「アジア旅」カテゴリーアーカイブ

北海でリゾート2014(3)リゾートでサイクリング

8月24日(日)

サイクリング

今朝は7時に起きてサイクリングに行く。この家には4台のサイクリング用自転車があり、夫婦は日々サイクリングを楽しんでいる。私は勿論自転車には乗れるが、サイクリングなどしたことはなく、どうなるかドキドキ。靴を借り、靴下を2枚穿き、Tシャツ、短パンで出掛けた。2人はきちんとしたサイクリング用ユニフォームだった。

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サドルが高いこともあり、最初は不安定であったが、慣れてくると快適だった。マンションの前の道はデコボコで走り難かったが、その先の大きな道はスイスイ行った。途中で朝ごはんを食べるために桂林米粉の店に立ち寄る。2人はここの常連で店の人とも仲が良い。ただ私が日本人だと知ると、主人は『安倍は良くない』と言い出す。そしてこの街では昔日本軍の残虐行為があった、などと話し出す。この地では実際の戦闘などはあったのだろうか?

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更に進むと7年前に来たことがある、90年代に開発された北海の別荘地を通った。7年前は廃墟に薄ぼんやりしたイメージだったが、今では戸建ての別荘がきれいに改装され、如何にも南国リゾートといった雰囲気を漂わせる。ヤシなどが街路樹として植えられているので余計雰囲気が出ている。午前中から人も結構歩いている。ビーチでは観光客がはしゃいでいる。中国では一生海を見ないで終わる人がまだまだ大勢いる。

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自転車を漕ぐのは実に久しぶりだ。Zさん夫妻はサイクリングが趣味、ということで、毎朝かなりの距離を漕いでいるらしい。当然スピードが違う。私を気遣ってゆっくり走っているのだろうが付いていくのがやっとだ。これはしんどい。おまけに日ざしがどんどん強くなる。汗がしたたり落ちる。

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橋が見えてきた。北海市内の高層ビルがよく見える。橋の周囲には何か植えられており、観光客が遊んでいる。バイクで来ている地元民も多い。更に行くと、広々とした道がある。走るにはよいのだが、なんとダンプがどんどんやってきて、砂塵を舞い上げる。これはたまらない。

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着いたところは、自然公園。北京の大手企業が大規模開発を行っており、ダンプが走る理由がわかった。マングローブなどを植えて、自然をアピールし、国家政策にも合う開発を行っているのだ。まだ出来ていないように見えたが、高い入場料を取っている。我々はゲート脇で休み、立ち去る。ここが折り返し地点だった。

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帰りは同じ道を戻るだけだが、暑さがこたえ、更には足がきつくなる。北海の港を横目に見ながら『昔よりだいぶ立派になったな、ここからベトナムへ行けるのかな』などと思う。ラストスパートは全くきかず、喘ぐようにマンションに戻る。往復35㎞、走ったらしい。シャワーを浴びるにも心臓がバクバクしていた。急激な運動は体にこたえる。

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その日の午後は完全休養。ネットは相変わらずよく切れてしまい、何もする気が起こらない。ただ窓から海を眺めるのみ。『海を眺める午後』。私より年上のトニーは全く元気で、午後はテニスに出かけた。何という体力。すごい。

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夕飯はパスタなどを頂く。トニーがワインを持ち出し、飲み始めた。ご相伴にあずかっていると急激な眠気が襲う。体力の消耗は想像以上だった。たまにはちゃんと運動する必要があることを実感。

 

8月25日(月)

サイクリング2

翌朝起き上がると意外と体が軽かった。トニーが『今日も走るか?』と聞いてきたので、無言で頷く。旅のポリシーとして、出来ることを言われたら、それに従う。今朝も同じいでたちで自転車に向かう。既に修行の気分が出ていた。先ずは近くの店で今日も麺を食う。やはり中国人は朝から麺を食うようだ。日本ではあまりない習慣のように思う。

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今日は昨日と反対側、山が見える方に向かう。『今日は昨日よりきついよ』と言われていたが、昨日の疲れはまだ筋肉には来ていなかったので、踏ん張って漕ぐ。自転車にも慣れてきたので、何とか付いて行けたが、途中から坂道が入り、全く付いて行けなくなる。ギアチェンジを指示され、色々とやってみたが、なかなか進まない。

 

お寺があった。いい天気に本殿が映えていたが、私には休息以外の何物でもなかった。足は相当にきつくなり、動かなくなったらどうしよう、といった不安が過り始めた。Zさんには『無理して漕がずに、自転車を押して登ればよい』と言われたが、それもきつい。寺を過ぎると更に急な斜面が出てきて、喘ぎ喘ぎ行く。

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頂上まで行かなかないうちに、車両通行が制限されており、何とか折り返しに着いた。それにしてもきつかった。海の見える景色は悪くなかったが、これを見るためにもう一度登れ、と言われても自転車は漕がないだろう。帰りは下り坂で楽だと思ったが、足が痛いので慎重に下りた。

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マンションの近くまで来ると足も軽くなっていた。北海の最高級マンションがあったので見学してみる。実に立派な造りだったが、売れ行きはさっぱりらしい。人影も殆どなく、人が住んでいる雰囲気もない。16,000/㎡の価格はこの地では高過ぎるらしい。作れば売れる時代は既に過ぎていた。特に豪華マンションは目立つので買い難そうだ。横にはゴルフ場も併設されており、良い感じなのだが。今日も往復35㎞、走ったらしい。

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北海でリゾート2014(2)これからも売れる不動産はある

2.北海

新区マンション

Zさんに案内されてマンションの敷地内へ。広々としたスペース、15階の部屋に上がると近くに海が見える。横にはゴルフ場もある。この景色、悪くない。部屋は4つあり、リビングも広い。実に快適そうなマンションだった。でもZさんは『これは夫が好きで買った物、私は高い所は苦手なのでちょっと』というではないか。何という贅沢。ただかく言う私も高所恐怖症、高い所ほど値段も高いので、安い低層階を選びたい心境ではある。

 

夕食はZさんが作ってくれた。材料は新鮮な貝やカニなど。豪華な食卓となった。『レストランで食べると結構高いが、食材を買ってきて家で作るととても安い。これが北海の特徴だ』そうだ。Zさんは日本滞在経験もあり、和食と中華を両方作れる上に、一工夫加えており、とても食べやすい。

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ご主人のトニーもテニスから帰って来て、食事に加わる。息子のG君もいる。初めて会ったのに、何だか昔から知っているような気分で夕飯を食べる。トニーは日本語ができないが、中国語と英語は出来るので、会話も弾む。ビールを飲みながら宗教の話をしたような気がする。G君は15歳にして日本語も中国語も、そして英語もできるので、素晴らしい。最近は5週間、アメリカのサマーコースに行っていたらしい。将来有望だ。

 

食後、Gmailが繋がらないと嘆く私の為にG君がVPNというソフトを設定してくれた。これがあれば何と繋ぐことができた。有難い。G君、15歳にして、私より何倍も役に立つ、頼もしい存在だ。『ただこのVPNはお試しの無料ですから後で使えなくなりますよ』と言われ、予備のVPNまで入れておいてくれた。素晴らしい。

 

そしてほとんどテレビを見ないというトニーが『一緒に見よう』と言ってテレビの前に座る。『中国 好声音』という番組だったと思う。とても人気があるそうで、トニーも『この番組だけは見るよ』という。イメージは昔あった『スター誕生』だろうか。一生懸命歌手を目指す人々にチャンスを与える番組、中国は豊かになったと言っても、まだまだ色々な境遇の人がいる。いや、高度成長期の日本と同じ現象が起きているということだろう。

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8月23日(土)

モデルルーム

夜中はそれほど暑くもなく、朝はゆっくり目覚めた。心地よい朝だった。午前9時前にシャワーを浴びると更に気持ちが良くなった。リビングの窓からは海が一望できる。ベランダに出てトニーと話しをする。朝ごはんはお粥だった。これはお腹に優しく有難い。ガチョウの卵で作った目玉焼きに鰹節が掛かっていた。Zさんは日本の良い所、美味しい所を色々と研究しているのだろう。面白い。食後、お土産にあげた静岡の釜炒り緑茶を飲む。本当に中国的な味がする。

 

それからこのマンション群のセールスオフィスへ行ってみる。ここは2010年に開発が始まり、1期の途中まで完成している。36階建てのマンションは海沿いに数棟建っており、現在建築中の所も多い。プールや公園、そして5年後には小学校まで作るらしい。ここに住む人は中国の東北地方を中心に北部からの投資が半分以上。ただ北部と言っても浙江省も四川省も北部に含まれるという説明が奇妙で面白い。空気が良く、人が少ないこの地には実際に移住して通年ここに住む人も増えている。基本的に退職者だが、なぜかその孫を連れてくる人もいるという。祖父母が孫を育て、両親は都会で働く、という図式は日本では考えにくい。

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モデルルームに行ってみる。現在は2LDK、約90㎡の部屋を売り出している。日本的に言えば63㎡程度の小さな部屋だが、価格は70-80万人民元と周囲の環境も考えればそれほど高くはない。目を惹くのは窓の所に腰を掛ける台が付いていること。これは日本では見られないが、先日台湾でも見かけた。中国人は窓際に座って話すのが好きなのだとか。これからもどんどん建っていくらしいこのマンション群。中国の不動産バブルは崩壊する、と日本では騒がれて何年も経つが、果たしてどうなのだろうか。『いい物件は売れ、粗悪な物件は売れない』という当たり前の状況になりつつあるということか。

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昼ごはん

昼はマンション内の小さな店で餃子を食べる。このマンションには中国らしく、個人経営の小さな店がいくつか出ている。日本ならこの立派なマンションに箔をつけるために高級レストランでも誘致しそうだが、ここでは趣向が異なる。この店の一家も東北地方から出てきて、餃子屋を開いている。

 

水餃子は美味かった。トニーは手の空いた店のおやじと世間話を始める。それがだんだん熱を帯びてきて止まらない。トニーはアメリカ生活が長いせいか、生まれつきの性格か、人と話すのが得意だ。誰とでもすぐに仲良くなれる。おやじはこれまでの苦労話をしているようで、じっと耳を傾けていた。

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午後はZさんが12年物の鉄観音を淹れてくれた。この家には立派な茶道具が置かれている。確かに濃厚な中にまろやかな味わいのある鉄観音茶だった。熱い日差しの午後に部屋でゆっくり寛ぎながら、美味い茶をすする、これもリゾートの醍醐味だろう。

 

夜は老街へ。昨日空港に来てくれたタクシーを呼び、旧市街地へ行く。どうも北海のタクシーはいい加減らしく、慣れた運転手を呼ぶのが良いらしい。旧市街地といっても今やきれいに整備されており、観光地化されており、多くの観光客が道を歩いていた。暗いのでわからなかったが、よく見ると両側の建物は1階が店、2階は住居のいわゆるショップハウスが多かったが、2階部分は相当古いまま残されていた。

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教会がある。戦前の古い店もある。驚いたことに丸一薬局というプレートが嵌っているところを見ると、なんと1936年にこの地で諜報活動をしていた中野順三という日本人がここで殺された、とある。こんなところにこの時代日本人がいたことが驚きであるが、よく考えてみれば、ここはベトナムとの国境であり、広東にも近く、要所だったことを裏付けている。1937年の盧溝橋事件のあとは、日本軍は広東へ進駐しており、その布石が打たれていたことになる。だがなぜこのプレートを嵌める必要があるのか、それがよくわからない。

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マンゴヨーグルトが美味しい、という店で休む。今や入口から中までどこもおしゃれで、若者がたむろしている。なんだかリゾート感覚が出てきた。表へ出ると、なぜか路上でサンマを焼いている。ローカル色もかなりある。その交錯した様子でちょっと楽しくなる。帰りは流しのタクシーを拾ったが、やはりメーターではなく、交渉だった。面倒だが仕方がない。

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北海でリゾート2014(1)中国ではGoogleが繋がらない

《広西散歩2014》  2014年8月22日-8月29日

 

ふとメールが舞い込んだ。『北海のマンションを買ったので夏休みに遊びに来ませんか?』、北海という地名に惹かれた。日本人は北海というと北海道の連想からどうしても北の方にある都市だと思ってしまうが、どっこいここは中国の南の端、ベトナム国境にあるのが面白い。

 

6年半前、A大のA教授達と初めて行動を共にした場所、そこが広西であり、北海も訪れていた。だが当時の北海は寂しい所、90年代にリゾート開発に失敗した街として紹介されていた。その街が変貌しているということだろうか?折角のお誘いでもあり、取り敢えず何も分からずに訪ねてみることにした。

 

8月22日(金)

1.北海まで

広州空港

北海に行くコースはいくつかあるが、今回は東京のお茶屋さんが広州に来るタイミングでもあり、バンコック-広州を選んだ。タイ航空のプロモーションがあると聞いていたが、ネットで買った方が安かった。何のためのプロモーションなのだろうか。

 

いつものように早目に空港に向かう。空港まではスムーズだったが、イミグレは夏休みの家族連れなどでかなり混んでいた。出国は普通タイ人と外国人で分かれるのだが、今日は外国人の方が溢れていたので、一緒になっていた。よくこれでタイ人から文句が出ないものだと感心する。

 

タイ航空の機内はほぼ満席。アフリカ系、中東系、インド系の人々の搭乗が多いのが目を惹く。広州には10万人を超えるアフリカ人が住んでいると先日報道されていたが、機内にもその雰囲気が出ていた。広州は中国雑貨の卸を取り仕切る街。何でも安い、と各国から人が集まってきている。これも中国のパワーの一つの象徴だろう。

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隣の席にインド系?パキスタン系の若者が3人座っていた。食事もスペシャルミール、ベジタリアンだろうか。横の若者の肘がちょくちょく当たってくる。かなり気になる。これもインド後遺症だろうか。彼らにとってこの程度の接触は何でもないことなのだろうが、文化の違いを感じる。

 

広州空港に到着。実はここから国内線で北海へ飛ぶのだが、広州の空港は1つしかないのか、国際と国内で分かれていないのかなど、全く気にしていなかった。もし上海のように2つあったら、完全に間に合わない。確認すると白雲空港で乗り換えられると分かりホッとする。白雲空港と言えば、1987年に桂林から降り立った時、夢かと思うほど先進的な空港だった。何しろメーターを付けたタクシーが夜の10時に列をなしていたのだから。これは当時の中国ではあり得ない光景だった。

 

一度入国手続きをして、国内線乗り継ぎカウンターへ。殆どの人が荷物を預けるだけ。私のようにここでチェックインするのは珍しいらしい。そこから2階へ上がり、荷物検査を受ける。珍しくIpadを発見され、チェックがかかる。これは日本以外では殆ど問題にならないのだが、日中は似ているのだろうか?

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そして室内を走る車に乗り、国内線ゲートへ。結構離れていることが分かる。自分で国内線ロビーへ歩いて行こうとすると大変だろう。国内線もかなり広かった。実は中国に勤務している時に1つのカードを貰っていた。中国内の主要空港でラウンジが使えた。今回も時間があるので使おうとしたが、『このカードは3時間前の予約が無ければ使えない』と言われてしまう。ほんの最近まで何の問題もなく使えていたこのカード、何か変化したのだろうか。そういえば習近平政権の腐敗汚職撲滅の一環で携帯会社などの空港・鉄道ラウンジが閉鎖になるとの記事を読んだことがある。これもその影響なのだろうか。

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そう思ってゲート脇の席に着き、PCを開いてWIFIに繋ぐ。今では中国の大体の空港で無料WIFIが繋がる。ここでも繋がりはしたが、異変があった。どうしてもGmailに接続が出来ない。Googleニュースを試してみたが、やはり繋がらない。Google関連には全くアクセスできなくなっていた。これには焦る。何しろ今は全てのメールをGmailで読んでいる。まあこの空港だけのことかとも思い、次に進む。

 

北海空港

北海行の南方航空に乗り込む。小さな機体だがほぼ満席。家族連れが目立ち、リゾートへ向かう感じが出ている。やはり北海はリゾート地として人気が出てきているのだろうか。飛行中、空がとてもきれいに見えた。乗客の殆どは中国人だが、彼らもウットリと空を眺めている。こんな青空、中国の大都市ではもうお目に掛かれないのかもしれない。

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1時間で空港着。実に小さな空港がそこにあった。それでもターミナルまでバスが出た。私は荷物を預けていなかったのですぐに外に出た。今回招いてくれたZさんがタクシーをアレンジしてくれていた。空港に南国の西日が差していた。車は殆ど誰も走っていない道をゆっくりと走る。きれいな街路樹が植わっている片側二車線の道に車がポツンポツン、これも大都市では今や考えられない光景。運転手は地元の人間で、『最近は北海に来る人が増えた』と喜び、『でも不動産価格も上がった』と嘆く。そして『先月数十年に一度の台風がやってきた。この辺の看板の90%は落ちてしまった。木々も相当に傷んでいる』と。よく見ると確かに街路樹の幹が横になっていたり、枝が折れていたり。ここにも自然災害があるんだ、と認識。

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途中車は6年半前には見たこともないような高層マンション群を抜けて、目的地に着いた。とても広々とした豪華マンションの入り口にZさんが立って待っていてくれた。このマンションも入口の外壁工事を行っており、園内に入る門は閉鎖されていた。

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変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(10)ミャンマーの人材

WIFIは繋がるが

市内へ向かって戻る。1つ大事なことを忘れていた。今日の夕方会う予定のNさんの電話番号を控えるのを忘れていた。オフィスの場所は分かっていたが、何時に行くかは電話で連絡を取り合うことになっていた。念のためPCは持っていたが、WIFIが繋がらないと、番号を探すことができない。

 

TTMに緊急を伝え、どこかWIFIの繋がるところを探してもらう。市内に入るまでは無理とのことで、かなり進んだ後、道路脇の1軒の喫茶店に入る。立派な喫茶店であり、店員もWIFIは繋がるというので、急いでPCを立ち上げる。周囲でも数人がネットを繋いでいるようで、安心した。

 

だが現実にWIFIは飛んでおり、ネットは繋がってはいるものの、GmailもFacebookも開くことができない。あまりにスピードが遅く、容量も小さいのか、画面が少し出てきてもそれ以上動かない。このイライラ感は凄い。急いでいる時にこれをやられると、どうにも我慢できない。店の人に言ってみても『ネットは繋がっています。他のお客様も使っていますのでどうしようもありません』ということになる。

 

注文したフライドアイス?を食べながら待ってみたが、一向に埒が明かず、ついにはこの店を捨てる。因みにフライドアイスとは、アイスクリームを揚げたものだった。天ぷら屋でアイスを揚げた物を食べたことがあるが、それと同じ原理か。味はよく覚えていない。それほどイライラしてしまった。

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車に乗り、他を探す。TTMは頭をフル回転して考えている。そしてネットの繋がるカフェより、ネットカフェ、という結論に達して、街中を行く。ごちゃごちゃした一角に若者がゲームなどをしているネットカフェがあったが、ネットは繋がらないと断られる。それでも粘ると隣の店を紹介され、その店でも、『持ち込んだPCでは繋がらない』という。仕方なく、店のPCに向かい、ログインしてみると簡単に入れた。昔他国ではGoogleやFacebookにログインするのがとても面倒だったので、警戒していたが、問題なかった。Nさんにすぐに電話を入れ、待ち合わせ場所と時間を確認した。

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ミャンマーの人材

Nさんのオフィスへ行く。ここは人材紹介会社。それほど広くないオフィスには面接の人やスタッフが沢山いた。何だか活気があった。Nさんはヤンゴン在住15年を超え、ミャンマーが発展していない時期から様々な仕事をして、ここで暮らしてきた。この2₋3年急に脚光を浴び、彼の発信も注目されるようになってきている。現在人材紹介のほか、旅行業や通訳翻訳業も手掛けている。苦労した時代からようやく花開いたといった感じだ。

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Nさんにミャンマーの人材事情を聞くと『日本企業はまだ本格的にミャンマーに参入していない』という。ミャンマー人で日本語のできる優秀な人材はむしろ『日本の中小企業が日本採用する動きがある』という。人手不足の地方の中小企業、日本の大学生を雇うより、真面目で高卒程度の給与で正社員にできるミャンマー人に注目しているらしい。スカイプで面接し、良ければ会社が費用を出して日本へ呼び最終面接、採用が決まるケースも出てきている。

 

TTMはこの話に興味津々だ。そして『人材紹介会社に仕事を探してもらっても手数料無料』と言われ、信じられないという顔をした。ミャンマーでは仕事のあっせんを頼めばお金を払うのは当然。このシステムは素晴らしいと思ったのだろう、その後すぐに親戚、知り合いで日本語のできる女性を数人この会社に紹介したらしい。ミャンマーはまだ昔のシステムのままだから、ビジネスチャンスは大きいといえる。

 

日本の報道では『ミャンマーには安価で豊富な労働力がある』となっているが、その点はちょっと違うようだ。『教育問題』もあり、企業で働くには再教育が必要ので、そのための研修などにも力を入れているという。今は日本語ができるというだけで高い給料がもらえるが、ちゃんと仕事ができる人材を供給出来ているか?単純労働者と言っても仕事で使えるのか?これからの課題は多いようだ。

 

Kさんと日本料理屋

夜はKさんと会う。S氏からも一度会うように言われており、Facebookではお友達にもなっていたが、どんな人かは分からなかった。さくらタワーで待ち合わせると、TTMとKさんは久しぶりの再会を果たした。

 

食事の場所は日本料理屋の老舗、一番館。名前は良く聞いていたが、入るのは初めてだ。というより、ミャンマーに来るのは今回が8回目だが、初めて日本料理屋へ入ったことになる。これは自分でも意外だったが、常にTTMが一緒にいて、日本料理屋に連れて行くということもなかったし、私もそれを希望しなかった、ということだろう。

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Kさんは三重で不動産業を営んでいるが、同時に15年以上前からミャンマーでも活動をしていた。バガンに不動産を買ったり、ヤンゴン郊外の開発に関わったりと。そのミャンマーでの不動産の話を聞きたかったのだが、話は思わぬ方へ行ってしまった。実はちょうど甲子園の高校野球シーズン。

 

Kさんの母校、三重高校は順調に2つ勝ち、三回戦に進んでいた。彼は同校の同窓会会長で、当然力が入っている。どうしても誰からこのことを伝えたかったが、ミャンマー人に話しても理解してもらえない。ちょうどいた日本人が私だったと言う訳だ。その気持ちは十分に分かるので、殆どその話に終始した。恐らくTTMには何故そんなに熱くなっているのか、理解できなかっただろう。

 

Kさんに車で途中まで送ってもらい、タクシーでホテルに帰った。相変わらずホテルにWIFIはロビーに限られており、部屋からPCを持ち出し、メールチェックだけをして寝た。

 

8月19日(火)

散歩

今日も良い天気だ。朝食を食べてから、散歩に出た。この付近の散策は全くしていなかったので、最終日に少し時間を貰い、歩いてみる。確かにこの辺は問屋街であり、物の集積地だった。ヤンゴンに入る物資をここで一端受け、市内へ配送しているのだろう。大型トラックの出入りも多い。建設資材などを扱う店が目立つのはヤンゴンが建設ラッシュだからだろうか。

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この辺りでは昔ながらの喫茶店もいくつか見られた。作業の合間に休む人、はなからずっと休んでいる人、皆お茶を飲んでいる。ここで飲まれているお茶は紅茶が多い、と先日聞いたのだが、どうだろうか。コーヒーではないのだろうか。ミャンマー茶(いや中国茶)は相変わらず無料。

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何だかこの中には溶け込めそうもなく、後ろ髪をひかれながら、店を後にした。兎に角今日も暑い。ホテルで少し休んでからチェックアウトしよう。何と部屋に戻るとWIFIが微かに使える気配があった。これも運命か。

 

TTM、SSがSS旦那の車で迎えに来た。空港のすぐ近くのレストランに入り、麺を食べた。少し塩辛い。SSのお腹は日増しに大きくなる。来月には出産だ。無事の出産を祈ると同時に、孫のような赤ちゃんを見る楽しみを次回は味わえるのだろう。すぐにも再訪の予感あり。

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変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(9)プライベートスクールを訪問して

郊外の開発住宅

Tさんは自家用車を持っており、その車でホテルまで送ってもらった。今日は日曜日、道は思いの外空いており、すぐにホテルまで辿り着いた。Tさんと別れて、部屋に荷物を置き、TTM家へ向かう。タクシーを探し、また橋を渡る。ここも日曜日なので、前回ほどは混んでいなかった。

 

家でごろごろしていても仕方がないということで、この住宅街の散歩に出た。TTM家は門からかなり遠いと思っていたが、実はこの敷地全体の中ではかなり近い方だった。驚きの広さ、ちょうど向こうから僧侶が沢山歩いてきた。何かのイベントだろうか。住民が水を与えたり、喜捨したりしている。

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TTM家は20年も前に建てられた古い住宅だが、最近の不動産ブームに乗って、残っていた敷地で今、大量の住宅建設が行われていた。それも庶民から見ればとても手が出ないような大型の一戸建て。一体誰がこんな家を建てるのだろうか。ミャンマーには相当の金持がいると認識していたが、この辺ならまだ市内より安いということで、新興勢力が買い漁ったのだろうか。

 

分譲住宅のような同じ形の家も作られており、まだ色々な意味で開発中ということか。歩いていると中国語が聞こえてきたり、韓国人の子供たちが遊んでいたりと、バラエティもある。広々とした敷地、緑のある環境、市内からこちらへ移る人々もいるのだろう。勿論家賃もだいぶ安い。

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それにしても暑い。特に建築中の住宅付近は木もないため、暑さがひとしお。こんな中で作業する人たちは大変だ。また作業員の数が多い。これは効率性が低いということだろうか。いくら人件費が安いと言っても、どうなんだろう。帰りはかなり喉が渇きながら、喘ぐように戻る。

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夕飯を頂きながら、昨日のお寺のインタビューが放映されていないかチェックしたが、なかった。車で送ってもらいホテルへ帰る。そしてちょっとネットをやり、すぐに風呂に入り、寝てしまう。

 

8月18日(月)

ナースーダのプライベートスクール

今朝もいい天気だ。相変わらず部屋ではWIFIが繋がらず、朝食を取りながらPCを立ち上げる。まあ、一日中ネットと睨めっこしているよりは余程健康的なのだが、今朝はメールが入っているか見る必要があった。残念ながら期待されたメールは見当たらなかった。

 

8時にはTTMが迎えに来た。タクシーでバゴー方面へ向かう。これは昨日の朝妹さんの家に行った道と同じだった。ヤンゴン郊外に出るとTTMが『私は昔公務員でした』という。公務員だったという話は聞いたことがあるが、具体的にどんな仕事をしていたのかは知らなかった。『このすぐ近くのミルク工場でマネージャーをしていた』のだとか。それだと公務員というイメージより、国営企業社員という感じだなあ。軍にコンデンスミルクなどを納めていたらしい。

 

バゴーに行く途中、高速道路があったがそこで高速に乗らず、脇道を入る。ここからは完全な田舎道、と思ったが、道路は舗装されており、車の走りもよい。『この辺は軍政時代、ミャンマー全土各州の代表者が集まる会議場があった』のだという。それでこの道が作られたが、首都がネピドーに移転し、役割が無くなったらしい。会議場の敷地を過ぎると途端に道が悪くなる。それから結構走って、ナースーダという村に来た。ここが目的地らしい。村人に聞くと学校は直ぐそこだという。行ってみるとこじんまりした校庭と校舎が見えた。

 

何故ここへ来たのか。それも必然のご縁かもしれない。5月に沖縄へ行った時、久高島のヨーガ合宿を終え、本島で大学の1年先輩に会った。普通にランチを取る約束をしてのだが、急に『今日はミャンマー人の新年会に行くことになった』というのだ。沖縄でミャンマー人?新年会?ミャンマーの正月は4月のはずだが、どうして?聞けば新年会が会場の都合で今日になったというのだ。そして行ってみると美味しいミャンマー料理が出た。会長のチョチョカイさんが沖縄初のミャンマー料理屋を開いたというのだ。

 

何故料理屋を開いたのか。チョチョカイさんは『日本で教育法を勉強したのでミャンマーにそれを伝えるため学校を作った。その運営資金を稼いでいる』というではないか。その学校こそが、今の目の前にあった。ヤンゴンの日本語ガイドさんを紹介されていたが、彼は急に同行できなくなり、学校の名前も、先生の名前も電話番号も、何も分からない突然の訪問だった。

 

校舎内では実に元気な子供の声が響いていた。嬉しくなる。校長先生はチョチョカイさんのおばさんだが、今は不在だという。代わりに若い女性が対応してくれた。ゼーマートゥンさん、25歳。私の質問を真剣に聞き、真面目に答えてくれた。彼女の目が実にいい。まっすぐ前を向いている。

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この学校は昨年開校、今年認可を得て、正式にプライベートスクールになった。民政に移行し、プライベートの学校設立が認められるようになっていた。生徒はプレスクール26人、小学1年生30人。先生は5人。校長先生とゼーマートゥンさんがヤンゴンからやって来ており、平日は学校に泊り、週末だけ家へ帰るらしい。給料は僅か70000k。週末帰る交通費にも困るほどだが、彼女の志は高かった。

 

『貧しい子供に教育を与えたい。そして自分もこの学校で色々なことを吸収し、いい先生になりたい』、実に明瞭な目標を淡々と語る。ここにいる時は24時間、子供のために対応しているとも言う。国が作った学校では、教師はただ教えるだけだが、ここでは学校に来なかった子供の補修をしたり、一人一人の学力に合わせて質問に答えたりしている。これはミャンマーの今の教育には全く存在しない物だろう。

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日本から導入された教育法と言っても、幼い子供たちだ。先ずは『食事の前には手を洗う』『ごみはゴミ箱に捨てる』などの生活習慣の改善を行っている。子供が学校でこれを習い、家に帰って親に伝える。実は村人たちの教育になっているのだという。また絵を描いたり、帰る前に体操をしたり、折り紙を折ったり、とミャンマーの教育にはない、独創性を育てる、健康な体を作る、などにも取り組んでいる。

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教室を覗くと、子供たちが先生の言うことを聞いているかと思えば、集中力を欠いて、机の下に潜り込んだりしている。我々が行くと一斉に好奇の目が向き、教室を飛び出してくる子もいる。一様に目が輝いているのが印象的。

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校長先生が帰ってきた。我々が来たことを知らされ、ヤンゴンから急いできたらしい。35年教師を経験し、今はリタイヤ―していたところをチョチョカイさんに頼まれて、一時的に引き受けているらしい。とても楽しそうな校長で、生徒の人気も高いようだ。

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ランチを食べて行けと言われ、恐縮したが、更に話を聞くため、ご馳走になった。子供たちは家から弁当を持ってきて教室で食べていた。昔は貧しくて学校に行けない子が多くいたが、今では政府が国の小学校を無料化、ノートや教科書もタダで支給しており、学校へ行ける子が増えた。更にはお寺でも無料で教育機会を与え、優秀な子は大学まで無料で行かせるようだ。村の子供でも殆どが教育を受けているという。

 

プライベートスクールの認可は、国の方針。これまで進学や海外留学のための塾が多くあったが、これを学校にするのが目的だとか。高い学費を取り、優秀な先生を雇い、成果を上げる。ところが今いる学校はまるで違う。『小学校は無料、運営経費などは全て沖縄から来る』という。政府の支援など一切ない。これからどうやっていくのか、ちょっと心配だった。

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男の子と女の子が呼ばれ、我々の前で朝のお祈りと歌を披露してくれた。5歳にしては利発な印象で、可愛い。2人とも『将来は大学へ行く』という。男の子はエンジニア、女の子は教師、とこの年齢ではっきりを将来の目標を言っていた。

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変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(8)環状線に乗ってみる

エアコン電車と特別電車

占いに没頭している間に時間はいつしか9時になっていた。今度は乗り遅れることはできないため、走って駅へ行く。電車は常に数分は遅れるとのことで幸いまだ来ていなかった。切符を買うと終点のセントラル駅まで300kだった。エアコン車、どんな車両なのだろうか。

 

電車がやって来て驚いた。日本のJRの車両だったのだ。この路線にたった一両配されている。車内には日本語の表示や広告が残されていた。昔の急行車両だろうか。TTMによれば、最近ヤンゴンの鉄道整備の為にJR東日本が協力しているという。社員も派遣されているとか。エアコン車両の人気は高く、乗りたい人が多いという。確かに途中駅からどんどん人が乗り込んできた。

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それにしても電車のスピードは遅かった。歩いたほうが速いのでは、と思う所さえあった。急いでいる人には全く不向きな乗り物だが、観光用、レジャーとしては面白いかもしれない。子供連れ、若者、カップルが多い。水田で作業をする農民もよく見えた。ヤンゴン市内でもこの線路沿いだけは自然が残っていて、どこを走っているのか分からなくなった。

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ただエアコン車というだけあって?エアコンが効いていた。むしろ効きすぎで寒くて仕方がなかった。1時間20分乗っていたら凍えてしまい、セントラル駅では直ぐにトイレに駆け込んだ。ここのトイレは汚かったが100k取られる。とてもヤンゴンの中央駅とは思えない状況。時代は飛行機になっており、空港の整備などが優先された結果だろうか。

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そして更に電車を乗り替えることにした。別のホームへ行き、切符を買う。次の電車は直ぐに来るとのことだったが、ホームのどちら側に来るのか分からない。古い電車が停まっていたのでそちらかと思っていると、きれいな電車が入って来た。ただ停車位置がかなり外れの方で走って乗りに行く。

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100チャットと200チャットの車両があるようで、皆100チャットの方へ走って行くが私にはどの車両かすら分からない。外国人観光客も来ており、英語で案内を買って出る人もいる。何とか乗り込むと中は空いていた。2倍の料金は威力を発揮した。この電車は冷房車ではなく、心地よい風が車内を吹き抜ける。こちらも先ほどの電車と同様、輸送用というより、観光用。デートのカップルがダラッと乗っていたりする。

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とてもヤンゴン市内中心部を走っているとは思えない景色が続く。この鉄道線路周辺だけは囲われており、木々が茂り、草花が生えている。喧噪とも渋滞とも別世界。この鉄道をもう少し活用できないものだろうか。環状線とは言いながら、いつ来るか分からない電車では、急いでいる人は乗らない。

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お茶の村の話

20分ほど乗り、ある駅で降りた。本当に田舎の駅に降り立った感じだ。ここからランチの約束の場所へ向かうのだが、やはりタクシーが必要だった。電車の不便さを実感。今日はバンコックお茶会に参加しているIさんからのご紹介でヤンゴン在住日本人Tさんと会う。指定された場所は先日ミミさんと食事をしたカイカイチョーだった。ここは有名なレストランらしい。この日もお客で混んでいた。

 

Tさんを探したが見付からず、携帯に電話したところ、仕切られた場所を予約してくれていた。Tさんはミャンマー在住15年、NGO活動を行ったり、大使館の仕事を請け負ったりと、ミャンマー事情に明るい。ミャンマー語も堪能で、料理も選んでくれた。

 

話を聞くと、最近関わったシャン州の村がお茶で村興しをしたいらしい。そこは昔行った北シャンのチャウメイから山に入って行くとか。そしてその村はパラウン族と言う少数民族が住んでおり、政府軍と最終的な停戦合意が出来ていないので、一般の外国人は入ることが出来ないと聞き、興味を覚える。

 

もしやすると雲南あたりから来た少数民族で、お茶の起源に繋がっているのかもしれない。そんな山の上で伝統的な製法でお茶を作っているのであれば、かなり珍しいお茶があるのかもしれない。想像はどんどん広がる。更にはTTMが『そこはナムサンか?』と聞き、かなり近いというのでまた興味が出る。

 

TTMによれば、ナムサンは子供の頃、よく飲んだ紅茶の産地だったという。軍人だったTTMのお父さんが配給で貰ったとか、その缶を使って別のおやつを食べたとか、TTMの回想は尽きない。決して豊かではなかった時代、ナムサンの紅茶を飲むのは喜ばしかったに違いない。だが、なぜシャン州に紅茶があるのだろうか。イギリス時代の影響だろうか。

 

TさんはNGOの経験は豊富だが、お茶については全くの素人。そしてその村の歴史に関しても殆どわかっていなかった。むしろだからこそ、行ってみたいという欲望が湧いてしまった。更に前回僅か2時間ほどしか滞在できなかった街、チャウメイ。ここも再度訪れ、もう少し見てみたいと思う。時期を見てTさんと行ってみようということで今回の話は終わる。これも茶縁。

 

変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(7)袈裟贈呈式

8月17日(日)

朝4時に起きて袈裟贈呈式

本日は朝4時に起きる。4時半にはTTMが迎えに来ることになっていた。何でこんな早いの?と言っても仕方がない。真っ暗でホテルのフロントの女性も寝こけている中、予定通りタクシーに乗る。向かう先はヨーマちゃんの家。

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ヨーマちゃんは先日ホットポットを一緒に食べた。現在東京に留学中で日本語学校に通いながら、ラーメン屋でアルバイトしているしっかり者。来年日本語学校を卒業したら、旅行かデザイン関係の大学に進みたいと意欲を持っている。

 

ヨーマちゃんの家はヤンゴン郊外。お父さんは軍人で軍から支給された古い家に暮らしていた。真っ暗な中を行くと車は途中で進めなくなり、歩いて行く。番犬に吼えられる。ヨーマちゃんのお母さんはTTMの4番目の妹。他の妹2人も既にきており、おじいさんも間もなく到着した。先日お婆さんが亡くなり、おじいさんも気落ちしていると思ったが、予想以上に元気で安心した。おじいさんも軍人で、その昔おじいさんの家で色々と話を聞いたことを思い出す。

 

その他、TTMの亡くなった弟の奥さん(ネピドーで働く公務員)とその娘、ムアちゃん(現在TTMオフィスで働いている)も家が近くということで参加していた。ムアちゃんも日本語を勉強していた。更に食事の用意はインド系のオジサンがしていた。その20歳の娘も端に座っている。正直それほど広くない居間は人で溢れ、一部は庭に出ていた。

 

5時と聞いていたが、お坊さんたちが到着したのは5時半だった。雨安吾の時期、ミャンマーでは雨で袈裟が濡れるというので、お坊さんに袈裟を上げる習慣がある。その儀式が始まった。5人のお坊さんが並んで座り、読経を始めた。時々参列者も唱和する。日本のように一方的にお経を聞くのではなく、皆が声を出すのはいいな、と思う。残念ながら私はミャンマー語が分からないので手を合わせているだけだが。

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それが終わるとお坊さんに食事が振る舞われる。ヨーマちゃんのお兄ちゃんがお世話をしている。彼はかなりのイケメンで、シェフを目指していたが、今は辞めてしまったという。私は邪魔なので外へ出て付近を歩いて見る。ようやく夜が明けたので、外がよく見えた。付近には同じような家が並び、軍人たちが住んでいる。日曜日だが仕事へ行く人たちが通り、また物売りの女性が頭に籠を乗せ、声を張り上げながら過ぎていく。

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お坊さんたちは一台のタクシーに乗り、帰って行った。我々の食事の番が来た。ご飯はインド風、ピラフに鶏肉が隠れていた。これが非常に美味しい。ミャンマー料理ではないが、ミャンマー人も好きだという。インド系のオジサンはシェフで、こちらを作り終えると仕事だ、と言って帰っていた。

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昨日お寺で取材を受けた話をTTMが皆に話す。ちょうど7時にニュースが始まったので、皆で楽しみに見ていたが、30分の番組ではとうとう映像は流れなかった。きっと夜に違いない、ということで、諦める。そして我々も車に乗り去る。

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パゴダと占い師

TTMと私は電車に乗ってみることにした。すぐ近くに駅があるという。8時の電車に乗れ、というので行ってみるとちょうど電車が去っていく所だった。8時は間違いで7時40分の電車が少し遅れていたようだ。いずれにしても乗り遅れた。次の電車は9時6分。1時間以上をこの田舎でどう過ごすか。

 

そこには待っていましたばかり、ちゃんとパゴダがあった。しかも先ほどの式に参列していたTTMの従妹の男性がそこに座っていた。これも導きだろうか。このお寺のパゴダは蓮の台座の上にパゴダが乗っている。これはミャンマーで唯一という。池には大きな魚や亀が沢山おり、幸せな日曜日を過ごしていた。

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今日はここでも袈裟贈呈式が昼に行われるとかで、調理場では朝から準備が行われていた。豪快に火を焚き、大きな鍋でご飯を炊く。その勢いがあまりに強いのでご飯を炊いているとは思えなかった。あとで聞くと、ミャンマーではご飯を炊くとき、水の量は適当で途中で調整するのだとか。

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お寺の端の方に小さな小屋が見えた。占い師がいるという。ちょうど彼は朝の水浴びをしていた。時間があるので、興味本位で占ってもらった。所謂ホロスコープ、生年月日から占う。ミャンマー人なら生まれた日だけではなく、何時何分何秒に生まれたかが重要。先日スリランカでも同じことを言われたが、我々にはそこまでは分からない。生まれた曜日までで占う。小さな本を取り出し、熱心に何かを書き出していたが、そのまま結果を言いだす。ここでは結果は敢えて書かないが、一部当たっているところもあり、ちょっと驚く。

 

途中タロットカードを引くことはあったが、基本的には生年月日だけで仕事から体調まで言っていく。どうやったら占いが出来るのかが一番知りたいことだったが、その質問は飲み込み、ひたすら彼の見解を聞いていた。わずか2000k。それにしては内容が豊富だった。

 

変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(6)ミャンマーの両替は凄い!

日本帰りの開いたカフェ

帰り道、何となく街道沿いのカフェに寄る。コーヒーでも飲みたい気分だったのだろうか。店は街道沿いにある割にはこぎれいで、ケーキやプリンなども美味しそうに見えた。SSは『この店はトイレがきれいだから好きだ』という。確かに入ってみると掃除が行き届いており、ミャンマーとはかなり違っていた。店内も変わっており、スーチーさんの肖像画が飾られている横に、キャラクターグッズがあったりする。これはちょっと日本的だなと感じる。ミャンマーでも最近はこのような雰囲気の店が流行っているのだろうか。スイカジュースとプリンも美味しかった。

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帰る時にふと見ると、数人の女性がカタログを覗き込んで話し合っていた。TTMが『誕生日のケーキを選んでいました』という。街中の喫茶店ならまだ分かるが、ここはわざわざ来るところ。そこにケーキを頼みに来るとは余程美味いのだろうか、とTTMに話し掛けると『今店長が「ありがとうございました」と言いましたよ』というではないか。

 

急いで戻って話しかけるとやはりその人は日本語を話すミャンマー人だった。日本に長く住み、最近ヤンゴンに戻ってカフェをオープンしたという。『ヤンゴン市内の不動産は高過ぎます。ここならそれほど高くない』と立地の理由を話す。日本では特にケーキ造りや喫茶店の経験もないようだが、『今のヤンゴンでは日本のスイーツが流行る』と思い、出店した。

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この道は日本が進めるティラワの工業団地にも通じているので、認知されれば、立ち寄る人も増えるのではないか。果たしてこの試み、成功するのか、ちょっと注目してみていきたい。

 

驚きの両替所

街中に戻る。SS旦那の仕事の関係で、取引先と待ち合わせる。やって来た女性は支払い分として『米ドル紙幣』を渡そうとしたが、SSは受け取りを拒否した。何故なのだろうか、前は米ドルを喜んで受け取っていたのに。両替に問題があるのだという。ドルからチャットへ両替できないということだろうか。TTMが『まずは自分で両替してみたら』と言い、古い100ドル札を渡す。私は新品の札と交換して出掛ける。

 

街の両替屋に入る。100ドル札を差し出すと、受け取った女性は札を詳しく眺めてから、『97ドルね』と言った。意味が分からないという顔をすると、札の落書き、汚れ、折れ目にマークを付けてきた。各1ドルのマイナス。しかしアジアを回っていても偽札を疑われて受け取りを拒否されることがあっても、汚れているからディスカウントするのは聞いたことがない。

 

その旨強く伝えると相手は困った顔をして上司と相談している。そして実に不機嫌そうな顔で100ドル分のチャットを寄越した。そこにTTMが入ってきて、『両替できたの?』と意外そうな顔をする。最初から落書きのある札を渡したのだろう。体験型だ。『これから両替はあなたに頼もう』と真顔で言う。

 

後から入ってきたミャンマー人客はあっさり2ドルのディスカウントで応諾していた。聞けば『中には7枚中5枚の100ドル札を受け取り拒否に遭った日本人もいる。ミャンマー人は受け取ってもらえれば大成功と考える』というのだが、国際常識からかけ離れた内容だけに受け入れがたい。こんなことをしていては、いくらヤンゴンが発展しても、外国人からは敬遠される都市になるだろう。

 

新しいホテルも

今日もホテル探しが必要だった。気が重い。TTMは『ちょっと高いが、日本人のお客さんが泊まったことのあるホテルにしよう』と言うので、それに従うことにした。昨日のホテルの近くにグランドパレスと言う立派な名前のホテルであった。建物も立派でロビーもきれい。

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料金は90ドルだが、今は雨季なので75ドルだという。部屋を見るときれいで広々としていた。偶にはこのようなホテルに泊まるのもよいかと思い、チェックインすることに。ところが『今日は工事のためWIFIはロビーでしか使えません』と。またかと思ったが、ロビーで試してみるとスピードも速いので、泊まることを決めた。勿論『明日は部屋でもWIFIが繋がる』と言う言葉を信じるほど素人ではなかったが、ロビー脇のレストランで使ってよいということだったので、これから別のホテルを探す手間を考えてそうしたまでだ。

 

これからTTM家に行くのも大変なので、TTMには帰ってもらい、ここでゆっくりネットをすることにした。先ずは部屋で湯船にお湯をため、風呂に入った。熱いお湯が沢山出て、それだけでも気持ち良かった。やってスッキリした、と思うのはやはり日本人だからだろうか。

 

夕食前にレストランでネットを始めた。店員も分かっていて何も言わなかった。お客は中国系が多かった。このホテルのオーナーは中国系、または大陸中国資本なのだろう。中に日本人が中国系ミャンマー人、台湾人と商談している姿が見られた。台湾人男性は日本語が出来、両者の間を取り持っている。結構厳しい交渉をしているように聞こえたが、主導権は常にこの台湾人が握っており、彼のさじ加減で条件が決まるという構図だった。

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彼が日本語を話す時と中国語を話す時はかなり内容が違っており、このままでは日本人社長が騙されるのではないか、と思われたが黙って聞き耳を立てるだけにした。日本人だってある程度のリスクは覚悟でやって来ているのだろう。それにしても仲介役や通訳は重要だ、と再認識。

 

外に出て食べ物を探すのも大変だったので、そのままここで食事をした。炒飯を1つ頼んだだけだが、サービスは悪くなかったし、味もよかった。どうやら私は中国系のサービスになれてしまっているらしい。同時にミャンマー人のサービス意識向上に中国系が一役買っている実態を見ることになった。夜はフカフカのベッドでぐっすり寝た。

 

変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(5)テレビのインタビューを受ける

TTMの家

ホテルを出て、TTM家へ向かう。ここから近いと思ったのだがタクシーで行くといい、寺までチャーターしたタクシーをそのまま使った。少し行くと橋がある。ちょうど工事中のようで非常に混んでいた。TTMは『ここから1時間掛かります』というではないか。何故だ?

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しかも橋まで行かないうちに何と車のタイヤがパンクした。これはチャンスと車を下り、歩いて行く。橋の袂まで埃が凄い。路肩もデコボコ。これは歩く場所ではなかった。更に橋を渡り始めると、下が見える木の板。これは高所恐怖症の私にはかなりの恐怖。車に乗ればよかったと思ったが、後の祭り。兎に角渡るしかない。車は両方向からどんどんやってくる。そして動かない。これなら1時間かかる訳だ。

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向こうに新しい橋の建設現場が見える。既に1年以上工事しているがいつできるか分からないという。まあ年内に出来れば御の字だろう。何とか橋を渡ってもまだ歩かなければならない。雨も降りだした。野菜や果物を売っている屋台がいくつか出ており、そこでTTMは買い物をした。そして半年前に会ったミャンマー人女性がそこに居たのには驚いた。同じ住宅地に住んでいるのだという。彼女は日本人Tさんの秘書。これもまた面白い。

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古い開発地区に入る。20年以上前に中国企業が住宅開発したと聞く。かなり広い。一戸建てが並ぶ道を入口から5分以上歩いてようやくTTM家に到着。下の階は広いリビングと台所、上の階には3部屋あるという。実際は仏間もあるのでそれなりに広い。さすが昔の住宅だ。

 

SSは大きなおなかを抱えて、韓流ドラマを見ている。衛星テレビが入っているので、NHKワールドプレミアも見ることができる。ミャンマーでは今やお金がないとそれなりの生活が出来ない。

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雨季なので小雨が続く中、すぐに辺りが暗くなる。SS旦那がシティマートに買い物に行くというので付いていく。こんなところにまでシティマートがあるというのが驚き。行ってみるとお客もそこそこいる。確かにこの辺りで適当な買い物場所はなく、ここへ来るしかない。インスタント麺のコーナーを見ると、韓国の『辛ラーメン』がズラッと並んでいた。中国の康師傅はないかと聞くと『中国製を食べる人は殆どいない。食の安全が問題となっている』という。今やアジアのどこでも中国食品の安全性が問われている。日本製は日清と明星が端の方にあったが、韓国に圧倒されている現状は残念だ。

 

夕飯はSS旦那が作ってくれた。昔から自分で自炊していたといい、簡単に料理した。SSは涼しい顔でテレビに見入る。どうなっているんだ?この家には普段はTTM、SSそしてTTM姪のムアが住んでいるが、ムアは実家に帰っているので4人で夕飯を囲む。夜9時半頃になり、SS旦那が車でホテルへ送ってくれた。早く出て行っても渋滞になるので空いている時間帯まで待っていたわけだ。これもまた面倒だ。確かに橋の上の車は多くはなかった。そうなるとあっと言う間にホテルに着く。

 

8月16日(土)

お湯が出ない

昨晩は疲れた中でネットにトライしたが駄目だった。夜は繋がりにくいのかと思い、翌朝もチャレンジしたがやはり駄目だった。仕方なく、シャワーを浴びようと湯を出してみたが出なかった。フロントへ行くと部屋を替われ、というので、荷物を持って移動した。だがそれでも湯は出なかった。フロントのオジサンは『そんなはずはない。ちょっと待てば出るんだ』と言い張った。出発の時間も迫っており、朝ごはんを掻き込む。

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再度フロントを通るとオーナーらしい男性がいたので、この状況を訴え、『あまりにひどいので金を返せ』と言ってみた。彼は『状況を確認するから待て』というので、時間がないと部屋へ戻る。チェックアウトの準備をしてまたフロントへ行くとTTMも来ており、オーナーが英語でソーリーと言い、何と10ドルを返してきた。今までホテルで色々とトラブルがあったが、金を返せと言って返してきたホテルは初めてだ。

 

再びお寺 TVインタビュー

SS旦那の車に荷物を積み込み、何となく吹っ切れないままホテルを後にした。今日もまたお寺へ行く。寺に着くと本当に入り切れないほど、車が停まっており、かなり離れた道路脇に停めるしかなかった。今日は一体何なのだろうか。何も分からず2日も来る方がどうかしているのだが。

 

既に沢山の参詣者が来ていた。そしてお坊さんが沢山入って来た。何と750人もの僧侶を招いての大法要だという。この寺の住職には一体どんな力があるというのか。しかも今日は現役の大臣まで参詣に来ていた。法要が終わって僧侶が一団となって歩いてくる。SSとTTMは持っていた紙幣をどんどん渡している。偉いお坊さんにはお付きがおり、どんどん受け取って行く。

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TV局のクルーが取材に来ていた。突然私を取材したいという。良く分からないまま、SSが私に紙幣を渡し、その紙幣を通って行くお坊さんに配ることになった。その様子をテレビカメラが捉えていた。それってやらせ?結構長い時間やっていると、今度は本堂へ行き、TV局が住職の許可を取っている。住職はニッコリして、OKを出したようで、急に私の横に来て一緒に写真に納まる。この辺は宣伝上手である。

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テレビ局1社、新聞社1社がインタビューを始める。TTMが通訳する。『僧侶にお布施をしてどうでしたか?』などあたりさわりのない質問が多かったように思うが、よく覚えていないし、何と答えたかも覚えていない。兎に角『なぜこのお寺に来たのですか?』という質問がなくてよかった。もし『食事が美味しいから』などと答えたらどうなっただろうか?テレビは『ミャンマーのお寺に通う奇特な日本人』をニュースにしようとしているのだから、困ったことだろう。

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この日も美味しいごはんにあり付いたが、インタビューのこともあり、何となく悪いことでもしているかのような感覚にとらわれ、良く味が分からなかった。まあ僧侶だけでも凄い人数であり、一大セレモニーに列席したことだけは確かだったが。

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変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(4)寺の法要と水中寺院

ナッセンダヤ寺院の法要

TTMが迎えに来た。今日はお寺へ行く。あの食事が美味しいお寺だ。前回訪問した際、住職より『毎月ミャンマーの地方へ出向き、10万人に施しをいている』と聞き、とても興味を持った。そういうと住職は『だったら、お前も行ってみればよい。飛行機代は寺で出してあげるよ』というではないか。そんなお寺があるのだろうか。益々興味を持つ。

 

今回SSに『今月のお寺の施しはどこであるのか、いつあるのか』と聞いてもらったが、何と今月はお寺で大きな法要があるとの回答だった。ちょっと残念だったが、まあお寺へ行けばご飯も食べられるし、良しとしよう。ということで、またやって来たのだ。

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今日の法要は民間人が親孝行の為に『龍の像』をお寺に建てた、その建立式だった。お坊さんが集められ、にぎにぎしく法要が営まれる。尼僧も参加しており、TTMとSSはその背後に座り、一緒に祈る。恰幅の良い紳士が老いた両親を支えながら、龍の像にお祈りしていた。彼は政府の高官らしい。このような親孝行もミャンマーでは重視されており、功なり名を成した者のある種の義務、徳を積む行為となる。

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それから食事となる。私は外国人ということで、また一番先に席を与えられる。すると周囲にはご奉仕の女子学生がやってきて、ご飯をよそってくれ、おかずを取ってくれる。更には暑いので、団扇で扇いでくれる。これではハーレムではないか。とてもお寺とは思えないサービスだが、彼女たちはご奉仕ということで一生懸命やっているし、そんなことを考える方が間違いのようだ。

 

向こうの方で何か始まった。人々がざわめいている。それからそちらの方へ群がって行く。先ほどの紳士がお金を撒き始めた。1000チャット札。日本では建て前の儀式の時などに見たことはあるが、ここではお寺の中で、お札をばらまいている。人々は争ってそれを取る。金額ではなく、その札を財布に入れているとお金が入ってくる、という言い伝えらしい。

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我々は外から眺めていたが、老紳士が近づいてきて、私にお札を手渡ししてくれた。法要主の父親だった。続いて紳士もやって来て、英語で話し掛けながら、お札をくれた。勿論私が外国人だからだが、このような行為もまたうれしい。そして会はお開きとなり、我々も外へ出た。

 

河の対岸の寺 イェレー・パゴダ

そのまま帰るのかと思っていたが、『もう1つのお寺へ行きましょう』とTTMが言い、更に街と反対へ進む。しばらく河沿いを走ってチャウタンと言う村に着き、車は停まったが、そこに寺はなかった。何とここから渡し船で河を渡り、対岸にある寺へ行く。ボート代5000チャットを払って河へ行くと立派なエンジン付きボートが待っていた。その横には手漕ぎの小さなボートがあり、あれに乗りたかったが、ミャンマー人用だと言われてしまう。

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船で行く寺、バンコックのワットアルンを思い出すが、こちらは青空に映える浮き島、水中寺院、気持ちの良い寺だった。ボートにサンダルを預けて裸足で上陸すると結構広いお寺。スリランカから贈られた仏陀の遺髪が納められているという。台湾の仏教団体が訪れた記念プレートがあったりする。奥の方にある仏像は空を見上げており、珍しい。天気を見る仏陀なのだとか。天候は人々の生活に直結する重要なファクターだ。

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寺の周囲は河。その河には沢山の魚がいる。かなり大きい。放鳥、と同じ、放魚が行われているのかもしれない。これも徳を積む一種だ。そして参詣者がえさを与えると魚が群がってくる。これでも徳が積めるのだろうか。何だか競争を煽っているだけ、という気もするのだが。

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ヨーロッパ人の観光客も来ており、結構有名な所だと分かる。ミャンマーの大学生が友人同士でくるなど、ちょっとした郊外の遊び場なのかもしれない。帰りも同じ船に乗り、対岸へ戻る。冷たい飲み物が欲しくなり探すが、コーラが何とか見つかった。まだまだ田舎は冷蔵庫も置いていない。

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ホテルを探して

市内へ戻る。今朝ホテルはチェックアウトしており、今晩泊まるところを探す必要がある。実はTTMは3月に家を引っ越しており、かなり郊外に移っていた。ヤンゴンの家賃高騰はこんなところにも影響が出ている。今回はTTM家近くにホテルを探すことに。しかもできるだけ安く、そしてホットシャワーとWIFIを条件とした。

 

最初に行ったホテルは雰囲気があまり良くないと却下。最近ヤンゴンはホテル料金高騰に合わせてどんどんホテルができており、質もまちまち。特にちょっと郊外のホテルは外国人が泊まることも少なく、施設が充実しているとは言い難い。それでも最低30-40ドルはするから、恐ろしい。

 

次ぎに行った所は倉庫が前にあった。この付近はヤンゴンへ入るための荷物に集積地のようだった。これは面白い。ホテルの部屋もそう悪くはなく、WIFIが繋がり、お湯も出るという。しかも雨季のため、60ドルの部屋を現在45ドルで出しているというので、ここに決めた。だが夜ホテルに戻ってネットを繋ごうとしても繋がらなかった。フロントの担当は何でも『OK』というのだが、とても信じられない。

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