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シェムリアップで考える2011(1)バンコック 不法入国者が貴重な戦力に

《シェムリアップ散歩2011》  2011年12月16日-23日

12月16日(金)   1. 出発まで

今年の1月末に初めてカンボジアのシェムリアップに行った。アンコールワットを訪ね、その壮大さに圧倒されたが、その中身、内容に関しては残念ながらチンプンカンプン。何となく釈然としない中、ヨーガのA師より「インド哲学、などインドの観点からアンコールワットを解説するツアー」のお知らせが届き、俄然盛り上がる。

10月末にバンコックで予定されていたA師のヨーガ合宿は洪水の影響をもろに受け、開催3日前に中止となる。アンコールツアーは12月であるし、場所もカンボジアだから問題なく開催されると思っていると、不幸は続くもので、このツアーも延期となる。理由は洪水関連の影響で、参加者が減ってしまったため。

10月末も、11月初めも、バンコックの空港には水はなかった。11月中旬には市内中心部に3泊も泊まったが、やはり洪水はどこにも見られなかった。確かに銀行の前に土嚢が積まれ、警戒態勢はあったが。観光客も減ってはいたが、普通に街を闊歩し、ショッピングを楽しんでいた。「私のバンコック」には洪水はなかったのに、何故。それは運命なので、言っても仕方がないことである。

しかし飛行機のチケットは既に発券されている。どうするべきか。前回のバンコック行きは急遽ベトナムに変更した。今回は行先変更の必要はないのだから、ただ行くべし。それが定められた道なのだ。

出発前日は事務所の忘年会。わざわざ2か月前に設定されており、出席必須。しかし前回のバンコックでの大寝坊(離陸1時間半前に起床)に懲りて、今回は早く寝たかったが、忘年会を早めに切り上げても午前様。睡眠時間は極めて短く、朦朧として起きる。12月の東京は寒い。しかしバンコックの気温は20度は越えている。服装は止む無く重ね着となる。

都営浅草線の成田空港行きは、特急とは名ばかりで途中の駅でよく時間調整する。電車で寝過ごすのは癪だと思い、頑張ったが、途中で夢の中へ。気が付くと成田空港に着いていた。辛うじて降りる。

日本人だけが戻ってこないバンコック

11月中旬にバンコックで東京往復のチケットを買ったが、何とユナイテッドよりANAの方が安いという珍事が起きていた。これは明らかに洪水の影響。欧米人もアジア人もその時点でバンコック行きは安全と判断していたが、日本人だけは渡航者が激減していた。今回のバンコック行きでも、1か月前ほどではないが、やはり洪水の影響でかなり空席が目立つ。相変わらず日本人の渡航は少ない。他国の観光客はかなり戻ったと聞いたが。

日本人CAがやけに親切になった気がする。個人差なのか、乗客が少なく対応するゆとりがあるからなのか。機内食は明らかに変わった。デザートにあんみつとは、エコノミークラスでは初めて。聞けば、中距離路線のメニュー改造に取り組んだとのこと。LCCの設立で差別化の必要性が高まっている。

CAから感想を聞かれる。本当は言いたいことは山ほどあった。「朝の飲み物には暖かい物をまず用意せよ」など。が、贅沢は敵。現状に満足すべきだろう。出される物を静かに味わう。特に中国系などと比べれば、サービスの丁寧さなどは遥かに良いのだから。降りるときにカメラを座席に忘れる。しかし一度降りてしまうと機内に戻れないというルールがあるらしい。CAに事情を話し直ぐに探してもらい、無事見付かる。

イミグレは洪水の影響など全く感じられないほど混んでいたが、それほど気にならない。後ろの日本人のおじちゃんは相当イライラしており、その振動が私にも響く。昔の自分を思い出し、ちょっと恥じる。日本人だけが洪水の風評と戦っている感じがした。

空港タクシーとホテル

今回の宿は前回同様Rマンション。市内へ行く方法を知らないので、空港タクシーを利用。運転手は最初から道を遠回り。ただ私にはこの空港の複雑な道を理解することは出来ず、おまけにタイ語も出来ないので、なすがまま。途中渋滞にも嵌り、1時間掛かる。おまけにタクシー代は400bを越え、これまで最高金額に。何だか癪ではあるが、あまり怒る気になれない。

この1-2か月、洪水の影響で空港タクシーもかなり商売を減らしたことだろう。今日でもタクシーにはすぐに乗れる。客は完全に戻って来てはいない。そして電車など、新しい手段も出来、益々厳しさを増している。

Rマンションは特に変わりなく、そこに建っていた。タイ人にとっては少し肌寒い12月の気候、でも私には本当に暖かく感じられる。この宿は1か月前より確実に混んでいた。外国人観光客は戻って来ていた。

ここのファシリティーには特に不満はないが、インターネットカードを買わないといけないのが問題だ。1日100b、結構高い。部屋は古いが広さはある。流しも付いているので、調理は出来ないが、カップ麺ぐらいは食える。NHKの衛星放送も入るので、十分便利だ。

不法入国が貴重な戦力に

バーンタオ氏が車で迎えに来てくれた。夕飯を食べようと向かった先は、何とスクンビットのソイにある餃子屋さん。何でと思ったが、レストランの外見だけを見ても面白い。漢字は『山東餃子』だが、英語は『北京レストラン』。如何にも中国人のイメージする山東の餃子とあまり中国を知らない欧米人には分かり易い北京を付けたようだ。

中に入ると驚く。バンコック中心部とは思えない中国的な雰囲気。まだ時間は早いが、既に如何にも中国大陸から来た客がテーブルでビールを飲んでいる。バーンタオ氏もタイ語でビールを注文するが何となく反応が悪い。ウエートレスの会話を聞いていると何と北京語だった。更にはマネージャーらしい女性も北京語だった。

メニューには全て写真が付いている。これで分かる。ウエートレスはタイ語が苦手なのだが、誰でも注文できるようになっている。これだとタイ語が出来ない日本人でも気軽に注文できる。奥のテーブルにはどうみても大陸中国人が座っている。一人は中国の銀行の袋を持っていた。どうやら接待らしい。ここはタイなのだろうか。その後彼らは個室に移動し、何と白酒でガンガン乾杯を始める。もうこうなるとチャイナワールドだ。

ウエートレスに北京語で何人か尋ねると『ミャンマー人』との答え。そうか、彼女達の祖先は国民党、国共内戦でミャンマーに逃れた中国人だったのだ。私が北京語を使うと何となく嬉しそう。給料は1か月6000b、相当低いがそれでも職があればよいという。後で聞けばタイは不法入国してもある時期に申請すれば政府がビザを発給することがあるという。これは日本では考えられないが実は合理的なシステム。不法だが、一定期間低賃金でキチン働いた者はタイにとって必要な人材と認められるのだ。タイ人はこのような安い労働力を使い、『働かない文化』を享受しているように見える。

料理は中国大陸の味がした。コックも大陸から来たのだろう。この店のオーナーも大陸人。所謂ヤワラーの華僑と対比すれば新華僑の活動はどんどん活発になっている。この日の注文はすべて私がした。バンコックにも私が生きる余地があるように思えた。

因みにこのレストランがあるビルには中国系、韓国系の会社が数社入っている。食事の後、ビルの駐車場に停めてあるバーンタオ氏の車に向かうと、タイ人の警備のおじさんまでが『謝謝』と言っていた。バンコック在住20年のバーンタオ氏も目を丸くして驚いていた。

12月17日(土)   朝から読書会

前夜中華料理屋でバーンタオ氏と話していると、『明日、読書会に出ないか』と言われる。北京で読書会を立ち上げていた私は何となく惹かれてしまい、行くことにした。『じゃ、明日5時起きで』と言われ、え。

この読書会、海外に居住し起業している人々の集まりである和僑会の分科会。タイの和僑会は歴史的には新しいが何だかやる気が感じられる催し。それにしても土曜日の朝、午前6時半から行うというのは凄い。朝活というやつだ。

6時前にバーンタオ氏が迎えに来てくれる。今日は昼の便でシェムリアップに行くので、チェックアウトして、荷物を積み込む。まさかシェムリアップに行くのにこんなに早起きするとは想定外。

会場は和僑会幹事Oさんのオフィス。到着すると既にスーツを着たOさんが会場を準備していた。彼には土曜日もないのだろう。既に戦闘モードだ。バラバラとメンバーが6-7人集まって来て、始まる。メンバーが今月読んできた本を差し出し、感想などを述べる。そしてその本を場に出し、借りたい人が借りていくシステム。本を共有すること、知識の増加に役立てること、なかなか面白いルールだ。読んでいる本は経営系の本や自己啓発系、最近の流行を追うものなど。中には仏教など宗教や物の考え方を示す物などもあり、日々業務に格闘している人々の苦悩の一端を垣間見る。

メンバーは30-40代の起業家ばかり。自らの仕事は相当忙しいと思われるが、皆自己啓発意欲が高く、ビックリ。我々がサラリーマンだった頃は自己啓発を怠っていたな、とつくづく感じる。中には『仕事が忙しくて本が読めなかった』と恥ずかしそうに告白するメンバーもいて、実に新鮮だった。刺激し合うことは大切だ。

8時半に2時間の読書会は終了、各人思い思いに本を抱えて去っていく。私はバーンタオ氏の車で空港に送ってもらう。何となく名残惜しい。






何となくプノンペン2014(7)プロジェクト反省会で次回に期待

反省会で

それからドリームガールズプロジェクトメンバーの食事会に参加した。日本食レストランからTさん、Kさんに連れてきてもらった。こちらも高級カンボジアレストラン。如何にも外国人が来るようで、雰囲気が良い。ただ既に結構日本食を食べてしまい、それほど食が進まず残念だった。

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この食事会には、他に先ほどプレゼンテーターを務めた胡椒を商うKさん、バッタンバンで地雷除去を行っているTさんも参加。Kさん、Tさん共に在カンボジア10数年、過去から現在までのカンボジアの話題で大いに盛り上がる。

 

Tさんは地雷除去後の土地にキャッサバを植えており、それを使ったキャッサバ焼酎を作っている。数年前にシェムリアップに行った時、ある人に頼まれてこの焼酎を土産に買ったことを思い出した。その時はえらい人がいるものだな、と思ったが、その人が目の前に現れた。これも旅の醍醐味であろう。久しぶりにキャッサバ焼酎を頂く。

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この会は単なる食事会だと思っていたのだが、代表の温井さんは各人に今日のイベントに対する意見を求め、参加者もかなり厳しいコメントを述べるなど、このプロジェクトに賭ける真剣度合いが見て取れた。来年は更なる発展が期待できることだろう。

 

そしてイオンモールにこのプロジェクトから商品化された商品を置く店を出店することについても、参加者から色々とアドバイスが出た。まさに先達は欲しいものである。因みに店長は若干25歳の可愛らしい日本人女性。お父さんが心配して仕方がないとの話が出るほど、か細い印象だが、しっかりと前向きに頑張っている。これからはこのような女性たちがアジアで活躍していくことだろう。

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帰りはホテルの場所も良く分からないのでKさんにトゥクトゥクで送ってもらった。夜のプノンペンはまだまだ明るい所ばかりではない。それでも何かしら可能性を感じさせる街ではある。

 

3月16日(日)

バンコックへ帰る

今日はプノンペン最後の日。本当ならば活発に活動すべきところながら、今日バンコックに戻って、明日の朝から台北へ行くので、色々と雑事があり、ホテルに籠る。このホテルの部屋が快適だったので、作業は余程捗った。朝食が付いていたので、ホテル内で食べる。豪華ではないが、十分な食事を食べて満足する。これが屋上で食べられるともっと良かったのにとは思うが、それは贅沢か。屋上の眺めは本当に良い。

 

空港へ行くタクシーをホテルで拾ってもらって行く。フロントのお姐さんは最後まで愛想がよかった。一人だけではなく、皆一様に笑顔であることからやはり何らかの教育の成果かと思う。きっと海外帰りのカンボジア人か外国人がオーナーであろう。いずれにしても興味深いホテルだった。3日前に空港から来た時のタクシー料金から考えて9ドルぐらいかなと思っていたが、特に渋滞もなく20分で着いたにもかかわらず、12ドルを要求してきたので、黙って10ドルを渡して降りる。運転手は何か言っていたが無視した。この辺はまだまだ途上国だ。

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空港でのチェックイン手続きはスムーズで、特に問題はなかった。フライトも順調でプノンペンの感慨に耽る暇もなく、あっという間にバンコックに戻った。バンコックでは初めてタクシーを使わずに、ミニバスで戻ってみた。時間はちょっとかかるが、わずか30バーツで宿泊先に着いた。すぐに洗濯物を取り出し洗濯し、荷物を詰め直す。また明日から私の旅は続く。

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何となくプノンペン2014(6)ドリームガールズプロジェクトを見学する

3.ドリームガールズ

プロジェクトイベントを見学

そして今回の目玉、ドリームガールズプロジェクトへ。会場は老舗ホテル、サンウエー。セントラルマーケットから歩くと10分ぐらい北にあった。ホテルの前まで来るとお知り合いでこのプロジェクトを紹介してくれたKさんと出会う。

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ドリームガールズプロジェクト(http://www.dreamgirlsproject.com/)とは何か。『カンボジアをはじめ、アジア途上国の女性が自分のやりたい職業で自己実現ができるチャンスを創り、成功していく女性をプロデュースするプロジェクト』であり、現在カンボジアではデザインコンテストを開催、デザインを募集し、優秀な作品を商品化、そのロイヤリティーの一部をデザインを描いた女性に還元するというもの。

 

今回はその第4回コンテスト(年1回)の結果発表会に参加するためやってきた。ちょっと早めに着いたと思ったが、既に会場フロアーには100人以上のカンボジア女性が開始を待っていた。その熱気たるや凄い。10代から20代の女性達、そしてその母親などの姿が見られる。既にこのプロジェクトはカンボジアでは相当に認知されている。

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会場に入るとプロジェクト代表の温井さんをはじめ、日本人スタッフとカンボジア人が一生懸命準備していた。温井さんとは昨年11月にバンコックでお会いし、色々と話を聞いていたが、『とてもできると思えないプロジェクトを無謀にも出来ると思い込みやっていく』、その馬力は敬服に値する。

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コンテストが始まると、優秀作品に選ばれたデザインが次々と映し出される。その質は思っていたよりはるかに高い。温井さんは『アンコールワットに行って見た模様から、クメール人にはデザインの才能があると直感した』という。それは事実だったのだろう。勿論かなり初歩的な作品もあったが、デザインというものを理解した人々は、急速に向上してくるらしい。今回は4回目だが、1回目とは全然違う進歩がある。

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そして各賞が発表されるたびに、歓声が響き渡る。受賞者は誇らしげに、また恥ずかしげに賞を受け取る。みんな相当に若い。この各賞はカンボジアに関連した日本人、企業を中心に協賛されており、このスポンサーなしでは成り立たない。プレゼンテーターは各協賛者である。カンボジアではボランティアを行う日本人は多いが、就業機会を与える、お金になる才能を伸ばす活動をしているところはどれほどあるだろうか。

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最優秀作品が発表される頃には、私も彼女たちのデザインに魅了されていた。受賞者の中には涙を流して喜んでいる者もいた。各作品を簡単に紹介する彼女たちは実に誇らしげだった。何だか熱い、会場の熱気だけではない、何らかの思いが感じられた。最初参加者はプノンペンだけだったが、今回はシェムリアップとバッタンバンでも予選を行い、受賞者がここへ来ていた。プノンペンは既にそれなりの都会となっており、地方から来た人たちは一際素朴に見えた。会が終了しても、皆思い思いに話し込み、なかなかお開きにならない。それぞれの思いが交錯していた。

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『デザイナーになるのが夢』などカンボジア女性たちが具体的な目標を持ち始め、その夢を実現できる舞台を整えているところにこのプロジェクトの意義がある。またその基礎として『日本が好き』『日本語の勉強をしている』人々も多く、日本とカンボジア、を考える上でも有意義。

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日本食レストランで

この会に協賛社として参加していたTさんに誘われて、Kさんと一緒に、彼の店へ行く。まだソフトオープンだという日本食レストランはバンケンコンの一等地にある一軒家。かなり立派なロケーションにあった。

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夕方のやや涼しい風が吹く前庭でビールを頂く。これは実にいい気分だった。Tさんは中国でのコンサル業経験もあり、ここ1₋2年はプノンペンのこの店の開業に尽力しているが、その他にもウラジオストックなどへ行くこともあるらしい。私も2月に中ロ国境に入ったので、その話題で盛り上がる。カンボジアでロシアの話が出るとは。こういうのはグローバルというのだろうか。

 

先ほどドリームガールズに参加していたカンボジア女性3人がやってきた。この店もこれから開業だが、もう1つ、6月開業予定のイオンモールへカレー屋を出店するとかで、そのバイトとして声を掛けたのだ。彼女らは日本語学校に通っており、日本への関心は高い。一緒に食事をすることに。

 

実はTさん、彼女らにこの店の料理を食べさせて、カンボジア人の味覚調査を始めていた。ところが・・、彼女らと言葉が通じない。簡単な日本語を話すと言っても、微妙な表現は難しい。ただ『美味しい』と言われても意味はない。3人のうちの一人はかなり普通話が出来たので、いつの間にか私が通訳になってしまった。カンボジアで普通話の通訳、これもまた面白い。

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昨晩食べに行った日本食屋、時代屋。現在プノンペンのカンボジア人に一番有名な店はやはりあそこだった。そして味の基準も時代屋。焼き鳥、お好み焼き、鍋料理、何を食べても時代屋と比べて、薄いとか甘いとか、そのような評価になる。この店の調理人は日本人、微妙な日本の味を分かってもらいたいが、そこまでは難しいようだ。ソースをかける、マヨネーズをかける、そのようなことで、味を調整して食べて貰うしかない。

 

時代屋はその普通のカンボジア人の好みの味を出しているということだ。だがカンボジアの金持や日本人はそれでは物足りないだろう。高級店を目指すこのお店、果たしてどのような路線に行くのだろうか。

 

何となくプノンペン2014(5)サービスの良いホテル

3月15日(土)

愛想のいいホテルに移る

既にコニーバーもサムライカレーも見てしまったので、今朝はホテルを移ろうと思った。と言ってもどこへ行ったらよいのか分からない。ネットで適当に検索してみたら、コメントに『フロントの女性がとても親切』というのが見えたので、そこへ予約しないで行ってみることに。

 

ラブホで会計すると2泊で50ドルのはずが40ドルだった。何とラブホなので1泊計算ではなく、時間計算だったらしい。これは合理的で有難い。タクシーを呼んでもらう。プノンペンでは流しのタクシーはあまりない、危ない?とかで、タクシーは呼ぶものと誰かに教わった。

 

タクシーは北上したが、肝心のホテルに行きつかない。『場所が分からない』という運転手。住所もあるのに何で?実はこのホテルオープンしたばかりで前は別の名前だったらしい。それでも何とかたどり着く。プノンペンは道路標示が数字で出ているのだが、それでも意外と探すのが難しい。

 

フロントに行くと、すらっとしたカンボジア女性に本当に良い笑顔で迎えられた。英語も上手い。料金を聞くと80ドルと言われるが、ちょっとまけてというと半額の40ドルになった。オープン記念のようだ。これでネットとほぼ同じ料金。それにしてもコメント通り、実に愛想がよい。ボーイも実に親切に案内してくれる。どのように教育したのだろうか。サービス概念が少し遅れていると思っていたプノンペン、やり方次第だろうか。

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部屋もきれいで、ベッドもフカフカ。とても気持ちの良い環境にいる。思わずベッドに横になり、まどろむ。たまにはこういう気分になるのもよい。軽くエアコンを掛けると本当に快適。このホテル、屋上にプールとレストランがあり、プノンペンが一望できる眺めもあって驚き。ここでダラダラしているのも悪くはない。

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ホテルを北へ歩いて行くと、セントラルマーケットがある。1997年に初めて来た時は薄暗い市場だったが、今やきれいに改修され、こぎれいな観光客向け?市場となっている。貴金属を売る店が多いのは、単価の高い物でないと家賃が払えないのかもしれない。この辺はどんどん変わっている。

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ランチを取る。市場の横のローカルカフェ。値段も安いし、雰囲気は悪くない。英語は片言だが、メニューには写真があり、欧米人も沢山食べている。テーブルの上には無料のお茶が置かれているのもよい。外は蒸し暑いのでここでまたダラダラ過ごす。

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この周辺は昔のプノンペンの雰囲気をかなり残しており、懐かしい感じがする。だが中には中国工商銀行の看板なども見え、中国大陸からの影響も垣間見える。3年前と比べると韓国の勢いは見えにくくなり、中国勢はひたひたと入り込んでいる様子が何となく不気味。

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何となくプノンペン2014(4)カンボジアを目指す若者たち

王宮など

午後は時間があったので、プノンペンを散策した。メコン川沿いに王宮を目指す。3月のプノンペンの日差しは強い。こんな時期に歩いている人間は少ない。汗がどんどん出る。歩みが自然とゆっくりとなる。それでも前に進む。何をやっているんだろう、などとは思わない。

 

メコン川は風が強いのが救いだ。王宮前の広場には日本、韓国、北朝鮮の国旗が仲良く並んでいた。こんな光景、日本では絶対にないだろうな。それにしても河沿いは気持ちが良いほど、広々としている。

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王宮の入り口が分からず迷う。先ずは昔も行ったことがある博物館を見学した。見学というより休憩だったかもしれない。確かに疲れを覚えていた。中庭が広く、廊下沿いには仏像などが展示されている。そこは風が良く通り、しばし休む。観光客は中国人と韓国人が多い。王宮はよく整備されていてきれいだが、あまり見どころはない。横には仏塔などがあり、ちょっと眺めていたら、のどが渇いた。飲み物を売る人がいたので近づくと何と中国語で話し掛けられ、ビックリ。そのくらい中国人が多いということか。

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王宮を出るとすぐにブルーハウスというカフェが見えた。とまこさんがここのドーナッツが美味しいとメールしてきていたので、入ってみる。とても静かで涼しくてよい。まるでオアシス。小型のドーナッツも美味しく、WIFIも繋がり、気分よく休息。

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それから河沿いのカジノホテルを見学。17年前に初めて来た時は船上カジノを見たが、今はちゃんとホテル内にカジノがある。そこだけがマカオのようになっているが、平日の昼間のせいかお客はあまりいなかった。中国人観光客などがここに出入りしていそうだが、どれほどのお金を落とすのだろうか?

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6月末オープン予定のイオンモールの現場にも行ってみる。だが3か月後のオープンにしてはまだ外壁もちゃんとできていない。これでオープンできるのかちょっと心配。でもカンボジアのこと、何事もスローペースで何とかなるのだろう。カンボジアを生産基地ではなく、消費地として考える、これは間違った選択ではないと思うのだが、果たしてどうだろうか?

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時代屋

歩き過ぎてかなり疲れる。一端ラブホに戻り休息。あまりの熱さの中、3時間も歩いたので、疲労がたまる。熱いシャワーを浴び、エアコンを全開にして、体を冷やす。気持ちは良いが、だれる。

 

2時間以上休んでいると疲れてはいるが腹は減る。昨晩中華レストランが近くにあると聞いたので出掛けてみたが、場所が分からない。もう歩くのは嫌だな、どうしようかと思っていると、『時代屋』という看板が見える。日本飯屋だ。思わず入ってみる。

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店は広かったが、お客は少なかった。日本人従業員がおり、日本的な雰囲気が漂う。どてカツ丼というメニューが目に入り、頼んでみる。なかなかイケル。これは名古屋辺りの食べ物か。ビールを飲んでこれを食べて5ドル。まあまあか。

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お客にはカンボジア人もおり、ビールを飲みながら焼き鳥を頬張っている。カンボジアには貧しい人もいるがかなり裕福な層も結構いることは前回学んだ。彼らがこのような店を支えていくのだろうか。そういえばこのお店、昼間歩いたどこかにもあったような気がする。あとで調べてみると確かにここは2号店。プノンペンでは有名な日本食レストランであった。こんなのがあると住んでいても楽なんだろうな、と思う。

 

たかやん

8時過ぎにコニーバーへ行く。今日はたかやんがいたので、少し話す。彼はプノンペンの日本人、特に若者の間では人気者で、彼を目当てにバーをやってくる人が後を絶たない。カウンターに座ってみていると、何人もの若者が彼に話し掛けている。このバーの目的は日本人の相互交流であるらしい。場所は少々不便だが、確かに打ってつけだ。

 

場所は敢えて不便な所を選んだという。『便利な場所で成功しても当たり前。不便な場所でうまく行ったら、本物』と考えている。その為には色々な工夫が必要だし、現地の仕来りともうまく付き合う必要がある。彼の人柄がそれを乗り越えさせているようだ。このバー以外に焼き鳥屋も開業しているようだ。

 

彼は別にカンボジアだけに興味があるわけではないらしい。自分がしたことがあれば、アフリカへでも行く、という。お客も日本人だけでなく、カンボジア人からも好かれている。このような若者がアジアへ、世界へ出ていくとは良いと思う。口先だけではなく、先ず行動。いいな。

 

最近は日本で若者向けに講演会などもしているらしい。『カンボジアで起業するには』『アジアで働くということは』など、結構人気があり、沢山の若者が関心を持って聞きに来る。日本に閉塞感を持つ者は多い。しかしこれまでは他のオプションがなく、その閉塞感に押しつぶされてきた。これからは時代が変わる。その舞台としてカンボジアは適しているという。確かに自由があり、やろうと思えば何でもできそうな環境がある。

 

たかやんスペシャルという飲み物を作ってもらった。特にレシピもなく、その日の気分と相手を見て適当に作るらしい。この飲み物がこのバーを物語り、たかやんそのものを物語っている。面白い。

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何となくプノンペン2014(3)カンボジアのポイントは人材

3月14日(金)

2.プノンペン散歩

人材紹介

朝は早くに目覚める。やはり鳥のさえずりが聞こえると起きてしまう。歳のせいだろうか。何となく食事をする気にもなれず、散歩に出る。昨日タクシーで迷って以来、この辺の地形を全く把握していない。どこに何があるのかも分からない。

 

取り敢えず大通りと思われるところまで出る。ちょうど通勤時間帯なのか、かなりの車で渋滞が起こっている。アジアのどこの都市もそうだが、ここプノンペンでも急激なモータリゼーションが起こっており、バイクから車社会へ突き進んでいる。

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プノンペンにコンビニは見当たらないが、ガソリンスタンドにはちょっとした店が併設されている。中に入ると、これから通勤すると思われる若い男女がパンを食べてコーヒーなどを飲んでいる。以前は屋台しかなかったが、既にこのように変化している。それも外国人ではなく、カンボジア人のホワイトカラー、急速に増えている。

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この通りには喫茶店もいつくかあり、お洒落になってきている。サムソンなど携帯を売る店もあり、大きなビルもどんどん建っている。ただ一つ、3年前に工事が止まっていた30階以上の建物はそのまま進んでいなかった。これは権利関係などの問題であろうか。確か韓国系のビルだったと思うのだが。

 

そして9時に紹介してもらった人材紹介会社を訪問。明るい感じのオフィス、朝から職を求めて人が来ている。代表者のNさんはまだ来ていなかったが、日本人女性が対応してくれ、雑談する。日本人はカンボジアにかなり増えつつあるようだ。

 

Nさんは元お役人で、日本のハローワークのシステムをカンボジアに持ち込んだらしい。日本企業の進出も増えており、また日本人の就労希望者も増えているようだ。日本語が堪能なカンボジア人などは引手数多で、給与も高騰している状況とか。如何にも日本企業らしい。

 

カンボジアの動きは非常に早い。半年起業が遅れればビジネスチャンスを逃すこともある。即断即決、そういう人が生き残る。この2年ほどは日本人起業家もかなりの勢いで増えている。手続きやライセンス問題が比較的簡単なこの国では、的確なビジネスモデルで、スピードを持って事業をすれば成功の確率も他国より高いという。ただ不動産価格や事件費の上昇もあり、コストも考えに入れる時代がやってきているようだが。

 

韓国系カフェで

ちょっと時間があったので、知り合いに行ってみるとよいと言われたバンコンケンという所へ行く。『東京で言えば代官山』と言われ、プノンペンにそんな所があるはずはない、と思って行ったが、代官山ほどではないにせよ、かなりお洒落な一角がこの街にできていることを知り驚く。

 

特にカフェがオシャレだ。どうみても欧米人が好きそうな新しいカフェがいくつもある。透明のガラスで店内がきれいに見えるもの、おいしいケーキを売り物しているところ、など、入ってみたくなる店が多い。歩いているのも欧米人が多い。ただ繁盛しているのか、というとどうだろうか。

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早めのランチを取る。3年前に紹介されたTさんと会う。当時Tさんはカンボジア政府の中に居たが、今は独立してカンボジアの為になるプロジェクトをしている。その他、日本からの仕事も請け負い、かなり忙しいようだ。

 

カンボジア人の就業意識が低い、という話をよく聞くがその理由を『カンボジアの歴史には英雄がいないので、手本になるような存在がない』『特にポルポト以降宗教が断絶され、信心がない』ためと、説明してくれた。これは一つの見識だろう。カンボジアの一番の問題は人材だな、と強く感じる。

 

因みに我々が食事をしたレストランはベーカリーでフランス風の名前が付いていたが、よく見ると韓国系だった。この辺、韓国は本当に上手い。イメージを極めて重視した戦略、これもまた重要ではなかろうか。

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何となくプノンペン2014(2)ラブホに泊り、サムライカレーを食う

ラブホに泊まる

そして今晩泊まるところは、何とラブホだった。これはお知り合いのとまこさんからのご紹介。たかやんのバーに行くには便利だと聞き、そして何となく興味本位で行ってみる。本当に直ぐ近くに平屋の建物があった。そこはラブホというより、車で入るモーテル。各部屋の前に駐車スペースがあり、お客さんが入ると、入口の一部が覆われる。

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私が一人でずかずか入っていくと若者が何か言ってくるが言葉が分からない。そこで初めて気が付いた。英語は通じないのだ。これは困ったが、若者は部屋を開け、中を見せる。確かに言葉が通じなくてもやるべきことはこれしかない。その部屋は意外なほどきれいで、何とWIFIも使える。ここに泊まるというと彼はホッとして出て行った。

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ここは一体いくらなんだ。また若者を探して聞くが分からない。すると彼は私を一番手前の建物に連れて行く。そこの若者は英語が通じた。1泊25ドルだという。値下げ交渉を試みたが応じない。仕方なく支払う。

 

そして出掛ける時間になり、また困る。鍵がないのだ。若者は庭の椅子に座っているので、手振りで伝えると、無いという。そうか、ラブホで出入りする人はあまりいない。鍵は渡されず、この若者が管理しているのだ。出掛ける時は彼を呼び、彼に鍵を掛けさせる必要があった。まあ、WIFIは使えるし、熱いお湯も直ぐ出たので、問題はなかった。管理人もいるので物がなくなる心配もなさそうだ。何より静かなのが良い。

 

サムライカレー

私がここに来た理由、それはさきほどのたかやんを紹介されたからだが、実はもう一つあった。あるセミナーで知り合った男、よもけんが、プノンペンでプロジェクトを始めたというので興味を持った。それはサムライカレープロジェクトといい、人材育成を主眼としているが、プノンペンでカレー屋をやることだった。そしてこのカレーのレシピを提供したのが、何ととまこさんだった。人はどこで繋がっているか分からない。

 

そしてよもけんに連絡したところ、サムライカレーはコニーバーという場所を借りてやっているというので、たかやんに『コニーバーというのはどこにあるのか』と尋ねると、なんとなんと、そのコニーバーがたかやんのバーだったと言う訳。もう訳が分からないが、全てが繋がっていた。そういう訳で私はこのコニーバーに行くことになったのだ。

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ちょうどプノンペンに居たよもけんから連絡があり、8時にコニーバーで待っているという。このよもけん、本業は人材育成だが、大のサッカー好きで、世界一蹴なる、サッカーをキーワードに世界を回った男。若いが色々と経験があり、面白い。

 

サムライカレーは基本的に昼間に店を開いており、夜はコニーバーとして使う。だが最近バーでもカレーを出すようになっており、食べてみることが出来た。何とカレーの上になすオクラ納豆がのっていた。これをカンボジア人が喜んで食べるのだろうか?聞けばここのお客は大半が日本人、カンボジア人にはこれから浸透させていく予定とか。意外や美味しく頂く。

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このサムライカレープロジェクト、海外で働きたい若者の研修の為に作られており、実際にここに来て、自らの意志で来た者がカレー屋をやらなければならない。カンボジア人に如何にカレーを食わせるか、どのように経営するか、いくらでも勉強できる、しなければならない環境に置かれる。

 

販売促進のために無料券を配ったり、各イベントに出向いたりと、知名度向上にも努めなければならい。それは大変なことだろうが、自分のこととしてやる分には、遣り甲斐もあるだろう。大学を出てそのまま海外で働きたい、などという学生、海外旅行中にこのプロジェクトに出会った若者など、応募者は絶えないようだ。

 

結局10時過ぎまでコニーバーでよもけんや若者たちと飲んでいたが、たかやんは戻ってこなかった。よもけんとカレー屋の店長(日本の大学を出てすぐの若者)は明日の朝早くシンガポールへ行くらしく、お開きになる。その夜、モーテルに戻り、鍵を開けてもらい、熱いシャワーを浴びて、ぐっすり寝る。

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何となくプノンペン2014(1)転機となった街を再訪する

《プノンペン散歩2014》  2014年3月13日-16日

 

2011年3月、私は会社を辞めてアジア放浪に出た。その直前の2月初め、冬休みにプノンペンを訪れていた。単にシェムリアップに行くついでに、首都にも寄ろうという考えではなかったかと思う。だがそこで言われた言葉、『もしプノンペンに住むなら、生活費は月5万円もかりませんよ』。この言葉がある意味で、私の意思を固め、その後急速に退職に踏み切ることになった、様に思う。勿論その時はそんなことは考えていなかったが、後から考えると転機だった。

 

しかしその後3年間、プノンペンに行くことはなかった。実はアジアならバンコックでも月5万円で生活することが出来ることに気が付いたからだ。カンボジアならシェムリアップにはアンコールワットがあり、その後も行ったのだが、プノンペンはそれほど魅力的には見えなかった。

 

今回は昨年11月の和僑世界大会で出会った日本人女性のプロジェクトを見に行くという目的が出来、ようやく再訪となった。どれほど変わっているのだろうか。興味津々で出掛けた。そして結構意外な展開が。

 

3月13日(木)

1.コニーバーとサムライカレー

空港から迷う

今回プノンペンに行くにあたり、航空会社を選んでいたら、何とチケットが僅か750バーツというのが目に入る。往復でこんなに安いのだから、一も二もなく購入してしまう。カンボジアアンコール航空、聞いたこともないが大丈夫なのだろうか。勿論燃油サーチャージをしっかりとられ、合計では4000バーツ程度になっているが、それでもエアアジアより十分に安い。

 

このフライト、結論から言えば特に問題はなかった。カンボジア政府がナショナルフラッグを作るため半分を出資、残りはベトナム航空が出資している、と機内誌にも謳われていた。ようはベトナム航空の子会社と同じなのだ。ただ飛行機の使いまわしが激しいのか、飛行機が来るのが遅く、スワナンプーン空港の係員も搭乗口のゲートをなかなか開けなかったが。座席は十分な広さがあり、1時間ちょっとのフライトで水とパンはくれた。ナショナルフラッグだからLCCではないのだ。

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飛行中突然思い出した。カンボジア入国にはビザがいることを。今の今まで忘れていた。さてどうする。確かアライバルビザだったので、写真を探すと何とあった。この辺は旅慣れたな、と自分でも感心する。そして着陸後の空港でのビザ取得は3年前よりさらにスムーズだった。

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空港ではまずは携帯のシムカードを購入。5ドルで50分話せる。十分だ。欧米人は皆これを買って使っている。そしてタクシーを探したが、プリペイドのブースがあり、12ドルで市内へ行ってくれた。近いと9ドルだが、私の行く所は12ドル、ちょっと不安が。まあこれだと交渉の必要がなく楽でよい。

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市内まではそれほど遠くはなかったが、私の目的地まではやはり遠かった。市内を見ていると前回のプノンペンよりかなりきれいになっており、整備も進んでいるように見える。いつもならなかなか着かないことにイライラしたかもしれないが、今はこれをむしろ楽しみ、市内見物している自分がいる。それだけでも3年で進歩があった。

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しかし本当に見つからない。とうとう運転手は電話をかけ、場所を確認した。だがそれでも解決できない。ついには相手を呼び出し、案内させてようやくその場所に着いた。以前だったら、追加料金でも請求されそうだが、今はプリペイドで助かる。

 

目的地はホテルではなかったこともあっただろう。ここは小さなショッピングセンターの脇にあるバー。入っていくと日本人が出てきた。たかやん、と呼ばれている20代の若者、それが私の会う相手だったが、彼は『これから出掛けるので』と言って出て行ってしまう。何だか拍子抜け。