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タイ最南部からマレーシア2022(3)早茶を食べて国境へ

ランチを食べていなかったので昨日の店へ行く。食べたかった豚足は残念ながら売り切れており、チキンとチャーシュー半々のライスを頂く。60bでこちらも満足する。この店の人達、みんな華語は得意ではない。広東系の一家なのだろうと理解した。 

午後は郊外のモスクに向かって歩き出す。大通り沿いには、4階建ての福建会館、広西会館、八桂会館が並んでいる。いずれも立派だ。広西会館前にお婆さんが座っている。話し掛けると華語はかなりうまい。両親が広西から70₋80年前に渡ってきたという。当時林業など仕事は何でもあった。おばあさんはここの生まれ。広西系はベートンの一大勢力らしいことが分かる。

歩くこと20分。郊外にようやく小さいモスクが現れる。ハラール料理の店が見える。ベートン人口の半数はイスラム系と聞いていたが、そのプレゼンスは大きくないように見えた。ただヒジャブを被ってバイクに乗っている(3₋4人乗り)女性がやけに目立つ。所謂タイ人らしき人はほぼ見られない。

夕方外を歩いているとあの市場の傍でタクシースタンドを見つけた。昨日旅行会社の女性が言っていたのはこれか。だが国境まで乗せてくれというとやはり300bだという。これは完全に価格統制が敷かれている。更に行くとロットゥもあることが分かる。ただこれはハジャイまで行くもので、5時間かかるらしい。料金は280bで一日数本出ている。これしかこの街から脱出方法がないと分かり呆然としたが仕方ない。

夕飯は潮州系の焼麺を屋台で食べた。既に腹は一杯だったが、それでもいつものようにうまい。時計台のライトアップがきれいだった。部屋に戻り、ちょっとPCをいじってすぐに寝る。夜はぐっすり10時間寝られた。昨晩の睡眠不足を一気に解消する。赤蟻がいない、窓がない、そして電気ポットがなく、お茶を飲まなかったことが安眠に繋がった。

10月11日(火)マレーシアへ

朝6時前起床。気持ちの良い朝。ベランダから街を眺める。ドミトリーに泊っていたタイ人女性もヨーガのポーズで景色を眺めている。旅行でバンコクからソンクラーへ飛行機で行き、そこからレンタカーを借りてここまで来たらしい。もう一人男性がいた。パッタニ県でカフェを経営しており、ここに2店舗目を出すべく、視察に来たらしい。パッタニもベートンも彼にとって極めて安全な場所だという。二人とも英語が旨い、慣れた感じの旅人だった。

朝ご飯に出掛ける。目をつけていた早茶屋、6時半ですでにほぼ満員。何となくおじさんの集まり(奥さんや家族にはお土産持ち帰り)が多い。自分で点心を選んで蒸してもらう。 1皿15b?店主に華語で菊普茶を注文。美味い(砂糖も入っている)。叉焼包、チャーシューと言ってしまうと広東語が飛んでくる。ゴーヤー肉団子巻きが渋い。全部で100bの極めて優良な朝ご飯は、満足な上、何とも楽しい。

8時前に宿に戻ると、宿の女性が待っていてくれた。コロナ禍でカフェとホテルを開いて大変だった話などを聞いていると、彼女が予約してくれたトゥクトゥクが登場した。たった 5㎞で国境へ行けるのに300bも取られるのは納得できないが、Grabなども使えない国境特有の料金設定で他の手段はない。

トゥクはあっと言う間にタイ国境に到着したが、誰もいないので出国審査は実に簡単に終わる。中立地帯へ出たが、誰もいない。その途中までトゥクで行けたが、マレーシア側手前で降ろされ、その先は歩いてイミグレへ。立派な建物が見えるが人も車もほぼ見えない。僅かに石碑が見えたので行ってみると、1968年の反共闘争で命を落としたマレー側の人たちを追悼するものだった。この辺にこの付近の歴史がにじみ出て来る。

ペンカランフル、と書かれたマレーシア側国境。マレーシアからの観光客がバンで1₋2台来ているだけで、マレーシアに入国するのは私だけ?だった。スマホアプリもワクチン接種証明も提示など求められない。ただ『どこへ行くの?』と聞かれたので、取り敢えず『コタバル』と答えると、イミグレのヒジャブを被った女性は一生懸命行き方を考えてくれた。こんな国境初めてだ。

彼女は最後に『向こうにタクシーがいるはずだから相談して』と入国スタンプをサラッと押す。こんな誰もいない所にタクシーなんか本当にいるのかと不安が過ったが、まだ午前中なのでかなりの余裕をもって歩いて行く。

タイ最南部からマレーシア2022(2)ベートン ホテルを替わると

驚きの街から戻り、部屋でなでしこジャパン‐NZ戦を見る。何だかスピード感がない試合だった。最近女子サッカーに人気が無いのは、それも原因だろうか。有料観客数が僅か4410人とは悲しい。ただ若手の一部がのびのびプレーしているのがかすかな望みだ。女子選手は見た目やファッションなどでしか取り上げられないのは、マスコミにも大いに問題がある。

2時間経過して、3時からまた散策を続ける。この街は人口統計的には半数はイスラム教徒らしいが、街の中心部は完全に華人に制圧されている感がある。ただバイクに乗ったヒジャブ女性はかなり目立っている。マレーシアへ抜けるルートが分からず、旅行会社を訪ねたが、マレー人スタッフは英語も出来ず、何も分からず。いやただ『市場へ行け』とだけ言っていたが。

同窓生のOさんにベートンへ行く、と言ったら、20年ほど前タイで放映された『OK Betong』というドラマを紹介された。見ていないので内容は分からないが、その撮影地(写真スポット)まで30分、歩いて行ってみた。特に何があるわけでなかったが、タイ人が車から降りてきて何人も記念写真を撮っていたので、彼らにとって何らかの思い出はあるのだろう。 

また歩いて市内に戻る。さっき旅行社で言われたベートン市場に行ってみるが、当然ながら何も分からない。ただそこに同安堂があった。ここは菊普茶を売っている店として紹介されていた。店は1956年創業だが、菊普茶は2010年以降の商品であり、勿論ベートンに茶畑はなく、茶葉と菊花は全て中国から輸入しているという。それをここで漢方薬のようにブレンドして売り出したら意外と売れているとか。

夕飯の時刻となったが、腹の調子があまりよくない。それでも市場近くでカリカリ豚肉麵 50bを食べたら元気になり?更に向かいで鳥粥55bまで食べる。観光客がいるので活気があってよい。だが宿に戻るとマレーシアからの団体客がおり、何と部屋の両隣で深夜まで騒いで本当に困った。さすがに眠れず、夜中に部屋を変わる。ホテル側が抗議してもびくともしない奴らで本当に質が悪い。

10月10日(月)ベートン散策2

あまり寝ていなのになぜか目が覚めてしまった。眠気がないのは昨夜の大騒ぎのせいだろうか。6時間睡眠か。ちょっと厳しいが、仕方がない。8時過ぎに朝食会場に行くとかなりの混雑。やはり団体客が多い。騒がしさはまるで中国みたい。一人で食べているのは私だけという孤独感を味わう。粥が旨い。食後館内を歩くと立派なプールがあり、庭もあった。だがもうこのホテルにはいたくない。

取り敢えず散歩に出た。すぐ近くに観音寺があり、きれいな仏塔がかなり目立っていた。やはり街中は華人中心だ。更に中華園というところへ辿り着く。1923年開校の中華学校がある。来年創立100周年、意外と古い。ただ当初生徒は少なかったようで、50年代より移民が増えたとある。立派な校舎が建っており、教室ごとに各地域の名前が付いている。

ベートンの歴史を知りたくなり、職員室?を訪ねてみた。係の人は華語が出来たが、歴史と聞いて困っている。そしてバイクに乗ろうとしていた女性に声を掛ける。彼女は学校の教師だろうか。歴史について尋ねるとかなり慎重な対応を見せ、『いきなり来ても無理。歴史は複雑だから。簡単なことならネットで検索して』と断られる。街に図書館はあるがタイ語は読めず、博物館は閉まっていて何ともならない。ベートンの歴史、知りたい。

学校の横には思わず拝みたくなる大きな大仏がある。やはり華人の象徴だろうか。タイとも異なる仏像だ。大乗仏教の影響か。その近所にきれいなカフェがあり、そこが宿にもなっていたので、今晩はここに移動することに決定。安眠できそうだ。

部屋に戻って出雲駅伝を見る。今やネットで簡単に見られるのは良い。途中でチェックアウトの時間となる。フロントの態度は非常に悪く、無料だと思って飲んだ水代まで取られる。すぐにPCを抱えてカフェへ行き、駅伝の続きを見る。カフェラテを飲みながらチェックイン。駒大強し。

靴を脱いでスリッパで2階へ。部屋に窓がないので、今晩はよく眠れる予感。2020年12月開業ということで、狭いが非常にきれいな部屋。赤蟻がいないのも有難い。下に降りて抹茶ラテを注文すると何と茶碗と茶筅を使い、ミルクでかき混ぜている。茶道も習っているとかで本格的な雰囲気が面白い。当たり前だが抹茶の味がする。カフェには地元民がひっきりなしに来ている。人気店だ。

タイ最南部からマレーシア2022(1)いざベートンへ

《タイ最南部からマレーシア2022》  2022年10月9₋15日

先日された人とバンコクで逢ったら、更に色々なことを紹介してくれた。その中に『タイの最南部に茶畑があるらしい』という耳寄りな情報があり、突如ベートンへ向かうことになった。それはどこ?どうやって行くの?とにかく情報が殆どない。更にはそこからマレーシアに抜けることを試みる。果たしてどうなるのだろう?

10月9日(日)いざベートンへ

ベートンと言ってもタイ人でも知らない人の方が多いかもしれない。20年ほど前テレビドラマで『OK Betong』が放映され、その印象がある人はいるらしいが、外国人の私にはチンプンカンプンだ。どんなところか、今はどうなっているのか、全く不明である。唯一の情報は『2021年に新しく空港が出来た。タイ政府が今後の観光地として売り出している』というもの。また『華人の街』や『カオマンガイがタイで一番美味い』などのサイド情報が入ってくる。

コロナの影響か、新空港はほとんど使われておらず、僅かにノックエアが週2便バンコクから飛んでいることが分かり、そのフライトを予約した。料金は通常の国内フライトよりはかなり高く、ちょっとビックリした。一体誰が乗るのだろうかと違った興味が沸く。

いつものように朝早く宿を出て、MRTとSRTを乗り継いで、ドムアン空港に着く。日曜日なので、混雑はない。ノックエアで初めてWebチェックインしてみたが、カウンターへ行かず搭乗できた。何と私のEメールに問題があり、これまでは搭乗券が届かなかったらしいことが判明する。早急に復旧させなければならない。

機体は小さいが前乗り(前回バンコクエアが後乗りだったので、後ろの席を予約してまた失敗)。意外なほど乗客が乗っている。しかも年配の華人比率が非常に高い。富裕層の観光旅行なのだろうか?2時間のフライト、途中はかなりの揺れを感じた。最後の着陸時には山すそギリギリを飛んでおり、相当山奥に来たことが感じられた。突然香港のカイタック空港を思い出させられた。いや80年代の雲南思茅空港だろうか。

昨年できた新しい空港は周囲に何もない。週2便しか飛んでいないのだから賑わうはずもない。空港ロビーまで歩いて行くが、まるで山の中でそこだけが平地のようだった。建物に入っても、何もない。これでどうやって街へ行けるのか心配になる。Grabをたたいてみたが、バイクの表示はあるものの来るのかどうか。その時、市内行バスの表示を見てホッとする。運賃60bはありがたい。

フライトの乗客の多くは迎えが来ており、バスに乗ったのは10人ほど。その乗客は華人のみであり、高齢者とその付き添いであり、どう見ても観光客ではない。帰省?だろうか。車掌さんはどう見ても日本人にしか見えない華人女性。車内は華人同窓会の雰囲気になる。しかし言語はタイ語というのがちょっと不思議。恐らく里帰りとしては、新しい空港を初めて使ったのだろう。皆キョロキョロしている。

15㎞ほど乗ると街中へ入る。だが目印の時計台で降りたのは私だけだった。後の人たちはどこへ行くのだろうか。取り敢えず近くのホテルへ行ってみると意外なほど立派だったのでフロントへ。ヒジャブを被った女性が突然華語で『何日泊まりますか?』と聞いてきたので驚いた。ちょっと答えないとすぐに英語で聞き直してきた。ここは一体どこなんだ?

Wifiは弱いが、広くて、眺めの良い部屋にチェックイン。1480bで朝食付き。それにしてもロビーにはチェックアウトしたマレーシア人が沢山いた。ここはタイのはずだが、何だかマレーシアにいるような気分になる。取り敢えず腹も減ったので街に飛び出してみる。目指すはベートン名物、カオマンガイ。有名な店はすぐに見つかる。1時半ぐらいなのに、この店だけは客で溢れていた。お爺さんに『鶏飯』というと通じたが、コーラは広東語でないと通じない。この家族は広東系なのだろう。鶏肉は新鮮でおいしいが量は少ない。60b。豚足も美味そうに見える。

帰りに華人女性と目が合う。すると向こうが『あんたは何語を話すの?』と華語で聞いてきたので、そのまま会話が始まる。大学芋?揚げバナナが美味しそうに揚がっていく。10b分を分けてもらう。女性の母親(客家)が35年前に始めたという店。父親は海南人でイポーから来たという。広東語、福建語、潮州語など5つの華語とタイ語、マレー語を話す。語学の天才、恐るべし。

バンコク滞在記2022その5(3)癒しを求めて

10月5日(水)有料図書館

今日もまた図書館を探しに行く。ただ今日は図書館メインというより名建築がメインであり、そこでランチでもあれば最高、という感じで出掛けてみた。サムヤーンのあたりでバスを降り、後はひたすら歩くと、いい雰囲気の一角が出て来る。隣はブリテッシュカウンセル、そこにネルソンヘイズ図書館があった。1869年という文字から見ても古い。こじんまりした庭もいい雰囲気だ。

図書館へ入ると、何とここは会員制で、非会員は100bの入場料を取られる。しかも室内は写真撮影禁止なので、残念ながら入場を断念する。だが係員に『何か探しているのか』と聞かれ、タイの歴史関連と答えると、中へ入れてくれ、『もし読みたい物があれば入場して』と言ってくれた。結局それはなかったので、礼を言って外へ出た。確かに古めかしい室内ではあったが、特にこれはというものもない。外にはカフェが併設されていたが、こちらはかなり新しく、入る気分にはなれなかった。

図書館を離れると、罰が当たったかのように雨が降りだした。小雨だったので急いでサムヤーンまで戻り、ジョークで有名な店へ行くと、閉まっていた。ガッカリしていると猛烈な雨が降り出し、身動きが取れなくなる。朝の11時にこんな豪雨、初めてかも。店の軒下で雨を凌ぐ。よく見るとそこも食堂で、美味そうな鴨が下がっていた。

思い切って入ってみると、美味そうに麺を食っているおじさんがいた。私も食べようと思い、折角なので具材を全部載せてもらい、その下に麵が敷かれた。スープは別にやってくる。これは広東系だったかな。それにしても叉焼から鴨肉まで、豪華な肉が並んでいる。煮卵もいい。120bは安いのではないか。一杯になった腹を抱えて外へ出ると雨は既に上がり、晴れ間が見えている。この付近、美味そうな店がいくつかあり、是非再訪したい。やはりラマ4通りに沿って華人街が広がり、美味い物屋も広がっていた。

10月6日(木)川沿いのレストランで

今日はMさんのお誘いで、川沿いのレストランで昼食を食べることになった。宿まで迎えに来てもらい、全く知らない道を走ってそこに着いた。ここはどこだろうか、かなり南の方だとは思うのだが。しかもレストランもふらっとある感じで、そこへ行こうとしないと偶然に見つけられない感じである。

川の横には木々が茂った庭があり、雰囲気はとても良い。雨上がりの庭、殆ど客のいない川沿いの席でゆったりと寛げた。食事も美味しい(タイ料理を勉強するはずが、メニューすら気にすることもなく、何を食べたかはよく覚えていない)。いつも戦場で戦っているわけでもないが、年齢的なものか、疲れを覚えることが多くなっているので、こういう癒しは有難い。

チャオプラヤ川の河口近く。川の流れもゆっくりで、しかも周囲には建物も少ない。船の出入りも少なく、何もないと言えば何もないのだが、それがまた良い。不思議な感覚に囚われた。バンコク滞在2か月、私はここで何かを得ただろうか。日本にいるよりずっと開放的、というだけなのだろうか。

10月8日(土)週末の朝食は

一日中道路が混んでいるバンコク。特に朝晩のラッシュ時は激しい渋滞となり、バスは動かなくなる。だが考えてみれば週末の朝は空いているはずだ。そう思って突然バスに乗り、朝ご飯を食べに出た。確かに道路は空いており、バスは快調に走った。それでも小1時間ほど掛かってようやく目的地に着いた。

その店は路地で営業しているが朝8時で結構客がいた。オーナーは簡単な英語も話し、愛想がよい。店の名前は蘆溝橋紅飯。日本人が見るとギョッとするような名前だが、ここでそんな反応をする人はいないのだろう。名物はカリカリ豚のあんかけ飯。確かに豚が旨いし、汁も美味い。70b。華人の家族経営のようで、息子が懸命に豚肉を切り、娘が盛り付けをしていた。こういう光景も嫌いではない。

そこからふらふら散歩していると、以前も通った古い華人街が現れ、自動車部品などの店舗がずらっと並んでいる。更に行くと今度は木工業の店が並び、木製のドアなどが飾られている。チャイナタウンはヤワラーばかりではない。ヤワラーは単なる観光地なのであり、生活感があるのはむしろこちらだとよくわかる。

ワットサケットへ出た。数年前に来た時は上まで登ったが、今回は下を一周するだけにした。地方から来たタイ人観光客がバスで乗り付けてきて嬉しそうに記念写真を撮っている。少し涼しい朝散歩なので、更に歩いて行く。先月Oさんと行ったナンルーン市場へ出たが、腹が一杯で何も食べられない。

そこからバスに乗ったが、相変わらずエアコンバスから降ろされた。ただ車掌は実に丁寧親切で分かりやすい。結局チットロムまで赤バスで行き、BTSに乗り換えて、プロンポンで降りた。レトロ建築のホテルがあると聞いて行ってみたら、既に解体工事が始まっていた。現在のバンコクは高度成長期、ということだろうか。

バンコク滞在記2022その5(2)パヤタイパレスで昼食を

10月2日(日)報告会

朝5時半に起きて、宿の朝食を食べる。前回は楽しみにしていたが、今回はもういいかという感じになる。それでも貧乏性なので、付いている朝食は必ず食べてしまう。次回からは朝食なしとして、お粥を食べに行きたい気分だが、それでも目いっぱい食べてしまい、眠たくなる。

報告会では一応リバービューをお見せしたが、見ている方は何でこんなものを見るのだろうと思っていたに違いない。単なる自己満足で迷惑な話だ。今日も女子ゴルフがあったので、すぐにチェックアウトして、急いで本拠地に戻り、部屋でゴルフを見た。何で女子ゴルファーはこんなに上手くなったのだろうかと感心しきりである。夜は世界卓球を見て過ごす。

10月3日(月)名建築で昼食を

テレビ大阪の番組に『名建築で昼食を』というのがある。池田エライザと田口トモロウが古い建築を巡りながらグルメを食べる番組だが、何となく私もやってみたくなる。きっとバンコクにも名建築はたくさんあるだろうと検索するも、名建築でランチが食べられる場所は意外とヒットしない。

先日バスで通り過ぎたスワンパッカード博物館というのを思い出す。如何にもタイ風名建築という感じだったので行ってみる。ここはラーマ5世の孫の邸宅だったらしい。落ち着いた古めかしい建物の中には色々と展示物もあり、いい感じの庭が広がっていたが、残念ながらランチがなかった。

そこからBTSに乗り、実に久しぶりにアヌサワリーで下車。駅から歩いて10分、大きな病院の敷地内に入った。目的地は病院ではないのだが、よく分からずに歩いて行くと、その先に古めかしい、塔のある洋風建物が見えてきた。パヤタイパレス、かつてラーマ6世の宮殿だった(その後はホテル)という。ちょうど100年ほど前に建てられている。

その中にカフェとして使われている場所がある。カフェドノラシンはバンコク最古のカフェとも言われているが、元はラーマ6世が別の場所で一般庶民も使えるカフェを開かせており、その店名だとも説明されている。その後現在の場所にカフェが開かれ、その名が継承されたらしい。確かに誰でも入れるが、靴を脱いで入るのが、如何にも王室的。

店内は名建築で昼食を、に相応しい華麗な造りになっており、ゆっくりと座っていたくなる。お客は観光客が数人写真を撮っているだけで、実に落ち着く。店員は当然のように英語を話す。軽食として有名な「ムーケム」は煮込んだ柔らかい塩豚にトーストを添えた一品。意外といける。ドリンクも高くはなく、簡単に利用できる穴場といえよう。

パレス自体は有料ガイドに案内されれば見学できるというが、ちょうど昼休みで誰もおらず、詳細不明。ただある程度の場所は開放されているので、勝手に見学して去る。病院の昼時なので、意外なほど人の出入りがあり、カフェ以外は落ち着かない雰囲気だった。向かい側にはマヒドン大学もあった。

10月4日(火)近所の新規開拓

最近は出掛けることも多くなり、ご近所の新規開拓を怠っているとの指摘を受けた。お昼にYさんから、新しい店へ行こうと言われ、ちょうどよいので付いて行ってみる。そこはいつもバスに乗るために通る道沿い。今まで入ろうとしたことはなかった、屋台に毛の生えた小屋のようなローカルな店だ。

Yさんも最近初めてきて気に入ったらしい。向こうではふくよかな女性が3人で料理を作っている。母と娘姉妹らしいが、区別できないほど似ている。ガパオとムークローム、それに隣で焼いていた焼き鳥を仕入れてきて、豪華なご飯を食べる。周囲ではバイタクおじさんたちがタバコを吸って休んでいる。タイの日常風景がここにある。

夕方、先ほどの店を通り越して、クロントイ市場の裏の方へ回り込む。何軒か店があるのは知っていたが、一度も行ったことはなかった。ここに牛モツ鍋で有名な店があると知り、訪ねてみる。午後5時前だというのに、店にはかなりの客がいて驚く。王春盛という店名が華人系だったので、華語が通じるかと思ったが、使う前に英語で案内され、英語メニューを渡される。外国人もたくさん来るのだろう。

2人以上の人は皆鍋を食べていたが、一人だと食べきれないので、牛モツ麵を注文してみる。私が牛モツ好きであるせいもあるが、これは煮込まれていていい味が出ている。数種類のモツをミックスしてもらい、麺をチョイスして80bは安くて美味しい。人が集まるのも道理だ。もっと早く来るべき店だった。新規開拓の意識をもっと持つようにしよう。

バンコク滞在記2022その5(1)バンコクでカオソイ

《バンコク滞在記2022(5)》  2022年9月29₋10月8日

9月29日(木)カオソイ

朝からコムヤーンを食べてしまった。美味しかったが、腹が一杯で昼は抜きになった。ネット情報ではタイに台風が近づいているというのだが、『タイ』とは相当広い範囲のはずで、タイに接近などといってもどこに来るのか。昨日カンボジアから帰ったと言ったら、カンボジアはタイ風だったでしょうとも言われたが、全くその気配はなかったのだから。この報道姿勢は日本と共通する。日本では台風、地震などもお祭り騒ぎのように報道して、結局ほぼ被害もないということが続いている。タイの場合、台風が来るのは稀なので、多少騒ぐのは分からないでもない。

どうやら台風はタイの北からラオスの方へ行っているようだ。そんなことを考えていると、突然カオソイが食べたくなる。先日チェンマイには行ったが、チェンマイ名物のカオソイを食べる機会はなかった。はて、バンコクのどこでカオソイが食べられるのだろうか。ふと思い出したのが、何とすぐ近所。7₋8年前にそこで食べた記憶が急に蘇る。今もあるのだろうか。

記憶を頼りに歩いて行くと、店は健在だった。そして華人と思われる店主がカネ勘定をしており、もうすぐ店が閉まる気配だった。入っていくとまだ大丈夫と言われたので座る。『カオソイ』というと、鶏肉かと聞かれたので頷く。出てきた物は確かにあのカレー味のカオソイだった。麺はちじれている。

麺を揚げたものが降りかかり、カレーとしっくりマッチしている。横にはあの高菜漬け。ライムで味変も可能だ。それにしても何でチェンマイにカレーがあるのか。本当にランナー食文化なのだろうか?ビルマから伝わってきた物なのか?食べれば食べるほど分からなくなる。料金は10b上がって70b。

10月1日(土)サパーンタクシンで

今日はバンコクから2回目の報告会を配信するため、ホテルへ移動。前回は市の中心部だったので、今回はリバーサイドホテルを希望したところ、『リバー近くの、リバービューのあるホテル』にチェックイン。昼の12時にチェックインできるのは何とも有難い。このホテル、かなり古いがロケーションは良く、部屋も悪くない。ただ部屋のドアのカードキーが上手く反応せずに入るのに苦労はする。

ちょうどテレビでゴルフの日本女子オープンをやっていたので、それに見入っていると、午後も2時を過ぎてしまう。ここからランチを探しに外へ出た。Yさんから教わったカオカームー屋を素通りして、そのままどんどん歩いてしまい、いつの間にかインド寺院付近まで来てしまった。ここはもうシーロムエリアで、これではサパーンタクシンに泊った意味はない。

じつはここにマッサマンカレーの美味しい店があると聞いていた。午後3時近くでもお客はいる。日本語メニューも登場した。カレーは芋がゴロゴロ、確かに食べやすい。後ろの女性が食べていたのはカオソイではないか。思わずこちらも注文する。予想以上にマイルドで食べやすい。他にも魚や揚げ物などが並んでおり、普通にご飯を食べることもできる。それにしてもマッサマンカレーのルーツはイスラムではないのか?

満腹の腹を抱えてぶらぶら戻る。チャオプラヤ川に出ると風が気持ちよい。ボートが行きかい、何とも言えない楽しさが感じられる。近所には古い海南寺やモスクが点在する。この付近が昔貿易の中心地のひとつであったことを窺わせる。宿の下のデパートも懐かしい。25年以上前に家族旅行で来た時に入ったことが急に思い出される。

ホテルは一か月前に泊ったところの系列だが、観光客が急増している雰囲気が出ていた。料金は前回聞いた時より1000b近く上がっている。プールでは韓国人の家族が遊んでいた。日本人観光客も少しだけいたようだ。部屋から川の向こうに沈む夕暮れを眺めるのはとても良い。

夜8時頃ようやく腹が減り外へ出た。紹介されていたお粥屋はまだ開いており、観光客で賑わっていた。ここには英語のメニューがあり、注文も簡単にできる。かなり内臓系を入れた粥が登場してテンションが上がる。ピータンと生姜の相性がとても良い。部屋に戻り、アーセナル富安、ブライトン三苫を見て、満足して一日を終わる。

バンコク滞在記2022その4(2)新しいMKととん清

9月20日(火)新しいMK

今日は午後、Oさんがやってきた。車で迎えに来てくれたのだ。前回はナンルーン市場へ行ったが、今回はOさんの家に行った。その前に富士スーパーで買い物もした。Oさんは最近雑穀米を食べているという。私は健康には完全に無頓着で、食べたいものを食べたい時に食べているのだが、それでよいのだろうか。何だか最近食べ過ぎで、体が重い。

Oさんの部屋で話していると、また『タイは分からない』ということになる。勿論私などタイの部外者であり、仕事もしていなければ住んでいる訳でもない。ましてや嫁さんがタイ人でもなく、タイのことなど分かるはずもないというのだが、中国など他国との比較からタイを見てみても、よく分からないと思うのはなぜだろうか。Oさんが水野潮さんという人の本を勧めてくれた。

夕飯は近所のモールへ。近所にこんな立派なモールがあるのはすごい。でも我々二人には何となく似合わない。と思っているとOさんが向かったのは、何とMK。タイの国民食であるタイスキで最も成功したチェーン店でどこにでもある。だがこの高級モールのMKは一味違っていた。

何と10種類のスープから2つを選択して、中国火鍋のように楽しめるのだ。トムヤンスープを頼んで蝦を入れれば、そのままトムヤンクンになる。もう一つは敢えて味噌スープにしてみた。これが意外や美味しい。野菜などをたっぷり入れれば、日本の鍋の感じになる。最後の〆はラーメンというのもまた良い。MKはタイに1000店舗以上あるらしいが、常に新しいことに挑戦しており、この店は最近できた新型高級店舗のようだ。お客を飽きさせない、タイ人の収入に合わせて改善する試みは面白い。

9月21日(水)ケンタッキー

タイに来ると必ず食べるケンタッキー。今回はまだ食べていなかったので、行ってみる。モールの中にあるのだが、まだ時間が早いのか、それほど混んでいない。日本ではどうか分からないが、タイではマックとケンタは明らかに競っているが、そのサービス提供にはかなりの差がある。

少なくともマックはかなり上昇志向であり、ケンタは価格抑え気味といえる。ただこの2年半の間でマックも苦労したのか、低価格のセットを販売もしている。ケンタは何と言っても日本との比較で言えばかなり安い。いつも食べるセットはフライドチキン4つ、ポテト、タルト、ドリンク(ドリンクバー)で139bだから円安といえどもこれで500円程度。

ただ偶々かもしれないが、今日食べたフライドチキンの鶏肉の味は、それほど美味しく感じられなかった。日本との決定的な違いは鶏肉の美味さだと思っていたので、ちょっと残念な感じである。これならマックの99bセットがお得に思えてくる。まあ各社戦略と収益を常に見直しているのかもしれない。いずれにしても日本で家の近所のケンタはいつも行列が出来ているので、なかなか行けない。

9月22日(木)エカマイからとん清

明日からカンボジア旅が始まる。そのために先ずは東部チャンタブリを目指すことになったが、そのバスはエカマイから出ていると聞き、翌日チケットをゲットしにエカマイへ向かう。バスターミナルは健在だったが、人は以前よりかなり少ない。ただ『パタヤ』と叫ぶ係員の姿はあまり変わっていない。私は『チャンタブリ』と言ってみると、ある窓口へ連れていかれ、すぐに明日9時発のチケットがゲットできた。今やネットでチケットが買える時代だが、ネットでは分からない情報などもあり、ここで買えるのは何かと有難い。

そこからプロンポンの方へ歩いて行く。トンローはすぐ近くだったので、その先まで歩いていくと、プロンポンのソイ。11時過ぎだったがなぜか腹が減り、店を探すも、開店前のところが多い。すると目のまえに和食屋が見える。よく見ると『とん清』と読めた。あれ、その昔、あの電波少年で猿岩石がバイトした店と紹介され、シーロムで行った店ではないか。今はここにあるのかと妙な懐かしさから入ってみた。

店内に客はいなかったが、メニューを見ると、かなりの種類があり、他の和食屋よりちょっと安い。昔から安かったなあ、と思い出す。好物のかつ煮定食を頼むと、味はまあまあで、コスパは良い。店内には漫画本なども置かれ、雰囲気は昔のようだったが、果たしてコロナ禍、そしてコロナ後、どうなっていくのだろうか。

バンコク滞在記2022その4(1)鍵紛失と電話番号変更

《バンコク滞在記2022(4)》  2022年9月17₋22日

9月17₋18日(土)カギを失くす

意気揚々とチェンマイから帰還した。宿まで戻り、エレベーターに乗ろうとした時、異変に気付いた。何とポチ袋に仕舞っていた部屋の鍵が紛失していたのだ。ズボンのポケットに入れていた時、汗が染みこみ、紙が破れて、落としてしまったらしい。取り敢えず部屋まで来たが、荷物を全部ひっくり返しても、鍵は出てこない。

フロントに事情を話すと、部屋には入れてくれたが、『明日の朝までに鍵を探せ。それでも見つからなければ、紛失として、新しい鍵を渡す。但しペナルティーは500bだ』と宣言されて萎える。もうどう探してもないのだから、眠れぬ一夜を過ごして、朝を迎えるしかなかった。

翌朝フロントへ行き、何とも言えない気分で500bを差し出し、鍵を受け取る。ところが部屋に入ろうとしてもこの鍵は使えない。フロントの人間もやってきてトライするも、鍵は回らない。新しい鍵を渡しているから、もう予備はないようだ。どうするのか。とそこへ技術職のおじさんがやってきて、いきなりドアノブをぶち抜き、ちょっとこすってまた元に戻した。するとまるで嘘のように鍵が回るようになる。鍵の方を削るという発想はあったが、ドアノブの方を削るとはすごい。さすがやはりタイの技術は侮れない。でもそれでいいのだろうか。

9月19日(月)ソムタムダーで

今日は後輩のUさんと会うことになった。同窓生の紹介で東京に居る時、オンラインで一度顔を合わせているが、その時から、タイの食文化などの知識があり、タイ在住20年の経験もあり、勿論タイ語もできる、色々と聞いてみたことがある人だったので、楽しみにしていた。

場所はシーロムにあるソムタムダーという、名前からしてイサーン料理の店。結構有名店らしい。今回バンコクに来てシーロム付近を歩くのはほぼ初めてかもしれない。赤バスで近くまで行き、そこから少し歩いてみた。昔はよく歩いたが、最近はちょっと縁遠い場所になっている。

Googleを頼りに歩いて行くと、何故か目的地のレストランの隣のカフェが表示されてしまう。よく見るとそこは以前他の人に指定された待ち合わせ場所。だが都合でそこへは行かなかったので記憶はなかったが、Googleはそれをちゃんと記憶している。すごいというか恐ろしい。

ここでUさんと会った。食べ易そうな料理を選んでもらい、どんどん食べていく。そしてどんどん話しが弾んでいく。私の最近の興味の一つはタイ料理のルーツであり、特にタイ北部の文化、華人などにも関心がある。彼女はチェンマイに住んだこともあり、タイ全般にも詳しいので何とも有難い。私が2年半前までバンコクで、茶やグルメを中心に色々とお世話になっていたHさんとも親しいと分かり、テイストが似ている。結局3時間近くもそこで話し込んでしまう。いつもの悪い癖だ。

それから銀行へ向かった。シムカードを新しく買ったので、電話番号を変更しないと不便だったのだが、午後の銀行は混んではないないのに、順番が全然回ってこない。驚いて夕食のパンを買いに行って戻ってきても、全く順番は動いていなかった。さすがに1時間を過ぎている。上席の女性が通り掛かったので『電話番号を変えるだけなんです』と涙目で訴えると、日本なら『申し訳ございません』と頭でも下げられそうなところで、『あなた、電話番号を変えるのがいかに大変か、分かっていますか?』と逆に窘められる。

それでも『確かに1時間待ってこの状態は良くないから、先に申請書を私と書きましょう』というではないか。それから大量の書類が私の前に置かれ、1つずつ説明され、サインさせられた。最後には『分ったでしょう、大変ね』と笑っていたが、その頃には他の客はほぼ用事が済んで帰っていた。何だかキツネにつままれたような時間だったが、最終的に無事に変更は完了した。

バンコク滞在記2022 その3(6)パクナムへ

Iさんが興味あるというのですぐ近くの集友茶行を訪ねた。王さんはなぜか待っていたよ、といわんばかりに、昔の岩茶などを持ち出してきて見せてくれ、80年代の茶は実際に飲ませてくれた。これは恐らく前回話を聞いた後、『あの茶はまだあったはずだ』と王さんが倉庫を探した結果らしい。さすが80年の歴史を誇る老舗、厚みが違う。

そういえば今日は中秋節でヤワラーでも月餅を沢山売っていたが、奥さんが出してくれたのは月餅ではない餅。こういうところも何ともおもしろい。それから茶行のすぐ近くのラートナーの店にも入った。相変わらずいい味出している。ラスクみたいなものを売っていたので買ってみたが、こちらはあまりいただけない。

結構お腹が一杯になったので、その辺をフラフラ。どこかでお茶でもと思っていると、ちょうどダブルドッグが目に入る。ここは宇治で修行したタイ華人がやっているお店で、昔何度か行ったので懐かしい。お店が開いているだけでもうれしい。しかし中に入ると、何と予約のみ入店可能ということで、残念ながら留まることもできなかった。まあコロナ禍の措置としては仕方がないことだろう。

それから市場などを見て回ると疲れてくる。残念ながら適当なカフェもなく、スタバに収まる。ここのスタバの2階は広くて人が少ないので、かなりゆったり出来た。話し込んでいる内に雨が降り始めていた。かなりの雨だったが、何とかMRT駅まで走り、最寄り駅まで逃げた。しかしいつもはバイタクで帰るが、今日それは無謀。傘をさして歩いて市場の軒下などを通り、帰り着いた時はへとへとになっていた。

9月11日(日)パクナムへ

昨日の大雨が嘘のような快晴の朝。さすがにこれなら出掛けようと思い立ち、バスに乗る。昨日の夜バンコクの鉄道を調べていたら、我が宿近くも通っていたパクナム線。パクナムとはどんなところか気になり始めてしまい、ついにはBTSに乗り換えて、パクナムまで行く。昔はこんなところまでBTSはなかったが、その昔は路面電車で繋がっていた。

パクナム駅を降りると時計台が目に入る。その先、川沿いを行く。天気が良いと川の景色が映える。ちょうどスクンビット通りと市場が分かれるところまできて市場の方へ行く。スクンビット通りはバンコクだけでなく、何とトラートまで続いているという。いつかスクンビットを旅してみた。

市場の手前にフェリー乗り場がある。どこへ行くのか分からなかったので乗らなかったが、こんな天気の良い日の川旅もまた良いだろう。市場は予想より大きく、魚などがドカンと置かれていた。生きが良いのは飛び出している。人もかなり出ているようだが、私が行った時間は遅く、既に店仕舞いというところもあった。どこかに魚を買えば料理してくれるところもあったかもしれないが、見つからなかった。

ここにはかつてのパクナム線の記念碑があるようだが、今回は見逃してしまった。展望台が目立つので、その方へ歩いてみる。途中立派なお寺があり、少し寄り道する。展望台まで行くと、1階に子供たちがたくさんおり、何かイベントがあるようだった。タイ語で意味が分からず、上に上がるのを断念して外へ出た。駅の反対側へ向かう。そこにも寺があった。川沿いのきれいな寺。風がものすごく気持ちよい。

そこからBTSでサムローンまで戻る。Mさんと待ち合わせて牛肉麺の店へ行く。台湾人がやっているというので期待していたが、何と店は閉まっていた。仕方なく近くでカオマンガイを頬張る。これはまた美味い。それからソンテウに飛び乗り、駅近くのカフェへ。何と名前が喫茶店。そこでまた長々話し込んでしまう。気が付くと日が西に傾いていた。

バンコク滞在記2022 その3(5)ヤワラーでジョーク

9月9日(金)ヤワラーでジョーク

昨晩ネットでバンコクの美味しい食べ物を見ていたら、どうしてもジョークが食べたくなり、朝ヤワラーへと向かった。ジョークについては、これまでお粥としか認識していなかったが、よく考えれば日本や中国の粥より細かく砕かれており、ある意味では広東粥のように煮込まれた雰囲気があるのは、興味深い。

確かワットトライミットの近くに有名な朝粥の店があったと思い出し、そこまでバスで行ってみたが、店は見付からない。仕方なく周囲を探索し、ようやくジョークがある店を見付けて入る。ここには英語表記があり、やはりジョークは外国人も食べたい食べ物なのだと分かる。内臓系を全部ぶち込んでもらい、卵も乗せて、コショウをたっぷり振ったジョークは実にうまい。そして胃にも優しい。これで50bは幸せ。

帰りもバスに乗る。エアコンバスの恐怖はあったが、今回は無言で20b札を出すと車掌も無言で8bのお釣りをくれた。こうであれば何の問題もないのだが、行き先を聞かなかったのはなぜだろうか。一説に高齢者は12bなのだ、というのがあったが、高齢者に間違われたのだろうか。タイの高齢者は何歳からなんだ?

昼ごはんをYさんと食べる。朝も食べたというのに、またいつもの食堂で思いっきり食べてしまった。食が旺盛で体調が心配になるが、今のところ何の異変もない。更に夜は近所の中国料理屋に行ってみる。ここは3年ほど前、餃子が美味いと評判になり、日本人にも人気があったのだが、今日行ってみると従業員に中国系はおらず、何だか活気もない。水餃子はまだしも、もう一品の炒め物は全くダメだった。恐らくコロナ禍で中国人シェフが入国できず、このような状況になったと推察される。何とか以前のように戻って欲しいが、それは中国次第、来年を待つしかなかろう。

9月10日(土)2日続けてヤワラーへ

何と今日もヤワラーへ来てしまった。お知り合いのIさんと会う場所をヤワラーにしたからだ。そして早めに宿を出て、昨日と同じようにバスに乗り、同じように降りた。ただ時間的には9時前に着いてしまった。やはり土曜日は車が少なく、スムーズだった。そしてよく見ると、昨日はやっていなかったジョーク屋があるではないか。

昨日はやっていなかったのではなく、既に店仕舞いしていたのだ。今日は路上にテーブルがいくつも出ており、何人もの人が食べている。それでも既に営業終了が近づいており、スタッフにも、鍋にも若干の疲れが見える。午前5時からやっているらしい。早速ジョークを注文すると、威勢の良い英語が帰ってくる。更には日本人と分かると簡単な日本語まで飛び出してきて、実にフレンドリーな店だった。コロナ前は多くの日本人観光客が来ていたのだろう。

腹を満たして歩き出すと、なぜか肉骨茶の店がある。タイにもあるのか、食べてみたいなと思う。そこからワットマンコーンまで歩いて行く。現在修理中で入口が狭いが、中は普段通り人が沢山いる。今回私はヤワラーをちゃんと歩いていない。懐かしい建物がいくつも見られたが、それなりの変化もあるようだった。歩いている途中、2年半前にグルメのHさんと言ったバンミー屋を見つけたので、Iさんとまずそこへ行ってみることにした。前回とは違い、店にはお客が沢山いた。やはり雲吞と叉焼が旨い。