さしま茶旅2016(1)栃木から古河へ

《さしま茶旅2016》  2016年1月13日

 

2016年になった。アジア放浪の茶旅も3月で満5年を終える。これまでの旅は一言で言えば、楽しかったと言えるのだが、これからまた5年間、同じような茶旅を続けられる自信は正直ない。やはり残念ながら変化がなければ、飽きてしまうのではないだろうか。そこで最近は少しテーマ性を持った旅にもチャレンジを始め、6年目に向けて活動を開始してみた。

 

今回は『江戸時代、庶民はどんなお茶を飲んでいたのか』というテーマで調べを進めている中、関宿とか、さしま、とうか言う地名が引っ掛かってきた。江戸の街に運ばれたお茶だから、狭山茶あたりからかと思い、入間のお茶博物館、アリットのKさんに聞いたところ、『狭山茶は煎茶以降だよ』という答えであり、『むしろ関宿あたりに集まった安い番茶が江戸へ行ったのでは』というのである。これは面白いと思い、一度訪ねてみようと、考えた。

 

実は関宿はうちの奥さんの両親の所縁の地。二人のお墓もあり、私も何度か行っているのだが、まさかお茶が採れるとは驚きだった。江戸時代には利根川の水運を利用した、重点都市として、機能しており、お墓の近くには川が流れ、城も再建されているのは知っていた。そして近年さしま紅茶という名前をよく聞かされていたが、関宿からさしまが、1つの茶園圏であることを初めて知る。昨年11月の地紅茶サミットでは、さしま紅茶も出展されており、そのご縁により、まずは行ってみようと立ち上がる。因みに私にとって猿島という地名で思い出すのは平将門ぐらいであるが、今年は申年であり、何となく縁起を担いでいる。

 

1月13日(水)

古河まで

地紅茶サミットで知り合った吉田茶園さんに、お店の場所を聞くと、何とJR古河駅に近いという。てっきり東武動物公園駅あたりからバスに乗るものと思っていたので、かなり意外だった。そして古河といえば、私が育った栃木にほど近い。まずは最近ご無沙汰している墓参りに行こうと、朝東京を出て、栃木市へ行った。今や栃木市に行くには、特急を使えば、新宿から駅3つ目という、驚きの近さだが、私は延々鈍行に揺られ、3時間かけて行ってみた。

 

既に両親はなく、栃木に行くこともめっきり減っていた。法事でもないとなかなか足が向かないという不幸者が、突然現れたので両親もびっくりしただろう。菩提寺は歴史だけは古い天台宗の寺で、江戸時代の2代横綱、綾川 五郎次の墓などもある。商店街は残念ながら寂れて行くばかりに見えるが、一応江戸時代には水運で栄えており、一時北川歌麿も滞在したとされている。今も古い蔵が残っている蔵の街として、天気が良ければ観光客も来る。冬場は風が強く、人通りは少ない。

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寺の前の花屋で墓に備える花を買う。向かいには昔肉屋があり、コロッケが美味かったが、無くなっていた。『随分前だよ、無くなったのは』と花屋の主人に言われ、自分はいつからここに来ていなかったのかが、気になり出したが、何とも思い出せない。肉屋は見事になくなり、跡地は駐車場になっていた。尚寺のすぐ近くには女優山口智子の実家、老舗旅館鯉保もあったが、10年ほど前に時代の波で閉店している。因みに山口智子は中学の後輩に当たり、弟は同級生である。栃木からトレンディ女優が出た、というのは当時相当の話題だった。

 

駅前で昼ご飯を食べて、JR両毛線に乗り、小山で乗り替えて、東北本線で古河まで行った。乗り換えを含めて1時間近くかかる。高校時代、同級生で古河から通っていた者がいたのをふと思い出したが、名前までは思い出せない。うちの高校には栃木県以外に、群馬、埼玉、茨城から生徒が通ってきていた。4県に跨る高校、結構広域だな、と。古河は茨城県に属するが、やはり近いとは言えない。

 

吉田茶園

駅には吉田さんが待っていてくれた。昨年の地紅茶サミットで出会い、さしま茶の歴史が知りたいというと、心よく案内を引き受けてくれた。さしまといえば、近年は紅茶で売り出しているところだが、実は地紅茶サミットで私が惹かれたのは、いずみという珍しい品種で作った煎茶だった。紅茶の会で緑茶を買っていく変な客、として吉田さんの印象に残ったのかもしれない。

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駅から車で5分ほど行った、JRの線路近くに吉田茶園はあった。まずは近くの茶畑を見学する。まさに線路脇にあるこの茶畑、東北本線で唯一見える茶畑だという。確かに東北へ行くのに茶畑、というとイメージは合わないかもしれないので、もし見付けたらちょっと驚くことだろう。

 

茶畑はフラットな場所にあり、向こうまでよく見渡せた。そこには川も流れているという。やはり茶葉の輸送は水運か。今日は天気は良いが、茶樹は1月のこの辺りにありがちな強い風に耐えているように見えた。しかしよく見ると、上の部分はしっかりと全体をガードして硬くなっているが、その下からは新しい息吹が感じられ、比較的寒い地域の茶樹のありようを見せてくれていた。茶樹はやぶ北をはじめ、数種類が植わっており、ここでは様々なお茶が作られている様子が見て取れた。

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