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『インドで呼吸し、考える2011』(14)ラダック 真の教育とは

7月19日(火)
13.ラダック9日目
真の教育とは
朝起きるとちょうどP師が女子高生に話をすると言うので行って見た。12人の高校生はジュータンの上に座って、神妙な顔で話を聞いていた。心が原動力となって体を動かすといったメカニズムから、心の平和が重要であること、五感を研ぎ澄まして感じ取ることなど、時折ユーモアを交えた、大変為になる講話であった。

彼女達はWorld Challengeというイギリスベースのプログラムでやって来た学生であるから、普通の若者より意識は高いと思われる。それにしても4日間ここに泊まり込み、尼僧と生活を共にし、理解を深めると言うことは、将来必ず役に立つことだろう。日本の学生にもこのようなプログラムを活用させ、受験に役立つかどうかではなく、真に必要な物事の道理などを世界ベースで体験させるべきである。

「真の教育は」などと言うつもりはない。しかし現在の日本の教育は正直言って教育ではない。ファミレスやコンビニでマニュアル通りことを進めているのと変わりはない。学校も役所もある意味では子供をバカにしている。そして結局自分たちが何をやっているのか分からなくなっている。子供は自分で考えさせる、体験から学ばせる、世界で生きて行ける人材は決して受験勉強からは生まれない。

イギリスの教育システムはよく知らない。それでも高校生をここまで連れてきて、体験させるのは、さすがと言わざるを得ない。日本でこれをやろうとすれば「学校の責任」がまず問われ、学校側もリスクを取らず、実現できる感じはまるでない。

それにしても質問が出なかったのは、流石に内容が十分には理解できなかったのだろうか。それともシャイな一面を見せたのだろうか。それでもこの体験は将来必ずや思い出され、そして彼女らの財産となる。

Simカードとモモを求めて
レイの街に行く。目的は携帯のSimカードを買うことと、チベットの名物料理モモを体験すること。一人で街に行くのはこれが2回目だが、食事を一人で取るのは初めて。前回と同じ道を歩いて行く。2回目となると足取りも軽く、45分でレイの街に到着。

先ずはSimカードを求めて、携帯ショップへ。私は明日デリーに電話し、デリーでのスケジュールを立てなければならないので、携帯が必要なのだが、携帯ショップ2軒で聞いた所、レイで買ったカードでは、デリーに行ってからは使えないとの結論。これは意外な話で、デリーで買った携帯はインド中で使えるので、恐らくはセュリティー上の問題ではないかと勘繰る。実は後にデリーでSimカードを手に入れるのも一苦労。インドでのテロ対策は相当に厳しい。いずれにしてもカードは諦めて、LNAで借りることにした。

昼時となり、レストランを探す。イタリアンなど西洋料理屋が主流。欧米人に合わせている。私が食べたかったのは、モモというチベットを代表する餃子。ようやく見つけた1軒で注文するも、なかなか出てこない。折角なのでベジのモモを食べようとしたが、生憎ホウレンソウチーズモモしかなかったため、チーズを抜いてもらったのがいけなかった。結局出て来た物は、小籠包のようなものだが、流石にホウレンソウだけでは味気ない。失敗に終わる。

レストランのテラスに座り外を眺める。横には小川が流れていたが、一生懸命洗濯に励む男女がいた。どうやら、洗濯屋のようで、次々と洗っていく。これは結構重労働だと思う。一人若い女性が小さな子供を連れてこの作業をしていた。やけにその子が気になってしまった。

お土産と星空
午後はP師の甥が迎えに来て、僧院を離れ、田舎の一夜を過ごせるとずっと待っていたが、何故か彼は来なかった。6時過ぎに講義から戻ったP師も怪訝そうに「まだ来ないのか」と言ったきり黙る。その後は切り替えて作業を始めた。

その作業とは私の部屋の前に干されていた小型ストゥーパの置物の色塗り。P師は本当に何でも自分でやる人だ。既に夜の闇が迫り、見えにくい中、黙々とペイントしている。私はただ黙ってそれを見ていた。一体何のためにこれを作っているのだろうか。何かの資金作りだろうか。

その内、尼僧たちが数人P師を囲み、黙って作業に参加し始める。いよいよ暗くなると灯りを取り出す。「これはね、イギリス人女性高校生へのお土産」P師が呟く。そうか、お土産か。本当に心づくしのお土産である。貰った方はまさかここまで熱心に作っているとは思わないだろう。またそれを知らせるつもりは尼僧にはない。この関係、実に美しい。

突然電気が落ちた。自家発電を除き、一斉に暗闇が広がる。何となく上を見上げると、これまでに見られなかったほどの、夥しい星が空に煌めく。ラダックといえども電気があれば見える星は限られていたのだ。それが暗くなればなるほど、星の数が増す。いや、星の数は元々同じだが、人間がその数をどんどん減らしてきたのだ。

そんなことを考えていると、ふと電気が点いた。空の星は急速に消えていったが、尼僧の作業には何の変化もなく、相変わらず黙々と続いていた。




『インドで呼吸し、考える2011』(13)ラダック インドに全自動はいらない

P師妹宅で昼食
来た道を引き返す。途中道なき道を行く。地元の人がゆっくりとした足取りで歩いて行く。広大な大地を果てしない道のりを彼らは歩いて行く。壮観である。そしてまた舗装された道を行く。サンポーと言う街に入る。

ここにP師の妹さんの嫁ぎ先がある。道の脇、かなり立派な家である。門を入ると2階へ。かなり広い家のようだ。手前の応接室に通される。広い室内にはジュータンが敷かれた場所とソファーが置かれており、チベット式と洋式の折衷である。

直ぐにお茶とチベット式のパンが運ばれてきた。どうやらパンを茶に付けて食べるらしい。ところがこのお茶がバター茶でどうにも受け付けない。パンだけでも十分美味しいのでそのまま食べる。するとそれに気が付いたのか、スプライトとチャイが出て来た。申し訳ない気分。続いてアプリコットを干したものと、生の物と両方出て来た。干したものは固くて噛み切れなかったが、味は美味しい。生の方は久しぶりにフルーツを食べたので、思わず3つも食べてしまう。

ラモはどこかへ行ってしまう。すると代わりにおじさんが入ってきて、ベジカレーを置く。この豆腐カレーは絶品であった。かなりの量があったが、黙々と食べる。やはり刺激が食欲を生む。おじさんはもっと食べるかと聞くが、腹一杯であった。ここに来てから腹一杯食べることなどなかったので、自分でも少し驚く。

このおじさん、P師妹のご主人の兄弟とのこと。聞けば何とバラナシにある日本寺院、法輪寺で働いているらしい。法輪寺はシャンティ・ストゥーパの妙法寺と同系列だとか。バラナシは日本ではベナレスと呼んでいる所。デリーから汽車で半日以上掛かる。何故そんな遠い所へ行ったのか、おじさん曰く、「子供の頃両親に送られた」。事情はあるのだろうが、それは凄い。法輪寺には日本人僧侶が1名常駐しているそうだ。今度機会があれば行って見たい。

えらくご馳走になってしまったが、何もお礼が出来ない。家族写真を撮ることに。P師妹、その息子、おじさん、そしてそのお母さんにラモを加えて撮った。今度写真を送ろう。

アルチへ
アルチに向かう。中学生の息子も夏休みということで、付いてきた。因みにP師妹は高校の教師と言うことで、夏休み中で在宅していたらしい。サンポーからアルチはそれほど遠くなかった。アルチの村に近づくと、小麦が収穫されており、何だかひどく懐かしい田園風景がそこに出現した。

この村はとても小さく、アルチ寺院周辺は狭い道しか通っていない。ところが西洋人を中心に大量の観光客が押し寄せており、車を停めるのすら難儀な状態である。ラモは我々に先に行くように命じ、駐車スペースを探す。中学生の先導で寺院を目指したが、更に狭い道を通って出た所は農家だった。彼もきっと何年も来ていなかったのだろう。頭を搔いて謝る姿が可愛らしい。

ようやく寺院に辿りつくと、ランチタイムの表示。1-2時は閉まっていた。ラモを探すと一番突き当りで我々を待っていたが、どうにも仕方がない。この付近は、これまでの寺院とかなり異なる。先ず規模が小さい。佇まいが古めかしい。これは観光客に好まれそうな雰囲気を持っている。

暇を持て余して座っていると、中学生がアプリコット(私にはプラムに思える)を木からもぎ、くれる。口に入れるとかなり酸っぱい。彼の家で食べたものとは大違いだ。その間にも続々と観光客が集まってきて、2時にはかなりの人数になる。

ラモは混雑するメインを避け、横にある3つの堂からは入ろうとするが、どうやらチケットを買わなければならず、メインに戻って行った。因みに尼僧はどこでも無料のようだ。中学生が先頭で入る。彼はきちんとした礼拝を行っており、流石と思わせる。信心が無ければ、付いては来ないだろう。

このお堂に入って、私は目を見張った。これまでいくつかの寺院へ行き、堂内の壁画を見てきたが、そこには全く異なる壁画が存在した。かなり暗いせいもあるだろうが、相当古いと言うこともあるだろう。そこには渋い曼荼羅が四方にくっきりと描かれていた。これは驚きである。日本のどこかで見たような既視感があったが、分からない。後でP師と話すと比叡山ではないかと言う。彼女も同じ感想を持っていた。

その後も2つの小さな堂に入り、最後にメインを見た。2つの堂の壁画は損傷がかなりあり、保護が必要に思えた。メインの堂は三層になっており、三体の大きな仏像が納められていた。いずれも写真は禁止となっており、自らの頭に刻むしかない。皆がなぜアルチに行け、と言っていたかは、十分に理解できた。

そういえば参観中にも雨が降ってきた。少しずつとはいえ、毎日雨が降るのはよいことだと思ったが、実は異常気象ではないかとの話もあった。昨日虹が出たのも、吉祥とも言えるが、昨年の洪水の再来を恐れる向きもある。自然とは難しいものだ。

P師の話の中にも、「世界中で人間が自然を破壊している。これは恐ろしいことだ。もっと自然と触れ合っていかなければいけない。」とあったが、全くその通りではないか。経済優先、便利さ優先はこの辺りで一先ず考え直さねばならない。

雨が上がると、空は真っ青になった。この景色は24年前にチベットのラサで見たあの青さだ。晴れやかな思いで、アルチを後にする。しかし駐車スペースは更にギューギューになっており、ラモは車を出すことが出来ない。最後は地元の若者が慣れた運転で窮地を脱してくれた。

サンポーで中学生を降ろし、そのまま岐路に着く。石ころだらけの高原や、道路工事の人々、そして相変わらず素晴らしい風景に目を奪われながら、車は進む。ラモは言う「最近ラダックには車が多過ぎる。昔に比べたら景色も損なわれている」と。ガソリン価格は日本より高いらしい。それでも急速に車社会になっていく。と言っても、高原の道に車が全く見えない風景を見ると、先ずは先進国が状況を改善すべきだとつくづく思う。今日の旅はこれまでの最長、8時間を超えて終了した。

インドに全自動はない
かなり疲れた気分だが、一方体が興奮しているのか、何か体を動かしたい気分。と言ってもすることはないので、外で読書。すると向こうの端で一番小さい2人が洗濯機を動かしていた。私も貸してもらうことに。しかしこのサムソン製の洗濯機、今では日本ではお目に掛かれない二層式。どうやって動かすのかすらよく分からない。

子供たちに聞きながら、やってみる。先ずは水を汲んでくる。これだって結構重い。その水を洗濯機に入れ、洗い物と洗剤を入れる。15分の表示の所に回した。しかし15分では不十分のようで、また10分追加した。盥を持ってきて洗濯物を取り出し、隣の脱水に入れる。はずであったが、何とここで停電。仕方なく、洗濯物を自らの手で絞る。まだ終わりではない。洗った水を抜く。その際、ホースを水受けに突っ込み、全て抜き取ったら、その汚水を外に撒きに行く。これも結構重い。最後にもう一度少し水をくみ、洗濯機をきれいに掃除する。

今の我々の全自動では考えられない作業だ。しかもこの電気洗濯機を使っているのは小さい子だけ。大きくなれば、皆手で洗っている。我々はこういった作業を体験し、電気の有難味を感じる必要があるかもしれない。

後日来日中のインド人と電気屋さんに行った際、洗濯機の話をした。「インドには全自動なんて考え方はない。どこまで機械にやらせて、どこから自分でやるかを考える」と聞き、なるほどと思った。我々は機械を使いこなしているようで実は振り回されている。

因みに日本では流行っている「ドラム式洗濯機」を見たインド人は「これはインドでは流行らない。何故なら停電になった時に洗濯物取り出すと洗濯水も一緒にこぼれ出るから」という。確かに本日も途中で停電になった。我々は自ら考えなければならない。




『インドで呼吸し、考える2011』(12)ラダック 行動には基準が必要

P師の故郷マトへ
昼食後直ぐにラモから声が掛かり、彼女が運転するオフィスの車でマトヘ向かう。マトはP師の故郷と聞いており、楽しみだった。途中までティクセに向かう道を通り、そこから山に向かって一直線に行く。更に山と平行な道があり、そこへ。その時向こうから馬の隊列がやって来た。あまりの美しい光景に思わず車を止め、写真を撮る。そこからは四方、どこを見ても素晴らしい景色が続く。雪を頂く山々と雲。

ラダックで車を運転するのはなかなか難儀だ。道が全て平らであれば問題ないが、所々でこぼこの上、対向車が来れば路肩へはみ出す。ラモは相当慣れているようで、スイスイとこなしていく。ほぼティクセと平行ぐらいの場所で、また山に向かう。少し行くと、小川が流れている。そしてマスタードの黄色い花が咲き乱れている。荒涼とした大地で見る花、何だかここだけラダックではないかのようだ。

かなりの坂を車は上る。これは歩いては大変である。その上に寺院は建っていた。そこからの見晴らしは絶景であり、また驚くのは村がそこだけ緑と黄色で鮮やかに見えていること。まるで絵でも描いたかのようだ。

マト寺院は晴天の中、静まり返っていた。誰一人観光客はない。地元民もいない。ただ新しい仏像を安置する場所で作業している人がいるのみ。どうなっているのか。ようやく寝ていた寺男を見付けて、案内を頼む。ここはチケットではなく、ドネーションで領収書を切る。

マト寺院はこの辺り唯一のサイケヤ系寺院。15世紀初頭に王家より土地の寄進を受け創設。16世紀にイスラムの侵攻を受け、寺院は破壊され、王も捕虜となるがその後解放され、再建。僧侶はチベットで伝統と仏典を学び、伝統的チベット仏教が色濃く残る。マトナグランと言う祭りが有名。本堂3階部分にあるゴンカンで僧2人がトランス状態になり、神託が与えられる。3階は女人禁制であるが、ラムは尼僧であり、入室を許された。非常に小さく薄暗い部屋である。

この寺院は2階に小部屋がいくつかあり、同じ形の仏像が21体ある所や、経典が納められている部屋、博物館などがある。また1階端には、かなり新しい仏像が安置されており、色鮮やかである。因みに寺が極めて静かだったのは全ての僧侶がヌブラと言う場所へ出かけて留守だったことが分かる。

それにしてもここからの眺めは実によい。先日のティクセもシェイも一望できる。下を見れば緑が鮮やか。下から寺院を眺めると実に立派。そしてP師の実家の横を通ると、畑があり、ゆったりとした造り。新しいものと古いものの2つが見える。P師のような人物を育むにはこのような環境が大切であるかと思う。

行動には基準が必要
続いて、ストックの博物館へ。先程来た道を戻り、途中でまた山へ向かう。山へ向かい始めてすぐに、高校がある、尼僧院内の5人がここに通っているとのこと。正直毎日ここまでバスで通学するのは大変だと思われるが、これも修行なのだろうか。

ここにはラダック王家が居住しているとのことだが、ある人曰く、現在の王は基本的にデリー滞在。またある人は「奥さんは出身地のヌブラで暮らしている」などよく分からない。ただ王が何となく西洋的であることは、飾られている写真の中にある坂本龍一と肩を組んだツーショットを見れば分かる。

入館料は50rp。徴収しているのは若い娘で、顔だちもよく、服装も可愛らしい。ちょっとしたコンパニオンと言った感じ。但し、その分おしゃべりに夢中だったりして、仕事熱心とは思えない。勿論宗教とは関係ないので信心を持つ必要もないので、仕方がないのかもしれない。展示物で目を引いたのは中国製の茶碗ぐらいか。

ここも眺めはよい。帰り道でも写真を撮る。この辺りは田舎でバスもあまりないようで、皆ヒッチハイクで本道まで出るようだ。ヒッチハイクの合図があっても、ラモはあまり止まらない。それは尼僧であるからであろうか。するとちょうどおじいさんが一人、合図を出した。彼女は直ぐに停まった。何となく基準が分かる。どうしてもこちらが手を差し伸べる必要がある年齢、また障害があれば応じると言うことだろう。

ある程度の柔軟性はあるものの、ある意味で尼僧の基準ははっきりしている。ダメなものはダメ、助けるべきは助ける。それはラダック滞在中、何度も感じ、実際に見た光景からわかる。今の日本にはしっかりした基準がなく、皆が人の顔色を見ながら、おどおどとして暮らしているように見える。

6時頃戻り、お茶を貰いに行くと、何とレモンティが出た。これも高校生効果か。しかしレモンティはアメリカ人でミルクティはイギリス人ではないか。そんなことはどうでもよい。砂糖が入ったレモンティを飲むのは実に久しぶり。とても美味しい。

7月18日(月)
12.ラダック8日目
洪水で破壊された道をリキールへ

翌朝も女子高生と朝食。トーストと卵の白身焼き(卵の黄身は使用しない)。高校生たち、若干のカルチャーショックでよく眠れなかったようであり、中には一口も口に入れず、ただ壁にもたれている子もいた。それはある意味で正常な感覚のような気がした。

食後直ぐにラモの運転でリキール及びアルチへ向かう。今日は今回最長の長旅である。馴染んだスピトク寺院の横を通ると、2人の年配の女性がヒッチハイクで乗ってきた。一路南西に向かう。5㎞も行くと周囲に何もなく、車も全く通らない景色となる。牛がゆっくり歩いてきたりする。実にゆったりした風景。

道は平らであったが、途中かなりの悪路に出会った。どうしてこんなにデコボコになったのか、と思っていると、昨年洪水で道自体が壊されてしまっていたのだ。これは凄まじい。言われてみれば、周囲に建設中の家も多い。皆流された家を再建しているのだ。道路工事も盛んに行われているが、何しろ人海戦術、スピードに限界がある。昨年流された家を今年再建している。それまで住人はどうしていたんだろうか。日本の大震災の情景が重なり、複雑な気分となる。

レイから約60㎞、1時間半でリキールへ到着。なかなか趣のあるゴンパである。横には大きな大仏が座っている。観光客は西洋人とインド人が沢山いたが、アジア系は全く見掛けない。ここの壁画は比較的新しいが、なかなか良い。また入口付近に描かれた壁画にチベット語で何か文字が書かれている珍しい物も見られた。

この寺院は周囲に何もない小高い所に建っており、本当に周囲が良く見渡せる。天気はまさに快晴、暑くもなく本当に気持ちが良い。横の大仏も比較的新しい。見る角度によれば、空中に浮いているようにも見え、遮るものが無い大仏には迫力が感じられた。エアーブッダ。この情景を見ていると、昨年洪水で被害にあった方々も何となく救われるような気になる。人には目を上げて拝む対象が必要ではないだろうか。

寺院を後にするとラモが「バナナ食べる」とバックから取り出す。このバナナ、一体どこから来るのだろうか。小さいが熟していて美味しい。皮はどこへ捨てるのかと聞くと大きなジェスチャーで、外へ放り投げる。私は車からおり、眼下の川めがけて、思いっきり皮を投げる(ペットボトルなどは絶対に投げない)。確かに自然に帰るのだから問題はない。因みにバナナは一本5rp程度らしい。