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サクッとビエンチャン旅2020(1)ウドンタニーから

《ビエンチャン旅2020》  2020年3月13日-14日

元々タイには2か月のつもりでやって来ていたが、その2か月は既に過ぎていた。ここ9年、ひたすら旅を続けてきたが、これほどまでに情勢が変わっていくのは、あまり記憶にない。とにかくどこにいるのが自らの旅にとって一番良いのか、安全か、動きやすいか、などと考えなければならないことはかなりの異常事態である。取り敢えず決めたことは、日本の方が危険なのですぐには帰らないということだけだった。

ただ問題はタイ滞在のビザ免除がもう少しすると切れることだ。昨今の情勢下、どこの国に行って戻ってくるのが利巧なのか。いや、事態が急変してもタイが受け入れてくれる国はどこなのか、を考えて、先月同様ラオスを選択した。だが先月のパクセーは多分に旅行であったが、今回はできるだけ早くバンコックに戻ってくるのが目的、という、私の旅としては珍しいものとなる。

3月13日(金)ウドンタニーからビエンチャンへ

一番簡単なのは、バンコック‐ビエンチャンを飛行機で往復することだが、さすがにそれではあまりに芸がない、ということで、ウドンタニーまで飛行機で行き、バスで国境を越えて、ビエンチャンから飛行機で戻る、というルートを選択した。当日戻るのはちょっと、ということで、ビエンチャンに1泊することになる。

フライトはタイスマイルを選んだ。先日ミャンマー行の国際線に乗ったが、今回は国内線に乗ってみる。少しでも変化をつけないと、旅が余りに単調になってしまう。タイスマイルは国内線でもスワナンプームから出る。MRTからエアポートリンクと乗り継いで空港へ向かった。さすがに車内は空いている。そして空港もガラガラだった。これはほぼ予想通りだ。

国内線にチェックインするのは何年ぶりだろうか。カウンターで『明日ビエンチャンからバンコックに戻るが、何は要求されるものはないか?保険とか?』と聞いてみたが、皆ポカーンとしている。そして空港インフォメーションで聞いてみたらというので、今度はそちらへ回ったが、『それは各航空会社が要請するものだから航空会社に聞け』と言われ、全く埒が明かない。この辺は如何にもタイ的な対応だった。 荷物検査前にはきちんと検温される。

国内線の搭乗ゲート付近には、意外ときれいなお店が並んでいた。でもタイ国内に行くのに、ここで買い物する人がいるのだろうか。田舎の親戚にお土産でも買うのだろうか。フードコート的な物もあるが、料金は国際線のところとあまり変わらず高い。賃料は国際、国内ともに変わらないのだろうか。

機内に乗り込むとCAはマスクに手袋の重装備だった。乗客は半分ぐらいか。殆どがタイ人のように見えた。知り合い同士は隣に座っているが、一人客などは間を空けた席が指定されている。一応パンなども出たが、飲み物もペットボトルの水だけだった。まあ1時間はあっという間だった。

ウドンタニーには数年前、ビエンチャンからバスで来て、そのまま空港から飛行機に乗ってしまったので、街の印象はない。そして今回もまた、街に寄ることはなく、そのまま国境へ向かう。因みに2週間ほど前にビエンチャン行きを思い立った際に、ウドンタニーに1泊するつもりで、キャンセル可能なホテルを予約していた。

だが予約日は16日であり、今回は泣く泣くキャンセルする。ところがキャンセル無料なのは1週間前までだったことに突如気が付き愕然としたものの、実際キャンセルボタンを押すと、その後全くキャンセル料を取られることはなかった。このご時世、ホテル側も仕方がないこととして扱っているのだろうか。

ラオス国境まではミニバスが出ている。カウンターで200バーツ払うと、バスまで案内された。いつ出るのかと聞くともうすぐとのことで好都合だった。だがその後乗ってきたのは3人だけで、いずれもタイ人。結局4人しかいないのであればと、別のタクシーに詰め込まれ、狭い思いをしながら国境を目指す羽目となる。タイミングは金曜日の午後、いつもなら外国人のビザラン希望者が乗ってくるはずだが、週末はビザ申請もできないので、空いているようだ。いや、元々ビザランする人ももういなくなっているのかもしれない。

車は国道に出た。いい道だ。意外と車が走っている。何となく1時間ほど走っていくと、国境に着く。まず一人がその手前で降り、次に私が国境の入り口付近で降ろされた。ということは、ラオスに向かうのは私だけということだ。タイ側イミグレに繋がる道で、『ビエンチャン行くか』とタクシー運転手に声を掛けられた。500バーツで行くというのだが、無視してタイ国境を歩いて通過した。

出た所で通行税を支払うゲートがあったが、今日は無料開放。バスに乗るには15バーツ。ボロボロのバスには既に結構人が乗っていた。かなりの荷物を持って乗り込んでくるので、ラオス人かな。バスはなかなか出発しないので暑かったが、時間はあるのでゆったりと構える。

ちょっと北京散歩2019(3)苦節5年、ついに決着

10月23日(水)
ついに決着

今日は午前中、ティールームで旧知のMさんと会った。Mさんとは今年3月、四川の旅をご一緒し、団体さんが帰った後も、本格茶旅に付き合ってもらった。彼女も北京滞在20年を越える人だから、一応Hさんにも紹介する。Mさんが気功、薬膳の話をすると、サックスを吹いているHさん、呼吸の話に大いに興味を持ったようだ。

 

今や殆ど見られなくなった武夷山の白鶏冠のサンプルをもらい、Mさんが淹れてくれた。驚いたことに、彼女は来月住み慣れた北京を離れ、上海に引っ越すらしい。自分の決断ではないようだが、偶には環境を変えてみたい、ということだろうか。上海に行けば、きっと北京を懐かしむことになるだろう。Hさんは途中で香港に帰って行き、今回の私の任務は全て終了した。

 

昼は隣のビルに勤務する、元同僚の中国人と会う。これまで会う時は、出来るだけ彼の家のある、中関村方面にしていたが、今回はランチしか空いていないというので、珍しく職場付近になった。年度末ということもあり、彼はとても忙しく、食事の途中で職場から電話があり、あっという間に呼び戻されてしまった。やはり職場の近くではゆっくりできない。そして現在中国経済が置かれている状況についても何となく分かる感じがした。

 

午後はまた西の方へ行く。もう5年以上前に銀行カードを失くしてしまい、そのために現金も引き出せないし、口座の解約もできない状態がずっと続いていた。既に10年前に北京を離れており、5年前に北京を旅した時からこの戦いは始まった。簡単に再発行できるだろうと思っていたら、何と口座開設時に登録したパスポートが更新されており、古いパスポートも持ってこないと手続きできないと言われたことに始まる。

 

その1年後に行っても、『お前の口座は見つからない』とか、『カード再発行には1週間かかる』とか、言い訳をさんざん言われ、どんどん手続きは厳しくなり、ようやく2年前に再発行の手続きをしたが、1年前に取りに行く時、何と間違えて隣の支店に行ってしまい(大手銀行の支店は多すぎる)、らちが明かず。そしてついに今日、全てをそろえて万全の態勢でカードを取りに行った。

 

しかしやはり、2年前に申請したカードをきちんと管理しているほど、中国の銀行は甘くない?ただ彼らも私の事情は十分に分かってくれ、懸命に探しているようだったが、最後は本店に電話を入れて、カードなしで口座を解約して、口座残高を現金で渡してくれた。ああ、苦節5年、中国の銀行とは何と面倒なことか。いや日本でも対応は親切だろうが、手間はかかるだろうな。ただ中国で今から外国人が口座を作るのは大変だとも聞いており、口座を残しておけば、何かに使えるかもしれず、ちょっと残念だった。

 

それから東の方に戻り、昔住んでいた辺りを散歩していると辺りが暗くなる。そのまま歩いてホテルまで帰ることにしたが、今晩は予定もなかったので、その辺で夕飯を軽く食べてから戻ろうと思った。が、オフィス街では一人でサクッと食べられる店は多くはなく、結局ホテル裏のモールで麺を食べた。このモール、夜もレストランは意外と混んでいる。仕事帰りのOLが一人で食事をしている姿も見られた。今やデリバリーフード全盛の中国だが、勿論外で食べる若者もいるのだ。

 

夜は部屋でサッカーACL準決勝、浦和対広州恒大の試合を見た。今季リーグ戦不調の浦和だが、この試合に賭けていたのか、第一線のアドバンテージも生かして何とか競り勝つ。その後NHKでニュースを見ていたが、香港騒動のニュースはきれいにブラックアウトしていた。ウイグルと香港は見られない。

 

10月24日(木)
台北へ

今朝は5時に起きて、6時前にホテルを出た。朝8時半のフライトで台北へ帰るためだ。私はこんな朝早いフライトを選択することはないが、今回はスポンサーが選んでくれたので、仕方がない。そもそも昨日変えるべきところを1日延長してくれたのだから有り難いと思わなければいけない。そしてちゃんと運転手が空港まで送ってくれるのだから尚有り難い。

 

朝の空港は相変わらず混んでいたが、それでも比較的スムーズに通り抜けた。既に9月末より大興空港が開港したとニュースでは聞いているが、まだ殆どのフライトは北京空港を使っているらしい。巨大空港の試運転はいつまで続くか分からない。北京市内からも相当に遠いようで、利用者は大変だ。私は今後も安全なエアチャイナを使うことにしよう。今回は自分の旅ではないので、あっという間に過ぎてしまった。目をつぶっていると台北に着いてしまう。

ちょっと北京散歩2019(2)新旧北京を巡る

そこから王府井に歩いて出た。ここも以前に比べれば歩いている人は多くない。既にかなり疲れてきたので、ここから地下鉄で帰ろうと思ったが、ちょうどそこに北京飯店があり、Hさんの希望で見学することにした。入ってみると、昔の面影はあまりなく、ロビーはすっかりきれいになってしまっていた。

 

コーヒーショップでコーヒーを飲もうと注文すると、ウエートレスがいきなり『今日はシステムに不具合があり、現金は使えませんが、大丈夫でしょうか?』と訳の分からないことをいう。現金しか使えない、の間違いではないのか。私が支付宝を持っているというと、ウエートレスはホッとした顔でコーヒーを提供する。外国人が利用するホテルで一杯63元もすると飲み物の支払いさえも、難しくなってきている。最後にシステムが治り?Hさんが現金で支払って、ご馳走になることが出来たのはよかった。

 

ホテルに戻って休む。夜は知り合いのMさんとKさんに来てもらい、昨日の夜と同じレストランの同じ個室で食事をした。目的は昨今の北京情勢を聞いて、12月のイベントに備えることだった。この二人とはもう10数年の付き合いになるが、こんなフォーマルな席を共にするのは初めてであり、何だか緊張する。オーナーからは高級ワインの差し入れもあり、いつもと様子が違う。それでもHさんが質問を連発して、かなり長い時間を付き合わせてしまった。まあ、偶にはいいか。

 

10月22日(火)
北京散歩2

今朝も天気が良い。朝飯の後、テレビを見る。このホテルではNHKワールドプレミアが映るので、便利ではある。今日日本は祝日、雨の中、新天皇の即位の儀式が行われており、生中継を見ることが出来た。この儀式については賛否あると思うが、色々とものを考える節目にはなる。

 

大戦後、昭和天皇はなぜ退位しなかったのか、とても疑問に思っている。そしてその流れが平成天皇の生前退位となったような気がしてならない。皇后など皇族の服装などに関心が集まるのは、正直ちょっと頂けない。ワイドショーとは、『話を広げる』という意味なのだろうか。

 

快晴の北京で外に出た。茶荘の店長に連れられて、三里屯に行ったのは意外だった。そこには、何と高級車のショールームがあったのだ。我々とは無縁に思われる高級車だが、そこにも高級茶として岩茶が置かれ、スタッフが派遣されて、上客に茶を振る舞っているという。写真を撮ることを遮られた車、聞けば1台日本円で1億円ぐらいするらしい。ショールームと言っても既にほぼ予約済みの車が飾られているようだ。やはり中国経済の勢いは未だ全て止まったわけではない。

 

その後早めのランチを食べに行く。店長と運転手は共に北京人だといい、かなり力を入れて?伝統的な北京料理をオーダーしてくれた。この店は最近流行っていると言うだけあって、店内もきれいで、料理の盛り付けなどもインスタ映えする内容だった。私は久しぶりに濃厚な味付けの腰花が食べられて、満足する。Hさんも初めての北京料理に『意外にうまい』と言って手を伸ばしている。

 

一度ホテルに戻り、ホテル裏にあるショッピングモールを見学する。昼時は近所のオフィスビルからOLなどが大量にランチにやってくる場所で、それ以外の時間は閑散としているらしい。もしイベントをするなら、ランチタイムしかないな、と感じる。今北京にはモールが多過ぎて、お客も相当に分散している。

 

午後はHさんの希望で、什刹海へ地下鉄で向かう。ここにジャズクラブがあるので行って見たということだったが、確かに東岸という名前のクラブが存在した。北京にもジャズ好きがいるのだな、と初めて認識する。そしてここに出演している人の中に、日本人もいるのに驚く。活躍の場を中国に求めた人々なのだろうか。いずれにしても昼下がりに演奏はなく、お客もおらず、その雰囲気は掴めないが、建物の古めかしい感じは悪くない。

 

そのまま歩いて南羅鼓巷まで行く。ここは昔大好きな場所だったが、今は新しい土産物屋や食べ物屋が並び、大勢の観光客の波が押し寄せ、完全に浅草のようになってしまっていた。ここが初めてのHさんには、ちょっとした北京下町散歩で良かったようだが、昔を知る者からすればかなり残念な状況だと言わざるを得ない。

 

夜は西側まで地下鉄に乗って行く。旧知のWさんと会うためだ。10号線に乗って行ったが、やはりそれほどの混雑がない。駅を降りてから、大きなモール付近にあるレストランを探すのに苦労した。北京でも珍しい南京料理の店で、美味しい魚をご馳走になった。Wさんは更に精力的に活動しており、頻繁に日本にも行ってようだ。Hさんとも話が合い、楽しい夜を過ごした。

ちょっと北京散歩2019(1)天安門へ

《ちょっと北京散歩2019》  2019年10月20日-24日

昨年12月の香港及び北京、今年4月の香港そして武夷山でお世話になった香港のお茶屋さんのイベントに関して、またお声がかかった。ただ今回は何と12月に北京で行われるビックイベントの下見として、日本人Hさんのお供をするという、ちょっと変わった旅となる。久しぶりの天安門に北京飯店、何となく新鮮で不思議な体験だった。

 

10月20日(日)
北京へ

台北から北京に行く。初めての試みだ。航空会社はエアチャイナ。まずはバスで桃園空港に向かう。中華航空やエバ空港と同じ第2ターミナルから出発する。エアチャイナはエバ航空と同じスターアライアンスグループだが、ラウンジは中華航空の場所を使うらしい。搭乗ゲートが近いからという理由だったが、如何にも中国人のニーズに応えた対応だと思われた。

 

エアチャイナには何度も乗っており、機内はいつもと何ら変わらない。3時間ちょっとで北京に到着する。ところが空港の入国審査、外国人が殺到しており、審査場に入るのが制限されるほどだった。ようやく審査の列に並んだが、長蛇の列でいつ辿り着くのかも分からないほどだ。こんな北京空港、見たこともない。何かあったのだろうか。旅行シーズンということか。

 

列に並びながら、周囲をキョロキョロした。ほぼ同じ時間に香港からやってくるHさんを探してみたのだが、人が多くて見付からない。フライトもちゃんと着いているのか分からない。そんな時、Hさんの姿が目に入り、無事合流できた。そしてダラダラと1時間ほどかかって何とか入国する。ちょうど直前に北大の准教授が中国で拘束される事件もあり、少し緊張したが、何事もなく過ぎた。

 

出口には、迎えの運転手が待っていた。昨年12月と同じ人だった。Hさんは北京が約20年ぶりだと言い、何から何まで見たこともない風景だという。今日は日曜日ではあるが、三環路のホテルに着くまでには、かなりの渋滞があった。空気は以前に比べるとかなり良くなっており、気候も10月の秋の北京で気持ちがよい。

 

ホテルに着くと、香港から来た老板が我々を待っていてくれた。早速レストランの個室で、夕飯が始まる。蒸し魚、茹でエビ、北京ダック、そして極めつけは季節の上海ガニ。それも1杯、300gもある特大の蟹で、これまで食べた中で最大だったと思う。しかも一人3杯も用意されてあり、残念ながら2杯しか食べられなかった。何だか全てが超高級なメインデッシュだけで構成された夕食で、驚いてしまった。Hさんは麻婆豆腐が食べたいと言ったが、結局出てくることはなく、腹は完全に一杯となり、すぐに部屋に戻り休む。シャワーを浴びて寝ようとしたところ、バドミントンの男子シングルス決勝に桃田が出ており、それを見ながらそのまま眠りにつく。これは何とも幸せな夜だった。

 

10月21日(月)
北京散歩

朝は快晴だった。まさに北京秋天。朝ご飯をホテルで食べると外へ出てみた。気持ちがよい。近くのセブンイレブンに行くと、若いサラリーマン、OLが朝ご飯を買っていた。私以外は全員スマホ決済で、現金を出した私を見て、『どこの田舎から来たおじさんか?』といった顔をしているのがよく分かった。

 

午前中は、ちょっと打ち合わせがあり、今回北京に来た目的の一部を早々に果たした。私の役割は、こちらの秘書とHさんの通訳をすることになった。また同時に中国の習慣などをHさんに伝えることも必要となる。このホテルでは今晩、映画の新作発表会があるらしく、その準備が進んでいた。若い二人の主演俳優の写真や映画ポスターなどが展示されており、ファンなのか若者が盛んに写真を撮っていた。

 

昼ご飯は公寓のレストランで特別にスパゲッティーを食べた。こちらも12月にちょっとしたイベントをやる予定で、打ち合わせした。併せて2階のプライベートティールームにて、私の小セミナー開催も決まった。北京でお茶の話、一体何を話せばよいのだろうか。でも日本語でよいというのでかなり気は楽だ。でも誰が聞きに来るのだろうか。

 

午後はHさんの北京散策に付き合った。地下鉄に乗って天安門広場へ行く。地下鉄カードを忘れてきてしまい、一々切符を買うのがとても面倒だったが、いずれにしてもHさんの分は買わなければならなかったから、手間は一緒だ。昔は大混雑だった1号線、車両もきれいで心なしか空いている。

 

天安門東駅で降りると、警備は以前より厳しかった。広場へ向かう道もかなり制限されている。つい20日前に建国70周年の記念式典があったのだから、その名残だろうか。広場に行ってみても以前に比べて観光客が少ない。特に中国の地方から来た人、お上りさんがそれほど多いと感じられない。これだけ天気の良い10月、昔なら観光客で埋まっていたはずだが、何か制限でもあるのだろうか。天安門の下を潜り、門の上に登れるかと思って見てみると、切符売り場はきれいに無くなっていた。

 

ごく一部の人が横からひっそりと登っていくのが見える。どうやらここを登るには事前予約が必要らしい。更には故宮に入るにも、QRコードの読み込みなど、面倒な作業が必要らしい。しかも月曜日は休館日で閉鎖されており、結局入ることは出来なかった。本当に外国人にとっては、不便な国になったと言わざるを得ない。

タイ南部を歩く2019(5)ハジャイへ、そして国境へ

8月13日(水)
ハジャイに戻る

翌朝雨は降っておらず、ホッとする。バスターミナルへの道をどのように行くかが気がかりだったのだ。ホテルで車を頼むと高いだろうと思い、近所でトゥクトゥクを探す。待合場所に車はあったが運転手がいなくて焦ったが、すぐにやってきたので、それに乗ってターミナルへ向かった。これも僅か50バーツで済む。

 

予約したハジャイ行きのバスは10時にきちんと出発する。さすがに乗客は半分ぐらいだろうか。大型バスで座席もゆったりしており、ミニバスより快適に過ごせる。バスは先日スラッタニーから来た道をひたすら逆走する。半島横断のところにはプーケットまで200㎞の表示がある。プーケットから飛行機という手もあったかな、とは思うが、それもまた遠い。

 

このバスはあまり停まらないで、どんどん進んでいく。風景は特に見るべきものもなく、途中から寝入る。半島の反対側に辿り着き、南下を開始する。その頃ようやくトイレ休憩があったが、食事休憩は何と午後3時ごろになっていた。そこで軽く麺をすする。本当にハジャイまでは遠かったのだと実感する。そしてスラッタニーからハジャイまで思い付きで行ったことが嘘のように思える。

 

スラッタニーなどの街には寄らず、国道本線をひた走る。さすがに車内にじっとしているのは退屈になる。途中工事などもあり、車が渋滞していつハジャイに着くのか心配になる。日は傾き、そして落ちていく。列車で北上した場所を南下しているのだろうが、もうどこを走っているのかさえ、分からなくなる。そうして9時間かけて、ついにハジャイの郊外までやってきた。

 

荷物はあったが、大丈夫というのでバイタクを拾って、駅まで行く。意外と距離があるんだな。これも60バーツ。そして事前に下見した駅にあるステーションホテルにチェックインした。かなりたくさん部屋があるようだが、泊っている人は多くはない。部屋は結構広いが特に備品は何もない、殺風景な部屋だった。それでも電気ポットもあるし、Wi-Fiの問題もないので便利である。何より明日列車に乗るのは何とも楽だ。

 

兎に角腹が減ったので、前回行った食堂へ向かう。何と団体客で満員だったが、端っこに座り、海南チキンライスを食べる。この団体、年寄りの華人が多いが、態度がかなり横柄な人がおり、従業員も困っていた。言葉が通じると途端に横柄になる人、日本人にもいるな。

 

8月14日(木)
アロースターヘ

翌朝は列車の音で目覚める。如何にもステーションホテルだ。今日乗る列車は午前7時半に出るので、7時過ぎまでゆっくりしてからチェックアウト。そしてそのまま切符を買い、ホームへ向かえるのが何とも良い。でも、なぜかこの列車、電光掲示板には表示されていなのでちょっと不安になる。

 

だが列車は既にホームにあり、すぐに乗り込めた。マレー系と思われる人々がかなり乗っており、これがマレーシア方面に向かうという雰囲気を出していた。車体は前回乗ったのと同じかな。固い椅子席に座る。定刻には出発して、すぐにのどかな田園風景になる。昨日の疲れもあり、ウトウトしているといくつか駅を過ぎる。

 

パダンブサールという国境の駅に着いたが、殆どおりない。ここはタイ側の駅であり、マレーシアに行く人はマレーシア側のパダンブサールで乗り換えなければならない。この辺は知らないと焦る場面だ。同じ名前の駅が二つあるのは、何ともややこしい。そしてハジャイから40分ちょっとで、マレーシア国境まで辿り着いた。

 

駅を降りると、そのホームから直接、タイ出国審査が受けられるようになっている。更にはそこを越えて少し行くと、今度はマレーシア入国審査まで受けられる。初めての外国人はちょっと戸惑うが、何とも便利である。無事マレーシアに入国すると、2階に上がり、チケットを買いに行く。私はマレーシアリンギを持っており、アロースターまで簡単に買える。

 

多くの乗客はクアラルンプールまでの早い電車に乗るため急いでいるが、私が乗るバターワース行きはさっき行ったばかりで約1時間待ちとなる。KL行きが出てしまえばのどかな駅となる。外に出ることも可能だが、国境以外何もなさそうだったので、待合室で待つ。ようやくやってきた電車はコミューター。確か佐賀県あたりで何回も乗った車両に似ている。ハリラヤ避難のタイ南部の旅は予想外の展開となったがこれで終了した。

タイ南部を歩く2019(4)ボートに乗ってミャンマー コータウンへ

8月12日(火)
コータウンへ

翌朝は一転、よく晴れていた。ハジャイに戻るのは明日にしていたので、今日はダメもとでミャンマーを目指すことにした。というのは、ホテルのフロントの感じの良い女性に聞くと『ここからミャンマーに渡るのは、今は雨期だからダメで10月以降解禁だ』と言われたからだ。

 

まずはどうやって港まで行くのか。ネットで検索すると、ソンテウの番号まで出てきたので、市場まで歩いて行き、それを探す。運転手に『ミャンマー』と叫んでみると、これに乗れ、と指さされたので、ソンテウに乗り込む。一緒に乗っている人々はほぼミャンマー人だったから、彼らについて行けば何とかなるだろうと思った。

 

30分ぐらいでソンテウは港に入った。乗客はどんどん降りて行き、向こうで待っているボートに乗り込んでいく。なんだ、誰でも行けるんだ、と安心したが、私はタイを出国しなければならない。イミグレオフィスはすぐ横にあり、そこに入っていくと『あなたはここに戻りもう一度タイに入国しようとすれば、これで今年2回目の陸路入国になるので、今後は陸路では入れませんよ』と念を押される。こんなことは初めてだが、承諾する以外に出国の道はない。

 

手続きが済むと、ボートの客引きがやってくる。どれに乗ってよいか分からず、とりあえず聞いてみると、100バーツだという。もっと安いボートはないかと聞いたが見つからず、適当に乗ったボートは客が集まらず、なかなか出発しない。他のボートはお客までが客引きして、出発を早めようとしている。

 

ようやく出発すると、助手の男がすぐに身分証を回収する。私のパスポートも預けたが、彼はずっとそれを手に持っており、落としはしないか気が気ではなかった。出発してすぐにボートのチェック基地があり、そこを過ぎると30分ぐらい揺られていく。天気が良いので特に心配はないが、海が荒れたら大変だろうな。

 

コータウンの港に着くと、乗客は我先に陸に上がり、そのままどこかへ姿を消してしまった。私は周囲をキョロキョロしたが、イミグレが見付けられず、オロオロする。密入国になってしまうではないか。何とか建物を見つけてパスポートを差し出すと、パスポートのコピーが必要と言われ、表に出てコピーして戻る。この間も入国手続きしていないのに、自由に歩き回る。もう密入国だ。

 

日本人はビザ免除なので、すぐにハンコは押された(以前は日帰りビザで10ドル支払っていたらしい)が、『いつ帰るんだ』と聞かれ、今日と答えると、何と2つハンコが押してある。『帰りはここに来なくていいよ』と言われ、すでに出国のスタンプが押されていることが分かる。何と合理的な、いやずさんなイミグレだ。ここは完全に自己責任型なのだと理解し、密入国者はいとも簡単にできる、ことも分かる。まあ国内に手引する人がいなければすぐに捕まるだろうが。何故タイの国境付近の警備が厳重化、その理由が分かったような気になる。

 

街を一周してみたが小さなところだった。取り敢えず腹が減ったので、食堂に入る。汁なし麺を頼むとこれが予想外にうまい。スープは別についてくる。そしてティーミックス。甘いがとてもいい。店の人々は華人のようだが、英語も話すので助かる。手持ちのミャンマーチャットで支払う。

 

小高い丘に登り、全体を見渡してみたが、やはり海に張り付いた狭いエリアに住居が見える。向こう側の丘には寺院が見えたので、そこまで歩いて行ってみる。この登りは意外と疲れる。しかも雨が降った後なのに、寺に入るには靴も靴下も脱がなければならず、ちょっと困る。

 

市場の中も歩いてみたが、茶葉を見ることはなかった。発酵食品系の物は色々とあり、興味深い。スーパーがあったので、そこでティーミックスを買い込んだ。私がミャンマーに来た目的はこれだったのか、と思ってしまう。でも暑い国を歩いていると無性に飲みたくなる。コーヒーではないのだ。最後は歩き疲れて休むために食堂に入った。肉まんを食べて、コーラも飲んだ。

 

僅か3時間の滞在でコータウンを離れることにした。帰りのボートを探していると、すぐに出るというのがあったので乗り込んだ。ところが乗客は私一人。大丈夫かと思っていると、ガソリン代がないから金をくれという。渡さなかったら、知り合いのボートからガソリンをとって自分のボートに入れている。ちょっと危険を感じたが、結局何事もなくラノーンまで戻ることが出来た。

 

一応入国スタンプももらい、またソンテウに乗って帰った。まさにショートトリップの国境越えだった。市場でまた腹が減り、麺を食べる。鶏肉入りで具沢山の麺、これが実にうまい。また食べたいな、と思いながら、宿に戻り休息する。夕方外へ出たが、目的はTシャツを買うこと。それを終えると、おばあちゃんが鶏肉をいい匂いを出して焼いていたので、思わず買い込む。1本5バーツ。安くて旨い。

タイ南部を歩く2019(3)雨のラノーンで温泉

ラノーンで

そのバスターミナルはとても寂しいところだった。バスもほとんどいないし、タクシーもいない。ソンテウに声を掛けられたが、どこへ行くのか自分でも分からない。この近くにホテルがあったのをバスから見ていたので、今晩はあそこにしようと歩き出すが腹が減って動けない。ちょうど麵屋があったので何とかエネルギーを補給する。

 

そのホテルは古びており、フロントには親切心が全くない、珍しいホテルだった。その割には700バーツもしたので、すぐに後悔したが、まずは休息が先決。その後暗くなる前に一応小雨の中外へ出てみる。ここはラノーンの郊外だから、街がどこにあるのか確認してみた。

 

歩いて10分ほどで到着。かなり小さなところだが、古びた中に、大きめの市場があり、ミャンマーへ運ばれるだろう物資が積まれていて国境貿易の感じはある。やはり国境の街なのだ。ちょうどよさそうなホテルもあったので、明日はここへ移ろう。ふらっと一周して、宿へ帰り着くころには真っ暗だった。

 

8月11日(月)
温泉、そしてホテルチェンジ

翌朝は雨が止んでいた。兎に角このホテルからは撤退したいと思い、昨日見たホテルにネットで予約を入れた。ただすぐチェックインできないので、先にバスターミナルまで歩いて行き、ハジャイに戻るバスの時間を確認し、そのチケットを購入した。戻れることがはっきりしたので安心したところ、ちょうどバイタクがいたので、温泉まで乗せてもらった。50バーツ。

 

バイクは郊外の道を少し走り、山に入っていく。そしてすぐに温泉に到着した。川沿いに湯気が上がっている。ここは完全な観光地となっており、料金を払わなくても足湯に浸かれる場所がいくつもあった。珍しく足湯してみる。しばらくそうしていると体がポカポカしてくる。今日は結構涼しいのだが、汗が出てきたので上がる。

 

勿論有料の温泉場もあり、また最新式のSPAもあるようだ。私は川沿いを散策する。とても気持ちがよい。お客もちらほらいる程度だが、皆車で遊びに来ており、私のように足がない人はいないようで、バイタクすらいない。仕方なく帰りは歩いていく。それでも30分もあれば宿にたどり着く。

 

部屋で荷物の整理をしているとまた雨が降り始めた。フロントにタクシーを呼んでくれるように頼むと一言『この街にタクシーはない』というではないか。そんなことがあるのか、と聞き返すと『英語は分からないからタイ語で話せ』と言って取り合わない。これは困った。この雨の中、荷物を引きずって30分も歩くことは出来ない。

 

すると別の男性がやって来て、『俺が何とかする』と言ってくれたが、『本当にこの街には通常のタクシーはなく、もし知り合いに頼めば法外な料金を取られる。ここは我慢してバイタクで行くのがよい』と説明する。本当に仕方なく、雨の中バイタクの後ろに跨り10分乗って行った。

 

傘を差すこともできずに、ずぶ濡れになってホテルに着く。料金は60バーツ。フロントに駆け込むと何と『午後2時までは部屋に入れない』というではないか。だがここはさっきのホテルとは違う。服が濡れているなら、2階のジムで着替えて、と言ってくれる。優しい。ジムに行くとすぐに対応してくれ、更にちょっと筋トレを始めると僅か20分ほどで、部屋の用意が出来たと案内がある。このサービスは嬉しかった。このホテルが元はこの街一番だったことはよくわかる。

 

部屋はそれほど大きくはないが、居心地は良かった。窓から外を見ると、雨で池が増水していたが、雨自体は止んでいたので、急いで外へ出て食べ物を探す。通りにガバオライスの店があったので、そこでようやくランチにありつく。ところが食べている最中に強烈な雨が降り出し、座っているテーブルたりまで吹きこまれる。20分ほどして弱くなったので傘をさして逃げかえるが、その道には水が溢れていて、かなり濡れてしまった。

 

私は何でこんなところへ来てしまったのだろうか。その雨は夜まで降り続いており、夕飯を探しに外へ出るのは諦めた。ホテルの1階で売っていたパンを食べて過ごす羽目になった。外にいる時、バナナが目に入ったが、一房が多過ぎ。半分にカットして売って、とお願いしたが、ダメと言われたのは何とも恨めしい。

タイ南部を歩く2019(2)トランへ行くはずがラノーンへ

8月9日(土)
山田長政はどこ?

私がこの辺鄙な?ナコンシータマラートに来た理由、それは『山田長政が死んだ場所』と聞いたからだった。アユタヤなどには日本人町が作られ、山田の名前も出てくるのだが、彼の最後の地がここだ、というのは意外だった。それも殺されたのだ、と言われると、興味を持ってしまった。

 

まずはホテルに付いている朝ご飯を食べる。昨日はあまり食べていなかったので、カオトームの他、パンも食べてしまう。団体客は既に食べ終わって去ってしまったらしく、ゆっくり食べられてよかった。それからすぐに外へ出て、この街の散策を開始した。ここにはバスはないらしいので、歩きか。

 

最初に行ったのは宿の近く。古い仏塔があったが、観光地ではないらしく、説明書きすらない。そこから広い通りに出ると、ソンテウが走っており、博物館まで行きたいとスマホを見せると、運転手が頷いたので乗り込む。ここのソンテウ、全て10バーツらしい。バイタクより便利で、本数も多い。

 

博物館は5㎞ぐらい離れていたが、通り沿いだったので助かる。かなり立派な建物だったが、私が知りたい山田長政に関するものは勿論、その時代の展示もほとんどない。タイでは山田は知られた存在ではなかったということだろう。この街が中世の重要貿易拠点だったことは確かのようだ。展示物はかなり多いのだが、他の都市の博物館にも大体ある仏像などを眺めて過ごす。

 

それから歩いて、観光のメインと言われているワット・プラマハタートに向かう。その隣にも興味深い寺があり寄り道する。ワット・プラマハタートは確かに立派なお寺で、その仏塔もなかなか見ごたえがある。寺院内の立像もその輝きがかなり立派でしばし立ち止まる。

 

その後、またソンテウを拾い、城壁まで運んでもらう。その昔の城壁の一部が残っており、堀で仕切られていた。城壁横の廟もかなり美しい。ちょうど何か祈りが行われており、坊さんたちが食事中だった。そのままフラフラ歩いて宿方面へ帰る。昼食の場所を探すのも大変で、何とか麵屋を見つけて飛び込む。

 

宿へ帰って午後どうするか考えていると、突然強い雨が降り出して外出できなくなる。ちょっとしたスコールだろうと思っていたが、雨は3時間以上降り続き、結局午後の散策話になってしまった。夕方は未だ小雨が降っていたが、今度はこのホテルに向かって車が大挙してなだれ込んでくるのが窓から見えて驚く。どうやらここで結婚披露宴でもあるらしい。この雨の中、着飾った人々が次々に中に入ってくる。私は益々外に出られない。

 

ようやく雨が止んだのを見計らって表へ出た。とにかく何か食べたい。辺りは既に暗く、飢餓感に追い打ちをかける。昨晩とは違う道を歩いて行くと、何だかきれいな食堂が見えた。ただメニューから注文する方式らしく、タイ語が分からず注文が出来ない。そこの若者は英語ができたので、炒飯と言ってみると、おしゃれな炒飯が登場した。ここはバーにもなっているようだが、料金は普通の食堂並みで有難い。

 

8月10日(日)
トランへ行くはずが

幸い雨は降っていなかった。朝食後にチェックアウトして、道を歩き出す。今日はトランへ行くつもりだが、バスターミナルまで歩いては行けなさそうだったので、バイタクを拾う。ヘルメットを渡され、ちゃんと被ったつもりが、何と途中で抜け落ちてしまう。後続車に被害がなかったからよかったが、かなり焦る。

 

ホテルのフロントで『トラン』と言ってみたが通じなかったので発音が難しいことは分かっており、何べんも練習してきた。ターミナルの人にその成果を披露すると、すぐに通じて、チケット窓口へ案内され、120バーツ支払ってチケットをもらい、ミニバスに案内された。運のよいことにすぐに満員になり出発した。

 

ところがどう考えても行く方角が違う。最初はこちらの方から行くのが早いのだろうと思っていたが、スマホ地図で見ると完全に反対方向で、北上しているのだ。それに気が付いてもどうすることもできない。途中で降りても厄介なので、まあ到着するまで待つしかない。チケットもらっても、ミニバスの車体を見ても、タイ語が読めなければ、何の意味もない、とわかる。

 

2時間後、スラッタニーに着いた。こんなことが世の中にはあるんだな。この街は昨年訪れており、ターミナルの様子などには見覚えがあった。だがここで見るべきものはもうない。どうするか、戻るか。その時急にひらめいた。そうだ、ミャンマーへ行こうと。唐突だが、この半島の反対側にラノーンという温泉で名高い街があり、そこからミャンマー最南端に行けると聞いていた。時間的な余裕もあるので、この際ポジティブ思考、この間違いを利用して行ってみることにする。

 

聞いてみると30分後にラノーン行きがあるという。トイレに行くだけで食事もとらずにそのミニバスに乗り込んだ。そこから北上して、更に半島の山道を延々と横断し、更にまた反対海岸を北上。4時間ほどかかって、何とかラノーンに着いた。正直ナコンシータマラートからトランまで2時間以内の旅を想定していたので、合計6時間以上はかなり疲れてしまった。

タイ南部を歩く2019(1)ハジャイからナコンシータマラートへ

《タイ南部を歩く2019》  2019年8月7-14日

マレーシアを旅していたが、ちょうどマレー系最大の祭りの一つ、ハリラヤの休みにぶつかった。この休みでは2年前、東海岸でひどい目に遭ったので、一度タイに脱出することを思いつく。ペナンから車で4時間、国境を越えて6年ぶりにハジャイに来た。後は風任せの旅になる。

 

8月7日(木)
ハジャイで

小型バスはハジャイ市内に入る。バスターミナルで西洋人を下ろし、後は中国人2人を駅前のホテルまで運ぶ。その途中に私が予約したホテルがあった。そこは元々フランス系ホテルだったが、今は撤退してタイ資本になっていた。とにかく直前割引で安かったので、泊ってみようと予約した。

 

確かにロビーなどは立派で、部屋も眺めは良かったが、何しろ古い。まあこの料金だとこんな感じだろうか。ペナンのホテルよりはマシかもしれないが、朝食も付いていないし、2度は泊まらないだろう。このホテルの下の階はモールになっており、地下にはスーパーも入っていて便利ではある。

 

周囲は繁華街で、賑やかだ。まずはシムカードを買わないと話にならないのだが、ちゃんとホテル近くに旅行者用シムを売っているところがあった。イスラム教徒の女性、英語も通じる。8日間、13GB 、299バーツは安い。腹が減ったので近所で鴨肉麺を食べる。懐かしいタイの味がして、思ったよりうまい。ここの店員は華語をちゃんと話す。やはりこの辺の言語仕様は、マレーシアの影響を強く受けているということだろう。

 

駅も近いので、明日の電車の時間を確認する。インフォメーションでは、きちんと英語で教えてくれた。ちょっと疲れたので午後便でナコンシータマラートへ向かうことにした。この駅、ステーションホテルも併設されているのが目に入る。今度泊まってみようかと考えて、一応料金を確認した。

 

それから街の散歩に出たが、それほど見るものもなく、1時間ほど歩いて宿に帰る。この街は6年前、ソンクラーに行くために泊まったことがあるが、その時も印象は殆どない。単なるマレーシアへの中継地ということだろうか。暗くなってから夕飯を探す。意外とうまい肉と野菜があったので、ご飯をもらってその食堂で食べる。宿の前に人だかりが出来ている。何かと思ってみると、ドリアン祭りでいくつもブースが出ており、ドリアンを買う人でごった返していた。勿論ホテルへのドリアン持ち込みは禁止だ。

 

8月8日(金)
ナコンシータマラートへ

翌朝はかなりゆっくり目覚める。ベッドは悪くないので眠りは深かったかもしれない。11時頃まで部屋でグダグダしてから、外へ出て昼ご飯を食べる。今日は豚足飯だ。ここのタイ人も片言の華語を話している。タイもこのくらい言葉が通じると楽なんだがな、とつい思ってしまう。

 

 

午後1時に宿を出て、駅に向かう。駅では普通車の切符を購入して、ホームに入る。1時40分ごろ来るはずの列車は一向に来ない。反対ホームにはバンコックから到着した列車が停まった。こちらのホームには、飲み物や食べ物を売る人々が何人も待機している。1日中、ここにいるのだろう。

 

ようやく乗るべき列車が来たのは30分以上遅れてから。そして出発時点では50分遅れていた。これがタイ国鉄だ。固い座席、乗客は多くはないので、一人で占領して外を眺める。お客にはマレー系の人もいる。外は延々と、畑か林が続く。駅があっても、どこが駅か分からない場所すらある。これは確か、ミャンマー南部でも見た光景だなと思い出す。途中パタルンという大きな駅を通過したが、それ以外は本当にのどか。

 

 

 

景色も変わらず、3時間も乗れば飽きてくる。その頃バンコックへ向かう列車との別れ駅に着く。何時目的地に着くんだろうと不安に思い始める。それから1時間は意外とスピードが出て早かった。1時間ぐらい遅れていたのだが、最終的には20分ぐらいで済んでいる。それでもまあ、よくここまで来たな、という感じだ。

 

ナコンシータマラート駅は小さくはなかったが、駅前にはあまり店も見えなかった。既に暗くなり始めたので急いで宿を探すが、やはり1㎞くらい歩かないとないらしい。何とか歩いて行くと、そこそこ立派なホテルが見え、600バーツと書かれていたので、そこへ飛び込む。すると後ろから観光バスが停まり、大勢のタイ人がこのホテルに入った。昔はいいホテルだったんだが、というあれだ。

 

部屋などには特に文句はない。急いでまた外へ出て夕飯を探す。こういう田舎町では夜7時を過ぎると食べ物屋が全て閉まることも考えられる。というか、駅から歩いてきた道に食べ物屋は一軒もなかった。結局駅まで戻るも何も見付けられず、その横道にあった麵屋で食べた。何となくかなり寂しい街に来てしまった、という印象だ。

 

 

ボルネオ探検記2019(12)KKの暇つぶし

遅い夕飯を探しに出る。1軒、とても繁盛している店があったので入ってみる。そこはインド系の店であり、ローティーと鶏肉煮つけを食べることにした。味は悪くないが、何しろあのサンダカンの食堂を思い出してしまうと、どうにも味気ない感じがするが、どうすることも出来ない。夜は重ね着して、震えながら?寝る。

 

2月27日(水)
KKの暇つぶし

翌朝はゆっくり起きた。外気温が上昇すると部屋の寒さは気にならなくなる。ホテルに付いている朝食をこれまたゆっくりと食べる。今日の深夜便で東京へ向かうので、食事を含めた時間配分、バランスが重要となる。午後1時のチェックアウトまではゆっくりと部屋で英気を養う。

 

午後1時の日差しは強い。昼ご飯を探して歩いてみると、これまで見なかった大型海鮮レストランなどが目に入ってくる。一人旅の欠点は、海鮮などを食べることが出来ないことだろう。最後の食事もやはり市場脇の海南チキンライスだった。ここのチキンは大きく、かなりいい味出していた。

 

実は昨晩、ホテルに戻った時、何気なくツアーデスクに立ち寄った。明日の午後、いかに暇をつぶすかの参考にしようと聞いてみたところ、何と『午後2時出発で午後10時に戻るツアー』があるというのだ。このプランは時間的に私にとって最適。ほぼ何も考えずに申し込んでしまった。しかしよく考えれば190MRのツアー料金は決して安くはない。暇つぶしなら、マッサージなどの方が安上がりだったかもしれないと若干後悔したがもう遅い。

 

午後2時前にホテルに戻ると、ツアーガイドが私を見つけてミニバンに送り込んだ。既にマレー人のおばさんが一人で乗り込んでいた。それから韓国人の若者を拾い、最後に郊外のホテルからドイツ人一家を連れだした。そのまま車はひた走り、1時間後にトイレ休憩を入れて、約2時間で目的地に到着した。

 

そこは地図で見ると、すでにブルネイ国境に近いようだ。なんでこんな所まで来てしまったのかと考えても仕方がない。まずは川辺の家で、ティータイムが始まる。ここで出された菓子や麺は、意外なほどうまく、子供たちも喜んでいた。少し日が傾いた川を眺めていると、小型ボートがやってくる。

 

ボートには我々の他、中国人の団体が乗り込んできて満員となる。ボートは川沿いに少し行き、いきなり停まると2人のガイドが何かを指さしている。英語と中国語、どちらも猿と言っているのでよく見ると、木の上に猿が何匹もあり、自由気ままに遊んでいる。そこで初めてこのツアーが猿を見るためのものだったと知り、ちょっと愕然とした。しかしボートは数か所に停まり、その都度猿を眺め、写真を撮る。最後に夕日を写真に収めて終了。

ボートは先ほどの家に戻る。そこには夕飯が用意されている。我々3人は黙々とそれを食べた。ドイツ人の子供たちも食べられそうなものを頬張っている。そして頃合いを見計らってガイドが合図し、またボートに乗る。中国人も乗せ、先ほど猿のいた場所へ戻っていく。

 

そこでは息を飲んだ。無数のホタルが木々にまとわりつき、光を放っている。ガイドは365日のクリスマスツリーと表現しているが、確かに見事なイルミネーションだった。台湾などでもホタルを見たことはあるが、時期が限られている。ところがここでは雨さえ降らなければ毎日このような光景が見られるというから驚きだ。ライトは全て落としていることから、写真を撮っても何も写らない。見上げると夜空の星も負けじと輝いている。

 

そんな光景を20分ほど眺めてから、ボートは戻り、我々は暗い桟橋を落ちないように歩き、ミニバンに乗り込んだ。猿を見て、ホタルを見るだけのツアーだったが、何となく面白かった。また2時間かけて、KKに引き返す。ガイドは途中で降りて帰宅する。ちょうど午後10時前、ホテルシャングリラに戻って来た。完璧な暇つぶしだった。

 

ホテルで荷物を引き取り、トイレに行って、着替えをした。暑いKKから真冬の東京へ戻るのだから、それなりの装備は必要だ。タクシーで空港に到着すると、深夜便は何本もあり、意外なほどに乗客がいた。出国審査などは早めに済ませて、座って待っていようと思ったが、どこも満員で、かなり端の方に席を見つける。

 

それから搭乗時間までPCをいじっていた。搭乗の合図が出たのでゲートへ行くとなぜか大行列が出来ている。仕方なく列の後ろに並んでいると、日本人が割り込んで前に進んでいくではないか。何と礼儀の無い日本人かと思っていたら、何と私が並んでいたのは上海行であり、東京行きの搭乗は既に終わっていた?らしい。ミリ空港だけではなく、KKの、それも国際線でも、こんな混乱を起こしているとは正直信じられない。

 

機内は半分ちょっとの乗客でゆったり。機体は新しくて快適。既に深夜1時、日本時間3時なのに、夕飯が出る。それを少し食べて目をつぶると、離陸体制に入っている。僅か5時間で成田に到着する。行きのKL行きの8時間、遠かったな。今回の旅はちょっと冒険があり、何とも楽しいものだった。