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北京寄り道散歩(4)朝7時にスタバに出勤したが

10月20日(月)

朝からスタバへ行くも

翌朝はWiFiが繋がり、VPNも機能する、昨日のスタバに朝7時に出勤した。というのはここのスタバが朝7時開店だったので、開店を待って入店したのだ。こんな体験は初めてだが、意外や既に数人がコーヒーを飲んでいた。土地柄、白人もいるし、中国人のサラリーマンもいた。

 

珈琲を買い、パンを買って席に着く。ネットは順調に立ち上がり、何の問題もなかったが、何とVPNは機能しなかった。『え、それじゃ話が違うじゃん、何のために早起きしてスタバに来たと思ってんだ』などとほざいてみても、何ら解決にはならなかった。1時間以上待って再度トライしたが無駄だった。今日は頑として受け付けない。昨日は週末で大使館に出勤する人がいなかったから?いや、大使館なら独自のサーバーでやっているはずだから、関係ないか。じゃあ何なんだ。

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完全に使えないと分かっていれば、諦めもつくが、こういう中途半端さには本当にイライラが募る。北京に住んでいたら、気が狂いそうになるのではないだろうか。周囲の人間は誰も叫び声をあげる訳でもなく、淡々とスマホに向き合っているが、これは微信か微博をやっているのだろう。中国人は完全に海外との接触を止め、中国国内でのコントロールに従っているように見える。確かにこれならストレスもない。

 

中国人と連絡を取る時もEメールなど出しても返事は来ない。『微信やってないと、連絡できない』などと言われてしまう。この統制感、半端ない。辛うじて携帯の短信が出来るので、何とか繋がることができるが、日本の携帯だとそれも出来ない?因みに今日会う予定の人と最終的な連絡ができていなかった。きっと向こうはメールを入れていると思うが、見ることが出来ない。その人の携帯番号も知らなかった。どうしようか?共通の友人を思い浮かべて朝から電話して、電話番号を聞き出し、事なきを得た。本当に困ったことだ、油断大敵。

 

諦めて帰ろうとすると、向こうから知った顔を歩いてきた。何と土曜日のセミナーで司会をしてくれたKさんだった。何という奇遇、ここで会うとは。ちょうど近くに用事のあった彼は、偶々時間潰しにここにやって来たらしい。事情を話すと『私のPCでやってみましょう、いつもはできるので』というので、もう一度店に入る。だが、ダメだった。Kさんは何度も首を捻り、トライしたが、VPNは機能せず、Googleは遥か彼方の遠い存在になっていた。『本当にイライラするし、研究上で必要な検索を掛けても、繋がらないことが多い。本来中国関係の研究をするなら北京がよいはずだが、行き先を真剣に考えなければいけない』とため息をつく。北京は本当に住み難い街になった。

 

それから知り合いの弁護士さんに会いに行く。途中に別のスタバがあったので、事情を話してコーヒーを買わずにネットを使わせてもらった。だがここではネットの接続自体が難しかった。『信号、不好』と言われたが、これではどうにもならない。

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弁護士事務所へ行き、秘書にそのことを話すと『うちのネットで繋いでみて』と言われたので、パスワードを入れると、何と高速で繋がり、VPNも機能した。これで今日の約束の場所を確認した。何で場所によってこんなに違うんだろうか?弁護士さんの中国法務最新事情もとても興味深かったが、できればここでずっとネットをやっていたい衝動にかられた。

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ランチは2倍に

昼は古巣の長富宮へ行く。お知り合いのSさんに会いに行ったのだが、ここではVPNは機能しないそうだ。如何にも古めかしいビルらしい。そしていつものように2階のさくらで食事をする。駐在中は本当によく通ったものだが、その時と比べると、質的にはむしろ落ちているのに、定食が20元ほど値上がりしている。更には為替の影響もあり、以前は日本円1000円程度で食べていたのが、今や2000円のランチになっている。これが今の日中の実態をよく表している。今ではSさんにご馳走にならないと食べられないほど高く感じる。

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そのせいか、以前は日本人駐在員がランチを食べている姿が目に付いたが、今ではほとんど見かけない。中国人のお客さんが、昼から刺身の船盛を食べ、日本酒を飲んでいたりする。子供連れでも豪勢な食事を取っている。本当に日本人の位置づけが変わっていると感じる。このビルに入居しているのは殆どが日本の会社なのだが、駐在している人が日本人から中国人に変わっている面もあるようだ。今回も昔から顔見知りの日系証券の所長と私の後任の所長が食事をしているのに出くわしたが、2人とも元々日本人ではない。そういえば私の相手のSさんも中国人だ。世の中はどんどん変わっていく。

北京寄り道散歩(3)表現できない違和感

スタバで李さんと

昼は過ぎていたが、何だか中途半端だった。今日の午後は休みのはずだったが、昨日のセミナーで東京から偶々里帰りしていた李さんと出会う。東京のある会で2度程会ったことがあり、私のお茶会にも来てくれたことがあるが最近はご無沙汰だったため、昨日突然目の前に現れた人が一瞬誰だか、分からなかった。その李さんから、『会いましょう』との誘いがあり、会うことになった。このようなご縁も面白い。

 

待ち合わせ場所を思い付かなかったので、ケンピンスキーホテルとした。少し早いが外へ出て軽くご飯でも食べようと思った。ちょっと歩くとスタバが見えたので、取り敢えず入ってみる。カフェラテを注文して席に着き、PCを立ち上げる。スタバはフリーWiFiだから良い。しかし驚いたことに、VPNが機能した。忽ちGoogleもFacebookも目に前に現れた。これは嬉しかった。明日の待ち合わせ場所や約束、メールの返信が自由に出来た。初めて北京で自由を謳歌した。この機会を逃してはいけない、李さんに連絡して、待ち合わせ場所を変更した。そしてサンドイッチを追加して、席でPCに熱中した。

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李さんとも色々な話をした。北京出身者の李さんでも、最近の北京にはかなり違和感があるようだ。ご家族の関係もあり、中国に戻るという選択肢はないようだ。しかし日本は本当に良い国だろうか。『日本はこれまでとても良い国であり、それが維持できれば今後もよい国だろう』というのが、結論ではなかったか。

 

また中国については『これ以上膨張することは難しい国。だから人々は海外へ逃げていく。これも古来からの慣わし。ただいつの時代にも逃げ出せない人々がいる。為政者と奴隷、これが中国の歴史的な基軸だ』とも。

 

日本で中国語を習い人がどんどん減っている。中国に旅行に来る人も最近ほとんど聞かない。ある意味で日本人は単純なのかもしれない。もっと強かに生きていかなければ、今後の東アジア情勢、アジア情勢、世界情勢に飲み込まれてしまうかもしれない。日本という国と日本人は一体ではない、と思うのだが、違うのだろうか。

 

旅好きの会

李さんと3時間も話してしまった。お土産にザボンをくれた。このザボン、冬の北京では毎日食べていた大好物。ホテルに持ち帰って剥いてみると、本当に良い香りがして、甘かった。そういえばバンコックでも常にザボンを売っている。北京とバンコック、共通点あるのだろうか。

 

そしてまた外へ出た。既に街は暗くなっている。バスに乗り東直門へ向かう。この区間をバスで走ったことはなかったが、仕事で通ったビル、マッサージに通ったビル、何度もレストラン、誰かが住んでいたマンション、と懐かしい風景が次々に出てきた。そして東直門のもの凄い人ごみ。北京はそれほど変わっていないのかもしれない。変わったのは私の心に方か?

 

指定されたレストランは、私が帰任後に出来たシンガポール系の立派なビルの中。店内もきれいでレストランもきれいだった。ここで北京料理を食べる。私は好きな物を一品だけ注文し、後は皆さんに任せた。

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今日は昔開催した旅好きの会の大姉御Yさんを中心にした会。ライターのTさん、写真家のSさん、料理大好きKさんなど、気が付けば完全な女子会に一人ポツンと座っていた。まあ、お茶会などでも参加者の殆どが女性、ということはよくあるので気にはならない。しかも皆さん、気心が知れているので、楽しく過ごした。

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旅行会社を経営しているYさん、『2年前から日本人観光客は殆ど来ない。日本人を当てにした商売などとっくにできていない。既に中国人の海外旅行に絞って、しかも団体ではなく、個人旅行の手配をしている』と。行先は日本ばかりではなく、タイでもバリでもどこでも付いていく、そうだ。今年は中国人の海外旅行者数が1億人を越える(但し香港だけで2000万人以上で、大半はアジアだが)。日本への受け入ればかりが話題となるが、中国から全世界への手配、これは大きな市場だな。

 

日本人の若者が海外へ行かない、と言われて久しいが、私がアジアを歩いていると多くの若者と出会う。勿論バブル期などとは比べ物にならないだろうが、海外へ行きたい、行ってみたいという人は必ずいる。ただ昔は中国を目指す若者が多くいたが、今は少なくなり、東南アジアが増えているということかもしれない。

 

帰り際にある人が『そろそろ潮時かもしれない。ずっと北京に住むと思い込んでいたが、限界が来るような気がする。ただ急に日本へ帰っても適応できるか心配だ』と言ったのが印象に残る。中国では言葉にいい表せない何かが確実に存在し、我々の居心地を悪くしている。これからも中国から引き揚げる日本人が増えるのは避けられない。

北京寄り道散歩(2)視界不良な北京

10月18日(土)

バックパッカーの会

翌朝はゆっくりと起き上がる。朝からネットが繋がらず、旅行記を書いた。10時過ぎにはホテルを出てTさんの家へ行く。Tさんとは25年来の付き合い、今年彼が北京赴任を果たしたので、訪ねていく。有難いことに自宅に泊めてもらえるとのことで、1泊お願いした。取り敢えず、1泊分の荷物をかれの部屋へ運んだ。この家、昔から何人もの知り合いが住んでいる古い場所。懐かしい。

 

すぐに崇文門へ向かう。地下鉄1号線、2号線と乗り替え、何とか辿り着く。そこから指定のレストランまで、意外と探すのが難しかった。北京の道は基本的に碁盤の目、だったが、偶に曲がった道などがあると調子が狂ってしまう。また近いと思っても歩くと距離があるのが北京の特徴。

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ようやく見つけた店は紹興料理、懐かしい「咸亨酒店」。魯迅の小説、「孔乙己」の舞台になった咸亨酒店から店名が付けられた。紹興にある咸亨酒店は1894年に魯迅のオジサンが開業したとか。そういえば北京には「孔乙己」という名のレストランが3軒あり、よく通ったものだ。これまた懐かしい。

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個室が予約されていたが、何と定刻に誰も来ていなかった。今日は北京のバックパッカーの会に呼んで頂いたのだが、皆さん、レストランが見付からず迷っていたとか。え、それでバックパッカー?と思わず突っ込むと『実は今日のメンバーはちょっと旅好きなだけで本物のバックパッカーはいない』とのこと。え、何で?

 

この会は主催者のNさんが3年ほど前に結成したものだった。私が6年前に結成?した旅好きの会、こちらは本当にディープな人が集まり、中国全省制覇した程度の生半可な人は放り出されたほどだったが。この会は随分と大人しい。まあ、それでも和気藹々、楽しく食事をした。今や旅好きの会の熱気が異常だったとしか思えない。

 

セミナー

2時にはここを出て、タクシーに乗り建国門へ向かう。今日は日本人会主催のセミナーに参加する予定で、しかもお話をしなければならないため、遅刻はできない。会場は賽特百貨店裏の高級マンション内にある、隠れ家的なプライベートレストラン。ワインを飲みながらフレンチでも食べる、と言った素敵な空間だった。

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既に主催者が集まり、順調に準備が進んでいた。開演の3時前には会場の席が埋まり、人が溢れた。私の話はありきたりのつまらない物だったが、第2部があり、そこでは北京で有名な人たちのパネルディスカッションが行われた。この人々を目当てに多くの人が詰めかけた様だ。

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北京という街は政治都市であり、また文化都市でもある。上海の方が日本人は遥かに多く住んでいるが、文化的な行事なら北京の方が人は集まる。それでも最近は日本人の数が若干減り、特に家族連れが減る傾向にある。以前駐在していた頃とは事情が違ってきているようだ。

 

そのまま、夜の部に移行し、ビュッフェパーティとなった。会場には顔見知りの人が沢山来てくれ、楽しく談笑した。定員40名とのことだったが、有料にもかかわらず、満員だった。ベランダに出ると夜風が爽やかだった。昨日も会った張さん旦那が鉄観音と白茶を皆に振る舞っていた。ワインを飲んだ後に白茶、いい組み合わせだった。

 

Tさん宅

パーティーがお開きになり、Tさん宅へ戻る。Tさんも別の会の関係で外出しており、いいタイミングで帰ることが出来た。昔話に花が咲く。何故かネットは繋がらない。不思議なくらい、ネットには嫌われている。Tさんの部屋は実にさっぱりしていた。余計な物は何もない、という感じ。スーツケース2個ぐらいでやって来てそのまま住んでいる、のではないか。もうある程度歳なのだから、それがシンプルでよい。

 

ただ映画好きのTさん、DVDや関連書籍はかなりあった。今日も映画好きの会を開いていたらしい。旧満州関連の研究もしており、かなりディープな感じが漂う。来月北京で開かれるAPEC、急に6連休になるとかで、アジアのどこかへ旅をしたい、と言われたので、バンコックを勧めたが、最終的にはチケットの関係などでホーチミンへ行ったようだ。

 

10月19日(日)

ホテルで朝和食

翌朝は6時台に起きてしまった。Tさんは日課のスイミングへ。私はすることもなく、ボーっとしていた。窓から外を見ると、やはりボーっと霞んでいた。北京の大気汚染の深刻さが良く分かる。実は今日は年に1回の北京マラソンその日。こんな中を走る人がいるのだろうか、と思ったが、翌朝の新聞では『毒ガスマスクをしては知っているランナー』などが1面を飾っていた。マラソンも命がけだ。因みに日本人参加者に聞くと、『参加料が高額で、しかも飛行機代まで払って、走らないで買える』という選択肢はないそうだ。まさに命がけ。

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朝食は近くのホテルで食べる。普通の朝食ビュッフェを食べるつもりだったが、何と『和定食』なるものがあったので敢えて頼んでみた。ウエートレスは一瞬『え?』という顔をしたが、そのまま注文を通した。しかし周囲の人々がどんどん食事を取り、どんどん食べる中、我々のテーブルには一向に食事が来なかった。まあ、急ぐ旅でもないし、ということで雑談しながら待った。

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かなりの時間が掛かって出てきた物は、確かに和食であったが、器は和ではなかった。焼き魚、豆腐、サラダ、ご飯とみそ汁。なるほど。最初は箸も出て来なかった。なかなか面白い。食事代はご馳走になったので良く分からないが、恐らく今の円安もあり、2500円位したのではないだろうか。またビュッフェより少し安いのかもしれない。北京の物価が上がったのか、円安なのか、何だかちょっと寂しい。

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それから部屋に戻り、また話し込む。11時過ぎにお別れして、また先日のホテルに戻りチェックインした。兎に角周囲が濃い霧に包まれており、心が沈む。北京に駐在する、ずっと住むのも大変だ。

北京寄り道散歩(1)新しくなった茶城

《北京散歩2014》  2014年10月17日-10月21日

 

10月17日(金)

ホテルで

フフホトへ行った帰りに北京で寄り道した。13日に東京から呼和浩特へ行く途中に経由した北京空港は目の覚めるような青空、まさに『北京秋天』だったのだが、今日は若干暖かいせいか、空は霧が掛かっていた。おまけに空港からタクシーに乗ったが、すぐに渋滞に嵌り、なかなか進まない。北京は秋が一番いい季節だが、こんな感じなら、あまり来たくなくなる。

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今回予約したホテルは燕沙のすぐ近くの大使館街だった。前回泊まったホテルがよかったのだが、既に一杯で取れなかった。やはり北京の秋は混んでいる。そしていいホテルはすぐに埋まる。そしてこのホテル、ネットは問題なくつながるのだが、VPNは作動しなかった。フフホトのホテルはサクサク繋がったので期待していたが、やはり北京は厳しい。

 

今晩は当初の予定がキャンセルになり、特にすることがない。そういう時はお茶屋さんへ行けばよいということで、張さんに短信を入れてみた。するとすぐに電話が掛かってきて、『実は先週子供が生まれたばかりで店にはいない』というではないか。2月に会った時はまだ兆候もなかったのか。時の早さを感じる。よく聞くと店番は旦那がしていること、店自体が移動していることを知り、取り敢えず、店に向かう。

 

バスに乗ったが、乗り間違えて次の停留所で降りて、また乗り直す。こういう時に北京のバスはいい。何しろカードを使えば僅か0.4元だから。ところが次に来たバスはちょっときれいだなと思っていると、何と2倍の0.8元した。それでも他のアジアの都市と比べても安い。東京など200円もするのだから、驚くべき違いだ。但しさすがに財政負担に耐えられず、もうすぐ値上げらしい。

 

新しい茶城

いつものバス停で下車して、言われた通りのビルを探す。以前の建物のすぐ近くに新しい茶城が出来ていた。茶城と言っても、下は宝石屋などで、3階になる。以前の建物は1階が骨董家具と熱帯魚屋という素晴らしい取り合わせだったが、今回この2つは別の場所へ移動したようだ。

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店舗は当然ながらすごくきれいになっていた。張さんの店などは、ドアが自動になっており、外からは開けることが出来なくなっていた。外から眺められるように透明のガラスなのだが、中へ入るには店の人がボタンを押す必要がある。店はなんとなく広くなっていた。以前のビルにあった店も大半はこちらに移転してきている。お茶屋はそれになりに儲かる商売なのだろう。

 

張さんの旦那は昔から鉄観音茶に嵌っており、鉄観音以外はあまり飲まない。それが今回訪ねてみると『お客さんから教わって白茶の良さに気が付いた。これからは高級白茶を扱っていく』という。確かに世の中は白茶ブーム、だが、それでいいのだろうか。まあ、売れる物を売らないと商売にはならないし、客が欲しい物を用意しないとこれまた商売にはならない。彼もその辺をわきまえた様だ。

 

確かに出された白茶は味わいがあった。だが安い物でも500gで、2万円以上した。高い物は500gで7万円。それでも中国人の好き物は買っていくらしい。どうかしているんじゃないだろうか、この価格。まあお金持ちの常連さんばかりを相手にしていれば、それでも成り立つのだろう。それで引っ越しもできる訳だ。子供も2人に増えたし、頑張らねばならない。

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一人ご飯で

色々と話し込んでいる内に暗くなってしまい、引き上げる。このビルも6時閉店は変わらない。皆店を閉め、トイレに行き、出口へ急いでいた。外へ出ると、ちょっと涼しい。フフホトと北京、あまり気温は変わらない。ローソンが近くにできていた。本格的に進出か。

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バスに乗り、三元橋を過ぎたところで、下りる。ちょうど懐かしい日本料理屋の看板が目に入ったので、寄ってみた。金曜の夜だが、お客はまばら。ママが寄って来て、『明日のお昼は食べ放題だから是非来て』という。日本円にして1200円ほどで食べ放題、どんなものだろうか。それにしてもお客確保が難しい様子が見て取れた。

 

フフホトでは当然肉中心だったので、焼き魚定食にした。サラダに茶碗蒸し、そして漬物とフルーツが付いて、38元、値段も味も何ら変わっていなかったが、昔は安いなと感じたこの値段、今の円安で換算すると、750円ぐらいになっている。この品質ならむしろ高い、と言わざるを得ないが、他の店は値段を上げているだろうから、やはりこの店は値段相応なのだ。

 

トボトボと歩いてホテルに戻る。やはり何となく活気のない街、北京。これは単に空気のせいなのだろうか、それとも何か別の要因があるのだろうか。大使館街の夜は特に静かで寂しい。

 

関西迷い旅2014(3)イスラムの勉強はベリーダンスから

4.大阪2

新疆料理

京阪に乗り、大阪へ向かう。思ったより時間が掛かり、難波での待ち合わせに遅刻してしまった。先日訪れた軽井沢に移住した後輩、Tさんの紹介で、関西で中国語新聞を発行している日本人Kさんと会う。Kさんは昨日軽井沢でTさんと会っており、夜行バスで大阪に戻ったらしい。しかも明日からは四川省に出張と言う日程の中、奇跡的に会うことが出来た。実にタフな女性だった。

 

指定された場所は道頓堀にほど近い、新疆レストラン、ムカーム(http://muqam.pepper.jp/)。こんなところにこんなレストランがあるのか、と言う軽い驚き。Kさんの顔で夕方は開いていないのに、無理やり開けてもらい、お茶とお菓子を頂く。

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オーナーは新疆ウルムチ出身のウイグル人夫妻。ご主人が丁寧な接客をしてくれ、チャイと奥さんが昨日新疆から持って来たお菓子が出てきた。大阪にいることを一瞬忘れた。奥さんはベリーダンサーでもあるということで、華やかな女性だった。次回は夕飯をここで食べられたらと思う。

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5時半過ぎに今晩のイスラム勉強会の主催者Mさんより電話が入る。折角のイスラム繋がりなので、このレストランに来てもらう。大阪在住の彼もこんな店があることに驚き、またこんなご縁が生まれることに感謝していた。次回もしイスラムの会があれば、このレストランを使うこともできそうだ。

 

インド料理とベリーダンス

Kさんと別れて、Mさんと一緒に今晩の会場へ行く。インド料理屋。オーナーは日本人女性で彼女にイスラムの話をしてもらう予定だったが、店が忙しく、代わりにエジプト人男性が流暢な日本語で、日本人の持つイスラムやイスラム教徒のイメージが実態と違っていることを説明してくれた。その気持ちは良く分かる。

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インドカレーとナン、タンドリーチキンが出て型どおりの食事となる。参加者は20名ほど、イスラムへの関心か、予想以上に集まっていた。本当はMさんのイスラム貿易話も沢山聴きたかったが、今日は幹事業に専念しており、残念だった。

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参加者の中にはなぜかアラブの衣装を着てくる人などもいて、勉強会というより、ノリの良い飲み会になって来た。そしてお待ちかね?ベリーダンスが始まった。日本人女性が2人踊ったが、なかなか妖艶で皆、目が釘付けになる。更にはノリノリになり、即席ベリーダンス講習会が始まった。さすが大阪、皆さんノリがいい。

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中にはダンサーに個人レッスンを申し込む人などもおり、会は大盛況の内に終了した。だが勉強会としてはどうだっただろうか、まあ楽しかったからいいか。2次会でこじんまりしたバーで一杯のみ、大阪の夜は終わった。

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9月20日(土)

横浜中華街へ

翌朝は早く、ホテルをチェックアウトして、新大阪へ行き、新幹線に飛び乗る。今日は横浜中華街のパーティーに行くことになっている。何だかビジネスマンの出張のようなスケジュールになってしまった。土曜日だから新幹線はそれほど混んではいなかった。10時頃には新横浜に到着した。

 

5.横浜

香流1周年パーティー

新横浜駅に降りるのは20年ぶりぐらいではないだろうか。駅前には大きなビルはなく、昔ながらのアパートなども見え、それほど大きく変わっていないように思われる。これが日本の最近20年の状況を表わしているように見えてしまう。

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電車を乗り継ぎ、横浜中華街へ辿り着く。小雨が降っており、ちょっと疲れたのでカフェに入り、メールチェック。それから奥さんと合流し、茶文化サロン香流さん(http://xiang-liu.com/)の一周年パーティーへ行く。香流では今年の2月に1日セミナーを開いて頂き、茶旅のお話をさせて頂いた。因みにオーナーは大学の先輩、特に家内と同じ学科という珍しい茶縁である。

 

会場のイタリアンレストランへ行くと、既に入口まで参加者が入場を待っており、大盛況。結局130名もの方がお祝いに駆けつけたという。愛されている香流。棚橋先生の祝辞で始まり、会場内には5つのブースに緑茶、白茶、青茶、紅茶、黒茶が各3種類用意され、中国茶関係では有名な参加者も興味津々。お土産の茶杯を片手に、各テーブルを回る。美味しいデザートも提供され、皆満足そうだ。

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またお茶席も用意され、限定メンバーでうらりんさんのお茶を堪能していた。いつも感心するのだが、お茶席をきれいに整え、良いお茶を用意して優雅に淹れる、私にはとてもできない芸当だ。

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今回27年ぶりの再会もあった。中国留学中、上海と瀋陽で会った大学の後輩Oさん、その後一度も会う機会はなかったが、最近偶々Facebookで発見し、連絡を取り合う。そしてお茶に興味があるというので、同窓で家も近いちょしさんを紹介、今回ちょしさんが声を掛けてくれ、Oさんもこの会に参加。これも1つの茶縁だろうか。因みにちょしさんも大学の先輩で、今後香流で講座を持つ予定だとか。あまりお茶と関係なさそうな同窓生がお茶を通じて出会い、一緒に何かを行う、これこそ茶縁だろう。

 

2時間の会はあっという間に終了し、東京へ帰る。しかし休む間もなく、明日は朝から福岡へ飛ぶ。

 

関西迷い旅2014(2)金閣寺の茶房と先斗町のパフェ

9月19日(金)

3.京都

金閣寺へ

翌朝はホテルの朝食が付いていたので、モーニングを食べる。これはこれで十分よい。あと300円出すと和定食が食べられるらしいが、それを望む客がいるのだろうか。皆が同じものを食べている。新大阪から僅か一駅、その駅前でも朝食をサービスしないと集客できないのだろうか。

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駅へ行き、各駅停車で京都へ向かった。普通なら快速電車を使うのだろうが、時間に余裕があると思い、各駅にする。通学の高校生と共に揺られていく。意外と時間が掛かり、京都駅へ着いたら、9時前になっていた。駅前のバスターミナルは各地へ向かうバスが集い、良く分からない。何とか尋ねて、金閣寺行きを目指す。金閣寺に行くのは20年ぶりだ。確か中国人のお客さんを連れて行き、喜ばれた覚えがある。中国人は金が好きだ。

 

バスは全国高校駅伝のコースの道をいくつも通過した。何となく嬉しい。道はそれほど混んではいない。だが、一向に金閣寺には到着しない。乗るバスを間違えたかと思うほど、長い時間バスに揺られた。乗客も増えており、かなりの人が立っていた。50分ぐらい乗って、ようやく金閣寺に着いた頃には結構疲れていた。

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金閣寺の参道を歩く。修学旅行生が多い。私も修学旅行の時にやって来たのを思い出す。中に入りたかったが、約束の時間になったので、引き返す。寺の近くの京都の町家、といった路地に入る。そこに目的地、ISO茶房(http://www.iso-sabo.com/)があった。

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ISO茶房のオーナー、磯尾さんとは3月に台湾で友人の紹介により、偶然に会い、共に茶旅をした。いや偶然ではなかったのかもしれない。サラリーマンを辞めて、お茶を勉強し、自分の店を持つ、面白い人生を歩んでいる(先方も私が面白い人生を歩んでいると思っているに違いない)。

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お店は本当に静かな佇まい、手前に和室があり、奥がテーブル、更にその奥が裏庭と贅沢な構造になっている。これが京都の建屋だろうか。その家具にも趣があり、雰囲気を醸し出している。お茶は緑茶と白鶏冠を飲んだ。磯尾さんが直接現地に赴き、セレクトしてきたお茶だった。お茶菓子も美味い。ゆったりと2時間ほどの時間を過ごし、この空間を後にした。最近は色々なお茶会や茶の講習会に使われているそうだ。

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先斗町の長竹

磯尾さんにバス停まで送ってもらい、先斗町に向かう。京都の先斗町と言えば、色町のイメージがある。今日は京都でお茶を販売しているMさんに呼んでもらったのだが、ちょっと緊張する。しかも金閣寺からのバスが、これまたなかなか着かない。時間ギリギリに川べりに着く。

 

そこから先斗町という細い路地を歩いて行く。昼間も観光客を中心に歩いている人が多く、ランチなどを出す店も沢山ある。そんな中で指定されたお店、長竹(http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26000022/)に行くと、何と『準備中』の看板が掛かっていた。時刻は12時50分、この時間に準備中というと昼の営業はあり得ない。ということは私が約束の場所を間違えたか、日にちを間違えたことになる。

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一応恐る恐る戸を開けてみると簡単に開いてしまい、カウンターに大将がいた。『いらっしゃい』と言われたので、これから店を開けるつもりだと分かる。だがMさんの予約だ、と言うと、『そんな予約あったっけ?』と言われ、また焦る。『まあどうぞ』と言われたのでカウンター席に座る。あとで聞くと、最近は午後1時開店だそうだ。

 

このお店、こじんまりしているが、急須などの茶器がかなり置かれており、また中国茶、台湾茶関係の書籍なども沢山あった。『Mさんの知り合いというとおたくもお茶屋さん(京都でお茶屋さんと言うと意味が違うような気も)?』と聞かれる。それにしても約束の1時を過ぎてもMさんは現れない。どうしよう?お店には雑誌の取材が入っており、写真を撮っている。

 

他のお客さん、常連さんが友達を連れて入って来た。ようやくMさんが登場したのは10分ぐらい経った頃。何となくホッとした。茶葉入りの炒飯を注文。Mさんがおばんざいを2品頼んでくれたが、京野菜と味付け、もっと食べたくなった。何ともゆったりした中に、ちょっと緊張感のある食事、これもまた味がある。

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そしてデザート。和食のお店ながら『写真うつりがいいの、お願いします』と行った所、凄いパフェが出てきた。これにはビックリ。他のお客さんも写真を撮りだす。確かにこれは写真うつり抜群。どうしてこれが先斗町で出てくるんだ。お茶も茶葉が茶碗の中に入っていて、美味い。これはなかなかすぐれもののお店だと分かったところで本日のランチは終了となる。尚Mさんとは『来年グルジアツアーで』と言って別れたが、果たしてその再会はあるのだろうか。面白い茶縁である。

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関西迷い旅2014(1)カツ焼きそば定食で乗り違い

《関西散歩2014》  2014年9月18日-20日

 

昨年は4回も行った関西圏。今年は機会がないな、と思っていると、昨年知り合ったMさんが『イスラムに関する勉強会』を開催するというので、参加することを決意した。今やイスラムを無視しては世界を語れない。本で読むのではなく、Mさんのように実際にイランやインドネシアなどイスラム圏と貿易をしている人から知識を得たい、と言うのが趣旨であったのだが・・?

 

9月18日(木)

1.大阪1

新幹線で大阪へ

16日の昼に東京に戻った。そして久しぶりに奥さんの誕生日を祝う。長男は気を効かせて(私に会いたくなくて?)、千葉の家に行ってしまう。2人で食事に出掛けるなどは一体いつ以来のことか?千歳烏山にも色々の店があることが分かり、面白い。

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翌日は家でゆっくりして、翌々日の朝、新幹線に乗る。飛行機も検討したが、成田まで行かないと安いフライトはなく、関空からも面倒なので、結局品川から新大阪へ行く。のぞみは速い。2時間半ぐらいで大阪に着いてしまう。予約も要らないほど頻繁に出ているので便利だが、ただ料金は高い。何とかならないのだろうか、日本の交通費。

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午前10時前に新大阪へ着き、予約した東淀川のホテルを目指す。新大阪から在来線で一駅の東淀川、乗り換えがちょっと遠い。在来線の各駅停車は10分に一本。僅か3分乗ると着く。ホテルは駅前にあり、コンビニが併設されていた。荷物をフロントに預け、コンビニで飲み物を買い、かなり広いイートインスペースでネットを始める。この環境は居心地が良く、旅行記がどんどん書けた。

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ランチはカツ焼きそば定食

調子に乗ってPCと睨めっこしてしまう。気が付くと12時を過ぎていた。今日の約束は2時前に西宮付近、電車で一本と聞いていたので、まだ十分時間があると思い、近くの商店街を歩いて、ランチを探す。直ぐに目に入ったのが、カツ焼きそば定食。このお店はお好み焼き屋さんのようだが、色々なランチメニューを揃えていた。中に入るとお客さんがかなりいたので、安心して注文した。出てきた物を見て驚く。本当にトンカツと焼きそば、目玉焼き。豪華なラインナップだ。

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そして更にご飯とみそ汁、漬物まで出てきた。焼きそばとご飯、中国人ならビックリの炭水化物攻撃、その上にトンカツだから凄い!お味もよく、しかも値段は680円、さすが大阪、このコストパフォーマンスは半端ない。

 

食べ終わった頃には充実感に浸り、満腹感で眠気が出てきた。ゆっくりと駅へ向かい、JRで西宮方面へ向かう。まだ時間的には十分間に合うので、ゆるゆると行く。尼崎を過ぎ、もうすぐ西宮かな、と思ったが、いつまで経っても駅名が出て来ない。おかしいと思い、着いた駅から上を見ると、何とANAの飛行機が飛んでいた。ここは一体どこなんだ?

 

駅名を見てビックリ、北伊丹だった。完全に乗り間違えている。慌てて降りて電話すると、既に約束の2時に間に合わないことが分かる。兎に角尼崎まで戻り、神戸線に乗り替えてさくら夙川という駅へ。駅には有難いことにお迎えが来ており、何とか10分遅れで会場に着いた。駅から会場まで歩くつもりだったが、かなり遠かった。いずれにしても見通しが甘く、事前勉強不足は否めない。

 

今回はカンボジア関連のセミナーであったのに、講師が遅刻と言う大失態。大変申し訳ない。何故こうなったのか、それは関西圏の地理に詳しくないのに、ちゃんと調べずに電車に乗ったことだろう。東京から横浜に行く感覚で電車に乗ったら、川崎で横に曲がってしまったようなものだろうか。更にはランチの満腹感でボーっとしてしまったのかもしれない。

 

2.神戸

セミナーとディナー

午後2時過ぎに始まったセミナーでカンボジアに関していくつかのお話をした。カンボジア事情、ボランティアのこと、伝統の森のこと、など私の理解の範囲を話したつもりだ。更にはアジアを歩いてきた経験から頭に浮かんできたキーワードなども合わせてした。参加頂いた方々には熱心に聞いて頂き、質問も沢山出て、話し甲斐のあるセミナーだった。

 

会場もよい環境にあるIさんのヨーガ教室で、行われたこともあり、皆さんリラックスして聞いてくれたように思う。この企画は12月にヨーガチームで行く、カンボジアのシェムリアップの勉強会を兼ねており、12月のアンコールワットツアーがとても楽しみになって来た。

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その後、阪急電車に乗り、場所を移して有志で懇親会が行われた。会場はとても雰囲気の良いレストランで、食事もしっかりと作られていた。日本と言う国は、特に有名ではないお店でも、本当にきめ細やかに料理を作り、店の造作も見事に出来ている。いつも感心してしまうところだ。

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また話の内容も少し高度になり、哲学的な意見なども頂戴し、勉強になった。自分がアジアで感じたことが、日本ではこのような哲学、ヨーロッパではあの人の哲学、と言う風に言われると、不思議な感じがする。私は哲学など勉強したこともなく、本すら読んだことはない。何か通じるものがあるのだろうか。

 

帰りはまたJRに乗り、東淀川へ戻る。今度は間違いようもなく、一度でホテルまで行けた。昼間は一体なんだったのだろうか。

北海でリゾート2014(6)南寧 掟破りの高速バス乗車

8月28日(木)

朝食を抜く

今朝は早めに起きたが、なぜか腹が空かない。折角朝食は付いているのだし、広州へ行くバスは8時間もかかると聞いているので、途中で食べられるかどうかも分からない。それでもどうしても食べたくないので、思い切って抜く。これはちょっとした賭けだが、体調が悪くなるより空腹の方がマシ、という判断。

 

8時台は混んでいるエレベーターもすんなりやって来て、チェックアウトも直ぐに済んでしまった。時間があるのでロビーでネットをして過ごす。このホテルは駅前ホテルであり、朝鉄道で着いたお客がチェックインしてきている。時間貸もしているので、4時間だけ寝る、という客もいるようだ。

 

8時45分には切符売り場に着いていた。オジサンも顔を覚えていて『広州だな、ちょっと待て』と。まあこれなら安心か。9時前に運転手を先頭に歩き始める。バスは駅前にはない。歩いているのは数人だけ。ミニバスだな、と直感。案の定、ミニバンに乗り込む。5人家族と男性一人と私。ところが運転手は実にのろのろと運転している。これは完全に時間調整だと分かる。

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途中で男性一人を下ろし、9時40分ごろ、郊外の道路脇に車が停まる。おばさんが一人で迎え、何とミニバンは去っていく。家族のお母さんは心配そうに『騙されてないよね』と聞いてくるが、中国人に分からないのにこちらも答えを持ち合わせていない。ただ待つのみ。出迎えのおばさんは色々と話しかけてくる。時間潰しのようだ。

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高速道路からバスに乗り込む

10時20分になり、バスが来るというので急いだ場所は、何と高速道路。本来通行人は入れない筈だが、なぜか金網に穴が開いており、上に上がれた。と言っても道なき道を行く。高速脇で待つこと数分、広州行のバスが来た。兎に角急いで乗り込む。が、前が詰まる。何とバスに乗るのに靴を脱いでいる。これは初めての経験だった。荷物も直ぐに積み込まれ、バスは何事もなかったように走り出す。

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バスの中は3列の2段ベッド、床はすべすべしており、靴を脱ぐ理由が分かる。我々は残っていたベッドを確保し、座る、いや寝ころぶ。これももしやすると初めての体験かもしれない。いきなり床にあるベッドに寝転び、窓から外を眺める。当然低い位置から見上げる形となり、空がよく見えた。青空だった。布団を掛けてクーラーを避け、快適に過ごす。

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快適なバスの旅は続く。車内にはスクリーンがいくつも備えられており、香港の古い映画をやっている。全て広東語である。多くは布団にくるまって寝ているのだが、お構いなしに大きな音で映画は続く。内容も香港に有りがちなヤクザの抗争物。2本もこれが続くと飽きてしまう。

 

3時間に一度は休憩があると思っていたが、途中で停車したのは一度だけ。運ちゃんのごはんの時間だけだった。そのサービスエリアはシャビーな感じで、ご飯を食べる気が起こらなかった。乗客の多くはスナックを買い、ボチボチ食べている。バスの旅ではあまり食べない、飲まないのが安全だ。

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それからはひたすら走り、同じような景色の中を停まることはなかった。夕方5時ごろ、ようやく広州へ入ったと思ったら、仏山と書かれている。一体どこへ行くのだろうか?広州のどこへ着くのかも確認していなかったで、ちょっと心配に。更には渋滞がひどくなり、バスが進まなくなる。何と予約したホテルからは『部屋は午後8時までしか確保しないから』と電話まで入る。俄かに慌ただしくなるが、一向に進まない。

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6時前についにバスターミナルへ着いた。だが運転手から聞いた『地下鉄に繋がっている所』とは名前が違っていたのでどうするか迷う。その時外を見上げると、何と高架に電車が走っているではないか。聞けばこの電車が地下鉄に繋がっているという。慌てて裸足でおり、荷物を確保した。広州までの道のりは実に遠かった。

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あとで聞いたところ、中国のバスではこの高速道路乗車が各地で行われているという。ただその理由が『出発時点の乗客数に対して税金が掛かるため、バス会社は違法な場所での乗車を行い、売り上げを隠す』らしい。中には規定数以上の乗客を乗せる場合にもこの手法が使われている、との証言がある。さすが中国、政策あれば対策あり、だが、安全面への配慮は是非お願いしたところだ。すきっ腹を抱えて広州へ。食は広州にあり、さてどうなるのだろうか。

北海でリゾート2014(5)南寧で疲れを癒す

高速鉄道で南寧へ

昼前にタクシーを呼んでもらい、マンションを離れた。何とも残念だったが、ここに根を張る訳にもいかず、Zさん達も数日後には北京の生活に戻ることになっていた。夏のバカンス、つかの間の緩い生活は終わりを告げた。Zさん、トニー、G君の家族には感謝してもしきれない。良い夏休みを提供してもらった。

 

タクシーは北海駅へ向かった。ここは街中にあり、遠くはない。駅は変な形をしており、駅舎の上はマンション、最近出来たらしい。切符は以前にZさんが予約してくれ、実は昨日ここに来て既に受け取っていたので、駅の様子は分かっていた。昔とは大違いだ。駅には大勢の人がおり、夏休みの終わりの混雑、と言った感じであった。高速鉄道が南寧を経由して、梧州まで繋がっていた。一昨年行った六堡茶の集積地、梧州。あの時高速鉄道の工事中であったが、既に繋がっていたか。それでも広州まではまだ時間が掛かるようだ。

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車内は満員、予約がなければとても乗れなかった。車窓から眺める風景は田舎。1時間40分後には南寧に着いてしまった。電車から降りると、凄く疲労していた。今朝の散歩がきつ過ぎたのだろうか。

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4.南寧

駅前ホテルへ

駅を出ると暑い。北海は日差しが強いとは言っても海からの風が吹く。しかしここ南寧は都会の大都市だ。暑くてたまらない。いつも泊まるホテルチェーンを探すつもりだったが、駅の周辺を見渡すと、こぎれいなホテルが見えたので、そこへ行ってみる。240元で泊まれるとのことだったので、迷わずチェックイン。そしてクーラーを掛けて昼寝をした。部屋も広くて快適だった。

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夕方になり、明後日の広州行チケットを買いに出た。先ずは駅へ行く。高速鉄道は広州までは行っていなかったので、普通の電車を探したが、意外と本数がなかった。しかも駅は人で溢れかえっており、疲れている体には堪えたので、早々に退散する。バスターミナルはどこにあるのか尋ねると、ここからは相当に遠いらしい。駅前にバスチケットを売る店があったが、店員があまりにも無愛想で止めた。どうするんだろう、広州行。

 

とにかく疲れてしまった。これは時々あることだが、どうにもやる気にならない。ネットは繋がるが、Googleに接続できない、とい理由もあるかもしれない。ここは休むしかない。ただ何もせず、ベッドに横たわるのみ。時間だけがゆっくり過ぎていく。辺りが暗くなってきた頃、少し腹が減ったので、夕飯でも食べようと外へ出る。地図は買ったものの、どこへ行ったらよいか分からない。適当に歩いてみると、古い街並みが残っていた。小さな店はいくつもあったが、敢えてファーストフード店のようなきれいな店に入る。20元ほどの定食を食い、また歩く。

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来年はアセアン統合の年、中国とアセアンを繋ぐ都市として位置づけられている南寧には『東盟』の文字が多く見られた。アセアン土産と称して果物などを売る店もある。ただ現実にはアセアン統合により南寧にどれほどの経済効果があるのだろうか。何とも分からない所である。

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8月27日(水)

バス旅行

翌朝も疲れは取れず、部屋でごろごろしていた。既に南寧は完全な休養地、これから行く広州に備えよう、という考えにまとまっていた。朝ごはんは付いていたので、食堂に行ってみると、『養生』ご飯と書かれ、お粥や芋などが並び。所謂一流ホテルの豪華な食事とは差別化を図っていた。泊り客の方も、朝から大量のごはんを食べる習慣から抜け出したいのだろう、と思われる。双方の利害は一致しているように見えた。

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午前中は部屋で旅行記を書いて過ごした。シャワーなど浴びると徐々に元気が出てきたようなので、昼前に外へ出る。普段は歩くのが仕事だが、今日はしんどいので、駅前からバスに乗る。長距離バスターミナルへ行ってみることにした。バスは旧市街のごちゃごちゃを抜け、新市街地へ。アセアン会議の開かれる会議場のあたりへ来ると、6年前に泊まったホテルなども見え、今回とはだいぶ違う地域だったことを再確認した。

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40分ほど乗り、バスターミナルへ着いた。ここも人が多い。広州行のバスは1時間に1本程あるが、料金は駅前のバスより高い。これはどういうことだろうか?ここも窓口前には長蛇の列。切符を買うのも大変そうだし、明日もう一度ここへ来るのも大変なので、断念した。

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来た時と同じバスに乗る。違うバスに乗りたかったが、駅前へ行くバスは1つしかなく、他の寄り道する気力もなかった。まあきままなバス旅行と思えばよい。駅前に着くと腹が減ったので、粥を食べる。7元。

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マックで

午後はこのホテルの延泊を決め、ごろごろ。想像以上に体力の回復が遅い。歳のせいだろうか。微睡みが嬉しい。あっという間に日が暮れてくる。日が暮れるとなぜか腹が減る。動いていなくても腹が減るのは、体力の回復を体が促しているせいだろうか。

 

駅前を歩いているとマックがあった。普段は入らないのだが、先日日本で肉の偽装事件があり、その影響が中国にも飛び火していると聞いていたので、入ってみる。確かにお客はいない。2階もあるというので、2種類のバーガーを頼んで2階へ行ってみる。何と一人の客もいなかった。マックの貸し切り、凄い。

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ところがオーダーした商品と違う物を出されたことに気が付く。下に降りて、カウンターに行き、それを質すと、『すみません、今取り替えます』というではないか。昔なら色々と理由をつけて取り替えないので、ここで戦いがあるのが普通なので、拍子抜けだ。だが、料金をあと5元くれという。まあ取り替えに応じたのでよいかと支払って、パッとメニューを見ると、その計算が違っていた。むしろ安くなるはずだ。

 

それを質すとまた『すみません、いまお返しします』というではないか。若い男性で如何にもひ弱という感じだが、同時にマックの置かれた状況を反映しているように見えた。既にアメリカでも若者はマックへ行かない、と言われている。今後中国ではどうだろうか?

 

北海でリゾート2014(4)華僑が逃げ帰った僑港

豚鶏鍋

2日間、炎天下を自転車で走った、それも1日35㎞。これは凄い衝撃だった。シャワーを浴びて、体をダラッとさせても、興奮?は収まらない。顔もかなり黒くなったと思われる。しかしトニーは元気だ。ランチを食べに外出しようという。何だかその元気さに押されて承諾した。

 

タクシーで街へ。着いたレストランには『豚鶏鍋』と書かれていた。これは確か深圳で以前食べたことがある、とても美味い鍋である。だが店に入ると店員にはやる気が見られず、お客もあまりいない。どんよりとした空気が流れている。どうなんだろう、これは。店長の男性が出てきて何とか注文を取る。

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鍋に豚の内臓、鳥肉、野菜、キノコ、豆腐などをふんだんに入れて煮込む。豚と鶏の両方を入れるところが良い。日本でも寄せ鍋などにあるようだが、私はこれが大好きだ。しかも内臓系、胡椒が効いている。大好物。サイクリングで腹が減っていたのか、疲れも忘れてバクバク食べる。スープもしこたま飲む。もう腹がパンパンになるまで食べ尽す。疲れはいつの間にか吹き飛んだ。

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タクシーを拾って帰ろうとしたが、昼下がりにタクシーは捕まらない。皆、お昼寝の時間だろうか。本当にゆったりとした時間が流れている。スープを飲み過ぎたので汗がしたたり落ちる。それでも何だか爽やか気分だ。何とかタクシーを捕まえて、マンションへ帰る。午後の日差しが強い。

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夕方までお昼寝。そして一人で散歩に出てみた。と言ってもマンションの敷地内。私は歩くのが仕事、とよく言っているのだが、ここ数日あまり歩いていなかったので、そろそろうずうずしていた。敷地内には池があり、夕暮れ時に人がベンチに座り、話したり、ぼーっとしたりしている。我々日本人は『ボーっとしていないで』とよく怒られるわけだが、よく考えてみれば、ボーっとすることはそれなりに重要ではないかという気がする。特にこのような場所に来ると『あまり色々と考えても仕方がない』と思えるようになり、頭を働かせることを停止したい気分になる。

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マンションの前の道に出るとダンプが轟音を立てて通り過ぎる。この道は既にガタガタになっている。土ぼこりも酷い。出来るだけ外を歩きたくない心境になる。折角いい空気があり、良い景観があるのに、台無しだ、とは思わないのだろうか。経済成長しているということは案外気が付かない、いや気が付いていても、他のことに紛れて時が過ぎていく。

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敷地内には何と映画館もある。それもシネコン?いくつかの映画が同時上映できるが、外からも見に来る人がいるのだろうか。Zさんによれば、『この映画館にはレイトショーもある。夜10時の会に行けば安いし、暇つぶしになる』らしい。そんなライフスタイル、如何にも南国だが、ここで流行るのだろうか。

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昼ごはんの食べ過ぎにより、夕飯は軽くしてもらう。何だかZさんには多大な迷惑だが、この生活リズムに慣れてくると離れがたいものがある。明日はこの地を離れるのかと思うと、残念でならない。

 

8月26日(火)

朝散歩

運動しているせいか、それとも夜が涼しいからか、ここにいるとよく眠れた。過度にPCを触らないこともいい影響を与えているのだろう。心地よい朝を迎える。今朝はサイクリングのお誘いが来る前に自分で散歩に出かけた。午前7時台、それほど暑くはない。目指すは僑港と呼ばれる30年前にベトナムから華僑が逃げてきた場所だ。

 

朝はダンプも走っていないので、マンションの前の道を歩きだす。ただまっすぐ歩いて行けば近くまで行けるはずだ。ただ予想外に日差しが強い。マンションは街から少し離れているので、ちょっと歩いても殆ど何もない。途中にごみ集積場があった。悪臭が漂っていた。北海はここ数年で急速に人口が増えていると聞く。ごみ処理のシステムは追い付いていないようで、街にごみが溜まってきている。

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かなり歩いてようやく僑港という表示が見えた。ここまでくればと安心したが、何とそこからがまた遠かった。自転車で来ればよかった後悔したが、やはり歩くのが仕事、仕方がない。しかも歩いても歩いても、華僑が戻ってきて住んだような痕跡は見つからない。確か6年前はベトナムチックな黄色い壁の家などがあったのだが、どうしたのだろう。

 

合計1時間も歩いて、着いたのは港だった。それも漁港。朝の漁から戻った舟、荷卸しが始まっていた。新鮮な魚が上がってきており、魚を買いに来た人々で市場はごった返していた。自分が目指してきた物とは違っていたが、なかなか活気のあるいい風景だと思った。観光客が来るような所でもなく、よそ者は邪魔ものだったようだが。

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華僑小学校があった。しかしそれ以外、華僑を感じる物はなかった。既に時が流れた。中越戦争で戻ってきた人々もすっかり中国の暮らしになってしまったということだろうか。先日もベトナムで反中デモが起き、数千人の中国人が逃げ戻ったと報道されたが、今は北海ではなく、海口に船は行くらしい。静かで穏やかな街、北海は静かなままだった。

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バスに乗りたかったが、マンションの方へ行くものはなく、勿論タクシーもいないので、帰りも黙々と歩いた。結局往復で2時間半もかかってしまった。部屋へ戻るとZさんが『麺を食べに行こう』と言い、また外へ出て、麺を食した。朝麺を食べる習慣が付きそうだ。