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ある日のバンコック日記2020(8)部屋を代わる&インドビザ申請

1月29日(水)

部屋を代わり、インドビザを申請

翌朝部屋に行ってみると、水漏れは止まっているように見えたが、宿側はハッキリした原因を言わず、折角なので気分転換も兼ねて、部屋を代わることにした。やはりタイのサービスというのはこんなものなのだろう。部屋を代わるにあたり、旧部屋で使用した電気と水道料金の支払いを求められた。

だがその電気代がどう見ておかしい。その点を尋ねても、明確な説明はない。仕方なく日本人Yさんに聞いてみると『タイの電気料金請求は誰にも理解できない』と言われビックリ。ホテル側も電力会社からの請求で毎度揉めているらしく、電力会社はその請求理由を一向に開示しないらしい。すごいな、タイ。ホテルなら電気料金は宿代に含まれるので、こんなことが裏にあることを初めて知る。タイ在住日本人は皆困っているのか。

部屋は家具の配置などが、今度の方が私にとって好みだった。長期で住む場合は、意外と大事なことである。ただ午後西日が当たるので、かなり暑くなるのが難点か。外の景色も変わったので、気分転換にはなる。バスタブは無くなったが、むしろスッキリしてよい。

昼はYさんと従業員が、焼肉を食べに行くというのでお供する。近くのモールに入っているチェーン店、プロモーションということで食べ放題のように肉が出てくる。焼肉と言っても、ムーカタ方式で、鍋の真ん中で肉を焼き、ヘリに汁が溜まるので、そこで野菜などを煮る。

野菜はなぜかキャベツが大量に出てくる。以前タイでこんなにキャベツを食べただろうか。まるでとんかつ屋のキャベツお替り自由を思い出す。きっとタイではキャベツ栽培が拡大しているのだろう。〆はうどん、というのも意外性があって面白い。

そのまま2階に上がり、スーパーを覗くと、なぜかキャベツが大量に売られているのが目に入る。やはりタイの野菜市場には大きな変化があったようだが、その事情などはここからは読み取れない。キャベツ好きの私としては有難い話だ。バンコックのとんかつ屋も皆、キャベツお替り自由にしてほしい。

夕方、大きな夕陽が落ちるのを部屋から眺めた。部屋を代わったことで、何だかとても得した気分になる。そのままの気分で、道端で麺をすすって、夕飯とした。これがやはりタイらしい生き方だ。

そろそろ次の旅の準備を始める。まずは2月初めにチャンライとチェンマイを訪問することが決まり、そのアポ取りを行う。それからフライトと宿を押さえる。心持か、料金が安くなっているような気がするのは、コロナウイルス関連で旅客が減っているのだろうか。そういえばMRTなどに乗ると急速にマスク姿が増えている。

2月中旬にインドに行くことも決める。あのアッサムからインパールへの過激旅を敢行する気力が出たのだ。それは良いことだが、まずはインドビザを確保する必要がある。元々インド行きと言えば、これまでビザ取得に悩まされてきた。ところが昨年驚くべき変化があった。何とインドが観光客にも5年マルチビザを発行し始めたのだ。

しかも申請はオンラインであり、いとも簡単に取れると知り合いはいう。彼は現在そのビザを使って、私が行こうとしている道を旅しているのだ。一度申請が通れば5年間ビザに悩まされない、しかも1度の滞在は180日以内だから、実質半年に一度出国すればインドに5年間住むことも可能というのは何とも画期的だ。だがそんなにうまくいくのか。

ネットビザ申請を始めたが、記入事項など要領を得ないところもあり、なかなか進まない。パスポートと写真のコピーをネットでアップロードしたりもする。悪戦苦闘の末、何とか最後まで辿り着いたが、ビザ代の支払いでまた躓く。それも乗り越え、遂に申請完了したのは深夜になっていた。5年間のビザ代は僅か25米ドル、信じられない。しかも翌日には申請完了、入国用のビザが送られてきたではないか。

だがインドはそんなに甘くはなかった。コロナ騒動が襲いかかってきた。まだインドには入れたのだが、もし途中で何か変更があった場合、インドに隔離されるのは恐ろしいと思い、結局行かないことになる。120日以内に入国しないと取得したビザは失効するのだが、それまでにインドに行ける保証はどこにもない(現在はそのビザ自体が一時停止中)。まあビザ代が安かったからまた申請するか。いや、今回の件で、次回の申請に影響があるかもしれない。やはりインドは一筋縄ではいかない国なのだ。

ある日のバンコック日記2020(7)サナムチャイからトンブリへ

1月28日(火)サナムチャイからトンブリへ

何となくバンコック滞在が長くなる予感があった。そしてちょうどOさんから、『バンコク謎解き華人廟めぐり』という本を借りた。この本にはまさに私が知りたいと思っていたことが書かれており、驚き、そして楽しく読んだ。直ぐに紀伊国屋で本を買い、華人廟を巡ってみようと思い、MRTに乗ってみる。

バンコックのMRTは大幅に延長されており、一部は環状線のようになっている。少なくともファランポーン駅から先が繋がったことにより、行動範囲が非常に広がった。今日は初めてサナムチャイという駅まで行ってみる。駅は真新しく、非常にきれいで驚く。そして駅を出ると、観光客目当てのトゥクトゥク運ちゃんが声を掛けてくる。白人が沢山歩いていて驚く。

川向うに渡る橋に向かって歩いて行くと、市場があり、カフェやホテルもある。この付近、これまで一度も来たことがなく、全くノーマークだったが、面白そうだ。橋の上を歩くと風は強いが、眺めは良い。橋を渡ると、立派な仏塔が見える。庭園も見事だ。見れば1820年代にコーヒー園だった場所がお寺になったらしい。

その先を歩いて、サンタクルス教会を探す。川沿いに建つこの立派な教会、タークシン王(タークのシン)がポルトガル人に土地を与えて1770年に建てられた(現在の建物は1916年)という。この時代はちょうどタークシン王がトンブリ王朝を開いてすぐ。荒廃したアユタヤからトンブリに都が移転したのだ。

そこから細い路地を歩く。ここがトンブリ朝時代の華人集落、クディ・チンだった。特に福建人が多く住むと言うが、残念ながらその特徴を見出すことはできない。細い路地には猫がゆっくり歩いている。まるでNHKの世界街歩きのようだ。バーン・クディチン博物館があったので入ってみる。ここは80年以上前に建てられた華人の個人宅であった。

クディ・チンは1767年、タークシン王がトンブリ王朝を建てる際、ポルトガルの兵士と福建を中心とした中国人をここに入植させたのが始まりらしい。現在のバンコック華人のマジョリティーは潮州人であるが、これはタークシンが潮州系であったことと関連する。但し世界的なチャイナタウンで潮州人がマジョリティーを占めるところはなく、バンコックが極めて稀であることが分かる。そして本来主流であるはずの福建人はどうしていたのか、その歴史がここにある。

川沿いに戻ると、建安宮があり、ここが福建系の廟であることからもそれが分かる。実に古びた、こじんまりしたいい寺であり、昼間から人が絶えない。更に歩くと、今度はタイ式の大きな寺院を目にする。ワット・カンヤラーナミット、中に入っていくと一転、中国様式の門があり、拝殿がある。これはなんだ、如何にも華人らしい様式ではないか。しかも本尊の大仏は三宝公であり、これはあの明朝時代の大遠征で有名な鄭和が祭られているではないか。

地図を見るとその向こうにモスクがあるが、何と細い運河を渡る橋はなく、かなり遠回りする。古いモスクが見えたが、門は閉ざされていた。聞けばこの付近にはムスリムの墓も沢山あるらしい。自転車の旅を楽しむ白人団体の後を行くと、白が鮮やかな大きな寺の裏から川沿いに抜け、古びた倉庫を目にする。既に使われていないようだが、後で調べると往時は塩を保管する倉庫だったようで、塩で儲けた大商人がいたということだ。

そしてトンブリ朝の宮殿跡地を見たと思い、フラフラ歩くが入る場所が見つからない。この辺、初めて来たが、白人や中国人が多く歩いており、店も沢山出来ている。横道に入ると人だかりがあり、50バーツを払ってそこへ入ると、何とワット・アルンだった。ここだけ中国人が列をなして写真を撮っており、日本人もいた。トンブリ宮殿の入り口を探したが、ここも隣は海軍の施設であり、入ることは叶わない。どうやら宮殿は海軍に飲み込まれているらしい。そこから歩いてMRT駅まで行き、宿へ戻る。暑さもあり大いに疲れる。

夜、部屋で水漏れがあった。フロントに言うと、係がすぐに見に来てくれたので、てっきり対応してくれると思ったが、その後は誰も来ない。またフロントに行くと『修理の人は明日修理すると言って帰った』というから驚いた。直ぐに部屋を変えて欲しいと言うと、夜中は出来ないと言い、一晩だけ別の部屋の鍵をくれた。バケツを借りて、水漏れの部屋の浸水を防ぎ、別の部屋で寝る。

ある日のバンコック日記2020(6)バンコックの旧正月

《ある日のバンコック日記2020》  2020年1月23日-2月1日

1月24日(金)除夜

ヤンゴンから戻り、空港からタクシーで宿泊先に帰ると、途中の渋滞がかなりひどい。運転手は英語ができて、『明日は大晦日だから、華人は今日買い物をして、料理を作るから、クロントイ市場付近は大渋滞さ』と教えてくれた。恐らく彼は華人なのだろう。確かにその付近の渋滞が一番ひどかった。

その後ロータスのAISに行き、教えられたシムカードを買い、1か月使い放題200バーツというとてつもなく安いパッケージを購入した。もしこれが毎月あるのなら、これまでの旅行用シムなど全く不要だ。このパッケージ、プロモーションと言っているが何故あるのだろうか。ロータス店内はお客は多くない。

昨日は通り過ぎただけだったので、翌朝、クロントイ市場に行ってみる。宿泊先からは歩いて10分もかからない。午前中だからだろうか、既に買い物は終わったということだろうか、市場の店主たちは皆手持ち無沙汰に座っていた。籠の中の鶏たちは元気だったが、お客は殆ど歩いていなかった。かといって、店を閉める人もあまりいない。この付近も華人が多いエリアの一つだろうが、市場で働く人はタイ人ということか。


宿泊先の好意で、我々も昼ご飯を食べさせてもらっているが、やはりオーナーが華人ということで、本日は蒸し魚、焼き鳥などスペシャルランチが振る舞われ、従業員一同、ちょっとはしゃいでいる。デザートのフルーツも豊富、我々には金柑も配られた。如何にも華人の正月らしい。ここにはコロナウイルスの影はない。

部屋に戻ってテレビを見ていると、ニュースで我が故郷が取り上げられていた。実は昨年大洪水が起き、私が育った家も床上浸水したと聞いていた。母校はニュースでその浸水の様子が伝えられるほどの被害が出ていた。私が小さい頃には全く考えられない事態が今は起こるのだ。その復興イベントが開かれているという。今や日本では、これまでの想定にはなかったことが次々に起きている。

1月25日(土)旧正月

本日は旧正月初日。昨晩は深夜に花火も揚がったようだが、私は何事もないように寝てしまった。いつもに比べて中国からのあけおめメッセージが少ないのは、やはりコロナウイルスの影響で、武漢が封鎖された影響だろうか。これから中国はどうなっていくのだろうか、これは対岸の火事なのだろうか。

ずっと注目していた大相撲春場所。ついに一敗同士の正代と徳勝龍が対戦した。既に大関貴景勝に優勝の可能性はなく、この二人の争いに絞られていた。正代は以前から期待されてきた大型力士、かたや33歳で幕尻の徳勝龍だったが、勝負は意外にも幕尻に軍配が上がる。これは本当に面白い。

正月元日なのに?屋台で麺を食べたくなる。勿論タイ全体に正月ムードがあるわけではなく、屋台は通常営業しているわけだが、陽の高いうちに通りかかったその屋台になぜか惹かれた。麺に豚肉を入れてもらうと、これが何ともうまい。スープも濃厚で本格的な感じがする。それでも料金は僅か40バーツだ。ご馳走を食べるばかりが正月ではない。

1月26日(日)講座にて

旧正月中だが通常運転のバンコック生活。今日は昨年まで年に1回程度開催していたバンコク茶会を行った。これまでずっと会場を提供してくれていた主催者Mさんがお引越しを行い、初めて伺う。念のためバイタクで行ってみると、わずか10分で到着してしまい、周囲を少し散策する。スクンビットのソイは奥に入っても、色々なレストランなどがあり、結構華やかだ。

講座には沢山の人が来てくれ、満員御礼だった。今日は『台湾茶と日本の繋がり』についてお話ししたが、どの程度響いただろうか。勿論台湾でやれば興味を持たれ、かなり響く内容だとは思うが、タイではピンときただろうか。またかなりマニアックな内容も含まれており、茶業関係者でも全く知らない話も多いので、ちょっと厳しかったかな。うんちく好きな人には良かったかもしれない。

講座後、近所のレストランでランチ。やはりオシャレなお店が多く、訪ねたタイレストランもかなりきれいだった。旧正月2日目の日曜日ということか、華人が一族で来ていることもあり、店員不足か、料理がなかなか出て来ない。料理はインスタ映えが考慮されており、食べるのがもったいない。マッサマンカレーを初めて食べたが、非常に食べやすい。

あっという間に時間が過ぎてしまった。今日は大相撲の千秋楽があり、どうしても見たい。ランチがお開きになると、すぐにバイタクを見つけて宿に急行した。僅か10分ほどで着き、最後の五番を見ることが出来た。徳勝龍、ついに貴景勝にも勝ってしまい、堂々の優勝だ。優勝インタビューも茶目っ気があり、とても良かった。エンターテイメントとしての相撲界は従来のモンゴル中心の構図が飽きられてきているので、何かはじけるような工夫が必要だろう。そうしないと盛り上がらないことが証明された形だ。

ヤンゴン茶旅2020(6)チン州のこと、そして

1月22日(水)

チン州を思う

昨晩Iさんに教えてもらったので、川沿いにあるブリティッシュ・カウンシルへ行ってみた。ここには図書室があり、英語で書かれたミャンマーの歴史などがあるだろうというのだ。ストラッドホテルの隣に英国大使館があり、その横に附設されている。セキュリティーはさすがに厳しいが、パスポートを提示するだけですぐに入れてくれた。

にこやかな老人がこちらを見ていたので尋ねようとしたところ、横から女性係員が『係員は私です』と言って私が探している本の内容を聞いてくれたが、『お茶関連の本はない。歴史本なら多少』という感じだ。ここは元々英語教育の教材などを提供する場らしく、英語を勉強する若者が来ていた。それでも2階でミャンマーの歴史に関する古い本を紐解いて、参考にした。

続いて、ダウンタウンに華人図書室を探す。ここは前回訪ねていたが、場所が分からなくなっていた。先日Tさんに再度確認して行ってみるとちゃんとあるではないか。階段を上ると漢字の本がズラッと並んでいる。その中から、華人関連の歴史を探してみる。壁には華人の集合写真などもあり、ここの歴史が少しみられた。ここの利用者は極めて少ない。既に若い世代は漢字が読めないのだろうか。

宿に戻る途中に、昨日誰もいなかったチンレストランの前を通ると、従業員がいたので入っていく。お目当てのサブティを注文すると、オーナーが出てきて流ちょうな英語で、チン州の魅力を話し出す。やはりチン州は今、コーヒーであり、茶はほぼないという。サブティはチンの雑炊だろうか。チキンを入れてもらったが、かなりさっぱりしていて食べやすい。

私は今回の旅の初めから、インドのアッサム、インパールを目指したいと思ってきた。インド、ミャンマー国境は長年、第三国人(外国人)の通行が制限されてきたが、昨年ぐらいから陸路通行が可能になったらしい。もし国境を越えるなら、ミャンマー側はチン州になるようなので、期せずしてチンに入ることは出来そうで、今から楽しみだ。夢は大いに膨らむ。

午後は疲れたので部屋で過ごす。日本と2時間半の時差があるので、相撲中継は1時半から3時半まである。今日も炎鵬が勝ち、徳勝龍、正代も勝った。果たして誰が優勝するのか、益々楽しみが増えていく。後は帰りの準備をするだけだ。ちょっとスーパーでティーミックスを買い足しておく。これがあれば体調が悪い時などに重宝する。それでもスーツケースはガラガラだ。

夜飯を暗くなってから探しに行く。近くに野菜や果物、魚を売る露店が並んでいる。最後の夜なので薄暗い屋台で食べたい物を注文して食べる。魚の煮付けと煮卵、味が濃くてご飯に掛けると何ともうまい。これぞミャンマーに来た感じがする。何だか昔のミャンマーの思い出に浸る。

1月23日(木)

バンコックへ

翌朝は朝食をしっかり食べてから、チェックアウト。気が付けば1週間、ずっと同じ宿に居た。タクシーは1万チャットですぐに来てくれ、早々にお別れだ。朝の渋滞もそれほど激しくはなく、思ったより早めに空港に着いてしまった。何とタイスマイルのチェックインは2時間前からでまだ始まっていない。

空港内、きれいなカフェなどが増えている。2時間前に行くと既にチェックインが始まっているのがミャンマーらしい。出国審査も簡単に終わってしまい、時間が余ったので、搭乗ゲートより前の店をフラフラ見て回る。空港でもティーミックスは売っているが、市内の1.5倍から2倍ほどする。やはりスーパーで購入して正解だ。

その先に本屋があったので、立ち寄ると、洋書ばかりが置かれている。書店の名前を見てびっくりした。何と紀伊国屋ではないか。なんでこんなところに紀伊国屋があるのだろうか。店員に聞いてみると、ヤンゴン市内に店舗はなく、ミャンマー唯一の店舗が空港だというのだ。そして日本の本は全く置かれていない。一体どんな戦略でここへ出店したのか、是非聞いてみたい。

バンコックにもある和食屋、山小屋もこの空港内に出ている。このミャンマー出国直前に和食を食べる人はいるのだろうか。またタイの国民ドリンク、Cha-Thaiも出店している。東南アジア戦略を加速するこの会社、ミャンマーで果たしてタイ茶は受け入れられるのだろうか。

搭乗時間になり、機内に入ると、中国人観光客がCAからマスクをもらっている。この時点で、中国でのコロナウイルス関連の情報が既に開示され、旧正月前日の今、武漢は封鎖されたと聞く。だが東南アジアの片隅にまで、その影響が及んでくることは、およそ想定で来ておらず、白人も我々もマスクをする人はほとんどいなかった。

ヤンゴン茶旅2020(5)ヤンゴン大学を訪ねるも

『口福』という同じ名前の店が二つ並んでいるが、今日はカジュアルな方へ入る。店内は中国人観光客で満員だ。前回もお会いしたGさん夫妻が待っていてくれた。Gさんは写真家であり、現在はブログなどでミャンマー情報を発信している。更にはインド国境を度々訪れて写真を撮っているということで、非常に有益な旅及び民族情報を幾つも教えてもらった。そしてミャンマーではなぜ茶をラペッというのか、という根本問題にもヒントを頂き、感激。

 

果敢レストランということで、前回は敢えてケシの実スープなども飲んでみたが、特に中国料理と大きくは変わらない。ただ果敢地区はミャンマー側から外国人は実質入れないし、中国側からも簡単には入れないと聞いており、その名に惹かれてやってくる客が多いのは事実だろう。

 

帰りもフラフラと歩いてみる。公園を通りかかったので、ちょっと寄ろうとしたが入場料がいるというので止めた。この近くには餃子の王将が店を出していた。あまりに疲れたので、冷たいコーラを飲んで休む。ひと息つくとすぐに元気になるのはすごい。最後は前回も行ったピンピンの火鍋屋の前を通る。横には新しくマッサージ屋が併設されており、更にビジネスを拡大したことが分かる。若いのにやはり彼女はやり手だ。

 

1月21日(火)
ヤンゴン大学へ行くも

そろそろ疲れがピークに差し掛かる。朝食にも少し飽きてきたので、食欲も落ちる。午前中は休むつもりだったが、何となく散歩に出た。いつもと反対方向へ歩いて行くと、立派な教会があった。モスクもヒンズー寺院もある。ダウンタウンは相当広いのだと分かる。ただ華やかさはない。

 

シティーマートがあったので入ってみる。どんなお茶を売っているか、見るためだ。例の張さんの鉄観音茶も、一番小さい袋は売っていた。果敢茶もあった。でも圧倒的に珈琲が多い。お茶では何といってもティーミックス。私も疲れた体に良いかと、ティーミックスを買って帰る。

 

ついでに昼ご飯を食べに行く。日本食の店で弁当という選択肢もあったが、時間が早過ぎて開いていなかった。結局先日行ったチン州レストランを訪ね、チンのかゆを食べようと思ったが、何と店は開いているのに、誰もおらず、湯気だけが立っていて、食べ損ねた。仕方なく、近くでモヒンガーを食べる。600チャットで、安定のうまさ。

 

部屋に帰ってテレビを見る。大相撲がいつになく面白い。白鵬も鶴竜も早々に休場。小兵力士が活躍し、幕尻力士が優勝争いの先頭に立つ。ここ数年の面白みのない、停滞した相撲界に下克上が起こり、ワクワクする。せっかくヤンゴンに居るのだからと言われても、面白い物を見たい。

 

相撲が終わったら、外へ出た。昨日教えてもらったヤンゴン大学の図書館を訪ねてみようと思ったわけだ。地図で見ると結構遠い。タクシーの運ちゃんは道が分かるというので乗り込む。渋滞もあり、1時間近くかかって、正門に辿り着き、そこで図書館の場所を訪ねて何とか行き着く。

 

図書館は立派だった。係員も英語ができたので、茶に関連した本を探していると告げると『まずはHPで検索してから来てね』という。折角ここまで来たのだからというと、『実は既に閉館時間で帰るところよ』と言われ、愕然。大学の図書館が午後4時過ぎに閉まるとは、学生はいつここを利用するのだろうか。

 

係員の女性たちは足早に立ち去り、電気も消されてしまった。仕方なくキャンパス内を散歩すると、ちょうど卒業シーズンなのか、記念写真を撮る学生たちがいる。学内は静かで居心地はよさそう。宿舎もあるようなので、もし図書館が役立つようであれば、ここに1泊してみたい気もする。

 

既に閉まっている横門を開けてもらい、外へ出た。ここにはインヤーレイクがある。ちょっと湖の写真に撮ろうと、セーリングクラブに入ってみる。さすがイギリス植民地だから、こういうクラブは沢山ある。更に先に行くと、湖の脇に散歩コースがあり、夕暮れ時、たくさんの人々が歩いていた。私もロッテホテルに向かって歩いてみた。

 

暗くなったので、今晩の待ち合わせ場所へ歩いて向かう。僅か15分ぐらいのお店だったので、楽勝と思っていたが、場所が分からず迷う。それでも予定時刻より早く着いてしまった。ここはこじんまりした、雰囲気の良いカチンレストラン。お知り合いのIさんが選んでくれたお店だった。カチン料理を味わう。日本人に非常に合う味だ。

 

お店でお酒が飲めないのも、私にとっては好都合。カチンの茶をお願いすると、緑茶が出てきたが、質が良い。店主はバンモーの出身だと言い、そこには茶畑もあると言うが、残念ながら外国人は入れないときっぱり。Iさんからも、ミッチーナには行けるけど、山の中はねえ、と言われてしまう。帰りはIさんにタクシーを拾ってもらって、何とか帰る。やはりGrabぐらい使えないと、色々と困る。

ヤンゴン茶旅2020(4)ヤンゴンに留まって

1月19日(日)
再びSSと

ヤンゴン4日目、そろそろ疲れが出てくるタイミングなので、午前中は休養日に当てた。このホテルもNHKワールドプレミアが映るので、先週の女子に続いてボーっと都道府県対抗駅伝を見て過ごす。福島がまさかの出遅れ、長野が劇的な逃げ切り。箱根や実業団駅伝ランナーが多数出てきて、面白い。高校駅伝を見ていなかったので、高校生はよく分からないが、栃木出身の松山君が学法石川所属のため、福島から出ているのがちょっと残念だった。

 

12時半にタクシーを拾う。今日はSSとの約束で、イタリアンレストランに向かう。運転手は分かったと走り出したが、着いたのはピザハット?仕方なくSSに電話して、何とか辿り着く。遅刻してしまったので、既にアイちゃんはピザを頬張っていた。スパゲッティやらサラダも出てきて、テーブルの上はかなり賑やかだ。昔はSSと言えばホットポットだったのだが、今やイタリアンが常道だ。

 

久しぶりのTTMもいた。確か高田馬場以来だろうか。TTMの御主人とも初めてお話しした。TTMは最近自由奔放に動き回っており、今回もバンコックから帰国したばかりであり、午後も集会が入っているという、慌ただしいスケジュールの中を会ったことになる。まあ二人の娘も母になり、自身も落ち着いたので、好きなことをしてもよいだろう。昔はかなり苦労したはずだから。

 

TTMたちとは別れて、またSSの家に行く。アイちゃんとも相当馴染んできており、遊び相手となる。5歳の女の子のことはよく分からないが、言葉が通じなくても非常に楽しい。何でも遊びになってしまうのもすごい。ニセ爺さんを2時間もやっていたら、疲労困憊になってしまうが、アイちゃんの勢いは全く衰えない。

 

結局SSが晩御飯を作ってくれて、それを食べてから帰る。SSは何と先日私がFBに投稿した内容を覚えており、『イカが食べたいんでしょう』と言って、イカ炒めまで作ってくれた。何とも有り難い。テレビではNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の初回が二週間遅れてスタートしていた。何だかきれいな大河ドラマだが、明智光秀の前半生を詳しく描くと言われており、ちょっと気になる。川口春奈も気になるが、やはり門脇麦が気になる。

 

タクシーを呼んでもらい、宿に戻る。NHKを点けると、何と夜中に卓球全日本選手権の男女シングルス決勝が放映されている。男子は張本が、同年代の宇田に競り負けた。これではオリンピックどころではない。女子も準決勝で伊藤美誠を破った早田ひながその気負いのまま、石川佳純に勝ってしまう。オリンピックには一番調子のよい選手、中国人に勝てる選手を選ぶべきだろう。

 

1月20日(月)
まさにフラフラ

本来今日あたりはミャンマー北部へ出掛けているはずだった。そのためにバンコックへ帰る飛行機を23日にしてあったのだ。ところが当てが外れる。出来れば初めてカチン州に踏み込みたいと考えていたのだが、カチン州は現在でもその多くの場所が外国人立ち入り禁止区域になっており、許可がなければ茶畑に入ることもできない。そもそもどこに茶畑があるのかも分からないのだから話にもならない。

 

都市であるミッチーナぐらいにはせめて行きたいと思ったが、そもそもミャンマー国内の飛行機代は非常に高い。国際線であるバンコック行きの2倍ぐらいするのだから驚いてしまう。そして正味二日ぐらいいるだけで、茶畑があっても山に入ることはできないでは、コスパは非常に悪い。これは一度撤退だろう。

 

何かミャンマー史や北部山岳民族の歴史などでヒントになるものはないかと思い、すぐ近くにあるさくらタワーに行く。そこには日本人会があり、ミャンマー関連の図書もあると聞いていた。行ってみると何と同じフロアーには、昔お訪ねした人材紹介会社のオフィスが規模を拡張してそこにあった。

 

図書室にはかなり本が置かれていた。その中でミャンマー関連の物も一か所にまとめられており、さすが日本だ、効率的で有り難い。係員に断ると、自由に閲覧できた。そして何冊か気になる本を見つけた。借りることは出来ないので、その場で読んでいく。ミャンマー史は通り一遍のものも多いが、かなり詳しい物もあり、参考にする。特にミャンマー人が書いた現地史には、これまで知らなかったことが多く書かれていた。

 

それからゆっくり歩いて博物館を目指した。日差しはそれほど強くはないのだが、歩いているとジワジワと汗が出てくる。鉄道の線路を越えて、西の方へ向かう。30分以上も歩いて博物館に辿り着いたが、何と今日は月曜日で休館日だった。仕方なく、ランチの約束場所がある、更に西に向かった。

 

そこは前回も来た果敢レストランであったが、よく見るとすぐ近くに大きな中国大使館があった。更に少し行くと、何とヤンゴン環状線の鉄道駅もあるではないか。これなら鉄道に乗って来ればよかった、と思ったが、後の祭り。まあ電車もいつ来るか分からないが、歩きで疲れ果てた。

ヤンゴン茶旅2020(3)懐かしのヤンゴンを歩く

1月18日(土)
ヤンゴンをフラフラ

翌朝も宿で朝食を食べてから、外へ出た。今日も香港から来ているIさんと一緒にヤンゴンを歩くことにした。彼女のホテルのすぐ近くには、100年ぐらい前に建てられた教会があったが、そこには厦語教会とも書かれており目を惹く。19世紀半ば以降、厦門には教会が出来、そこで英語を学んだ若者がおり、彼らは台湾や香港など海外に雄飛したとも言われている。もしやラングーンにもやって来て、その支部がここに建てられたのだろうか。その横にはヒンズー寺院があり、インド系との境目になっていた。

 

スタンドで売られている新聞に目をやると、スーチー氏と習近平氏が握手していた。私は知らなかったが、習氏はネピドーを訪問していたようだ。だがその記事はとても好意的な内容とは思われず、今日ヤンゴンでも反中デモが行われるという話まであった。ミャンマーの苦境に忍び寄る中国、という構図だろうか。

 

チャイナタウンを歩くということだったが、何となく東の方に足が向き、インド人街を抜けて、川の方へ向かっていた。昨晩話に出ていた国立図書館のきれいな建物が見えたが、警備員から『オープンは4か月後だよ』と教えられる。ミャンマーのことを調べるためには一体どこへ行けばよいのだろうか。

 

クラシカルな建造物エリアに進む。レトロ郵便局は土曜日だからか人がいない。ストラッドホテルではハイティーが20ドルと書かれていたが、朝からやっているわけはない。まあ、それほど暑くないので、川沿いの重厚な建物を見て回るのは悪くないが、やはり疲れてくる。

 

私の宿に戻った。今日は旧知のTさんと会う約束だったが、昨晩メールで会う場所を変更した。が、Tさんからは何の連絡もなく、どちらに来てくれるのか分からないという事態が発生した。電話も掛けたが繋がらない。こういう場合は、やはり元の場所の方が無難だと思い、待っていると、ちゃんとTさんが現れたのでビックリ。何だかスマホも携帯もない時代に戻った気分だ。

 

昼ご飯は、近くのシャンカオスイの店へ行く。普通のカオスイも美味しいだが、折角なので、トウフヌエを頂く。シャン州に行ったら必ず食べたい麺だった。ついでに揚げ豆腐も頼んだが、こちらはシャンとは少し味が異なっていた。Tさんは最近モン州に引っ越しており、たまたまヤンゴンに出張で来ていて再会できた。ミャンマーのことにはとても詳しいので何でも聞いてしまう。

 

チン州の話が出たところで、場所を移してチンレストランでコーヒーを飲むことにした。話しているとそれが目の前に出てくる、やはりTさんと一緒だと世界が変わる。牛干し肉がなぜか出てきて、コーヒーを一緒に食べる。まあ、ビーフジャーキーかな。こんな組み合わせ、見たことがない。

 

Tさんと別れて、ボージョーマーケットへ行く。2003年の初ヤンゴン以来、何度も行ったマーケットだが、最近は買い物に行くこともない。Iさんは雑貨や服、織物などを物色している。そういえば、ここでチン州の物品を扱っている店があり、昔チンの茶をご馳走になったことを思い出す。あの店まだあるのかな、と思っていたら、Iさんが目指す店はそこだった。だがチンの若者は『チンにはコーヒーはあるが茶はない』ときっぱり。

 

やっぱりパゴダも1つは行こうということになり、スーレーに向かう。ここに入るのは何年ぶりだろうか。ミャンマーのお寺は入り口で靴を脱がなければならず面倒だが、花を買うと靴を預かってくれるのは昔ながらで懐かしい。昔と言えばどんな時にも、参拝客で混雑していたヤンゴンのパゴダ。今や本当に訪れる人が減った。信心より金儲け、と言われて久しいが、ミャンマーらしさが失われていく。

 

お参りは、自分の生まれた曜日の前で行う。これもミャンマーを訪れると最初に知る習慣だった。何だか日本語を少し話すミャンマー人が、一生懸命にIさんに参拝方法を指南している。こういう人は、単なる親切なのか、何か目的があって近づいているのか、現在のミャンマーにおいてはその判断は難しい。

 

疲れてしまったので、カフェに入る。ヤンゴンは急速におしゃれなカフェが増えている。外国人比率が高い。2階はバーになっており、夕暮れ時、酒を求める人々も入ってくる。今日一日、Iさんには様々な情報が入ってきたかもしれない。しかしそれを吸収、消化するのは簡単ではない。ここで飲み物を飲みながら、頭を冷やす。

 

最後に串焼きストリートへ向かう。数年前から、チャイナタウンに、路上も含めて、ビールを飲み、串焼きなどを食べる一つの通りが出現した。そこに辿り着く直前、観音古廟から麒麟がお出ましになる。夜に一体どこへ行くのだろうかと、興味本位で付いて行くと、近くの別の廟へ向かっていた。これは練習なのか、本番なのか、何も分からない。折角なので、少し観音古廟も見学する。ライトの光で廟内はきらびやか、且つ幻想的だ。

 

土曜の夜で賑わうストリートに席を見つけて、その雰囲気を味わった。白人も多いが、ミャンマー人比率が上がっているように思われる。ヤンゴンの夜の観光名所として定着しているのだろう。