた。会場のすぐ近くには日本食屋も沢山あるが、そこに最も勢いのある居酒屋チェーンが、プレミアムな居酒屋をオープンさせ、豪華なランチを提供していた。もう安いだけでないバンコック、このような試みは興味深い。そしてゆったりと美味しいランチを堪能する。