突然行く台湾北部茶旅2015(9)変貌する林森北路

帰りは駅まで歩いていく。急な階段を下りるのが近道と教わり、降りていく。更にユルユルとした坂を歩いていると、そこは駅に通じる繁華街。何故か佐野ラーメンという店が目に付く。本当は淡水観光をするつもりだったが、何となく疲れたので、駅から地下鉄に乗り、ホテルに戻った。

 

6.台北3

夜、広方園に行く。頼んでおいたパイナップルケーキを取りに行くためと、ここでKさんと待ち合わせるためだった。今日は湯さんがおらず、ご主人と少し話す。紅茶のティバッグをお土産にもらって、店を出た。Kさんとはアモイ以来の仲だが、彼女の職場が近いので、いつもここで待ち合わせる。

 

適当に店に入る。宜蘭料理の店と書いてあるが、どれが伝統的な宜蘭料理かは良く分からない。夜はそこそこに涼しいので、煮込みのようなものを頼むと、非常にコクのある味のスープだった。担々麺のような麺も美味い。料理はどれも比較的あっさりしており、日本人には食べやすいだろう。昔ながらの店を再現した建屋、こんな店が今、台北では増えている。

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Kさんが台北に来て、2年ぐらい経つだろうか。これまでも大連、天津、アモイなど、いくつもの都市を渡り歩いてきた彼女、そろそろ違う街への憧れが出てきているかもしれない。先日行った台南の話をすると『是非行きたい』と言い出す。確かにあまり考えずに行ってしまった方がよいのかなとも思う。私も台湾拠点を真剣に考えよう。

 

12月11日(金)

今日は台湾最終日。取り敢えず朝ご飯を食べに出る。ここ林森北路は夜の街、朝はひっそりと静まり返っている。だが、昔飲み屋だった場所が、日本料理屋になっていたり、ビルが観光客用のホテルに改装されていたり、大いなる変化が見て取れて驚く。朝から若い女性が歩いている。こぎれないホテルから出てきて観光に行く。昔日本人がバブルだった頃は成り立った飲み屋業は既に完全に過去のものとなっている。それはそれで仕方がないが、何となく寂しい。

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朝ご飯を食べる場所を探すと、隅の一角に地元の人が食べるような店が連なっていた。ハムたまごサンドとミルクティーで40元はとても安い!なるほどこんなところもあるのか。この街は変わらない部分と大きく変わったところに分かれるようだ。如何にも台湾らしいと言える。

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ホテルに戻るとANAからフライトが遅れる旨の連絡があった。1時間半ほど遅れるので、昼飯を食べる時間が出来た。実はホテルのすぐ横に、昔よく行ったウナギ屋、昔はボロボロの建屋だった肥前屋が、とてもきれいになって店を開いている。折角なのでそこで食べようと11時の開店を狙って行ってみると、なんと50人以上が既に列をなしており、店内は満杯だった。台湾人はそんなにウナギが好きだったのか、と思ってしまったが、どうやら並んでいるのは中国人観光客。最近大陸ではウナギブームだと聞いているので、その影響らしい。

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ウナギを諦めて、森林を歩く。昼も朝と変わらない。また朝ご飯を食べた地区にやってきた。どうやらこちらの方が落ち着くらしい私。最後はやはり魯肉飯とスープ。これを食べていればご機嫌だ。店には観光客の姿などなく、地元の人がちょっと食べては出ていく。私も25年以上前は、そんな暮らしの一員だったのだが、その頃日本はバブルに浮かれており、若い私もさぞや浮かれていたことだろう。そんな姿を台湾人はどう見ていたのか、聞いてみるのが怖い。

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実はホテルはチェックアウトしていた。何と12時チェックアウトのところを、12時半にして欲しいとお願いしたが、『出来ない』の一言で交渉も何もない。僅か30分、これは日本の悪しき傾向が台湾にもたらされたのだろうか。中国でも他のアジアでも、このぐらいをは普通は大目に見てくれる。日本だけが時間厳守の国だと思っていたが、台湾人もこれを取り入れてしまった。

 

昔お茶屋のおばさんに言われてことを急に思い出す。『日本は台湾にいい文化も沢山運んできたが、実は悪い文化も一杯持ってきた。例えば暴力的なアニメやパチンコや。若者は日本のものは直ぐに吸収してしまうから困る。日本ももっと考えてほしい』と。アニメなどはまさに良い面と悪い面の両方が共存しているのだが、日本人はアニメを素晴らしい日本文化、とだけ刷り込まれている。ホテルのサービス低下も『効率化』という言葉で置き換えている。実はタイでもそういうホテルに出会い始めて困惑している。『多少の柔軟性』はぜひ欲しいところだ。

 

地下鉄に乗り、松山空港にやってきた。ANAのカウンターに行くと乗客の姿はない。またディレーかと思いきや、既に皆チェックインを終わったらしい。フライトディレーの連絡が付かない人も多いのだろう。そして羽田同様『通路側の席』をお願いしたが、何と満席でないという。一番後ろの席を割り振られ、挙句に『あなたが遅く来たのが悪い』というので驚いてしまった。羽田空港では『台北のカウンターで言えば席は確保できる』と聞いていたのだが。

 

まあそれほど長い時間でもないので、諦めて搭乗口へ向かう。私の後ろから車いすに乗った老人が係員の誘導でやってきた。よく見ると笑点でお馴染みの、歌丸師匠だった。確か病気をして笑点を休んでいたと聞いたが、弟子が和服で付いているので間違いはない。するとその横を歩いている小柄な婦人が富士子夫人なのだろうか。何だかちょっと気分が晴れた。

 

本当に満員のフライトに乗り、何とか羽田にたどり着く。今回の旅は急に設定されたものであり、特に何も期待してはいなかったが、なかなか面白い旅にはなった。

1 thought on “突然行く台湾北部茶旅2015(9)変貌する林森北路

  1. 1970年始め頃は月に2回位台湾に行っていました。沖縄那覇空港から当時の国際空港の松山までは自社の便で正味50分でした。その頃は何処のホテルにチェックインしてもベルボーイが荷物を部屋に置くや否や、エスコート・ガールの注文を聞かれるのが決まりでした。75年頃当局の取締りがあり、松山北路中心のホテルのクッピン(国賓)ホテルが手入れされる事件もありました。この習慣?今はどうなっているのでしょう?円山大飯店(グランド・ホテル)は取引先で、よく宴会に招待されましたが素晴らしい料理でした。

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