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軽井沢で過ごす2014(1)雰囲気のある追分宿

《軽井沢で過ごす2014》  2014年7月11₋12日

 

軽井沢と言えば、30年近く前、新入社員だった時に、会社の寮があったので、テニス旅行に行ったことを思い出す程度。東京からそれほど遠い訳でもないが、私にはあまりご縁の無い場所だと思っている。

 

今回日本に帰ってくると、元勤め先の後輩が2₋3人、会社を辞めて新たな道を進み始めていた。そのうちの一人、Tさんは中国勤務が長かったが、最近のFacebookの写真はなぜか軽井沢が多いなと思っていた。何と7年も前から週末軽井沢生活をしており、ついに東京から軽井沢に転居、会社も辞めて、現地で新たな仕事を始めるという。

 

久しぶりに会ったTさんの『外国人も軽井沢には興味を持つと思うんですよね』の一言に釣られて、ちょっと行ってみようかなという気になり、ちょうど1週間後に2日時間があったので、1泊2日の軽井沢の旅となった。

 

7月11日(金)

軽井沢まで

軽井沢に行くには新幹線があることは分かっていたが、先日の牧の原行でもバスが安いと知ったので、Tさんの指示に従い、バスを予約した。8:10に池袋東口を出発して3時間ほどで軽井沢に着く。料金は片道2600円だが、4枚回数券を買うと8200円なので、2人で行けば一人片道2050円で行くことが出来る。思ったほど高くはない。

 

朝電車で池袋まで行く。東口のどこに乗り場があるのかと思ったら、本当に駅の前にあった。これは便利だ。しかもチケット販売所には椅子もあり、トイレもあるので、問題ない。日本は?東京は?この辺がアジアに比べてとてもきれいでよい。バスは甲信越。北陸だけではなく、関西行などもあり、次々に出発している。今後国内旅行はバスの活用を考えよう。

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車内も快適で、すぐに眠りにつく。渋滞もなく1時間半ぐらいで上里ドライブインの休憩がある。天気がすごく良くて、気分もノリノリになる。ちょうどTさんから電話が入り、『軽井沢プリンスで降りてください』と指示が出た。良く分からないが、彼は今その辺にいるらしい。運転手さんに告げると頷かれた。その後富岡辺りを通過。富岡製糸場が世界遺産となっており、次回があればこのバスで富岡を訪れてみようかと思う。

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10時半過ぎに軽井沢の街にバスは入った。軽井沢72という有名なゴルフ場があり、何となく軽井沢に来た気分になる。運転手さんが『今日は渋滞がありませんが週末この道は車で動かなくなりますのでご注意を』とアナウンスする。よく考えると明日は土曜日、帰りは混んでいるのだろうか?

 

アウトレットモール

軽井沢プリンスホテルは、高原リゾートの雰囲気に満ちたよさそうなホテルだった。既に夏のシーズンが始まっているのか、ロビーには人がかなりいた。外国人の姿も見られる。周囲の庭も美しい。宿泊料金、高いんだろうな、などと考える。

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Tさんがやって来て、先ずはホテルの向かいにある軽井沢プリンスショッピングプラザというアウトレットへ行く。ちょうど改装してリニューアルオープン、店の数も増えたという。それにしても規模の大きいなアウトレットだ。一日見ていられそうだ。店の数は更に増えるというのだから、日本ではこのような形態のビジネスが儲かっているということか。

 

散歩がてら、フラフラ歩いていると、広東語や台湾語も聞こえてくる。香港人や台湾人は、本当にアウトレットが好きだ。御殿場でも入間でも、どんな場所にあってもちゃんと公共交通機関を乗り継いでやってくる。中国大陸人も来るようになるだろうか。

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チョコレートのゴディバの店がある。チョコが本当に安いので驚いた。アイスクリームなども売っており、かなり人気があった。私も抹茶チョコクッキーを買ってみる。定価の4割引きなどという表示を見ると、誰でも手が出てしまいそうだ。ちゃんと小分けで買いやすい設定にもなっている。

 

一流ブランドだけではなく、フードコートやドラッグストアーもあり、多様な客層を取り込んでいるように見える。Tさんはここで狙っていたバッグをかなり安く買ったとのこと。バスを途中下車したことで、良い物を見せて貰った。

 

追分宿

Tさんの車で軽井沢観光へ。途中スーパーで買い物していた奥さんを拾い、T家へ。T夫人とは20年以上前に香港で一度食事をしたことがあった。が、お互いその頃のことはよく覚えていない。ここでの再会、面白い。T家は木々に囲まれた中にひっそり建っていた。

 

車で追分宿へ。軽井沢の隣、昔の宿場町、追分宿は道沿いに少し古い建物などが残っている程度であるが、何となくその落ち着いた雰囲気が好ましい。本陣跡などは今でも人が住んでいるようであり、観光地とは違った味わいがある。ここにあるそば屋さんでランチを頂く。お店の雰囲気が良く、外国人などが来れば喜ぶだろう。盛りそばと天丼のセットも美味しい。

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食後ブラブラと歩いて見る。油屋、という立派な建物があった。今では民芸展示館、カフェなどになっているようだったが、外観がなかなか良い。江戸時代にこの辺りを歩いた人の気持ちになっていたのかもしれない。天気さえよければ歩いていて楽しかったのではないだろうか。

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Tさんは少し畑を借りて、ブルーベリーを育てているという。その畑へ行ってみると、そこは景色のよい田舎。軽井沢郊外にはこんな所もあるのか、と思ってしまう。植物を育てていると気候にも敏感になり、また収穫の喜びも味わうことが出来るので、良いと思う。

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神の島久高を再訪して(10)那覇 エリーの車で

7.那覇3

エリーの迎え

行きと同様ANAはあっという間に那覇へ私を運んでしまった。那覇空港でちょっと夢から覚めた気がした。そして人を探す。台北のゲストハウスで知り合ったエリーが来てくれるはずだった。が、いなかった。スマホを持たないので、PCを開け、繋ぐと『30分遅れる』とのメッセージが。この辺の緩さはいい。

 

エリーは車でやって来て私を乗せた。変な話だが、GHで1度知り合っただけで、良く知らないオジサンを車に乗せる若い女子、何だか良く分からない感じだが、現実はそこにある。『沖縄は車がないと動けないからー』とゆるい感じで言われ、それでいいと思ってしまう。夕方の那覇は車が多かったが、それでも他の都市に比べればラッシュとは言えない。それもまたよい。

 

夕飯はエリーお勧めのやんばる食堂へ。学生などもよく来るという庶民的な食堂。働いているおばさんの雰囲気が実にいい。なかみ汁定食を頼む。なかみ汁とは茹でた豚の内臓を入れたスープ。内臓系大好きの私にとってはまたとない一品。美味過ぎ!!だがこの定食はどんぶり一杯のなかみ汁だけではない。皿一杯のキャベツに目玉焼き、刺身、そして漬物、更に大盛りのごはんが付いている。これで800円。死ぬほど食える。実際死ぬほど食ってしまい、しばし動けない状態に陥る。この店には地元の人が入れ替わり立ち代わりやってきて、豪快に食べていく。確かにこの量でこの値段。学生がやってくるわけだ。女性もやって来てガッツリ食べている姿は頼もしい!

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外は雨が降っていた。那覇は梅雨だった。車は100均ショップを目指す。エリーが『すぐに乾くタオルがある。便利だから買おう』という。確かにすぐに乾けば便利だ。その100均はかなりの規模があった。駐車場も大きい。隣のユニクロに入り、明日の台北行に備えて靴下を調達する。エリーが選んでくれたが、さすが、どれも私が選ぶものとは全然違う色と柄。娘がいるとお父さんの服装も変わるのかもしれないと思ってしまう。

 

夜9時前の雨の夜だが、店は繁盛していた。沖縄の人は基本的に車だから、雨はあまり関係ないようだ。そして宵っ張り。この時間から続々と人がやって来て、買い物している。エリーは沖縄舞踊などをやっていたが、今はバイトして、そのお金で海外旅行をしている。最近は愛知県の工場にバイトに行ったが、すぐに嫌になり帰ってきた。大企業が沖縄で労働力を確保しようとしていた。内地では『沖縄人と外国人を同列に扱っている』と言ったのが印象的。非常に微妙な感覚がそこにある気がした。

 

宿まで車で送ってもらい、あっさり別れた。別れ際に『次は島の北部にドライブ行きましょう』と明るく言われた。何だか来年あたり、ドライブしていそうな気になる。面白い夜だった。

 

5月23日(金)

空港電源なし

翌朝は慣れ親しんだ新恵荘を出発し、台北へ移動する。新恵荘のおばさんも最初はとっつきにくいかと思っていたが、3度も出入りする私を見て、少し対応が変わってきていた。このように徐々に交流していくこと、何度も繰り返すこと、も大切だなと思う。

 

エリーは空港まで送ると言ってくれたが、朝はラッシュだし、大変そうだったのでゆいレールで空港に向かった。朝8時前さすがに車内は混んでいたが、一駅行った県庁前でかなり降りてしまい、緩い雰囲気になる。いいな、これ。

 

 

那覇の空港に着くと、台湾で使う携帯の充電をしていないことに気が付く。ところが空港のどこにもコンセントがない。充電は出来ないのであった。インフォメーションで聞くと、『携帯の充電できますよ』と言われたが、それは日本の携帯専用の充電器であり、海外用は当然できない。台湾人や香港人はここに来てそんなことで困らないのだろうか?

 

仕方がないのでシャトルバスに乗り、LCCターミナルへ行ってみた。バスで5分程度の場所にあるが、行って驚いた。倉庫でも改造したのか、天井の高い建屋だったが、がらんとしていた。今日乗る予定のピーチのチェックインカウンターがあったが、殆どの人が自動チェックインしている。既に航空券をプリントしているのだ。私は何も持っていない。カウンターで何とかチェックインした。

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お土産でも買おうかと思っていたが、殆どなにも売っていなかった。仕方なくシャトルバスで普通のターミナルまで戻り、買い物をした。知らなかったとはいえ、実に不便を感じた。台湾人客は多かったが、彼らの方が余程研究し尽くしており、スムーズに事を運んでいた。

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ピーチには色々と因縁があるが、乗るのは初めて。お客の半数以上は台湾人だったが、CAは日本人。安いことも含めてそこがまたいいのかもしれない。1時間ちょっとのフライトで台北に着いてしまった。今回の旅を振り返り間もなく、次の旅は始まっていた。

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中国最北端を行く(13)北京 中国のサービスは悪くない?

7.北京2

無料ホテルで1泊

急いで荷物を拾いに行ったが、なかなか出て来ない。こうなればまずはチェックインと、荷物をN教授にお願いし、1階上の国際線カウンターへ走った。ところが『荷物がないとチェックインさせない』と断られ、また戻る。何とか荷物を拾い、指定されたカウンターでチェックインしようとしたが、何とそこは間違ったカウンターで、時間を取られてしまう。

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ようやく最終決裁者のいるカウンターにたどり着いた時は既に午後4時40分、残念ながら『明日の朝』と言われてしまう。そして『ホテルはあっち』とボーイを指される。ボーイは我々をバス乗り場に案内すると、そこには大勢の待機者が待っていた。そしてバスでホテルへ。空港から20分ほどのそのホテルは結構きれい。2人部屋なら無料ということで、またN教授との相部屋が一日延びた。

 

ところで私のフライトはエアチャイナで明日の朝の便に既に変更されたが、N教授は日系航空会社。なぜかエアチャイナはホテルの面倒は見てくれたが、チケット変更は自分でやる必要がある。ちょうどこの航空会社の北京支店に大学の後輩がいたので、電話して変更を依頼、スムーズに済んだ。有難い。

 

ホテルでは夕飯が無料で提供された。ビュッフェ形式で決して高価なものではないが、腹一杯にはなる。日本ではこんなサービスは絶対ないだろう。ホテルもタダ、食事もタダ。これでよく会社が経営できるものだ。この費用も我々の航空代金に含まれているのだろう。

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ここで1人の中国人女性と出会った。残留婦人を祖母に持つというその女性、今は日本に帰化している。日本人と同じように日本語を話し、何とN教授の大学のすぐそばで餃子屋をやっていたこともあった、と盛り上がる。我々だけが日本人らしく、別途ビールを注文して異彩を放つ。夜はぐっすり眠れる。やはり疲れているのだ。本来なら飛行機の遅延というアクシデント、だがN教授という連れがいると、安心できる。これは重要なことだった。

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2月26日(水)

羽田で荷物が壊れていた

翌朝は5時半に起きて、6時前にバスに乗り、空港へ。チェックインもスムーズで問題は何もない。北京の空気はハルピン並に悪いのだが、そこは科学技術か、北京では空港閉鎖などは起こらない。確かにPM2.5で首都空港閉鎖になっていたら、中国は大混乱になるだろう。

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フライトも順調で、定刻の午後1時には羽田に到着した。荷物を家に送り、午後3時のアポに向かおうとしたが、何とスーツケースが壊れていた。穴が2つも空いていたのだ。空港職員を呼ぶと、本当に丁寧に対応してくれ、修理は可能だと聞いたが携行品の保険に入っているので、書類を作ってもらい、申請することに。

 

翌日保険会社に電話すると『まずは治らない証明、または修理代見積もりを取るように』と言われ、唖然とした。再度エアチャイナに電話して修理を頼むと、問題なく応じてくれた。中国はサービスが悪いていうが、実は一部ではいいところもある、ということが今回良く分かった。

神の島久高を再訪して(9)伊良部・宮古 宮古の遺跡

5月22日(木)

朝陽を拝みに

翌朝もキムニーの起床は早い。朝5時過ぎには起き、オーストラリア人夫妻を連れて、朝陽を見に行くという。また付き合ってしまった。車は朝陽が見える場所を探していくが、意外といい場所がない。浜へ出ても、東側が岩で遮られてしまう。最後に行ったのは白鳥崎という断崖絶壁の景色。なぜか鳥のオブジェがある。沖に座礁した船が見える。あの船はどうしたんだろうか。簡単には引き上げられないとかで、当分はあそこに静かに座っているのだろう。

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朝陽の出る時間になったが、今日は生憎の天気。残念ながら日の出を拝むことはできなかった。それでも朝から爽やかな風に吹かれたこと、絶壁の景色が見られたこと、良かった。更に美しい入り江のある浜へ行く。ここは水がきれいで良いが、入り江なのでゴミがかなり流れ着いていた。韓国語、中国語などからペットボトルなどごみがやってくる様子が分かる。

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宿に戻り、朝飯を食べる。今日は宿に頼んだ。あやさんがご飯とみそ汁、それに納豆を運んでくる。キムニーはまた自炊している。朝から肉を焼いている。これが今の勢いだな、などと思ってしまう。でもみそ汁もご飯も、このあっさりした朝食、美味しい。早起きしたからであろうか?

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またあのいい雰囲気が居間に流れる。ふと見ると後ろで床屋が始まっていた。宿泊客の一人がヘアサロンに勤めており、宿のオーナー雷太さんの髪を切っていた。彼は来週結婚式に出席する予定があり、長い髪をバッサリ切っていた。この島にはおばあの床屋しかないので、頼んだようだ。この風景、本当に絵になるな。これぞ、GH。

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居間でダラダラしていると、Hさんやって来て、神社へ行こうという。フラフラと着いて行く。小雨が降る中、サトウキビ畑を行く。お墓がいくつかあったが、いわゆる沖縄的な亀甲型ではなかった。島によって形式が異なるのだろう。佐和田ユークイに着く。小型の丘自体が神社のようだ。15世紀に伊良部にやってきた祭神。この島の歴史の古さ、他の島との交易の様子などが垣間見られる。鳥居を潜ろうとすると『そこは神様しか潜ってはいけない』と制される。

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6.宮古島

2人で宮古へ渡る

3日間はあっという間に過ぎた。ついにびらふやを離れる時が来た。離れがたい気分ではあるが、スーッと離れてしまった。もう一人大阪から来た女子大生が一緒にフェリーに乗ることになった。あやさんが車で送ってくれた。フェリーターミナルまで6㎞あるが、何だかあっという間に着いてしまった。フェリーも知らぬ間に出航。ボーっとしている間に伊良部島は遠くなった。

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フェリーは直ぐに宮古に着く。かなり激しい雨が降っていた。彼女も私も夕方の飛行機で那覇に戻るため、時間はある。宮古を散策するはずが、誤算だった。荷物はコインロッカーに入れ、待合室でネットをやって過ごした。

 

その内雨が止み、外へ出た。何だか腹が減った。午後2時だった。ターミナル近くの食堂にフラッと入る。いきなり『お勧めはそばです』と言われたので、そのまま頼む。次の人が入ってきてご飯ものを頼むと『今日はそばしかない』と言っているのが聞こえる。何となく笑えた。そばは意外とおいしかった。やはり名物はそばか。

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遺跡巡り

港付近を歩いて行くと、鳥居があり、フラッと御嶽がある。この辺が宮古だろうか。更に行くと、豊見親墓と書かれた墓群があった。15‐16世紀にこの辺りはを納めた宮古の首長の大きな墓を中心に、3つの墓があった。その形も特徴的で、墓の入り口が階段状になっており、前庭もある。墓と言われなければ分からないような形状だ。付近には同じような墓があった。宮古の歴史、興味深い。

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ドイツ皇帝記念碑というのがなぜかあった。1873年に漂流したドイツ商船を宮古の人々が助けたことを記念してドイツ皇帝が建てたという。この時期、この付近にも各国の船が往来していたことだろう。その後日本の領土に含まれていく過程も興味深い。宮古神社にも行った。かなり新しい神社だった。その付近にはきれいな石塀を持つ寺があった。市役所の横に御嶽があったのも、この島らしかった。

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港の辺りも散策した。ここから船で台湾辺りへ行けないか、と探してみたが、最終的に見つからなかった。恐らく昔は行けたのだろうが、今では飛行機代も安く、船の競争力は無くなったようだ。かなり早かったがターミナルに戻ると彼女もやることがなく戻ってきていた。一緒にタクシーに乗り、空港へ。彼女はバイトの話をしてくれた。自分の子供以外でこの世代を話すことはなくなっていた。空港は小さく時間を潰すのに苦労した。ずっとネットをやって過ごした。

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神の島久高を再訪して(8)伊良部 素潜りの刺身

5月21日(水)

びらふやでダラダラ

何だか妙にぐっすり寝た。よく考えてみるとこの大部屋、男は私だけで後は若い女性ばかり。ベッドにカーテンなどはあるが、ちょっと不思議な空間であった。8時前に起き出したが、誰も起きて来ない。島のムード、そのままである。

 

居間に行くとキムニーがいた。彼ともりおさんは個室を使っていた。私は個室があることも知らず、言われるがままに寝ていたわけだ。キムニーは既に朝の散歩を終えていた。そして何と炊飯器を持参しており、持ち込んだ食料を冷蔵庫などに入れて、自分で朝ごはんを作り、食べていた。長逗留する旅人は自炊するのだそうだ。それにしても、荷物を別送で宮古へ送り、レンタカーを借りて運ぶ、バックパッカーなどとはだいぶん意味合いが違う。因みにレンタカー代は20日間で3万円程度らしい。バカ安だ。

 

宿には頼めば朝ごはんが付いてくるが、私は頼んでいなかった。昨晩夕飯の後にたこ焼きまで食べたので、朝食を抜くことにしたのだ。他のメンバーも徐々に起き出し、居間で話し込む。そして別棟にあるシャワーを浴びる。トイレとシャワールームは本当に清潔だ。ここは日本なんだな、と感じる瞬間だ。

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そこへ昨日のランチを一緒に食べたOさんがやってきた。久高で一緒だったHさんも今日は仕事が休みということで姿を見せた。Oさんは自分で焼いたパンを持ってきてくれ、これが朝飯になった。自分でパンが作れる、というのは良いなと思う。もちもちした食感、パンらしいパンだった。そしてOさんは島を離れた。Hさんも用事があると帰って行った。私は静かに取り残された。

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オムそば

昼になったが、居間から動けなくなっていた。何とも表現できないいい風が吹き抜けていくのだ。お茶を飲み、置いてある本に目を通す。ハンモックに寝そべり、ゆらゆらする。ここにはアルバイトの若い女の子がおり、同じようにダラダラしている。自分の子供がダラダラしていると怒りたくなるのだが、この雰囲気で、この環境でダラダラしていると、いいなと思ってしまうのが不思議だ。WIFIも繋がるので、ついついここにいる。

 

雨も降っていなかったので、ついに単独で散歩に出た。行先のあてもない。周囲はサトウキビ畑が広がる。森山良子の歌などを思い出す。5分も行かないうちに村の万屋という感じの店があった。ふと見ると『焼きそば、たこ焼き』などとも書かれていた。昨日もりおさんが買ってきたたこ焼きはここの物だったんだ、と分かる。

 

オジサンが二人、話をしていたので、話し掛けてみる。一人は店のオジサン、島で生まれたが長い間尼崎辺りにいたという。だいぶん歳を重ねたので、また島に戻り、関西仕込みの食べ物を作っているという。『オムそばでも食べるか』というのでお願いした。もう一人のオジサンも関西からの移住組。年金が少ないので、都市での生活はきついという。『ここでは家賃も1万円、食費もあまりかからない。ただ何もないから若い内に住むのは無理だな』という。サトウキビ畑の仕事は1日1万円になるが、炎天下で相当につらいらしい。

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オムそばを持ち帰り、居間で食べる。実に本格的で濃厚、美味い。一人で味わっていると、今日の宿泊者がボチボチやってくる。中にオーストラリア人の旦那と日本人奥さんというカップルがいた。キムニーと意気投合して海へ出掛けるというのでついて行ってみた。場所は渡口の浜、昨日も行ったが、相変わらず人はいない。彼らは本当に驚いていた。オーストラリア人は『メルボルンの田舎で育ったが、こんな美しいビーチに人が誰もない、なんてことはオーストラリアでもないよ』と感嘆の声を上げていた。

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それから牧山展望台へ向かう。ここは島で一番高い所、全体が見渡せる。途中、工事現場があった。伊良部と宮古の島を繋ぐ大橋が出来つつある。来年には完成し、フェリーは廃止になる予定だとか。島の人は『何年も前から繋がると言っているが、本当かね』などと言っている。ただ見る限りかなりできてきているので開通は間違いないだろう。この橋が繋がると伊良部の様相は一変するかもしれない。今の状態の伊良部を見ることが出来たのも幸せかも知れない。

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展望台からは確かに島が一望できた。展望台に行く途中、熱帯の花が咲いていた。草も色々な種類があった。道に迷うと、そこにはお墓があったりもした。道を教えてくれたお巡りさんもいた。どうしてこんなところにお巡りさんがいたのか分からない。何か調査がったのだろうか?

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素潜りの魚をさばく

宿に戻ると疲れから仮眠した。ちょっと寝るともう夕飯だった。昨日と同様にみんなで食べたが、食べるメンバーが変わっているのが面白い。今日来た人もいるし、外に食べに行った人もいた。自然に人が集う、この雰囲気がたまらない。今の日本は『組織化』が進み過ぎ、組織に属するとやたらに規則があり、連帯感を出さないといけないムードがある。これはいい面もあるが、とても危険な感じがする時がある。アジアではそこまで厳しい感じがない。『ゆるい』ムードが良い、それで日本人、特に若者はアジアへやって来る。伊良部も同じだろう。リピーターが多い理由も良く分かる。

 

気になっていたのが、来ると言っていたHさんが姿を見せなかったこと。何か用事でもできたんだろうと思っていると夜9時頃になってやってきた。彼は素潜りで魚を捕る技術を持っているのだが、今日は私の為に、魚を捕りに行ってくれていた。久しぶりだったらしく、つい時間を忘れて潜っていたという。そしてこの時間になってしまったと頭を掻いた。手には鯛が握られていた。

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彼は調理人でもある。早々自分で獲った魚を自分でさばき始める。この辺が豪快で、とても良い。自分のことは自分でやる、自然と向き合って、そこから恵みを得る。Hさんのアジア、いや世界での経験、は確実に生きている。伊良部に来て1年ちょっととのことだが、実に似合っていた。近所からもらったわかめと一緒に新鮮な鯛を頂いた。当たり前だが、身が締まっており、美味しかった。

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中国最北端を行く(12)ハルピン PM2.5で空港閉鎖

2月24日(月)

6.ハルピン2

ハルピン街歩き

東駅から地下鉄に乗り、ホテルに戻る。これで3度目のチェックイン。さすがにもう慣れたが、毎回パスポートを出させてコピーを取るのは如何にも中国。少し疲れたので休息。予定されていたランチは先方の都合でキャンセルとなり、ホテル横のレストランへ。お客は殆どいなかったが、なぜか台湾人が昼から酒飲んで大声でじゃんけんしていた。

 

午後はハルピンの街へ。27年ぶりなので、ちょっと歩いて見たかった。先ずはハルピン駅へ。ここから27年前、満州里へ向かい列車に乗った。駅前は大工事中。勿論きれいにはなっていたが、面影は残っており、感激。そしてその時使用した待合室が、今年オープンして物議を醸した安重根記念館になっていたのには驚く。入ってみたかったが、月曜日は定休日で見学できず。

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駅前には旧大和ホテルの建物がそのまま残っていたが、今は使われていないようだ。旧日本領事館も残っている。ハルピンは開発が遅れているのか、歴史を大切にしているのか。日本時代の歴史を大切にするとは思いにくいので・・。ハルピンは日本以外にもロシアやヨーロッパの色彩を色濃く残している。ポーランド商人が建てた私邸が博物館になっていたりする。

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中央大街にも行ってみる。ここは完全に別の街になっており、今や観光スポット。お洒落なカフェやユニクロなどもあり、あまり感心しない。ここに宋さんお気に入りの湯包屋さんがあり、入ってみる。午後3時でもお客がおり、今でなければ席はないと言われる。ちょっと試食のつもりが1人1籠、とても美味しいのだが完全に満腹となり、動けない。

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27年前、唯一記憶があるロシア正教会へ。そこも周囲がとてもきれいになっており、ごちゃごちゃ感は一掃されていた。教会自体は古いまま、時計の針はかなり進んでしまったようだ。

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帰りはタクシーもなかなか捕まらず、苦労する。ハルピンでは最近夜繁華街ではタクシーは捕まらないと聞く。零下20度台、外で車を待つのは無謀ともいえる。我々は夕方4時台だったが、既に陽は傾き、十分に寒さを感じた。ハルピン最後の夜だったが、さっきの湯包が重すぎて、コーヒーを飲んで終わりにする。とにかく今回も食べ過ぎの毎日だった。

 

2月25日(火)

空港閉鎖

翌朝は少し霧が出ていたが、前は十分に見えた。宋さんにタクシーを予約してもらっており、余裕をもってホテルを出た。空港までの道も慣れたもの。これでハルピンともお別れか、と思っている内に空港に着いてしまった。チェックインは順調だった。今日はこのまま北京経由で東京に戻るのだが、預け荷物は北京で一度拾って、また国際線のチェックインをしなければならいと聞き、ちょっと嫌な予感が。

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北京行のエアチャイナはちょっと遅れていた。というか、全体的にフライトが遅れ出した。心配していたが、ほぼ定刻に搭乗となり、一安心。ところが飛行機が滑走路に近づき、さあ離陸、と思ったところ、動かなくなる。順番待ちだろうか。少しして動いたのでほっとしたところ、動いていく方向がちょっと違う。何と元に戻り始めた。そしてアナウンス『たった今、空港は閉鎖になった』と。えー?

 

外を見ると確かに前方が見えないほど、視界が悪い。これぞPM2.5の脅威か。飛行機から降ろされ、休息。いつ晴れるともわからない霧を眺める。N教授の東京行は、北京4時発、私は5時20分。現在は12時過ぎ。まだ余裕があった。そこへアナウンスがあり、『弁当を取りに来い』と。これは当分飛ばないと腹をくくり、弁当を食べ始めた。

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すると何と『急いで搭乗しろ』とのアナウンスも。どうなっているんだ、皆弁当を抱えて乗り込む。確かに搭乗しているので、これでまた安心。だが、飛行機はそこから一向に飛び立たない。結局午後2時ごろに離陸した。

 

ハルピン―北京間は約2時間。N教授の東京行には全く間に合わないが、私のフライトには何とか間に合う時間だ。やれやれ、と弁当をかっ込み、寝る。しかし最終的に北京に着陸したのは午後4時20分近かった。

 

中国最北端を行く(11)撫遠 バカうまの大鍋料理

烏蘇鎮

更にロシア国境にあるという街へ行ってみることに。ところが道は途中で雪に閉ざされていた。実は人は住んでいないのではないかと思われる。それでも鎮という行政単位がある、それが国境なのである。国境には人が住んでいる、村がある、ということが実効支配の有力な力となる。モンゴルでも見てきたが、人が住んでいる、住んでいるように見せることが重要なのである。

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そして歩哨のいる建物が見えたので、行ってみた。軍事施設に近づく、ということには相当の抵抗があったが、ここにも人影はない。ただ洗濯物が干されており、犬もいたので誰かが居住していることは確認できた。向かい側は烏蘇江を挟んでロシア領。最前線であり、氷で歩いて渡れる距離であるにしては、緊張感はない。

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そして更に南へ行くと寂しい漁村があった。船は凍った河に凍結されていた。あまり豊かとは思えない家が並んでおり、ここは村と言えるが、人影はない。そこへ老婆が幼い子供を連れて歩いてきた。宋さんが話しかけると、笑顔で答えてくれ、家に招き入れてくれた。その家は入るとすぐに居間、そして大きな鍋が設置された台所にもなっている。この鍋で何でも作るらしい。その横にはベッドがあり、そこで話を聞く。

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時事通信社 金融財政ビジネス(2014年3月27日号) コラム放眼日中「中ロ国境の街で」

http://www.chatabi.net/colum/482.html

 

そして河へ行く。厚い氷で閉ざされているが、一部穴が開いており、下が水を通っている。ここから魚を釣るのだろう。老婆の孫も魚を釣っているらしい。

 

農村で

戻る途中、別の鎮を通り過ぎた。農機具などがあり、少し興味を持って降りてみる。ちょうど歩いてきた農民を捕まえ、話を聞いた。農村の実態が少しつかめてきた。

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日本経済研究所月報コラム「アジアほっつき歩る記」第27回「中国 中ロ国境の街で」

http://www.chatabi.net/colum/1077.html

 

2月23日(日)

大鍋料理

今日はもうハルピンへ戻る日となっていた。列車は午後なので、昼は先日行けなかった大鍋料理を予約して行ってみた。外は日中でも零下20度程度と寒かったが、店に入ると暑かった。

 

それにしても豪快なこの料理。大鍋に汁を入れ、そこへ鶏を一羽ぶつ切りで入れている。そこへキノコ、豆腐、トウモロコシなどをぶち込み、ぐつぐつ煮込む。しかしこれがバカうま。大汗を掻きながら、ハフハフ言いながら食べる。メガネが曇る、デジカメも曇る。凄いエネルギーが部屋を流れている。

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あまりの暑さに、窓を開ける。すると零下10度台の冷気が流れ込み、何とも爽やかになる。そしてまた食欲が出る。どう考えても4人で食べるには多過ぎる量だと思っていたが、鍋のあらかたを食べてしまう。我々にもエネルギーが出た。汗でシャツを取り換えたい。急いでホテルに戻る。

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戻りの列車

ホテルをチェックアウトして出発。しかしこのホテル、本当に安くて快適だった。もし夏に来ればどうなのだろう。きっとお客で溢れているのだろう。そして料金も倍以上するかもしれない。

 

タクシーは1台では荷物が乗りきらず、2台に分乗した。駅まではすぐに着く。この駅、本当に真新しい。一昨年できたばかり。ようはこの線は2年前にここまで伸びてきたということだ。それまでの長い年月はこの最東端へ来るためには最寄駅からバス、ということだったろう。駅は天井が異常に高く、広々としている。

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Mさんは途中の佳木斯で降りて、そのまま出張となるということで、チケットの変更に向かった。昔はチケットを変更するのは大変な作業だったが、今ではすぐに出来るらしい。オンライン化のお蔭だ。

 

駅には地元の人々がハルピンや他の都市に行くため、集まってきている。家族で行く者、友達と行く者、楽しそうだ。中に尼さんがいた。周囲には大勢の女性たちがいる。信者だろう。口々に別れを惜しんでいる。最近農村にも宗教がどんどん入っている。今の中国では何かを信じない限り、とても生きていけない、ということだろうか。それにしてもこの果ての果てまでやってくる精神は凄い。

 

列車は先日と全く同じ型。今回は4人で乗り込み、個室を占拠。やはりこの方が気は楽だ。私は上の段に登り、荷物を詰める。上の奥には広いスペースがあり、かなりの荷物を入れることが出来る。列車内は暑いので、2つのコートをしまい込む。下ではすでに酒盛りが始まる。

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先日と全く同じルートの折り返しながら、Mさんが加わったことで、色々な話が聞けた。特にこの鉄道路線は戦前、日本人開拓民の開拓地と重なっており、また戦後の農場政策なども興味深い。

 

佳木斯到着は夜中の12時だったため、それまでずっと起きていて、話し込む。Mさんが寝過すことはないが、我々も見送りを決めていた。Mさんが下りてからもなかなか出発しない。時間は夜中の12時、佳木斯の知り合いが迎えに来るとのことだったが、さすが商社マン。私などは怖気づいてしまう。

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それから朝までの眠りは浅かった。恐らくはこれまで寝すぎていたせいだろう。すぐにオジサンが一人乗り込んできて、上の段に上る。我々に気を使い、電気も点けなかった。明け方、私の毛布を直してくれた。何だかほんわかした気分。そしてまた彼は静かに下りて行った。

 

朝は天気だったが、ハルピンに近づくに従い、空気は悪くなった。都会が近い。あの青い空、涼やかな風、一面の白い世界はやはり幻だったのだろうか。

 

神の島久高を再訪して(7)伊良部 誰もいないビーチと楽しい夕飯

島めぐり

午後、雨上がる。特にやることもない私の為に、キムニーが車を出してくれ、島案内に連れて行ってくれる。こんなこと、あり得ないよね、普通のホテルでは。お客さん同士が仲良くなり、情報を交換し、そして一緒に出掛ける。何だかとても自然で、とても良い。

 

佐和田の浜、遠浅の海、きらきらしている。岩が転がっている。伊良部島は下地島と繋がっている。車は下地へ渡る。ここには基地があり、飛行機の離発着訓練が行われる場所として有名であるが、現在はほとんど行われていないらしい。昔はデートスポットだったとか。キムニーは『前回はここが泳ぐスポットだった』というが、泳ぐに水があり過ぎ、飛び込むしかない。何かが変わったのだろうか?

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泳ぐのを諦めて、通り池へ。ここは下地島の観光スポットであり、ちょっと神秘的。何故ここに池があるのか、不思議だった。更にこの池を越えると、まだ先がある。ただ以前は整備されていたであろう道が、塞がれていた。我々はちょっと冒険して、そこを越えた。ごつごつした岩を歩いて行く。ビーチサンダルなので、歩き難いし、サンダルが壊れそうになる。頑張って歩いて行くと、ついにもう一つの池に着いた。というより、ここは海と繋がっており、神が祭られている。ここは神聖な場所であることが一目でわかったので、頭を下げてすぐに立ち去った。

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中の島という場所にも行った。ここはサンゴが点在し、魚も泳ぐシュノーケリングスポットとして有名だとか。これまでどこへ行っても殆ど人はいなかったが、ここでは2人の女性が潜っていた。海はきれいだが、ちょっと寒いので長時間はきついらしい。一度ぐらいやってみるべきなのだろうが、どうも潜る気にはならない。沖縄の人もそうだろうか?

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渡口の浜、1㎞近く白い砂のビーチが続いている。が、本当に誰もいない。女性が一人、犬の散歩に来ているだけで、見渡す限り、全て私のもの、という感じだ。こんな贅沢な浜、日本にあるのだろうか?『伊良部島に来る人は基本的に海です』とキムニーも言い、『どうしてあんたは来たのか?』という顔をされてしまう。確かにここに来て、海に入らない、ダイビングにもシュノーケリングにも興味がない、というではおかしな人になるだろう。人がいない、というのは本当のご馳走なんだが!

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キムニーと話していて驚いた。彼の父親は私と同じ業界の人だった。しかも早期退職した点も同じだった。彼の方はそれを聞いて一気に親近感が増したようだ。そして『かわった人が多い業界だ』と再認識したのではないだろうか。彼はやはり泳ぎたい、と言って、飛行場脇のスポットに戻り、海に飛び込んだ。私はジッと傾く太陽と海を見ていた。

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夕陽と楽しい夕食

宿に戻ると人がいない。皆屋上にいた。ビールを片手に夕日を眺める、この屋上は絶好のスポットだったのだ。ここの奥さん、あやさんが『この屋上に惹かれてここを借りたんです』と言っていたが、その意味は十分に分かる。いい風が吹いてくる、陽がグーッと傾く。ビールをガーッと飲む。いいなあー、これ。この島を本気で気に入ってきている自分を自覚した。

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『夕飯食べる人?』とあやさんがコールする。今晩はカツオのたたきだよー、と。何とこのGHでは、オーナー雷太さんが食事を作り、食べたい人が集まって皆で一緒に食べる、という手法が採られている。今日も8人ほどがテーブルに着く。何だろう、疑似家族か?何だかとても、とても楽しい雰囲気で、話も弾む。そして食事も美味い!泡盛を飲む人はカメから勝手にとって飲みだす。冷蔵庫からビールを出す。全て申告制の事後精算。

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食事が終わると何とじゃんけんが始まり、負けた人が皿を洗う。もう完全に昭和のホームドラマだ。じゃんけんに負けて皿を洗う羽目に。まあそれも楽しい。実に不思議な空間がそこに存在している。それはここのオーナー夫妻のキャラもあるだろう。そういう所にはそういう人が集まってくることもあるだろう。そして何より伊良部島、という独特に雰囲気が大きいだろう。

 

もりおさんが『たこ焼き食べたい』と言い出した。なんだそれ、こんなところにたこ焼きなんかあるのか、と思っていると、ちょっと出て行って買ってきた。このたこ焼き、美味い!聞けば島の人で関西に出ていた人が戻ってきて作っているという。どうなっているんだ、この島は。

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このもりおさん、実は宮古島で教習所に通っていた。那覇にも泊まったようだが、そこで知り合った人に『伊良部に行く』と言ったら、『俺の息子も伊良部にいるから行くよ』と言われたらしい。本当に来ると思っていなかったようだが、何と本当に電話が来た。しかもかめそばにいるという。そのオジサンの息子というのが昼間会った腰の低いかめそばのオーナーだったという。もうこれは偶然などではない。

 

私は酒が飲めないので遠慮したが、もりおさん以下何人かが夜10時に出て行った。翌朝聞くと『伊良部島のお通りは半端なかった』そうだ。翌朝は皆倒れたままだったから、その惨劇が分かる。お通りとは、沖縄の酒飲み方だが、特に伊良部には酒豪が多く、時間が経つほど酒が濃くなったという。これは本当に飲めないらしい。

神の島久高を再訪して(6)伊良部 絶景とかめそば

5月20日(火)

5.伊良部島

搭乗券では搭乗できず

今日は初めて離島へ行く。Iさんから『離島ならまずは宮古でしょう』と言われていたので、宮古行きの航空券だけ手配していた。因みに那覇‐宮古のフライトはANAでも往復8000円、それなら偶にはANAを予約した。国内線に乗るのは実に久しぶりだ。

 

ゆいレールで空港へ。那覇空港国内線カウンターでチェックイン、搭乗券を貰って荷物検査を受け、スムーズに進む。ところがいざ搭乗となった時、ゲートに行き搭乗券を出すと『お客様 これではなくて』と言われてしまう。搭乗する時に搭乗券以外に必要なものがあるとは思いもよらない。『チケットの控えはありませんか?』と聞かれ、益々困惑する。何故?

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『バーコードが必要なんです!』なんだそれ?ではなぜ搭乗券にバーコードが付いてないんだ?『搭乗券は座席番号を確認するためにあります』、もう何が何だか分からない。何とかチケット控えを取り出すと『それです、それ』と言われ、機械を通して無事搭乗。それにしてもあまりに腑に落ちないので飛行機に乗り込んでCAさんに再度確認すると『他のお客様からも同様のご意見を頂くことがございます。私が責任を持ってご意見をお伝えします』ときっぱり言われた。正直英語でもBoarding Passと書かれたもので、搭乗できないのはここだけではないだろうか?いや、全てはバーコードだから?とにかくどう見ても理解できないし、もし外国人から質問されたら、何と答えるのだろうか?どう見ても日本は変な国、と言われるだろうな。フライトは順調で僅か30分で宮古に着いてしまう。機内では音楽を聞き、飲み物を1杯飲むだけ。あまりに呆気ないフライトであり、離島に行くワクワク感は全くない。

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タクシーでフェリーターミナル

宮古の空港は小さかった。降りてバスを探したが、街に行くバスは1日に4₋5本しかなかった。インフォメーションで聞くと、『伊良部島へのフェリーターミナルへ行くにはタクシーしかありません。バスに乗ったとしてもターミナルまでは行きません』と素っ気ない。何故そんなことになっているのだろうか?空港を利用する人はそれなりにいると思うので、これはタクシー会社の陰謀?ではなだろうか。

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仕方なくタクシーに乗る。宮古島は何ともひらべったい。このぐらいの規模の島なら多少の隆起はあると思うのだが、道を走っていてもどこまでも平たい。確か飛行機から見た島もそうだった。ここでは農業が可能だ。思っていた宮古のイメージとちょっと違い、意外だ。途中ヤマダ電機の大きな建屋に違和感。空港からターミナルまで行く道も2つある。どちらから行っても同じ距離だという。ではなぜ2つあるのか、分からないことが多いが、運転手さんに聞いている内にターミナルに着いてしまった。街らしいところは通らなかった。

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閑散としたターミナル、チケット買ってフェリーを待つ。伊良部島行は1₋2時間に1本はある。目の前に真っ直ぐな海が広がる。船は意外と大型。チケット買わなくても船内で購入可能。とてもラフな感じが良い。外をボーっと眺めていたが、何もない。そして20分で伊良部に着いた。

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伊良部のびらふや

フェリーを下りると何ともゆったりとしてムードが漂っていた。そして『びらふや』という札を持った男性がにっこり待っていてくれた。雷太さん、今日から2泊お世話になる、ゲストハウスのオーナーだった。何ともいい笑顔で迎えられた。『びらふや』はここから5₋6㎞はある、ということで迎えをお願いし、車に乗せて貰った。

 

島の外周道路に入る。『島で一番いい絶景ポイントへ行きましょう』と言い、突然車を下り、雑木林に分け入る。後に従うしかない。どうなることかと思っていると、突如海に出た。いや崖の上に出た。そこから見る景色は素晴らしかった。今日は曇りなのでまだまだの景色らしい。晴れなら海が完全に透けて見える。単なる送迎車ではない所が何とも好ましい。

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それから15分ぐらい車に乗り、びらふやに着いた。いい感じの1軒屋。居間があり、隣の部屋には2段ベッドがいくつか置かれている。その一つが割りあてられた。ここまでのアレンジは全て久高合宿で一緒だったHさんがしてくれた。実にのんびりした雰囲気が流れる。実は宮古へ行くことは決めていたが、どこで何をするかは沖縄入りするまで何も決まっていなかった。合宿で隣に寝ていたHさんが『それなら伊良部へ』と言ってくれ、フラフラとお世話になってしまったが、これはどう見ても正解だった、と確信した。

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そこへ新たな客が登場した。このGHでは基本的に自己申告した愛称で呼ぶ。彼は『キムニー』と名乗った。宮古でレンタカーを借りて、島に渡ってきたという。今は仕事をしていないので1か月ぐらいは沖縄で過ごすとか。人のことは言えないが、羨ましい。びらふやには以前も宿泊したとかで慣れた雰囲気。

 

かめそば

久高合宿で一緒だったOさんもHさんを訪ねてきていた。彼女も早々にびらふやにやって来て、話し出す。長野の穂高で働いていた時、我々が合宿でお世話になった人だ。今は自分でパンを焼いたりしているらしい。

 

このGHの周囲には民家はあるが、食事が出来そうな場所はない感じだった。聞けば歩いて5分ぐらいの所にそば屋があるというので、ランチを食べに行ってみる。かめそば、という名前の真新しいお店だった。お客はおらず、腰の低い、若いご主人が出てきて注文を取った。

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豆腐のそばを頼む。食べてビックリ、実に美味い。お店を開いて半年余り。地元の人ではないという。言っては怒られるが、あまり人もいないこの場所で、店を開く、どういう感覚だろうか。そして食べ物はウマイ、何だか狐につままれた感じだ。そばの横にはジューシーというご飯が付いている。雑炊と言われたが、混ぜご飯のようで、沖縄では基本的にこれが付いてくるらしい。

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Oさんと散歩した。途中で雲行きが怪しくなる。向こうからおばあが来たので天気を聞こうと思ったら、先方から『雨が降るかねー?』と聞いてきた。すれ違っても普通に会話がある。そののんびりした雰囲気が好ましい。気分がダラーっとしたところで、雨が振り出し、慌てて帰る。

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中国最北端を行く(10)撫遠 半年しか開かない国境

口岸見学

漠河もそうであったが、ここ撫遠にも地図というものが売っていない。元々小都市では地図は品切れ、というところは多いが、どうやらそればかりではないらしい。書店などを探し回ったが、どこにもないのである。何と書店には村上春樹の訳本はあるのだが。これは戦略上の理由かもしれない。

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撫遠は整然とした街並みに漠河とは完全に違って、ただの素朴な田舎町に見える。街中にはロシア語がかなりみられるが、ロシア人の姿はない。でもウオッカは売っていたのでN教授は大喜び。その店で聞くと『ロシア人はハバロフスクから船に乗ってくるが、今は河が凍結されており、船が来ないのでいない。ウオッカも彼らが運んでくるが、今は在庫を捌いている』とのこと。

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昼ご飯を適当に食べて、午後は口岸を見学。と言ってもホテルから河沿いにすぐ。近くには高級住宅の分譲などがあり、この辺りが夏は栄えているのだと分かる。確かに船がここに着けば便利この上ない。河沿いの道は広くて立派だ。

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勿論口岸は完全に閉鎖されていた。河が凍結して船が来ないのだから、通る人はいない。ある人曰く『この口岸は半年しか開かない世界でも珍しい場所だ』と。河に掛かっている桟橋も凍結を恐れて外されているので、一見しても良く分からない。

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凍った河では、魚釣りをする人がいる。また何か作業をしている人も見えるが、何だろうか。ホテルの部屋からも河が見え、そしてはるか向こうのロシアが見えるのだが、相変わらず何もないようだ。

 

羊腿

夜は気になっていた羊腿を食べに行く。羊腿とは読んで字のごとく、羊の腿。並んでいる羊の腿を1つ選んで、オーダー。2階の部屋へ行くと、焼肉屋のような煙を吸い込む装置の下に、羊腿をセットし、丸焼きの要領でぐるぐる回して焼く。周囲はかなり熱い。寒いここではちょうど良い。

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そして焼けてきたらナイフと串で肉を削ぎ落とし、食べる。これはアツアツで実に美味しい。4人であっという間に足を1つ食べてしまう。この料理は遊び的な要素もあり、みんなで食べると楽しい。キャンプファイアーを思い出す。

 

2月22日(土)

黒瞎子島

ここ撫遠郊外には黒瞎子島という島がある。日中にも島問題があるが、中ロにも島問題はあり、中ソ対立の60年代から解決に時間がかかった。この島問題は2005年には国境線が確定し、西半分は中国、東半分はロシアということですでに決着しているという。この島は黒龍江と烏蘇江の合流地点にあり、中国で最も早く朝日が見られる場所であるという。

 

我々は当然、その島へ行ってみようと思った。既に中国側から橋が通っているというので車で簡単に行けるらしい。それなら車でちょっと回ってみるだけでよい。だが、地元の人は反対した。それは『いまだに島には問題がある』『島に日本人が行くことに不測の事態の発生が懸念される』というものだった。

 

確かに過去にも日中関係が悪い時に、いつもは問題ない地域に張った日本人が拘束されたケースもある。今日がその日ではない、と言い切れない。しかも中国人に迷惑をかけることも出来ない。島に通じる橋の前まで行って引き返すことにした。

 

市内から黒瞎子島までは車で30分強、勿論他に殆ど車は走っていなかった。橋は既にできており、チェックポイントはあったが、誰もいなかった。これなら誰でも自由に行くことが出来る。周辺には何らかの拠点の整備が中断していた。冬は作業しないのだろう。

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掲示板を見ると『島へ行く者は登記が必要であり、費用を払ってバスに乗り、回る。自家用車又は徒歩での参観は禁止』となっていた。中国人と言えども自由には参加できないである。ましてや外国人には過敏になる。前を見ると誰もいない空間が広がっているのだが。国境との言うのは実に敏感な場所である。

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