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カンボジア旅2022(5)奇跡のベンメリアへ

今日の部屋は昨日の宿とは全く違い、実にシンプルだが、必要な物はすべてそろっており、断然良い。腹が減ったので周辺で店を探すと食堂があった。入っていくと愛想のよい店主が英語でオーダーを取る。今日はポーク焼そばだなと思っていると、おまけに目玉焼きを乗せてくれた。麺はインスタント麺、美味い。2.5ドル。

近所の寺を見学していると雲行きが怪しくなる。慌ててスーパーに入ってドリンクを調達した。勘定しようとしたが、持っていたドル札はやはり受け取ってもらえない。古いものは銀行でも受け取らず、既に流通していないという。私の持っているドル札は6年以上前に使ったものだから、それも当然かもしれない。ただどれが使えないのかを私は判断できないことだった。今やアジアで米ドル札を使うのはカンボジアぐらい?なので、必要性は薄れている。

宿に戻ると激しい雨が降り出した。昨日と同じスコールかと思って部屋から外を眺めていると、向かいのレストランはいずれも中国人経営のようで看板は漢字だ。これだけ中国人観光客を当て込んで作った店は果たして生き延びられるのだろうか。この午後、雨は全く止まず、暗くなっても降り続けた。疲れてしまった私は雨の中を外へ出る気もならず、そのまま部屋で過ごし、寝てしまった。

9月27日(火)ベンメリアへ

朝は晴れていてホッとした。朝ご飯もビュッフェで、昨日のようなこともなく、ゆっくりと食べられてよかった。宿を出るとトゥクの運転手が何人も客を待っていた。彼らと値段交渉する必要がないだけでも助かった。いや今はGrabがあるから、吹っ掛けられればそちらへ行けばよい。彼らのターゲットはGrabを使わない外人客だけになっている。

ミニカブ?は順調に走っていく。ベンメリアはアンコールワットよりはるかに遠く、50㎞は走らなければならない。途中道は平たんだが、何度も大きく曲がる。何となく『The Long&Winding Road』という言葉を思い出し、その音楽が頭を流れていく。その時、『そうだ、私が本当に会社を辞めようと思ったのは、このベンメリアへ行く道』だったのだと分かった。車は音もたてずに、ただただ前に進んでいく。

1時間半ぐらいかかってベンメリアに着いた。チケットを買おうと売場を探したがない。窓口があったので聞いてみると、アンコールワットと共通券なので、不要だと言われる。トイレに行くところにベンメリアだけのチケットは0.5ドルと書かれていて驚く。次回はベンメリアだけにしようか。しかし車代を考えれば、同じか。

ベンメリアはアンコールワットより古い11世紀ごろの宮殿跡。アンコールの仏教と違い、ヒンズー教の影響を受けており、寺院もある。今は廃墟となり、その一部が整備され、見学できるようになっている。日本ではジブリの『天空の城ラピュタ』のモデル舞台だとも言われており、日本人観光客には人気があったが、今はほとんどいない。

いつものように廃墟を眺めていると、男性が『こっちだ』と声を掛けてきたので、その後に従った。彼は軽々とがれきを乗り越え、中へ入っていく。恐る恐る従っていくと、どんどん奥へ突き進む。雨も降ったので石が濡れていてかなり怖いが、面白みも出てきた。崩れた建物を潜り、西から東まで中を歩いた。普通の観光客は全く入らないエリア。なぜ彼は私を誘ったのだろうか。一部ヒンズー寺院の跡にレリーフが落ちており、図書館跡という建物も見える。

運転手との約束は1時間後だったが、まさにぴったりのワイルドツアーは終了した。そこへ日本人の男女がやってきたので少し話したが、彼らは周囲を散策しただけだった。私にも何か特別な物が付いていたのだろうか。そういえば、『会社を辞める決断』もアンコールではなく、ここで廃墟を見ながら、思ったことのように感じられた。奇跡のベンメリア、と私は名付けている。

それから運転手の案内で、街に近い3つの寺院を回った。ここも共通券があれば無料で見られるので寄っただけだが、意外と面白い。ベンメリアよりさらに古い9世紀頃の遺跡。傷みが激しく修繕中の建物もある。その横を通ると作業員が英語で話し掛けてきて、修繕の様子を熱心に語ってくれた。彼はこの遺跡に誇りを持っている。実にすばらしいことだ。

カンボジア旅2022(4)アンコールワットで何を思うか

9月26日(月)アンコールワットへ

朝は早く起きた。6時頃からプールで遊ぶ子供たちの声が聞こえたからだろうか。バルコニーで寝そべりながらコーヒーを飲んだ。それからちょっと書き物をして8時頃、朝食に行った。テラスは昨晩の雨で濡れており、食堂はそれほど広くなかった。一人旅はこういう時に座る場所に困る。

何とか2人席に座り、オムレツなどをオーダーしたら、突然後ろから激しく腰を打ち付けられて驚いた。隣のテーブルの大人数の一人が椅子を動かそうとして、誤ってしまったらしい。腰に衝撃があったので、ちょっと動かずにいたが、誰も謝りもしない。ただ見ているだけ。さすがにちょっと不愉快になり、スタッフに言って、朝食を部屋に運んでもらい、その場を立ち去った。さすがにまずいと思ったのか、朝食はすぐに運ばれてきた。

まあとにかくこのホテルにいるのはもう御免なので、朝食を食べると早めにチェックアウトした。宿の前にトゥクトゥクはいなかったので、Grabで呼ぶと簡単にやってきた。それは車というか、オートリキシャーのような乗り物で、意外と便利そうだった。取り敢えず、今日予約した宿へ向かってもらったが、運転手は英語が出来たので、交渉して宿経由でアンコールワットまで行ってもらうことにした。

まずは街中のホテルへ行く。古いが何となく雰囲気は良く、またスタッフの対応が良いのでここに決めた。まだ朝9時なのでチェックインはできず、荷物を預けて出掛ける。さあ、アンコールワットだと意気込んだところ、運転手が『チケット持っているのか?』と聞いてきた。そりゃ、チケット売場で買うよ、というと、『今売場は全然違うところに移転していて、そこへ行くなら+2米ドルだ』というので、驚いた。

検索すると確かに彼の言うとおりだったので、それに従った。そこは街からも少し離れ、またアンコールワットとも離れた場所だった。突然大きな建物が現れる。一瞬博物館かと思ったが、そこがチケット売場だった。中に入ると人はほとんどいない。窓口に行くと37米ドルで2日間使えると言われる。しかし持っていた100ドル札を差し出すと『これは古いから受取れない』と言われてしまう。3枚出してようやく1枚受け取ってもらえ、何とかチケットが買えた。なんだそりゃ。

そこから勇躍アンコールワットへ乗り込んだ。最初は片道でいいと言っていたが、彼が迎えに来るというので、3時間後に待ち合わせた。以前のチケット売場はチェックポイントなっており、入り口も実質なかった。ただ橋のところでチケットを見せるだけ。しかし聞いていたよりはるかに多くの人がここにいる。でもチケット見せているのは白人など僅か人だけ。何と今日はプチュンバンでカンボジア人無料開放日らしい。それで着飾った家族連れなどが多く訪れていた。

とにかく今回は静かにアンコールワットを回りたいと考えていた。中国人観光客不在で、それは容易なはずだったが、甘かった。仕方なく、人があまり通らない遠回りの道を選ぶ。すると草刈りをしている人々が目に入る。私が見るべきなのは、遺跡ではなく、こういう人々ではないのか、とふと思う。

実は私は11年前、ここへ来て『会社を辞める決断』をした。何があった訳でもないが、ふと『辞めても良いか』と思い至ったのだった。しかしそのピンときた場所はメインの遺跡ではなかったはずだ。いきなり脇道でコーラを飲みながら考え込むが思い出せない。仕方なく遺跡に入っていく。

遺跡の端を歩くということは、必然的に回廊を巡っていくことになる。ここにはかなりの壁画が残されており、そのほとんどは戦闘シーンである。如何に戦ったかを記録しているのはなぜなのか。一部首が落ちた仏像なども置かれており、宗教的な色彩も帯びている。メインの建物は上に登れるが、階段はかなり急激。いつもなら登らないが、なぜか足が向く。上からは遠くが見渡せる。

帰りがけに、観光客が必ず写真を撮るスポットにも行く。池に移る遺跡がメインだ。その付近では多くのカンボジア人が民族衣装で写真を撮っている。今やここもインスタ映えの世界である。いや昔も権力を誇示するためにはインスタ映えは必要だったのだろうと思わせる遺跡なのだ。

3時間弱歩き回るとさすがにきつく、最後はへたり込んで飲み物を飲んだ。迎えもちゃんと来ており、宿へ帰っていく。明日はベンメリアへ行きたいというと、運転手も連れて行くというので話が纏まる。今回は彼の運転でシェムリアップを回ろう。10年前はサレンのトゥクだったことを懐かしく思い出す。

カンボジア旅2022(3)カンボジアのお盆 プチュンバン

9月25日(日)カンボジアのお盆 プチュンバン

朝は鶏の声で目覚めた。まだ6時前だが、気分は爽快だ。部屋から出るとTさんが『お茶飲みませんか?』と言ってくれ、何と愛媛の番茶をご馳走になる。昔はどこの家でも番茶を自分で作って飲んでいた、というのは興味深い。宇和島出身のTさん、その辺はミカンの前は茶だったのだとも思う。

朝ご飯は、ご飯を作る人がお盆休みで、昨晩の残り物だったが、これで十分に幸せ。更に美味しい梅干しが出てきて感激。ミエン氏も家族が帰省中で、3人で食べる。また色々な話をしていたが、ミエン氏が『お寺へ行きましょう』と言い、昨日の寺まで行く。今日はお盆の最終日。昨日よりはるかに多くの人が集まり、まるで村祭りのような賑わいだった。

持参したご飯と水を持ち、お寺へ入ると、そこは善男善女が集い、お坊さんにご飯などを差し上げている。すごい行列の中を我々も並び、それに倣う。更にはお坊さんにお祈りしてもらい、頭に水を掛けてもらい、また何かを占ってもらう。昨日の小坊主も、今日はしっかりとお務めを果たしていて、微笑ましい。

Tさんが歩くところ、必ず誰かが挨拶してくる。まさに村の有名人だ。そして若者たちからも声が掛かる。日本語学校の生徒だった人たちが、今や立派になり、結婚して親になり、プノンペンで事業に成功していたりする。彼らもプチュンバンの時は村へ戻り、家族とともに過ごしている。日本へ技能実習生を送り出している、という人もいた。

お寺で過ごしているといつの間にか時間が過ぎていき、急いで戻る。そしてミエン氏が素麺を茹でてくれ、3人でそれを掻き込んでいると、予約していたタクシーがやってきた。実に慌ただしいお別れであった。タクシーも本当は今日ばかりはお休みだったはずが、色々と探し、お願いして、何とか確保してもらったので、すぐに乗り込んだ。あっという間にタサエン村が遠のく。

シェムリアップへ移動

シェムリアップまでは車で東に約230㎞、4時間と聞いていた。最初は北へ進み、ポイペト国境近くで東に向かう。かなりの雨に見舞われ、どうなることかと思われたが、途中から晴れ間も見えてきた。途中いくつかの街を抜けたが、全て平地で快適なドライブだった。ただシェムリアップに近づくと、所々で水が溢れており、洪水の危険も感じられた。

一度ガソリンスタンドで給油した他はノンストップでほぼ4時間、予約したホテルに到着した。タクシー代100米ドルは決して安くはないが、移動手段が少ないカンボジアでは仕方がない。プチュンバンの中、運転してくれただけでもありがたいので、少しチップも渡す。

実は予約したホテルは、プール工事のため閉鎖されたので、姉妹ホテルへ行ってくれ、と連絡が来ていた。それに関して質問を送っても返事はなく、取り敢えず来て見ると、何事もなくチェックインできた。リゾートホテルという感じで雰囲気は良い。ただ街からはすこし遠い。おまけにプチュンバンでホテル前にトゥクなどもいない。

フロントは親切そうだったが、宿代のお釣りの米ドルがないとか、面倒くさそうな対応が気になっていた。部屋は広くて快適そうだったが、何とTVは付かず、冷蔵庫も動いていない。それを指摘すると『今夜は満員なので部屋は変更できない』と言われ、代わりに氷を貰った。

このホテルのオーナーはカンボジアン人だが、中国系が運営していると聞いていた。如何にも見掛けだけは良いが、中身が伴っていない中国式の典型だった。従業員もやりようがなくて、小手先で客の要望をかわすようになっている。これではいいホテルはできない。電気系統は恐らくコロナ禍の閉鎖で、長い間使っていなかったことによる不具合だろう。唯一良いのはバルコニーに寝そべって立派なプールを眺められることだった。

街まで2㎞ぐらいと言われたので歩いて行こうと思ったが、雨が降りそうだった。すぐ隣にちょうど食堂があったのでそこに入ると、ちゃんと写真付き、米ドル表示のメニューがあり、チャーハンとパパイヤジュースを頼む。チャーハンはきちんと作られていて美味しい。華人系だろう。3米ドルは安いと思ったが、昔の感覚1米ドル=100円ではないぞ、と思い直す。

そこへ大雨が降ってきて立ち往生。小さな折り畳み傘を何とか持って宿まで走って帰った。宿では大きな傘を貸してくれたが、私が折り畳みを持っているとみるとすぐに回収された。この辺がリゾート感覚ではない。夜は白人が騒ぐのではないかと心配したが、それはなく、ゆったりと過ごす。

カンボジア旅2022(2)国境バンレアムを越えタサエン村へ

目指せカンボジア国境 バンレアム

朝早く目が覚めた。やはりちょっとした緊張があるのが国境越え。このワクワク感は堪らない。8時発のバスではあるが、7時前には宿を出た。気持ちの良い朝が広がっている。バスターミナルへ行くと昨日と同じおばさんが『ああ来たね』という顔をしてチケットを売る。200b。バスは既に停まっており、一安心だ。

周囲を見渡すと、麺屋などは開いていたが、何となく食べずにバスを待つ。だがその後チケットを買ったのは3₋4人だけ。これならもっとゆっくり来ればよかった。10分前に運転手が現れ、5分前に乗車した。結局6人だった。ただ大きな荷物を持ち込んだ人もおり、このバスは荷物運びにも使われるように思われた。

7分ほど過ぎてバスはついに出発した。遅刻した者を待っていたのだろうか。取り敢えず街中を走り、一人を拾う。その後は国道を時速90㎞で飛ばしていく。国境バンレアムまではおよそ80㎞。この勢いなら1時間で到着だ、と思ったが、そこから時々乗客を探して乗せるので、意外と時間が掛かる。それでも見事に1時間半後にバンレアムに到着。

タイ国境の出国で窓口を探していると、なぜか『ジャパニーズ?』と声が掛かった。こっちに並べとの指示に従い、出国すると、何とそこにTさんが待っていてくれた。約3か月ぶりの再会だ。Tさんの相棒ソクミエン氏も一緒だ、懐かしい。まずはビザ取得のため部屋に入る。前回同様Tさんのお知り合いだから緊張感なし。写真が必要なのは陸路だけだろうか。最後に費用30ドルを支払ったが、20ドル札が汚い?と言って交換させられる。あの1ページに及ぶ大きなビザが6年ぶりにパスポートに貼られた。国境付近の様子は少し変わっていたが、のどかな雰囲気に変わりはない。

車で15ほど行くと懐かしのタサエン村に入った。Tさんの拠点に行くと何となく雰囲気が違う。6年前はなかった塀で囲まれている(コロナ下での安全対策)が、逆に木が二本無くなり、何となく明るくなっていた。食事などをするテラスも新設されており、さっそくそこでお茶を頂く。お茶は何とミエン氏が発明したススキの穂(花)茶。ナチュラルで実にいい香りがする。昼ご飯はタケノコ鶏肉スープに豚肉インゲン炒め。白米をどんどん食べる。

なんだかとても静かだと思っていると、何と今日はプチュンバンというお盆の最中、日本でいえばお正月の2日みたいな日であり、日本語学校も地雷処理もお休みだった。そして強烈なスコールが降りだす。Tさんもリラックスムードで話が弾む。こんな機会でもないとゆっくりとお話しする時間はない。『物事の本質』について、じっくりと聞く。

それからミエン氏が作り出しているススキの穂茶の畑を見学した。かなり広い敷地に日本でいうススキが植えられている。全て有機栽培だという。香りが良いだけでなく、効能もあるらしい。工場には乾燥機、そしてティバッグに詰める機械も揃っている。マンゴリキュールもちょっと頂く。

Tさんの車で村を案内してもらった。車をゆっくり走らせるのは、村人と出会った時、ちゃんと挨拶するためだという。確かに何人もの人から声を掛けられ、Tさんも声を掛けている。何だか選挙カーにでも乗っている気分だが、この辺にもTさんの気遣いが見られる。まずはTさんが誘致してここに工場を開設した日本企業に行ってみたが、さすがに休みだった。6年前の4社から1社がプノンペンに移動したが、後はコロナ禍でも頑張っているようだ。

それからお寺へ行く。ここに地雷処理中に亡くなった7名の方のお墓がある。6年前は1つだった慰霊碑が2つになっていた。実は地元の人々のお墓代わりに、もう一つ建てたという。そして真ん中にお地蔵さんが置かれている。これらも支援者の方々から贈られたもので、その思いをTさんたちが苦労して輸入して、形にしている。

Tさんのもう一つの大きな支援は子供たちへの教育。日本語学校でもそうだが、脱いだ履物を揃えるなど、基本的なことを常に教えこんでいる。お寺でも小坊主を可愛がり、一つ一つ様々なことを丁寧に教えているのは実に印象的だった。私も一度サンダルを揃えずに注意された。

夕飯もまたおいしい。地鶏のいい焼き目の付いた焼き鳥、タケノコ、豚肉と卵の煮物。これはいくらでもご飯が食べられる代物で、食べ過ぎて困るほど。食後は6年前の水シャワーに変わり、温かい湯が出るシャワーを浴びさせてもらい、その有難みを知り、静かな夜を過ごした。蚊帳もあり、眠りも深い。

カンボジア旅2022(1)6年ぶりにチャンタブリへ

《カンボジア旅2022》  2022年9月23₋28日

7月愛媛県宇和島で奇跡の再会があった。偶然というにはあまりにもビックリする内容で、『これはカンボジアを目指せ』と言われているのだなと思い、タイ‐カンボジア国境の村を再訪することを決めた。だが前回6年前とは状況も変わっており、バンコクからあの国境へ直行するバスは無くなっていた。これもコロナのせいだった。ではどうやって行くか。するとちゃんと道を知る先達が登場し、『チャンタブリからロットゥだ』というので、それにトライすることとなった。

9月23日(金)チャンタブリへ

チャンタブリ行のミニバスはエカマイから出る。前日既にバスターミナルへ行き、午前9時発のチケットを購入しておいた。220b。これでチャンタブリまでは行けそうだと思っていた。そして当日も朝早く起きて万全の準備をした。時間に余裕があったのでバスで行くことにした。72番バスはエカマイまで直行する。

ところがその日停まっていたのは72番のエアコンバス。そしていつになっても発車せず、乗っていた客も呆れて、違うバスに乗り換えた。私もついにしびれが切れて、アソークま方面へ行くバスに乗り換えた。ところが午前8時前のラッシュアワーに引っかかり、大渋滞。アソークはおろか、MRTの一つ前の駅まで辿り着くにも相当な時間が掛かる。こんなことならGrabバイクを呼べばよかった。

MRTに駆け込んだが、なかなか来ない。何とか乗り込み、一駅でBTSに乗り換え。何とか間に合ってエカマイに到着した。ミニバスのドアはまだ開いていない。出発15分前に滑り込んだ。僅か3㎞弱のところ、1時間半もかかってしまった。これだからバンコクは怖い。

ミニバスは定刻になっても出発しない。まだ予約した乗客を探している。2‐3分遅れて悠々と彼らは現れる。私は何のためにあんなに急いだのだろうか。バスはバンナーのストップで3人を更に乗せ、満席で高速を走りだす。途中まではスクンビット通りを行ったが、早々に海側の道を捨てた。水嵩の増している水田が目に付く。

2時間ほど行くと一度トイレ休憩がある。その後もただひたすら走っていく。途中で数人がおり、4時間後にチャンタブリのバスターミナルに到着した。乗ってしまうとそれほど遠いとは感じない。取り敢えず、明日向かう国境行のバスを探すと、何とあっけなく見つかった。英語も通じているので問題なさそうだ。

チャンタブリを歩く

明日のバスが見付かると急に腹が減る。町にどんな食堂があるかも良く分からない(6年前にも来ているが、食事に関して思い出はない)ので、ターミナルの食堂へ入る。メニューには英語はあるが、金額は書かれていない。取り敢えず麺を頼んでみたが、請求された料金は普通だった。

ターミナルを出て歩く。すぐ横にホテルがあるのは分かっていたが、何となく泊まる気になれず、そのまままっすぐに歩いて行く。10分ほど歩くと、見たような宿が目の前に現れた。ここが6年前、国境からタクシーで連れてこられたホテルだった。懐かしいのでここに泊まることにする。料金は900b(朝食なし)で6年間変わっていない。コロナで閉まっていたのかもしれないが、設備なども特に変わっていない。

外を散歩してみる。川沿いに観光街があることは覚えていたが、当然ながら観光客はほとんどいない。そして地元民のマスク率がバンコクなどより高いと感じられる。なぜだろうか。川沿いの景色は悪くない。私はまっすぐ一番行きたかった大聖堂を目指した。この教会はタイでもっと立派だと思われるが、その様子はまるで変っていない、輝きがあった。

橋を渡って歩いて行くと、宝石市場に出た。ここは百年以上前からインド系、アラブ系、中国系、そしてタイ系など宝石バイヤーが屯して、売買に血眼になった場所であり、今でもその名残は十分にある。思ったよりもここには人がおり、石の鑑定などが各所で行われていた。

そこから宿の方へ戻ると、大きな市場があった。チャンタブリの街の規模が分かるような大きさだった。雨模様で人もまばらな午後。その横には立派なお寺があり、入っていくと、極めて造形的な仏塔?などが見られ、写真を撮りたくなる。掃除するお坊さんたちはそんな私には全く構うことなく、自らの仕事に集中していた。

部屋に戻って休息後、夕飯を食べに出た。近所で済まそうと思い、華人系の店に入る。今回は中国人らしい振る舞いをしてテーブルに着くと、おばさんが早々に中国語で『何食べるの?』と聞いてきたので、タイ語が出来ない私としては、作戦は成功したかに見えた。ところが何が美味しいかと聞くと『ベトナム春巻き』を指したので、思わず『えー』と言ってしまい、敢え無く中国人でないことがバレてしまった。揚げた魚と野菜をスープで煮込んだ料理は美味しかった。

ラオス鉄道旅2022(6)高速道路でビエンチャン、そしてウドンタニーへ

ビエンチャンからウドンタニーへ

予約したミニバンは11時を過ぎても来なかった。20分ぐらい遅れて到着、数人を乗せて一路ビエンチャンを目指す。私がバンビエンで降りた理由、それはビエンチャンまでの高速道路も体験したいと思ったからだ。確かにスムーズに100㎞出して走れる高速が完備されていた。これも中国の支援だというから、鉄道と道路の両方をきちんと戦略的に整備している。

ただ途中でバスは高速を降りてしまう。何と一人の客を下ろすためにだ。その為のロスはかなりの時間となり、また高速に戻る。元々1時間ちょっとで着くよ、と言われていたが2時間経っても着かない。しかも何と到着地までもう少しという場所でなぜか休憩まで入る。なんだかおかしいよ、このバス。結局休憩後10分で郊外の辺鄙なバスターミナルに着き、降ろされる。100kは高いのか安いか。

ここから私は国境を目指そうとしていた。残念ながらトゥクトゥクも少なく、圧倒的に私が不利な状況で料金交渉に入る。一緒にバスで来たドイツ人女性は『セントラルターミナルまで行くと思っていたので騙された』と嘆くが、後の祭り。結局私は200kも出してノンカイを目指し、一人走り出した。

それにしても遠く、そして暑さもあった。川沿いには風があり、何とか耐えたが、1時間もかかってイミグレに着いた。イミグレでは来た時もそうだったが、ワクチン証明などと言い出す者は誰もいない。何ともスムーズな旅となる。京都市営バスを撮影しながらタイ側へ渡る。

問題はタイ入国後。空港行のバスはあるのだろうか。入国審査を通過したが、陸路入国のマーク(カウント)もなく、ワクチン証明も求められなかった。そして案の定、バスは無さそうだった。タクシー運転手が900bで行くと声を掛けてくる。それを振り切って外へ出ようとしたところ、600bでもいい、という声が掛かり、気が変わった。

タクシーは早かった。これなら4時にはウドンタニー空港に着く。ということは、5時のノックエアに間に合いそうだ。車内で予約をしようとしたが、何と既に予約サイトはクローズしており、空港カウンターへ行くしかない。タクシーはきっかり4時に空港に到着。走ってカウンターへ向かう。

ノックのカウンターはすぐに見つかったが、何と2人並んでいる。私は恐らく空港でこんなギリギリにチケットを購入するのは初めて。一体何時まで売っているのか、席はあるのかまるで分らない。4時10分になり、ようやく自分の番が来て聞いてみると、購入可能との返事で初めて安堵する。

そしてパスポートと代金を渡し、係員がチケットを発券、という瞬間に、何と空港が停電になる。そんな馬鹿な。すると係員は立ち上がり、発券できませんと言いながら、パスポートとお金を返して、席を離れてしまう。ああ、これで万事休すかと思っていると、5分後に復活。もう一度聞くと『ああ、フライトが20分遅れていますから大丈夫』というではないか。それを早く言えよ。

結局発券は45分前までらしい。そしてその足でチェックインカウンターに進み、通路側の席をお願いするとあっさりボーディングパスが出る。2階の検査場へもっていき、荷物検査を終わったところで見ると、何と座席は窓側。まだ時間があるので元に戻りクレームすると『あら』の一言で済まされる。

それから20分ほどで搭乗時間となり、プレミアクラスの人の搭乗を待ってから機内に入ってみると、何と私の席もプレミアシートだった。何で誰も教えてくれないのだ。確かに400bぐらい高かったが、これは空港で買ったからだと思い込んでいた。確かに通路側がいいと言ったが、プレミアシートでないと席は選べなかったのか、疑問は残るが、まずは乗れただけよかったとしよう。

そして飛行も順調で30分ぐらいした時、トイレに行こうとすると塞がっていた。誰も前方に行った人はなく、パイロットが入っていると分かり一旦席に戻った。そこから5分以上経ち、もう出たのではと思っていると、何とシートベルト着用サインが点灯。私がトイレに行きたいというと、CAが『もう無理です』とつれない。それはおかしいと再度主張すると、チーフパーサーが『いいんじゃない』という感じで、何と滑り込む。それにしてもこの黄色い制服の会社のサービス、なかなかすごい。何だか窓の外を見ると虹が出ており、万事丸く収まったらしいが、気分的にはかなり落ち込む旅の終わりだった。

ラオス鉄道旅2022(5)硬座に乗ってバンビエンへ

宿近くに戻り、さすがに暑さに耐えられずに、カフェアマゾンの扉を押した。中はお客でいっぱい、席もない。注文してもラオス語でしか番号を呼ばないから、自分の分がいつ来るのかもわからない。それにしてもルアンパバーンの中心はここではないか、と思うほどの繁盛ぶりだ。何とかドリンクを手に入れ、さっさと外のパラソルの下で飲む。

駅に行くミニバンを予約していたが、ちょっと早く宿に戻った。あのスタッフと雑談する。やはりルアンパバーンの観光業はコロナで相当の打撃があり、この宿もほんの2か月前にリオープンしたが、客足は戻っていないという。鉄道が通ってお客が満員でも、彼らにとっての一番は中国人観光客。何しろお金の落とし方がタイ人やラオス人とは桁違いらしい。

バンビエンへ

そんな話をしているとミニバンがやってきた。時間前に来るなんてラオスも随分変わったものだ。恐らく私を乗せて駅へ行き、5時に降りて来る客を乗せる列に並ぶのだろう。ミニバンには中国人二人と私しか乗らず、あっという間に駅へ着いたが、今度は駅が全く開いておらず、40分ほど外で待つ羽目になる。そこには飲み物すら売っておらず、例え駅舎内に入っても売店がないことは分かっており、手持ちのドリンクを大切に消費した。

今回乗ったのは中国製硬座。やはり料金が安いせいか、ラオス人の家族連れなどが多く乗っている。列車はボーテンから来るので遅れが心配された(ボーテン方面で大雨、洪水情報あり)が、何と定刻より少し早くホームに入ってきた。2日前の高速鉄道と違い、今回はまさに初めて鉄道に乗る人も見られ、座席を探したり、荷物を置くのにちょっとした混乱が見られたが、それもまた微笑ましい光景だった。

私は2人掛けの窓側の席だったが、隣はかなり体格の良いおじさんが座り、席は狭かった。降りる時に気が付いたが、彼は息子と一緒に乗っていたが席がバラバラだった。それなら席を交代すればよかったのだが、そんな融通も利かない。途中で列車が停車すると乗客に動揺が走る。単なる列車のすれ違いだが、それを誰かがラオス語で説明すると、一斉に安堵の声が漏れたのは面白い。

途中で一つだけ駅に停まったが、乗り降りする人はほぼいなかった。1時間半ほど乗るとバンビエンに到着した。1車両で降りたのは私と隣の親子連れの3人だけ。後は皆ビエンチャンに向けて去っていく。他の車両からある程度の人数が降りてきたが、観光客らしい人は半数程度。

ここでもルアンパバーン同様に乗り合いバンが待っており、皆が吸収されていく。30kで街中へ。中国語が目立っていたが、中国人観光客の姿は殆どなかった。私は取り敢えず宿だけ決めて、予約はしていなかったが、行ってみると拍子抜けするほど安かった。予約サイトの料金はどうなっているのだろうか。まあ部屋は昔風だったが、一応私の基準を満たしており、満足。何よりオーナーが非常に穏やかな人で好感が持てた。

腹が減ったので夕飯を探しに行く。歩いていると川の横であることが分かり、何とか夕日を見に行く。ちょっと桂林を思わせる構図だった。この街、残念ながらルアンパバーンほどには人がおらず、かなり寂しい雰囲気。何とか食堂を見つけて、中華系の夕飯を食べる。街は閉鎖された店舗、売り出される店舗がいくつも見られた。

8月30日(火)バンビエン散策

あまり日の入らない部屋はよく眠れる。実にさわやかな朝だった。この宿は木々が生い茂り、雰囲気は悪くない。朝食はなかったが、あまり食べる気にもならず、散歩に出た。一番近くの観光名所はチャン洞窟、と書かれていたので、そこまで歩いて行ってみる。途中立派なホテルがいくつか見られたが、観光客は見かけない。ホテルとレストランのスタッフを養成する学校があった。確かシェムリアップで10年前に泊まった記憶がある。

ずっと歩いて行くと街外れを抜け、横道に入ると公園があり、その入り口で入場料を取られた。何となく雰囲気がよさそうだったので、そのまま中へ入ると、川が見え、洞窟はこの川を渡るのだという。その渡し船?が無料で送迎してくれる。川は意外と流れが速い。観光ボートを避けながら、何とか向こう岸へ。

そこからは断崖絶壁?が見える。その下まで行くとまた入場料を取られ、しかも外国人は特別料金15kだった。まあいいか、と石段を登り始めるとやはりきつい。息が上がりながらなんとか上まで辿り着くと景色は素晴らしい。洞窟内もきちんと整備されていて歩きやすいがちょっと滑る。所謂鍾乳洞の中を歩く感じだ。

また階段を喘ぎながら降りて、また渡し船で川を渡る。今度は犬も乗ってきたが、降りるのに苦労していた。そしてトボトボと歩いて宿まで帰る。バンビエンは郊外に色々と楽しめる場所があるのだろうが、どうも観光地好きでない私にとってはこれで十分だった。

ラオス鉄道旅2022(4)メコンを見ながらルアンパバーンを歩く

自分の宿の前で降りる。部屋は1階で広い。プール前で椅子もある。何となくリラックス出来そうな宿だった。スタッフの男性も実に柔らかい対応。取り敢えず腹が減ったので近所の夜市に行ってみる。まだ陽は高く、夜市は準備中だった。それでも一部が食べ物を提供していていたので、麺を食べた。

夜市には地元民が多いように感じた。タイ人などもいたと思うが、区別はつかない。白人、そして日本人も見かけたが多くはない。Tシャツを忘れたので買ったが、安いのか高いのかの感覚がない。ただ一番大きなサイズを買っても洗えばちじむ。美味しそうなチョコクロワッサンが出ていたので、思わず買う。ラオスに来たら、パンを食べないと。

ラオスはコロナ禍でずっと鎖国していたが5月に突然開国したと聞く。観光客は少なく(一番の原因は中国人が来ないことか)、まだ周知されていないのだろうか。部屋でTVを点けるとバドミントンの世界選手権で、山口茜とアンセヨンが戦っていた。茜ちゃん、強すぎるよ。

8月28日(日)ルアンパバーン散策

朝からとてもいい天気だった。朝食はオムレツとフルーツ。気持ちよく頂く。あまり暑くならないうちにと、フラフラ歩きだす。昨日の夜市の近くの径に入ると、朝市が開かれている。こちらは地元民用だろうか。そこを突き抜けると、観光客とバスが集まっていた。入ろうとする警備員に正面に回るように促される。

ここは博物館だった。ただGoogleでは今日は休みとの表示が出ていたので何ともラッキー。荷物を預けるところへ行くと横は劇場。そうか、8年前にこの劇場に来た記憶が蘇る。日曜日で思ったより観光客が多く、ゆっくり見学できなかった。王宮だったここにはそれなりの歴史が積み重なっていたが、それもラオスの社会主義化で消えて行ったらしい。敷地内には素晴らしい庭と、大きなお堂、そして王様の像もある。

隣の寺を眺めてから、また先の径に入る。そこにはヘリテージセンターがあり、伝統家屋が見えた。中では民族衣装を借りて写真を撮る観光客の女性が多く、ここもゆっくり見ないで退散した。その細い道を突き抜けると、雄大なメコンが現れた。まあ今回もこの景色が見られれば満足だった。

ちょうど向こう岸に渡る船が出る場所。私も8年前は向こうまで行った記憶がある。そこから少し行き、川べりでコーラを頼み、ゆっくりと川を眺めた。風がそよそよと気持ちよい。かなり長い時間座っていたが、何とか立ち上がり、雑貨店で飲み物を買い込み、宿近くの雰囲気の良い寺を見て、宿へ引き揚げた。

宿でまたテレビを点けると、バドミントンが始まっていたが、なぜか途中から映らなくなり、スタッフに来てもらっててんやわんや。スタッフの活躍で何とか回復し、無事茜ちゃんの優勝を見た。外は相当に暑く、目の前のプールに入ろうか悩んだが、子供連れがいたので遠慮した。

その後また腹が減ってきたので、暑い中を川べりまで歩き、チャーハンを食べた。ここは鍋のいい音がしていたので、間違いないと思ってが、やはり正解だった。付いてきたスープも美味しい。観光客用とは思えないクオリティーだった。帰りにタイで庶民の味方とも言われるカフェアマゾン(ドリンクが安い)があったので入ろうかと思ったが、止めておいた。

代わりに昨晩買ったクロワッサンを屋台ではなく、そのお店で買ったら、値段がだいぶん安かった。屋台は出店料がかかるのだろうか。これが夕飯替わりとなり、その後は宿でダラダラと過ごした。結局目の前のプールには入らずに終わる。

8月29日(月)ルアンパバーン散策2

今朝はバナナパンケーキで一日を始めた。まあまあの出だしだ。それからシャワーを浴びたり、原稿を書いたりして午前中を過ごす。今日は列車が夕方なので、チェックアウト後の過ごし方が難しかった。取り敢えずふらふら歩いていると暑さが堪える。近くに鉄道の切符売場があったので聞いてみると、ここでは現金は受取らず、ラオスのキャッシュレス決済か銀聯カードのみが使えると説明された。これまでの3か所、全て支払い方法が異なるのは何とも困る。

切符売場の横には床屋があり、昭和感溢れる?風情が見られた。それを見て、今日もまたメコン川を眺めることにしたのだが、何だか日陰を探してずっと歩いてしまい、クタクタになる。最後はほぼ端っこのワットシェントーンまで行ってしまい、どうかしていた。まあ川風に吹かれるのは悪くはない。折り返して反対側を歩いて帰る。こちらも川なのでゆっくり眺めながら歩く。

ラオス鉄道旅2022(3)大雨のビエンチャンとラオス鉄道の旅

長い時間話していたが、お客が混んできたので外へ出た。Mさんはさっさと歩き出す。向かったのは、何と不発弾処理展示室だった。これは先日宇和島で劇的な再会をしたTさんがカンボジアで行っている活動に通じていた。ラオスにも同じ問題があり、多くの人が苦しんだ様子が展示されている。ただここは午後4時閉館で滞在時間は10分程度だった。公務員の終業は4時で、帰宅が始まるという。昔の中国を思い出す。

Mさんは更に歩いて行く。ちょっと横丁に入ったところにある日本人M女史が経営するラオスコーヒーの店へ。M女史はコロナで日本に帰国中だったが、幸いお店は開いており、雰囲気の良い店内でコーヒーを頂くことが出来た。コーヒーはパークソンより取り寄せているという。パークソンといえば茶葉もあり、店内では茶も売られていた。今度機会があればM女史に色々と聞いてみたい。

店を出たら突然雨に降られる。かなり激しく降り、傘もないのでずぶぬれになるが、乗り物もいない。10分ほど歩いてMさん行きつけの老舗ステーキ屋へ何とか逃げ込んだ。そこでステーキとスープを食べて温まっていると、Mさんの奥さんと義弟が心配して迎えに来てくれた。食べ終わるとまだ雨が降っており、車で送ってもらう。義弟はパークソンの茶畑なども知っており、次回はお茶関係のところに連れて行ってもらいたいなと思う。

8月27日(土)ルアンパバーンへ

午前中は雨も降らず、また散歩に出た。昔泊まったホテルや行ったカフェなどがいくつもなくなっていた。やはりコロナ禍は観光業への打撃がすごい。ワットオントゥで中国系の供養塔を探してみると、その横に日本人の名前が入った供養塔を2つ発見した。この方々はラオスに貢献して亡くなったのだろう。

昼、チェックアウトして目の前のトゥクトゥクと交渉して鉄道駅へ向かう。料金交渉は意外と難航(場所も知らない)、若者ドライバーは行くのを嫌がる。最終的に2日前と同じ100kでお爺さんのトゥクに乗る。ただこのトゥク、かなりゆっくりで、途中客を拾うなど、30分以上かかる。それでもラオスは交渉価格通りに行くからまだよい。

切符売場の営業時間は決められており、ドアは閉まっている。その横のドアは開いていたので、2階に上がり、トイレに入る。トイレ脇には椅子もあり、数人が休息していたので、それに倣う。列車が一日3往復しかないと、待合室にも入れない。当然エアコンは効いていないが、外よりはマシか。

13時半に売場前に戻ってみると既に行列が出来ていた。ただラオスの行列は何となく緩い。人は先を急がない。10分後には売場窓口へ辿り着き、明後日のルアンパバーン‐バンビエン行の硬座、最後の1枚を何とか買うことが出来た。料金は86kとかなり安い。かなり窮屈だろうが、これも経験だ。

今度は荷物検査場が開いた。身分証チェックがない以外は中国式だ。すぐに中へ入ると、だだっ広いだけで何もない。売店もないので、飲み物すら買えない。ホームに停まっている車両を眺めると、中国高速鉄道と全く同じもの。20分前にならないとホームに入れないのもほぼ同じ。中国人はぎちぎちに行列するが、ラオス人にそれはないので楽ではある。

ホームに行ってもどこが何号車かの表示はない。全て係員の誘導に従う。係員はマスクの上にフェイスガードもしている。各車両に乗務員がいて、チケットをチェックするのも同じだ。一等車の向こう、先頭にビジネスクラスがあるのだが、そこへは行かせてもらえず、写真も撮れない。乗車しても高速鉄道と同じなのでワクワク感があまりない。 

どうやらタイ人観光客が多い。中国人はほんの少し、後は白人さん。日本人は見かけない。ラオス人も多くはない。きっと二等に乗っているのだろう。スピードは150㎞程度で早くはない。最初の1時間は平地を走っている感じだったが、後の1時間はトンネルが多い。工事は大変だっただろう。停車した駅は帰りに寄る予定のバンビエンだけだった。ところどころに貨物車が停まっているのが目に付く。単線なので、すれ違いで10分近く停車していた。

ちょうど2時間で終点、ルアンパバーン駅に到着した。これまではバスで10時間かかっていたのを考えると画期的だ。この駅の形はビエンチャンと一緒。駅の脇から出ると、駅前には本当に何もない。1段下がったところにミニバンが沢山待機しており、送迎バンがシステマティックに行われているのはとても良い。1人、35k。20分ほどで街中へ行く。ラオス人も同乗しており、途中で降りていく。

ラオス鉄道旅2022(2)ビエンチャンの変化

取り敢えず泊る所を考えなければならない。検索するとガーデンホテルという文字から10年前に泊まった宿だと思いそこへ行くと記憶間違いだった。だが面倒なのでそこで料金交渉してみる。タイバーツの現金で払うと言ったら、予約サイトより安い料金でよいという。まあ庭にプールもあり、いい感じだったのでここにした。

しかしパスポートを渡したら投げ返された。どういうこと?因みに後で知人が言うには『予約サイトを通さなければマージンを取られないので安い』という説の他、『従業員が代金を懐に入れた』などの説も登場。いずれにしても不可解な対応だった。

腹ごしらえが必要で外へ出た。ちょっと行くと以前何度か泊った中心エリアに出た。だが昔の常宿は既に廃業していた。最後に泊まった2020年3月、あまり元気はなかったので想像できた結末だった。メイン通りも閑散としており、欧米人など観光客の姿もほとんど見られなかった。常宿の裏に麺屋があるのを思い出して行ってみると、まだやっていた。カオソイがうまい。値段は20kから25kに値上がりしていた。昨今ラオスでは物価が高騰していると聞いているので、この値上げは十分に理解できた。お客が来て嬉しそうなお婆さんには同情する。

ふらふら歩いているとセブンイレブンなどのコンビニはないものの、BigCミニなどコンビニ系の店舗が明らかに増えている。商品もタイなどからの輸入ものが多いだろうから、為替安、物価高はこういう店にどのような影響をもたらしているのだろうか。値段がタイと変わらなければ、ラオス人にとっては割高だろう。

何となく涼しいので、空港の方に向かって歩いてみる。クラウンプラザやサマセットなどの高級ホテルが出来ており、中国人需要が取り込まれたのだろうか。更に行くと中国市場である三江市場が見えてきた。数年前はちょっと大きな市場程度の認識だったが、後方が巨大化しており、明らかに1つの街になっていた。鉄道の開通のための物流拠点として整備されてきたのだろうか。中国語、しかも方言が飛び交っている。

夜はナイトマーケットにも行ってみた。思ったより地元人が降り、観光客もちらほら見える。食べ物の屋台は以前より少なくなっている。川沿いの遊園地はライトアップされていてとてもきれいだった。何となくビエンチャンにも明るい兆しがあるように見えた。

夕飯はサンドイッチをきれいな店で注文してテイクアウトしたが、もう一人の客が注文したハムチーズが見事に私の袋に入っていた。まあ残念というより、これもまた旨し、だ。バゲットは非常に大きく、とても食べ切れない量だった。夜10時頃、部屋の脇でお掃除の若い子たちが女子会でおしゃべり、結構うるさい。そしてようやく寝付いた夜中2時には、あほな酔っ払い白人が大声で話していてとても眠れない。

8月26日(金)ビエンチャン散策

よく眠れぬまま起きて、朝食を食べた。正直美味しくない。ビエンチャンならフランス系の美味しいパンと卵料理があればよいのだが、何とも中国式のお仕着せメニュー。食えるのはバナナぐらいか。コーヒーもインスタントを入れた方が良い。まあこれだから宿泊費が安いわけだ。ちょっと散歩でもしようと部屋から出たら激しい雨が降り出し、慌てて引っ込む。まあ部屋は快適なので午前中はこもる。

昼頃雨が上がり、散歩に出た。歩いて行き、タラートサオでウドンタニー方面のバスを確認。1日5本程度あるのでちょっと安心。その横のビエンチャンセンターには鉄道のチケット売場があるというので見に行く。ちょうど昼休みで係員はいない。やはり現金は受け付けず。ただ銀聯もOKのように書かれているが果たして使えるのだろうか。因みにこのショッピングモール、上の階には食堂もあるが、料理教室、テコンドーやフィットネス、そしてシネマなどの施設もあり、かなり詰め込まれ感が強い。

そこへMさんが登場。既に連絡してあったが、予定が早く終わったとのことで、ここで合流する。奥さんとも久しぶりに会う。彼女は客家であり、標準語も通じる。奥さんは先に帰り、2人でカフェアマゾンに入って、現在のラオスの様子から共通の知人の近況まで、色々と話し込む。因みにアマゾンカフェは、タイでは庶民の味方だが、ラオスでは高級カフェになっているようだ。