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バンコック ヨーガの旅2016(8)合宿の効果

そういえば、ワンサニットにミャンマーの坊さんたちがやって来た。ミャンマーと言えば、タイよりさらに保守的な仏教国であり、これまで多くの僧侶を見てきたが、今日やって来た彼らは若者が多く、皆がスマホを持ち、思い思いに庭の写真を撮っていた。そのはしゃぎぶりがおかしくて、『やはり本国では相当に抑圧されているのだな』などと勝手に思ってしまうほどだった。

 

聞くところによれば、ドミトリーの2階を占拠して、朝早くから夜遅くまで物音や話し声が煩かったらしい。まるで高校生の修学旅行のように思えた。ワンサニットの土ハウスにはスーチー女史の肖像画なども架かっており、ここはミャンマーと何らかの繋がりをうかがわせた。

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合宿の残りをも少なくなり、楽しみな夕飯の回数も見えてきた。今回の参加者はグループ化することもなく、各人が好きな場所に座るので、私も時々位置を変え、色々な人と話してみた。いつものことではあるが、実に様々な体験をしている人の集まりで、普通の日本人のグループとは会話もちょっと違う。それが何とも面白い。今回は来年インドを目指す人たちもいて、勉強には熱が入っている。不真面目なのは私だけだった。

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夜のビデオは最終回、中国・台湾編。段々日本に近づいてきており、参加者の感想も具体的になってきて、失った家族の話や実際の寺との関係などが語られた。正直私は『日本人はなぜ、自分のことより人のことを先に考えるのか』という課題を持っていた。仏教でも『まずは自らを』という上座部の方がどうしてもよく見えてしまい、困っていた。

 

今回の5回シリーズで仏教伝来の流れが見え、なぜ日本の仏教はこうなのか、これも一つの仏教なのか、といった疑問にある意味のヒントが出てきたように思える。『日本人自身、気が付かないうちに、そういう考えを持っている』ということなのだ。色々と戒律はあるのだけれど、仏教はこうでなければならない、ということがない。

 

中国に入った仏教は中国的に、台湾では台湾的に、現地との融合を経て、発展してきた。権力者が統治しやすい道具、という側面もあったかもしれないが、個々の人に心に根付くものがあったのに、私にはそれが薄かったから分からなかった、ということかもしれない。この問題は引き続き、見ていかなければならい。私が『なんか変だよ、日本人』と思ってしまう部分が、他人から見えれば『なんか変だよ、お前は』ということになっているようだ。

 

123日(土)
7日目

何だか来た頃より気温が上がっているように思える朝。早起きにも慣れ、瞑想中の正座にも少しは慣れ、こんな生活なら快適な心身が保てそうだと思う。私にとってのこの合宿の最大の効果は『規則正しい生活』『べジの食事』『文章を書かない』『朝から晩まで忙しいことによる、快適な睡眠』にある。これらがあると、体は確実に好転していくことを経験から分っていた。

 

僅かな時間に散歩するのもとてもよい。自然の中に身を置くと、非常に安らかになる。そして一転、講義では頭を働かせ、また実習でリラックス。そして食べたいだけご飯を食べ、昼寝をし、時には参加者の話を聞く。もう一つ大切なことは一緒に参加している人々かもしれない。よいメンバーに恵まれれば、それだけ効果が高いことも間違いはない。願わくば、もう少し男性がいて欲しい。

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男女にかかわらないが、特に男性は会社勤めなどで、『心の動作不良』を起こし、うつになるケースがある。『体の不安定、呼吸の乱れ』などで自律神経失調症などに見舞われていることもあり、それをずっと我慢していることがある。早目に切り替えるべきだが、学んだことはその解決の1つになるかもしれない。まあ、ここは病院ではないので、予防的な意味合いで基本的なヨーガの原理を知ることはよいかと思う。

 

夕飯に美味しそうな麺が出た。もうすぐこれが食べられなくなるかと思うと、ちょっと寂しい。インドなら『明日は出所だ』などと楽しみに思うのだが、ここタイでは、離れがたい気分になる。皆さんの合宿はもう少し続くのだが、私は明日で一足先に失礼する。因みにここの費用は実費、共通費用は概算で割り勘するのだが、とてもリーズナブル。そして講師への謝礼はダーナ方式。いくらお渡しするかは自分が決める。私もお茶会や報告会でこのダーナを採用してみたいと思っているが、どうだろうか。

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夜のトラータカではついに今回も全く涙なし。いかなる緊張が入っているのだろうか。体はアーサナでかなり緊張がほぐれるようになってきたというのに。今晩はNHKの別の番組、インドのチベットと呼ばれるラダック編を見る。ラダックにはもう6年も前、流されるように行ったことがある。

 

インドでありながら全くインドではない場所。チベット仏教がそのまま残った街。日本の仏教が葬式仏教になってしまったのと対照的に、ここでは僧侶の中で医師の役目を果たす人がおり、病人の面倒を見る。人が死ぬ間際もやってきて、より良き来世を祈ってくれる。そして死者に対する対応も独特だった。富士山ほどの標高にあり、過酷な条件で生きていく人々、そこに真の生活を見る思いがした。

バンコック ヨーガの旅2016(7)人生論、社会論へ

講義の中に『折角人間に生まれたのだから、無駄にしてはいけない』というのがあった。昨日のカヴィー先生の授業の中でも『人間に生まれ変われる可能性は相当低い』という話しが出ていた。生まれ変わりを信じるとしても、何に生まれ変わるのかを選択することはできない。そこで現世でよい行いをする、徳を積んで置かないと今の位置もキープできない、という話になるのだが、理屈では分っても、この辺がどうも我々にはピンとこない。

 

『瞑想により海馬を休め、脳を最適化する』『常に初期化することで苦痛から解放される』、うーん、どうなのだろうか。このあたりになると、自分で実際に体験してみないと理解できないのでは、と思う。まあ、確かに寝ている時が一番幸せ、というのは何となく分かる気がする。

 

『三昧』という言葉も出てきた。これは『精神を集中し、雑念を捨て去ること』という意味かと思うが、それが『読書三昧』のように、『一心不乱にその事をする』という意味で使われ、ついには『したい放題』という意味の『贅沢三昧』となり、意味不明の『中華三昧』になっていく。日本語とはなんと面白い物か。

 

三昧とは『サマーディ』。サマーディは『Integration of Personality』と教わったが、それをきちんと理解するには至っていない。ヨーガを行う目的はここに達することなのか。更には涅槃、ニルヴァーナ、煩悩の無い境地に達することなのか、そんな日は来るのだろうか。ただA師は『我々は時々涅槃を通り過ぎることがあるが、短くて気が付かない』とも言っていた。なんだろう、このモヤモヤ。

 

夜のビデオは4回目のタイ編。男子は一生に一度は出家する、というタイの習わしについて。実は親、特に母親の孝行のために男の子は出家するようだ。20年前は3か月企業を休んで出家が許され、復帰後は会社での仕事ぶりもよくなるような話だったが、今では3か月も有給休暇をくれる会社はないのではないか。これが撮影されてすぐに起こったアジア通貨危機で、タイも根本が揺らいだように思う。現在はミニマムの2週間ということで、出家者も出家しやすい環境ではなかろうか。

 

家族がバラバラになり、不良息子が出家して、厳しい修行をしている場面も出てくる。母親も寺に入るが、タイでは女性の出家は認められていない。一見皆が楽しそうに生きているタイ社会だが、その陰では様々な問題が起こっているのは、どこでも一緒だろう。バンコックの観光寺院ばかり見ていても、何もわからない、と強く感じる。

 

夜中、激しい痒みに襲われた。ここ数日、何となく感じてはいたのだが、起きだしてしまうほど痒い。これは恐らくはダニだろう。昨年ミャンマーの列車の中で大いに刺され、その痒みと戦った記憶が蘇る。ダニに噛まれた跡が、足に数か所残っていた。この跡は、当分消えない。そして断続的に痒みが襲ってくる。これも一つの修行だろうか。まあ、なるようにしかならない。

 

122日(金)
6日目

生活は規則的になり、体はかなり軽くなってきたと実感できるが、痒みが取れない。集中力に欠ける。今朝もボーマンダウティがあったが、どうもうまくできない。唯一の得意技のはずだったが、集中力の無さが災いしたのか。うーん、どうしたものだろうか。食欲だけは衰えず、よく食べる。

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講義では『職場全体のマインドフルネス』。職場の雰囲気がよくなり、生産性が向上するという話が出る。これこそは今の日本の会社、いや日本社会に必要とされているものではないか。世間では『癒し』などが求められているが、学校や会社ではいじめも横行し、他者を排除しようという動きが目立つ。経済が低迷する社会では、特に日本のような細かいことが気になる社会では、重要だと思われる。

 

またまずは『自分を傷つけないことが、他人を傷つけないこと』に繋がり、『自分に正直であることが他人に誠実である』ことになる、との話も出た。『自分がやりくりできないものまで背負わない』ことも重要であり、『何も持たないのが理想』ということには大いに共鳴できる。『知足』といった、自らの欲求不満は自ら止める、大脳が何かと邪魔をするので小脳以下の機能を最大化するのがよい、など、実にためになる。もうこれは単なるヨーガの講義ではない。

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午後この合宿の常連、タイ在住20年を超えるIさんがやって来た。彼女とは前回の合宿で知り合い、その後もお茶会などを通じて仲良くしている。流ちょうタイ語を話し、ヨーガや仏教にも関心が高いことから、お寺見学の通訳も務めている。彼女が来るとズバズバいうので、話が面白くなる。またタイ人の視点で語ってくれるのが実に参考にもなる。

 

本日はこの合宿始まって以来のサウナの日である。庭にある小屋から煙が立ち、準備ができていた。前回はこれに入って見たのだが、今回は遠慮して、水シャワーで済ませた。何だか楽しそうにしている女性ばかりのところに入っていくのも気が引けたし、何より暖かい風呂?に興味が無くなっている自分に気が付いた。これはどうしたことだろうか。日本で冬の寒い時以外は湯船に浸からなくなって久しい。勿論サウナは別の効果もあり、入っておくべきかもしれないが、気分的にノー、だった。

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バンコック ヨーガの旅2016(6)歯の詰め物がとれて集中力を欠く

1130日(水)
4日目

今日は朝のアーサナを途中で切り上げ、クリアーの1つ、ボーマンダウティが行われる。まずはネティポットを使って、鼻から水を入れて、鼻から出す。これは浄化にとても良いということだが、鼻が詰まっていたので、本日はパスした。その姿だけ見ると、とても奇異に見えるかもしれないが、ヨーガの世界は普通に行われている。

 

ボーマンダウティは2リットルぐらいの塩水を飲んで、吐き出す。これも浄化の1つの手法であり、いわゆる反射である。動物は何か不適合なものが腹に入れば、すぐに吐き出すことができるが、人間は反射力が弱くなり、なかなか吐けない。胃を洗浄するような感じで行うのだが、なぜか私はこれがうまくできる。1リットルも飲めば、マーライオンのようにきれいに噴射する。

 

ただ今日は、体調のせいか、ちょっと手こずり、酔っぱらった時のように口の中に指を突っ込んでようやく吐き出した。これは日本の奥ゆかしい女性には、特に人前ではなかなか厳しい作業であり、うまくいかない人もいる。だがこれを平然とできるようにならないと、ヨーガの習得には向かえない。ヨーガは単なるポーズだけではない。ボーマンを行った日の朝ご飯は凄く軽い。フルーツとスープぐらいがちょうどよい。

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講義では夏目漱石が出てきた。ヨーガと夏目漱石、関係なさそうに見えるが、漱石はインド哲学、サーンキヤ派哲学に深く感銘して、あの『智に働けば角が立つ 情に棹させば流される』で有名な草枕を書いたという。この部分、確かに分かったような、分からないような、それでいて妙に心に残る一節だ。この節とインド哲学の関係、急にはリンクしないのだが、心に留めておこう。『意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい』のだから。

 

唯物論や観念論など、哲学の話が続くと、やはり基礎がないので、理解は進まない。ヨーガとはインドではどう生きるかだ、と言われる方がまだ理解できる感じがする。『ベーダンダー』とか、『ウパニシャッド』とか、何度も聞いていながらきちんと理解できていな言葉がシャワーのように降ってくると、もうヨーガの根本テーマである、四苦八苦の状態だ。

 

午後はタイ人のカヴィー先生がやってきて、特別講義が行われた。タイ人は仏教をどのように考えているのか、どう生きていくべきなのか、といった示唆に富んだ内容が分かりやすく話された。最終的にはやはり物資的な満足ではなく、心の満足だ。死に際して、物を欲しがる人はいないのだ。来世を信じるか、という質問には半信半疑で手を挙げた。

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仏教の主題は『Mind Development』だという。単に信じるだけではなく、祈るだけでなく、自らの心を向上させる必要がある。これは大乗仏教とは異なる、上座部的な考え方だな、と思った。いや、禅などはここに通じているのか。単にヨーガのことを学ぶだけではなく、深く仏教や哲学を理解して行かないと、本質を見誤るようだ。A師は『日本人のDNAには、日本的仏教が刻み込まれている。それはヨーガを理解するのにアドバンテージである』というが、当人にその自覚がないのは問題だ。

 

その日の夜、NHK3回、ガンダーラ編を見た。インドで始まった仏教がどのようにして中国や日本へ伝わり、変化したのか。そのカギを握るのはガンダーラだった。ガンダーラと言えば、ゴダイゴの歌しか知らない、との声もあったが、そこに統治の形として仏教が必要とされ、それが中国に輸入された訳だから、今に我々に直結した話だろう。

 

その夜だろうか。それまでも蚊に刺されて痒いと感じ、虫よけスプレーを使ったり、きんかんを塗ったりしたが、どうも蚊ではないような痒みと噛まれた跡がいくつも出てきた。夜中に痒い、というのは一番耐え難いことで、この日はあまり眠れず、翌朝もギリギリまで床にいたが、睡眠不足でアーサナが意識朦朧となる。

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121日(木)
5日目

いつものように朝ご飯を食べていたが、何となく美味しく感じられない。寝不足のせいだと決めてつけてみたが、しっくりこない。講義中、ふと口の中を確認すると、何と歯の詰め物が取れており、ぽっかりと穴が開いていた。さて、どうしよう、これは困った。特に痛い訳でもなく、我慢はできるのだが、どこかで治さないといけない。

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バンコック在住の参加者に聞いてみると、市内には歯医者は沢山あり、日本人向けもある。だが1回でこれが治せるとも思えないし、予約で満員かもしれないので、バンコックでの治療は諦め、東京で予約を取ってもらう。これから約10日間、歯を気にしながら生活しなければならないのは辛い。

 

ある程度、意識が歯に集中してしまうのは、非常に弊害が多かった。講義の内容が虚ろになり、実習への集中力が低下した。これまで思いっきり食べてきた食事の量も減っていき、体は更に楽になったが、頭はちょっと重くなった。こんなことを日々感じていくだけでも、普段とは違い生活が送れる。自らを常に感じながら生きていく。

バンコック ヨーガの旅2016(5)操体法で腰痛が治った!

夕飯の後、トラータカが始まった。これは蝋燭の火をじっと見つめ、眼から涙を流す、クリアー(浄化)の一つなのだが、こればかりは何度やっても涙が出たことがない。近頃は歳のせいか涙腺が緩み、お涙頂戴ドラマでも偶に涙を流すこともあるというのに、火を見てもピクリとも反応しない。隣の人など、30秒で溢れるほどに涙を流しているのに、私は薄情者なのか、などと思ってみても何もならない。

 

その後20年前にNHKで放映された『ブッダ大いなる旅路』という番組を見る。これは全5回シリーズで今日はインド編。仏教発祥の地でありながら、既に仏教が滅んでしまった国、インド。見終わった後の参加者の感想を聞いても、『インドはあまりピンとこない』という。私もインドには大いに興味はあるが、インド仏教の地を回って歩くことにはあまり興味が沸かない。

 

1129日(火)
3日目

早くも寝坊。というより、意識的に起きる時間を遅くして、瞑想の最後の方から参加。前回はこういう人もたまにいたのだが、今回のメンバーは遅刻者もなく、まじめ。私は慣れないことをすると疲れがたまるので、今の内から無理をせず、セーブしていく。朝ご飯にトーストを頂く。何だかここでパンを食べていることが嬉しい。インスタントコーヒーを淹れると、はるか昔、学生時代にでも戻った感じがする。

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ここには勿論洗濯機などない。洗濯物は自分の手で洗う。洗剤と桶が用意されているので、それを使ってシンプルに洗う。まあパンツとTシャツだけだから、それほど苦でもない。このような作業をしている時も、何かを考えている自分がいる。普段なら、面倒だなと思うだけだが、この環境が何かに作用するのだろうか。天気は良いので、干しておくとすぐに乾いてくれる。

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洗濯しながら、実は腰痛になりかけていることに気が付く。何となく腰が重い。確かに、普段全くアーサナすらやらない私が、13時間の実習をすれば、どこかしらに異変が出てもおかしくない。それを予防するため、無理なポーズはしていないつもりだったが、それでも腰には負担だったようだ。

 

腰痛気味であることをA夫人に伝えると、移動図書館の中から1冊の本が渡された。『サトウサンペイの「操体法」入門』と書かれており、表紙は可愛らしい漫画。サトウサンペイと言えば、サラリーマン漫画では知っているが、この本のイラストを描いているのだろうか。操体法とは、整体を基本として『痛い方向・つっぱる方向から、痛くない方向・つっぱりを感じない方向にゆっくり動かし、最後にすっと力を抜くと歪みが解消されるという方法』だそうだ。

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とにかく中を見て、その通りやってみることに。腰痛について触れられているところを簡単に読み、その漫画のポーズを三回やってみた。驚いたことに痛みは嘘のように無くなってしまった。そしてその後、この合宿中、一度も腰痛を感じたことはなかった。嘘のような本当の話である。A師がなぜこの本を持っているのかは知らないが、良い物は取り入れるということだろうか。

 

いつも感じることだが、ヨーガと言えばアーサナ、アーサナと言えばポーズが大事と思いがちだが、基本的にアーサナは如何に体の力を抜くかであり、それは簡単に見えて実に難しい。例えば死体のポーズとも言われるシャバーサナ。単に床に大の字になっているだけのように見えるが、これが一番難しいと参加者も言う。力を抜くと言っても人間どこかに力が入ってしまうもの。力を抜いてそのポーズが維持できれば良いとは分るのだが、出来ない!力が抜ければ、それだけでもスッキリすることがよくわかる。

 

この合宿ではアーサナの他、呼吸法に重点が置かれている。カパラバーティというクリアーを経て、プラーナーヤーマへと進む。少なくともここまでを1つのセットとしてやらないと意味はない。単にアーサナのポーズだけをいくらやっても、それでは繋がって行かないことが分かる。アーサナはプラーナヤーマの準備と考えればよいかと思う。

 

日本人は例えばアーユルヴェーダといえば、心地よいオイルマッサージをイメージしがちだが、そのマッサージはパンチャ・カルマの補助療法に過ぎない。私も3年前、パンチャ・カルマを受けた時、最初の3日間、トリートメントとして頭のマッサージやスチームバスを体験した。老廃物、汚れを一気に流すために、まずはオイルで緩め、溜める作業を行ったに過ぎない。一か所に汚れを溜めても、それを流さないのならどうなるのだろうか。その部分だけ取り出してはいけないと思うのだが、商業的には時間のない現代人に気持ちよさだけを売るのが精一杯か。

 

夜またトラータカに失敗。もう緊張で涙など出ないのだろうか。NHK2回目、ミャンマー編。来世を信じるおじいさんの姿、前回見た時に私は来世があるかもしれないと思うようになったが、それから数年で、更にその思いは強まっていた。では現在自分はどうするべきなのか。徳を積む、のか。

 

この番組は20年前に作られている。現在のミャンマー、急速な経済発展の最中にあり、人々の考え方、行動にも変化が出てきていると言わざるを得ない。老人や田舎ではまだ保守的な考えが残っているとはいえ、ヤンゴンなどの都会では、お寺に行く回数も減り、まずは金儲けという風潮が強い。これと来世はどうリンクしてくるのだろうか。金を儲けた人が寺に多額を寄進する例を何度も見ているが、寺が世俗にこの金を回せば、それは一つのお寺経済ではある。

バンコック ヨーガの旅2016(4)インド人もヨーガを始めた!

この合宿、ワンサニットの広い敷地内のいくつかの場所を使って行われる。昨日のイントロは、この施設の象徴的な建物である、通称『池ハウス』。周囲を池に囲まれ、蓮の花でも咲けば、天国かと思われる作り。この施設を所有する財団のオフィスがあり、その関係で唯一Wi-Fiが使える。日本から来た人は基本的にシムフリーの携帯ではないので、ここに来てネットへ繋ぐことになる。私も前回はちょくちょくここへ来ていたが、今やタイのシムを入れており、どこでも繋ぐことができるので、ここに来る回数は相当減った。

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朝は2階建ての2階、瞑想ホール。早朝の瞑想に始まり、実習も夜のビデオ鑑賞もここで行われる。そして昼間の講義は通称『土ハウス』。天井の高い、立派な建物なのだが、前回はアリが入り込み、かなり噛まれる。実はアリに嚙まれると相当に痛いとこの時に知った。しかし今回は入り口に盛り土がしてあり、侵入が阻まれていて助かった。この施設の横には新しいセミナーホールも出来ており、そちらはエアコンルームだそうだ。

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参加者には各人当番が割り当てられる。私はプロジェクターなどの移動が担当。土ハウスと瞑想ホールの間をプロジェクターを担いで往復し、その設置も行う。何だか楽しい。講義は、以前も何度も聞いている内容のはずだが、なかなか頭に入ってこない。もう歳だ、専門的な用語は特にすぐに忘れてしまう。それでも講義に触れることで、ヨーガが体操ではないこと、その奥深いポイントを少し垣間見ることができる。

 

講義だけでは頭に入らないのは私だけではない。そのため参考図書なども紹介されるが、何と移動図書館として、かなりの量の本が持ち込まれており、実際に手に取って本を眺め、必要な書籍を確認することができる。インドにおいてもヨーガ研究の歴史は1920年代から、というので、参考図書もヨーガだけではなく、インド哲学から日本仏教、そして心理学など様々な要素が取り込まれていて、面白い。

 

講義で初めて、『マインドフルネス』という言葉が流行していると聞いた。瞑想をベースに今現在自らの内面や外面に起こっていることに注意を向けること、無意識に注意を向けること、といった定義がなされているらしい。これはこれまで何度となく、合宿で聞いてきた話ではないのか。普段聞いてもピンとこないだろうが、ここで聞くと何となく分かった気になる。

 

これが『心のエクササイズ』と言われ、ストレス解消法、うつ病対策になる、と巷では言われているらしい。そういう話を聞くと、どうしても胡散臭い、ビジネス的なものを感じてしまう。取り敢えず問題になっていることの対処法を探してきて商売の種にする、という人達がいる。ヨーガもインド伝来と言いながら、中身はアメリカのエクササイズ、ということが少なくない。マインドフルネスの考え方自体は良いと思うが、流行に流されるのではなく、一人一人が自ら考え、静かに実践していくのが望ましい。

 

またランチがやって来た。ここでは基本的に1日のメインがランチとなる。夜は軽めの食事、というのが胃腸の負担を和らげるので、有り難い。現代の暴飲暴食生活、時間との闘い、から隔絶されたゆっくりした空間で、ゆっくりご飯を食べれば、それだけでも健康になるだろう。

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更に私にとっては、『1日中お茶を飲まない』ということが、実は体に良い、ということをこの合宿で体感している。勿論お茶が体に悪いということではないが、1日に何種類ものお茶を次々に飲んでいけば、それはやはり体内にストレスとなる。お腹も減るので食べる量も増え、太っていく原因にもなる。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし、だ。お茶当番の人が淹れてくれる、一杯の日本茶、で十分だ。

 

ランチの後は昼寝。11月終わりとはいえ、タイの日中はそれなりに日差しがある。勿論この部屋にはエアコンなどがないが、十分に快適なのは、森に囲まれているからだろうか。都会は暑い、ということも、ここにいればよくわかる。昨晩の寒さを体験し、日中の涼しさが心地よい。

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午後の講義で、昨今のインドヨーガ事情が出てきた。2年半前に就任したモディ首相はインド至上主義者。聖なる河、ガンジスがどうしてあんなに汚いのかと、浄化作戦も練られているらしい。モディ首相本人が毎日90分やっていると言われるヨーガ。日本では彼の経済的な手腕ばかり語られているが、インドの伝統的なヨーガを世界に発信してもいる。国連で自ら発言し、政府の担当部署を格上げして、相当に力を入れているらしい。

 

この機会にヨーガが再定義され、インストラクターの資格も決められ、インド人にもヨーガを推奨し、一般への普及も図っている。まさにインド人がヨーガを始めた、のだ。これまでのヒンズー教の考え方では人は生まれながらに身分が決まってしまい、現代社会とは明らかに不適合。この中で生きる人々のストレスは従来にも増しており、半端ないはずだ。企業の福利厚生でヨーガが始まっている。

 

インド人がヨーガを通して健康になり、またヒンズーからも自由になれば、凄い活力が生まれるのだろう。首相はそこまで考えて、ヨーガを発信しているのだろうか。500ルピーと1000ルピーの高額紙幣をあっという間に廃止してしまった手腕。インドは大混乱に陥っているというが金を持たない庶民からは拍手喝采とか。大胆な政治はインドをどう変えていくのだろう。興味深い。

 

バンコック ヨーガの旅2016(3)異空間に身を置き考える

ワンサニット1日目

川を渡るとそこは異空間。それは10年前に初めてここに来た時と何ら変わらない。ここで初めてA師に会った。同窓ということで紹介されて、訪ねて来たのだが、その発する言葉が魅力的で、余りにも印象が強く、常人離れした人に思えた。しかもこの空間で遭遇すれば、更にその感覚が高まる。私にとって、刺激が求められる人だ。

 

まずは荷物を部屋に入れる。私は男子一人であり、個室に入る。5年前は隣にK和尚がいた。彼は当時タイのお寺に入っており、上座部の僧侶として、袈裟2枚の姿でそこにいた。彼と1週間いただけで、タイの僧がどのような生活をしているのか、どのような扱いを受けているのかなどを知ることができ、大変ためになった。部屋は5年前と特に変わってはいなかった。今回隣はいないようだった。

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すぐに昼ごはんとなる。ワンサニットのご飯はベジタリアン。肉や魚は出ないが、味は非常に美味しい。自分の好きな量だけ取るビュッフェ形式だが、女性ばかりなので、私は余らないように沢山取る。それでも恐らくは1週間後、体重は軽くなり、体脂肪はかなり落ちているはずだ。油の使用が少ないのだろうか、普段一体どんなものを食べて生きているのか、間食が多過ぎると、反省する。

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午後はイントロダクションがあり、13名の参加者が自己紹介した。前回は殆どがヨーガインストラクターだったが、今回は数名、ヨーガを職業としていない人がいて助かった。私のような怠け者には、突然高度なプログラムはきつい。A師も参加者の顔ぶれを見て、内容を検討しているようだ。

 

その後、実習がある。ヨーガというと、きれいなポーズや柔らかい体、などを想像しがちだが、アーサナは何のためにあるのか、何するものなのかを、教えてくれる。これも何度も聞いている話であり、参加者はプロが多いにも拘らず、毎回頷いて聞いている人が多いのには驚くし、日本のヨーガスタジオは世界が違うのかな、思ってしまう。

 

実際の実技でも、『体を前に曲げすぎない』ないために座布団をお腹に挟んだりする。基本的には体が前にピタッとつく人ばかりだが、このポーズの意味はその曲げる姿勢にあるという。私などは全く体が前に行かないので、むしろ更に沢山の座布団をもらい、その姿勢を保つようにする。

 

夕方5時過ぎに実習が終了すると、夕飯までの間にシャワーを浴びる。このシャワー、お湯は出ない。タイ人にとっては何でもないことかもしれないが、日本人にとって水シャワーはきつい。11月末、気温はそれなりに高いとは言いながら、この付近は都会より気温は低く感じられる。だがこれも一つの修行だと思えばよい。更に石鹸やシャンプーも周囲の環境に配慮した物が提供される。木の小屋から流れ出す汚水は直接下へ落ちていくので、実感が沸く。

 

夕飯は軽い物が出る。今晩は麺だった。これも合宿での配慮だった。やはり普段食べ過ぎなのだろう。腹が減るのでお替りする。パイナップルなどフルーツが出るのが嬉しい。この程度の食事で済ませることが内臓の負担を和らげると思う。もう一組、数人のグループが食事をしているがメニューは同じ。白人、韓国人などの混成チーム、英語で話しているが、何の目的で来ているのであろうか。

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夕飯が終わるとまた講義がある。NHKスペシャルなどの番組を見て、周辺理解を深めるというプログラムになっている。これが終わるのが夜9時過ぎ。暗い中、部屋に戻り、歯をみがくと、既にぐったり。部屋はかなり涼しいので、そのまますぐに寝込んだが、こんな季節にも蚊の来襲があり、慌てて蚊帳をセットして再度寝る。薄い上掛け一枚ではどうにも寒い。翌朝見てみると、何と窓が開いていた。普段如何に生活に注意を払っていないか、快適な生活を送っているかを実感する。

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1128日(月)

2日目

ワンサニットの朝は早い。まだ夜が明けない午前5時起床。もう鶏は大声で鳴いている。支度をして5時半にホールへ向かう。参加は自由だが、30分間の瞑想がある。心が静かになり、朝をこのように始めることの良さが分かる。寝ている間、私は何をしているのだろうか。夢など見ていないのだが、心がざわつくことでもあるのだろうか。

 

夜が少しずつ明けてくる。6-8時は実習。体を少しずつ緩めていく。私は無理をせず、出来ることだけをゆっくりやっていく。ここでは他人と競争する必要もないし、指導者から、何かを強制されることもない。疑問があれば聞くことができ、大きく外れていれば、教えてくれるだけだ。

 

このようなやり方、インドでも体験したが、今の日本の教育に必要ではないだろうか。個性を引き出すなどと教育現場では言っているようだが、教師が教え込めば個性は消えていく。マニュアルを暗記するだけ、出来たか出来ないかだけを競うことになりかねない。そのようなものは教育とは言わないのでは、とここでは思わせる。

 

朝飯にお粥が出た。タイ料理ではあるが色々な面で中国を感じさせる。タイという国も南北に長い。北の方は中国の影響が強く、その食文化も随所に中国的である。我々日本人はこれらのミックスされたタイ料理を食べるとホッとして、美味いと感じる。しかもここの料理は肉食を抜いているので、体に優しい食べ物が残る。健康の源についても考える。

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バンコック ヨーガの旅2016(2)タイの仏教見学

合宿はバンコック郊外のワンサニットというアシュラムで行われるのだが、今日はそこへ行く前に社会科見学がある。タイの仏教に触れる、ということで、お寺を2つ訪問する。「シャンティ・アソーク」と「スーアン・モッカ・バンコク(BIA)」、この対照的なお寺、5年前も訪問したが、その後どう変わっただろうか。日本の仏教とタイの上座部仏教の違いを垣間見る、良い機会となる。

 

因みに10月にプミポン国王が亡くなったタイは、どのような状況になっているのかにも、関心があった。正直昨晩歩いた感じでは、普段とそれほど変わった様子も見られなかったのだが、朝一番、私の普段着を見たA師は即座に、『これに着替えてください』と言って、黒のポロシャツが渡される。全員女性の前でいきなりシャツを脱いでポロシャツを着る羽目になった。さすがにお寺に行く場合、それなりの服装で行くべきなのであろう。

 

まずは車で1時間弱、原理主義的なシャンティ・アソークに行ってみる。ここは元々の仏教に帰ることを目指し、独自の規律で、出家各自がクティを作り、集団生活を送っている。まるで森の中で生活しているような環境にある。5年前に来た時はその原始的な様相に少なからず驚いたが、今回来てみると、クティがかなりきれいになっている。勿論僧たちは相変わらず厳しい顔をしているが、それでも前回よりはなじめる感じがあった。ここにいると何とも落ち着く。

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子供たちが托鉢の帰りなのか、朝礼のようなことをしている。ここに来ている信者の服装はほぼ皆黒。やはり黒のポロシャツは正解だった。裏門から出て、各自買い物タイムとなる。ワンサニットへ行くと、簡単に買い物できる場所はないので、必要なものはここで調達する。ここには有名なシャンティ・アソーク経営のレストランもあり、美味しいそうな湯気を立てていた。路上でも様々な食べ物が売られていたが、なぜか食欲は出ない。

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更に裏手ではトラックが横付けされ、若者が物資を下ろしていた。これもこの寺に住む若者たち。どこからか運ばれてきた食料を運んでいた。かなりの人数を食べさせることは、現代のタイでは托鉢だけでは難しいのだろうか。そもそも托鉢など行わない僧が増えているとも聞くが、ここは本来の仏教を実践する場だから、托鉢は欠かせないだろう。

 

続いてBIAに行く。ここも5年前に来て、極めて印象的だった。大きな目玉が描かれた絵が掛かっているところだ。現代アートと仏教が結びついている。あの目は何を見ているのだろうか。我々には何も見えていない、という表れだろうか。大きな池があり、施設は現代的で、ここも環境がよい。建物内ではセミナーが開かれているが、タイ語なので内容は分らない。

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輪廻について描かれた絵などもあり、ここにいると常に自らについて考える機会が与えられる。1室には暗い空間があり、その奥には非常に安らかに過ごせる場所が設定されている。皆思い思いに寝転んで、池を眺めたり、目をつぶったり。心地よい安らぎが訪れる。タイ人のバンダが同行しており、彼女からタイ式の礼拝の仕方などを習う。彼女とは、バンコックのヨーガクラスでも会ったし、何と言ってもインドのロナワラを訪ねた時、1年間のコースで勉強していたので馴染みである。今はタイに戻ってヨーガの先生をしているらしい。何とも優秀な女性である。

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施設内にショップがあり、皆さんは買い物を始める。これから始まる合宿に備えて、服などを買い揃えているのだが、私はまるで無頓着。A師と共に、自販機のコーヒーを飲んで待つ。それにしても、タイの仏教と言えば、一般人にはワットポーやワットアルンといった観光地の印象しかないが、随分と色々な面があるのだな、とつくづく思う。日本人ももっとタイの仏教を知るべきだろう。それが自分たちのためにもなる。

 

そういえば、5年前ここに来た時、ちょうどタイの高僧が来るというので、会いに行ったが、なんとそれは日本人だった。日本語で話しかけると日本語が返ってきた。タイで長年修行し、タイで誰もが知っているお坊さんになったというので驚いた。だがもっと驚いたのはその後、彼は突然恋に落ちて、還俗してしまったことだ。これは格好のスキャンダルとしてタイ全土を揺るがしたが、果たして信者のタイ人はどう思ったであろうか。

 

そしてまた車に乗り、ワンサニットへ。この2台のチャーターされたロットゥ。普段は普通に路線を走っているらしい。夫婦が個人で運転しており、今日はこの往復だけで十分に上がりがあるのだろう。荷物なども運んでくれて、実に親切。両側で花が売られている通りへ出ると、そこには懐かしいワンサニットアシュラムがあった。花屋?いや植木屋の規模もかなり拡大している。

 

このアシュラムへ入るには小さな川を越える必要があり、小舟に乗り、ロープを引いて渡らねばならない。一種の儀式のようで、何とも面白い。初めてここに来た10年前は、子供が手伝ってくれなければ渡れない感じだったが、今ではきれいになっている。いよいよここで私にとっての1週間の修行が始まる。

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バンコック ヨーガの旅2016(1)北京経由でバンコックへ

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今年はとにかく大旅行が続いたので、疲れていた。疲れたと言っても何もしないのも疲れる性分。特に心の疲れを癒す方法はないかと考えていると、数年前に一度参加したバンコックのヨーガ合宿のお知らせが舞い込む。基本的にヨーガはやらない私だが、これまで沖縄久高島の合宿も3年連続出席していた。一度は捨てた?バンコックだが、取り敢えず行って見ようと思う。

 

1126日(土)
バンコックまで

合宿参加者は基本的に26日中にバンコックに入り、27日の朝、車で郊外のワンサニットに向かうことになっていた。大抵の人は、東京や大阪からの直行便でバンコックに向かうので、大体同じ時間に到着するのだが、私は北京経由を選んだ。理由はあまりにも安かったから。何しろ直行便が5万円台なのに、エアチャイナの経由便なら3万円だった。実は最初にネットで調べた時は往復2.4万円だったので、驚いてしまったのだが、さすがのそのチケットはすぐに無くなっていた。

 

しかもエアチャイナは羽田から北京に飛ぶのでこれまた便利。8:30発で行き、昼頃着いて午後便でバンコックへという完ぺきなスケジュールだった。当日は空港までの交通機関にも問題がなく(東京は人身事故などで電車が遅れることがある)、順調に機内に乗り込み、すぐに寝入った。ところが1時間ぐらいして、ふと目を覚ますと、何と飛行機は動いていなかった。北京空港から離陸許可が下りていなかったらしい。道理でぐっすりと眠れたわけだ。

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しかし笑ってはいられない。このフライトがこれ以上遅れると、北京での乗り継ぎが出来なくなる。慌ててバンコックのA師に念のためメッセージを入れた。その途端、機体が動き出す。以前乗客は爆買い?中国人が多かったのだが、このフライトでは白人が目立っていた。日本人でも中国へ行くというより、北京経由でバンコックなど他国へ行く人が見受けられた。確かにこれだけ安いと乗客も変化してくる。皆大人しくしていた。

 

そして北京到着時間が気になり始めた頃、何人もの乗客が前の方に席を移し始めた。彼らの乗り継ぎ時間は相当に厳しいらしい。私はこの時から『今回の旅はなるようになれ』と思い、一切急ぐことをしないと決めた。北京空港に降り立ったのは、私のバンコック行フライトの出発時間の1時間ちょっと前だった。

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北京空港では国際線乗り継ぎが必要。入国審査横にある特別ゲートでチェックを受ける。そこには先発した白人が既に並んでおり待つ。そこを通過すると、セキュリティチェック。出発まで間がない人が優先的に通っていくが、私がチケットを見せると係員は『まだ時間があるな』と言って、優先させてくれなかった。ということは、十分間に合うのだろう。

 

ところがこの列がなかなか進まない。中国の荷物検査はなぜここまで厳しいのだろうか。そしてチケットに不備のあるアラブ系が引っかかってしまい、更に時間が過ぎていくが、ただ泰然としていた。そこを通過した時には、ちょうど搭乗時間になっており、結果的にはジャストタイミング。昔の自分であれば、相当イライラしただろうが、なるようにしかならない、と思えば何でもない。

 

バンコックまでのフライトは順調で結果的に定刻前に到着した。今日は指定のホテルに入るだけなので、急ぐことはないのだが、土曜日の夜はエアポートリンクで行っても、その先の道が渋滞するとの情報だったので、空港からタクシーに乗る。運転手に住所を見せると『分った』というので一安心。

 

ホテル到着

でもそこはタイ。大きな通りは分ってもホテル名など見てはいなかった?全く違うホテルに連れていかれ、あれ。ここで運転手がどう出るかと見ていたが、いい人だったようで、ごめん、と言いながらホテルのフロントに場所を聞いてくれた。空港タクシーの運ちゃんには時々痛い目にあうのでラッキー。そして何とかホテルを探し当てる。

 

2012年の合宿に参加した時、泊まったホテルだったが、かなりきれいになっている。部屋もちょっとモダンに変身していた驚き。フロントには中国語も見えるから、お客は中国人だろうか。いや、車が沢山停められるスペースがあるから、タイ人向けか。立地がよい訳ではないのに、それなりの料金が取れるらしい。

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夜も8時を過ぎていたので、陸橋を渡ったところで、カオマンガイを食す。蒸したのと揚げたのをミックスしてもらう。もう私のタイでの定番メニュー。スープも付いて45bは安い!その後近くを少し散歩。イスラム料理屋があった。かなり広い敷地、お客が沢山いた。最近テロなど事件も多くなっているが、バンコックに住むイスラム教徒はどのような状況なのだろうか。気になるがホテルへ帰る。

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1127日(日)
出発

翌朝は8時出発と聞いていたので7時に起きて、準備を始めた。ところが7時半前にドアをノックする音がする。しかも『どうしました?出発ですよ』というA夫人の声だった。急いで荷物を持って部屋を出た。既に庭には皆さんが集合しており、ロットゥーも2台来ていた。私が最後のチェックアウトとなった。どうやら集合時間が違っていたらしい。まあ、こんなものか。このグループ、A師と私以外全員女性。

東マレーシア散歩2016(10)私も含めてコタバルは休む

6.    コタバル
ロッジ

そのロッジは中国語名が書かれていたが、英語名はクリスタルロッジ、とても感じがよかった。1108mrでハリラヤにも拘らず、問題なく泊まれた。部屋は非常にコンパクトで清潔、申し分ない。お湯を沸かすポットもあるし、窓もある。テレビでサッカーも見られた。

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何となく夕暮れが見たくて、ロッジから外へ出る。すぐ近くに川があり、雲に覆われた夕日が微かに輝いて動いていた。しばし休憩した。それから街へ行こうかと思ったが、時計台を見たところで止めた。疲れていたので、簡単にご飯を食べて帰ることにした。まだ体調がよいは言えず、また中華食堂へ。

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麺を茹でている女性に『麺』と言ったが、通じなかったらしい。奥にいた中華系オーナーに言い直し、具沢山の麺が出てきた。これもまたウマし。何だか力が抜けてほっとした。食後にお茶を頼むと、やはり暖かい黒茶が出てきた。JBでもコタバルでも暖かい茶は黒茶なのだ。宿に帰り、イングランドプレミア・リーグ、マンチェスターダービーを見て寝る。

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911日(日)
コタバル散歩も

翌朝は早く起きた。昨日は宿でもバスでも寝すぎてしまった。もうそれなりの歳なので、あまりたくさんは寝られない。ホテル代に朝食が含まれているので、最上階に行ってみる。今日も天気が良い。パンとお粥を食べて満足。ここも屋上の屋外で食べられるようになっているのは良いが、暑い!

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今日一日しかないので、コタバル博物館へ向かう。ここは太平洋戦争勃発時に、日本軍が上陸した場所。いわゆる銀輪部隊が有名なので、その辺の歴史について、どのように展示されているのか見てみたい、というのが今回のコタバル行の目的だった。フロントでもらった地図を見ながら進んだが、なかなか博物館は見付からない。その内、なぜか腹が痛くなる。まずはトイレを探す羽目になった。

 

大きなモスクはあったが、ここのトイレは使ってよいか分らず、少し戻って、織物展示場のような場所で用を足した。まだ朝早く、ようやく観光バスが到着したところ。場内には誰もいなかった。驚いたことに博物館はいくつかあったが、役所、学校共に全て休館となっていた。これもハリラヤのお陰だ。自分がマレーシアの休日を確認しなかったことを残念に思いながら、いつものように『今回は呼ばれてなかったな』と感じる。

 

日本軍憲兵隊本部が、戦争博物館になっていた。戦後は銀行になり、ギャラリーになり、最近になって戦争関連の展示が行われるようになったとある。見られないと思うと余計見たくなるのが心理だが、次回があればきっとみられるだろう。日本統治下のコタバルは一体どうなっていたのだろうか。

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川沿いに出た。税関の建物が立派だ。空は限りなく青い。その割には風があり、暑さは感じられない。ただ疲れた。帰りがけに、バスターミナルに寄り、明日早朝の空港行バスを確認する。係員は確かに『午前7時から1時間に一本はある』と言ったので、安心して、部屋に帰って休む。ホテルでタクシー料金を聞くと『通常は35mrだが、明日はハリラヤだから2倍だ』と言われ、凹む。全てがハリラヤなのだ。

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因みに街中を歩いていると、漢字の看板が目立ち、華人が多いことがよくわかる。タイとのゲートにもなっているコタバルはやはり交通の要所、交易の中心地であり、華人が多く商売をしていた。市場ではハリラヤに備えて、マレー人が買い出しに訪れごった返していた。明日は飛行機に乗るので体調を調整するため、食事も控え、外出も控えて万全の態勢で臨む。

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912日(月)
コタバルを離れる

夜明け前に起きる。今日は飛行機でKLに飛び、乗り継いで羽田へ行く。コタバル発のフライトは930分だが、空港行バスは7時なので、6時半過ぎにはチェックアウトして荷物を引いてターミナルへ行く。だが、そこにはバスの姿はなかった。係員に空港行バスを聞くと『ああ、今日はハリラヤだから午前10時からだ』とぬけぬけという。ハリラヤだって飛行機は飛ぶのだ、しかも昨日あれだけ確認しているのに、などと愚痴っても何もならない。

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仕方なくあたりを見渡すと、ハリラヤにも拘らず、タクシーがいた。聞くと30mrで行くという。何だ、それなら最初からこれでよかったのだ。運ちゃんも陽気。ガソリンスタンドに入るも、休み。『ハリラヤだからな』と大声で笑う。そう、全てはハリラヤさ。空港にはすぐに着いてしまい、当然早過ぎてチェックインも出来ない。外に出て朝日を拝む。

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ようやくチェックインして、搭乗口に行くと、何と一本前のKL行きすらまだ搭乗していない。何ともしようがない。食事も控えているので、ただボーっと過ごす。フライトは飛び立つとすぐにKLに着いてしまう。ここで国際線乗り継ぎを通過。まだ3時間もあった。広々と居心地の良いLCCターミナルでゆっくり過ごす。

 

羽田行の搭乗口に向かうと、なぜかそこかしこで日本語が聞こえてくる。こんな状況はマレーシアに来て以来はじめてだった。まあ、考えてみればKL-羽田便だ。日本人が乗っていてもおかしくはないのだが、最近日本人観光客を見る機会も少ないので、ちょっと新鮮。

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搭乗したものの、フライトは1時間遅れ、羽田に着いた時には午後11時半。新宿までは行けるが京王線の終電は既にない。奥さんから『渋谷から深夜バスに乗れ』と指令があり、午前1時発のバスで最寄り駅に30分後に到着。無事帰宅。今回は最後までバスだった。

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東マレーシア散歩2016(9)祈りのために停まるバス

99日(金)
腰痛で

翌朝は腰痛で起きる。これは結構辛い。昨日のバスでの無理な姿勢、食事のとり方の誤り、冷たい物のとり過ぎなど、いくつもの要因が考えられるが、今は考えるより、まずは痛みを緩和することが重要だ。薬局の場所を聞き、ダラダラ歩いて行ってみる。今日は金曜日で且つハリラヤ、しかも朝から薬局が開いているか心配だったが、それは杞憂に終わる。薬局は基本的に華人系が開いているからだ。華人にはハリラヤは無関係、且つ働き者だ。

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ただ店員はマレー人で、湿布を買うのは身振り手振り、腰ぶり!まあ昨年タイでも買ったタイガーバームの湿布薬が目に入り、一安心。これを貼っていればいずれは直る。ただ今日は安静にしていなければならない。まあハリラヤだし、休みでよいかと宿へ帰る。そして湿布して横になっていた。

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チェックアウトは1時ということで、それまで安静にしていた。そして時間になると荷物を下ろしてもらい、なぜか今日のチェックインをここで行い、車で搬送された。若い女性スタッフが対応してくれたが、荷物もちゃんと運んでくれ、大いに助かる。ただ系列店は狭い入口から入り、2階に部屋だけが確保されていて、他は何もない。掃除をする人以外スタッフもいない。部屋は狭く、窓もない。まあ、寝ているだけでいいか。

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しかし昨日の状況を考えると、もしお粥などを食べるなら、今行かないと夜は店が閉まっている。そう思い、無理して起き上がり、またチャイナタウンへ向かう。前の宿より少し遠くなったが、何とか歩けた。探していた粥は意外と簡単に見つかった。しかもかなりおしゃれなラテアートのような模様が描かれている。面白い。

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食べ終わるとフラフラ帰る。今度の宿の裏にはモスクがあり、ちょっとそこへ寄る。ちょうど祈りの大音響が拡声器から聞こえてきた。マレー人が中へ入っていく。イスラム教徒以外は入ることができない。外からゆっくり眺めるのみ。そしてまた宿で休む。因みに夜のモスクはきれいに輝いていた。

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夜までベッドにいたが、余り寝ているだけでも腰にはよくない。日が暮れた後なら暑くないので、散歩に出た。今日はハリラヤの金曜日、ということで、近くの公園で夜市が開かれているというので行ってみた。だがそこは台湾の夜市のような賑やかさはなく、閑散としたイメージだった。当然食べられそうなものはなく、早々に退散した。面白かったのは、ポテトを串刺しにして揚げるチップ。そして得体のしれない飲み物の数々。

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結局腹は刺激を受け、何かは食べようと、またまたチャイナタウンに向かう。鍋焼きうどんのようなものがあり、それを注文する。熱々の鍋、ビーフンのような麺が入っており、海鮮の具もまたよい。ついつい美味しく頂いてしまう。このようなものが大体5mrぐらいで食べられるのはなんとも嬉しい。それにしてもトレンガヌというマレー人の街で、チャイナタウンなしでは生きられなかった私、どうなんだろうか。

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910日(土)
コタバルへ

窓がない部屋で寝るのは、実はよく眠れるものだ。朝が来たことも気が付かず、騒音もなく、快適な睡眠を得た。湿布のお陰か、腰も少し良くなっている。今日はバスで移動があるのだから、気を付けねばならない。クッキーを少し食べ、買ってきたマレーシアのボーティーのティーバッグで紅茶を淹れて飲む。

 

午後1時にチェックアウトだったが、スタッフもいないので、誰も何も言ってこない。それをよいことに1時半頃までうだうだする。更には鍵を返しに元の宿へ行き、フロント脇で涼みながらPCをした。出発時刻を少し過ぎた頃、バスはターミナルへやってきて、乗り込む。すぐに眠りに就き、2時間後にバスが停まるまでそのままだった。やはり疲れているのだろうか。

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バスが停まったところで、人々がゆるゆると降りていく。私もトイレについていく。なんだか不思議な建物だなとは思ったが、若者の後ろに従うと、途中で男女が分れた。トレイが両脇にあると思い、男子についていくと、彼は何と靴を脱ぎだした。さすがマレー人はきれい好き、いや足が汚れるのか。ハッと思った。ここはトイレではない。彼らは礼拝に行くのだった。

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私はすごすごと靴を履き、トイレを探すと別の場所にあった。子供だけがトイレにいた。大人は全て祈っていたのだ。バスに戻ったが、礼拝に行った人はなかなか戻らない。ここがモスクだとは分ったが、ちょうど礼拝の時間だったから休憩したのだろうか。それともハリラヤだから特別だったのか。運転手もマレー人。30分経っても一人いなかった。運転手も人数は数えたが探しに行くことはなかった。そして文句をいう人もいなかった。戻ってきた若い女性も『すみません』というでもなく、静かに席に着き、バスは走り出した。これが宗教というものだろう。

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それから2時間以上経ったがなかなかコタバルには着かなかった。腰が少し痛いな、と思い始めた頃、ようやく街に入る。バスターミナルで降りたが、どこに宿があるのか分らない。ナイトマーケットの準備が進んでいた。今晩はお祭りなのだろう。フラフラ彷徨っていると、向こうの方に漢字の看板が見えた。中華系ホテルへ向かったが、ふと横を見ると、雰囲気のよさそうなホテルが見えたので、そちらへ入る。