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北海道を旅する2016(5)セミナーをやりながら、食を満喫する

ラーメンを

午後は4時から、日本茶カフェ、にちげつにて、「日本茶言いたい放題」と題するお話をした。これは日頃私が疑問に思っている日本茶に関する事柄(例えば日本茶には香りが無くなったとか)を披露して、海外の状況と比較したりして、日本茶の将来を考えるものだった。正直参加者がどう受け止めたかはわからないが、こういうセミナーがあってもよいと思っている。ただこの話を実にシンプルで居心地の良い日本茶カフェで話すのが適当だったかは更にわからない。ここでまったり日本茶を飲んでいればよい、という雰囲気だった。尚にちげつのオーナーAさんは私の大学の後輩であることが分かり、その方にも驚いた。

 

持ち込んだ日本茶が、村上茶やさしま茶など、地域的に珍しいものであったこと、また萎凋香が付いたもの、白茶のようなものなど、特殊な製法のものがあったことにより、一部の人々からはかなり珍しがられた。確かに日本に居ても出会わないお茶は沢山ある。それを出合わせるセミナーがあってもよい。その任を私が担うべきかどうかは分らないが。

 

夜は疲れたので、お先に失礼した。あまり腹も減っていなかったので、ホテルへ帰ろうと思ったが、ふらふら歩いているとラーメン屋さんがあったのでそこに立ち寄る。まあ、折角札幌に来たのだから、ラーメンぐらい食べないと。腹は減っていないと思いながら、熱々のラーメンをあっという間に平らげたのは、やはり味が良かったからだろう。満足して帰路に着く。

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4月3日(日)

事件起こる

前日は6月に出る本の原稿書きに没頭し、ふろにも入らず寝てしまった。既に3月末の締め切りを数日猶予してもらっており、慣れないことで悪戦苦闘している。翌朝も早く起き、原稿を続きをやる前に気分転換に湯をためて風呂に入る。朝ぶろは気持ちがよいものだったが、その後歯磨きしようと再度浴室に入ると、一面が水浸しになっていた。たぶん排水溝が詰まっていたのだろう。

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フロントに電話して人に来てもらったが、すでにかなり水はひいていた。彼はすぐに大量のタオルを持ってきて、床を拭き始めたが、その根本的な解決を図ろうとはしなかった。これではまた風呂に入れば同じことが起きるのは誰が見ても明らかだった。今日チェックアウトならそれでも良いが、私は今晩もこの部屋に宿泊するのだ。これでは困る。『後で掃除のおばさんによく見させておきますから』と言われ、その対応に唖然となった。普通なら次のお客を入れるためにもここは入念にチェックして、万全で臨むべきだろう。

 

『部屋を変えて欲しい』と訴えると、これで問題ないとか、部屋が満室だとか言って拒んでくる。これには本当に驚いてしまった。少し強い口調で要請すると、ようやくしぶしぶ同意した。だがこれから出かける私に『荷物は一度フロントへ』というではないか。実は私は持ってきたスーツケースを、セミナー会場にもっていってしまっており、着替えなどを入れる入れ物も持っていなかったから、それは出来なと、また押し問答になった。

 

普通のホテルなら、ホテルの事情で部屋を変わるのだから、お客の事情に配慮するべきだと思うのだが、そのような感覚は持ち合わせていなかった。最終的にホテルの従業員が私の荷物を新しい部屋に移しておくことで了解したが、やはりあり得ない状況だ。日本のおもてなし文化など、規則・マニュアル・効率優先のチェーンホテルにはどこにも見られない。勿論責任者からの謝罪もなければ、例えば部屋を少し良いものに変える、ということもなかった。この古いホテルでは日常的にこのような状況が起きており、稼働率向上のため、今回のような措置が取られているのだろう。

 

今日は午前中、台湾茶のお話をした。昨年末に南北台湾をぶらぶら歩いて得たお茶を飲み、台湾茶のトピックスを話した。今回の4つの講座なのかで、一番お茶が美味しかったのではないかと思う。基本的に私の旅は美味しいお茶を求める物ではない、その旅で出会った茶が提供されるのだが、やはり参加者からすれば、美味しいお茶の方が好ましいのは当然だ。

 

お昼は、皆さん午後の準備で忙しく、弁当を食べるというので、一緒に買ってきてもらい食べる。折角なので珍しいものを、ということで、登場したのが、ザンギ弁当。しかしどう見ても普通の鶏肉の唐揚げにしか見えない。ザンギの由来は中国語のザーギー(炸鶏)から来ているとも言われており、恐らくは味付けが少し異なるだけなのだろう。もっとも北海道では魚介類の揚げ物もザンギというらしいので、特定するのは危険にも思うが。

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午後は最近ハマっている?万里茶路についてお話した。何しろ10日前にはモスクワに居たのだから、多少の臨場感はあったのではないだろうか。とは言っても現在のロシアに万里茶路をしのぶところは殆どないのが実情だが。お茶は珍しいお茶、湖北の米磚茶などは、簡易のこぎりを買ってもらい、切った茶葉を前日に煮出してもらうという手間をかけた。お茶の歴史への興味を少しでも持って頂けただろうか?正直自信はない。もっと研さんを積み、話術も増さないと。

 

こうして、2日間の講座は無事に?終了した。その後にちげつで懇親会が行われ、Yさんが握ってくれる新鮮な寿司ネタに舌鼓を打つ。お茶に関心を持っている人が沢山いる、ということは、とても素晴らしいことだな、と改めて感じたのはなぜだろうか。7月2-3日には札幌で大規模なお茶イベントも計画されていた。『エコ茶会のような会を北海道でもやりたい』という話を聞き、エコ茶会主催者でもないのに、喜ばしく思ってしまった。北海道の会、成功を祈る。

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北海道を旅する2016(4)驚きの十勝豚丼を食す

わが宿の横には立派なホテルがあり、その入り口には『飯沼貞吉ゆかりの地』という碑があった。飯沼貞吉というのは確か会津白虎隊の生き残りだが、彼は札幌にゆかりがあるのだろうか。調べてみると彼は明治に通信技師となっており、1905年から5年間、札幌郵便局工務課長として、ここに勤務していた。ただなぜこの碑が建てられているかは、全く不明である。

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夕方は明日のセミナーの打ち合わせに出向く。テレビ塔を目指して歩いていく。私は今回の主催者も、セミナー会場がどんなところかも、全く知らない。それでもご縁というものがあり、受けることにした。会場までスーツケースを引きずっていく。中には茶葉が一杯詰まっていた。道路に雪は見られなかったが、日陰にまだ雪が積まれているのは見えた。

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ビルの3階にひっそりとある手ごろな広さの日本茶カフェ、そこが会場だった。ただその隣には、畳の部屋があり、その横には手もみのほいろなどもあり、なんとも不思議な空間だった。因みにこのビルのエレベーターはとても広く、ここが元病院であることはなんとなくわかった。だからフロアーの部屋が1つ1つ小さく区切られ、狭かったわけだ。

 

初めて会った人々だが、お茶という共通項があったためか、すぐに打ち解けた。打ち合わせというより、雑談を連発しているうちに、時間は過ぎてしまい、夜の予定に向かう。札幌駅までゆっくり歩いていった。周囲が暗くなる中、ちょっと涼しかったが、寒いという感じはなく、歩くのにちょうどよかった。本日3回目の札幌駅。さすがに駅の構造も分ってきており、駅ビルの1つにある指定されたレストランにもスムーズに行けた。

 

今晩は北京繋がりのおふたりと、中国話や北海道の現状、訪日観光客事情などで大いに盛り上がる。盛り上がりすぎて、料理の写真を取り忘れたが、そこは地元食材を使ったおしゃれなところだった。北海道に限らないが、ジビエ料理なるものが流行っている。農家を回っていると、シカやイノシシの被害を訴えられることが多いが、その駆除は進んでいるのだろうか。野生のものがよいという消費者が多いが、その実、それはどうだろうか?

 

4月2日(日)

紅茶屋さんで

翌朝は1つ目のセミナー会場へ向かう。1つ目はスリランカ紅茶の話であり、ここだけは会場が違っていた。札幌ドームの近く、閑静な住宅街にある紅茶屋さんに向かう。と言っても地理が全く分からず、方向音痴気味の私を心配した主催者Kさんが、途中まで迎えに来てくれるという。地下鉄の終点、札幌ドームの最寄り駅まで一人で行く。これは簡単。

 

福住というその駅を地上に上がると、向こうに札幌ドームが見え、白い恋人と宣伝が見える。駅横には不二家の直営店があるのは、何とも懐かしい。函館からわざわざ私のセミナーを聞きに来てくれた女性も一緒に車で会場に運ばれる。確かに一人でバスに乗ってきては分らなかったかもしれない紅茶専門店ニルマーネル。一軒家の中は居心地の良い空間だった。

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ここで紅茶好きの方々にスリランカの話をした。スリランカから持ってきた各種紅茶を淹れてもらい、美味しいお菓子も登場した。専門的な紅茶の技術の話などは出来ないので、あくまでも茶旅、今回は東京の紅茶屋さんの買付に同行したので、一度に10軒以上の茶園を紹介できた。

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北海道には意外とお茶好きが多い、という印象を受けた。店主のTさんも紅茶が好きでお店を始めたが、こじんまりした店舗が好ましい。冬の寒い時期に、家の中で飲む紅茶は暖かいだろうな。先日ロシアに行ったばかりなので、なぜ紅茶が好まれるのかは、何となく分る。

 

ランチ

セミナーが終わり、Kさんの車で会場を移動する途中、お昼ご飯を食べにいく。十勝豚丼、私が食べたかったものなので、いそいそと付いていくが、入り口を入ろうとすると、携帯が鳴る。何と先ほどの紅茶屋さん、Tさんからで、Kさんがお店に携帯を忘れたらしい。豚丼屋さんは、土曜日のせいか、混んでいたが、まずはランチを優先し、携帯は後で取りに行った。

 

ここの豚丼は確かに美味しかったが、初心者の私にはそのオーダーは難しかった。例えば『大盛』は肉がレギュラーサイズでご飯は大盛、また『ハーフ大盛』というのは、肉が半分で、ご飯はレギュラーサイズだというのだから、理解できない。驚きだ。お店側は様々なニーズに応えようと悪戦苦闘して付けたに違いなのだが、これでは何がなんだかわからない。

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まあ常連だけ来ればよいということかもしれないが、少なくともこのような日本的な細やかさは海外では理解されないだろう。いや、台湾や香港など一部では面白がられるかもしれないが、本当にお客のことを考えるならば、豚丼が美味しいだけに、もっとシンプルに、と言いたい。豚肉大好きの中国人にも紹介したいが、どうなんだろうか。

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昨日も打ち合わせで来た会場へ戻るが、まだ時間があったので散歩した。すぐ近くには中国人観光客が多いと言われた狸小路があり、また外国人が喜びそうな二条市場という海鮮市場があり、かに汁などがその場で食べられるようになっていた。美味しそうだったが、残念ながら腹は一杯だった。

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北海道を旅する2016(3)すすきののホテルはどこだ

4月1日(金)

翌朝は朝食がホテル代に付いていたので、早々に食べる。昨晩も食べ過ぎているので、和食中心に軽めにしてみた。大手新聞が無料で大量に置かれている。ホテルも色々とサービスに工夫を凝らしており、エアチケットのプリントなどができる機械も設置されていた。室蘭に中国人観光客がたくさん来るとの話はなかった(行くとしても登別温泉までらしい)が、中国語表記も随所にみられた。

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10時前のバスに乗るべく、駅の反対側にあるバス停に行く。実は勘違いがあり、予想より10分早くバスが来たが、いつもの癖でかなり早めに到着していたので、特に問題はなかった。札幌行のバスはやはり空いていた。そしてこのバスは昨日来た道を走り、その後新千歳には向かわずに、札幌市内に入った。札幌市内のどこで降りると予約したホテルに近いのかがわからず、ついに札幌駅まで来てしまった。この間、2時間20分、かなり早い。札幌市内には全く雪は見られず、また室蘭のような強い風もなく、生暖かい感じがした。

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3. 札幌

ホテルはどこだ

札幌駅に着くとすぐに、すすきのを目指した。予約したホテルは地下鉄東豊線「豊水すすきの」駅の下車となっていた。札幌駅内を端から端まで歩いてようやく東豊線のホームに辿り着く。今日は午後1時に札幌駅で約束があるのだが、まずは大きな荷物を預けたいと思い、宿へ向かう。

 

豊水すすきの駅で降り、地上に出るとすぐに目指すチェーンホテルの看板が見えた。もう時間がないので助かったと思い、急いでフロントに駆け込んだ。ところが名前を伝えても予約がないという。『お客様はどちらのホテルを予約されましたか?』と聞かれ、予約表を見ると、何とこのホテルは『札幌すすきの駅前』だったが、私が予約したのは『札幌すすきの駅西』だったのだ。しかもこの付近には更に『札幌すすきの』『札幌すすきの駅南』まであるというのだ。1つの地下鉄の駅の周辺に同じホテルのチェーン店が4つとは、まさに驚きだ。

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フロントに『特に予約サイトに4つもあるなんて書いてなかったけれど、お客がよく間違えないね』と言ってみると、『はい、よくお間違いになります』と平然と答えたので呆れてしまった。これに対する対策を何も取らないなんて、いくら近いと言ってもびっくりだ。そして『荷物だけ預けたいので、ここで預かってほしい。後で取りに来るから』と言ってみたが、勿論ダメだった。顧客サービスという概念はあるのだろうか。同じホテルチェーンの意味がない。

 

仕方なく急いで予約した宿へ行き、とにかく荷物を預けて、駅へ戻り、また札幌駅へ向かう。その慌ただしさと腹立たしさ。何とも言えない。更には札幌駅の待ち合わせ場所がさっき降りたバスターミナルの横にあり、またまた駅を端から端まで歩かなければならなかったことも、疲れを倍増させた。それでも何とか待ち合わせに間に合ったのでよかった。

 

ランチ

今日の昼は中国茶繋がりのSさんから札幌在住のYさんを紹介頂き、会うことになっていた。札幌駅からほど近い細長いビルの上でランチをした。かなりゆったりとした店だったが、Yさんが割引券を持っていたこともあり、格安でランチが食べられた。ホルジン定食なるものを注文したが、ホルモンとジンギスカンが混ざった料理で面白かった。さすが札幌。

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Yさんは以前新部記者だったが、5年前に北海道に移住、主にロシア関係の情報を発信し、研究をしているという。実は私が初めてロシアへ行くことになった3月に、数人の方が情報を寄せてくれ、その中にYさんもあったのだが、何と札幌在住だったので、お会いできないだろうと思っていたが、期せずして、このような機会が転がり込んできたのはご縁というものだ。

 

日本におけるロシア情報は非常に限られている。中国情報なら、良い悪いは別にして実にたくさん流れてくるのだが、ロシアウオッチャーは非常に少ない。これほどの大国でしかも隣国、なぜ日本ではロシアに対する関心が薄いのだろうか。北方領土だけではなく、ロシアそのものの動きは中国にも、そして勿論日本の政治経済にも大きな影響があると思うのだが。だからYさんが発信する情報は貴重だと思われ、更に一段進化した情報、例えば中国とロシアなど、多極的な情報を期待したい。

 

2時間も話し込んでしまい、お別れするのが名残惜しかったが、時間が来たので、ホテルへ戻る。もう正直戻りたくなかったが、これから3日間も泊まるのである。行かない訳にはいかない。部屋はカード式キーではなかった。部屋に入るとかなり広く、ベッドも二つある。どうやら、以前は観光用のホテルであったところを買収したものらしい。昔のホテルのにおいがある。だからこの付近に同じような名前のホテルが4つもあるわけだ。

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後で地元の人に聞いてみても、このホテルチェーンの評判は決して良くはない。どのような戦略でこんな買収をしたのだろうか。まあ、理解できるところでは、既存のホテルの非効率な経営が立ち行かなくなり、観光とビジネスの両方の需要を見込んだチェーン店の進出を許した、ということだろう。これが日本のホテル業界の現状、と言えるのかもしれない。ただこんなサービスレベルでは、とても経営が成り立つとは思えないのだが、どうだろうか。

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北海道を旅する2016(2)カレーラーメンを食べて室蘭散策

2. 室蘭
カレーラーメンを食べて室蘭へ

予約してもらったホテルに行ったが、勿論チェックインは午後3時から。取り敢えず荷物を預ける。まさかこんなに早く着くとは思っていなかったので、ランチの場所をフロントの女性に聞く。『室蘭はカレーラーメンが有名です』というので、スパイシーでない方と言われたところへ行ってみる。その店は駅のすぐ横にあったが、そこそこ広い店内は満席の盛況だった。

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まずはカレーラーメンを注文してから周囲を見ると、皆がそれを食べているわけではない。普通のラーメンもあり、焼きそばあり、定食もあるようだった。カレーラーメンは、カレーうどんのラーメン版という感じだったが、麺にこしがあり、非常に美味しかった。ただ滅茶苦茶熱くて、汗が噴き出した。どうやら冬に食べると体が温まるものらしい。横のおじさんがチャーシュー麺を食べていたが、次回はそちらにチャレンジしたいと思った。

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食べ終わるとお客さんが待っていたのですぐに店を出た。北海道はまだ寒いと思ってきたのだが、10度以上あるようで、また汗が噴き出した。東京と変わらない生暖かさだった。駅の反対側にバスターミナルがあり、札幌行のバスの時間を確認した。今日は年度末で、明日から時刻表が変わるらしい。聞きに来てよかった。

 

それから海でも見に行こうと歩き始めると、電話が鳴った。だが出ても声が聞こえない。Tさんからの電話だということが辛うじて分かったが、何度電話をもらってもどうしようもなかった。携帯が古すぎ、そろそろ変えなければならないことを示していた。すぐにTさんからショートメッセージが来た。ホテルのロビーにいるというのですぐに取って返した。元々2時前にホテルに着く予定だったが、あまりに早く着いたので、Tさんも急いで来てくれていたのだ。

 

彼とは東京の勉強会以来だから、1年ぶりだろうか。室蘭に転勤になったと聞いていたので、今回訪ねてみることにしたのだ。恐らくは北海道に行く人は多くても、敢えて室蘭に行く人はそうはいない。私も室蘭と言えば、新日鉄ぐらいしか思い浮かばなかったが、この機会にぜひ行ってみようと思った次第。Tさんと旧交を温めて、それから一緒に駅に向かった。

 

室蘭へ行く電車は1時間に一本しかない。なぜか彼が東室蘭に宿を取ったかはすぐにわかった。室蘭の中心は東室蘭であり、室蘭駅は何と夜は無人駅になるという。因みに東室蘭には自動改札はあったが、スイカなどは使えず、室蘭駅には自動改札すらなかった。これは結構衝撃だった。今や新幹線が北海道に上陸したというのに、一方でローカル駅は消えていく運命にあるのだろうか。

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このローカル線は僅か1両でやってきた。途中に新日鉄室蘭などの工場が見えた。そして母恋駅という、中国系の人が見たら感動するであろう名前の駅まであった。『母恋飯という駅弁が台湾人などに人気です』とTさんが説明してくれた。この名前を見れば駅弁も食べたくなるだろう。今は売り切れることが多いらしい。地球岬という名所はここから歩いて3㎞と聞き、断念した。

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室蘭散歩

そして室蘭駅でTさんと一度別れた。室蘭の街を散策する。駅前には港の文学館というレトロな建物があったが通り過ぎた。旧室蘭駅舎へ。100年以上前に建てられたこの駅舎は既に20年前に廃駅となっていた。ここには駅で昔使われたものなどが展示されていたが、また一応観光案内所も兼ねていた。だがお客はほとんどおらず、転寝するお爺さんがいただけだった。

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そのまま歩いていくと港が見えてくる。天気が良いので実にすっきりした風景、遠くには山々、近くには風力発電と古びた倉庫。風は強いが、気持ちの良い散歩となり、更に歩いてしまった。向こうの方に大きな橋が見えたが、そこまで行かないうちに疲れてきたので駅に戻る。

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駅前の商店街で写真を撮ろうとしたところ、何とカメラが壊れてしまった。実は数日前にPCが壊れて、慌てて買い直していたし、さっきは携帯電話で電話が取れなかった。私の茶旅はちょうど満5年を過ぎ、この北海道が今後5年の最初の旅だったが、前途多難というか、過去5年間の旅の激しさが一気に噴出したというか、何と大変なことになってしまった。

 

カメラが壊れても携帯で写真は撮れるのが、私は慣れていなかったし、それに疲れてしまったので、街歩きを打ち切り、電車で東室蘭へ帰る。北海道新幹線開業のポスターが張られていたが、函館までしか行かない新幹線をそう呼ぶのは如何なものかと、特にこの地に来て強く思う。帰りの電車は登別行の2両編成。1両増えただけでもホッとしてしまう。

 

駅前ホテルにチェックインして、部屋でまったりした。このホテルの周辺に高い建物はなく、実に眺めがよい。ゆっくりと夕日が落ちて行った。夜はTさんの計らいで、北京に30数年住んでいるAさんと、留学生支援をしているHさんにお付き合いいただき、地元料理を堪能した。室蘭に来て、昔の中国話で盛り上がるとは思いもよらないことだった。

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北海道を旅する2016(1)バスで東室蘭へ

《北海道を旅する2016》  2016年3月31日-4月4日

 

2013年6月、私は実質的に初めて北海道を訪れた。札幌と函館を回り、ちょっとだけ北海道気分に浸ったが勿論物足りなかった。もう一度行きたいな、とは思っていたが、何しろお茶畑がない。なかなか行くチャンスが掴めずにいたところ、突然Uさんから札幌の人を紹介され、お茶セミナー開催の話が持ち上がる。これは願ってもない機会だ、満を持して行こう!

 

だが、その直前には長く厳しいシベリア鉄道の旅を経験しており、疲れはピークに達していた。原稿の締め切りも厳しかった。そしてセミナー自体が2日間で4講座、それもすべて違う地域の話という、これまでにないハードな内容だった。それでも何としても行こうと思った。講座で使うお茶をスーツケース一杯に詰めた。北海道にはそれだけの魅力がある。

 

3月31日(木)

1. 室蘭まで

今回は日系大手航空会社で飛んでみた。実は奥さんがスカイコインなるものを持っていて、この期限が四月末に迫っており、何とか処理してほしいとの要望だったので、有り難く頂いた。それにしても高いな、チケット代。LCCなら成田に行かなければならない不便さはあるものの、恐らく3分の2の金額で十分に旅ができるだろう。

 

当日は羽田空港に到着したのは結構早かったのだが、一本前の新千歳行に乗せてくれることはなかった。『お客様のチケットは割引運賃ですので』ときっぱり言われて、うーんと思ってしまう。最近は中国でも席があっても追加料金を払わないと、早い便に変えることができなくなっていたが、今回はそんなに安いわけではなかったので、ちょっとビックリ。

 

まあ仕方がないのでゆっくりとネットでもしようかと思い、荷物検査を潜ったが、その後には、コンビニというものがなかった。朝ご飯も食べていなかったので、レストランなどを見てみても、皆どこも高い。朝からこんなに立派な食事をする身分ではないと思い、諦めた。が、一度食べられないとなると何とも食べたくなるのが人情というもの。

 

何と荷物検査に戻り、事情を話し、一度検査を取り消してもらい、1階下のコンビニへ行き、サンドイッチと飲み物を買って再度検査を潜った。日本は国内線ではペット飲料の持ち込みが自由なのは有り難い。それにしても羽田空港の荷物検査、丁寧なのは良いが、ちょっと度が過ぎるほどで、時間が相当掛かる。他国でもテロ対策や課税対策で時間が掛かるところがあるが、バックを横にするのに、一々お客に了解を取るのはどうなんだろうか。

 

機内に入ると、乗客の中には中国人、台湾人などが見られた。やはり北海道は人気スポットなのだろう。タイ語らしいものも聞こえてきて、何だか面白い空間になっていた。だが、驚いたのは機内放送。CAさんが日本語と英語で話した後、流れてきたテープ音は何と広東語だった。これは一体どういう意味だろうか。普通話や台湾語は流れず、ただ広東語だけが流れたのだ。

 

そんなに広東人や香港人が乗っているのだろうか。イースター休みだから?でもそれなら普通話も流すべきではなかろうか。いや、これは操作ミスなのだ、と思う。だがいくら国内線とは言っても一人も広東語と普通話の区別ができる乗員はいない、ということだろうか。私の頭の中はちょっとパニックになってしまった。ただ恐らくは日本人乗客も誰一人気付いていなかったのだろう。飛行機は順調に新千歳空港におり、何事もなかった。

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今日は札幌に向かわずに室蘭に行くことになっていた。空港から室蘭まで鉄道で行こうと考えていたが、バスで苫小牧へ出るルートもあるらしいことは分っていた。ただバスは乗り継ぎ時間がタイトで乗れないと思っていた。実際預け荷物が出てこなくて、かなり時間を食ってしまう。

 

ところが天は私を見捨てていなかった。取り敢えずバス会社のカウンターへ行ってみると『苫小牧行きではなく、室蘭行きがあと5分後に来ますよ』というではないか。何と一気に室蘭が近くなる。しかも料金は電車よりかなり安い。特急に乗るのと同じぐらいの時間で着いてしまう。北海道の交通はやはりバスなんだな、としみじみ思う。

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バスは降りるときの便宜のためか、荷物を一番前の座席に置き、出発した。乗客は多くはない。悠々と座る。まずは田舎道を行き、高速道路で苫小牧を目指す。何とも早い。まだ少し雪が残る大自然を行く。それでもつい先日シベリアを経験しているので、何とも優しい風景に見える。そして雪解けの道はぐちゃぐちゃではないか、と心配になる。

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苫小牧からは高速道路を使わず、各駅停車のように国道沿いを行く。登別温泉あたりを一周して、室蘭に入ったのは、わずか1時間20分後。普通電車で行けば、今頃まだ苫小牧だったかな。そして東室蘭駅で降りた。室蘭駅もあるのになぜ東室蘭?今回は北京でご一緒したTさんがここの駅前のホテルを予約してくれていた。駅はかなり立派だった。

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タイ人と行く高野山2015(6)奥の院で朝のお勤め

こちらの宿は宿坊ではなく、また突然お願いした関係もあり、夕飯は出ない。この件でも和尚が大活躍してくれた。高野山で10名以上の夕飯を食べに行ける場所はそれほど多くはないため、自炊することも検討した。だが食材の調達に橋本の街まで行かなければならないなど困難なことが多かった。結局伝手を辿って、無理を言って、弁当を作ってもらうことができた。

 

大広間に弁当を広げて皆で有難く頂いた。ただタイ人たちは少々日本料理に飽きてきていた。間食のし過ぎもあるだろうか。女性ということもあり、弁当の量が多いということもあった。そして1₋2人は遂に日本のカップ麺を食べ始めた。タイでも日本のインスタントヌードルは大人気、袋めんの麺だけを使い、独自のスープと合わせて食べることもバンコックでは普通に行われている。

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勿論タイではトムヤンクン味などが有名だが、果たして日本のカップ麺はどうだろうか。恐らくは彼らにはスパイスが効いておらず、味が淡泊ではなかっただろうか。それでも疲れた胃にはよかったのかもしれない。そういえば昨日スーパーに立ち寄った時に真っ先に彼女らが買っていたのが、このカップ麺だった。今日のコンビニでは気が付かなかったが、更に仕入れていたに違いない。ただ彼女らは日本語が読めないため、味の種類などは分からず、写真や絵を見て買ったのだろう。自分の思った味と違ったという反応もかなりあった。日本でコンビニに英語表記は今後なされるだろうか。これは意外とハードルが高そうな課題だ。因みにタイではファミマは英語とタイ語の併記、セブンイレブンはタイ語のみである。そして黒門市場で買って来た桃を皆で食べた。2個、1000円、とても美味しかった。

 

それから皆で順番にお風呂に入り、2階の広間で歓談した。Wi-Fiが繋がる場所が広間に限られていたので、自然と人が集まってきた。実はこの広間、私の今夜の寝床である。この広間の横では、ここの和尚様が中国人と台湾人に非常に熱心に何か講義をしていた。彼らは日本語が自由に出来るわけではなかったが、それでも習いたいと押しかけてきたらしい。高野山では中国人がやって来て、唐の時代の密教を学びたい、ということもあったようだ。日本には様々な資源が残っているが、それを我々日本人が知らないという悲しい現実がある。ここは外国人の力を借りて、日本を見つめ直す、ディスカバージャパンを行う必要がある。

 

この広間で1つの発見があった。サポートのために長野から車で駆けつけたSさん。ちょっと話をしていると、何と私の小学校時代の1年先輩だということが分かった。これまでインドにも一緒に行ったのだが、個人的な話はあまりしなかったのか、今回突然発覚してお互いひどく驚いた。世間とは狭いものである。実は私は先日青山のスリランカ紅茶のお店に行く途中、偶然にも陸橋の上から数十年ぶりに母校をチラリと見たのだ。これも茶縁だろう。

 

5月19日(火)

朝のお勤め

高野山最終日。今朝は5時に起きて、奥の院の朝のお勤めに参加した。前日明王院に泊まった彼女たち、朝のお勤めには6人中3人しか参加しなかったという。今日は5人が参加した。奥の院の力だろうか。まだバスも走っていない雨の中、傘を差して歩いて向かう。既に明るくなっている奥の院、雨に濡れて一層鮮やかになっているようだ。灯籠堂に参内すると既に読経が静々と響いていた。端の方に座り、目を瞑る。このお勤めは、弘法大師が今も生きて毎日修行しているとされ、御廟に食事を提供する、という意味合いがあると聞く。

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お勤めが終わると、ゆっくり散策しながら帰途に着く。朝ごはんもないので、道すがら開いていた和菓子屋さんに入り、好きな餅などを買い、店内で食べた。食べているとほうじ茶も出てくる。こんなお店が朝から開いているのはとても嬉しい。特にアジア人にとっては、朝から甘い物を食べるのも問題はない。餅やお団子は1つ百数十円で、日本茶も味わってもらえる。おばさんは簡単な英語を話していたので、外国人の利用はかなり多いのだろう。

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そして宿に戻り、荷物を纏める。実は急なことながら、タイ人一行とはここで別れ、私は小学校の先輩Sさんの車で、奈良へ向かうことになった。何とも不思議なご縁がこの先も待っている。ひとまず高野山の旅は実に呆気なく、幕を閉じた。次回来る時は一度宿坊にも泊まってみよう。

タイ人と行く高野山2015(5)奥の院

奥の院へ

タイ人は実にゆっくり歩いて行く。だから色々な景色に気が付く。途中で清浄心院という、実にきれいな樹木、小川、古い建物を供えたお寺があった。前回も見とれてしまった記憶があるが、今回はタイ人たちが足を止め、盛んにシャッターを切る。どうしてこんな鮮やかな庭の手入れができるのだろうか。これもお坊さんが修行でやっているのだろうか。日本で外国人が驚くのは、何気ない場所に行き届いた手入れが見られるところではなかろうか。

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奥の院の入り口、一の橋に到達した。ちょうど天が暗くなり、小雨が降りだした。高い杉木立、深い樹木と古い供養塔、何とも幽玄な雰囲気が我々一行に襲い掛かる。和尚は一生懸命に奥の院について説明しているが、タイ人はどれほど理解しただろう。日本人の我々でも奥の院の存在、何十万にも及ぶ供養塔の数、そして織田信長や豊臣秀吉、武田信玄など歴史上の数々の有名人の墓所、パナソニックの松下家など、当代功成り名を成した人々の墓が、一堂に会している様子は不思議としか言いようがない。『ここが日本仏教の総本山だから』と説明されても、理解は難しい。

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まず手水舎で手を洗い、口を漱ぐ。日本の作法を教えられ、タイ人も挑む。傘を差しながらもカメラは放さない。道は必ずしも平たんではなく、また雨で滑りやすい。かなりゆっくり歩くことになる。タイ人は一般的に速くあることは好きではない。ゆっくり歩き、自分の気に入った場所で止まっては、その場に浸る。この辺は日本人のように決められた時間を守って観光することはない。どこでもみな楽しそうに参観しているのは、羨ましいほどだ。

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上座仏教のタイでは、華人などを除き、一般人にはお墓はない。遺体は荼毘に付し、遺骨は川に流してしまう、とも聞いた。これは輪廻転生、魂は生まれ変わるもの、遺体は使い終わった物という考えから来ているのだろう。ここ奥の院にある無数の墓の中を歩き、しかもその墓が数百年の歴史を持つ、苔むした古い物であれば、ある意味それは驚きではなかろうか。この独特の雰囲気、どのように感じただろう。『素晴らしい!』という声は何度も聞いたが、その本当の感想を是非とも知りたいと思ったが、彼らも英語では説明できないのかもしれない。

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一番奥まで約2㎞、ついに弘法大師御廟の近くに着いた。橋の前で服装を正し、礼拝、脱帽して橋を渡る。ここから先は写真撮影も禁止だ。天皇家や宮家の供養塔が見える。燈籠堂に参内すると、張り詰めた緊張感がある。タイ人たちもここでは静かに祈りを捧げ、願いをタイ語で書いて奉納していた。更には灯籠堂裏手にある御廟前では、日本人と同じように蝋燭に灯をともして差し、花を買って捧げている。このあたりの習慣は、日タイほぼ同じであると言ってよい。団体でお参りに来た日本人の横で一緒に祈っている姿は実に好ましい。

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そのまま灯籠堂を回っていき、左から降りていくのだが、砂利が敷き詰められたきれいなお庭を見た彼女らは、そこを歩き始めた。『そこは立ち入り禁止だ』という和尚の声で、ワッーと戻ってくる。欧米人なども知らずに入ってしまう。何らかの表示がないと、外国人には分からないだろう。いや日本人の若い女性も全く気にせず歩いているのだから、外国人だけの問題ではない。

 

お茶が飲みたいというので、お茶のお給仕がある休憩所へ向かう。だが5時で閉館とかで、まだ5時前なのに、お茶は終了したという。では休憩だけでも、というと、『いつまで居るの?』という眼差しを向けられる。このような対応は大変残念であると言わざるを得ない。何も特別のことをして欲しいという訳ではないが、折角いいお参りができたのだから、温かい言葉の一つもあればよいのに、と思う。タイならこのようなケースはどうなのだろうか。まあどこでもそうだが、人によるのだろう。人にはそれぞれ事情というものがあるのだから。

 

雨が止んでいたので、帰りは奥の院の正門の方へ向かう。こちらには有名な白アリ供養塔やロケット型の供養塔などユニークなものがいくつもあり、楽しい。タイ人に説明すると目を白黒させて、驚いた様子だった。既に夕方、あたりは徐々に暗くなっていく。疲れたのでバスで戻ることにした。バスが来るのを待っていると、観光客のおじさんがタイ人に何か食べ物を差し出した。これに感激したタイ人は自分の持っていた飴をお返ししていた。言葉もほぼ通じない中、心の交流が図られている光景は何とも嬉しい。この辺がタイ人のいいところだ。

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緊急の宿

実は彼女たちは明王院に2泊する予定であったが、なぜか手違いがあり、1泊しか出来なくなっていた。直前に判明したこの事実、大慌てで和尚が宿の確保に奔走してくれた。この混雑の中、突然10名もの宿泊を受け入れてくれるところはなく、最終的に和尚の知り合いで、宿坊などはやっていないが、広い宿泊スペースのあるお寺に特別に泊めてもらうことになった。私も和尚の家からここに移ることになる。

 

荷物は明王院からSさんの車で既に運ばれていた。部屋は何室もあり、皆が集う大広間もあった。全国のお寺関係者など知り合いのみを泊めているとのことだったが、実は台湾人と中国人もここの和尚に師事するため、滞在していた。我々は偶然にも素晴らしい宿に泊まる光栄に浴した。これも全て和尚のお陰だ。有難い。

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タイ人と行く高野山2015(4)高野山散策

5月18日(月)

高野山散策

翌朝も和尚が朝ごはんを用意してくれた。ありがたや。そしてまた明王院へ行く。雨は降っておらず、いい天気でよかった。皆がチェックアウトして、荷物を寺に預け、今日の日程がスタートした。まずは昨夜ライトアップショーに彩られた大伽藍へ。夜とは打って変わった静けさの中、月曜日でも既に多くの人が参拝していた。お遍路姿の女性を見つけたタイ人は、すぐに近寄り写真撮影をお願いしていた。お寺とお遍路、日本的な風景に見えるのだろう。

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今日は現在高野山で研究活動をしているタイ人女性も合流していた。彼女の専門は観光学。タイにはエコツーリズムや医療ツーリズムなどが発展しているが、日本での『テンプルツーリズム』の可能性について、興味を持って日本仏教の総本山である高野山で、研究しているという。和尚に彼女が加わり、ガイドとしては鬼に金棒。タイ人の疑問に、仏教の専門的な話も含めて、どんどん答えていく。但し彼女らはタイ語で話すので、タイ語の出来ない私には、どんな説明がなされたのかは全く分からなかった。とても残念。日本政府はこのような海外の研究者をもっと招聘して、日本の観光資源発掘に更に尽力すべきだと思う。日本人には分からない、豊富な資源が日本には眠っていることは間違いないので、外国人で日本を知っている人の力を借り必要はあるだろう。

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タイ人たちは本堂の中に安置されている仏像などにもかなりの興味を抱いており、質問が飛び交う。タイのお寺にも仏像はあるが、日本とは当然かなり違っている。タイやミャンマーの人は奈良の大仏よりは鎌倉の露座の大仏を好むと言われている。黄金の仏像はタイにも沢山あるが、渋い木造の仏像などは珍しいのかもしれない。その違い、意味するところをキチンとその国の言葉で伝えることは実に大切。特に仏教関係国と正面からの交流を行う上で、極めて重要であり、結果として、その文化が観光資源にもなっていくのではないだろうか。

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そのまま歩いて宝霊館に向かう。ところがタイ人たちは何か飲み物が飲みたいと言い出す。高野山にはコンビニもあまりない。自販機で水を買うのも味気ないと、レトロな喫茶店に入ってみる。いきなり広くはない店に10名で入ったので、おばさんはビックリしていたが、『時間が掛かるけど、よければ』と言われ、分かれて席に着く。こんな街のレトロな喫茶店も、タイ人の興味を引く。丁寧にコーヒーを淹れる姿、接客態度、彼女たちには新鮮に見えたらしい。店のカウンターに座っていた常連のおじさんたちも、タイ人と聞くと『中国人は多く見掛けるが、タイ人は珍しいね』と興味を持って話し掛けてくる。こんな簡単な交流もまたよい。

 

宝霊館に着くと、きれいな庭の木々にうっとりしてしまう。タイ人は盛んに写真を撮る。これが日本の美、と言わんばかりに丁寧に手入れされている。入場料を支払って中へ入ると、ここには国宝クラスの仏像が沢山展示されており、その迫力は相当のものがある。また大型の曼荼羅なども置かれており、仏教世界を考える上では、高野山では必ず行くべき場所であろう。高野山には国の宝の相当数があると言われているが、まずは宝霊館に集中している。

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タイ人は本当にコンビニが好きだ。バンコックには至る所にセブンイレブンが見られ、タイ人は慣れ親しんでいる。ファミリーマートやローソンも進出してきており、かなりの激戦になっている。ある意味で日本の文化がタイに輸出されたよい例であろう。本家のコンビニに行くのが、楽しみである、というのは有難い話である。そこで好きなお弁当と飲み物などを買い、食べることにした。スイーツなども彼女らの興味の的となっている。高野山にはファミマしかないようで、既に弁当も殆どが売れていた。高野山はかなり閉鎖的な場所、といってよいだろう。地元の商店を守るために、コンビニの進出にも良い顔をしないと聞く。

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弁当を買っても、食べる場所に苦労する。月曜日ではあるが、観光客は多い。臨時テントなども作られているが、どこも一杯である。和尚の知り合いのお寺の一角を借りようと歩いていくと、陰に隠れた臨時テントに空きがあったので、何とか潜り込み、サンドイッチを頬張った。ここで大量のゴミが出たのだが、ゴミ箱などはない。確かに今や日本では、観光地といえどもゴミ箱は設置されておらず、『ごみは自宅に持ち帰り』が原則であるとは知っている。

 

だが、外国人観光客にとって、これほど不便なことはないだろう。中国人観光客の一部は、適当なところにごみを捨ててしまうかもしれない。それをもって『中国人のマナーは悪い』というのはどうなんだろうか。タイ人はゴミを捨てたりはしなかったが、律儀に持って歩いている。バッグは既にパンパンなのだ。写真を撮りたい時は、かなり不便である。見かねて聞いてみると『トイレの後ろにある』と教えられ、何とか捨てることができた。ゴミでは本当に苦労する。

 

午後は開創1200年の記念行事である、お受戒を受けに行く。大勢の人が詰めかけており、順番を待つことになる。我々は団体で申し込んだが、他にも全国から、お寺の檀家さんや仏教関係の集まりの人々が、団体さんでやって来ている。30分待って入場できた。中では読経、阿闍梨の法会があり、なんと団体は代表者が名前を呼ばれ、直接菩薩戒牒を授与される。我々の代表としてA師が呼ばれて、授与された。『タイから来た』と呼ばれ、何となく面はゆい。タイ人は何が起こっているか分からなかったはずだが、こういう席では神妙に座っている。さすがだ。

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タイ人と行く高野山2015(3)高野山 驚くべきライトアップショー

高野山で長唄を

少し休息してから、梵恩舎というカフェに行く。ここは日本人のご主人とフランス人の奥さんが開いているインターナショナルカフェ。K和尚が仲良くしているので、私も2年前に一度ここにきてお茶を飲んでいる。今回は和尚の計らいで、何とここの2階で長唄を聞く、というのである。何故高野山で長唄?京都から遊びに来ていた長唄の修行をしたカップルが、偶然和尚と知り合いになり、タイ人がやってくるなら、ぜひ日本の伝統文化の1つとして、長唄を聞いてもらいたい、ということになったらしい。この辺、意外な展開が面白い。

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梵恩舎の建物は1階にカフェスペースがあるが、実は2階にもスペースがあった。そこは意外とお洒落な空間で、中2階というか、屋根裏というか、落ち着いた場所になっていた。座敷になっているので、欧米人などは長時間座るのは辛いかもしれないが、タイ人は座るのに慣れているから、ちょうど良いかもしれない。むしろ私は長く座るのは辛い、と思ってしまう。

 

男性が唸り声を上げて、三味線をかき鳴らす。女性も三味線を合わせる。皆興味津々、何が起こったのか、と言った感じで見入る。本格的な演奏がまじかに聞けることは、実に素晴らしい。演奏が終わると、三味線を弾いてみたいと、即席で習い出す人もいた。三味線を知っているのかと聞くと『クーカムで見た』というのだ。クーカムとはタイで爆発的に流行ったテレビドラマ。主人公は日本軍の大尉小堀。小堀の実直な人柄などが、『タイ人の日本人観が変わった』と言われるほどに、好印象のドラマだったらしい。原作はタイ作家の『メナムの残照』という小説。その中で小堀が三味線を弾く場面がある?のだとか、三味線はタイで有名な楽器だ。

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まさか高野山で長唄・三味線が聞けるとは、タイ人も大喜びだった。また会場はカフェなのに、ドリンクすら誰も頼まず、全く無料で場所を提供してくれた。勿論今日は日曜日で、お客は引っ切り無しに来ており、我々に構う暇がなかった、ということかもしれないが。下のカフェのお客さんたちにも音は筒抜けだから迷惑だったのではないかと心配したが、下からも拍手が沸いていたのを見ると、皆さん聞きいっていたのかもしれない。この意外性、これからもこのカフェで時々やって欲しい。カフェのお客さんの日本人で、タイ滞在経験のある男性が突然タイ語で話し掛けてきたり、何かと話題性のあるタイ人一行のご来場であった。

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ライトアップショー

それから歩いて宿坊に戻る。戻るといっても彼女たちは簡単には歩かない。餅を売っていれば誰かが買ってみんなで分けて食べる。数珠やおりんなど仏具にも興味を持ち、何でもかんでも手に取り、気にいったものがあれば購入している。兎に角今日は観光客が多く歩いており、迷子を出さないようにと日本人が連携してかなり気を使った。僅か2㎞を歩くのに、2時間はかかっただろうか。宿坊での食事の時間に遅れそうになり、かなり慌てて宿に飛び込む。

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私は後から参加を決めたため、宿坊は満員であり、泊まる所がなかったが、結局和尚の家に泊まらせてもらうことになった。我々二人は小雨が降る中、今来た道を急いで戻り、和尚の家に。実はこの後8時から、ライトアップイベントを見に行くことになっており、時間が殆どない。しかも高野山では食事をする場所も限られており、今日はどこも満員だろう。ということで、何と忙しい中、和尚はカレーを作っておいてくれた。何とも有難い。宿坊ではタイ人がお坊さんより食事の給仕を受けて『有難い、いやあり得ない』と思っている頃、私もお坊さんから給仕を受けていたことになる。何とも有難いことだ。美味しく頂いた。

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そして急いで明王院へ戻り、皆をピックアップして、すぐ近くの大伽藍へ向かう。ちょうど1回目のショーが終了したらしく、大勢の人が暗がりの中から、溢れ出してきた。それを避けながら進むと、場内には既に2回目を待つ人々がかなりいた。正直私は高野山でライトップショー、というのがピンと来なかったが、とにかく大人気だということは分かった。

 

ショーが始まる。驚くべきことに根本大塔にレーザー光線が激しく当たる。若手僧侶がずらりと並び、その読経の声が周囲に響き渡る。そして何と大塔に曼荼羅が浮かび上がる。偉い僧侶がゆっくり歩いて来て、扉を開け、中に入っていく。これは何を表わしているのだろうか。いつの間にか太鼓の音も響いてくる。端の方で激しく太鼓を敲いている人がいた。高野山の人だろうか。僧侶と太鼓、クライマックスが訪れた。光が消えると、フーッと息を吐きたくなった。

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ショーが終わると、写真撮影が始まる。実はショーの最中は写真禁止だったのだ。タイ人たちはまずは和尚と記念撮影。それを見た日本人の観光客も和尚と一緒に写真に納まる。今やお坊さんは人気者だ。高野山でお坊さんと記念撮影、というのは悪くないのかもしれない。それにしても何ともビックリするショーだった。タイ人たちはここで完全に自覚したのではないだろうか。『日本の仏教と自分たちの仏教は全く違うものである』ということを。

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我々は和尚宅に戻る。和尚はかなり疲れていたはずであり、早々に寝ることにした。私は風呂に入ることもしなかった。よく考えてみれば、昨晩夜行バスに乗り、殆ど寝ておらず、そのままここまで来てしまったのだ。因みに私が持って来たポケットWi-Fiは、この山では使えなかった。これは早く休めという意味だと理解した。

 

タイ人と行く高野山2015(2)大阪 司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館

さてどうしようか。まずは朝ごはんを食べようと思い、南海の駅付近を歩いて探すと、モーニングセットを提供しているところがいくつかあった。そのうちの1つに南海パーラーという店があり、ちょうどお客さんが入っていったので、釣られて入っていく。なかなかいい雰囲気だが、まだ朝早く、お客は少ない。ハムエッグセット、470円を注文すると、トースト、目玉焼き、ハムサラダにコーヒーが付いていた。ただ私が思い描いていたハムエッグとはたまごとハムが一緒に焼かれているものだったので、ちょっと意外だが、新鮮感がある。更に目玉の上には醤油でもソースでもなく、ケチャップが掛かっている、なるほどこれは関西風なのか。パンの焼き具合がなかなかいい。

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ネットを繋いで、PCに触っていると、隣には台湾人の親子4人が座った。彼らはモーニングセットなど頼まず、ジュースからスタートし、思い思いの食べ物を個々に注文していた。内容が分からなかったのだろうか、いやお父さんは簡単な日本語を使っていたので、理解したうえで好きなものを頼んだのだろう。まあ楽しい旅行の朝ごはん、ホテルで食べるよりは安いだろう。トイレに行こうとすると、店内にはなく、何と駅の構内にあるトイレを使って、といわれる。これには結構驚いたが、駅員も慣れたもの、気持ちよく通してくれた。

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それから近鉄に乗る。いつか一度は行ってみたいと思っていた、司馬遼太郎記念館訪問を突然思い立つ。何と言っても私を歴史好きにしたのは、司馬遼太郎であることは間違いがない。国盗り物語を大河ドラマで見て以降、とり付かれたように司馬の歴史本を漁って読んだ。何を読んでも新鮮で、ワクワクして面白かった。近鉄奈良線の快速で河内小阪という駅で降りる。どう行けばよいのかと周囲を見ると、商店街に記念館の文字が見え、道なりに歩いていく。

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完全に大阪の民家が並ぶ場所を通って行く。司馬遼太郎は大阪のおっちゃん、という雰囲気が出ていたが、住んでいた場所の周囲を見ると何となく頷ける。駅から歩いて10分以上経った頃、、ようやく記念館の入り口が見えた。門のところには職員が立っており、『こちらです』と言われて、入っていく。ここは司馬が住んだ家、執筆していた部屋が見られ、そこからクス、シイ、クヌギなどが雑多に生えた庭を愛でた様子がよく分かる。緑に囲まれており、落ち着きがある。

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その自宅横には現在新国立競技場で何かと話題の安藤忠雄が設計したモダンなデザインの記念館が建っている。この記念館は見るよりも感じる場所だ、と書かれている。特に2万冊にも及ぶ、収集された蔵書・資料が広い空間に展示されている。勿論司馬の著書も全て展示されており、見ていると懐かしさがこみ上げてくる。ちょうど『城塞』に関する特別展が開かれており、書中の重要な文面と、その説明がなされていた。

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更には生前の司馬が登場するビデオを見ることも出来た。『自分の原点は22歳の終戦』であるとして、その上で『日本はなんて馬鹿な国になったんだ、世界も知らないし、人々も知らないという思い。それが小説を書く原点』であるとはっきり語っていた。今から20年前の映像である。既に今日の、何とも言えないバカバカしい世の中の状況がその時点で、十分に見えていた、と言えるようだ。日本はこの100年、きっと何も変わっていないのだろう。何とも残念な話だが、これが突き付けられた現実だろう。確かに何かが感じられる記念館であった。

 

ここを後にして、今度は来た道と反対へ行く。八戸ノ里(やえのさと)という名前の駅の方が近いというので、そちらへ向かったのだ。確かにそれほどかからずに、駅に着いた。道も分かりやすい。まだ少し時間があったので、早めのランチを探す。駅の所に王将があったので、入ってみた。餃子を食べればよいと思っていたが、何故か酢豚定食を注文してしまう。

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あー、何とも言えない日本の中華料理だな、と感じる。この酢豚はこれで十分にウマイ。ただある意味でこの味は日本料理というべきであろう。30年前、上海に留学した時、ホテルの食堂で食べた酢豚には野菜もパイナップルもなかったな、と急に思い出したりする。元祖焼き餃子、果たして誰が日本の元祖かは知らないが、確かに中国には無い味だ。焼き餃子は水餃子の余り物、と30年前に言われたことも蘇る。

 

それから電車に乗り、難波まで戻る。八戸ノ里の駅は各駅停車しか停まらないため、すぐに電車が来なくて、意外と時間が掛かり、ちょっと焦る。難波でも近鉄と南海の駅はかなり離れている。何とか行き付き、コインロッカーから荷物を取り出す。南海のホームへ急ぎ、橋本行きの急行を待っていると、車両は直ぐにやってきた。タイ人とA師夫妻とはここで待ち合せており、探してみると、A師はすぐに見つかった。ただタイ人一行の姿は全く見えない。A師も『この電車に間に合うかどうかは疑問』と言い、まあ放っておくことにした。

 

もうすぐ発車というタイミングでタイ人は奇跡的に電車に乗り込んできた。やはり師匠に対する敬意は持っているらしい。聞いてみると朝からずっと、黒門市場をウロウロしていたという。朝ごはんに食べた魚が美味しかったとか、欲しいものが沢山あったとか。中にはかなり値段の高い桃を平然と買って喜んでいる人もいた。『バンコックで日本のフルーツを買ったら、トンでもなく高い』のだというが、今回のご一行、かなりの購買力を持っているようだ。

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