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明るくなった上海旅2015(6)雨に降られて

夜も6時を過ぎ、次の約束の地へ向かう。ところがタクシーで来たため、ここがどこかよく分からない。この時間ではタクシーも捕まらない。仕方なく、歩いていくとようやく地下鉄の駅が見えた。しかし既に待ち合わせの時間に遅れそうである。ここから中山公園まで乗り、乗り替えて行くようだが、よく見るとここから2駅先で降りて歩く方が早いかもしれない。それに賭けた。結果として、それが正解で、何とか時間通りレストランに着いた。

 

今晩は東京で行っていた寺子屋チャイナの主要メンバー2人が上海転勤になっており、久しぶりに会うことになっていた。こんな会合は喜ばしい。後から新聞社特派員のKさんも参加して、上海情報を交換し、なかなか愉快な飲み会になった。上海の日本人は減っている、とのことだったが、まだまだ沢山の駐在員がおり、新しい人たちがやって来て、活躍している。

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それにしてもこのレストラン、地元の庶民的な店で、味もまずまずだったが、夜9時前には店員たちが賄い飯を食べ始めた。我々は7時半に集合したので、あまり時間のないまま、解散となる。もっと遅くまでやればいいのに、とは思うが、繁華街からちょっと離れた店では、夜半のお客は見込めないのだろうか。いや、飲んだくれにダラダラいられても困るのだろう。

 

Hさんと一緒にホテルの方に戻った。彼は何とホテルの目の前の大きなマンション群に暮らしていたのだ。『日本人は確実に減っている』と彼は言う。日本企業も撤退を進めているが、中途半端な対応で、そのスピードは上がらず、結果として撤退コストが増大している。中には内部の不正が発覚するなど、今や本社の経営を揺るがしかねない会社も増えている。『外から見ると日本は何とも危うく見える』、その言葉が実に重みを増してくる。日本国内の議論の空虚さよ、何とかならないのか。

 

6月2日(火)

浦東で

上海最終日。外は雨が降っていた。今日は浦東へ行ってみる。既に高層ビルが立ち並び、上海を象徴する場所であるが、その中心街へ行くと、煌びやかな香港のショッピングモールそっくりの造りのビルがあり驚く。シティースーパーやペニンシュラーチョコなど、テナントもほぼ同じ、まるで香港をここへ移築したようで、既に香港など敵ではないという上海の自信、が感じられる場所だった。

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ここにあるカフェで旧知のGさんと再会した。彼はいつの間にか上海駐在となっており、前回の香港以来、久しぶりに会った。上海の明るさはズバリ、『習近平政権への支持の高さ』『株式市場の高騰』、『資金が上海に集まる状況』などにあると明確に教えてくれた。勿論中国政府は『日本のバブル崩壊』に関しても詳細な研究を行っており、日本の巷で騒がれる『中国崩壊論』はあり得ない、という。その後の株式市場の暴落?により、上海の明るさに変化はあっただろうか。バブルは崩壊するのだろうか。そんな簡単な話ではなさそうだ。

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午後は時間が空いたので、茶葉市場へ行ってみる。上海には茶城と呼ばれる市場がいくつもあり、よく分からないので、適当に検索して、新しい場所を探す。地下鉄1号線に乗り、延長路駅で降り、大寧国際茶葉市場なるところへ行く。雨の日の午後、お客は全くおらず、お店側のテンションも最低だった。確かこの茶城は2007年に開業し、取引量は上海一、と聞いていたのだが、茶葉の取引自体が低調なのだろうか。あまりに元気がなく、試飲すらせずに立ち去る。

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雨が降る中、向かいの公園が気になった。閘北公園、入り口には急須のモニュメントがある。そして入っていくと陸羽の座像まであった。どういうことだろうか?そして入場無料の公園を奥へと歩いていくと、今度は清朝末期の革命家、宋教仁の墓があった。宋は湖南省出身で、日本にも亡命、北一輝などと交流した。清朝が倒れた後は国民党を立ち上げ、大統領制ではなく、議院内閣制を主張したが、上海駅で暗殺された。臨時大統領の袁世凱に嫌われた結果と言われているが、一部には孫文との対立の結果とも噂された。今は愛国者として位置付けられている。何故ここに墓があるのだろうか。

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そしてホテル付近に戻る。雨が強くなり、外を歩くのは大変なので、喫茶店で時間をつぶすことにした。最初に入った、香港によくあるチェーン店は何とVPNが機能せず、コーヒーを飲んで早々に退散した。次にスタバに入るとかなり混んでいたが、何とか席を確保、VPNも繋がり、検索しながら、この旅を振り返り、旅行記を書く。上海でもスタバだけはVPNが機能すると聞いたが、何故だろうか。システムが違うのだろうか。スタバのカフェラテは1杯、30元。東京よりはるかに高い600円を出してネットを繋ぐ、やはり面倒な上、高い。

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雨に降られながら、スーツケースを2つも持って、空港へ向かう。地下鉄2号線を延々と乗って行くと、途中駅で下ろされ、向かいの電車に乗り替えをする。そのホームはなぜかものすごく混んでいたが、最後の駅まで乗る乗客は海外へ行く人だけ。上海もどんどん郊外に住処が移っていることが分かる。約1時間半、料金は僅か7元で空港に着くと、後はスムーズだった。そして飛行機に乗り、荷物を引き取るための旅、バンコックへ向かったのである。

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明るくなった上海旅2015(5)茶館を巡る

お洒落なお茶屋さん

昼はHさんの奥さん、Wさんと会うことになっていた。彼女は私の上海留学時代の中国語家庭教師。やはり30年の付き合いになる。北京生まれだが、大学は上海で過ごし、普通話は標準的、上海語も広東語も話し、更に日本語も英語もできるのだ。凄い!彼女はHさんの転勤で、香港や上海で暮らすことが多かったが、今般子どもの関係で20年ぶりに東京に住むという。私は先週も東京で彼女に会った。京都でも会った。そしてなぜか同じ日に上海にいた。

 

ホテルの前の道に人だかりができていた。以前中国ではよく人だかりを見たが、最近は少なくなったように思う。覗いて見ると、セクシーなモデルの女性が3人、男性が一人プラカードを持って立っていた。どうやら通信会社の4Gの宣伝のようだ。彼らは特に何もしないのだが、周囲のスタッフがしきりに大声で、『この瞬間を微信にアップしましょう。友達に知らせましょう』と叫んでいる。確かに微信がこれだけ普及すれば、微信による口コミ、が宣伝が莫大な効果をもたらすのかもしれない。

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地下鉄の駅で待ち合わせた。彼女は前日微信で大学時代の友人たちにメッセージを送り、上海で行くべきお茶屋さんを調べていてくれた。その1つがホテルのすぐ近くにあるというので、一緒に出掛けてみた。地下鉄2号線の上、愚園路を歩いていくと、プラタナスの並木があり、ちょっと懐かしい雰囲気になる。道路沿いの古い建物(1925年建造)の下を潜ると、そこには庶民の生活空間があるはずだった。だが今やこの辺も地価が高騰しているから、既に住人は変わっているかもしれない。その奥の方へ進んでいくと、看板もないその店は扉を閉じていた。ベルを鳴らすと店員が開けてくれる。

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何とも言えない癒しの空間がそこにあった。ここは春の日の午後に転寝をするのに適しているように見えた。小さな庭で名物の猫が微睡んでいる。ただ我々はランチを食べていなかったので、一度退散し、近くの日本料理屋で定食を食べて出直すことになった。因みにこの定食屋、30元ぐらいだったが、味は本格的、量も多い。地元のサラリーマンで一杯だった。私が食べたからあげ丼、親子丼の鶏肉が唐揚げになっていたのだが、なかなか美味かった。

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そして再度お茶屋さんに戻る。喫茶去、という名前のこの茶館、上海に2店舗あるという。お茶の種類も豊富で、目移りする。Wさんが『美味しいプーアール茶が飲みたい』というので、目に入った『2002年易武古茶樹』と書かれた生茶を注文。ふくよかな味わいが広がる。よく考えてみればこのお茶、非常に値段が高かったのだが、それだけの価値のある味だった。この茶を何杯も飲み、ダラダラと過ごす。日本人女性Kさんも合流するというので待っていたが、ついに彼女は来なかった。その間約3時間、ここに座って、まったりした。

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お客ははじめ、誰もいなかったが、気が付くとほぼ満員。商談する男性もいたが、比較的若い女性がダラダラお茶を飲んでいる姿が印象的。店内はかなり広く、座席の種類はバラバラ。皆都合の良い、好きな席についている。間隔がかなり空いており、話をするにも、何とも都合がよい。密談している人もいたかもしれない。決して安くないお茶代でありながら、お客が多い理由は、ここにあるのだろう。勿論レトロな雰囲気もあるかもしれないが。

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Wさんが『もう1軒行きましょう』という。茶館のハシゴ?まあ言われるままに付いていく。タクシーに乗り、徐家匯の方へ行った。到着したところは実に立派な高層ビル。こんなところ茶館があるのか。ビルの2階には場違いな空間が存在していた。何だここは、と言いたくなる豪華な雰囲気。中に入ると、お茶を飲む場所は基本的に個室。4人部屋もあれば6人部屋もある。ここは商談などミーティングの場所として使われる茶館だと分かる。最近の上海のトレンドだろうか。部屋は半分ぐらいが使われており、中は見えないが、打ち解けた雰囲気でミーティングが行われているのだろう。我々は2人で6人ぐらいは入れる部屋に案内される。

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スタッフの女性もこまごまとサービスしてくる。最低消費は1人、100元。お茶は美味しいとは言えないが、種類は揃っている。そしてヒマワリの種などの他、お菓子、フルーツなどもふんだんに出てくる。兎に角お客を招待する空間、豪華に飾り、場所代を取り、単価を上げる作戦だ。このスペースの家賃は相当に高いのだろう。そして極めつけは、何と麺が無料で食べられるということ。隣の麵屋から運ばれてきた牛肉麺は大盛りであり、とても茶館で食べる物とは思えない。ここで商談して、お茶を飲んで、麺で腹を満たして、家に帰る、または次に飲みに行く、というコンセプトだろうか。面白いが、ゆっくりお茶を楽しむ雰囲気はなく、私には縁がない場所だろう。上海には様々なタイプの茶館ができており、本当に驚く。

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明るくなった上海旅2015(4)茶城で出会った少数民族

夜は紹興料理へ

夜はまた豫園の近くに戻る。この付近はこれまであまり来たことがなく、ちょっと興味が湧く。駅の付近は大規模な再開発がなされているが、その先には昔懐かしい上海が広がっていた。どうしてここだけ残ったのだろうか。何か利権があるのだろうか。パジャマ姿で歯を磨く女性がいたり、路上でおしゃべりに励むおばあちゃんたち、庶民生活ががそこにはあった。

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そして今晩のレストランは孔乙己酒家。北京にも3店舗あった紹興料理の店の名前なのだが、北京と同系列の店なのか、関係ないのだろうか。北京の店には実に良く通ったことを思い出す。日本人には紹興料理の味がよくあっており、また紹興酒が好きな人も実に多いので、お客が来ると重宝した。この店でもメニューには懐かしい物が並ぶ。店にはなぜか日本人店員まで居て、そして日本人客が数組いた。日本人店員を雇い、日本人の集客を目指すなんて、最近の中国でもあるんだな。さすが上海、他の都市ではなかなか成り立たない。

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今晩は、上海特派員のS先輩と、昔北京で一緒だったMさんと3人で食べた。Sさんはマスコミの超ベテランで、最初に出会ったのは15年前の北京。そして今回長老として上海に戻ってきた。Mさんも15年前の北京で一緒だったので、この2人もどこかですれ違っていたはずだ。Mさんは現在元の会社から出向し、今は畑違いの仕事をしている。既に4年ぐらい上海にいるはずだ。大ベテランのお2人に上海事情を色々と教わる。確かに最近の上海は明るいらしい。ここでも『上海だけは特別。上海は中国とは呼べないかもしれない』などと聞く。S先輩にご馳走になってしまい、申し訳ない。

 

6月1日(月)

天山茶城で出会う

翌朝も朝ごはんで起こされたが、もう食べる気はせず、また寝てしまった。疲れている、ということだろうか。ゆっくり起き上がり、ネットを繋ぐ。VPNが機能しており、特に不便は感じられない。聞く所に寄れば、上海市内でもVPNが機能する場所とそうでない場所があるということだ。何がイライラするかというと、使いたい時に繋がらない、使えると思って使うと繋がらないということ。人間、我儘といえばそれまでだが、何とも面倒な国だ。

 

今日は午前中暇なので、お茶市場へ行こうと思う。このホテルから一番近い市場は昔何度か行った中山西路にある天山茶城だろう。トボトボ歩いていく。高層ビルの裏側には、まだまだ80-90年代に建てられたと思しき、古いアパートが建っている。自分が留学した頃は、建設ラッシュだったのだろうと感慨深い。洗濯物がベランダから大きくはみ出しているのが、懐かしい。

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茶城は午前の早い時間ということもあり、お客は殆どいなかった。そして何と改修工事中。騒音が響き渡る。これではお客も来ない。店側も全くやる気が感じられない。これは出直した方がよさそうだな、と思っていると、見慣れた看板に遭遇した。深圳茶葉世界でいつも行く台湾茶の店、子揚銘茶の支店があったのだ。本当に支店なのか、名前を使っているだけなのかと、恐る恐る入っていくと、若い女性がにこやかに出迎えてくれ、『座って』と言ってお茶を淹れだした。

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自分は深圳の店によく言っていると告げると『私はあなたのことを知っている』というではないか。何と彼女は2年前まで深圳の店にいて、そこから上海に移ってきたのだという。深圳の店には若い女性が何人かいたので、私には分からなかったようだ。申し訳ない。ということで、突然旧知の人に出会い、馴染の店のようにお茶を飲み始める。こんな出会いもありがたい。

 

なぜ彼女は上海に来たのか、と聞くと『中国南部、広東の人などは上海の気候が体に合わない。桃姐(深圳の店の重鎮女性)なども1週間しかいられなかった。湖南省出身の私は耐えられたので』と面白いことを言う。彼女は湖南省と貴州省の境の山中の出身で、トン族という少数民族なのだという。上海にはトン族の人も出稼ぎに来ているが、交流はなく、早く故郷に帰りたいと言う。彼女は広東省に出稼ぎに来て、工場で働き、売店で働いているところを、偶然台湾人オーナーに出会い、お茶屋さんで働くようになった。元々お茶とは無縁。

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だが、まずは黙々と働き、お金を貯めることに専念しているようだ。地方から出てきた女性たちも、普通は上海を誉め、憧れ、ずっと上海に住みたいというらしいが、彼女は明らかに違っていた。自らの故郷について語る時の懐かしそうな遠い目、現代の中国において、少数民族の置かれている立場について、再度考える機会が与えられた。中国は本当に多様だ。

 

茶城を出て、ホテルの方へ戻る。大きな通りには不動産屋さんが並ぶ。見るともなしに物件情報を見てみると、この付近の家は100㎡で500万元程度が相場のようだ。500万元といえば、日本円で1億円。つまり億ションがずらりと並んでいることになる。今や東京で億ションが並ぶ地域は数少ないだろうが、上海中心部は至る所で億ションが繁殖している。その質が1億円に値しているかどうかは全く別として、それが実態であることを認識すべきだろう。日本に旅行に来て爆買いする観光客の資金源が、こんなところにも垣間見られる。

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また銀行の定期預金金利がかなり低下していることも実感できた。1年前なら1年物の定期預金は3-3.5%以上の金利が付いていたが、今は基準が2.5%程度に下がり、景気減速に伴い、さらに低下すると見られている。私が見た広告では、何とか資金を留めようと、1年物3%まで金利を付ける、という金融機関もあるようだった。ちょっと前までは考えられなかった中国の金利自由化も、確実に進んでいるようだ。それにしてもなぜ上海株に資金が流れるのか、不動産はすでに高値頭打ち、金利の低下などから見ても必然の流れのように見える。

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明るくなった上海旅2015(3)微信は中国人の自信を深めた

その後ダラダラと過ごし、少し早めに豫園に行く。今日は上海駐在のHさんとランチをする予定になっていた。地下鉄に乗り、豫園に着くと、既に大勢の観光客が歩いていた。豫園といえば、私が留学した30年前も観光地ではあったが、どこにあるのかも分からないような、整備もされていない場所だった。それが90年代に入ると、きちんと整備され、いつの間にか巨大なショッピングモールができ、買い物客でごった返していた。私の知る昔の上海はここからも既に消え去っていた。それでもイスラム寺院、清真寺があり、古い仏教寺院もあり、裏道に入ると、庶民の生活も覗くことができ、ごく一部にその面影を残している。

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観光客には中国中から来るお上りさん中国人が多いが、欧米人の姿もかなり目立つ。韓国人や台湾人の姿もちらほら見られたが、ほぼ全く見掛けないのが日本人観光客。僅かに出張に来たと思われる日本人男性が、中国人通訳と歩いていたのを見ただけだった。豫園に行くべきとは言わないが、ここでも日本人のプレゼンスの低下、中国への関心のなさを痛感し、危機感を覚えた。

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Hさんが予約してくれたのは、緑波廊。昔から豫園にある老舗の名店。エリザベス女王やクリントン元大統領などが訪れた写真が飾られるなど、政府御用達の大型レストランだったことが分かる。さぞや混んでいるかと思いきや、Hさんの予約のお陰か、スムーズに入店し、角のこじんまりした席に着き、ゆっくりと食事することができた。ランチとの時間とお茶の時間が分かれているせいかもしれない。伝統的な上海料理だったが、料理も思ったよりも美味しく、結構気に入ってしまった。

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レストラン内から、外の写真を撮る。この構図もなかなか良い。レトロな雰囲気を醸し出し、池も上手く組み合わされているように思う。結局今回も豫園そのものには行かなかった。豫園の前から湖心亭を眺めるだけだった。人が多過ぎる、用事がなければさっさと失礼することにした。

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微信は中国人の自信

次の予定は上海在住中国人との再会。彼女はいつもおしゃれなカフェを指定してくるのだが、今回も江蘇路駅近くの店に呼ばれた。ところが、場所が特定できない。指定された住所、ビルの名前まであっているのに、なぜたどり着けないのか。ビルの人に聞くと面倒くさそうに『あっちだ』と指で指すのだが、そこに行っても店はない。何故だろうか。その横の扉に気が付くのに随分と時間が掛かった。その扉を押すと、何と外に出てしまう。あれ?

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そこは裏の駐車場に繋がっていた。周辺をキョロキョロすると、若者がその先に歩いていく。ついていくと、そこにはおシャレなカフェが確かにあった。しかしこんなところにあるなんて、誰も分からないだろうと中へ入ると、2階は満員だった。どうして?隠れ家的カフェ?今の上海、分からない。そして待ち合わせの相手もまだ来ていない。何と彼女も初めてくるとかで、迷っていたらしい。スマホの地図で探してきても、ここは分からないだろう。

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お洒落な若者が集う店、大ぶりのマグカップに入ったコーヒーは美味しかった。店の空間もリラックスできた。コーヒーは1杯40元だから、日本円で800円もしたが、今の上海では高いとは言えないようだ。その支払いをクレジットカードでするのではなく、スマホでしている人がいた。待ち合わせた彼女に聞くと『とにかく今や中国人は微信です。微信をやればタクシーも呼べるし、支払いもそこからできる。あなたも微信をやらないと中国のことは分からないし、中国人と友達になることはできませんよ』と大いに警告された。そこまでホメるのか?

 

私も先日行った福州で、知り合った中国人が誰も名刺もくれず、すぐに微信友達になろうとすること、そうしないと一緒に撮った写真すら送ってもらえないことに少なからずショックを受けていたのだが、GoogleもFBも原則繋がらない今の中国において、微信は必須アイテムになったのであろう。今の中国人の中にはEメールの使い方が分からないという者もいるのだ。もう世間の新しい波には乗らない、と決めていた私。スマホすら持っていないが、それは中国では許されないことを改めて突き付けられた。仕方ない、スマホ、始めるか!

 

ところで一昨年会った彼女は『私もいつまで上海にいるか分からない。今は皆が中国から国外へ逃げ出したいと思っている』と語っており、その後実際イギリスにも行ったのだが、今回聞いてみると『上海なら中国に住んでもよいと思う。ここは今世界一便利な場所。他の都市はダメ、上海だけ。仕事もあるし』と何度も強調する。そこまでこの1年半で上海は変わったのか。確かに東京並の便利さを感じるし、大気汚染も思ったほどではない。これで政治的制約がなければ、と思うのは私だけか。それでも『習近平政権への評価はかなり高い』と彼女は自信をもっていう。日本では中国人の習政権への支持が高い、などという報道は見たことがないのだが。

 

そして『微信はすごい!Lineより優れている。そしてこれを開発したテンセントもすごい。上海以外で評価できる都市はテンセントを生み出した深圳だけ。他の中国はダメね』と微信とテンセントをべた褒めする。実はこんな意見を上海にいる間、何度となく中国人から聞いた。微信が中国人の自信を大いに深めた、必要は発明の母、ということなのだろうか。驚き!

 

明るくなった上海旅2015(2)物価が高い!

中山公園の宿

乗降客は少ないので、かなりスムーズに入国できた。1号楼ターミナルは何とも古びており、寂しい感じがした。今日の宿は地下鉄の中山公園近く。空港から地下鉄で乗り換えなしで行けると勘違いしていたが、1度乗り換える必要があった。空港1号楼駅は、ターミナルからかなり歩かなければならない。乗客で歩いている人は殆どいない。荷物を引き摺り、何とか駅までたどり着く。ところが中山公園へ行くにはルートが2つあり、どちらが良いか分からず、来た方の電車に乗る。するとそこへ、Hさんからメッセージが入り、後はナビしてもらう。

 

今や上海の地下鉄は東京都より走行距離が長く、路線もどんどん増えているので、路線図を見ても、簡単には理解できず、このナビは実に有難い。それでも2号線から4号線への乗り換えにはかなりの時間を要した。地下から地上へ上がるのに、荷物が多いので難儀した。上海も早めにできた地下鉄はあまり乗客に便利にはできていない。何とか中山公園駅に着くと、そこにはHさんが待っていてくれ、予約してくれたホテルまで連れて行ってくれた。

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Hさんとは29年前、上海の留学で一緒になってからの長い付き合い。奥さんとは先日京都と東京で会ったばかり。最近彼は香港に駐在していたこともあり、懐かしの上海で再会するのは10年ぶりか。彼の上海生活は合計で何年になったのだろうか。長い間彼が日本で働いているのを見たことがない。いや、もう日本で働くのは疲れるのだろう。中華圏で過ごしてしまうと、東京は息苦しい。

 

宿は本当に駅の前、高層ビルのいくつかのフロアーを使っていた。元々は長期滞在者用であろうか、それともアパートとして建てられたのだろうか?大きな冷蔵庫やキッチンが付いており、広々としていた。これで380元/泊は以前なら安い、と感じるだろうが、何しろ1元=20円の時代、何を見ても高く感じてしまうのは、仕方がないところ。29階から見る景色は良いが、目の前では未だに開発が行われ、上海は止まってはない、ということが実感できた。モノレールのように高架を走る地下鉄の音も少し気になったが、学生時代、都電の線路脇で4年を過ごした私にはどうでもよい音だった。

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いきなり浦東へ

蘇州に駐在する大学の同級生S君と連絡したところ、たまたま今日は上海にいるというので、会いに行くことにした。指定された場所は聞いたこともない地下鉄の駅。塘橋駅というその駅は、4号線にひたすら乗り30分、何と浦東側にあった。地上に出ると、駅前には外資系の5つ星ホテルはあるし、ショッピングモールまであった。その後ろは高層の住宅街、上海は今や、中心部ならどこでも、このような光景を目にすることができる。この辺も家賃は高そうだ。

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S君に連れて行かれたのは、日本人が多く住むアパート。日本食品が沢山置かれているスーパーが併設されており、すれ違う住人も日本人ばかり。未だにこんな場所があるのか、と何となく懐かしくなる風景だった。そして地下には日本食レストランがあり、そこでS君たちは、合唱団の練習打ち上げを行っており、そこへ飛び入り参加した。学生時代から合唱をしていた彼は、今でも同好の士と共に、合唱を続けている。

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焼き魚やお好み焼きなど、食べ物は全く日本と変わらず、そばは特に美味かった。地下鉄が発達し、日本食が自由に食べられる都市、上海は今や日本と変わらないな、つくづく思う。ただ駐在員生活は、元高もあり、仕事のやり難さもあり、以前より厳しくなっているようだ。経費の関係は、住環境の問題で、家族を日本に返し、単身赴任している人も多いと聞く。

 

帰りはタクシーであっという間に中山公園に帰りつく。上海ではタクシーも捕まえにくいと聞いていたが、土曜日の夜、雨も降っていなければ、そう難しくはないようだった。道路も空いていた。ただタクシー代はどんどん高くなっており、物価全体は完全に東京より高い、と強く感じられる。

 

中山公園では先ほどのHさんが待っていてくれたので、近くのホテルでコーヒーを飲んだ。彼は開口一番『上海の景気はいいですよ、でも上海だけですよ。他の中国はかなり悪いです』という。私もわずか数時間しかいない上海ながら、なぜか『明るさ』を強く感じていた。何か『上海だけは特別だ』という言葉を突き付けられているように思われる。それは一体どこから来ているのだろうか。一昨年10月に来た時とは雰囲気がまるで違う。習近平政権の政策は、『新常態』だが、上海は確かに新しい常態に入ったようにも見える。その訳が知りたい。

 

5月31日(日)

豫園で

翌朝は7時に叩き起こされた。このホテルには朝食が付いているのだが、何と部屋に運ばれてくる。それが朝の7時に配られたのだ。決して贅沢な旅をしているわけではない私だが、正直この食事を食べるのはちょっと嫌だ、と思ってしまう代物だった。茹で卵は剥き難く、マントウは冷えて固かった。以前は下の階にある上島珈琲で食べていたそうだが、経費削減の結果だろうか。食事が付いているだけマシ、とはとても思えない。上海の食、という点では、安全面と共に課題が残っている。

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明るくなった上海旅2015(1)東方航空は長蛇の列

《明るくなった上海旅2015》  2015年5月30日‐6月2日

 

東京からバンコックへ帰る途中、上海へ寄ることにした。2013年の10月に行って以来、1年半以上訪れていなかった上海。既に上海は東京並、特に目新しいこともないだろうと思い、敢えて行かなかったのだが、何か変化があるだろうか。知り合いが何人も新たに上海駐在になったことも、行ってみようと思った要因である。因みにチケットは行きがバンコック⇒上海⇒那覇で、帰りは東京⇒上海⇒バンコックになっている。羽田⇒虹橋は何とも便利で有難い。

 

5月30日(土)

上海まで

今日は土曜日、午後発の羽田便なので電車も空いており、かなりリラックスして出掛ける。朝の成田便だと電車の遅れなどが気になるのだが、その心配がないと気が楽だ。だがいつも通り電車に乗り、2時間少し前に羽田空港に到着すると、様子が一変している。他の航空会社のカウンターはガラガラなのに、長蛇の列をなしているところがある。それが私の乗る、中国東方航空だと分かり愕然としたが、後の祭り。仕方なく列の最後尾に並び、粛々と順番を待つほかない。

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まあこれはちょうどいい機会だと割り切り、列をなしている中国人の動向や荷物をチェックすることにした。確かに話題の便座や炊飯器を購入している人が何人かいた。また何が入っているかは分からない大きな段ボール箱やスーツケースを持ち込んでいる人もいる。勿論高級デパートやラオックスの買い物袋を持つ人は多い。乗客は比較的若い世代が目に着く。そして異様なほど静かに列は進んでいく。勿論割り込みなどなく、大声を出している人もいない。携帯で話している人はなく、スマホに目をやっている人だけ。行列には慣れているのかもしれないが、文句を言う人は一人も見掛けない。日本人乗客は数えるほどしかいないのはとても残念だが、これが今の日中の現状であろう。日本人が中国へ行かなくなって久しいが、それは『日本人が中国が分からなくなる』ということを意味していおり、危険な兆候だ。

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45分後にチェックインカウンターに辿り着いた。係員は日本人で、処理スピードは決して遅くない。ではなぜこれだけの列ができてしまうのだろうか。恐らくは乗客のチェックインが一時期に集中しており、また荷物が多過ぎるのでその処理に手間取る、ということだろう。ギリギリに来てチェックインする客は少なく、出国審査後の免税店での買い物戦線への突入に備えていることが覗われる。しかしチェックインは2時間半前からしかできない。これを3時間前からにするとかなり待ち時間は緩和されると思うのだが、航空会社の人繰り、経費の問題であろうか。しかもフライトは2時間の間に二本有るので、余計に混みあう。

 

昼ご飯を食べていなかったので、コンビニでおにぎりを買う。ついでにコカコーラから発売された国産烏龍茶のペットボトル、『つむぎ』も購入してみる。ある程度予想はついていたが、まあ、おにぎりを流し込むにはちょうど良い飲料かもしれない。尚上の階には伊藤園のおしゃれな日本茶カフェが出来ていたが、料金が高いのか、暇がないのか、お客はあまりいなかった。

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イミグレを通過すると、まさに爆買いする中国人が何人かいた。中国人の特徴の一つは『税金を払わない』ことに異常なまでに執念を燃やすことだと常々思っているが、これもその一環だろう。それに釣られて、タイ人などもお菓子などをしこたま買い込んでいく。これを機内持ち込みするのか、と思うほどに買い、搭乗ゲートに向かう。後日日本のニュースで『機内持ち込み荷物が制限を越え、預け直しが続出、フライトが遅れる事態が多発している』とあったが、それはそうだろう。ただこの行動は中国人だけが悪いのではない。売上を増やしたい免税店側も、制限を越えていると分かっていても、制止できなかったはずだから。

 

機内は満席であり、家族連れ、出張者、友達同士、8割以上は中国人だった。皆日本での活動で疲れ果て、離陸するとすぐに寝込んでいる。そして機内食になるとパッと起きて、食べ終わるとまた寝てしまう。如何にも中国人らしい行動パターンだ。因みに機内食は魚と野菜の煮物、巻き寿司と卵焼き、そば、そしてどら焼きがデザートで出てきた。意外と豪華で驚く。以前の東方航空といえば、機内食がまずい、ことで有名だったが、少しずつ改善が進んでいる様子が伺われる。特にこの日本線に関しては、何故か昔からかなり力を入れている。

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出発は少し遅れたが、ほぼ定刻に虹橋空港に着いた。基本的に多少の遅れは当たり前、と言われた中国系航空会社としては優秀な成績だった。虹橋空港は1号楼と2号楼があるが、東方航空は1号楼を使っていた。こちらは20年以上前のターミナルで何とも古いが、何となく懐かしい感じがする。1996年に虹橋に降りた記憶が蘇る。1986-87年に上海に留学して以降、9年ほど行っていない内に、上海は劇的に変化していた。何もなかった浦東に高層ビルが建ち、虹橋空港も新しくなり、街の様子も10年で完全に変わっていた。車でどこを走っているのか全く分からなかった、という印象が強い。

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タイ人と行く高野山2015(6)奥の院で朝のお勤め

こちらの宿は宿坊ではなく、また突然お願いした関係もあり、夕飯は出ない。この件でも和尚が大活躍してくれた。高野山で10名以上の夕飯を食べに行ける場所はそれほど多くはないため、自炊することも検討した。だが食材の調達に橋本の街まで行かなければならないなど困難なことが多かった。結局伝手を辿って、無理を言って、弁当を作ってもらうことができた。

 

大広間に弁当を広げて皆で有難く頂いた。ただタイ人たちは少々日本料理に飽きてきていた。間食のし過ぎもあるだろうか。女性ということもあり、弁当の量が多いということもあった。そして1₋2人は遂に日本のカップ麺を食べ始めた。タイでも日本のインスタントヌードルは大人気、袋めんの麺だけを使い、独自のスープと合わせて食べることもバンコックでは普通に行われている。

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勿論タイではトムヤンクン味などが有名だが、果たして日本のカップ麺はどうだろうか。恐らくは彼らにはスパイスが効いておらず、味が淡泊ではなかっただろうか。それでも疲れた胃にはよかったのかもしれない。そういえば昨日スーパーに立ち寄った時に真っ先に彼女らが買っていたのが、このカップ麺だった。今日のコンビニでは気が付かなかったが、更に仕入れていたに違いない。ただ彼女らは日本語が読めないため、味の種類などは分からず、写真や絵を見て買ったのだろう。自分の思った味と違ったという反応もかなりあった。日本でコンビニに英語表記は今後なされるだろうか。これは意外とハードルが高そうな課題だ。因みにタイではファミマは英語とタイ語の併記、セブンイレブンはタイ語のみである。そして黒門市場で買って来た桃を皆で食べた。2個、1000円、とても美味しかった。

 

それから皆で順番にお風呂に入り、2階の広間で歓談した。Wi-Fiが繋がる場所が広間に限られていたので、自然と人が集まってきた。実はこの広間、私の今夜の寝床である。この広間の横では、ここの和尚様が中国人と台湾人に非常に熱心に何か講義をしていた。彼らは日本語が自由に出来るわけではなかったが、それでも習いたいと押しかけてきたらしい。高野山では中国人がやって来て、唐の時代の密教を学びたい、ということもあったようだ。日本には様々な資源が残っているが、それを我々日本人が知らないという悲しい現実がある。ここは外国人の力を借りて、日本を見つめ直す、ディスカバージャパンを行う必要がある。

 

この広間で1つの発見があった。サポートのために長野から車で駆けつけたSさん。ちょっと話をしていると、何と私の小学校時代の1年先輩だということが分かった。これまでインドにも一緒に行ったのだが、個人的な話はあまりしなかったのか、今回突然発覚してお互いひどく驚いた。世間とは狭いものである。実は私は先日青山のスリランカ紅茶のお店に行く途中、偶然にも陸橋の上から数十年ぶりに母校をチラリと見たのだ。これも茶縁だろう。

 

5月19日(火)

朝のお勤め

高野山最終日。今朝は5時に起きて、奥の院の朝のお勤めに参加した。前日明王院に泊まった彼女たち、朝のお勤めには6人中3人しか参加しなかったという。今日は5人が参加した。奥の院の力だろうか。まだバスも走っていない雨の中、傘を差して歩いて向かう。既に明るくなっている奥の院、雨に濡れて一層鮮やかになっているようだ。灯籠堂に参内すると既に読経が静々と響いていた。端の方に座り、目を瞑る。このお勤めは、弘法大師が今も生きて毎日修行しているとされ、御廟に食事を提供する、という意味合いがあると聞く。

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お勤めが終わると、ゆっくり散策しながら帰途に着く。朝ごはんもないので、道すがら開いていた和菓子屋さんに入り、好きな餅などを買い、店内で食べた。食べているとほうじ茶も出てくる。こんなお店が朝から開いているのはとても嬉しい。特にアジア人にとっては、朝から甘い物を食べるのも問題はない。餅やお団子は1つ百数十円で、日本茶も味わってもらえる。おばさんは簡単な英語を話していたので、外国人の利用はかなり多いのだろう。

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そして宿に戻り、荷物を纏める。実は急なことながら、タイ人一行とはここで別れ、私は小学校の先輩Sさんの車で、奈良へ向かうことになった。何とも不思議なご縁がこの先も待っている。ひとまず高野山の旅は実に呆気なく、幕を閉じた。次回来る時は一度宿坊にも泊まってみよう。

タイ人と行く高野山2015(5)奥の院

奥の院へ

タイ人は実にゆっくり歩いて行く。だから色々な景色に気が付く。途中で清浄心院という、実にきれいな樹木、小川、古い建物を供えたお寺があった。前回も見とれてしまった記憶があるが、今回はタイ人たちが足を止め、盛んにシャッターを切る。どうしてこんな鮮やかな庭の手入れができるのだろうか。これもお坊さんが修行でやっているのだろうか。日本で外国人が驚くのは、何気ない場所に行き届いた手入れが見られるところではなかろうか。

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奥の院の入り口、一の橋に到達した。ちょうど天が暗くなり、小雨が降りだした。高い杉木立、深い樹木と古い供養塔、何とも幽玄な雰囲気が我々一行に襲い掛かる。和尚は一生懸命に奥の院について説明しているが、タイ人はどれほど理解しただろう。日本人の我々でも奥の院の存在、何十万にも及ぶ供養塔の数、そして織田信長や豊臣秀吉、武田信玄など歴史上の数々の有名人の墓所、パナソニックの松下家など、当代功成り名を成した人々の墓が、一堂に会している様子は不思議としか言いようがない。『ここが日本仏教の総本山だから』と説明されても、理解は難しい。

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まず手水舎で手を洗い、口を漱ぐ。日本の作法を教えられ、タイ人も挑む。傘を差しながらもカメラは放さない。道は必ずしも平たんではなく、また雨で滑りやすい。かなりゆっくり歩くことになる。タイ人は一般的に速くあることは好きではない。ゆっくり歩き、自分の気に入った場所で止まっては、その場に浸る。この辺は日本人のように決められた時間を守って観光することはない。どこでもみな楽しそうに参観しているのは、羨ましいほどだ。

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上座仏教のタイでは、華人などを除き、一般人にはお墓はない。遺体は荼毘に付し、遺骨は川に流してしまう、とも聞いた。これは輪廻転生、魂は生まれ変わるもの、遺体は使い終わった物という考えから来ているのだろう。ここ奥の院にある無数の墓の中を歩き、しかもその墓が数百年の歴史を持つ、苔むした古い物であれば、ある意味それは驚きではなかろうか。この独特の雰囲気、どのように感じただろう。『素晴らしい!』という声は何度も聞いたが、その本当の感想を是非とも知りたいと思ったが、彼らも英語では説明できないのかもしれない。

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一番奥まで約2㎞、ついに弘法大師御廟の近くに着いた。橋の前で服装を正し、礼拝、脱帽して橋を渡る。ここから先は写真撮影も禁止だ。天皇家や宮家の供養塔が見える。燈籠堂に参内すると、張り詰めた緊張感がある。タイ人たちもここでは静かに祈りを捧げ、願いをタイ語で書いて奉納していた。更には灯籠堂裏手にある御廟前では、日本人と同じように蝋燭に灯をともして差し、花を買って捧げている。このあたりの習慣は、日タイほぼ同じであると言ってよい。団体でお参りに来た日本人の横で一緒に祈っている姿は実に好ましい。

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そのまま灯籠堂を回っていき、左から降りていくのだが、砂利が敷き詰められたきれいなお庭を見た彼女らは、そこを歩き始めた。『そこは立ち入り禁止だ』という和尚の声で、ワッーと戻ってくる。欧米人なども知らずに入ってしまう。何らかの表示がないと、外国人には分からないだろう。いや日本人の若い女性も全く気にせず歩いているのだから、外国人だけの問題ではない。

 

お茶が飲みたいというので、お茶のお給仕がある休憩所へ向かう。だが5時で閉館とかで、まだ5時前なのに、お茶は終了したという。では休憩だけでも、というと、『いつまで居るの?』という眼差しを向けられる。このような対応は大変残念であると言わざるを得ない。何も特別のことをして欲しいという訳ではないが、折角いいお参りができたのだから、温かい言葉の一つもあればよいのに、と思う。タイならこのようなケースはどうなのだろうか。まあどこでもそうだが、人によるのだろう。人にはそれぞれ事情というものがあるのだから。

 

雨が止んでいたので、帰りは奥の院の正門の方へ向かう。こちらには有名な白アリ供養塔やロケット型の供養塔などユニークなものがいくつもあり、楽しい。タイ人に説明すると目を白黒させて、驚いた様子だった。既に夕方、あたりは徐々に暗くなっていく。疲れたのでバスで戻ることにした。バスが来るのを待っていると、観光客のおじさんがタイ人に何か食べ物を差し出した。これに感激したタイ人は自分の持っていた飴をお返ししていた。言葉もほぼ通じない中、心の交流が図られている光景は何とも嬉しい。この辺がタイ人のいいところだ。

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緊急の宿

実は彼女たちは明王院に2泊する予定であったが、なぜか手違いがあり、1泊しか出来なくなっていた。直前に判明したこの事実、大慌てで和尚が宿の確保に奔走してくれた。この混雑の中、突然10名もの宿泊を受け入れてくれるところはなく、最終的に和尚の知り合いで、宿坊などはやっていないが、広い宿泊スペースのあるお寺に特別に泊めてもらうことになった。私も和尚の家からここに移ることになる。

 

荷物は明王院からSさんの車で既に運ばれていた。部屋は何室もあり、皆が集う大広間もあった。全国のお寺関係者など知り合いのみを泊めているとのことだったが、実は台湾人と中国人もここの和尚に師事するため、滞在していた。我々は偶然にも素晴らしい宿に泊まる光栄に浴した。これも全て和尚のお陰だ。有難い。

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タイ人と行く高野山2015(4)高野山散策

5月18日(月)

高野山散策

翌朝も和尚が朝ごはんを用意してくれた。ありがたや。そしてまた明王院へ行く。雨は降っておらず、いい天気でよかった。皆がチェックアウトして、荷物を寺に預け、今日の日程がスタートした。まずは昨夜ライトアップショーに彩られた大伽藍へ。夜とは打って変わった静けさの中、月曜日でも既に多くの人が参拝していた。お遍路姿の女性を見つけたタイ人は、すぐに近寄り写真撮影をお願いしていた。お寺とお遍路、日本的な風景に見えるのだろう。

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今日は現在高野山で研究活動をしているタイ人女性も合流していた。彼女の専門は観光学。タイにはエコツーリズムや医療ツーリズムなどが発展しているが、日本での『テンプルツーリズム』の可能性について、興味を持って日本仏教の総本山である高野山で、研究しているという。和尚に彼女が加わり、ガイドとしては鬼に金棒。タイ人の疑問に、仏教の専門的な話も含めて、どんどん答えていく。但し彼女らはタイ語で話すので、タイ語の出来ない私には、どんな説明がなされたのかは全く分からなかった。とても残念。日本政府はこのような海外の研究者をもっと招聘して、日本の観光資源発掘に更に尽力すべきだと思う。日本人には分からない、豊富な資源が日本には眠っていることは間違いないので、外国人で日本を知っている人の力を借り必要はあるだろう。

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タイ人たちは本堂の中に安置されている仏像などにもかなりの興味を抱いており、質問が飛び交う。タイのお寺にも仏像はあるが、日本とは当然かなり違っている。タイやミャンマーの人は奈良の大仏よりは鎌倉の露座の大仏を好むと言われている。黄金の仏像はタイにも沢山あるが、渋い木造の仏像などは珍しいのかもしれない。その違い、意味するところをキチンとその国の言葉で伝えることは実に大切。特に仏教関係国と正面からの交流を行う上で、極めて重要であり、結果として、その文化が観光資源にもなっていくのではないだろうか。

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そのまま歩いて宝霊館に向かう。ところがタイ人たちは何か飲み物が飲みたいと言い出す。高野山にはコンビニもあまりない。自販機で水を買うのも味気ないと、レトロな喫茶店に入ってみる。いきなり広くはない店に10名で入ったので、おばさんはビックリしていたが、『時間が掛かるけど、よければ』と言われ、分かれて席に着く。こんな街のレトロな喫茶店も、タイ人の興味を引く。丁寧にコーヒーを淹れる姿、接客態度、彼女たちには新鮮に見えたらしい。店のカウンターに座っていた常連のおじさんたちも、タイ人と聞くと『中国人は多く見掛けるが、タイ人は珍しいね』と興味を持って話し掛けてくる。こんな簡単な交流もまたよい。

 

宝霊館に着くと、きれいな庭の木々にうっとりしてしまう。タイ人は盛んに写真を撮る。これが日本の美、と言わんばかりに丁寧に手入れされている。入場料を支払って中へ入ると、ここには国宝クラスの仏像が沢山展示されており、その迫力は相当のものがある。また大型の曼荼羅なども置かれており、仏教世界を考える上では、高野山では必ず行くべき場所であろう。高野山には国の宝の相当数があると言われているが、まずは宝霊館に集中している。

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タイ人は本当にコンビニが好きだ。バンコックには至る所にセブンイレブンが見られ、タイ人は慣れ親しんでいる。ファミリーマートやローソンも進出してきており、かなりの激戦になっている。ある意味で日本の文化がタイに輸出されたよい例であろう。本家のコンビニに行くのが、楽しみである、というのは有難い話である。そこで好きなお弁当と飲み物などを買い、食べることにした。スイーツなども彼女らの興味の的となっている。高野山にはファミマしかないようで、既に弁当も殆どが売れていた。高野山はかなり閉鎖的な場所、といってよいだろう。地元の商店を守るために、コンビニの進出にも良い顔をしないと聞く。

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弁当を買っても、食べる場所に苦労する。月曜日ではあるが、観光客は多い。臨時テントなども作られているが、どこも一杯である。和尚の知り合いのお寺の一角を借りようと歩いていくと、陰に隠れた臨時テントに空きがあったので、何とか潜り込み、サンドイッチを頬張った。ここで大量のゴミが出たのだが、ゴミ箱などはない。確かに今や日本では、観光地といえどもゴミ箱は設置されておらず、『ごみは自宅に持ち帰り』が原則であるとは知っている。

 

だが、外国人観光客にとって、これほど不便なことはないだろう。中国人観光客の一部は、適当なところにごみを捨ててしまうかもしれない。それをもって『中国人のマナーは悪い』というのはどうなんだろうか。タイ人はゴミを捨てたりはしなかったが、律儀に持って歩いている。バッグは既にパンパンなのだ。写真を撮りたい時は、かなり不便である。見かねて聞いてみると『トイレの後ろにある』と教えられ、何とか捨てることができた。ゴミでは本当に苦労する。

 

午後は開創1200年の記念行事である、お受戒を受けに行く。大勢の人が詰めかけており、順番を待つことになる。我々は団体で申し込んだが、他にも全国から、お寺の檀家さんや仏教関係の集まりの人々が、団体さんでやって来ている。30分待って入場できた。中では読経、阿闍梨の法会があり、なんと団体は代表者が名前を呼ばれ、直接菩薩戒牒を授与される。我々の代表としてA師が呼ばれて、授与された。『タイから来た』と呼ばれ、何となく面はゆい。タイ人は何が起こっているか分からなかったはずだが、こういう席では神妙に座っている。さすがだ。

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タイ人と行く高野山2015(3)高野山 驚くべきライトアップショー

高野山で長唄を

少し休息してから、梵恩舎というカフェに行く。ここは日本人のご主人とフランス人の奥さんが開いているインターナショナルカフェ。K和尚が仲良くしているので、私も2年前に一度ここにきてお茶を飲んでいる。今回は和尚の計らいで、何とここの2階で長唄を聞く、というのである。何故高野山で長唄?京都から遊びに来ていた長唄の修行をしたカップルが、偶然和尚と知り合いになり、タイ人がやってくるなら、ぜひ日本の伝統文化の1つとして、長唄を聞いてもらいたい、ということになったらしい。この辺、意外な展開が面白い。

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梵恩舎の建物は1階にカフェスペースがあるが、実は2階にもスペースがあった。そこは意外とお洒落な空間で、中2階というか、屋根裏というか、落ち着いた場所になっていた。座敷になっているので、欧米人などは長時間座るのは辛いかもしれないが、タイ人は座るのに慣れているから、ちょうど良いかもしれない。むしろ私は長く座るのは辛い、と思ってしまう。

 

男性が唸り声を上げて、三味線をかき鳴らす。女性も三味線を合わせる。皆興味津々、何が起こったのか、と言った感じで見入る。本格的な演奏がまじかに聞けることは、実に素晴らしい。演奏が終わると、三味線を弾いてみたいと、即席で習い出す人もいた。三味線を知っているのかと聞くと『クーカムで見た』というのだ。クーカムとはタイで爆発的に流行ったテレビドラマ。主人公は日本軍の大尉小堀。小堀の実直な人柄などが、『タイ人の日本人観が変わった』と言われるほどに、好印象のドラマだったらしい。原作はタイ作家の『メナムの残照』という小説。その中で小堀が三味線を弾く場面がある?のだとか、三味線はタイで有名な楽器だ。

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まさか高野山で長唄・三味線が聞けるとは、タイ人も大喜びだった。また会場はカフェなのに、ドリンクすら誰も頼まず、全く無料で場所を提供してくれた。勿論今日は日曜日で、お客は引っ切り無しに来ており、我々に構う暇がなかった、ということかもしれないが。下のカフェのお客さんたちにも音は筒抜けだから迷惑だったのではないかと心配したが、下からも拍手が沸いていたのを見ると、皆さん聞きいっていたのかもしれない。この意外性、これからもこのカフェで時々やって欲しい。カフェのお客さんの日本人で、タイ滞在経験のある男性が突然タイ語で話し掛けてきたり、何かと話題性のあるタイ人一行のご来場であった。

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ライトアップショー

それから歩いて宿坊に戻る。戻るといっても彼女たちは簡単には歩かない。餅を売っていれば誰かが買ってみんなで分けて食べる。数珠やおりんなど仏具にも興味を持ち、何でもかんでも手に取り、気にいったものがあれば購入している。兎に角今日は観光客が多く歩いており、迷子を出さないようにと日本人が連携してかなり気を使った。僅か2㎞を歩くのに、2時間はかかっただろうか。宿坊での食事の時間に遅れそうになり、かなり慌てて宿に飛び込む。

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私は後から参加を決めたため、宿坊は満員であり、泊まる所がなかったが、結局和尚の家に泊まらせてもらうことになった。我々二人は小雨が降る中、今来た道を急いで戻り、和尚の家に。実はこの後8時から、ライトアップイベントを見に行くことになっており、時間が殆どない。しかも高野山では食事をする場所も限られており、今日はどこも満員だろう。ということで、何と忙しい中、和尚はカレーを作っておいてくれた。何とも有難い。宿坊ではタイ人がお坊さんより食事の給仕を受けて『有難い、いやあり得ない』と思っている頃、私もお坊さんから給仕を受けていたことになる。何とも有難いことだ。美味しく頂いた。

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そして急いで明王院へ戻り、皆をピックアップして、すぐ近くの大伽藍へ向かう。ちょうど1回目のショーが終了したらしく、大勢の人が暗がりの中から、溢れ出してきた。それを避けながら進むと、場内には既に2回目を待つ人々がかなりいた。正直私は高野山でライトップショー、というのがピンと来なかったが、とにかく大人気だということは分かった。

 

ショーが始まる。驚くべきことに根本大塔にレーザー光線が激しく当たる。若手僧侶がずらりと並び、その読経の声が周囲に響き渡る。そして何と大塔に曼荼羅が浮かび上がる。偉い僧侶がゆっくり歩いて来て、扉を開け、中に入っていく。これは何を表わしているのだろうか。いつの間にか太鼓の音も響いてくる。端の方で激しく太鼓を敲いている人がいた。高野山の人だろうか。僧侶と太鼓、クライマックスが訪れた。光が消えると、フーッと息を吐きたくなった。

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ショーが終わると、写真撮影が始まる。実はショーの最中は写真禁止だったのだ。タイ人たちはまずは和尚と記念撮影。それを見た日本人の観光客も和尚と一緒に写真に納まる。今やお坊さんは人気者だ。高野山でお坊さんと記念撮影、というのは悪くないのかもしれない。それにしても何ともビックリするショーだった。タイ人たちはここで完全に自覚したのではないだろうか。『日本の仏教と自分たちの仏教は全く違うものである』ということを。

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我々は和尚宅に戻る。和尚はかなり疲れていたはずであり、早々に寝ることにした。私は風呂に入ることもしなかった。よく考えてみれば、昨晩夜行バスに乗り、殆ど寝ておらず、そのままここまで来てしまったのだ。因みに私が持って来たポケットWi-Fiは、この山では使えなかった。これは早く休めという意味だと理解した。