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アンコールへの旅2014(6)気球、それから伝統の森に

12月20日(土)

華人経営の気球

翌朝も朝食をよく食べた。そろそろセーブしないと不調になるというサインが出ているにも拘らず、食べ捲った。これは一種のストレスではないのか、そう思えた。何に対するストレスなのだろうか?団体行動か、それともアンコールに対するものか、自分では判断しかねた。

 

今朝はまず、気球に乗りに行く。と言っても高所恐怖症の私は皆さんに付いていくだけ。気球など乗ろうものなら、即座に卒倒してしまうだろう。以前トルコの観光地カッパドキアで、絶対に乗るべきだと誘われたことがあるが、一撃で断った。その数か月後、エジプトとカッパドキアで墜落事故があった。私は墜落が怖いのではなく、そもそも上に上がって行くだけでダメなのである。

 

気球乗り場は郊外にあった。行ってみて、かなりビックリした。気球といえば、上に上がり、風任せに動いて行くもの、どこかを一周して戻ってくるものと勝手に思い込んでいたが、何とここの気球は固定式、ようは上に上がるだけで、ロープでしっかり固定されている。これなら、私でも乗れそうな感じだった。

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皆さんが上の風景を楽しんでいる頃、私はそこに中華的な財神を発見した。カンボジアには華人が沢山おり、既に同化しているので、誰が華人かよく分からないが、このような物を見ると、中国を感じてしまう。そして同時に、商売はやはり華人だ、と思ってしまう。昨晩のディナーショーレストラン同様、顧客のニーズを最大限満たし、かつリスクも抑えた結果、この固定式になったのだろう。お客は気球に乗って高いところに行き、アンコール全体を見渡したいのであり、気球で旅をしたいとは思っていないのだから、これで十分なわけだ。確か一人15ドル。

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だが降りてきた人たちは口々に不満を述べた。『朝方は霧か靄がかかり、アンコールワットがよく見えない。絶対に午後か夕方にしてもらうべきだった。急に予定が変更になったのは、気球会社の策略か』と。どうやら午後の方に人気があるので、午前に回されてしまったと思っているようだ。私は事の真相など知らないし、興味もないが、そうであるならば、それもまた華人らしい。

 

IKTT

それからバスに乗り、10年前に日本人の森本さんが作ったIKTT伝統の森に向かう。これが3度目の訪問だ。一番ワクワクする場所。過去2回はサレンのトゥクトゥクに乗り、物凄いアップダウンに耐えて1時間半かけて訪ねた。だが今回バス、しかも道が舗装されており、何だかスーッと眠りに入ってしまうほどスムーズ。

 

過去とは違う道を通り、かなり大回りした状況で、最後にデコボコ道に入った。ここだけが変わっていなかった。初めての皆さんはその道の悪さに驚いたかもしれないが、こちらは道が良くなり過ぎたことに驚いていた。伝統の森を一から作った森本さんの苦労を肌で知るには、デコボコ道を喘いで来るのが良い。ダンプが何台もやって来て道を塞いだ。

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伝統の森の入り口でバスを降りた。バスは村まで入れるとは思ったが、ここに来る時は歩いて入るのが良い。既にいい風が吹き抜けている。森の間の道をゆっくりと歩いていく。それが至極の喜び、というものだろう。5分ぐらい歩くと、工房や事務所のある村へ着く。『あー、帰って来たな』と思わせる何かがある。実にゆったりとした空気が微かに流れている。

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幼いSちゃんは早速歩き始める。工房には赤ちゃんや幼い子供たちがお母さんと一緒にいた。言葉はなくても交流は始まる。ましてやSちゃんは半分カンボジアの血を引いている。ある意味、故郷の大地を踏みしめているようだ。団体行動だが、期せずして工房見学がスタートした。

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そこへ日本人女性がやって来て、案内を始めた。Mさん、確か3年前も日本語の先生としてここに滞在していた。いつの間にか来客が多くなり、お世話係になったのだろうか。森本さんの所在を訪ねると、事務所脇の作業場に居た。そこでは何と繭を茹でていた。『45日に一度しかない作業、みなさんは運がいい』と森本さんの声がした。繭から糸を取り出すのだとか。皆集まって茹でている。

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それから一通り、Mさんが工房を案内してくれた。工房は心なしかきれいになり、若い女性が働いていた。その中で大きな布をハンモック代わりにして揺られている幼子がいた。Sちゃんは気になっているようで近所をウロウロしている。この子は障害を持っており、お母さんは、その横で働いている。伝統の森ではこのような障害を持つ子と親を受け入れている。保育所などは作らず、子供は親のそばで育てる、というポリシーが、ここに生きている。

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その間に森本さんはどこかのマスコミのインタビューを受けていた。本当に忙しい日々を送っている。あとで聞いてみると、それはTBSの『世界ふしぎ発見』という長寿番組の収録だった。メンバーの一人は知らないうちにその情報を掴み、ミステリーハンターと一緒に写真まで撮っていた。この番組、我が家の奥さんも大好きで30年以上見ている。私にはどこが面白いかよく分からないが、黒柳さんがいる限り、徹子の部屋と並んで続く番組だな、と話したばかりだったので驚いた。しかも今回はクイズなし、この番組も変わろうとしているのだろうか。

 

アンコールへの旅2014(5)タ・プロムのうめき

タ・プロム

一度ホテルに戻り、ランチは各自で取る。我々はホテルの前のタイ系レストランに入り、炒飯などを食べる。正直バイヨン以降の余韻、衝撃で疲れが出てきている。勿論朝4時半に起きた疲れでもある。でもベッドで昼寝をしようとしても寝ることはできなかった。かなり気持ちが動揺している。

 

午後はイオンが支援して建てたプリアノロドム・シアヌーク・アンコール博物館へ行く。ここには仏教寺院バンテアイ・クディから出土した多くの仏像が展示されている。その多くは建立者ジャヤバルマン7世没後、廃仏毀釈に遭い、首を落とされ、破壊された。それを憐れんだ民が、丁寧に埋葬したと推測されている。近年上智大学チームがこれを発掘、展示している。

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インドなど他のアジアでも見てきたが、首のない、それも夥しい数の仏像を眺めることは、ある種の苦痛である。既に信心が無くなっており、仏教徒とは言い難い私が、そう感じるのは、単なる表面的な痛々しさから来るのだろうか。宗教とは何だろう?と考える瞬間でもある。

 

中国で文化大革命があり、徹底的に宗教を破壊した頃、カンボジアでもポルポトの圧政があり、宗教を否定した。勿論この両国には連動があり、そして両国民は、宗教心を失っていった。現在カンボジアでも上座部仏教が主流だというが、その実は無宗教者が多いという現状があり、それは他の東南アジアとちょっと異なる点である。

 

タ・プロムへ行く。ここはアクションアドベンチャーゲーム、『トゥームレイダー』のモデルとなり、アンジェリーナ・ジョリー主演の映画ではここで撮影も行われたということで、欧米人を中心に観光客が大挙して、訪れている場所。元々は仏教寺院で僧侶も多く住んでいたらしいが、その後荒廃し、現在では寺院とガジュマルの木が寄り添うように、支え合っている。その光景が、アドベンチャーゲームにぴったりだったのだろう。

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ここはインドの支援で修復が行われているようだが、ガジュマルの木が遺跡を浸食しているのか、どのように保護すべきなのかで議論があるとも聞く。確かにこの何とも言えない独特の樹木と建造物の融合を、切り離すことはできないし、かといってこれに全く手を付けずに、修復作業を行うことも難しいだろう。

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それにしても観光客でごった返している。満員電車に乗りながら、記念撮影しているような気分でもある。その中でも声高に叫び、遺跡によじ登る中国人観光客、中国政府も海外旅行の注意事項などの通達を出しているというが、このあたりで彼らは明らかに評判を落としている。もし自覚がないのなら、来ないほうが良いと思うのだが。勿論静かに鑑賞している中国人の若者達は、その光景を苦々しく思っていることだろう。

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裏へ抜けていくと人がいなくなる。メインの観光ルートさえ外れれば静寂が戻る。日も西に傾いてきている。誰もいない廃墟に立つ。言葉では表現できない、何かが迫ってくる。勿論我々に語りかけて来るのではなく、自ら呻いているように思える。それが何なのか、感性に乏しい私には理解できなかった。うちの息子なら、何か言い出すかもしれない。

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帰りに夕陽を眺めた。私は昔から夕陽好きであり、どこへ行っても夕陽を眺めていた。マレーシアのマラッカでは夕陽を見るためだけに3泊したことさえある。だが最近は皆が夕陽を見ようとするので(観光用になってしまったので)、その興味はかなり薄れている。夕陽は一人でボーっと見たいものだ。

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夜はカンボジアの伝統舞踊を鑑賞しに行った。大きな会場には大勢の観光客が詰めかけ、ビュッフェのディナーが提供される。料理は盛りだくさん、各国から来たお客がどんどん料理を取って行く。この方式は完全に中国式。ここの経営も華人か中国人がやっているのだろう。とにかく質は別として、たくさんの料理を出し、お客の感覚を満足させる。料金は12ドルとそれほど高くはない。そして伝統舞踊を見せる。完全に顧客ニーズにマッチしている。

 

踊りは男女が登場し、コミカルな場面もあり、意外と楽しめた。彼らの顔立ちも完全なクメール顔から、ハーフかなと思うような洋風まで様々。アプサラダンス、アンコールの遺跡でもよく見かけるポーズ。特に手や指を反り返らせるところに特徴がある。その動きには意味があり、生命の儚さを表現していると言われている。ポルポト時代に一度消滅したこの踊りを復活させたカンボジア。そこに儚さを感じてしまう私。

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まあ、団体でやって来て、大量の食事を取り、生命の儚さを感じるのは無理かもしれない。踊りが終わると、踊り子たちと写真を撮ろうとする人々が殺到している。ダンスへの興味より、写真を撮ることが大事。どうなんだろうか。だが踊り子たちもそれで食べている。観光はビジネスだな、とつくづく思う。

 

アンコールへの旅2014(4)バイヨンで自覚する

12月19日(金)

朝のアンコールワット

翌朝は何と5時出発。アンコールワットの朝日を見に行く、というのが観光の定番らしい。この手の定番にはちょっと反感のある私。だが団体行動なのだ、と言い聞かせて付いていく。一足先にシェムリアップ入りしたメンバーは既に一度トライしたが、天気が悪く、よく見えなかったと再度やって来た。今日も天気が悪と見えない、と言われたが。

 

アンコールワットの入り口に付くと、まだ完全な暗闇にも拘らず、大勢の観光客が押し寄せていて、驚いた。彼らは一体何を見ようとしているのだろうか。橋を渡って中に入ると、池のほとりに人々が陣取り、今や遅しと、日の出を待っていた。ご来光というが、人間は光に何を見るのだろうか。本来静かな中でゆっくり昇る太陽を見るはずが、皆で押し合いながら写真に収める、というのはどうなんだろうか。

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周囲が少しずつ明るくなってきた。人は更に増えている。どうやらお目当ては、朝日を浴びたアンコールが池に映し出されるところを写真に収めることらしい。私も同類ではあるが、何かを感じるのが目的というより、写真が大事だ。中国人観光客を非難できないな、こりゃ。

 

池の一番端、人が少ない所で日の出を見た。ただ今日も完全に日の出が見えたとは言えないだろう。それでも端から見ていると荘厳な感じはする。更に反対側にあるもう一つの池の前には殆ど人がいなかった。こちらは池に映らないからだろう。それならこちらから見ようと、しばし呆然と見入る。目は池に、心はどこを見ただろうか。

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完全に明るくなると、忙しい中国人や韓国人はどんどん帰っていき、欧米人は思い思いの場所に座って寛いでいる。我々も集合場所に集まり、帰ろうとしたが、なぜかIさんが行方不明に?どこかで瞑想でもしているのだろうか、いや先日パスポートを拾ってくれた親切な日本人も来ていたから、話し込んでいるのではないか、など憶測が飛び交う。和尚と私が捜索隊として出動した。そして池のほとりで発見。聞けば『単に集合時間を間違えた』とか。あれ、もっと神秘性がある話ではなかったの?

 

ホテルに戻り、すぐに朝食に向かう。朝から活動して、腹が減った。今朝もモリモリ食べる。ご来光を拝んで、食欲が出る、現代人なのだろうか、我々は。私の嫌いな言葉『パワー貰った』のだろうか。食べたらゆっくりしようと思ったが、そうも行かないのが団体旅行。すぐに活動が始まって行く。慣れない団体さん行動に、ちょっと疲れを覚える。

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バイヨンで自覚する

午前中はバイヨンの遺跡見学だが、その前にバイヨンセンターに行き、その概略を学ぶことになっている。ここでビデオを見て、日本語の説明を聞いた。あまり予備知識を入れない私だが、勉強するという観点からは、このような試みが必要だろう。我々はそれほどに知識がなく、理解もない。

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バイヨンはクメール王朝の中心都市アンコールトムの中心。四つの顔を持つ観音菩薩の四面塔がいくつもあり、この顔を拝むのが1つのポイント。非常に穏やかでゆったりとしたお顔を見ると心が和む。回廊のレリーフも多彩。4年前にここを訪れたことを少しずつ思い出していく。ガイドが流暢な日本語で説明してくれた。日本語を勉強しているカンボジア人は多いと聞くが、最近は中国語の方が稼ぎが良いとシフトが起こっているらしい。

 

そしてバスでバイヨンへ。南の門でバスを降り、橋を渡って城門を潜る。アンコールワットより、よほどワクワクするのは何故だろうか。ずっと歩いていくと、前方に遺跡が見えてくる。確か4年前は大規模な修復工事が行われており、かなりの部分に覆いが掛かっていたような記憶があり、じっくり中を見ることもなかったように思う。

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狭い回廊に入って行くと、人が多く、歩くのに難儀した。ガイドはどんどん進んでいき、付いて行くのが大変。途中で四面塔に見入っていると、完全に迷子になる。とても横道に入り、じっくりレリーフを眺めることもできない。まあ、30分ぐらいは自由行動があるだろうと思い、裏まで一気に突き抜けた。

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ところが一行はどんどん先に進んでしまう。象のテラスなどと言う言葉が聞こえてくる。え、バイヨン、これだけ?時間の関係?単に通り過ぎただけじゃないか。我々は一体何を見に来たんだ。そんな思いは通じず、王宮の入り口に。ああ、ここは4年前、疲れたのでちょっと行っただけだった、と思っていると素通り。結局象のテラスと呼ばれる場所を一周歩いて終了してしまった。

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確かに暑いし、時間的な制約もある。かなりの不満を覚えた私がここで思い出したこと、それはその暑い中、半日歩き回って、ひたすら考え、何かを求めていた4年前の自分の姿だった。『ああ、ここで私は会社を辞めることを決意したんだ』、自覚はなかったが、ここを再訪してハッキリ分かった。ここは私にとって見学する場所ではなく、ただ歩き、何かを考え、そして方向を定める場所なのだ。そういう意味で、今回団体行動をしてみて、分かることがあった。それが収穫なのだと。

 

アンコールへの旅2014(3)ロリュオスの遺跡で何かを感じる

ランチ

アンコールワット見学が終わり、ランチへ。車ですぐのところにあるカフェ・モイモイ(http://cafemoimoi.com/)というガーデンレストランに入る。吹き抜けの建屋にいい風が入ってくる。このカフェは自然環境に配慮し、衛生的な食材を使って、カンボジア料理を楽しむ、というコンセプトらしい。団体のランチということで、名物料理を少しずつ盛った特製プレートが出てきた。

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日本人の口に合うマイルドな味が特徴のカンボジア料理。タイなどの辛い料理とは一線を画しており、お隣同士なのに、なぜこんなに違うのか、と思うほど。かぼちゃの起源もカンボジア、ということでかぼちゃのコロッケも皿に乗っている。因みにここでは日本食も提供しているようだ。

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10年前にできたこのカフェ、売上金の一部をアンコール周辺の植林活動に寄付しているという。ボランティア活動を前面に出しているプロジェクトが多いカンボジア、勿論その活動状況を見たわけではないが、まずはカフェの収益第一ということであれば、良い活動かもしれない。ただなぜカンボジアでボランティア活動をする日本人が多いのか?『自己満足ではないのか』『まずは自分の国に救うべき人がいるのではないか』と正直思ってしまう。このお店は知らないが、アジアに対する上から目線がチラつくこともあり、正直賛成できない部分が多い。http://www.shukousha.com/column/suga/3646/

 

午後はアンコール王朝の前の都、ロリュオス遺跡群、3つの遺跡を回った。団体だから自分で勝手に歩いていると、ガイドの説明も耳に届かず、どこにいるのかも分からなくなる。最初に行ったのは仏教系の遺跡か?お坊さんたちがいたな、と思ったが、ヒンズー寺院、ロレイだった。修復工事中で、よく見えない部分もあったが、4つの建物の真ん中にリンガが目立っていた。リンガに聖水を注ぐと水が四方に流れ出す仕組みだったとか。クメールの治水技術の民衆へのアピール、当時は乾季に水が来れば、神を信じたことだろう。

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2つ目はプリアコーという最古の寺院。かなり立派な建物が並んでいたが、崩れかけてもいた。如何にも遺跡という感じだ。入口の門があり、聖なる牛(プリアコー)ナンディが鎮座していた。6つの建物があった。アンコールにはこんな遺跡が沢山あるようだ。ここを訪れている観光客は極めて少ない。ただそれにより静寂が保たれ、相応な雰囲気が醸し出される。

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それから手工芸品の研修センターを見学した。地元の人たちが陶器を焼き、織り物を織っていた。これもどこかのNPOがやっているのだろう。ちゃんと移設内に窯があるのだが、お土産に持って帰るには重そうな花瓶などが並んでおり、手が出ない。皆さん、スカーフなどに人気が集中した。

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最後にロリュオス遺跡で最大のバコンを見学した。881年建造と聞いたが、これがアンコールワットの原型なのだろうか。前の2つとは明らかに違う権力の集中、ピラミッド型の建物も五層になっており、何となくだが、26年前に行ったインドネシアのボルブドールを思い出すものがあった。周囲には環濠も巡らされていたらしい。ちゃんと門を潜り、上に登って行く。

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ところがその上には奇妙な一団がいた。踊りを踊っているようでもあり、ヨーガを行っているようにも見える。どうやら撮影をしているらしく、皆が同じ動きを繰り返し、一向に退く気配がない。ハッキリ言ってこれは新興宗教かなにかではないか。全く周囲の迷惑も顧みず、自分たちの世界に入っている。迷惑な中国人かという声が聞かれたが、あとで聞くと台湾人だとか。どういうつもりなのだろうか。

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彼女たちがようやく立ち去り、上に上った。周囲が良く見渡せた。この程度なら高所恐怖症の私でも何とかなる。ここには観光客が来ており、皆太古に思いをはせているよう表情に見えた。このような感覚に国籍はない。すると先ほどの奇妙な一団が更に奇妙に思えてくる。

 

後ろ側へ降りていく。そのまま道は続いている。フランスが修復したというが、なぜか良く分からないが、ここバコンは実に貴重な遺跡に思える。池もあり、集落もあったのだろう。これと言って目を惹くものはないが、クメール王朝はこの辺りから始まった、ということだろうか。

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本日の見学は終了し、バスでホテルへ戻る。一日中、見学していた割に疲れは少ない。いつもの私の旅なら、徹底的に歩くのだが、団体行動だと歩く量が格段に少ないことが分かる。頭の中は全く整理できていない。整理しようという思考も沸かない。ただ、見た、行った、というだけだが、何かは感じていた。

 

夜は自由行動。マッサージに行く人、マーケットへ買い物に行く人などがいたが、私はA師たちと、ホテルの近所で麺を食べた。素麺みたいな細くて柔らかい麺、スープが美味かった。A師は肉を食べないので、私もそれに倣い、卵だけを入れてもらった。そんな麺が似合う今日一日であった。

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アンコールへの旅2014(2)いざ、アンコールワットへ

今回は団体さん

指定されたホテルに着いた。すると向こうから女性が歩いてきた。突然サレンが彼女に声を掛ける。今回のコーディネーター役のKさんだった。彼女の横には小さな女の子、Sちゃんも一緒だ。サレンは直ぐにSちゃんを抱き上げて嬉しそうだ。そう、Kさんのご主人はサレンのお兄さん、Sちゃんは姪に当たる。元々私がサレンと知り合ったのも、Kさんの紹介だったが、Kさんと直接会うのは今回が初めてだった。

 

ホテルはこじんまりして庭もあり、雰囲気は良かった。ロビーも広く、清潔感がある。偶にはこんなホテルに泊まるのもよいな、と思う。実はこのホテルの部屋、当初は以前穂高合宿で一緒だったMさんが予約してくれ、私がそこへ転がり込む予定だった。だが直前に彼が不参加となり、予約名はMさんのまま、私が使うことになった。この辺の事情も彼がメールでちゃんと説明してくれており、問題なくチェックインできた。実は後からK和尚も参加を表明しており、彼との相部屋を希望したのだが、Mさんの部屋にキャンセル料がかかることが判明し、我々は個別に泊まることになったという事情がある。

 

部屋は質素だが十分。ネットがちょっと繋がり難く、ロビーまで行って拾ってみるのが、不便。食事は機内で済ませたので、ダラダラと過ごす。以前ならすぐに街に飛び出して、徘徊を始めたりするのだが、疲れているのだろうか。あまり元気が出ない。シェムリアップもメインの通り以外は、夜が暗い。そんなことも心理的に影響していたのかもしれない。

 

夜10時頃、本隊が到着した。A師を先頭に、バンコックでヨーガ合宿を終えた面々が、やって来た。総勢約20人。Kさん以外にカンボジア人ガイドも付いており、これはもう立派な団体旅行だ。なんかちょっとイメージと違う旅になりそうだった。チェックインにもかなりの時間が掛かる。そして夜も遅いので解散となったが、K和尚と二人、ロビーで話し込み、気が付くと12時を過ぎていた。やはり同じ部屋の方がよかった?いや、同じ部屋なら朝まで眠れなかったかもしれない。

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12月18日(木)

朝食で

翌朝は朝食時間が6時半から、ということで、6時半過ぎに行くと、A師夫妻と一緒になる。普通の旅行だと8時出発なら7時半ごろ朝食を食べる人が多いように思うが、そこはこの団体の違う所。ヨーガの先生が多数参加しており、皆さん朝が早い。既にアーサナや瞑想を終えてきているのだろう。私も合宿に参加すればそうするのだが、一人で部屋にいるといい加減になる。

 

食事はビュッフェスタイルだが、麺があり、美味しいパンがあり、卵ありで、朝から大量に食べる。コーヒーにフルーツまで取ると、動けないぐらい腹にたまる。朝はあまり食べない私、どうかしている?それとも力を蓄える必要があるのだろうか。どうも体が要求しているようだ。食は元気の源!

 

このホテルにはプールもあり、朝から泳いでいる人がいた。どう見てもインド系。最近インド人の海外旅行が増えているので、興味を持ち、声をかけてみた。すると彼はシンガポールから来たという。A師も『インド人は朝からプールで泳いだりはしないだろう』と。なるほど、インド系と言っても、今や世界中にいるのだから、インド国内からインド人が海外旅行に行く、とは限らない訳だ。

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さすが日本人の団体さん、8時の集合時間にはピタリと揃い、バスに乗って出発だ。大型バスが満員だから、30人近くがこのツアーに参加したことになる。如何に興味のある人が多いのか、が分かる。しかし女性ばかりで、男はA師と和尚、そしてガイドと私だけ。えー、どうなんだろう、この状況。

 

アンコールワットへ

バスはあっという間にアンコールワットの料金所に着いた。ここで3日間の券を購入。1人ずつ写真を撮られ、40ドルを支払う。このチケットを無くすと、中の施設に入れない。他の観光客はちゃんとケースに入れて首から下げている。濡れてもいけないらしい。中国人観光客が大挙して押し寄せ、ここでも混乱を生じさせていた。確かに彼らの声は大きい。耳障りだ。しかしなぜ大きな声を話すのか、を研究してほしい。

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何とかチケットを買い、バスでまた移動。4年前はサレンのトゥクトゥクで移動したので、小回りが利いたが、今回は何をするにも大変だ。アンコールワットの前まで来るとそれまで大人しかったSちゃんが飛び跳ねていた。彼女は日本とカンボジアのハーフ。血が騒いでいるのだろうか。

 

石が敷き詰められた橋を渡って行く。城に入るような気分だ。一人だとさっさと歩くが、団体だとゆっくり歩くことになり、石を眺める余裕が生まれる。石を運ぶ際に付けられた穴に初めて目が行く。小さな門を潜る。なぜこの門はこんなに小さいのか?王様だけが通ったのか、敵の侵入でも防いでいたのか?当然ながら中も変わっていないが、小さなことが次々と気になり始めた。

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遠くにかすむアンコール。一人なら正面からズカズカ入って行くのだが、団体さんは池の脇を通るルールのようだ。ちゃんとそこに店が何軒もあるので、その連携の関係だろうか。第一回廊でガイドから壁画の説明を受ける。戦いの場面が描き出されている。王というのも辛い者ではないか、と勝手に思う。壁画の中にはヨーガのポーズをしている人がいる。興味深い。アンコールワットはヒンズー教寺院だったが、ヨーガとはどんな関係になるのだろう。

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第二回廊で休む。首のない仏像にちょっと見入る。観光客が多いので、ここで静かに何かを眺めるのは難しい。そして第三回廊、高さ60mの祠堂、急こう配の階段を観光客が次々に上って行く。高所恐怖症の私にはとてもできない技だが、上に上がった人々は景色がよかったという。しかし簡単な手すりしかない階段、これまで一人も落ちなかったはずはない。事故に対する備えはどうなんだろうか。かなりの高齢者でも登っているので、ハラハラする。

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帰りは横道を行く。一人の時はまた正面から戻り、正面の駐車場にトゥクトゥクが待っていたが、大型バスはそれもできない。脇の駐車場へ行く。それで前回見ていなかったアンコールの脇を見ることができた。こういう時は、何となく得した気分になれる。人も少ない。

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アンコールへの旅2014(1)バンコックエアーの不思議

《アンコールへの旅2014》  2014年12月17日-22日

 

2011年、A師から『アンコールワットのスタディツアーに参加しないか』と言われたことがある。アンコールワットをインドから、そしてヒンズーから見るとどう見えるのか。とても興味深いテーマだったので、直ちに参加を申し込み、飛行機も抑えた。ところがその年アユタヤなどで大洪水が発生し、A師のバンコック、ヨーガ合宿も中止となってしまった。更にはその余波でアンコールワットツアーも中止に。

 

これは天から『行くな』という啓示であったかもしれないが、折角飛行機も抑えたし、洪水も収まったし、というので、その時は単独でシェムリアップへ行き、良い体験をした。http://www.chatabi.net/category/asiatabi/cambodia

 

今回3年ぶりにこのツアーがあると聞いたので、何を置いても行ってみようと日程をやりくりした。シェムリアップではアンコール以外にも行きたいところがあった。それは3年前に2泊した森本さんのIKTT、伝統の森。さて、どのように変わっているのだろうか。大変楽しみだ。

 

12月17日(水)

バンコックエアーの不思議

実は3月にプノンペンでお会いした方を訪ねようと思っていた。タイとカンボジアの国境付近で地雷除去をしておられるというので、バンコックからバスで国境へ行き、2₋3日滞在した後、シェムリアップを目指す作戦を立てた。だが生憎、その方は日本へ出張しており、会えないことが分かった。どうしよう、と思っている所へ、9月に関西のセミナーでお世話になったIさんから『一人でバンコック経由、シェムリアップへ行くのは心細い』との連絡があったので、これもご縁と、バンコックから一緒に行くことにした。

 

彼女のフライトはバンコックまでがJAL、そして乗継便はバンコックエアーというので、それに合わせた。バンコックエアーは今年上場も果たしたタイの航空会社。だが昨年ビエンチャンに行った時、乗客が18人しか乗っていなかったこともあり、ちょっと心配だった。今回はどうなんだろうか?またIさんのバンコックでの乗り継ぎ時間は2時間弱。もし関空からのフライトが遅れればどうなるのか、など色々とポイントがあった。

 

バンコックエアーの特徴の1つは、エコノミークラスでもラウンジが使えることだ。勿論立派なものではないが、ジュースやクッキーがあり、WiFiも利用できる。スワナンプーン空港で使うのは初めてだが、行ってみるとちゃんと使えた。本当に不思議な航空会社だ。これで経営が成り立つのだろうか、ただ皆このラウンジを知らないのか、使用率は決して高くない。PCを使い、ジュースを飲んでIさんの到着を待つ。

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少しして聞いてみると、関空からの便は既に到着していた。40分も早い。待ち合わせは搭乗口なので、急いでそこへ行く。Dというターミナルは全てバンコックエアーの搭乗口のようだったが、実にひっそりしていた。搭乗口の近くに行くと、Iさんがベンチにポツンと座っていた。未だに搭乗口まで入れないらしい。掃除中だとか。まあ会えてよかった。

 

そして40分前にようやく搭乗口へ乗客が降りていくことができたが、その数は40名足らず。またしても飛行機はガラガラだった。これで料金はLCCよりかなり高い。JALなどの乗継専用便ではあるまいし、どうなんだろう。僅か50分のフライトではあるが、LCCではないので、ちゃんと食事まで出る。Iさんなどは頼んだ覚えのない、ベジタリアンメニューが運ばれてきた。サービスメニューは豊富だ。CAの対応もよかった。席は自由に使えるので、窓際へ行くと、夕日がきれいだった。これで料金が下がれば、いつでも使うのにな。

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空港で

空港に着くと、タラップを降り、歩いてターミナルに向かう。シェムリアップは本当に小さな空港だが、素朴でよい。Iさんと歩いていると、後ろから『Iさーん』と日本語で彼女のフルネームを呼ぶ声がした。何だ、と振り返ると日本人男性がIさんのパスポートを手にしていたのだ。何とIさん、機内でパスポートを落としてしまい、それをドイツ人女性が拾って日本人に渡したらしい。

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Iさんはその男性に何度も礼を言い、私に向かって『あの方、いい方なのよ』という。勿論そうなのだが、パスポートをもし無くしていたら、大変なことになっていた、ということの重大性の方にはあまり関心がないようだった。因みにシェムリアップでパスポートがなければ、警察に紛失届を出し、夜行バスでプノンペンへ行き、日本大使館で帰国の証明を貰い、すぐに帰国しなければ、ホテルに泊まることすらできない可能性がある、と説明して初めて、『それは大変だ!助かった!』と分かったようだ。

 

私はアライバルビザを取るべく、並んだが、Iさんは何と大阪で取ってきていた。その間もパスポートを拾ってくれたドイツ人を見つけて礼を言っている。律儀な人だ。普段はビザに長い列ができるこの空港だが、何しろ乗客が30人ぐらいしかいないので、すぐに取得できてしまった。有難い。そしていつもは携帯のシムカードを買うのだが、なぜか機内で無料カードが配られたので、そのまま出てきてしまった。

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ロビーではサレンが待って居た。トゥクトゥクの運転手として過去2回、私の旅を全面的にサポートしてくれた男だ。今は実家の農業を手伝っているが、連絡すると、空港に迎えに来てくれた。Iさんとトゥクトゥクに乗り込み、風に吹かれながら走って行くと、クリスマスイルミネーションが輝く。実に快適だった街。Iさんもご機嫌のようだ。こんな経験、なかなか出来ない。

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ベトナムGH11連泊の旅(18)ハノイ ハロン湾日帰りツアー

11月30日(日)

ハロン湾日帰りツアー

今朝は早く目覚める。明日にはベトナムを離れる予定になっており、実質今日が最後の日。そしてツアーに乗り、世界遺産ハロン湾へ行くことになった。ツアー会社も前回とは別の、もう一段良質の旅行会社のツアーを予約した。多少は高いのだが、前回のランチの寂しさは味わいたくない。

 

前回同様8時に道端で待つ。今回はこの宿から4人が参加。若者2人と私は日帰りだが、60過ぎの足の悪い方は1泊を予約していた。すると、迎えも違うし、バスも別になってしまった。まあこのオジサンもアメリカなど海外で長年暮らしていたらしく、あまり困りそうには見えなかった。

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今回はミニバスが直接迎えに来て、それから旧市街地のホテルを回っていった。今日は日曜日なのでラッシュはなく、簡単に出発できそうだったのだが、ガイドがあるホテルに入って行くと、客がまだ集まっておらず、全部のホテルを回った後、再度このホテルに行き、時間を取られた。一体誰が乗ってくるのかと見ていると、何とも恰幅の良いインド人男性が4人、女性が一人、悠々と乗り込んでくる。ああ、自分本位のインド人の特徴がよく出ている。

 

バスはインド人でギューギューになり、出発。途中、日系企業などが多くある工業地区を通過、そしてイオンのハノイ1号店の建設現場も通った。ここも決して市街地から近い訳ではない。かなり大きな店舗を作る予定というが、先日のホーチミンを思い出すと、時期尚早のようにも思える。だが皆がそう思っている内に、経済が追い付いてくるということだろう。

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ニンビンより1時間ぐらい遠いハロン湾、途中休憩が全く同じようにあり、同じような休憩所に寄る。これはもうパターン化されている。ただニンビンより知名度がはるかに高いため、ハロン湾に向かう人は多い。今日は日曜日ということもあるのだろうか。車の渋滞はないので、曜日はあまり気にならない。

 

合計3時間ほどでハロン湾に到着した。ここはニンビンと違い、完全な観光地となっており、多くの団体がガイドの誘導で、船に乗り込んでいく。例のインド人たちは別の船に乗り込んだ。お金持ちらしく、豪華クルーズなのだろう。我々一行も舟に乗り、船室の上に登り、景色を眺める。昔中国で行った桂林の川下りのようだが、それほど広い訳でもない。早々にランチを食べる。先日のニンビンと違い、食べ物が次々出てきて、食べ切れなかった。

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少し行くと船を下りる。ここでオプションのカヤック遊びをする。ニンビンでは足こぎボートだったが、今回は自分で漕いで、洞窟に入る。私は韓国人のホーチミン駐在員とペアーとなり、カヤックに乗り込んだ。だが全くの初心者で、誰も教えてくれないので、上手く進めることができず、あえなく岸に逆戻り。後ろの韓国人もあきれ顔。

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まあなんとか進むようにはなったが、方向感覚もなく、またブレーキも分からないので、小舟にぶつかりながら、喘ぎながら洞窟を潜る。少し漕げるようになると何とも気持ちが良い。帰りはスイスイと進み、岸に到着。ここからどうやって上がるんだ?と思っているとガイドが手を差し伸べて無事に上がったが、韓国人に手を差出した地元民は何と代わりに水に落ちてしまう。皆笑いながら救助していたが、韓国人は真っ青になり、謝っている。どちらが悪いのかはわからないが、何となくチップが欲しかったのかな、という気もした。

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それからまた船に乗り、島に上陸。ティエンクン洞に行く。この名前は中国語の天宮と関係があるのだろうか。ここには鍾乳洞があり、中は煌びやかにライトアップされている。だが私の感覚ではそんなライトアップは返って自然な雰囲気を損ねており、逆効果だと思う。折角の観光資源を無駄にしている、このような例はアジア各地で見られるが、本当に残念だ。

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バスが到着した岸に戻る。1泊2日ツアーの人々はもっと奥まで行き、船上泊となる。我々はほんのさわりだけ。夜空もきれいだというので、次回機会があれば泊りにこうよ。などと思っていると、周囲が慌ただしい。何と暴風雨が接近してきており、今は問題ないが、今夜の船上泊は全て取りやめとなったという。1泊2日を申し込んだ同じ宿のおじさんも戻って来た。彼はハノイに帰らず、ここのホテル泊を希望したという。自然とはそんなものだ、上手くは行かない。

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この混乱でバスの手配も混乱し、出発はかなり遅れた。帰りのバスにインド人はいなかったが、ロシア人が乗り込み、超満員に。元来た道を淡々と帰り、予定より1時間ほど遅れてハノイ着。我々はツアーがしっかりしていたのか、3人いたせいか、近所のホテルまで送ってくれた。夜はまたフォーを食べた。

 

12月1日(月)

最終日。朝からスオンさんの所へ行こうと思ったが、彼の都合が悪くなり、お茶の入手もできなかった。まあこれもまたご縁。ブンチャーを食い、タクシーを呼んでもらって、空港へ。ハノイも離れるとなると、離れがたいところがある。

 

空港ではベトジェットのカウンターだけめちゃ混み状態。やはりお客が多い上に、作業効率が悪すぎる。45分でようやくチェックインできた。空港にはフリーWiFiもあり、まあ快適に過ごす。今回の旅はGHに何と11連泊、私の旅の記録を作った。そしてGHに新たな可能性を見出している。今後も各地のGHをチェックしてみたい。

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ベトナムGH11連泊の旅(17)ハノイの茶縁

夜中のガイド

11時頃に宿に戻って寝ようとすると、元気なオジサンが声を掛けてきた。この方は定年退職後にも拘らず、ラオスやタイをバスで回り、安宿に泊まっている。謙虚に旅を続けており、好感が持てるタイプ。何事かと思いきや、『ハノイから香港へ行きたいのだが、どういう行き方があるのか?』と聞かれる。正直私もよく分からないが飛行機代が意外と高いことだけは知っていたので、『それは列車かバスで南寧に行き、そこから広州経由か直行バスで行くのだろう』と答えると、『ちょっと待て』と言って上に上がって行った。

 

若い女子が一人下りてきた。香港へ行くのは彼女であった。オジサンはラオスのどこかで彼女と同じ宿になり面識があったので、一緒にネットで調べていたらしい。『南寧までの汽車は既に抑えた、そこからどうやって行ってよいのか分からない』というので、南寧の駅から郊外のバスターミナルへの行き方を教え、紙に中国語を書いて、『分からなければこの紙を出して人に聞いて。中国人は存外親切、特に若い日本人の女子にはきっと親切だから』と言って渡した。ただ南寧から香港行の直通バスがあったかどうかは定かではない。広州経由の場合は、もう一工夫必要かもしれないが、南寧が通過できれば何とかなるだろう。

 

ついでに私の8月の経験、掟破りの高速バス乗車についても披露しておいた。彼女がこれを使うのはリスクが高過ぎるので、勧めはしないが情報はあってもよいだろう。結局2時間ほど、この夜中のガイドに付き合い、寝たのは1時を過ぎていた。彼女は明日の朝、早くに出ていくらしい。ハノイ駅が宿から近いのがせめてもの救いだ。

 

http://www.chatabi.net/asiatabi/3775.html

 

11月29日(土)

茶縁

翌日は当然いよいよ怠惰になり、ベッドからも起き上がらない。こんな生活でよいのか、と思うほど。前日までの食べ過ぎもあり、夜遅く寝たこともあり、ダラダラ過ごす。今日もランチの予定がある。腹ごなしに歩いて、指定された大宇ホテルに向かう。このホテルは昨日も見たロッテモールの横にある古いホテル。そこまでゆっくり歩いて30分は掛かる。文廟も一度は入ろうかと思ったが、外側から見えるので、それで我慢した。

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知り合いのKさんから紹介されたYさんは、大手企業から出向して、現在はハノイ在住の駐在員。仕事の話は実に興味深く、如何にベトナムと仲良くして仕事を進めるか、や最近は台湾や中国との合弁が増えているので、仕事で中国語の必要性が出てきた話などもあり、私にも出番があるのかな、と思うようであった。

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Yさんの車で旧市街のかなり古びた家に連れて行ってもらった。そこはレストランであり、2階に上がると100年前の雰囲気がした。チャ・カーというハノイで有名な場所だそうだ。地元民で混んでいたが、何とか席を確保して、ビールを頼むと温い。それもまた風情があると感じてしまう店。そして頼んでいなくても勝手に出てくる雷魚の煮込み鍋?メニューはこの一品しかなく、何十年もの間、これでやって来ているらしい。パクチーとブンを絡めて食べると絶品。かなり濃厚な味で、どんどん食べてしまった。

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その後場所を替え、コーヒーを飲みながら話をしていると、『実は家内が裏千家で茶道を習っており、ちょうど先日えらい師匠がハノイに来たばかりだ』と聞く。その話、どこかで聞いたなと思っていると、何と例のスオンさんに会った時に言っていたことだった。その師匠は確かスオンさんの店にも行ったはずだが、と聞くと、まさに奥様も一緒に行ってスオンさんに会っていたのだ。仕事の関係のご縁はあまり驚かないが、ここで茶縁が登場したのにはビックリした。どこでも繋がる時は繋がるものだ。

 

Yさんの車でハノイ駅へ送ってもらった。初めて見るハノイ駅、思いの外小さい。やはりベトナムはバスが発達しているのだ。電車はハノイ‐ホーチミン間が30時間以上かかり、遅すぎる、ということだろう。昨晩の彼女はここから国際列車に乗って中国へ行ったが、それも一日一本程度だろうから、駅は空いている訳だ。

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Yさんとのご縁もあったので、夕方例のお茶屋へ向かう。6代目、スオンさんは幸い店に居た。彼には2年半前、ベトナム茶の歴史について話を聞いたが、その時はズンさんという友人の通訳がいた。今回は単独で行き、英語で会話したが、特に問題なく、意思疎通ができた。私がインドの話をすると彼は『最近アユルベーダに興味を持っている』というので、私の1月の体験を話してあげた。

 

『最近はベトナムの中産階級も急速に健康志向となっている』のだそうだ。店を見ても、夕方のせいか、お客は若者ばかり。こういうレトロな店が流行ってきている所に、ベトナムの小さな変化が感じられる。若者たちは床に座り、背を柱にもたれさせて、ダラダラとスマホをいじっている。お茶を飲むというより、その空間を楽しんでいるようだ。

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スオンさんはジャーナリスト活動が忙しいようだ。ベトナムの濃い緑茶を飲みながら話を聞いている間も、携帯が鳴る。何故こんな濃いお茶を飲むのか、私なりの答えを持参して行った所、スオンさんも『中国から伝わったことは間違いないだろう』と同意してくれた。陸続きの両国、昔は国境などもなかったのかもしれない。もっともっとベトナム茶の歴史が分かるとよいのだが。またの再会を約して今日は別れた。

 

宿に帰り昨晩のオジサンと道端のフォーを食べに行く。この店では前回焼きそばを食ったので今日は牛肉がたっぷり入ったフォーを頼んだが、やはり正解。量、味共に十分に満足できた。明日に備えてさっさと寝る。

ベトナムGH11連泊の旅(16)ハノイ 様々な角度で物事を見る重要性

11月28日(金)

再会は続く

翌朝は完全に寝坊した。さすがに疲れが出てきている。ゲストハウスの泊り客は朝が遅いので、それに合わせるとどんどんダラダラになる。一部60歳を越えた退職者がおり、この人たちはパターンが違う。『どうしても早く起きてしまう、長く寝ていられない』という状況があるようだ。そういう意味では寝ていられる私はまだまだ若い方なのだろう。

 

新しい若者が飛び込みでやって来た。昨晩もここに泊まりたかったが、暗くて探し当てられず、止む無く近くのホテルで1泊してきたという。管理人のキエンさんはまだ来ていない。でもここはホテルではないのだ。常にフロントがいて、チェックインできる訳ではないことを彼らは良く知っている。

 

朝飯に向かいのブンチャー屋に連れて行く。ハノイに来ないと見かけないので皆知らないが、結局ここではブンチャーが一番美味い。彼も大満足だった。彼はラオスからバスでやって来て、ベトナムを南下して帰るという日本の大学生。親にはかなり心配されたが、来てよかったという。海外に出る日本の若者が減っているのは事実かもしれないが、それはその親世代の影響も大きいのかなとも思う。実は日本人で海外に行ったことがない人もかなり沢山いる。

 

それからリビングでダラダラし、キエンさんにタクシーを呼んでもらう。今日はランチに約束がある。北京時代に知り合ったIさん、元々ベトナムでの勤務経験のある異色の人材だったが、日本へ帰ったと思っていたら、いつの間にかハノイにいた。連絡してみたら、会ってくれるというので出掛けた。ただ、宿から少し遠いのでキエンさんがタクシーを手配してくれた訳だ。

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そこは日本大使館から車で南10分ぐらい行った所だった。この付近には比較的新しいビルが建ち、オフィス街ともいえる感じになっていた。焼いたナマズが美味いというかなりきれいな店。如何にもベトナムらしい。以前ベトナムの田舎で雷魚やナマズを食べたが、非常に美味だったことを思い出す。地元のOLなどが入っており、満員の盛況。人気店であった。

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Iさんは日本で中国人の会社に就職したが、そこからベトナムのプロジェクトへ出向しているようだ。家族でハノイに住んでおり、快適だという。海外生活をエンジョイしたことがある日本人はどうしても日本へ帰ると閉塞感がある。そしてまた海外へ出る傾向にある。外に出る人とでない人、その落差が大きく、違いがはっきりしているのが今の日本の特徴だと思う。

 

忙しいIさんからは短い時間だったが、かなり中身の濃い話を聞くことができた。特に中国とベトナムの関係については、日本にいる学者さんやマスコミさんも反中暴動の事件のみを伝え、あまり関心がないのか、詳細な情報が不足している。私もそうだが、中国を知り、アジアを知る人間の中国アジア情報の発信は重要だと再認識した。

 

Iさんと別れ、歩いて宿へ帰る。まずは日本大使館の方へ行く。2年半前建設を開始したばかりだったロッテのコンプレックスが見事に出来上がっていた。ここに韓国大使館が入居し、日本大使館を見下ろすのだ、と言っている人もいたが、どうなんだろうか。そんなことはどうでもよいか。でもモールにはあまり人がいる気配はない。

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キンマー路を東に進む。途中北上すると、昔のハノイの風景が出てきた。写真を撮ろうとして、カメラを取り落とし、壊してしまう。それほど暑いとは思っていないが、予想以上に消耗しており、手に力が入らない。そのままゆっくり歩いて行くと、レーニンの像が見え、ベトナムの国旗がはためく砦が見える。この付近にタンロンの世界遺産があるはずだと探したが、見付からない。ホーチミン廟があり、古めかしい建物が続く中、真新しい建物が。まさかこれがタンロン遺跡とは知らず、結局中へ入らなかった。ベトナムは表示がしっかりしていないので、よくわからない。

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疲れ果てて宿に戻り、ぐったりする。体力が衰えたなとも思い、またGH連泊の疲れが完全に出てきたとも自覚する。ドミトリーに泊まっていても何の障害もないと思ってはいるが、そこはオジサン、若者とは違う。やはりちょっとしたことでも気を使うらしい。

 

夜までダラダラした。宿の管理人キエンさんは突然、『今から田舎へ戻り、結婚式に出てくる』と言って出掛けて行った。ここから100㎞ぐらい離れた街らしい。ベトナムで100㎞離れているというと、道が悪ければ3-4時間の旅となる。ベトナムでは結婚式を非常に重視しており、物凄いパワーで、お金を掛けて披露宴を行う。この辺の見栄の張り方は中国人を凌ぐかもしれない。彼も宿が忙しいという理由で出席を断っていたが、当日になり、親に説得されたらしい。既にHさん、Kさんとも持ち場に帰っており、私が手伝う必要があるかと思いきや、日本語のできる人が手伝いに来ていた。

 

夜、宿にズンさんがやって来た。宿に入るなりズンさんは『オー、久しぶり』という感じで、管理人代理の方に話し掛けている。聞けば、昔の日本語ガイド仲間だというではないか。何という奇遇、ご縁は恐ろしい。彼は日本語ガイドに見切りをつけて、日本語学校で教えている。今度そこも辞め、自分で日本企業向け人材紹介を始める予定だとか。

 

宿を出て食事に行く。連れて行ってもらったのはハノイ駅の近くのきれいなレストラン。この前散歩したとき気になっていたのだが、何とも大きな造りで、夜はお客で超満員。8時だというのは、席はなかった。少し待って何とかギューギュー詰の席に潜り込む。ここにはあらゆるベトナム料理があるのではないか、と思われるほど、沢山の種類の料理があり、ここ一か所でベトナムが味わえるという趣向になっている。

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韓国人の団体がビールをがぶ飲みして気勢を上げている。欧米人の家族が静かに食べている。日本人の姿もちらほら見えていた。ベトナム人も少しいるようだ。海外在住者かもしれない。勿論ここは道端の屋台より、値段ははるかに高い。結局春巻き、おこわごはん、バインセオ、ブンチャーなどお馴染みの料理を味わった。

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ズンさんとはちょうど10年前、家族旅行でベトナムへ来た時に知り合った。2年半前は一緒に茶旅に出てくれた。その時は、通訳・ビジネスアテンドなどを本業としていたが、今回来てみると就職したという。それもさっきの宿の代理人と同じ、人材紹介会社で働いている。人材紹介で成功したオーナーが様々な事業をするにあたり、ズンさんが引き抜かれたらしい。日本にも強い興味を持ち、先月は財界訪日団に混ざって、日本へも視察に行ったという。日本企業がベトナムを見ていると同時にベトナム企業が日本を見始める。面白い傾向だと思う。彼とは今後何か一緒にできるかもしれないね、と言って別れた。

 

ベトナムGH11連泊の旅(15)ハノイ 昨今ベトナム事情

昨今ベトナム事情

これでツアーは終了し、元来た道をハノイへ帰る。帰りも同じ休憩所に寄る。バスはかなり汚れていたので、運転手が水を掛けて洗っている。その姿が妙に良い。涼しい風が吹き抜けていく夕暮れ時。バスはまたひた走り、日が暮れた頃、ハノイに着いた。2つほどホテルを回り、後はホアンキエム湖のあたりで全員下ろされてしまった。実は私は宿の近くのあるホテルまで連れて行ってもらえるはずだったが、何とガイドまでもが運転手から降りろ、と言われ、引き下がる。

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ガイドに強く言うと、『じゃあ、おれのバイクで連れて行ってやる』と言われたが、朝降りたバイクを停めている場所までも歩いて10分は掛かった。まあちょっとした散歩だと思えば、良い街歩きだ。ガイドも可哀想だ。色々と用事を言いつけられ、客からは怒られ、運転手に置き去りにされる。やってられないよ。バイクで何とか目的地に運んでもらう。

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このホテルでは大学の同窓、Nさんが待って居てくれた。2年半前に人の紹介で知り合い、ハノイで会った後、同窓、しかもほぼ同じ歳であることが分かり、共通の知り合いが何人も出てきた。是非再会したいと願っていた人である。彼はベトナム語の専門で、既に10年以上ハノイに住んでおり、ベトナム事情に明るい。今後もずっとここで生きていく予定だという。

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連れて行ってもらったのはホテルの向かいにある路地。ここだけは海鮮料理屋などが客引きをしており、妙に元気な道だったが、入った店はその中の静かなところ。2階に上がると、何となく韓国のオンドルを想起させるような、床に座り、ちゃぶ台があるスタイル。フエ料理の店だという。

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ちゃぶ台には、エビとひき肉の小皿、つくねみたいなものとビーフン、粽のような物が、次々と並び、ビールを飲みながら、次々と食べていく。この小皿料理が古都、フエの伝統なのかもしれない。ハノイの地元民、友達同士、家族もやって来て、この料理を味わっている。中国南方の料理に似通っているようにも思えるが、独特でもある。

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Nさんとはベトナムの話で盛り上がる。特に私が知りたい華人に関して、1979年の中越戦争とその後に起こった第2戦争など、実に興味深い話を沢山聞いた。ベトナムでも最近は政府の手法に異議を唱える人々が出てきており、その中で歴史の真実を明らかにする動きもあるという。中国でもそうだが、時の政権にとって不都合な真実は沢山あり、これからの火種であることは間違いない。反中暴動もその文脈で読んでみると、中国は嫌いだが、だから中国企業を襲ったというよりは、不満のはけ口を政府が容認したからだと思われる。これは中国における反日暴動と似た構図であるが、それにより、外資頼みのベトナム経済は投資が来なくなり、不況に陥っている。

 

この店は早く閉まる。話は尽きないので、近くのカフェへ移動した。ハノイではカフェでも深夜営業は認められていないというが、この店は11時に一度看板として、それから灯りを落として深夜営業を行う珍しい店だという。当局とは通じ合っているのだろうか。ベトナムの若者で店内は満員。こんなところにもベトナム人の心境が出ているように見えて、とても面白い。

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中国企業は公共事業などでは名前が出てきているが、普通の企業活動には慎重で、その実態も分かり辛い。当然台湾系なのか、大陸系なのかも、区別がつき難い。ただハノイに観光客が大挙して押し寄せたりすると、日本のような島国と違い、すぐ近くに国境のあるこの街ではかなりの拒否反応が出る。しかも彼らの態度は横柄で、金を振り回して威張っているように見えるのだから、プライドの高いベトナム人には耐えられないだろう。勿論政治問題も絡んでくるので、結構複雑だ。経済が悪くなった今、政府は中国に頼るのか、他の手を打つのか、注目される。

 

日本企業でベトナムを目指すところは相変わらず多いが、どうもあまり上手くいっているようには見えない。強かなベトナム人を使いこなすことは難しく、苦戦している様子もうかがえる。円安も効いているかもしれない。今や単に安いからモノ作り、ということであれば、日本に戻った方がよいのでは、とアドバイスすることもあるらしい。

 

11時過ぎのハノイは確かに静かになっている。トボトボと歩いて宿へ帰る。ハノイの旧市街は早々変わり様がないが、郊外の開発はかなり進んでいるという。だが、開発しても不動産価格が以前のように上がらない、売れない。これも消費を急速に冷え込ませている理由だ。中国モデルでやって来たベトナムは完全に岐路に立っている。