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インドでアユルベーダを2017(7)製薬工場を見学する

ビンセントは、パリ郊外でアユルベーダのクリニック?を開いて、患者に治療の補助をしているという。恐らくは、症状を聞き、アユルベーダの薬を処方していると思われるが、詳しいことはよくわからない。インドに通い始めてから20年というから、筋金入りのインド好きだ。今回もインド各地で薬を買い求め、パリにもって帰るのが目的らしい。ようは買付に来たのだが、もう2か月もインド各地を訪ねているというから、やはり仕事だけが目的ではない。

 

彼自身はコーヒーを飲むと夜は全く眠れないという。緑茶はそれよりはマシだが、紅茶も眠れないらしい。自分でもかなり敏感だと感じているようだが、普段は何を飲んでいるのだろうか。先生がやってきて、ハーブティを飲んだら、というので、飲んでみる。白湯よりは味があるが、私にとっては、あまり違いはない。

 

体調はまたまたすぐれず、先生とビンセントと他愛も無い話をして紛らわす。先生は『やはりWi-Fiを治そう』と言い出し、電話を掛ける。少しして若い人が2人来て、Wi-Fiを見始める。ようやくパスワードが違っていたと分かり、最終的にWi-Fiが繋がるようになった。そうなれば、やることは一杯ある。Wi-Fiで元気が出るなんて、若者じゃないんだから、と言いながら、喜び勇んで部屋に戻り、メールの返事をし始めた。それにしてもこのWi-Fi、かなり早い。

 

食欲がないならばと、ライスクラッカーをもらう。ポップコーンのような軽いものだが、塩味が適度に効いていて、何ともうまいと感じる。現在体が欲しているのは、実は水分などではなく、塩気であると気が付く。塩は重要だ、と再認識。そこに先生がチャイを持ってきてくれた。甘いチャイを飲むと気分はもう極楽。たまに飲むから有難味が分かる。

 

ネットが繋がったので、プネーからデリーまでの帰りのフライトを予約した。取り敢えず、ここまで来て様子を見て買おうと思っていたが、今回はプネーだけで終わりそうなので、この段階で決めてしまった。何となく体調的には辛かったのだが、徐々に回復している感覚がある。ネットで大河ドラマ直虎を見る。

 

暗くなってからシャワーを浴びる。8時頃ビンセントが『夕飯を食べないか』と声を掛けてくれたが、食欲がないと断ってしまった。ライスクラッカーだけで十分と感じるとは、自分も随分成長したと思う。何となくオイルまみれの生活にうんざりしていた。そういえば、昨日出した洗濯物は返ってこないがどこへ行ったのだろうか。パンツの数は足りているが、毎日スチームバスでビショビショだ。9時には眠る。

 

220日(月)
クリニック4日目

 

6時半に起床。目覚ましが鳴らないので、スマホを見ると、何と電気がついていない。夜の間に充電していたはずだから、もしやすると停電があったのかもしれないが真相は不明、とにかくスマホの充電が緊急の課題となる。散歩に出ようと思ったが、部屋で本を読んで過ごす。

 

今日の朝ご飯はコーンフレークとミルクだった。目先が変わってよかった。完食。今日は製薬工場を見学することになっているので、ギーを飲むことはないだろうと油断していたら、何とギーを出されたので思わず『えー』と子供のような声を出してしまう。すると先生が『じゃあ、半分ね』ととても優しい。やはり訴えてみるものだ。私の体にとって何がよいかはわからないが、取り敢えず今の私は十分に満足した。

 

10時頃、ラトールさんの車でA氏夫妻、そしてレッカさんもやって来た。レッカさんはプネー郊外の村に住み、半自給生活をするガンジーイスト。私は3年前に2晩泊めてもらっており、お湯を沸かすのに庭で薪をくべるのを見て驚いた記憶がある。いわゆるナチュロパティ派のレッカさん。対極にあるアユルベーダの治療や薬に興味津々で付いてきたらしい。

 

私とビンセントは先生の車に乗って、製薬工場へ向かった。20分ぐらい行くと郊外のあたりにマンションがどんどん建設されている。その一角に工場はあった。ちょっと前は何もなかったところらしい。この辺もインドの発展を見る思いだ。工場は先生の妹が運営していた。15年前に建てられたというが、思ったより大掛かりな2階建ての工場で、しかもどんどん拡大しているようだ。アユルベーダ需要はインドでも確実に高まっている。

 

ターメリックなどの原料はシーズンに安く買い付け、ここに保管し、必要に応じて使う。原料が重要なので、自然の森林の中で作られた物だけを使うのだが、最近は大手資本が森林自体を買収してしまうため、良質の原料確保が難しくなっている。ここにも経済成長の余波、歪みが見えてくる。

 

薬は一部機械化されてはいるものの、多くを手作業で行っていた。オイルの製造には1週間、他の薬では6か月を要するものもあるという。練り込むだけで3週間もかかるなどと聞くと、それだけで何となく丁寧に作られていると、安心してしまう。大量生産で価格を抑えるのか、伝統製法を貫くのか、すでにインドは岐路に立っている。漢方薬のにおいに似ているのが、その動向も似ている。

 

 

実際に治療に使用する薬の製造現場がみられるのは何とも安心できる。オフィスでライムジュースが出されたが、先生の方を見たら、半分に減らされてしまった。それでも飲めるだけで嬉しい。数日通常の活動をしていなかった私はちょっと疲れが出たが、先生は車を修理に出すと言い、私はラトールさんの車に乗り込んだ。

インドでアユルベーダを2017(6)眠気との闘い

先生は今晩知り合いの結婚式に出席すると言っていたので、私のことは忘れてしまったのかと思っていたが、ちゃんと6時頃にやって来た。そして気分がよくなったのなら、まずシャワーを浴びて、それから夕飯を食べるようにとのこと。もし先に夕飯を食べる場合は、シャワーは食後2時間してから浴びること。理由は消化を優先させるから、と明快だった。

 

当然ながら体がオイルマッサージでベトベトなので、シャワーが先になる。部屋のバスルームから夕日が少し差し込む中で、熱いシャワーを浴びるのは何とも心地よい。椅子が置いてあるので、座ってゆっくり浴びられるのも有難い。それにしても髪の毛にこびり付いたオイルはなかなか落ちない。

 

そしてすぐに食事をとる。チャパティがここでは私の好物となる。ライスは既に腹には重たいと感じるようになっていた。茄子の煮物がやけに美味い。体に食物を流し込んでいる、という感覚がよく伝わるようになってきた。同時に、これを今食べると消化できるか、と考えるようにもなる。人間、意識することが重要だ。それにしても、いわゆるカレーというものはここでは出ないのだろうか。

 

やはり食事をすると眠気が襲ってくる。消化を考えると15分位ゆっくりと歩くのがよいとも言われたが、暗い夜道を歩く気にもなれず、そのまま本を読んで過ごす。ネットが繋がらないことを想定して、本を持ってきてよかった。8時には眠気に負けて、ベッドへ入り、すぐに寝入る。だが、夜中蚊に襲われて何度か起きる。

 

219日(木)
クリニック3日目

 

明け方、急に便意をもよおす。昨日から始まった治療はパンチャカルマと言い、数日後に体中から毒素を出すことになるのだが、まだ始まったばかりなのに、ものすごく便が出た。このような経験は極めて稀だが、その昔初めてミャンマーに行った時に、食べ物に中った訳でもないのに、午前中何度もトイレで出してスッキリしたのを思い出す。あの時はなぜかすべての緊張から解き放たれたような気分だったが、ここでも同じ現象が起きたのだろうか。

 

同時に夜中が涼しいせいか、何となく頭痛がする。薄いパジャマで寝ていたのだが、念のため持ってきたフリースに着替えるとすっと寝られた。それでも7時には目が開いてしまい、またアーサナをする。そして読書。これはこれでいい生活だ。朝からトイレのせいか、体は軽い。

 

8時半ごろ先生がやってきて脈診。脈を計った瞬間に、『かなり便が出たね』と言ったので、驚いた。この先生の前では、隠し持っている日本のお菓子を食べても、脈で分かってしまうだろう、と思う。食欲はなく、朝食はなし。そしてまたギーを飲むことになる。飲めば気分が悪くなり、食欲は更になくなる。それにしてもギーだけは、飲み慣れるということがない。常に不調になる。

 

明後日選挙があるという話になる。市議会レベルだというが、現在のモディ首相の信任が問われるらしい。先生は完全にモディ氏を支持している。彼の政策は非常に素晴らしいと言い、あの高額紙幣廃止さえも支持するという。『インドにとって最大の問題は政治の腐敗、汚職だ。それを止めさせるには資金源を断つ必要があり、今回の措置はブラックマネーの排除にあるのだから、彼の政策は正しい』というのだ。

 

ただ勿論反対勢力はいつもいるものだし、与党BJPも、モディ氏以外の閣僚などには問題のある人がいるのも事実だ。それでもインドの前に進められるのはモディ氏しかいない、と先生は言う。ギーを飲んだ体にモディ、という名前が反芻される。そして『これからは内需』という言葉が突き刺さる。我々外国人はお呼びでなくなるのだろうか。だから外国人だけが両替制限が厳しいのだろうか。

 

そんなことを考えているとモヤモヤするので、外へ出てみた。気持ちよいほどの温かさだ。部屋は涼しいので、太陽の光が実に心地よい。歩いているインド人、老人は皆ゆっくりしており、身なりもきちんとしている。若者はTシャツやジーンズ。好対照だ。20分ぐらい日向ぼっこのように散歩して部屋に戻る。

 

すると少しして気分が悪くなり、吐き気も催す。眠気も相変わらずだ。寝てはいけない、という一言がズシリと重い。勿論この症状は私に特有なもののような気がするが、ギーを飲むと眠くなるのは共通らしい。11時頃ヨゲーシュがやってきて、そんな私をマッサージ。昨日よりはだいぶ軽く終わる。そしてスチームバスを出ると何となく爽やかに気分になる。体は軽くなったものの、やはり食欲なし。

 

午後1時半頃、また気分がすぐれない。部屋にいても寝そうなので、ソファーでダラダラしていると、そこへフランス人、ビンセントが登場した。彼はここにも何度も来ているようで、今日もカイバリヤダーマから自力で鉄道に乗り、ここまで辿り着いたらしい。かなりのおしゃべりであり、私の気分を紛らわすにはちょうど良い人が来たと喜んだ。

インドでアユルベーダを2017(5)ギーを飲む

8時に先生がやってきて、朝ご飯を食べるかと聞いてきた。3年前のカイバリヤダーマは全てのスケジュールがおおよそ決まっており、特に食事の時間は食堂の関係でしっかり決まっていたのだが、ここでは特に何時に何をするとは言われない。お互いの時間が合う時(基本的に私は暇だから、先生たちの都合)に事が起こる。

 

先生が持ってきてくれた朝飯は何とトーストとオムレツ。私はベジタリアンではない、と伝えた結果か、それとも実質的には未だ治療が始まっていないのか。とにかくおいしく頂く。そしてお茶は緑茶ティバッグ。お腹が一杯になると、なぜか眠くなる。昨晩あれだけ寝たのに、なぜだろうと思いながら、ベッドでごろりとしていたら、本当に寝てしまったらしい。ちょっと涼しいと感じていたので、そのせいかもしれない。

 

10時頃、先生が部屋のドアを叩いた音で起き上がる。すぐに脈診が始まる。アユルベーダではこの脈診が重要であり、毎朝取るのだが、今日は眠ってしまい、時間が遅れた。先生より『日中は寝てはいけない』というお達し書きを頂戴してしまう。脈は正常らしい。眠気でちょっと気持ち悪いなと思っているとヨゲーシュが来て、マッサージが始まった。昨日と同じ力強い指を使ったマッサージ。足もそうだが、腕にも強烈な痛みが走る。更には昨日同様、強烈なスチームバスを浴び、何だか疲れてしまった。

 

昼ご飯を食べられるかどうかと思っていたが、12時半ごろ先生が来て、何と『ギーを飲みなさい』と言われ、コップに継がれたギーが登場した。このギー、牛の油、バターを煮詰めたような油なのだが、私はこれが大の苦手。前回は食事に混ぜて取っていたのだが、それでも嫌で誤魔化し胡麻化し口に入れていた。アユルベーダ治療ではこのギーが重要な要素であることは分っているのだが。

 

今回誤魔化しは利かない、とばかりに飲めという。恐ろしい。飲みにくいからと言って、しょうがに砂糖が入った物を一緒に渡され、それを口に入れながら、ゆっくり飲んでいった。食事に混ぜると食事が不味くなるので、それよりはマシだが、正直飲み終わった後は気持ちがよいものではない。

 

それで結局ランチはなしとなった。食べると言えば用意してくれたはずだが、とても食べる気にはなれない。洗濯物を渡すために外に出ると、かなり強い日差しが照り付けて暑いのだが、この建物の中はクーラーもなく、扇風機すら回っていないのに、何とも涼しく快適。元々建物の構造がそのようになっているのだろう。

 

ギーを飲んでからは眠気が襲ってくるが、寝てはいけないので堪える。先生も気を使ってくれ、話し相手になってくれる。実はアユルベーダは数千年の歴史を持つ伝統医療であるが、インドで茶が飲まれたのはイギリス植民地時代以降の話。だからアユルベーダには茶についての記述はないという。ただ概念としては、お茶を飲み過ぎるのは良くはなく、また飲むにしても紅茶よりは緑茶の方が体に適していると考えているらしい。特にインドの庶民が飲むチャイについては、ミルクの質が悪い、砂糖を入れすぎている、などの理由から、11-2杯を限度とするのがよいとのこと。

 

午後3時ごろ、ご同窓のA師夫妻がラトールさんと共に、様子を見に来てくれた。元々今回このクリニックを紹介してくれたのも、昨年バンコックのヨーガ合宿で会ったA師からだった。ちょうど眠気が来ていたので、話し相手になってもらう。彼らは今日、プネー郊外のナチュロパティセンターに行っていたという。自然療法というのだろうか、自然に帰って、心身を健康にするものらしいがよくわからない。自分が決めたフルーツだけを食べたりすると聞くとちょっと興味が沸く。

 

ナチュロパティと違って、アユルベーダはバラモン階層の人々の治療法であり、インドの一般人は知らなかったはずだという。これが一般化したのは、わずか20年ほど前かららしい。何ともヨーガと似ている。流石インド、豊富な資源を持ちながらも、活用されていなかったということか。

 

インドで急速に進む都市化、それに合わせてマンションなどで植木鉢を置く家が増えており、自然に帰りたいという人間の心理を表しているらしい。そしてナチュロパティは今やインド人に大人気、多くの人々がセンターに来ていたという。一方カイバリヤダーマでもインド人および外国人が大挙して押し寄せており、今や個人で予約を取ることはできないという。ナチュロパティとアユルベーダ、何となく対極にあるようなこの2つの治療法がインドで人気となるとは。この3年で様変わり、インドの急速な変化の一面を見る思いだ。日本人でも興味を持つ人は多いが、決して低くはないハードルがある。

 

1時間ぐらい話していると、ヨゲーシュが来て、ハートマッサージをするという。心臓をマッサージするのだろうが、なぜだろうか。初めて受ける。心臓の上に煮出した薬草を包んだ布を置く。このマッサージによりギーでモヤモヤしていた気分は晴れてきた。気持ちが落ち着くと少し腹が減ってくるが、先生はいないので、何ともしようがない。まあ食事よりもいつ寝てよいのか、いつシャワーを浴びてよいのかが知りたいが、何となく放置された気分になる。

インドでアユルベーダを2017(4)懐かしの日本語学校を訪ねる

部屋でスマホを見てみると、何といつの間にか電話が掛けられる様になっていた。昨晩デリー空港で言われた通りの番号に電話して、アクティベート作業を行う。だが、『申請した住所は』と聞かれ、住所など書いた覚えがない、とハタと気付く。『ではお名前は』と聞かれ、自分の名前を述べると何と『一致しません』というではないか。何故だ、私がオペレーターの英語を理解できないのかと思い、先生に代わりに聞いてもらったが、何と答えは一緒だった。

 

一体どういうことだ。そこへ先生の息子がやってきたので、彼に聞いてもらったが、何だか激しいやり取りが始まる。そして『どうやら申請内容があなたの情報とはマッチしていないらしい』ということが分かったというのだ。恐らくはデリー空港の販売代理店のおじさんが、パスポートのコピーを取った後、申請書を私に書かせずに自分で勝手に書いてしまったらしいというのに、呆れて声も出なかった。ではどうするのか。Airtelのプネーオフィスに行き、本人確認をしたらどうか、オペレーターは言っているらしいが、それで解決するのだろうか。

 

そこへ今度はトラブルシューター、ラトールさんが登場したので、事情を話すと、先ほど同様オペレーターを話し、埒が開かないとみると、今度はデリー空港のシムを販売した会社へ電話する。そして分かったことは、『係員が申請書に全く関係ない住所と名前を書き込んでいた』という事実であり、『住所はパンジャブのXXホテル』と言えば繋がるというのだ。これにさすがの私も開いた口が塞がらない。そこまでわかったが、オペレーターの方は名前が違う、規則だと言って、アクティベートを頑なに拒んでいた。

 

ついにマネージャーを電話口に出し、交渉が始まったが、それでも最終的には解決に至らなかった。ラトールさんは激しく売った者の責任を追及し、また外国人に対するインドの名誉を訴えたようだが、どうにもならなかった。インドでは本人確認がそれほどまでに重要なのか、はなはだ疑問だったが、何とも仕方がない。明日にでもプネーオフィスに出向き、また解決を図ろうということになる。だが問題は、クリニックのWi-Fiもなぜか繋がらなかったことだ。これだと当分の間、下界との連絡が途絶える。またそれもまたインドか、と軽く諦められるところがインドである。

 

ラトールさんのバイクの後ろに乗っかって街の方へ行く。今日は夕方、ラトールさんが主催する日本語学校の授業があるということで、見学に行く。思えば8年前、初めてプネーに来た時も行ったところで、全くそのままの環境で授業が行われていた。何とも懐かしい。生徒は日本語検定4級の受験者とのこと。その中にはラトールさんの娘、ナイニーカもいた。数人が熱心に勉強しているところに割り込み、皆さんの自己紹介を聞いた。私も自己紹介してから、お茶の話をしてみた。インドの紅茶はいつからあるのかなど、普段インド人があまり考えないような内容をわざと話してみた。皆どの程度聞き取れただろうか。

 

そこへ3級の生徒も入ってきた。私には3級と4級の難しさの違いはよくわからないが、明らかに3級の生徒の方が自己紹介は上手い。中には発音がネイティブ並みの女性もいて、ちょっと驚く。8年前と学校の大きさは変わっていないが、生徒の質は向上しているように思われる。因みに今日来ていた生徒は全員女子であったことが少し気になる。但し中国や台湾などは違って、アニメが好くだから日本語、といった理由で勉強している訳ではなく、将来のため、という感じなのはとても良い。

 

午後7時過ぎにバイクで送ってもらい、クリニックに戻る。夜は1階の別室に食事が準備してあると聞いていたので、見てみると、ちゃんと置かれていた。夜は一人で食べるようである。チャパティとライスがある。おかずは少なく、明らかに昼より量が少ない。お湯を沸かすポットはなく、鍋で沸かす。水は濾過された水が置いてある。勿論お茶は飲まず、白湯で一日を終わる。

 

午後8時に眠気が襲ってきた。今朝シャワーを浴びているので、その睡魔に負けてベッドに潜る。考えてみれば、昨晩は夜中のトランジットでほとんど寝てはいない。眠くても当たり前であり、ここできちんと睡眠を確保して明日からのアユルベーダ治療に備えるべきだと考える。2分であっという間に寝落ちた。

 

218日(水)
クリニック2日目

 

翌朝はかなりスッキリとした目覚めになる。7時頃起きればよいと言われたが、6時前には起き上がる。それでも10時間近く寝ている。早速アーサナを試みる。体が意外と軽い。やはり夕飯の量が少なかったのが、良かったのではないかと感じる。窓を開けてみると、かなり涼しくてびっくり。昼は30度ぐらいあるというのに、朝晩は15度以下と冷え込む?ようだ。

 

スマホを見てまたビックリ。なぜか繋がっていてネットがみれ、メールも取れた。昨日の夕方、ラトールさんの交渉が不調に終わったと思っていたが、やはり抗議はしてみるものである。恐らくはAirtelと販売代理店の間で何らかの連絡を取り合い、開通させたのであろう。しかしこれまたいかにもインドである。

インドでアユルベーダを2017(3)クリニック生活が始まった!

アユルベーダクリニック1日目

10時過ぎに、ラトール家を出発し、今回の目的地であるアユルベーダクリニックへ向かう。15分ぐらい乗ると川を渡り、そのすぐ脇を入ると、閑静な住宅街があり、その奥の方に滞在するクリニックがひっそりとあった。何とも雰囲気がよい。入り口から入るとスチェータ先生が迎えてくれた。

 

ここは先生の自宅。先生は2階に住み、1階に患者が滞在できる部屋が3つある。勿論施術室も完備している。何とも落ち着いた空間だ。ラトールさんはすぐに帰っていき、私は部屋に案内された。部屋はきれいで、比較的広く、シャワーとトイレも付いており、完璧。ここなら10日間の滞在も苦にならないだろう。

 

すぐにランチの時間となる。今日から施術は始まるとのことだったが、まずは食事から。お茶は好きかと聞かれ、毎日たくさん飲んでいると答えると『飲み過ぎは良くない』とすぐにくぎを刺された。確かに前回アユルベーダを受けたカイバリヤダーマでも、チャイは出ず、ハーブティだけでちょっと難儀した記憶が蘇る。

 

そして先生から渡されたのは、Green Tea & Mintというティバッグ。お茶を食後に飲む習慣のある日本と違い、アユルベーダ的には茶は飲むとしても食前にするようにとのこと。なぜかと訪ねると実にシンプルに『消化の妨げになるから』というのだ。アユルベーダでもっとも重要なの『消化』だということがこれで分かった。

 

先生に『飲み物では何を飲むのがベストか』と聞くと『白湯』との答え。そしてホットミルクもよいという。但しそのミルクは『フレッシュ』でなければならないとのこと。日本で搾りたての牛乳を手に入れることは難しいと回答すると『インドでも都市部は難しい』と。フレッシュミルクを得るにはどうすれば良いかと聞くと『牛を飼うしかないかも』と笑いながら言う。現代生活とはかくも面倒なものだ。尚私は子供の頃胃腸が弱くてミルクが飲めなかったというと『それも1つのアレルギー』ということらしい。

 

また紅茶を飲むなら緑茶の方がよい、ともいう。これは初めて聞いた。紅茶と言ってもチャイなどのミルクティを指しているようで、1日に1-2杯ならよいが、何杯も飲むのはダメ、とのお達し。但しインドにとってお茶は最近の飲み物であり、長い歴史のあるアユルベーダには茶についての記述はないとのこと。まあ、私自身も茶の飲み過ぎは良くない、との自覚はあるため、素直に聞き入れる。

 

ランチは2階の先生の自宅の居間で食べる。食事を作る担当の女性がおり、チャパティを焼いている。食事の前に先生が祈りの言葉を発する。私は分らないので、単に手を合わせて目をつぶる。食事は実にシンプル。ポテトが美味い。やはり家庭料理は、大勢を収容する施設での食事より、格段に美味しい。尚食後にフルーツやデザートを食べるのも、消化に良くないとのことだったが、今日は特別なのか、スイカ、ブドウ、イチジクが与えられた。恐らくはこれが最後のフルーツなのだろう。大切に食べた。物を大切に食べる、意識しながら食べることは意外と重要だと気付かされた。

 

 

午後3時にマッサージ師のヨゲーシュがやって来た。3年前は団体だったので順番待ちが結構あったが、今回は私しかいないので、都合が合えばすぐに始まる。何とも便利だ。ベッドに仰向けになり、シャワーサナのポーズで2-3分。それからヨゲーシュの強烈なマッサージが始まった。正直最近むくみのある足などかなり痛い。揉まれ慣れていない証拠だ。続いてオイルマッサージが始まる。『貴方の体がオイルを欲している』と言われたがなぜだろうか。オイルの吸収が早いということだそうだが、乾燥していたのだろうか。

 

そして全身オイルだらけになると、今度はスチームバスに入る。頭からタオルを被せられ、息苦しい。すぐにバスは熱くなり、全身から汗がこれでもかと噴き出す。これは思っていた以上に激しく水分を失っていく。同時に何かが体から出て行く感覚もある。5-6分でバスも終了し、そのまま部屋に帰る。

 

但しシャワーを浴びることは許されない。オイルが体に浸透するまで体を洗ってはいけないのだ。ちょっとオイルが鼻につく。ビショビショのパンツはどうすればよいのだろうか。カイバリヤダーマではマッサージ師から『パンツを履きかえるとオイルの臭いが付いて後で履けなくなるからできるだけ同じものを使え』と言われた記憶が蘇る。先生にそれを言うと『そんなことはない』とまた笑われる。確かにここで使っているオイルの質はちょっと良いのかもしれない。

 

部屋でパンツを洗濯しようかと思ったが、一応先生に洗濯機はあるかと聞いてみると、『あるけどこちらで洗うから出して』と言われたので、素直に出した。全てはここにいるスタッフが手で洗ってくれていた。因みに言葉が通じない相手が殆どなので、洗濯物も先生かマッサージ師を通してお願いする。ただ乾いたものが返されてきたことは一度もなく、2日後に物干しから自分で回収した。これもまたインドらしいところだ。

インドでアユルベーダを2017(2)両替騒動からプネーへ

両替

空港の出口を出る前に一仕事ある。それは両替。昨年11月、モディ首相は突如500ルピーと1000ルピーの高額紙幣を廃止し、新紙幣を発行した。だがその新紙幣の流通は遅れており、各地で混乱が続いていると報じられていた。私も3年前に両替して残ったルピーを持っていたが、それは紙くずとなるはずだった。

 

両替所には日本から来た観光客などが列をなしていた。表示を見ると『両替制限、1週間5000ルピーまで』と書かれている。やはりまだ制限は続いているようだ。日本人は1万円札を出して、5000ルピーを受け取っている。両替レートの表示は5200ルピーなので、その手数料は相当に高い。しかもこれで1週間両替できないとなると、どうやって旅していくのだろうか。まあ、私の場合は最終目的地、プネーに行けば、知り合いがいるので、問題はないのだが。

 

午前2時半には出口を出た。プネー行きの国内線の出発は午前5時。あまりに順調でまだ時間はあるがさてどうするかと周囲を眺めてみると、携帯屋が目に入る。夜中でもシムカードが買えるのは素晴らしいと思い、立ち寄る。昔はインドで携帯を使うのは大変だったが、3年前でもインド全土で使えるシムカードを買った記憶があり、安心し切っていた。

 

1050ルピーで1GB、電話代330ルピーがセットされているという。係員はパスポートをコピーし、自ら申請書を書いてくれた。そして明日の正午ごろ、所定の番号に電話して、シムカードを使用可能にする手続きを取らないと使えないと告げる。そうか、本人確認などで、すぐには使えないのだ。まあ、私はこれからまた飛行機に乗るし、明日の昼でもよいと諦めて、購入した。

 

国内線ロビーの方に歩いて行くと、途中にトランスファーデスクがあった。ダメもとで聞いてみるとエアインディアはここでチェックインできるという。さすが地元。チケットを受け取り、そのまま荷物検査へ進めた。尚荷物は東京からずっと預けず、機内に持ち込んでいた。万が一フライトが遅れた場合、乗り継ぎに間に合わないことを恐れたのだが、杞憂に終わる。

 

ただインドの空港の手荷物には苦い経験がある。荷物検査の時にタッグを付けていないと、検査済みのスタンプを押してもらえず、そのまま通り過ぎると、搭乗口で搭乗を拒否される。そうなると、検査台まで、場合によってはチェックインカウンターまで戻らなければならかった。しかし今回はタッグがなくても、すぐに予備のタッグを付けてくれ、スタンプもきちんと押してもらえた。そんな些細なことが嬉しいのがインド。

 

歩いているとCitibankATMが見えた。私はカードを持っていたので、試しにルピーの引き出しを試みたが、なぜか拒否されてしまった。限度オーバー、といった表示だったので、どうやら先ほどの両替で上限いっぱいを使ってしまったようだ。いや、しかし海外発行のカードまできちんと管理できるとすれば、インドのシステムは優れものだが、果たしてそうだろうか。

 

217日(火)

プネーへ

空港内を歩いていると、エアインディアのマスコットキャラクターが可愛らしい。久しぶりにエアインディアに乗ったのだが、スターアライアンスメンバーにもなったということで、何となくサービスが向上したように思ってしまう。機体は古いままだったが、CAが何となくにこやかで、朝5時に出るカレーも美味い!紅茶も他社と比べれば本格的な雰囲気がある。午前5時のフライトに客がそれなりに乗っているというのは凄い。インド人は巨体の方が多いので、席が小さく見える。

 

 

午前7時前、定刻通りプネー空港にランディングした。ここまで総飛行時間約12時間、昨日の昼前に家を出てから、ほぼ1日が経過していた。それでも疲れはあまり感じられない。インドにおける様々なストレスから、徐々に解放されているような感覚がある。空港は小さいので、すぐに出口まで着く。預け荷物もなく、外へ出ると、懐かしのラトールさんが待っていてくれた。朝早くから申し訳ない。

 

空港を振り返ると何だかとてもきれいになっている。リノベーションしたらしい。客待ちしているリキシャーも何となく小ぎれいになっている。外を走っている車も新車が増えている。3年ぶりのプネーは見違えるほど明るい。それは朝日が昇って来たからだけではなさそうだ。ラトールさんの車に乗り、市内へ向かう。まだラッシュ時間ではないのでそれほど渋滞はなかったが、プネーでも朝晩の渋滞はかなりひどいらしい。

 

私がプネーに来るのは4回目ぐらいになるが、いつも誰かの案内で動いているので、道は全く覚えていない。ラトールさんはしきりに『ここに新しい道ができた。ここにバイパスが通った、橋が架かった』と説明してくれるが、正直さっぱりわからない。それでもプネーがこの3年で随分発展した様子はハッキリと分かる。

 

懐かしのラトール家に行き、前にも泊めてもらった部屋でシャワーを借りた。この部屋も壁をきれいに塗り替えており、カーテンも代えられ、全てが新しく見えた。経済成長著しい国というのはこういうことだろうか。日本で言えば昭和30-40年代あたりに雰囲気かもしれない。旅の疲れを流すと、奥さんのチャイが美味い。これはどうやって作っているのだろうか。それから朝食も出してもらい、美味しく頂く。

インドでアユルベーダを2017(1)デリー空港でアライバルビザを取る

《インドでアユルベーダを2017》  2017216日‐32

 

3年前、数年行っていなかった健康診断をしようとしていた時、知り合いのA師から『健康診断をインドで受けないか』と打診された。当時拠点にしていたバンコックでは、日本より安い料金で、しかも日本語で健康診断が受けられると聞いていたので、なぜインドへ行かなければならないのか、と訝ったが、何となく面白そうなので、その話に乗ってしまう。

 

そして初めて受けたアユルベーダ。思い描いていたのとは全く違う、ある種過酷な修行のような生活と治療を通して、インドの伝統医療とは何か、を垣間見ることができた。この経験は非常に大きかった。西洋医学、病院へ行くことへの拒否反応は高まっていた。対処療法としては良くても、根本的な治療や予防には、やはり中医か、アユルベーダかな、と思うようになっていた。因みにその時の滞在で、私は受信者の中で唯一『全く健康に問題がない』と言われていた。

 

そんなこともあり、特に体の調子が悪いわけではなかったが、今回3年ぶりにインドへ行き、アユルベーダ治療を受けることにした。勿論日々の旅の連続、そしてPCに長時間向かっていることが体に負担になっていることは自覚している。更には茶の飲みすぎも気になっている。

 

今回は前回の集団治療?と異なり、アユルベーダドクターのクリニックに滞在し、一対一でじっくり話を聞き、私の体を見てもらい、将来の予防策を検討したいと考えた。同時に、奥深いインド伝統医療について、また中医や日本との比較ができないか、と思い、インドへ向かうことになった。

 

216日(月)

デリーまで

これまではバンコックからインドへ向かうことが多かったが、今回は東京から行くことにした。とにかくエアチャイナが安い。北京経由でデリーまで往復4万円ちょっと。なんでこんなに安いのかと驚いてしまうが、まあ安い方がよいし、私の場合、エアチャイナには慣れているので、重宝させてもらっている。

 

午後羽田から北京行に乗る。一昨年までは中国人観光客で溢れていたような気がするこの便。以前は大量のブランド品や大型の荷物を持ちこむ彼らに迷惑していたが、今は様子がだいぶ違う。中国人以外がかなりを占めている。勿論日本人も多いが、それは中国に行くための人たちではないようだ。春休みに入った学生が目立つ。欧米人もかなりいる。彼らは安い費用に惹かれて、搭乗したものと思われる。エアチャイナは、または中国は、何か戦略があって、低価格作戦を展開しているのだろうか。それとも競争激化の結果なのだろうか。いずれにしても私には有り難い。

 

北京行は機体も新しく、個人テレビも付いているので、それで映画を見る。日本映画や音楽はかなり限られている。三蔵法師が主人公の中国映画を見た。つい先日、台湾の日月潭の玄奘寺、および埼玉の岩槻にある慈恩寺を訪ね、玄奘三蔵の舎利が収められていることを知ったばかりだったので、興味が沸いた。中国では恐らく、仏教ブーム、中国偉人の業績称賛、そして一帯一路政策に合わせた映画製作だったのではないかと推測する。

 

北京での乗り換えにも慣れている。国際線トランスファーカウンターを通り、込み合う荷物検査を通過する。フライトが遅れることを心配して荷物を全て機内に持ち込んでいたが、杞憂に終わる。北京空港にもWi-Fiがあるが、なぜか上手く接続できない。携帯番号があれば、パスワードを取得して、接続できるかもしれないが、携帯のシムを入れ替えるのが面倒で止めた。Wi-Fiが繋がっても、FacebookGoogleにも繋がらないのだから、あまり意味はない。

 

北京からデリーまでのフライトは約7時間。夜9時過ぎに北京を出て、デリーに夜中1時半に着く。機内の食事は、中国には珍しいカレー?結構美味しい。このフライトにはインド人もかなり乗っている。やはり安いからだろうか。それにしても彼らは中国を観光したのだろうか?それとも他国訪問の経由地として北京を使ったのだろうか。インド人はベジタリアンが多い。CAもインド人にはベジかどうか一々確認している。事前に予約している人でも席を勝手に動いているケースがあるからだ。

 

空港でアライバルビザを取った!

フライトは揺れも殆どなく、順調にデリーに着いた。夜中の1時半。日本との時差は3時間半なので、日本は午前5時、何とも眠い。まあ、ここまでは予定通りなのだが、ここからがインドだ。しかも今回は常に悪戦苦闘するビザを取得していない。何とデリー空港でアライバルビザを取るつもりでやって来た。緊張感が高まる。

 

デリー空港もかなり広いので長時間歩いて、入国審査場まで来てしまう。だがアライバルビザのデスクは見付からない。Eビザという表示も別にある。Eビザは事前申請だから、受け付けられていれば安心だが、アライバルビザは一発審査。果たしてどうなるのだろうか。入国審査の長蛇の列を横目に更に進むと、その先にビザコーナーが見えた。ただそこには欧米人が列をなしている。

 

その列を覗いていると、椅子に座っていた日本の若者が『日本人ならこっちですよ』というではないか。そのカウンターは手数料の支払いを行うところで、おじさんにクレジットカードを渡した。2000ルピー。あっという間に支払いが終わり、隣のカウンターでパスポートと申請書(事前に記入してきた)を渡すと、数分後にはビザが押されて返ってきた。

 

これまでの苦労は一体何だったのだろうか。更にはイミグレの長蛇の列に並ぶこともなく、横からすっと抜けられ、荷物を取りに行ける。これは日本人だけのサービスらしい。安倍政権の功績を初めて見付けたような気分になる。でもなぜインド政府は日本にそこまでしてくれるのだろうか。ちょっと怖くなる。インドはそんなに甘い国ではない!

バンコック ヨーガの旅2016(11)お茶会、マッサージ、そして空港で

ワット・ボウォーンニウェートの外に出ると、大きな木があった。王様もこの木を眺めただろうか。大ぶりの花が咲いていた。私は花には疎いのだが、何だかいい光景だな、と思ってしまう。そこで深呼吸して歩き出す。タイの人々も新たな一歩を歩み出しているのだ。

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カオサンに臨時バスターミナルが出てきていた。そこからバスがどんどん出ている。私は来たのと同じバスに乗車した。ここから出るバスは殆どが今日は無料らしい。往復約2時間、無料の旅になった。客待ちしているロットゥもどうやらお金は取らない。更にはバイタクさえもが、無料で近くまで送ると言っている。皆の顔が慈愛に満ちている。何とも不思議な世界を見ているような気分になる。

 

宿の近くに戻ると3時になっていた。実は王宮には食べ物が沢山あったが、私のような部外者が、ここでご飯を頂くのはどうかと思い、遠慮して飲み物だけにしたのだが、一気に世俗に戻ってしまい、腹が減る。タイの有り難いことは、どんな時間でも食事をしている人がいて、食堂が開いていること。

 

Kビレッジに行けば何かにあり付けるだろうと出掛ける。さすがに人は少ないが、それでもお客はいる。リンガハットなどは夕方5時までランチを提供している。私は不謹慎にもいつものようにとんかつが食べたいな、と思ってしまい、以前行った店を探したが、既にラーメン屋になっていた。

 

バンコックのラーメン屋は飽和状態、と聞いて久しいが、まだ出てきているのか。同時にとんかつは有名どころも出そろい、厳しい競争に晒されているようだ。実は無くなったと思っていた店は2階の広いスペースから1階の見つけにくい小さなところへ引っ越していた。しかもメニューはカツだけでなく、様々な日本食を組み合わせている。10月の王様逝去以降、消費が落ち込んだと言われているが、このケースはそれとは無関係だろう。結局無難な大戸屋に入る。ここもどこででも見掛けるタイのチェーン店になっている。

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126日(火)
お茶会して空港へ

前夜は、食事をせずに部屋でゆっくり過ごした。そして翌朝慌ただしく出発の準備をして、8時過ぎにいつものようにYさんを訪ねたが、まだ来ていなかった。この宿はYさんが予約してくれたが、代金を受け取るのをすっかり忘れていたようだ。コーヒーを飲みながら、タイ情勢について少しだけ話をしたが、チェックアウトの時間となる。

 

今日はバンコック茶会。以前より主催してくれているMさんの家へ向かう。実は今回の一番の目的はMさんに預けていた茶葉を引き取ることだった。もう1年以上、置きっぱなしで申し訳ない。折角なので、数日後にあるエコ茶会セミナーの予行演習的位置づけで、台湾茶についてお話をしてみる。

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初級編という訳にはいかず、ちょっとマニアックな場所のお茶が出てくるので、初めての人は戸惑っただろう。お茶の分類、製法の違いなど、昔のバンコック茶会でやっていた、中国茶の基礎を知る、をもう一度やるべきかもしれない。そして美味しく、楽しく、がよいかなと思う。

 

大学の後輩で、中国でお茶を習っていたHさんも参加してくれたので、彼女にお茶を淹れてもらう。参加者の顔ぶれもかなり変わり、初めての方が増えた。バンコックの駐在員も少しは減る傾向にあるのだろうか。若い人が増え、家族帯同が減った、との話もあった。またインドネシアやインドなど、周辺国へ移動になるケースもあるという。バンコックから拡散していく、それは何を意味しているのだろうか。

 

荷物があるのでMさんの車で送ってもらいながら、きれいなタイ料理屋さんでランチを食べる。最近はオシャレなお店が増え、そういうところが賑わっているらしい。ガイヤーンやソムタムがきれいなお皿に盛られ、タレも3種類ついてくる。これでサービスがよければ最高だが、会計の時に隣の伝票と間違えて渡される。私はタイ語が読めないから、そのまま払ったが、確認は必要のようだ。

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宿でMさんをYさんに紹介した。元々ご縁はあったのだが、直接会ったことがないという。朝はゆっくり話せなかったが、結局ここでまた話ができた。巡り巡って世は流れていく。今晩午前1時の便なので、暇になる。少し肩が凝っているので、宿のマッサージに初挑戦した。

 

取り敢えず足マッツサージをやって夕飯を食べようと思ったが、余りに気持ちよくなりウトウウト。最後に肩を揉んでもらうと、『硬すぎるだろう』と言われ、そのまま全身マッサージに移行してしまった。ヨーガ合宿に行っても、既に出来てしまった日頃の肩こりは治らなかったようだ。勿論マッサージ1回で治るとは思えないが、実に良い時間つぶしになった。2時間合計で680バーツはお値打ちだろう。

 

タクシーで空港に着くとヨーガ合宿で一緒だったUさんから、『待っている』という連絡が入る。だが私の乗る便は1時間ほどディレーしていた。通常より少し遅れてチェックインが始まり、何とかUさんと合流。30分ほどお話して彼女は関空へ向けて去っていく。私の便はディレーしたが、何とか北京空港での乗り継ぎにも間に合い、無事羽田空港に到着した。

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ところが荷物がなかなか出て来ない。何とタッグの一部が見事に切り取られていたのだ。何故?思わずそこにいた職員に聞いたが埒が明かない。仕方なく外へ出て電車に乗ると、何とスーツケースの取っ手が壊れていた。後でエアチャイナに電話して、証拠写真などを送ると、弁償金が支払われるという。そのお金は次回の搭乗時に受け取ることになった!

バンコック ヨーガの旅2016(10)悲しみの王宮へ

テスコまで来たら何となく腹が減る。仕方なく、いや無謀にもそこでかつ丼を食べてみる。まあ期待はしていなかったが、一応食べられる。だがセットメニューにはみそ汁の他にドリンクが付き、更には何とたこ焼きが付いてくる。これがタイ人の好む日本食かとある種の感動を覚えた。これで145バーツは高いのか、安いのか。

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夜は久しぶりにテレビを見る。大河ドラマは佳境に入っていた。タイのテレビはやはり何となくシックな番組が多く、中には亡くなった王様を偲ぶ番組もあった。実は私が今日合宿を切り上げたのは、明日やりたいことがあったからなのだが、何と明日は祝日、それも王様の誕生日だと知り、計画が狂ってしまった。こうなれば、明日は王匡に出掛けてみようと思い立つ。

 

125日(月)
王宮

翌朝は5時には起きず、ゆっくりする。私には睡眠時間の確保が重要であり、無理をするとすぐに体調を壊す傾向がある。ちょっとアーサナだけをやり、8時半を過ぎたのでいつものコムヤーンで朝ご飯を食べる。最近店に行ってもあまり笑顔を見せないおばさんだが、今日は孫?を抱いてご機嫌だった。

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その場で食べようとするとお知り合いのKさんと遭遇した。色々とお世話になっているのだが、今回は特に連絡していなかったが、期せずして話が聞けた。やはり王様の逝去はタイ国民にとってかなりのショックだったが、徐々に立ち直りつつあるようだ。彼も今日はお休みで、これからジムへ行くという。バンコックでタイ人にジムが人気らしい。それでも東京のように混むこともなく、料金もまだ安いとか。

 

Kさんにバスの番号と乗り場を教えてもらい、バス停へ。やってきたバスは無料バスだった。バンコックには一番安いエアコンなしのバスに、時々無料のものがある。以前それに乗った話をIさんにしたところ、『それは貧しい人たちのためにあるのでお金のある外国人が乗るのは良くない。政府が廃止を検討している』と怒られた記憶がある。だが次にいつ来るかわからないので乗り込んでしまう。

 

バスはスイスイと見慣れた道を進んでいく。チャイナタウンを過ぎ、カオサンの近くまで来た時、大勢の人々が見えてきた。しかもほぼ黒い服を着ている。バンコックでこのような光景を見るのは初めてだ。私も洗濯した黒いポロシャツを着てはいたが、ズボンは茶色だし、違和感ありあり。外国人だから許して、と思っていると、ノースリーブの白人女性が歩いていたりもする。

 

いつもは楽しそうに歩いているタイ人も、この場ではかなり違っていた。花を持つ人、王様の写真を掲げる人、バイクにタイ国旗と遺影を付けて走って人までいるが、皆が整然として、続々と王宮を目指している。そしてゲートが設けられており、セキュリティチェックを受ける。そこからは広いイベント会場のようになっており、大勢の人が歩いていた。英語や中国語での案内表示もあり、国内外から人々がその死を悼んでいることが分かる。

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駐車場だった場所を見ると、そこには医療車両があり、看護師さんが待機している。ブースにはお医者さんもいるようだ。皆さん、不測の事態に備えている。その向こうではなんと警察官や軍人が通りゆく人に食べ物や飲み物を配っている。曇りとはいえ、暑さはあるので、水分補給は重要だが、彼らはすべて業務ではなく、ボランティアで行っているように見える。

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他のブースでも食事や飲み物、団扇やティシュなどが配られており、ここにいれば無料で何でも手に入ってしまいそうだ。国王の逝去を悲しむことと、人に施しをすることが結びついている。普段はバラバラ、自分勝手に見えていたタイ庶民の団結力をそこに見たような気がする。王様の弔問には毎日長い行列ができているとは聞いていたが、実際にそれを目の当たりにすると、自分が見てきた世界が違って見えた。

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様子が分かったので横から外側へ出た。タマサート大学、博物館ともに、弔意が表されており、博物館は今日は休みだが、来年1月末まで入場無料らしい。偉大なる王の業績なども展示されているのだろう。それからカオサン方面に歩いて行く。バスを待つ人が沢山いた。カオサンの雰囲気はいつもとそれほど変わらない。

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結局カオサンを通り抜け、大好きなお寺、ワット・ボウォーンニウェートへ行く。ここは王様が出家し、修行した寺だ。ラーマ5世以降歴代国王が出家したというから由緒はあるのだが、その規模は決して大きくはない。この寺の何が好きと言って、本堂に座っている時吹いてくる風がとても気持ち良いのだ。勿論今日は大勢の人が参拝に来ており、いつものような風を感じることはなかったが、ここでも王様への熱い思いがあふれ出ていた。

 

王様が出家修行していた頃の写真が何点も飾られている。特別の祭壇も用意され、そこに座って拝む人の姿もある。端の方にはテントがあり、ここでも飲み物が無料で支給されていた。ちょっと疲れていたのでコーラをもらい、椅子に座って休むと気持ちがよい。流れに流されることなく、ここで初めて王様のことを深く思う。私がタイに初めて来たのが1987年、それ以来王様はずっと一人だった。寂しい。

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バンコック ヨーガの旅2016(9)ワット・パンニャーナンダラームから娑婆へ

124日(日)
8日目

ついに別れの朝が来た。瞑想、アーサナ、朝ご飯とルーティーンをこなすと、もう荷物を持ってチェックアウト。今日は日曜で、講義と実習はお休み。校外学習として、「ワット・パンニャーナンダラーム」というお寺を見学に行く。それが終わったところで、私は本体を離れ、バンコックに戻っていく。

 

先日のロットゥが迎えに来ていた。私の他にバンコック在住のIさんと、今日東京へ戻るFさんが荷物を持って出てきた。残りの人は今日もここへ戻ってくるので軽装だ。まあ、今日もお寺に行くので服装は黒か白中心。1週間ぶりに娑婆に出た。太陽の日がまぶしく感じられた。

 

我々は外へ出ようと思えば、この船で渡ってすぐに出られるのに、私には全くその気はなかった。必要がなかったということだ。この付近は植木や花を売る店が沢山あるが、そこに並べられている木や花が何とも人工的なものに見えてしまうのは、この合宿の一つの成果だろうか。

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ロットゥはまた小1時間走って、お寺に着いた。5年前にも来ているはずなのだが、何だか大きな塔が建っていて驚いた。この建物の印象はない。その内側の建物もとても大きくて立派。少なくともお寺に来たという感じはまるでない。お坊さんに案内されて、その仏塔を見学したが、あまりの暑さにひるんでしまった。ここはもうワンサニットではなく、都会なのだ(郊外のはずなのだが)。

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さらに奥に入っていき、別の場所を見学。屋外にシートを敷いて沢山の人が座っていた(それでも前回に比べると少なく感じられたが)。向こうの方に講和をする和尚さんの姿が見える。もう終わりかけているのだが、我々も呼びだされ、和尚にご挨拶した。5年前より若返っていた。皆で記念写真を撮る所がタイらしい。因みに和尚の横に座れるのは男性だけなので、期せずして座る。この辺に掟がある。

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それが終わると、ランチの時間だ。タイのお坊さんは午前中しかご飯が食べられないので、急いでご飯の給仕場に並ぶ。その後に我々が外国人ということで優先的に並ばせてもらう。後から来て申し訳ない話だ。前回は沢山の屋台が出ており、麺などを頂いたが、今回は食事場所が統一されて、きれいになっていた。屋台もタンブンの一環と聞いていたが、殆どがこの給仕場に集約されてしまったのだろうか。

 

食事は実に豊富で、肉が入っているものもある。私は久しぶりなので美味しく頂いたが、お寺で肉食、と感じた人もいただろう。ベジタリアンの人など、肉を取らないように気を付けていた。それにしても沢山の人が食事をしている。ある意味でバンコックに住む人の週末の娯楽の一貫のように見える。

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前回はお坊さんが時間を取ってくれ、我々の質問に答えてくれたが、今回は代替わりして、それはなかった。それからも寺院内施設を見学する。描かれている絵を見ながら解説が加えられ、週末23日でステイできる庫裏が紹介される。確かに週末だけここで一人の時間を過ごすのは悪くないかもしれない。でも子連れの人もいたが。

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前は工事中だった、池のほとりに立つ建物。その中にはブッダの姿が刳り抜かれた壁がある。これを眺めていると、何となく自分は物が見えていないな、と感じてしまう。何故だろうか。何とも不思議な壁である。池には魚が沢山いて、餌を蒔くとすごい勢いで寄ってくる。水しぶきが上がって濡れてしまうほどだ。

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そして別れた。取り敢えずロットゥに乗り、大きな道まで出たところで三人は降りた。残念ながらバンコックへ行く方向は反対なので、荷物を持って陸橋を渡る。階段を降りるとちゃんとタクシーが待っており、何と市内まで行ってくるというので一安心した。市内は混むので途中で乗り換えろ、というのが多いらしい。

 

バンコックに戻る

Iさんは途中で降りていく。彼女が居なければタイ語が通じないので、我々の行先を運転手が焦って確認していた。Fさんは今晩の夜行便で帰るので、それまでプロンポンあたりでマッサージかショッピング。彼女はまだ若いが、やはり色々とあり、久々にこの合宿に来たらしい。1時間ぐらい車の中で話を聞いていたら、何とエンポリアムに着いてしまった。日曜日の夕方だからかなり混むと予想していたのに。やはり王様のご逝去と関係があるのだろうか。

 

私は定宿へ向かった。フロントには新しい人がいたが感じは良かった。部屋もいつもと同じ番号だ。だが部屋に行くと、何と机がなかった。驚いてフロントで行くと若い男性が部屋まで付いて来て、スマホで写真を撮り、すみません、と日本語で言って、手配してくれた。何故机を動かしたのだろうか。これだからタイは面白い。

 

それから1階に洗濯物を出す。ここのおばさんとも顔馴染みであり、すべて任せられる。干す暇はないので乾燥までやってもらうが、それでも130バーツで出来るからうれしい。それから空港で買ったシムカード、10日間は無制限に使えると書いてあったのに、昨日から速度が極めて遅くなっていた。近くのテスコにあるAIS店にそれを持っていき、確認。新人女性は頭を傾げたが、ベテラン男性はあっという間にそれを解消した。と言ってもやはり無制限ではなく、今回は1GBだけ無料となったが、今後は金がかかるらしい。