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真冬の韓国散歩2015(3)ソウル 茹でタコを食べながら

帰りは1号線から3号線に乗り換え、難なく宿へ着く。それにしても夜のソウルは当たり前だが、それなりの防備をしているのに寒い。宿のオンドルに寝ても、その寒さのせいか、暖かさに限界がある。体が南国使用になっているのだろうか。まあそれでも掛布団と毛布に包まれば、極楽、極楽。

 

1月13日(火)

イテオン

翌朝はゆっくり起きてシャワーを浴びる。宿には殆ど人がいないので、交流することもなく過ぎる。これはちょっと寂しい。どこかへ出掛けようと思い、ガイドブックを開くと、ちょうどイテオンという文字が見える。20年前、偽物ブランド品を大量に売っていた場所、今はどうなっているのか、訪ねてみた。

 

今日も地下鉄に乗り、1回乗り換えて、イテオン着。午前中のイテオンは、洋服の卸の店などは見えるものの、ひっそりとしており、昔のイメージはない。坂を下って行くと高級住宅街であり、おしゃれなカフェなども出来ていたが、やはり人影は殆どない。昔のざわざわした街は大きく変貌している。

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大通りを歩いていくと、長蛇の列が見える。一体何の行列かと近寄ってみると、何とパン屋の入り口へ通じている。今韓国はパンのブームらしい。若い女性が中心だが、おじさんや若い男も列にいる。そんなに暇なのだろうか。それにしても平日の午前中にこんなに並んでいるのなら、さぞや美味しいのだろう。

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更に歩いていくと、お洒落なレストランがあった。かなり疲れたので、そこに入りコーヒーを頼む。カウンターの下にパウンドケーキが置かれていたので、それもついで頼んでみたが。会計して驚く。日本円で言えば、コーヒー1杯600円、ケーキは750円にもなる。英語は殆ど通じない。外国人が来るような場所でもなく、韓国人がこのような高い消費をするのだろうか。少なくともコーヒーについては、日本より韓国の方が高いことを実感した。

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タコ鍋

地下鉄で市庁に行く。ここは常に懐かしい。20年前の出張はほぼこの付近に泊まっていた。今はきれいに整備されており、市庁前の広場には即席スケートリンクが出来、幼い子供たちがスケートをしていた。何だか第2のキムヨナを目指しているように見える。特に母親が熱心。韓国の教育熱はいまだ冷めていない。

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プレジデントホテルのロビーでYさんと待ち合わせ。彼はマスコミ関係の人であり、昨晩会いたいと言ったところ、『朴クネ大統領の記者会見と富田の裁判があるので』と断られ、今日になった。実は私は今日板門店見学を考えていたので、富田さんによってその野望は遮られたことになる。それにしても、水泳選手の窃盗疑惑に振り回されるマスコミ、こりゃ大変だ。正直日韓のニュースには本当にウンザリするような内容が多いと感じる。勿論それは彼のせいではなく、彼はむしろ、長いソウル駐在の経験を活かして、韓国の生情報を伝えたいと考えているようだが、東京本社はどうだか。

 

ランチはタコ鍋。何と生きたタコをぐつぐつの鍋に放り込み、ふたをする。見る人が見ると残酷な料理だが、何とも豪快。そして茹で上がると韓国お得意のハサミで小さく切って食べる。これはなかなかイケル。ブルコギなども入っており、確か名前はプルナクチョンゴルだったような。冬ということもあり、ソウルでは今流行っている食べ物のようだ。

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帰り掛けにストーブが目に入る。その上では輪切りにした芋が焼かれていた。何となく眺めていると、おばさんが『食うか』という感じで一つ差し出す。その何気ない行為が昔の懐かしい日本を想起させる。今や日本で常連さん以外に注文していない物をくれる店は殆どないと思う。おばさんが芋をいくつか見て、『これが美味いよ』という顔をした。ここに韓国の神髄を見る。

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それからコーヒーを飲みに行ったが、何といくつもの店が満員で入れない。この辺は繁華街であり、また1つずつの店が小さいという理由はあると思うが、それにして平日の昼下がり、何で満員なの?ようやく本屋に併設された喫茶店に落ち着くが、ここのコーヒーも日本円で500円はした。勿論円安という要素はあるが、韓国の物価は既に一部で日本を抜いてきている。日本のデフレは政府方針とは裏腹に止まらないようだ。

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Yさんは沖縄にゆかりがある人で、前回同様韓国の話から沖縄の話に移る。韓国と沖縄にも色々と似通った点があるという。先ほどの人情のようなところだろうか。そして何となくいい加減で、あまり前途を考えない所だろうか。寒い、寒いソウルで温かい沖縄について語る、それもまた一興だな。

 

明日行こうかと思っているプサンについては『実にいい所、焼サバが美味いので、必ず食べるように』と言われる。昨晩焼き魚を目の前にして、食べ損ねたので、絶対食べるぞ、という気になる。どうもソウルでは食べ物の話ばかりになってしまう。昔はそんなにバリエーションがあると思っていなかったが、韓国料理は奥深い。但し味が比較的単調ではあるが。

真冬の韓国散歩2015(2)ソウル 心底満足したタッカンマリ

冷え込む韓国

3号線に乗り、仁寺洞へ向かう。駅5つほどであるから、これは便利だ。仁寺洞は観光地だが、寒さのせいか、人通りは多くなかった。前回訪ねた明金湯の平安を訪ねる。彼女から韓国の茶産地や歴史についてレクチャーを受け、大いに勉強した。その時点では年末に店を閉めて引退したいと言っていたが、まだ店はやっているのだろうかと、先日メールで問い合わせたところ、やっている、との回答で再訪となった。

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店はほぼそのままで、平安もそのまま座っている感じだった。1年半ぶりの再会だったが、何だか最近も会った気がするのは不思議だ。店内に座り茶をすすりながら外を見ると、客足はやはり少ない。韓国は昨年から景気後退が本格化し、商売も難しくなっているらしい。特に昨年のセウル号沈没事件以降、個人の消費心理が落ち込み、財布の紐が固くなっている。

 

セウル号事件は韓国の様々な問題が露呈し、国民の政府に対する信頼が極度に低下している。200名を越える高校生を、助けることもできずに目の間で死なせてしまった国民感情は計り知れない。4年前の日本の震災の時と同じように、全てが自粛ムードとなり、イベントは中止、消費マインドは冷え込んだ。

 

『韓国人はラテン民族、熱しやすく冷めやすい』、これは私が20年前に4年弱韓国を担当した率直な感想だった。日本に対しては『恨』などと言う感情を持つと言われる韓国人だが、その実粘り強さはない。今回の事件を契機にこの雰囲気が醸成された。そうなると後は悪いことばかり。最近の大韓航空のナッツリターン事件など財閥偏重に対する国民の厳しい対応が目を惹く。

 

そんな話をしていると、平安が電話で人を呼ぶ。呼ばれてきたのは、韓国のお茶雑誌、『茶道』の編集長。韓国語で書かれたきれいな雑誌で、中国茶や紅茶なども紹介されていた。編集長は日本語ができ、日本茶に関しての知識もあり、さすがにお茶関係の人。私の茶旅に興味があるようで、いくつも質問が出た。将来何か繋がりが出来ると面白いと思うが、まだその時期ではないようだ。

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編集長が帰り、平安とゆっくり話をしようと思っていると、お客が入ってきた。茶器に興味があるようで、長居する気配だったので、こちらは退散することにした。今日のところは、前回好評だった古茶樹の紅茶の購入は控えた。そして寒い、寒い屋外へ出て、東大門を目指して歩き始めた。

 

タッカンマリ

仁寺洞から東大門まではそれほど遠くないと思い込み歩き始めたが、意外や、地下鉄駅で2つ以上あり、しかも陽が落ちてきて相当に寒い。地下鉄に乗ればよかったと後悔したが、遅かった。ひたすら歩くしかない。

 

途中に市場があり、着いたかと思ったが、そこは広蔵市場という別の場所だった。ここは李氏朝鮮時代からある大きな市場で、一時は東大門市場とも呼ばれていたらしい。寒さを凌ぐつもりで入ってみると、相当細長いアーケードに店が並ぶ。そして中央付近には暖かな湯気が立ち込め、大勢の人が食事をし、酒を飲んでいた。ポジャンマチャと呼ばれる飲み屋屋台、おでんや海苔巻など日本風の食べ物も並んでおり、そそられる。

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だが私には目的地があった。先ほど宿でFacebookを見ると、大学の後輩のS嬢から『ソウルに行ったら、是非タッカンマリを食べてください。絶対美味しいですよ』と言うメッセージが入っており、それに従うことにしたのだ。それが私の旅、その信念?により、屋台を振り切り、またも極寒の街路を歩く。

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そしてついに東大門に着いたが、お目当ての店は見付からない。市場自体がビルになり、その横の道を探す。何とか細い路地に入ると、そこではサバやサンマを焼いている。おばさんが『美味しいよ』と声をかけるので、その誘惑に危うく負けそうになる。ようやくタッカンマリのその店を見つけたが、外から見ると大きな鍋が出ている。そして一人で食べている人もいない。

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タッカンマリは鳥を一羽、鍋にぶち込む豪快な料理、とても一人では食べ切れない。そして料金も2万ウォン(2000円)はするので、足が向かない。その道で何軒か見てみたが、みな同じ仕組み。ついに意を決して最初の店に飛び込むと、店員が『一人?あっち』と日本語で声をかけ、席を作る。そして何と『鳥半分ね』と半羽にしてくれた。この辺の柔軟性が良い。鍋はぐつぐつと煮え、寒さのせいか、鶏肉はウマかった。スープも出汁が効いている。湯気を見るだけで体が温まる。

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隣のテーブルを見ると若い女性が二人で食べているが、私の鍋とは色が全然違う。相当に味噌や辛子を入れている。店員は日本人の私の好みに合うように作っているのだ。よくできている。キムチを食べながら、トッポギを入れる。たれがまたさっぱりしていて、茹でた鶏肉を付けると絶妙だ。一人なのにだんだん楽しくなる。

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鶏半羽でも満腹だったが、店員が『うどん』というので、ククスを入れてしまう。これがまた鶏肉の出汁が出たスープによく合うのだが、さすがに腹が収まり切れない。ついにギブアップした時には、椅子から立ち上がるのさえ、億劫だった。久しぶりに心底満足した。韓国は食い物が美味い!

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真冬の韓国散歩2015(1)ソウル 日韓友好のゲストハウス

《真冬の韓国散歩2015》  2015年1月12日-17日

 

4年ぶりに正月を日本で過ごした。家族4人で過ごす正月はこれが6年ぶり、とは言っても特にやることはなく、例年通り、3日間駅伝を見て過ごす。今年は元日の天皇杯サッカーがなく、皇后杯になっていたのが、目新しいぐらい。三が日は3日の午後に近くの神社にお参りに行っただけで、外にも出なかった。グータラ正月を過ごす。南国暮らしの長い私には、東京の冬は寒さが堪える。

 

そしてバンコックへ帰るフライトの途中、韓国でストップオーバーした。今回はアシアナ航空だったので、ちょっと寄り道。行きはバンコック⇒仁川⇒成田、だったが、帰りは羽田⇒金浦が使えるので、実はかなり便利、料金も変わらない。1年半ぶりに行く韓国はどうなっているのだろうか。特に今回は今まで行っていない、プサンと慶州も訪ねる。楽しみだが、かなり寒そう。

 

1月12日(月)

1.ソウル

空港から

羽田から金浦まではかなり近く感じられた。アシアナの機内サービスは相変わらず悪くない。離陸するとすぐに寝込んだ私のシートにはシールが張られ、起きると同時にCAがやって来て、朝食の有無を聞く。そして暖かいお茶が運ばれてくる。日本の航空会社でも朝から冷たい飲み物しか出さないおもてなしもある。朝は冷たい飲み物ではなく、暖かい物が良い、と思う。

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金浦空港、20年前香港駐在で韓国担当になり、4年弱で20回以上は通った空港だった。その頃仁川空港はなかった。あの頃は空港を下りるとキムチの匂いがしたが、今では全く別の空港のようにきれいだった。イミグレも空いていて、すぐに通過できる。それでも荷物を待たずにピックアップで来た。実に順調だ。まずは両替所へ寄る。今回東京の家の整理をしていて、1つの発見があった。何と12年前にソウルへ行った時に両替したウォンが残っていたのだ。ただ古い札なので、使えるかどうかが心配だったが、銀行で聞いてみると『使えます』とのことだったので、両替せずに立ち去る。

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20年前はバスだったが、今では市内へ行くのに、電車が走っている。電車のカードも前回貰っていたので、そこにチャージするため旧札を使ったが、機械はちゃんと反応し、見事に使えた。これは嬉しい。日本で聖徳太子の札に機械は対応するのだろうか?金浦空港にはロッテモールが併設されており、ここで買い物もできる。電車駅の近くでは映画か何か撮影が行われており、人だかりができていた。

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電車に乗り、一駅行き、そこで乗り換え。エアポートリンクはいいのだが、普通の地下鉄の駅ではエスカレーターがあまり無く、エレベーターを見つけるのに少し苦労する。この辺は東京と同じ、20年以上も経っていると、老朽化というか、新しいメンテが必要になってくるが、その資金がどこまで出るのか。

 

地下鉄6号線から3号線に乗り替え、ようやく目的の駅に着いた。改札を出ようとすると車いすの人が前を通る。付いていくと、ちゃんと車いすが通れるゲートがあった。私もそこを通過。外へ出ると当たり前だが寒い。日中だというのに、耳が痛い。東京より5度ぐらい低い気温だ。晴天なので、余計に寒く感じる。

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日韓友好のゲストハウスは

今日の宿、ボアハウスはひっそりと建っていた。入口のドアは開いていたが、2階のドアは閉まっており、チャイムで開けてもらう。出てきたのは韓国人女性、日本語ができる。この寒さの中、実にホンワカした雰囲気の人でとても和む。この宿は2階に部屋がいくつかあり、その上は狭い共有スペースと屋上。屋上はタバコを吸うのと、洗濯を干すスペース。周囲がよく見えたが寒さですぐに引っ込む。

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個室のオンドル部屋、床が温かい。何だか学生時代の下宿に来たような気分。ネットは何とか部屋で繋がる。トイレとシャワーが付いているは有難い。そして何より有難いのは携帯電話を貸してくれること。韓国は日本同様シムカードがないため、これまでは空港で携帯自体を借りなければならなかった。この費用は日本並みに高かったが、今回は単なる電話機能の携帯をここで借りたので、安く済んだ。

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ゲストハウスはホテルより条件は悪いが、親切なサービスが多い。例えば空港から宿へ行き方が非常に細かく、具体的に書かれている。そして安く行く方法を明示されているので助かる。大きなホテルはタクシーに乗れば分かる、と言った尊大な表示なので、庶民には困ることがある。

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ここ2年、日韓関係は悪化して、既に韓流ブームも過去のものとなり、日本から韓国に来る旅行者は激減している。ここボアハウスも日本人旅行者が客の中心であったため、お客はかなり少ない。本日は真冬で寒いこともあり、韓国人のおばさんが一人、泊まっているだけ。オーナーの女性は『開業して8年になるが、今は休みだと考えている』と諦め顔だった。尚この宿の開業理由は『東京に行った時泊まったゲストハウスがとても良く、色々と教えてもらった。ソウルでも日韓の友好の場があれば』との思いからだそうだ。その思い、届くのだろうか。

バンコックお寺巡り2014(3)地下鉄工事で大渋滞

ワットサケット

陽が西に傾き始めた。カオサンから今日最後の訪問先であるワットサケットまではちょっと距離がある。街歩きが仕事のような私は疲れを覚えたが、Iさんは驚くほどに元気だった。これもヨーガの成果なのだろうか。道もちょっと分かりにくかったが、運河を越え、何とか辿り着いた。タイの寺はタイ語の看板しかないところ、また俗称を使っているところもあり、ここが本当に目的地なのか、迷うことがある。この寺もそうだった。

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ここは小山の上に本堂がある。登り口で入場料を支払う。ちょっと奇妙な置物などもある。そして意外や登っていく人が多い。その理由は登って行ってみて分かった。眺望がよいのだ。欧米人などはここから夕陽を見ようと頑張っている。しかし登るのはそれなりに大変。頂上までの高さは78mほどある。

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堂内にも沢山の仏像が安置されている。一周回ってみる。更にてっぺんに上ることが出るようだが、遠慮しておいた。外にも仏塔があり、実に多彩だ。これまで歩いてきたどの寺とも違う。何故だろうか。ガイドブックにも要塞のような寺、となっている。これには何か訳があるのではないか。だが特に何の説明もない。

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もう時刻は4時を過ぎた。そろそろ帰宅ラッシュが始まりそうな気配がある。丘を降りて、寺を後にし、広めの道路に出ると、既に車が詰まり始めていた。ここでタクシーが拾えないと大変だと思い、周囲を見渡すと、ちょうど1台見つかり、乗り込む。これで安心。ホテルには予定より早く着いてしまうが、それもまたよし、などと勝手に思いを巡らした。

 

地下鉄工事で大渋滞

ところが事態は驚いた方向へ進む。車が全く動かないのだ。初めはちょっとした事故でもあったのかと思ったが、10分で100mも進まないことにイライラしてくる。勿論運転手もそうだろうが、タイ人はこのような時にイライラしているという様子を決して見せない。ここが中国人との決定的な違いだ。中国人の方が我々により近いと感じる瞬間だ。

 

30分経過しても殆ど動いていない事態にはさすがのタイ人も苦笑する。それでも運転席から外へ出て、事情を確認しようとしない姿勢は凄いとしか言いようがない。タイ人の真骨頂はズバリ忍耐、だ。逆に忍耐強いIさんが『私は歩いていきたい』と言い出す。私もそうしたいのだが、BTSの最寄り駅まで何キロあるのかさっぱり分からない。下手に降りてしまえば、あとでタクシーを拾うことも難しく、道を間違えればそれこそ路頭に迷うので自重した。

 

Iさんとの会話もなくなり、ただ時間だけが過ぎていく。タイに来てこんなことは初めてだ。そしてついに渋滞の原因に行き着いた。そこは地下鉄工事現場となっており、今日の作業の撤収が行われていた。その作業の間、通行が遮断されただろうし、そもそも道が片側通行だった。これはかなりひどい工事だと思うが、タイ人は慣れっこのようだ。しかしそこを過ぎても直ぐには着かない。約束の6時は過ぎてしまい、ホテルで待ち合わせているIYさんには携帯で遅刻を告げる羽目になった。

 

タクシーに乗り込んでから、何と2時間後、ようやくBTSのサラデーン駅に着いた。当初はサパンタクシン駅へ行くはずだったが、そこの渋滞を避けた結果だが、とにかくタクシー内が寒いので、早く脱出したいという事情もあった。足が凍り付いたように動かず、上手く歩けないほどだった。一種のエコノミー症候群かもしれない。それでも歩き出すと何となく元気になっていた。

 

ご縁

BTSに乗ろうとすると、携帯電話が鳴る。既にほぼ電池切れ状態だったが、その電話は和尚からだった。帰りにレモンかライムを買ってきて欲しい、というもので、相当に弱っていた。一日寝たのに治らないらしい。明日は8時間のバスの旅と聞いている。大丈夫か?ホテル近くのショッピングセンターのスーパーに寄る。レモンを探したが、何と2個で360バーツ、日本円で1000円を超えていたので驚いて持った手を離した。何でこんなに高いんだ。確かにタイでレモンは殆ど見ない。高級輸入食材らしい。横にライムがあり、小さい物が4つで35バーツだったので迷わずそちらを買う。

 

ホテルに戻り、和尚の部屋を訪ねると、多少回復した様子の和尚が出てきて少し安心した。が、引き続き物は食べられないというので、そこで別れた。そしてロビーへ戻り、待ち合わせたIYさんに連絡する。彼女はこのホテルの横のマンションに住んでいるのである。実は2か月前にIさんから『バンコックで泊まるホテル』を教えられた次の日、たまたまIYさんの家を訪ねた所、何と横にそのホテルがあったのでビックリしたのだ。

 

そしてよく考えてみれば二人とも兵庫県西宮付近の人。IYさんは日本茶アドバイザーで私のお茶会のサポート役、これも茶縁というのだろうか。そこで二人を引き合わせることにし、3人で楽しく食事をした。だが、私は疲れからか、またタクシー内の寒さからか、体調がすぐれずに十分に食べることが出来なかった。もしやするとランチの食事のせいかもしれない。帰りのBTSでは疲れのあまり、不覚にも寝入る。明日の夜行便で日本へ帰るのだが、果たして大丈夫なのか。和尚の心配どころではなくなっていた。

バンコックお寺巡り2014(2)心地よいカオサンのお寺

ワットアルン

続いてワットアルンに向かう。ワットポーから川へ向かい、そこから渡し船に乗る。暁の寺、と呼ばれるワットアルンは、三島由紀夫の小説で有名。私も中学生の頃に読んで、ちょっとタイに思いを馳せたことがあったのを思い出す。初めて実物を見たのは夕暮れ時で、川の上から夕日に輝く仏塔を眺め、美しいと思った。

 

今回は昼間であり、特に情緒もなく、到着してしまう。近くへ行ってみると何と修復工事中で、足場が組まれていた。前回来た時はチケットを買うのにすごく並んでいたので、裏側に回り、裏門入場したが、今回はその必要もないほど空いていた。入場料50バーツ。いつもは高いところには上らない私だが、今日はIさんのお伴ということで、ある程度登ってみる。川がよく見える。意外と景色が良い。普段と違うことをするにはやはり他力本願?だな。

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それにしてもこの仏塔には小さな像が一体いくつ安置されているのだろうか。この細かさ、それはタイ特有のモノなのだろうか。ちょっと不思議な感じがする。何か目に見えない、何かがあるのでは、と考えてしまう。三島由紀夫もここへ来て、何かを見たのだろうか。エメラルド仏をワットプラケオに持っていかれた、その寂しさが現れているのだろうか。

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日差しがかなり強くなってきた。小舟で対岸に戻る。そろそろ昼の時間だ。この辺にレストランはあるのだろうか、と思っているとIさんが『ここでいい』という。それは渡し船の船着き場にある店。欧米人が沢山食事をしていたが、決してきれいとは言えない。それでもチャレンジしてみることにした。

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炒飯とスープ、そして野菜炒めを頼んだが、なかなか運ばれてこない。明らかに店が回っていない。お客が多い上に効率が悪い。ようやく来た炒飯、どう見ても70バーツの価値はない。ここは場所で持っているのであり、競争原理が働いていないのが良く分かる。華人と思われる女主人が切り盛りしているが、こういう店には気を付けたほうが良い。衛生管理も十分ではない。

 

ワットマハタート

午後はラーマ1世が建立したワットマハタートからスタート。王宮の脇を通り、立派な寺院が見えたので入って行く。団体観光客が列をなして入っていき、記念写真を撮っている。何だここは。何となく違うぞ。そう、何とワットプラケオに入ってしまったのだ。この辺が俄かガイドの悲しさ。エメラルド仏が安置されている本堂は、特に中国人観光客に人気のようで、そこかしこで中国語が飛び交う。

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我々はすごすごと退散する。何しろここは王宮とセットとは言え、入場料500バーツは高いし、和尚の指示にない寺だった。さらに北上する。王宮前広場の脇を歩いていると、小さな門があり、そこを潜ると寺があった。ここがタイ仏教界の多数派、マハーニカイの総本山とはちょっと思えない規模だ。先ほどのワットプラケオの方が遥かに立派に見える。そしてどこが本堂か分からず、まごまごしていると、タイ人の女性がこちらだ、というポーズをして中に入って行く。

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我々も続いて中に入ると、そこには黄金の仏像が安置されている。思わず前に乗り出すと『そこはお坊さんが座る場所』と指示され、後ろに下がり、仏を拝む。3人しかいない、静かな世界。完全に世俗から離れた一瞬を感じた。その時、一番偉いお坊さんが座るであろう椅子に、猫が我が物顔に座っていた。その顔には明らかに『ここは俺の席だ』と書いてある。この猫、只者ではない。誰かの生まれ変わりなのだろうか、それとも乗り移り?

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タイ人女性は毎年チェンマイから必ずお参りに来るという。質素な身なりだが、きっと由緒ある家柄の女性なのだろう、と思わせる、何かを持っている。このお寺には観光客など一人もいない。ここに毎年わざわざ来るにはそれなりの理由があるのだろう。彼女は英語もできるのだが、そのような立ち入った質問をさせる雰囲気もない。

 

寺を出て更に北上すると、名門タマサート大学がある。国立劇場、国立博物館とマハタートに挟まれた小さい空間。ここに英知が結集している。何故こんなところに大学を作り、そして今もそのままあるのだろうか。その南側には昔の図書館のような建物もある。何か事情があるのだろうが、今は知るすべがない。

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ワットボウォーンニウェート

暑さが相当に厳しくなってきた。王宮前広場の横には日差しを遮る場所が少ない。だがIさんは元気に歩いていく。私は彼女に付いていくのみ。道はカオサンに入って行く。バックパッカーの街、私には縁のないところであり、殆ど来たこともない。道沿いには安宿から旅行会社、両替所など、必要なものは何でも揃っているように見える。

 

疲れたので休もうということになり、スタバに入る。だが冷房が強すぎるという理由でそこを出た。そしてオープンカフェを探して入ると、何ともいい風が吹いていた。注文したコーヒーも美味しいとIさんは言う。疲れた体を労り、何だかとても幸せな気分になる。ここはカフェもあるが、ゲストハウスらしい。安宿ばかりではなく、ちょっとお洒落な宿も出来てきている。

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そしてカオサン内にある有名寺院、ワットボウォーンニウェートへ行く。思い出したのは、一昨年一級寺院巡りをしていたS氏のお伴でこの寺に来たことがあるということ。カオサンにあるというだけで、何処か軽く見られがちだが、ラーマ4世による創建。ここはタイ仏教界の2大派閥、タマユット派の総本山であり、現プミポン国王が出家して修行された場所としても知られている。

 

このお寺の本堂に座るとどこからともなく、いい風が吹き込んでくる。ここに座っていたいという衝動が抑えられなくなる。それはどうしてなのだろうか。そのように設計されているからなのだろうか。何か、見えない何かがあるのは間違いがない。懸命に祈っている女性がいる。ずっと動かない男性がいる。信仰とは本来こういうものだよ、と見せてくれている気がした。

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ずーっとここに座っていたかった。それは前回来た時と全く同じ感覚だった。不思議としか言いようがない。既に信仰心など殆どない私が落ち着く場所、それがここなのだ。お参りの人は三々五々やって来ては、座っている。自分のペースに合わせて座り、そして去る。恐らくは日々それを繰り返している。心地よいのだ。安定するのだ。

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バンコックお寺巡り2014(1)ワットポーは気持ちいいのだ

《バンコックお寺巡り2014》  2014年12月23日

 

シェムリアップツアーからバンコックに戻った。明日の夜行便で日本へ帰り、4年ぶりに日本で正月を過ごす予定だ。だが、その前に1つのミッションがやってきた。先日バンコックエアーでシェムリアップに一緒に行ったIさんが、バンコックに来ていた。明日から瞑想センターに入るという。その前日バンコックのお寺巡りをしたいというので、付き合うことにした。

 

するとその瞑想センターには和尚も一緒に行くのだとか。それならバンコック案内も私ではなく、本業の和尚に任せることにして、私はランチあたりに合流しようと、シェムリで話は決まっていた。シェムリからバンコックに戻るフライトはIさんと和尚が一緒、私はまたまたバンコックエアーに乗り、別になっていた。明日は午前中、旅行記でも書いて、と思っていたが、世の中は思い通りには行かないものだ。

 

突然の電話

朝7時半前に電話が鳴る。この時間の電話はほぼ間違い電話。そう思って取ると、弱弱しい和尚の声が聞こえてくる。何と昨晩食中りを起こしたらしい。かなりの重症のようだが、責任感の強い彼は私にガイド交代を依頼してきたのだ。突然のことに驚いたが、まずはホテルへ行かなければならない。

 

ところが私の宿泊先から、Iさんと和尚が泊まる、リバーサイドのホテルまでは相当に遠い。時間を節約するために、いつもは乗らないバイクタクシーでBTSの駅へ行き、延々とBTSに揺られ、ホテルの最寄り駅で降りて、またバイタクを捕まえて乗る。何とか1時間で到着した。

 

ロビーにはIさんと和尚が待っていた。和尚は見た感じ、それほど具合が悪そうでもなかったので、今日の寺巡りの手順、彼の推奨するルートを聞き、更にはホテルから最寄りの渡し舟の場所まで案内してもらった。元々和尚がいた寺はこの近くであり、まあ彼の庭のような場所なのだ。

 

和尚に見送られて小舟に乗る。3バーツ。通勤や通学の乗客、全て地元民だ。チャオプラヤー川をすぐに渡り、対岸のサパンタクシンへ。ここでまた船を乗り替えて、北上する。ここには観光用ボートと一般人用ボートの2つがある。観光用は英語のアナウンスがあり、40バーツ。一般用は15バーツ。私は先日息子と乗ったばかりなので、一般用で十分と思い、こちらへ。前回はチャイナタウンで降りたが、今回はその先のワットポーを目指す。

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ワットポー

突然のご指名でもワットポーぐらいは行ける。ということで、100バーツの入場料を支払い、中へ進み、有名な涅槃像を久しぶりに拝む。長さ46m、この堂の大半を占めており、写真を撮るにも、撮り難い。バンコックを拠点にしてから、この寺に来ることは一度もなかった。観光用の寺には用はなかった。だが、この涅槃像の足裏を見ていると、何だかクラクラ来た。自分が回っているような気分になる。突然赤塚不二夫の天才バカボンを思い出したのには、自分でも苦笑する。

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朝方であり、お客はそれほど多くない。日差しもまだそれほど強くはない。無料の水が配られ、それを貰い木陰で飲むと涼しい。ご本尊を拝んでいるのはタイ人、そしてそれを眺める外国人。ゆっくりと寺院内を歩く。そんな経験もここ数年なかった。仏像の並ぶ伽藍があり、何となく琉球を想起される像があったりする。この像は何なのだろうか?どんどん歩いていくと僧坊の方に出てしまった。ここにも沢山の僧侶が暮らしている。和尚からは是非ここのマッサージを受けるようにと言われていたので、そちらへ向かう。

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かなり広いスペースでマッサージが行われている。ワットポーマッサージといえば、タイマッサージの元祖とも言われ、スクンビットにも支店があるほど有名だ。変わり者の私は一度行った時に満員でマッサージを受けられなかったことを根に持ち?それ以降近寄ろうとはしなかった。今回は指示通り動く。予想外に待つことなく案内された。足マッサージ1時間、420バーツを頼むと、私はズボンを履き替えさせられた。

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ツボの押し方は的確で、ちょっと驚くほど、気持ちが良かった。日本人客が多いのか、簡単な日本語を話す女性マッサージ師。何だかすぐに時間が過ぎていく。こんなに気持ちいいならもう1時間と思ったが、足が終わり肩を揉んでもらうために起き上がり、入口を見て驚いた。既に何十人もの人、特に欧米人が列を作って待っていた。我々が入った時点が最後の軌跡。ワットポーは朝の参観、そして歩き疲れたら、いや疲れてなくてもマッサージがお勧めだ。

アンコールへの旅2014(10)何気ない日常を歩く

トゥクトゥクの悲哀

帰りはまたトボトボと、自分のホテルまで歩く。トゥクトゥクの運転手から何回も何回も声を掛けられたが、全て無視した。そういえば4年前にサレンと初めて会った時、私は夜遊びをしないので、私を宿に送ると彼はこのマーケットへ来て、お客を待つと言っていたのを思い出す。一晩待っても一人も客を捕まえられない時もある。そんな時はかなり疲れるらしい。若いから体は何とかなるが、精神的な疲労は相当ある。

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彼はその生活から抜け出すことを常に考えていたと思う。そしていつの間にか、実家の畑を耕していた。今回会った彼は、随分と太っていた。彼とほとんど話をしていないので、本当のところは分からないが、気持ちにゆとりが出てきたのかな、と感じる。彼の村、彼の実家へ行って、サレンに向いているのは、運転手ではないのだと、つくづく思う。

 

そんな事を考えながらも、トゥクトゥクの誘いを断り続ける。確かに乗ってあげれば彼らは喜ぶのかもしれない。でも私は歩きたい。双方が喜ばないことをしても、きっと上手くは行かない。薄暗いシェムリアップの埃っぽい道を歩きながら、あれこれと考える。悠に30分以上かかったが、満腹の腹ごなしの運動にはちょうど良かった。そしてまた、ホテルの部屋で寝つきが悪かった。

 

12月22日(月)

散歩

翌朝も早く起きて、朝食をサクッと食べた。と言ってもかなりの量を食べている。既に食べ過ぎで胃腸が悲鳴を上げている。とにかく歩くことにしよう。昨日まではバスに乗ることが多く、歩く時間が少なかった。今日は午後の便でバンコックに戻るだけだったから、たっぷりと時間はある。

 

ホテルから6号線を越えて、東の方に歩いていく。ちょっと行くとすぐに、田舎の景色となる。車が通るたびに埃が舞い上がるが、それを気にする人などいない。ペットボトルに詰めたガソリンが売られている。ミャンマーでも昔よく見たが、今は田舎でしか見られない。

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高級ホテルの庭が広い。仏塔が再建された場所もある。観光コースにしたのだろうか。きれいな土産物屋さんがいくつか出来ている。従来のマーケットとは違う、ちょっと離れた空間に工房などを作り、その商品を売る。その横では懸命に商品作りに励む姿も見られる。脇道に入ると木々が生い茂り、道路脇には何をするでもない人々が、何となく道を眺めていたりする。この何気ない日常、本来見るべきものは、過去の遺産ではなく、現在の生活ではないのか、とちょっと考えてしまう。

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少し早いがホテルの近くに戻り、ランチを食べる。昨日気になったレストラン、どう見ても中国系がやっており、粥などのメニューがあったので入ってみた。ところが店員だけでなく、店主と目されるおばさんも普通話を解さなかった。顔は中国系なので、勉強しなかっただけだろうが、看板には中国語も書かれており、中国人観光客とコミュニケーションできなくて困ることはないのか、とこちらが心配する。いや、ここには観光客など来ないのだ。

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蛙のお粥を頼む。3米ドルもするのだが、量も滅茶苦茶多い。とても一人では食べ切れないが、この暑い中、懸命に食べる。汗がしたたり落ちる。おばさんに『暑い』というと、扇風機を2台動かしてくれた。その風を受けながら、何と最後まで完食した。何故そうするのか、自分でもわからない。ちょっとムキになってしまった。

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それにしても、ここでも時間が止まり、皆が止まったように動かない。お客も入って来ない。12月だというのに、何でこんなに暑いのだ!当たり前だ、こんなに暑いのに、熱い粥をたらふく腹に収めたら、誰だって汗がどんどん出るよ、おばさんはそんな顔をしていた。それでも乾季のこの季節、雨季に比べればマシのようなのだが。彼女はここで生まれたのだろうが、どんな人生を生きてきたのか。ちょっと興味が湧くが、それを知るすべがない。

 

ホテルに戻り、チェックアウト。空港までのトゥクトゥクを頼むと、『ここで頼むと7米ドル、外だともう少し安いかも』というので、外へ出た。これまで何度か声を掛けてきた運ちゃんだが、一度も振り向かなかった私。目が合うと向こうが『こいつは客じゃない』と目を逸らした。ところが私の方から声を掛けたのでビックリして、何だか6米ドルで行くことになった。

 

昼下がりの街中を走ると、暑い空気が抜けていき、気持ちの良いドライブとは言えない。来た時は夜だったので、実に爽やかだったのに。そういえば4月にインドのバラナシへ行った時、空港まで乗ったオーリキシャ―の暑かったこと。熱風を掻きまわし、叩き付けてくる感じで、喉がカラカラになり、死にそうになったことを懐かしく思い出す。それに比べれば今日のトゥクトゥクなど問題はないのだが、なぜか暑いと思ってしまうのは、昨晩トゥクトゥク運ちゃんたちのことを考えていたからだろうか。

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空港に着くと、2時間ちょっと前なのに、バンコックエアーのチェックインは始まっていなかった。隣のエアアジアは長蛇の列だが、こちらは乗客全員がチェックインを待っているという雰囲気。イミグレを抜けると、ここにもちゃんとラウンジが用意されており、冷たいジュースを飲んで生き返った。

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アンコールへの旅2014(9)ゆるいゆるい村でごろ寝する

ゆるいゆるい村で

ベンメリアを後にして、バスは田舎道を走る。これからサレンの実家を訪ねることになっている。途中で結婚式の披露宴をしているところがあった。カンボジアも結婚式にはお金を掛け、盛大に行う習慣がある。本日の案内役、Kさんもサレンのお兄さんと結婚、カンボジアでも式を挙げたことだろう。Kさんの娘、Sちゃんにとってはおじいちゃんやおばあちゃんが待つ、故郷なのである。

 

広い通りから狭い道は入る所におじいちゃんがバイクで待っていて、道案内してくれた。家の近くにバスが停まると、待ち切れずにおじいちゃんがバスに乗り込み、Sちゃんを抱き上げる。だが突然抱き上げられたSちゃん、大泣き。これにはおじいちゃんも困ったことだろう。私も昔、離れて暮らしていた自分の息子に大泣きされると、何とも切なかったことを思い出す。

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おじいちゃんの家には庭があり、バナナがなっていた。高床式の木造の家が、いい感じで建っていた。下では皆が寛げる台があり、親戚が集まり、我々のためにランチの用意をしてくれていた。雷魚が美味かった。何のスープか分からないが、絶品スープも登場し、人の家にも拘らず何杯もお替りした。あー幸せな生活。風すらもゆっくりと吹き抜けていく。A師は早々、ゴロリと横になる。

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皆2階に上がり、そこでゴロリとなる。そして本当に寝入る。あー、風がいい。ベストシーズン!しばらく寝てから起き上がると和尚がいない。探してみると彼は付近を散策していた。周囲は畑。サレンもトゥクトゥクドライバーを辞め、この辺の畑をやっているというが、今日は市内の奉仕活動に出掛けており、結局会えなかった。残念!

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この村の子供たちは暑くても元気で遊んでいる。Sちゃんも仲間に入れてもらい、ゆっくり動く。男の子も女の子も、小さい子も大きい子も、一緒に遊ぶ。写真を撮ると皆集まってくるし、何かあると、すぐに反応する。そう、子供らしいのだ。今の日本の子供は関心がなければ動かない子が多い。こんな自然の中で、のびのびと遊ぶ、実に月並みながら、羨ましい環境がここにある。

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昨日は伝統の森に行ったが、同じ田舎でも、だいぶん雰囲気が違う。伝統の森もゆるいが、それでも仕事場、という感じもする。こちらは完全にローカルの生活の場に入り込んだ感じだろうか。ここにいつまでも居たい、という気分が高まる。最近は電気も通ったようで、衛星放送のアンテナなども見える。実はこの村も急速に変わって行くのかもしれない。機会があれば次回は3日ぐらいここに泊まってみたい、と思う。

 

帰りのバスは何となく、皆夢見心地、気だるい雰囲気が流れていた。こんな何気ない家庭訪問、これこそが観光より重要な、現地を知る手がかりを提供してくれる。勿論いいことばかりであるはずがないが、我々が田舎の生活をいいと感じるのは、現実に何らかの不満があるからだろう。

 

ナイトマーケット

ホテルに戻ると、もう夕暮れ。A師夫妻と和尚と、今回初めてナイトマーケットへ行く。普通の観光なら真っ先に行くのだろうが、最後の晩に初めて行くのが我々だな。ホテルから15分ぐらいかけてゆっくり歩いていく。3年前に行った時より遥かにきれいになっていて驚く。というか、初めて見る、川向うの夜市。

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中国語がそこかしこに書かれており、どう見ても中国人対象のマーケット。私に中国語で声を掛けてきた店員に話を聞くと、やはり中国人が圧倒的に多い。そして売り手の彼らはカンボジア生まれの華人。華人といえども、まさか同胞がこんなに沢山カンボジアに来るとは思っても見なかった、という。中国語が出来て良かった、との声も聞かれた。

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夕飯は私が初めてシェムリアップに来た時に行った、クメールキッチンに行こうということになったが、場所など覚えていない。以前は全てサレンに任せて道を覚えようともしなかった。誰もガイドブックも持っていない。仕方なく歩き回り、他の店に入ろうとしたところ、不意に発見した。

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ただ店は小さく、店の前には人だかりができていた。こんなに人気だったんだ。恐る恐る近寄ると奇跡的に席が空いており、滑り込む。これもご縁だろうか。スープを含めてカンボジア料理を4品、そしてご飯を頼む。カンボジア料理は甘いがなぜか美味く感じる。しかも一品4米ドル、ご飯は無料。一人4ドルでたらふく食べた。これが人気の秘密だと分かった。

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アンコールへの旅2014(8)自然に崩れるベンメリア

出会い

実は今日は5月に行った沖縄伊良部島のゲストハウスのTさんから紹介を受けて、日本人女性と会うことになっていた。彼女はカンボジアで働いており、偶々シェムリアップに出張で来ていたのである。こういう出会いは何とも嬉しい。携帯で連絡を取り合い、何とか落ち合うことができた。但しこちらは団体から解放されたばかりだが、彼女は団体行動、あちらに時間がない。

 

何とシェムリアップの街で出会ったのに、カフェにも行けず、わずか10分、立ち話しただけだった。バイクのオジサンが不思議そうに我々を眺めていた。彼女はプロジェクトの関係で普段はかなり田舎に滞在しており、週末はプノンペンに出てくるという。次回は是非プノンペンでの再会を、と話して別れた。そういえば、横浜で東京電力と契約せず、自家発電で暮らす夫婦のニュースに感心し、Facebookに上げた所、彼女が『それは高校の同級生です』と言ったのには驚いた。世の中、どこで繋がっているか分からない。

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そして夕飯は一人で、懐かしのクローマーゲストハウスへ行く。3年前に泊まったところ。ここでトンカツを食べたことを思い出し、寄ってみた。ランチでもカツを食べたばかりなのに、やはり余程のカツ好きだということ。1階の吹き抜け部分のテーブルは何と満員。相変わらず結構流行っている。2階に上がると、奥の方が空いていたので、そこへ陣取り、扇風機を掛けると涼しい。

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店員がオーダーを取りに来たので、トンカツと告げると、そのまま下がる。そしてだいぶんたって、トンカツだけが運ばれてきた。え、定食じゃなかったの?ビールも頼まない日本のオジサンがトンカツだけを食べることなどあり得ない、と叫んでみても始まらない。そんな気が利くカンボジアではない。とにかく今は、ご飯と味噌汁が欲しい。すぐに持ってきてと頼んだのだが・・?

 

10分経っても来ない。ベルを鳴らしても応答がない。トンカツはどんどん冷める。ご飯とみそ汁ぐらい、すぐに持ってこられないのか、という気持ちを必死に抑える。だが他の客に料理を運んできた店員に聞くと『Coming Soon!』というではないか。もう我慢できずに階段を降り、厨房へ向かう。ご飯と味噌汁は?というと、ハッとしたように、味噌を溶き始めた。全てをオーダー通り作っていたのだろう。それは悪いことではないが。厨房から奪うように味噌汁とご飯を取り、冷めたトンカツと一緒に食べた。味噌汁だけが妙に熱かった。

 

前回は日本人のNさんと一緒だったので、黙っていても定食になったのかもしれない。決してここのスタッフが悪い訳ではない。カンボジアにはお客へのサービスという概念が乏しい。その中で、教えられた通り一生懸命作っているのだから、文句は言えない。お客も満員で忙しかったのは分かる。でもなあ、何だかなあ。

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クリスマスイルミネーションが眩しい、涼しい風が吹く6号線沿いをトボトボと帰る。急に団体から離脱した寂しさがこみ上げてきた。部屋が広いことも心なしか寂しくさせていた。電気ポットのお湯が沸く音が妙に気になった。

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12月21日(日)

ベンメリア再び

翌朝はすごく早く起きた。部屋からすぐの階段を下りると、レストランがある。プールのある脇で朝食を食べることもできたが、涼しいので、屋内へ入る。ところがこちらは冷房で寒い。でも食事をとるのが便利なので、お粥など暖かい物を取り、そこへ座る。向かいにはロシア系の女性が一人で食事をしている。一人旅なのだろうか?

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散歩がてら、昨日まで泊まっていたホテルへ向かう。今日も残ったメンバーのうち、希望者で出掛ける予定となっていた。途中に立派なホテルがあった。ハイアット、こんな街中にある。入口が目隠しされているのが面白い。ホテルに着くと、皆が揃い、ミニバスに乗り込む。今日はこじんまりしていてよい。

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3年前に通った道を南に向かう。途中にかものはしプロジェクトの工房があったな、と思いだしたが、見付からなかった。動体視力が落ちたなと感じる。今日向かうのはベンメリアの遺跡。3年前の旅でも、遺跡としてはここが最高に良かったと思えた場所であり、再訪できると聞いて喜んだ。以前より立派なチケット売り場があり、駐車場がある。観光客が明らかに増えた証拠だ。

 

その入り口にあるナーガの像には見覚えがある。正面の崩れ方は相変わらずだが、少しは整備されたのだろうか。前回来た時は本当に崩れたところばかりで、ガイドなしでは歩くのが難しかったが、今回はある程度歩道が付いており、随分と歩きやすくなっている。ここはタ・プロムよりも更に木が密生しており、遺跡の崩れ方も自然だ。いい風が吹き抜ける。とても気持ちが落ち着く場所だ。

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それでも観光客は増えてきている。この地が『ジブリ映画の天空の城ラピュタのモデルとなった』とかならないとか、という噂が流れ、一気に有名になったらしい。日本人でもアンコールワット以外にここを訪れる客が増加、また中国、韓国などでも話題になったのか、やたらにアジア系が多い。中には遺跡によじ登って記念撮影する人々もいる。

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本当に奥深い森の中にひっそりと生きてきた、という感じが強い。書物を保管した図書館に樹木が巻き付き、遺体を入れたと思われる棺がそのままに放置されている。確か3年前は途中からガイドなしでは方向すら失ったが、現在では整備され、ほぼ自分たちで歩けるようになっている。それにしても、ここにいること、それ自体が何らかの導きではないかと感じる。それほどに引きつけられる何かがある。

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アンコールへの旅2014(7)伝統の森で見えてくるもの

皆さんは説明を聞きた後、2階のショップに移動、実際に作られた作品を見る。この村はボランティアで成り立っている訳ではなく、この商品の売り上げで成り立っている。森本さんは遠く日本まで商品を担いで行商に出る。この村の活動を理解してもらい、全てが天然で作られるこの商品の素材、製造過程を丁寧に説明し、理解して買ってもらっている。『今はなんでもアマゾンで買える時代、うちの商品はアマゾンで買えない、そこに価値があるのでは』という。全くその通りだ、と感心する。因みに卸の話があっても全て断っているそうだ。

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商品の値段は以前より高くなっているような気がする。それでも買う人がいる、需給関係、いい物は必ず売れる、という信念がある。商品の裏にはデザイナーと織り手の名前が入っており、責任感も出るし、自分の目の前でお客さん(しかも欧米や日本などの遠くから来た人々)が、自らの作った商品を購入してくれる喜び、モチベーションの向上に大いに繋がる。

 

私は今回の参加者の皆さんに、『この村を評価するのであれば、商品を購入することが一番』と伝えてきた。中には大量の布を買った方もいた。6年前に買った布で服を作ったと写真を見せた方もいた。大切に1つを選んで購入した人もいた。人それぞれ、この村の活動に理解を示していた。やはり何といっても、現地を訪れ、実際の状況を見て、説明を受ければ気持ちも違う。村の子供たちにとっても自分の母親が織った、お姉ちゃんが描いたデザインが評価されることは実に嬉しい、誇らしいことだろうと思う。

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ランチも用意してもらった。これも活動の一環、スタッフが作ってくれた食事を森本さんと一緒に頂く。懐かしい一口カツなどの日本食メニューもあった。今日は撮影などがあり、かなり忙しい様子だったが、それでも一緒に食べ、色々な話をしてくれた。中でもご自分の病気について率直に語り、またそこから得られたものがある、と話す姿は、これまで私がアジアで見てきた何人かの『突き抜けた日本人』と呼べる所に行き着いたと強く思う。間違いなく我々とは一段違ったステージに立っていると、痛切に感じられる。3年前に60歳を過ぎてなお、『中国語を勉強したい』と言った森本さんとも一味違っていた。

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これまでは世界中を飛び回ってきたが、これからは出来るだけこの村で過ごす、という言葉が印象的。私もいつか終の棲家を見つけ、少しの安住を求めることがあるだろうか。その時、自分には何が見えているのだろうか。実は会社を辞める直前、この村にやって来て、何かを見たはずだった。そして3年前には何かが見えた、と確信した。だが今回、私にはまた何も見えなくなってしまった。何故なのだろうか。

 

帰りはバスがそこまで来ており、乗り込むとすぐに出発した。森は直ぐに遠のいた。僅か3時間弱の滞在だった。前回のように2泊3日ぐらいできればよかったのだが、それもまたご縁。ゆっくりと流れに任せて生きていこうと、なぜかなめらかな舗装道路の帰り道で思っていた。

 

それから

帰り道、アンコール国立博物館に寄る。ここは展示物が充実しているとのことで、ゆっくり見ようと思った。まずはビデオ、ガイドが言語を日本語にしてくれ、理解が深まる。かなりの収集物があり、年代別にきれいに展示してある。数年前に改装されたとかで、実にきれいな博物館という印象。それにしても12ドルの入場料は高過ぎはしないだろうか。外国人に広く知ってもらうという意識はなく、外国人は金を払うもの、というこの国の政策が如実に出ている。

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ここでは各人思い思い過ごす。中には博物館には入らず、買い物に行く人達もいた。まあこれはスタディツアーというより、団体観光旅行だから、そんなものかと思う。皆それぞれに興味や関心が異なるのだから、仕方がない。ましてや12ドルも支払って、面白くもない物を見ても意味がない。

 

そういえば昨年プノンペンで見学したドリームガールズプロジェクトを突然思い出す。このプロジェクトの主催者はアンコールワットの壁に描かれた文様をみて、クメール人にはデザインの才能があると思い、カンボジアの若い女性からデザインを募集し、コンテストを行い、優秀作品を商品化して、その収益をデザインした人に還元する仕組みを作った。そしてついにはプノンペンにオープンしたイオンモールにそのデザインを使った商品を販売するお店まで開いてしまった。人は何を見て、何を感じ、そしてどうするのかは個人次第だ。

 

そしてホテルに戻る。ここで半数の方々が今日の夜便で帰国となる。同時に私はこのホテルを去り、S氏から頂いたホテルに移動する。これも3年前と同じパターンである。今度のホテルは地図で見ると近そうだったが、荷物を引いて歩いていくと30分以上もかかってしまった。トゥクトゥクに乗ればよかったと後悔したが、それもまたよい経験だ。途中で道路の真ん中に祠があり、何人もの男女が祈っていたのがちょっと不思議だった。

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今度のホテルは6号線沿いのこじんまりしたところだが、フロントの雰囲気が良く、WiFiが部屋で簡単に繋がったので、気にいった。因みに古いホテルなのか、部屋はかなり広かった。こういうホテルは中国でも時々見かけるが、妙に落ち着く。

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