シベリア鉄道で茶旅する2016(11)キャプタ 茶貿易跡に立つ

5.キャプタ
教会前で放り出されて

このロシア正教会は遠目に見ても立派だったが、近くで見るともっと立派だった。門は閉じられており、中を窺うことはできない。現在実際に使っているのかどうかさえも分らない。仕方なく反対側にある茶葉貿易の跡である建物へ向かう。荷物を引きずっており、ゆっくり歩く。快晴の中、国境に比べても暖かい。建物の前まで行くと、なぜかレーニンの像があった。100年前に滅んだ茶葉貿易の道だったが、建物はその後のソ連時代も使われていたことが分かる。

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だが中に入ってみると、そこにはほとんど何もなかった。僅かに小さな建物があるだけで、あの写真で見た駱駝と茶葉に埋まっていた、ロシアの税関の雰囲気は跡形もなくなっていた。当たり前だ、100年も経っているんだぞ、という声が聞こえてきそうだったが、私の耳は駱駝の声や商人の怒号を聞きたがっていた。なぜこの外壁だけが、これほど見事に残されているのだろうか。モンゴル側はあれほど見事に何もなくなっているのに。ソ連時代には紡績工場だったと書かれていたが、1991年、ソ連崩壊とともに閉鎖されたらしい。その後はどうしたのか。遺跡を保存しているようにも見えず、なんとも不思議だが、そこがまた浪漫を掻き立てられる。

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この建物は茶葉貿易全盛期には、ロシア側の倉庫と税関だったという。茶葉の売買は中国側の売買城で行われたが、ロシア商人は日中しか出入りを許されず、夜はこちら側へ戻っていたらしい。1878年、モスクワで千島樺太交換条約を締結した榎本武揚もここに立ち寄っていることは『西比利亜日記』に記されている。1800年代の半ばにこの建物は木造から現在の姿に建て替えられたというから、榎本もこの建物を見たのだろうか。シベリア鉄道開通までは、この地は真にシベリア貿易の中心地であったことが分かる。

 

それにしても、ここに置き去り?にされて、これからどうするのだろうか。実は今日はキャプタ博物館へ行く予定になっている。普段は段取りをしないS氏が唯一この旅でこだわったのが、キャプタ博物館の訪問だった。ロシアには万里茶路に関する史跡はほとんど残っていなことはなんとなく分っており、その中でキャプタは私が3年前に教会と遺跡を見ていること、そして唯一キャプタ博物館に展示物があることを、12月の呼和浩特訪問の際、万里茶路の研究もしている劉さんから聞いていたのだ。

 

そこで劉さんにお願いして、博物館の研究員を紹介してもらおうとしたのだが、その後なかなか連絡が取れず、ようやく研究員の名前と電話番号が分かったのだが、言葉が通じなかった。S氏の知り合いのロシア語のできるウズベキスタン人を介して話をしてもらったが、どうにも進まなかった。もう仕方がない、諦めようとした頃、S氏のもとにメールが来て、何とか訪問の承諾を取り付けた。しかし本当に意思疎通ができているのだろうか。いやまず、博物館は一体どこにあるのだろうか。

 

博物館で

昼間だからよいが、もし夜だったら途方に暮れるような、何もないところだった。S氏はこういう時は実に強い。『人がいるところ、必ず何とかなる』という信念があるようだ。その信念が通じたのか、我々が教会前に戻ると、なぜかヒョロヒョロと車がやってきた。運転手が『どこ行くんだ』という感じで、聞いてくる。博物館は『ムセ』かな、と思って言ってみると、何と『わかった』という雰囲気で車が出ていく。白タクだった。料金は300㍔だとか。

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車は国境からの舗装道を走っていく。5分も行くと、丘のようなところで車は停まる。街はまだ先だが、どうしたのだろう。運転手が『ここから街を眺めるのがいいんだ』という。確かに街が一望できた。ここは元々キャプタ、という地名ではなかったらしい。低層だが、思ったより家々が立ち並んでいた。そして反対側には凍結された大きな川も見える。これがセレンゲ川だろうか。茶葉はここを遡ったとも思われるのだが、実際はどうだろうか。丘の上には戦士の記念碑が建てられていた。ここで戦闘が行われたのかもしれないが、文字が読めない。

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車は街中の建物の前で停まる。ここは確かに博物館らしい。だが文字は読めないため、取り敢えず扉を押して中へ入ってみる。展示物がきれいに並んでいたが、ここは郷土博物館だろうか。男性が出てきて、用件を聞こうとしているのだが、何と英語は一言も通じない。ここからS氏の本領が発揮される。研究員の名前が書かれた紙を示すと、彼は『ああ、彼女のことは知っているよ、でもここにはいない』というジェスチャーを示した。そして携帯電話を取り出し、どこかへ電話を掛けた。

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『彼女は別のところにいるよ。まずはここの展示物を見てから行こうよ』と彼は言っている。さらっと展示物を拝見して外へ出る。彼は自分の車で我々を送ってくれるという。何と親切な。小さな街なので歩きながら行くこともできるだろうが、何しろ言葉が通じず、文字も読めないので、この申し出は有り難かった。更には、今日はいい天気で、道路は雪や氷が溶け出し、何とも歩きにくかったから、これは大いに助かった。

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