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フラフラと沖縄2015(4)久高 神の島を一人旅

4月23日(木)

一人で島めぐり

合宿に途中参加したため、殆ど何もしないうちに、最終日となる。朝から瞑想、アーサナ、プラナヤーマ、いい感じで1日の始まりを迎えた。どうして日常的にこれができないのか、1日は24時間しかないという事実、そして年々下がる作業効率、どうしても落ち着いて目を瞑ることが出来なくなっている。ましてや会社に行っている人には無理だろう。しかしそれでよいのだろうか。人間関係が益々ぎすぎすしている日本、皆が朝ゆっくり目を瞑ってから外へ出れば、少しは落ち着いた雰囲気が出るような気もする。ミャンマーなどでお寺に行ってゆったり座る、ということの重要性が分かってくる。でもできない。

 

午前10時まで講義があり、皆さんそのままフェリーで帰る。何ともいい天気で海が眩しい。20人以上が一度にいなくなると急に寂しくなる。A師夫妻など残ったメンバーは数人。港近くの店でアイスクリンなるアイスを食べる。何だろう、これ。お客さんは殆どいないが、経営は成り立つのだろうか。余計なことを考えた。

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昼になり、何となく交流館が用意してくれたお弁当を食べる。このお弁当、毎回実にうまいので楽しみ。しかし昨年まで大きな葉っぱに包まれていたのが、今回は発泡スチロールの容器に変わっている。葉っぱを大量に使うのは良くないという、自然資源保護のためらしい。でも発泡スチロールを使うのはどうなんだろうか。よくわからない。

 

午後念願の?一人旅に出る。他の皆さんは自転車などで夕方回るということで、一人とトボトボと歩き出す。畑の脇にバケツのようなものがある。『水が欲しい時はフタを開けておいてください』とあるから、定期的に水が供給されるのだろう。島には水が豊富にあるわけではないだろうから、共同体のように水を管理しているのかもしれない。皆で歩いているとこんなことにも気が付かない。

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タチ浜というところで、誰もいないきれいな浜辺を見る。水も透き通っている。続いてシマーシ浜では、自然の岩に祈りが込められている場所を見た。何というのだろうか。ウパーマ浜は道から浜までプチジャングルを抜けていく。そして浜に出るとごつごつした岩が沢山。それから真っ直ぐな土の道が続く。まるで映画のセットのようだ。それにしても暑い!

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歩くこと30分、ついにこの島の一番端、カベール岬へやってきた。暑い日差しの中、果てに来たという感じが実に心地よい。何故か車が一台停まっているが人影は見えない。火曜サスペンスドラマなら、確実に事件が起こる場所。ここはこれまで見てきた浜とは明らかに違う。浜に降りるのも岩をつたい、ちょっと大変。

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浜と言っても海に入るようにはなっていない。少し歩くと気持ちよさそうな岩陰があり、そこに腰を下ろす。横には誰かのサンダルとバッグが置かれている。これがさっきの車の人のモノだろうか。とすればこの人は海に入っているのだろうか。全く分からない。涼やかな風がスーッと吹き抜ける。日差しも岩で遮られ、暑さも感じられない。そして・・・?それから20分ぐらい、記憶がない。なぜだろうか?きっとただじっと海を眺めていたのだろうが、その意識がない。波の音も聞こえなかったし、何も感じなかった。ヨーガの講義でも出てきたが、ある意味で無の状態が訪れたのだろうか。

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不思議な時間を過ごした。これは神の島だからだろうか。それとも私の心に何か変化が生じたのだろうか。分からない。立ち上がる時も、ここに残りたい、という気持ちが強く出てきた。どうしようか、そんな気持ちを振り切った。何故振り切ったのかも分からない。あの車はまだ停まっていた。車の持ち主はどこへ消えたのだろうか。魚でも採っているのだろうか、それとも?

 

それから来た道と反対側を歩いてみる。アダンの実がなっている。本当に様々な木が自然に生えている。道の脇にはひっそりと隠れるように墓のようなものがあった。昨日のYさんの説明では昔この島の人は墓など作らなかったという。であれば、何らかの理由で他から来た人が作ったことになる。漂流民であろうか。その人生を見てみたい。

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海辺のかなり整備された道に出た。なんだここは?蝶々が舞い、花が咲く。ロマンスロードと呼ばれるこの道、何のために作られたのだろうか。この島には不要のようにも思われるのだが。これも行政の予算の一環だろうか。勿論歩いている人はない。こちら側は崖になっており、浜へ降りるのは大変。景色を眺める場所なのだろう。ぶらぶら歩いているといつの間にか、フボー御嶽にたどり着く。御嶽の前に立っても、横を歩いてみても、やはり何も感じない。岡本太郎はここで爆発したらしいが、私は不発。ヤグルガーという場所を通り、そして墓の沢山ある所を通る。墓は基本的に新しく、何かの規定により作られたものと感じられる。古来この島の人が墓を重視していない様子がよく分かる。

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海ぶどうの養殖をしている建屋を通り過ぎ、港へ出る。ここから船が出て魚を採ってくるらしい。今は寂しい風景だ。そして家々が連なる所を歩く。完全な迷路のようになっているのは、外敵の侵入に備えるためだろうか。石垣が見事だ。何だか歩いていると楽しくなる。人影は殆どない。観光客が自転車で通り過ぎるのみ。

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交流館に戻り、A師他と合流して、夕食へ。何だかやたらに腹が減る。焼きそばが食いたいと思い、注文するが、やっぱりそばも食べたいと追加。なんだこの組み合わせは?麺ばかり食べてどうするんだ。目の前では炭水化物を全くとらないKさんが呆れた顔で見ている。Kさんはガラス工芸作家。製作現場は富山、ということで、バタバタ茶の話などをして過ごす。

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フラフラと沖縄2015(3)久高 劇的に出会う

驚きの出会い

午前中の講義が終わり、私は外へ出た。ランチを取るために、港へ戻り、『とくじん』で定食を食べた。久しぶりに刺身を食べてウキウキ!そして少し散歩しようと思い、これまで歩いたことのない道を通ってみた。すると向こうの方に学校のグランドがあり、その中に奇妙な建物が見えた。近くでみるとそこはシャワー室のようである。何でこんなところにシャワーがあるのか、グランドで運動した生徒が使うのか?

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その建物の前まで行くと、何と人が二人おり、座ってコーヒーを飲んでいた。『こんにちは』と言われたので、こちらも挨拶し、話が始まった。この二人はバイクで沖縄を回っており、宿泊はテントを張って寝る。何とここはキャンプ場を兼ねていたのだ。まさか神の島でキャンプする人がいるとは、全くの想定外だった。髪の長い人は昔バックパッカーだったようで、アジアから世界まで、歩き回ったらしい。何となく親しみが持てる。

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『交流館に泊まっている』と伝えると、『え、ヨーガやってるの?』と言い出す。何で私がヨーガ合宿に来たことが分かったんだろうか。『実は昨日レストランへ行ったら、知り合いのおばさんに会った。その人がヨーガの合宿だと言っていた』というのだ。ということは、この人は偶然にも、この離島で、知り合いと会ったということか。しかも偶然にも私にも出くわしたのか。いくら狭い島とはいえ、これは単なる偶然ではあるまい。

 

午後の講義が始まる時間となったので、名残惜しいが失礼することに。最後に彼が『お名前は?』と聞くので、名乗ると、彼ももう一人の若者も、実に驚いた、という顔をした。何と彼と私は同じ苗字だったのだ。田中さんや鈴木さんなら、あり得ることだが、我々の名字はそんなに沢山はいない。これはまたただ事ではない、『きっとまた会うな』という余韻を残して別れた。

 

島巡り

午後は講義ではなく、恒例の島巡りだった。3年連続で、Yさんがやって来て、我々を案内してくれた。ユーモアたっぷりに話すYさんはこの島一のガイドだが、正直、毎年全く違うことを言う訳ではない。どこで笑いを取るか、ダジャレが出るか、何となく分かってくる。『Yさんお得意の、我々の祖先はアーリア人』も驚かなくなる。というか、むしろそうかな、と思う。四国でも、『高知にはアイヌ語の地名が沢山ある』などと聞いているので、十分にあり得る話である。

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Yさんと島を回ると、毎回違う発見があることも事実である。何回も歩くことで、より深く理解できることも多い。4月と5月では風景も少し違う。ただこれまで私は一人で島を巡ったことがない。毎回このツアーに参加する以外は、ほぼ交流館に籠っていたのだが、先ほどの奇跡的な出会いがあったせいか、どうしても一人歩きがしてみたくなる。今回は合宿後の延泊を申し出ていたので、その機会に期待が膨らむ。特に御嶽の前、名もない浜、何かが感じられるような気がした。

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そして交流館へ帰ろうとした時、合宿に参加している女性が誰かと話しているのが見えた。何と先ほどのキャンプの2人だった。この女性が知り合いだったのだ。皆でその奇遇を喜び合う。この女性のお嬢さんと彼が知り合いで、昔よく家にも来たのだそうだ。『夜一杯やりましょう』と誘われたが、結局その機会はなかった。翌日彼は島を離れ、一緒にいた若者が交流館まで彼のメッセージを持ってきてくれた。いつかどこかで会うだろう、と確信する。

 

夕飯は相変わらず、島のおばあが作ってくれるヘルシーな料理。これはこの合宿に参加する楽しみの一つ。今回の参加者はベジ組とノンベジ組にハッキリと分かれ、食事も少し別になっていた。あとから来た私はそのことを知らずにベジ組の席に座ってしまう。今回はリピーターも少なく、ちょっと戸惑う。

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夜はイザイホーについてのDVDを見る。1978年を最後に開かれていないこの島最大の儀式。12年に一度のこの儀式は昨年も開かれなかった。該当者がいないのだが、それなら基準を緩和するのが今の風潮。勿論島内でも色々と議論はあると思うが、最後は神の掟に反することはしない、という結論なのだろう。『人間が古来のルールを都合の良いように変える』ことはある時は必要だろうが、それにより失われるものもそれなりに大きい、とこの島に来ると感じる。

 

4月22日(水)

ヨーガで思うこと

朝5時に起きて、5時半から広間に座り、瞑想する。普段はあまりやらないので、とても新鮮。その後アーサナ、プラナヤーマと行い、何となく体がすっきりする。いつもは朝からPCに向き合い、椅子に座った姿勢を長時間取るのだから、体に良いことはない。それは良く分かっているのだが、なかなか止められない。

 

この合宿に朝食はない。スナックを食べながらティータイムがあるだけ。食べ過ぎ防止にもちょうど良い。実際ヨーガをやっているとそれほど食べなくても済む、という感覚がある。ストレスがなければ、食欲は低下するのだろうか。ヨーガは汗を掻いて痩せるのではなく、ストレスを和らげ、心身のバランスを整えることにより、結果として痩せる、ということだろう。

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その後、毎回聞いているはずの講義を聞き、いくらかを思い出し、多くを失う。1か月経って、メモも見ずに思い出せること、それが本当に頭に残ったこと、身に着いたこと、なのだろう。分からなくても何度も何度も聞いているとある日分かる、ということもありそうだ。我々は今、如何に簡単に情報を得て、簡単に事を運ぼうとしているのか、考えさせられる。今日も夕陽がきれいだ。5月は梅雨だが、4月は天気が良い。

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フラフラと沖縄2015(2)那覇 安座間港でインドカレー

安座間でインド料理

真っ暗な港でただ一つ、煌々と明かりが点くそのインド料理屋。中を覗くと家族連れなどお客が美味しそうにカレーを食べていた。わざわざこんなところでまで何故彼らは来るのか?ちょっと不思議。荷物を抱えた私は2階の民宿へ行く道を探したが、階段は1つしかない。ところが上がってみると普通の個人の家の玄関に来てしまう。これは間違えたと思い、階下へ戻るが、やはりほかに道はなし。意を決してその玄関を開けてみる。

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今晩は、と声を帰ると、中にいた若者が出てくる。ここが民宿なのだという。民宿というより、個人の家に部屋借りするような感じだ。『オーナーは出掛けた』というと、私の部屋に案内してくれ、風呂の使い方などを丁寧に教えてくれる。そして『預かりものです』と言って差し出されたのは、私のヨーガマット。前回のヨーガ合宿の後、1年前に大学の先輩Nさんに預けた物を今日引き取り、明日ヨーガ合宿へ行く手筈を整えていたのだが。Nさんは7時頃わざわざここまでマットを届けてくれたようだ。電話してみると、もう別の会合に出掛けた、と言われ、今回会うことは叶わなかった。大変申し訳ないことをしてしまった。お詫びのしようもない。

 

若者はリビングでテレビを見ながら、レトルトカレーの夕飯を食べていた。この辺にレストランかコンビニはないか、と聞くと、『コンビニはバイクがないと無理っすね』という。やはりそれほどに辺鄙な場所なのだ。レストランもこの下のインド料理屋しかない、と言われ、かつ午後9時には閉まるらしい。慌てて食事を確保するため、下へ向かう。因みにこの若者は漁師になるため、大阪から来ていた。漁が少ないこの時期は他のバイトで繋いで、ここで暮らしているらしい。この宿には既に1か月滞在しているという。お客は彼一人しかいない。

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インド料理屋には入ると、お客は全て帰っており、ひっそりしていた。カウンターに腰かけて、メニューを見、チキンカレーのセットを注文した。スタッフは3人、カウンターの向こうにいた大柄の男性はデリー出身のインド人。私の理解では世界のインド料理屋の多くはネパール人がやっているのでちょっと意外。

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店長で日本語が流暢な男性はやはりネパール人。日本滞在は6年になるが、最初の3年は千葉県浦安付近のインド系が多いところで働き、その後は石垣島、そして今年からこの店に来たという。オーナーは日本人のこの店、彼にとっては沖縄が好きなのではなく、出稼ぎの場でしかない。沖縄本島や石垣島でも、インド料理は人気のようで、店が少ないので出店が続いているらしい。わざわざ那覇から車でここに食べに来る人が多いとか。大きなナン、カレーも美味で満足。まさか安座間港でこんなに美味しいカレーが食えるとは、世の中は確実に動いている。そして今回が3回目の久高島だが、毎回何らかの変化があり、今から楽しみになる。

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2階に戻るとオーナーが帰ってきた。リビングでお茶を飲みながら少し話す。ここはオーナーの自宅で今も1室に住んでいる。以前は1階で居酒屋もやっていたようだが、その後は人に貸し、そして今年からはインド料理屋に貸しているのだという。部屋は5部屋あり、タイプはバラバラ。最近は内地から来る修学旅行生が、体験学習の一環で、このような民宿に泊まるとも言う。『修学旅行のシーズンは一般人の受付をしないこともある』ということで、今晩泊まれたのはラッキーだったのかも知れない。

 

というか、普段ここに泊まる人とは一体どんな旅をしている人なのだろうか。久高島に渡るだけなら、那覇からくればいい。外国人は気まぐれな欧米人が偶に来るだけらしい。ここにはWi-Fiも設置されておらず、バンコックを出てからまる1日、メールチェックすらできていない。仕方なく風呂に入り、寝てしまう。となりの部屋では、例の若者が何やら音楽を聞いている。やはり普通の家に泊まっている感じだ。

 

4月21日(火)

3.久高島

引き寄せられる浜、そして出会い

翌朝は早めに起きて、港の周りを初めて散歩。安座間のビーチなどへ行ってみるが、勿論誰もいない。沖縄としてはちょっと肌寒い気候だから、海に入る人などいるわけがない。久高行きの最初のフェリーの時間を確認したかったが、切符売り場は閉ざされている。その横で、久高へ持ち込む荷物の整理していた人がいたので、何とか確認できた。午前9時のフェリーに乗るべく、宿を8時40分に出たが早過ぎた。パラパラと乗船客が集まり、出航。波も穏やかで僅か12分で久高島に着いてしまう。いつものカーフェリーより格段にスピードが速い。

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島に一人で上がるのは初めて。さすがに3回目なので宿泊する交流館の場所は分かるだろうと思ったが、最近進んでいるボケのせいか、はたまた過去人の後ろしか着いて歩かなかったせいか、ちょっと迷う。荷物を引き、ふらふらと歩いていく。何となく浜の方に引き寄せられていく。その浜はこれまで行ったことがない、名前も書かれていないところだった。ここに一体何があるのだろうか、やはりここは神の島、何かを告げているのだろうか。非常に興味が湧くが、気を取り直して道を戻し、何とか交流館にたどり着く。

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交流館では既に午前中の講義が始まっており、ゆるゆると後ろの方の席に着く。今回も25名が参加しているが、初めて会う人も多い。途中参加だと自己紹介が聞けないので誰が誰だか分からない。そしてボケのせいで?過去にあった人も識別できないケースが出てくれる。休憩時間に『メールで連絡したんですけど』と言われる。何と私の今日の昼ごはんがないのだそうだ。え、っと一瞬思ったが、メールチェックはできなかったのだし、それもまた運命。港近くに食堂もあるので特に問題はないが、何となく波乱の予感。

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フラフラと沖縄2015(1)那覇 外国人しかいないイミグレ

《フラフラと沖縄2015》  2015年4月20日₋30日

 

ここ2年、沖縄へ行っている。目的はヨーガ合宿。神の島久高で行われるこのイベントは、何と言っても久高に魅力があり、外せない。今年も行くことにしたのだが、昨年までは5月だったこの合宿が4月になり、ちょうどタイのソンクランと重なる。ソンクラン直後は飛行機料金も高いため、安くなる日を待つと、合宿は既に始まっていた。今回も久高から本島、伊良部島を巡る昨年とほぼ同じ旅。さて、何か新しいことは起こるだろうか。

 

4月20日(月)

1.那覇まで

上海で凍える

バンコックの空港から夜中に出る東方航空に乗る。相変わらず、中国人がチェックインカウンターに大勢並んでいたが、最近は処理も早くなっている。皆海外旅行に慣れたのではないだろうか。勿論団体は別カウンターだ。バンコックは4月が一番暑く、この日も35度以上はあった。まあ出発したのが夜中なので、薄い上着を1枚持って行った。購入後すぐと思われる真新しい機体。きれいで良い。機内ではぐっすりとはいかないが、ある程度眠れたのは上着のお陰か機体のお陰か。

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そして朝7時、上海の浦東空港に到着する。機内から外に出てビックリ。滅茶苦茶寒いのだ。気温12度、私が乗る那覇行きフライトは午後2時であり、約7時間、この寒さの中で過ごさなければならないのかと思うと、うんざりした。当初の予定では一度入国して、浦東の辺りでも散策して空港に戻ろうか、などと考えていたのだが、とんでもない。

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取り敢えずトランジットカウンターへ行く。北京などでは厳格なゲートがあり、イミグレと同じようなシステムなのだが、ここはカウンターで簡単に手続きして、あっという間に出発階に出てしまった。どうするんだ、この寒さ。何とかラウンジに入れる方法を考え、入れてもらい、熱いお茶を飲み、落ち着く。

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ここではネットは繋がるが、VPNは機能しなかった。ということでFBは勿論、Gmailすら見ることができない。仕方なく、中国のYoukuを開いて、日本のドラマを検索。ちょうど松本清張の『点と線』のドラマがあり、それに見入る。何と前後編で5時間の長編。ひたすらお茶を飲みながら、ドラマにはまる。徐々に寒さが収まる。

 

出発時間になり、ゲートへ行ってみてが、出る様子がなく待機。少し経つと、搭乗となったが、その後機内で待機。食事が先に出てくる事態に、半ば諦め。7時間待って乗ったのに、2時間近く遅れる。機内は中国人が多かったが、文句を言う者もいない。もう皆慣れているのだろう。

 

日本人のいない那覇空港

那覇空港に着いたのは午後6時過ぎ。イミグレに向かって歩いていったが、入国審査のゲートに何と『日本人』がない。え、信じられない。キョロキョロと探していると、ゲートの向こうから人が出てきて、私を確認して一番端のゲートを開けた。確かに一番端にだけ、日本人、の表示があった。

 

聞いてみると『ここから入国する人の殆どは外国人ですから』と言われて驚く。我々の便は勿論、アジアから那覇に着く便の殆どには中国人、台湾人、香港人、韓国人を中心にアジア人が乗っているのだそうだ。10あるゲートのうち9が外国人向けになっているのも頷ける。

 

1階に降りて、荷物を受け取りに行く。ちょうど荷物が出てき始めており、自分の荷物が出てきたと思って、ターンテーブルに駆け寄ると違っていた。すると後ろから『どこから来たのか?』と中国語で声を掛けられた。振り返ると空港職員が立っている。思わず『私は日本人です』と日本語でいうと、先方もビックリして、『外国人が多いものですから』と言い訳する。確かに私は日本人には見えないのだが、日本の空港で日本人から中国語で話し掛けられるとは、何となく異常な感じがする。

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2.久高へ

安座間港まで

空港を出て、すぐにタクシーに乗り込む。久高島行のフェリーが出る安座間港まで行く。乗ってから気が付いた。今晩は大学の先輩との待ち合わせがあるのだが、彼は携帯電話を持っていない。今日泊まる宿で会う予定なので、そこへ電話しようと思ったが、何と日本の携帯電話は充電されておらず使えない。

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タクシーにはかなり長い時間、乗っていた。まさかこんなに遠いとは思っていなかったので驚く。途中で渋滞もあり、なかなか進まない。那覇から行った時は30-40分かかっていたが、まさかそれより遠いとは。『知念岬は端の端だよ』という運転手の言葉が、久高への遠さを思う。

 

50分ぐらいかかって、何とか見覚えのある安座間港までやってきた。今日の宿は港の真ん前の民宿。だが、周囲は真っ暗で宿などありそうもない。運転手の携帯で電話してもらうと、『インド料理屋の上だよ』と言われる。こんな何もないところに、インド料理屋?と思ったが、確かに暗い道の脇に、明かりのついたレストランがあった。タクシー代は5000円を越えていた。ちょっとショック!

カンボジアご縁の旅2015(10)プノンペン 街を歩いて気づくこと

それから橋を渡り、ダイアモンドアイランドへ。建設中の国際学校が見える。その他、いくつものの開発が見られた。私の目的地はこの中にあるホテル。実はこの橋ではなく、もう1つ上流の橋の袂にあったので、かなりの時間を歩く羽目になった。ようやくたどり着いて見ると目の前には東横インが建設中だった。1月にプサンで泊まった時、プノンペンにもできると書かれたポスターを見た記憶がある。それが今、目の前に現れた。3月にオープンの予定とか。普通のビジネスホテルの他、日本人の長期滞在を見込んでおり、料金は日本と変わらないぐらいらしい。

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さて、河沿いにお洒落な建物が並ぶ中、私が訪ねたホテルはこちらも日本人経営。屋上に風呂があるというので行ってみたが、あったのはジャグジー。しかも水は入っていなかった。部屋を見せてほしいというと『満室だ』と断られたが、『もし次回泊まってくれるなら、割引するよ』とカンボジア人スタッフは言う。どうも話がちぐはぐだ。実はその横にも新しいホテルが出来ていた。こちらはやや高級なイメージがあり、敬遠して入らなかったのだが、後で聞いてみると、こちらも日本人経営とか。日本人によるプノンペンへの投資は、大きな企業から個人べースまで、かなり進んでいることが分かったが、既に上手くいくケースとそうでないケース、明暗が分かれ始めている。

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ホテルのある建物の後ろには、4年前に観光で来た、大型結婚式場?があった。カンボジアもベトナム同様、結婚式には相当にお金を掛け、盛大に親戚や友人を呼び合う。それにしてもこんな大きな建物、誰が使うのだろうか。前回聞いた時はフンセン首相の息子の結婚式に2万人?がやってきた、と聞いたような気がする。

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また街歩き

それから炎天下の中、メコン川沿いを北上した。カジノのあるナーガホテルは改装中。その向かいには観覧車があるが、かなりスピードが速いと聞いた。今日は動いているのだろうか。王宮にたどり着くと、シハモニ国王の写真が飾られていた。4年前はシアヌーク国王の写真だった記憶があるが、国王は3年前に北京で亡くなっていた。時の流れを感じる。

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かなり北上した川べりのところに、シアヌークビルでも訪ねた日本人経営のゲストハウスがあった。中はやはりきれいで、ドミトリーのみ。ここでもロビーには欧米人がゴロゴロしており、今日も満室で泊まれない、と言われた。『日本人は金があるから、もっと高い宿に泊まるんだろう』とフロントのニーちゃんに言われる。そうなのだろうか。それにしてもこの繁盛ぶり、ロケーションがそれほどよくない中、なかなかすごい。その後疲れたのでWiFiの繋がるカフェで休憩し、ライムジュースを二杯も飲んだ。

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それからゆっくりと歩いて、宿へ帰った。途中にローカル市場があり、中を通り抜ける。熱い空気がこみ上げてくる。狭い路地、野菜・果物・魚など、買い手と売り手が和やかに会話している。中国なら、丁々発止の交渉が行われるが、ここにはそんな雰囲気はない。正月が近いので、赤い提灯などの飾りが売られている。

 

韓国系焼肉

疲れ果てたのでシャワーを浴びてぐったり寝込む。今晩は現地でフリーペーパーを発行しているKさんと、カンボジア伝承医学の復興を目指すTさんと再会する予定。Kさんがトゥクでわざわざ迎えに来てくれる。Kさんと会うのは4年ぶり。すぐ近くの焼肉屋へ向かう。ここは肉屋さんだから、肉が美味いと評判のようで、7時に行くとすでに満員状態。何とか席を確保する。

 

それにしてもカンボジア人の店員のスローテンポはなかなか、凄い。席が空いても案内しないし、既に去ったお客のテーブルを片づけることもしない。我々が何か言っても反応が鈍い。Kさんのクメール語が理解できない子もおり、ここで仕事をするのも大変だな、と痛感した。マネージャーの女性が何とか捌いて行くが、カンボジアの若い子だけでは店は回らない。これは工場でも同じだろう。この国の将来を考えると、ちょっと心配になるが、それは大きなお世話なのだろう。

 

確かに肉はウマし!そして韓国系がやっているので、キムチ以下、副菜がずらりと並ぶ。完璧な韓国焼肉をプノンペンで食べられるとは感激。遅れてきたTさんも加わり、カルビ、ロースと頼み、バクバク食べて腹を満たす。さすがフリーペーパーの編集長、いい店知っている。今やカンボジアでも日本語フリーペーパーの創刊が増え、競争が起こり、独自性を出す必要に迫られている。

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2月10日(火)

ランチ

翌朝はすごくゆっくり起きた。そして出掛けることもなく、宿に籠り、旅行記を書いて過ごした。偶にはこんな時間がないと、疲れが取れない。暑さの中、毎日歩くのはそれだけでも疲労が溜まる。12時前にチェックアウトして、荷物を預けて、またボンケンコンを歩く。ちょうど良いカフェを見つけて、一日中オーダーできるブレックファーストを頼む。WiFiは初め繋がっていたが、途中で切れ、少し休んでいるとまた繋がった。自分の体と同じだな、と思う。

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2時間ぐらいネットを触り、また宿へ歩いて帰り、荷物を持って空港へ向かう。宿の横に居たトゥクを捕まえ、乗り込んだのだが、何と途中で別のトゥクへの乗り換えをさせられる。初めからあの宿の辺で客を捕まえる係だったのか、それとも急用ができたのか、全く分からなかったが、まあ特に問題もなく。空港に着く。現在拡張工事中だ。

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空港ではちょうどエアアジアのチェックインが始まろうとしていた。2時間前しかチェックインさせないのはエアアジアの都合なのか、空港のキャパの問題なのか、いずれにしてもすでにかなりの行列が出来ている。欧米人が多い。ほぼ満席のフライトに乗り、何とかドムアン空港にたどり着く。ちょっと疲れた旅だった。

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カンボジアご縁の旅2015(9)プノンペン イオンモールのワタミにて

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Kさんとワタミ

ゲストハウスのフロントのニーちゃんたちは、相変わらずフレンドリーだった。部屋も前回の4階から、2階に移してくれたというので、大喜び。預けた荷物も持ってくれ、2階の個室へ。古びていて窓もないが、快適そうな部屋だった。エアコンを点けて、お湯の出を確認し、さあ、シャワーでも浴びようかとしていると、ドアがノックされた。ニーちゃんが血相を変えて入ってきて、『ごめん、部屋を間違えた』と部屋替えを迫る。今度は3階だというので、しぶしぶ同意すると、ニーちゃん、かなりホッとしていた。

 

今晩は大阪からプノンペンに拠点を移したKさんと会う約束になっていた。彼を待つ間、その部屋でまたテレビを見て休む。カンボジアでNHK大河ドラマが見られる、しかもこんな安いゲストハウスで。ちょっと感激。それにしても井上真央、どうなんだろうか?大河の主演女優としては華がない、ようにも思えるのだが。東出何某の久坂玄瑞もイメージ違うなあ??

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携帯が鳴り、表へ出るとKさんがすごく立派なトゥクで迎えに来てくれていた。がっちりした大型バイクに跨り、運ちゃんがポーズを取ってくれたので、思わず写真撮影。でもこの運ちゃん、田舎の人のようで、イオンモールの場所も分からない。周囲の運ちゃんに聞いて、何とか方向を理解して進む。

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日曜日の夜のイオンモール、さすがにお客が沢山いた。正直日本人としてかなりホッとした気分だった。ホーチミン、そして先日のプノンペンとも平日に来店したため、お客さんが少なく、大丈夫なのかなと危惧したのだが、週末はだいぶ様子が違っていた。家族連れがとても多い。1日遊ぶ場所、遊園地として扱われている。まあ、とにかく人がいることはいいことだ。先日訪問したWakanaショップを覗いたが、渡辺店長は不在だった。

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日本の居酒屋、ワタミに入る。ここはKさんのお気に入りのようで、日本人の店長以下、仲良しだった。ワタミ前会長の渡邉美樹さんが来店した際にも、一緒に食事をしたとか。簡単なセットメニューを頼むと、日本にはない料理が沢山出てくる。カンボジアオリジナルもあり、香港の店から持って来たメニューもあるという。カンボジアの人に如何に受け入れられるか、苦労しているのだろう。味付けも甘めで、カンボジア人好みにしているように思う。寿司も巻物で、日本にはないような具を入れている。

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午後8時前に入店したが、席は殆ど埋まっており、日本人客はあまり見られなかった。殆どがカンボジア人の家族連れ。それが結構いい物を食べており、消費力のある層がいる、増えてきていることを覗わせる。酒を飲んでいる人はあまり見られず、暑い中鍋をつつきながら食事を楽しんでいる光景が印象に残る。カンボジアも金持ちと貧乏人しかない、と言われる国。そこに中間層が出てきたのだろうか。

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Kさんは最近本格的にカンボジアに居を移した設計士さん。日本企業の進出も盛んになっており、仕事は沢山あるようだ。しかし彼は『カンボジアは海外進出の通過点だ』と言い切る。将来はアフリカあたりに行ってみたい、というのには驚くと同時にかなり飛躍があると感じたが。そういえば先日会ったバーの店長、たかやんも昨年は『将来アフリカに行きたい』と言っていた。Kさんの場合、『カンボジアには家族を呼ぼうとは思わないが、アフリカの気にいった国なら、一緒に暮らそうかと考えている』というから本気度は高い。世界はまだまだ広い。こんな発想になるのも、きっとカンボジアという国にいるからだろう。

 

イオンモールの夜は煌々と輝いている。そこに沢山の人が集い、楽しむのであれば、とても良いことだろう。これが続くことを願うのみだ。帰りもトゥクで送ってもらう。プノンペンの街は以前よりはかなり明るくなったとはいえ、まだまだ暗い。イオンの灯りはカンボジアに取って実に眩しい。

 

2月9日(月)

流行るホテル 流行らない和食

翌朝はゆっくり起きて、10時頃に散歩に出た。既にかなり暑かったが構わず、プノンペンの代官山??ボンケンコン付近を歩き回る。ここはお洒落エリアだが、店の浮き沈みも激しい。1年前にはあった日本食レストランが見付からない。早々に店じまいしたらしい。エリアはどんどん広がっている感じだが、お客がそれほどいるのだろうか?プノンペンも地価ばかりが上がり、商売繁盛とはいっていないところが多い。

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本日はダイアモンドアイランドという新興開発地区に行ってみることにした。ボンケンコンからイオンモールの方に歩いていき、橋を渡ると着く筈だったが、道を間違えてしまい、かなりのローカルエリアに踏み込んだ。これは面白いとどんどん進むと最初は市場などがあり、人通りがあったが、後は迷路。そして路地の人の目が厳しくなる。よそ者、を自覚し、すごすごと退散した。

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何とか見つけて橋の手前まで来ると日本食レストランが見えた。時間はまだ早かったが、確か美味しいとと誰かが言っていたので、食べてみることにした。店員の愛想はよいが、お客は私しかいなかった。8ドルのカツ丼を注文し、それを食べたが、最後まで客は私一人。これで経営が成り立つのだろうか。ここが美味いと言われても、これだけ誰も来ないとなあ、プノンペンの日本食屋は完全に淘汰の時代に入っていると思う。

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カンボジアご縁の旅2015(8)シアヌークビル リゾートではゆったりしたい

縁日2

宿のベッドで横になると眠気が襲う。確かに朝から歩き続けて夕方まで来てしまった。熱いシャワーを浴びるとぐったりした。寝入る。東南アジアでは、この心地よい午睡が楽しい。全てのトラブルを忘れて、グーッと深く、眠りに落ちる。その深さに爽快感があり、素晴らしい。気が付くと8時を過ぎていた。

 

腹が減ったので、またさおりさんの店へ行く。今日も忙しそうだったので、声をかけずに、イカ焼とビールを注文。それを頂いていると、さおりさんより、『さっき市場で買った魚の刺身』が届けられた。これが美味かった。やはり自分が市場で見た魚が目の前に出てくるのは面白い。そして焼きそばを食べて、早々に退散した。朝からの疲れがビールで一気にやってきた。フラフラしながら宿へ帰る。

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2月8日(日)

ソカビーチ

シアヌークビル最終日。午前中は散策に充てる。ただ昨日のように遠出すると大変なので、宿の近くを歩く。さおりさんの店と反対側にもビーチがあると聞き、行ってみる。宿のすぐ近くに日本食レストランがあったが休業していた。既にシアヌークビルでもレストランの淘汰が始まっているのだろうか。

 

ソカビーチ、きれいな浜が広がっていた。中国人観光客がパラパラといた。そこへヒジャブを被った小柄な女性たちが団体でやってきた。インドネシアあたりからの観光客だろうか。海を見て嬉しそうにしている。そこへ今度は、若い僧侶の団体がやってきた。イスラム教徒と仏教徒がこのビーチで出会う。勿論言葉を交わすわけでもなく、さりとて避けるわけでもない、お互いが海の見つめている、世界にはそんな関係が必要ではないだろうか。

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ビーチの横にホテルがあった。実に立派なリゾートホテルで、入口まで歩いていくにもかなりの時間が掛かった。かつて子供が小さかった頃、香港からアジア各地のビーチリゾートへ行ったことが思い出される。こんなホテルがあるなら、シアヌークビルにも来ればよかった、アジアはまだまだ広いな、とつくづく感じる。

 

ホテルロビーの向こうでは朝食を取る人でごった返していた。中国人が多くいたのには驚いたが、そういう時代なんだ、と痛感する。かつてはフランス人を中心とする欧米人向けのリゾートだったが、今や中国人の独壇場、それがいいとかどうとか言うつもりはないが、何だか違和感のある風景になっている。ハワイを日本人が占拠した時も、こんな感じだっただろうか。とにかく余裕がない。リゾートのゆったり感もなく、せかせかとご飯を食べ、写真を撮り、バスに乗り込んで観光に出ていく。こういうのはリゾートではない。

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帰り道をトボトボ歩いていると腹が減ってきた。カフェに入ってネットを繋ぎながら、朝食を取ろうと思う。朝昼兼用でパンケーキを食べる。カフェには殆ど人がいなくて静かで良い。実に緩い時間が流れている。シアヌークビルにはこの緩さが似合うのであって、ソカホテルのような慌ただしさは似合わない。どこに行っても同じ行動を取ってしまう中国人や日本人、少し考えたほうが良いのではないか。

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シアヌークビルを離れる

ダラダラとカフェで時間を過ごしていると、ランチの人が入ってくるようになった。そろそろここともお別れだな。宿のニーちゃんもさすがに12時に出ていけとは言わなかった。この宿が経営するバンが1時半に出るのだから、当然といえば当然だが、そんなサービスをセットにしてくれるといいのにとも思う。

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ところが1時過ぎにチェックアウトして、バンの停車場へ行ってもバンは来ていない。チケット売り場に聞いても待て、とだけ言う。乗客が集まり出したが、一向に来る気配がない。1時半を過ぎてようやくバンが乗客を乗せてやってきた。同時にもう一台もやって来て、我々が乗り込む。まあこの程度の遅れであれば、上出来だろう。

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こうしてシアヌークビルを離れた。2泊3日、滞在丸2日にしては中身の濃い旅だった。昨日歩いた道をバンがスピードを出して通り過ぎていく。郊外にはビール工場が見えた。ここはリゾートと同時に工場もあるんだな、とその時初めて思った。日本企業の誘致活動も行っているという話だったが、駐在員はそれほどいないようだ。これからこの街はどうなっていくのだろうか。

 

今回は席が一人席で、ゆったりしていた。乗客はカンボジア人が後ろに固まって乗っていた。日本人も2人いた。1時間ほど一昨日来た道を走ると急に車が止まった。あれ、休憩には早いようだが、と思ったが、やはり休憩だった。トイレを探して建物の後ろへ回る。すると洗濯物が見え、薪で湯を沸かしと、そこに住む人々の生活感が滲み出ていた。こんな光景もよい。

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今回の休憩はトイレ休憩ではなく、カンボジア人がフルーツを買い込むために停止を要求したことが分かった。如何にもカンボジアらしい。また1時間行くと、正規の休憩があったのでわかる。そこで前回同様パイナップルを食べる。その後も順調に進んだが、プノンペン郊外に来ると渋滞が始まる。そしてカンボジア人が一人また一人と降りていき、終点まで乗っていたのは外国人ばかり。合計4時間の旅が終わった。私はそこから15分ほど歩いて、懐かしのナイスゲストハウスへ戻った。都会の道は歩き難かった。

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カンボジアご縁の旅2015(7)シアヌークビル 熱いシャワーを浴びるには頭を使え

街の市場へ

その後さおりさんは忙しそうに作業しに降りていった。私はゆったりとお茶を飲みながら、この景色を満喫し、いい時間を過ごした。さて、次はどこへ行こうかと思っていると、さおりさんが『市場へ行く』というので、付いて行くことにした。ビラに通じる新しい道はかなり急な坂になっていて、歩いて降りるのも、ちょっと難儀だ。ここを登って来るのは大変だと思われる。バイタクに断られるというのも頷ける。

 

下でトゥクを拾い、街の中心地へ。先ほど歩いてきた道を戻る。当たり前だが、実に速い。あっという間に市内中心部に着いてしまう。これで2₋3ドルなら歩く人などいない。ただカンボジアの物価からすると3ドルは意外と高いし、アジアで考えても、カンボジアには公共交通機関がないため、交通費はかなり割高だと思わねばならない。

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市場は午後の気だるさに包まれていた。雑貨、日用品を売る店、野菜を売る店、そして魚を売る店。さおりさんは仕込みとして、魚屋へ向かう。結構いい魚をおじさんが捌いていたが、売ってはくれない。それは他の人が持ち込んだ魚をさばくだけの仕事だった。氷ボックスにも魚が入っており、よさそうな切り身を買う。他の店で小エビも買う。自分が食べるかもしれない魚を目の前で買う、そしてどんな料理にしようかと考えている人を見るのは、実は久しぶりだ、とこの時思った。

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油や塩もここで手に入れる。味の素が大々的に売られている光景が新鮮だ。言葉は片言の英語。クメール語はこれから勉強というさおりさん、それにしてもわずか2か月でかなり馴染んでいて、驚く。ある意味、カザフで揉まれた経験から、カンボジアあたりは容易いのかもしれないが、それにしても順応力が非常に高い。そして必要な物を目ざとく見つける技、昔中国に留学していた時のことを思い出す。欲しいものを見つける力、そして即座に判断して買う能力、これは鍛えなければ身につかない。

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市場で買い物して結構疲れたが、そのままスーパーにも行く。このスーパーは外国製品も多く、日本の醤油や麺なども売っている。お茶のコーナーを見ると、何とカンボジアの茶が売られていた。ベトナムへ一度輸出された物が、こちらに輸入されているところが、如何にもカンボジアだ。美味いのだろうか、このお茶。

 

さおりさんが『少しサボっていきましょう』と言い、市場近くのカフェに入る。ここのコーヒーが美味いというが、私は暑さに負けてライムジュースを飲む。カンボジアでもタイでも基本的にレモンというものはなく、ライムである。これが安くて美味いので、冷たいものを飲む時は大体ライムジュースにしている。当たりはずれも少ない。

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さおりさんの家はこの近くらしい。シアヌークビルでも色々なトラブルがあるが、カザフに比べればかなり楽だという。それは先ほどの市場の様子を見れば明らか。何といってもこちらのほうが断然ゆるい社会なのだ。カザフは社会主義ソ連が色濃く残った世界。かなり緩くなったとはいえ、日本人には厳しい環境だ。長野生まれで、後は富山に住んだだけで、いきなりカザフへ行った彼女にとって、ここは安住の地かもしれない。『親や兄弟もここなら呼べるような気がする』という言葉が妙に印象的だった。

 

GHで騒ぎ

さおりさんと別れて、テクテク歩いて帰る。かなりリフレッシュしたので、足取りは軽い。ただシャワーを浴びたい気分で一杯になる。結局昨日からシャワーを浴びていないのだ。宿に帰れば部屋を替わり、熱いシャワーが待っていると思いきや?あれ。フロントに顔を出すと、ニーちゃんがしれっとキーを渡す。新しい部屋のキーかと聞くと『部屋は既に満室で替われる部屋はない』というではないか。当然文句を言うと、すぐにマネージャーのカンボジア人に電話を入れたが、答えは『12時半に来なかったから部屋はない』との一点張り。何だそれ?

 

ニーちゃんもさすがに困った顔をしている。『本当に1つも部屋はないのか』と聞くと、『実は1つあるにはあるのだが…』、何だと詰め寄ると、『いやー、鍵が壊れている部屋ならあるんだけど??』、え??鍵がどう壊れているんだ?説明を聞いても当然よく分からず、頭に血が上りそうになるのを押さえて、冷静に対処しようと努力した。まあ、とにかく、その部屋へ行ってみた。

 

確かに部屋のドアの鍵が壊れていた。内鍵はかけられるが、外出時に鍵がかからない。それならここに泊まるのは無理だ。だが・・、『お湯は出るんだろう?』と聞くと出るというので出してみるとちゃんと出る。ということは・・『私はここでシャワーを浴びる。それから自分の部屋に戻る、それでどうだ』というと、『いやー、その通り。それが言いたかったんだ』と言わんばかりの顔で、ニーちゃんは満面の笑みになる。彼も色々と苦しんだな、と分かる。

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それから部屋に戻り、着替えを持って、鍵の壊れた部屋でシャワーを浴びた。疲れと汗と怒りを流し、その爽快感は格別だった。だが、いざ外に出ようとすると、何と内側から掛けたチェーンが外れなくなってしまった。どうしよう、廊下に人の気配はなく、このままでは誰か来るまで出られない。仕方なく、力任せにガチャガチャやっていると、何とか抜けたので助かった。熱いシャワーを浴びるのに、これほど苦労するとはさすがカンボジア?

カンボジアご縁の旅2015(6)シアヌークビル 同じ日本人経営のホテルと言っても

日本人経営の宿といいながら

少しお酒が入っていたので朝はスッキリ目覚める。早々にシャワーを浴びようとしたが、いくら待っても湯が出てこない。これはおかしいとフロントへ行き、事情を説明するとスタッフは部屋を見に行こうともせずに、『それは壊れたのかもしれない』という。『その内修理の人間を送るから部屋で待っていて』というので、大人しく待っていると30分ほどして電話があり、『修理は午後しかできない』と。じゃあ、お湯のシャワーを浴びるのはどうすれば?『部屋は満室だから』と素気無い。

 

仕方なくフロントまで降りて交渉するも埒開かず。ついに『この宿は日本人経営なんだろう?日本人と直接話すから電話番号教えて』というと、ちょっとたじろぎ、オーナーはここには居ないと、繰り返す。それでも詰め寄ると、しぶしぶ電話したが、出たのはカンボジア人。英語で状況を説明すると、彼の答えは『お湯は出ない、必要あれば午後部屋を変える』というもの。ニュアンスからすると、『お前の部屋は元々割引料金であり、お湯は出ないんだ』と言わんばかり。彼は一言『ソリー』と言って電話を切ろうとする。

 

あまりに不愉快になり、『日本人に連絡したい』というと、何と彼は『私はボスの電話番号を知らない。連絡も取れない』と言い出した。私はこの言葉で諦め、午後部屋を替わってもらうことで、電話を切った。しかし『日本人経営』と謳っていながら、この対応は何なのだろうか?カンボジアで発行されているフリーペーパーなどを見ると、『日本人経営』と書いてあるレストランや宿がいくつもある。これは安易に信用できないな、と強く感じる。殆ど騙された気分でシャワーも浴びずに街へ出た。

 

街歩き

シアヌークビルの街歩き。まずは海と反対に大通りを歩く。少し高くなったところに、中国系の廟が見えたので入ってみる。天后の像も見えるので、昔はこの下が海で、天后は守り神であったことが分かる。これは香港などでも見られることで、今はひっそりとしているが、ここがそれなりの港町で、中国人の出入りもかなりあった場所、と推察される。帰ろうとすると老人が『こっちも見ていけ』と本堂の方に合図してくれた。ここを訪れる人はあまり居ないのだろうか。

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更に進み、左へ曲がる。ここも広い道だ。最近出来たのかもしれない。車は少ない。侍、と書かれた日本食レストランがある。評判が良いと聞いたので、ランチに出も行ってみるかと思い、通り過ぎる。その先あたりから街の中心になっている。中国系の宿屋なども見えてくる。街はそれほど広くはない。少し歩いていくと、すぐに通り過ぎてしまった。折角なので、港へ向かって歩いていく。

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広い国道のような道をテクテク歩く。相変わらず車は少ないので、危険はない。20分ぐらい歩くとビーチ方面へ出た。そのまま進むと、漢字の看板がある大きな海辺のレストランがあった。中国人観光客を当て込んだレストランなのだろうか。その脇に腰を下ろし、海を眺める。港のクレーンが見える。規模は大きくないようだ。反対側には橋が見える。もうすぐ開通するらしい。海の水は透き通っている。

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Portと書かれた建物を見た。古びた感じでよい。横には鉄道の引き込み線があり、輸送手段になっていたようだが、今はどうだろうか?線路沿いに歩いていくと、段々トラックが道に溢れてきた。今日は日曜日だが、港へ通じる道、多くのトラック、ダンプ、輸送車が走っている。この近くには経済開発区もあるという話だったが、ちょっと歩いても着きそうもなかったので、途中で道を曲がる。

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バスターミナルがあると聞いていたので、そちらに向かう。思いの外、道が長い。というか、既に炎天下、2時間以上歩いている。かなり疲れてきた。ターミナルでバスを確認するとプノンペン行きは1日、数本あった。料金は6ドルぐらいだろうか。昨日のバンの方がやはり高いが、このバスよりは快適そうだ。

 

山の上のホテルで

このターミナルの横の山の上で、さおりさんは昼間働いていると聞いていたので、ストーカーと呼ばれることを覚悟して?電話をかけてみた。実は山は見えているのだが、道が分かりにくい。ぐるっと回って歩いていくと、途中でバイクが迎えに来てくれた。有難い。バイクの後ろに乗り、坂を駆け上がると、何と小型飛行機がはめ込まれたビルに出くわす。これには驚く。このビルは車のショールームとして使われているようだったが、元々は何のために飛行機を嵌めたのだろうか。

 

なぞと考えているとバイクは山の上に到着。さおりさんが出迎えてくれた。ビクトリーキャッスルビラ、何だかとても素晴らしいところ来てしまったことが分かる。山の上から海が一望できるプールがある。部屋は全てコテージタイプ。こんなところに泊まりたい、特に今朝の宿の対応に腹を立てた後だけに、余計にそう思う。シーズンオフなら1泊50ドルとの話もあり、次回は是非!プールだけ使う場合は5ドルだそうだ。昼間だけプールでゆったりして、夜は街に泊まり、飲んだくれる欧米人もいるとか。確かにここに帰ってくるのは、特に夜はトゥクの運ちゃんも嫌がるかもしれない。

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このホテル、オーナーは日本人だそうだ。1年前に買い取り、営業を始めたばかりで知名度は高くないので、お客はそれほど多くない。そこがまた良い。さおりさんはここにある日本食レストランのアドバイザーとしてメニューの選定や食材調達のチェックなどをしているようだ。レストランの店舗も贅沢な造りで、1階はバースペースになっている。2階からの眺めは最高に良い。知る人ぞ知る場所といえよう。ちょうど日本人がカンボジア人を連れて食事に来ていた。更には韓国人が刺身の盛り合わせを美味そうに食べている。『以前の店のレシピをそのまま使っている』とのことで、さおりさんの仕事は多そうだ。

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カンボジアご縁の旅2015(5)心地よいシアヌークビルの夜

哀愁のビーチ

2時間も話を聞いていたら、4時になり、さおりさんは仕事に行ってしまった。私は取り敢えず、ビーチに行ってみようと宿を出る。宿の前にはゴールデンライオンの像が。ただライオンと言っても、何ともユーモラスで怖さはない。カンボジアらしい雰囲気が漂っていて、とても良い。シアヌークビルの象徴、ゴールデンライオン、いいなあ。

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さおりさんが『日本人経営のゲストハウスがもう1つ直ぐ近くにある』と言っていたのを思い出す。ゴールデンライオンのすぐ裏手、我が宿のちょうど反対の狭い路地を入ったところに、そのGHはあった。実に新しそうできれい。思わず中に入ると、中庭にプールが見え、欧米人の男女がゴロゴロしながらテレビを見たり、ドリンクを飲んだり、PCをいじったりしている。ドミトリーしかなく、1泊8ドルのこのGH、いつも満員だという。私も泊まってみたかったが、あえなく満員御礼で断られた。因みに日本人客は多くないという。何故だろうか。これが本来あるべき、日本の良さを出した、日本人経営の宿だろう。

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ビーチの方に歩いていく。道が下っていくのですぐに分かる。さおりさんが働いているというバーも通り過ぎた。提灯が下がっており、ちょっと不思議な雰囲気だった。あとで行ってみることにした。この辺は完全な観光地、欧米人が多くみられる。ロシア語の表示などが珍しい。中国人も相変わらず、どこにでも来ている。

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ビーチはきれいだった。ちょうど夕陽が沈む時間帯、ただ静かに陽が落ちるのを見ていた。かなり幻想的な光景にウットリ。私はやはり夕陽好きだ。しかしビーチの後ろの道の方からは煩いざわめきが聞こえて、この光景をぶち壊す。見るとまだ随分と明るい。ビーチには表と裏があるようだ。もう少し暗くなると欧米人がビールを片手に席に着き始める。そんな光景もよく似合うビーチだった。

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桟橋が見えたので行ってみる。ここから離島へ行く船が出ているらしい。シアヌークビルに行ったら、離島を訪ねよ、と何人かの知り合いから助言されていたので、興味はあったが、今回は桟橋止まりにした。船から大勢の中国人観光客が吐き出されてきた。桟橋の横、ビーチの脇には幼い女の子が一人、砂に絵を描いていた。何故かその光景が映画の一場面のように哀愁を感じさせるものであり、少女の今の境遇に思いを馳せたりした。

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バー縁日で

まだ暮れきらないうちにビーチを後にした。余韻が少し残っていたので、そのままさおりさんのバー縁日へ行ってみることにした。このお店、日本の縁日を想定したとかで、射的あり、金魚すくいあり、実際にはやっていないが、かなりの雰囲気を出している。カウンターに座り、ビールを頼んで飲み始める。さおりさんは注文が入ると厨房で作業するので、行ってしまうのだが、代わりにカンボジア人の男女がカウンターで相手をしてくれる。男性はこの店を任されているようで、愛想がいいが、女の子はあまり働かないで、携帯をいじっている。

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2人組の女性が入ってきた。昨日も来たのだとさおりさんはいう。注文はご飯とみそ汁、みそ汁の中にご飯を入れて、美味しそうに食べている。韓国人かなと思い、英語で声を掛けたところ、中国人だった。成都から来た小学校の先生だとか。旧正月前の混まないうちに海外旅行をして、正月は実家でゆっくり過ごすのだという。味噌汁が大好きだが、成都では日本料理が高い。この店の味噌汁は本物で、しかも安いと大満足だった。中国人の海外旅行はきめが細かくなっている。恐るべし。

 

ここのおつまみの多くは1皿1ドル。さおりさんが作って、この値段だからカンボジアではお値打ちだろう。エビの皮揚げ、冷奴、アジアフライで3ドルとはすごい。これにビール1杯1ドルだから、安いとしか言いようがない。ご飯物も3ドル程度なので、夕飯を軽く食べることも出来る。

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それに釣られてか、常連のおじさんが二人、カウンターに座った。一人は北海道から、一人は鹿児島から来ているという。冬の時期は暖かいカンボジアにいる。ロングステイというより、大橋巨泉型、1年を2つか3つに分けて住むリゾートタイプだ。リタイア後の一つの典型モデルのようだ。プノンペンのように発展することもなく、物価も比較的安く、静かだが、海もあり、外国人も多く、ある程度の設備は整っている、住み易い場所だという。仲間も増えて、よくパーティーを行い、皆で飲みにも行くという。同好の士、という感じで悪くない。

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お客は入れ代わり立ち代わりやってきた。日本人ばかりでなく、欧米人もカウンターに座る。ビールを片手に、話が弾む。ここはどこなんだ、と思ってしまう。店を出て、街を歩いてみた。金曜日の夜ということもあり、外はずっとお祭りのように人が歩き、酔っ払っていた。安く飲めて楽しい街、シアヌークビルは今、注目されている。

 

宿に帰ってシャワーを浴びようと思ったが、朝からの疲れでネットもやらずに、そのままベッドに入り、寝入ってしまう。それが翌日のトラブルに繋がっていくのだが、その時はぐっすりと寝込んでいて、いい夢でも見ていたのだろう。